庄内ひな街道〜酒田あいおい工藤美術館〜
2月末頃から庄内地方で始まっている、「庄内ひな街道」。ほとんどのところが旧暦の3月3日にあたる、4月3日頃まで開催されています。
特に、北廻り航路などに関係の深い酒田湊のある酒田とその周辺では、『酒田雛街道』というサイトを作ってアピールしています。
ただ、福島第一原発事故とその後の残留放射線などの問題で、東北一円への観光客の脚が鈍ったままで、酒田、庄内も例年の様な観光客の訪問はないようです。残念なことです。
先週日曜のオペラ公演を終え、3/20(火・春分の日)、午前中はゆっくり休んで午後から工藤幸治先生がやっておられる「酒田あいおい工藤美術館」にお雛様と傘福を観に行きました。
原則写真禁なのですが、工藤先生の承諾を得てiPhone(フラッシュなし)で撮影しました。
こちらは目玉の一つ、江戸の名工によるお内裏様とお雛様。徳川家の御用職人であった方による人形のお面は、とても品があって美しい。
人形の首に「御用職作所(ごようしょくつくりどころ)玉翁印」と記されていて、江戸時代の文化華開いた文政年間の作と言われています。
このお内裏様お雛様は昨年6月に鶴岡で発見され、公開されるのは今回初めてだそうです。
こちらの「立ち雛」は江戸初期のものということで、非常に貴重な物です。
元々は、身体の穢れを紙で作った人形に移して川に流し健康を祈願する「上巳の祓」の流れを汲み、ただの白い紙から流すのではなく屋内に飾るこのような紙製の立ち雛に発展して、それがその後の雛人形に繋がっているということで、歴史的にも貴重な物とのこと。
そしてこちらも目玉の一つ。
古い「傘福」を酒田傘福修復の会有志がコツコツと修復してぶら下げたもの。祈願物としての食べ物、子宝、薬袋などの「下げもの」(日本三大吊るし雛の一つ、福岡県柳川では九州弁で「さげもん」っていいよっとですがね、笑)が多いですね。男性と女性のシンボルとして、キノコと二叉(まっか)大根の下げ物も多いようです。
これは2つとも江戸末期から明治時代のもの。二重傘福と毎年5/20の酒田まつりのパレードの中心となる亀傘鉾のミニチュア。特に亀傘鉾は飛島の旧家に保存されていたそうですが、かなり壊れていたのを修復したのだそうです。
館長の工藤幸治さんは、酒田聾学校(現特別支援学校)の校長などを務められ、現在は酒田市芸術文化協会会長をされていて、酒田フィルのコンサートは欠かさず来て下さいます。ご子息の工藤俊治さんは山形交響楽団指揮者でもあり、H16〜18年シーズンは酒フィルの定期演奏会を振って頂きました。
酒田駅からほど近い相生町(有名なお寿司屋さん「こい勢」の近く)にあり、「酒田あいおい工藤美術館」という名称ですが、元は壊される寸前だった旧質屋さんの町家を工藤さんが自腹で買い取って保存している建物なのです。
酒田に来られる方は、山居倉庫「夢の倶楽」の驚く程大きく立派な「加藤家のお雛様」や酒田に本間ありの「本間家旧本邸」の雛飾りもいいですが、酒田あいおい工藤美術館の貴重な品々を是非ご覧頂ければと思います。
来週で3月も終わりなので、あと10日もすれば「雛街道」は終わってしまうんですね。
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