佐藤政養展を観る
佳境に入って来たNHK大河ドラマ『龍馬伝』。
配役や演技の好み以前に、ストーリーが良いのでよく知っていても引き込まれてしまいます。
「おめがだ、な〜にしったなや」
(おまえたちは、何をしているんだ)
「せば、ちゃっちゃっといでこい!」
(そうならば、さっさといってこい)
5月2日の放映で、「海軍を作ろう!」という回があり、海軍操練所の鬼塾頭として登場した佐藤与ノ助(政養)が喋った台詞は上記の様な感じでした。佐藤政養のことは、「今週末は横浜」という記事でも書きました。
与ノ助と横浜開港の話は、昨年の記事「酒田まつり創始400年本年祭です〜その2」の冒頭にも書きました。
遊佐町出身の佐藤政養縁の展示が、10/17(日)まで遊佐町生涯学習センターで行われていると知ったのは10/17当日の午前中でした。展示は17時までということでしたので、清水和音さんのリサイタルが16時過ぎに終われば間に合うだろうと予測。
途中にMCあり、アンコールも2曲ありで、終演が16:15。サイン会は諦めて急ぎ駐車場に向かい、そこから遊佐に向けて車を飛ばし、会場についたのは16:45。あと15分で終了です。
展示会場は広くなく、展示物も多くはないのでジックリ観なければ15分で大丈夫そう。
最初に目に飛び込んで来たのは一番上の写真の佐藤政養の写真のような絵。遊佐の吹浦駅前にある銅像(二番目の写真)とはやや趣が違います。
年表や略歴が張り出されています。幼少の頃を除けば、その多くの事は既に知っています。農民から侍に取り立てられたとはいえ、元々名字を持っているのですからそれなりの格式のある家だったと思います。遊佐の升川の実家にはまだ行った事が無いので是非伺ってみたいものです。
これはフランス皇帝ナポレオン三世から時の徳川第14代将軍家茂にプレゼントされた望遠鏡。家茂が大阪湾を船で巡視した際に供をしたことで、直々に賜ったものとされている。
博物館等に保存されているのではなく「生家 佐藤与兵衛家所蔵」というのが凄い。
こちらは、初代鉄道助(現在の国土交通省事務次官にあたる)として、新橋ー横浜間の鉄道開業式に明治天皇の御料車に同乗し、直々に天皇より賜ったとされる軍扇。
これまた博物館等の所蔵ではなく「生家 佐藤与兵衛家所蔵」というのが驚き。
「明治5年9月」となっているが、現在と同じ新暦では10月14日だったということで、現在でも「鉄道の日」は、この新橋(旧汐留貨物駅、現在は廃止)ー横浜(現根岸線桜木町駅)開業の日を記念して行われている。
吹浦駅前の佐藤政養像前では毎年10/14に、地元関係者やJR関係者も参列して、日本の鉄道開業の功労者である政養を讃えるイベントをやっているそうである。
外国から開港を迫られた鎖国時代の江戸幕府が、江戸(東京湾)に港を作ろうと考えていたのに対し、政養は測量の結果、「神奈川(横浜)が最適」と師の勝海舟に上申し、その結果、現在の横浜があると言えます。よって政養は「横浜港開港の父」とも呼ばれています。
さらに、上記鉄道開業にしても、将来的に東京から大阪までを線路で結ぶにあたり、中山道と東海道のどちらが適しているか、実際に検分して「東海道が適している」としたのも政養の考えだと言われています。「日本の鉄道開業の父」であり「東海道線の父」でもある訳です。
師である勝海舟は当然、「龍馬伝」でも描かれた様に坂本竜馬や数多くの人材と交流があった政養。これは佐久間象山から贈られたピストルだそうです。
これは、菅原伝作氏編纂になる「佐藤藤佐(とうすけ) 佐藤政養(まさよし)両先生顕彰碑建立記念」の両氏の伝記本とのこと。遊佐の図書館に所蔵されているという事なので、いずれ手にして読みたい本である。
同じ佐藤姓で、同じ遊佐町升川の出であるが親戚関係は無いらしい。藤佐は「三方領地替え」で活躍し、その長男佐藤泰然は蘭方医として後の順天堂の基礎を作った人である。
現在、この顕彰碑は二人分が同じ場所に並んで建てられているそうで、いずれ拝みに参りたいと思っている。
遊佐にある遊佐病院(同じ地区医師会の集まり等でお会いする先輩医師がいらっしゃる)は「順仁堂」と名乗っているが、これは創始者が佐倉順天堂に佐藤藤佐の孫(泰然の子)にあたる順天堂二代目の佐藤尚中らに師事したことから来ているとのこと。いずれ遊佐病院も見学に行きたいと考えている。
わずか15分程度の展示閲覧であったが、佐藤政養の事を偲びつつ、地元からこんな素晴らしい人が出ている事、その生家があり、そこにはご子孫が暮らしている事を知り、いずれお訪ねしてみたいものだと思った。
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