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2009年12月

2009.12.31

良いお年をお迎え下さい!

いよいよ2009年のジルベスター、平成21年大晦日です。

このブログを始めたのは2005年1月6日なので年が明けると満5年となり、6年目を迎える事になります。いろいろな素晴らしいサイトやブログも様々な理由や都合で消えたりしていますから、こんな私的なブログでも5年続けて来た事はそれなりに凄い事だなあ、と思います。まあ、日記代わりです。

私にとって一昨年2007年は「動」の年。昨年2008年は「始」の年でした。
今年はどんな年だったのでしょう。
展開、進展の「展」か、継続、持続の「続」という感じでした。

そうですね、、、今年は「展」にしましょう。

ここ数年は、大晦日には一年の鳥海山の写真を載せて来たので、今年を振り返りながら写真を並べてみます。
0109鳥海山は雪を冠り太陽の光を浴びている時が美しいので、天気が悪い日はほとんど撮影していません。
これは今年の1月9日、新年の院長室からの一枚。クリニックの建物が完成しておよそ1年。開業して10ヶ月経ったところで、少しは気持ちにゆとりが生まれてきました。

0129庄内の冬は「地吹雪」という、映画『おくりびと』の冒頭の車を運転しているシーンでも見られる天候が特徴です。「寒ダラ」の美味しい季節です。
この一枚は1月の末に撮影しています。このように晴れていればいいのですが、「一面の銀世界」などという美しい世界ではなく、命の危険を感じる様な凄まじい気候です。

0228これは2月末の鳥海。
2月も中旬を過ぎるとお天気も緩んで来ることが多く、晴れが続くと田圃に積もった雪も溶けます。鳥海山の雪も少しずつ減って来ますし、青空が広がるとそのコントラストが美しい。
春はもうすぐ!という期待に満ちて来ます。

Photo今年、鳥海山は世界中からも注目を浴びました。映画『おくりびと』の米国アカデミー賞外国語映画賞。いわゆる「オスカー」を穫った山です。
これは遊佐町の月光川(がっこうがわ)にかかる古い朝日橋と鳥海。もっくんが、遡上する鮭と産卵後力尽きて流されて行く鮭を眺めていたところです。この橋の右手奥の河原が「いしぶみ」の撮影が行われたところ。「アカデミー賞」の発表は2月でしたが、この写真は3月中頃のものです。

Photo_2そして上記朝日橋を渡ると北側の土手に椅子が置いてあります。
もっくんが鳥海山をバックにチェロを弾いたあの場所です。私も座ってみました。
Photo_3たくさんの観光客や映画ファンがこの椅子に座って記念写真を撮ったようです。中には酒田フィルの団員でチェロを弾くYさんなどは、知人に頼まれてチェロを持ってここに座り、台湾向けの観光案内のプロモーションビデオだかテレビ番組だかに出演したり、別のYさんのようにここに座って演奏をさせられたという人もいたようです。(笑)
本当に庄内は「おくりびと」のおかげで沸きました。

Photo_44月になるとさらに気候が緩み、農家もそろそろ田植えの準備です。田が耕されあっというまに水が引かれます。これはまだ水田になる前の平田の田圃と鳥海。

Photo_5そして春の遅い東北、山形でも4月の上旬から中旬になると、そろそろ桜の開花の声が聞かれます。
日本海に面した庄内の中でも最も海に近い酒田は、山形県内では最も早くに開花する地域です。
桜が満開になる頃には田圃も準備万端という感じです。

Photo_6旧平田町(現酒田市)のその名も桜林興野というところがあり、ほぼ同じ場所から毎年写真を撮っています。2008年12月31日の記事を見て頂くと同じ様な写真があります。

Photo_7今年は旧櫛引町(現鶴岡市)馬渡の桜も有名になりました。『おくりびと』で春を迎えた象徴的なシーンで使われた桜並木から望んだ鳥海山。
鳥海山は、地元の遊佐から見るよりも少し離れて旧の平田地区や鶴岡でも藤島あたりから見る方が雄大な感じがして、稜線も美しく綺麗に見えるようです。

612今年は田植えの時期から5月一杯の鳥海山の写真を撮っていなかったようで、これは6月も中旬を迎えようと言う頃の一枚。かなり雪が溶けて山肌があらわになっています。この頃から9月末頃までは雪がどんどん少なくなります。

815これは8月、丁度お盆の頃の鳥海山。雪はほとんどありません。お盆を過ぎると庄内の短い夏も終わりが近づきます。庄内沿岸に広がるいくつかの海水浴場も営業を終了します。
9月の声を聞いてもまだまだ暑い日がありますが、夜はス〜ッと涼しくなり虫の声が盛んになります。山の上の方はもう大分寒いはずです。

1001これは10月1日。まだ雪がありません。早い年は9月中に初冠雪が報告されますが、今年は10月に入ってから。
たしか10月10日でした。

1014a10/1とこの10/14の写真の違いは、頂上にうっすらと初雪が見えるところです、
この雪も一旦溶けてしまうのですが、この季節になると北からの冬の使者、白鳥がたくさん酒田周辺にやって来ます。

Photo_8今年もたくさんやってきた白鳥さん。「新型」インフルエンザ騒ぎのため、スワンパークでの餌付けは2年続けて禁止されています。それでも最上川河畔のスワンパーク周辺は9000羽を越え本州一の飛来数を誇っています。旧平田地区の田圃で落ち穂拾いをする白鳥達と鳥海山。こころ癒される一時です。

1119それからわずか1ヶ月後の11月19日の鳥海山。あっという間にこんなに雪が積もります。特に今年は「暖冬では?」と言われていたにもかかわらず、予想より早くに天候が荒れ大雪が降りました。
113011月30日の鳥海山。
晴れた日には白銀が眩しく光ります。しかし今年はこんなお天気の日は少ないようです。

121012月の声を聞き、寒さが厳しくなりました。
12/6に新居に引っ越しをし年末にまだバタバタしています。そんな中、美しい鳥海の姿に心癒されています。

123012月中旬から寒波来襲。
特にクリスマス前までに毎日のように雪が降り、山響酒田公演の12/20もお天気は悪く、素晴らしい演奏にもかかわらず客足が不良だったのが残念でした。
院長室から見て心癒される鳥海山も、きれいにその姿を見せる日は少なく、雲に覆われている事が多いようです。写真は昨日のもの、今日はまったく見えません。
お正月の間、あまり天気は良くないようですね。


Photo_9クリニックにも、自宅玄関にも簡素なお正月飾りを付けました。
いよいよ大晦日もあと半日を切り、明日からは平成22年、西暦2010年の寅年ですね。


今年一年、数多くの方々にお世話になりました。
有り難うございました!


診療の方もまずまず順調に行う事が出来ました。最新型のMRIを用いて脳外科専門医&脳卒中専門医が行っている「脳ドック」は庄内地方では拙クリニックだけで、日本海総合病院も鶴岡市立荘内病院も脳ドックをやっていません。当院ではちゃんとした脳ドックをやっていることが少しは認知されて来たようです。
1年間で100名を超える脳ドック受診者がありました。
感謝申し上げます。


音楽活動も充実していました。
1月の酒フィルニューイヤーでは、念願の「管組2番」を家内のチェンバロと酒フィルの弦の名手達とともに7名での演奏を楽しみました。

3月の酒フィル「ファミリーコンサート」では、プロコフィエフ作曲『ピーターとおおかみ』に挑戦。酒田出身の活動弁士佐々木亜希子さんの軽妙で情感豊かな語りとともに、私は難物の「小鳥」を演奏。なんとかやった、という感じでした。

4月、6月とフルートで「サロン・コンサート」の第4回、5回を行い、山元康生氏とはドップラーの「アンダンテとロンド」のデュオを演奏、上坂学氏とはJS(?)(CPE?)バッハのトリオソナタを家内のチェンバロと共に演奏。
間の5月には、ゴールデン・ウィーク開始直前の5/2(土)に酒田中央高校のアンサンブルコンサートを「ジョンダーノ・ホール」で開催して頂き、そこにバッハのフルートソナタから一部を演奏して参加させてもらいました。

8月には、中町の酒田市交流広場で、酒田希望音楽祭「街なかコンサート」に出演。酒フィルの仲間と今度はJSバッハのブランデンブルク協奏曲第4番でフルートトップを楽しみました。家内もチェンバロで参加しました。

10月には、いよいよ酒田フィルの定期演奏会。
序曲では2番フルート&ピッコロ。久保陽子さん出演の協奏曲は降り番。
そして、ドヴォルジャークの交響曲第7番でフルートトップを吹かせて頂きました。春から7ヶ月かけて取り組んできましたが、本当に難曲で、最後まで「手中に収めた」感じはまったくなく、形だけは通した、少しは上達したかな?、という程度の演奏に終わったという反省があります。まだまだ実力が全然足りません。
基礎的な練習をや毎日の地道な練習をしていないからでしょう。

11月は酒田市民音楽祭、コーロ・プリモ創立60周年記念コンサートなどにフルート、ピッコロで出演しました。
11/30には、サロン・コンサート第6回として地元の音楽家(プロ)に混ぜてもらって、テレマンのフルートソナタなどを家内のチェンバロとピアノを伴奏に演奏しました。練習準備期間が短く、一人だけアマチュアという感じでしたが楽しく演奏出来ました。

こうしてみると、人前で演奏する本番のなかった月は、2、7、9そして12月の4ヶ月だけ。アマチュア笛吹きとしては立派すぎる活動だったと思います。
来年も音楽活動はどんどんやって行きたいと思っています。

来る年が平和で安全で少しだけでも豊かな年でありますように。音楽が皆さんの心を癒し慰めますように。

前から私のブログを読んで来てくださった方、何かの検索で偶然訪ねて来てくださった方々、とりとめのない内容や、やたらに長い冗長な文章にお付き合い頂きありがとうございました。

どうぞ皆様、良いお年をお迎え下さい!

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2009.12.30

山響第200回定期を「観る」

(本日2つ目の記事です)
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11/24の記事、「山響第200回定期初日を聴く」に書いたように、11/21(土)の夜と11/22(日)のマチネ2回公演で第200回定期演奏会が行われたのつい先日の様な気がするのにもう1ヶ月以上も経っていたのですね。

本日、山形放送テレビで『山響コンサートホール』というタイトルで、先日の第200回定期が放映されました。午前10時からという放送時間だったので、録画しておいたものを帰宅後早速観ました。
おそらく放映されたのは22日の日曜日の会だと思います。その根拠は村川千秋先生の演奏が終わってのMCの飯森さんとYBCアナウンサー青山友紀さんのインタビューの際に、飯森音楽監督が泣いていなかったからです。

番組は、1972年の山響の創設、村川千秋さんを中心に苦しみながら頑張った歴史を簡単に紹介。当日の4人の指揮者をそれぞれ紹介して、文翔館議場ホールでのリハ風景をそれぞれ紹介して実際の演奏をノーカットで放送するという、山形県内だけを対象にした山形放送ならでは贅沢な番組でした。
私は初日の11/21に山形テルサでコンサートを体験しましたので、その演奏を思い出しながらわくわくしながら観ました。古いブラウン管テレビから、新型LED-Aquosの地デジ放送になりましたので、画質も音質も格段に良くなりました。ただ、やはりオーケストラの様なダイナミックレンジの幅の広い音、さらに空気を震わせて伝わる音が、耳だけではなく身体に響くあの生の音はテレビでは限界があります。特にコントラバスやティンパニの響きというのはボディソニックに骨から響きますのでテレビでは「?」という感じなります。

黒岩名誉指揮者、工藤指揮者、村川創立名誉指揮者、村川音楽監督、それぞれの個性が良く現された素晴らしい演奏でした。テレビの利点として、ステージ側から指揮者の表情、指揮ぶりがよく分かりますし、団員のアップでの演奏シーンも迫力です。山響団員お一人お一人がよく見えてこれも楽しい。
そして日曜日も超満員だったテルサの観客の表情もよく見えます。共通して言えるのは、団員も観客もニコニコしている割合が多いということ。特に千秋先生のときなどは、シベリウスの「カレリア組曲」という明るく軽快な音楽に乗って、団員も観客も千秋先生と一緒に身体が揺れ弾んでいました。

4人それぞれの指揮者、どれがいいとか優劣をつけるものではない演奏でしたが、やはり飯森音楽監督の指揮は感動的。そのタクトの動きだけではなく、表情、体全体を使って音楽を表現し楽団員をドライブしようとするその姿を観るだけで単純に感動します。ただ脳外科医的に観ていると、「頚、大丈夫かな?」と心配になります。健康おたく(失礼)的に身体を鍛えに鍛えている飯森音楽監督ですが、あれだけ鋭く強い動きで指揮をしていると、指揮者の職業病である頸椎捻挫や頚椎症が心配されます。
故岩城宏之さんも頸椎の手術を2回程受けられたはずです。


もしもこの放送を見逃された方、再放送があるのかどうか、現時点では不明ですが、是非再放送を録画してご覧になる事をお勧めします。
また飯森音楽監督のファンならずとも是非ご覧頂きたいテレビ番組をご紹介しておきます。
「TV朝日;2009-2010年末年始特別番組のご案内」の中から、1月3日の「新春クラシックスペシャル2010 若きマエストロの情熱」という番組案内をクリックして詳細をご覧下さい。主に大阪センチュリー交響楽団の演奏会からのようです。
(山響は出ないのかな?、、、)

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平成21年仕事納め

平成21年12月30日、水曜日。
仕事を納めました。クリニックの診療はお昼まで。12時直前に新患が来られ12時半過ぎに診療終了。その後、「すし丸」の「宝石チラシ」と握りを食べながら「仕事納め」を致しました。

Photoクリニックの玄関に来年の干支である「寅」を飾り新年を迎える準備も万端。
昨年は、クリニックのスタッフ総出で大掃除し「ジョンダーノ・ホール」と院長室の床は自分で掃除&ワックス掛けもしました。
今年は高いところの掃除、窓の掃除、クリニック全体の床掃除&ワックス掛けを含めて、大家さんであるクリーンサービスさんにお願いしました。病院用の滑らない、光らない特殊なワックスをかけて頂き、高い高い危険な部分の窓掃除もして頂きました。開院以来、1年10ヶ月振りにピッカピカになりました。

本日のお向かいさん。
1229工事は昨日までだったようで、写真は昨日の様子です。今日は静かですが昨日までは、それほど酷くはありませんが騒音と振動がありました。
基礎工事の骨組みがほぼ出来て、コンクリートが注入されていました。完成が楽しみですね。

本日の鳥海山。
1230お天気はいいのですが、鳥海の頂上には雲がかかっていて少し残念です。明日の天気はどうでしょうか。
毎年、大晦日には一年間の鳥海山の写真を並べて一年を懐古して来ました。今年はいろいろ忙しく、心にゆとりをなくして鳥海山の写真を撮る事が少なかったように思います。

昨年のブログを見ると、昨年は12/29丸一日仕事して仕事納めとし、12/30から1/4(日)まで年末年始休暇とし、1/5(月)から診療を開始しています。今年は、今日の午後からカレンダー通り1/3(日)までお休みで、1/4(月)から診療を開始します。
今年一年間、明日まで含めて365日中、289日間診療しました。お休みをしたのは76日間です。
この間、拙クリニックの職員の中で一日も休まなかった皆勤賞は院長である私だけです。当然ですけど、私が休めば診療が成り立たないので皆勤賞な訳です。その他のスタッフも、数日休んだだけで皆頑張って働いてくれました。

2年前の今頃は何をしていたかというと、クリニックは建設中で、12/28年末ギリギリになって上棟式をしていました。
1229_2これが2年前の12/29のクリニックの状態です。
まだ壁もなかったんだな〜としみじみします。
あれから2年。あっという間です。


Photo_2今日のオマケの写真は、「のだめ」に登場する重要なキャラクター「マングース」です。
私のフルート&ピッコロ&譜面台&楽譜用バッグに付けています。

昨日は、平日夜間診療所の診療担当。
19時〜22時の診療を担当しました。主に発熱、風邪症状の方ばかり7人程。そのうち、インフルエンザを疑って「診断キット」を使用した患者さんが5名で、A型陽性が2名、陰性が3名でした。陰性のうち1名は、臨床症状(高熱が出始めたばかり、咳が出る、症状が辛そう、中学生で先週就業だったがインフル患者が発生していた)から「新型」インフルエンザと診断し、リレンザを処方しました。成人の1名も同じように診断キットでは陰性ながら、臨床症状から「新型」と診断しタミフルを処方しました。もう一人は、成人で熱は38℃台ながら症状が出始めたのが4日くらい前で咳もあまり出ないという事から、急性上気道炎と判断しました。
陽性の2名は、タミフル、リレンザなどを処方しました。診断キットを使用しなかった2名のうち、1名は近くにインフルエンザ患者がいた事、臨床症状(高熱、咳など)からキットを使わず「新型」と診断したタミフル処方、もう1名は「新型」の疑いもあるものの熱が出始めてまだ1時間足らずで来所され、臨床症状も典型的ではなく急性上気道炎として治療しました。
「急性上気道炎」と診断し、タミフルなどを処方しなかった患者さんが今日以降に高熱、咳など典型的な「新型」の症状を出す可能性はあり、ちょっと後ろ髪引かれる思いです。

1/1、お正月の夜にあたっていた「休日夜間診療所」の担当ですが、なんと昨日になって「中止」の連絡が来ました。元々、酒田市の「休日夜間診療所」は酒田地区医師会会員の医師の協力に寄って、一名に医師を午後6時から9時まで常駐させて患者さんに対応していましたが、10月以降庄内地方にも「新型」インフルの患者が急増し、インフルエンザ警報が発令されるに至って、医師2名で午後6時〜10時までという臨時体制に変更していたのです。
11/22の夜には、この4時間の間に100名を超す患者が殺到し、医師2名で戦場のようだったそうです。翌11/23は日中に250名を超す患者が、夜間に70名近い患者が殺到し、医師会長自ら出向いて医師3名体制でなんとか凌いだと聞きました。ご苦労様でした。

12月の声を聞き、急速に「新型」インフルを疑わせる患者数が減少し、平日夜間、休日夜間の受診者が10名程度になって来ておりました。そこで先週末の12/26(土)からは医師1名体制に戻したのだそうです。
そのため、お正月の夜に私の担当も2名体制を1名に戻すため、メインの内科の先生お一人の診療体制になったのだそうです。ホッとしました。これで今日の午後から日曜まではのんびり出来そうです。

考えてみれば、病院勤務医時代、大学病院時代、通算23年間、私はお正月を横浜の実家でノンビリ過ごしたことはありません。12/31に横浜にいてその夜中に山形に車で戻った事や、ハンガリーに出かける直前、1/1の朝まで宿直をしていて1/2の成田の前泊で横浜の実家に泊まったことはありましたが、正月三が日を過ごした事は学生時代以来ありません。
酒田に来て、開業して2回目のお正月を迎える訳ですが、病院勤務医の様な宿直、日直はありませんし、自分の患者さんが病棟入院中ということがないので、休みの日と言えど病院に患者さんの様子を診に行くという仕事の体制で無くなったのです。
やはり勤務医の先生方は大変です。
病院の看護師さんや技師さんは大変です。世の中の人がお屠蘇で顔を赤くしお雑煮を食べている時にも、他人のために働いている人がいるからこそ、皆安心して暮らせるのだと思います。診療報酬の0.19%増額(本体のアップはほとんど特定機能病院など大型の病院の増収目的、増収というよりは減収防止と言った方がいいか)くらいで怒っていた人がいますが、日々安心して暮らせるのは病院があり、そこで働く人がいて、救急診療体制が機能している体という事をよく考えて欲しいと思います。

年末年始を休んでいる開業医も、上記のように自治体と医師会の共同で「休日診療所」「夜間診療所」を開設して、開業を中心とする医師会メンバーの医師が普段の自分以外の仕事以外の時間で患者さんに対応しているのです。どうぞこういう事も理解して下さい。

さて今年も残すところあと1日。
今年は本を読みたいな。。。

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2009.12.28

映画「のだめ、、、」観ました

12/24、クリスマス・イブに高木綾子さんのコンサートを楽しみ、名月荘でゆっくり過ごして翌日は11時過ぎにチェエクアウト。
山形市内を目指します。目的地は、市中心部の十日町に最近出来た『紅の蔵』という観光スポット。想像では、酒田の山居倉庫の小さな蔵版かな、と思っていましたが予想通り。
こちら→「山形まるごと館 紅の蔵」をご覧下さい。

ここは元々長谷川呉服店の店舗と蔵があったところを、改修保存して蔵を綺麗にして複合観光施設にしたもののようです。ちなみに長谷川家は、現在のきらやか銀行(前殖産相互銀行)に繋がる家系のようです。
お土産処「あがらっしゃい」に農産物直売所が一緒になり、「街なか情報館」と2つの蔵が使われています。さらに「Cafe&Dinning990」という洋食のお店と「そば処紅山水」というお蕎麦屋さんがあります。
およそ30m四方程度の一区画(元々、長谷川呉服店の敷地)にこじんまりと納められています。
一番中心となる蔵で、明治20年代の建造物のようです。

Photo_2敷地の広さ、歴史的な価値などからいえば、酒田の山居倉庫や本間家旧本邸、旧鐙屋などのほうがずっと良いと思いますが、ここ「紅の蔵」は(財)山形市開発公社という組織、つまりは市のバックアップを受けて準備から立ち上げに金がかかっているようです。HPやブログを拝見してもそれがわかります。
翻って酒田の施設を観てみると、映画『おくりびと』のお陰で今年4月のオープンから10万人を越す観光客が来た旧割烹小幡の「NKエージェント」や山居倉庫などのいい物は持っているのですが、今後継続して観光客を呼べるものだろうかというとちょっと不安に思います。

Photo_3折角なので「紅山水」でお蕎麦を頂きました。朝食も9時頃でしたし、まだあんまりお腹も減っていないのですが、2人で3人前の「板蕎麦」(写真)を注文。
 お蕎麦は細めで、少し挽きぐるみの感じ、1番粉だけではない感じの雑味とざらざら感がありました。冷たくてコシがあって食べやすい。ただ、「板そば」と言いながら、板の底に「蒸篭」と同じ様な笊が敷いてあるので、残り少なくなった蕎麦が箸で取りにくくて困りました。普通の「板」にすればいいのに、なぜだろう?と思います。

時間はすでに13時を回っていました。
さあ、庄内を目指します。酒田ではなく、三川町の三川ジャスコにある「イオンシネマ」が目的地。
15:10から「のだめカンタービレ 最終楽章 前編」があるのです。

平日の昼間、中高生は別として大人も数名以上いたので少し驚きました。
ネタバレになるのでストーリーや配役のことには触れません。しかし、ノッケから驚きというか少しあきれました。まずは千秋真一がウィーンの楽友協会大ホールで「ベト7」を演奏しています。素晴らしい演奏に観客は全員スタンディング・オヴェイションでブラボーです。その後、パリで新しく常任指揮者になることになった伝統ある、しかし人気の落ちたオケの演奏があまりに酷いのです。酒田フィルはおろか、普通の市民オケでもあれほど酷い演奏をすることはありません。原作が漫画とはいえ、これはちょっとクラシック音楽を、オーケストラを馬鹿にしすぎてはいないか、、、と少々苛つきました。しかし次第にストーリーに、この実話的でありながら非現実的な、寓話的なお話を楽しむ気持ちになれました。演奏シーンは、チェコのブルノで行われたらしいのですが、ストーリー上はパリ市内のオケです。
千秋の熱意と情熱、そしてオーディションで得た新しい団員が加わって、実力が急上昇したオケ。
次々に出てくるオーケストラ音楽の数々、、、ラヴェルの「ボレロ」、チャイコフスキーの「1812年」、交響曲第6番「悲愴」など名曲の素晴らしい演奏。ストーリーとともに大画面で音響の優れた映画館のシステムで楽しみました。

内容が多く、ストーリーが完結するまでは一本の映画に納めることが出来ないので「前編」となっており、来年4月には「後編」が公開されるそうです。
エンドロールで配役やスタッフが紹介される中、「指揮指導 飯森範親」という文字は見逃しませんでした。劇中に使われた音楽は、どこかのディスクから取って来たのではなく、実際に「のだめオケ」が演奏しており、指揮は飯森さん他、大野和士さんなどの名前が見えました。

この劇中音楽の中、「1812」などを凌いで感動したのはJSバッハのピアノ協奏曲。原曲はもちろんチェンバロ協奏曲第1番ニ短調。家内はこの曲が始まっただけでウルウル。
なにせ大学の卒業試験演奏が、チェンバロ協奏曲だったのですから、当時の若かった自分、努力したあの頃、いろいろなことが音楽とともに一瞬にして蘇ったのでしょう。音楽にはそういう力がありますね。

映画の最初の方は「ちょっと、、、」と思ったものの、最終的にはとても楽しめました。
すでに「後編」が待ち遠しいですね。

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2009.12.27

クリスマス・イブに名月荘で高木綾子さんのコンサートを聴く

名月荘のムーンライト・コンサートに参加するのは5回目。
初めて聴いたのは2003年、平成15年の初冬、Fl高木綾子さんとPf西脇千花さんのコンサートでした。その時は、現在の「談話室」と言う名前の建物で、その後の会場は今回の「お蔵」になっています。

12/24(木)クリニックは午後1時までの診療。幸い13時過ぎにスムーズに診療終了。お片づけをして自宅に戻り簡単な昼食の後、お出かけの準備。
南ジャスコの清川屋さんに注文しておいたケーキ『ミ・キュイ』を受け取り、上山を目指します。

先週の大雪も道路上からは消え、月山道路もスムーズ。およそ予定通り16:20に上山葉山温泉の名月荘に到着。何度か来ていますが、前回はたしか平成18年の5月にハープの早川りさ子さんのムーンライト・コンサートを聴いた時でした。2年7ヶ月振りということになります。前回は「暁」と言う部屋でしたが今回は「霞」にしてみました。「暁」の方が部屋も庭も広かった様な気がします。

まずはひと風呂浴びます。
この一年頑張って来た自分へのご褒美です。やわらかい温泉が肌にも心にも気持ちいい。男性用大浴場の外にある「露天風呂」にも入ってみます。目の前には先日来の雪がたくさん残っていて、外気はひんやりしていますが今日はここ何日もなかった様な良いお天気で爽やかです。といっても入浴時にはすでに陽も暮れていましたが。
浴室前のいろりには、山形名物の「玉こん」が鍋に入っています。好きなだけ自分で串に刺して食べるのです。夕食前だったので一個だけ。味がしみてとても美味しい。

18時から部屋で食事。山形は内陸なので庄内の様な魚介の幸に恵まれない土地ですが、現在の流通のお蔭で素晴らしいお刺身。一品一品に料理人の気持ちが込められた、味も見栄えもすべてが素晴らしい料理に舌鼓を打ちました。飲み物は小グラスの生ビール一杯で我慢。そのあとに、本日の「めいん」があるからです。
Photo料理長の心づくしのお料理も今日の私にとっては前菜でしかありません。
写真はデザート。和室でお料理を頂き、最後のデザートとコーヒーは別室のダイニングで。テーブルの上には今夜のコンサートのプログラムが置かれています。心憎い演出ですね。

20:10頃、お蔵へ移動。
20:30からついにムーンライト・コンサートの開始です。

「華やかにメリークリスマス!」と銘打ったそのプログラムを見て、ちょっと「?」。特別にクリスマスにちなんだ様な曲を選択していないところが高木綾子さんらしいかな、とちょっとほくそ笑んだ私でした。フルート吹きにとっては、「ジングルベル」とか「ホワイトクリスマス」などの曲を聴くよりはこちらの方が嬉しいです。

1)サティ(武満編):星たちの息子
2)ライネッケ:フルート・ソナタ「ウンディーヌ」から1、3、4楽章
3)シューマン:子供の情景から(「見知らぬ国々」「不思議なお話」「鬼ごっこ」「重大な出来事」「トロイメライ」の5曲(だったと思う、、、)
4)ピアソラ:タンゴの歴史から3曲(1990以外)
5)ショッカー:リグレッツ&リゾリューションズ

という意欲的なプログラムでした。
2曲目のライネッケは今年6月に白石ホワイトキューブでも演奏されました。「高木綾子コンサート(三枝成彰の時間)、ほか」の記事を参照ください。
3曲目と4曲目は、一昨年山形テルサ「アプローズ」で聴いた「高木綾子フルートリサイタル2007.10.18」(←の記事参照)で演奏された8曲の中から2曲同じでした。
ですから、1曲目のサティと5曲目のショッカーは生でお聴きしたのは初めて(というか彼女のディスクにも収録されていないはず)。今年の9月に初めてのお子さん(男児)を出産されたばかりの高木綾子さん。確か8ヶ月を過ぎた8月上旬までコンサートをこなし、出産後2か月余りでそれも山形での演奏会が初仕事だったはず。仕事してない時期は3ヶ月強しかないという驚異的な状況。
 プロの演奏家の仕事というのは、肉体的にも精神的にもきついはずです。ほとんどが立ち仕事ですし、移動が多いし、楽器の演奏は身体を使うものですし、当然お客さんからはお金をとっている訳ですから、言い訳や甘えは許されないもの。言うまでもない事ですね。
 それをあのどちらかといえば小柄で細い身体で平然とこなす彼女は、やはり並の精神力ではない方だな〜と思います。そして一旦演奏になれば、曲に入り込むその集中力の高さは相変わらず。お産でボロボロになったはずの身体(妊娠、出産というのは女性の身体を削るもの、出産経験者はほとんど骨粗鬆症に陥ります)をまったく感じさせない、相変わらずの渋く太い低音に、鋭く輝く高音、なめらかな音階、軽快なスタッカートに音の跳躍。
 
 ピアノ伴奏は坂野伊都子さん。2007年の山形テルサ「アプローズ」の時も彼女でした。素晴らしいテクニックはもちろん、情熱的で情感豊かな演奏をされます。4曲目のピアソラでは、アルゼンチンの酒場に踏み込む警察や慌てて逃げる客や店員を表現する様な、靴で床を踏み鳴らす効果音や、手を叩いたり、ピアノを手で叩いたりなどの「演奏」も楽しみました。

 5曲とも素晴らしい演奏でした。私的にはライネッケとショッカーが良かった。音色もそうですが、情景やストーリーが目に浮かぶ様な情感豊かな演奏でした。今まで彼女の演奏会に4回は一緒に行っている家内も、「今回の演奏会が今まで一番感動した」と言っていました。一つには、演奏者がすぐ目の前、手を伸ばせば届きそうな距離で、ブレスを取り、楽器をならし、MCをして、という環境も大きいと思います。
Photo_2写真は「フラッシュをたかないように、、、」という会場係の話が最初にありましたので、堂々と(といっても、心の中ではかなり遠慮気味に)撮影させて頂きました。
アンコールの村松崇継「アース」の時に撮った写真です。2列目の真ん中(真ん中に通路あり)で聴きました。
お蔵の中でのコンサートですし、時間も1時間と少しなので途中休憩はなく、入りもカーテンコールも客席の中央に作った通路を通られます。つまり私の横をお二人とも通って行かれるのです。憧れの音楽家がすぐ傍を通るのでむしろ気恥ずかしくてお顔をしっかり見れませんでした。(^^;;;

 幸せなイブのプレゼントでした。
 そして、演奏会の終わったお蔵から、名残惜しくゆっくり旅館の本館の方に戻っていると、なんとすぐ後ろを高木さん親子(ご主人withベビちゃんも)が歩いて一緒に本館に戻られます。なので自然と演奏会の感謝の言葉を述べ、ご主人に挨拶し、ベビちゃんを見せて頂きました。ロビーに戻って、他のお客様も高木綾子さんと一緒に記念写真。私も家内も一緒の写真を撮らせて頂きましたが、こちらはあまりにプライベートなので載せません。いえ、実は、高木さんがほっそりしていて顔も小さいのにお目目が大きくて、やや太めで顔が大きく目の小さな私とはあまりにもすべてが対照的なので恥ずかしくて載せられないのです。(笑)
 彼女の名前を冠したフルート曲集にサインを頂きました。実は彼女が監修したフルート曲集はこれまで2冊出ていて、古い方には2003年のムーンライト・コンサートで高木さんとピアノの西脇千花さんにサインを頂いており、今回はピアソラの「ブエノスアイレスの冬」と村松崇継の「アース」が加わった新しい方に彼女のサイン(日付入り)を頂きました。
うれし〜〜〜!

コンサートのすぐ後に高木綾子さんとツーショット写真、可愛らしくしかし凛とした表情のベビちゃん(お名前もお聞きしちゃいました)を拝見し、いつも優しそうで素敵なトロンボーン奏者のご主人とも言葉を交わす事が出来、名月荘のコンサートならではの、ふつうなら考えられないシチュエーションを満喫。

その後部屋に戻り、エステを受けに行く家内を見送り、ちょっとコンサートの余韻に浸りながらケーキを食べ、再びお風呂にさっと入って部屋でマッサージをたっぷり受けました。幸せな時間。。。


翌朝、12月25日、クリスマスは金曜日。
朝6時起きで酒田に戻って8時半から仕事をするという選択もありましたが、折角のクリスマスのコンサート。折角の名月荘。ゆっくりのんびりするため「休診」にしてしまいました。

朝、ゆっくりして朝食前に3回目の入浴。
Photo_3こちらは男性用のお風呂。
朝の光が差し込み、温泉のお湯がキラキラしています。
誰もいない、大きなお風呂を独り占めです。

Photo_4Photo_5こちらは外にある露天風呂。
こちらも独り占め。目の前には雪がつもり、奥の小山と竹林に積もった真っ白の雪に朝日が当たってまぶしい程。
思わず、「ア”〜〜〜〜〜」と唸ってしまいます(オヤジです)。

Photo_6お風呂のすぐ前には、いろりがあります。朝はにんじんやトマトなどのフレッシュ野菜ジュースが用意してあります。
前日にはここに「玉こん」があったわけです(高木綾子さんのブログにも「たまこん一気食い。」と紹介されています)

Photo_7朝食は、ダイニングで椅子に座って頂くのですが(メインの部屋には布団を敷きっぱなしでいい訳です、ここは。朝、のんびりしたいのに朝食の用意のため布団を片付けられてしまう旅館って多いですよね)、和食と洋食を好みで選べます。
 昨晩、美味しい和料理に舌鼓を打ったので朝は二人とも洋食にしました。野菜のスープが美味しくて身体に優しい感じ。少し高くあがった朝日が差し込んで、まぶしい朝食のテーブルです。

そういえば、本当に久しぶりにお天気の山形だな、、、

朝食後、まったりコーヒーを楽しみ、さらにもう1回、誰もいないお風呂を独り占めしてゆっくり11時過ぎにチェックアウト。最後の最後まで部屋係のMさんやフロントの方々にもいろいろ心配りを頂き、長く記憶に残る1日でした。
コンサートは素晴らしく、ちょうど雪の積もった名月荘の雰囲気も良く、お風呂も気持ちよく、お料理もおいしく、天気も良く、幸せな時間をいただきました。。。

〜〜〜〜〜
さて、この後は、1日休みの平日。
実は、「アレをして、コレをして、、、」との計画あり。それらのことについては、続きます。


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2009.12.23

パガニーニ「24の奇想曲」、その他

先日、当ブログでもご紹介したように(「名曲探偵アマデウス」)、12/20(日)のNHK-BS HiV放送を録画しておいたので、ようやく観ました。

10/25の酒田フィル定期演奏会にご出演頂き、ブラームスのヴァイオリン協奏曲で我々を魅了して下さった久保陽子さんが出る、ということで楽しみにしていました。
いえ、実を言うと、この番組は、真面目にクラシック音楽に取り組んではいるのですが、コント的なストーリーと演出のバラエティ番組なので、久保陽子さんの出番は44分間の番組中、数分なのではないかと高をくくっておりました。

ところがどっこい、半分とまでは行きませんがかなりの長時間ご登場されていました。
その素晴らしい音色とテクニックでパガニーニの「24の奇想曲」を演奏されるだけではなく、インタビューに応じて久保さんの可愛らしい(失礼!)声と我々酒フィル団員を魅了したあの笑顔も拝見出来ました。
さらに、この曲はこういう風に弾くのですよ、とテクニックをわかりやすく解説されていました。圧巻は9番で見られる重音のフラジオレット(2つの音を同時に倍音のハーモニクスで出す)の連続や、ピッチカートを右手の弓で弾く奏法をしながら、左の指でも弦を弾いて行く演奏法などを解説しながら演奏するところ。

ヴァイオリン演奏の知識は乏しい私でもよく理解出来る。
テレビならではの手元の大きなアップで、久保陽子さんの超絶技巧をしっかりと観る事が出来ます。ご覧にならなかった方は、是非あと2回ある放送のどちらかを録画してでも観る事を強くお勧めします。

放送時間は
1)BS2: 12/25(金)午前8時15分〜
2)NHK総合:1/8(金)午後3時15分〜
です。

新聞などで放送時間を再確認ください。
〜〜〜〜〜

さて、今日は、我が家もついに地デジ化しました。
今まで、旧式のブラウン管テレビを持っていたのですがようやく新型の液晶テレビにし、地デジ対応になったのです。今後の音楽番組の放送(音質が違うはずです)、映画の放映が楽しみです。

そして、明日は半ドンの診療が終わり次第、上山に向かいます。
フルーティスト高木綾子さんのリサイタルが行われる、ムーンライトコンサートのある名月荘にお泊りです。温泉も食事も楽しみですが、何よりも高木綾子さんの演奏を目の前で観られ聴けるのが楽しみ。
ムーンライト・コンサートは6年前に高木綾子さんのリサイタルを聴いて以来、2007年1月に山形チェンバーミュージシャンズ(山響コンマス犬伏さん、元山響Ob奏者竹谷さん、チェンバロ奏者梅津さん)、2007年6月にはN響ハープ奏者早川りさ子さんwith N響打楽器奏者竹島さん、2008年1月にはギター奏者村治香織さんのコンサートを聴きに出かけました。
温泉宿の敷地内の蔵の中で行われる、宿泊者だけを対象にしたプライベートな演奏会なので、演奏者と観客の距離が近く、多くても50名程しか入れないスペースで、文字通り距離感が近い喜びがあります。この「ムーンライトコンサート」が、『ジョンダーノ・ホール』での「サロン・コンサート」のヒントになったのです。

笛の演奏に行き詰まった時や、モチヴェイションが下がった時にいつも私を勇気づけてくれ、また笛に取り組む力を与えてくれる高木綾子さんの演奏。今から楽しみでなりません。

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2009.12.21

山響庄内定期第10回酒田公演を聴く

音楽が大好きな私でも、毎日、楽器を鳴らしたり、毎日CDなどを聴いている訳ではない。
いや本心は、毎日お気に入りの演奏家や作曲家のディスクをノンビリ聴いたり、『ジョンダーノ・ホール」でピアノやフルートを奏でて遊ぶ時間を持ちたい。
しかし、現実は仕事の上にいろいろな予定が入って毎日はできない。
まして、オーケストラの演奏会など、行きたくても行けないときがあるし、山形や酒田でそうそう毎月のようには演奏会もない。


Photo山響の定期は、記念の第200回が11/21(土)、20(日)に開催されたばかり。今回の庄内定期は山形での定期演奏会第201回と同じプログラム。1ヶ月たたないうちに、定期演奏会というのは、山響にしても珍しい。

庄内定期は今年3回目。
7/25(土)の第9回酒田定期(指揮は飯森監督に清水直子さんのバルトークのヴィオラ協奏曲とブルックナー3番)、8/22(土)の第13回鶴岡定期(指揮は阪さんに田部京子さんのベートーベンPコン3番とドヴォ8)から久しぶりの感じがする。

私自身、10/25の酒田フィル定期出演以降、毎週のように行事があり、酒田市民音楽祭、コーロ・プリモ60周年記念演奏会、ソルノク響遊佐・酒田・山形公演、そしてチェコフィル日本公演のサントリーでのコンサート、さらに第6回のサロン・コンサート、そして家の引越しと何かしら毎週週末に用事があったので、腰が浮いたままの状態で2ヶ月があっという間に過ぎた感じである。

12/20(日)、折から庄内地方は例年にない大雪に見舞われて、本来積雪の多い内陸地方よりも庄内の方が積雪が酷いと言う状況。コンサート開演は午後4時なので、久しぶりに日曜の昼間をのんびりしたいところであるが、酒田公演実行委員なのでいろいろノルマもある。
午前中はクリニックに出かけて、まだ終わらない段ボール箱の中身と少し格闘(古い書類、書籍など)。13時過ぎからプログラムへのチラシ挟み込みのお手伝いに向かう。山響FCのMさんとYさんとASさんが酒田まで聞きに来られるという事で、希望ホールロビーで待ち合わせて近くのレストラン「欅」へご案内した。
ゆっくり食事を楽しみたいところだが、私は15:15の開場に合わせて15:00〜開演までのドア係&会場案内の仕事もあるので、14:30過ぎに希望ホールに戻る。昨日GPと本番をやっているので、希望ホールでのGPは1時間足らずで終わったらしく、リラックスした雰囲気の団員さんたちにお会いする。

前日の定期を無事終えて雪の月山道をなんとか越えて来られた山響さんだが、前日の「山形テルサ」での緊張感と感激は保たれているのだろうか。前日に山形で聴いて、引き続き酒田までやってきた「仙台在住」の山響FC会員M氏は「よかったよ〜。感動して涙が出たよ〜。」と前日のコンサートを評していた。今回は「希望ホール」での山響を聴きたいと、私が顔を知る限りでも(上記Mさん、Yさん、ASさんを含め)8名の内陸在住山響FC会員も悪天候を押して駆けつけて来られた。

15:55までドア係をやって席へ。すでにマエストロによるプレトークは始まっていた。
ポーランドを出て来るときは雨が降っていたらしい。冬に雪は珍しくないポーランド人にとっても、今回のこの山形&酒田公演が今シーズン初めて見る雪だったらしい。まだ31歳と新進気鋭と呼ぶに相応しいマエストロは、1曲目にポーランド人作曲家ルトワルフスキの曲を持って来た。2曲目はエルガーの「エニグマ」、ずばり「謎」。そして3曲目の「シベ2」はフィナーレに至るまで、そしてフィナーレを楽しんで欲しい、というような話。

マエストロと通訳のIさんが引っ込んで、いよいよ団員の登場。いつものようにトランペットの井上さんが先頭を切ってステージへ。
チェロの首席は今回も客演で秋田出身のHさん。Cb、ヴィオラ、第2Vnは首席が定位置へ。第1Vnはコンマスの犬伏さんがフォアシュピーラの席に。すると今日のコンマスは高木さんだな、、、とそこへ高木さんが最後に登場し客席に挨拶。拍手が一段と大きくなってピタリとやみます。
Obの佐藤真咲さんの「A~~~」に高木さんが合わせて、Cb,Vc, Va, Vnと調弦。続いてもう一度Obが「A~~~」、管楽器がピッチを合わせます。

さあいよいよマエストロの登場。コンサートが始まります。
ルトワルフスキは吹奏楽の世界では有名らしいが、私は初めて聴く。「小組曲」は4曲構成でユニーク。時代としては現代曲に分類されるのだろうが、前衛的な感じではなく民族性豊かな楽しい曲だった。1曲目の"Fujarka"は「横笛」という意味らしく、ピッコロが先陣を切って民謡的な特異な旋律を奏でます。どうりでピッコロのT女史がGPが終わってもステージ上で一生懸命ピッコロの練習をしていらしたはずだ。ほとんどピッコロソロの時間が結構続く。フルートも登場するけれど、むしろピッコロの付属的な感じだった。ティンパニと小太鼓の合わせ技で”タタタン”というリズムを刻んで魅力的な雰囲気を醸し出す。「ポルカ」「歌」「踊り」と3曲が続き、それぞれに特徴があるのですが、残念ながら「鮮烈で楽しい」というイメージ以外記憶にあまり残らない。でも聴いて楽しい音楽。

プログラムの2番目は、エルガー作曲「エニグマ変奏曲」。
どうも全曲を通して聴いたのは初めての様な気がする。こんなに素敵な曲だったとは!
山響の弦の美しさが、希望ホールの中で際立ちます。管楽器もホール全体に、けっしてうるさくなく豊かに響き渡ります。とても満足しましたが、演奏する側に立つと、聴き映え以上に演奏の難しい曲の様な気がします。特に弦が大変。高い技術を持ったソロ奏者とtuttiが揃っていないといい演奏はできそうにありません。山響の弦のレベルの高さを示してくれたと思います。
といって、管もラクな曲ではありません。これは、酒田フィルで演奏するには厳しい曲だな、、、というのが正直な感想。

この日は、本当に酷い天気で、おそらくチケットを手にしながら来なかったお客さんも結構いらしたと推測。そうはいっても、満席1300弱の希望ホールを半分埋めただろうかという寂しいお客さんの入り。700人はいっていなかったように思う(山形テルサで700人入ればほぼ8割の入り)。しかしそのお陰(?)で、1.9秒の長い残響があまり失われず豊かな響きが得られたのは幸いだったのだろうか。

冬場のお客さんはコートだの、帽子だの、手袋だの、マフラーだのと身に付けるものが多いので、音の吸収が強いと思われる。着衣の少ない季節の観客の2倍以上の衣服量だから、残響は減り響きは悪くなるのが一般的。しかし、少ない観客数のお陰で響きが保たれたのだとしたらちょっと皮肉な感じである。

15分の休憩後、メインのシベリウス作曲交響曲 第2番 ニ長調 作品43。
俗に「シベ2」と愛称されています。
昨年の酒田フィル定期演奏会のメインの曲でした。私はセカンドフルートを担当(ピアノに山形出身の石井理恵さんをお招きして演奏したチャイコのPコンでは私はフルートトップ担当)。

昨年の3月、オペラ「ラ・ボエーム」公演を成功させてから、11月末の定期まで8ヶ月に渡って練習したので、およそ全部のパートが淡いながらも記憶に残っていますし、フルートパートはほとんど覚えています。フィンランドの厳しい冬に凍った湖面に春の風が吹き渡るような弦のさざ波に、森の中の新しい季節の誕生を祝うかの如くオーボエとクラの二重奏が爽やかな歌を送り、ホルンが柔らかく、遠くの山のこだまのように、きわめてやわらかく応えて、曲は始まりました。
 第2楽章の冒頭のCbだけのピッツィカートから始まる部分。山響のCbは4人。さすがにプロ奏者が4本だけですとビタッと統一されています。そこにVcがピッツィカート繋がってきます。ファゴット、そしてホルンの調べが、静かな夜の森の雰囲気を想像させます。途中のフルートの低音。さすが足達先生のAll 18Kマテキフルートは怪しげに太く鳴り響きます。その音色にしびれます。
 第3楽章は弦の速い動きで始まり何となく不穏な雰囲気です。それが一転し、オーボエの牧歌的なメロディ、それがトランペット達に受け継がれ、それを弦がまた繋ぎます。それがまたトランペットの響きで突然に破られて速い動きへ。このコントラストが面白い楽章です。
 山響の弦は10型編成。第1Vnが10、第2が8、ヴィオラが6、チェロが6、Cbが4の合計34名。どちらかというと小型の編成です。ffではtutti全員が弓を目一杯使って一生懸命演奏しているのが分かります。「シベ2」によく見られる、pからfへのクレッシェンドは、管、特に金管では十分にその効果が現れますが、残念ながら弦のこの数では団員がどんなに頑張っても、いくら希望ホールの響きがよくてももう一つ物足りないかと感じました。弦全員がffを奏でる、頭の先から足まで響く様なグヮ〜〜〜ンという感じが足らない。先日のブロムシュテット&チェコフィルではありませんが、16型の合計60名は無理としても、14型の合計50人、せめて12型で44人位いると迫力が違ったと思います。
 山響のブルックナーでは、大編成ではない小型の弦5部が濁りの少ない静謐な演奏を可能にし、大迫力のブルックナーとは一線を画した、美しく感動的なブルックナーを表現して素晴らしいと思います。しかし、今回のコンサートで感じた事は、(個人的な感じ方の問題でしょうが)「シベ2」のような曲ではもっと弦の数が必要なのではということです。トランペット、トロンボーンはいつものように美しいファンファーレ的な部分やコラールを響かせますが、これ以上は出せないという程に張った音ではありません。おそらく弦とのバランスを考えて少しセーブするように指揮者から指示されたのではないでしょうか。または奏者自身が、全体のバランスを考えて音量をコントロールしていたものと推測します。
 管が、パ〜〜ン、ウヮ==ンと来たところに、弦がグヮ〜〜〜ンと来るところが、感動はするのですが、もう一つ物足りなさを感じてしまいました。
とはいっても、第2楽章、第3楽章と美しく感動的な演奏が心をとらえます。第3楽章から第4楽章は間断なく続きます。コントラバスが4人で大きく弓を使って、ブヮ〜ン、ブヮ〜ンと音楽を推進して行きます。全曲を通して、低弦のピッツィカートやアルコで音楽が前に前に行こうという感じが好きな部分です。
 そして4楽章の歓喜のフィナーレへ。弦が奏でる美しい喜びのメロディ。ここはやはり第1第2Vn計18名ではなく、26~30名の音量で聴きたい感じがします。コンマスの高木さんは椅子から落ちてしまうのではないかと思う程に体全体を使って精一杯の演奏をされています。Tuttiも弓をいっぱいに使って演奏しています。ただ、この日の希望ホールの響きはまだ余力のあるもので、コントロールされた演奏の美しさは感じましたが、オケが頑張って演奏している程の迫力が感じられなかったように思うのです。ごめんなさい。個人的な印象ですので。
 トランペットのファンファーレ。美しい。山響の金管は山形の宝だ!と言いたいくらいです。フィナーレは井上さんもベルを上に向けてホール全体に響け!としかし張り上げる事なくコントロールされた音でした。そう、全体を通してよくコントロールされた演奏だったと思います。これは指揮者の特色なのかもしれません。しかし、色彩感豊かで情景が目に浮かぶ様な素敵な演奏でした。これは演奏はもちろんのこと、やはり曲がいいのだと思います。

この日の素晴らしい演奏をおそらく700名足らずの観客しか聴いていなかった事は残念なことです。実行委員会としてはもっと集客を頑張る必要があります。しかし、秋から冬にかけて、あまりにもイベントが多すぎて、少し疲れたというのは偽らざる心境。折角の山響の素晴らしいパフォーマンスをもっと多くの人に聴いて頂きたいと思います。

Photo_2終演後、ホワイエで交流会が行われ、いつもの関矢先生の司会で、プレトークの時に通訳をされた泉川さんが続いて通訳を務められます。通訳が入るとどうしても2倍かかってしまいますのでいつもより短時間に、比較的あっさりしたインタビューでした。
 今回、マエストロ・ドヴォジンスキにとって生涯初の来日で、初めて日本のオケを振ったのが山響だったということ。山形と酒田が彼にとっての日本デビューだった訳です。しかし、来春には東京で指揮をすることが決まっているとの事。私の知っているハンガリー人やチェコ人と共通する様な、少しはにかみながら温かい笑顔でお話をする様は、イギリス人やフランス人やアメリカ人などとはどこか違う、中央ヨーロッパ〜東欧の雰囲気を持っています。
 これも残念だったのは、あまりに外の天気が悪いため、終演後、多くの観客が我先にと帰路についてしまい、「交流会があります!」という声をかけてはいたものの、ホワイエに残ったのは100名いたかどうかと言う感じでした。天気も悪かったし、希望ホールの構造上、2階以上の席の方は階段を下りてくると出口がすぐで、ホワイエは逆方向だというのが影響しているかもしれません。1階席も、袖側のドアからホールを出てくるとやはりホワイエに戻るよりは出口に自然に足が向いてしまいます。

 団員の方は、ヴィオラのKご夫妻やコンマスの高木さんくらいしか見かけませんでした。皆、帰りのバスに素早く乗って山形に戻られたのでしょう。お疲れ様でした。
〜〜〜〜〜〜

Photo_3昼にMさんたちと「欅」で「魚ランチ」や「クレープランチ」をご一緒したので、夕食は軽く、、、とか考えていたのですが、この寒さの中、急にアルバのカレーが食べたくなりました。
私が注文したのは、「二食カレーにトンカツトッピング」です。いわゆるカツカレーとはちょっと違います。左側にビーフカレー、右側にチキンカレーが盛られているのです。(ちょっと慌てて撮ったのでピンぼけです)

外は雷に雪に時折突風が吹いて霰が降るというお天気。
「山響さん、FC会員の皆さん、無事に帰られただろうか、、、」と少々心配しながら、そういえば久しぶりに腰を落ち着けて音楽を聴けた様な気がしていました。ただ、自分が昨年演奏した曲がメインだっただけに、冷静に音楽を聴くのではなく、演奏者の立場で聴いてしまう事は避けられず、純粋に音楽を楽しんだのかというと疑問が残りました。

今年も残り10日。
「事業仕分け」問題は決着していませんが、山形県民が誇るべき我らが山響の演奏会は来年も、来シーズンもすでにスケジュールが決まっていてプログラムも発表されています。モーツァルト定期と同じようなプログラムで1月に新庄、2月に庄内町響ホールの公演もあります。練習日に重なっているので厳しいのですが、1/30には再び久しぶりの千秋先生指揮の特別演奏会があり、お嬢さんの千尋さんがシベリウスのVn協奏曲を演奏されます。
H18年11月、日本神経内視鏡学会を山形で開催した際に、海外からの演者もお招きした会長招宴の席で、千尋さんや山Qの駒込さん達に弦楽四重奏の演奏をお願いした縁でよく存じ上げています。できれば聴きに行きたいのですが。

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2009.12.20

山形で同門会

12/19(土)、数日来の大雪、特に庄内地方から出羽三山にかけての例年にない大雪を押して山形まで往復しました。大学の脳神経外科医局の同門会幹事会、総会があったからです。

普段ならば酒田ー山形間は車で1時間半、余裕を見ても2時間はかかりません。しかし、雪道なので2時間強かかることを見越して早めに出発。なんとか1620過ぎにGホテルに到着。まずは1630からの同門会幹事会に出席、続いて17:00過ぎから総会に出席しました。

H21年の1年間の同門の活動報告、新入会(すなわち新しい脳外科医の誕生)、学位取得者の要旨発表、同門会賞の授与式(この1年間で最も優れた研究論文の著者を表彰)などが粛々と行われ、最後に例年には行われない「会長講演」が行われました。

勤務医代表として、国立大学から初めて選出された、新しい中央社会保険医療協議会、いわゆる「中医協」の委員である同門会会長の嘉山教授が特に中医協委員となってどのような活動をしているかを中心に、我々凡庸の者が現在の医療の状況、現在の政治の状況、現在の日本の状況を理解するに必要な情報を教えて頂きました。

その中で、来年の医療に関わる大切な話がありました。
来年度の「診療報酬」のことです。
前政権下で医療費の根幹の一つである診療報酬は減額に次ぐ減額が進められてきました。様々な経済情勢の変化の中で、株価や物価や平均給与などは変動するのは当たり前です。しかし、現在の診療報酬改定率(?GDP比率だったか?)は1981年、今から28年前のそれよりも低く抑えられてしまっているのです。この28年間の間に医療はどのくらい進んだでしょう。1981年、昭和56年頃は、日本のほぼ全都道府県にCTが普及しましたが、まだ3次元造影CTは実現していません。MRIもMRAもありません。脳外科の手術に顕微鏡を使うのはすでに当然の技術にはなっていましたが、内視鏡手術の技術はありませんでした。ガンマナイフはまだありません。当然、カテーテルで脳動脈瘤を閉塞する技術、GDCコイルなどもありません。

今や、脳の手術中に手術室のMRIで頭を開いたまま検査をして、腫瘍を取り切っているかどうか、切り込んでも安全な領域はどこまでなのかを知る事が出来る時代になっています。頭に穴を一つ開けただけで、そこから内視鏡を脳室内に挿入し、脳内の手術が行えるようになっているのです。
そういう時代の医療費=診療報酬がどうして28年前よりも低く抑えられているのでしょうか。どうしてそんな、経済原則にそぐわない事が成り立っているかというと、医者の人件費というものが無視されて来たからです。医者の技術料が不当に低く抑えられて来たからです。

それを分かりやすく、中医協の会議の現場で「ど素人」の委員(医療の現場を知らない人たち)に説明すべくパワーポイントによるスライドを使って説明されたのだそうです。なんと、中医協の会議でそういうプレゼンテーションが行われた事自体が初めてだったとの事。驚きです。

たとえば山形大学医学部付属病院で高度先進医療の一つである、「覚醒下開頭脳腫瘍手術」が行われる状況をスライドを使って説明します。実は、現行の診療報酬体系にそのような手術名はありません。すなわち医療の現実に追いついていないのです。ですから、単なる「開頭脳腫瘍手術」=82,000点という診療報酬しかありません。手術代が82万円ということです。患者さんはその1〜2割を自己負担しなければなりませんから、82,000円から164,000円の支払いを迫られます。
国保または社会保険支払い基金から残りの8~9割が病院の請求に応じて2ヶ月後に支払われます。
そうやって病院にはその一つの手術につきて82万円のお金が入ることになります。

その料金はどうやって計算されているのでしょうか。
「覚醒下開頭脳腫瘍手術」を実施するためには、優れた技術を持つ脳外科執刀医1名、訓練された助手2名、開いた頭の表面に出ん電極を置いて脳の機能を詳細に調べる医師(脳外科医、神経内科医など2、3名)、手術用ナビゲーション装置や術中MRIを実施して執刀医を助ける脳外科医、技師各1名、そして麻酔、この場合覚醒下手術を行うための特殊な麻酔を行う麻酔科医2名、手術のサポートをする器械出しナース、交代用ナース、外回り(器械や薬品の準備)ナース各1名。。。
ざっと考えても一つの手術に医師が8名程、ナースが3名、技師が2名と合計13名程の「専門家集団」がおよそ6、7時間は集中して働いているのです。そしてこれらの「専門家集団」が手術に集中出来る状況を整えるために、手術部全体が動き病院全体が動いています。
この手術を行うために使われている手術用顕微鏡は一台3500万円、麻酔&患者監視システムが2000万円程、術中MRIに至ってはシステム全体で5億、6億円という代物です。それを購入した病院が減価償却を考えて8年程でそれらの機器の「元」を取ろうと思えば、1年間に上記の様な大変な手術を100件やったとしても、82万円 x 100=8200万円、それを8年続けて6億5600万円。
これで術中MRIシステムの元が取れるかどうかぎりぎり。手術に使用する薬品、手術器具代が賄えません。当然、医師の技術料は「0」、人件費も「0」として計算しなければなりません。

もちろん、他の種類の手術もたくさん行われており、年間200件近い手術を一つの脳外科でやっているのですが、実際に「覚醒下開頭脳腫瘍手術」のような高度先進医療はたくさんやっている病院で5件とか6件というのが現状です。手術の「診療報酬」で手術に関わる人と物の「代金」を賄って「黒字」を出す事は最初からムリな話なのです。

さらに、国立大学付属病院で働く医師は、厚生労働省管轄の病院に雇われているのではなく、文部科学省管轄の医学部に所属する「文部科学教官」(つまり学校の先生の扱い)ですから、医師としての技術料とか給料は一切もらっていない計算になります。ですから教授や准教授ですら、「手取り」の月給は30万円とか35万円という額になります。
中学校の教師だった家内が、国立大学医学部准教授だった私の給与を見て、その低さに驚いていました。

医学部には、医学教育、医学研究という大切な役割があります。そこに勤務する教官がそれに相当する給与をもらうのは理解出来ます。しかし、加えて医学部付属病院で医師として勤務している「医療」を担う大切な役割も負っています。これを厚生労働省は、「医学部の教官は文科省からもらう給与で医療(厚生労働省管轄)も行いなさい」として来た訳です。

ところがところが!
大学病院などの巨大で立派な建造物やその中に設置するMRIや放射線治療装置や内視鏡室や様々な医療機器などは、それぞれの医学部、医学部附属病院が自分達で買いなさい、一応補助金は上げます、足らない分は借金してその借金は自分達で「稼いで」返しなさい、ということでずっと来たのです。
それが「おかしい!」と声を上げた医師、大学病院医師、文部科学教官は今までいなかったのだそうです。

いくら独立法人化したとはいえ、国の施設、国民の健康を守るための国立大学の医学部、その附属病院をそこに勤務する医師、ナース、技師達が働いて「稼いだ」お金で賄いなさい、という話だった訳です。しかし、その収入源は「診療報酬」という形で決められ制限があります。しかも政府の方針として毎年のように削減されて来たのです。

上記の例で説明したように医師の技術料を低く評価し、人件費はほぼ「0」と言っていい考え方で、収入源である「診療報酬」は減額を続け、病院を建て替えたり建て増ししたり最新の医療機器を購入するのは借金して自分たちで返しなさい、という考え方で来た訳です。
一人一人の医師の給与が高いとか低いとか、妥当だとか不当だとか言う前に、国民の健康を守るために働いている現場の医師やナース達の「特殊技能を修練して会得して来た限られた人間」としての存在を無視して来た訳です。医師は医師で、けっして高収入を得る事を目的に医師を目指した訳ではないので、「給料が不当に低い!」などと声に出す事は下品(いわゆる労働者としての権利を振りかざす事は恥ずかしい?)な事のように考え扱って来た様な状況です。

こういった事を「声を大にして」中医協の会議の席で、医療の「現場の声」として伝えようとした委員は今まで居なかったのだそうです。

来年の「診療報酬」は、現時点の目標として6000億円の増額です。そのうち半分の3000億円は、上記のような特殊手術を行ったりする「特定機能病院」に回し、残り3000億円で通常の大病院、そして医療の現場を担っている中小の病院に回るように「診療報酬」を改訂増額する方針を明らかにしています。
いわゆる開業医の診療所には「増額」はありません。しかし、少なくとも「減額」はないそうです。

これとて、新政権の下でも、「開業医の年収は勤務医の1.7倍だ」などというデータを操作して造りだした様な情報で国民を納得(洗脳とも言う)させて、開業医の診療報酬を減らしてその減額分で病院の診療報酬を増やそうという「姑息」な手段を使おうとすらしていたのです。

開業医とは、いわば個人商店主です。商店主と会社勤めのサラリーマン(=勤務医)の年収を比較する事自体がもともとナンセンスなのですが、さらにたくさんの矛盾を含んだ比較なのです。
「開業医」という定義が不明瞭ですが、必ずしも保険診療を行わない(たとえば美容形成外科など)医師も、大成功している開業医もそうでない開業医も、開業して何十年の医師も数年の医師も含まれている可能性があります。
これを一般社会に置き換えると、シャッター街になっている寂しい商店街の零細個人商店主も、郊外で大型スーパーを成功させている社長さんも、安定した経営を何十年も続けている商店主も、新しく起業したばかりで多額の借金を抱えている商店主も全部含めているわけです。

しかも、開業医というのは「医師」の一つの形態であり、医学部を卒業してすぐに開業医になる医師はほとんど居ないのです。まずは大学か市中病院で研鑽し実力をつけて勤務医として働き、短い者で5、6年、長い者では30年程の「勤務医」生活を経てから「開業医」になっている訳です。
一般社会に置き換えると、大学を卒業して一流企業に入社し仕事を覚え、関連会社の出向し、いろいろなコネを作ってから起業家として自分の小さな会社を持ったという形です。会社勤めのサラリーマンと起業した社長さんの年収を比較して、「(大中小すべての)社長の年収は(大企業から零細企業まで)サラリーマンの1.7倍だ」と言っている事に近い訳で、比較すること自体がおかしなことなのです。

もちろん、凄い年収の開業医も少なくない事は事実です。
しかし、医学部を卒業し、特殊な技能を身に付け、勉強を続け、さらに開業して経営手腕が優れていて、多くの患者さんに人気を得て繁盛している診療所が収入が多くてはいけないのでしょうか。
サラリーマンを辞めて、自分の得意な能力を活かして起業した人が成功して高収入を得てはいけないのでしょうか。

私に置き換えてみれば、開業医という者は医学部を卒業して医学部や関連病院で24年間、病院勤務脳外科医を続け、多額の借金をして、またリース料金とクリニックの家賃を払って開業している訳です。日々の診療で得た医院としての収入(これも中医協が決める診療報酬で決まる)の中から、借金返済、MRIのリース代(これだけで月に100万円以上!!!)、家賃、人件費、光熱費、医薬品購入代、その他の医療関係費、雑費を払っています。経費として認められる分を差し引いた収入から経費としては認められないものを支払った残りが、「本当の収入」です。ですから、病院勤務医のたとえば部長や副院長クラスの人は明らかに現在の私(=開業医)より収入が上なのです。
しかも、開業医は自分が倒れたら終わりです。病気で休んだ日は収入が「0」な訳です。法人化してそこに雇われた医師の立場にならない限り、賞与も退職金もありません。老後に備えて自分で必死に貯蓄、財形するしかありません。

長くなりました。上にも書いたように「お金の話」になると、品がないというか、医師としての理念に反する傾向が出るのでこれ以上はやめておきます。
ただ一般市民の方にご理解頂きたいのは、今までの診療報酬体系がおかしいということ、病院勤務医、特に国立大学医学部の医師の給与体系が変である事、開業医の年収が勤務医より多いという比較をする事自体がおかしい事、開業医の中には勤務医よりも低い収入の者がいることを知って頂きたいと思いました。

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2009.12.17

またまた「のだめ」ワールド

1217雪降ってます。鶴岡の方はもっと酷いそうですが、写真は本日お昼過ぎに撮った、クリニック2階にあるエアコン室外機の上に積もった雪です。まったく雪かきをしていない「手つかず」の場所はこの位(およそ40cm程)積もっています。
〜〜〜〜〜

さて、12/19(土)、映画「のだめカンタービレ 最終楽章」がいよいよ封切りです。

H18年の秋にフジ系TV放映でブレークしましたが、元々は女性漫画誌「KISS」の連載漫画。2001年から連載が始まり、今年終了しています(作者の手の病気?のため、中止になったと言う話を聞きました)。
私は単行本になってから出会い、2003年にまとめ買いしてから買い続けています。
市民オケに参加し、クラシック音楽に興味を持つ者としては「ツボ」をつつかれまくる漫画なのです。しかも、主人公の「のだめ」こと野田恵は福岡県出身で切れたときなど九州弁をまくしたてる、オーボエ奏者「野武士」ことクロキンは私と同じ名前ということなど、さらに「ツボ」を刺激されました。

この映画「〜 最終楽章」封切りを記念かつ宣伝を兼ねて、明日12/18の夜、明後日12/19の夜と2夜連側でフジ系TVで「のだめ」が放送されます。
H20年の正月に、H18年秋のドラマ11話の続編として「ヨーロッパ編」が放送されたものを再放送する訳です。

明日夜のヨーロッパ編第1話をご覧になったら、是非ご注目頂きたいシーンがあります。
音大を卒業してパリに留学することになったのだめと、ヨーロッパで指揮者コンクールを受ける予定の千秋真一は、パリに行く前にプラハに立ち寄ります。千秋が子供の頃に指揮者になろうと憧れたヴィエラ先生(本物のチェコフィル首席指揮者ズデニェク・マーカル(マーツァルと発音するのが正しいらしい)が演じます)が指揮するチェコフィルのコンサートを「ルドルフィヌム」に聴きに行くのです。
当然、本物のチェコフィルが演奏しているシーンが収録されています。

オケが映った時に木管奏者を見て下さい。
セカンド・フルートにロマン・ノヴォトニーが(トップは確かピヴォタ氏)、サード・ファゴットにオンジェ・ロスコヴェッツが座っています。残念ながら、オーボエのヤナはこの時は降り番だったようで映っていません。

別のシーン、千秋が指揮者コンクールでR・シュトラウスの「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」を指揮する時、演奏するオケは多分プラハ放送響ですが、クラのトップにヴォイチェフ・ニードルが座っています。もじゃもじゃ頭なのですぐにわかります。

ロマン、オンジェ、ヤナ、ヴォイタの4人に、ベルフィル・首席ホルンのラデク・バボラーク(バボちゃん)を加えた5人がプラハ音楽院卒業生で構成しミュンヘン国際音楽コンクール優勝の実績を持つ「アフラートゥス五重奏団」です。彼らが庄内に2度演奏旅行に来て以降、交流が続いています。

2007年5月にプラハに行った際、「⑧「中央ヨーロッパの旅」:5月13日、プラハ2日目」の記事の下の方に、バボちゃん以外の4人と一緒にビールを飲んでいるときの写真があります。
先月11月23日にサントリーホールに出かけた時には、「ブロムシュテット&チェコフィル・サントリー公演を聴く」の記事の下の方に、ロマン、オンジェの2人とビールを飲んでいる写真があります。

この人たちが、「のだめ」のドラマに登場するのです。
映画「おくりびと」に飯森さんや山響のよく見知った団員が出て来たり、酒フィルの仲間が出て来る以上に興奮してしまいます。

今週末封切りの映画には出て来るのでしょうか。
テレビで映画の宣伝を見る限り、千秋真一を演じる玉木宏さんの指揮ぶりは、驚くべき進歩です。山響音楽監督の飯森さんが何度も指揮法を教え、演じる曲の自分の指揮姿をDVDに収録して贈ったり、ヨーロッパでも直接指導したと聞きました(飯森さんのブログにもそのように書いてあったように思います)。格段の進歩、プロの指揮者でもこれほど振れるか?!という指揮姿のように思います。
努力されたのでしょう。
局さえ違わなければ「題名のない音楽会」の名物シリーズ「あなたも指揮者に!」の審査員になることでしょうが、、、(笑)
〜〜〜〜〜
「のだめ」のテレビが明日、明後日です。そして山響のコンサート、定期が明後日山形テルサで、12/20(日)は酒田市民会館希望ホールです。

ここで私が関わる来年のコンサート情報の早めの告知。

サロン・コンサート第7回は来年2月20日(土)、『ジョンダーノ・ホール』に山形弦楽四重奏団(山形Q)をお迎えして、当ホール初の「弦楽四重奏の午後」を計画しています。

サロン・コンサート第8回は来年5月1日(土)、『ジョンダーノ・ホール』に山響首席フルート奏者足達祥治さんと山響定期にもたびたび出演されるハープ奏者内田奈織さんをお迎えして、「フルートとハープの夕べ」を計画中です。

Photo上記、サロン・コンサート第7回の翌日、2/21(日)なのですが、左のチラシのようなコンサートもあります。
同じ日じゃなくて良かった〜〜〜。
チェロの岩崎洸さんは、来年の酒田フィルの定期演奏会に出演して頂く事が決定しています。
(個人的にはエルガーのチェロコンを、と思っていたのですが、選曲委員会の方でいろいろ考えた挙げ句、「ドボコン」になりそうです)

漫画でも映画でも、きっかけは何でもいいですから、これまであまりクラシック音楽に触れた事がなかった方や興味のなかった人が、興味を持ち好きになってくれるといいな〜と思います。
そして庄内周辺の方は、是非当院の『ジョンダーノ・ホール』での「サロン・コンサート」に足をお運び頂ければ嬉しいです。

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2009.12.16

冬将軍第一波

雪降りました。
積もりました。
昨日の朝は、霙まじりで粒の大きめな雪。あっさり雪かきして仕事開始。

1214今日はしっかり降りました。
朝、早めに出かけて来て雪かき。スタッフ総出で雪をかきます。
今年は新兵器を二台も導入。
ホンダの「ユキオス」です。ガソリンで原付バイクエンジン程度の馬力のミニミニブルドーザーみたいなものです。
「こんな除雪機」です。
乗り物ではないので免許入らないようです。1.8馬力だそう。馬1.8頭分か。結構なパワーだと思うけど。

1214_2昼休みにスタッフが「ユキオス」で除雪しています。
午前の診療が終わってのんびりしたいところですが、働き者のうちのスタッフは朝雪かきしてある程度綺麗にしたところに、さらに降り積もった雪を片付けているのです。患者さんの駐車場の線や車止めが見えないと危ないですから。

普通のスノーダンプや大型のスノースコップ(強化プラチック性の雪かき専用)もありますので、ちょっとした雪をかくにはその方が手早く出来るかもしれませんが、広い範囲の湿った重い雪かきは腰に来ます。ユキオスを使うにも力はいるのですが、小柄な女性でも結構スイスイ雪をかきます。

今年は雪が少なそうだ、と予想している人もいましたが、昨年より本格的な積雪は1週間程遅かったものの、ついに冬将軍の到来です。朝、昼と雪かきをしても、午後もずっとしんしんと降り続き、駐車場のスペースがわかりにくくなります。働き者のうちのスタッフは、午後の患者さんが少なくなった時間を見計らってまたユキオスで除雪作業です。

今、19時過ぎですが、まだハラハラと降っています。今晩中にもっと積もりそうです。
明日の朝も除雪作業から仕事開始ですね。

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2009.12.15

「名曲探偵アマデウス」

クラシック音楽に興味のある人はご覧になった方も少なくないのでは?と思います。
このNHKの音楽番組、正確なタイトルは『NHKクラシックミステリー 名曲探偵アマデウス』。

主人公は、天出 臼夫(あまで うすお)という名前の探偵。
探偵事務所の助手が響 カノン(ひびき かのん)。この二人で毎回悩みを抱えた相談者の問題を探偵として解決するという筋のドラマ仕立て。
おふざけのバラエティかと思えば、これが結構真面目に取り組んでいます。

ある交響曲のスコアを分析したり、旋律を分解したり、演奏を解析したりして、音楽の謎に挑む。来年の酒フィル・ファミリーコンサートでも取りあげるホルストの『惑星』の中の「木星」の回の時などは、冒頭のディヴィジの第1第2ヴァイオリンでそれぞれ違う音階を、入るタイミングをずらして繰り返すことで、複雑な和音が続いて宇宙の響きを作る段の解説を聴いて感心しました。

Photoこの番組に、先日、酒フィルの定期演奏会で素晴らしいブラームスを聴かせて下さったヴァイオリニストの久保陽子さんが出演されますので、ここで告知です。(写真は定期演奏会のチラシ、すでに懐かしい!)

久保陽子さんは、事件ファイル#53「呪われた超絶マジック」というタイトルの回に出演し、パガニーニ「24の奇想曲」を演奏されます。

放送予定は

1)BShi:12/20(日)午後8時15分〜
2)BS2: 12/25(金)午前8時15分〜
3)NHK総合:1/8(金)午後3時15分〜

正確な日時は新聞などで再確認をお願いします。特に12/20の回は、いつもと放映時間が違います。

ミステリードラマの中で、音楽の持つ意味を分析して謎を追求すると言うスタイルですので、実際に久保さんが演奏する出番は数分の事かもしれません。でも久保陽子さんの演奏にあまり触れた事のない方に、是非、この機会にあの素晴らしい音色、魂のこもった演奏スタイル、一音聴いただけで魅了される音楽を聴いて欲しいと思っています。

「名曲探偵アマデウス」のHPは「こちら」です。是非ご覧下さい。

〜〜〜〜〜
もう一つ、音楽の話題。
Photo_2今週末、12/20(日)は、山響庄内定期第10回酒田公演です。
「シベ2」です。
楽しみです。

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2009.12.14

もう一度、「ドヴォ7」

12/13(日)、山形テルサ大ホールで、山形大学フィルハーモニーオーケストラ(略称、「大フィル」)の第27回定期演奏会が開かれたので聴きに出かけました。

16:00開場、16:30開演なので、13:00頃酒田を出て、まずは昼食を鶴岡の「ファイヤーボール」で。
気軽にパスタを食べたい時、最近のお気に入りの店です。酒田市内からは30分位で行けますし、山形自動車道の鶴岡ICに近いところが便利です。
Photo「ファイヤーボール」には13:30頃着いたのですが、14:00から団体のパーティ予約が入っていて、我々は一つだけ空いていたテーブルに案内されましたが、続いて来たお客さんは皆断られていました。運が良かった。
「黒板メニュー」の中から、家内は「チキンとなすのトマトソース スパゲッティ」。私は「豚ホホ肉のトマトクリーム スパゲッティ」。前回来た時に注文した、鳥ノド肉のトマトクリームスパと同じソースでしたが、豚ホホ肉が柔らかくてフォークで簡単にほぐして食せました。

14:20に鶴岡を出発、15:40に山形に到着。某自動車ディーラーにちょっと寄って、山形テルサを目指しました。
Photo_2Photo_3霞城セントラルの周辺はクリスマスの飾り付け、電飾が一杯。
山形テルサすぐ裏の駐車場はさすがに混んでいたので、いつもの霞城セントラル横の屋外駐車場へ。


Photo_416:30丁度にコンサート開始。まずはステージに団員登場。
むむっ!弦が多い。第1ヴァイオリンだけで14人は居そうだが、第2ヴァイオリンもヴィオラも14人位いそう。チェロも12人位いるようだ。

Photo1曲目は、ベートーヴェン作曲「コリオラン」序曲。
いきなりジャ〜ンと弦のtuttiから始まりますが、ピッチが揃っていて美しい弦の響きにまず驚きました。「去年と違う!」と最初の一音を聴いただけで思いました。

2曲目はグノー作曲 歌劇「ファウスト」バレエ音楽より抜粋。
これやった事あります。私はピッコロ(フルート持ち換え)でした。
バラエティに富む曲を見事に演奏していました。バレエ音楽の優雅さ、リズム感という面ではもうちょっとという感じがありますが、これはアマチュアオケには共通のものでしょうか。ちゃんと演奏する事が先に立ってしまい、十分に「踊り」を意識しているかと言うと少し物足りなかったでしょう。それは私の所属する市民オケでも同じです。

さてさて、休憩を挟んでついにメイン。
ドヴォルジャーク作曲 交響曲第7番ニ短調作品70。
10/25(日)に我が市民オケでやったばかり。自分としては正直言って演奏するだけでアップアップで、どこまで作曲家の意図を汲んで音楽を奏でられたのか、1ヶ月以上たった今でも反省しきりです。
「自惚れ」屋の私でさえ、自分の演奏に批判的な耳で聴くのに、今回の演奏、冷静に第3者的に聴くことはできません。なるべく批判的に聴かないように、温かい目(耳)で見守ってあげたいと思いました。

しかし!良い意味で裏切られました。
素晴らしい演奏でした。とても丁寧に、ごまかさずに、真摯に練習し音楽に向き合ったことがとてもよくわかる演奏でした。指揮者の考えでしょうが、第4楽章がちょっと遅すぎるように感じましたが、それも速いパッセージをきちんと演奏しようとしていたからでしょう。

指揮者の島森浩氏は酒田フィルとも非常に因縁深い方です。私は島森さんの指揮で演奏した経験はないのですが、酒田フィルの1987年の旧ソビエト演奏旅行、1993年の最初のハンガリー・ソルノク演奏旅行には打楽器奏者として参加されています。

「大フィル」のドヴォ7を聴きながら、心の中では自分も一緒に演奏していました。ですから、純粋に音楽を楽しみ感動する余裕はなかったのですが、安心して聴く事が出来ました。

Photo_5盛んな拍手を受け、アンコール。ポルカの演奏中、私はアンケートを記入していたため見落としたのだが、コントラバスは自分たちが弾いていない時に、曲に合わせて楽器をくるりと回して遊んでいたらしい。「のだめ」のよう。そういえば、「のだめ」の映画は今週末封切りですね。
写真はアンコール演奏終了後のステージの様子。
皆、よく頑張りました!その頑張りにBravo~!!!

~~~~~
帰りは、折角山形に出かけて夕食を食べるとなれば、「竜馬」へ。
Photo定番の三色味噌炒め定食とレバニラ定食で満足。
レジの横に「頑張れ!モンテディオ!」と手書きの応援の字。聞くと、お店の女の子が頑張って書いたのだそうです。モンテの選手も「竜馬」でガッツリ食べて行っているとの事。
Photo_2親父さん、ちょっと老けたけれど一日中頑張って一人で厨房に立っています。老けるはずだよね、東原に店があった頃、私が学生時代、定食を食べに行っていたのは昭和53年、54年。今から30年前ですから。

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2009.12.10

今日の鳥海

今日は朝からとてもいいお天気。
放射冷却現象でしょうか、道行く多くの車のフロントガラスが凍っていたのをなんとか溶かして走っている状態でした。早朝はかなり冷え込んだようです。

ここのところ、雨、曇り、霙などのお天気でしたが久しぶりに雲一つない青空です。
1210こんな日の鳥海山は美しいのです。
これは朝、8:30少し前くらいの鳥海山。東からの朝の光を浴びて、積雪部の谷などの凹凸がわかりやすく立体感のある美しさです。

1210_2こちらは午後0時半〜1時の間くらいの鳥海山。
全くも一つなく、白銀の背景の抜ける様な青空が印象的です。山の立体感は朝の方がくっきりしています。

1210_3そしてこちらは、、、
あ!しまった!
夕陽を浴びる赤鳥海を撮ろうと思って、午後4時過ぎに一度見たときはやや赤みがかった程度で「もうちょっとかな?」と目をそらしパソコンでメールを書いていて、4時20分過ぎに見た時には、遅かった!かなり暗くなって、積雪部の赤みは薄れて全体に薄暗くなってしまいました。

しかし、今日のように日の出(は見ていませんが)から日没まで、鳥海山に雲一つかかっていない日は冬には珍しく、素晴らしいお天気でした。午後休診だったので昼食を食べに出たときはコートを脱ぐ位でしたが、朝夕はマフラーなしでは寒いという感じです。

今日は、午後に山響の首席フルート奏者足達先生が、酒田の某高校でのレッスンの合間に寄って下さいました。まだ細かいことは決まっていませんが、来年、平成22年の5月1日(土)に「ジョンダーノ・ホール」でフルートの足達先生とハープの内田奈織さんのリサイタルを開く計画を進めています。
ハープの内田さんは山響の演奏会にたびたび出演されています。昨年の2回目(通算第5回)のモーツァルト定期で足達先生が「フルート&ハープ」を演奏されたときのハープも内田さんでした。この時の演奏会の記事は、「第5回山響モーツァルト定期を聴く」をご参照ください。

足達祥治先生、「ジョンダーノ・ホール」初登場!
さらにハープも初登場!
来年の5/1(土)、連休の初日ですが、今から楽しみです。


〜〜〜〜
さて今日のオマケ。
Photo今日で4回目かな。駅東の麺屋「新三」のこってり醤油ラーメン。
あの有名店「麺屋 武蔵」で修行したと言う若い店主。キビキビしていて気持ちがいい。
そして旨いです。寒い日にはこってりが合います。

明日も天気だといいなぁ。。。

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2009.12.09

なかなか落ち着かない

荷造り、搬出、搬入までは終わっても、荷解きは簡単には終わりません。引越をした12/6以外は私も普通に仕事をしていますので、なかなか手が回りません。
Photo写真は、院長室に運び込んだ本類の段ボールの今日の状況。
「1日1箱片付けよう」とは思っているのですが、古い書類や文献の処理に戸惑います。思い切って捨ててしまえばいいのですが、米国留学中の研究データなどが出て来ると、頑張った自分の姿が思い起こされおいそれと「ゴミ」に出来ないのです。

段ボールを開けて、本を出して院長室の本棚の空いているスペースに並べるのですが、昼休みと診療終了後の夜にやることになりますのでなかなか進みません。

1209こちらは本日の「お向かいさん」。前回の写真から6日経っています。摩擦杭が徐々に埋め込まれているようで、その分出て来た土が横に積まれています。
一見変わらないように見えますが、少しずつ着実に完成に向かっているはずですね。

元々外食の好きな人間ですが、引越すると外食が多くなります。まだまだ荷解きは終わっていませんのでゆったり家食という感じではないのです。
引越し3日前の先週木曜には、お気に入りの蕎麦屋「めだか」へ。
Photo_2Photo_3左は板蕎麦(外二蕎麦)の辛み大根おろし。こしが強くて顎が疲れますが、旨いです。
右はおろしぶっかけ蕎麦(二八蕎麦)。ウマウマです。

Photo_4引っ越し前日の土曜日の昼食は、久しぶりに東中ノ口の三日月軒。
シンプルな「酒田のらーめん」です。私的にはここの「乱切り麺」がお気に入りです。もちもちの麺と、少し物足りなさを感じるくらいのあっさりした、しかし奥の深いスープに定番の具です。

Photo_5引越し翌日の月曜の夜は、最近食べていなかったお好み焼きを、ということになり、酒田中町の伝統の店「土味」へ。
こちらはオーソドックスな「お好み焼き」。注文を受けて御主人が手際よく焼いてくれ、それを奥さんがササッとテーブルに運んでくれます。テーブルの鉄板の上で熱々のまま食せます。
Photo_6こちらは焼うどん。同じように御主人が店中央の鉄板の上で手際よく焼いて、奥さんが運び、テーブルの鉄板の上へ。
タレがやや甘めで濃い味です。関西系の鉄板文化で育った私には、やや味が濃い、甘さも塩分もちょっとキツい感じがしますが、東北の味付けで育った家内は「ちょうどいい」ともぐもぐ。

お好み焼きの「道◯堀」で自分で焼くよりは、形もキレイで火の通り具合も完璧。各テーブルの鉄板の上で更に熱が通るのを見越してやや緩めに焼いた状態で奥さんが運んできます。
店の雰囲気、御主人と奥さんの物腰、地元の人に愛され長続きしている店の持つ伝統の味を楽しみました。

まだまだ落ち着くまではかなりの日数が必要そうですが、のんびり新しい生活を楽しんで行きたいと思います。今晩は自宅でご飯を炊くそうですから「家食」もまた楽しみです。

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2009.12.08

新居で無線LANインターネット

珍しくパソコン関連話題。

日曜日に引っ越し。同時に電話も引っ越し。FLETS光の(転居)接続工事も午後には完了。
さてインターネットの接続もお引っ越しが必要なのですが、自分で設定しなければなりません。NTT関連会社の担当者が置いて行った説明書+CDを使って、家内のWindowsで設定に挑戦。

「光B FLETS」用のルーター(回線終端装置一体型)から「ひかりでんわがしようできます」という女性の声が出てびっくり!
ところがそこから先の設定がうまく出来ない。Trial & Errorで何度か挑戦。MacBookでもトライするがうまくいかず。12/6の夜から12/7の深夜にかけては完了出来ず、ネット接続を諦めました。

翌日、冷静になって考えると「そう言えば光電話の引っ越しの連絡をした時にNTTから届いていた書類があった、、、」と思い出し、引っ越し荷物でごちゃごちゃになる前に、その書類をナップザック(表現が古い)に入れていたのでした。
12/7の夜から12/8の深夜にかけて、その書類&CDを使ったところ、書類の表に書いてあるごとく「超カンタン」に接続出来ました。

ところがMacの無線接続ができない。。。
回線終端装置一体型ルータにAirMac Base ステーションは接続され、電源も入っているのにMacBookでネット通信が出来ない。。。むむむ、、、なぜだ、、、

まるでUFOの様な形をしたAirMac Base Stationの裏側のコネクトを確認。

アッ!

ルーターとの間の接続をethernetポートに差していたのでした。これを隣りのWANポートに差し込み直し、MacでSafariを起動させると、、、ちゃんとアクセスできました!

こういう機器の接続において、マニュアルなど読みもせず(というより、マニュアルはどこに?という状況)「こんな感じだろう」という適当さがいけないのですが、約15年前からインターネットに親しみ始めた頃からの癖みたいなものでしょう。
今回の引っ越しで捨てられずに取っておいた古い本や雑誌が出てきました。
なつかしい「INTERNET magazine」とか「月刊アスキー」とか「I/O」なんていう雑誌も出てきました。あの頃は、「光」なんてなくて、電話回線でppp通信をしていて、アクセスポイントに電話回線で接続している間は電話が使えなくなりました。また接続している時間に相応して課金されるので、BBSに書き込むにしろ、メールをするにしろ、まず文書を作っておいてそれから接続して送信する、という感じで接続時間をいかに短くするか、という方法でやっていましたね。

大学に高速回線が導入されて、接続時間を気にせずにインターネットが出来るようになり、自宅などからは大学のサーバーに電話回線で接続して、今から見ればものすごく遅い通信速度でしたがそれでも通信時間を気にせずに接続していられるので、文書を予め作って校正してから接続するなんてことはせず、接続しながら文書をのんべんだらりと考えるという方法に変わりました。
その名残で、今書いているブログなども、ろくに推敲もせずだらだらとなが〜〜〜い文章を書く癖がついてしまったのかもしれません。通信時間を気にせずに長い文章をかける事が嬉しくて仕方なかったのです。

一般のユーザーが自宅で高速通信(100Mbps)が当たり前に出来るようになってどのくらいでしょう。
昔は、64kbps(つまり今の1500倍の遅さ!)でいらいらしながら通信していたのです。通信の途中で途切れてしまったり、停まってしまったり、重い画像は受け取れなかったり、もちろん音声や動画などは扱えなかったのです。

それが今では自分で録音した音源をアップして広く公開もできるし、動画も配信出来るし、本当にこの10年くらいのネット通信の世界は隔世の感があります(しみじみ)。
と言う訳で、引っ越し後の新居でもまた今まで通り、有線&無線LANを使って複数台のパソコンでインタネットライフが享受出来るようになりました。

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2009.12.06

引越、とりあえず終わりました〜

昨日の記事に書いたように、今日はお引っ越しでした。

Photo写真は、先日チェコフィルを聴きに行った時に初めて行った両国の「江戸東京博物館」の展示の一つ。
いわゆる江戸時代に発達した北前船の「西廻り航路」「東廻り航路」の航路図です。酒田は重要な交易都市で、山形県の内陸で穫れた米や紅花などを京、大阪に輸出し、戻って来る船を空にしないためにも都会の着物や人形、特に雛人形などがたくさん酒田を経由して最上川沿いの都市に伝わって行きました。それが平成の今にも旧家には残っていて、「雛街道」という催しが3月から4月(旧暦の桃の節句まで)山形県の各地で行われています。

さて、引越の話でこの写真を出したのは、航路図の中に私の移り住んで来た街が結構たくさんあるからです。博多(=福岡)、下津井(=岡山県倉敷市)、そして酒田です。また家内の実家のある土崎(秋田県秋田市)も重要な交易港湾都市でした。

そして我が人生25回目の引越もひとまず一段落。
富士見町の借家から曙町の一軒家へ。
上記地図を、九州から東北まで渡り歩いて来た私にすれば、今回の引越は距離にして1.5kmあるかどうかという近場なのですが、荷物が多くて朝9時前から荷造り、搬出を開始。小さめのトラックだったので3往復して荷物を運び込みようやく午後5時まえに終わりました。今朝まで住んでいた借家は平屋で部屋数からいうと3LDKでしたが、新居は2階建てで5LDKとかなり広くなりました。
山形から酒田に移り住んだ時、長年大学病院暮らしで溜まりに溜まった医学書、学会雑誌、医学専門雑誌、論文、書類などが大学医局に山のようにありました。段ボールにして20箱以上あり、まだ開業前だったので倉庫に全部押し込めていたのですが、それを今回はようやくクリニックの院長室に運ぶ事が出来ました。大学を辞める時に、昭和59年から購読していた月刊の脳外科専門雑誌24年分を山大医学部附属図書館に寄贈したりして(古いのは図書館になかったので喜ばれました)、これでも大分本、雑誌類を減らしたのです。それに、自分の書物(小説から雑学の本、それこそ鯨関係の本も)等を含めて、段ボール30箱が院長室に運び込まれました。

今日はとにかく新しい家で寝泊まりが出来るようにはなりました(実はテレビも接続し、ステレオも接続して、曽根麻耶子さんのチェンバロ「シャコンヌ」を試しにかけて、新しい家の吹き抜けのあるリビングの音響の良さに嬉しい思いをしました)。

インターネットは、光B Fletsなのですが、NTT関連会社の人が来て電信柱からの配線を完了しルーターを接続して行きました。パソコンとの接続、設定はこれから自分でやらなければなりませんが、まあなんとかなるでしょう。

このブログは院長室のiMacから書き込んでおり、いざとなれば自宅から徒歩2分の距離に常時接続のパソコンが数台ある環境です。また、クリニックには(おおっぴらにはしていませんが)FONの無線ルーター「ラ・フォネラ」が接続してあります(FONについてはこちらを参照して下さい)。ですからクリニック内はもちろん少々離れた室外でも、FONにアクセスして接続すればフリーでインターネットが可能な環境を整えています(拙クリニックの駐車場でノートブックに無線LANの機能が備わっていれば使えます)。さすがに自宅は直線距離で200m弱なのでFONは使えないと思いますが、Macに関してはAirMacをこれまでも使っていたので設定接続が完了すれば、自宅のリビングだろうが2階の自室や寝室だろうが、トイレや風呂場でさえも、庭でも使える環境になるはずです。
そうそう、今ひとつ活用して来なかったiPhoneもこれからはもっと使うでしょう。


今日は引越には相応しくないお天気でした。
たまにパ〜ッと晴れ間が出た時もありましたが、8割方は雨降りで夕方近くには小さな霙まで降って来ました。引越業者の方には、仕事とは言えお疲れさまでした。ご苦労様と、チオビタ、リポビタン系のドリンクを差し入れ、これから新居で少しゆっくりしたいと思います。
大量の段ボールに囲まれてはいますが、のんびり荷解きをして新しい生活を楽しみたいものです。

新居は、1階に畳の部屋が8畳と6畳の2部屋あり、家内はすでに一部屋を「着物部屋」として占有しております(苦笑)。今までの狭い家と違って、親兄弟親類知人友人など酒田に遊びに来てくれたら、雑魚寝で良ければ6人程はお泊め出来るスペースが出来、これも楽しみです。
また来春には庭を整備して、垣根、玄関アプローチ、駐車スペース、倉庫、庭などを改装改修していろいろな楽しい使い方のプランがあり、頭の中を「あんなこと」や「そんなこと」の妄想が駆け巡っております(笑)。

まずはお風呂に入れるのかな。これから試しに帰りましょう。

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2009.12.05

お引っ越し

私はこれまでの人生で何回引越をして来ただろうか。

生まれ故郷の福岡では、物心つかないうちに、古い借家から団地に移り、さらに郊外に出来た新しい団地に引っ越した(2回)。

父の転勤で福岡から、倉敷の水島に転勤。社宅だった。(1回)

また父の転勤で水島から香川県高松に転勤。借家の一軒家。同じ高松市内でもう少し広い家に引っ越した。(2回)

またまた父の転勤で高松から仙台へ。社宅に入った。同じ仙台市内で、新しいマンションタイプの社宅に引っ越した。(2回)

高校を卒業し、大学に入り山形市に転居した。(1回)
教養部(小白川)から医学部(飯田)に移るに際し、小白川の下宿(賄い付き)から美畑町のアパートに引越した。同時に家族は仙台から横浜の戸塚に引っ越した。(2回)

大学を卒業してアパートを移った。(1回)
その後、勤務先の転勤で何度も引越した。
大学→県中の後、福島の喜多方へで1回、大学に戻るに際し1回の計2回。
大学から鶴岡の荘内病院に転勤し戻るに際し2回。
アメリカ留学、帰国で2回。その後しばらく大学に居たが、一時的に荘内病院に転勤し大学に戻るので2回。
県立新庄病院医長で赴任するにあたり1回。
新庄から県立日本海病院に赴任するにあたり1回。
日本海病院から置賜総合病院に赴任するにあたり1回。
置賜総合病院から大学に戻るにあたり1回。
大学を辞め酒田に移り住むに際し1回。

そして、酒田市内で、クリニックに近い一軒家に明日引越します。
これまで合わせて25回目の引越ということになるようである(忘れて抜けているところがあるかも)。
とにかく明日はお引っ越し。疲れるけれど少し余裕のある家に移り住み新たな生活が始まる。新しい家でお正月を迎えるのも楽しみである。

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2009.12.04

師走の予定と「新型」インフルの話

12月4日(金)です。
今年も残すところ27日となりました。あまりこういう考え方はしたくないのですが。

今日は、忘年会の第1弾。地区医師会の忘年会です。酒田飽海地区の主に開業医が中心に集まりますが、日本海総合病院、日本総合病院酒田医療センターや庄内町の庄内余目病院、本間病院などなどの大病院の院長、関係者、歯科医師会、行政関係者(酒田市、遊佐町、庄内町)などが集まる大々的なものです。

私が一番興味があるのは、酒田飽海地区の「新型」インフルエンザの状況とワクチン予防接種の実態です。こういうことは医師同士が集まったこういう機会にいろいろな人から情報を集め意見を聞くのが一番正確で早いのです。

先週の連休(11/21〜23)には酒田地区医師会で運営協力している酒田市夜間および休日診療所には、発熱患者が大量に押し掛け、そのほとんどが「新型」インフルだったようです。11/23などは、360名を超える患者が来たため、当地の流行時期を予測して9月末から通常医師一人の夜間体制を二人体制に増員して臨んでいたものの、とても間にあわず急な連絡もつかないため、H医師会長御大自らが休日診療に当たったということでした。お疲れさまでございます。

11/26、27の週末は少し減少して、1日150~170名くらいだったという事なので、もしかして当地の「新型」インフルエンザのピークは過ぎつつあるのでは?という憶測も飛んでいました。
保育園、小学校、中学校、高校と小児、学童、学生中心に広がりを見せ、多くの学校で学級閉鎖、学校閉鎖がたくさんあったのは11月の上旬から連休開けくらいにかけてでした。
もしかすると連休と学校閉鎖によって、接触が減少して一時的に蔓延が減少しただけで、広がりが停まった訳ではなくまだまだこれからなのかもしれません。

拙クリニックは、「脳神経」という看板を出しているため、「内科」も標榜しているのですが「ここで、風邪も診てもらえますか?」と患者さんに質問される様な診療所です。普段は発熱を主訴に、インフルエンザを疑って初診される方は非常に少なく、週に1名、2名という感じです。
当院かかりつけの患者さんが、風邪を引いた、インフルかも?というのはもう少し診ていますが、普通の内科や小児科に比べれば非常に少ないのです。

しかし、今回の「手挙げ方式」での「新型」インフルエンザワクチン接種事業では、ワクチンを供給する側(厚労省、県の保健薬務課)では病院、医院の診療実態を把握していないので、一応「希望のワクチン量」のアンケートをとったものの、診療所は一律の配給だったようです。拙クリニックには、1mlが16バイアルと10mlが1バイアル、合計26ml=成人対象で52名分が11/12に「配給」されました。
まさに「配給」です。現場の要求する量に関わらずお上の方で決めた量が配布されました。この事業のために働いている人が少ないので仕方ない面もあるのでしょうか。

当院の実状から考えると、10mlバイアル=成人20名分は使い切れない可能性があるので、県の保健薬務課に連絡して回収の上、他の必要な病医院に回してもらいました。1つのバイアルは、1回針をさしたら24時間以内に使い切らないと、ワクチンが残っていても廃棄しなければならないので、(ただでさえ足らない、足らないと言われているワクチンに)無駄が出る事を回避したかったのです。

その後、優先順位の前倒し(小児の年齢、学年による)が始まり、高校受験を考慮して中学生にも前倒しで優先接種が始まっているようです。「ようです」というのは、当院は小児科ではないので2回目の「前倒し接種用」の配給対象ではなかったので、追加ワクチンは配布されませんでした。

そして、12/2に2回目の追加(初回の医療従事者用配布からいれると第4回配布)があり、当院に1mlが26バイアル(成人で52名分)届けられました。これも、こちらから要求した訳ではなく、ただ上から命じられた量を、今はやりの「仕分け」した医薬品卸業会社担当が持って来たという感じです。

上の方に書いたように、発熱患者、インフル患者受診機会の少ない診療所ですし、優先対象となる小児、学童、基礎疾患(喘息や糖尿病など)を有するかかりつけの患者はそれほど多くないので、今のところワクチンが余っています。
うちに多い、頭痛、めまいの患者さんは優先対象ではありません。高血圧や高脂血症も優先対象にはなりません。糖尿病で高齢の方は対象になります。脳卒中後遺症の患者さんは、それだけでは優先対象になりません。喘息や糖尿病を持っていれば対象になります。

30代や40代のうつ病や不眠症などの患者さん、緊張型頭痛や片頭痛の患者さんなどは、「優先」対象からはほど遠い一般の健康成人と同じです。

他の診療所や病院のワクチン接種状況や残量はどうなのか、足りていないところはあるのか、うちのように(現時点で)余っているところはあるのか、などの情報を今晩の「忘年会」で仕入れる必要があります。酒を飲みながらでも仕事をする訳です。
医者の「性」(さが)ですね。。。

一昨日あたりから、拙クリニックでもかかりつけの患者さんで優先接種対象になる方はもちろん、優先接種の次くらいの優先順位(65才以上の高齢者など)の方々に予約を取り始めております。全部で42ml届いたワクチンのうち、今現在で23ml(成人で46名分)程が予約未の状態です。見込みでは今月中に半分以上はなくなるでしょう。使い切ってしまえるのかどうか若干の不安はあります。残りそうだったら、また回収してもらって足りない病医院に回してもらって有効に使ってほしいと思います。
本来「ワクチン接種事業」は、もっと公的に、保健所と自治体で管理運営して、どこか数カ所の大きな施設(学校の体育館など)に「集団接種」を行うべきだと思います。本来、ワクチン接種は国が管理する事業であり、先進国でインフルエンザワクチン接種に市民から直接お金を取っているのは日本くらいではないでしょうか。
こういうシステムは一日二日では出来なとしても、なんとか近い将来、「集団接種」システムを構築し、末端の一診療所医師に負担を丸投げしないようにして頂けないものかと考えます。


さて、今月はさすがに自分が出演する演奏会はありませんが、
1)12/12(土)堀江悟ヴァイオリンコンサート(藤島、明治記念館ホール)
2)12/13(日)、山形大学学生オーケストラ(教育学部ではなく全学)定期演奏会(山形テルサ)
3)12/20(日)、山形交響楽団庄内定期第10回酒田公演(希望ホール)
4)12/24(木)、秘密のコンサート(某所)(笑)

最後の「秘密のコンサート」は別に秘密でもなんでもないですし、この日に行われるコンサートを探して頂ければおわかりになると思います。ヒントはbalaineのブログに何度も出て来ている方のコンサートです。追加ヒントは「フルート」と「温泉」です。クローズドのコンサートになっています。

慌ただしい年の瀬が迫ってきましたが、なるべくゆったり、のんびり行きたいものです。気持ちはそうなのですが、実際は焦ります(私はあまり焦っていないかも)。実は明後日、12月6日に引っ越しをするのです。これまでの古い小さな平屋の一軒家借家暮らしにオサラバ。中古住宅で2階建て、お庭も充分、駐車スペースも充分、部屋数も充分、そして何よりもクリニックから歩いて2分という至近距離。
これからは車の通勤は無くなるでしょう。
家内は毎日引っ越し準備に奔走していますが、私はマイペースなので、今晩も飲み会ですし、明日は酒田フィルの来春のファミリーコンサートに向けての第1回練習に参加予定。

本当は、明日の夜、酒田市夜間診療所の出番担当医でしたがさすがに引っ越しがあるので、「変更希望」を医師会に出したところ、なんと有り難いことに新春早々1月1日、元日の夜が担当になってしまいました。平成22年は元日から仕事しなさい!という天の思し召しなのでしょう。
元気で仕事ができる事に感謝して、正月から働きたいと思います。

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2009.12.03

事業仕分けでオーケストラが危ない!

例の「事業仕分け」はいろいろな方面に波紋を呼んでいます。
オリンピック強化選手、派遣などの事業支援の削減に対してはスポーツ選手達が会見を開き「大反対」を唱えました。
教育研究分野への支援削減、カットに対しては、ノーベル賞受賞者など国を代表する研究者が会見を開き「大反対」を唱えました。

当然の事だと思います。
「事業仕分け」は内閣府に属する行政刷新会議ワーキンググループの仕事。議長は内閣総理大臣であり、すなわち民主党政権が中心になって作り実施しているものです。今のままでは先の総選挙の民主党マニフェストを反古にするような状況と言わざるを得ません。
医療に関しては、これまで(前政権)の医療費削減を見直して、国民の安心、生活に密接な医療を大切にする上で、マニフェストでは「診療報酬の増額」を掲げていたはずです。これを見直しし、同じパイの中で取り合う(診療所に薄く、病院に厚く?)ような事をすれば、「公約違反」です!

そして、最近になって全国のプロオーケストラや指揮者の間でも大きな波紋を呼び話題になっている事に、芸術文化領域の支援削減、カットがあります。
限られた財政の中での予算の取り合いなので、「財務省」が最高位に立ち、厚労省や文科省はその「下」に位置するかの如き構図が見えます。

文科省のHPで、今回の「事業仕分け」について広く国民の声を聞きたいということで、特別なサイトが設けられています。こちら→「行政刷新会議事業仕分け対象事業についてご意見をお寄せ下さい」という頁です。是非ご覧下さい!

全国的にも何人かの指揮者やオケマンが自身のブログでこのことについて触れています。山響FC会員としては、山響関係のブログを紹介します。
是非、「山響音楽監督飯森さんのブログ」や山響ヴィオラ奏者倉田さんのブログ記事「山形響の火を消さないために、、、」をお読み下さい。

また、プロオケとしてはいち早く、関西フィルがそのHPに本件についての意見と、上に紹介した文科省への国民の声についてのお願いを掲載しています。「こちら」をご覧下さい。

というか、勝手ながら本文をこの記事にコピペ引用させて頂きます。
〜〜〜〜〜
<「事業仕分け」の対象として文化芸術支援が!>
現在、政府の行政刷新会議は「事業仕分け」を行っており、文部科学省関係の事業もその対象となっております。中でも文化・芸術に関する予算が削減、見直しの判定を受けており、私共 オーケストラに関係する次の2事業もその対象に含まれております。

(1)芸術創造・地域文化振興事業
 関西フィルで言えば、定期演奏会等の主催演奏会の
 1/3をご支援いただいています。

(2)子どものための優れた舞台芸術体験事業
  (旧名称:本物の舞台芸術体験事業)
 僻地を含む学校体育館で子どもたちに生の舞台に接していただき、
 豊かな情操を養うことを目的とする事業です。

<文化芸術関連予算→「圧倒的縮減」コメント>
これらの事業の予算要求に対して、「事業仕分け」によって「圧倒的に予算を縮減したい」とのコメントが行政刷新会議より出されております。この状況では、私共が目指し推進させてきた音楽文化振興に大きな打撃が与えられると共に、オーケストラを含む文化芸術団体の存続が危ぶまれ、公益性を重視した活動を広範囲な地域で安定的に行なうことが困難となります。

<文部科学省へご意見を届けて下さい!>
文部科学省では、「この事業仕分けの対象になった事業について広く国民の皆様からのご意見を募集いたします」とホームページで国民からの意見を募集されています(文部科学省ホームページをご参照下さい。 http://www.mext.go.jp/)ので、下記の方法にて文部科学省にご意見をお寄せいただけませんでしょうか。周りのご家族、ご友人の皆様にも呼びかけて頂き、何卒よろしくお願い申し上げます。

メールアドレス:nak-got@mext.go.jp
件名(タイトル):「3-4 (独)日本芸術文化振興会関係」とお書き下さい。
本文:皆様のご意見をお書き下さい。
募集締切:12月15日まで
〜〜〜〜〜

私も早速、文科省にメールを送りました。
3-4 (独)日本芸術文化振興会関係
事業番号「4」事業名「文化関係1−独立行政法人日本芸術文化振興会」
事業番号「5」事業名「文化関係2—芸術家の国際交流(学校への芸術家派遣)」
の3通を中川正春文部科学副大臣と後藤斎文部科学大臣政務官宛に送らせて頂きました。

少しでもクラシック、音楽、芸術文化関係に関わる者なら、この状況を指をくわえて見ているのは「罪」だと思います。文科省に「反対」のメールを送りましょう!

政府の「高度な政治判断」によって、事業仕分けの作業(削減、カット)自体を見直して、音楽芸術文化活動への国の支援が継続される事を祈っています。
どこか楽観的に「大丈夫でしょう?!」とは思っているのですが、失業率の増加、デフレ、円高など国内産業への逆風が続き、安穏とはしていられない状態です。多くの市民が食べるに困る状況なのに、スポーツ、研究、芸術などに金は回せないと言い兼ねないのです。

^^^^^
1202ブログ記事内容とはまったく関係ないのですが、クリニック向かいの昨日今日の現場状況。
拙クリニックの建設開始時と同様に、たくさんの摩擦杭が大きなトラックに積まれて運び込まれ、地面に並べられ、クレーンでつり上げられ、地中深く埋め込まれて行っています。出来上がる建物はどんな大きさ、形なのかわからないのですが、平屋ではないのかもしれません。

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2009.12.01

「別々!」(笑)

「師走」になりました。

私は10月末から11月末の1ヶ月が怒濤のイベント続きで、「走って」ばかりいましたのでここらで少し緩めたい所です。
1130これは昨日の鳥海山です。朝の光を浴びた白銀が眩しい。久しぶりにゆっくり鳥海山を眺めた様な気がします。最上川河畔から庄内平野の田圃に食事に出かける白鳥さんが3羽写っています。いつかあの美しい白鳥の編隊飛行を写真に収めたいですね。
鳥海山は今朝も綺麗だったのですが、ちょっと雲がかかっていて残念!
冬、です。。。

某民放木曜夜9時から(毎週とは限らない)の人気テレビ番組『秘密の県民ショ〜!』。
全国の中で驚く様な秘密の多い県として第1回の表彰を受けたのは山形県。確か今年の1月頃で、県知事選直前だったためか、前知事(SH氏)は出演せず当時の副知事がわざわざ山形県庁まで出向いた番組スタッフから表彰を受けていた。

「生け垣を食べる」とか「地面に生えている草を食べる」とか「アケビの中身を捨てて皮を焼いて食べる」とか、こと食文化に関して話題に事欠かない、我が山形県。
そして先週11/26(木)の放送でまた話題を提供。

全国的に多種多様な「地元特色のあるカレー」。
Photo_7こちらは「芋煮カレー」。
山形県(と言っても内陸が主体)民のソウルフード(?)、「芋煮」。私も山形市に住んでいた頃は学生時代を含め何度か馬見ヶ崎川(まみがさきがわ)の河原で「芋煮会」を楽しんだ。
山形交響楽団のFCと楽団員も年に1回同じ河原で「芋煮会」をして交流をはかる程、「芋煮会」というのは山形の人間にとって大切なイベント。正月に雑煮を食べる以上に大事な年中行事と言って良い。

これが庄内地方に来ると少し熱が下がる。
内陸では、里芋に牛肉で醤油ベースのお汁だが、庄内に来るとジャガイモに豚肉で味噌仕立て。まるで「豚汁」のような芋煮なのである。私は庄内に暮らして(昭和61年の荘内病院勤務から全て含めると)7年になるのだが、庄内で芋煮会をしたことが一度もない。いつかやってみたいと思っているが、馬見ヶ崎川のような手頃な河原のある川がないからかもしれない。最上川は雄大すぎるし、新井田川はこじんまりし過ぎ。鶴岡、三川を流れる赤川に行けば(日本海に注ぐ河口付近は酒田市なのだが)手頃な河原があるかもしれない。

また話が逸れた。
で、芋煮カレー。
Photo_8食べました。
美味しいです。でもカレーの中に「芋煮」が入っているだけという印象。うまく溶け合っている訳ではなく、「芋煮」と「カレー」がお互いを否定せずに一緒の湯船につかっている感じでした。
芋は里芋です。こんにゃくも入っています。しめじも入っています。典型的な「内陸の芋煮」です。それぞれの歯応えや味がなかなか行けます。
でも、、、「別々!」です。

Fodf0000000000_0これが噂の「さくらんぼカレー」です。
テレビでは「芋煮カレー」が紹介され、出演者が試食もして、更に他に、、、というところで、「またまた山形県!」と光栄にも連続出場。
こちらは昨年だったか頂き物して食べました。さくらんぼ(ナポレオンという品種)が種を抜かれてゴロっと丸ごと入っています。なによりもカレールーが「ピンク色」なんです。見た瞬間に、林家ペー、パー子が「うちのカレーはいつもこれよ!」と言っている様が目に浮かびました(どうしてなんだべ?)。
味は、甘い、さくらんぼの酸味が爽やかで食欲をそそります。子供や女性には喜ばれるでしょう。甘いカレーの好きな女児の誕生日とか、簡単な何かのお祝いとかでも喜ばれるでしょう。
でも、「カレーライス」として食べるとすると、「別々!」と言われるでしょう。

タイトルの「別々!」という言葉は、番組内でこのさくらんぼカレーを食べさせられた山形市内でインドカレーの専門店を経営するインドの男性が発した言葉です。さくらんぼカレーを食べて「どうですか?」と聞かれ、「おいしいです」と言った直後、「カレーとさくらんぼは合いますか?」と聞かれて、きっぱりと「別々!」と言い放ちました。
この方のお店、「インディアン・スパイス・マジック」は実は、酒田にも2店舗あったのですが、不況の折から経営難だったのか2店舗とも畳んでしまい山形市のお店に集中しているようです。

カレー好きな私も何度か行きました。「山形往復230km」の文の上の方にリンクしています。美味しかったのですが無くなってしまって残念です(でも、酒田には「ナーランダー」と「シタ」がありますから)。

Photo_9テレビでは紹介されなかったけれど、「ラ・フランスのカレー」もあります。
山形が誇る「フルーツの女王」です。さくらんぼと同じく、わざわざ自分で買って食べる事は余りしません。人からもらったら食べます。美味しいです。本当に果物の女王だと思います。

Photo_10で昨夜の我が家の夕食でした。美味しいですが、甘い。りんごを入れたよりももっと甘いカレーです。
好みの問題ですが、カレーの好きな大人がわざわざ買うかな?話題性はありますし、子供や辛い物が苦手な女性には受けるかも。
やっぱり「別々!」だと思いますよ。
でもなかなかのアイデア商品です。


「そんなもの、俺だって考えたさ」と後から言う事は誰でも出来る。
考えて、言って、作って、売った、という行動が素晴らしい!3つとも、山形は高畠(映画『スイング・ガールズ』の高校ロケは高畠高校でした、「高畠ワイナリー」という帝国ホテル(だったっけ?)に置いてあるワインを作っている会社もあります)に本社のある「後藤屋本舗」の商品です。


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