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2011.08.31

グラバー園名残の写真達〜特に喜波貞子のこと

九州生まれなのに、今回初めて訪れたグラバー園。
期待以上に見所があり、1泊2日(実質滞在時間18時間)の間に、2回行きました(1回は夜景を観るためですが)。
そこで撮影した写真には、8/28の記事「JAO福岡大会〜番外編2:長崎の旅」で紹介しきれなかった写真がたくさんあります。

Photoたとえばこれ。
狛犬の彫刻ですが、キリンビール(三菱コンツェルンに入る)の前身である「ジャパン・ブルワリー_カンパニー」の社長もグラバーが務めていたもので、グラバーの顎髭を模したこの狛犬の彫刻が現在のキリンビールのマークの元になったのだそうです。

Photo_2Photo_3こちらは有名なグラバー邸の「隠し部屋」。
商取引の大事な客である勤王派の志士達を、いざという時に匿う為、グラバー夫人ツルの部屋に向かう廊下の天井に作られたものです。
龍馬も隠れたのかもしれません。


さて、来年3月に「蝶々夫人」の公演でオケピットに入って演奏をすることもあって、8/28の記事でも触れた日本人の血がクォーターのオペラ歌手喜波貞子の展示が最も興味深いものでした。
Photo_4Photo_5Photo_6一般のお客さんがどの程度興味を持つかはわかりませんが、少なくともkanon & balaine夫婦にとっては大変興味をそそる展示でした。

Photo_810代でヨーロッパに渡り、その後亡くなるまでずっとフランスを中心に暮らした貞子ですが、実母は横浜に居り、オペラ歌手になった貞子に本物の着物や帯を送っていたのだそうです。
ヨーロッパ人の歌手が「蝶々夫人」を演じる時は、日本人とは似ても似つかぬ体系のオペラ歌手がオペラ衣裳として作られた似非着物を着て歌うことが殆どだった訳ですが、貞子の場合は本物の着物を、日本で暮らした間は日本女性として着物の着付けやお茶お花も習っていた「大和撫子」のオペラ歌手として身につけて歌ったので、そこはやはり本物の凄さでヨーロッパの観客に大きく受けたのだそうです。
Photo_7上の3枚の写真の中で一番右の和傘は、貞子自身が「私の残して行くものの中で一番大切なもの。私の魂。」と語ったと言われるもので、裏側には「三越」のシールが付いているのだそうです。
貞子のブロマイド写真にはいつも和傘が一緒に写っていて、自分の分身の様に大事にしていたということです。

Photo_9Photo_10貞子の母ツルはオランダ人とのハーフ、そして貞子はその母ツルとオランダ人の間に出来た子供なので、オランダ人の血が3/4、日本人の血が1/4ということになります。
そういうこともあってか、さらにオペラ歌手だったポーランド人のラヴィタ氏と結婚して、主にニースで暮らした「ヨーロッパ人」だったためか、日本では知られていません。実は日本人には超有名な三浦環よりもヨーロッパでは「蝶々夫人」を十八番とするオペラ歌手として大人気だったそうです。


Photo_11Photo_12Photo_13


Photo_14Photo_15

左上から順に、喜波貞子の着物達、貞子の使った赤い手ぬぐい、貞子の使った鬘、貞子と夫ラヴィタ氏の写真など、そして展示の最後には2004年に「蝶々夫人」初公演以降100年に「喜波貞子追悼記念講演」として長崎で行われた蝶々夫人のオペラ(ピットがないらしく、ステージに下手3/5にオケ、上手2/5でオペラ演技という形式)の一部や弟子など生存する縁故者のインタビューが映像で流れていて、これも興味深いものでした。

Photo_16Photo_17「マダム・バタフライ」の原作者ロングと、それを大ヒットオペラに作曲したプッチーニのことも展示されていました。特に右側にアップにしたプッチーニの直筆譜をbalaineはしばらくまじまじと眺め、心の中でその旋律を歌っていました。
先週の土日に「第1回本番指揮者練習」を行ったばかりの「蝶々夫人」。可愛い坊やの子守唄のメロディ、そしてそこに米国国歌の変奏曲が絡み、日本の歌として「お江戸日本橋」、「都風流トンヤレ節(とんやれ節)」(なんと大村益次郎の作曲!)、「さくらさくら」、「君が代」などを散りばめた編曲は演奏していても面白いものです。

園内のプッチーニの像や三浦環の像とともに、この喜波貞子の遺品達に来年3月の「蝶々夫人」酒田公演(ソリストは藤原歌劇団や二期会の本物、オケは酒田フィル)の成功を祈って後にしたのでした。

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コメント

パリ在住40年の男です。喜波貞子の本は読んでいました。初めての長崎ですがグラバー邸で彼女の展覧会を見るとは思いもよりませんでした。海外で生活する日本人も共感を呼ぶ女性です。長崎には原爆資料館を訪れ被爆者の資料を探しに来ました。フランスを中心に海外から福島の子どもたちを支援する活動を行っております。我々のHPも一度ご覧ください。http://www.ganbalo.org

投稿: 富樫一紀 | 2012.12.25 06:32

富樫様、コメントありがとうございます。HPは意見させて頂きます。

投稿: balaine | 2012.12.25 19:46

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