先週末は体調不良、今日は『第九』
しかし、18時過ぎまで診療のある身では山形テルサまで聴きに行けない。
何年前になるだろうか、県民会館で山響の「第九」を聴いて以来、生の「第九」は聴いていない。
クラシックは、交響曲は、そして「第九」は、どんなに素晴らしいステレオ装置で聴いても、生の演奏のあの迫力、あのダイナミックレンジの幅、そして人間の肉声が会場を震わせる活き活きとした音楽に敵うものではない。コンサート会場でしか、その音楽を真に味わうことは出来ない。
このクリスマス寒波は酷いものだった。
今日も寒いけれど日中少し緩んだ。
写真は12/25の早朝の自宅周りの様子。朝が空けぬうちから、「地震か?!」というような激しい振動を家全体に響かせながら、市で出している除雪車が家の前の道路をガガガ〜と除雪して行った。
住民は、除雪車がかいた雪や氷の塊のために自宅から車が出せなくなるので、その後、スコップやスノーダンプを手に、自分の家の前の雪や氷を再び別の場所に寄せる作業を強いられる。そうしなければ車が出せない。
我が家はこの冬を迎える前にカーポートを作り付け、電動式の門扉までつけたものだから、その雪と氷の塊が邪魔して動かない。20分程一人奮闘してカーポート前の雪と氷をどかした。
それにしても12/24(土)は最近では最悪の体調だった。
朝の診療開始間もなく、軽い腹痛とムカムカ感を感じ、薬を飲んで診療を続けたが改善の兆しなし。
再び胃炎の薬、胃潰瘍の薬、そして感冒薬を服用して診療を続けたが、どんどん具合が悪くなるのを自覚。一人患者さんを診るごとに、1分程机に突っ伏して休むような状況。
みかねて看護師さんがプリンペランを注射。吐き気があったからだが。
なんとか13時の診療終了まで頑張ろうと気力で仕事。ところが年末、週末であり、前日が休日だった為か、いつもの土曜の倍くらいの混みようで、新患も多くMRI検査も多く、そこに紹介状を持った患者さんやN病院救急で断られた(拙クリニックに行く様に言われた)患者さんなど11時を過ぎてさらに患者が増え、最後には12時半過ぎに来た新患さんは「緊急性がないようなら来週。急ぐなら病院の救急へ」と診療を断るくらい。
その患者が来た時点で、まだ未診察の新患者が3名、MRI検査中または検査待ちが3名いたのですよ。
目にも留まらぬ(?)早さで電子カルテのキーボードをタイプし、某病院入院中で紹介されて来て慢性硬膜下血腫があったため日本海病院脳外科に緊急紹介をする患者の紹介状も必要最低限の短さにして、どんどん患者さんを診て、それでも終わったのは13:40。
そこから2階の院長室に階段を上がるのがやっとで、スタッフルームのコタツに小一時間あたりながらまず寝て、14:30過ぎ何とか帰宅し、這う様に2階に上がってパジャマに着替えてそのままベッドへ。
後は、薬と水を2回飲んだのと、1回トイレに行った以外はず〜〜〜〜〜っと寝て、翌朝7:00までおよそ16時間連続睡眠。
もちろん昼食も夕食も摂らず。家内がせっかく準備してくれていたクリスマス・イヴのマカロニグラタンも食べずに寝倒してなんとか12/25の朝には体調7割回復。
日中はなるべくじっとして(上記、カーポート前の雪かき以外は)動かず。
夜は予定していた「ラ・ルーチェ」さんでクリスマス・ディナー。体調万全でないためbalaineはアルコールを摂取せず、レモンソーダで乾杯。
こちらが酒田市大宮町の「ラ・ルーチェ」、2011年クリスマス・ディナーのメニュー。
デザートまでが6皿。
カラスミ、うに、黒トリュフ、そして庄内浜の魚(真鯛)に肉はキジとフランスはシャラン産の鴨と、「間違いない!」というラインナップの素材達。
この中で、すごく印象に残ったのは実は一番上、「自家製パンチェッタとアンディーヴの炙り焼き」。
これまで2回程、自分でもパンチェッタを作った経験があり、シェフとパンチェッタの作り方まで話しながら頂きました。アンディーブの苦みと炙り焼かれた焦げた香り、そしてパンチェッタの甘い脂。とても記憶に残る様な料理でした。
もちろん他のものも美味しかったし、素材の良さを引出したシェフの腕は素晴らしいので、自家製パンチェッタを褒められてシェフが喜んだかどうかわかりませんが、素直に「旨い!」と思ったのです。
体調は万全ではなかったけれど、全部残らず美味しく頂きました。
ただ、美味しいものを頂くのにも体力が要るのがよくわかりました(最後まで2時間半はかかりますし)。
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