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2009.11.26

ソルノク響酒田公演とハンガリーの夕べ

(11/29追記です)
音楽評論家東条硯夫氏のブログにオペラシティでのソルノク響コンサートの事が紹介されました。
こちら→「11・27(金)井崎正浩指揮ハンガリー・ソルノク市交響楽団」をご覧ください。

〜〜〜〜〜

11/21(土)の山響200回で感激し、深夜に帰宅。
11/22(日)はゆっくりしたい所だが、希望ホール9:30a.m.集合のため、『題名のない音楽会』を観る事も能わず。

まずは、大ホール入り口でみんなでプログラムへのチラシ挟み作業。受付の準備などをしているうちに、昨日は遊佐に宿泊したソルノク響のメンバーがバスで到着。市民会館外までみんなで出迎える。
インペクでオケ団員の代表の様なオーボエのイムレと挨拶。楽団指揮者のバリ・ヨージェフさんともご挨拶。ご挨拶と言ってもハンガリー式なので、男同士でも抱き合って肩や背中を叩きあう感じ。

そうこうしているうちに、フルートパートのヨルディ登場。頬と頬を左右で寄せあうご挨拶。
そしてボルバーラが登場。お互いに満面の笑みで抱き合い、頬を寄せあう熱烈歓迎のご挨拶。ボルバーラと会うのは1年半振り。H19年5月の中央ヨーロッパ旅行の際にブダペストで会って以来(参照「中央ヨーロッパの旅」:5月11日、ブダペスト2日目)。ヨルディはH18年の酒フィルハンガリー公演以来だから2年10ヶ月ぶりだろうか。

時間の限られている彼らは、すぐにリハーサルへ。
Gpバリさんの指揮でコダーイの「マロシュセーク舞曲」を練習後、音楽監督の井崎さんの指揮でバルトークの組曲「ハンガリーの風景」を練習。

Photo11:30終了の予定を大幅に過ぎ、酒フィル団員との懇親の場面を写真に収める時間は短くなった。
ソルノク市立のオケとして、日本とハンガリーの外交関係開設140周年の記念の事業として、ソルノク響団員が酒フィル団員と一緒に練習または指導をしている様な写真が必要であったようだが、真面目な写真ではなくそこここでこのような「記念写真」的になった。

その後、3曲目のコダーイの「ミサ・ブレヴィス」のリハ。バルトーク・ベラ室内合唱団(女声)とソルノク・コダーイフェスティバル合唱団(男声)に日本で今回のために特別に編成されたハンガリーフェスティバル合唱団Tokyo(混声)の約60名が加わった。合唱団の最前列真ん中でソロを歌うソプラノにロシュト・アンドレアを予定していたが、急遽日本人の清水理恵さんにスイッチ。指揮者の目の前に並ぶソリストに、メゾソプラノのボコル・ユッタさん、テノールのムック・ヨージェフさん、バスのイェルク・ラースローさんの3人も加わった。

練習は13:30頃まで念入りに行われた。なにせ本番のための練習時間が限られていて、その中で少しでもいい音楽を届けたい、イメージに近い音楽を完成させたいと言う井崎さんの熱意の表れであったろう。
開場14:15、開演15:00はあっという間に来てしまった。
私は実行委員の一人として、前半と後半の間の休憩時間に舞台設置(後半は合唱が入るため、オケを1段前にずらすべく、椅子や譜面台を動かす)の役目があるが、それ以外にはデューティはないのでまずは1階席の最後方で演奏を鑑賞。
コダーイやバルトークと言った、彼らに取っては「お手の物」の楽曲。ハンガリーの草原を駆ける駿馬や民族衣装で踊るハンガリーの人々が目に浮かぶ様な、独特の旋律やリズムが踊る。ボルバーラのフルートも、疲れをものともせず冴え渡る。素早いパッセージなどは、単に音の上下というような動きの問題ではなく、ハンガリー人だから表せる表現力というのを強く感じてしまう。真似しろといわれても多分出来ない。

騎馬民族ではない日本人にショパンのワルツやポロネーズなどのリズムは表現出来ないといまで極論する人がいるが、確かにそういう面がある事は否めない。悔しいけれど、社交の場でワルツを踊った事のない日本人にウィンナワルツをスマートに演奏することは出来ないだろう。

休憩時間の舞台転換はスムーズに終わり、後半を聴くため再び客席に戻る。最初、合唱だけでチェミツキ作曲のアヴェ・マリアが演奏され、それからコダーイに移ったのだが、あまり間を置かずに移ったので、最初からコダーイの「ミサ・ブレヴィス」には冒頭合唱だけの音楽があるのかと思ってしまった(あとでプログラムを見て、別の曲だと気がついた)。

このミサ曲はbrevisつまり「短いミサ曲」という意味。
医学部では、解剖学用語はラテン語で学ぶ事が多い。私もそうだった。だから、短拇指球筋の事をラテン語でmusculus abductor pollicis brevisと呼ぶ様に、brevisとは「短い」という意味のラテン語であることは分かっていた。
「イントロイトゥス」「キリエ」「グローリア」「クレド」「サンクトゥス」「ベネディクトゥス」「アニュス・デイ」と、通常のミサ曲で観られる楽曲が並ぶが、最後の8曲目に「イテ・ミサ・エスト」という終曲がある。プログラムノートを見て初めて知ったのだが、『この終曲「謝儀を解散す」とは、本来「ミサ」という言葉が”解散”を意味する言葉から来ていて、コダーイが平和への祈りを広く與に解き放とうと考えたのだろう』という事なのだそうだ。
コダーイのミサ曲は、やはりドイツ音楽のそれとは異質のものであった。キリスト教の典礼音楽という共通点、「通常文」による歌唱の構成は同じでも、その音楽は独特で厳かな中にハンガリーの香りが漂う様な心地よさを感じた。
この曲は、原曲作曲が1942年で、管弦楽版が1950年。以外と最近だな〜なんて間抜けな考えをしていたが、コダーイは1967年に85年の生涯を閉じた結構長命な作曲家であり、つい42年前のことなのだ、自分はもう小学生になっていたんだな〜などと考えたら急に近しい感じがした。

コンサートそのものは素晴らしかったが、我々実行委員会の力不足で観客は500を下回るものとなってしまった。私自身もチケット販売を当てにしていた方々が3連休の中日のため不在にするとか、他の用事があるとかでなかなかチケットが売れず残念だった。
10/25の酒フィル定期、11/3の市民音楽祭、11/15の「コーロ・プリモ演奏会」と立て続けに演奏会があり、その上、11/21に遊佐、11/22に酒田の2公演では、よほど話題性がない限りチケットを売るのは難しかったと言わざるを得ない。

Photo_2ソルノク響は今回の日本ツアーで6公演を行うのだが、11/26(木)つまり本日の山梨公演だけチケット完売なのだそうである。ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝し一躍時の人となった、あの辻井伸行さんがラフマニノフの2番Pコンを演奏するのだから無理もないだろうが、ちょっと悔しい。
おそらく酒田公演がこの辻井さんのPコンのプログラムであれば、1300弱のホールが満席になり、当日券を求める人が溢れた事であろう。音楽の中身の問題ではなく、チケットが売れる売れないというのは残念ながらこういう側面が大きいの事実である。
しかしながら、当日のソルノク響のコンサートを聴いて下さったお客さんは一様に満足し感激して帰られたようであった。


その後、場所を遊佐の遊楽里(ゆらり)に移して懇親会が行われた。
Photo_3主催が遊佐町であったため、町長や町議会や教育関係者の長い挨拶が続いたが、ようやく乾杯!エゲシェ・グングレ!と盛り上がった。
立食パーティなので、どんどん動いて交流を深め、飲み物、食べ物もフンダンにあったので存分に楽しむ事が出来た。途中、写真の様な「鳥海太鼓」の演奏披露や日本の合唱団+遊佐混声合唱団による「遥かなる鳥海山」の合唱なども飛び出し盛り上がった。

Photo_4私のテンションが上がったのは何といっても、写真の「グヤーシュ」。
ハンガリーを代表する食べ物で、パプリカをふんだんに使った肉、野菜、ダンプリング(スイトンみたいな小麦を練ったもの)が入ったスープ。美味しくて2回もお代わりしてしまった。

Photo_5他にも写真はたくさん撮ったのだが、一枚だけ。
こんな感じで、旧知の仲の人、新しく知り合った人、そこここで写真撮影。
驚いたのは、着物を着ていった家内がハンガリー人から引っ張りだこになり、まるで芸能人のインタビューのように「はい、こっち向いて」「すみません、写真1枚!」「こっちも1枚」「もう一枚!」「一緒にお願いしま〜す!」「私も、、、」「僕も、、、」と旦那そっちのけで写真を撮られていたことだ。これも国際親善、日本・ハンガリーの友好のため、酒田・遊佐とソルノクの友好のためである。

懇親会終了の20:30を過ぎてもまだまだ交流の興奮は冷めず、21時近くになってようやく皆帰路についた。ソルノク響は、明日(11/23)朝から希望ホールで練習後、バスで山形市に向かい、山形県内3つ目となる「山形公演」に向かう。
我々は、朝早く起きて8:45庄内空港発の飛行機で東京に飛び、夜の「チェコ・フィル」コンサートに向かうのである。フルートのボルバーラ、ヨルディ、エミーリアの3人の女性と名残を惜しみプレゼントを交換してお別れした。
「今度はソルノクでお会いしましょう!」

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コメント

11月の半ば7日から15日の9日間我が家にお客さんがありました。
AFSという交換留学のsystemで1年間の予定で宇都宮の高校に来ている生徒が神奈川の支部と短期交流するということで、我が家にその一人がホームステイ。
それが、ハンガリーはソルノクの17歳の女子高生。学校は200kmはなれた所で寄宿生活しているらしいですが、ご両親はソルノクで仕事をされている。
在日半年でほとんど日本語で用がたりるくらいでした。栃木なまりの日本語が可愛かったです。
音楽は好きだけど、コンサートにはあまり行かないと。ソルノクの芸術監督が日本人だと話したらびっくりしていました。
とても楽しい1週間と2日でした。
彼女も日本大好きになってくれるといいなぁと思っています。
日本ではあまりマジャールを話す機会がないようなので、宇都宮と酒田が近ければよかったのですけどね。

投稿: Teddy | 2009.11.27 12:35

Teddyさん、お久しぶりです。
そうでしたか。ソルノクの女の子。
私がわかるマジャール語は、
乾杯「エゲシェグングレ」
こんばんは「ヨーナポトキヴァーノク」
ありがとうございます「ケツェネム、ケツェネム・ツェーペン」
おいしい「ナジョン・フィノム」
くらいでしょうか。ソルノク響の東京公演があったのですから、今週までいられれば良かったですね〜。

投稿: balaine | 2009.11.28 07:28

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