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2011.03.04

『雪国』

といっても、川端康成の小説ではありません。
ましてや吉幾三の歌でもありません。

Photoこちら、カクテルの『雪国』。
(写真撮る前にちょっと飲んじゃった)
オリジナルレシピの考案者は、酒田市にバー&喫茶「ケルン」を経営するバーテンダー井山計一氏。
カクテル好きには国内外に知られた有名カクテルです。

Wikipediaで「雪国(カクテル)」を調べると、
「1959年(昭和34年)に行われた第3回サントリー(当時は「壽屋」)ノーメル賞グランプリ ホームカクテル・コンクールで優勝したカクテル[1]。初めて発表されたのは、1958年(昭和33年)の同コンクール東北大会である。考案者は、山形県酒田市で喫茶店ケルン(Kern)を経営している井山計一。1957年(昭和32年)の冬に考案された。80歳を超える歳ながら2008年(平成20年)12月現在でも現役のバーテンダーとして腕をふるっている。」
とあります。

Photo_2バー「ケルン」は、酒田市中町の清水屋デパートの裏側の北にあります。あの酒田大火の後に今の場所に移って33年、その前とあわせて60年酒田でシェーカーを振っている、86才の現役バーテンダー井山さん。
ダンスをやっておられたこともあり、まったく年を感じさせず背筋がピンとしてカッコいいです。カウンターに座って話しかけると気さくにいろいろ話して下さいます。その雰囲気がまた素敵です。

カクテル『雪国』を創り出したのは1957年とおっしゃっていました。balaineと同じ年です。
そういう縁を感じて、また味もおいしく、一口で気に入ってしまいました。

昨日は、開院3周年を祝う会をこっそり催し、二次会で「ケルン」へ行ったのです。これまで日中の「喫茶店」の時には行ったことがありましたが、井山さんがいらっしゃるバーの時間は初めて。
Photo_3Photo_5ビールの苦手なkanonですがカクテルは大丈夫みたい。
『雪国』を頂いた後、次は?という問いに比較的新しい(2005年考案)オリジナルカクテル『ルビーの誕生』(という名前だった様な、、、)をオーダー。
グレナデン・シロップをグラスの底に沈め、静かにシェーカーから注ぐと、透明ではなくやや白い液体が淡くピンク色に輝く魔法を見せて頂きました。

Photo_6私は、座ったカウンターの目の前に、結構好みの「マッカラン」が置いてあったのでその話をしていたら、「氷を使わないハイボール、知ってる?」と聞かれたのでオーダー。

3種類の樽で寝かせた12年もののマッカランを冷凍庫でキンキンに冷やすと凍らずにトロミの付いた感じになっていて、それをマッカランオリジナルのグラスに注ぎ、サントリーの山崎の天然水で作った"The PREMIUM SODA Yamazaki"を、これもキンキンに冷やしておいたのを注いで軽くステア。

Photo_4それだけです。
細身のグラスに口を近づけると、ほのかに立ち上って来るマッカランの香りが甘く、そして知らない人が口にするとウィスキーとは思えない、まるでドライなシャンパンのような味が口の中を爽やかに刺激して喉に落ちて行くのです。

Photo_7伝説の男井山計一さんに漸く会えて(N病院時代から含めると酒田に住んで6年になるのに初めてだったのです!)、美味しいカクテルとハイボールを頂いて気持ちよく家路へ。

バー「ケルン」は22時には閉まってしまいますのでご注意を。
(写真は「ケルン」の店内に飾られていた雛飾り)

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Photo_9Photo_8開院3周年のお祝いは、折角だからと料亭「香梅咲」で行いました。
写真は先付けと八寸を一緒にした様な一品目。
筍の皮の中には柔らかく炊いたタケノコ。蒲鉾で作った菱餅は雛祭りですからね。
でもなぜか桜が。今、TVドラマ「冬のサクラ」で有名になった啓翁桜ですね。

kanonは、ハレの日なので好きな着物姿で。
床の間のお軸は梅のようですが、生けられた花「桃」。
おいしい食事、そしてこの後「ケルン」に行って大満足の3月3日、桃の節句でした。

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コメント

『雪国』は知っていましたが、酒田市が発祥の地とは知りませんでした。それに、考案者の井山さんがまだ現役でご活躍とは驚きました。
井山さんは酒田市の人間国宝のような方ですね。見習いたいものです。

私の方は、Riverwalkで毎晩、マティーニとテキーラを堪能しています。が、飲み過ぎには要注意です(*^_^*)

投稿: MrBach1954 | 2011.03.04 21:43

MrBach1954さん、ほぼ毎日のコメント、ありがとうございます!ビールの飲み方としては邪道ですが、サン・アントニオあたりでは、コロナビールの瓶の中にライムを1/8に切ってそのままドボンと入れて、瓶の口から直接飲んだ様な記憶があります(メキシコだったかな)。
井山さんは、私がある意味で憧れている故佐藤久一氏(「ル・ポットフー」の創始者で、まだ新幹線も高速道路もない時代に中央から酒田に著名音楽家を招いて音楽会を催していた)の伝記的な本「岡田芳郎著『世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか』」に何度か出てくる方で、私の中では既に「伝説の男」なのです。前々からお会いしたかったのですが、お会いする日を記念の日にしたかったというのが本音なのです。

投稿: balaine | 2011.03.05 03:18

佐藤久一氏はあまりに常識から外れていて驚かされます。多くの方から賞賛されたでしょうが、それ以上に多くの人から嫌われたことでしょう。

でも、どの時代でも優れた作品を残した人は、そういう人ばかりです。西洋絵画の世界では、ミケランジェロ、ダ・ヴィンチ、カラヴァッジョ(殺人犯)、レンブラント、ファン・ゴッホは、今の時代に生まれたら障がい者扱いされたほずです。が、彼らは人類の宝といえる作品を残しました。

音楽の世界ではどうでしょうか。ジェズアルド(殺人犯)、バッハ、モーツァルト、シューマン、ショパン、ワーグナーは、いったいどれくらいの人に迷惑をかけたかわかりません。社会の常識からすれば、みな変わり者です。が、残した音楽はご存知の通りです。

人間の評価は見方によっていくらでも変わります。死後10年を経て、佐藤氏も「歴史」として語られるようになった、ということではないでしょうか。

追伸:ビールは、たしかにライムを入れて、ラッパ飲みしていました。私が飲んだのはコロナではなく、地元のShineという銘柄でした。

投稿: MrBach1954 | 2011.03.05 14:01

MrBach1954さん、もう一つ、私は所詮「余所者」だから書けますが、故佐藤久一氏が手がけた酒田での最初の施設が「グリーンハウス」。淀川長治をして「世界一の映画館」と言わしめたものですが、忌まわしい昭和51年の酒田大火の火元になってしまいました。
時代の波とともに酒田はそれ以降、人口減少、不況と衰退する地方都市の典型となっています。かつて「西の境、東の酒田」と称された繁栄は、一部にその影をとどめる程度。
映画『おくりびと』は久しぶりに酒田に吹いた追い風でした。私は酒田を愛する住人の一人として、なんとか酒田、庄内地区が上向きになって行かないものか、と希望し念じているところです。

投稿: balaine | 2011.03.07 01:41

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