カテゴリー「趣味」の記事

2014.04.06

サロン・コンサート第36回「バリトン・トリオ・コンサート」の御案内

バリトン、と言っても声楽ではありません。
Barytonと書きます。

20140120rainer2ハイドンが仕えたエステルハージ侯爵が好んだ楽器だったそうで、ハイドンは全部で126曲もの「バリトン三重奏曲」を書いたそうです。
演奏方法もやや複雑ですが、弦の数が多く、調律も大変、何より製作するのも大変、ということで次第に廃れてしまい、19世紀にはほとんど「忘れ去られた」楽器になってしまったそうです。

もはや「浜松楽器博物館」の様なところでしかお目にかかれない楽器の「生」の演奏会です。
Sc36「バリトン」を演奏するのは、ライナー・ツィパーリング氏。世界に10人居るか居ないか、という「幻の楽器」バリトンの奏者です。
トリオを組むのは、ヴィオラに若松夏美氏。オーケストラ・リベラ・クラシカのコンマス(バロックヴァイオリン)をつとめ、バッハ・コレギウム・ジャパン、18世紀オーケストラなどでも活躍しています。実は、balaineの仙台の中学の同級生です!
チェロは、鈴木秀美氏。「ジョンダーノ・ホール」にはこれまで3回出演され、これが4回目になります。秀美さんのおかげで、この「生演奏」に触れるのは奇跡とも言えるような楽器を見て聴く事が叶います。

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2010.08.05

第3回庄内国際ギターフェスティバル、ほか

Photo2005年に第1回、2008年に第2回が開催され、いよいよ今年8月24日から29日にかけて「第3回」が庄内町の響ホールで開催されます。
日本が世界に誇るギターのマエストロ、福田進一氏を音楽監督として庄内に定着したイベントとなって来ました。かくいうbalaineも実行委員会の末席を汚しております。

詳しくはコチラ→「庄内国際ギターフェスティバル in 響」をご覧下さい。

今回はコンサートは3つ。
1)8/24(火)のオープニングコンサートは、グラミー賞に輝く米国のギタリスト、ウィリアム・カネンガイザーをメインに、音楽監督の福田進一と藤井眞吾、大萩康司らが集います。
2)8/26(木)は、フルート&ギター魅惑のデュオ。ギタリストのアタナス・ウルクズノフとその奥さんであるフルーティストの小倉美英の幅広いレパートリーが魅力的です。
3)8/28(土)のファイナル・ガラ・コンサートは、ゲスト全員集合、そして受講生や聴講生も参加したギターアンサンブルの演奏があります。

Photo_7写真は昨夕、診療終了後、響ホールで行われるギターフェスティバルの実行委員会会議に出席するため向かう途中、これまでに何度か写真に収めている旧平田手蔵田地区から見た、田圃と鳥海山。
稲も順調にすくすく延びていますね。


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2010.05.26

サロン・コンサート第9回の準備

7月3日(土)午後4時開演の「サロン・コンサート第8回」 in ジョンダーノ・ホール。
チラシが出来ました。
1酒田場所 vol.3 です。
これまでの2回は同じ様な形で背景の色が違います。決して「手抜き」ではありません。伝統を踏襲しているのです。(苦笑)


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2009.06.12

いよいよ明日はサロン・コンサート第5回です!

Kついに明日になりました。
今日の夜は、診療終了後、ピアニストのMS嬢に「ジョンダーノ・ホール」に来て頂き、明日のピアノ伴奏の曲のうち、ゴーベールとカリヴォダ以外を軽く合わせて、ピアノの響きを確認。
K_4I楽器のT氏に、日中再調整してもらったYAMAHA G7(60年近く前のoldで鍵盤は象牙です)は、粒立ちもクリアになり、以前から気になっていた「ボヤボヤ感」が大分少なくなりました。元々持っている暖かい音色と大きなグランドピアノらしい余裕のある響きはそのままで、明日が大変楽しみです。

K_2写真は、本日、クリニックに届いた6本のムラマツフルートの一つ。素晴らしい彫刻。
All 14Kのengraved lip plate and keysの一品。歌口には、馬?が彫られています。

K_3フルート吹き憧れの楽器、ムラマツ。
私も子供の頃、Nikkanのフルートを楽しみながら、やはりムラマツを持っている人を羨ましいと思っていました。いろいろな縁で今はP楽器のフルートを吹いています。これはこれでとてもいい楽器で気に入って吹いていますが、たまに浮気心が起きます。

頭部管の違いなのか、歌口の違いなのか、管体18K+キー&メカ銀の自分の楽器と、All 14Kの違いなのか、、、
おそらくそれら全ての違いででしょうが、やはり吹奏感も違いますし、響きも違います。

Photo6本のフルート合わせて定価ベースで1400万円相当だと思うのですが、こんな形で送られて来ました。
楽器に損傷がないかどうかを厳しい目でチェックしました。ていうか、演奏会主催者の特権で前もって荷解きし、一日早い「試奏会」をさせてもらいました。
ちゃんと鳴らない楽器では困りますからね。
あくまで、事前のチェックという「仕事」です!

Photo_2明日に備えて、いろいろ準備しながら、頂き物をごちそうさま。
鶴岡の「青森屋」さんのフルーツゼリー。
うまうまです。

612久しぶりの鳥海山。
積雪もだいぶ消えましたね!もう夏です。
今日も日中晴れたと思ったら、急に曇ったり、風が吹いたり、変な天気でした。
明日はいい天気だといいな。

さて、明日はいよいよフルート・クライスのイヴェント、『フルートを楽しもう! in 酒田 Vol.2』です。サロン・コンサート第5回とフルート試奏会、講習会、無料楽器診断調整会があります。

もちろん、演奏会を「聴くだけ」もありですよ!
お待ちしております。

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2006.07.18

ミンククジラ

調べりゃわかることだから、ブログにつらつら書くのもちょっと辛くなって来たので、この辺で一旦打ち止めにしましょうか。

「ミンク」は、クジラ目ヒゲクジラ亜目ナガスクジラ科に属します。定説ではノルウェーの新米捕鯨船砲手のマインケ君が、いつも小さな鯨ばかり撃っていたことから、「マインケの鯨」とあだ名されるようになったため「ミンククジラ」と呼ばれるようになったことになっています。
ナガスやセミなどの大型鯨をとっていた頃は、ミンククジラは小さくて(体長7, 8m)動きも敏捷なため、商業捕鯨の対象外でしたが、大型の捕鯨が禁止されて以降、久しくいわゆる「鯨刺し」として生で食用に供される鯨肉の代表となりました。セミクジラ、ナガスクジラの商業捕鯨、そして調査捕鯨が禁止されて以降、日本の食卓に上ることが出来るのは、大型の冷凍庫に保存保管されていた「捕鯨禁止」前の鯨肉か、南氷洋で許可されていたミンククジラの調査捕鯨によって得られた鯨肉、さらに近海で捕獲される「イルカ」に属する小型クジラでした。
立場や調査年によってそのデータにも差があるため、どのデータを信頼して良いのか判断が難しいのですが、南太平洋ではミンククジラは何十万頭(76万頭という試算もあり)と生息していて、もはや保護の対象ではないという立場もあります。ミンククジラが増えすぎると、イワシなどの小魚が大量に食べられるため漁業や海洋の生態系に大きな影響を与えると危惧されています。日本海近郊にも生息していますが、過去の乱獲の影響からまだ回復しきっていないというデータもあるようです。
よって、たくさんいそうなのだけど、商業捕鯨再開への道は閉ざされたままです。日本政府は、ミンククジラが定置網などに間違ってかかってしまった場合、商業流通を許可することにしているため、こうした鯨肉も食卓に上る可能性があります。

 ナガスクジラ科なので、セミクジラやナガスクジラには及びませんが、生肉を刺身にして食する対象になります。しかし、近年ではこの調査捕鯨による捕獲や近海での捕獲も減少したため、代わりに捕鯨禁止対象になっていない、ツチクジラやゴンドウクジラなどの体長2,3mの小型ハクジラが食用の対象になって来ています。
残念ながらこれらの鯨肉は、ハクジラ亜目特有の空気に触れると黒っぽくなって悪くなりやすい特徴を持っています。鯨肉は、一般的にスーパーや魚屋さんでいつも見かける訳ではありませんが、昔からの流通で「鯨肉あります」などと小さな看板を掲げている所もたまに見かけます。
IWCで調査捕鯨から商業捕鯨再開の決定を得られずにいる日本政府としては、過去に捕鯨基地として賑わい、捕鯨の出来ない今や寂れて来た太地や鮎川(宮城県)といった土地に、調査捕鯨で捕獲したミンククジラの肉を優先的に回している(いた?)ようです。ですから、太地や鮎川などにいくと、まだ街中に「クジラ刺身定食」とか「鯨肉あります」などの看板を見かけますし、民宿で夕食にクジラの刺身が出て来たりします。

鯨を愛する立場の私として、鯨肉を食べる話ばかりで少々気がひけるのですが、実はこれには訳があります。
捕鯨、鯨肉食などはある意味で民族の歴史であり文化です。これは、一民族として、一独立国家として守り受け継ぐべきものだと考えます。しかし、世界の中の日本という立場を考えた場合、自己の主張を認めさせるためにはそれなりの手続きや手段が必要です。それがまだ成功していないのです。
反捕鯨の立場の人達は、ファナティックに「捕鯨反対!」と叫んでばかりいる訳ではなく、それなりの理由や根拠をちゃんと持っている人達もいます(そうでない人達も多いようですが)。

問題は、たとえば、ミンククジラも保護すべき鯨としてこのまま増え続けていくと、同じ海域に生息するナガスクジラなど他の「もっと」保護しなければならない鯨のエサが相対的に減少して、保護すべき鯨の絶滅への道が加速される可能性があるということです。
地球上に生息する動物の単なる一種としての「ヒト」は、地球上の他の動物の生息や絶滅をコントロールする権利をもつのでしょうか?人間が会議を開いてコントロールすると、地球上の生態系はうまく保たれるのでしょうか?
過去にいろいろな事例があります。保護しようとした動物が、過剰な(?)保護が原因でかえって減少してしまったこともあります。全ての鯨の肉食を禁止し、ミンククジラを保護し続けて、それによって他の絶滅に瀕している鯨の減少を加速させ、海の生態系を壊し、魚類の分布にも変化をもたらす恐れが指摘されています。

知能の高い(と推測される)クジラを食べるなんて野蛮だ、と切り捨てる人もいます。
私も過去に米国人と、日本の鯨肉食の歴史や文化の事をdiscussionしたことがあります。
私「日本の捕鯨には歴史がある。狭い国土で限られた資源の中で生きる日本人にとって、海の恵みは有り難いもので、大きな鯨の捕獲は神からの贈り物であった。骨や歯まで工芸品にしたり、ヒゲクジラのヒゲは人形浄瑠璃の人形の関節のバネに使ったりなど伝統がある。」
米国人「鯨を食べるなんて野蛮だ。日本のように科学技術が進んでいるなら、鯨のヒゲに相当する物も科学的に作り出せるはずだろう。」
私「では、欧米人が牛を食べるのは野蛮ではないのか。牛にだって相当の知能がある。だいたい、知能があるから食べてはいけない、知能が低いから良い、などという考え方が人間の傲慢である。」
米国人「牛は飼育出来るが鯨はできない。」
というような、噛み合わない議論でした。

地球上には65億人の「ヒト」が存在します。今も増え続けています。このまま増え続けられるのでしょうか。
医師は、病める人を助けようと働き、命を落としそうな人を救うために懸命に努力します。
日本人の平均寿命は女性は世界一です。長生きすることは悪いことではありませんが、医学がどこまで人類の幸福に貢献出来るのでしょうか(一人一人の幸福には多少かかわれたとしても)。世界中の人が等しく富み等しく健康で長生き出来る世の中など実現可能なのでしょうか。何かを無視していないでしょうか。人類も地球上に生きる生物のひとつに過ぎないのではないでしょうか。
鯨をコントロールするように、「ヒト」が「ヒト」の生息をコントロールするような時代が来ないことを祈ります。

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2006.07.15

ザトウクジラ

というわけで(昨日のブログのコメントに理由あり)、今日は「ザトウクジラ」。
直球勝負で、漢字では「座頭鯨」です。

クジラ目ヒゲクジラ亜目ナガスクジラ科に属します。
「ナガスクジラ」って別のクジラじゃないの?と思われるでしょう。
ナガス=長須というのは、下顎の下の蛇腹のような「長い」「畝須」のことなので、これをもっているクジラは皆ナガスクジラ科です。
おそらく、ザトウクジラは、クジラ目の中でも最も人間の注目を集め研究が進んでいるかもしれません。
「ヒュ〜ン、グゥ〜ン、ギィギィギィ、プヮ〜ン、、、」
と言う感じで「歌を歌う」事でも良く知られていて、ソプラノサックスかなにかでザトウクジラとセッションをした人もいたはずです。地球外の知的生命体へのメッセージとして、人間の声とともにザトウクジラのこの歌(声)を録音してヴォイジャー1号、2号に載せたのも有名な話です。

このクジラは、英語俗名をhumpback whaleといいます。
Humpbackとは「せむし」(脊椎後彎の障害用語なので一般に使う言葉ではありませんが)のことですが、日本名の座頭というのも「座頭市」などで有名なように、背中に何かしょっている人(傘とか琵琶とか)の俗称です。ザトウクジラは背中に小さな背びれと瘤があるため、これが背中に琵琶を担いだ「座頭」に似ているからと言う理由での命名だと思います。
よって、英語俗名と日本語俗名は、このクジラの場合それほど差がありません。
学名は、Megaptera novaeangliaeといい、まるで羽のように大きな胸びれを持っているためについた名前です。体長のおよそ3分の一におよぶ、長く大きな胸びれを上手く使いながら泳ぎます。ブリーチングと呼ばれる大きなジャンプをすることでも有名です。
私は、ボストン沖で4回、ハワイ沖で1回、whale watchingをしたことがあるのですが、ザトウクジラは必ず見ることが出来ました。それだけ、回遊している場所がおよそ決まっているのと、IWCによる商業および調査捕鯨禁止によって保護され頭数が十分いるためだと思います。幅がこれまた体長の3分の一にも及ぶ大きな尾鰭(尻尾)を持っていて、その裏側の文様が一頭一頭全て違うため、研究者はこの尾鰭の文様を写真に記録して個別の名前を付けて研究しています。(ケープコッドの研究所では、数百ドルのdonationをすれば自分の好きな文様のクジラに名前が付けられるということをやっていたと記憶しています。私は名付け親にはなりませんでしたが。)
私自身が観察したザトウクジラで一番印象的だったのは、ケープコッドから出たwhale watchingの船から見たのですが、生後間もない赤ちゃんクジラが船に興味津々でどんどん船に寄って来たため、(おそらく)母クジラがそれを制御するため、船と赤ちゃんクジラの間に割って入り、もう手が届くくらいまで近づいていた赤ちゃんクジラを船から遠ざけようとして、そのため赤ちゃんクジラが癇癪をおこしたのか、イヤイヤをするみたいに尾鰭を3、4回、バシャバシャと海面に叩き付ける動作をしたことでした。
赤ちゃんクジラ(と言っても体長5mくらいあった)の可愛らしさとお母さんクジラ(体長14,5m)の愛を感じた出来事でした。船上の米国人もそれを見て、みな「Beautiful!」と言っていましたね。

そうそう、「バブルネットフィーディング」の事を書かなきゃね。
最近はテレビでも時々見ることが出来るので有名になりました。
ザトウクジラに特有の「食事法」のようですが、数頭で組んでやるんです。噴気孔(頭の上の鼻の穴)から、少しずつ息を出して気泡を作ります。それを水深数十メートルの位置から、数頭でゆっくりと円を描くように泳ぎながら出していくと、気泡が円筒形に海面まで達するため、その領域にいた小魚(ニシンやシシャモ、+オキアミなどのプランクトン)が逃げられなくなって、その気泡で出来た網(バブルネット)の中に閉じ込められます。
そこへ、海底から大きな口を開けたまま急浮上すれば、バブルネット内に閉じ込められた小魚やオキアミたちを一網打尽に口の中に海水とともに捉えることが出来ます。これを数頭で繰り返して、一日に何トンという量の食事をする訳です。
この際、下顎の畝須が大切な役目をしていて、大量の海水を呑み込んだ口の中が蛇腹のように大きく膨らみ、続いて、口を軽く閉じて海水を少しずつ吐き出し、その際に上あごから縦に並んでいるヒゲ板(だからヒゲクジラと呼ばれる、けっして髭が生えている訳ではない)を漉器代わりにして食物だけを口の中に残し、それをゴクリと呑み込む訳です。
私が知る限りでは、バブルネットフィーディングをしているのはザトウクジラです。
歌を歌ったり、子供に泳ぎを教えたり、スパイホッピングをしたり、バブルネットフィーディングをしたりということでかなりの知能を持つのではないかと考えられて、クジラを研究する者にとって大変興味の湧く対象としていろいろ調査されているようです。
私も大好きな鯨です。

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2006.07.14

マッコウクジラ

先日、某国営(?)放送の特集番組で、マッコウクジラのことをやっていた。
いろいろ問題を起こしている放送局ではあるが、N響アワーを始めとする優れた音楽番組や、上記自然などを対象にした番組の密度の濃さ、内容の深さはピカ一であるから許してあげる。(は?)

さて、マッコウ。
漢字ですぐ書ける方がどのくらいいるのだろうか。
クジラ目ハクジラ亜目マッコウクジラ科に属する。
昨日の、セミクジラはヒゲクジラ亜目で、口の中に歯の代わりにヒゲ板という、およそ「髭」には見えないものがある。これは上あごから下向きに生えていて、口の中に「こし器」のように縦に並ぶのである。セミクジラなどのヒゲクジラ亜目は、大きな口をあけて畝洲と呼ばれるアコーディオンの蛇腹様の下顎を膨らませて大量の海水とともにオキアミなどを口の中に一旦納めた後、ゆっくりと海水をヒゲ板の間から口の外に吐き出して、結果口の中に残った食物をペロリと舌を使って呑み込むのである。
一方、ハクジラ亜目は歯のような器官を持っているが、マッコウではこれが下顎にしかついていない。上あごには歯がなく、下顎から生えた歯が納まるような凹みがあるだけである。しかも、下顎は、大きな頭には似つかわしくないくらい細く長い。要するに、ハクジラと呼ばれながら、人間のように食物を食べるために歯を使っている訳ではない。単純に言えば、好物のダイオウイカなどを捕捉するためにこの下顎に並んだ歯でくわえるのである。
弱ったダイオウイカは、そのまま噛まずに呑み込むと考えられている。捕まえるために使っているだけと考えられる。
さて、マッコウ、漢字では「抹香鯨」と書くのである。
「抹香臭い」という、あの抹香のことである。
ダイオウイカなどを胃や腸内で消化吸収する過程において、吸収出来ない成分に胆汁などが混ざって石のように蝋状に結石化させたものである。この結石化した物質のことを「龍涎香」と呼ぶ。
龍涎香は、乾燥させて火にくべるととても良い香りがすることと、他の自然物には無い色と形などから、古来中国で『龍のよだれが固まったもの』であると考えられたためついた呼び名である。この龍涎香から、お寺などで焼香に使われる抹香(=モクレン科のシキミの葉を粉にして作った香)に近い芳香が得られるため、貴重品としてもてはやされた。江戸時代ならば、大きめのマッコウクジラのこの「結石」を手にいれると「同じ重さの金と交換される」とか「三代遊んで暮らせる」と言われるくらい高級なものだったようである。
日本人の情緒というか、クジラを海からの贈り物として畏敬の念を込めて感謝の心から名付けた俗名が「抹香鯨」と言う訳である。

ところが英語による俗名には、日本人としてちょっと首を傾げる。
Sperm whaleと彼らはいう。直訳すると「精液クジラ」ということになる。
マッコウクジラは、大好物のダイオウイカなど深海の大型の生物を捕食するために、長時間深海に潜っている必要がある。しかし、ほ乳類であり人間と同じく肺を持ち呼吸する生き物なので、一息で素早く水深1000〜2000mまで潜るために体にいろいろな工夫が凝らされて来た。その一つが、でっかい頭に貯蔵している「脳油(のうゆ)」と言われる液体である。
脳油の凝固点は摂氏29度。通常のほ乳類の体温においては液状になっているのであるが、海を潜り始めて海水温が下がって来ると、この脳油が蝋状に固まって密度が重くなり、海水から受ける水圧で体を縮めて体積当たりの質量が増加して、ますます深海に潜りやすくなるための重りの役目をするのである。まるで、潜水艦が深海に潜航するための働きである。

クジラという生き物が「脂の原料」に過ぎなかった(もちろん海の幸の一つとは考えていたであろうが、海とともに生活する日本人とは発想が違う)欧米人に取って、マッコウクジラの頭(正確には、たんなる頭部であって、脳の中ではない)から出て来る液体が、29度以下で蝋状になる、その白色でドロドロした状態を以て、sperm(精液)と名付けたのである。
ちなみに、深海から浮上して来る際には、脳油の詰まった頭部のタンクのような装置に、頚動脈の枝の血管から暖かい血液をたくさん回すことによって体温に近づけて、固体から液体にすることで浮力を得ている。
さらに、長時間(30〜40分も!)一呼吸で深海に潜っていられるように、マッコウクジラの筋肉には酸素をくっつけて話さないミオグロビンという組織が多く、そのためにマッコウクジラの肉は解体されて外気に触れると黒く変色しやすいうえに早く悪くなりやすく更に固いということで、食用にするには向かないのである。
マッコウクジラの尾の身の刺身などというものはなく、せいぜい甘辛く煮て缶詰にするか、竜田揚げやステーキなどの「火」を通した料理として食されることになる。

一方のヒゲクジラ亜目、特に昨日記載したセミクジラなどは、海水表面近くを遊泳してプランクトンや小魚を捕食して生活するため深く潜ることはほとんどなく、安全な場所では一分間に数回の呼吸をしている。だからその肉は赤味が鮮やかで落ちにくく、鮮度が良ければ刺身で楽しめるのである。

私の好きなCWニコルの小説『勇魚(いさな)』にも、嵐に巻き込まれて遭難した(久しく鯨が獲れなかったため、先祖伝来の教えに背いて子連れのセミを深追いして外海まで大きく出て行ってしまった)太地の鯨取りが米国の捕鯨船に助けられて米国に戻る際に、マッコウクジラを見つけ、日本人が「マッコウ!」と叫び、アメリカ人(カナダ人だったかもしれない)が「スパーム!」と答えるシーンがあったと記憶している。

もう一つ、蘊蓄。
普通、鯨というと皆さん、鯨の潮吹きを想像されるだろう。
あれは、海水を噴き出しているのではなく(もちろん少しは海水も混じっているが)、頭のてっぺんの最も海水表面に出やすい位置についている鼻(噴気孔と呼ぶ)から、肺の中の暖かい空気を吐き出すため海水表面の冷たい空気に触れて霧状になるために「潮」を吹いているように見えるのである。
通常の鯨は、目と目の間の真上当たりに、人間の鼻と同じように2つの鼻の穴(噴気孔)がついているのだが、マッコウクジラは「脳油」をためる大きなタンクが頭にあるため、噴気孔は左前方に押しやられて頭の前の方にしかも一つだけあるのである。
よって、マッコウクジラが呼吸をすると、その潮吹きは、左前方に比較的細長く一個の鼻の穴から出て来るため、他の鯨達との違いが容易に見分けられる。
鯨取り(や鯨研究家)たちは、洋上遠くからこの鯨の「潮吹き」を見て、その形、方向、高さなどから鯨の種類を判別するそうである。

最後に、マッコウクジラの学名Physeter macrocephalusの、macrocephalusとは「大きな頭」と言う意味である。マッコウクジラの頭部は体長の3分の一あると言われる。そして、筋肉質なその体を潜航時には更に細く固くして、本当に潜水艦さながらに潜って行き、さらに深海で光の届かない場所では潜水艦のソナーよろしく超音波を出して獲物や障害物をとらえているらしいと言うことがわかっている。
本当に、魅力的で素晴らしい動物である。
(他の鯨の話へ続く)

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2006.07.13

セミクジラ

イルカ(鯨目の中で小型の歯鯨の総称)を含めて、鯨目はおよそ100種類あるのだが、その中で私が一番好きなのは「セミクジラ」である。
「なに?セミ?ミーンミンとかって鳴くの?」
などという人もいるかも知れませんね。

セミクジラは漢字では、「背美鯨」と書くのです。
クジラ目ヒゲクジラ亜目セミクジラ科(Balaenidae)の中でも、「北太平洋セミクジラ」のことは、学名でEubalaena japonicaと表記される。かつて、日本の商業捕鯨の最適品種のひとつであった。
「北大西洋セミクジラ」は学名でEubalaena glacialisと表記される。19世紀中盤にペンシルバニア州で石油が発見されるまで、ランプの油の原料となって珍重されたため、米国を中心に乱獲されて、北大西洋には現在1500頭程しか確認されておらず、絶滅は必死と言われて久しい。
学名ではない俗名の英語表記は、right whaleとなる。北大西洋のright whale、北太平洋のright whaleということになるが、日本語の俗名が「背美鯨」なのである。

これは、日本式の古来の捕鯨法である「突取捕鯨法」や「網掛突取捕鯨法」は、スピードの出る、美しい装飾を施した小型の手漕ぎ船(勢子舟という)で鯨を追い込んでいくのだが、セミクジラは背鰭がないため海面に現れるつるっとした漆黒の「美しい」「背中」に敬意を表して、「背美鯨」と日本人は呼んだのである。
一方、英語圏を中心とする欧米人にとってのセミクジラは、ずんぐりむっくりの図体で良質の脂をたっぷり持っていて泳ぐのが遅いので追っかけて捕まえやすくとらえた後は体の脂が多いため沈まないので船で曳航しやすく、「漁(猟)に最適」な正しいrightな鯨、right whaleと呼んだのである。

真っ黒で背鰭を持たない背中が海水で濡れた姿を「美しい」と思った日本人と、脂たっぷりで漁に最適だから「right」と考えた欧米人の情緒の違い、自然や動物に対する見方の差というのが現れていると思う。

最後に白状しなければならない。
何故わたしがあらゆる鯨目の中でセミクジラが一番好きなのか、その理由。
セミクジラの「尾の身の刺身」がとっても美味しいのである。
今まで人生で2回しか食べたことがないし、最後に食べたのは私の記憶では昭和58年、今から23年も前のことである。渋谷道玄坂の「くじら屋」だった。
その味を言葉にするのは難しいが、敢えて言うなら、大間の本マグロの大トロと三田(神戸)牛か前沢牛の最上級の牛刺しと肥後熊本の最高級の馬刺霜降りを足して3で割ったような味。脂が豊富で野性的だが生臭くなく舌の上でトロッと溶けてしまった後は、鼻孔に脂の香が甘く漂いその後爽やかに消えていくのである。
商業捕鯨が禁止されて20年以上が過ぎ、今や手に入ることはないと言えるが、実はない訳ではないらしい。IWC(国際捕鯨連盟)から脱退した捕鯨国が捕獲したものを輸入するという手段があるようである。IWCに加盟している日本は、調査捕鯨の継続、商業捕鯨の再開を、綿密な調査と日本の捕鯨および食文化の伝統の面から主張しているが、前記のように絶滅に瀕した種もあり(そういう道に追い込んだのは日本だけではなく、実は反捕鯨の中心になっている国の過去の誤った乱獲なのだが)なかなか難しい面がある。

セミ鯨の尾の身の刺身が食べたい私ではあるが、whale watchingを何回かしたり、本やビデオなどで鯨の生態を勉強するにつれ、鯨を守る立場の気持ちが強くなっているのは事実。
でも、旨いものはうまいのである。

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2005.02.25

さあもうすぐ、、、

Sakaphipractice
明後日は、私の所属するアマチュア・オーケストラの年に2回のコンサートの一つがある。
普段の練習は、なるべく休まないように心がけているが、土曜の夜、19:00〜21:00に急患や手術がないとは限らない。でもおおかた3/4は練習に参加していると思う。フルートパート4人の中では、平均出席率は多分1位か2位だと思う。それでもこれまでは、大事なコンサートに穴をあけたり本番直前の大事なリハを欠席することになるのではないか、とやや遠慮気味の参加だった。今後はもっと積極的に演奏活動にかかわっていきたいと思う。
その一つの決意のあらわれが新しいフルートの購入なのだが、おそらく今週末に決めることになると思う。明後日本番を演るホールで、今晩か明日のリハの後、ちょっと一人でホールでの響きを録音して確認してみようと思っている。残響時間1.9秒というホールで自分のフルートの音がどのように響くのかとても楽しみである。
こういう楽しみがあるから毎日を楽しく生きていける気がする。
Tomorrow is another day !である。

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