カテゴリー「医学・医療」の記事

2015.12.04

光丘文庫ギャラリートークのご案内

明日のことですみません。
Photo2015/12/5(土)、明日の14時から、酒田市立図書館分館「光丘文庫」にて、ギャラリートークを担当させていただきます。
タイトルは、『江戸末期から明治維新の医療について 〜医師 松本良順の生涯を通して〜』というものです。

浅学菲才の身でこんなことをお受けしてしまって、少し後悔していますが、以前から興味を持っていた松本良順やその周辺に関する雑学を、この機会に自分なりにまとめる良い機会と考え、幸運とも思っています。

もとより、医学史研究家でも、歴史学者もない、一介のの脳神経外科医です。
現代の脳神経外科医で、架空の人物である主人公「宗方仁」が、幕末の江戸にタイムスリップして医療活動を行い、「仁友堂」という医院を作るという、ドラマ&漫画の「JIN〜仁〜」には強い興味を持ちました。

2そのドラマに登場する、実在した人物松本良順。
吉村昭の「暁の旅人」、司馬遼太郎の「胡蝶の夢」の主人公として登場する、その幕末〜維新期に活躍した医師の人生に深く魅力を感じ、色々と調べ、足を運びました。

それらのことを踏まえた上でのお話です。
与太話に終わらなければ良いのですが。(^^

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2014.03.03

「上巳の祓」、開院記念日です。

Photo今日は3月3日。
新暦の「桃の節句」です。
旧暦の桃の節句(新暦では4月3日頃)は、元々は「上巳の節句」と呼ばれていました。
古来中国では上巳の日に川で身を清め不浄を祓う習慣(上巳の祓)がありました。これが平安時代に日本に取り入れられ、人々はこの日に野山に出て薬草を摘み、その薬草で体のけがれを祓って健康と厄除けを願いました。この行事が、後に宮中の紙の着せかえ人形で遊ぶ「ひいな遊び」と融合し、自分の災厄を代わりに引き受けさせた紙人形を川に流す「流し雛」へと発展してゆきます。室町時代になるとこの節句は(旧暦の)3月3日に定着し、宮中で豪華なお雛さまを飾って盛大にお祝いするようになりました。その行事が武家社会、さらに裕福な商家や名主の家庭へと広がり、今の雛祭りの原型となっていきました。
 
「桃の節句」(=上巳の祓)は、すなわち、身体の健康と厄除を願う日であった訳です。
という事で、医院の開院に相応しい日として、2008年、6年前の今日、拙クリニックを開院しました。

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2013.03.04

開院6年目

昨日日曜日は3月3日。
世間一般的には、「桃の節句」「女の子のお祭り」などとも言われています。

しかし、私にとってはクリニックの開院記念日。
2008年の3月3日(月)に小クリニックが産声を上げ、丸5年が経ちました。
人生に例えればちょうど幼稚園の年中さんでしょうか。
50才にもなってから、勤務を辞めて開業医になったので、20年もやったら70歳になります。ただ、開業医の場合、健康でやる気が続く限りは「定年」がありませんので、その気になれば80歳でもまだ働いていられると思います。

Photo5周年を祝って、大きなケーキを頂きました。酒田にこの店有り!と言われる「ル・ポットフー」のパティシェの労作です。
ありがとうございます!

新暦の3月3日「桃の節句」は、旧暦では現在の4月3日頃に当たります。しかし、開院記念日としては誠に相応しい日でした。
古来中国では「上巳」の日に川で身を清め不浄を祓う習慣(上巳の祓)がありました。それが日本に伝わり、上巳の日に野山で薬草を摘み、身体の穢れを祓って健康と厄除けを祈願する日になりました。この事については何回か書いて来ました。拙ブログ「上巳の祓:開院記念日」をご参照ください。

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2011.11.24

50才過ぎて試験勉強はなかなか辛い

人間の脳は可塑性と柔軟性がありますから、勉強を始めるのに遅すぎると言う事はありません。でも、やはり、適齢期というのはあり、脳が激しく発育する幼少期に脳を鍛える事は大切です。
「幼稚園からでは遅すぎる」という本がありましたね。

言語に関しては8〜10才前後でおおよその完成があるようで、海外暮らしの子弟でそれ以前に帰国して日本語環境に曝されるようになったものと、それ以後に帰国したものとでは、海外生活で取得した外国言語の身に付き方に大きな差があるようです。

経験に基づく知識や知恵は少々年を取ってからでも十分に学べますが、単純に知っているか知らないか、覚えているか覚えていないかというタイプの記憶力は年をとるとやはりがっくりと落ちるようです。

日本脳神経外科学会の認定専門医試験は、国家試験に通って医師になり、脳神経外科を専攻し(脳外科学会に入って)6年以上の者に受験資格が与えられます。大学入試から順調に来た人でも30才を超えます。私がかつて脳外科専門医の試験勉強をした際に、大学受験で浪人して勉強していた頃に比べて記憶力がガタっと落ちている事を痛感しました。
ただ覚えなければならないたぐいの事柄は、朝読んだのに夕にはもう忘れていることもあり愕然とした事を覚えています。

PhotoPhoto_211/23(水・勤労感謝の日)、日本脳卒中学会野認定専門医制度の「認定医に対する第1回過渡的試験」が山形大学医学部で行われ、久しぶりに母校に行って来ました。
H19年4月まで大学で文部教官をしていた訳ですが、久しぶりに訪れてみると特に何もかわっておらずかえって驚きでした。

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2011.07.06

今夜は第4回庄内脳神経疾患治療研究会

明後日から学会だが、今日の夜も予定が入っている。
一昨年の8月に、特別講演講師として当時山形大学医学部長、現在国立がん研究センター理事長嘉山孝正先生をお招きして第1回を開催。
昨年6月に、山形大学医学部第三内科教授で神経内科がご専門の加藤教授に来て頂いて第2回を開催。
昨年11月に、山形大学医学部高次機能障害学講座教授の鈴木匡子先生に来て頂いて第3回を開催。
そして、本日、第4回の会を催し、山形大学医学部精神神経科准教授の川勝忍先生に特別講演を頂く予定。
鈴木匡子教授と川勝准教授はbalaineと医学部の同級生。

大学で最先端の学問をしている、脳神経系の臨床医に来て頂いて勉強させてもらうというのが、本会の主旨なのだが、今のところは順調な運営がされている。

今後は、もっと庄内地区の臨床医(脳外科や神経内科だけに限らず)に役立つ現場の臨床について、脳卒中やパーキンソン病や神経画像診断などについての講演をお願いすることを計画している。

ところで、明日の夕方は酒田中央高校の学生さん達と久しぶりにGiondano Hallでぶれん伝ぶる苦境総局ブランデンブルク協奏曲第5番第1楽章の練習予定。
CPEバッハやストラヴィンスキーやブラームスの練習で、片隅に追いやられていたJSバッハの楽譜を再度さらい直しです。

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2011.07.04

高・超高磁場MRI vs 中・低磁場MRI

120344096634616414293世界的に見て日本のMRI(Magnetic Resonance Imaging)装置の国内保有台数は抜きん出ている。少し前のデータであるが、CTとMRIを合わせた人口比保有台数は、人口100万人あたり日本が「96.1台」で、米国の「34.3台」やドイツの「16.3台」を大きく上回っている。

これは日本の医療が「国民皆保険制度」で、MRI検査を受けた場合も自己負担額が低く抑えられていて、検査を受けやすいという点と、脳神経外科医や神経放射線科医の人口に対する数も世界的にトップクラスで、MRIを有効に利用できる環境が整っていることもあるだろう。

高額医療機器の普及が医療費の抑制に反しているという論調もある。一理あるところもあるが、ではあなたの愛する家族が何か病気が疑われたら、すぐにMRIなどで詳しく調べてもらいたいと思いませんか。
米国などは、MRI検査はなかなか敷居が高く、患者が「心配だからMRIで調べてもらいたい」などといって病院を受診することはまずありません。

日本の脳ドックのように、心配だから全額自己負担で何万円かかってもいいから調べてほしいというシステムは米国にないようです。保険料を支払ってかけている医療保険から支払われるため、MRI検査が必要という証明がなければ保険会社はMRIを許可しません。

1992~94年に米国留学中に、ピッツバーグ大学で有名な教授による聴神経腫瘍の手術を見ましたが、その患者の術前検査を見てびっくり。3ヶ月くらい前に別の施設で行われたMRIだけしか資料袋に入っていませんでした。レジデントに聞いて二度びっくり。米国では、良性腫瘍にMRIを頻回に撮ることは保険会社が許可しないので、3ヶ月前のMRIだけで手術に臨むのは普通だというのです。

「日本なら術直前に検査をする。神経と腫瘍の関係などをみるためにもっと詳しい検査も追加する。数ヶ月の間に急に大きくなっていたり、変化していたらどうするんだ。なぜ直前に検査しないんだ?」と聞いたら、
「頭を開けて見てみればわかるのだから不要だ」
という答えでした。

要するに、MRI検査料が高い、検査依頼が多くて機械の台数が日本より少ないので検査を制限しないと医療が滞る、ということのようでした。

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2011.06.14

3d MRA

久しぶりに医学ネタをちょっとだけ。
依頼原稿の準備と7月上旬の「日本脳ドック学会」での発表準備を兼ねて。

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これは拙クリニックにあるH社製0.4テスラ永久磁石式オープンMRI装置で撮像した脳の血管。いわゆる脳MRAです。
左から、MIP(maximum intensity projection)画像、VR(volume rendering)画像、VR with shading、すべて3D像をほとんど同じ角度で静止画像的に切り取ったもの。

前交通動脈瘤(Acomというよりは、左A1A2 junction)の治療前のMRAです。
それぞれの3次元再構成画像を、balaineの目で見てもっとも見やすく美しい条件(コントラスト、明るさや角度)に設定したものです。

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2011.03.23

大震災から12日

アメリカへの同時多発テロは2001年9月11日でした。もうあれから10年経つのです。 
「9・11」と「3・11」はちょうど半年の違いで、人的大災害と自然大災害の違いはあるけれど、人類史上に長く記録記憶される大事件となりました。

今回の大震災は人類史上最大級で未曾有の自然災害と言えますが、ここまでの大地震や大津波(1000年に1回という、起こりうるが稀なもの)を「予想していなかった」ことによる人災の面(特に原発事故や防潮堤)もありますし、緊急時における国や政府や公的機関の備えが万全ではなかった点、すべて後手後手に回っている点などシステム上の問題もあるのではないかと思います。

こういう事態において、誰かを責めるとか非難するというつもりはまったくありませんが、しかし、現場では今でも生死の境で避難し、働き、寒い中を救援復旧活動につとめている多くの人々が、政府や国などの公的な支援救援を望みながらまだ不十分、場所によってはほとんど見捨てられた状況にすらあるようです。

マスコミが伝える状況は、逆に言うとマスコミが入れる場所です。
原発事故による避難勧告が出ている地域には、東京電力の作業員、自衛隊、東京消防庁、特殊車両関係者しか入っていない訳で、現実はもっと酷い状況が今も続いていることは中々伝わりません。

そんな中、大きな被害を受けた三陸沿岸の地域を自分の目で見て回り、現場の声を聞いて来た方の、声を振り絞って叫ぶ様な、悲痛なメッセージがありますのでご紹介したいと思います。
岩手医科大学の学長である小川彰先生が、大学のHPに載せているメッセージです。小川先生は、脳外科医なので私も以前からよく存じ上げております。仙台二高出身で東北大学の脳外科では私の直属の上司であった山形大学脳外科教授で現在国立がん研究センター理事長も兼ねる嘉山先生の1年先輩にあたります。そういうご縁で、オーストラリアの学会などに出かけた際には少しご一緒させて頂いたりお話もしたことはありますし、嘉山教授が公務多忙のおりに私が名代として小川先生のご関係の方の盛岡でのご葬儀に参列させて頂いたこともあります。

そういう、比較的良く知っている方からのメッセージなので、読んでいると胸が熱くなってきます。
岩手の、三陸の、被災状況の現実を多くの方に知って頂きたいと思い、小川先生や岩手医大には無許可でこのブログ記事にリンクさせて頂きます。

「岩手医科大学学長小川彰先生からのメッセージ(第3報)」

最後に「未だ現場は危機的状況です。重ねて政府の迅速な危機管理体制の発動を強く要望致します。」と書かれています。まさに現場を見た人からの、救援支援を求める悲痛な叫びです。

これより少し、まだ口調がマイルドであった、第1報(3/15)と第2報(3/17)も合わせてお読み頂ければと思います。1週間でどんどん事態が深刻化しているのがよく理解出来ると思います。

「小川学長のメッセージ第1報」
「小川学長のメッセージ第2報」

どうぞお読み頂き、マスコミでは伝えきれていない、現場の医療活動の状況を知って頂きたいと思います。


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2011.03.18

被災地に必要な医療、ほか

巨大地震から一週間が経ちました。

3/11の大震災直後から医療活動は行われています。
阪神淡路大震災の反省からD-MATという組織が全国の災害拠点病院に作られ、今回の大震災に際して全国から170を超えるD-MATがすぐに被災地に入り活動してきました。
発生から1週間を過ぎて、災害直後の大緊急の外傷を中心とする被災者の救難治療から、普段からある慢性的疾病の「いつもの治療」の継続に治療のフェイズがシフトしてきているそうです。

もちろんまだまだ重症患者さんや入院治療の必要方はたくさんいらっしゃると思いますが、D-MATが大活躍する時期を過ぎて来たということだそうです。
ドクターヘリで岩手、宮城、福島の機能している災害拠点病院、さらに青森、秋田、山形、新潟などの災害拠点病院に患者が転送され、酒田の日本海総合病院を含む各地の病院で入院治療を受けていると聞きます。また災害を受けていない地域の病院まで救急車で患者さんを搬送して治療が行われていると聞きます。
しかし、発生している被災者の数に比べてまだまだ医薬品、入院治療を行うベッドの数が不足しているそうです。

報道に寄る断片的な情報と、災害地で活動する仲間の部分的な情報から考えると、今最も必要とされる医療活動は「検死をする者」。そして慢性疾患(高血圧、糖尿病、心臓病などなど)の内服薬と聞きます。特に検死は亡くなられた方のご遺体を検案して死亡診断(検案)書を書く必要があるため、一人の医師で1日に30人がいいところなのだそうです。地元の大学病院などから多数の医師が応援に駆けつけているそうですが、ご遺体が1万を超える数なのでなかなか大変とのこと。

これまで26年間の医師としての活動の中で、人の死はたくさん見てきました。100通を超える死体検案書を書いて来たと思います。しかし1日に30件の異常屍体=傷害死を視るなど経験のないことです。
東北地方だけで10000件を超える検死は、それだけを行う医師の数が延べで300人以上400人近く必要だと言うことになります。岩手、宮城、福島にはそれぞれ岩手医大、東北大、福島県立医大があり、それぞれ10名ずつ検視の応援に行ったとして、検死だけにかかる日数は最低でも300人/30=10日間ということになります。
一人の医師が1時間で検死をして診断書を書くのに、どんなに頑張っても3、4人が限度でしょうから、1日8〜9時間不休で働いて30人という計算になります。一カ所で出来るとは限らず、移動にも時間がかかるでしょうから、もっともっとかかるということになりそうです。

隣県である山形からも既に応援に行っていると聞きます。
倍の60人の検死医がいるとしても、検視だけで1週間かかるということになってしまいます。

おまえはそこで座して何をしているんだ、というご批判があるかもしれません。
私自身、医師として、日々の診療を行いながら「何か自分に出来る事はないのか」と自問自答しています。拙クリニックに通院されている慢性期の落ちついた患者さんを1日に30人前後診療し、頭痛やしびれやめまいなどの新患を多くても5、6名診て、自分に今出来る事を精一杯やってはいますが、被災地の映像を見たり、医療現場の状況を耳にすると何か後ろめたい気持ちになってしまいます。

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2011.01.08

十全堂社最後の新年会

Jyuzentitle酒田地区医師会のHPの中に「十全堂社」に関する記述があります。
実は表からリンクされていないページですが、もっと詳細な内容はこちら→「十全堂の歴史」で見ることが出来ます。

昨日1月7日にその新年会が行われ出席したのですが、実は「十全堂社」は今年でなくなるので最後の新年会だったのです。

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