新居で無線LANインターネット
珍しくパソコン関連話題。
日曜日に引っ越し。同時に電話も引っ越し。FLETS光の(転居)接続工事も午後には完了。
さてインターネットの接続もお引っ越しが必要なのですが、自分で設定しなければなりません。NTT関連会社の担当者が置いて行った説明書+CDを使って、家内のWindowsで設定に挑戦。
「光B FLETS」用のルーター(回線終端装置一体型)から「ひかりでんわがしようできます」という女性の声が出てびっくり!
ところがそこから先の設定がうまく出来ない。Trial & Errorで何度か挑戦。MacBookでもトライするがうまくいかず。12/6の夜から12/7の深夜にかけては完了出来ず、ネット接続を諦めました。
翌日、冷静になって考えると「そう言えば光電話の引っ越しの連絡をした時にNTTから届いていた書類があった、、、」と思い出し、引っ越し荷物でごちゃごちゃになる前に、その書類をナップザック(表現が古い)に入れていたのでした。
12/7の夜から12/8の深夜にかけて、その書類&CDを使ったところ、書類の表に書いてあるごとく「超カンタン」に接続出来ました。
ところがMacの無線接続ができない。。。
回線終端装置一体型ルータにAirMac Base ステーションは接続され、電源も入っているのにMacBookでネット通信が出来ない。。。むむむ、、、なぜだ、、、
まるでUFOの様な形をしたAirMac Base Stationの裏側のコネクトを確認。
アッ!
ルーターとの間の接続をethernetポートに差していたのでした。これを隣りのWANポートに差し込み直し、MacでSafariを起動させると、、、ちゃんとアクセスできました!
こういう機器の接続において、マニュアルなど読みもせず(というより、マニュアルはどこに?という状況)「こんな感じだろう」という適当さがいけないのですが、約15年前からインターネットに親しみ始めた頃からの癖みたいなものでしょう。
今回の引っ越しで捨てられずに取っておいた古い本や雑誌が出てきました。
なつかしい「INTERNET magazine」とか「月刊アスキー」とか「I/O」なんていう雑誌も出てきました。あの頃は、「光」なんてなくて、電話回線でppp通信をしていて、アクセスポイントに電話回線で接続している間は電話が使えなくなりました。また接続している時間に相応して課金されるので、BBSに書き込むにしろ、メールをするにしろ、まず文書を作っておいてそれから接続して送信する、という感じで接続時間をいかに短くするか、という方法でやっていましたね。
大学に高速回線が導入されて、接続時間を気にせずにインターネットが出来るようになり、自宅などからは大学のサーバーに電話回線で接続して、今から見ればものすごく遅い通信速度でしたがそれでも通信時間を気にせずに接続していられるので、文書を予め作って校正してから接続するなんてことはせず、接続しながら文書をのんべんだらりと考えるという方法に変わりました。
その名残で、今書いているブログなども、ろくに推敲もせずだらだらとなが〜〜〜い文章を書く癖がついてしまったのかもしれません。通信時間を気にせずに長い文章をかける事が嬉しくて仕方なかったのです。
一般のユーザーが自宅で高速通信(100Mbps)が当たり前に出来るようになってどのくらいでしょう。
昔は、64kbps(つまり今の1500倍の遅さ!)でいらいらしながら通信していたのです。通信の途中で途切れてしまったり、停まってしまったり、重い画像は受け取れなかったり、もちろん音声や動画などは扱えなかったのです。
それが今では自分で録音した音源をアップして広く公開もできるし、動画も配信出来るし、本当にこの10年くらいのネット通信の世界は隔世の感があります(しみじみ)。
と言う訳で、引っ越し後の新居でもまた今まで通り、有線&無線LANを使って複数台のパソコンでインタネットライフが享受出来るようになりました。
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コメント
最初に使ったモデムが1200〜2400bpsのものでした。その後、64kのISDNになり、8MのADSLを経てフレッツ光へ。すごい進歩ですね。ISDNで定額制・常時接続になったのが画期的だったと思います。
単身赴任のアパートでは、回線速度よりも、古いパソコン本体の処理速度が追い付きません(^o^)/
無線LAN接続奮闘記、ご苦労さまです。奥様のWindowsPCを先に設定されるところなど、優しいな〜。見習わねば(^o^)/
投稿: narkejp | 2009.12.09 21:45
narkejpさん、コメントありがとうございます。
H4年の米国留学中に、インターネットとLANに出会いました。自分の研究室に居ながら図書館にアクセスして文献検索が出来る事に感動した事を思い出します。その頃、日本でそんな事が出来たのは、ネット通信が「仕事」である工学部位だったのではないでしょうか。
H6年に帰国した時には、日本にインターネットという言葉が広がり始めた頃で、医学部でもそれから間もなくサーバーの設置とLANが出来ました。ちょうどいいタイミングで脳外科医局のHPをhtml言語でtrial & error方式作り始め、「日本初」のHPを造り、その後「日本初」の脳外科のMLを造りました。
一方、家庭でのネット通信はppp通信によるnifty-serveから入りましたが、モデムのspecは覚えていません。画像が扱えない速度だったことは覚えています。
ながらく大学生活だったので、1MB、100MB、1GBというインフラ整備の恩恵を享受していました。自宅では永らく「メールだけ」というネット生活でしたが、確かH13年にマンションで初めてブロードバンド通信を始めました。
それから8年。今や高速通信は普通の事となり、テレビに繋がる時代になりましたね。
家内のWindowsの通信設定は、ただ面倒くさい事を先に済ませたかった事(Macはすぐ出来るだろうという目論見)と、クリニックにはネット環境が十分(常時接続のパソコンが6台あります)であることが原因で、けっして優しいからではありませぬ。(^^;;;;
投稿: balaine | 2009.12.10 02:58