カレンダー
昨日は亡き母の月命日でした。
自宅は2009年12月に転居した一軒家で、昔風の仏間もなく、夫婦二人暮らしで跡継ぎもない我々には立派な仏壇は用意出来ず、両親の遺影は永らく床の間前に安置して毎日お線香をあげて来ました。
この正月休みにようやく、小型の、上置き型の仏壇を買い求めました。ピンきりなのですが、両親が好きだった箱根の寄木細工が数カ所施されているのが決めてでした。
さて「一月はいぬ、弐月はにげる、参月はさる」と昔から言われます。
正月だと思ったら、松の内も明け、もう一月も1/3が過ぎようとしています。
今月26日(日)に開催するサロン・コンサート第33回「鈴木秀美のガットストリーム」の案内が1/10発行のコミュニティしんぶんのインフォメーション欄に掲載されました。
鈴木秀美さんが酒田で演奏されるのは2012年1月に、バッハ無伴奏チェロ組曲2,4,6番を「ジョンダーノ・ホール」で演奏されて以来(その前は2011年4月、大震災直後に同組曲1,3,5番の演奏)。
今回は、かのレオンハルトに師事しオランダでも活躍されていたチェンバロの上尾直毅さんと一緒に、17世紀から18世紀前半のイタリアのチェロ奏者&作曲者のプログラムです。
楽しみ!
さて、新年のカレンダー。いろいろありますが、こちらは某製薬会社の2014年のカレンダー。
タイトルは「日本医学の近代化を助けた来日外国人」。なかなか勉強になるカレンダーなので少し紹介します。
表紙はシーボルト。単なる肖像画ではなく、シーボルトが身につけていた衣装などの素材などを記録したものです。
右側、1月はスウェーデンの医師、植物学者ツェーンベリ(スウェーデン語に近い表記はトゥーンベリ)。ケンペル、シーボルトと共に「出島三学者」と称され、わずか一年の滞在中に長崎、箱根、江戸などで採集した日本の植物800種を分類して本を出版。その植物標本は、帰国後学長になったウプサラ大学に今も保存されているそうです。
左は1月をめくった状態で、3月と2月。
2月は「ヘボン式ローマ字」や、英語塾→明治学院大学創立者になったヘボン。英語の発音をカタカナ表記したもので、英語のスペルはHepburn(ヘップバーン)。元々は医師でしたが、キリスト教の宣教のため来日。生麦事件(薩摩藩の行列を横切ったとして騎乗していたイギリス人が殺傷された)の被害者の診療にあたったのは、ヘボンだったそうです。
3月のポンペは、オランダの医師。
長崎で、西洋式病院を作り(現在の長崎大学医学部の基礎とされる)、初めて系統的な医学教育を行った医師。ポンペの元で多くの日本人が当時の最新の医学を学びましたが、その中心人物は以前ブログにも書いた松本良順(松本良順について〜吉村昭「暁の旅人」から)です。
松本良順の実父は順天堂の創立者佐藤泰然。泰然の実父は、庄内は遊佐出身の佐藤藤佐(とうすけ)という話しは何回か書きました。
11月は、オーストリアの医師ローレッツ。
日本では、横浜、名古屋、金沢と医療や医学教育に多くの業績を残し、明治13年山形市に来て「山形済生館医学校」で医学教育を施した。山形済生館医学校は私学として明治6年に、東北で初めての西洋式病院として創立され、ローレッツが帰国した後、医学校は閉鎖されて市立病院なり、当時の建物は山形市の霞城公園に移築されて郷土資料館になっています。
幕末から開国、明治維新にかけての日本は、欧米列強にとって興味ある対象であり、日本も長い鎖国時代から世界に大きく目を向け始めて近代化を進めた時代。医学も、漢方中心の経験医学、書物の医学から、西洋的な実践的、体系的医学へ大きく転換した時代でした。
これら先達の努力のもとに、今の医学教育、そして医療が続いているのであり、学生時代にはあまり関心も持たずにスルーという感じだった、医学史、特に幕末の医学史に興味を強く持つこの頃なのです。
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