« 赤川花火大会は緑のイスキアで | トップページ | 昭和60年8月12日、ほか »

2010.08.10

毎年、夏は何をしていたんだろう?

暑さのせいか、年のせいか、両方か、、、昨年のこともよく思い出せない感じがします。
Photo夏は暑いのが当たり前とはいえ、やはりお天気番組でも「異常だ、異常だ」と言っています。台風4号がフィリピン沖ではなく沖縄の直ぐ近くで発生し、数時間で沖縄本島を襲ったとか、太平洋高気圧とこの台風の影響で遠く離れた三重や岐阜などにまた豪雨があったとか。
写真は、拙クリニックのスタッフ達がそれぞれ大切に育てている夏野菜達のお裾分け。うちの食卓の貴重な材料になっています。
あ、桃はさすがに自家栽培ではなく福島からのお土産です。


さて、昨年、平成21年の夏は何していたんだろう?
こういう時に、自分のブログは便利ですね。まるでタイムマシーンです。ブログの左側にある「バックナンバー」から2009年8月を選択すると、昨年の8月は「ジョンダーノ・ホール」での不肖balaineの医学的な講演会と屋形船からの酒田花火ショー観覧で始まっていました。

そして、酒田希望音楽祭「街かどコンサート」出演のための練習をジョンダーノ・ホールで行っていました。ブランデンブルク協奏曲の4番と6番を演奏するなんて(balaineは4番だけですが)、アマチュア音楽愛好家にとっては、そうそう経験出来るチャンスではありません。市民オケに所属しているからこそ可能になったこの演奏。
出来不出来は別として、balaineの一生の記念に残る大切な演奏でした。
8/16の「街かどコンサート」が終わったら、すでに8月も後半でした。

個人的には上山の「古窯」で医学部卒後丸25年の「同窓会」に参加した事が記憶には残ります。全員が元気であれば良かったのですが、「憎まれっ子世に憚る」の逆なのか、皆に愛された優秀だった奴が昨年5月二番目に逝ってしまい(一番は残念なことに卒後2年目に交通事故死)、彼らの事も偲びながらの同窓会となりました。全国で活躍する多忙な仲間が、44名も集まり、楽しい時間はあっという間に過ぎた事を思い出します。


じゃあ、2年前、平成20年の夏は何をしていたんだろう?
まずはJAO高松大会への参加でした。
平成19年は、酒田大会を主催する側に立ち、裏方に徹したため演奏会そのものには参加出来ず、JAOの全国大会に演奏で参加するのは初めてでした。しかも中学時代を過ごした懐かしい高松。たしか26年振りの訪問でした。ワイフkanonにとっては、「初四国」。海外のようなものだったようです。

2年前のお盆は、これまた「海外」のようなもので、ワイフにとって「初九州」にも行きました。凄い夏だったな〜。母方の伯父の法要などを済ませ、観光旅行もして酒田に戻って来てみたら、なんと父方の伯父が急逝してしまい大変驚きました。88才とはいえ、4日前に元気な姿を見てお話をして来た人がこの世にいないという儚さを感じた夏でした。

そうそう、「第2回庄内国際ギターフェスティバル in 響」もあったのでしたね。その時はまだお元気だった菅原事務局長さんがお亡くなりになって、もしかしてもうギタフェスは開催されないかも、、、とも思いましたが、福田進一音楽監督が菅原久也氏の想いを大切に受け継ごうと仰って下さり、残された庄内町を主とする音楽を、ギターを愛する人々がまた集って、今年も「第3回」が開催される訳です。

音楽に限りませんが、わたしにとってこのギターフェスティバルは、何かを成すためには「人」の繋がりや想いの大切さを再認識させられるイベントでもあります。


3年前、平成19年の夏は、、、もういいでしょう。。。(苦笑)
今年の夏ももうすぐ「お盆」です。
0809自宅の外構工事も遅れを取り戻すべく、この猛暑、酷暑の中、急ピッチで進んでいます。写真は昨日の朝ですが、今日は庭や玄関の電灯がとりつけられたはず。
庭の植栽を残してお盆前ギリギリにおよそ完成というところです。

|

« 赤川花火大会は緑のイスキアで | トップページ | 昭和60年8月12日、ほか »

コメント

ブログをきちんと書かれていると、過去をふりかえるのが簡単だし、写真ものこせて良いですね。
紙の日記は書かないし、最近Mixiのほうでもときたましか日記を書いてませんから、一年前なにをしていたか?といわれても簡単には思い出せません。トシだし…。

外構、形になってきましたね。前と比べるとすごくおしゃれになってます。こうやって、何かが形になっていくのをみるのはとても面白いです。仕事も、音楽も目に見える形にはなかなかならないものを扱っているせいか、工事現場などにはちょっと憧憬の念を感じてしまいます。

投稿: Teddy | 2010.08.11 12:44

Teddy様、私の場合、最初は単なる新しもの好き、続いて自分の備忘録としての役割や、家族友人への「近況報告」を兼ねるものとして続けてきました。
2005年1月から始めて、5年半を過ぎ1200を超える記事を書いております。この間約2000日+α。
なかなか毎日という分けには行かず、多忙な時期はかなり間が空いたこともありますが、1.6〜1.7日に一つは記事を書いて来たことになります。今では貴重な自分のデータになっておりますね。(笑)

今は木や芝や花を植えるのにふさわしくない時期で、植栽は9月中旬になりそうです。庭第一次完成は9月末ということになりますが、植栽以外はほぼ出来上がりました。
ちょっと大げさな感じですが、見慣れればおちつくかな?と考えています。
確かに建築工事というものは我々の仕事と違って、結果がはっきり形になるのでその過程がとても面白いですね。

クリニックも自宅もそういう意味で、ブログに経過を後悔してしまいました。ワイフからはあまり自宅を後悔しない方がいいんじゃない?とは言われましたが。。。

投稿: balaine | 2010.08.12 01:07

台風がそちらにむかっているみたいですね。
工事ちょっと遅れるかもしれないですがいかがですか?

台風が何事もなく通り過ぎますように。

.......................
後悔 ではなくて 公開ですね。(ちょっと揚げ足取り)

投稿: Teddy | 2010.08.12 12:59

Teddyさん、ご心配頂き恐縮です。
工事は昨日で一旦終了しました。今日は台風が来るだろうという事で、養生のために置いてあったコーン(赤い孤児現場などにある円錐の奴)も撤去されました。

台風はお急ぎだったようで、秋田の方から岩手を抜けて太平洋側に行っているみたいです。こちらはもう雨も降っていません。風も治まりつつあります。

雪の害はありますが、地震や台風や洪水などの災害は少なく恵まれていると思います。

そうそう、「公開」したことを「後悔」したからそうなっちゃたんでしょうか?(笑)

投稿: balaine | 2010.08.12 18:39

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 毎年、夏は何をしていたんだろう?:

« 赤川花火大会は緑のイスキアで | トップページ | 昭和60年8月12日、ほか »