カテゴリー「医学・医療」の記事

2009.05.18

インターネットも追いつかない?

ニュースを届けるメディアとして新聞は重要なものですが、ニュースソースがどんどん変わって行く場合、その情報の即時通達性の面からはインターネットには遥かに及びません。正確性、となるとインターネットが新聞に勝るかどうかは怪しい面もありますが。

今、日本で確認されている「人人感染」の新型インフルエンザA。
朝のニュースでは、感染が確認された人は92名。その後、午前8時頃、ニュース速報が入り、93名でした。
お昼過ぎのニュースでは「感染確認は全国で130名」とのこと。5時間弱で40名程増えています。
これは、「疑わしい患者さん」の検体をPCR検査に回し、その結果が出始めたからだと言えます。今後もっともっと増えるでしょう。
日本の場合、医療技術、情報技術が高度で安定しているため、調べ始めればどんどん増えると思います。問題は、今回問題になっている「新型インフルエンザ」が今のところ、感染力は強いものの弱毒型で通常は生命に影響を及ぼす危険性が低いと考えられているのに、今の対応は、昨年来話題になった「鳥インフルエンザ」(強毒性)による「新型」に対する対応策をベースにしている点です。

すでに厚労省などからの通達も、休校や閉鎖の期間を10日から7日までに減らしていますし、過剰に反応せず冷静に行動するようにとの政府発表も出ているようです。
病気の予防対策は厳しいに越した事は無いと言えばそれまでですが、それじゃあ、脳卒中の危険因子である多くの生活習慣病(高血圧、糖尿病、高脂血症、肥満など)を厳密に予防しようとしている人がどの位いるかというと、かなり疑問です。

感染症と脳卒中は違うではないかと思うでしょうが、感染症の場合、感染した患者さんに通常の抵抗力があればたとえ感染したとしても、安静にしているだけで自己免疫力によって治る可能性が高いと思います。そこにインフルエンザ治療薬(タミフルやリレンザなど)を投与すれば速やかにウィルスの増大を防ぎ治癒を早めると思います。
脳卒中は、十分な予防をしていても発症する危険性がありますが、病気による死亡数、致死率や後遺症発生率からすればインフルエンザなどよりずっと高く、しかも命を失わなかったとしてもその後一生残る症状との格闘が続く大変な病気です。

現時点では、通常の季節性インフルエンザと同様の対応策=うがい、手洗いの励行、人混みに外出する際はマスクの着用くらいで十分なのではないでしょうか。神戸や大阪では中学、高校の休校措置が始まっているようで、責任ある都道府県自治体側としてはこういう対応をとるしかないでしょう。
季節性インフルエンザの際に、学級閉鎖はあっても一校丸々休校ということは余り無いと思います。
要するに、「今後どうなるか分からない」「相手が何者なのかイマイチよくわからない」という事から強めの措置がとられているのでしょう。
でも、現在においても、既に感染しているのにまだ潜伏期間で症状が発現していない人、症状は出ているが通常の風邪か季節性インフルエンザと区別がついていない、または「新型」の疑いが強いもののPCR検査に進んでいない人、それ以外に、何らかの理由によって医療機関を受診せず自宅などに潜んでいる患者さんなどを加えると、おそらく既に数千人からもしかすると数万人単位の潜在的患者数である可能性があります。しかし、怖れる事は無いと思います。
感染した場合に重症化する恐れのある、老人、幼児、何らかの理由で免疫機能の低下傾向のある人には、十分な対策とケアが必要だと思いますが、通常の健常人は自己免疫力で克服できるはずです。

事態を、冷静に見守り、新しい情報に常に付いて行く必要があります。
インターネットでのニュースがとても大きな意味を持つと思います。

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2009.04.01

薬物乱用性頭痛のこと

4月になりました。今年も4分の一、終わったんですね。早いものです。

さて、久しぶりの「医療ネタ」です。
拙クリニックの院長ブログ先日書いた記事とかぶるのですが、なぜか最近タイトルの通り「薬物乱用性頭痛」の患者さんを多く診るのでこちらにも「啓蒙」を兼ねて書いてみたいと思います。

頭痛に詳しい方は当然ご存知の疾患ですが、実は医者でもこの病名を知らない人はたくさんいます。よって患者さんが知らないのは当然です。
国際頭痛分類に従うと、「薬物乱用頭痛」で多いのは「鎮痛剤乱用頭痛」ですが、偏頭痛の治療薬でありNSAIDSなどの鎮痛剤ではないトリプタン製剤やエルゴタミン製剤の乱用による頭痛もはいります。英語では総称してMOH=Medication Overuse HeadacheとかMedication (Drug) induced headacheと表されます。

その定義というか特徴として、
1)頭痛は1ヵ月に 15 日以上存在する。(よって、2日に1回「以上」のペースで鎮痛剤などを服用している)
2)その状態が、3ヶ月以上持続している

特に、一般的なNSAIDSと総称される鎮痛剤(いわゆる痛み止めで、医師が処方する薬か市販の薬かは問わない)を1ヶ月に15日以上服用する。
偏頭痛治療薬といわれるトリプタン製剤やエルゴタミン製剤を月に10日以上服用する。この中には、市販薬に多いタイプの鎮痛剤とカフェイン(偏頭痛に効果があるとされる)の「合剤」を連用しているものも含まれます。
その他に、単一の頭痛薬内服に限らず、複数の組み合わせ、特にエルゴタミン、トリプタン、鎮痛薬、オピオイド(麻薬性鎮痛薬)などを2種類、3種類と組み合わせて、合計で月に15日以上の頻度で服用しているものも含まれます。

なぜこのような状態が起こるのかというと、要するに痛み止めの使い過ぎによって、脳内の痛み調整系が異常を来たし痛みに対する閾値が低下してしまうのです。つまりちょっとのことで凄く痛くなり、痛みに対して敏感、または過剰に反応する状態に陥っているものです。
本来は、普通の偏頭痛患者さんであったはずなのですが、痛みに対して鎮痛剤を使用しているうちに、その使用頻度が多くなってしまい、「ちょっと痛いとすぐ薬を飲む」「薬を飲まないといつも痛い」「頭痛に対する恐怖、不安のために痛み止めを毎日のように服用する」という状態になって、痛み止めの効きが悪くなり、効果の持続時間が短くなります。すると更に痛み止めを飲む量、回数が増えるという悪循環に陥るものです。

治療には、まず「原因薬物」を特定し、それを中止する事が大切です。
つまり「頭痛薬が引き起こした頭痛」なのですから、その頭痛薬を止める事が大切なのです。しかし、頭痛があるのに頭痛薬を止めたら頭痛が治りません。ただ単純に「痛み止めを飲むのをやめなさい」と言うだけでは患者さんはその指示を守れないと思います。

頭痛の治療経験の豊富な医師(必ずしも脳外科医でなくても良い、頭痛診療に時間と情熱をかけている医師を探す事です)を受診して、薬物乱用頭痛なのかどうかの判断を仰ぎ、原因薬物を特定する事から治療は始まります。そして、急に痛み止めを止めるといっても無理な場合もあるので、患者さんによっては服薬量を減らす事から始める必要があるでしょう(中止する事が原則です)。
鎮痛剤を止めたり、減らすと頭痛が治らない訳ですから、これは他の薬物で「コントロール」する必要があります。偏頭痛発作の特効薬と考えられるトリプタン製剤を試していない人はこれを中心に服用しながら、鎮痛剤を減らし、場合によっては精神安定剤、抗うつ薬、抗てんかん薬などを併用して治療します。これらの薬が、痛み刺激に対する閾値の低下した(つまり痛みに異常に過敏になった)脳の過剰興奮性を抑えて、正常に戻す働きが期待されます。

こういった治療を最低でも1ヶ月は続ける必要があります。すぐに「効果がない」とか「かわりない」といって治療を諦めたり、医師を変えたりするのは得策ではありません。また鎮痛剤を断薬すると3日以内に「離脱性頭痛」が出現し1週間近く酷い頭痛が続いたりします。ここでめげないで痛み止めを飲まない、という状態を継続するとMOHは治ってきます。
重症の場合は、入院の上、治療を要することもあるくらいです。

こんな医療ネタを久しぶりにブログに書いているのは、今週、月火水の3日間だけで、明らかに「薬物乱用頭痛」MOHと考えられる患者さんが毎日一人以上受診されているからです。しかも、他医からの紹介ではなく、他のお医者さんで頭痛の治療を永らく受けて来て、最近頭痛が治らないという事で拙クリニックに来られています。
連日のように「薬物乱用頭痛」の患者さんがいらっしゃると、説明だけでもかなりの時間がかかります。まず、どういう状態なのか、なぜそうなったのか、どうすれば治るのか、そのために患者さんはどうすればいいのか、その根拠を説明します。頭痛のガイドブックを渡します。そして、次に頭痛が起きた時に、どんな頭痛がどこに起きたのか、どの薬(通常はトリプタン製剤を第一選択にします)を服用したらその頭痛がどうなったのか、治まったのか、変わらないのか、弱まったが持続するのか、吐き気はどうなのか、寝込むのか、、、などなど細かく知る必要があります。

先日いらした「薬物乱用性頭痛」の患者さんは医師から「偏頭痛」という診断を受けていて、偏頭痛発作特効薬のトリプタン製剤と一般的なNSAIDSである鎮痛剤の処方を受けていました。しかも、NSAIDSはほぼ毎日3錠服用し、トリプタン製剤も週に5錠くらいは使っているということ。更に、この状態が1年以上、2年近く継続しているという事でした。
驚くとともに少し呆れました。
患者さんは、医師が処方するのでそのまま漫然と鎮痛剤とトリプタン製剤を大量長期にわたって使用し続けているのですが、それで治ると説明を受けているのです。しかし、痛み止めは殆ど効かなくなっており、朝起きたときから頭痛があり、ズキンズキンという拍動性の痛みもあれば、ギュ〜と締め付けられる様な痛みもあれば、重苦しい感じもあれば、だらだらと痛い感じもあるという状態で、全く「教科書的」に典型的なMOHの状態でした。
幸い、偏頭痛、頭痛持ちの患者さんは一般的には理論派で、きちんと説明すれば理解の早い方が多いので、早速「薬物乱用」を止める事、そのために偏頭痛予防薬と考えられる薬や鎮痛剤以外で頭痛を和らげると考えられるお薬も処方し治療を開始しました。頑張って治して行って頂きたいと思っています。

おそらく私の「院長ブログ」よりは、こちらのプライベート・ブログのほうが閲覧してくださる方が多い様なので、こちらにこのMOHの事を書いて頭痛患者さんや頭痛を診ている医師の注意を喚起し啓蒙するという意味も持っております。
 

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2009.03.16

介護保険サービスのこと

昨日、日曜の午後1時半から5時15分過ぎまで、正式名称「介護認定審査会委員及び認定調査員新規研修」という長い名前の「研修」に行って参りました。

3時間半に渡り、分厚い資料のあっちのページ、こっちのページと指示に従って慌ただしく行き来しながらの研修会。参加したのは庄内地区全域(遊佐、酒田、庄内町、三川町、鶴岡)の医師に、介護福祉関係の看護師、ケアマネージャー、役人(介護福祉関係の市、町の担当職員)、ざっと100名強。
事前に場所と時間の連絡はあったものの「介護認定審査会に初めて参加する医師への説明会かな?」と気軽に出かけて行った私は、まず駐車場がいっぱいなので隣の藤島中学に駐車して来て下さいという段階から面食らいました。役人的な受付、日程説明に続いて、トイレ休憩以外はまったく「おもてなし」はなし、飲み物もなし。休憩は2回合わせて15分。
「日曜の午後に人を呼び出しておいて、研修と言う名の強制的な説明会、、、まったく!」という印象しか残りません。医師として25年、特に神経系、脳神経外科を専門にしてきた人間です。「介護認定調査委員」(医師ではない人)を対象に、「上肢の麻痺の見方は座った状態であげさせて顎のラインまで届くかどうかで診て下さい」と言うようなあまり医学的とは言えない説明を延々と聞かされて辟易しながら我慢して座っていたという感じです。「調査委員」(非医師)と「審査会委員」(医師)は別々に研修を行うべきでしょう。
挙げ句には、「認定調査委員」(公務員ではないが市町村から介護認定の訪問調査の委託を受けている)も個人情報の守秘義務を始め、違反した場合は「公務員に科せられる罰則が適用される」という話まで「大事な事ですが、、、」と説明を受けた。
地方公務員法で、「1年以下の懲役又は3万円以下の罰金」と規定されているらしい。

自分からこの仕事を「やりたいです」と手を上げた覚えはない。介護保険サービスは市町村が保険者となって行うものなのだから、どちらかというと市町村の職員が全て行うべき公的サービスなのだが、医療の専門家がいないので地区医師会を頼んで病院勤務医や開業医が「代行」している仕事という認識でいる。その「代行」を「依頼」されている立場の者達に対して「公務員法で罰せられますよ」という話は、「注意して下さいね」という気持ちからなのだろうが「何かおかしくない?」という反感を抱かせた。
広い会場に顔見知りの医師もチラホラいるのだが、開業わずか1年で審査会委員に任命されて研修を受けているなんて私だけだった。一番新しいところで開業3年目の医師もいたが、開業して10年近く経つ先生や、病院勤務20年というようなベテラン医師も多かった。

介護保険のサービスを受けている一般市民の方々は、介護認定がこのような医師達のボランティア的活動に寄って支えられている事はあまりご存知ないだろう。私の場合、地区医師会長の名前で介護認定審査会に参加できる希望日程などを調査された上で、通常の平日夕方からでは診療に差し支えると困るので、「半ドン」にしている木曜の午後6時半からの会議を希望し、そこに出席することになっている。つまり介護認定審査会委員を続けるこれから2年の間(平成23年の3月一杯まで)、およそ2週に1回の割で木曜の夕方を空けておかなければならず、どこかに遊びに行ったりも出来なくなる訳です。
そういう役人、看護師、介護職、医師達の働きがあって介護保険サービスが維持されていると言う事をどのくらいの一般市民がご存知であろうか。
「要支援1、2、要介護1、2、3、4、5」というあの段階を決めて、それに応じて介護サービス(物理的、経済的、精神的な公的支援)が行われるのだが、これは元来は「医療費抑制政策」によって確立したもの。高齢化社会において、膨らみ続ける医療費。破産に向かっていく保険者(国民健康保険とか社会保険の支払い基金)。これを解決する一つの方法として、医療保険とは別に「介護保険料」を被保険者(つまり一般市民)から徴収し、介護サービスが必要となった人(一般には病人)に対して、医療とは別の社会福祉サービスとして、保険者を市町村などの地方自治体として(というより国としては地方自治体に押し付けて?)、国の予算等に関する統計上「医療費」には組み込まれない金の動きを「介護保険」という形に換えた物と言い換える事もできる物です。つまり病気の人を治療するのにかかる医療費とは別枠で、高齢故に身体の弱っている人、または慢性の疾病を抱えた故何らかの介助、介護が必要な人を「医療費」ではなく「介護保険」でカバーする事によって、見かけ上国の総医療費を抑制している形になる訳です。
「介護保険サービス」は、弱者を救済し広く公平に公的な医療福祉サービスを享受できると言う面では良い制度だと思いますが、要するに一般市民から税金を獲った上で更に介護保険料という形でお金を徴収することで、医療保険料(国保や社保の保険金)とは別建てで行っているサービスなのです。
そのサービスを実施する根幹となるのが「介護認定」で、その認定審査は医師に行わせる(というか医師でなければ出来ない)のですが、その役目に一般開業医を「使っている」という形になると思います。これは当然の義務なのか。おそらく推薦指名された時点でお断りする事は出来るのだと思います。医師会長名で届いた書類には「委員として推薦致しました」と書かれています。推薦を辞退することはできるのだと思います。しかし、地区医師会に所属する医師が順番で回って来たら義務としてこなしている仕事をあえて断る特別な理由もないのでお受けした事になっている訳です。

今後、益々高齢化社会が加速し、あと6年後の2015年には団塊の世代が「前期高齢者」になり、全人口の25%が高齢者ということになります。山形県はそれを上回る28.6%が高齢者となると予測されており、『介護保険サービス』の重要性は更に増す事になります。
高齢者が増え、医療費が嵩む中で、「介護保険サービス」によって見かけ上の医療費を抑制し、病院、診療所以外の施設での医療を含む社会福祉サービスを提供するというものですから、今後「介護認定調査」も「主治医意見書」も増加し、それを元に判定会議を行う認定調査委員会の頻度も件数も増大すると予測され、医師が病院や診療所で働く以外の仕事も益々増えるのでしょう。
今でも「医療崩壊」を食い止めるために、病院勤務医の負担を少しでも軽減し医師の病院離れを防ぐために地区医師会会員の診療所開業医が「病院の宿直」や「当直」を分担するということを始めている地区医師会もあります。病院勤務医の労働環境が悪いから、待遇が悪いから、病院での宿直や当直を続けたくないから勤務医を辞めて開業したのが本音だと言う医師も少なくないのに(私も開業理由の一つになります)、その医師達に病院宿直を手伝わせるというのはいかがなものかと思います。
要するにhuman resourceとして医師の絶対数が少ないのです。
厚労省が言うように医師の数は足りているなどということは現場の感覚ではありません。人口と医師数を単純に割ったり掛けたりして計算して出している「医師数」と、実際に働いている、働ける医師の数、医師の能力には開きがあるのです。そして、ますます仕事ができる医師に負担が増す傾向にあります。やはり医師の絶対数を増やさなければなりません。開業医が病院を手伝ったり、開業医が介護保険サービスの判定会議を手伝ったりというのは本来求められている形ではありません。

その医師の専門が何か、これまでの経験はどうか、その仕事を依頼し任せるのに適任な能力を持つのか、それを判断した上での「手伝い」、すなわち社会的に必然の要請があるならば私はそれを否定するものではありません。医師ならば誰でも、どこでも、何でも、、、という今の体制に不満があるのです。
(話が膨らみすぎたので今日はこの辺にしておきます)

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2008.12.04

新型インフルエンザのこと(やや長文)

年の瀬も押し迫ってきましたが、まだインフルエンザ蔓延のニュースは入っていないようです。
県内の医師会会員任意参加のMLでは、どこそこでインフルエンザA型陽性の患者がでた、とか、どこそこの人はB型だったというようなsporadicな情報はあるようです。

乾燥しやすい冬、これからインフルエンザウィルスが猛威を奮うのでしょうか?今年は例年と違う株のウィルスが発生すると予測されており、特に気管支疾患を持つ子供さんと高齢の方は12月中に予防接種を済ませておいた方がいいと考えられます。(予防接種には、「かからないで済む」というような予防効果はありませんが、かかった場合に軽く済む事が期待され、高齢者の死亡率を減らすと予測されています)

さて、表題の「新型」インフルエンザ。
先日の庄内医師集談会でも中心の話題はこれでした。保健所や病院の感染症対策担当者、そして東北大学の細菌学教授などの講演もあり、結構勉強になりました。
巷ではまだあまり話題になっていないようです。「新型」というのと、「今年のウィルスの株が例年と違う」というのとは別の話です。この場合、「新型」=「鳥インフルエンザ」です。
現在、地球上に存在し、人間に感染する通常の(新型でない)インフルエンザも元はと言えば鴨などの水鳥を自然宿主とするウィルスが突然変異を起こしてヒトに移ったものです。ですから、一番最初はその時点では「新型」だったのです。

ウィルスも生命体である以上、自己を守り種族を守って存続し続けようとします。それは人間と同じ事です。インフルエンザウィルスが存続し続けるためには、地球上の生命体に広く感染して蔓延しその子孫を作る(ウィルスの場合は「複製」という作業)事が必須な訳で、元は水鳥などを主な住処にしていたのですが人間を対象に変えて、自分の姿も少しずつ変え(変異)て何世紀にも渡って地球上に存在しているものです。

「新型」=鳥インフルエンザは、現時点では人への感染報告はまだ多くはないのですが、インドネシアではある家族に感染し家族8名中7名が死亡したという報告がありました。WHO(世界保健機構)の発表では、今のところ全世界で鳥インフルエンザによる死者は201名に達しているとの事ですが、原因が鳥インフルエンザだと確認出来ない死亡例も含めればもっともっと多いはずです。
死亡例が報告されているのは、インドネシアのほかアゼルバイジャン、カンボジア、中国、エジプト、イラク、ラオス、ナイジェリア、タイ、トルコ、ベトナムと中東から東南アジアが中心になっています。

日本は大丈夫なのでしょうか?
大丈夫という保証はなく、厚生労働省も「日本にも新型インフルエンザはやってくる」という考えのようです。厚生労働省:感染症に関する情報をご覧ください。
その他にはこんなのもあります。「新型インフルエンザ情報室」という名のブログです。

ウィルス学的に言えば、何十年周期で必ず世界的に広く蔓延するような突然変異が起こっており、これまでに有名なところでは1918年の「スペインかぜ」やその亜系である1957年の「アジアかぜ」、1968年の「香港かぜ」などがあります。(ウィルス学なんて、今回、約30年前に大学で仙台ウィルスの権威であった細菌学教授の本間先生に学んで以来と言っていいくらいに勉強しました)
今回話題になっている「鳥インフルエンザ」は、実際に人への感染とそれによる死亡が確認報告されている訳で、これが全世界に流行しないという保証はどこにもない訳ですから、「流行する恐れがある」と考えて対応し対策を整えるべきという考え方で専門科や政府機関は動いています。

たとえば、1918年のスペイン風邪では、世界中で4000万人、日本国内だけで39万人もの死者を出しています。それと同じ様な事が、現在心配されている「新型インフルエンザ」で起こる危険性は誰にも否定出来ない訳です。
ただ、90年前の抗生物質もないような、衛生環境も現代の様に整っていない時代とは違うとの考え方もあります。ウィルスに抗生物質は効かないのですが、インフルエンザに罹患して高熱で寝込む事によって体力が低下し、通常では感染源にならない様な常在菌(この場合はウィルスではなく細菌)が元で肺炎を起こした場合、抗生物質は有効です。現にスペイン風邪では合併罹患した細菌性肺炎によって多くの人が命を落としたと言われており、現代の医療体制ではスペイン風邪の様な大量の死者は出ないだろうという楽観的な見方もあります。

現在厚生労働省の試算では、「新型インフルエンザ」が日本で蔓延した場合、約2500万人に感染すると想定されています。スペイン風邪やアジア風邪の時のデータに基づいて計算すると、日本国内で50万人(17~64万人)の死者が出るという計算がなされています。
日本の人口のおよそ100分の一が住む山形県に置き換えると、山形県内で25万人が感染し5000人が死亡するという計算です。県内人口の4分の1が住む庄内地方に置き換えると、およそ6~7万人が感染し1200~1300人が死亡するという、恐ろしい計算なのです。

なぜこのように死者が多くなる危険性があるのかというと、一つは鳥インフルエンザが鳥にとっては低病原性(感染してもあまり深刻な事態にならない)ものであっても人にとっては「高病原性」(感染したら高率に病気を起こす)可能性が考えられている事と、新しいウィルスに対して人類はまだ免疫を持っていないため、罹患したら高率に発病し強い症状を呈して死亡する確率が高いという事によります。
元々は「新型インフルエンザ」であった「スペイン風邪」などは最初の1、2年で蔓延して多くの死者を出しましたが、罹患して生き残った人にはそのウィルスに対する抗体が体の中に作られ、次に罹患しても強い症状を呈さずに済む様になったのです(その時点で既に「新型」ではなく、通常の流行性インフルエンザウィルス)。今騒がれている「新型インフルエンザ」も、万一今シーズンや来シーズンに世界中に蔓延したとしても、2、3年過ぎれば人類にはその免疫が出来上がると考えられています。

ですから、蔓延し始めた最初の年が大変なのです。その対策が必要な訳です。
大量の患者が発生し病院や診療所に押し掛けて来たらどうなるでしょうか?病院、診療所の機能が麻痺します。新型インフルエンザではない他の病気の患者さんに感染します。既に病気を持っている人の中には免疫力の低下している人が多いので、高率に症状を呈し死亡する危険性があります。そうならないようになんらかの対策、対応が必要です。

行政、保健所、病院、診療所などではどのような対策を立てているかを簡単に説明します。
・まず、現在のインフルエンザ予防接種の様にワクチンはないのか?というと、「ありません」。まだ人類に広く完成していない、現時点では「鳥インフルエンザ」なのでそのウィルスに感染した人の血液などを元に培養してワクチンを作る事はまだ不可能なのです。
・現在の一般的なインフルエンザワクチンは効かないのでしょうか?答えは「効かないと思います」です。同じインフルエンザウィルスであっても、突然変異して出来る形の違うものなので、既に流行したウィルスを元に作ったワクチンが有効とはまず考えられません。
・世界的な流行をどこかで停められないのか?というと、「停められる可能性はほとんどない」です。
現代の様に世界的に人や物が流通する時代に、鎖国する訳にも行きませんし、空港を閉鎖したり海外渡航を禁止する事はできないでしょう。発病、死者が確認されている上記の様な国から帰国する人を制限する訳にも、現時点ではいきません。
・日本国内で蔓延し始めたらどうするのでしょうか?
蔓延が確認される前に、可能な限り蔓延を阻止しなければなりません。そのために現在出来る事は、「新型インフルエンザに罹患したと疑われる人を他の人に可能な限り接触させない」という対策が必要です。どうやったらできるのでしょうか?
実は、症状(発熱や咳など)では他のインフルエンザやいわゆる感冒と見分けることが出来ません。ですから、発熱した人はすべて同じに扱う必要があります。そこで登場するのが「発熱外来」です。
つまり「熱がある」という症状で病院に来た人は「すべて」一般の患者さんとは別の導線で別の場所に移動させて、別の場所で診察を行います。現在、全国の主たる病院や医師会や保健所などで「発熱外来」の対応は計画されていて、シミュレーションを行っているところもあります。
「ドライブスルー外来」と言って、マクドナルドのドライブスルーのように、発熱した患者さんは自家用車で来てもらい(この場合は公共交通機関の使用を避ける)、車から降りずに別のルートでドライブスルーの様に車に乗った患者のところに医師や看護師が近づいて診療を行うという方式も考えられています。1日に数名ならいいでしょうが、何十人も来たらどうするのでしょう。自家用車を持たない人が多い都会ではどうするのでしょう。冬の戸外は厳寒の東北や北海道ではどうするのでしょう。
そして、これらの対応は新型インフルエンザの感染力からすれば焼け石に水的(無駄ではないが無駄に近い?)なものでしょう。結局、広く蔓延し始め、「発熱外来」には100人単位の人が押し寄せてくる様になるでしょう。とても病院や診療所では対応出来なくなります。
どうするのか?
・病院が最初にする事は「発熱外来」の閉鎖です。すでに発熱外来で診察して、重症の人は入院治療(これも病棟を別にする)を行っている段階ですが、これ以上受け入れる事は物理的に不可能になります。通常の病院の機能が麻痺するからです。脳卒中や心筋梗塞や切迫流産や最近話題になった脳出血の妊婦などをまったく受け入れられなくなってしまいます。通常の病院機能を麻痺させずに残すためには、発熱した人、「新型インフルエンザ」の疑いがある人は病院に来られては困ります。
どうするのでしょうか?発熱した人は自宅待機。外に出るな、病院に来るな、という対応になります。
更に、増加した入院感染患者は病院から別の場所に移し(いわゆる「隔離」です)、他者に蔓延させない対応をとる必要がでてきます。
・自宅に待機した発熱患者さんは治療が受けられないのでしょうか。
病院や診療所に来れない人を見捨てる訳には行かないので、症状を電話などで聞いて疑わしい人にはタミフルなどのインフルエンザ治療薬(治療薬に関しては、体内でのウィルス複製増殖を抑える働きは同じなので、現在のインフルエンザ治療薬も「新型」に効くと考えられています)を何らかの方法で届けるという方策が考えられています。
でも、それをどうやって、誰が、という具体的な対応策はまだ出来ていません。
そういう事態(パンデミック、感染蔓延状態)になったら、あらゆる手だてもほとんど無効になってしまう恐れがあります。そうなった場合には、重症で死亡する人は死亡する、免疫力が強く体力のある人は生き残る、そういった自然界の掟の様な事態になると想像されます。
日本人のうち、50万人が死亡(庄内地方在住者のうち1200名が死亡)して、人類に免疫が成立し「新型」ではなくなって新しくワクチンが生成され、予防接種が広く行われて感染の蔓延が防がれる様になるということが、これまでの歴史を繰り返す様に起こるのでしょう。

以上が、「新型インフルエンザ」に対する現時点での厚労省や保健所や医療機関の対応と考え方です。一般人に何か出来ることはないのでしょうか?
相手がウィルスなので、確実な対応策はないと思います。
一般のインフルエンザと同じ様に、外出から帰ったら手を洗う、うがいをする、人ごみに出かける場合がマスクをする、部屋の湿度を上げる(60%以上が良いと言われています)、などでしょうか。「新型インフルエンザ」に対する対策としては、海外渡航、特に東南アジアへの渡航を控える、最近東南アジアから来た人と接触を避ける(これも問題を醸しかねませんが)、野鳥特に水鳥との接触を避ける、などでしょうか?
そういう理由もあって、最上川スワンパークに毎年飛来する10000羽近い白鳥への餌付けは今年は禁止されました。情報では、飛来数はけっして減ってはおらず、私がブログに写真で乗せている様に庄内の多くの田んぼで落ち穂拾いをする白鳥の集団が例年と同じ様に見られます。

どんなに医学が進んでも、人類にとって「感染症」、細菌、ウィルスはいつまでも敵です。医学の発達と抗生物質の開発によって減少したとはいえ、日本人の死因の第4位は「肺炎」です。
地球とか宇宙と言った規模で考えた場合、増え続ける人口を抑制し、地球環境を保護するためには「新型インフルエンザ」による大量の死亡者によって人類の増加が抑えられる事は必要なのかもしれません。同じ様な意味では、戦争(人が人を殺す)も「必要悪」(まさか!)なのかも、などと今回の問題を機に考えてしまいました。

皆さんは、まず、手洗い、うがい、マスク、部屋の湿度などでインフルエンザ感染を真に「予防」し、予防接種で罹患しても重症化しない様な対策をお取りください。
お大事に!

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2008.11.22

MRI、その後

私は開業するにあたって脳外科医としてどうしても画像診断、特にMRIは必要だと考えました。
ただ、MRIという医療機器は、一時に比べれば機種も増え価格も下がったとはいえ、定価ベースで言えば一台1億円から数億円という値段の代物です。
長く大学病院に勤務し蓄えのない貧乏医師としては個人事業の展開や借金返済を考えれば、診療の目玉にはなりますがリスクは大変大きい。どんなに一般的値引き交渉をしても(公立病院ではないので「入札」などは必要なく個別の交渉が可能)限界はあります。現在、日本で主に使われているMRIを製造販売する会社は、G社、P社、S社、T社、H社といったところが主流だと思います。大学付属病院や大病院では、超伝導MRIでも1.5T(=テスラ)から3.0~4.0Tという高磁場超伝導MRIがどんどん導入されつつあり、画像の分解能や種々のオプションによる脳機能解析などに力を発揮する素晴らしいMRIがどんどん発売されています。そういう高機能のMRIは、値引き交渉をしたとしても2億円前後する上に、液体窒素と電気代などのランニングコストがべらぼうに高く、年間数百万〜数千万円というコストなのです。

Mridemot2revどうせ高額な機器を導入するならば、なるべく妥協はしたくない、でも値段は安い方がよい。ランニングコストも低い方がいい。
そうすると、どうしても常伝導型のMRIになります。ランニングコストの面からは、コイル型よりは永久磁石式がいい。0.2Tよりは0.3Tが、0.3Tよりは0.4T(現状ではこれが最も高磁場の常伝導型のパワー)ということになり、拙医院にはH社の0.4Tオープン型全身用MRIを導入する事にしました。(写真は、拙医院の0.4TオープンMRIで撮像した脳のT2強調反転画像)

価格交渉の末、最終的に機種を決定したのはちょうど1年くらい前になります。
常伝導永久磁石式のMRIの場合、設置して電源を入れて安定した磁場が得られる様になるまでに数週間から1ヶ月かかるということで、3/3の開院の1ヶ月以上前に設置する必要がありました。2月末には正常に稼働している状態を得るためには、遅くても1月末に設置完了の必要があります。MRIは、電気屋さんに行って「これ、ください」というような買い物ではないので、注文を受けてから作るという状況の様で、納品に2,3ヶ月はかかるということでした。昨年の9月末か10月初めにはほぼ決定して、更に価格交渉や保守点検の条件についてなど細かい点を詰めて、11月には決定していた訳です。
その過程において大変お世話になった方がいます。

H社の東京本社で部長職を務めているそのI氏は、実は私と高校の同級生で、一緒にブラスバンド部に所属し、彼はホルンを吹いていました。本業は合唱で(私も本業はテニス部でした)、私の2年のときの担任であったT先生の指導する合唱部でも頑張っていたようです。私と同じ大学の工学部を卒業してH社に就職し、主にレントゲン撮影装置の開発に携わり、現在は電子カルテや医療情報を扱う部門で活躍しているようです。連絡を取ったら、多忙の中スケジュールを調整して酒田に飛んで来てくれました。
10年くらい前に、出身高校で毎年夏に開催している全体同窓会の幹事役が我々の学年になった時、私も初めて仙台のホテルで開催されたその会に出席しました。「大言海」の著者大槻文彦作詞の校歌や応援団に強制的に覚えさせられた凱歌などを久しぶりに歌いました。その席で、I氏と再会していなければ、彼がH社に勤務している事など知りませんでした。高校卒業後31年降り、全体同窓会後数年ぶりに連絡を取ったのです。
Photo_9(写真はI氏が先日久しぶりに酒田に来てくれたときのお土産、「ダロワイヨ」のマカロン!)
I氏は、価格交渉などを含めあらゆる面でいろいろ骨を折ってくれたそうです(高校の同級生が開業するから何とかお願いする、とH社の相談役にまで直接掛け合ったと聞きました)。


それでも、現金で購入するお金は持っていないし、医院の建築、土地建物を含めて家賃、その他の必要物品の購入などにかかる莫大な借金から考えて、MRIは「リース」でということになりました。このリース代だけで毎月100万円以上勝手に出て行く状況ですので、それなりに稼がないとやって行けません。「MRI貧乏」にならないためには、最低でもMRIの元を取れる数の検査が必要で、毎月およそ100件近いMRI検査を行う必要があります。1日あたり平均4~5件と言う事になりますが、今のところはぎりぎりどうにか、、、という感じです(日によってばらつきが多い)。
幸い開業して半年を過ぎた頃から、あそこはMRIのある医院らしい、行ったらすぐにMRIを撮ってもらえるらしい、という事が少しは広まって来たようです。来週末にある庄内地区の医師の集談会で、開院以来のMRI撮像症例についてまとめてみる予定です。
An324b今までに、髄膜腫、聴神経腫瘍、破裂脳動脈瘤によるくも膜下出血、未破裂脳動脈瘤、慢性硬膜下血腫、急性期脳梗塞、くも膜嚢胞、ラトケ嚢胞、その他多くの脳疾患の確定診断が付けられ、必要に応じて大学病院、地元の総合病院の脳外科、神経内科などに紹介し治療をお願いしました。未破裂脳動脈瘤の症例の中で2名は、血管内治療を行える設備とスタッフを揃えた施設に紹介しGDCによるコイル塞栓術を行ってもらいました。

ということで、なんとかMRIもそこそこ順調に稼働しています。望むらくはもう少し、1日平均6~7件のMRI検査が行えれば借金返済や家賃支払いに苦しまなくても済むのですが、、、(苦笑)。

先日I氏が酒田に来てくれた際には、彼の交際費(?)で一緒に食事をしました。これまで3回、今回が4回目の来酒でしたが、漸く『ル・ポットフー』に連れていく事が出来ました。

Photo_10Photo_11左:前菜「ひらめのカルパッチョ、いくら添えとサラダ」、右:スズキのポワレ菜の花添え
飲み物は、先日この店のソムリエに勧められて初めて口にして気に入った、上山の竹田ワイナリーのスパークリングワイン「ドメーヌ・タケダ ブリュット」。
Photo_12Photo_13左:メインの山形牛のステーキ、レアミディアムで頂きました。
右:デザート、グラスの中はジンとライムのシャーベット。季節のフルートの中にはしっかり「庄内柿」が入っています。
職業柄海外出張も多く、奥さんとともに国際レベルの合唱団に属していてパリ公演などにも行っているI氏にも満足して頂けたようです。
(著者註:こういう食事をした翌日などは自宅では質素に納豆ご飯とおかず一品ぐらいで過ごしています、なにせ高額借金を抱えた身ですから)

ほんの5年くらい前までは開業するなんてこれっぽっちも考えたことはありませんでした。
患者さんが最後の砦として頼りにしている前線の市中病院に勤務し忙しく身を削って働いているのに、「患者中心の医療」の名の下に厳しい労働環境で我慢して働いている脳外科医に対して、県も、病院の中枢にいる人達も、事務も、冷たい対応でした。さらに働いた分の労働対価として当然請求していいはずの「時間外労働」の手当も県の予算が減らされた結果、事務の方で勝手に削ってきました。医師への世間の風当たりは強くなり、特に医師や病院を悪者にして一般大衆を味方につけ改革の先導者気取りのマスコミには叩かれ続け、医師として苦しむ患者さんのために自分の自由にできる個人的な時間や趣味の時間を削り夜中も休日も正月も働いているのになんだか空しい、悲しい気持ちにさせられモチベーションが下がってきました。50才を目前にして、ずっと市中病院や大学病院で忙しく身を削って働く事に疑問を感じ始め、そこに音楽、特にアマオケへの開眼が加わり、医師をやりながら自由な時間を作るためには開業するしかないと結論し今年開院しました。
最近でも二階経産相に、今度は麻生総理までも、医師を愚弄するような発言をなさいました。マスコミに作られた、「医者=金持ち」「病院=医療事故隠蔽」「医療=安全で完璧なのが当たり前」というような極端な考え方が、この国のトップの脳まで支配しているようです。単なる無知ではなく、「洗脳」されているとしか思えない発言が続きます。

自分が倒れたお終いという、個人事業主として世間の荒波を乗り越えて行くために、自分の知識と経験を生かすべく、そして専門性を特に活かすためにも、超高額医療機器であるMRIを導入してようやく船出したばかりです。その船出に際し、上記I氏を始め、多くの人から助けられました。高校の同級生がたまたまH社にいたというのも何かの縁と感じます。
これから5年、10年後の事を意識しながら、MRIを撮って行きたいと考えています。

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今日のオマケ
Cyoukai1122ここ数日、天気は荒れています。寒い。雪もちらつき、風は吹き、時折激しい雨。そして夜中の雷鳴。
ついに昨日冬タイヤにしました。
そして、今日、重たい曇り空の中、ちょっとだけ晴れ間が除いた瞬間の鳥海山。
頂上には厚い雲がかかっています。
積雪は中腹を下り、3〜4合目辺りまで降りてきているようです。

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2008.10.29

『たらい回し』

最近、報道番組、新聞を賑わせている、東京の「妊婦たらい回し事件」。
およそ1年前に奈良県(〜大阪)でも似たような「たらい回し」があったばかり。現場の事情を理解していないマスコミは、当初こぞって医療バッシングのような記事を書き続けた。今回も、かかりつけ医や最初に受け入れを断り結局回り回って最終的に受け入れた都立墨東病院を非難するような記事が見受けられて心配していた。ようやく、現場の厳しい勤務状況、医師不足、急患受け入れ態勢、周産期医療情報ネットワークの不備、などが浮き彫りにされて来た。
亡くなられた女性の御主人が「今後、このような事が起こらないように対策をとって欲しい」と会見で述べられたとの事。不幸にもお亡くなりになった方とそのご家族には本当にお気の毒で哀悼の意を表するものであるが、こういうことはこれからもまだまだ起こりうることである。
本日のネットニュースで次のような報告が出て来た。

「緊急処置の必要な妊婦や赤ちゃんを受け入れる「総合周産期母子医療センター」を対象に共同通信が緊急調査したところ、全国75施設のうち回答があった59施設の56%は必要な産科の常勤医数を確保できずに定数割れに陥っていることが29日、分かった。当直の産科医が1人態勢のセンターがほぼ半数を占め、全体の90%以上が産科医確保に「苦労している」。綱渡り診療が少なくない現状が浮かんだ。」

なぜ、こういうことになっているのか。
まず、医師の絶対数が少ない。特に産科医療に携わろうとする産婦人科医が少ない(産婦人科を専攻しながら、産科はやらず婦人科だけで診療している診療所、医師も少なくない)。
ようやく医学部の定員を増やすことになったが、戦力となる医師として産科の現場に出て来るまでこれから10年近くかかる。しかも増やした定員数に従って「産婦人科医」が増加する保証はどこにもない。医学部を卒業して国家試験に通れば、医師免許上はどんな診療科でも出来ることになっているのが今の制度。どの専門診療科を専攻するかは、医学部の学生から研修医の時代における「その人」それぞれ自由な意志で決める事ができる。私の場合は脳に興味があり外科医になりたかったので「脳神経外科」を志した。
米国の場合は、ある診療科に対する学問的興味や科学的・医学的魅力によるものもないわけではないが、結局は「期待できる収入」が物を言う。私が知っているデータでは(5年以上前の古いデータだが)最も高額な収入を得られるのは大病院勤務の「移植外科医」、ついで「脳神経外科医」であった。米国では、頭脳明晰で上昇志向の強い医学部学生は、その社会的地位、学問的興味、そして収入の多さからも「脳外科医」に憧れ志望する。ただし、そこから競争があって、希望すれば希望した専門診療科を専攻できるとは限らないのが米国の制度。日本の場合は、本人の希望があれば少々の競争はあるけれどおよそ自分の希望する専門診療科を専攻できる制度になっている。
産科医療に対して医学部の学生や研修医が夢や希望を持てない状況が続く限り、期待する程には産婦人科医が増えないと言う事が懸念される。

今回も話題になっている病院の「たらい回し」。
広辞苑では「一つの物事を責任をもって処理せずに次々と送りまわすこと」と解説されているが、今回の患者さんの「複数病院紹介受け入れ拒否連鎖」は原義の「たらい回し」には当てはまらない。
今回の妊婦さんはかかりつけ医において、高血圧と強い頭痛ということでより高次の産科医療への紹介を考慮したと聞いている。そして最も距離的に近く、都の「周産期母子医療センター」になっている都立墨東病院にまず電話照会した。患者を救急車で連れて行って、窓口で断られて、次の病院に移動しそこで断られて次に移動し、、、という「たらい回し」が行われた訳ではない。墨東病院の救急担当医は都内の「総合周産期母子医療センター」ネットワークで受け入れ可能な病院を検索し、そこから電話連絡をして受け入れ要請をしたものの結局7つの病院にいろいろな理由で「断られ」、最終的に都立墨東病院で受け入れた訳である。つまりネット上、電話連絡上ではいろいろな病院に問い合わせして「たらい回し」の様にはされたが、患者さん自身は受け入れまでに時間がかかっただけで「回された」訳ではない。

にもかかわらず、こういう事例に「たらい回し」という言葉を使うのは誤った用法ではないのか。
最近の医療関連報道では、患者をある病院で一旦受け入れ安静にさせた上で、高次医療施設に搬送の打診をし、相手先に受け入れ余地が無く断られる事も「たらい回し」と呼ばれてしまうようである。しかし、一般の方にはイメージとして「救急車に乗せられた患者さんがぐるぐる回されている」ような印象を持たせてしまう言葉だと思う。
報道の仕方によって医療機関が「悪者」という強いイメージが出来る事を心配する。
今回の事例は、出産間近の妊婦が「脳出血」を起こしたもの。結局、都立墨東病院で受け入れ全身麻酔管理下に帝王切開で赤ちゃんを「無事」に取り上げ、脳出血の治療も行われた。しかし3日後に死亡したものである。かかりつけ医の段階でどこまで「脳出血」の可能性を考えていたかはわからないのだが、その時点で適切な診断が出来たとして、さらに今回のように計8病院の「たらい回し」もなくすぐに受け入れられたと仮定して、この「脳出血」の患者さんは助かったのであろうか?疑問である。

脳外科医の立場から考えると、治療を開始して3日で死亡する脳出血は、診断が付いた時点でほぼ致死的な状態である事が推測される(もちろん、最初は軽症で時間が経つ間に出血が増えて致死的になってしまった、つまりもっと速く対応できれば救えた可能性は否定できないが)。たとえ搬入時にまだ意識があるような状態であったとして、1回目の紹介ですぐに受け入れてもらえたとして、妊婦なのでまず産婦人科医が対応し、次に救急医または当直医の判断で頭のCTなどを検査し、脳出血が見つかってから当番(当直ではなく、各診療科の夜間および休日に対応する役割のある医師)の脳外科医を連絡し、その脳外科医が病院に駆けつけ診察、診断、治療を開始するまでにいったいどのくらいの時間がかかるのだろうか。
私の住む町のような地方都市の中核病院の場合で考えると、救急部に運び込まれてから脳外科医に連絡があり、脳外科医が駆けつけて診断がつくまでに、速ければ30分くらい。かかって1時間。
そこから治療方針を決めて家族に説明し手術の同意を得て、同僚の脳外科医に連絡し(一人では手術できない)、当番の麻酔科を呼び出し、当番の手術場看護師を呼び出し、手術の体制を整えて手術が始まるまでには、どんなに速くても運び込まれてから1時間(2時間くらいすぐ経ってしまう)。脳の手術は全身麻酔をかけ、頭部を固定して顕微鏡で出血部位にアプローチしたりするので、開頭して顕微鏡下処置を施し出血が取り除かれるまでどんなに速くても1時間、簡単に2時間くらいは経ってしまう。
つまり、発症し、連絡し、受け入れられ、搬入され、診察を受け、脳外科医が呼ばれ、手術を受けて血腫が取り除かれるまでには3時間くらいの時間はすぐに経ってしまう。その間に脳出血によるダメージが致死的になることは多く(いくら脳浮腫改善剤などを急速点滴投与していても)、結局、命を落とすか重篤な後遺症を残すことになる可能性が高いと、脳外科医の立場からは考えてしまう。

今回の脳出血で死亡した妊婦さんの事例は悲しい話であり、けっして見過ごしたり容認してよい問題ではないが、誰かを責めたりどこか特定の病院を非難したり、まして厚労省の無策の故に医師が不足したからだとか、都の責任だとか、ネットワークの不備だとか(それらは全て事実であり、改善されるべき問題である事は間違いないが)責めたり文句を言っても詮無き事だと私は思う。
人間は「生き物」であり、生きている物は死すべき運命。その妊婦さんは本当にお気の毒だが、その日、その時間帯に脳出血を起こしてしまったという運命は変えられなかったものではないのだろうか。

医療サービスにおいて「市民の安心感」を声高にうたい、「安心安全な医療」などという安直な標語を掲げる前に、ひとつひとつのシステムをきちんとする事を考えて頂きたい。何よりも現場の労働環境の改善、産科医療に携わろうという夢や希望を若い医師や医学生に与えるような教育とシステム、若手医師を指導したり道を示したり時には「背中で語る」ような立場にある中堅〜ベテラン医師の立場をもっと改善し、50才過ぎても月に数回の全館当直に週に数回以上の診療科当番(夜間や休みに呼ばれる、しかし日中は普通に仕事をしていて代休はない)をこなさなければならないような事態を改善すべきだと思う。若手医師や医学生は、40才どころか50になっても60になっても、休日の家族を置いて病院で忙しく働いている先輩医師を見て将来の夢をなくしてはいないだろうか。
こういう事になったのはどうしてなのだろうか。
私も総合病院や大学病院にいた時、上記のような忙しさで当直や当番をこなしていた。
大学で助教授をしていた時は、さすがに「全館当直」はしなかったが、診療科の当番(急患などで真っ先に呼ばれる)はまだやっていた。やらなければ若手にもっと負担がかかるからである。基本的に、医師の仕事が多すぎる。都会でも田舎でも医師の数が足りない。特に地方で医師の数が絶対的に不足している。しかも、以前勤務した県立病院では夜中に呼ばれて出て来て急患を診て手術をしてもその「時間外労働」に対する報酬は県の予算削減のため年々減らされている状態。

現場の医師に安心を与えてこその医療サービスの安心・安全なのではないだろうか?

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2008.07.09

Moller先生

平成4年の3月末から6年の3月末の2年間、アメリカ合衆国ペンシルバニア州ピッツバーグ市のピッツバーグ大学脳神経外科(正しくは、University of Pittsburgh Medical Center内のPresbyterian Hospital)に留学していた。
その当時のPresby(愛称)は肝移植の世界的メッカとして有名で、なんと1年で500件近い「脳死肝移植」をやっていた。Thomas Starzlという肝移植の権威とその右腕として日本人の藤堂先生(九大出身で現在は北大教授)がバリバリ世界的な仕事をしていたため、移植外科医を目指す日本人の外科医は常時20~30人ほど留学している大所帯であった。ちなみに藤堂先生とは同じ福岡出身という事で、出身大学も専門科も違うのに大変良くしていただき、脳外科医では私一人だけ藤堂先生宅に招かれたり、大晦日のカウントダウンのパーティに外科医の先生方ご家族とともに招かれてとても楽しい時を過ごさせていただいた。
脳外科は移植外科に比べれば日本人は(時によって変動があるものの)2~3人程度の留学者数だった。同じ病院内なのでカフェテリアなどで時々顔を見かけるのであるが、普段は皆手術や研究に忙しくそんなにはお会いしていなかった。
Peter Jannettaというこれまた脳外科の世界では顔面けいれんや三叉神経痛の手術治療である顕微鏡血管減圧術(MVD)の創始者で権威である教授が主任を務めていて、短期留学や見学(1日のひともいれば2週間くらいの人もいる)を含めればいつも世界中のどこからか留学生(医師)が来ていて賑やかなところだった。私が現在オケに夢中になっているのも、その当時日本から短期見学に来られた某大学の助教授の脳外科医がビオラを弾かれる方で、私の家に夕食に招いたところピアノとフルートを見て私が音楽をやる事を知り、「帰国したら是非脳外科オケで一緒に演奏しましょう!」と言われたのがきっかけだった。

Jannetta先生のMVDや聴神経腫瘍の摘出手術などの際に、脳や脳神経の機能を守るための神経モニタリングを行っていたのが表題のMoller先生。私の直属の指導者だった。
留学中の2年間、私は主にラットを使った顔面けいれんの動物モデル作り、それを元にした顔面けいれんの病態と治療の研究、脳外科手術における、脳、脳神経機能モニタリング(主に電気生理学的検査)を学び、朝は早い時は6時半〜7時にはPresbyの手術場に行ってモニタリングをし、午後は動物実験というような日々を送っていた。
平成5年の秋にメキシコのアカプルコで世界脳外科学会が開催された時には、ピッツバーグでの動物実験の仕事を発表するためMoller先生ご夫妻と一緒にメキシコにも出かけた。奥さんは耳鼻咽喉科医で、二人共北ヨーロッパ(デンマークとスウェーデン)の出身であり、アメリカ人特有のフランクでフレンドリーな中に、ビシッとしたヨーロッパ人の伝統と格式を重んじる気風を持っておられた。

平成6年に帰国後、ラッキーなことに平成11年に国費留学生として国からの完全援助を受けて、2ヶ月間だけであるが再度米国に留学した。その時は、テキサス州ヒューストンのテキサス大学ヒューストン校の神経内科(てんかんセンター)が勉強の場であったが、その2年程前にMoller先生はテキサス大学ダラス校の教授に転任されていたので、成田からヒューストンに直行便のない当時、ダラスに一旦降りて、Moller先生のところにお世話になったりした。大変面倒見が良く温かい人柄で、しかし研究者としては主に聴覚やモニタリング、神経の可塑性の研究では世界的な人である。
昨年、京都で湯川秀樹博士生誕100年を記念した何かの学会でも講演をされたと伺っている。数年に1回は日本に来られている先生なのだが、今回、日本の耳鼻科が中心となった耳鳴りの研究会に招待されて日本に来られ、山形大学の医学部(耳鼻科が中心ながら山形大学医学会として)の招待で約10年ぶりに山形に来られた。山形大学からは私の他に脳外科医が一人、耳鼻科医が二人Moller先生の元で学んでいる。この4人の弟子は直接的に多くを学び、そして弟子が山形に持ち帰って研究や臨床に活用し同僚、後輩に教え伝えた手法は今も引き継がれている。よって山形大学の医学部、ひいては山形で脳外科や耳鼻科の医療を受ける患者さんはMoller先生から間接的に大きな恩恵を受けている事になる。

その先生の特別講演と講演後の会食の席が設けられたため、新米開業医の身ではあるが昨日は午後4時で診療を終了して山形市に向かった。
9年ぶり(私はH11年にダラスのご自宅に泊めてもらったので)にお会いするご夫妻はやや年を取られた感じは否めないものの、常に新しいテーマを追求し研究を続けるその姿には感銘を受けた。若輩の私の方が新しいものへの追求、未知のものへの挑戦という姿勢が衰えていると言う事を反省させられる。
講演の内容は日本語に訳すと「神経の可塑性と自閉症」というテーマであった。米国では最近特に自閉症が増えていて大きな問題になっているらしいのだが、神経の可塑性(生前の母胎内での変化はもちろん、出産後の成長に伴う変化とともに、様々な因子により影響を受ける神経系の発達と変化)と自閉症の関連を論理的に結びつけ実際の患者で実験してみたという話である。
自閉症については門外漢なので質問することはできなかったが、たとえば自閉症の人の中にきわめて特異に優れた能力、たとえば絵を描くとか楽器を演奏するとか、という能力のある人がいること、社会的適応力は劣っているが脳の機能としては非常に優れたものを持っている人がいる事と、後天的な(出生後の)環境因子などの外的影響(遺伝子ではなく)の事を考えさせられた。

Mollerall3格調高い講演終了後、情報交換会が行われたが、すぐに別席に移動してゆっくり着席での会食となった。医学部長と耳鼻咽喉科教授の御高配により、Moller先生門下の山形大学医学部からの4人の留学経験者も交えての楽しい会食となった。
「ピッツバーグ時代は楽しかった」「いい思い出ばかりだわ」「今日ここに来れて、みんなに会えて本当に嬉しい」ご夫妻の喜びと感謝の言葉に我々も「楽しい思い出がたくさん」「皆が今こうしているのもMoller先生ご夫妻のおかげ」と礼を述べた。

今日のご講演を伺う限りではまだまだ脳の加齢現象からはほど遠く、可塑性の高い脳細胞をたくさんお持ちの様なので御健康が続く限り、また何でもお会いしましょう、と約束してお別れした。山形市在住の方々は本日もプライベートに会食をする予定と聞いたが、私は拙医院の診療があるので「これでお暇致します。明日はお目にかかれませんがお元気で!」と、マルガレータに庄内のお土産「手鞠」と「絵蠟燭」をお渡し、オーゲィには医学部長から手渡された感謝状を賞状入れの筒に入れてお渡しした。

先生、いつまでもお元気でいてください!

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2008.05.31

世界禁煙デー

5月が終わりますね。(はやいもので開業して3ヶ月が経つところです)

今日、5月31日は「世界禁煙デー」です。
1988年に制定されて1999年5月31日から毎年実施されているので満20年の記念日に当たるようです。
喫煙が健康に害を及ぼす事は科学的にも認められておりタバコの包み紙や宣伝にも「健康に害を及ぼす」ということを明記するようになっています。
しかし、タバコばかりが悪者扱いされているこの風潮にちょっとばかり疑問を持ちます。
喫煙とガンの関係や、喫煙者の傍で副流煙を吸う人の健康被害が喧伝されていますが、本当にタバコだけが悪いのかどうかは証明されていません。ガンのような腫瘍の発生は、細胞内の情報伝達の異常、つまり遺伝子レベルの問題です。ここに影響を及ぼすものの一つにタバコがあるであろう事は決して否定するものではありませんが、それ以外の物として、食べ物、水、空気、紫外線なども影響を及ぼすものとして上げなければなりません。科学的に言えば、発がん性に影響を与えるものとして、この世に「安全」なものなど一つもないとさえ言えると思います。

害悪ばかり喧伝されるタバコですが、たとえば精神衛生上の面(こころが落ち着く、いらいらしないなど)や薬物依存の面(タバコを禁止すると、タバコ以外のもっと身体に悪影響を及ぼす物質、たとえば覚せい剤、麻薬などを蔓延させる危険性がある)などはあまり触れられません。精神疾患を病んでいる人が愛煙家の場合、それを「健康に害があるから」と言って禁煙させようとする医師(精神科医)はほとんどいないと思います。タバコを強制的にやめさせるような事をすると安定しかけていた精神状態が不安定になったり、治療がうまく行かなくなる危険性もあります。
江戸末期、中国でのアヘン戦争で中国の人々はイギリスをはじめとする侵略国からもたらされたアヘンの被害に遭いました。日本では開国をいち早く迫った米国が、タバコを持って来たため、タバコは広まった物のアヘンは広がらずに済んだという説を聞いたことがあります(真偽の程は確かめていません)。日本で麻薬や覚せい剤が「あまり」広がっていないのは、タバコが普通に販売されているからだと言う考え方もあるようです。

人間とは嗜好品が必要な生き物のようです。
タバコに限らず、酒、コーヒー、紅茶、などなどです。
生きて行くためだけであれば、タバコはもちろん酒もコーヒーも要りません。でも好きな人は止めません。コーヒーがなければ生きている意味がないとまで言う人もいます。タバコも嗜好品の一つでしょう。
タバコが健康に害を及ぼす物である事は確かです。
特に、狭心症や心筋梗塞の方、閉塞性動脈硬化症などの方は、喫煙は文字通り命取りになります。脳卒中後遺症など血管の病気、特に閉塞性、狭窄性の動脈硬化症を持っている人はタバコは止めるべきです。肺がんについては、タバコが発生を上げるというのが大方の意見ですが、そんなことはないという意見もあります(要するに、ガンという病気は非常に多くの複数因子によってもたらされる)。
タバコを何十年も吸っていてガンにもならず長生きする人もいれば、一本も吸った事がないのに肺がんに倒れる方もいます。高血圧を治療していないで平気で生活している人もいるのに、低血圧気味でもくも膜下出血に倒れる人もいます。生活習慣は一つの事がひとつの病気の「原因」となる訳ではなく、発症の「誘因」または「危険因子」ということです。

日本のタバコは今一箱300円くらいでしょうか。
これを一箱1000円にすれば、禁煙する人が増えて日本国民の健康増進に寄与するとともに税収の増加によって破綻しかけている保険診療制度を守れるという意見があるそうです。一見もっともに思えます。
税収増大の話は置いておいて、「健康増進」について、それに伴い日本の国民総医療費も抑制できるということまで言っている人もいるらしいです。
本当でしょうか?

タバコを辞める人が増える→健康な人が増える(?)→長生きになり超高齢者が増える→脳卒中で寝たきりや認知症の人が増える→医療費が増大し、介護保険制度も苦しくなる

また、脳卒中や心筋梗塞のような動脈硬化疾患はもちろんの事として、ガンにおいても「加齢」すなわち年を取る事は遺伝子異常を起こす確率を高くするため(細胞を保護し安定状態を保つがん抑制遺伝子が不安定になったり、なくなったりする)、高齢者が増えれば病気が増え、医療費が嵩み、国民総医療費は高騰を続けるのです。

今年4月から始まった「特定健診」、いわゆる「メタボ健診」にしたって、脈管病、生活習慣病を抑え元気で長生きする人が増えて医療費が抑制されるという計算になっているようですが、長生きした80才、90才はそのまま健康でいられるのでしょうか?私の(私ではなくても)考えでは、ガンの発生が増えて、ガンに対する手術治療、放射線治療、抗がん剤治療、長期入院、ホスピスなどの緩和ケアが驚く程の数字で増えて来るはずです。
人間は動物の一種です。
生あるものは、いずれ滅びます。生まれてから死ぬまでなんの病気もしないでいるということはありえません。

タバコの害は認めますが、ファナティックな、禁煙ファシズムと呼ばれるような排除運動、差別運動は注意しなければなりません。まったく煙草を吸わず、タバコの害を説いて回っている人でも、ガンや脳卒中にはなる可能性を持っています。タバコ一箱の値段を上げればすべてがうまく行くというような、先の見通しのたっていない、短期的視野の論法も慎重に構えて聞くべきだと思います。

かくいう私は、昔は煙草を吸っていましたが、もう何年か吸っていません。
「禁煙」しよう!と言う意識は持っていません。私の人生に、今、タバコは必要ないからです。
個々の人々の考えを、人間一人一人を尊重すべきだと思います。
過剰な「禁煙運動」にはやや斜に構えてしまいます。

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2008.04.04

診療所で見つかった脳疾患

MriMri2(いや〜、ブログ記事を書こうと思いながら、BS-HiVでクジラの特集番組をやっていたので見とれてしまいました。
何せ"balaine"=ひげ鯨の代表格のザトウクジラ、コククジラ、そして地球上最大の哺乳類シロナガスクジラの素晴らしい映像のオンパレードでしたので。。。
体長15m弱のザトウで体重30トンですって!写真は1月末に当院に搬入中のMRI主装置。これで重量14トン。この2倍もの重さの生き物って、想像を絶します。それとうちのMRI室を泳ぐザトウクジラ2頭の写真です。
番組ではザトウクジラの食事のシーンや毋子クジラの泳ぎなど、思わず息をするのも忘れるくらいの感動的な映像。シロナガスに至っては、体長30m、体重150トンですって!美しい,迫力の映像に瞬きも忘れました。さすがNHK!さすがBS-Hivision!
アルゼンチンのガラパゴスとともに、今日の放送で出て来たメキシコのバハ・カリフォルニアは死ぬまでに一度は訪れてみたいと前々から思っている所です。いつか実現するぞ〜!)
ーーーーー

さて、開業して1ヶ月が過ぎました。
この1ヶ月の間にたくさんの疾患の診断がつき、必要な方は総合病院脳外科に紹介して手術や入院治療になっています。緊急入院や手術の必要性の低い患者さんは当院で経過観察をしたり薬による治療をしています。
平成20年3月3日〜3月31日そして4月1,2日の丸1ヶ月(実質26診療日、うち7日は半ドン)の間にMRIを施行して見つかった脳疾患を数の多い順に列挙します。

慢性期多発性脳梗塞およびラクナ梗塞:12名(既に治療中で紹介された症例も含む)
アルツハイマー型および脳血管障害性認知症:6名(治療中、紹介された症例も含む)
パーキンソン病およびパーキンソン症候群:5名(治療中)
くも膜のう胞:3名(経過観察)
慢性硬膜下血腫:3名(うち2名手術、1名は慢性期)
脳梗塞急性期:2名(総合病院に紹介入院)
ラトケのう胞:2名(精査中)
てんかん及び症候性てんかん:2名
未破裂脳動脈瘤:1名3個(経過観察)
くも膜下出血(破裂脳動脈瘤):1名(総合病院に入院手術)
髄膜種:1名(精査中)
下垂体腫瘍:1名(精査中)
聴神経腫瘍:1名(精査中)
脳内脂肪腫:1名(経過観察)
松果体部腫瘍(腫瘤):1名(経過観察)
コレステリン肉芽腫:1名(経過観察)

これらの患者さんの他に、私が以前執刀した患者さんの中では、破裂脳動脈瘤手術後:4名、未破裂脳動脈瘤手術後:2名、下垂体腫瘍手術後:2名、聴神経腫瘍手術後:1名が主な疾患でした。

診断治療しているこれらの多くの疾患の中で、MRIがなくても診断が可能なのは、「パーキンソン病」と「てんかん」位だと思います。MRIではなく、CTでも正確に診断が可能なのは「慢性硬膜下血腫」と「くも膜下出血」くらいだと思います。
パーキンソン病もてんかんも診断を確実にする上でMRIがあった方がいいかと問われれば、あった方が良いに決まっています。軽症外傷例では、頭部または頚部の単純X線検査のみを行った症例もいます。結局、画像診断なしに診断治療が可能であったのは、一部の頭痛くらいです。
この他に、MRIやMRAでは明らかな異常所見の見つからなかった「めまい」や「頭痛」の患者さんがいます。結局1ヶ月の間に行った120強のMRI検査において、上記のように明らかな脳神経疾患や救急脳疾患が60例近く診断できました。逆に、MRI上、明らかな脳腫瘍や脳梗塞は「ない」と確実に診断できた頭痛やめまいの患者さんには、「命に関わる脳の病気はない」「薬による治療で経過を見ても大丈夫」と自信を持って治療が行えます。

開業に当たって、CTやMRIなどの高額な診断用医療機器の導入をどうしようか悩みました。画像診断なしでもきちんとした診療は行えます。しかし、わずか1ヶ月の間に上記の様な多くの診断例がある事を考えれば、頑張ってMRIを導入して開業した事が正しかった事は明らかです。
2頭のザトウクジラが優雅に泳ぐMRI室はこれからも多くの患者さんの診療に役に立ってくれる事でしょう。

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2008.03.24

MRI勉強会その4

「その1〜3」がいつだったのか、不明確ではありますが。。。(笑)

Sah0324aまずは、この6つの同一患者さんの連続スライスをご覧ください。
プロは見ればすぐに異常がわかりますが、いかがでしょう。誰にでもわかりやすいようにコントラストなどを調整した画像です。これはFLAIR(=Fluid Attenuated Inversion Recovery)という撮像方法で見た「くも膜下出血」のMRIです。

こうなった原因は、これです。
Sahan0324これは、MRIで撮像した脳血管、すなわちMRA(=MR Angiography)です。
顔のほぼ正面から見ていますが、右中大脳動脈に直径8mmほどの脳動脈瘤を認めます。写真では、むかってやや左側にある少しぼんやりした膨らみです。Rt. M1M2(右中大脳動脈水平部末端分岐部)動脈瘤です。
写真のほぼ中央にも大きさ5mmほどの膨らみがあります。これはBA-rt.SCA(脳底動脈ー右上小脳動脈分岐部)動脈瘤です。
さらに、写真の右側になる左中大脳動脈水平部末端にも小さな径3mmほどの膨らみを認めます。
同じ人に3つの脳動脈瘤があることになります。

「くも膜下出血」が明らかであっても、CTで出血の偏りが少ない場合、2個以上動脈瘤が見つかると破裂したものと未破裂のものの鑑別に困ります。この事例では、FLAIRで画面左側の「右大脳」にくも膜下出血の偏りがあり、6枚のスライスの一番左上のものに、脳動脈瘤と考えられる少し黒っぽい信号が写っています。おそらく破裂した後、瘡蓋ができて出血は止まり、瘤の中の血流速度は正常血管ほどは速くないものの流れているので黒っぽく見えるのでしょう。流れが遅いか、渦を巻いているため、MRAでは「ぼんやしとした」膨らみに見えるのでしょう。
脳底動脈と左中大脳動脈の動脈瘤は「未破裂」で偶然見つかったものと考えられます。

開業4週目にして、ついにくも膜下出血の患者さんが受診しました。
10日ほど前に突然の頭痛と嘔吐で発症し、ある診療所を受診したら、熱も37.6℃あり「風邪」という診断で風邪薬を処方されていました。「頭が痛い」と自分で車を運転し、歩いて来た患者さんが、微熱があれば「風邪」と診断しても仕方ないかもしれません。その診療所の医師は責められません。ただ、頭痛以外に「風邪症状」があったのでしょうか。咽頭痛、咳、鼻水、咽頭の発赤という症状です。
薬を飲んでもあまり頭痛が改善せず、当院を歩いて受診されました。
意識は清明ですが、なんとなく表情が冴えず顔色が悪い。24年間の脳外科医の勘?からくも膜下出血もあり得ると思いましたが、「髄膜刺激症状」はまったくなし。それでも可能性を疑ってMRIを撮ったらあったのです。

くも膜下出血は、出血する場所と量によっては救急隊が到着したときには呼吸が停まっているような超重症もあれば、この症例のように頭痛のみ、または頭痛と吐き気だけで我慢して仕事をしたり、車を運転している場合もあるのです。怖いですね。
このかたの場合、手遅れにならないうちに的確な診断がついて良かったです。
すぐにN病院のA先生とE先生に電話して、手術治療のための緊急入院をお願いしました。

今日は、それ以外にもまた慢性硬膜下血腫(これもN病院に紹介)に、Wallenberg syndrome(右PICA領域脳梗塞、こちらはくも膜下出血患者紹介の後だったので神経内科のS先生に紹介)も見つかり、大忙しの上に、大変な病気がたくさん見つかった、ちょっと変な日でした。

確かに、私も病院勤務時代、必ずしも寒く冷え込んだ日ではなく、だんだん気候が緩んできて、でもまだ朝晩冷えるという季節の変わり目にも脳卒中がいっぱいあったように記憶しています。

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2008.03.12

様々な手続き

診療所を開設するまでにたくさんの書類を書き手続きをしました。
大雑把にいってしまえば、金融関係、建築関係、医療施設開設関係、労働および税務関係です。
対象とする施設または係は、銀行、保険会社、建設会社、リース会社、市や県の建築課、消防署、保健所、社会保険地方事務局、労働基準監督局、税務署などです。
これを私一人でやってやれないことはありませんが、書類が多くてとても大変です。これに加えて、医療産業廃棄物処理に関わる契約や自動販売機の契約、ビル管理、警備会社、清掃関係の契約も結びました。
銀行担当者、税理士、社会保険労務士、リース会社担当コンサルタント、それぞれの会社の契約担当が持ってくる書類に、言われる通りに(言われるがまま?)住所を書き、署名をし、捺印をし、一体何枚の契約書や書類を書いたことでしょう。

院内に揃える物品のうち、PACS用のコンピュータは知人の助けを得て、自分でコンピュータ販売会社に直接交渉し発注し支払い納入してもらいました。テレビや掃除機などの院内家電製品は自分で家電量販店に出向き、必要なリストを渡して見積もりをもらい、発注して支払い納品してもらいました。
ファックス・コピー複合機は医療機器販売会社の事務所に販売店担当者を呼び、説明を受け、発注し納品受け支払いをしました。その他の小物医療関係用品は細かいリストを作ってもらい発注し納品しました。
院内の家具(待合室のソファ、診察室の机など)は、2社の提案プランと見積もりを比較し、さらにカタログとレザーや布地の見本を実際に見て、考えて発注し納品され支払いをしました。
これらのことは、当然ながら担当者と相談しながらも全部自分一人で考え、決めなければなりませんでした。

そして、2ヶ月ほどかけて考えに考えたあげく決めた電子カルテも、準備段階、シミュレーションを経て、現在なんとかうまく使っていますが、今度、もう一つ手続きが出てきました。
患者さんが病院、医院を訪れて診察を受け、会計する場合、その加入している医療保険(国保、社保など)によって個人負担額がかわります。おおむね、一般社会人の本人の現行は「3割負担」です。つまり、当日の診療費用(院外処方なのでお薬代は除く)が5000円かかったとすると、本人は3割の負担なので窓口では1500円を支払って帰ることになります。医療機関としては、5000円相当の医療行為を行ったのですが、残りの7割分3500円は窓口では受け取れません。これは、患者さんのはいっている国民健康保険(国保)か社会保険(社保)の医療費支払い基金に医療機関から「これこれこういう医療行為を行ったので出してください」と明細とともに依頼を出して、各支払い基金ではそれを妥当な医療行為であるのかどうか「審査」して、認めたものだけ医療費を医療機関に支払います。
要するに、「ちょうだい」と言いさえすれば「はい」とくれるものではなく、「こういう医療行為ですので正当に医療費を請求いたします」というお願いをして、「そうですね、いいでしょう、支払います」と認められて初めて残りの3500円が医療機関に払われます。これは、たとえば今日3/12の医療行為ならば翌月4月の10日までに申請をして、それを審査されて認められれば5月になって医療機関に支払われるという寸法になっています。
この審査の段階で、「ん?この病名でこの検査はおかしいですね。認められません。」とか「この診療行為でこの請求は過剰ではないでしょうか?」とか「このお薬はこの病名では認められません。」ということになって、「返戻(へんれい)」ということが起こりえます。保険診療として認められないから支払い基金としてはお金を出せません、と断ってくる訳です。医療機関はそれでは困るので、返戻された内容を検討して、漏れていた病名を付け加えたり、その請求をした理由を詳しく書いて認めてもらえるように「再審査」を請求します。その結果、支払い基金側の審査で「そういうことであるのならばいいでしょう、支払います」となる場合、さらに1ヶ月以上支払いが遅れます。さらに、「いや、そういう理由ではやはり支払いは認められません」と再度返戻されてくることも有ります。
医療機関としては、行った医療行為に対する対価はどうしても得たいので、もう一度再々審査請求を行いますが、支払い基金からの指摘が妥当で医療機関側の審査は通りそうにない場合は「支払いを諦める」ということも起こり得ます。すると、場合によっては残りの3500円全額もらえないか、一部たとえばそのうちの1000円分は支払ってもらえない、ということもおこります。

この仕組みは、実際は単純なのですが、手続きや行為はとても大変です。月末になると「レセプト、レセプト」と各病院、医院で必死の形相(主に事務)になったりするのはこの事です。
従来は、一人の患者さん一回の診療に1枚の診療報酬明細(レセプト伝票)があり、それを手書きで記入して、診療記録(カルテ)と整合性がある事を確認し(特に処方、注射などの薬、検査、処置)、支払い基金の審査期間に申請を提出するのです。医療にも電算化はかなり前から入っていますが、この診療報酬明細の電算化は遅れていたようです。
通称レセコン(レセプト・コンピュータ) と呼ばれるシステムを導入して、病院では外来部門、入院部門別に事務職員がレセコンを操作して会計と診療報酬請求を行います。小さな診療所では、事務職員がたくさんいない場合は、看護師や医師、さらに医師の家族(主に妻)がレセコン操作を担当する事になります。
ところが古くからやっている診療所、特に高齢の医師が昔ながらにやっている診療所では、なかなか新たにレセコンを導入するなんて話にならない場合が有ります。今までやっていた方法でできるのだからそれでいい、という感じでしょう。さらに、レセコンを導入するには何百万円という投資が必要で、しかも操作方法を覚えなければならないとか、これまでの方法と変わるとか、だからといって紙のレセプト明細や請求書はなくならないとか、面倒くさい事が多かった訳です。

今でも、電子カルテもレセコンもなしで、すべて紙で職員、家族総出でレセプト作業をがんばっていらっしゃる施設も少なくないと思います。
カルテは紙だけど、レセコンは導入して、レセプト処理は電算化しているという施設も増えてきました。電算化したレセプトは、フロッピーディスクなどで国保や社保の支払い基金に請求することになりますが、この電算化請求は初めて行う場合、「試験」を受けなければなりません。
当院では、電子カルテ(+レセコン付き)を導入しているので、電子請求をするのですが、またいろいろな手続きが必要です。まず最初に「レセプト電算処理システムに参加するため確認試験の依頼書」というものを、各担当部署に連絡して書類を送ってもらいます。この依頼書に記入してこれを提出します。これには締め切りがあります。
すると、「確認試験実施連絡書」というのが送られてきます。それに対して、「確認試験用磁気レセプト提出」と言って、「旧来の紙のレセプトとFDなどの電算化されたレセプト両方+総括票など」を相手方(支払い基金)に送り、確認試験に合格すれば、「磁気テープ等を用いた請求に関する届出」と言うものを提出します。その結果、その次の月からは「磁気レセプトによる請求」といって電算化システムに本格的に参加出来る事になります。
もし、この「確認試験」に何らかの理由で不合格となった場合は、その次の月も再度「旧来の紙のレセプトと電算化されたレセプト両方」を提出する事になります。返戻された場合も「紙」レセプトになります。

このように、診療所を開設し、電子カルテ(レセコン付き)を導入して、スムーズにIT化の波に乗っていけるかと思いきや、本当に様々な手続きや障壁があるものです。うんざりしますが、やらなければならない仕事、乗り越えなければならない道なので前に進むのみです。
3月分の請求を4月に紙とFDで提出して、5月に順調に支払われる事と、4月分の請求を出す5月からはスムーズにFDのみによるレセプト請求でいけるように祈るのみです。

しかし、FDなんてここ何年使っていなかったかな?
以前はMOばかりでしたが、最近は私はUSBメモリを頻用しています。CD-Rはあまり使いません(なんか割れそうで)。FDか、、、大量に買ってこなくっちゃ。。。

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2008.03.07

脳動脈瘤と慢性硬膜下血腫など

医院を開院して5日目を迎えます。
一日平均で6件程のMRI検査をしていますが、すでにいろいろな病気が見つかっており、自身でも少々驚いています。
(個人情報保護に配慮し、患者さんが特定されない様に書きます。ここで使用する写真は、患者さんのものではなく、インターネット上で代表的な写真として公開されているものを拝借して使用します。ちょっと小さな写真しか見つかりませんでした。)

Domyakuryu6初日、慢性の頭痛が心配という患者さんにMRIとMRAを行い、未破裂の脳動脈瘤が見つかりました。疾患の特徴について時間をかけて説明し、治療方針についてあらためて家族と共に相談する事にしました。
破れたら「くも膜下出血」になります。出血する場所とその程度によりますが、医学が進んだ現代でも、脳外科の医療レベルは世界有数の日本でも、破れてしまえば1/4は死に至る病です。私が庄内地方のN病院に勤務していた時代に経験した限りでは、明らかにくも膜下出血と診断がついて亡くなられた方は1/10以下だったと思います。亡くなられた方のほぼ全てが手術も出来ない程の重症の方でした。手術をして亡くなられた方は2年間50例中で1例だけでした。その方は、残念ながら胆嚢炎などの合併症を来して入院が長引き、リハビリを開始して間もなく肺塞栓症を起こしてしまったケースでした。よって、くも膜下出血の手術そのもので私自身としては死亡例を経験していません。しかし、脳外科に来る前に、病院に運ばれる前にくも膜下出血が原因でなくなられる方もいらっしゃるため、いまだに1/4程度の死亡率と言われています(正確なデータはありません)。

そんなに死亡率が高いのなら、未破裂の状態で見つかったら手術などの治療を施すべきという考えになるでしょう。しかし、未破裂の瘤が「破裂=くも膜下出血」になる確率が低いのです。これはまだ調査中で結論が出ていませんが、破裂率の高いデータで年間2~3%程度、低いデータですと年間0.1~0.2%とされています。このデータの解釈は非常に慎重でなければなりません。なぜなら、人間は一人一人皆違い、脳動脈瘤も一つとして同じものはなく、「確率」だけでは論じられない面があります。さらに、集めたデータの、人種、年齢、動脈瘤の場所、形などがまちまちなので、それぞれのデータを単純に比較できないのです。医学界では非常に権威のある雑誌である、米国のNew England Journal of Medicineに何年か前に掲載されたデータはショッキングでした。破裂率は0.1%程度と低く、未破裂の瘤を破れない様にする為の予防的手術による後遺症発生率や死亡率が数%もあるため、「予防的手術は危険ですらある」という結論付けでした。しかし、この論文には「破れてもくも膜下出血にならない」海綿静脈洞内の動脈瘤も含まれていたりおかしな点がたくさんありました。
そこで、現在、(社)日本脳神経外科学会では、何年かかけて未破裂脳動脈瘤の破裂率を独自に調査する研究が進行中です。その途中経過を簡単に述べると、未破裂で見つかった脳動脈瘤の大きさが径5mm以上で、形が綺麗な丸ではなくややいびつである場合の破裂率は1%以上あると考えられています。確率論から言えば、予防的手術による死亡率が1% x 1/4=0.25%以下になるなら手術をした方が得策だということになります。脳の手術の場合は、さらに手術によって運動麻痺や言語障害などの後遺症が出るという危険性もあります。人が人たる所以の臓器=脳を触るのですからいろいろな危険性があります。
手術をする脳外科医としては、予防的手術である以上、死亡はもちろん後遺症も「0」であるべきで、完璧を目指すべきです。私も脳外科医として未破裂脳動脈瘤の予防的手術を経験しましたが、幸い死亡も後遺症の発生も「0」でした。これは腕が良いというより、自分の腕で100%の手術が出来ると思った症例だけを選択した結果です。自分の手に負えない難しい症例は、大学の教授に治療をお願いしましたから。

先日の「お披露目会」には、その「未破裂脳動脈瘤の予防的手術」を3年少し前に私が執刀した患者さんがご家族と一緒に訪ねて下さいました。とても嬉しかったです。年に1回の脳の検査のフォローアップは私のところでやらせて頂こうと思っています。


1011これは「慢性硬膜下血腫」のMRI写真です。
俳優の若林豪さんがこの病気(怪我)で舞台を緊急降板され緊急手術を受けたというニュースが出ていました。なんでも「3時間の緊急手術を行った」と書いてありました。
通常の慢性硬膜下血腫であれば、手術は局所麻酔で手術時間は30分から長くても1時間くらいで終わります。手術手技としては脳神経外科全般の中でもっとも簡単な方に入る手術方法で、優秀でしっかりとした若手脳外科医ならば、指導にあたる上級医に横についてもらって、医師1年目か2年目で執刀医となるような手術です。私も医師1年目から3,4年目の時には先輩脳外科医に横についてもらってたくさん執刀しました。経験を積んでからは、後輩の若手医師に執刀してもらい横について指導をした経験がたくさんある疾患です。
軽度の打撲、たとえば道で滑って転んだとか、酔っぱらってよろけて壁に頭を打ったという位の軽微な外傷(直後に病院にもかからない位)で発生するもので、ほとんどの症例で頭部の打撲から3,4週間、長いものでは2,3ヶ月経ってから頭痛、吐気、進んで運動麻痺、歩行障害、失禁、ボケなどの症状が出て来るものです。
1ヶ月半程前に凍結した道で滑って転んだと言う方が、1週間程前から頭痛が出て来て強くなって来たということで、頭痛以外には何の症状もなかったのですが慢性硬膜下血腫も疑って検査をしてみたら、なんと「当たり!」でした。すぐに総合病院の後輩脳外科医に電話をし、そこに紹介しました。翌日無事に手術をされたそうです。

T2axialこれはちょっとわかりにくいですが、「くも膜のう胞」という病気のMRIです。くも膜下出血で有名な「くも膜」。これは脳を包む3層の膜、内側から順に、軟膜、くも膜、硬膜となっているくも膜の下に溜って流れている「脳脊髄液」が何らかの原因で(大半が先天性?)一部に溜って膨らんで「袋状」になり、場合によってはその部分の脳を圧迫するものです。頭痛の原因やその他、大きくなれば脳の症状を呈する可能性もありますが、ほとんどの場合が無症状で、検査で偶然見つかるものです。
頭痛の患者さんで頭の中が心配との事でMRIを撮りましたら、側頭葉に最大径で20mm程度の幅、厚みでせいぜい10mm程度のくも膜のう胞が見つかりました。CTと違い、T1,T2そしてFLAIR撮像法を行うMRIでは他の袋状の疾患、たとえば「類上皮腫」などとの鑑別が可能です。その患者さんは、偶然見つかった小さな「くも膜のう胞」であり、頭痛との関連は「ない」とは言い切れないものの、病歴からはストレスと肩凝りによる緊張型頭痛と考えられ、画像に関しては経過を見るだけで良いということにしました。気になるなら年に1回程度MRIを撮って経過を追いましょう、ということになりました。

実質、3日半(木曜は半ドンだったので)でこれだけの疾患が見つかりました。その他にもMRA上で脳動脈硬化が強く糖尿病もある方なので頚動脈エコーを行ったら、頚動脈膨大部に軽度ながらプラークが発見され、糖尿病の治療と生活習慣の管理を指導した方など、数は少ないながら結構高率に異常や疾病が発見されております。
やりがいを感じます。

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2008.03.04

交通事故と自由診療

医院開業2日目でした。今日も必死で(私は本来「必死」なんていう言葉を安々とは使いたくないのですが)なんとか終わりました。「無我夢中で」と言い換えた方が正しいかもしれません。

今日も、脳卒中が心配な頭痛患者さんを始め大勢(?)いらっしゃってくださいました。11名の新患と1名の再来(昨日の採血結果を聞くため)でした。本人の希望と医師の判断により、9名の方にMRI、2名の方にX線撮影を行いました。採血は今日は「0件」でした。腰痛、頸部痛、肩関節周囲炎などに対する消炎鎮痛処置としての医療用マッサージ(ウォーターベッド)で6名の方が治療を受けました。最後に、交通事故で軽症ながらも受傷された方を診察しました。警察に提出する診断書と診療費用のところでとまどいました。
診断書作成は「自由診療」です。
交通事故は基本的に「自費」扱い(もちろん患者の希望で保険診療をしても良いはず)です。交通事故の診療においては保険診療でない場合、自由に診療単価を設定して良いことになっています。保険診療と同じように1点=10円でもいいし、場合によっては1点=100円(普通の10倍!)でも法的には良いはずです。

そもそも日本の医療は、保険診療という体制で守られ(別の言葉で言えば縛られ)ています。欧米では自由診療が普通ですので、どの病院でどのくらい医療費がかかるかは「公開」されていても、行ってみなければわからないところもあります。日本と違って、アメリカやドイツで盲腸の手術を受けたら100万円請求されたなどというのは当たり前の世界です。心臓移植などの高度で金のかかる医療の場合、入院費用、ICU費用、手術費用、等々で通常5000〜6000万円くらいかかるのは当たり前の世界です。

日本で保険診療制度に守られて(縛られて)、医師である私自身も医療費のことなどまじめに考えてきたことはありませんでした。病院勤務の場合、自分が診察した、手術した患者さんがいくらかかっているかなんてほとんど考えたことはありませんでした。実母がくも膜下出血で手術治療を受けた時に、くも膜下出血の患者さんはどのくらいの治療費を払うのかと初めて知りました(実感としては、「あれだけの治療をしていてたったこれだけで済むんだ!日本の医療費は安いんだな〜」でした)。

今回、開業して、初めて、一つ一つの手技や検査などにいくらかかるのかを考えることになりました。そして開業2日目にして、「診断書料」を設定していなかった事、「自由診療の交通事故の単価」を決めていなかった事を思い知らされました。地区医師会の先生に電話をかけ、税理士さんに相談し、インターネットで調べて、きわめて常識的な線かそれより低い額に設定しました。高く設定すればその分、一時的な収入は増える訳ですが、個人事業として後ほど収入にかかってくる税金の事を考えると、たとえ診断書料を一枚10000円にしたところで、交通事故の診療単価を100倍にしたところで、結局税金で持っていかれることになるので自分の懐に入るお金が増える訳ではないのだということを、地区医師会の先輩医師に教えてもらいました。なるほど〜、、、でした。
インターネットで調べると、通常書式の基本的な診断書料は東京辺りでは消費税込みで3150円というところが多かったように思います。先日まで私がお世話になっていたUクリニックでは一枚2100円という設定にしているそうです。交通事故の診療単価は1点=12〜20円の幅の中で各病院が自由に設定している場合が多いそうで、特に決まりはないようです。
これらのちょうど中間あたりの設定にしようと考えています。

交通事故の際に支払う医療費の設定ってこうなってるんだ、診断書作成費用ってこうなっているんだ、とあらためて深く理解した一日でした。
日本の医療費って、やはり世界中の先進国の中で水準の高い医療を展開している割には、「割安だな〜」というのが実感でした。ただ、これは払う患者さん側にたって考えてみれば、1円でも安い方がうれしい訳で、出来れば「無料」というのが理想です。
医療行為は本来はヴォランティア活動であるはず、あるべき、とは私も思います。日本国内の全医療行為や介護が無料で提供できればこれは理想でしょう。しかし、実際は物を使い、人を使い、機材を購入し、薬を購入し、訓練を積んだ専門家が実践するのですからこれを全部「無料」にするためには、当然「公的資金」(=国民の税金)を注ぎ込まなければなりません。すると、健康で医療行為をあまり受けない人は、税金だけ払って医療行為による恩恵を受けない訳ですから、赤の他人の病気の人のために汗水たらして働いた税金をごそっと持っていかれる(公的資金だけで国民の医療費を賄おうとすれば、おそらく消費税は20%位にして、所得税ももっと上げなければならなくなるでしょう)という「不公平感」を感じるでしょう。
結局、「タダ」にはできないものなのですね。
誰が何の目的でどれだけ払うか、そこで弱者(高齢者、低所得者)に不利にならないような制度が守られなければならないのですが、日本の保険医療制度は医師の収入や病院の収入をきわめて低く抑える事によって存続している制度なのだと思います。それが先日も書いた、「ヒラリー・クリントンのため息」という話(「勤務医生活にお別れです」)になる訳です。

さて、3/3の開院に合わせるように、本ブログのアクセスカウンターが20万をヒットしました。
20万をゲットされた方お目出度うございます!
これからもこのブログは続けていきますので、よろしくお願いいたします。>皆々様 m(_)m

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2008.03.03

初日(続き)

(本日2つ目の記事です)
ーーーーーーーーーーーー
40と12。
頂いたお祝いのお花の数と観葉植物の数です。
さらに、電報、メール、お祝いのお酒などなど。
本当にありがとうございます。m(_)m

玄関、靴箱の上、待合室、中待合、廊下に並んだお花と観葉植物のおかげで、あたかも植物園の様相を呈していますが、それでは置ききれない分は広いリハビリ室に移動しそこだけでも20近くのお花が置いてあります。先輩医師、知人、知り合いの医師、仲間、親類の他は製薬会社、医療機器会社などが多いのですが、酒田で鮨と言えば「ここ」と言われる『鈴○』さんから頂いたのには驚きました。情報通!
お向かいの「ま○ちゃんラーメン」さんもお花ありがとうございます!
皆さんの祝意とともに期待も感じております。

本日の最後の初診患者さんは診療時間終了(予定は18:00)ぎりぎりにいらっしゃって18:02の受付でした。一応、玄関横の告示やインターネット上の告知でも「新患の受付は17:30まで」としてあるのですが、初日ですし、まだ診療時間も浸透していないでしょうから喜んで診察させて頂きました。絶対今日検査をしなければならないような重症感や緊急度はなかったので、「都合の良い時に、一度MRIを撮った方が良いと思います。MRIは検査だけで30分くらいはかかるので、できれば平日は17:00まで、半ドンの木曜と土曜は12:00までに受付して頂けると助かります。」とお伝えしました。
私は診療時間が延びて遅くなってもかまわないのですが、職員に迷惑がかかります。技師さんは子供さんが3人いるお母さんですし、その他の事務の人も通勤に30分以上かかる所から来ている人もいます。勤務時間は18:30までなので、遅くなっても19:00には会計も閉めて帰宅して頂きたいと考えています。

今日の外来患者数はわずかに10名でした。しかし、このうち、6人にMRIを施行しました。2名に採血し、1名に2時間ほど点滴もしました。単純頭部X線写真はお一人撮影しました。採血と点滴は結構ばたばた(何がどこにあるの?状態)しましたが、MRIは非常にスムーズに行きました。
疲れましたが、まだ始まったばかりなのでへこたれてはいません。
この心が折れずにずっと「継続」させる事が大事なのですが、私にそれがちゃんと出来るのかな、、、
頑張ります!

P.S.
カウンターは、3/3があと4時間で終了という現時点で、20万まであと110となりました。
3/4の深夜になるかもしれないと思っていたのですが、どうやら今日中に超えそうです。
記念の日に記念の数です。
カウンター20万を踏まれた方は、どうぞご連絡ください。
ささやかなプレゼントを考えたいと思います。
連絡先は、balaine@mac.comです。

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2008.02.27

MRI検査続きと模擬患者さん

今日は、朝から模擬患者さんをお願いして、受診から会計終了までを実際に即して行いました。
医院の土地の大家さんにあたる会社の社員、建設会社社員、医療コンサルタントが手配してくれた人、製薬会社社員など午前中だけで8名の模擬患者さんが来て下さいました。新患なので、問診票に記載をお願いし、持参して頂いた本物の保険証を使って情報の入力、受付の段階で問診票に基づいた情報入力(受診の目的、既往歴、アレルギーの有無などなど)をします。その段階でアイコンが「受診手続き中」から「診療待ち」に変わります。それを見て、診察室に患者さんを呼び入れます。
主訴を聞き、いろいろな付随する情報を得て、診察(神経学的検査をする場合もあれば、ベッドによこになってもらって腹部の触診、打診、聴診をする場合もあります)をします。その所見を元に次に何をするかを考えます。
頭痛があり脳のの病気が心配だという方にはMRIルーチン(T1, T2, FLAIRのみ)を勧めます。この組み合せだけであれば(MRAやDWIをしなければ)、検査時間そのものは8分程度です。患者さんにMRI検査の諸注意を与え、指示戔を渡して、MRI室に誘導し、MRIの検査ベッドに横たわってから終わって出て来るまでは、約15分位で終わります。1番目の患者さんがMRIに向かった後、2番目の患者さんを診察に招き入れます。手のしびれを感じる事があるという50歳代後半の男性。明らかな神経学的脱落症状はなく、まずは頚椎のX線検査を行ってみる事を勧めます。1番目の患者さんはMRI室内で検査進行中です。MRIコンソール上、続く検査は「予約」が出来るので、どんどん検査を進めて行く一方で隣の部屋でX線検査です。技師一人ではだめなので私も診察室から操作室に出向いて一緒に位置決め、線量調節、そして撮影を行います。
1撮影したら私はすぐに診察室に戻り、3番目の患者を招き入れます。技師は今撮ったイメージングプレート(フィルム代わり)をCRに挿入します。ちゃんと写真が撮れているのを確認してDICOM dataをPACSに送信します。3番目の患者さんは高血圧の治療中で頭痛とめまいを訴える患者さん。高血糖を指摘されたこともあるけれどその後放置していたという設定。院内で出来る採血検査の、血糖値、HbA1c、尿一般検査を指示します。指示戔を出して処置室の前でお待ちいただきます。その間に、1番目の患者さんのMRIが終了して既にPACSに送られています。電子カルテでは「検査終了」のアイコンになっています。2番目の頚椎X線もPACSに送られ、電子カルテ上「検査終了」になっています。その時点で、4,5,6番目の受診手続きが終了して「診察待ち」になっています。
検査の説明を先にすべきか、受診待ちを先に見るべきか迷う所です。まずはすでに終わった検査の説明をして、一人でも多くの患者さんを「診察終了」状態にしようと考えました。4,5,6番目の患者さんにはお待ちいただき、1番目の患者を再び診察に招き入れます。30"シネマディスプレイでMRIの説明です。特に問題となる所見は見当たらず、現時点で何か治療を必要とするものはない。頭痛については、我慢できない様な痛みがあるときだけ頓服で鎮痛剤を服用するよう、多用連用しないよう注意を与え、処方箋発行して診察終了です。次に、2番目の患者を招き入れ、頚椎X線の結果を説明。多少軽度の骨変形があるものの、今の段階では心配ない事、もし症状が進行したり、何か変化があって心配であれば頚部のMRIで頚椎、頚随を調べましょう、と言う事を説明し、末梢神経障害に対するお薬を処方して診察終了です。同じ様に、4、5、6番目の患者さんを診察し、血液検査(院外)や予約のMRI検査やいろいろな指示を出し、処方をし、説明をし、次回受診の予約をし、診察を終了します。その間に、7番目、8番目の患者さんも受付終了し「診察待ち」になります。7番目の患者さんは、右手のしびれを訴えます。病歴から右肩のOAに関連した末梢性の可能性もありますが、家族に脳卒中があり自らも脳卒中を心配しています。しかし、神経学的検査からは頚随または末梢の病変を考えさせるという事で、頚部MRIを勧めこれを指示します。8番目の患者さんは比較的突然の頭痛を訴えて受診。くも膜下出血を考えなければなりませんが、どうも副鼻腔炎があるとのこと。鼻炎もあるようです。必ずしも「アテ」にはなりませんが、髄膜刺激症状を調べても異常はありません。頭部X線検査を行う事を勧め、これを指示します。また、技師と私の二人で、MRI検査患者とX線検査患者を切り盛りします。そして結果でてこれを説明し、処方し、診察を終了し、会計をし、終わり、です。

昨日の「予行」を経ての「シミュレーション」だったのでそれほどオタオタはしませんでしたが、電子カルテの入力で手間取ったり、処置室での採血業務の流れが滞ったり、検査技師への負担が重なったり、いろいろ反省する事はありました。昼食、休憩を挟んで午後も数名の模擬患者さんで同じ様にシミュレーションを行いました。
私はちょっと出かける用事があり、スタッフと電子カルテ指導者とコンサルタントで「反省会」です。頭で考えていては気がつかない、抜けや不足が実践してみてたくさんわかりました(たとえばX線検査室に、脱衣駕篭がおいてなかったとか、診察ベッドに枕が用意されていなかったなど)。
シミュレーションは明日も続きます。そしてまた反省会をして改善をはかり、2/29に最終チェック、3/1にお披露目会、3/2は日曜日、そして3/3(月)を迎えるという段取りです。


Dwi2こちらは一昨日のブログで解説したDWI、ディフュージョン撮像です。
その原理からしても解像度は悪いのですが、極々超急性期の脳梗塞を捉える事ができる検査です。この写真は正常者のDWIなので特に異常所見はありません。そのうち、異常所見のあるDWIがあれば掲載しましょう。
PhotoMRIの断面。左が普通のT1強調像で、右は反転T2強調像です。ちょうど「中脳」という部分の高さでのスライスになります。真ん中にある「ミッキーマウス」のような、下が割れたハートのような部分が「中脳」です。その前の部分、画面ではミッキーマウスの耳の間とその上は、脳底槽と呼ばれる脳脊髄液のある部分です(両側前頭葉と両側側頭葉と中脳の大脳脚で囲まれた部分)。その脳底槽内に、視神経交叉と下垂体茎が写っています。右側の反転T2では、本来流動する血液のため無信号に写る血管が白く見えるため、造影剤を使っていないのに造影した血管が写っている様に見えます。
Photo_2こちらは同一人物の脳の断面で、両側の視床や大脳基底核のスライスです。
両側の側脳室の前角(真ん中の前の方に羽を拡げた様な形の黒い部分)の両側にある尾状核頭やその両側にある「レンズ核」(正しくは、被殻(ひかく)、淡蒼球を合わせた解剖学的構造が「レンズ」の様に見える部分)を通るスライスです。
高血圧性脳出血の1番の好発部位「被殻」と2番目の好発部位「視床」が含まれ、中大脳動脈領域のラクナ梗塞の最も起きやすいレンズ核線条体動脈の通る部位でもあるため、脳卒中の時に最も目にする断面になります。パーキンソン病に対する定位脳手術で、古くは淡蒼球の凝固破壊術、最近では微小電極による電気刺激術でもこのスライスに入る部分に電極を挿入するため、脳外科医にとって最も馴染みのある断面と言えます。

さて、現在のアクセスカウンターは19万7500を超えています。
20万アクセスまで、あと2500を切っています。開院日である3/3まであと5日間ですので、一日のアクセスが平均で500あれば到達しそうです。それ以上のアクセスを頂いてしまいますと、3/2に到達するかも知れません。1ヶ月くらい前には「絶対無理」だと思っていた20万アクセスが目前に迫って来て驚きです。
よろしくお願い致します。(^^)


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2008.02.26

シミュレーションと脳以外の放射線検査

今日は電子カルテの勉強会の第6回目でした。
まだ心もとない所もありますが、使い方はある程度わかったという事で、そろそろ実践的に行かないとあと6日で本番なので、シミュレーションの予行ということをやりました。

まず、受付では、頭痛の患者さんが初めて受診した事を想定。問診票を渡し、保険証情報を入力。記入してもらった問診票情報を入力します。隣の診察室で、医師の私は、電子カルテで受付が終わって「診察待ち」と表示された「テスト太郎」さんを見て部屋に呼び入れます。型の通り診察し、患者さんの希望もあって即日MRIを行うことになりました。「セット登録」から画像診断のMRI検査を入力して指示戔を出します。指示戔を患者さんに持たせて、診察室向いのMRI室前の中待合いのソファに誘導します。内線で技師さんにMRIの指示を伝えます。技師さんは患者さんをMRI検査前室に誘導し検査着に着替えてもらいます。
患者さんが着替えている間に、技師は指示戔情報と電子カルテ情報を元にMRIコンソールに患者情報を入力します。MRI室に患者を誘導しベッドに寝せて頭部検査用コイルを固定し、設定後検査を行います。終了したら、患者さんには再び服を着てもらい、その着替えの間に今撮ったMRIのDICOM dataをPACSに送信し、電子カルテ上の患者さんを「検査終了」の表示に変えます。
着替え終わった患者さんに指示戔を渡し受付に行くように指示します。患者さんは受付に指示戔を出して検査が終わった旨を伝え、受付では待合室で今しばらく待ってもらうよう伝えます。
指示戔は診察室の医師に届けられ、電子カルテの表示と併せてMRIが終了して説明を待っている事が医師に伝わります。医師は、他の患者さんの診察の合間にMRI検査終了した患者さんを再度診察室に招き入れ、今撮ったばかりのMRIを迫力の30"シネマディスプレイで表示しながら説明します。必要に応じて処方し、診察終了。患者さんは会計を済ませ処方箋を受け取ってお帰りになります。


もたもたしながら、「あれ?ここで誰が誘導すればいいのかな?あ、私が自分でやればいいんだね、、、」などとやりながら予行の予行です。この他に、糖尿病があってふらつきと発汗のため「低血糖」を心配して来た患者さんを診察し、院内検査(血糖値、HbA1c、尿一般)と問診、理学検査の結果、糖は正常かむしろやや高めで、症状と発熱から風邪と診断して、検査結果を説明し処方をして経過を見てもらう患者さん、昨日交通事故で追突されて今日になって頭が痛くなったので、他の医院より紹介状を持って受診した頭部打撲の患者さん(診察の結果、軽度の頚椎捻挫であろうという事で単純X線検査のみ行い、正常なので処方をして帰宅)の診察など、受付から帰宅するまでの流れをスタッフ全員でやってみました。

私自身がいろいろな準備と忙しさにかまけて、まだ電子カルテに十分習熟していないので少しおろおろしてしまいました(反省、、、)。今まで、きちんとした電子カルテシステムは2カ所の病院で経験しています。電子カルテ一歩手前の医事入力システム的なものも2カ所で経験しています。うちのクリニックで採用する「スー○ー○リ○ックII」という電子カルテはなかなかの優れものです。しかし、完全な電子カルテというのは世の中に存在せず、どれも一長一短あり、使う医師や看護師や事務員によって好みが分かれたり、使い勝手が違ったりするものです。でも診察券発行機も含めて全部で500万円以上するシステムなのですからそれなりの働きをしてもらわなければなりません。

ペーパーレス、フィルムレスを実践するべく、導入した電子カルテとPACS。
PACSの方は、DICOM dataで書き出せるmodalityを接続すればいろいろなシステムが構築できます。今のところはMRIと単純X線検査だけで、超音波エコーと心電図はPACSには繋いでいません。(お金がかかる、煩雑になる、などなどの理由で)

ということで、MRI以外の放射線検査とMRI検査から「脳以外」のものをいくつか提示しましょう。
Photo胸部X線です。
30"シネマディスプレイ一杯に拡大すると、「半切」のフィルムをシャーカステンにかけて見ているのと同じ位の大きさです。モニター脇に置いたコーヒーの紙コップの大きさと比べて頂ければ、実際の大きさが想像できると思います。

Cranio頭部単純X線です。
単純X線検査は、撮影したフィルム代わりのイメージストレージをフィルム現像機代わりのイメージスキャナーで読み込んで表示するCR(Computed Radiology)というものです。ですから銀塩フィルムは一切使いません。ただ、他院に紹介する場合、まだフィルムレスで診療していない施設もたくさんある訳で、また検査依頼で紹介されフィルムを渡して返す必要も出て来る事から、CR装置にはフィルム現像機の代わりにフィルムプリンターが接続されています。これも銀塩フィルムを暗室で使う様な過去の方法ではなく、通常のX線検査フィルムに似た媒体にプリンターでプリントするという感覚です。(これによって、銀塩フィルムを排出せず、現像液を使わず、地球環境に優しいエコな診療所を実現しています)
当院ではフィルムレス診療なので、この頭部単純X線検査もCRからPACSにDICOM dataで送信され、診察室のPACSモニターで写真の様に表示されます。自由自在に拡大縮小、回転、コントラスト、明度の変換など「ちょちょいのちょい」(古!)と出来てしまいます。

Photo_2つづいてMRI。
これは頚部のMRI。右側がT2強調像、左側がT2強調像の反転画像です。
頚椎に軽度の変形と椎間板の圧迫による後方脱出があり、軽度の脊椎管狭窄が認められます。まだ症状はありませんが、頚椎症ですね。実は私の首、、、ちょっとショック、、、(苦笑)

Sagこちらは腰椎のMRIです。脊髄末端から馬尾(ばび)神経と呼ばれる、腰髄、仙髄の神経が脊椎管の白い脊髄液の中を下方(足やお尻の方向)に伸びて行っているのが見えます。まず正常ですね。

Photo_3こちらは付録。腰椎MRI検査の位置決めの為に撮像した腰部の軸位断層。おなかです。
被検者がやや肥満気味だったので(私ではありません!)、腰部、腹回りの脂肪(白い)そして内蔵脂肪がたっぷり乗っているのが見えます。腰部の筋肉(いわゆるヒレ肉の続き部分)にも脂肪のサシが入っている様に見えます。
よくテレビでは魚市場でしっぽの所を切断して、脂の乗りが見える様にして競りにかかっているマグロの映像を見かけます。切った断面を見て肉質、脂の乗りをチェックしている訳です。こんな風にMRIを撮れば、マグロも牛も肉に適度に脂が乗っているかどうかも生きたままチェックできる訳ですね。でも、生きたマグロや牛をどうやってMRI検査台に載せるか、ですが。。。結局、人間は美味しく頂く為にこれらの動物を殺している訳ですから、MRIで調べる必要はない訳ですが。

ちょっと話が逸れてしまいましたので、今日はこの辺で。
毎日、新しい事がたくさんあり、アポイントがたくさんあっていろんな人に会っていて、時間に追われイライラして来ます。「脳が疲れた」と日中の段階で感じます。ブログもそんなことでまとまりなく終わってしまいます。(苦笑)

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2008.02.24

MRI自習&街かどコンサート

今日は日曜日。MRIの勉強会もお休みです。しかし、家族をヴォランティアにMRIを動かしてみました。
普通の撮像法であれば(T1, T2, FLAIR & MRA)ならば、2回教わっただけでもう一人で大丈夫です。
後は、DWI(通称「ディフュージョン」と呼ばれる特殊撮影、脳梗塞超急性期(発症15~30分程度でもわかる)などで使われる)と肩や膝などの関節MRIの撮像の勉強ぐらいです。

T2rev一人で撮れるという証拠です。これは成人男性。ちょうど眼球でも水晶体(レンズ)が見えるスライスが出ています。
顔、頭の大きさと眼球の大きさのバランスを見てください。

T2revこちらは小柄な20代女性。上の写真に比べて、顔、頭の大きさと眼球の大きさを見ると、お目めが大きい事がわかります。
この2つの写真はT2 reverseといって、普通に撮像したT2強調画像を白黒反転(reverse)させているものです。こうする事で、プロトン(H+)の多い水などの成分は白く写るT2が反転されて、水が黒く写ります。何がいいのかというと、水を含んでいないため通常真っ黒(無〜低信号)に写る骨を白く現すのとで現実に近い画像になる事と、脳の細部の形の表現が綺麗である事、そのため、死後解剖のような脳の断面に近い画像が得られるのが特徴です。

Mri同じ女性のMRIのT1強調像とT2強調像の同じスライスを並べました。
ちょっとうるさい写真ですが、代表的な解剖学的な名称を入れてみました。もっといろいろな部位名を付けようと思えば付けられますが、今日はこんなところで。
明日以降、気が向いたらまた作ってみます。

ーーーーー

さて、2/24(日)、酒田市交流ひろばで何回目かの「街かどコンサート」が行われました。
司会は、いつものJS先生。あの「故佐藤久一さん」の本に出て来る「ル・ポットフーで歌ったクラシック歌手」です。(^^)
224a今日は、酒フィルヴィルトゥオーソ4人の弦楽カルテットと酒田C高校の音楽部合奏に加えて、酒フィルCb奏者のAさんのお嬢さん千尋さんによるチェロのソロがありました。またJS先生のご子息MS氏による歌唱と盛りだくさんでした。
オペラ『ラ・ボエーム』の告知を兼ねたミニコンサートとしては今回が最後なので、40分に及ぶ少々長めのものでした。
224演奏曲は、カルテットがモーツァルトの弦楽四重奏「狩」の第1楽章。「ボエーム」からアリア「わたしの名前はミミ」。チェロ独奏はJSバッハの無伴奏組曲第3番ハ長調「ブーレ」と「ジーク」。弦楽合奏が、ヘンデルの「水上の音楽」二長調よりホーンパイプ。モーツァルトのディヴェルティメントよりアンダンテ。ポップスヒット曲よりコブクロの「蕾み」。そして最後は、弦楽合奏を伴奏にMS氏による『千の風になって』でした。
224cアンコールは、C高校弦楽合奏でボエームからムゼッタのアリア「わたしが街を歩くと」でした。
総勢40名近い出演者ながら、今年2番目の地吹雪の中、30名程度のお客様と後は酒フィルの身内でした。皆さん、お疲れ様でした。

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2008.02.23

MRI講習会第2日目

昨日に続き、MRIの操作勉強会でした。
技術者、技師、私の3名で朝から夕方まで、お昼休み1時間20分を挟んでみっちりお勉強しました。
昨日教わったコンソールの操作法を中心に、MRIのいくつかの撮像法、T1, T2, FLAIRにMRAを、撮像条件(スライスの厚みやスキャンする幅、画質など)を変えてトライです。
今日は私の脳も撮ってもらい、5年前に手術を受けた慢性副鼻腔炎の状態をチェックしてみました。両側の上顎洞の炎症はまずまず落ち着いていますが、左上顎洞の前方上方に粘膜の肥厚と貯留液を認めます。そして、両側の篩骨洞、蝶形骨洞、前頭洞は粘膜肥厚と液貯留がまだあまり改善していません。最近、軽い鼻風邪か鼻炎を起こして、ずっと鼻の調子が良くないと思っていたら「案の定」でした。
さらに本日頚椎、頸髄の「撮り合いっこ」をしてみたら、なんと頚椎の4、5番あたりが少しずれて椎間板がややはみ出していて、頚椎症、軽度の脊椎管狭窄を起こしていました。
頭痛や肩こり、頸部のこりはこれら「も」原因の一つでしょう。若くないってことだなぁ〜。

頸動脈MRAは大丈夫。2親等以内にくも膜下出血患者がいる人に未破裂脳動脈瘤がある確率は、そうではない人の数十倍高いという報告もあります。私の場合、実母が7年前にくも膜下出血になっているので、その時すぐにMRI, MRAを撮ってみたことがあります。その時には脳動脈瘤はありませんでした。しかし、2年前になかったところに新たに脳動脈瘤が出来て(de novoという)、それが破れてくも膜下出血を繰り返した患者なども経験したことがあり、「7年前になかった」という事は「現在大丈夫」という保証にはまったくなりません。MRAの結果は、、、、
脳動脈瘤はありませんでした。(ほっ)

MRIの操作訓練をしながら、ついでに自分の脳や頸動脈や頚椎を調べられるのは役得というのでしょうか。自分で金出して(借金ですが)買ったんだからいいですよね。
そして、PACSにと準備した、最新のMacProと30"のシネマディスプレイの凄さ!
がこれです。
Photoディスプレイの大きさは、キーボードやボールペンと比較するとご理解いただけるでしょうか?
画面の左側は、脳のT2強調像のBW反転画像(頭の大きさほぼ実物大になっています)。
通常、白く写る脳室などの水の多い成分は黒く、通常黒く写る空気を含む鼻腔などは白く写る「反転」像です。それにより、脳の断面はまるで解剖図の様に鮮明に見えます。ちょうど、両目と内耳、中耳の高さなので、耳の神経から続く三半規管や蝸牛が見えます。
画面の右側は、赤色でグラデーションをつけた脳の血管の3次元再構成像。これは自動的にくるくる回転している最中の一こまになります。
このPACSの画質も自慢です。

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2008.02.15

医院の広告について

2月も半分が過ぎました。
あと2週間で3月を迎えます。
こちらの様な田舎では、新規開院に際して大々的な「開院記念パーティ」や「内覧会」などは行わないことが普通の様です。知り合いの開業医や先輩医師にいろいろ聞いてみたのですが、「MRIを装備する事を売りにするのだから『内覧会』位はやってもいいんじゃないか?」というご意見もありましたが、「あまり派手な事はやらない方がいい」という否定的なご意見の方が多いようです。
「郷に入っては郷に従え」です。
ただ、近隣の住民と知人や医師会の先生方を対象に(新聞折り込みなどではなく)、パンフレット(=チラシ)を作る事にしました。

既にホームページも開いていますが、インターネットのホームページは医療法における「宣伝」や「広告」にはあたらないという判断が一般的なようです。不特定多数の人が意識しなくても目にしてしまう看板、チラシ、新聞広告などと違って、「そこを見よう」と意識して訪れなければ目に出来ないホームページは、「院内広報」と同じ様に捉えられていて、結構自由なようです。自分の考えを述べる事が出来ます。
もちろん「誇大広告」や「比較広告」はいけません。
「必ず治ります」とか「絶対良くなります」とか「他院よりもいい検査法です」とか「他の医師よりも良くなります」とかの類は禁止されています。その代わり最近は、医院の建物や検査機器の事を掲載しても良くなり、誇大でなければ検査内容は治療内容も掲載できる様になっています。結局、医療サービスの受け手である患者さんが誤った情報に誘導されて被害を被る事のない様にすることが目的で制限がある訳です。

ですから、ホームページでは特に問題がないとされている診療内容についても、チラシなどで広告を出す以上は保健所の指導を仰いでいます。たとえば「診療内容」について、他科の医師よりも生命に関わりうる脳の病気が原因の頭痛の患者さんを診察、治療した経験の多い脳外科医として、「頭痛を専門的に診る」ということは第一に考える事です。このことをたとえば「頭痛外来」と表現した場合、チラシなどの広告においては、「専門性の高い外来」を行う、よって専門性の高い診断や治療を行うと宣伝していることになります。くも膜下出血や脳腫瘍の患者を自分の目でたくさん診て自ら手術して来た脳神経外科専門医である私が、MRIを装備して頭痛の患者さんを診療するという事は、通常の医師よりも専門性が高いとは言えると思うのですが、「保険診療」という制度においては、「頭痛」という疾患または症状は必ずしもCTやMRI等の精密検査を必要とするものではなく、何か専門性の高い治療法、たとえば大学病院での高度で先進的な治療を必要とする訳ではありません。「頭痛」という疾患は、特に大きな問題が無い場合は、鎮痛剤を処方して様子を見る、症状を抑えるというものだというのが、厚生労働省が管轄し中医協が診療点数を決定している「保険診療」における見解な訳です。
わかりにくい話を簡単にしますと、「頭痛」という病気は医師なら誰でも診れる、誰でも治療できる一般的なものであるので、「頭痛外来」などという専門性が高そうな診療を宣伝する事はできない事になるのです。脳外科専門医だろうが内科医だろうが、同じ診断で同じ薬を処方すれば「同じ値段」というのが日本における保険診療の制度だからです。
どうしたらいいのか?保健所の担当者に聞いてみました。

「頭痛外来」「めまい外来」「もの忘れ外来」などの専門外来を想像させる文言は使わない。
「診療内容」:次の様な症状や疾病をお持ちの方は御相談ください。
「頭痛、めまい、もの忘れ、不眠、、、、」

というような書き方ならば、チラシや新聞広告に載せられるのだそうです。
そういう決まりなのですから従うしかありません。なんとなく釈然としませんが、日本の制度では「皆、同等で同じ」というのが原則ですから、ある疾病について自分は経験が豊富で他の医師より優れているとかいい治療ができるというような事は宣伝してはいけないのです。

ただ、写真は載せてもいいということなので、精一杯優しそうなハンサムなお医者さんに見える様に(プッ!)撮って頂いた写真を載せる事にしました。(大笑い)

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2008.02.04

勤務医生活にお別れです

今日は「立春」です。
そして、私にとってはおよそ24年間の「勤務医」生活最後の日です。
三川町のM病院は庄内に移り住んでから非常勤で仕事をさせて頂きました。脳や神経系に専門性を持たせて開業すると、神経精神科関係の疾患をお持ちの方も受診されるであろうということもあり、勉強させて頂いたのです。
昭和59年に医学部を卒業して以来、国立、県立、市立、私立の違いはあれど、昨年までは手術の出来る大きな病院で勤務医をして来ました。急患もたくさん診て、緊急手術もたくさんして、夜・夜中、日曜祝祭日関係なく働いて来ました。それが「やりがい」でもありました。
昨年からは開業の準備のために大学病院を辞して基本的には時間外診療はしない一般診療所と手術をしない精神神経科内科の病院に勤務しました。そのため、約8ヶ月間、外から来る救急患者や緊急手術は「0」で、夜勤(宿直)もわずかしかしていません。日によっては「9時−5時」という、昔の生活からは信じられないような勤務をして来ました。

大学を卒業して、わずかな休みをもらって、確か4月15日頃から「勤務」を始めました。その当時は「医師国家試験」というのは卒業後の4月に受けるもので、発表は5月の中旬。合格を受けて関連部署に手続きをして国家資格を持った医師として「登録」されるのは5月下旬から6月。よって、正式な「研修医」としての採用は6月の途中でしたので、初めてのお給料は7月からもらいました(10万以下だったはず)。ですから4、5、6月の3ヶ月間は、医学部を出たのに、働いているのに、「無給」で、親から仕送りをしてもらいました。
Neuron親には「大学で研究などをして、金を稼ぐ医者にはならないから、そういう意味では諦めてね」などと言っていました。脳に興味があり、脳科学が面白くて、ワイルダー・ペンフィールド博士に憧れて脳外科医を志したので、給料が少ないとか働く時間が多いなどという事は「普通」の事であって、ほとんど気にした事はありませんでした。関連病院に出向のような形で勤務すると、「研究」と言う仕事はほとんどない代わりに、急患、緊急手術、当直、夜間や休日の緊急呼び出しなどがあります。それは、しかし「手当」として収入に反映します。大学で「研究」の名の下に朝早くから夜遅くまで(平均的に朝7時から夜の10,11時)働いても、超過勤務手当も時間外手当も何も付きませんでした(最近はわずかばかりながら付く様になったらしいです)。一般病院での時間外手当は、手取り収入の1/3以上を占めることもありました。しかし、それも不当(?)に削られる様になって来ました。病院側(管理する県など)にも「予算」があり、いくら医師が忙しく懸命に働いても「無い袖は触れない」ので、時間外出勤簿に医師が記録したものを事務側で「なかったこと」にして削除するのです。
一番もらっていた頃の時間外手当から、最終的には約半分まで削られていました。お金のためだけに働いている訳ではなくても、当然もらえるはずのものが削られれば不満は生じます。「医者は金もらい過ぎなんだ」というのが、一般の人や事務職の意見、考えのようでした。
たしかにたくさん頂いていました。と思っていたのですが、昨今の様にいろいろな職業の収入が明らかになって来ると、「なんだよ〜」という気持ちになるのは偽らざる心境です。

昨日でしたか、さるテレビ番組で「あなたの収入いくら」というのをやっていました。一生懸命仕事した事に対して相応の収入を得る事は当然の事だと思います。ましてそれが特殊な仕事であったり、普通の人に無い特殊技術や資格に基づいたものであれば高額収入も納得できます。たとえば銀座の「夜のお勤め」の女性達の髪を10~15分でセットする30才そこそこの美容師さんの月の収入は(歩合制とは言え)70万円ということでした。ミシュランにも乗った銀座「久兵衛」の鮨職人も月収も70万円くらいでした。さすが、と思い、当然とも思います。しかし、「ワーキングプア」も少なくない現代で一般の人はどのようにとられるのでしょう。
私は、大学では最終的に准教授でした。その額面の収入はいろいろな手当(扶養や交通、住宅など)がついて50万円弱でした。前年の収入が大きかったため(一般病院で時間外手当などたっぷり頂いた)大学からの手取りは30万円いかない月もありました。朝7時から夜11時まで働き、土日も患者さんを診に病院にでて来て(これは主治医として患者を持つなら当然の事と思います)、平日にできない仕事をしたりします。一年に自らの執刀だけでもかなりの数をこなし、若い医師を指導し、医学部の学生に講義や指導をし、外来をやって、病棟の患者を診ます。それ以外に、医局の運営や学会の準備やもろもろの会議や出張(学会が主)があります。ある特殊な手術方法に関して、その方法で手術をする患者数が年平均で15~20例以上持っている医師は日本全国でおそらく10人程度という極めて特殊な事もしていました。上記の美容師さんは全く休みが取れずにぶっ続けで働くとは言っても一日の仕事はおそらく4時間程度。鮨職人は朝6時頃の仕込み準備から夜の本業まで長いとは言っても、休みの日はしっかりお休みで「緊急の呼び出し」や「夜中3時、4時の病棟からの連絡」「明け方5時の急患室からの緊急呼び出し」などは皆無でしょう。
どちらが偉いとかきついという比較の問題を問うているのではありません。命に関わる仕事をする人間には、それなりの覚悟と責務があるのは当然ですし、むしろその事を誇りに思い自負して働いて来ました。昼食も夕食も摂る時間がなく夜中まで手術をしたこともあります。「金」の話ばかりで恐縮ですし、誤解されるかも知れませんが(なんだ、こいつ、結局は金か、と)、特殊な技術と資格を持って命に関わる仕事をしている人間に対する報酬としては、欧米の状況から見れば「十分すぎる」とは言えないと思います。

医療は本来ボランティア活動である事、人の病気や怪我という不幸に基づく仕事である事、博愛の心であたるのが本来の姿でそれによって得る収入は問わない、そのために働く時間の長さに不平不満を言わない、というのは「当たり前」の世界だと理解しています。しかし、あえて、他の職業と比較して収入の話をしているのです。それは、日本の医療制度にも関わります。戦後ずっと続けて来た「国民皆保険制度」と「診療報酬点数制度」によって、上がって来たとは言っても先進諸国と比較すると日本の医療費は低く抑えられ国民の負担は少ない方に入ります。そして医師(特に勤務医)の収入は低い方に入ります。
今、大統領選を戦っているヒラリー・クリントンがかつて日本に来た時に「日本の医者はまるで『聖職者』のような自己犠牲の精神で働いている事に感銘を受けた」と言って帰って行きました。これは、感心して感動して言ったように聞こえますが、実は「落胆」して言ったと理解できます。というのは、日本の「健康達成度の総合評価(WHO)」は何度も書いている様に世界1位。一方の米国は15位です。
なんで?アメリカの方が医療は進んでいるんじゃないの?心臓移植とかみんなアメリカや豪州に行くんじゃない?
それらはすべて制度の違いによるものです。
なぜヒラリーが落胆したかというと、WHOの評価などから判断して日本の医療制度はどんなに素晴らしいのだろう、学んで米国に取り入れよう、と思って来日するのですが「とても米国では真似できない」とがっかりするのだそうです。「どんなに素晴らしいシステムで運営されているのだろうか」と思って期待して来たら、素晴らしいのは制度ではなく、「時間外手当がカットされても、36時間連続勤務でも、自殺者が出る程過酷な労働条件でも、歯を食いしばって患者のためと働いている、日本の医師、特に勤務医の崇高な精神と実行力によって成り立っている」ということがわかるからなのです。米国では、移植外科医や脳外科医など先端的な治療を行う特殊技術を持つ医師の年収は日本円で1億円以上が普通です。私が留学していたピッツバーグ大学の脳外科の主任教授は、14年くらい前で大学から「だけ」の給与で2億円くらいもらっていると聞きました。別荘を2つとクルーザーと小型飛行機を持っていて、日本のRV車で通勤している事を自慢していました。ドイツの知り合いの脳外科教授は、自家用飛行機を持っていて、来日の際はフランクフルト空港まで自分で飛行機を飛ばして来ていました。
日本の大学病院の脳外科教授で、別荘やクルーザーや小型飛行機を持っている人がいたら教えて下さい。おそらく年収1000万ちょっとではそんな生活はできないはずです。こういうところの差が国民には知られていないようです。ヒラリーも知らなくて、制度を学びに来日して、システムではなく医師の「心」で成立している事を知って、感心すると共に落胆して「これではアメリカでは取り入れられない」と帰って行ったのだそうです。

勤務医を辞めるにあたり、日本の勤務医がいかに頑張っているのか、頑張りきれなくなって辞める人が続出している原因はどこにあるのか、改善する方法があるのか、なんらかの対策をとらなくていいのか(少しは対策がとられているようです)などを問いたくて、「金」の話を持ち出した訳です。
日本の医療、特に病院での高度な医療は、このままでは崩壊までいかなくても衰退してしまう恐れが十分にあります。いや、すでに衰退し始めていると思います。善意で働く医師を取り締まり、少しでも落ち度があれば捕縛しようというような『診療行為に関連した死亡に関わる死因究明等の在り方に関する第二次試案』などとんでもないことだと思います。
もう一度、拙ブログ記事、「日本の医療の安全について少し考えてみました」をご参照ください。

かくいう私は、音楽活動を続ける事が第一の目的として開業医を目指すことになり、本日「勤務医」を卒業致します。

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2008.01.31

「さよならコンサート」

ご存知の方も多いと思いますが、私の個人医院の建物はもうすぐ完成します。そこで本格的に開業の準備(直前の準備、用意など)をするため、現職はすべて辞する事にしています。Uクリニックの方が昨日で、M病院の方は来週の月曜2/4で辞職します。
そこで本日お昼休みにM病院の病棟(精神科病棟)食堂でフルートの演奏を行いました。

H17年にN病院を離れる時にも、病院の食堂で1回、「ル・ポットフー」での送別会で1回、演奏しました。20分程度と考えていたので、カラオケCD伴奏のある小品ばかりやりました。
Photo1曲目は、ビゼー作曲『アルルの女』から「メヌエット」。フルート吹きでなくともみんなが知っている有名な曲です。病棟にあるCDラジカセが最大ボリュームでもあまり大きな音が出ないので苦労しましたが、師長さんや看護師さん達が臨時のコンサート会場の様にイスを並べて下さって、認知症病棟からも来れる人は連れて来て下さったのでけっこう大勢の方に聴いて頂きました。
2曲目は、映画『ティファニーで朝食を』でも歌われた「ムーンリバー」。
3曲目は、宮崎アニメの中から『ハウルの動く城』のテーマ「世界の約束」。
4曲目は、英国の民謡(?)「グリーンスリーブス」。
そして5曲目は、ジャズ風にアレンジされた伴奏CDの「Over The Rainbow」(映画「オズの魔法使い」から)でした。皆さん、熱心に聴いてくださいましたし、精神病棟の患者さんの中には涙を浮かべて聴いて下さった方もいらっしゃいました。
Photo_2「もうちょっと普通のクラシックが良かった」と言って下さった方もいたので、アンコールに「G線上のアリア」を演奏しました。みんなが聴きやすい曲、初見でも(またはあまり練習していなくても)吹きやすい曲、あまり長くない曲、ということで上記のような選曲になってしまいました。

131a131b(本日は、また荒れ模様の天気。M病院の外はこんな感じでした。)
私の開院するクリニックでは、少なくとも月に1度程度は無料のサロンコンサートをやりたいと考えています。音楽には人の心を動かしたり癒したりする力があります。

「MVSICA LETITAE COMES MEDICINA DOLORVM」(ラテン語の場合、Vは英語のUと同じ)
これは、家内のチェンバロにも書いてある有名な言葉です。
『音楽は 喜びの友 悲しみの薬』(または 苦しみの薬 とも訳す場合あり)

私は、医師としても、アマチュア音楽家としても、こういうものになりたい。

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2008.01.24

日本の医療の安全について少し考えてみました

このブログを長続きさせるためにも避けようと思っている「医学ネタ」です。
自分自身が医師なので、下手な事を書くと墓穴を掘ることになりかねませんし、同業者や仲間を批判するような事は仁義にもとりますし、患者さんや一般の方の考えを否定するような事でも書けば大きな問題になりかねません。これまでにも、医師が患者の批判記事を書いて病院を辞めさせられたとか、問題発言をしてブログが「炎上」したとか、他山の石とすべき事例があります。

医療の安全性とはなんでしょうか?
安全な医療とはなんでしょうか?
正確な診断と確実な治療法、これさえあれば「安全」でしょうか?
医療は常に変化し進歩しています。研究し追求し科学して進化しています。「自然科学」の事であり、生物の一種である「ヒト」という動物が対象ですから、「個体差」があり「不確実性」が存在するのは当然の事です。工場で生産される自動車にだって出来不出来があるのですから、一人一人が個である人間にいろいろな「不確実性」が存在するのは小学生でも分かる話だと思います。しかし、現在の日本では医療は安全なのが当たり前で不確実なんておかしい、という論調で統一されかかっています。しかも、世界でも類を見ない程「安い」金額で受けられる医療行為が、世界的に高いレベルにあるにも関わらず、いやだからこそ、何かが起こると「おかしい、変だ、ミスだ」と叩きにかかる傾向にあります。
どこぞのどなたかが書かれていましたが、日本人は医療を安く済むものと信じ込んでしまっています。病気の治療、命のやりとりに多額のお金がかかるのは医療が進歩すればする程、当然の事であるのに、大戦後に出来た保険制度と診療報酬制度のまま、「医療は安価でなければいけない」そして「安全であるのが当たり前だ」という、通常の市場経済や自由経済の世界であるならば相反する考え(いい素材を使ってテーラーメイドで作るものをより安く販売する)の元に多くの議論が行われている様にすら見えます。

私が今日書こうと思っているのは、医療の安全性に関わるたくさんの課題の中から、特に「医師不足」と「診療行為に関連した死亡に関わる死因究明等のあり方に関する第二次試案」についてです。
新聞やテレビなど多くのマスコミで「医師不足」「医師偏在」「病院の診療科閉鎖」「救急患者のたらい回し」などを報道します。中にはかなり核心を突く報道もありますが、問題が奥の深いものだけに単発短時間ではカバーし切れていない、場合によっては偏った、または大事な点の欠落した報道としか言いようがないものもあるようです。

日本の医師「数」が不足している事は今に始まった事ではありません。
特に、一県一医大構想の前は、田舎、僻地、離島には医師がいないのが当たり前、いても「何でも屋」を要求される代わりに、設備的にも高度な事は出来ない、それは勤務する医師も医療行為を受ける住民も暗黙の了解の上での診療体制でした。
昭和54年、「新設医大」の卒業生が出始めてから医師の数は増えてきました。しかし、それでもGDP世界第2位の国としては非常に少ない数の医師によって国民の保健医療を供給しています。よく用いられるOECDのデータで、「人口1000人あたりの医師数」は2004年のデータで「2.0人」であり、OECD加盟30カ国中22位です。
フランス、ドイツなどでは人口1000人あたり3.4人の医師がいますが、日本ではこれが2.0人しかいません。フランス、ドイツの6割の医師数で国民の医療を支えている訳です。
ところがWHOによるといろいろな意味で日本の医療は「世界一」とされています。それは国民皆加入の健康保険制度と保険診療点数制度によって、国の隅々どこでも同じ病名、同じ検査名、同じ手術名であれば「同じ料金」という非常に公平でオープンなシステムをとっていることも評価されていますが、医師、医療のレベルが国際水準に照らし合わせて全体に高いということを示しています。

医師の技量や経験を点数化、数値化することは容易ではありませんから科学的な検証は困難ですが、日本の医師は「平均点」として優秀だという事は言えると思います。もの凄く素晴らしい技術を持った国際的な医師もいますが、アメリカの医療制度のような「優秀な医師は高額な収入を得うる」という制度と違って、「腕」の善し悪しに関わらず「診療報酬」は一緒という社会主義的制度の中で仕事をしていることを考えれば、「これは酷い!」という医師が少ない(いないとは言いません)のだと思います。
頑張っても頑張らなくても、手を抜いても抜かなくても、報酬が同じであるならば、通常の「労働者」であれば「頑張らずに手を抜く」方向に流れてしまうのが人間の性だと思いますが、そういう人が少ないというのが「日本人の医師」の特徴であると私は思っています。なぜ、「流されない」または「流される人が少ない」のかというと、それは医師である誇りと病者を救いたいという博愛の心に支えられているからだと思います。

ドイツ、フランスの6割の人数で(平均値として)同等かそれ以上のレベルの医療を提供しているという事は、ナースや技師の働きを同等と見なした場合(これも日本の方が優秀な率が高いと思います)、日本人の医師はドイツ、フランスの医師の「1.7倍」の努力、働きをしていると言い換える事が出来ます。
医師の頭数をOECD平均並みにするには「12万人」の医師が不足していると言われています。現有の医師が不足する12万人分の働きをしているから、WHOの評価で「世界一の医療」を保っているという風に言い換える事ができるのではないでしょうか。だから、特に救急医療を支えるような地域の中核病院では、産科、小児科、麻酔科、脳外科といった救急の現場に借り出されたり、命のやり取りに関わる局面の多い診療科の医師に負担が多くなり、「誇り」や「博愛の心」だけでは支えきれなくなって、辞める、移る、閉鎖するという「負の方向」へ進んでしまっているのだと思います。

それなのに、医師側にも問題がある事を否定はしませんが、医療過誤や医療事故が起こるとマスコミは医師や病院を叩く傾向にあります。官憲も善良(であるべき)な医師を「刑事事件」の対象にしようと動く傾向にあります。
それに加えて、現在大きな問題が生じつつあります。

『診療行為に関連した死亡に関わる死因究明等の在り方に関する第二次試案』を厚生労働省が法案化しようとしているのです。理念は正しい、美しいと思われる内容なのですが、そのやり方、特に「医療事故調査委員会」の構成や運用に大きな問題があるのです。問題が複雑なので、誤解を生むといけませんが、簡単に言うと、何か医療事故を考えさせるような「診療関連死」があった場合、その臨床経過の評価や分析を担当するために設置する組織として「中立」「公正」であるべきこの「委員会」に「遺族の立場を代表する者」が入ることになっています。当事者であるかもしれない治療を担当した医師や病院は入らないのですが、患者遺族側が組織に入る事が中立、公正ということになるのかよく理解できません。そして、最大の問題点は「必要な場合には警察に通報する」と試案には書かれている事です。「診療関連死の中にも刑事責任を追求すべき事例もあり得る事から、警察に対して速やかに連絡される仕組みとする。」と明記されています。また「刑事手続」についても、「事例によっては、委員会の調査報告書は、刑事手続で使用される事もあり得る」と明記されています。調査報告書があれば警察が医師を捕まえるよ、という事です。

これをもうちょっと平易に解説するとこういうことになります。
善意と博愛の精神で患者さんの治療に当たっていた医師が、何らかの理由でその患者さんが死亡した場合、もし「不審の原因」が疑われて何らかの落ち度が医師にありそうであると思われた場合(実際はそうではなくても、誰か、患者やその家族などがそう「思った」場合)、その医師は警察に逮捕されてしまうという可能性があることになるのです。
もちろん、診療行為に意図的なミスや悪意がある場合は言語道断、いうまでもなくそう言う事をする医師や医療側が悪いと言うのはいいのですが、「そういう意図がなく」「なんとかしてあげよう」という善意の心で診療に当たっていたら運悪く患者さんが具合悪くなり死亡したりして、家族が「おかしい!医者がミスしたんじゃないか?!」と考え、「委員会」の通達で警察が動く、と言う事を意味します。
病院の救急外来には予約ではない、想定していない患者が飛び込んできます。もともと疾病を抱えていて急に具合が悪くなったり、転落や交通事故で重症を負って運び込まれてきます。その治療に当たっていたら患者さんが亡くなってしまった。家族が騒ぎ出す。委員会が結成され警察に通報される。何も落ち度がないと思っている医師が逮捕されて拘留される。こうなってしまう危険性を孕んでいます。
すると、「救急外来」では飛び込みの患者は診たくない、重症の患者は診たくない、知らない患者は診たくないという反応が起こるのではないでしょうか。
手術をする外科医は、危険性の高い疾患には手を出さない、重症の患者は自分の所では診たくない、手術はしたくない、こういう反応が起こるのではないでしょうか。

これを「医療の後退」と言うのだと思います。蛮勇で知識も経験もないのに難手術に取りかかったり、緊急患者の診療に当たるような愚かな医師は問題外ですが、通常の努力によって知識、技術を身につけた有能な医師が「なるべくなら関わりたくない」「なるべくなら触りたくない」という気持ちになる事を心配するものです。
すると、日本の医療はどうなるのでしょう。
難しい病気、治療、手術に挑戦しようとかより高度な医療を展開しようという医師や組織は非常に少なくなり、国全体の医療レベルが下がり、緊急患者はたらい回しばかりになってしまう恐れがあります。WHOが世界一のレベルと評した医療は容易に低落して行きます。
結果、迷惑を被るのは国民です。
世界一のレベルを誇っていた医療を、医師が放棄し始め、高い金でももらわなきゃやってられない(米国式)とか、救急患者なんか診てられない(英国式)になってしまうと、金と権力を持つ特権階級だけが高度な医療を独り占めして、一般大衆はやる気のない、レベルの下がった医療を甘んじて受けざるを得ないという事態に陥る可能性があるのです。こうして、高度な医療が比較的公平に受けられる稀な国であった日本の医療の「安全性」も低下していくのです。

私が、大学病院を、准教授職を辞したのは、個人的な問題が大きな要因を占めています。特に、音楽活動ということです。しかし、これにしたって、大学病院や地域の中核病院の勤務医師が、24時間体制で働き、連続36時間勤務したり、風呂に入っている最中も心が休まる余裕のないような現状のシステムが改善され、勤務医師にも「人並みの」精神的、肉体的余裕が生まれる余地があれば、辞めなかったかも、しれません。。。わかりません。。。
今の私に出来る事は、個人医院を開設する一医師として地域住民の健康問題と不安を解消しお助けする仕事を通して世の中に貢献するよう努力を続ける事です。そして、『診療行為に関連した死亡に関わる死因究明等の在り方に関する第二次試案』の法案成立を阻止する様に仲間や国会議員や厚労省に訴えかけることでしょうか。

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2008.01.19

医療事務などの面接

いきなり現実的で生臭いタイトルですみません。
3月の開院を目指して、この週末を使い医療事務、看護師、技師の採用試験を行っています。
本日は朝から夕方まで、合計14名の筆記および面接試験を行いました。

Photo写真は、酒田市飯森山にある「南洲神社」の隣、「荘内南洲会」で買い求めた『敬天愛人』の書。額に入れて玄関に飾りました。
宗教的な要素や経営者の才覚という面で組織の利益とか儲けという観点を「0」にしては読めませんが、稲盛和夫著の「人生の王道」や荘内南洲会発行の「南洲翁遺訓を学ぶ」などから、組織で共に仕事をする人を選ぶ場合の考え方や大きい小さいに関わらず一組織のリーダーとして職員を雇用するに当たって心がける事などを学んでいます。
面接試験の結果を判定する上で、知識、経験、能力、人柄を総合的に判断しなければなりません。ただ人当たりが良さそうとか、明るくハキハキして丁寧であるだけでも駄目ですし、電子カルテやレセコンの操作経験があり医療機関に勤めた実績があるだけでも駄目です。更に、複数の職員を採用する場合はそれぞれの特性がうまくかみ合う事も大切に考えなければなりません。
「いい」と思って選んだ人が実際に一緒に働いてみると難しい人であったり、いい人なのだけど様々な事情ですぐに辞めてしまうこともあり得ます。私や他の職員と相性が合わない場合もあり得ます。出来上がりを楽しみにしているリハビリ室兼音楽・講演室となる部屋もそうなんですが、いろいろ考えて工夫を凝らしていても、結局は出来てみないとわかりません。響きはいいのだけどピアノには向かないとか、弦楽器には向かないとかそういう事もあり得ます。

私としては、あまり余計な事は考えず、直感を信じ、「敬天愛人」の教えに倣って正しいと思う事を正しく行って私利、利己をなるべく心から排除して考えて実行するだけです。
一緒に働くのが楽しみ、と思えるような方を選びたいと思っています。

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2007.10.29

吉報2つ

まず一つ目。
医院建設の建築主である会社担当の方を通して、建設会社から「建築確認」が下りたという連絡がありました。
「建築確認申請」提出後、丸2ヶ月を経過しましたが、ようやく「着工」となるようです。

もう一つ。
山響(山形交響楽団)が、今年度の「地域文化功労者文部科学大臣表彰」を受けることになったそうです。
山形新聞のネットニュースから
1972年(=昭和47年)に、現山響創設名誉指揮者である村川千秋さんの情熱とそれに賛同する人々の協力によって、東北地方で初めてのプロのオーケストラとして発足し、いろいろ紆余曲折を乗り越えて地域に根ざした活動を続けて35年。現音楽監督である飯森範親さんの企画立案実践指導によって、新しいレーベルでCDも発売し(この12月に、ブルックナーの4番のライブ録音がCD化されるらしい)、「アマデウスへの旅」などユニークな演奏会を始めています。今年は、初めて『題名のない音楽会21』に2週登場して素晴らしい演奏を広く全国に披露しました。
昭和47年といえば、山形大学に医学部が出来たのが昭和48年のことなのですから、相当昔という感じがします。

飯森さんの力は大きく、そういった目先の変化や躍進だけではなく、オケの音が変わり、音楽が素晴らしくなった事は、昔の「ガタ響」と呼ばれた時代を知っているだけによ〜〜くわかります。メンバーの変化も、その努力も大きいでしょう。上手い人を、たとえばベルフィルとウィーンフィルとN響から人を集めてくればいい、というものではありません。山形のオケとして、特色ある、存在感のある「音」で勝負できるようになって来ていると思います。
そして、なによりも忘れては行けない事は、創設以来一貫して続けている「音楽教室」です。
山形県内の小中学校を中心に、県外までも演奏に出かけて、年間150回程の演奏活動を続けています。定期演奏会やそれに准ずる演奏会が年に10~20回程ありますから、あわせると2日に一回はコンサートをしている事になります。リハやゲネプロや移動を考えれば、ほぼ毎日のように練習か演奏会がある訳です。それを地道に30年以上に渡って続けて来たのです。
山形県出身で現在30才台くらいまでの人達は、コンサートに出かけた事はなくても、子供の頃学校で山響の生の演奏を聴いたことがあり、クラシック音楽に小さい頃から触れられるという非常に恵まれた環境にあります。福岡や倉敷で子供時代を送った私には、時代も時代であり、小学校でプロオケの生の演奏を聴くなどという機会はありませんでした。もし、小6の時に(既にフルートを始めていた)生でオケを聴いていたら、今頃は医者をしていなかったかもしれません。こういう恵まれた人達が既に延べ何万人もなっていて、今やその人たちの子供も学校で山響を聴いている、親子二代に渡って学校でクラシックを、本物の音楽を生で聴くということになっています。
35年前に、中央でのキャリアを捨てて、故郷の山形に「田舎の人には本物の音楽を聴く権利がないのか」という熱い想いから、自腹でコントラバスを買って安く手に入れたワゴン車に積んで移動音楽教室をやっていた青年「千秋先生」も70才を超えました。
そういえば、千秋先生は平成16年度の地域文化功労者表彰を受けておられます。上記の活動から考えて当然ですね。

11/1、現音楽監督の飯森さんが代表して、大臣表彰を受けられるそうです。
我が事のように嬉しいです。おめでとうございます!

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2007.10.19

訃報(木原光知子さんとくも膜下出血)

木原光知子さんが昨日亡くなられました。
ある程度の年齢の方はオリンピック水泳選手として活躍したことをご存知でしょう。16才で1964年の東京オリンピックに出場され、国民的ヒーロー(ヒロインか)でした。
まだお若い59才だったとのこと。死因は「くも膜下出血」だそうです。

実は、私は木原さんと一緒に泳いだ事があります。しかも隣のレーンで同時にです。
小学生の頃、倉敷市の小学校で夏の水泳強化練習のようなものに参加していました(水泳部だったかも)。私はプールでの水泳を始めたばかりの頃、5mも泳げませんせんでしたが、この夏までに何とか25m泳げるようになっていました。そこへ、岡山県出身の英雄である木原光知子さんが指導というか激励に来て下さって、子供たちと一緒に泳いで下さることになりました。私の左となりのレーンが木原さんでした。クロールで泳いだのですが、私は息継ぎを左に顔を向けた時にする方法だったので、息継ぎの度に木原さんが隣で泳いでいるのが見えました。こっちは結構必死で全力で泳いでいるのですが、木原さんはほとんど足のビートもせず、手の掻きも休み休み行っているように見えるぐらいゆ〜〜っくり泳いでいらっしゃいました。決して子供たちを追い越さないように頭一つ後ろを狙っているようでした。当時身長130cmちょっとぐらいだった(はず?)のチビの私は必死に泳ぎましたので、泳ぎ切ったときはゼーゼーと言う感じでしたが、隣のレーンで「大きな」(背丈だけではなく肩の肉とか全身の感じです)色の黒い木原さんのニコッとされた白い歯が強烈な印象で残りました。
その時は、木原さんが元オリンピック選手だというくらいで後は訳の分からない小学生の坊やだったので、会話も何もしていないと思います。たしか「よく頑張った!」とか言って下さったように覚えています。その事はずっと記憶に残っていて、40年近く経った今でも脳裏に焼き付いています。
ん?38年前としても木原さんは21才だったということか?!じゃあ、「元」ではなく現役バリバリの選手だった訳ですね。引退した選手が激励に回っていたというのとは訳が違うと思います。イチローと一緒に少年野球の選手がキャッチボールをしたとか、川口選手の守るゴールにPKを蹴る練習をしたとか、陸上の為末選手と一緒に100mのトラックを走ったというような経験だった訳です。

水泳の指導中に倒れて運ばれた病院でその日のうちに亡くなったという事(後でニュースを確認したら、13日に倒れ18日に亡くなったそうです)は、重症くも膜下出血だったのでしょう。おそらく、グレード5という最重症の状態だったと推測されます。私も脳外科医としてくも膜下出血の患者さんをたくさん診てきましたが、グレード5の方で救えた人は一人もいません。というより、手術に至った人すら「0」です。
以前にも書きましたが、グレード0(未破裂)はもちろん、グレード1も2も、私が手術した患者さんは幸い後遺症もなく皆さんスムーズに退院して社会復帰されています。グレード3の方も一人を除いて全員自宅に退院されました。グレード3になると、軽い片麻痺やごく軽度の失語症状を残してしまった方もいます。自宅に退院できなかった方は、手術時80才と高齢で、手術は上手く行ったのですが、くも膜下出血に伴う「正常圧水頭症」の治療として行ったシャント手術の効果がうまく働かず、経管栄養で寝たきりになってしまいました。高齢で重症とはいえ残念です。グレード4(強い意識障害から半昏睡、すなわち出血量が多いために脳全体の機能が低下している)になりますと、発症当日手術したという方は少なく、全身状態の改善を待っての手術も多く、出血も重症のためほとんどの方が何らかの障害を残されていると記憶しています。自宅他院された方もいますが、完全自立生活をされている人は少ないと思います。合併症(胆嚢炎から腹膜炎)や肺塞栓を来して亡くなられた方など苦い記憶もあります。
発症して病院に運ばれて来て、その日または数日のうちに亡くなられたくも膜下出血の患者さんの事を思い出そうとしているのですが、ちょっと思い出せません。数多く経験しているはずですが、本当のグレード5(意識が深昏睡、つまり抓っても叩いても全く反応のない最重症)は、脳血管撮影も行えない程重症で、たいていは挿管して人工呼吸器に繋ぎ、昇圧剤で血圧を上げて(くも膜下出血の初期治療はまず高くなっている血圧を下げるのが普通)、あとは看取るだけ、即日からもっても1週間以内に亡くなられる方がほとんどですし、当然手術も行っていないので一人一人の患者さんの記憶が薄いのだと思います。
木原さんも残念ながらそういう状態だったのでしょう。
好きな事をしていて、その最中に倒れ、寝たきりになってだらだらと生きるより、ぽっくり逝って幸せではないかという考えも間違いではないと思います。でも、「59才」は若過ぎます。あまりにも若過ぎます。
とても残念です。

夏休みの小学校のプール、
照りつける太陽の下、
ユラユラと眩しく反射するプールの水、
隣りのレーンでニッコリ微笑んでくれた黒い顔と白い歯、
木原光知子さんのご冥福をお祈り申し上げます。

合掌。。。。。

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2007.10.05

学会総会最終日

10/2(火)から本日10/5(金)まで、都内某所(と隠すまでもないが)で第66回(社)日本脳神経外科学会総会が開かれていた。
今はインターネットに接続できないホテルの方が少ない位の時代である。10/2に宿泊した高輪東武ホテルは全室高速インターネット無料接続で部屋代も安かったのだが、本日泊まっている学会会場であり明日の「市民公開講座」会場でもあるグランドプリンスホテル新高輪は接続は出来るが24時間使用料1000円をとるし、部屋代もちょいと高い。
目の前なんだから10/2と同じ高輪東武にすれば良かったな〜。
でも明日は7:45集合なので少しでも近い方が楽だと思って、GPH新高輪にしてしまった。
これから、明日の「市民公開講座」での脳外科オケ演奏のリハが夜の9時まである。8/25,6に合宿をしているのだが、それを合わせても、全体合奏の練習はわずか6,7時間である。私は、地元高校の演奏会にトラで出た(ブラ2をやったやつ)ため、今年は三島合宿に参加できず。10/2の2時間と今日の3時間だけ。明日の演奏会の演目は、今日初めて合わせるものもある。
今日一番の楽しみは、指揮者である早川先生のお嬢さん早川りさ子さんの参加である。
6/7のブログ記事「名月荘ムーンライトコンサート」で書いた、N響ハープ奏者早川りさ子さんと共演するという幸せに恵まれた。チャイコフスキーの「白鳥の湖」から5曲を選択して演奏するのであるが、特に"Pas d'Action"では、私はピッコロなのでtacetなので、間近でりさ子さんのハープのあのカデンツァをじっくり聴く事ができるという超贅沢な状況になっている。
写真、撮れるかな〜。
早川りさ子さんは、この「脳外科オケ」での演奏が終わったら仙台に向かわれるとの事。「せんくら」出演のためである。「せんくら」のりさ子さんの出演については、
「仙台クラシックフェスティバル」早川りさ子
をご覧ください。


学会の方は、広い会場、ポスター発表や機器展示の会場も含めると10カ所以上に別れているため、とても全部などは見て回れない。プログラムとにらめっこで「ここは!」という会場に行く訳だが、総会なので皆練れた発表で聞き応えはあるのだが、よくよく聞いていると内容的にそれほど目新しかったり、「ほう〜?」と感心するようなものはなかなかない。どこかで聞いた、既に発表された内容に更に数が増えたとか方法をちょっと変えたというものも少なくない。
初日のメイン会場午前中一杯を使って「てんかん」について9名の国内外のトップクラスの脳外科医の講演が会ったが、これは世界やアジアのてんかん外科の歴史や、新しい治療法や様々な角度からの話が聞けてとても勉強になった。私は、たまたま日本脳神経外科学会同時通訳団員として、この「てんかん」のセッションを他に2名の英語の達者の先生方と担当したので、映像的にも音響的にも恵まれた環境で全て発表を真面目に聞けた(会場で聞いていると、ついウトウトしたり、プログラムを眺めて「午後はどこの部屋に行こうか」などと考えていると、講演を聞き漏らしたりしがちなのだが、通訳を担当していると必死に聞くのである)。
今日の午後のメインの会場では「最先端画像診断法」に関する3時間近いセッションであったが、どの発表も工夫が凝らされていて脳外科領域の画像診断が日々進歩していることを実感できた。特に、現在一般に使用されている最も高度な(よって最も高価な)CT装置である64列面撮影法CT(実勢価格で2億円くらいするはず)をずっと飛び越えて、その4台分の力を持つ256列のMDCTの画像が提示され、その威力をまざまざと見せつけられた。単純に4倍(=8億円)と言う風にはならないであろうが、まだ開発中であるにしてもとにかく高価な医療機器であることは間違いない。

私の医院に導入予定の、永久磁石を用いた「オープンMRI」だって静磁場の力は「超伝導MRI」に比べれば劣るものの、オープンならではの利点に加え発達したコンピュータ技術の恩恵で、10年前の超伝導MRIに負けるとも劣らない美しい画像が撮像できるし、ワークステーションンの発達で高速な3次元処理と画像再構成が可能となっている。このように、高額な医療機器の発達とそれを更に発展させようとする現場医師の情熱などによって、15年前では考えられない様な身体の隅々の美しい画像がほとんど痛みを伴わずに行えるようになっている。
これは、患者さんにとっては凄い事なのである。昔は、「試験開腹」とか「試験開頭」という術式が正式にあった(今でもあることはある)。外からポンポンしても聴診器あててもX線写真とっても「よくわからない」から「とりあえず開けて確かめてみましょう」という手術である。
今や、発達したCTやMRIのおかげで「何が何だかわからないけど異常がありそうだから開けてみましょうか」などということは、滅多にないはずである(人間、自然界のことだから、わからないということはまだまだたくさんあるけれど)。そして、その画像がどんどん高度に進歩して、美しく、高速で、正確になって行っているのである。それにもかかわらず、医療費の高騰を抑制するという国の施策のために、CTやMRIの検査料(=保険点数)は下げられ、更に細分化して安くされ、同じ月に2回以上検査すれば2回目は6割ぐらいの料金にしなくてはならず、その道で10年、20年研鑽を積んでいる「神経放射線医」や「脳外科医」が一生懸命に検査をして読影しても、その技術料は請求できず、わずかに一人の患者さんについて月に1回に限り「コンピュータ診断料」というものが請求できるという現状(複雑な検査だと一人に1時間くらいかけ、それを読影しレポートを書くのにまた1時間くらいかけたり、より多くの専門家が集まって合同検討会を開いたりしているのだが、「月に1回」しか請求できない)。
医療は基本的にはボランティア的活動であるべきだが、公立病院にも経営効率化や赤字解消を政府、自治体が強いている現状では、病院も個人医師も「稼ぐ」(=損をしない)ことを意識して診療をしなければならない。
2億円の器械を8年くらいで減価償却される間にどの位の検査を行ってどの位元が取れると思いますか?なかなか大変なものです。政府の方針ではさらに医療費を抑制するために高額な医療をもっと削って行く方針があるように聞き及びます。前から何度も書いているように、無駄は排除し過剰は抑制しなければなりませんが、必要な高度医療や先進医療を抑制するような事があっては行けないと思います。
以前、うちの医局に留学していたバングラデッシュ人の脳外科医に聞いた所では、人口1億人以上と日本とほぼ同規模の(関係ないけど国旗も似ている)バングラデッシュには、全国でCTが数台、MRIが2台しかないという。よって「頭の断層撮影」なんて受けられない脳の病気の患者さんがたくさんいる。それどころか、手術顕微鏡があっても使える脳外科医がいないので、開頭は40年前の日本のように肉眼で行っている訳である。いや、頭の病気で手術をした方がいいとわかっていても、設備の問題、経済的な問題で受けられずに諦めて悪化を待っているだけの患者さんがたくさんいるのである。数年前の話だから、CTなどはそれから少しは増えているかもしれないが、日本であれば大きな総合病院一つに所有している高度診断機器が国全体に揃っている程度とのこと。MRIなんか一台もない国だって世界中にはたくさんある。日本は、進歩した医療技術の恩恵を受けられる幸せな国なのだが、それが「当たり前」だと誰も思っている節がありますね。
今回の学会発表を聞いていると、医療の進歩と患者のために頑張っている医師達の努力を、政府や自治体は無視しているのか知らないのか、とにかく「削減」「抑制」という言葉を数字にしようと現場を無視したことをやっているように思うのです。世界一と言われる水準を保つ医療を実践していて、しかも高齢者の多い日本では、当然総額医療費が嵩む事は避けられないものだと思うのですが、一体これを「抑制」する方法があるのでしょうか?

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2007.09.30

オペラの練習、定期の練習ほか

今まで何度か書いているように、来年3月に酒田でオペラをやります。
Photoプッチーニの名作『ラ・ボエーム』です。オケはもちろん酒フィルで、毎年初春(2月か3月)にやっている酒田フィル・ファミリーコンサートとして開催します。トヨタが芸術活動を支援するTCC(トヨタコミュニティコンサート)の後援を受けて、二期会の素晴らしい歌手の方たちに、舞台装置、演出家付きでちゃんとしたオペラです。
そのための練習は、オペラをやる事が決まった今年の3、4月頃から始めています。つまり1年弱の準備期間がある訳です。
「いくらアマオケでも1年あれば大丈夫でしょ?」と思われるかもしれませんが、これが全然大丈夫じゃないんですね。
まず一つは、8月にあったJAO酒田大会を開催した事。御陰さまで盛り上がり成功しましたが、それにかける時間やいろいろな手間もあり、練習時間は減少しました。更に、毎年11月か12月初めにやっている定期演奏会(弱小アマオケなので定期演奏会は年1回だけ)の代わりに「JASRAC後援事業」ができるという話があったのですが、3月末にこれが立ち消えました。JASRACは、日本の音楽関係の著作権などを扱っている団体ですが、事業の一つとして音楽活動の公的支援のようなことをしています。弱小アマオケでは普段出来ないような公演を経済的にも応援しているのです。我々も、ハープやパーカッションなど普段余り揃えられない楽器をふんだんに使う、「春祭」やショスタコの交響曲などを候補に挙げ、ソリストに五島みどりさんや諏訪内晶子さんや上原彩子さんなどを挙げて計画を練っていました。しかし、この話が消えてしまい、12/3に確保した「希望ホール」が宙に浮きました(当然、前々日リハ、前日リハ、当日午前GPのために3日間ホールを確保していました)。
団内でいろいろ議論がありました。
10年に一度のオペラに全力を注ぐべきだ。オペラの練習をしながら定期の練習をするほど、うちの団に(人的、技術的に、時間的)余裕はない、今年はJAO酒田大会開催もあるし定期演奏会の練習をする余裕はない、などなどという「反対意見」が多く出ました。一方、いくらアマオケにオペラは大変と言っても、春から1年かけてオペラの練習だけするのは問題だ(端的にはつまらない、嫌だ)、来年3月までオペラの練習だけではつまらない(出番が少ない)、定期の練習を組み込むのは大変だがなんとか頑張れるはずだ、などなど「賛成意見」も出ました。結局投票になり、なんと1票差で「定期演奏会」を12/3に開催するということになったのでした。
やると決まった以上は、いくらアマオケでも「お客様」にお金を払って聴きに来て頂くのですから真面目にやらなければなりません。例年ならば、直前を除き練習は毎週土曜の夜が主なのですが、今年は土日2日間練習、しかも日曜は午前10時から午後4時までですから、ほとんど丸一日が潰れます。例年の2倍近い練習時間を割いています。しかし、これでも足らないくらいです。定期演奏会12/3まであと2ヶ月チョット。週末は8回。これを全部土日練習として16日。しかし、その間に来年3月のオペラの練習、特にオペラの本番指揮者である「ざえもん」さん(7/30の記事)参照の指揮者練習が2週(4日間)組み込まれていて、その指揮者練習に向けての練習もしなければなりません。結局、定期演奏会のための練習は、直前3日間を除くと今後4週末(8日)の練習時間しか割けないのです。あとの8日間は『ら・ボエーム』の練習(うち4日間は指揮者練習)です。

ということで、かなり大変です。頭の切り替えも必要です。チャイコフスキーをやっていた翌週にプッチーニをやるのですから、奏でる音色から考えて気を使います。そして、「ラ・ボエーム」の大変さ。これは想像以上のものでした。まず、「譜面通り弾く」ことがとっても大変です。
どんどん調性が変わります。フラット2つからまったくなしになったと思ったら次はフラット「6つ」(!)その後シャープ2つになったらすぎにフラット3つ、そしてまたシャープ2つ、続いてフラット1つになったと思ったらすぐフラット6つになってその後シャープ4つという具合に、フルートパートの第1幕の最初5、6ページを見るだけでこんなに調号が変わります。その上、拍子も3/8、6/8、2/4、3/4、4/4と目まぐるしく変わります。そして、同じ3/8拍子でもいわゆる「3拍子」の振り方である1、2、3と3回振る場合と、速度の速い部分では「一つ振り」といって、1拍子で振る部分があります。6/8を2つに振るのは普通ですが、突然2/4に変わっても2つ振り、続いて3/8で一つ振り、2/4に戻って一つ振り、速度が変わって2つ振り、3/4に変化して3つ振りかとおもったら、4/4で4つ振りを数小節やったら3/4の3つ振りに続くと言う感じです。言葉で書いても???でしょうが、譜面を見て頂いたらわかります。指揮者が何拍子で振るのかを譜面に書き込んでおかないと、「ここはどこ? 私は誰?」状態になってしまうのです。しかも、オケはあくまで「歌の伴奏」であって、主役ではないのです。歌手が歌うその節回しや、聞かせどころで思いのままに伸ばす歌声にも合わせなければなりません。結局、譜面を追っていては出来ない演奏です。自分のパートはもちろん、総譜的に全体を頭に叩き込んで記憶し、指揮者の棒に合わせながら音楽を作って行くしかありません。
昨日の夜は、久しぶりのオペラ練習でした。はっきり言って譜面を追うのに精一杯でした。2小節吹いたら、その後、2,4,3と数字が書いてあって要するに、9小節休みなんですが、その間に速度や拍子が変わり、続いて3小節吹いたらまた3、2、5、18と書いてあって28小節休みがあるのです。視野の一部に指揮者の姿、特に棒を入れながらじっと譜面をみつめて集中していなければ、ちょっとでも気を抜いて他の事を考えると「アウト!」なのです。あれ?今、どこ?と言うことになってしまいます。

こんな感じで練習しています。当然楽団練習のためには個人練習をしていなければならない訳で、12月の定期で出番となるベートーベンの「エグモント」の2番とチャイコの『悲愴』の1番を練習しながら、『ラ・ボエーム』の練習をするのは頭の切り替えが大変です。勉強のために、最初の写真のように大きなスコアとともにパート譜を見ながら、過日亡くなられたパバロッティがルドルフォ役をやったメトロポリタン歌劇場のDVDを観たり、マリア・カラスがミミ役をやったミラノスカラ座の演奏をCDで聴いたりと、準備に更に時間を使うのですね。
でも、これが楽しい。こういう時間を使える立場になるために大学病院を辞職したのですから。

Photo_2そして、こういう時間と頭を使うためには体力が必要。
グルメばかりしているとご批判(?)を浴びながら、美味しいものを求める旅は止まりません。
先週も行った、近所(車で2、3分かな)の有機野菜レストラン「シェディ・オーク」。また行ってきました。
Photo_3先週は、私はキノコたっぷりパスタにデザートとコーヒーでしたが、今回はランチのコースにしてみました。
ミニパスタ(といっても通常量の半分以上あるので、東京などの量の少ないイタ飯屋さんのパスタと比べれば「やや小盛り」と言う程度)にカレー、そしてデザートとコーヒーか紅茶。
実は、前回伺った時に隣のひとが食べていたカレーライスが美味しそうで、「次は是非あれ!」と心に決めていたのです。写真の様な具沢山のカレーライス。味は、カレー専門店のインドカレーなどとは違って、小麦粉をたっぷり使った欧風の「洋食屋」的なカレーです。なによりも、具には肉類が一切入っておらず全て野菜です。

なす、おくら、かぼちゃ、にんじん、じゃがいも、さといも、大葉(?)、しめじ、えのき、あと何はいってたかな〜?
オクラのネバネバ感や里芋のネットリ感がとてもいいです。ファンになる味というのでしょうか。
Photo_4今日のコースデザートは、「洋梨のソルベ」でした。上品な甘さで、洋梨の身がすりつぶされたジャリジャリ感も感触良く、良い香りでした。これに、ブランデーに洋梨をつけ込んだリキュールをかけるのです。
またサービスして頂いたのか、他の席のお客様のソルベが1スクープなのに、私のは写真のように2スクープ載っていました。御馳走様でした!
有機栽培の野菜と安全なキノコ、そしてお米、果物を使っているので、その日、その週に入ってくる材料によって出されるメニューも変わるのだそうです。遊佐町の特定の農家から直接仕入れていると聞きました。鳥海山の伏流水と太陽の恵みに、合成化学肥料を全く使用しない安全に拘った材料から作られる美味しい料理。身体というよりも心にパワーをもらった感じでした。

今日は、近くの小学校に県警音楽隊が来るらしくそれを覗きに行って、その後は山形市の文翔館で行われる「山形弦楽四重奏団」の第25回定期演奏会を聴きに行く予定です。往復3時間かけて聴きに行くだけの価値のある演奏会だと思っていますし、彼らが続けている演奏活動を応援したいというささやかな気持ちもあるのです。
来週は、脳外科学会総会です。「脳外科学会オケ」として2回の演奏と、学会のメインセッションでの同時通訳としてのボランティアの仕事もあります。第66回日本脳外科学会総会記念「市民公開講座」(10/6(土))は「市民公開講座プログラム」をご覧ください。
この演奏では、ある超有名な方との共演(楽団員の一人としてですが)が楽しみです。どなたなのかは、演奏が終わったら来週のブログに書きますのでお楽しみに!

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2007.06.19

☤投票:脳外科開業医に関する調査(その4)

久しぶりにまたアンケートです。
脳神経外科医として、地域医療に貢献すべく、「脳神経外科、神経内科、内科・循環器科、(心療内科)」を標榜して開業する計画です。
候補地が決まりそうで、上手く行けば年内に開業できる見込みとなってきました。
そこで、私の医院の名称をいくつか考えているのですが、それに関して一般市民の方のご意見を伺いたいと思います。どうぞ、 balaineのセカンド・ブログ「開業アンケート(4)」へ飛んで、投票をお願いします。
選択し5つの中にあう答えがない場合は、コメント記入をお願いいたします。

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2007.06.12

新規開業に向けての気持ち

4月一杯で永らくお世話になった大学病院を退職しました。
それから早くも1ヶ月以上経ちました。
大学を辞めたのは様々な理由があり、一言で説明はできません。
アマチュアオーケストラなどでの音楽活動に時間を割きたいということは、真面目で大きな理由です。
でもアマオケの仲間からは、「こんな(レベルの低い)アマオケのために助教授職を捨てるなんて、、、」とも言われました(心配してくれた訳ですが)。

今、ちょうど6月号のAsahi Medicalという雑誌の『医師の過労死裁判』という特集を読んでいました。
真面目な医師(特に勤務医)は、過剰な勤務に耐え、「ノブリース・オブリージュ」という言葉を胸に献身的に働き、病院やそれを管理する自治体、国などからは、給与や手当を減らされても耐えて働いてきました。研修医の都会集中、一部病院集中なども影響した医師不足による仕事量の増加に逆行する労働環境の悪化と給与の引き下げ。
こういった「仕打ち」のような事に加えて、マスコミや世間の医師批判、病院批判。
市民から尊敬され慕われ頼りにされるからこそ、苦しくても忙しくても夜中でも風呂に入っている時でも連絡を受ければ仕事に向かっていた勤務医は、だんだんやる気をなくして来ています。
まだまだ頑張っている人も多いですが、本当に「立ち去り型サボタージュ」は現場で起こっています。

私の場合は「立ち去り型サボタージュ」ではないと自分では考えていますが、第3者の目から見ればそのように見えるところもあるかもしれません。忙しく、責任が重く、上から厳しく指導され、下からも突き上げられ、世間の目も厳しくなって己を律する度合いが更に強くなり、自分の時間がなかなか持てず、その上安月給で、、、
これらから「逃げる」ために開業しようと言う訳ではありませんが、「どんなに歯を食いしばって働いても、労働環境が我が味方となるように変わって来る気配はなく、どんどん逆風に曝される一方」で、学問的にも行き詰まりを感じ始め、新しい研究への意欲が減退し、一時国内をリードしていた手術や技術にも「この先、これだけでは面白くない」という閉塞感を感じていた事は事実です。

仕事が楽しければどんなに忙しくてもある程度は我慢が可能です。
週7日のうち7日間、つまり毎日病院に来て、およそ週70〜80時間働き、残業(と言う設定は国立大学附属病院にはありませんが)というか時間外労働(これもピンと来ない)だけで週に30~40時間、月にすると150時間くらいの時間外労働をしていても、その手当はほとんどなく、私が大学からもらっていた給与は月30〜45万円程(前年の年収に応じて所得税なども変わり、当直の有無によって追加の手当も変動するため、結構幅がある)でした。
それでも、研究や新しい検査、技術、手術の開発、そして学会発表など仕事に燃えました。楽しく頑張りました。しかし、ある程度自分に限界が見え始め、この状態を続ける事の虚しさを、世間の目の厳しさと私個人への批判、非難から強く意識するようになり、趣味であり生き甲斐でもある音楽へ時間を割く事の困難な状況を打開するためには、大学を離れるしかない、個人の責任のもとに開業して、個人の責任で趣味に時間を割くしかないと真面目に考えたのです。

「開業医は儲かる」という安直な考えはまったく持っていません。全然逆です。
今は、そういう時代ではないのです。
確かに一時代昔は、開業して患者さんがばんばん来て繁盛しお薬をたくさん処方すれば、「だから開業医はね、、、」という事もあったそうですが、今は「医薬分業」ですし「診療報酬改定(減額に継ぐ減額)」によって、開業医のメリットは減少しました。それでも、勤務医よりは開業医の平均収入はずっとずっと多いのですが、開業医は個人経営者、個人事業主ですから、自分が倒れたら「おしまい」です。開業するのに、誰もお人好しに助けてはくれませんから、ビジネスとして初期投資のための多額の借金をし、それを20年とか25年とかかけて返済して行かなくてはなりません。その間、医院を回転し維持し更に増改築したり新しい医療設備を整えるのにも、全て自己責任で借金をして導入する訳です。
ですから手にする収入のほとんどは、初期投資、維持、将来の整備のために消えて行き、手元に残るのはわずかばかりと言う人もいます。特に、専門性を活かすために、CTやMRIを導入しようとすれば、安い器械で2000万円、高いものでは2億円もする医療器機です。

Uクリニックの院長に、「一緒にやろう」と誘われたのは、そういった初期投資のリスク、準備にかける時間、そして必死に働いて借金を返済するために失われる自由な時間(=音楽への時間)を回避する事が大きな目的だったのです。ところがそのUクリニック自体がうまく立ち行かなくなりつつあり、私の立場も微妙になりました。
それならば、もともと考えていた通り、個人で事業主となって開業しよう、多額な借金が必要であるけれど自分の夢や計画もきちんとプランを建てて考えれば大丈夫そうなので何とかやってみよう、という状況に変わった訳です。
まあ、自己弁護につぐ自己弁護みたいですが、大学病院を辞め勤務医生活に終止符を打ち、個人開業を目指すという経緯は、今回解説した意外にもたくさんに要因がありますが、このような事によるものなのです。

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2007.05.30

☤脳外科開業医へ望む事(調査その3)

調査その3は、これまでの1、2にも関係しますが、どのような診療体制を望むかをお聞きします。
しかし、これは地域によっても大きくニーズの変わるところです。
東京都心のど真ん中の方であれば、当然「専門家」としての能力に集中する事を求められるでしょうが、人口10万強の地方都市で、高齢者の割合の高い、いわゆる田舎です。
車で1時間くらいの距離(背景人口としては約25万人)の中に、脳神経外科医で開業しているのはわずか1名(それも昨年開業したばかり)。脳神経外科常勤医の居る病院も3つしかありません。
30分の距離(背景人口約12万人)となると、脳外科の診療所は「0」という場所です。

是非、 クリックしてアンケートにご協力ください。

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2007.05.28

☤投票:脳外科開業医に関する調査

すでに5/25の記事を見て、Yahoo!ブログに飛び、投票してくださった方、ありがとうございます。アンケート調査の項目自体が、誘導的というか変な項目ですが、該当しないご意見の場合は、是非コメントをお寄せください。

皆さん様々な背景をお持ちな訳で、個人のお考えは個人の数だけあると思います。そういう意味では投票結果を分析する事は難しいかもしれません。例えば少数意見に私の場合に適応できる貴重な意見もあり得るでしょう。
それにしても、投票結果を解析するには20からできれば30名以上の投票を頂きたいと考えています。
投票の締め切りは、だらだらしても問題なので、一応7月末あたりに設定しております。
是非、皆さんのご意見、ご希望を聞かせてください。
よろしくお願いします。
開業アンケート(1)へ。
開業アンケート(2)へ。


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2007.05.25

☤脳外科開業医へ望む事(調査その2)

引き続き、脳神経外科専門医の一般開業医に対する要望、希望などに関するアンケートです。
下記↓をクリックして投票をお願いいたします。
開業アンケート(2):脳外科開業医の役割は?(その1)へ。

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☤脳外科開業医へ望む事(調査その1)

さて、今日から(たぶん)数回にわたって、脳神経外科医が一人で開業する事に対する忌憚のないご意見や要望、希望などをお伺いしたいと思います。
このCocologではアンケート調査ができないので、以前から作って放置してあったYahoo!の方の「セカンドブログ」の「投票機能」を使ってご意見を頂戴したいと思っています。
第1弾は、『脳外科専門医の一般開業に望む事』です。
恐れ入りますが、↑ここをクリックしてYahoo!ブログに飛んで、質問事項にお答えいただければと思います。
投票項目に望む回答がない場合は、自由にコメントをお寄せください。
コメントは、Yahoo!ブログの方でも、こちらの方でも構いません。
よろしくお願いいたします。

(これと平行して、『中央ヨーロッパの旅:帰国後のまとめ』も始めようと思っています)

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2006.06.07

脳死判定のこと、その他

久しぶりにブログを書いてみたら、書き終わった時点で誤って消してしまった。
どうも勘が鈍っている。書き直すのは面倒だが、乗りかけた船、と言う感じ。
最近、不幸な、悲しい事件ばかり目につく。日本はどうしたというのだろう。
ーー
数日前のニュースソースから。
『厚生労働省研究班の小児脳死判定基準で脳死と診断された5カ月の男児が、診断6日後に自発呼吸が一時的に戻り、その後4年3カ月間生存していたことがわかった。』
『回復力の強い乳児では、正確な脳死判定が難しく、「現在の基準では不十分」との声も出ていた。この基準見直しの動きや、子どもの脳死移植を実現しようと国会に提案された臓器移植法改正案にも影響を与えそうだ。』

このニュースが、移植改正案に影響を与えそうというのはその通りであろう。
なにゆえ、「改正」が望まれていたのかと言うと、臓器移植しか助かる道のない疾患を持つ患者およびその家族と移植外科医側の「望み」であり、国民のコンセンサスではない。
しかし、「コンセンサス」などと横文字でカッコの良いことを言っても、国民の多くはこの問題に無関心かほとんど感心を示さないと思われる。あくまで対岸の火事、自分の身に降りかかった火の粉ではないからだ。
改正が望まれるもっともな理由もある。
日本は医療技術としては世界トップレベルにある。しかし、移植医療は法的規制に阻まれ進んでいない。結果、移植を受けられない患者、特に臓器移植を前提とした法的脳死判定が認められていない小児の患者は、臓器移植を求めて米国や豪州などの海外に渡る。
その海外では、「(金持ちの)日本人が臓器を買いに来た」とか「移植待機リストの上位にいたのに、日本人の患者が来て『医学的に優先度が高い』ということで、自分の子供が後回しにされた。」などと評判が良くない。
日本で、小児の「臓器移植を前提とした脳死判定」が法的に認められ行われるようになれば、このような問題も解決するはずである。
しかし、それでいいのだろうか。地球規模で見れば、本来なら健康で長生き出来るのに、飢饉や戦争などのために餓死する子供が数百万人もいるではないか。医学的に、地球規模でものを考えたとき、開発途上国に生まれた子供なのだから死んでもしかたがない、などということは言えないはずである。

今回の判定、98年当時のことだそうだから、正しくは「臨床的な脳死の判断」をするための検査として小児の脳死判定の仮基準に則って行ったものであろう。あくまで「仮」であり、「臓器移植を前提とした法的脳死判定」とは厳然と違うものであることを、まず認識しなければならない。
「臨床的脳死の判断」をする際には、「法的脳死判定」の必須検査項目の中の『自発呼吸の消失』を確認する必要がない。これを真面目に「確認」するためには、既に人工呼吸器で十分に酸素化された血液が体内を回っているため、(血液中の酸素や炭酸ガスの濃度を調べながら)下手をすると数分以上、人工呼吸器を外していなければならない。治療中の患者さんに検査のため、判定のため、人工呼吸器をはずすという危険なことをしなければならないのである。「臨床的脳死の判断」では、これは必要がない(危険だからしない事になっている)。

だから、今回報道されているケースも、「臓器移植を前提として法的脳死判定基準」に従った訳ではなく、患者の現在の状態や治療による今後の見込みなどを判断する材料として、「臨床的脳死」を判断しようとしたはずなので、人工呼吸器をはずすことはしていないはずである(あくまで推測)。
『しかし、脳死患者では調節能力が失われる血圧や尿量、体温などが安定した状態が続き、30日目ごろからは、一時的に弱い自発呼吸が戻ることもあった。』

だから、この「脳死判定」と言う言葉は誤りである可能性がある。「脳死と判定」したのではなく、「臨床的に脳死状態であることを判断する条件が揃っていた」と表現すべきではないのだろうか。

『担当医師は、「乳児では、現在の基準で脳死とされても脳幹の一部機能が維持され、脳死と言いきれない例があるのではないか。脳の血流検査など、新たな判定項目の追加検討が必要」と指摘している。』
「自発呼吸の消失」の確認を行った上でこのように言っているのだろうか?疑問が残る。
更に、判定をより正確に慎重にするために、検査項目を追加したり補助検査を加えるのは悪いことではないと思うが、脳血流検査と簡単に言うけれど、時間、金、手間のかかる検査なのである。脳死判定をする医師(多くは脳外科医、加えて神経内科医や救急医など)に更に負担を強いるようなことを進めていけば、脳死判定による臓器提供の道は更に狭くなると予想される。
臓器移植、という医療行為が、本来正しい道だとは思えない。ある臓器が完全にダメになって、薬や手術では治らないのであれば、人工臓器で機能を賄うというのが正しい医療技術発展の方向ではないのだろうか。
ーー

中国で最近起きた恐ろしい事件。
交通事故の父親が死んだのは病院側の怠慢であると、病院側と患者家族側がもめて刃物も絡むような喧嘩になり、長男が病院側の関係者に殴り殺される、という事件があったらしい。
日本ではこんなことは起こらないで欲しい。

ーー
何か、暗いニュースを吹き飛ばすような好材料はないものだろうか、と思ったら、一つありました。
6/11(日)、銀座の山○楽器で「フィンダフェア」というのが催される。
1/22の本ブログにも書いたように、ハンガリー演奏旅行に併せて立ち寄ったプラハで大変お世話になった、プラハ交響楽団ピッコロ奏者でありピッコロ製作者でもある、スタニスラフ・フィンダ氏(愛称、スタンダ)が、銀座の楽器屋さんで、自らのピッコロの宣伝、販売、調整をするイベントがある。
前日、地元で大事な研究会もあるので、どうしようか悩んでいたのだが、素敵な奥様志保子さんも見えるということで、遠路日帰りのとんぼ返りだがピッコロ2本(グラナディラとパリサンダー)を抱えて銀座に行くことにした。
とても楽しみである。

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2006.05.27

大学病院の役割

昨日の夜遅くまでかかった、大手術。
手術場入室から病棟帰室まで16時間。御家族はどんな思いで待っていらしただろう。
顕微鏡下に腫瘍を摘出していた時間は9時間弱。
凄い手術です。
「脳外科の手術って長くて大変だな〜」
と思われますか?
そうですね。確かに総手術時間で13時間は長いです。でも、うちの教授が腫瘍摘出部分を執刀していなかったら(たとえば私が執刀していたら)、もっと、そうだな、顕微鏡下手技の部分だけで12時間位かかったかもしれません。

最大径7cmの巨大脳腫瘍。
そして、手術翌日(というより、帰室してまだ9時間くらいの時点)で、意識はほぼ清明で少し眠たそうにしているだけ。症状も手術前からあった、軽い左半身麻痺と左側の半盲のみ。
この症状も改善するでしょう。大成功です!
巨大な腫瘍でも、右側頭頭頂部にできたから症状も軽く、手術による障害も全くなくすんだのですが、それにしてもこんな大きい腫瘍は2年に一回くらいしかみません。
一般市中病院ではほとんどお目にかかることもありません。あっても、すぐに大学病院に送ります。

大きい腫瘍ということは、それだけで手術が難しいのです。
なぜなら周りの脳を守りつつ腫瘍だけ取り出さなくてはならない訳ですが、大きければ周りの脳が傷つく危険性が高いからです。しかも摘出に時間がかかります。出血量の増えます。出血すれば顕微鏡下の画面は血液で赤くなって、腫瘍と正常(少しは浮腫んでいるから完全に正常ではない)の脳の境界が不明瞭になります。不明瞭になれば、剥離操作で間違いが起こりやすくなります(つまり、正しい境界ではなく脳の方に切り込んでいってしまったり、腫瘍の方に切り込んで腫瘍を取り残したり)。
毎日外来に出て、小物から大物まで救急患者も多い一般市中病院で、外来の終わった午後からこんな手術を始めると、大学の教授に匹敵するくらい腕に自信があったとしても、手術の終了が深夜になり、帰室が明け方近くになり、ICUで患者を管理したらそのまま睡眠0で次の日の通常診療に突入ということになってしまいます。
特に地方の市中病院には、2人から多くて5人くらいの脳外科医が常勤しているだけですので、全員が疲れ果てて日常診療に影響します。

大学は、まず人がいる。そして長時間の困難な手術でも、途中で人が交替しながら全員が疲弊しないようにオペをすすめることができる。そしてなによりも、困難な手術の経験が豊富で腕に絶大な信頼がおかれている教授を始め上級医がいる。
だから、(3月までの私のように)大学病院勤務でない脳外科医は、大学の教授に絶大な信頼をおきながら地方一般市中病院で診療をし、上記のように困難な症例や手術に加え放射線や化学療法を加える治療の必要そうな人、滅多に見ない稀な疾患、診断に苦慮する患者、などなどは大学病院へ紹介するのです。
なぜなら、その方が患者さんのためになるからです。
車で数時間の距離でも、自宅から離れて慣れない土地の病院に入院し治療を受けるのをいやがる方もいます。その気持ちは当然です。でも、その方があなたのためだ、と説得するとたいていの人は理解してくれます。
一般市中病院で自分が十分質の高い治療が行えると判断した症例の場合は、多少難しい腫瘍などでも大学病院の紹介せずにそこで治療することもありますが、特に最近のように、医療過誤であるとか、説明義務であるとかが大きく取りざたされる時代になると、医師も必ずしも保身のためではなく、危険を冒して困難な症例に挑戦するよりは、紹介する余裕があるのなら、より高度の医療が展開出来る大学病院に、大学の教授に治療をお願いすることが多くなっていると思います。
脳外科治療集団としての「医局」は、よく悪の根源みたいな書き方をされることがありますが、教授がquality controlのできる見識と実力を持っている人であるなら、その地域の医療の質を高く保つためにはとても良い精度なのです。
一般市中病院で、己の力を過信したか、難しい症例に挑んでいい結果を出せない場合は、教授から叱責され反省を促され、その後はそういう難しい症例はちゃんと大学に紹介するように指導することもできます。複数いる医師の臨床医としての実力のバランスや相性などのことまで考えて、医師の派遣が行われているのです。

いや、今日書きたいのはそういうことではなくて、大学病院にはどうしたって難しい症例が集まるということ。
小児科や精神科や神経内科などが診察して、十分な治療が行えず、または診断も出来ず、大学病院に送られてきて、「なんで、もっと早く診断出来なかったんだ?!」という事もあります。
そういう、難しい症例を送りつけた医師、きちんと診断出来なかった医師、困難な症例は手を出さず大学に送っている医師と、10数時間という長時間の大手術を交替しながらまた脇でサポートしながら日々の臨床を行っている大学病院の脳外科医では、当然役割も違えば負うリスクも違う訳です。
High risk, high returnの考えならば、市中病院の一般内科医よりも市中病院の脳外科医、そしてそれよりも大学病院の脳外科医、大学の脳外科医の中でも下級医より上級医、上級医より教授という順番で、責任もリスクも重く高くなるはずです。それなら、その順に報酬に差があってしかるべきだと思います。

しかしながら実態は、時間外手当のつかない大学病院医師の給与が最も安く、当直をしていない教授の手取りが下級医より低かったりします。そして、難しい症例は大学に送り、診療可能なレベルの症例を治療している一般市中病院の医師の方が、大学病院の医師よりも高い報酬を貰う、というまったくリスクと逆転しているのです。

大学病院は、研究機関であり教育機関であるだけでなく、普通の病院よりもより高度で先進的な診療を期待されているところであり、より困難な、より高いレベルの結果を期待される患者さんが集められて来るところです。
普通の病院では滅多にお目にかかれない、珍しい疾患や診断・治療困難な疾患を扱うことが出来、勉強することが出来ることも大学病院の役割だと思います。
(とはいえ、医師になって24年目の私でさえ毎日22時、23時に帰るのが当たり前、若い先生の場合、毎日のように午前様か泊まりがけ、という生活はちょっと嫌になりますけどね)

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2006.05.24

情けない話

世の中、いろいろ情けなくなるような、悲しいというより呆れる話が続いている。
どこぞの郵便局で、「料金別納郵便」の別納を徴収していなかった、または徴収ミスがあったとかで約27億円の徴収漏れがあったそうだ。それで調べてみたら、全国ぞろぞろと30を超える郵便局で「別納」を徴収していなかったらしい。
郵便物を出すときいちいちではなく、まとめて納めるのに有利な「別納」はダイレクトメールなどに多用されている。つまり、企業などが中心になって当然払うべき郵便料を「未納」または「不足」のまま知らぬ顔をしており、郵便局側は徴収すべきものをきちんとしていない(未納の会社を相手取り裁判を起こしている事例もあるらしいが)。情けない。

そういえば、学校給食は「給食費」と言うものを親が納めて成り立っているはず。これを「未納」のまま、のほほんとしている親がいるらしい。貧困に喘いで、払いたくても給食費が払えないのではなく、パチンコなどの遊興をする暇や金があるのに払わないらしい。「払わないまま放っておいても平気だろう」という考えの親までいるらしい。「催促」や「督促」も無視を決め込んでいるらしい。
以前、ある病院の経営会議に出席したおり、「医療費未納、未徴収」が一病院で何千万という額になっている話も聞いて呆れた。多くは、貧困のために払えないのではなく、もともと払う気がないのである。また、何らかの理由で「払いたくない」と納付を拒否しているらしい。病院側が催促しようにも、引っ越してしまったり音信不通になってしまって未納のままどうしようもないケースもあるらしい。情けない。

どこの世界にもどうしようもない人達はいるんだろうが、真面目にやっている人が「なんだよ、これは!バカバカしくてやってられないね!」となるような事態はなるべく避けて欲しいものだ。
上記郵便局の例もそう。我々一般人は真面目に郵便料金払っているでしょ?
なんで、金儲けの手段でDMを使っている会社の郵便物の料金が未徴収なわけよ!!!

その上、あの社会保険庁の事件まである。未納率をみかけ上さげるための年金保険料の免除や納付猶予の勝手な手続き。これは「犯罪」だと思う。会社組織に置き換えれば「粉飾決済」に等しい。なぜ「ホ○エ○ン」同様に拘置所に送らないのだ!?情けない。

更にこれだ。
http://www.asahi.com/health/news/TKY200605230399.html
『初期臨床研修を終えた若手医師の3人に1人が、研修の前後で志望する診療科を変えていることが23日、厚生労働省の初めての全国調査(中間集計)で分かった。実際に体験してみて「大変そう」「自由時間が少ない」などの理由を挙げ、労働条件の厳しい診療科を敬遠する傾向も出ている。研修後、大学で勤務するという人はほぼ半数しかおらず、大学離れが裏付けられた格好だ。』

記事の内容は大部分事実だろうが、報道の仕方に偏りがある。
労働条件は私が初期研修をした頃に比べると、ずっといい。給与なんか、私がもらっていたものの3倍はもらっている。それでも勤務条件を診療科変更の第一の理由にするのだろうか。
私なりに考える大きな理由は、やはり「悪平等の不公平」と「適正な差別化のない不満」があると思う。

脳外科は楽そうだから暇そうだから自分の専門分野に選ぼう、などという学生や若い医師はいない。
厳しそうだし忙しそうだけど、それにも増してやりがいがあるとか、人間の脳のことが知りたいとか、脳卒中に苦しむ人を救いたいとか、そういう高邁な精神とかプライドというものがあるはずである。
ところが、他の脳外科より楽そうな科をちょっと見て知ってしまうと、人間そうそう楽な方から苦しい方には行けない怠惰な生き物なのだ。
「同じ給料もらってるんだったら、早く一人前になれそうで楽そうな眼科の方がいいな」
「皮○科の2〜3倍くらい働いて、厳しい先輩に怒られて、自由な時間がほとんどなくて、それで給料に差がないんだったら、こんな科嫌だな」
「人の生き死にや、人間としての生活の質にかかわる病気の治療を一生懸命やっているのに、そんなに生き死にの問題ではない診療科の医師と同等の世間的評価ならまだしも、場合によっては患者や家族にののしられたりして、こんなきつい科を続けるのは嫌だな」
初期研修の間にそういう印象を、若い医師が持ってしまったとしてもおかしくない。

何が悪いのか。ひとえに制度が悪い。
臨床研修の技能上も、修行の過程も、そして臨床の実践面でも厳しい科、たとえば脳神経外科のような専門科を専攻した場合、最初は給与も低く苦しくても(トレーニング期間なのだから)、頑張ってあるレベルに達したり十分な臨床能力を会得したら、他の科に比べて報酬が3倍にもなるとか、そういう「適正な差別化」もなく、「悪平等の不公平」をやっているから、「嫌になってくる」のであろう。
脳外科医を志して25年になろうとしている私だって、嫌になってきているのだから。
なんでも米国がいい訳じゃないが、米国の脳外科医の収入は、診療科別にみると2番目に高いらしい。ハーバードやUCLAなどの有名大学をトップクラスで卒業した優秀な若手医師が、「将来がある」からこそ、最初の数年は年収が数百万で、平均睡眠時間が一日4時間で、日に一食しか食べられない程忙しくても、歯を食いしばって頑張っていた。10年後には年収が数千万に、成功すれば億単位になるからである。

先日の「脳外科医志望が減っている」という記事にあった厚生労働省の担当者の弁。
「最近の研修医は専門医志向が強く、多くが臨床経験を望んでいる。本来なら専門技術が学べる大学病院に研修医が集まっていいはずだ。一部に魅力ある研修プログラムを用意するなど工夫している大学病院もあるが、多くは研修医のニーズに応え切れていない。臨床研修制度が医師不足の原因になっているとはいえない」
彼ら(官僚)は、制度ではなく現場が悪い、と言っている。
制度は変えるなら、抜本的に総合的に変えなければいけない。
しかし、現時点で厚生労働省が手を付けたのは「初期研修」の制度だけであり、その研修医を指導する上級医、指導医の立場や制度は変えていないし、医学教育カリキュラムもまだまだ改変中途のところである。
「魅力ある研修プログラムを用意」するための財源の確保は各病院に丸投げで、方法論は現場任せなのに、現場を批判しているのはおかしくないだろうか。情けない。

先日、ある病院の精神科で「うつ病」として約一年間外来治療を続けて来た患者さんが、最近頭痛が強くなって来たということで、CTを撮られ、その結果「脳腫瘍」ということで我々のところに紹介され入院した。
あまりにも大きなその腫瘍をみて、我々は呆れるばかりである。
なんで精神科で一年間の治療中、一回もCTやMRIを撮っていないのか。「心」の病気はどこに原因があるのか?脳ではないのか?
「うつ」という言葉で誤摩化されている、集中力の低下や持続力の低下や計算能力の低下は、すべて脳の中に出来た腫瘍が原因であったと考えられる。なのに漫然と(?)向精神薬を投与し続け、改善があったりなかったりの状態で、つまり正しい診断も正しい治療もしていないのに「診療報酬」を請求し給与をもらっていたのである。
そして、やっと強い頭痛の訴えがあって腫瘍が見つかり紹介して来たが、患者さんは明らかに正常ではなくボンヤリした軽い意識障害があるのである。これを脳の症状と見つけることも出来ずに治療をしている医師が、これから巨大な腫瘍に立ち向かい、術後に出るであろう患者さんの障害に向き合い、手術後も長期にわたってこの患者と付き合っていかなければならない我々と同等の評価を受け、同等の、場合によってはより高額の給与をもらっているのである。
患者は頭痛の訴えもなく仕事をしていたから頭の検査を一回もしていないことを「間違いだ!」とは決めつけられない。「うつ病」と診断し投薬により症状が改善した部分もあるから、完全な誤診でもない。でも「正しい診療」をしたとは言えないだろう。
我々は、この患者さんを良くするために、既に過ぎてしまったことには目をつぶって(本当はつぶりたくないが)「これから」の事を考えることに精一杯である。

「医療過誤」とか「医療ミス」とまで言われないような、でも問題のある症例は世の中にたくさんある。市民は我々医師に100%を求めているだろうし、我々も100%を目指しているが、人間である以上100%完全であることは無理である。医師国家試験だって60%取れば「合格」なのであるから。
なが〜〜い間「登校拒否児」として扱われて来た子供が脳腫瘍だったケース。
運動の得意だった子が、だんだん引っ込み思案になって来たのを「自閉症」としてカウンセリングして来て、ついに意識障害まできたして初めて脳外科に紹介されて来た脳腫瘍の子供。まだまだある。

脳というのは、病気になったら必ず手足の麻痺とか記憶の障害を呈する「一臓器」ではないのだ。
目が見える見えない、耳が聴こえる聞こえない、まっすぐ歩ける歩けない、などの症状はもちろん、精神や心を司っている臓器なのだから、「活気がない」「やる気がない」「ぼんやりしている」「ふさぎこみがち」などと言った「こころの病」と思われる症状だって、脳の異常で発生するのである。そういうことを見て来て知っている医師と、知らないから診断出来ない医師の間に「差」がないというのは、本当はとても悔しく残念なことであるけれど、患者の治療に専念するために、我々は叫びたい声を押し殺し、「情けないね〜」と言って今日も働くのである。

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2006.05.10

学会のこと

今週木曜から(総会は金曜から)東京で日本脳神経外科コングレス総会(通称コングレス)が行われる。
すでに5年前の事になってしまって驚きの感があるが、我々もこの田舎地方都市で上記の大きな学会を開催した経験がある。いろんな意味で大変であったし、勉強になったし、楽しかった。

「コングレス」は、日本の脳神経外科の関連学会の中では「日本脳神経外科学会総会」についで大きな全国学会で、開催地、開催期、プログラム内容、さらに役員選挙のあるなしなどによっても参会者数の変動はあるが、およそ2000〜2500人が参加する会である。ということは、メインの学会会場の収容人数が最大で2000人近く必要となる(最低でも1500人以上)。こうなると、なかなか地方都市では開催が困難となる。また、わずか3日間の学会に2500人程が参集するとなると、学会場周辺に2000人は宿泊可能なホテルや宿が存在しなければならない。一つの街に、2000人(そのほとんどが一部屋シングルユースのホテル)が泊まれる宿のある都市というのは、実はそれほど多くはない。我々の時には、比較的近隣の2市を含めて、温泉街の旅館やビジネスホテルなども全部含めて約1500部屋を確保した覚えがある。それでも宿がとれず仙台に泊まってバスや電車で会場まで来なければならなかった人もいたらしい。
今週の学会は、東京プ○ンスホ○ルのパー○タ○ーが主会場である。
学会は専門家が研究業績を発表し勉強するために集まる会であるから、アメニティや余興などは本来どうでも良いことではあるけれど、ある意味で「イベント」「お祭り」的な要素もあるから、会長や主催事務局(たいていは、会長の所属する大学の医局)の趣味によって、企画運営される側面を持つ。「田舎」はある意味田舎であることが「呼び物」であり、そこの名産、食材、酒といったものも人を集める魅力の一つとはなりうる。我々が学会を開催した時にも、「折角地方(田舎)に来てもらうのだから」と言う考えで、交通や宿など至らない点もあったかも知れないが、趣向を凝らしいろいろなことを企画運営した。
「都会」は、逆に、物珍しさや変わった食材はないけれど、交通の便など都会であること自体が呼び物かも知れない。しかし、東京などの大都会では、会場使用料も宿泊するホテル代も食事代も、地方都市に比べるとかなり高めになってします。学会を運営するには、そもそもかなりの費用がかかる。都市部では更に割高だ。これを会員の参会費(学会場の受付で、名札を貰う代わりに払う参加料)だけで賄うのは、かなり質素にやっても無理がある。
たとえば、会場使用料。
会場そのものに加え、椅子や机の使用料、冷暖房使用料、看板、垂れ幕といったもの、スライドを映写する装置(最近ではほとんどノートパソコンをプロジェクターにつなぐ)、それらの管理操作といった、最低限の学術会議の準備だけでも結構お金はかかる。公的な会館では使用料が安いけれど、机や椅子の設営、準備から片付けまで自らやらなければならない仕事が非常に多くなる。一方、ホテルを使うと、会場使用料は高いが準備や片付けまで会場使用に含まれるようである。会場となるホテルは当然そのために宿泊する人も多くなるしホテルにとってはそんなに悪い話ではないようである。

医学部を卒業した上で、労働基準法など無視の過酷とも言える仕事をしながら非常に特殊な勉強と訓練を実践し一生勉強しなければ一人前になって行けない脳神経外科医が、その最先端を学び確認し更に飛躍する場として、コングレスのような大きな学会の存在意義がある。
"Ancora Imparo"
「私は今でも勉強している」という意味。仕事中のミケランジェロを尋ねた人が、「あなたは今何をしているのですか?」と尋ねたのに対して、こう答えたらしい。コングレスのロゴマークの中に入っている言葉である。
全国から多忙の中を縫って集合し勉強するために、会場は最高で10箇所程にもわかれることするある。
「日本の脳外科医って真面目だよね〜」と我田引水したくなる程、朝から晩まで全ての会場に脳外科医がごっちゃり集まって勉強しているのが実際のこと。
田舎で学会をやったからと言って会場にも行かずゴルフをする人や、都会でやったからといって学会そっちのけで観劇したりなどという人は、(昔は少しはいたかもしれないが)少なくとも私の周りの脳外科医には一人もいない。皆、真面目である。

自分で旅費を出し、自分で宿代を出し、自分で参会費を払い(大きな学会だとこれが18000円とか20000円もする)、勉強しに行くのである(もちろん、以前にも書いたように、勤務する病院によっては、年間20万円位の上限を設けて「出張費」と言う名目で、これらの学会参加費用が援助されるところもある)。
たとえば、20000円の参会費を払う人が2000人集まったところで、4000万円である。準備から片付けまでいれれば4日はかかる(実際は一年以上前から準備を始めるのだが)コングレスのような大きな学会で、一日あたり1000万円ですべてをできることは非常に少ない。かといって、更に参会料を徴収することは躊躇される。真面目に勉強しに来ている人に「もっと出せ!」とは心情的には言いにくい(今後はそうなって行くのかも知れないが)。
いろいろな企業や団体からの、開催運営に資する寄付やプログラム集に載せる宣伝広告や学会場において治療診断にかかわる機器の展示説明ブースを設けることで不足を賄うことになる。学会は、誰かがやってくれるのではなく、会長に選ばれた医局の関係者が自分たちのために自ら企画運営に携わらなければならず(他人を使えばそれだけお金もかかる上、緻密な対応が出来にくい)、学会をやって利益をえることは全くなく、会員のためにそれこそ「身を粉にして」働かなくてはならない。医者として、臨床の仕事をこなし、教官として教育や研究に携わり、大学人として様々な仕事をしながら、更に、学会準備などという仕事をやって行かなければならないのは、正直言ってかなりの負担である。誰かがやってくれるのならやってもらいたいと切に思う。
実際は我慢して自分たちと仲間(全国の脳外科医)のため奔走し、学会を成功させるために運営資金を(参会料が主体になるとしても)集め準備をしなければならない。

殊に最近、医療職、特に医師が一般市民のまるで「敵」でもあるかのような扱われ方をすることがある。
我々も勢い敏感にならざるを得ない。
私腹を肥やすためにお金を集めようというのではなく、学会をきちんと企画運営するためにやっている。理由は、上記に書いたように、たくさんの会場を「きちんと」準備運営するにはお金がかかるのだからである。学会というのは、登録している会員が集まり勉強する場ではあるが、それはすなわち、その専門の疾患に悩む一般市民のため、全世界の医学の発展のために行っていることである。不正でも働くならいざしらず、「普通に」勉強するための学会を準備するために、(ただで出来る訳がないのだから)必要な経費を準備することにすら、後ろ指を指されそうなおかしな世の中になっている。
しかし、「李下に冠を整さず」なのである。

昔は、県や市といった地方自治体にも学会運営にかかわる「助成金」を依頼していた。今でもしているところがあるかもしれない。しかし、今では「市民オンブズマン」が、自分たちの税金がどのように使われているか目を光らせていて、脳外科学会のようなある特殊な閉鎖的(?)な特定団体のために使われたりすると「我々の血税を変なことに使うな!」と糾弾しかねないのだそうである。
ミクロ的に見れば、確かに税金をある学会運営のために投入するなどというのは、問題視する人が現れてもおかしくないかも知れない。しかし、巨視的にみれば、医学会、医療、世界の福祉の進歩・発展のために専門家が集まる会合に、一般市民の税金が投入されてもおかしくないのではないだろうか。
さらに、地方都市で開催するような場合、全国から集まった医師が、交通費、宿泊費、食費、飲み代、そしてお土産といったことにお金を使うため、学会開催地周辺に「観光物産」的な経済効果をもたらすはずである。たとえば、忙しい医師は、時間を惜しむため、駅から会場までバスでちんたら行ったりする人は少なく、タクシーを使う人が多い。少し離れた飛行場までタクシーを使う人も通常より増えるはずだ。タクシー会社は忙しくなり潤うはずである。小さなホテルまで人がたくさん宿泊し、たくさんのお金を地元に落として行ってくれる。
そういった経済効果をももたらす学会を、我々医師が自らの時間を削って準備するのに(前に全国学会を準備した時など、直前の3ヶ月は帰宅時間がほぼ毎日午前様だった)、準備資金を集めることにだけ目を光らせる人がいるのである。
あ〜あ、である。本当に大変な準備をしているのに全く嫌になる。

さて、明日から「コングレス」。久しぶりの大都会を満喫する時間はあるのだろうか。
そうそう、余興的な催しである「会員懇親会」において、先日紹介した日本脳神経外科学会オーケストラMusica Neurochirurgianaによる祝典演奏というのも、ちゃんとプログラムに載っている。ピッコロ、練習しておかなきゃ。(この祝典演奏のため、先日の東京での集合練習に加え、学会会期中にもリハが予定されていて、それらにかかる交通費なども自腹を切ってやっているのである。)


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2006.05.03

連休中の仕事

世の中、ゴールデンウィーク。
5/3,4,5,6,7とカレンダー通りに5日連続で休める人も多いのだろう。
中には、5/1,2に年休などを取って、4/29から「9連休」という人もいるというから羨ましい。
でも土曜に仕事のある方などは、この連休も最大3連休なのだろう。

さて、医師、特に病院勤務医に連休があるのか、というと、ないわけではない。
それぞれの病院の体制、医師の数、扱う患者さんの重症度、緊急度によって千差万別。
大学病院の脳神経外科がどうか?というと、平日と違うのは「予定手術」と「外来」がないだけ。あと、大学特有の症例検討会、術前検討会、術後検討会、抄読会、医局会、教授回診、助教授回診、神経放射線カンファランス、脳卒中カンファランスなどといった、平日毎日のように何らかの形で行われる「会議」がない。
あ、それから、野球の朝練(6時開始)もお休みである。
要するに、緊急患者、緊急手術さえなければ、病棟の患者さんに集中出来る時でもある。
しかし、重症患者が多い。中には放射線治療や化学療法など副作用の出やすい治療を受けている患者さんもいるし、免疫力が低下していたり、合併症が多発したり、複数回の手術を受けていたりと全く目の話せない、油断できない患者が多い。この辺りが市中病院の脳外科よりもずっと「濃い」のが大学病院である。

今日から世の中連休だが、私が朝病棟にいくと、チーフ、病棟医長、主治医がすでに朝から働いていた。重症の患者さんが肺炎から心不全を併発している。そうなることが予見出来た患者で、手は打ってあったのだが、やはり薬の治療にも限界がある。あとはご本人の治す力に祈る。
病棟の主治医達は、5連休を前半、後半に主分けて公平に休みを取れるようにしている。今日から明後日の昼間で休みをとった医師の受け持ち患者は、残る医師達に均等に振り分けられている。口頭とカルテに文章で「申し送り事項」が伝えられている。病棟医長がそれを統轄し、各部門(脳血管障害や脳腫瘍など)のチーフが補佐し、わたしのような「ロートル」がそれをスーパーバイズしながら一緒に治療に当たり、教授へホウ・レン・ソウして治療がすすめられる。
ここは、「大学病院」なのだから、国民の信頼や期待に応える質の高い満足度の高い医療を提供するためには、主治医が頑張ることはもちろんのこと、その情報を教授まで揚げて、問題点の解決をあおぎ、常に教授クラスの高いレベルでの医療を実践することが大事である。主治医Aのレベルでの医療をしてはいけないのである。その医師Aが、スーパーマンのような素晴らしい医師ならばまだいいが、たいていは経験も技術もまだ超一流とは言えない。そこで働く「人間」と構築する「システム」。これによって医療の質が決まるとも言える。病院の見かけの美しさや設備の充実などではないのである。
ただ、「満足度」と言う話になると、医療の質がそんなに高くなくても満足は得られることがある。もっと良い、質の高い医療が展開されていると言うことを知らない場合は、設備の新しさや美しさや職員の「人当たり」が左右する。現に、市内の大きな某公立病院では、脳卒中を疑って緊急受診して入院しても、CTを一回撮っただけ。MRIで虚血巣の出現や血管を観ることもせず、「MRIは退院後に外来で撮ります」という対応らしい。知人が軽い脳卒中で入院した時に、現実にあった話。
症状が軽かったり、TIAで戻ってしまえば、結果さえ良ければ「これでいいんだ」ということになってしまう。
しかし、「なぜ」なったのか、「どこが」悪いのか、「今後」どうなるのか、ということも全く解明せずに退院させてしまう医師が脳卒中を観ているという恐ろしさに愕然とした。おそらく病院の体制のために、夜中や休日に緊急MRIを撮りにくいのだろう。「急ぎ」と連絡しても、「1週間後」などと言われてそのまま予約しているのかも知れない。
しかし、脳梗塞などは分単位、せいぜい時間単位で対応を迫られる疾患なのに、発症した日にMRIを撮らない、または撮れない病院では、脳梗塞を真面目に診療する資格さえないと思える。

我々の大学病院では、GWだろうが夜中だろうが、緊急にCTやMRIはもちろん血管撮影だってなんだってやれる。やるためには放射線技師も放射線科医も犠牲(?)を強いられているが、脳卒中患者が発生すればやはり一番働いているのは「脳神経外科医」だと思う。
私も5日間のうち2日休みをもらった。申し送りやその他のことがあるから、3日は休めない。
今更どこにも出かけられないだろうから、せいぜい、家でフルートを吹いたり、DVDを観たり、近場に出かけるくらいだろう。
さて、お天気はいいな。。。

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2006.04.28

アカウンタビリティ

英語です。綴りは、accountabilityです。
(参照web site )http://www.pref.hiroshima.jp/soumu/kikou/jouhou/keyword/keyword4.html

最近は「説明責任」というような意味で使われることが流行の言葉のようですね。
行政であるとか、政治家であるとか、そして医療職、特に医師にも使われる言葉のようです。

先日書いたクモ膜下出血のこと。破裂率だとか、死亡率だとか、手術の保険点数だとか、チタン製クリップの値段だとか、いろいろ数字を書きました。
本来、臨床医として外科医として、「そんな細かいことにこだわってる暇なぞない。もっと手術の腕を磨いて、俺たちは、切ってなんぼ、治してナンボの世界なんじゃい!」と言いたくもなります。
昔の(といってもほんの20年位前)豪快な先輩医師の話を聞くと、「あ〜、昔は良かったな〜」となります。

実際、目の前にいる患者を真剣に診察して必死に治療して、それでナンボという世界であることは事実です。
患者さん側も、術前説明等していると「私たちは難しいことは分からないから、先生にお任せします。」と仰るかたもまだまだいます。
昔はそれで良かったんです。
Dr.:「手術が必要です。精一杯やります。よろしいですね?」
患者:「すべて先生にお任せします。宜しくお願いします。」

というような図式でした。
しかし、今はそれではダメなんです。いろいろな情報を与えられる限り与え、患者側に納得してもらい、その上で同意をもらう、いわゆるinformed consent (IC)が常識です。正しい治療を行って行く上で、キチンと情報を患者さんに提供する「説明責任」が医師に「も」求められています(政治家に「も」だぞ!当然!)。
もし、十分な説明をせずきちんとしたICを取らずに手術等して、結果が良ければいいけれど、悪かった場合、医師側にその悪い結果を招いた医学的責任というか意図(もともと悪意等はないはず)などがなくても、「説明義務を果たしていない」として裁判で負けたり罰せられたりするのです。
これがアカウンタビリティというものです。

ということは、医師という職業は、患者さんを治療する上において、医学的知識や経験や技術はもちろんのこととして、その病気についての知識を患者さんや患者の家族に講義して理解納得してもらうだけの、講義力というか説得力とそれを行うための「たっぷり」した時間がなければならないということになります。
ところが、現場ではなかなかそんなに喋るのが上手な医者ばかりではありませんし、患者さんに「たっぷり」お話しを出来る訳でもありません。
勢い、紙に印刷した「情報」を患者に渡して「良く読んで下さい」などという方式になりかねません。
私は、紙に絵を描いて、なるべく事細かに直接口で説明する方式を好みますので、「説明書」みたいなものを渡すのは嫌です。でも現実、アカウンタビリティを追求され、ほんの少しでもそれを満たさないと全て罰せられて行くようになれば「説明書」式にならざるをえないかもしれません。
訴訟王国=米国の医療現場等はすでにこうです。事細かにいろいろなことが書かれている分厚い「説明書」を渡され、患者側はそれを読んで理解しサインすることが求められます。命をかけている、一分一秒を争っている現場でもそうなりかねません。

大事なことが忘れられています。
どうしてなんでしょう。
ーー
ちなみに、、、
昔のお医者さんの一例。

30年位前の某県立病院脳外科でのこと。
タバコ好きで、片時もタバコを離さないヘビースモーカーの脳外科医。
病棟回診時も患者の前でもタバコを吸う。
回診について回る婦長さんが灰皿を持って、後ろをついて回って灰が床に落ちないようにしていたというウソのような真の話。

もうひとつ。同じ病院で。
脳外科の外来が西日のあたるボイラー室の上にあった。昔なので、冷房などなく、扇風機がくるくる回るだけ。
夏のあつ〜〜い午後の外来で。
「○○さん、、、」
名前を呼ばれた患者がカーテンを開けて診察室に入って、3歩後ずさりした。
そこには、熱さのため、首にタオルをかけうちわで体をあおぎながら、上半身はランニングシャツ一枚の、汗だくになった脳外科医の姿。白衣なんてもちろん着てない。
そんな外来をしていたらしい。
今は、みなこぎれいなものである。かくゆう私もきちんとワイシャツにネクタイ締めて綺麗な白衣を着て診察をする。患者さんに「不快感」を与えないのも「医者の仕事」なのだと言われている。

けっしてこんな医師をいいとは思わないし、肯定している訳ではない。
しかし、本当に今の時代が良いのだろうか?
ーー
今日は内視鏡での下垂体手術。
1時間50分で無事に終了。小さな腫瘍で困難な物ではない。手術手技はほぼ完璧。患者さんはすぐに麻酔から覚めて感謝の言葉を口にされた。
術前、アカウンタビリティを果たすべく、この患者さんにも、手術や麻酔によって命に関わることが起こりうるとか、後遺症が出る可能性があるとか、手術しても全部取りきれずに治らないことがあるとか、そんなことを言わなければならない。それが当然のことなのである。
心の中では、「私に任せて下さい。ちゃんと治してみせますから。」と思ってはいるのだが、そんなことを言ってはいけないのである。無責任な発言であるから。「説明義務」を果たしていないから。

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2006.04.10

学生講義

の内容を書くつもりではない。
3年生のチュートリアル授業で『外科全身管理』の中の「脳神経外科的診察法その3:救急患者の診察法」を担当するように言われた。
学生に授業するにおいて、「方法論」なども大事ではあるが、そんな事をグダグダ述べるよりも「自ら考えさせる」ことが大事だと思う。
一番最初に思いついた事は、先日「無罪」判決が出た、通称『割り箸事件』である。
公的な判決が出ているのであるから、事件そのものに直接意見を述べる事は避けたい。

医師は人間であり、完璧、完全な医師など存在しない。しかし世間が、「完璧」「完全」な医師を望みそれが「当然」と思われるのであれば、まず医学部卒業生が受験する国家試験の合格者(=研修医になる者)は、「満点」を獲ったものだけにすれば良いのである。「できて当然」と世間から期待される医師は、皆完璧に優秀でなければならないのだから。
医学部を出たからと言って完璧にほど遠いから「研修」するのであるが、完璧を目指す候補生は完璧に近く優秀でなければ困るから「100点満点」を獲った者だけ医師にすればいいのだ。
そうすれば『ヤブ医者』は世の中から一掃され医療事故は、少なくとも医師に原因のある事故は「0」になるだろう。めでたし、めでたし。。。
(果たして、日本全国で8000人以上受験する中、一体何人が満点を取れるのか、知りたいものだ)

今年の医師国家試験は、丁度第100回というキリの良い数字であった。
受験者8602人中、合格者は7742人で、合格率は90%だった。合格者はおよそ「60点」以上をとった者である。逆に言うと、医学部を出ていながら60点も獲れない人達が1000人近くいるわけである。
日本という国家が与える資格として、試験の6割以上ができたら他人をメスで傷付けたり針を刺してもよい、と言っているのである。法的に認められているのである。一方、医師である者たちは、「4割ミスしてもいいんだ」などと考えながら医療行為をしている訳ではないが、100%出来なければ医療行為をしては行けない、などと決めつけられたら誰も「善意に基づく行動」など起こさなくなると思われる。
基本的に、医療行為というのは、「痛い」「苦しい」「困っている」「心配だ」という他人の状況を改善または消失させてあげる善意に基づく行動であり、それらを為すためには論理的に100%完璧である必要はない。ただ、「間違った事はしない、または避ける」という注意力というか気配りが必要ではある。

救急医療の講義をするにおいて、私は医学部の学生に、「シャーロック・ホームズ」のようになることを心がけるように話をするつもりである。相手の言動を注意深く観察し、またはもの言わぬ相手(=意識障害患者とか失語症とか)の「心の叫び」に耳を傾け、周囲の状況や背景を鋭く洞察して、「今必要な事」を判断し、的確にそれに対応する、ということ。
文字にするとぼやけてしまうが、注意深く思慮深く行動力があれば決して難しい事ではないものの、救急の現場でこれができるなら「ほぼ」完璧に近い。

「ほぼ」と書いたのは、これで「完璧」ではないからだ。なぜなら、人間は完璧ではないから。
医学の事を全分野について、全ての病気の病態について熟知していて、どんな緊急事態にも対応出来る医師など存在しない(と思われます)。
どうすればいいのか?
『三人よれば文殊の知恵』である。一人で一生に経験出来る疾患には限りがある。手術の経験にも限りがある。正しい判断、診断、治療を行うために、複数の医師で知恵と技術と経験を出し合い、情報を共有し、事に当たる事が大事である。そうすると「神の手」を持った一人の医師よりも、「普通の能力」の3、4名の医師のチームの方が良い結果を出せる事だってありうる。軽々に「チーム医療」などというつもりはない。
どちらかというと「当たり前」のことなのだ。己を知ればわかること、できることである。
自分の力、限界を知っていれば、自分一人で何でも出来る訳ではない事、自分には分からない事がたくさんある事、出来ない事がたくさんある事は当然分かるはず。でもそれは決して恥ずかしい事ではない。出来る人、分かる人を呼び集めるなり、電話で知識を伝授してもらうなり、相談するなりすればいいことなのだ。
「報・連・相(ほうれんそう)」だ。

「診察法」などという方法論よりもこういう考え方を学生には伝えたいと思っている。

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2006.03.21

最後のオツトメ

 今日は「春分の日」。国民の皆さんは、野球でも観ているのだろうか。
 私は朝から病院日直。今日は「管理」ではなく、外科側の全館日直医である。この病院もあと10日。最後の日直なので、「最後のお務め」という感じである。
 救急外来に来られる「休日診療」を求める患者さんを診る事が主となるのだが、以前にも書いたように、本来の日直・宿直医の仕事は病院全体の管理であって、救急患者さんを診察するのは「いくつかの役割の中の一つ」にすぎないのであるが、形骸化して「日直・宿直医」=「救急外来当番」のようになってしまっている。
職員もこの辺を分かっていない。看護師も院内にいる私を呼び出し、「患者さん来てます」と告げる。だから、私は、「救急担当医ではないのだから、どんな症状を訴えた何の患者さんが来ているのか伝えろ!」と告げる。
ここは、救命救急センターがある第3次救急病院なので、救命救急外来を受診した患者さんは、「救命救急医」が診察するのが建前である。しかし、休日なので救命救急医もお休みなのだ(常勤が2名しかいないせいでもある)。
すると、救命救急医の代わりを日直医、宿直医がするしか他に方法がないからやっているのである。その辺をきちんと分かっている人達が余りにも少ない。そして、「救命救急」に来る患者さんの多くは、歩いて自家用車で来るような人であり、結局第3次救急の役割は少ししか果たしていない。ほとんどの患者さんが、熱が出た、お腹が痛い、足を捻挫した、などなどの1次または2次救急であり、ようするに「時間外外来」を行っているに過ぎない。

 今日最初に診た患者はこうだ。
ナース「患者さん来ているのでお願いします。」
私「どんな患者さんですか?」
ナ「昨夜から喉が痛い、痛くて眠れなかったということです。」
私「喉が痛いなら内科系じゃないの?風邪症状なんでしょ?」
ナ「いえ、風邪症状はありません。喉の痛みをみるのは耳鼻咽喉科なので、外科系の担当です。」
私「・・・」
そして、診察したその患者さんは、確かに風邪症状は乏しく熱もない。喉が外から見ても腫れているが、甲状腺の病気を治療中であるという。咽頭を診ても腫れてもいないし赤味も少ない。鎮痛剤を処方して帰そうと思ったが、「家族でどなたか風邪症状の方はいませんか?」と聞くと、
患者「夫が昨日から風邪症状で喉が痛くて関節痛と37度台の熱で、一緒に救急に来て診てもらっています。」とのこと。「なぬ!」である。しかも、今日の内科系の日直医は、本当にたまたまなのだが、この患者さんの平常の外来担当医であった。
 私は、その内科系の先生にこの患者さんの診察をお願いした。
 というより、受付の時点で、またはナースによる問診の時点で、患者の夫が風邪症状があり一緒に受診している事、内科系日直医がこの患者の主治医であること、一緒に受診した夫はその内科系医師に診察を受ける事を考えれば、この患者さんも最初から内科系診察で良かったはずである。
「喉が痛い」→「耳鼻科」→「外科系日直医」→「私(=脳外科医)」というマニュアル的発想と言うか行動が私には理解出来ない。何故もっとコミュニケーションをとって柔軟に考えられないのだろうか?
 ナースはナースで、多分、マニュアルがあって危険回避のためにそれを遵守する事が求められているのだろう。個人の意見とかアイデアと融通の利いた判断とかはこの際排除して、まずは型通り、という事になっているのかも知れない。種々雑多な症状を訴える患者さんが時には怒濤のように押し寄せる「救急外来」というところは、物事を単純化して、「頭痛」→「脳外科」=外科系、「腹痛」→「消化器内科」=内科系、というさばき方をして、患者を「こなして」いかないとたまってたまって大変な事になるのかも知れない。
とりあえず、喉が痛い=耳鼻科だから外科系を呼んでおいて、その後は診察した医師の判断に任せればいいのだろう。だから上記のナースの対応が間違っているとまではいえない。
でもどこかおかしくないだろうか?

その他にも、交通外傷後遺症であちこち痛い事を訴え、薬をくれ、注射してくれ、などなどいろいろ言うが結局は話を聞いてほしいプシコの患者さんも来た。主訴が「頭痛」だったので外科系日直の私が呼ばれた。
 慢性頭痛ではあるが、訴えからしても本当に頭痛で困っている訳ではない。私は脳外科のカルテの部分に押された日付などが入ったゴム印に大きくバッテンをして、精神神経科のカルテ部分に診察の記載をした。
何かおかしいけど、悩んでいる余裕はない。来た患者をさばいて行かなければ次の患者が待っている。手際よく処理して行かないと、患者がたまりみんなが困る。しゃ〜ないな〜!

そんな疑問ばかり感じながら日直医をしている。

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2006.03.20

在職証明書

 今度大学に勤務する事になるため、この数年間の市中一般病院勤務にかかわる『在職証明書』を求められた。大学職員は、独立行政法人化したとはいえ、国家公務員になる。市中一般病院もすべて県立、公立(市町村立)であったので、私はず〜っと「公務員」である。
 医師である上において「公務員」という意識はほとんどないが、退職や就職に当たってはそれをあらためて思い知らされる事になる。書類がたくさん必要なのがまず一つ。国家公務員共済組合員に変わるなどの保険証の変更も必要である。大学職員というのは、臨床医(医師)である前に、研究に従事する公務員という扱いであるから、職務内容が研究的でないと行けないらしい。
 頂いた『在職証明書』には、「職務内容及び研究内容:脳神経外科の外来・入院患者の診療に関する事」という簡潔な文言があった。これによって、私は官公立の病院で研究と臨床に従事していた事が証明される。よって、私が現在の病院を辞めるにあたっては「私儀、一身上の都合により、、、、」という『辞職願い』を書かされるのだが、退職金はもらわない。官公立病院で繋がっているためである。

 在職期間の下に「勤務態様」という項目があった。2つの公立病院における、私の勤務の様子である。
「一月平均22日、1週平均5日、1日平均8時間」
と書いてあった。
 労働基準法に定められた、週休二日の公務員の職務体制である。この通りに勤務したら、病院はどうなるのだろう?患者さんはどうなるのだろう?逆言うと、なぜこの「勤務態様」通りに勤務出来ないのだろう?
 少ないヒューマンリソースに無理を言って働いているからである。もし、この病院に脳神経外科医が常勤で5名いれば、上記の事も可能かも知れないが(当直の翌日は休み、夜間や休日に緊急呼び出しで働いたら代休がもらえる、などという、労働者なら当然のこと?)、3名でやりくりしているから「想定された勤務態様」の5/3倍働いている感じになる。
 実際どうだろう?3名で休みをきちんと分けているので、全く病院に顔を出さずにフリーにしてもらう時間が貰えるだけ私はまだ良い方である。今月に限ってみても、31日中26日は勤務、逆に言うと5日休みを貰っている。1週平均6日+αの勤務である。
そして、これが一番問題であるが、時間外の呼び出しや休日の回診、急患診察などを含めると、1日平均約12,3時間の勤務になる。労働基準法を遵守して上記勤務態様通りなら、週に40時間が基本的労働時間である。しかし、そんなに激務ではない、キチンと休みも貰っている私の場合で、週に12x6=72時間+αは最低仕事をしていることになる。週に約80時間、つまり労働基準監督局が指導しているほぼ倍の労働である。

 しかし、ここではっきりさせておかなければならない事がある。さる裁判において「研修医は労働者である」という判決が出て、医師もまた労働者なのだ、ということで研修医の過労死などが認められた。だが、「医師」は通常の「労働者」とは違う。時間単位で労働を「売っている」商売ではない、という意味である。時給いくら、と計算する仕事ではないという事である。このような仕事は他にもたくさんある。芸術家だって、時給いくらでは仕事をしていない。自分の納得のいく仕事に対して、他人の評価や契約などによって対価をもらうという仕組みであろう。
 医師の場合は、本来ならば、急患が多く発生して夜中に何回も呼び出されたり休日に診察したり緊急手術で家族団らんの時間が消えたりしても、本来そういう仕事である事を覚悟の上で奉仕する心を元にやっている事だから、多少の不満や不平は言っても、医師の中で誰も労働争議であるとかデモなど起こすものはない。
 ただし、そういういわゆる「時間外」の労働、「勤務態様」で定められた範囲外の労働が「無料」「無償」というのはあんまりだという事で、「時間外手当」とか「日額特勤手当」というものが支払われている。「お手当」である。決して基本給与ではない。そう出なければ、働いたものと働かなかったものに差がなくなる。何科とはいわないが、ほとんど緊急患者の発生しない診療科もある。たとえ休日に救急外来を受診しても、「来週の外来にまた来て下さい」ですむ診療科もある。一方で、脳神経外科の場合、救急外来を受診した患者は、軽症の外傷(頭皮を切って縫ったとか)、慢性期の脳梗塞患者の脱水とか、そういう事でもない限り、当番の脳外科医は救急外来に出向かずにすむ事はほとんどない。ほとんどの緊急患者が緊急入院になる。中には緊急手術になる。
 そういった患者を扱う診療科の医師と、そうでないあえていうなら「のんびり」している診療科の医師の給与が同じで良いはずがない。良いはずがないのだが、大学病院などでは同じなのだから驚きである。こんなことは一般市民は知らないと思うが、大学病院の医師は「臨床医」でなく、「大学の先生」なのである。「文部科学教官」という肩書きである。学校の先生は、残業しようが土日に部活などの子供の指導をしても、時間外手当などつかない。それと同じである。
 人の生き死ににかかわる、緊急時の診療を夜中や休日に行っても、それは学校の先生の教育活動の一環としての「ボランティア」的行動と同じにとらえられているのが大学病院の医師である。であるから、卒業年次とポスト(助手とか講師ということ)が同じであるなら、脳外科医も整形外科医も眼科医も皮膚科医も精神科医も皆同じ給料なのである。独立法人化となって、おのおのの大学および大学附属病院で自由裁量権が認められて、少額ながら時間外手当が出るようになったらしい。でも「月あたり1万数千円」と聞く。それでも「0」だったものが出るようになった事は大きな前進といえる。
 一般市中病院で、私程度に夜中、休日に緊急で呼び出されたり夜遅くまで手術したりしていると、もちろん月によってかなりばらつきはあるのだが、時間外労働に対する手当は「月あたり30万円から60万円」となる。
一般市民にとっては、一月に手当だけで60万円なんて信じられない!貰い過ぎだ!だから医師はまだ甘やかされている!と憤慨されるかも知れない。しかし、良く考えて頂きたい。これは「手当」だから、基本的給与の中に組み込まれていない金額。つまり「手取り」は結構あっても、賞与とか退職金にはまったく関係ない「手当」なのである。そして、それを貰っている理由は、夜中の2時に呼び出され吹雪の中を病院に出てきて患者を診察し入院させたり、日中から大手術で夜中に終了し患者をICUに入れて安定させて夜中の1時2時に帰宅したり、土曜日曜と言えど入院患者がいる以上、必ず誰かが毎日回診して指示を出したり投薬したり処置をしたり、そういった事をほぼ毎日何年間もしていることに対する手当なのである。
 さらに付け加えるなら、厚生労働省が参考にしている米国の医療システムの中で、脳神経外科医は専門医となって数年目で年収数千万円が当たり前、大学の教授でも年収数千万から多い人は1億、2億円という給与をもらうのである。それは「ハイリスク・ハイリターン」と言って、脳外科手術のように高度で専門的で危険性の高い手術はその報酬も多いのである。脳腫瘍の手術は一つにつき一般的に数百万から1千万円である。ところが日本の保険診療システムでは、脳腫瘍の手術は高くても82000点。保険のない人が全額自己負担しなくてはならないとしても82万円ですむのである。技術や成績に差がないのに(ものによっては日本の方が上だと信じる)、手術料は10分の1で、給与も3分の1から10分の1になっているのが現実である。
ーー
 在職証明書の事から、医師の勤務態様、労働時間、手当の話で、結局また金の話になってしまった。
 金の話になるとどうしても「せこい」イメージがつきまとうのが嫌であるが大事な事だと思う。以前にも書いたが、高校で同期の者が社会人になって同窓会などがあり、二次会、三次会と飲みに行ったとする。大学病院勤務の医師Aが「ここは俺が払うよ。」と二次会分を持った。同期生の銀行員Bと商社マンCが「お〜、さすが、お医者様は不況知らずだね〜」と持ち上げる。そして三次会で給料や賞与の話になった時、その医師Aが三人の中で一番稼ぎが少なかった。少ないどころかBもCも年収1000万円を軽く越えているのである。Aは医師になって20年も経つのに、年収1000万円いかないのである。これが現実である事を世間様にはすこし知って頂きたいという気持ちがある。
(医師一人当たりの年収が多いのは、あくまで個人事業主として働いている、いわゆる開業医の収入が多いからなのです)

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2006.02.23

手術中の脳の機能をみる

昨日救急入院したクモ膜下出血の患者さん、手術終わりました。
昨日は検査が終了した時点で夕方で、手術室は予定手術がまだ終わっておらず麻酔医が一人しかいなかったため、安静にして寝かせ本日の午後手術となりました。
今日は麻酔医が3名いるのですが、でも予定手術がすでに組んであるので、少し変更を加えて3時前に手術室にはいり、3時45分頃から手術を始め約3時間で終了しました。
脳動脈瘤は直径10mm位あり、前脈絡ソウ動脈という、太さは1mmもないのですが、これが詰まると半身不随になってしまう血管が動脈瘤の壁に固くくっついていてググっと曲がっていたためちょっと難渋しました。親動脈と、動脈瘤の壁と、この前脈絡ソウ動脈の間を丁寧に剥離してクリップが十分入るスペースを作り、丁寧にクリップをかけました。

予想通り、つぶれた動脈瘤にくっついている前脈絡ソウ動脈が引っ張られて曲がりが強くなりました。血管の壁は赤くちゃんと血が流れているようですが、このままにしておいて大丈夫なのかどうかは不確実です。
MEPという、運動機能を手術中に調べる電気刺激の検査を行いながら手術をすればいいのですが、今日は行っていませんでした。クリップがしっかりかかった瘤はもう破裂しないので、その太さ1mm以下の血管を瘤の壁から剥がしにかかりました。約20分かかりましたが、ていねい前脈絡ソウ動脈を壁から剥がして曲がりをとる事が出来ました。手術終了後、今、まだ1時間くらいで麻酔から完全には覚めていませんが運動麻痺はなく、術後経過は良好だと思います。

MEPの様な検査の事を脳に対する電気生理学的な「術中モニタリング」といいます。どちらかといえば、私の専門分野ではあります。ただ、一般市中病院では、使用する器械の問題、電極の問題、マンパワーの問題、そして一番大きいのは緊急手術などバタバタする中でのモニタリングの煩雑さゆえ、よほど問題が起こると予想される疾患や手術でない限り(たとえば、聴神経腫瘍の手術における顔面神経のモニタリングなど)ルーチンにやろうという気にならない点は問題です。
術中モニタリングというのは、手術操作などによって脳や神経にダメージが起きないように「見張る」作業であり、モニタリングで何か変化が起こって注意信号が出たら、たとえばその時にやっている手術操作を一時休止するとか、脳にかかっている脳ベラという道具を緩めるとか、血管にかかったクリップを外すとか、そういうことを考える根拠になるものです。それによって、手術中に術後に問題が起きないように判断したり対策をとったりするものであり、(ものによりますが)脳の手術にちとって大事なものです。
 通常の術中モニタリングというのは、電気的な刺激と記録を行うコンピュータ(脳波計みたいなもの)を使いますが、これを使うのは「脳外科医」そのものです。電気で脳を刺激し記録するのも「脳外科医」です。その記録を見て判断するのも「脳外科医」です。これらの作業は手間がかかります。手術操作の中断を必要とする事もあります。スムーズにさっさと手術を済ませたい時には、多少迷惑な気持ちにもなります。でも、患者さんのためです。
手術後に「あれ〜、なんでこんな症状が出たんだ?!」という事のないように手術中に行うものです。しかも「タダ」でやっています。正確には、検査費用を請求していないと言った方が正しいです。なぜなら日本の保険診療の点数表に「脳外科の手術中のモニタリング料金」という項目はありません。電気的刺激による「筋電図」とか「聴覚反応」などの項目はありますから、その検査を手術中に「1回」したことにして(実際は30回とか40回やってる訳ですが)料金を請求する事は出来ます。が、その費用はせいぜい保険点数で800点。つまり保険本人の2割負担の場合、患者さんがこの「大事な」「術中モニタリング」に対して支払う料金は、1600円程度です。ちょっとタクシーに乗ったら払ってしまうような金額でしょう?
だから、バカバカしいのでいちいち請求していない脳外科医も少なくないと思います。

米国では保険点数制度ではないので、施設や医師によって手術や検査の料金が違いますが、私が以前留学していた先での「術中モニタリング」(聴神経腫瘍手術などにおける顔面神経や聴神経のモニタリング)の料金は一回の手術中に日本円に換算しておよそ80万円請求していると聞きました。手術料金も、ものによって違いますが、手術一個あたり300万円から1000万円くらい請求していたようでした。モニタリング一つとって見ても、米国では専属の検査技師、電気生理学者や神経内科医がやっていて、脳外科医ではありません。脳外科医は「脳」の「手術」をする人です。
日本では、これを器械を手術室に運び入れて電源を入れて線を接続したり、終わった後に片付けたりするのからすべて「脳外科医」がやってしかも「無料」です。こんな凄いサービスの医療は、おそらく世界中で日本だけだと思います。

お金の事ばかり言ってせこいようですが、日本の医療というのはこういった「医師によるある意味ボランティア」的な仕事によって支えられているのは事実です。そうして、より安全性の高い高度な手術を目指して行っているのに、医師の技術料を値下げする「診療報酬の4%減」が来年度から始まるのでしょう?
なんだか、バカバカしくて、もう医者なんかやってらんない、というような気持ちにもなりますね。
話がだいぶずれたのでこの辺で(まあ、こういった愚痴は4月からは書けないでしょうね〜)(^^;

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2006.01.29

日常の救急

 変なタイトルかもしれませんが、脳神経外科は一般に脳卒中、頭部外傷、脳腫瘍、その他をあつかう診療科で、特化した研究施設ではない一般市中病院では扱う患者さんのほとんどが脳卒中と外傷です。
 ですから「緊急患者」「緊急入院」という『非日常的』なことは、我々一般市中病院勤務の脳神経外科医にとっては『日常』のことです。「日常の事」ということは、いつものこと、毎度、またか、、、という意識をどうしても生みます。人間は怠けやすい動物。一度楽を覚えると、一度手抜きを覚えるとなかなか元に戻るのは難しい。
 生命に危険が及ぶ可能性のある脳卒中などの『非日常』のものを『日常』に扱っていると、それ以外の非日常的疾患や症状、たとえば転んで足をくじいたとかもっといえば風邪をひいて熱が出たなどという、とりあえずは生命に影響などまずなさそうな、軽症またはおとなしくしていれば自然に治るような疾患を軽視する気持ちも生まれかねません。私の心の中にも、どうしてもそういう気持ちが生まれる事があります。そういう自分の心の奥底のぼやきを隠しながら「救命救急センター」で日常に見られる患者さんを「時間外」に診察するのも、我々の役目ではあります。
 この病院にある『救命救急センター』は厚生労働省から認可されて全国に170位設置されているセンターの一つです。ですから、緊急患者は「全て」受け入れます。断る事はありません。何でも診ます。
 ということは、かなり重症の高エネルギー外傷や急性心筋梗塞やクモ膜下出血を始めとする脳卒中はもちろん、急性腹症(強い腹痛)や風邪で熱を出した人、喉が痛い人までなんでも診る事になります。

 いわゆる「たらい回し」を回避するために、救急患者を受け入れる病院、これまでは「救急指定」を受けていた病院などの分類を見直すらしいです(ニュースソース、Asahi.comから)。
 病気やけがの緊急度に応じて「救命救急」「入院できる救急医療機関」「初期救急」の三つに区分し、救急の機能別に基準を明確にすることで効率化を進め、患者を受け入れてもらえない「たらい回し」をなるべく少なくする狙いがあるそうで、08年度からの実施を目指して省令を改正すると報じられています。
 都道府県知事が認定している救急病院は05年4月現在、全国に4712カ所。しかし「救急告示」ができる条件としては、(1)救急経験のある医師が常時診療している(2)X線装置・心電計・輸血などの設備がある(3)救急専用や優先的な病床が確保されている、などしか定めていない。都道府県では、医療法による医療計画のなかで救急医療体制を、患者の病状などから初期、2次、3次の医療機関に分けているが、施設基準は抽象的であった。 総務省消防庁によると、救急車で搬送したものの収容困難として他の医療機関に転送された例が、03年で3万4261回あったとのこと。中にはいわゆる「たらい回し」もあった。救急病院にはなっているものの医師などの不足から、毎日は受け入れられない病院、診療所もあるため、実態に合った制度に見直すことにしたと報じられている。
『厚労省の検討案では、救急病院を、生死にかかわる重い患者を対象とする「救命救急センター」、入院が必要な急患を対象とする「入院機能がある救急医療機関」、軽い患者を診る「初期救急医療担当」に区分。3年の更新制にする。「救命救急センター」と「入院救急医療機関」は、搬送患者をすべて受け入れることとし、「年間365人以上を受け入れる能力と実績」といった数値基準を盛り込むことなどを検討している。
 また救急医療に携わる医師の労働条件も厳しいため、「救命救急センター」は、夜間休日の交代勤務の導入を明記する。
 しかし、機能別に区分することで「基準をクリアできずに、認定からはずれる病院が続出するのではないか」という懸念がある。厚労省は、細かな基準は今後、自治体や医療関係者と詰める必要があるとしており、地域事情などに応じた措置も検討する。』

 現実に救命救急センターにどのような重症患者が運ばれて来るのかを考えると、意識障害・神経障害を伴う脳卒中、心筋梗塞などの心臓発作、交通事故などの重症外傷、急性腹症などの生命に危険が及びうる内臓疾患、重症の小児疾患(高熱、てんかん、その他)である。うちの救急外来で活躍している医師は、当然脳外科医、整形外科医、循環器内科医、消化器内科外科、小児科である。あまり頻繁にコールされたり救急外来で活躍していない科としては(通常活躍していても、救急外来ではそれほどでもない、という意味です)、眼科、皮膚科、産婦人科、精神神経科、泌尿器科、耳鼻咽喉科などがあります。この差は、疾患の頻度とその生命に及ぼす影響によって生まれるだけで、何も皮膚疾患を軽視して良い病気といっている訳ではありません。
 上記の現状から考えると、厚生労働省でいっている「搬送患者をすべて受け入れなければならない病院」は、必ず脳外科医、循環器内科医(+心臓外科医)、などがいなければ問題です。意識障害のある患者を普通のお医者さんは扱えない(というか扱うのを怖がりますし、看護師も恐れます)。脳外科医だけは自信たっぷりに意識障害のある患者を診察し診断し治療します。その患者さんの頭の中で何がおこったのか、今何がおきているのか、これから何が起きるのか、を考えそれに対して策を考え実行するのが『脳神経外科医』です。手術顕微鏡のしたで「神の手」と呼ばれるような繊細な手術手技を実施するだけが脳外科医の仕事ではありません。
 そして、その我々が脳神経外科単科だけで、ここの病院でいえば、平均的に一日1.5〜2人の救急患者を診察し平均1.5人を入院させているのです(軽症の外傷などでは帰宅する事も多い)。それを一つの病院で、脳外科医2人とか3人でやっているのです。
『救急医療に携わる医師の労働条件も厳しいため、「救命救急センター」は、夜間休日の交代勤務の導入を明記する。』とありますが、これは救命センター付きの「救命救急医」のことであって、一般診療科にはいる脳外科医には適応されないと思います。我々の救命救急センターには、常勤の救急医がいて、朝から晩まで忙しく働き回っています。何科の患者でもどんな症状でも診察し、初期治療を行い、担当すべき診療科に回しています。
でも、夕方5時を過ぎる時間外と土日などの休日は、原則的に彼らはお休みです。
 その間の、「救命救急センター」は誰が診ているのか、と言うと、いわゆる「病院」宿直医です。日直医の場合もあります。本来、日直、宿直医というのは、休日や夜間に「院長代理」として「病院」を守る医師のことで、病院内の緊急事態に備えて病院内から一歩も外に出ずに「番」をしているのが役目なんです。「救命救急センター」の仕事をする事が役目ではありません。
 ところが、これが「日常化」してしまっていて誰も疑問に思わず、救急外来の看護師などは「救急患者さんですよ、早く来なさい」見たいな態度で我々宿直医をコールします。本来の「病院を守る」仕事に並列して、時間外に来た患者さんを診察するという「エキストラ」の仕事なのですが、世間一般的にもまた病院内スタッフも「当直医は救急外来を診る医者」というような「誤った」観念が日常化しています。 
 当院では、内科系と外科系の医師を一名ずつ、宿直医、日直医にあて、さらに「管理日直」という名前でそれらを補佐したり緊急時に手伝える体制をとっています。加えてICU日直という名前で休日の日中だけもう一人医師が日直をしているので、休日の日中で4名、平日・休日ともに夜間は3名の医師が泊まっています。しかし、「救命救急医」はこの時間帯にはいません。ですから、救命救急センターに来る、本当に救命を要するような患者さんから、2、3日前から風邪をひいて熱が出たという患者さんまで、幅広い疾患を扱う役目を負わされます。
 そして、宿直日直医は、経験の少ない耳鼻科医であったり皮膚科医であったり精神科医であったりする事もあれば20年以上のベテランの脳外科医であったり整形外科医であったり循環器内科医であったりすることもあるのです。これが救急の日常です。本当は、救命救急センター付きの「救命救急医」が最低でも6,7人いて、一勤務帯あたり最低でも3名くらいで、日勤、準夜勤、深夜勤、休日のローテーションをしながら彼らが全部診て、疾患によって担当診療科にバトンタッチすべきなのです(TVの『ER』のように)。
 しかし「日常の救急」はそうなっていません。
 なぜできないのか?
 医師不足、特に救命救急専門医の不足。財源不足、救命医や救急疾患を扱う担当診療科の医師を雇う人経費などが足らない。しかも今、医療費抑制のために医師の技術料を中心とする「診療報酬」保険点数を下げています。
 政府や厚生労働省が混乱しているように見えるのはわからないでもありません。
 医療は進歩している。技術も進歩し体制も進歩している。患者さんは治療成績という結果だけではなく、病院の新しさ、部屋の美しさ、個室の数、設備の充実度といったアメニティやプラスαの価値を求めている。それなのに、「保険点数」「診療報酬」という制度はあまり変わっておらず、医療費を抑制するために点数を下げ医師や病院の収入を減らす方向へ動いている。財源は不足している。医師不足の対策はやはり金。
 特に専門の医師を配置する人件費がかかる救命救急センターをしっかりさせようという省令の改正を目指しているのに、財源は減らし病院の収益を減らそうとしているこの矛盾はどこから生まれるのだろうか。

 おそらく、厚生労働省の中にたくさんの部門があり、その部門別に与えられた課題を国家公務員として真面目に遂行するにとどまり、大きな森全体を見渡せる人やそういう役目の人がいないか、いても能力が不足しているのではないかと危惧する。
 我々現場の医師の「日常の救急」を、厚生労働省のビルの中にいる人達につぶさに見てもらいたいものである。

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2006.01.25

通常営業

 旅日記を書いている間、仕事をさぼっていた訳ではない。
1月13日に帰国して、14日から数えて1月は18日間あるが、そのうち7日当番で1回の当直と1回の日直がある。「時差ボケがあるだろうから休め」と言われた14, 15日を除くと16日間で7回の当番は頻度が多い。
 ずっと休んで(遊んで)いたんだから私に少し加重となるのもやむを得まい。

 帰国してからの緊急手術はなぜか慢性硬膜下血腫ばかりで、私が手術に入らなくてもすむ状況もあった。昨日「旅日記」を書き終わって、さあ、今日から何を書こうかな〜と考えていたらクモ膜下出血の急患、で夕方から(日中は予定手術が一杯でとても麻酔科医の手が回らない)緊急手術である。やっぱり神様って見てくれているのかな〜。
「そろそろ本格的に働かせてもいいか」
という感じなのだろうか。来週はすでに大きな予定手術が2つ入っている(うち一つが私の執刀)。

 旅日記で写真を掲載したので、恥ずかしくも世間様に自分の顔をさらす事になってしまった。友人の一人が、顔出して大丈夫なの?、と心配してくれた。今後、極力きわどい医療ネタは避けて行こうと思っている。これまでも「個人情報保護法」を念頭に配慮したつもりではあるが、病院や担当医が判明すれば記事の内容から患者さんが特定出来ない事もない。今まで書いて来た事を消去するつもりは無いので何か問題が生じない限りはこのまましばらく置いておくつもりである。
 ただ、今までのこのブログの記事を注意深く読めば(いや、別に注意深く読まなくても)いくつかのキーワードから私を特定する事は容易であろう。私としては、病院、患者、仕事上の仲間などを批判するような事は避けて来たつもりではあるが、たとえば「時間外労働に対する手当が強制的にカットされている」とか「診断書の書き換えを依頼というよりは半ば強要するようなこと」などは微妙に病院批判、患者批判をしているとも取られかねない。
 私は、現在の医療事情を特に医療職の立場から、世間一般には「医者=金儲けてミスをして悪い奴」というような変なイメージを持たれかねない極論を排除し、実際には我々がどれだけ夜中や休日に働き、手術に際してどれだけ緊張して真剣に臨んでいるか、にもかかわらず「医療費高騰の抑制」という経済至上主義的な発想から、医療費を抑制するために昔より向上しているはずの医師の技術料を減額し、夜中に働いたのに「働いてない」事にし、更に「患者中心」という名の下に「患者の要求には可能な限り応える」ために必ずしも必要ないかもという検査を行い、欧米の脳外科医では決して扱うはずの無い「ストレスが原因の頭痛」の患者を診察し、その一方で搬入時に呼吸が停止しているような超重症の患者まで扱い、へとへとになっているのに航空機会社の客室乗務員やホテルのフロントなどの人を呼んで「接客術」とか「マナー」の講義まで受けさせられ、あげくに実際よりかなり誇張したり『ないことないこと』を記された「患者様の声」という投書を見せられたり、それでも外来や病棟では明るい笑顔で患者さんはもちろんナースにも接しないと、場合によってはパワーハラスメントと言われたり、という悩み苦しむ『実態』を世間の方々にすこし理解して頂ければ、という感じで書いている。
 確かに、ここ10年位で上記のようにいろいろ変わって来ているが、逆に言うと、今までがおかしかった面も確かにある。「医者が言ってるんだから黙って聞け」的な風潮があった事は事実だし、私にもそのような言動がなかったとは言い切れない。我々も変わらなければならない。変わるためには外圧は必要である。
 ただ、圧力だけでなく、変われた人に対する報酬というか、お金じゃなくていい、incentiveの上昇するような何かが無ければ、こころある医師もつぶれて行きかねない。実際、周りにも「あ〜、あの先生も開業するのね〜」という医師を何人も見て来た。
 大学で研究を続ければ素晴らしい業績をあげられる能力のある人、病院勤務で優秀な実力を発揮しこれほどの実力のある医師がこんな田舎の病院にいるのかというような人も、現在の、あえていうならば『医者いじめ』のような状況で夢をなくし、個人事業主としてもう一度「夢」を求めて頑張ろう!でも開業は厳しいな〜、と悩みながら病院を辞めて行く姿を見ていると、私もチャンス(=時と金)があるなら開業しようかな、と考えてしまうのである。
病院や大学にしがみついて、特殊な能力、手術の技術を競ったところで大した事ではないな〜、などと否定的な考えばかり浮かんで来るのである。最近音楽や旅行の事ばかり書いてはいるけれど、こころの深いところではいつでも葛藤し悩んでいると思われる(自分が、悩んでま〜す、なんて言うのは恥ずかしい事だという意識がどこかにあるので、、、)。

 ま、そういう訳で、待っているのだがまだ手術室から連絡が無い。予定手術が遅れれば我々の緊急手術の開始も遅れる。手術する部屋はある。ナースもいる。医師も待っている。でも麻酔科医が不足しているというのが今の状態なのである。これが、我々の「通常営業」である。(今日も帰りは深夜だな〜、あ、今日は管理当直だったんだ、、、明日の夜まで36時間くらい、病院から出られないのだ〜、、、)

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2005.12.03

コンピュータ断層撮影

いや〜、寒いです!昨日、深夜にアパートに帰って暖房機をオンしたところ表示された室内温が『6℃』でした。6℃ですよ!しばらくコートも脱げずヒーターの前に震えながら立っていました。冬に脳卒中が増えるはずです。
 雪が本格的に降りました。今朝、管理日直のため病院に出勤する際、車の窓に積もった雪を今年はじめて「雪カキ棒」で払い落としました。う”〜、すぁぶい”っす。
 日中もしんしんと降っており、外は全くの銀世界(といえば聞こえはいいが)。
『刻々と 手術はすすむ 深雪かな』(歌人瑞穂、新潟大学脳外科初代教授中田瑞穂先生詠む、最初に書いたのは間違っていました。御指摘頂いた方ありがとうございました。間違えてすみません。)
ーー
 タイトルは、そうCTのことです。ご存知Computed Tomographyの略ですが、一般に脳外科の外来で患者さんが「CTをとって調べてもらいたい」というときは、X線コンピュータ断層撮影のことをさしています。Tomography=断層撮影というのは、実は古くから行われているX線検査の一手法であり、それを応用して1960〜70年代にコンピュータでデータを解析していかにも人体を輪切りにした様な画像を「合成」するようになったものです。開発経緯や発展には興味深い話しがあるのですが、詳細は省きます。X線が人体を通り抜ける時に(通常の胸部レントゲンとか頭蓋骨のレントゲンはこれです)、身体の組織の厚みや構造(密度や構成要素、例えば骨とか筋肉とか空気とか)によって通過するX線の量にムラができるのですが、それを感知する装置で得たX線通過量を身体の回りをぐるりと回りながらコンピュータで解析するのです。まだ世に出た当時(昭和50年代中頃)のCTは、X線管球も貧弱、装置も貧弱、コンピュータは大きいけれどノロマな亀でした。まだパソコンという言葉がなく、「マイコン」なんて言っていた時期です。昭和55年に初めてNECのPC 8001というパソコンでグリーンモニターに円が描けただけで感動していた時代です。断層の一スライス(一断面)を撮影してそれが画面上に現れて来るまでに2分以上もかかっていました。だから準備から撮影そしてフィルムが出て来るまでに一人の患者さんに30分以上かかっていたのです。今や、お手持ちのノートパソコンや携帯電話の機能を考えて頂ければ容易にわかるように、現代のCT装置は素晴らしいものです。1秒程度で一度に数スライスを同時に撮影し、どんどん画面に表示されます。単純な撮影であれば一人5分もあれば終わります。しかも20年前のCTの画像とは雲泥の差です。
 CTが世に出たばかり頃の値段は、公称2億円といわれました。その後、医師、企業、その他の努力と開発競争により、廉価なCTは数千万円という値段になっています。しかし、今はただ断層を取るだけではなく、それを3次元処理したり、造影剤を注入して脳の血管だけを画像化したり血流量を計算したりモニターで3次元に見えるようにしたり、血管や腫瘍に色を付けたり、というような「付加的」機能がたくさんついています。救急の現場で「出血があるのかないのか」とか「脳梗塞なのか、脳出血なのか」という判断をするためだけのCTなら1500万円程度で購入できる様な代物でもいいのでしょうが、結局、3次元再構成画像が「綺麗に」「早く」撮れる機種が「欲しい」と病院側(使う医師、主に放射線科医と脳外科医)は当然考えます。そのような最新鋭の機種は、画像ネットワーク機能であるとか含めると総額で2億円くらいになります。
 こういう機器に「定価」というものがあるのかどうか私にはわかりません。公的病院では高額機器の購入に際して各社のデモンストレーションの後、「入札」という方法がとられます。私的病院ではその辺は自由なはずです。何年か前ですが、ある私立病院で新たに億単位のMRIを購入する事になった時、数千万円相当のCTが「おまけ」についてきた、という話しを聞いてたまげたことがありました。

 MRIは本名をNMR-CT(核磁気共鳴コンピュータ断層撮影)といいます。英語で表記するとNuclear Magnetic Resonance Computed Tomographyとなり、nuclear=核、という言葉にあまりいいイメージがないため、Magnetic Resonance Imaging;MRIという呼び方に変更されました。X線はまったく使っていないのですが、「放射線学的検査」に分類されています。大きな強い磁石によって体内のプロトン(水素原子)のランダムな動きに変化を起こしそこに新たに加えたRF波(ラジオ波)に反応した変化をとらえる事によって、水の密度や物質の密度とその変化をセンサーでとらえて、それをX線CTと同様にぐるりと身体の回りを回ってデータを集めそれをコンピュータで解析して断層像を造り出しています。NMR現象の研究は、実はX線CTが開発されるよりもかなり前から解明され実用化されていたのですが、それをコンピュータによって断層撮影にして人体に応用したのはX線CTの開発の後になります。永久磁石では生じる磁場に限界があるので、高い磁場を作り出すために超伝導現象を応用した超伝導コイルによる磁石が必要になり、そのため液体窒素であるとかそれを注入するタンクの様な装置などかなり大掛かりで高価なものになります。通常の超伝導MRIで一台1億円から3億円はします。

 さて、こんな「何億」という金額の器械を使った検査に我々はどれくらいに医療費を払っているのでしょうか?
 身体の部位によって値段が違うし、造影剤を使った分は別料金、更に検査が複雑でたくさんの写真を撮れば使ったフィルム(シャーカステンにはる奴です)の値段分高くなるため幅がありますが、一回のCT検査で10割の支払いが15000〜20000円+α。つまり保険本人外来での支払いならば、個人の負担はおよそ5000+α円です。この「料金」の成り立ちですが、たとえばMRIの検査料自体は1140点。それに医師の放射線診断料が450点ですから、あわせて1590点(=15900円)。これに上記のように、造影剤を使ったか、特殊な撮影法を追加してフィルムをたくさん使ったか、などによって+αがあるのです。
 ところが、一般市民がおそらく知らないであろう事があります。同じ検査をしたのに値段が違うときがあるはずです。実は、余計な検査(?)を控えるよう診療報酬の制限があって、ひと月に何回も検査ができないような料金の仕組みができています。同一部位(頭なら頭ということ、1回目が頭で2回目が腹部の場合は別の検査と見なされます)のCTまたはMRI検査をひと月に2回以上行った場合は、2回目からの点数が減額されるのです。たとえば、脳卒中が疑われる患者さんに頭のCT検査を行いさらに詳しく調べるためにMRIをすると、その検査がおなじ月(同じ日でも同様)に行われた場合は、MRI検査の料金は1140点→600点に大幅に減額されます。つまり、脳梗塞を疑う患者が運ばれて来てCTを撮ったら所見がなく、MRIを撮って脳梗塞と診断した様な場合、MRIは6000円(保険本人の負担は外来なら1800円、入院なら1200円)ですんでしまうのです。
 資本主義経済、消費社会の中では、5400円も値引きされちゃうなら検査をしない、という発想があってもおかしくないと思います。しかし、「正しい診断をつけ速やかに治療を開始するための必要な検査」として、我々はそのような「診療報酬の減額」などは意に介さず検査を行っているのです。なんでこんな同月2回目以降の同一検査の減額が行われるのかというと、必要以上に何度も検査をして病院が金儲けをしようとするのを防ぐ意図もあるのでしょう(どこぞの病院で必要もないのに入院患者に毎週一回脳波をとったり、毎週一回CTを撮ったりというようなことが過去にあった)が、正しい治療を進める上で必要な検査まで料金を削られるというのはどうなんでしょう?
 また上記の放射線診断料ですが、医者がフィルムをみて異常かどうかを診断する技術料に当たりますが、これが450点(=4500円)です。しかし、診断料はひと月に1回しか算定できず、月に何回行っても診断料は1回分しか取れないのです。別のいい方をすれば、2回目以降は医者はタダで診断している、つまり医師の技術料は「0円」ということになります。
 こういう仕組みになっているのです。そして、どんなにたくさん検査をしたくてもCT検査で一日40人、MRIで同20人位しかできないでしょう。中には複雑で特殊な撮影が必要なため、一人に一時間かかる患者さんもいます。そうやって、制限の中に制限が加えられた検査料で「稼いで」も、人件費、ランニングコスト、フィルム関連費、その他に莫大なお金がかかります。CT装置のレントゲンの管球(カメラの球)は高いものだと一個2000万円くらいするといいます。これを数年に一回取り替えないと行けないのです。おおざっぱな試算をしても、1億5000万円のCTの元をとるのに8年から10年かかってしまいます。しかも毎年の診療報酬改定で、CT/MRI代は年々下げられており、いわゆる「儲け」はますます少なくなって来てます。すると病院側としては、高額な機器であるCT/MRIの更新(新機種導入)はなるべく遅らせようとするのが事の理でしょう。いや、早く導入したくても買う予算がない、組めない、ということになります。
 結果、「古い」「診断能力の低い」検査器械を10年以上も大事に使って『脳ドック』なんてやっているところまで出て来る始末なのです。「こんな質のMRIで脳ドックをやってるの?」と首を傾げたくなる様な施設も中にはあるのです。私が脳ドック反対派でも賛成派でもないと言ったのは、脳ドックの理念(脳卒中で倒れる前に発見して元気な身体で元の生活に戻ってもらってみんなが幸せに)にはもちろん大賛成なのですが、これを儲けの手段にする様な病院も世の中にはないわけではなく、自分がやるのなら現時点で最先端、最上級のCTやMRIを使ってやりたい(そうでなければ脳ドックを受けている方に申し訳ない)と思うからです。もちろん、「最先端」「最上級」の機種でなくても十分に脳ドックはできます。それはドックをする側の「心」の問題です。

 今回取りざたされている、診療報酬の4%マイナス改定(=医師の技術料の減額)は、こういうところにも必ず影響を及ぼします。新しい優れた器械を購入し装備するのに「足かせ」になります(高い器械を買っても儲からない)。場合によっては「赤字」になるので「買わない」とか最新検査機器装備を諦める(つまり少しランクの低い器械に替える)ということだって起きます。これがじわじわと、進歩した、世界に誇る日本の医療技術を弱体化させ、「世界一」なんて威張れなくなってくることが懸念されます。患者さんは近い将来弱体化した医療を甘んじて受ける事になるというのが、先日から書いてる診療報酬減額による医療レベルの低下の心配についてほんの一部を説明している事になります。

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2005.11.30

健康に関するテレビ番組

 流行ですね。視聴率がとれるんでしょう。
 日曜の夜、元スパイダースのヴォーカル堺○章氏が司会進行を務める番組で『頭痛』の特集をしていました。昨晩は、世界的映画監督北○た○し氏が司会進行を務める番組で「クモ膜下出血」が取り上げられていました。両方の番組に仕事上で少々親しくして頂いている有名な先生方(N医大のK先生、J医大のS先生、F大のK先生など)が出演されていたので興味深く拝見しました。
 番組の内容としては、どっちの番組も「半分○、半分×」でした。素人への啓蒙として、なかなか工夫を凝らしたり鋭く突っ込んだ部分は評価できます。ただちょっとおかしい、あやうい、と思う部分や「おいおい!」という部分も少しあったのが気になりました。視聴者を釘付けにし他の番組へチャンネルを変えたりしないよう、一時間の番組の間「ひっぱら」なくてはならないでしょうし、ありきたりの内容ではすぐに飽きられて、来週の視聴率がとれないのかも知れないのでしょうから、仕方のない面もあるでしょう。
 頭痛の多くは、緊張型頭痛か偏頭痛、しかし何らかの症状(たとえば手足の痺れとか吐き気とか)を伴ったり2週間以上続くなど持続性の場合は、脳の病気を疑った方がいい。けして間違いではありません。ただ、そういう症状を伴わなければ「脳の病気はない」と言い切れるかと言うと、決してそんなことはありません。人間は皆それぞれ違うので、「ある特有のパターン」というのがあるとはしても、万人に当てはめる事は危険です。かといって、頭痛を何でもかんでも「脳の病気」に結びつけるのも愚かな事です。番組でとても大事な事を言っていたのは、頭痛の強度によらず、患者本人が「頭痛が起きた瞬間を意識できる」「いつ頭が痛くなったかがわかる」というのは、くも膜下出血を強く疑わせる大事な所見です。
 「前触れのない突然の吐き気」がクモ膜下出血を疑わせる大事な所見か?と言うと意見の分かれるところです。頭痛を伴わずに吐き気があったら、これはやはり腹部症状として消化器系の病気を疑うのが素直だと思います。吐き気に頭痛が伴う事が大事です。
『脳幹にある嘔吐中枢が出血によって刺激されて吐き気、嘔吐が生じる』
と図解しながら高度な事まで説明していました。ただ、「出血が同時に脳を刺激して頭痛が起きる」という表現は正しくありません。『脳』という組織自体には、「痛覚」を感じるセンサーがありません。つまり脳単独の異常では基本的に頭痛は起こりません。脳の組織そのものが異常になる病気である、パーキンソン病やアルツハイマー病や小さな脳梗塞には「頭痛」という症状は伴う必然性がありません。
「頭が痛い」と思うのは、脳の回りに走っている太い血管や脳を包んでいる髄膜という組織(それらは中枢神経ではなく、全身の血管や皮膚と同じ仲間です)に『痛覚受容体』というセンサーがついていて、それに何らかの刺激が加わる事で生じる症状です。ですから、クモ膜下出血の場合、脳の外を満たす脳脊髄液腔に出た血液が髄膜を刺激してそのセンサーが「痛覚刺激」を脳に伝えて初めて「痛み」を認識する訳です。脳腫瘍や大きな脳出血や大きな脳梗塞では、脳が浮腫んだり病変に押されて歪んだりすることによって、脳の回りを走っている太い血管が引っ張られたり、髄膜が押されたりしてセンサーが「痛覚刺激」を脳に伝えて「痛み」を認識します。
 「痛み」というのは、脳で認識されるものであって、痛みの発生している場所ではセンサーに対する単なる外的または内的な刺激でしかなく、受容体センサーが刺激を受けて電気的に興奮し、それが神経を伝わって脳に運ばれそこで初めて「痛い!」という意識に変容されるのです。ですから、目の回りや奥の筋肉、額や側頭部の筋肉、首筋から後頭部の筋肉が凝りや緊張で硬く痛くなった場合も、同じように痛覚刺激が脳に伝わって「痛い」と感じる事になる訳なので、「痛みの場所」とか「痛みの性状、程度」だけでは、「何が原因で痛くなっているのか」見分ける事は簡単な事では(脳外科以外の一般医師にとっても)ないのです。(だからこそ、頭痛外来が必要なのですが)
 ですから、いつ、何をしている時に痛くなったとか、痛みがどういう風に続いているかとか、どういう症状が伴ったかとか、そういう情報が大事になります。もちろん、クモ膜下出血の場合、出血量の少ない軽症から大量に破れてしまう重症まで、専門の我々でも驚く程の差があります。
「あれ?頭痛いな。風邪でも引いたかな?」と思うくらいで車の運転や仕事をしているクモ膜下出血患者さんもいれば、「うぁー!!痛い!!」と言ったかと思うと倒れ込んで昏睡になり間もなく呼吸も怪しくなってしまう患者さんもいます。「クモ膜下出血の半分が死亡する」という表現がありましたが、ちょっと誇張かもしれません。しかし、あまりに重症で病院に運ぶ間もなく亡くなられる方や、救急搬入されても心停止していて解剖もされず死亡原因がくも膜下出血と解明されずに亡くなってしまう方も相当数いると思われ、我々脳神経外科医のところになんとか来て下さってクモ膜下出血という診断を受け、重症で亡くなられてしまう患者さんの率およそ20〜30%よりも実際は高いであろうことは想像できます。ただ、我々が分類するクモ膜下出血の重症度5段階で軽症の方から1、2、3段階までの方で合併症などのない方は、適切な治療、手術を受ければかなりの確率で社会復帰が可能です。中には出血による脳の破壊のためや出血が原因で起こる脳の血管の攣縮(糸のように細くなる事)のために脳梗塞を起こして、重篤な後遺症を残す方も残念ながらいる事は事実です。しかし、私の少ない経験ではありますが、グレード3までの人で自宅に帰れなかった方は一人もいませんし、80才を超えた高齢の方以外皆独歩で自宅に帰り、グレード1、2の方はほとんどの方が復職して社会的にも元に戻っています。
ですから大事な事は、時期を逸しない適切な診断という事になります。テレビでやっていたまるで「絵に描いた餅の様な」(表現が不適格かな?)症例は、1)前触れのない吐き気、2)その後頭痛を意識、3)しばらくしてまた前触れのない吐き気、4)少し強い頭痛、5)どちらか一方の瞼の下垂(下がる事)、6)大破裂による死亡という経過をたどっていました。不幸にもあのようになる症例もあるかもしれません。でもほとんどクモ膜下出血は、もっとはっきりとした頭痛や嘔吐を伴い、とても一人で自宅に歩いて帰ったり、家事をしたり、趣味のフラワーアレンジメント(でしたっけ?)をしたりという様な余裕はないと思います。車で送られてようやく自宅に帰るか、吐き気と頭痛が強いためそのまま病院に連れて行かれるかだと思います。
ーー 
 ここに、少し似た様な例があります。実は横浜に住む私の母親です。4年前のある日、急に頭が痛くなって吐き気がして一回吐いた、という連絡が本人から私にありました。「病院に行った方がいいか?」と聞きます。意識ははっきりしていて自分で電話をかけてきました。私は、本人及び父親に近くの脳外科のある大きめの病院へ連絡してすぐに受診するように、と伝えました。その日、私は西日本の某都市で開かれる脳外科関連の学会に出席するため新幹線に乗っていました。「電話をしたら午前中の外来受付は終わったから、午後1時半過ぎに来てくれ、と言われた」と父が言います。時間は確か11時過ぎだったと思います。「クモ膜下出血が疑わしいから、1時間も2時間も待っていてはダメだ。私が電話して担当医にお願いするから番号を教えて!」と父から電話番号を聞き脳外科医と直接話しをしました。「わかりました。すぐにCTを撮りますからすぐ来て下さい。」と言われ、それを新幹線の中からまた父に電話連絡する、というもどかしい形ではありました。
 新幹線が目的地に着いた丁度直後くらいに、先ほどの脳外科医から私の携帯に直接電話がありました。「クモ膜下出血はないようです。ちょっと疑わしい所見もありますし、今からMRIとMRAやりますので結果が出たらまたお知らせします。」と言われました。もうこれはくも膜下出血だ、と思っていた私はそう聞いてホッとして、「な〜んだ、じゃ、ただの緊張性頭痛か何かか。」と納得し学会に参加していました。MRAの結果、「脳動脈瘤もなさそうだし大丈夫だと思いますが吐き気も続いていますし念のため入院して頂きます。」との連絡を受け、その情報を信じきった私は、「よろしくお願いします。」とお礼を述べました。
 入院後の検査の結果、頸椎に軽い変形もあり頚性の頭痛として整形外科にも見てもらい3日で自宅に退院しました。私は、学会参加後は大学病院での忙しい仕事があったので実家によって母を見舞う事もせず(単なる頭痛だと思っていましたから)横浜を素通りしました。それから2,3週たった頃でしょうか、父から「まだ頭痛を訴えているし何だか言う事がおかしい。ボケたのか?」という連絡があり、別の病院の脳外科か神経内科を受診するよう進めました。そこで病歴上、前医のCTとMRIで明らかな異常がなかったということから、別の病院の精神科を紹介され、そこを受診しても検査はなく話しを聞くだけで、「来週また来て下さい」と言われたとの事でした。父がかなりいぶかしく思っていたようですが、息子と同じ職業の脳外科医が「大丈夫」と言った言葉を信じていたようでした。それから間もなく、隣近所の人が来ても頓珍漢な事を言ったりするため、いよいよおかしい、ということになり、再度連絡を受けた私は、実家から車で30分以上かかるけれど昔から親しくしている信頼できる脳外科医のいる別の病院を紹介し、そこで入院精査をしてもらうことにしました。そこでもやはり、一番最初に受診した脳外科専門医が3人いる総合病院での検査で「シロ」だったことが重視され、吐き気が続くため内視鏡検査が予定されたようです。ところが軽い意識症害があるようなのでCTを撮ったところ立派な「水頭症」と診断されました。すなわち、遡る事1ヶ月くらい前に突然の頭痛と嘔吐で軽症のくも膜下出血を発症したものの、神経脱落症状もなく意識もよく、検査で異常が認められなかった(結果的に言えば誤診ですが)ため見過ごされ、出血のために脳脊髄液の循環と吸収が阻害されて水頭症が出現し、精神症状(ボケたと考えられた)まで出現して初めて正しい診断がついたのです。
 これは非常に運の良いケースです。1ヶ月、診断がつかずにウロウロしている間に、再破裂して重症の出血を来たし、死亡したり寝たきりになってしまった事も十分に考えられます。ラッキーでした。何故、最初に診断がつかなかったのか。私はCTもMRIも全て取り寄せてみせてもらいました。手術にも立ち会いました。確かに出血量が少なくCT上うっすらとしているだけでわかりにくい所見ではありましたが、「脳外科医」が「突然の頭痛と吐き気と嘔吐」と聞けば、強くくも膜下出血を疑う所見ではありました。更に、MRIではなかなか出血はわかりにくいのですが、MRAでは出血原因の脳動脈の瘤がわかる事が多いのですけど、それもよくわかりませんでした。理由は画像が汚かったからです。検査中、母がじっとしておれずに頭を動かしてしまったからかもしれませんが、一番大きな理由と言っていいのは、CTもMRIも一世代以上前の機種であったということです。携帯電話に例えれば、メガピクセルという画素が当たり前の「今の」機種より一つ、二つ前のボワ〜ンとした写真しか撮れない機種、という感じです。
 手術所見は立派なクモ膜下出血。一ヶ月経っていたため、既に赤味はなくややオレンジがかった黄色に変色した出血の名残が血管や脳の回りにへばりつている感じでした。手術は成功し、水頭症に対してのシャント手術も上手く働き、幸いほとんど後遺症なしで回復しましたが本当にラッキーでした。このように、典型的なクモ膜下出血の発症の仕方でクモ膜下出血を強く疑って脳外科専門医のいる病院に直接運び込んですぐにCT、MRIを撮ったにもかかわらず正しく診断されない場合すらあります。
 テレビ番組でさかんに「脳梗塞のシグナル」とか「クモ膜下出血のシグナル」という言葉を使っていましたが、予兆という意味のシグナルではないでしょう。あれは「典型的な症状」そのものです。そういう症状があったら、脳梗塞になるかも知れないと疑う、のではなく、「既に脳梗塞になっている」のです。「突然の頭痛」+「胃腸症状を伴わない突然の吐き気」はクモ膜下出血を強く疑い、信頼できる、医師のいる、設備のある脳神経外科の病院に直行すべきです。それでも100%診断されない場合もあるという事がある、という事も知っておく必要はあります。
 かなり『言い訳』めきますが、医者は人間なので100%ではありません。我々は100%を目指し日々努力しているつもりではあるし1%のミスも許されない立場ではあるけれど、法的には「許容範囲」というのがあります。同一に論じるのはおかしいかもしれませんが、医師国家試験は基本的には60%できれば合格です。逆に言うと、40%間違ったり知らなくても日本国は法的に「医師」と認定する資格を与えているのです。その辺を考えると、情報は鵜呑みにせず賢く立ち回って全てを医師任せにしない事も大事です。私も、同業の脳外科専門医の言う事を鵜呑みにしました。まさか「脳外科専門医」が正しい診断を下せない、なんて事は考えもしなかったのです。
 テレビ番組の情報も、上手に利用して、振り回されないよう、賢く知識を生かして頂きたいと思いました。

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2005.11.28

診療報酬4%引き下げへ

 本日の新聞にタイトルの件が載っていた。読売新聞はトップ記事扱いである。
 中身をざっとみると、政府はとにかく社会保障費を抑制するためにまず医療費の抑制は不可欠、として、来年度診療報酬を4%下げる計画との事。しかし、この中身は、「医者の技術料」が3%引き下げで「薬価」が1%引き下げの予定なのだそうだ。やはり消費経済の中に巻き込まれた医療、そして政治的な力での駆け引きが見える。
 前から書いているように、無駄は減らすべきだ。下げるべきところが下げられてもやむを得まい。しかし、これが一律(そうでないと『不公平』だと考えるのが日本人らしい発想ですから)下げられるとなると憤慨せざるを得ない。「悪平等の不公平」とはこういう事をいうのだ。
 進歩している技術、診断能力の向上、安全性の向上、治癒率の向上など、医療ミス、医療過誤のセンセーショナルなニュースの陰に隠されてしまっているが、たとえば20年前の医療と現在の医療では全くレベルが違う。日本は世界一の長寿国であり、保健衛生を支えているのは、やはり世界一平均点が高いと言える現場の医療技術レベルなのだと私は考えている。それなのに、「デフレだから」、「社会保障費の抑制は不可欠だから」という理由で「医者(=医療の専門技術者)の技術料」をまず目の敵のように下げるのである。
 4%下げるのならどうして、内訳薬代が3%の引き下げ、にならないのだろうか?やはり製薬会社や消費経済社会に力を持つ団体へ遠慮しているようにしか見えない。「日医」は何をしているのか?年間10万円以上の会費を納めているのに。
 「日医」は政府案とは真っ向から対立して「5%の引き上げ」を要求しているとの事。そうだ!ものによっては下げてもいいが、ものによっては10%くらいあげてもいいのではないか、と現場の医療職側に立つ私は考えてしまう。
 日本国は今や多額の国債による借金国。これは社会保障費のために使われたのであろうか?違うでしょう。税金の無駄遣い、天下り官僚の目玉が飛び出るような給与や退職金、誰も使わないのにものすごく豪勢な郵政関係の保養施設、、、などなど数え上げれば切りがない。
 国民が一律に痛みを伴う、と唱っている。国民の医療費自己負担もあげられる計画である。だから医療側の負担として、医者の技術料をメインに診療報酬の引き下げはやむを得ない、というのが政府の見解らしい。それなら、国会議員の不当とも言える年金をあらためるように、その人が(ゴルフなんかして)そこにいなくても会社組織が成り立つような遊んでいる天下り職員のいる全国にた〜〜〜〜っくさんある政府・官僚に密接な○○関連組織を大改革していますか?彼らの既得権を守るための抵抗に負けていませんか?
 毎日の診療に忙しすぎて表立って文句も言わず、「仕方ネェな〜」とか「やってられないね〜」と愚痴をこぼしながら、患者の前では笑顔で「接客」と言われている勤務医の声など届くわけないですものね。何でも先の中医協の汚職絡みで、診療報酬(点数)は政府が決める、という事に変わったらしいので、いくら「日医」が「あげろ!」と言ったところで、『4%引き下げ』は間違いなく断行されるんじゃないですかね。なんでもっと金儲けてるところから取らないんだろう?公的病院だって、職員をギリギリの数で運営し、常備する薬剤の数を減らし、ベッド稼働率を上げるためもっと患者さんを入院させましょう、とか会議しているところも少なくなく、それでも「赤字経営」でヒーヒー言っているのに、そういう公的病院などの機関を更に苦しめるような制度を押し進めるのはなぜでしょう?
 「策」が乏しい、と思うのは私だけでしょうか。

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2005.11.12

宿直明け

 昨日は宿直だった。そういえば先の日曜も宿直だったので6日間で2回泊まった事になる。私の年齢でも月に2、3回、若い先生だと3、4回は宿直や日直が回って来る。名簿を見ると常勤医は76名もいるのだが、院長、副院長、救命救急センターの医師、その他の一部の医師(病理医など)は当直体制から外れているので、結構頻回に回って来るのである。以前は年齢による優遇措置(たとえば50才以上の医師は当直から外すとか、45才以上は日直だけにするとか)を行っていたけれど、今ではそうも言っておられず若い先生に比べて外科系救急宿直を免除されている以外は同じ条件である。
 比較的新しい病院なので、前に書いたように外来棟にエスカレーターがあったり結構凝ったデザインである。しかし、医局は狭く、医師一人当たりに本棚一つしかなく、当直室のベッドは小さく硬くて寝心地が悪い。まあ、医局でのんびり寛いだり、ベッドでゆったり寝たりせず、働きなさい!ということなのだろう。
ーー
 深夜にICUで呼ばれてその後テレビを観ていたら、BS2でN響音楽祭のシリーズの中で、マエストロ小沢征爾が指揮して、子供を対象の音楽会をやっていた。「運命」の解説もマーカス・ロバーツトリオとのJazz競演のガーシュインも面白かったが、千住明さん作・編曲の世界初演「日本交響詩」に注目した。
日本人なら誰もがどこかで必ず一度は聴いた事のある旋律の曲をメドレーよろしく並べてオケ用に編曲しただけ、と言ってしまえばそれまで。「うさぎお〜いし」の『故郷』から始まって最後は『さくら』で締め。メドレーの2曲目が『最上川舟歌』で3曲目が『花笠音頭』だった。その他に北海道の『ソーラン節』とか香川の『金比羅船』などがあったが、一つの県で2曲入っているのは山形だけだった。まんざらでもない気分。千住さん、7/22の本ブログで書いたように山形とは縁がある。そういうことからの選曲からなのか、単に千住さんの心に「日本の旋律」としてこの2曲が残っていたのか。いつか聞いてみたいなあ。
(実は、花笠音頭は戦後に作られた比較的新しいものなんですが、まるで江戸時代から存在していたかのようななじみ深い曲ですよね。私、将来山形に住む事になるなんて露程も思っていなかった九州時代から花笠音頭は知ってましたから)
ーー
 久しぶりに医療の話し。
 昨日の新聞に、政府が医療制度改革の一案として検討していた「保険免責制導入」を見送ることになったと書いてあった。外来受診に際し一定額を保険対象外として負担する制度で、当然国民の医療費自己負担が増すとともに外来受診抑制を来すものである。「公的医療保険制度の基本に反する」「患者負担は3割にとどめるとした2002年改革の趣旨に反する」などの異論が噴出したため、今回は見送る事になったらしい。その結果、医療費抑制は、高齢者負担の増加、診療報酬引き下げなどを中心にを図っていく方針だと書いてあった。
 確かに「公的医療制度」の方針から外れる考え方ではある。しかし、これは憲法9条問題と同じよう(私は、護憲派でも違憲派でも何派でもありませんが)、時代の流れに応じて「基本」とされている考えを見直す必要がある問題だと思う。
 更に、医師会などが「患者の受診機会を抑制する」と反対しているらしい。もちろん、必要な医療サービスを受けることが抑制されるのは好ましくないが、過剰/不要な医療サービスは抑制してもいいのではないだろうか?「感冒」で医者にかかったら診察料と薬代で1万円請求されるようなら、ほとんどの人は薬屋さんで市販の風邪薬を内服して家でおとなしくしているのではないだろうか?39度の高熱であるとか、肺炎症状の場合は、医療機関にかかればもちろんいいのであるが、「風邪気味で鼻水が止まらない」「37度の熱で頭痛がある」位で必ずしも医療機関を、しかも救急外来などを受診する必要はない場合もあるのである。これを抑制する方向に持って行ってもいいのではないかと個人的には思う。ただでさえ高齢化社会で医療費が高騰している。医療水準が高くて提供するサービスも高度であるため(諸外国に比べての話しです)医療費が嵩む傾向にある。医療レベルを低下させずに医療費を抑制するためには、無駄または無駄な傾向を減らすしかない。
 しかし、これは一部の考えかも知れないが、既得権の喪失を恐れてなのか、医師会が大反対しているらしい。受診機会が減るということは、開業医にとっては大打撃であるからである。一方、同じ医師でありながら病院に勤務する勤務医の立場として私は、外来患者数が減る事、過剰な受診が抑制される事は大変いい事だと思う。
 かつて書いたように、「2ヶ月前から時々頭が重苦しいのだが、脳卒中になるのではないかと心配で診てもらいたい」というような患者さんが、本来は脳神経外科の外来を受診する必要性はない。念のために、スクリーニング的に検査するのであれば「健康診断」なのだから、本来は全額自己負担でなければならないのだが、そんなことを言えば患者さんは「あの医者は意地悪だ」「もう診てもらわなくていい」という感じになるので「はいはい〜、じゃあ、CT撮ってみましょうね〜。MRIも予約しますか〜。」という感じで「過剰」な保険診療が行われるのである。
 これが本当に「患者中心の医療」「患者の視点での医療」なのだろうか?と前々から疑問には思うが、こんな事を一般の患者さんに説明してみたところで、「CTを撮ってみて欲しい」と思って来ている患者さんの前ではただ理屈っぽく自分には不利に行動する嫌な医者、ということになってしまう。病院で働く医師は、患者受けが良く病院の評判をあげることが要求され、正論を述べても無駄、黙って働きなさい、という感じは皆感じながら辛抱して働いているような気がする。
 だから、外来受診料金の一定額保険対象外は方法論さえ誤らなければ導入してもいいのではないかと思う。この案がポシャった代わりに、高齢者負担の増加、診療報酬引き下げを行うとしたらこちらの方が問題だ。高齢者負担の増加はある程度はやむを得ないところもあろう。だって世界一の長寿国となったため高齢者比率も高いのであるから、「高齢者」という定義すら変えなくては行けないくらいなのだ。しかし、診療報酬の引き下げ、これは昨年既に全面マイナス改定を行ったばかり。それを更に推進するというのだ。もし、これまでにその医療水準に比較して高く取りすぎている医療技術や診断法があるのならマイナスになってもやむを得まい。しかし、進歩している世界一高水準の医療技術が、『国全体がデフレ傾向にあるのに医療だけ価格引き下げがないのはおかしい』という他の消費文化と同等のものとして論じられるのはいかがなものなんだろう?
 日本医師会という団体がある。私も加入しているが、公立病院勤務医である私に、一年間で10万円以上の「会費」を払っているメリットは、はっきりいって「何も感じられない」。日本医師会雑誌とか県の医師会報などが送られて来るが、病院勤務の脳神経外科医が読むべき内容は多くない。「何でも勉強になる」と言ってしまえばそれまでだが、脳外科関係の学術雑誌でさえ隅から隅まで目を通している訳でもないのに、あまり役に立たない医師会の記事まで見る時間はない。その医師会雑誌に添付されて小冊子が配布された。
「世界トップレベルの医療を提供するためにー日本の医療の現状と将来」と題され、なかなか面白い内容の図表が載っていた。「あれ?これは医師会会員に配っているんだよね?」と私は思った。政府、医療改革協議会や一般市民を対象に、「日本の医療は水準が高い。高い水準の医療には金がかかるんだ」と説いているような内容なのだが、こんな冊子、一般市民が手に取る機会なんてあるんだろうか?
 よく、医師は高給取りのように言われる。決して低いとは言わない。しかし、たくさん稼いでいらっしゃるのは開業医の先生方である。日本の制度ではそうなるのである。たくさん稼ぐ事が悪いとは言わない。個人事業主として頑張って働いてたくさんお金を稼いでどこが悪い!である。病院勤務医は歩合制で給料をもらう事はまずないので、いわゆるサラリーマンである。給与体系はある形式の契約である。だからたくさん手術しても少ししか手術しなくても、たくさん急患を診ても少ししか診なくても、その契約通りのサラリーを頂く。そして、(独立法人化したとはいえ)国立大学の研究職にある医師は、極端にそのサラリーが低い。大学だけのサラリーで年収1000万を超える人が、病院の中に一体何人いるのだろうか?勤務医になると1000万を越す人が少しは多くなる。ところが、開業医の先生方は納める税金が私の年収の何倍もあったりするのだ。軽く一億円以上稼いでいらっしゃる先生も大変たくさんいらっしゃる。
 同じ日本医師会に属しながらも、大学病院勤務医、一般病院勤務医、開業医では、立場も稼ぎもあまりに違いがある。そして、日本医師会の中心の意見になって行くのは、数も多く力を持ち政治的活動に時間を作る事が可能な開業の先生方がどうしても多くなる。勤務医の意見は、聞いて頂いているようだが「医師会」としての中心的な意見にはなりにくい。だから勤務医は医師会になかなか入りたがらない。入ってもメリットが少ないからである。結果、日本医師会は「開業医」中心に運営され、「開業医」のための政治的圧力団体のようにすら見える事がある。一般の人にとっては、我々勤務医も同じ医師会のメンバーだと思っているのだろうがほとんどの人は入会していないのが現状である。
 そして、保険診療のマイナス改定に話しが戻る。たとえば、脳動脈瘤のクリッピング手術。クリップも改良に改良を重ね、MRI対応の細身のものが主流になっている。開いた頭蓋骨を元に戻すのに昔はステンレスのワイヤや絹糸で縛っていたのを、今はチタン製のプレートでがっちり固定している。手術してから何年か経つと絹糸が切れたりして外した骨の部分に段差が出来たり、皮膚表面からあきらかにわかるよなポッコリした凹みができることが多かった「昔」に比べ、現代の手術ではそのような事はまず起こらない。髪の毛が伸びた後は、知人から「お前、本当に頭の手術受けたのか?」と言われる程目立たない。頭蓋骨を削るドリルだって、その機能は向上しているし、動脈瘤を露出したりクリップをかける際にも脳の機能や血流をモニタリングしながら、また術中血管撮影装置を用いてすぐに血管の形を調べたりできる。脳腫瘍の手術中に、手術室にMRIがあって腫瘍の取り残しの有無をチェックしたり、大事な機能部位との距離を探索したりする事がリアルタイムに出来る。このように進化、進歩している手術に対し、マイナス改定を行うという考えがまず解せないのである。「回りがみんなそうだから」という論理らしい。勤務医は開業医より遥かに少ない収入で頑張っているのは自分たちの技術、自分たちの努力が日本の医療を支えているから、という自負もあると私は考える。
 何も、開業医と敵対するつもりはない。開業の先生方にも苦労はたくさんあり、最初に書いたように努力に見合った収入を得る事はいい事だと思う。しかし、開業医と勤務医にこれだけ格差のあるのは、おそらく先進国では日本だけだと思う。アメリカなどでは、クリニック開業医より病院勤務医の方が収入が多いケースがたくさんある。頑張って医療水準を世界一にしている勤務医が、「な〜んだ、また下げんのかよ!俺たち(私たち)の努力は政府や経済界には評価されない訳ね。」ということにならないだろうか。
 そこで結局出て来るのは「精神論」なのか。「欲しがりません、勝つまでは」と同じでは困るのだ。
 でも、他の誰から助けられる訳でもなく、医師としてのプライド、自己犠牲の精神によって勤務医自身が日本の勤務医医療の崩壊をきっと支え救ってくれるだろう。医療改革協議会はそういう「高潔な精神」に期待しているのだろう。。。。(sigh)

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2005.09.06

また国民総医療費の話し

(9/5分Asahi.comより一部転用)
ニュースソースを解説、というか細かく批評してみます。
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『公的医療保険からの給付費や自己負担分などを含めた医療費の総額「国民医療費」が、03年度に前年度比1.9%増の31兆5375億円となり、国民1人あたりの医療費も同1.8%増の24万7100円だったことが、厚生労働省のまとめでわかった。対国民所得比は前年度と同じ8.55%だった。国民医療費は、診療報酬のマイナス改定により前年割れだった02年度から一転して、人口の高齢化などを背景に増加に転じた。』

 増加に転じること自体はニュースでもなんでもない。当たり前の状況である。高齢者が増え、医療技術が進んでいるのにどうして「総額医療費」が減少し得ようか?!この文章をどう読むか。立場によって変わる。
 アメリカは対GDP比15%の医療費がかかっている。日本はその半分程度なのだ。よくやっている!とも言える。米国の医療は政府のコントロールの及びにくい、市場原理の働くビジネス的制度。日本は、社会主義的に平等を目指す制度。(米国の貧富の差や、受益する医療レベルの国民間の格差は、今回のハリケーンによる被害のニュースを見るだけでもわかりますね)。素晴らしい制度の中で医療を受けている、と考えてよいのだろうか。
 平等である事が本当にいいのだろうか。差別はいけないが、医療の値段に格差を付ける事は積極的に考えていくべきである。
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『政府管掌健康保険や健康保険組合などに加入する会社員本人は、自己負担割合が03年4月に2割から3割に増えたため、前年度比12.8%減と大幅に落ち込んだが、高齢の加入者が増えている国民健康保険の医療費が同8.9%増加。さらに、生活保護受給者が増えたため、税でみる医療費も5.7%増えた。』

そうだった。「国民に痛みを強いる」保険制度の改定によって、「自己負担が3割」になったのだった。それによって病院の受診を控える人が出たのだろう。それで日本国民の健康状況が悪化している様子はないので、「安易な医療機関の受診を抑制する」効果は上がったように思われる。
 しかし、それも「焼け石に水」的効果であって、結局、老人や低所得者層の医療費の増大を抑制は出来ないということになる。
 上に書いた「差別化」。たとえば、開業医のクリニックの外来、一般市中病院の外来、地域の中核的病院の外来、大学病院などの高度医療を提供する病院の外来、これらを差別化する事が必要ではないか。現状では、2月や3月に一回の受診でいい、といって一日の外来患者数を減らそうと努力している大学病院や地域中核病院の外来診療費よりも、1週間や2週間ごとに外来受診をさせ処方箋料と外来指導管理料をとる開業医の外来受診が一番支払う金額が高くなるという逆転(?)現象が起こるのである。大学病院も地域中核病院も「地元に開かれた、敷居の高くない病院」を目指そうとスローガンをうたっている事が多い。すると、「大学病院を受診すると町の開業医にかかるより高くなるから嫌だ」というような「差別化」はそのスローガンには反する。しかし、医療の役割分担としては、こうなるべきである。風邪や、ちょっとした腹痛で大学病院を受診する状況はやはりおかしい。
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『年齢別では、65歳以上の医療費が全体の50.4%を占め、1人あたりの医療費も65万3300円で、65歳未満の同15万1500円の約4.3倍にのぼった。70歳以上は1人あたり73万4400円、75歳以上は同80万9400円と高齢になるほど医療費も増大する。』

 高齢である事は、病弱である事に等しいのである。老化は自然現象ではあるが、「腰が痛い」「膝が痛い」「胸が苦しい」という症状だけで軽症の方から、実際に脳卒中や癌や心臓病などの致死的疾患の方までたくさんいる。いて当然なのである。老人医療費を抑制するには、老人特有の病気であまり致死的疾患ではないものの診療費を減少させる手がある。実際、すでに着手されている。一番打撃をうけるのは整形外科である。健康的な年寄りでも、「腰が痛い」「膝が痛い」人はたくさんいる。湿布や塗り薬や痛み止めの注射や飲み薬を要求する。医療費がかからないから、遠慮なく要求する。
 これまで日本の経済発展を支え頑張って来た、現在の老齢者層には申し訳ないが、「薬を控えなさい」「少し我慢しなさい」ということになる。湿布代金や塗り薬代を大幅に引き下げるべきである。老齢故の疾患の診断や治療は診療報酬を下げていかないと、ますます増大する一方なのである。国民総医療費の50%を使っている老齢者層が納得するだろうか。。。
ーー
『国民医療費の先行指標となる概算医療費では、04年度は03年度と比べて約6200億円(2.0%)増えており、同省は「04年度の国民医療費がさらに増えるのは間違いない」としている。』

 「としている。」だって。人事(ひとごと)みたいな表現ですね。突然大災害が起きて、数百万人単位で人口、特に老齢者の人口が減少しない限り、現行の制度では医療費が減少するはずがない、というのは最初に述べた通りである。
 結論的に述べるなら、「減らす必要はない」のである。医療費が増大する「程度」を抑えるよう努力は必要であるが、減少させられるはずはない。老齢人口が増え続けているのに国民総医療費を減らすというのは、必ずどこかに無理が生じるはずである。だから財源を増やすしかない。でも増税の前に、無駄に使われているお金を何とかできないものなのか!毎年、年度末になると急に道路工事がされたり新しく信号が付いたり道路の塗装が塗り替えられたり、役場で急に出張が増えたりパソコンが新しくなったり。。。
 本当に必要なものがどこまで行われているのか?「年度」で考える予算、前年の実績から考える予算案、というのを各方面(役場に限らず会社でも)で考えていけば、かなりの「無駄金」が私の推測では全国的に見て何兆円という単位で出てくると思う。それをすべて「医療費」特に老齢者層や低所得者層の福祉に充てるというのはどうだろう。。。口で言うのは簡単だが、、、
(今日の音ブログは『紅花「おもひでぽろぽろ』です。)

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2005.09.05

包括医療から先は?

 土曜日の夜に緊急手術をした小脳梗塞の患者さんは、呼吸状態も安定していたので今朝から人工呼吸器によるサポートは全く解除し、午後に抜管した。少し喉がゼロゼロして痰が多いのでナースに十分注意をするよう指示した。「こんにちは」というと「こ・ん・に・ち・わ」と返してくれた。土曜日の術直前よりもず〜っといい状態になっている。あとは、痰と嚥下、すなわち水分摂取や食事の問題が出てくる。そしてリハビリ。少なくとも生命に関わる状況は脱した。高齢者であるし、治療のヤマはまだまだ、これからである。
 病棟でも、退院を控える患者が増えて来た。しかし、まだあの椎骨動脈瘤解離によるくも膜下出血後の水頭症の患者さんは、脳幹の症状である「両側」の顔面神経麻痺と外転神経麻痺と嚥下困難が改善しない。CT上は脳室は小さくなり、ふたたびスリット状を呈しているものの脳幹に明らかな梗塞巣などのダメージはないように見える。ということは機能的には十分に改善が期待できるのだがどういうわけかなかなか改善してくれない。嚥下訓練は始まっていてすこしずつ口からは食べてもらっているがまだまだ十分ではない。リハビリ室でのリハビリも行っており、四肢のパワー回復を目指している。
 さて、現行制度では、同じ病名での入院期間がある日数を超えると「入院基本料」が下がり病院の収入は減少する。包括医療として「出来高払い」の対象ではなくなるため、現場では病院の赤字を減らすためにコストを削減し「無駄を避ける」治療を常に念頭に置く事になる。可能な限り病院側は90日以内、または疾患や患者によっては180日以内の退院を目指す。脳卒中の多くは最低でも一ヶ月の入院を必要とする。重症であったり合併症を併発したり複雑な病態の場合は数ヶ月に及ぶ事は珍しい事ではなく、呼吸不全で人工呼吸器を装着している場合などは半年は優に超える患者さんもいる。但し、180日を超えるような患者さんでもいわゆる「まるめ」と呼ばれている包括化を受けないですむのは、重度の肢体不自由や人工呼吸器装着中の方などである。こういった患者さんは「出来高払い」のままである。患者さん、家族の経済的負担は大きい。 
ーー
古い記事ではあるが、次のようなものを見つけた。
(http://www.coara.or.jp/〜gensin/intyou/zui-11.html#9)
『アメリカでは、経済ビッグバンに次いで医療ビッグバンが進行し、市場原理を活用しながら、猛烈な医療費抑制が進行している。そのため入院期間は平均6日であり、多くの手術が日帰り手術に向かっている。痛みを耐えながら、まだ麻酔もよく覚めないうちに、車椅子で家に帰される患者と不安げな家族を見ると、これが最先端の医療であろうかと疑問に思った。
 医師が手術を決めても、保険支払い機関の了解がなくては、入院手続きもさせられない。高名な人工関節の開発者である教授が決めても、手術適応が無いとか、もっと先に延ばせとかいわれるそうである。
 入院医療費は包括医療と呼ばれるまるめ料金のため、入院期間はますます短くなり、人工関節置換術をされた患者さんも6日で退院させられている。
 国民総所得の14%が医療費に使われているアメリカが必死に医療費抑制をしているのは分からないことではないが、まだ7%にも満たない日本がアメリカの物まねをして、財源が無いという理由で医療ビッグバンを進めているのを国民が納得するであろうか。』
ーー
 納得するか?ではなく、「知っているのだろうか?」であろう。 
 「まるめ」になれば、無駄な事をすればするだけ病院の損失になるので、確かに「無駄」を削減する方向に向かうだろうが、更に「有益な」ことも割愛する傾向や「経済的に人の生命を判断する」という事が行われる、という「負」の方向に進んでいく。手術に踏み切れば命は救えるが長期寝たきりまたは「植物」状態を作る事が予想されるため現場の医師が治療に「二の足」を踏むのである。これは現実問題、すでに現場で起こっている事ではある。医師としては患者の命は救いたい。しかし、手術をしても助かるかどうか、寝たきりを作るだけである事が予想される場合は、患者の家族の希望を聞き入れながら婉曲的に「手術をする事は無駄」であることを伝えるようなことも必要になる。
 くも膜下出血の超重症でない人達に限れば手術・治療が成功すれば高率に社会復帰できる一方で、脳出血や脳梗塞の中等症以上の人は自宅生活が関の山で社会(仕事)復帰出来なくなる方が多い。この人達は、社会全体から見れば、「医療費を使うだけで稼ぎがない=医療保険の支払いをしない=財源を減らすだけの人」である。高齢の中等症以上の脳梗塞の患者さんなどはまさにこれである。医療費を削減したければ、「高齢の中等症以上の脳梗塞」の患者で、「超急性期」治療に反応せず麻痺などの神経学的症状が残ってしまった人は、その後医療を受けられない、という事にしてしまえば、どれだけの医療費が削減できるだろうか。厚生労働省が目指しているのはそんな状態ではないのだが、もし医療費の削減を現行の制度のままで押し進め、「高度な医療を行えば損をする」というような状態が完成してしまったら大変な事である。脳神経外科医は「救急医療」を捨てるかも知れない。術中に覚醒させて言語中枢を調べる覚醒手術やナビゲーションを導入した顕微鏡手術など世界のトップレベルを行っている医療を捨てるかも知れない。そして高齢の障害者を病院から排除するように動くかも知れない。まさに「姥捨て山」である。包括医療から先はどこに向かっていくのだろうか?
(今日の音ブログ演奏は「Summertime」です。)

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2005.09.03

緊急後頭下減圧開頭術

 他科入院中の患者さんが昨日小脳梗塞を発症し、神経内科で診ていたが、今朝方より少し意識が低下しているということでCTの後、脳外科に転科になった。今日は私は「オフ」で、家で笛を吹きながら遊んでいたが、同僚から報告を受けていた患者の状態が心配になったので夕方HCUに診察に出て来た。
 患者は、呼べば目を開け弱々しく返事をするが、反応が低下している。
 「緊急手術!」と判断した。
小脳の腫れが浮腫をとる点滴や薬では不十分で、脳幹の意識の中枢と呼吸の中枢に影響を及ぼし始めている。多分、このまま点滴の治療だけだと夜中に呼吸が止まる、と判断した。当直師長に連絡、麻酔医と手術室ナースを招集してもらう。土曜日の夕方なので、皆これから夕餉を楽しみに自宅で寛いでいたはずだ。
 家族も呼び、状態を説明し「救命が目的」の手術である事を了承して頂いた。招集された麻酔が診察に来る。手術場のナースも到着した。手術の準備を手早く進めているはずだ。その間、私はバリカンで患者の頭を丸坊主にした。およそ2分で丸坊主。これはもう手慣れている。
 「手術室入室18:30で」と連絡が来たので、18:20現在これを書いているのである。続きは術後に。。。
ーー
 さて、今は9/3の23:00を少し回りました。緊急手術は19時半少し前に始まり21時半すぎに終わりました。ICUも戻って状態が安定したのを確認し、家族の手術の説明をし、隣のHCUの患者をチェックし医局でアイスコーヒーを入れて今デスクの前に座ったところ。
 手術場で麻酔医が挿管したところ、非常に痰が多く、内視鏡で痰を取るくらいでした。多分、あの時点で手術を決断しないでいたら夜中に痰を詰まらせて窒息したか、呼吸不全で生命の危機であったと考えられます。自分の判断が正しかったことにホッとしています。同僚の、専門医試験に受かったばかりの先生に教えながらやらせながらの開頭と硬膜切開だったので少し時間がかかりましたがスムーズに手術は終わりました。出血性梗塞に陥った小脳は赤黒く崩れるようになって、ちょっと触るとジワ〜と出血してきました。典型的な梗塞巣の脳でした。
 この部分を止血しながら一部切除して内減圧も行い、人工硬膜でゆとりをつけて外減圧を行ったので、多分自発呼吸が戻り意識も戻ると思われます。
 脳梗塞は、何科の医者が診ても結局決まった薬で治療するしかなく、リハビリ次第のところもありますが結果はあまり変わらないんじゃないかと虚しく感じる時が多いのですが、今日のように、脳神経外科医だけにしか助けられない脳梗塞の治療を行うと、脳外科をやっている事の意義を強く感じます。決して私でなくても出来る事ではありますが、脳外科医にしか出来ない事ですから。この地方(周辺人口約35万人)に常勤する脳外科医6名(3つの病院で)にしか助けられない患者さんでした。
(本日の音ブロは「太陽がいっぱい」です。)
全然太陽拝んでないけどね。

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2005.08.30

改革とは

私のブログでは「政治」にかかわる事はなるべく避けたいと思っている。だが医療の事を論じていて、政治と無関係という訳にも行かない。
 医療はサービスではあるが、ビジネスでもある。そして、国単位の大きなシステムの中で統制されているものでもある。たとえば、医師免許。これは国家試験、つまり「国」が免許を与えている。病院開設だって、薬局開設だって国と地方自治体の許可がいる。薬の処方や手術や処置などの医療行為には「法律」があり、「保険診療」を行う医師に対しては「保険医」の許可証が地方自治体から交付されている。そういったシステムの中で管理されているものだから、「自由」ではない。
 今日、第44回衆院選が公示された。郵政問題、年金問題、教育問題、、、様々な問題が争点となるのだろうが、やはり中心は郵政民営化を中心とする「改革」の話しだろうか。改革とは英語でreformである。Form=形をre=直す、作り直す、再び変える、ということ。「三○のリフォーム」などのように一度建てた家