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2011.10.07

平井千絵フォルテピアノ・リサイタル

平成23年10月6日(木)、新潟の「りゅーとぴあ」スタジオAで開催された表記コンサートに行って来ました。「フォルテピアニスト 平井千絵」さんいついては、←のサイトをご覧下さい。

kanonの発表会で日曜に新潟に行ったのが約1年振りだったのですが、5日で2往復することになってしまいました。昨日午後は、山響が庄内町響ホールで庄内町の小学生対象の音楽教室を開催すると言う情報を得ていたので少し顔を出して、午後3時過ぎに響ホールを出発。「りゅーとぴあ」に着いたのは午後6時前。
会場は18:30と知ってはいましたが、する事もないので開場を待って並ぶ事に。なんと我々よりも早く来た熱心な観客が二人もいらっしゃいました。

Photo開演時間の19時前には、用意された100の座席はほぼ満席。
フォルテピアノは、左のチラシと同じもので、先日kanonの発表会の時のチェンバロの位置に高さ40cm程の台の上に置かれていました。開演直前まで担当の方により調律が行われていました。
前半はロンド ト長調作品51-2とピアノソナタ第17番ニ短調「テンペスト」。
「フォルテピアノで聴くベートーヴェン」と題された今回のコンサートですので、全曲ベートーヴェンです。今年の2月にkanonだけが聴きに来た1回目はモーツァルト特集だった訳ですが、それを聴いて来たkanonがやや興奮気味に「あれを聴いたら普通のピアノではもう聴けなくなるかも」と言っていたのを鮮明に覚えています。

Photo_2フォルテピアノの減衰の短い、乾いた感じながら豊かな響きはこの部屋以上の大きさでは得られにくいかもしれません。折角早く着いて並んだので一番前のやや下手側に座って聴きました。
後半は「創作主題による6つの変奏曲 ヘ長調作品34」とピアノソナタ第14番ハ短調、そう「月光」でした。

フォルテピアノが載せられた台が、ちょっとチープな感じなのと、現代ピアノと違ってチェンバロのように繊細で狂いやすい調律が少し気になりましたが、低音の豊かな響きと高音のコロコロと軽快に転がる様な音がステキでした。

MCで平井千絵さんがお話されたのですが、鍵盤の重さは現代ピアノの10分の1くらいかもということでした。チェンバロの場合は、弦を引っ掻く際に鍵盤に軽い抵抗があるのですが、フォルテピアノはピアノの構造でハンマーで打鍵するわけですから引っかかるものもない訳で、もしかするとチェンバロよりも鍵盤は軽いのかもしれません。

現代ピアノの右ペダルにあたる打鍵された音を伸ばす機構は、鍵盤の真下に付いているレバー状のもので、これを右ひざ(正確には大腿の膝よりの部分)で下から押し上げながら演奏します。MCで言われていたのですが、平井さんがピアノ科の学生の頃、どうしても納得出来ない演奏がsf(スフォルツァンド)だったのだそうです。ペダルの使い方などいろいろアドヴァイスを受けてもどうも納得のいく演奏が出来ない。ところが生まれて初めてフォルテピアノを弾いた時にその問題は氷解したのだそうです。
「なんだ、、、」
つまり減衰の早いフォルテピアノでは、鍵盤をパンと叩いて押しっぱなしでも現代ピアノの様になが〜く音が伸びずにすぐに減衰してsfが演奏出来る。それまでいろいろなテクニックで、言ってみれば「自分に正直でない」方法で演奏していたのが、「フォルテピアノを使えば簡単に出きるんじゃないか」ということがわかり、それがきっかけでフォルテピアノ奏者を目指すことになったと言う事でした。

演奏の細かい事は省きますが、ピアノソナタの2曲はbalaineも若い頃聴き込んでいて細部を良く知っているだけに大変興味深く、そして素晴らしい演奏だったと思います。
鍵盤の軽い軽快な感じは「月光」の3楽章の高速に駆け上がるあのパッセージでよくわかります。確かに音量は小さいのですが、駆け上がった後のバンバンという和音は「弱い」感じではなく「ごり押しの少ない素直なフォルテ」という感じです。有名な「月光」の1楽章では、膝レバーを楽章中、最初の音から最後の音までずーっと押し上げたままで演奏されていました。
実際楽譜に「ずっとレバーをあげる」様に指示されているらしいのです。現代ピアノで右足長音ペダルをずっと踏んだままだと、和音が変わるたびに濁った響きが残り聴いていられなくなると思います。ですからほとんどの場合、小節ごとにペダルを踏み直すように演奏するはずですが、減衰の早いフォルテピアノでは膝レバーを上げたままでも、次の小節の頃には最初の音はもうほとんど消えているので押し換える必要がないのです。

もう一つ、鍵盤の上の真ん中あたり、一番上のチラシのフォルテピアノ写真では楕円形のカメオっぽいものが埋め込んである部分の直ぐ上に小さなノブが付いていて、それを手前に引くと音が柔らかくくぐもった様な弱音効果が出るのです。
「テンペスト」の1楽章では、出だしの柔らかいアルペジオの部分でこれを使っていて、弱音ペダルの様な効果を出していました。これに続く部分、短調ながら軽快なパッセージではノブを押し戻して普通の音色に切り替える訳で、両手で演奏しながら空いた手で一瞬、レバーを引いたり、押したりという煩雑な操作が必要なのでした。そのため、後の世に今のようにすべて足で操作出来るようにそれこそ「ペダル」が開発されたのだと思います。

ベートーヴェンのピアノソナタはバックハウスの演奏が最高だと思っているbalaineなのですが、kanonが言ったようにこれを聴いたら現代ピアノでは聴けないようになるかも、という状態にはならなかったと思います。フォルテピアノで作曲された時代の、FからFまで61鍵という今のピアノより狭い音域ですむ音楽の場合、現代ピアノで聴くよりもフォルテピアノで聴いた方が作曲者の意図がより理解しやすいという意味ではフォルテピアノでの演奏会はもっともっと行われて欲しいと思います。

ただ、現代ピアノよりも繊細で管理も調律も大変でしょうから、いろんなホールのピアノ庫に保管されてコンサートの時に出て来るという状態は難しいでしょうね。専門家が管理し調律してコンサートの度に会場に運び込むという形をとらざるを得ないでしょう。その点はチェンバロと同じ運命にあるのだと思います。

Photo_3アンコールは、「ずっとベートーヴェンを聴いて頂いたので、アンコールまでベートーヴェンではなんですので、、、」とシューベルトの「楽興の時」1楽章。同じウィーンに暮らし、ベートーヴェンに憧れ、想像では柱の影から憧れの人を眺めながら結局生涯直接会って話しをする事もなかったらしいシューベルト。シューベルトの時代にはもっと大型になって現代のピアノに近づきつつあったフォルテピアノが全盛だったようですが、裕福ではなかったので61鍵の古い小型フォルテピアノで作曲していたそうで、シューベルトの歌曲などはその音域ですべて演奏出来るそうです。
「楽興の時」のあの軽快なリズムとフォルテピアノの音色がとてもマッチしていました。

終演後、写真の様にCD購入者にサイン会がありました。kanonは2月のコンサートの時に、鈴木秀美さんと平井千絵さんのデュオのCDを購入し、お二人から別々にサインをもらっています。balaineは、コンサートの終わりの挨拶で平井千絵さんが「1840年ちゃん」と呼んだ、彼女所有のプレイエルによるショパンのCDを購入。
実は今流行のFacebookで恐れ多くも「お友達」になって頂いている平井千絵さんなのでした。ご挨拶したら「ああ、Facebookの!」とすぐにわかってくださり、少しお話も出来ました。

このあと、まもなく普段暮らしておられるオランダに戻るそうです。
また、機会があれば是非フォルテピアノのコンサートを聴きたいと思います。2月に演奏されたモーツァルトをフォルテピアノで演奏したCDは来年の2月頃に出るかもしれないと言うお話で、これも楽しみです。

サイン会が終わり、およそ夜の9時過ぎ。
「りゅーとぴあ」からは買っておいたコンビニのお握りを食べながら寄り道もせずにまっすぐ酒田を目指し、23:30前には帰宅しました。
疲れましたが、それだけの価値のあるコンサートでした。

山響の響ホールでの音楽教室などの事はまた明日以降記事にする予定です。

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コメント

新潟日帰り、ご苦労さまでした。
その日のうちに帰宅されたときき、安堵しました。

なぜ今、フォルテピアノか、という問題ですが、sfの例は一般の人に分かりやすい例として用いたのだと思います。理由はもっとたくさんあるはずです。

ワルターのフォルテピアノは、現代のグランドピアノとは、似て非なるものです。跳ね上げ式(ウィーン式)アクションは、イギリスの突き上げ式の拡張である現代のアクションとは大きく異なり、クラヴィコードの延長上にある機構です。

ベートーヴェンは現代のピアノを知らないのですから、当時の楽器の能力をフル活用し、さらにそれを越えて曲をかいたはずです。当時の楽器で演奏すると、現代のピアノではできなかったこと、表現が難しかったことが簡単にできる、という経験は、古楽器を演奏する人が誰もが経験することです。それで古楽器から離れられなくなってしまいます。

問題は、管理が難しい、大きなホールでは音量が足りない、のただ2つしかありません。でもそれは、多くの人を集められないと商売にはならない「音楽家」「音楽産業」にとって致命的な欠点でした。しかし今は、逆に大人数を集めることが困難になってきていますから、次第に欠点ではなくなりつつあります。

先日のコンサートを聴いて、「フォルテピアノには未来があるな」と思いました。

投稿: MrBach1954 | 2011.10.08 09:04

MrBack1954さま、MCで平井さん自身が、現代のピアノに近づいていったフォルテピアノの事を「進化、ではなく、変化」と表現されていました。
まさしく「完成された未完成な楽器」なのでしょう。フラウト・トラヴェルソもフルートに「進化」したのではなく「変化」したのだぁとお話しを聞いて思いました。
そこへ行くと、舞楽雅楽の世界は何世紀にも渡って「変化」しない楽器でず〜っと受け継いで来ているんですね。それがやはり大衆化しない数千人はいるような大ホールでの演奏が滅多に行われない理由でもありますし、逆に言うとそんなことをする必要がないわけですよね。
いろいろ楽器についても考えさせられるいい機会になりました。感謝です。

投稿: balaine | 2011.10.09 14:38

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