カテゴリー「旅行・地域」の記事

2014.05.20

2014年の酒田まつり

H19年の5月に山形市から酒田に転居しのは5月20日でした。
なんだか静かな日でしたが、後からその日が「酒田まつり」本祭りで、中心街は盛り上がっている事を知りました。
H20年3月に開業し、その年から毎年本祭りの20日午後は休診(休みの日もあった)にして祭りに参加(見物だけですが)しています。

2014a2014b酒田青年会議所がその創立30周年の1996年に、巨大な立て山鉾を復活させたそうです。1906年に、電線が市街地に張られたため山鉾の移動ができなくなり、90年間途絶えていたものです。
そして、創始400年のH21年(2009年)には20mを超える、巨大な山鉾を電飾も付けて、19日の宵祭りでも美しく目を引くものを作り、以来、毎年素晴らしい立て山鉾が作製されています。
今年は、金土に強い風が吹いて製作中の一部が壊れてしまい、月曜夜の宵祭りまでJCの家族も駆出されて製作されたものだそうです。
立て山鉾の上の方に龍がグルリと周り、左前脚で玉を掴んでいる、大変すぐれたデザインで素晴らしいものだと思います。

Photo5月19日(月)、18時まで診療し、アポイント一件を済ませ、帰宅して速攻で着物に着替え、夫婦で着物で出かけました。
宵祭りのイベントをやっている日和山公園に到着したときは1920頃になっていて、前半の出し物は終わってしまっていました(酒田舞娘の踊りなども観れませんでした)。
友人が出演する酒田北前太鼓の勇壮な演奏を聴きながら、屋台で買い求めた粉ものとビールを楽しんでいたら、八波会の神輿が日枝神社から日和山公園に入ってきました。
そして、立て山鉾を神社に見立てて、神輿の神社への還御(おかえり)のシミュレーションをしました。公演に集まった大勢の市民(観光客や明らかに外国籍の人も居ました)で三本締めで盛り上がりました。

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2013.05.20

405年目の酒田まつり〜その3、本祭り

5月20日。
いよいよ創始405回目の山王例大祭「酒田まつり」の本祭り行列の日。月曜日なので12:30まで普通に診療を行い、午後を休診としてお祭りに出かけました。

Photo_8Photo_9下日枝神社の神宿のある清水屋デパート6階に展示されていた写真の一枚。明治時代の山王例大祭の巨大山鉾の写真です。
「雲をつく程の巨大な山鉾は酒田湊に停泊する船からも見えた」という噂は遠く京にまで伝わったと聞きます。
そして右は、kanonの父が集めている掛け軸の中にあったもので、明治35年の酒田まつりの山鉾を描いた絵です。左の写真とほぼ同時代の山鉾ということになります。実に興味深い(「ガリレオ」風に、笑)。

Photo_10Photo_11Photo_12上日枝神社、下日枝神社の神宿の「くねり」に続き、酒田きやり保存会、獅の会、八波会と行列が続きます。
一番右の八波会の神輿には、今年もその名前の由来であるかなり前から都合がつく限り一緒に練り歩いて来られた(名前が同じなので関係がある様に見えますが実はたまたまだったという)タレント八波一起氏が参加されていました。

Photo_13Photo_14祭りの神輿、いいですねぇ。見ているこちらも血が騒ぎます。
右は大きな獅子の行列。この獅子頭の口の中に幼児をいれて、「パックンパックン」とやると元気に育つと言われています。

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2013.05.19

405年目の酒田まつり〜その2、宵祭り

5/19(日)。
本祭りを明日に控えた日曜日。午後からお出かけしました。

Photo数々の大ヒットアニメを制作して来た「スタジオぴえろ」の布川会長と大ヒット作の一つ「ナルト」の着ぐるみとのトークショーが、下日枝神社の神宿(とや)が設置された清水屋デパート6階で開催されたので行ってみました。
上にリンクしたスタジオぴえろのHPに会長挨拶がありますが、布川会長は酒田市出身。私が全然知らなかっただけですが、超有名会社。これまで「クリーミィマミ」「うる星やつら」「ヒカルの碁」などのテレビアニメ、劇場アニメを手がけています。タツノコプロ時代は「タイムボカン」シリーズにも携わったとか。
トークショーに来ていた観客の中には、アニメ界の人なのか、かなりマニアックな質問やキナ臭い質問をする人も居ました。

一旦家に帰って、kanonともとも着物に着替えいよいよ「宵祭り」に。
小雨模様のため傘を持つ必要があり、身軽になる事を考えて泣く泣くデジイチを置いて出かけました。
Photo_2着物で出かけ、車を駐車場にいれ、すこしモタモタしていたので日和山公園に着いた時には18:45過ぎ。すでに松山藩荻野流砲術隊の演技は終わっており、「酒田こども歌舞伎」をやっているところでした。

Photo_3傘の花が開く中、最初は遠くから観ていたのですが、徐々に引き込まれるようにステージに近づいて行きました。途中からだったのでよくわかりませんが、多分「白浪五人男」を演じていました。子供達の熱演に盛んな拍手とかけ声が送られていました。

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2013.05.16

405年目の酒田まつり〜その1

慶長14年(1609年)から一度も途切れる事なく405年続く酒田まつり(山王祭)が、今年も始まります。

Photo_10Photo_11Photo_12清水屋デパートの裏入り口に看板が。
中に入ると、6階に「神宿(とや)」が設けられ、そこに展示物がある事が案内されています。
Photo_13清水屋デパートのイベント会場は5階だと思っていました(大北海道展などが開催される)。5階に上がり矢印の案内板に従って行くと、6階に上がる階段に誘導されます。

Photo_2そこに「神宿」が設置されています。
2013年5月16日、この写真の「神事の流れ」の説明にあるように、『鉾立神事』の日です。
「神宿(とや)の主人を始め組合の方々により、神様が迎えられ、前年より一年間、主人の自宅に安置されお祀りされてきた神様が、飾り宿の祭壇に祀られ、御鉾が立てられます。」と書いてあります。

酒田に住んで合計8年、開業して5年、酒田の住人の一人として「酒田まつり」を共に祝い歓びたくて、5月20日の午後は休診にしてきました。今年の5/20は月曜日なので来週月曜の午後は休診です。

しかし、この『鉾立神事』の事は今日まで知りませんでした。
今日5/16は木曜日だったので、午後休診。Facebookの仲間の情報で、中町の清水屋デパート6階に下日枝神社の神宿が設置され、5/15から酒田にゆかりのある展示も同会場で行われているとの事。
Photo_3Naruto初代ゴジラスーツアクター中島春雄さん(kanonのブログ記事参照「久々にゴジラ☆」)の写真やゴジラ模型などを展示したコーナー、「ウルトラマンネクサス」「SDガンダムフォース」などの映画監督である酒田出身のアベユーイチ氏とアニメスタジオ「ぴえろ」の会長で酒田市出身の布川郁司氏の協力で、アニメの台本、ウルトラマンゼロ、アニメ「ナルト」の等身大人形などが飾られています。

下日枝神社の神宿(とや)を務める主人が、お宝を陳列して来客に見せるという伝統がある訳で、今回はそれが中島氏でありアベユーイチ氏であり布川氏であるわけです。

Photo_4Photo_5そしてこの写真が、神宿の神事に集まった自治会の旦那衆。
まずは神様の前で獅子舞を振る舞います。厳かに『鉾立神事』が進みます。

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2012.07.17

「海の日」は山へ。

7/16(月)は「海の日」。国民の祝日でした。
前日の雨も上がり、気温がグングン上がります。蒸し暑さ最高潮。

こんな暑い日に、海に行くなんて、、、いえ、それが正道でしょうが、私は山に逃げました。
Photo_3向かったのは遊佐町の鳥海山中腹。有名な「パン工房BAKU麦」。
こだわりのパン工房、おいしいパンを焼いて売っている超ド田舎のお店とは聞いていました。知人が買って来てくれたパンを食べたことはあり、美味しいのは知っていました。でも自分で行くのは初めて。

Photo_4予想を上回る場所。
「冬は車が通れるのだろうか?」と思う様な鳥海山の山中です。右端の写真の湯に、お店の前からは遊佐の田園地帯そしてその向こうに広がる日本海。素晴らしい眺めです。

Photo_5パンは、一見人のお宅の様なお店に入ると篭の中に数種類手書きの値札と一緒に並べてあり、なんと会計はセルフサービス。紙かビニールの袋に自分で入れて、菓子缶の空き箱の横においてある電卓で自分で起算し、代金を菓子缶に入れ、釣り銭も必要ならそこからとって帰るのです。お店の人は、店の中に入った時に挨拶に出て来て「あんパンは今焼けたばかりだから、紙袋の方がいいかもね」と言って、あとは会計のシステムを説明したらすぐ裏に引っ込んでしまいました。接客などしないのです。
後で食べましたが、本当に美味しい。何も付けなくてもパンだけでバクバク食べられます。無添加の北海道産小麦粉で焼いているので次の日には固くなってしまいますが。

つぎに向かったのは、、、

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2012.07.12

出羽遊心館と土門拳記念館の紫陽花

酒田市はその真ん中を最上川で南北にわけられており、「今さかた」と呼ばれる現在の中心地とその周辺が町としては発展しています。
「向こうさかた」と言われる最上川の南岸は、古くは徳尼公を伴って平泉から落ち延びた三十六人衆が住んだ場所でしたが、街の中心が最上川北岸に移ってからは永らく寂しい場所でした。

飯森山地区とその周辺を開発して、土門拳記念館や東北公益大学、工業団地などが作られ、新しい街が出来上がっていますが、酒田市美術館の隣にある「出羽遊心館」に先日初めて行ってみました。
「出羽遊心館」についてへ、かつて存在した雑誌SPOONの「出羽遊心館の庭園を訪ねて」に詳しい案内があります。酒田市の情報は、「こちら」です。

PhotoPhoto_2Photo_3左は遊心館玄関。
ちょうど裏千家淡交回会の月釜が行われていたようです。
真ん中は、遊心館の中庭をぐるりと回ってきたところ。
右は、遊心館から最上川越に酒田市街地を臨んだところです。

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2012.07.08

酒田場所VOL.5レポート3;翌日「個人レッスンと山形観光」

7/1(日)は、朝ホテルに上坂さんを迎えに行き、自宅にお連れし、昨日のブログ最後の様に千代丸と再会。その後「ジョンダーノ・ホール」でレッスン。

一人目はbalaine。
Photo_4普段面倒くさがってやらない基礎練習、というか「基礎」のタメの練習ではなく、「基本」の練習。要するにいい音楽、いい演奏のための基本を学びます。
タンギングを使わずに、力まずに、低音を反応良くポーーーッン(イメージです)と出すための吹き方とそれを体得するための練習を、タッファネル&ゴーベールを使って学びました。そして、フルート吹きにはあまりにも有名なので、逆にこれまで人前で吹いたことがなく、練習も避けて来た感のあるドップラーの「ハンガリー田園幻想曲」を途中までレッスン。主にアナリーゼが主体でしたが勉強になりました。

Photo_5こちらの男性は、少しフルート教室に通ったことがあったそうですが、今は独学。どうしても低音がカスカスの音になってしまうという、フルート吹きに共通の悩みを抱えていらっしゃいました。
多くの笛吹きが悩んでいるということは、多くの笛吹きが間違った構え、間違った吹き方をしているということで、決して個人の能力の差ではないのです。

「上坂メソッド」と命名しているリッププレートの当て方(要するに全体を含めた構え)をちょっと替えるだけで出なかった音が出るようになります。写真の紳士も「あ!低音が出た!!!」と目を丸くして驚きの声を挙げられました。
しかし、それは上坂先生やbalaine(まだまだメソッドを完全体得していませんが)にとっては、驚きには値しないこと。ちゃんと構えて、ちゃんと吹けば、楽に音が出るのです。世界中のフルート吹きがそうやって普通に、楽に、音を出しているという事実があるのですから。

詳しいことをお知りになりたい方は、東京、大阪の「フルート・クライス フルートを楽しもう!」企画や来年(?)の酒田場所Vol.6に是非ご参加下さい!

===
さて、「酒田場所」と言えば、遠足です(そうなのか?)。
今年は「最上川舟下り」に初挑戦です。

まずは、腹ごしらえ。

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2012.06.19

44年振りの広島

6/15,16に広島で開催された日本脳ドック学会総会に出席し演題を発表するため、44年振りに広島に行って来ました(小学生時代、倉敷に住んでいた時以来)。
学会の内容等はさておき、久しぶりの広島と初めての宮島について。

6/14(木)は13時までの診療、14:15庄内空港発ANAで羽田へ。京急で品川へ。予定の「のぞみ」まで十分の時間有り。16:16品川発、順調に20:05広島着。

PhotoPhoto_2ホテルにチェックイン後直ぐ向かったのは八丁堀の「みっちゃん総本店」。21時で終わりと言われたのですがぎりぎりで入って即効で注文。「そば」と「うどん」を一つずつ注文。
薄い生地にたっぷりのキャベツと麺。美味しかった!

Photo_3学会初日は自分自身の発表もあり、19時からの会員懇親会にもちょっと出席。20時過ぎに新天地の「お好み村」へ。
ここはビルの2〜4階に合計24軒のお好み焼きが軒を並べています。2階の「八昌」に行きたかったのですが「売り切れ御免」で閉店していました。どこというアテもなかったのでなんとなく3階の「将ちゃん」へ。写真の様にたっぷりのネギかけの「将ちゃん焼き」をソバとうどんで。

Photo_4学会2日目は、最後の午後2時半頃まで出席してその後宮島へ。宮島のことを続いて書きますが、広島に戻ってまたまたお好み焼きへ。3日連続です。広島駅前の「ひろしまお好み物語 駅前ひろば」へ。
行ったお店は噂を聞いた[電光石火」。ほとんどのお店は「お好み村」より若い店員で活気があり、フレンドリーでした。ビックリする様なまん丸のこんもり盛り上がったお好み焼き。卵2個入りのオムレツの様な感じで美味しかった!

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2012.06.08

「山の向こうのもう一つの日本」

Chokaifromcar今日、Facebookの交流で、自分でライシャワー博士の有名なタイトルの言葉を書き込んだあとに、恥ずかしながら、原文をちゃんと読んでいなかった事に思い至り、ネットで探したものをここに「転載」します。

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『山形-山の向こうのもう一つの日本』


  日本はある意味で、2つの違った国で成り立っています。
一つは、巨大な工場や切れ目なく続く都市、そして東京一帯から北九州まで延々と続く高速道路から成り立っています。この意味での日本は、近年他の国々に知られるようになりましたが、たいして魅力的ではありません。生活環境が制約されていて快適ではありません。自然自体も、人間の圧力によって無慈悲にも脅かされてきています。


  ところが、このおびただしい主要地域とは遠くない所に、もう一つの日本が存在するのです。そこには、果てしなく続く山脈や大森林が広がり、そしてあちこちに点在する村や町や小都市の住民にとって、とても快適な生活空間があります。日本の本来の姿を思い出させる美しいところです。


  それは、松尾芭蕉が300年前にかの有名な旅行で山形を訪れた時に目に映ったものであり、私自身が20年以上も前に山形に旅した時に感じたものです。山形が過去の日本であるばかりでなく将来の日本であると共に発展の余地があり、しかもその発展には自然と人間の喜ばしい均衡を決して損なうことのないものであって欲しいと私は望んでいます。


  山形の位置する日本海側の気候は、暖かい時期には太平洋側とほとんど変わりません。しかし、冬においては著しい差があります。シベリアからの季節風は日本海側を横切るときに湿気を吸収し、山脈の西側に多く雪を降らせます。そこがかの有名な『雪国』 です。冬期間常に5~6フィート (150~180cm) の雪が積もっています。


  私はこの 「もう一つの日本」 に属する山形を訪ねるにあたり、あえて晩冬を選びました。トンネルを抜ける短い線路は、私を太平洋の乾いた地面や太陽のまぶしい空から、雪に埋もれた冬の不思議な国山形に連れていってくれました。


  私には、ほんの一瞬のうちに世界の半分を旅したかのように感じられました。山形の人は雪のことを言い訳し、当惑しているように思われました。
しかし、私にはすばらしいことに思われました。雪は山々や広大な山形の自然の美しさに、さらに素敵な魅力を与えてくれているのですから。


  私の山形への関心は、言うまでもなく、自然の美しさに留まりません。
私の学者としての経歴のはじめに、円仁(慈覚大師)の日記の翻訳や研究に多くの年数を費やしました。円仁は日本の僧侶で、9世紀に10年にわたる中国留学の間、日記を書き続けたのです。後に円仁は山形に寺を築き、その遺品は山形の歴史的財産になっているのです。もちろん、それらは私にとって興味深いものです。


  山形の人々もまた魅力的です。外国人があまり訪れないので、人々は外国人の訪問客には新鮮な気持ちで親切にしてくれます。

  
  私は友人から日本でどこを見るべきかと尋ねられると、きまって踏みならされた道から一歩はずれてみるように勧めます。もちろん、東京や大阪などの大都市は日本の縮図であるから見るべきであるし、日本の歴史を残す京都や奈良のようなところも見逃せません。


  しかし、私は強く言いたいのです。
山形を良い例として 「もう一つの日本」 を見落としてはならないと。将来において自然と人間が健全なバランスをとっている、そのような「もう一つの日本」 に日本全体がなることを望みます。


エドウィン・O・ライシャワー
   ベルモンド, マサチューセッツ 1988年 3月 1日
(日本語訳: ハル・M・ライシャワー) 『山形-山の向こうのもう一つの日本』 より

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2012.05.22

第403回酒田まつりは晴天!

5/19(土)の宵祭りは、山響定期演奏会のため見れなかったので、5/20(日)の本まつりは、式台の儀開始12時より前、11時半に出掛けました。
しかし、市民会館や近隣の駐車場はどこも一杯。なかなか駐車も大変。

Photoまず向かったのは日和山公園。木曜日はまだクレーンで積み上げる前の立て山鉾が駐車場スペースなどに置いてあったのですが、このように立派な立て山鉾が設置されていました。しかし、昨晩(前日5/19)の宵祭りの熱気などはどこにもなく、なんとなく寂しそう?
西廻り航路を開拓した河村瑞軒が立て山鉾と日本海を眺めている感じ。

Photo_2日和山公園向かいの下日枝神社では、ちょうど12時出発の神輿が出るところでした。
宿屋(とや)とその町内会の男達、宮司などに続いてまず出てきたのは「獅の會」の御神輿。これを見ると祭りの気分が一気に盛り上がります。

Photo_3Photo_4御神輿と一緒に中町方面に下って行くと宿屋の男衆が羽織袴に裃と腰に刀という正装で先導していました。オペラ「蝶々夫人」でもお世話になり一緒に出演もしたS先生のご主人(もオペラにしゅつえんしたのでした)を見つけ、浴衣にカンカン帽という出で立ちのkanonが声をかけています。
神輿は練り歩きながら、ご祝儀を頂いたお店や施設の前に立ち止まり「一本締め」で威勢良く盛り上げます。

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