カテゴリー「健康」の記事

2005.08.13

お盆と病院

 東京と違って田舎は今がお盆。周辺の個人開業医も昨日12日から月曜の15日まで、土日をはさんで4連休にしているところが多い様子。
 今日は病院の日直だった。そういう事情でたくさん患者さんが来るのを覚悟していたら、救急車一台、入院2名、全体としても日中の救急外来受診数40名くらいと少し拍子抜けするくらいだった。まあ、急患が少ないという事は患者さんがわにとっても医療者側にとってもいいことであろう。
ーー
 昨日の続きの話し。
 GCSの事。コメントで指摘があったように、「GCS8点」という総合点での呼び方よりも、「E3V2M3」というようなそれぞれの程度を表現する方が実際的ではあるが、救急外来にいる人や脳外科医以外の医師、看護師、技師、救急隊員などが皆同じように精通していないと、「情報の共有」にならない。
GCSの点数の付け方;
a) 開眼機能(Eye opening)「E」
 4点:自発的に、またはふつうの呼びかけで開眼
 3点:強く呼びかけると開眼
 2点:痛み刺激で開眼
 1点:痛み刺激でも開眼しない
b) 言語機能(Verbal response)「V」
 5点:見当識が保たれている
 4点:会話は成立するが見当識が混乱
 3点:発語はみられるが会話は成立しない
 2点:意味のない発声
 1点:発語みられず
c) 運動機能(Motor response)「M」
 6点:命令に従って四肢を動かす
 5点:痛み刺激に対して手で払いのける
 4点:指への痛み刺激に対して四肢を引っ込める
 3点:痛み刺激に対して緩徐な屈曲運動
 2点:痛み刺激に対して緩徐な伸展運動
 1点:運動みられず

この点数の付け方とその意義を共通に認識していないと、「E3V4M4で11点」と言ってもなんだか虚しい。
JCSでも同じように問題点がある事は昨日書いたが、GCSでも「失語症」の患者さんでは、Vが1点になってしまう。完全失語になってしまった人は、意識状態が悪くもないのになぜか開眼しない事が多く、目を開けさせようとするとかたくなにつぶってしまう人もいる。するとEが1点になってしまう。ところがMは5点で、E1V1M5=7点ということになる。これではかなり強い意識障害のある重症の人という事になるが、もし言葉が喋られる状態ならE4V5M5=14点という風になるはずである。
 JCSもGCSも、診断、治療に当たる側が、患者さんの今の意識状態を把握し、その後の治療経過で改善しているのか悪化しているのか、手術を急ぐのか、夜中でも主治医を呼ぶのか、治療が効を奏しているのか、などを判断し情報を共有するための手段である。我々はよくナースに「意識が2桁になったらすぐ呼ぶように」などと言っている。2桁とは、JCSでIIの段階、すなわち10, 20, 30の状態である。脳出血などがあって意識が2桁になるということは、出血の増量や血腫の圧迫による脳浮腫が強くなって意識が悪化し、脳ヘルニアを起こす直前までに移行している危険性がある。緊急手術が必要となる事もある状態である。すぐにCTを撮る必要があることもある。ただ、「2桁です」と言われて見に行くと実際はそんな意識ではなく、ただ眠くて目を開けようとしないだけだったり反抗的に目を開けないだけだったりする事もあり、そんなときは何らかの他の方法で現在の意識状態を探るようなちょっとしたコツがいるのである。
 さて、日直も終わったのだし家に帰って休もう!

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2005.07.29

電気刺激療法

 パーキンソン病の人が入院している。この病院には神経内科もあるのでパーキンソン病は内科で診ている事が多いが、従来、日本では神経内科が発達しておらず脳外科医が積極的であったため、パーキンソン病も脳外科医が多く診ていた。もちろん薬物療法が主体なのであるが、昔から定位脳手術といって脳のある部分に電極を刺して治療する事を脳外科医がやっていた。
 「機能的脳神経外科」という分野がある。英語でfunctional neurosurgeryという。私のsubspecialtyはもとともとはfunctional neurosurgeryであった。パーキンソン病を始めとする不随意運動症や顔面痙攣、三叉神経痛に対する血管減圧術とかてんかん外科などが対象疾患で、筋電図をとったり電気刺激をしたり手術中に脳から直接脳波を取ったりしていた。医学博士の学位論文も、中枢性の痛みに対して脳の電気刺激を行う電極から記録された脳深部の脳波の解析というような内容である。
 さて、パーキンソン病に対する定位脳手術の歴史は古い。ガンマナイフを開発したDr. Leksellだって、元はと言えば頭に電極を刺さずに放射線でパーキンソン病の定位脳手術をやろうとして研究していたものである。定位脳手術とは、ある人の脳の中に地図の番地を付けてそこにむかって電極を入れたり何か操作を行うものである。地図の元になるのは、ドイツやフランスやアメリカで作成された死亡した人の脳から作った地図である。パーキンソン病の場合、ある特定のごく小さな部位に電極を挿入してそこを低温でゆっくり凝固すると特有の「震え」(振戦という)がピタッと停まったり、身体の硬さ・動きの遅さ(筋強剛とか無動という)が改善したりするのである。ツボにはまると、「え?!ほんと?」と驚く位に劇的な改善をみる。10年位前までは脳の中に定位的に挿入した電極で「焼く」治療が主流であったが、最近は白金製の細い電極を挿入して心臓のペースメーカーと同じような装置で微弱な電流を流して治療している。これも効果はほぼ同じで、それまで固まったように一歩も動けなかった人が電気を流した瞬間から大股でスタスタあるいたり階段を上り下りしたりできるようになる。マジで?!というような治療法である。「焼く」治療ではなく電気刺激になった理由は安全性の追求が主である。焼いてしまえばもう元には戻せない。そこを破壊した訳である。電気刺激ならば電気を切れば元の状態に戻る。壊してしまう訳ではないので副作用として運動麻痺が新たに出てしまったりする恐れがほとんどない。
 欧米では、てんかん外科も含めてパーキンソン病のような不随意運動症に対して薬の効果が薄れたり何らかの理由で内科的治療が困難になった場合、積極的に脳外科で手術治療が行われる。日本では、なぜかいつまでもダラダラと内科の外来や開業医で患者さんに漫然と薬物投与を行っている場合も少なくなく、脳外科医にてんかん外科の適応の有無やパーキンソン病の手術治療についてconsultしてくるケースが少ない。脳外科医が信用されていないのかも知れない。脳外科医の宣伝が足らないのかも知れない。それにしても欧米に比べると10分の一以下という手術数である。
 当院に長く勤務する医師が外来でず〜っと薬による治療を継続して来たパーキンソン病の患者さんであるが、drug holidayのため今回入院し、副作用を押さえるため少量投与から薬が再開されている。しかし、一日中何をしているかというと、ベッドの上でボーッとしてテレビを見るともなく見ていたり、食事は看護師の介助を得て1時間くらいかかってようやく全量摂取しあとはオムツをあてられて寝ているのである。この方はボケてはいない。痴呆症で寝たきりなのではない。運動マヒもない。強い無動のため動けないのである。だから私は大学病院の脳外科に定位脳手術治療のため紹介すべく家族を呼んで説明をした。家族は、何年か前に定位脳手術の話しを一回ちらっと聞いたという。そういう方法もある、と。しかし「焼く」ため危険も伴う、と言われそのままで今回のように詳しい説明は初めて聴いたという。
 外来で、「先生のようにいろいろ説明してくださったのは初めてです」とか「初めてこんなに詳しく聞きました」と言われる事がある。言われたこちらがビックリする。え?聞いてなかったの?今までの医師は一体何をしていたの?と思う。そう、私はしつこい性格なのだ。いい加減にお茶を濁す事が嫌いである(だから時に患者とぶつかるけど)。
 ムンテラ、とはドイツ語Mundtherapieの省略的使用であるが、本来そんな言葉はドイツでも使われていないと思う。Mund=口、のTherapie=治療、だから「口による治療」という意味になる。患者さんや家族に医師が説明する事をムンテラと呼んでいたのだが、意味が高圧的のようであったり一方的であったり、「口でうまく丸め込む」ような悪いイメージがあり今はあまり使われない。なんだか医者としての知識や技術は不十分なものの「口だけはうまくて」患者を丸め込んで無理矢理納得させる、というようなイメージが強くて、医療業界では「悪い言葉」とすら捉えられている。
 現在では、「lecture(講義)する」とか「ICを取る」とか「面談」とか表現されるが今ひとつしっくり来ない感もある。昨日書いた「しゃべること」というのは、ただ一方的に話しをするのではなく、自分の伝えたい事を相手にわかるように理解を確認しながら教えそして相談に乗り話しを進めて行く事である。これをムンテラと呼んでは行けないのであろうか?医者は口で治療する技術も必要なのではないかと改めて最近強く思うのである。

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2005.07.23

長寿世界一に思う

正確には「世界一」なのは日本人の女性で、男性は2位である。
平均寿命とは、0才時点での平均「余命」のことで、生まれたばかりの日本人女児は平均的に85.59年生きる、ということである。寿命に影響を与えるのは、日本人の3大死因である、癌、心疾患、脳卒中その他であるのだが、自殺や事故死も当然大きく影響している。
このように日本人の寿命が世界一であるその訳については新聞記事では触れていなかったが、生活環境が衛生的で戦争や大きな事件事故が少なく、なによりも世界一のレベルと言っていい医療に支えられていることは間違いない。新生児や子供のうちに病気で死亡する人が、世界中のどの国よりも少ない。私が新聞記事で注目したのは3大死因を除外した場合の「平均寿命」である。
『男性で8.74年、女性で7.94年、それぞれ延び、平均寿命は男性が87.38歳、女性が93.53歳になる計算で、3大死因対策が急がれる。 』
「?」である。安易な新聞屋さんの感想か。なぜ急がれるのか?急いだ結果で、せいぜい8年伸びるだけなのだ。問題なのは、「ただ生きている」ことではなく、楽しく幸せに生きていることであろう。8年伸びた余生が、苦難に満ちた寂しいものだったらどうなのだろう?惚けて周りのことが認識できない状態で長生きしても人生を楽しんでいることにはならないだろう。ほぼ寝たきりで全介助に近い状態で長生きしていて幸せなのだろうか?3大死因は、すこしずつ克服されていくであろうが、人間は一体何歳まで生きるものなのだろうか?
 我々「日本人の」医師が、ヒラリー・クリントンの言葉を借りれば「まるで聖職者のような献身的精神で」働いて、たった8年しか伸びないのか?という思いもある。

 平均寿命と余命について、時々勘違いされているようであるが、たとえば今75才の方はすでに75年間事故にも事件にも遭わず自殺もせずに生きてきたのだから、平均寿命86才ー75才=11年の余命ではない。現在75才の女性に期待できる余命は、15年以上あると予測される。だから90才まで生きる可能性が高い。私が去年手術をしたくも膜下出血の患者さんがいる。78才の女性である。体力が落ちたからか、茶飲み友達とおしゃべりする以外は自宅でおとなしくしているという。私は外来で、可能な限り出かけたり何でも出来ることはするように、言っている。「もうおばあちゃんだから、、、」とその方は言う。確かに若くはないが、日本人の平均寿命86才ー78才=8年の余命ではないのだ。78才まで生きてきて今健康なのだから、まだまだ10年以上もしかすると20年近い余命が期待できる。その間、家に引きこもっていてはいけないのである。惚けてはダメなのである。残された人生を十分に楽しんで幸せに暮らして欲しい。旅行だっておしゃれだって何だってして欲しいのである。
「○○さん、家に引きこもる人生のために手術して助けたんじゃないからね!またコンサートに来て下さいよ!」と声をかけた。実は彼女の長男とその妻は、私と同じアマオケの団員でチェロとバイオリンを弾いている。旦那の方は楽団指揮者の一人でもある。今年2月のコンサートの時に、私はこの患者さんからお花を頂いた。捨てるのはもったいないのでドライフラワーにして今も部屋に飾ってある。また何回でもコンサートに来ていただきたい。寿命、余命とはただ生物として生きていることであるが、「一人の人間」として生きているということを、皆さんに、そしてこの「急がれる」と知ったような顔て書いたと思われる新聞記者、その記事の掲載を許可したデスク、その他の人たちに考えて欲しい、と思った。

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2005.07.19

多施設共同研究

 医学研究の中に(それ以外の領域でもあるけど)、表題のような研究がある。
 理由はいくつかある。多くの施設で行う事によって、必要とする対象症例を数多く集める事が出来る。特に一定期間(たとえば一年)などのように期限をきった「前向き」(prospectiveのこと)な研究では、必要症例数を確保するために同時に多くの施設で研究を行った方がよい。一カ所で研究を行うと、対象の症例に偏りが出る可能性が高くなる(たとえば80才以上の患者さんが極端に多いとか)が、これを県内全域であるとか東北地方とか全国とか言う風に広げて共同研究を行えば、偏りが少なくなる。研究には、客観的なデータと主観的なデータが含まれ、一カ所で特定の医師が研究を行った場合、その人の主観でデータ解釈が変わる危険性もあるが、逆に言えば判断の基準が安定しているとも言える。複数の施設で研究を行うと、一人の主観ではなく複数の主観になるので、一見客観性が高まるように思えるが、結局は「主観」なのであって、施設ごとの判断基準がバラバラになってしまう危険性を含んでいる。だから「多」施設共同研究は、study designといって研究を開始する前にどのような方法で行うかを十二分に検討し問題点をできるだけ少なくしてから開始する必要がある。
 頚部の超音波エコーが多くの施設で取り入れられている。脳外科や神経内科や循環器内科のある施設はもちろん、個人開業医でも導入しているところが増えている。器械が(高額なものの多い医療器械の中では)比較的廉価で装備しやすいこと、扱いが難しくない事、検査が短時間で患者さんの負担も少なく、医療収入源になる事、などなど様々な理由で導入が進んでいるように思う。
 我々が参加して始めたばかりの共同研究は、この「頚動脈エコー」の信頼性を探るものである。たとえば、他の施設から『頚動脈エコーの結果、右の頚動脈に35%の狭窄を認めますので診察お願いします』というような紹介状を持って患者さんが来る。頚動脈の狭窄があると、近い将来脳梗塞を起こす危険性がある。入院の上、脳血管撮影を行ったところ、なんと全く綺麗で狭窄などない血管だった。何故なのか?
 超音波エコーとは、ようするに魚群探知機と同じ原理である。器械の精度があがったとはいえ、所詮は超音波をあてて跳ね返って来たものを画像にして直接見えないところを探っているのである。「マグロの群れがいる」と魚群探知機に出たとして、それが本当にマグロなのか、たくさんいるのか、ある程度推測は出来るが、直接目で見た訳ではないので事実とずれがあるのである(こういうのを偽陽性、false positiveという)。頚動脈を超音波で見てみたところ、血管の壁が一部分厚くなって(動脈硬化)内腔が狭窄している、と推測されたものの、それが超音波の乱れによる偽陽性で、真実は壁は綺麗だった、ということがあり得るのである。
 そして、どの程度の所見のとき信頼性が高いのか、超音波検査がどの程度患者さんの診断や治療に貢献しうるのか、というまともな研究はまだ行われていないのである。この研究を遂行するための検査は、ある特定の疾患の患者さんの診断および治療の一環として行われる。だから研究に参加すること自体はわれわれにとっては、通常の診療業務を果たすだけなので新たな負担ではない。しかし、この研究の事を対象の患者さんに説明したり、得られたデータを記録したり、それをファイルしたり、などという新たな仕事が増えるのである。
 本当なら、こういう器械を開発した会社や対象となる疾患の治療で儲けている製薬会社やその辺りが関与して金と人を出して研究してくれればいいのだが、対象が患者さんであるだけに医師が直接かかわる必要があるし、器械を作っている会社がその器械の信頼性について研究したデータなど、客観性に乏しい(都合の悪いデータが改ざんされたりする恐れもある)ので、結局、第一線の病院に勤務している我々がやるしかないのである。こういう仕事の結果、医学・医療が進んで行っていること、患者さんの診断や治療における信頼性が高くなっている事、そういうことに関して世間は無知であると思われる。
 先日書いた、脳卒中登録などの事業など、現場の医師が行っているから得られるデータがたくさんあるのである。そのデータや共同研究の結果などを、現場を良く知らない人からあれこれつつかれるのは心地よいものではない。脳ドックも健康診断も、「心配だからCT撮って欲しい」という患者さんの希望も、すべてなしにすれば、医療費はかなり抑制できると簡単に計算できる。しかし、その中に、「心配だ、と言っていた時に調べておけばわかったのに、、、」とか「脳ドックで未破裂のうちに見つけて手術しておけば命を落とす事も無かったのに、、、」という人が、「多くはないけれど」必ずいるのである。一見無駄に思える診療行為で、命を救われる人もいるのである。人の命の問題なのだから、「効率」「経済性」「確率論」だけで論じては行けないのである。
 もし、確率論と経済性を優先して医療を行うのであれば、75才以上の人、少なくとも80才以上の人には、痛みや痒みを和らげる治療以外の医療行為は行わないのがいい。多額の金のかかる心臓の手術をして、1年後に別の病気で亡くなる可能性があるのだ。脳卒中の治療を一生懸命やって、80才の寝たきりを作るだけになるのだ。「何もしない」方が、国のため、行政のため、医療経済のためから言えばよいのである。しかし、83才のおじいちゃんにも79才のおばあちゃんにも、愛する家族や友人がいるのである。効率や確率だけで医療行為は行えないのである。そこには「愛」が介入するからである。
 医療経済の問題を論じている方、脳ドックや健康診断の廃止を唱えている方々、その他、現代医療の進歩に異を唱えている方々、あなた方の論理の中には「愛」が存在するのかを考えて欲しい、と思う。多施設共同研究を始めて、正直な気持ち「めんどくせ〜な〜」とい考えが湧き、いろいろ考えていたら「愛」の話しになってしまい、ちょっと恥ずかしい感じがしています。(^^;;;

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2005.07.16

脳ドック研究会

今日は大学のある街で表記研究会が行われた。特別講演は、会を作ったうちの教授であった。
そもそもこの研究会が出来たのは、「脳ドック」を推進しよう、ということではなく、有象無象の病院や医院でMRIをもっているだけで脳ドックができてしまうことへの警告と啓蒙であった。器械があるからできる、では困るのである。「誰が」やっているのか、「どのように」やっているのか、が重要である。
 脳ドックの現状を検証することもなく、誰がどのようにやっているのかをチェックする機関もなく無制限に行われると弊害ばかり目立ってしまう。それがK医師が3年前に文○春○に寄稿した、『脳ドックに「ノー」と言おう』などのように脳ドックの問題点を指摘される事態に繋がっていることは否定できない事実である。
 未破裂脳動脈瘤のように、何も症状のない人が病気が見つかってその治療を考えるときに、大切なことは「無症状の人は無症状のまま日常生活に戻れる」ことである。それが「脳の手術なのだから、多少の後遺症がでても仕方がない」という発想のままで治療されてはいけないのである。
 医者が明日から医者を、弁護士が明日から弁護士を、職業に貴賤はないが、たとえば八百屋の親父さんなら退院したらその日から八百屋を出きるのが理想であり、そう目指した治療が行われなければならない。脳ドックがこれほど隆盛をみるかなり前から、教授は常にそのような脳神経外科治療をおこなうよう、我々弟子を厳しく指導されてきた。私もその指導に耐え多くを学んできたつもりである。だから、以前にも書いたように、私は脳ドックを推進する立場でも反対する立場でもない。脳ドックの結果、治療が必要と考えられる人に対してどのようにアプローチすれば「そのひと」の今後の人生が豊かで明るいものになるかを考え、それを実践するだけである。神ではないのだから100%絶対成功を保証は出来ない。しかし私が手術しても予測上は100%に近い成功が得られるという感触を得られる症例にだけ手術をすすめている。手技的に難しいなと思ったり、手術による障害発生がかなりの確率で起こりそうな症例は、大学に紹介する、大学を通して血管内治療をすすめる、などのように自分よりも優れていると思う医師に迷わず紹介する。または、患者と家族に十分な説明をして手術治療を行わずに外来で経過を追っている。今、思い出せるだけで4,5人の患者さんは手術をせずに外来で経過を追っている。大学に紹介して手術を受けたものの、やはり困難な症例で動脈瘤にクリップをかけずに閉頭され頭の中に動脈瘤が残ったままの人もいる。大都市の有名な血管内治療の専門医に治療を依頼したものの、そこでもやはり治療は困難と言うことでそのまま送り返されて来た患者さんもいる。以前にもこのブログでかいたように、我々医師は"First, Do No Harm"なのである。治療できなくても、少なくとも診断される以前より悪い状態にしないこと。これを「勇気ある撤退」とみるか「敵前逃亡」とみるかは医師によって違う。しかし、「その」患者が自分の親であるとか、同胞であると仮定したときに、難しいから治療しないことを非難できるであろうか?
 脳ドックで診断がついた患者さんの治療成績は理想は100%成功でなければならない。しかし人間の営みに100%の絶対などというものはない。我々は神になろうと努力しているのではない。いずれ限りのある患者の人生が我々の介入によってさらに豊かなものになることを目指しているのだ、ということを、今日の教授の講演を聞いて再確認した。

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2005.07.04

脳卒中登録事業

のことを書こうと思っていた。
 今日は、外来、病棟の仕事を終えて、昨年の一定時期の入院患者さんの中から「脳卒中」の人だけを抜き出して、パソコンにデータを登録する作業を行った。100名を越す数なのでいっぺんにはできない。「個人情報保護法」施行ですこしデータの仕様も変わり、従来のように名前を記入する項目は無くなった。しかし、一人につき30項目以上も記入することがあり(発症から来院までの時間とか、手術を含む治療法とかいろいろ)なかなか骨の折れる仕事である。こういう作業を医師が(主に脳外科医、一部の神経内科医)しているから、全国の脳卒中患者の発生数とか死亡率とかといった統計作業が行われるのである。多分、世間の人はそんなことも知らない。
 脳卒中の患者が一年に何人発生したか、自動的に登録されるぐらいに思っているかも知れない。またはクラークなど事務職の方でデータを登録していると思われるだろう。
 違うのである!
 なぜなら、統計データの元になる情報は「医療情報」なので、性別とか年齢とか発症日とかいった完全に客観的なデータならクラークでも登録できるが、脳梗塞であるとか、それが血栓性であるとか、発症から来院までの時間がどれくらいとか、治療は何をしたかとか、高血圧の治療をおこなっていたかとか、コレステロール値はいくつかとか、そういったデータは「医者」が自分で入力するしかないのである。
 もう忘れつつあったが、あのいちゃもんをつけているとしか思えなかった方の「データ解釈」も、その元になっているデータは医者が入力しているからこそ成り立っているのだ、ということをここで強調しておきたい。
ーー
さて、入力にある程度疲れて20時前に帰宅しようと思っていたら急患が来て、緊急手術なり今23時である。もちろん夕食はまだである。視床出血で脳室穿破に伴い急性水頭症があって意識障害が進行していたので大緊急で両側脳室ドレナージを行った。ICUに戻って諸々の処置をして患者を診察すると、目をあけて簡単な命令動作に応じる(口をあけろ、舌を出せ、手を上げろ、など)。著名な改善である!
 脳卒中登録事業のことなどを書き連ねようと思っていたが、疲れたので今日はやめて明日にします。

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2005.06.29

集中治療室

 昨日の患者さんは、深夜、挿管のままで未覚醒で手術室を退室し予定通りICUで人工呼吸器に接続した。しかし、ほどなく覚醒して来たので自発呼吸にし、深夜であるので念のため挿管のままにしておいた。手を握れという簡単な命令に応じ、ご家族がベッドの傍に来ると目を開けてうなづいていた。
 今朝までそのまま休んでいただき、朝8時半に抜管した。術後のCTも「後出血(こうしゅっけつ)」や脳腫脹も無く問題ない。造影CTで見る限りは腫瘍は90%以上とれているようであるがMRIでなければ正確な診断は出来ない。予測通り、左の顔面神経麻痺と喉頭の麻痺(反回神経麻痺)がでているようだ。閉眼は出来るが右に比べると弱いので角膜を保護するための点眼薬を処方した。飲水、食事はもう少し経過を見てから始めた方が良さそうである。今日ICUを退室して元の一般病棟に戻っても良さそうであるが、病棟の方の都合などでもう一日ICUで管理することにした。

 ICUは「集中治療室」と日本語で表現される。なんとなくわかるようなわならないような言葉である。英語をそのまま直訳的に理解すると、「念入りに特に注意を払ってケアをする部門」ということになる。呼吸循環系の不安定な人(重症肺炎や心不全など)、心臓の手術後、くも膜下出血急性期、重症頭部外傷、多発外傷、全身火傷、てんかん重積状態、などなど、治療に手のかかる、急変しやすい、生命にかかわる状態の人が中心になる。ICU入室基準から考えると、昨日の手術後の方は本来はICU対象にはならないかも知れない。しかし、一般病棟、たとえば満床50名の病棟に夜間の看護師は3人とか4人である。術後で目をかけていなければならない患者が一人いるだけで、他の業務がおろそかになりうる。そのためにも、ICUで治療を行う意義がある。
 実際は、満床8床のICUに7名入室中であるが、脳外科は上記患者以外に2名。このブログでも書いた、「急性硬膜下血腫」術後、減圧開頭していて意識障害と呼吸不全があり気管切開をしてまだ人工呼吸器で圧補助をしている80才代の男性と、「外傷性くも膜下出血」で呼吸不全を併発し挿管の上、人工呼吸器でサポートしている人50歳代の男性である。後者はだいぶ良くなって来て、そろそろ呼吸器も離脱できそうである。名前を呼べば目を開け、返事をしそうな勢いである(管が入っているので声が出せない)。
 隣のHCU(ICUよりは重症度が落ちるものの、虚血性心疾患の急性期やペースメーカー挿入予定の不整脈、心臓カテーテル検査を要する急性期の心疾患の人や緊急手術の対象にならないような脳出血、脳梗塞の患者を入室させ、全身状態が安定したら一般病棟へあがるまでの期間、Highlyケアをする部門)には、脳幹出血で人工呼吸器から離脱は出来たものの抜管できないでいる患者さんがいる。月曜に手術した慢性硬膜下血腫のおじいちゃんもいる。脳幹出血の患者さんに抜管を試みた。喉頭浮腫もあって、呼吸が努力様、閉塞様だ。鼻腔エアウェイを入れてフェイスマスクで酸素を10l/m投与したが、酸素飽和度がだんだん下がって来た。薬物を投与して呼吸を楽にしてあげようとしたが、酸素飽和度は94%位から下がって88%まで落ちた。血圧が上がり脈も上昇し汗をかいている。呼吸が苦しいのである(脳幹出血のため四肢麻痺で意識障害もあり表現ができない)。やむを得ず再挿管した。ずっと管を入れておくと痰が固まって窒息したり不潔になるので、気管切開は必要そうである。
 病棟では、髄膜炎から水頭症になって脳室ドレナージをしていた血小板無力症の患者さんが問題である。ドレナージの管の中にすこしずつ出血が混じっていたのだが、土曜日あたりから流れが悪くなり日曜に詰まってしまったので管を抜いた。管を入れたところにはうっすらと脳内出血が出来ていた。術中は全く出血していないスムーズな手術だったのである。血小板輸血をしてもその効果は3,4日しかない。そのため、ドレナージを入れたルートから血液が滲み出たのであろう。管をぬいて3日たったが、徐々に意識状態が悪化し名前を呼んでも生返事をするだけになった。CTでは明らかに水頭症の再燃がある。脳室腹腔シャント術が必要だ。しかし、髄膜炎が完治していない。血小板無力症の問題もある。一時的に再度ドレナージで逃げて、炎症の治癒を確認してからシャント手術をするのがいいのか、血小板輸血をしてシャント手術をやってしまった方がいいのか、悩むところである。
 昨日の手術の疲れ(特にhigh speed drillで骨を削ったので右手がだるい)を癒す間もなく、これだけ悩ましい患者さんがいる。脳神経外科としては普通のことではあるが、昨日のような外科医にとっても「大手術」は「年に1個か2個でいいな〜」と思ってしまうのは日常がこうだからである。

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2005.06.28

小脳橋角部腫瘍の手術

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今日は、左聴神経腫瘍の手術。
午前中は病棟の仕事だったので、まもなく午後1時手術室入室で2時頃から執刀開始する。
顔面神経を微弱な電気刺激でモニタリングしながら、少しずつていねいに摘出して行くので時間はかかる。終了は、概算で9時間後の午後11時。ICU帰室が午前0時。帰宅できるのは早くて午前1時過ぎだろう。
患者さんのために祈っていてくださいね!
(6/28 12:55)

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2005.06.25

今日も日直

当院では45才以上の医師は、宿直を免除され土日祝日の日直が割り振られる。月に1、2回は回ってくるがこれは「お勤め」と割り切って仕方なくやっている。
 午前中だけでもたくさんの患者を「さばいた」。診た、というよりテキパキと「さばいた」という感じがする。
 背部痛で来院した男性。X線写真では「石」は写っていないが尿検査で血尿+++であった。疝痛は無く排尿時痛も無いので、週明けの泌尿器科受診を指示して痛み止めを処方して水分を多めに取るように指示して帰宅させた。5日前から風邪症状と吐き気があり、食べても殆ど吐いてしまう。そのうち治るだろうと市販の風邪薬を飲みながら4、5日たっても嘔吐が収まらず39℃の高熱で来院。「もっと早く来いよ!」と思いつつ、採血、点滴、胸部・腹部写真撮影を指示。わずかに肺炎か?CRPは30近い。座薬で解熱させると「楽になりました」と。
 点滴が終了したら経口抗生物質などを処方して帰宅させようとしていたが、大腸ポリープで具合が悪い時は入院する話しになっているという患者さんを診に来た内科医が、その「風邪→肺炎」の男性も入院させるということ。お願いした。
 1ヶ月前に自宅で転んで左の臀部を打撲、その後痛くて杖歩行で夜もぐっすり眠れないという老人が来院。X線写真では、大腿骨も骨盤も骨折はなさそう。湿布と痛み止めを処方して月曜に整形外科を受診するように指示して帰宅させた。「もっと早く、平日に整形外科に来いよ」思っても口に出しては行けない。。。。
その他に高熱を出した小児。膠原病でかかっていてリューマチ熱が出て食事もとれず体力が落ちた、という人。転んで膝を打った人。トタン屋根で右手中指と薬指を切った人(この人は4-0ナイロン針で8針ずつ縫合した)、腰痛で動けなくなって救急車で来院。胸が苦しいという85才の女性、、、、いろんな人が来られる。
今日の午前中は小児が少なかったのが救いだ。土曜の午前中は開院している開業医や医院もあるからだろう。こうしてまた日直業務をこなして行くのだが、どうしても患者さんを診ているというより「さばいている」という感じになってしまうため、達成感が少なく虚しい感じを受けてしまうのだ。

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2005.06.24

外傷性くも膜下出血

病棟で仕事をしていたら、「くも膜下出血の患者が来て、今CTを撮っている」という連絡が入った。
夫婦で買い物に行ったホームセンターで妻の後ろで急に倒れて意識がなくなり、救急車で来たという。すぐに病棟の仕事から手が離せなかったので、ICU入院と可及的速やかに脳血管撮影の指示をした。
 脳血管撮影が始まった頃、仕事が終わり、アンギオ室に急いだ。
 放射線科医により3-vessel studyが始まった。右内頚動脈撮影正面、側面、順斜位、逆斜位、ステレオ撮影、左内頚動脈、左椎骨動脈、、、とスムーズに検査はすすんだがどこにも脳動脈瘤が見つからない。
アンギオ室で脳外科医2名、放射線科2名の計4名ですべての血管撮影をレビューしたがやはり「これは?」というものもない。
 CTでは、くも膜下出血とともに右側に硬膜下出血もある。bone imageを見ると、右の側頭部に骨折がありそうである。頭蓋単純X線写真を撮るとやはり骨折線がある。明らかな皮下血腫(たんこぶ)など外傷も無いし、誰も倒れたところを見ていないのだが、明らかな外傷は無かったようである。
 しかし、状況とCTおよび血管撮影の結果からは、「外傷性くも膜下出血」の可能性が高くなった。ICUで血圧管理して経過を観察し、意識状態の推移をみることにした。明日の午前中のもう一度CTだ。2週間以内にもう一度脳血管撮影が必要になるかも知れない。脳動脈瘤によるくも膜下出血は、動脈瘤が見つからないからと言って完全に否定は出来ないからだ。
 でも今日の夜、これから緊急手術ということだけは避けられた。良かった。

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