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2011.05.09

学会・横浜・ちょっと観光

2011年5月6日から8日までの3日間、パシフィコ横浜を会場に開催された「第31回日本脳神経外科コングレス総会」に参加してきました。
といっても、7日(土)の12時半までクリニックで診療して、13:50庄内空港初の飛行機で横浜へ。


Photo_2Photo_3脳外科オケの演奏は中止になりましたが、8日(日)朝一のセッション(脳動脈瘤に対する血管内治療)の5演題のうち2題の同時通訳を担当。
写真左は国立大ホールの4階にある「同時通訳専用ブース」の様子。3つあるブースの一つから隣りのブースを撮ったところ。右は通訳ブースから見たホールの様子。

さらにランチョンセミナーで「認知症の最新治療」について勉強し、学会場をあとに。

山手に遊びに行っていたkanonと「みなとみらい線」の日本大通り駅近くの「横浜開港記念館」で待ち合わせ。Photo_2Photo_3Photo_4





左からレトロな建物で有名な横浜3塔と称される、「ジャックの塔」、「キングの塔」、「クイーンの塔」。
ジャックが横浜開港記念館。キングは県庁。クイーンは横浜税関です。


夕方に戸塚に住む両親と横浜駅で待ち合わせをしていたので、それまでの時間、今まで一度も行ったことのない横浜を探訪。

Photo_6横浜開港記念館ではヴォランティアのガイドのオジさんに30分程いろいろ説明を受け勉強になった。
横浜開港の父とも称される遊佐出身の佐藤政養の事はご存じなかったようですが、「開港記念」という名称はついているものの、要するに横浜の商工会議所、商人の集会所みたいな場所で関東大震災や火災によって破壊された後、再建されて今の姿になっていることを知る。


Photo_7Photo_8kanonが行ってみたかったのは「シルク博物館」。
横浜は開港後、すぐに商業都市として栄えて行きますが、その中心となったのは絹織物。東北や北関東などで作られたシルク製品は横浜港に集められ、そこから船に積まれて世界中に輸出されたのです。
シルクに関するいろんな展示がありましたが、何よりも印象が強かったのは右側の写真の「生きているカイコ」。
お蚕様は、いわゆる蛾の幼虫の様なものです。「風の谷のナウシカ」のオームの様な姿の、どちらかと言えば不気味な幼虫がさなぎになる時に体の中から絹糸を吐き出して繭玉を作る訳です。サナギが繭玉から出て成虫になってしまっては繭玉に穴が空いてしまうので、絹糸を取りだすためには幼虫が入ったまま熱湯につけて処理するのです。つまりサナギ君は死んでしまう訳。

着物一着に約9000個の繭玉が必要ということで、kanonは「カイコさん、ありがとうね」と声をかけておりました。


Photo16時半に横浜駅東口のソゴウの入口近くの時計の下で待ち合わせ。
いや〜、横浜駅、なんと人の多いこと。田舎者はぶつからずまっすぐ歩くことが出来ません。人の量に歩いているだけで疲れてしまいます。
目的地は「崎陽軒本店」。
5/7に55回目の結婚記念日を迎えた両親を連れて、ちょっと豪勢な食事。
しかも「母の日」なので、帰り際にお店からカーネーションを一輪プレゼントされ母も喜んでおりました。

balaine & kanonは崎陽軒本店直ぐ近くのYCATからバスで30分で羽田空港第2ターミナルへ。
そして20:15発の庄内便で帰って参りました。

横浜は「節電」で、ランドマークタワーや観覧車なども電飾が少なく、羽田空港も動く歩道も使用停止中のものがあり、乗降口がず〜〜〜〜〜〜〜っと遠い67番の庄内便などは大変でした。遠いところの動く歩道は節電しないで欲しいな、、、


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コメント

終戦後、進駐軍の人たちが撮った日本の写真の展覧会を見にいったことがありますが、そのなかで、横浜港に入港する舟から撮った横浜の写真は印象的でした。

焼けて真っ平らになった横浜の街で、キングとクイーンとジャックだけすっくと立っているのです。レンガ作りの堅牢さですね。 いまや高いビルが一杯建ってしまって、三つの塔を一望にするのは難しくなってしまいました。

崎陽軒本店は、企業主催の研究会などでよく使うんですよ。Y−CATに近いのが便利ですね。

投稿: Teddy | 2011.05.10 12:49

Teddyさん、コメントありがとうございます。この3塔のことは以前から知っていましたが、横浜に行くのは学会が多いので、殆ど「みなとみらい」、たまに中華街という感じで、その中間の関内、馬車道には滅多に行きません。
そういえば、「横浜開港資料館(記念館ではない)」の中庭にある楠が、ペリー来航時のあの有名な絵にも描かれていて、その前で写真を撮ったりしました。
神奈川の小さな漁村であった横浜村が、いまや日本でも有数の大都市、コスモポリタンな街になったのは、勝海舟の塾頭であった遊佐町出身の佐藤政養(与ノ助)のおかげである事を知っている横浜市民はどのくらいいるでしょうね。

投稿: balaine | 2011.05.10 17:42

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