カテゴリー「パソコン・インターネット」の記事

2011.10.28

For Steveきた〜!

話題のスマートフォンの先陣を切って2008年7月に登場したiPhone3G。
20年来のマックユーザーであるbalaineも当然手に入れました。しかも発売日がちょうど誕生日だったので喜び勇んで発売初日に購入(「iPhoneゲット」しました。

それから3GS、4と来て10/14に"iPhone4S"発売。今年の秋には"iPhone5"が出るのでは?という噂もあったので、すぐには飛びつかずちょっと様子を見ました。しかし、「4S」というのは「5」が出来るまでの間に合わせと言う訳ではなく、「For Steve」という意味も含まれている事、何よりiOS5を搭載した基本的機能の高さを確認し、予約申し込みを10/16に行いました。

4sipad2aそれから12日経った本日10/28、ついに手元に届きました。
iPhone4Sは32GBの黒が人気が高いと聞いていたので、64GBの白を注文したのが良かったのかもしれません。

今回、Softbankに加えてauもキャリアとなったのですが、なんと山形県内でiPhone4Sを扱うauショップは山形市内のお店一軒だけ、酒田はもちろん庄内にも一軒もないと言うあまりにも酷い状況。家内の携帯電話はauなので、今回Softbankからauに乗り換えようと思っていたのですが、そういう理由で断念。
さらに、期間限定のキャンペーンでiPad2がWi-Fi接続だけであれば、月のネット接続料金が24ヶ月間「0円」で使える(要するに機種本体料金だけで済む)のでこちらも購入。

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2009.12.08

新居で無線LANインターネット

珍しくパソコン関連話題。

日曜日に引っ越し。同時に電話も引っ越し。FLETS光の(転居)接続工事も午後には完了。
さてインターネットの接続もお引っ越しが必要なのですが、自分で設定しなければなりません。NTT関連会社の担当者が置いて行った説明書+CDを使って、家内のWindowsで設定に挑戦。

「光B FLETS」用のルーター(回線終端装置一体型)から「ひかりでんわがしようできます」という女性の声が出てびっくり!
ところがそこから先の設定がうまく出来ない。Trial & Errorで何度か挑戦。MacBookでもトライするがうまくいかず。12/6の夜から12/7の深夜にかけては完了出来ず、ネット接続を諦めました。

翌日、冷静になって考えると「そう言えば光電話の引っ越しの連絡をした時にNTTから届いていた書類があった、、、」と思い出し、引っ越し荷物でごちゃごちゃになる前に、その書類をナップザック(表現が古い)に入れていたのでした。
12/7の夜から12/8の深夜にかけて、その書類&CDを使ったところ、書類の表に書いてあるごとく「超カンタン」に接続出来ました。

ところがMacの無線接続ができない。。。
回線終端装置一体型ルータにAirMac Base ステーションは接続され、電源も入っているのにMacBookでネット通信が出来ない。。。むむむ、、、なぜだ、、、

まるでUFOの様な形をしたAirMac Base Stationの裏側のコネクトを確認。

アッ!

ルーターとの間の接続をethernetポートに差していたのでした。これを隣りのWANポートに差し込み直し、MacでSafariを起動させると、、、ちゃんとアクセスできました!

こういう機器の接続において、マニュアルなど読みもせず(というより、マニュアルはどこに?という状況)「こんな感じだろう」という適当さがいけないのですが、約15年前からインターネットに親しみ始めた頃からの癖みたいなものでしょう。
今回の引っ越しで捨てられずに取っておいた古い本や雑誌が出てきました。
なつかしい「INTERNET magazine」とか「月刊アスキー」とか「I/O」なんていう雑誌も出てきました。あの頃は、「光」なんてなくて、電話回線でppp通信をしていて、アクセスポイントに電話回線で接続している間は電話が使えなくなりました。また接続している時間に相応して課金されるので、BBSに書き込むにしろ、メールをするにしろ、まず文書を作っておいてそれから接続して送信する、という感じで接続時間をいかに短くするか、という方法でやっていましたね。

大学に高速回線が導入されて、接続時間を気にせずにインターネットが出来るようになり、自宅などからは大学のサーバーに電話回線で接続して、今から見ればものすごく遅い通信速度でしたがそれでも通信時間を気にせずに接続していられるので、文書を予め作って校正してから接続するなんてことはせず、接続しながら文書をのんべんだらりと考えるという方法に変わりました。
その名残で、今書いているブログなども、ろくに推敲もせずだらだらとなが〜〜〜い文章を書く癖がついてしまったのかもしれません。通信時間を気にせずに長い文章をかける事が嬉しくて仕方なかったのです。

一般のユーザーが自宅で高速通信(100Mbps)が当たり前に出来るようになってどのくらいでしょう。
昔は、64kbps(つまり今の1500倍の遅さ!)でいらいらしながら通信していたのです。通信の途中で途切れてしまったり、停まってしまったり、重い画像は受け取れなかったり、もちろん音声や動画などは扱えなかったのです。

それが今では自分で録音した音源をアップして広く公開もできるし、動画も配信出来るし、本当にこの10年くらいのネット通信の世界は隔世の感があります(しみじみ)。
と言う訳で、引っ越し後の新居でもまた今まで通り、有線&無線LANを使って複数台のパソコンでインタネットライフが享受出来るようになりました。

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2008.10.04

「アスキーによるパソコンユーザー調査」をみて〜私のパソコン履歴〜

このブログを始めて3年9ヶ月を過ぎ、もう少しで30万のアクセスを頂こうとしている。しかし、私のコンピュータ経歴はもう少し長い。
パソコンを初めて触ったのはたしか昭和55,6年頃。NECのPC8001。
医学部の学生の時で、同級生Aと、Aの元同級生で1年先輩のB(つまりAは1年留年して私の同級生になっていた)という機械語を操るコンピュータの達人がいて、いわゆる「マイコン」ブームの先駆けを行っていた彼らが作った「医学部マイコン倶楽部」に首を突っ込んだのが私のパソコンとの馴れ初めである(その前に高校や大学の医学部進学過程の数学の授業でFORTRANなどをキーパンチャーで打ち込んだりの経験はあった)。
だからしばらくはBasicという言語を主に、その後はMS-DOSに移行して、NEC PC9801シリーズを主に仕事に使っていた。でも当時は、シャープの「書院」などというワープロ専用機があり、PC98シリーズにドットマトリックスプリンターを持って外付けHDを購入すると100万円を超える値段にも関わらず、ちょっとしたワープロと表計算、統計計算くらいにしか使っていなかった(でも当時は、スゴい器械を持ったと錯覚していた)。

1970年代後半に産声を上げたAppleそしてMacは、グラフィック・デザイナー、イラストレイターや作曲家などの一部のプロから愛用される以外にはあまり素人受けはしなかったようで、主にNECのユーザだった私が「マッキントッシュ」というパソコンのことを実物を見て知ったのは1990年代始め(名前はApple IIの頃から知ってはいた)、平成になってからだった。それ以前から、医学部の医師、研究者などの一部には、高価であるがグラフィック機能や日本語のフォントが豊富で、特に漢字Talk6から7シリーズになってからの機能は、論文作成やスライド作成、プレゼンにパワーを発揮するためMacを愛用する者もいたが、当時のMacは使っている最中にしょっちゅう「落ちる」器械で安定性に乏しかった。
1992~1994年に米国留学し、PowerBook170とCentris660AVをピッツバーグ大学職員学生価格で購入し、「憧れの」Mac生活が始まった。当時、「音声認識」ソフトとかマルチウィンドウ、画面キャプチャーといった機能に「恋心」さえ感じていたが、冷静に仕事用と考えると必ずしも必要のない「遊び心」満載のオモチャ的パソコンであったことはWindowsユーザから指摘されても、決して全面的に否定の出来ないものであった。1994年に帰国し大学医学部勤務に戻ると、Macユーザがチラホラ。時はちょうどインターネットが日本に普及し始める頃。まだまだppp接続なんて普通電話回線でモデムを介していた頃で、NiftyもNiftyserveという名前だった。
動画、ネット、BBS、メールというものを駆使している人間はまだ一握り。勉強会を立ち上げて、サークル感覚で専門診療科や研究科の枠を超えて交遊が広がった。そんな中、1995年(平成7年)、国立大学にイントラネットから外部にアクセスできるインターネット環境が整い、私が中心になって日本で初の大学脳神経外科のホームページを平成7年に開設。さらに、全国の脳外科医や脳外科関連領域で仕事をしているエンジニアなどをこれまたサークル感覚で集めた、私設脳神経外科メーリングリスト「GIN-ML」というのを平成8年1月に始めた(山形大学医学部のサーバーにMLのサーバを置かせてもらった)。

その後は、インターネットはまたたくまに普及し、ppp接続からISDNそして光回線の常時接続が一般家庭に普及する時代となった。個人的な、趣味としてのネット活動としては、Niftyなどでちょこちょこやってはいたのだが、仕事(論文、学会プレゼン用、ビデオ編集)を中心Macをかなりの数、使って来た(Centris660AVの後は、LC575, PowerBook 540c, PowerMac 8500, PowerMac G3, iMac(初代),iBook, PowerBookG4, そして現役のMacBook、iMac, MacProと続いている)。
HDやメモリの価格が驚く程に下がり、ネットワーク環境が整い、CPUがどんどん高速化し、パソコンは進化を遂げ続け、仕事でも趣味でも幅広い領域でお世話になっている。
電話料金を気にしながらppp接続でBBSに書き込んだり、MLにメールを送るなどといった状態から、高速ネットワーク常時接続が普及して、趣味的にネットワークを使用できる環境が私の回りにも整い、ようやくブログを始めたのは、平成17年の1月と結構遅い方になる。

こうして振り返ってみると、約30年の間、一般人用の(コンピュータ専門家ではないと言う意味)パソコンの歴史を辿って来たようなものである。ただし、Windowsパソコンは個人的に購入したことがない。病院のオーダリングシステムや電子カルテシステムがWindowsパソコンで構成されていたので、仕方なく嫌々ながらWindowsも触るようになった。医院を開設して、その経理税務管理や電子カルテシステムのために、仕方なくWindowsのノートブックやデスクトップを計5台購入したが、これは「仕事上」の使用である。PACSという、院内の画像管理システム(MRIなどの画像を管理する)はMacで構成しており、院内にも8台の「仕事用」Macがある。

こういうパソコンユーザであることを振り返るきっかけになったのは、最近発表されたアスキーメディアワークスとアスキー総合研究所によるMacとWindowsユーザーに対するアンケート調査の結果を見たからである。

=====
『Macユーザーは「人と違ったことがするのが好き」、Windowsユーザーは「普通が好き」』。

そのサブタイトルはこう謳っている。確かにそういう印象はある。
Macユーザー278人とWindowsユーザー494人にアンケートを実施した結果をまとめたもの。一部を引用する。

「自分の性格について、Macユーザーは「人と違ったことをするのが好き」と答えた人が最も多く51.8%、2位が「頑固」、3位が「ゴーイングマイウェイ」、4位が「クリエイティブ」だった。Windowsユーザーは「普通が好き」が最も多く41.3%、「頑固」「ゴーイングマイウェイ」「控えめ」と続いた。」

「職種で見ると「デザイン・クリエイティブ」分野の人は、Macユーザーの9.7%、Windowsユーザーの1.3%と、Macユーザーに多い。「教育」や「会社経営・役員」と答えた人の割合も、Macユーザーの方が多かった。」

「世帯年収が900万円以上の人の割合は、Macユーザーでは21.3%、Windowsユーザーでは11%だった。」

「OSのイメージについて、Macは「オリジナリティがある」「先進的」「クリエイティブ」といった意見が多い。Windowsは「メジャー」「スタンダード」「ビジネスライク」という意見が多かった。」

「Macユーザーが米Appleに対して持っている印象は「音楽のライフスタイルを変えた」「感性に訴える製品を作っている」「ものへのこだわりが強い」といった意見が上位だ。」

「PC利用歴はMacユーザーの方が長いようで、20年以上と答えたのはMacユーザーの32.4%、Windowsユーザーの20.6%。10年未満の人は、Macユーザーの19%、Windowsユーザーの33.3%だった。」

MacユーザとWindowsユーザでの好みの携帯電話についてなどは、アンケート調査の目的はなんとか理解できるが私は興味がない。
面白かったのは、
「自動車メーカーでは、Macユーザーには本田技研工業が、Windowsユーザーにはトヨタ自動車が1番人気。BMWやポルシェ、フェラーリなど海外の自動車メーカーが好きと答えた人の割合は、WindowsよりMacユーザーの方が多かった。」
という、個人的な趣味や「好み」について、Macユーザーの方がなんとなく「こだわり」を求める人という印象が明らかになる。

ーーー
私の回りでiPhoneを使っている人はほとんどいない。発売当初、医師会関係の会合で、地元の歯科医の先生がiPhone 3Gの8GBモデルを持っていて、私の16GBモデルと比べっこをした位である。Windowsユーザーには取っ付きにくい使用感であり、日本人の携帯電話ハードユーザー(特に女子高生)などには受け入れられない要素が多く(メールが打ちにくい、絵文字がない、キャラ電もない、内蔵デジカメの能力が他の携帯電話に比べ低い)、私のようなそこそこのMacユーザーでも持っている満足度は余り高くない。以前にも書いたように、その理由は文字変換の遅さ、それゆえに「入力中心のPDA」というよりは、SafariのモバイルブラウザーでありデジカメブラウザーでありiPod,iTunesの2番手機種という感じで、モバイルコンピューティングの中心にはならなかった点である。

最近はiPodの普及によって、AppleとかMacintoshというブランドは、「一部のオタク」の物ではなくなり、街のお兄さんお姉さんが普通に持ち歩く「電化製品」になって来たような印象がある。昔のようなコアなユーザーは(相対的に)少なくなったであろう。物が普及する上で仕方のないことかもしれない。私も「人と違った事をするのが好き」な「クリエイティブ」なお兄さんではなく、普通のおじさんとしてパソコンを使っているように思う。

今後、パソコンはどのように変化を遂げ、我々の日常生活に入り込んで来るんだろう。
ホームセキュリティや家族とのテレビ電話、家電製品のネットワーク機能・管理、、、こういった展開はすぐ目の前(既に始まっている)だと思う。
個人的には「Mac頑張れ!Windowsに負けるな!」という気持ちはまだあるが、あまり大衆化するのも寂しい気持ちがある。

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2008.08.13

MobileMe

MacBook、復活しました!
復活、というのかな?OSは同じで、中身が新品と同じ状態、HDは新品、液晶も新品、ついでにカバーも新品に交換してくれたみたいです。
4万円超は痛い出費ですが、Appleの工場で正規に交換してくれる、取りに来てくれて届けてくれる(この送料も込み)、対応が良く早い(たまたまだったかもしれませんが3日で戻ってきました。
半分は「新品」の状態です。

外付けHDのバックアップは残念ながら1年くらい前のものしかなく、開業準備のためにせっせと作った文章類、PowerPointの広告原稿、名刺原稿などはなくなっています。しかし!医院においてあるPACS (Picture Archiving and Communicating System)用のiMacやMacProの一部にこれらのファイルを移して置いたのでそこからコピーすることでなんとかなりました。

さらに、iPhoneで便利な機能の一つとして使っている「MobileMe」によるパソコンの情報で「同期」を使うことで、なんと今iMacなどで使っている、カレンダー、メール、Safari(webブラウザー)のブックマークなどの情報が、iDiskの共有とともにすぐにシンクロできました。
iDiskには、大事な文書、写真などのファイルを移して置くと、今後同期しているパソコンのどれかがイカレてもすぐにファイルを復旧できます。

MobileMeは、ふだん使用している数台のパソコンやiPhoneのそれぞれの入力情報をシンクロする大変便利な機能ですが、壊れたパソコンの復旧に役立つとは思ってもいませんでした。考えてみればネットを使って自分の外付けHDの様にAppleで用意しているサーバーにデータを管理し共有している訳ですし、.Macのメンバーとしての年会費を納めている有料のサービスなのですから、当然といえば当然なのですが。

ということで、この記事は、慣れたMacBook君でさらさらと書いています。
iPhoneではブログもメールも書く気にはなれません。書くのにイライラさせられ、書いている途中突然ネット接続が落ちるからです。
使い慣れたMacBookの場合、ほとんどブラインドタッチでキーを打てますし、この記事をここまで書くのに5分くらいしかかかっていないと思います。

MobileMe、万歳!
iPhone、ブ〜〜〜!(でも可愛いし、ブログやネット情報をROMするには便利ですよ)

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2008.07.11

iPhoneゲット!

Appleが開発し、日本ではSoftBankで販売を開始したiPhone G3。
Iphone_3今朝の7時販売開始の店に数日前から並んだ人もいたらしい。ニュースでは、たくさん並んでいる後方の人は、本日正午販売開始の全国の他のSoftBankの店に行った方が早くゲットできるのではないか、と言っていた。
基本的には携帯電話なので、窓口で自分の順番が来てからも手続きや番号選択、場合によっては他機種からの機種変更などいろいろ様々な手続きが多く、一人30分では終わらない訳である。

田舎でも並ぶ人がいるのかな?と思ったが、家内に11時過ぎに某SoftBank店に行ってもらったところ、2名並んで待っていたらしい。受付に名前を書き待っていた。12時から販売開始になったが、窓口が2つしかなく店員2名で対応。SoftBankのお店なので、必ずしもiPhoneを求めに来た人ばかりではないらしい。私は午前中の診療を終わらせ食事もせずにお店に行って家内と交代。
一人目の人の手続きが終わったのが12:40頃。二人目の人がその窓口へ。別の窓口は、iPhone購入ではない方がいて、その人が終わって私に順番が回って来たのは12:50過ぎ。そこからは割とスムーズに行った。
隣の窓口にいる2番目だった人は、機種変更でiPhone G3にするらしく、いろいろ手続き中。私は新規で電話番号を決め、手続きをすすめ、プランを決めて、iPhone G3 16GB Whiteをゲットしたのは13:30位になっていた。隣の2番目の人は50分経ってもまだ終わっていなかった。

電話機能にロックをかけてあるのを解除するのは、当初窓口で行う予定であったらしいが、全国的に窓口が混雑して時間がかかるので、客が自分でパソコンにiPhoneをUSBで接続し、パソコンでインターネットにアクセスしてから解除する方法に変更指示された。医院に持ち帰って昼食もそこそこに早速Macに接続してロックを解除、iTunesに登録して使用可能となったのは14時少し前。

Iphone_2噂の機能はたくさんあるが、まだまだ使いこなせない。
携帯電話としてはソフトバンク携帯と同じ条件になるので、docomoや普通の電話にかける場合は、30秒で21円もかかってしまう。家の電話やDoCoMoの携帯電話(もう3年以上も同じものを使っている)を持つ身としては、電話の使用は最低限にしてWebブラウズ、メール機能、そして最も期待しているのは医院に8台、プライベートに2台持っているMacのパソコンとの機能共有=シンクロの機能である。

医院の診察室のMac上のカレンダーでアポイントを入れ、それをiPhoneでシンクロさせ、自宅に持ち帰って自宅のMacとシンクロさせる。いつでもアップデイトされたスケジュールが管理出来ることになる。iTunesにいれてある音楽も、iPhoneを(柄の大きな、容量の少ない)iPodとして持ち歩く事が出来る。

お誕生日プレゼントである新しいオモチャで、これからしばらくは楽しい日々が続きそうである。

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2007.11.15

YouTube

(本日のリンク先は、高速ネット環境の方以外は厳しいかもしれません)
インターネットの世界で、最近幅を利かせているヴィデオ映像の配信サイトのひとつ「YouTube」。
中にはいかがわしいものや、間違うと「有料サイト」に誘導されてしまう危険なものもある。
映像と音声がインターネットで配信されるようになったのは新しい事ではないが(私がインターネットを始めて2、3年目の1996年頃にも映像を用いた会議なども試験的にやっていた)、これだけ広まったのは一般に高速インターネット回線が普及した事が多い。
NTTの肩を持つつもりはないが、光通信を用いた一般家庭用の高速ネット通信は全国津々浦々に張り巡らされていて、上記YouTubeのようなヴィデオ配信サイトの恩恵に与れる良い時代である。

繰り返しになるが、いかがわしいものもたくさんある。
しかし、こんな素晴らしいものが観れるので、ずっと続いて欲しいと思う。
『鉄腕稲尾伝説」

これは、昨日の記事に書いた元西鉄ライオンズの稲尾選手の現役時代の投球である。
プロ野球新記録の「20連勝」(20勝ではなく、『連勝』です)を達成した時のインタビューで40数年前の稲尾が白黒映像ながら肉声も鮮やかに蘇る。
更に、同じところからたどると、稲尾が対巨人の日本シリーズ3連敗した後の第5戦でピッチャーながら「さよならホームラン」を打ったシーンを観る事が出来る。
「昭和33年日本シリーズ第5戦」

さらに、同じ所から、その年、昭和33年の日本シリーズ第7戦、昔の後楽園で西鉄がV3を果たした映像が見られる。
「昭和33年日本シリーズ第7戦」

堀内から4番中西がホームランを打ったシーン、稲尾から新人長島が「ランニング・ホームラン」を打ったシーンなどが観られる。「知将」と謳われた当時の西鉄監督三原脩氏もいる。

そして感動の博多駅凱旋、優勝パレードなど、当時福岡市内を走っていた西鉄の市電まで見られる(私は当然しょっちゅうこれを利用していたのです)。涙、涙、です!
「昭和33年、優勝パレード、三原監督インタビュー」

こんな貴重な、元西鉄ファンにとっては落涙もののお宝映像が「無料」で拝見できる。
横浜に住む父にも是非観てもらいたい。私を西鉄ライオンズの本拠地平和台球場に連れて行ってくれた父は会社の野球チームでセンターをやっていた。体格も小さく余り上手ではなかったが、私も子供の遊びとしての「三角ベースボール」などは毎日のようにやっていたように記憶している。
今のように娯楽が多くなく、テレビも発達していなくて、野球や相撲を観る事が最高の楽しみであった時代。
ステレオ装置が欲しくてもあまりに高いので買えず、電蓄のようなものでSPのレコードでベートーベンの「運命」などを聴いていた時代(2楽章が終わると裏返すんですよ)。
まさに映画「三丁目の夕日」が蘇る時代である。

最後に、今日はYouTubeのおまけ。
「ゴールウェイの演奏」
Sir James Galway、そうフルート界の至宝、ゴールウェイが「シランクス」を演奏している映像である。
「無料」で、危険のない映像である事をお断りしておく。

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