先日、某国営(?)放送の特集番組で、マッコウクジラのことをやっていた。
いろいろ問題を起こしている放送局ではあるが、N響アワーを始めとする優れた音楽番組や、上記自然などを対象にした番組の密度の濃さ、内容の深さはピカ一であるから許してあげる。(は?)
さて、マッコウ。
漢字ですぐ書ける方がどのくらいいるのだろうか。
クジラ目ハクジラ亜目マッコウクジラ科に属する。
昨日の、セミクジラはヒゲクジラ亜目で、口の中に歯の代わりにヒゲ板という、およそ「髭」には見えないものがある。これは上あごから下向きに生えていて、口の中に「こし器」のように縦に並ぶのである。セミクジラなどのヒゲクジラ亜目は、大きな口をあけて畝洲と呼ばれるアコーディオンの蛇腹様の下顎を膨らませて大量の海水とともにオキアミなどを口の中に一旦納めた後、ゆっくりと海水をヒゲ板の間から口の外に吐き出して、結果口の中に残った食物をペロリと舌を使って呑み込むのである。
一方、ハクジラ亜目は歯のような器官を持っているが、マッコウではこれが下顎にしかついていない。上あごには歯がなく、下顎から生えた歯が納まるような凹みがあるだけである。しかも、下顎は、大きな頭には似つかわしくないくらい細く長い。要するに、ハクジラと呼ばれながら、人間のように食物を食べるために歯を使っている訳ではない。単純に言えば、好物のダイオウイカなどを捕捉するためにこの下顎に並んだ歯でくわえるのである。
弱ったダイオウイカは、そのまま噛まずに呑み込むと考えられている。捕まえるために使っているだけと考えられる。
さて、マッコウ、漢字では「抹香鯨」と書くのである。
「抹香臭い」という、あの抹香のことである。
ダイオウイカなどを胃や腸内で消化吸収する過程において、吸収出来ない成分に胆汁などが混ざって石のように蝋状に結石化させたものである。この結石化した物質のことを「龍涎香」と呼ぶ。
龍涎香は、乾燥させて火にくべるととても良い香りがすることと、他の自然物には無い色と形などから、古来中国で『龍のよだれが固まったもの』であると考えられたためついた呼び名である。この龍涎香から、お寺などで焼香に使われる抹香(=モクレン科のシキミの葉を粉にして作った香)に近い芳香が得られるため、貴重品としてもてはやされた。江戸時代ならば、大きめのマッコウクジラのこの「結石」を手にいれると「同じ重さの金と交換される」とか「三代遊んで暮らせる」と言われるくらい高級なものだったようである。
日本人の情緒というか、クジラを海からの贈り物として畏敬の念を込めて感謝の心から名付けた俗名が「抹香鯨」と言う訳である。
ところが英語による俗名には、日本人としてちょっと首を傾げる。
Sperm whaleと彼らはいう。直訳すると「精液クジラ」ということになる。
マッコウクジラは、大好物のダイオウイカなど深海の大型の生物を捕食するために、長時間深海に潜っている必要がある。しかし、ほ乳類であり人間と同じく肺を持ち呼吸する生き物なので、一息で素早く水深1000〜2000mまで潜るために体にいろいろな工夫が凝らされて来た。その一つが、でっかい頭に貯蔵している「脳油(のうゆ)」と言われる液体である。
脳油の凝固点は摂氏29度。通常のほ乳類の体温においては液状になっているのであるが、海を潜り始めて海水温が下がって来ると、この脳油が蝋状に固まって密度が重くなり、海水から受ける水圧で体を縮めて体積当たりの質量が増加して、ますます深海に潜りやすくなるための重りの役目をするのである。まるで、潜水艦が深海に潜航するための働きである。
クジラという生き物が「脂の原料」に過ぎなかった(もちろん海の幸の一つとは考えていたであろうが、海とともに生活する日本人とは発想が違う)欧米人に取って、マッコウクジラの頭(正確には、たんなる頭部であって、脳の中ではない)から出て来る液体が、29度以下で蝋状になる、その白色でドロドロした状態を以て、sperm(精液)と名付けたのである。
ちなみに、深海から浮上して来る際には、脳油の詰まった頭部のタンクのような装置に、頚動脈の枝の血管から暖かい血液をたくさん回すことによって体温に近づけて、固体から液体にすることで浮力を得ている。
さらに、長時間(30〜40分も!)一呼吸で深海に潜っていられるように、マッコウクジラの筋肉には酸素をくっつけて話さないミオグロビンという組織が多く、そのためにマッコウクジラの肉は解体されて外気に触れると黒く変色しやすいうえに早く悪くなりやすく更に固いということで、食用にするには向かないのである。
マッコウクジラの尾の身の刺身などというものはなく、せいぜい甘辛く煮て缶詰にするか、竜田揚げやステーキなどの「火」を通した料理として食されることになる。
一方のヒゲクジラ亜目、特に昨日記載したセミクジラなどは、海水表面近くを遊泳してプランクトンや小魚を捕食して生活するため深く潜ることはほとんどなく、安全な場所では一分間に数回の呼吸をしている。だからその肉は赤味が鮮やかで落ちにくく、鮮度が良ければ刺身で楽しめるのである。
私の好きなCWニコルの小説『勇魚(いさな)』にも、嵐に巻き込まれて遭難した(久しく鯨が獲れなかったため、先祖伝来の教えに背いて子連れのセミを深追いして外海まで大きく出て行ってしまった)太地の鯨取りが米国の捕鯨船に助けられて米国に戻る際に、マッコウクジラを見つけ、日本人が「マッコウ!」と叫び、アメリカ人(カナダ人だったかもしれない)が「スパーム!」と答えるシーンがあったと記憶している。
もう一つ、蘊蓄。
普通、鯨というと皆さん、鯨の潮吹きを想像されるだろう。
あれは、海水を噴き出しているのではなく(もちろん少しは海水も混じっているが)、頭のてっぺんの最も海水表面に出やすい位置についている鼻(噴気孔と呼ぶ)から、肺の中の暖かい空気を吐き出すため海水表面の冷たい空気に触れて霧状になるために「潮」を吹いているように見えるのである。
通常の鯨は、目と目の間の真上当たりに、人間の鼻と同じように2つの鼻の穴(噴気孔)がついているのだが、マッコウクジラは「脳油」をためる大きなタンクが頭にあるため、噴気孔は左前方に押しやられて頭の前の方にしかも一つだけあるのである。
よって、マッコウクジラが呼吸をすると、その潮吹きは、左前方に比較的細長く一個の鼻の穴から出て来るため、他の鯨達との違いが容易に見分けられる。
鯨取り(や鯨研究家)たちは、洋上遠くからこの鯨の「潮吹き」を見て、その形、方向、高さなどから鯨の種類を判別するそうである。
最後に、マッコウクジラの学名Physeter macrocephalusの、macrocephalusとは「大きな頭」と言う意味である。マッコウクジラの頭部は体長の3分の一あると言われる。そして、筋肉質なその体を潜航時には更に細く固くして、本当に潜水艦さながらに潜って行き、さらに深海で光の届かない場所では潜水艦のソナーよろしく超音波を出して獲物や障害物をとらえているらしいと言うことがわかっている。
本当に、魅力的で素晴らしい動物である。
(他の鯨の話へ続く)
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