鈍様なる力
渡辺淳一氏の著作に『鈍感力』というのがあります。
以前、気になって買っておいたは良いものの、目次だけ見てまだ読んでいなかったので、今日の午後、久しぶり(3週間ぶり)のスポーツジムでバイクを漕ぐ間、サラサラ読んでみました。
なかなか蘊蓄のあることが書いてはありますが、内容は軽くどちらかと言えば底の浅い感じ。バイクで汗を流しながら簡単に読んでしまいました。
そういえば聞いたことあったかな?という程度の認識だったのですが、この本のタイトル『鈍感力』は3年前の流行語大賞のベスト10にはいったのだそうです。
「鈍感」という言葉は、一般的にはあまり良い意味では使われません。
必ずしも「敏感」の正反対とは言えないでしょう。
英語で「敏感」はsensitiveですが、「鈍感」をパソコンの日英翻訳にかけたら"hebetude"という聞き慣れない単語が出て来ました。今度は"hebetude"を英日翻訳にかけたらびっくり「遅鈍」という日本語になってしまいました。
「遅鈍」と「鈍感」はちょっと、いやかなり違う言葉の様な気がします。
やはりsensitiveの反対の"insensitive"が当てはまるのでしょうか。
脳神経クリニックという看板を掲げていると、「敏感」な方がたくさん来られます。良い意味での「敏感」ではなく、悪い意味の「敏感」なので「過敏」とも言えます。
たとえば、そろそろ悩む人が出て来る花粉症なども花粉というアレルゲンに対して過敏に反応する症状です。正常の人でも花粉を浴びればくしゃみが出たりしますが、ちょっと空中に漂うと、鼻水、鼻づまり、涙、頭痛が出て来るのは「過敏」な症状です。それと同じように、天候が悪くなると、たとえば今は晴れているのに午後から雨になるとか、低気圧が近づいているとか、庄内でいう「東風(だし)」が吹くと頭痛が起こるという患者さんがいます。
「あなたは下手な気象予報士よりも優秀なんですよ」と、半分冗談、半分本気で説明していますが、そういう「気質(たち)」なのですから、薬でそう簡単には治せません。
頭痛を起こす原因としての幅広い意味での「ストレス」には、気象現象(気温変化、雨、低気圧など)も入りますし、寝不足とか仕事上の疲れなども入ります。こういう現象や環境の変化は、頭痛持ちの人にだけ起こっているのではなく、誰の身の上にも起こるものですが、「頭痛持ち」の人は概してこういう変化(=ストレス)に「過敏」です。
頭痛持ち、特に片頭痛タイプの患者さんは、概してこういうストレスに弱く、周りの変化に敏感で、良く言えば感受性が高いのでしょうが悪く言えば神経質で細かすぎる、打たれ弱い方が多い傾向にあります。外来が立て混んでいて私が苛つきながら問診したりすると、それだけで涙を浮かべたりする人までいます。医者なのにどんな患者さんにも等しく優しく接することの出来ない私にも落ち度があるのですが、ちょっとした相手の苛つきやきつい言葉にすぐに過敏に反応する人は、片頭痛タイプで抑うつ神経症になりやすいタイプとも考えられます。
渡辺淳一氏の言う「鈍感力」を持っていれば、つまり「こころ」の力としての「鈍感力」、精神的にあえて「鈍なる力」を保持していれば、いちいち小さな事に目くじらを立てたり、相手の些細な言動に傷ついたり、ちょっとした言葉に過敏に反応して涙を流したりする必要はないのです。私は、あえてこれを逆手に取って、頭痛や不眠症やうつ的症状で受診した方に問診する時に、矢継ぎ早に質問を浴びせかけ細かく病歴を聞き取ります。
それに平然と答えたり、ぼんやりとしてうまく答えられない人、つまり「敏感」でない人には「片頭痛」タイプは少ないようです。逆に言えば、焦って答えられなかったり、混乱したり、診察時に手に汗をかいて細かく震えていたり、質問の圧力に涙する様なタイプの人はストレスに弱いタイプで、「過敏」な人が多いようです。
本来は「過敏」なのに、長年人生の荒波を泳いで来たノウハウで、一見「鈍」な反応を示す人も、目の表情、特に眉や眉間の動きなどで、「ああ、この人は過敏なタイプだな〜」とわかります。そういう方の頭痛スクリーニングの結果は、緊張型頭痛も多いですがやはり片頭痛か、片頭痛が主体の混合型頭痛のことが多い様な印象を持っています。
社会(社交)不安障害の方もたくさん来られます。
やはりストレスに弱い、打たれ弱い方が多いようです。上司に怒られた、先月から上司が変わり合わない、外商に回って会社に戻ると文句を言われるのが嫌だ、仕事で残業が多い、ノルマが多い、、、などなど、どこの世界にでもある職場の人間関係なのですが、患者さんとして来られる方は、「敏感」で感受性の高い性質をお持ちの方が多いようです。
仕事のことを考えるだけで手が震えるとか、会社に戻ろうとすると涙が出て来る、という方も珍しくありません。
「そういう環境に鈍感だったらいいのになぁ、、、」とは思いますがそう簡単に人の性格、性質(たち)というのは変えられないと思います。
私は「一長一短」という話を患者さんによくします。
「敏感」ということはとても良いこと、感受性に富み芸術的なセンスがある、人の痛みが分かり優しい人なのだと。その反面で、過敏で変化に弱く、落ち込んだり参ったりしやすいのだと。決して「良い」「悪い」ではなく、そういう「両面性」を持っていることを理解して頂きます。
反対に言えば、「鈍感」な人は、人の痛みの分からない、自己中な、トラブルメーカーかもしれませんが、過剰なストレスや大きな変化にも強く荒波を生き抜いて行ける強さを持っているのだと思います。
しかし、病気を治療する上において、「敏感過ぎる」ことはやはり障害です。治療の邪魔になります。ですから精神安定剤や鎮静のホルモンであるセロトニン作動性の薬(抗うつ薬など)をうまく使いながら、「過敏」なこころを少しずつ改善して、患者さんの周囲の環境、家族、職場、友人などの協力を得て少しずつストレスフルな環境を整備改善していくことによって、軽いうつ状態の患者さんなら大体よくなって行きます。
やはり「一長一短」なのです。
その両面性の「長」の部分を如何に表に出して人生に活かして行くのかが大切なのではないでしょうか?けっして「鈍感力」を持つことが「優れている」訳ではないと思うのです。
渡辺淳一氏の『鈍感力』も、鈍なる力を持つ人を褒めちぎっている訳ではありません。ただ、過敏でストレスに弱い人に比べて、鈍なる人は健康で長生きし成功して大物になる人も少なくないというようなことまで書かれています。
誤解のないように書いておきますが、私もけっして「鈍感さ」を推奨している訳ではありません。ちょっと「鈍感」と他人から思われる位がちょうど良いことが、この殺伐とした世の中には多いのではないかと思うのです。
また、打たれ強い、ストレスに対抗する力を持っている人が皆「鈍感」な訳ではないと思います。人生の様々な経験、特に苦い体験、嫌な思い出、強いストレスを乗り越えて、それに「過敏」に反応せずに平然と前に進めることは「鈍様なる力」であって、「鈍感力」というのとはちょっと違うのではないかと思います。表現が難しいですが、「鈍感を演じられる精神力を持った人」とでも言うべきなのでしょうか。
私も、これまで様々な苦しいこと、激しいストレス、嫌なこと、悲しい事をそれなりに経験して来たと思います。決して過敏に反応せず、鈍様に対応するコツも少しは身につけたかもしれません。でも人としての優しさはまだまだ勉強が足らないと思っています。
本をサラサラと読んだばかりでまだ頭の中が整理されていないのですが、前から感じていたことが触発されたので思いつくままに書いてみました。後から書き直したり、追加補筆することもあるかもしれません。
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さて、敏感の心をお持ちで、日々のストレスに打ちのめされそうになっている方は、是非、2/20(土)のサロン・コンサートにおいで下さい。
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弦楽四重奏の持つ力がきっとあなたのささくれ立った心を丸く柔らかくしてくれるでしょう。
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さらに、3/21(日)の酒フィル・ファミリーコンサートにもどうぞ!
「名曲への旅」を楽しみましょう!聞き覚えのある曲を楽しみ、日頃のストレスを忘れて下さい。(笑)
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