このブログを始めて3年9ヶ月を過ぎ、もう少しで30万のアクセスを頂こうとしている。しかし、私のコンピュータ経歴はもう少し長い。
パソコンを初めて触ったのはたしか昭和55,6年頃。NECのPC8001。
医学部の学生の時で、同級生Aと、Aの元同級生で1年先輩のB(つまりAは1年留年して私の同級生になっていた)という機械語を操るコンピュータの達人がいて、いわゆる「マイコン」ブームの先駆けを行っていた彼らが作った「医学部マイコン倶楽部」に首を突っ込んだのが私のパソコンとの馴れ初めである(その前に高校や大学の医学部進学過程の数学の授業でFORTRANなどをキーパンチャーで打ち込んだりの経験はあった)。
だからしばらくはBasicという言語を主に、その後はMS-DOSに移行して、NEC PC9801シリーズを主に仕事に使っていた。でも当時は、シャープの「書院」などというワープロ専用機があり、PC98シリーズにドットマトリックスプリンターを持って外付けHDを購入すると100万円を超える値段にも関わらず、ちょっとしたワープロと表計算、統計計算くらいにしか使っていなかった(でも当時は、スゴい器械を持ったと錯覚していた)。
1970年代後半に産声を上げたAppleそしてMacは、グラフィック・デザイナー、イラストレイターや作曲家などの一部のプロから愛用される以外にはあまり素人受けはしなかったようで、主にNECのユーザだった私が「マッキントッシュ」というパソコンのことを実物を見て知ったのは1990年代始め(名前はApple IIの頃から知ってはいた)、平成になってからだった。それ以前から、医学部の医師、研究者などの一部には、高価であるがグラフィック機能や日本語のフォントが豊富で、特に漢字Talk6から7シリーズになってからの機能は、論文作成やスライド作成、プレゼンにパワーを発揮するためMacを愛用する者もいたが、当時のMacは使っている最中にしょっちゅう「落ちる」器械で安定性に乏しかった。
1992~1994年に米国留学し、PowerBook170とCentris660AVをピッツバーグ大学職員学生価格で購入し、「憧れの」Mac生活が始まった。当時、「音声認識」ソフトとかマルチウィンドウ、画面キャプチャーといった機能に「恋心」さえ感じていたが、冷静に仕事用と考えると必ずしも必要のない「遊び心」満載のオモチャ的パソコンであったことはWindowsユーザから指摘されても、決して全面的に否定の出来ないものであった。1994年に帰国し大学医学部勤務に戻ると、Macユーザがチラホラ。時はちょうどインターネットが日本に普及し始める頃。まだまだppp接続なんて普通電話回線でモデムを介していた頃で、NiftyもNiftyserveという名前だった。
動画、ネット、BBS、メールというものを駆使している人間はまだ一握り。勉強会を立ち上げて、サークル感覚で専門診療科や研究科の枠を超えて交遊が広がった。そんな中、1995年(平成7年)、国立大学にイントラネットから外部にアクセスできるインターネット環境が整い、私が中心になって日本で初の大学脳神経外科のホームページを平成7年に開設。さらに、全国の脳外科医や脳外科関連領域で仕事をしているエンジニアなどをこれまたサークル感覚で集めた、私設脳神経外科メーリングリスト「GIN-ML」というのを平成8年1月に始めた(山形大学医学部のサーバーにMLのサーバを置かせてもらった)。
その後は、インターネットはまたたくまに普及し、ppp接続からISDNそして光回線の常時接続が一般家庭に普及する時代となった。個人的な、趣味としてのネット活動としては、Niftyなどでちょこちょこやってはいたのだが、仕事(論文、学会プレゼン用、ビデオ編集)を中心Macをかなりの数、使って来た(Centris660AVの後は、LC575, PowerBook 540c, PowerMac 8500, PowerMac G3, iMac(初代),iBook, PowerBookG4, そして現役のMacBook、iMac, MacProと続いている)。
HDやメモリの価格が驚く程に下がり、ネットワーク環境が整い、CPUがどんどん高速化し、パソコンは進化を遂げ続け、仕事でも趣味でも幅広い領域でお世話になっている。
電話料金を気にしながらppp接続でBBSに書き込んだり、MLにメールを送るなどといった状態から、高速ネットワーク常時接続が普及して、趣味的にネットワークを使用できる環境が私の回りにも整い、ようやくブログを始めたのは、平成17年の1月と結構遅い方になる。
こうして振り返ってみると、約30年の間、一般人用の(コンピュータ専門家ではないと言う意味)パソコンの歴史を辿って来たようなものである。ただし、Windowsパソコンは個人的に購入したことがない。病院のオーダリングシステムや電子カルテシステムがWindowsパソコンで構成されていたので、仕方なく嫌々ながらWindowsも触るようになった。医院を開設して、その経理税務管理や電子カルテシステムのために、仕方なくWindowsのノートブックやデスクトップを計5台購入したが、これは「仕事上」の使用である。PACSという、院内の画像管理システム(MRIなどの画像を管理する)はMacで構成しており、院内にも8台の「仕事用」Macがある。
こういうパソコンユーザであることを振り返るきっかけになったのは、最近発表されたアスキーメディアワークスとアスキー総合研究所によるMacとWindowsユーザーに対するアンケート調査の結果を見たからである。
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『Macユーザーは「人と違ったことがするのが好き」、Windowsユーザーは「普通が好き」』。
そのサブタイトルはこう謳っている。確かにそういう印象はある。
Macユーザー278人とWindowsユーザー494人にアンケートを実施した結果をまとめたもの。一部を引用する。
「自分の性格について、Macユーザーは「人と違ったことをするのが好き」と答えた人が最も多く51.8%、2位が「頑固」、3位が「ゴーイングマイウェイ」、4位が「クリエイティブ」だった。Windowsユーザーは「普通が好き」が最も多く41.3%、「頑固」「ゴーイングマイウェイ」「控えめ」と続いた。」
「職種で見ると「デザイン・クリエイティブ」分野の人は、Macユーザーの9.7%、Windowsユーザーの1.3%と、Macユーザーに多い。「教育」や「会社経営・役員」と答えた人の割合も、Macユーザーの方が多かった。」
「世帯年収が900万円以上の人の割合は、Macユーザーでは21.3%、Windowsユーザーでは11%だった。」
「OSのイメージについて、Macは「オリジナリティがある」「先進的」「クリエイティブ」といった意見が多い。Windowsは「メジャー」「スタンダード」「ビジネスライク」という意見が多かった。」
「Macユーザーが米Appleに対して持っている印象は「音楽のライフスタイルを変えた」「感性に訴える製品を作っている」「ものへのこだわりが強い」といった意見が上位だ。」
「PC利用歴はMacユーザーの方が長いようで、20年以上と答えたのはMacユーザーの32.4%、Windowsユーザーの20.6%。10年未満の人は、Macユーザーの19%、Windowsユーザーの33.3%だった。」
MacユーザとWindowsユーザでの好みの携帯電話についてなどは、アンケート調査の目的はなんとか理解できるが私は興味がない。
面白かったのは、
「自動車メーカーでは、Macユーザーには本田技研工業が、Windowsユーザーにはトヨタ自動車が1番人気。BMWやポルシェ、フェラーリなど海外の自動車メーカーが好きと答えた人の割合は、WindowsよりMacユーザーの方が多かった。」
という、個人的な趣味や「好み」について、Macユーザーの方がなんとなく「こだわり」を求める人という印象が明らかになる。
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私の回りでiPhoneを使っている人はほとんどいない。発売当初、医師会関係の会合で、地元の歯科医の先生がiPhone 3Gの8GBモデルを持っていて、私の16GBモデルと比べっこをした位である。Windowsユーザーには取っ付きにくい使用感であり、日本人の携帯電話ハードユーザー(特に女子高生)などには受け入れられない要素が多く(メールが打ちにくい、絵文字がない、キャラ電もない、内蔵デジカメの能力が他の携帯電話に比べ低い)、私のようなそこそこのMacユーザーでも持っている満足度は余り高くない。以前にも書いたように、その理由は文字変換の遅さ、それゆえに「入力中心のPDA」というよりは、SafariのモバイルブラウザーでありデジカメブラウザーでありiPod,iTunesの2番手機種という感じで、モバイルコンピューティングの中心にはならなかった点である。
最近はiPodの普及によって、AppleとかMacintoshというブランドは、「一部のオタク」の物ではなくなり、街のお兄さんお姉さんが普通に持ち歩く「電化製品」になって来たような印象がある。昔のようなコアなユーザーは(相対的に)少なくなったであろう。物が普及する上で仕方のないことかもしれない。私も「人と違った事をするのが好き」な「クリエイティブ」なお兄さんではなく、普通のおじさんとしてパソコンを使っているように思う。
今後、パソコンはどのように変化を遂げ、我々の日常生活に入り込んで来るんだろう。
ホームセキュリティや家族とのテレビ電話、家電製品のネットワーク機能・管理、、、こういった展開はすぐ目の前(既に始まっている)だと思う。
個人的には「Mac頑張れ!Windowsに負けるな!」という気持ちはまだあるが、あまり大衆化するのも寂しい気持ちがある。
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