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2010.05.07

今週末は横浜

今から9年前、西暦2001年に山形市で開催した日本脳神経外科コングレス。
当時私は医局長&講師で、学会開催事務局の一員として大変多忙な日々を送っていました。大学病院では、普通に入院患者の病棟での仕事も手術も外来もあるのですが、それ以外に全国から2500人が集まる大きな学会の準備で、教授から出される微に入り細にいった指示に従って奔走していました。
家に帰るのはほぼ毎日午前様。仕事に区切りがついて22時頃帰ろうとするとなんだか後ろめたい気持ちすらしていました。

第30回日本脳神経外科コングレス総会が明日から横浜のパシフィコ横浜で開催されるので、土曜から参加して来る予定です。

脳神経外科医として、最新の知識を学び、自分の知識や技術を確認する良い機会です。さらに、先日も書いたように「日本脳神経外科学会オーケストラ団」の一員として、5/9(日)の朝、メイン会場のパシフィコ横浜大ホールでドヴォルジャークの交響曲第9番「新世界から」の第1、4楽章を演奏します。

横浜ということで考えていたら、ちょうどいい話題を見つけました。
今、NHKで放送されている大河ドラマ『龍馬伝』。先週あたりから、神戸の海軍操練所、勝塾の様子がでてきました。そこで「鬼塾頭」として活躍した佐藤与之助に注目したいと思います。

先週の5/2放送の「海軍を作ろう!」で登場してきました。
龍馬が近藤長次郎とともに初めて神戸操練所を訪れ、訓練の様子を見て驚きます。その時、佐藤与之助は「おめがだ なにしったなや」「ちゃっちゃと しねが」などと山形弁、特に庄内地方の方言を喋っています。
「あれ?この人、もしかすると佐藤政養じゃないのかな?」と思った私の考えはあたっていました。
Photo_9これは遊佐町吹浦駅前に建つ佐藤政養の銅像。
3月に世田谷の妹家族が遊びに来た時に連れて行き、初めて写真に収めました。幼名である与之助で登場していましたが、この人は勝塾の塾頭として龍馬と一緒に海軍操練所を盛り上げただけではなく、日本の近代化に非常に大きな足跡を残しています。

「横浜開港の産みの親」
:日米通商条約によって神奈川に港を設けることになった際、与之助は勝麟太郎の門下生として学んだ測量の技術を活かして横浜村の測量を行い、地理学、地誌学的な見地からここを港とすることを建言。これが現在の横浜隆盛のすべての始まりという訳です。

「鉄道開設の父」
:与之助は庄内出身とはいえ、元は農家の出であり、戊辰戦争に際しても庄内に戻って新政府軍と戦う事はなく、新政府に仕えています。横浜から品川、そして品川から新橋まで鉄道が敷設されるに際し、初代鉄道助(現在の国土交通省事務次官)として明治天皇ご臨席を仰ぎ、なんと天皇のお車に乗って説明をするという名誉に浴し日の丸の軍扇を下賜されています。

昨年の酒田まつりの記事にも書きましたが(「酒田まつり創始400年本年祭です〜その2」参照)、昨年5月に開催された「横浜開港150年祭記念パレード」に酒田から「日吉丸」という山車が参加しています。これも佐藤政養が取りもつ縁です。

『龍馬伝』でこれから佐藤与之助がどのくらい登場するのかは疑問ですが、もしも「〜んだのぉ」とか「なんだべ」などという庄内弁が出て来たら佐藤与之助(政養)の事を思い出してください。

以下も参照ください。
鶴岡に本社があり庄内一円で発行されている地元紙から。荘内日報 佐藤政養

ブログ「ウェストコースト日日抄」から。「龍馬伝:東北弁の鬼塾頭は優秀なテクノクラートだった」

「龍馬伝」というサイトから。龍馬堂>>えにし>>諸藩(二)

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