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2009年11月

2009.11.30

「佐藤久一氏が愛した音楽と料理の夕べ」

先週、11/24〜27の4日間に渡り、食通の間には全国的にも有名な酒田駅前の東急イン内にあるレストラン『ル・ポットフー』でタイトルの様な企画が催された。
「第2回」ということである。「伝説の男の料理が蘇る4日間!!」を参照下さい。

フランス風郷土料理を謳う『ル・ポットフー』のHPは、こちらをご覧下さい。

忙しい合間をぬって、佐藤久一ファン、ル・ポットフーファン、関矢順ファンとしては行かねばならないだろう。11/25(水)、診療終了が18:30近くになったがそれから速攻で東急インに向かった。

〜〜〜〜〜
Photo当日のメニュー。
飲み物も料理に合わせて、「秘蔵初孫」、上山のタケダワイナリーの2009年収穫「特別限定醸造ワイン」の白、天童ワインのロゼ、タケダワイナリーの「アッサンブラージュ2007」が用意され、料理を出すタイミングで用意されたグラスにいつもステキなソムリエがついでくれました。

この中では私的には最初の日本酒が美味しかった!
「初孫」は酒田の東北銘醸のお酒。元は「金久(きんきゅう)」という銘柄のお酒を出していましたが、初代に初孫が生まれた時に「初孫」というブランド名に変えたのです。その「初孫」は実は佐藤久一氏だった訳です。

ここから先の写真は「目の毒」かも知れませんので、各位のご判断でご覧下さい。

Photo_2左は前菜;「生いくらのブリニー添え」。生のいくらを軽くお酒と醤油(?)に漬けたものだと思います。ブリニーとは蕎麦粉で作ったクレープのようなものですが、この日のはやや厚めでした。
日本酒が良く合います。
Photo_32品目。「鮑のサラダ」。そのまんまです。
私は鮑は生より、蒸すか焼いた方が好き。柔らかくて香りも豊かになります。蒸し鮑をスライスにしてサラダドレッシングで食べます。これも日本酒が合いますが、タケダワイナリーの白が更に香りを引き立てる感じです。

Photo_43品目。
出ました!「カスベの焦がしバターソース」。
私が故佐藤久一氏を記憶している縁(よすが)となる一品です。
昭和61から62年頃、生まれて初めて訪れた『ル・ポットフー』で頂きました。
「こちらはカスベの焦がしバター掛けです。カスベとは庄内沖で獲れるエイの一種です」との説明に「エイですか〜?!」と応えた様に記憶しています。懐かしい思い出です。
軟骨の様な細かい骨があるのですが、全部食べられます。

Photo_5現料理長の小野寺正悦氏が愛用の小型フライパンでバターを焦がしてソースを作っています。店全体に焦げたバターのいい香りと「ジュジュ〜」というフライパンの中で焦げるバターの音が聞こえます。鼻と耳と目で食欲をさらにそそる演出ですね。
小野寺シェフは、「日本食生活文化銀賞」を山形県内で初めて、最年少で受賞されています。「金賞」は経営者に贈られる者で、厨房で働くシェフの最高賞はこの「銀賞」なのだそうで、テレビ出演で有名な道場六三郎氏や坂井宏行氏なども受賞しています。

Photo_64品目。「鮮魚のブイヤベース」。
このタイミングでブイヤベース?と少し疑問に思ったのですが、庄内のその日の旬の海鮮を取り入れた「海」を意識した献立なのだと思いました。
やはり!「きくわた」(=鱈の白子)が入っていました。もう「タラ汁」の季節が近いのですね。

Photo_75品目。「山形牛フィレ肉のロティ」。
お肉は絶妙な火加減で、少し冷ましてから供されているようで、イギリスでいうローストビーフかな?と思って食べましたが、その通りだったようです。「ロティ」とはフランス料理の焼き方の名称のようです。写真の赤い部分も火は完璧に通っていて切っても赤い血は出て来ないのです。しかも柔らかい。
さすがです。。。

Photo_8デザート。「庄内米のプディング、庄内柿のシャーベット、いちじくのコンポート」です。プディングは柿しぐれスライスの上に乗っています。
庄内DECクラブでも、庄内柿を使ったデザートの研究が進んでいるようで、先日の「欅」では樹上達熟の庄内柿で柿しぐれなどが使われていました。

Photo_918:30からのお食事間中、レストラン中央のピアノで生のピアノ演奏をされているのは、佐藤久一氏が『ル・ポットフー』をやっていた当時も演奏をしていたJS先生(笑)です。昨日、『癒しのコンサート』で一緒に出演した関矢先生のことです。
皆が心地よく食事を楽めるように、重くない映画音楽、シャンソンなどを殆ど休みなく2時間以上弾いていらっしゃいました。さすがにここでは「歌」は封印なのでしょうか。

20:30を過ぎてそろそろ食事を終えてお帰りになるお客様もチラホラ。デザートとコーヒーが終わってようやくピアノ演奏も終わりでした。最後の曲は、酒田出身の岸陽子の名曲「夜明けのうた」。
そういえば昨日の『癒しのコンサート』でも最後は「夜明けのうた」でした。会場のみんなで大合唱しました。曲のタイトルとしては「希望」の方がいいのですが、曲の内容や曲想は「希望」の方が暗い歌です。

「夜明けのうた」(作詞 岩谷時子、作曲 いずみたく)
  夜明けのうたよ わたしの心の
  きのうの悲しみ 流しておくれ
  夜明けのうたよ わたしの心に
  若い力を 満たしておくれ

  夜明けのうたよ わたしの心の
  あふれる想いを 判っておくれ
  夜明けのうたよ わたしの心に
  大きな望みを 抱かしておくれ

  夜明けのうたよ わたしの心の
  小さな倖(シアワ)せ 守っておくれ
  夜明けのうたよ わたしの心に
  思い出せる ふるさとの空

連日の睡眠不足の私は、日本酒とワインの白とロゼと赤を呑んで眠くならないはずがない、という状態でおりましたので、我々夫婦が最後に帰る客となってしまいました。3階のエレベーターの前で、レストランの人々総出+関矢先生の7、8人でお見送りを受けて幸せな気分で帰路に着きました。

それにしても、故佐藤久一という人は本当に凄い人だったとまたまた思い知らされました。
楽しく幸せな夕べでした。

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2009.11.29

本日はサロン・コンサートでした

13:45開始予定の第28回庄内地区医師集談会のセッション2が、案の定セッション1の遅れで13:50過ぎに始まった。
本来のこのセッションの4番目だった私の発表を最初にしてもらい、緊張しながら「薬物乱用頭痛」について発表。2名程質問も頂き私の出番は終了。

それから急いでクリニックに戻り、到着したのは14:15過ぎ。
PhotoPhoto_3服装と心を整えて会場の「ジョンダーノ・ホール」へ行くと、最初のデュエットが終わってちょうど関矢基博氏が歌っている所。

5分遅れで始まった『癒しのコンサート』。

Photo_4Photo_53曲目が終わって関矢順さんの歌になるところで静かに最後尾の席へ(といっても5列目ですけど)。
関矢先生がその美しいソプラノで3曲歌われて、私と家内の番。


Photo_6ピアノ伴奏でまずは「歌の翼」による幻想曲(←こちらをクリック)。18K金で輝かしく明るく歌います。
続いてテレマンのフルートソナタ ヘ短調。こちらは総銀製フルート使用。バロック時代のブロックフレーテの素朴さに少しでも近づく様に意識してみました。
昨日のリハーサルで録音してみたものから第1楽章だけ公開してみました。良かったらお聴きになってみて下さい。
こちら→「テレマン ソナタ ヘ短調 1楽章トリステ」です。
(その後、当日の演奏を全曲公開しました。音を外しまくったりこけたり、そういう意味では恥ずかしい演奏ですが、勢いとか想いとかが表現されているという意味では悪くない演奏ではないのでは?と「自惚れ」ております。
こちら→「Telemann Sonata f-moll全曲」をお聴きになってみてください。

その後、アンコールとして予定されていた曲がそのままプログラムに記載されていたのでJS Bachのフルートソナタから2楽章の「シシリアーノ」を演奏。こちらは夏に演奏録音していたのを公開しています。
こちら→「BWV1031 2楽章シチリアーノ」をお聴き下さい。

プログラムの写真は後ほどアップします。(写真が歪んでしまいましたがアップします)
Photo_2研究会発表から急ぎクリニックに戻ると駐車場は満車で、車を停めるスペースを探すのに苦労するくらいでした。コンサートだけではなく、普段の診療でもこんなに車が停まる程だったらいいのですけど(笑)。
『癒しのコンサート』に来て頂いた皆さんに感謝申し上げます。

(12/1、プログラム、写真をアップしました)

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2009.11.28

明日はサロン・コンサート第6回です!

1128(写真は、拙クリニック正面向かいの更地(ゴルフ練習場跡)で始まった建設現場状況。うわさではTドラッグという大手のドラッグストアが出来るそうです)

さて、
拙クリニック開院以来、不定期に開催しているサロン・コンサート in 『ジョンダーノ・ホール』。
明日、その第6回を兼ねて先日告知した(ブログ記事音楽と脳〜サロン・コンサート第6回の告知〜をご覧下さい)「『癒しのコンサート』〜五人の地元音楽家による協演〜」で演奏します。

再度、記載しますと、
<サロン・コンサート第6回>
日時:平成21年11月29日(日)、開場13:30、開演14:00
場所:くろき脳神経クリニック ジョンダーノ・ホール
入場「無料」です!

ただし、キャパシティが60席なので入場整理券を発行しています。整理券をお持ちでなくても明日お出でいただいて席が空いていれば入場可能です。また、待合室のソファなどを運び込んで座席を増やす事もできますので、6〜8名くらいは増やす事ができると思います。

私と家内は、「地元音楽家」に数えられる様な者ではまったくありませんが、会場提供者の特権で出させて頂くという立場です。演奏する曲目は、

1)メンデルスゾーン-シュテックメスト/「歌の翼」による幻想曲(4'00")フルート+ピアノ伴奏

2)テレマン/フルートソナタ ヘ短調(11'30")フルート+チェンバロ

3)バッハ/フルートソナタ 変ホ長調 第2楽章 Sicilliano(2'10)フルート+チェンバロ

(アンコールがあれば)
4)エルガー/「愛のあいさつ」(2'30") フルート+ピアノ

という予定です。
最近忙しくてなかなか練習する暇がなかったのですが、前日の今日になってやっと録音してみました。テレマンはまだ公開する程の出来ではないので、まずは1)から。

「balaineの自惚れコンサート(?」から「265.「歌の翼」による幻想曲」をお聴きになってみて下さい。

〜〜〜〜〜
ブログ記事、書きたい事がいくつか溜まっていますが、明日の「サロン・コンサート」とほぼ同時間に開催される庄内地区医師集談会での発表があるので、それが終わってからになります。
「ル・ポットフーの佐藤久一氏が愛した音楽と料理の夕べ」の話と「芋煮カレー」の話など、いろいろあります。

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2009.11.27

ブロムシュテット&チェコフィル・サントリー公演を聴く

11/23(月・祝)、8:45庄内空港発の飛行機は順調に飛行し9:45に羽田空港にタッチダウン。しかし広い空港のグランドを飛行機はバスの様に10分ぐらい走行し、更にバスに乗せられてターミナルビルへ。
結局、品川行きの京急に乗れたのは10:15過ぎだった。
今、羽田ー品川/横浜の往復が1,200円(本来は片道800円)の格安往復券が売り出されていたので迷わず夫婦でゲット。2人で往復で800円のお得!

本日のお宿は品川のホテルパシフィック東京。チェコフィルのフルート奏者ロマン・ノヴォトニーとのメールやり取りで今回のチェコフィルのお宿がそこだと分かっていたので、品川駅にも近く迷わず予約していた。レイトチェックアウト用のお部屋なのか、16時以降にならないとチェックイン出来ない代わりにツインで12,000円(食事なし素泊まり)という格安の部屋。
まずは荷物を預けて、16時まで何をしようかということになった。その時点で11時過ぎ。

そうだ!銀座に出来たアル・ケッチャーノの奥田シェフプロデュースの「山形サンダンデロ」(完全に庄内弁で、山形産なんでしょう?という意味)に行ってみよう、予約獲れるかな?と電話してみると、なんと「留守電自動応答対応」。
山形県アンテナショップの案内番号にかけてみるとやっている。聞けば「山形サンダンデロ」は連休とか祝日とか関係なく「月曜休業」とのこと。

東京で、花の銀座で、高い家賃を払っているのに、祝日に休業だなんてちょっと信じがたい。普通は月曜休業でもいいから、月曜が祝日のときは火曜を休みにすればいいのに。。。何か理由があるのだろうか?(市場の休みの関係とか、、、)

世田谷に住む妹に情報を求めると、いろいろ興味深い美術展、博物展、そしてそれら美術館や博物館に入っている超有名どころのレストランを教えてもらう。いろいろ考えていたら、家内が「江戸東京博物館に行きたい♡」と。特にどこと決めていなかったので即決。場所は国技館の横の両国。品川から秋葉原まで山手線、総武線に乗り換えて両国駅へ。生まれて初めて両国に来た。

「江戸東京博物館」は両国駅の脇。
最初は、「どうせ、、、」と高をくくっていたが、なかなか見物が多くいろいろ工夫が凝らされている。展示品をじっくり見て回ると丸1日かかりそう。
どうしても「江戸中心」の視点で、有史以来から江戸、東京の歴史が並ぶ。
Photo_6有名な『ターヘルアナトミア』。杉田玄白、前野良沢らがオランダ語の医学書(解剖学)を苦労して翻訳した『解体新書』である。
確か、「神経」という日本語はそれまで存在せず、zenuw(英語でnerve)を「神気の経脈」という意味で「神経」と呼んだのは『解体新書』が最初だと記憶している。
この他にもいろいろ興味深い展示物あり。「江戸東京博物館」、なかなかやるな〜という感じだった。

昼食は博物館近くの食堂で済ませ、再入場可能な入場券で戻って存分に展示を楽しんだら既に15:30を回ってしまった。そこから品川に戻りホテルに着いてチェックインを済ませたら16:30近かった。
ロマンからメッセージあり。
「今晩のコンサートは、オーボエのヤナとファゴットのオンジェィは乗らないから、ホールではなく戻って来てホテルのロビーで会いましょう!」というものだった。試しにオンジェの部屋にかけてみたらいた!ちょっとだけお話。我々は間もなく出かけるので後であいましょう!と。

Photo_7家内は着物に着替えたので、無理せずタクシーでサントリーホールへ。泉岳寺、白金高輪、麻布十番を抜けて六本木一丁目へ。15分程で到着。2,000円かからずほっとする。
開場は18:30だが、我々が写真のカラヤン広場に着いたのは18:00少し前だった。当日券を求め並んでいる行列と「チケット買います!」と手製のプラカードを掲げた、ダフ屋ではなく本当にコンサートが聴きたそうな若い女性なども見える。我々は軽く腹ごしらえをするため、向かいのアーク森ビルの3階へ。
実はフルート奏者北川森央さんのブログ("Morios Tagebuch2"ですごく気になっていて、畏れ多くも森央さんから直接頂いたメールでも勧められた
カレー屋さんに行ったのです。
アークビルの3階の奥の奥の方にある、その「フィッシュ」というお店は。10数人が座れるカウンター席と4人掛けのテーブルが2つだけの小さなお店。日本人一人とインド人(多分、もしかするとバングラデシュやパキスタンかも知れないが)が一人で切り盛りしている。
Photo_8Photo_9左がチキンカレー。これがお勧めされた品。荒川洋さんが今年から首席を務めている新日フィルで長らく首席を張っておられる白尾彰さんが開拓して、フルート吹きに広まったらしい。
私は右のチキン&キーマカレー。どちらも旨い!本格的。
実は、酒田にもインド人がやっている「シタ」という本格的カレー屋さん(ブログ記事「人間的な生活」参照)や、日本人夫婦でやっている「ナーランダー」という凄く旨いカレー屋さん(ブログ記事「秋の真夏日」参照)がある。
だから、美味しいとは思ったけれど、今まで経験した事の無い程の旨さとまでは行かない。カレーが大好きならサントリーでの公演前に行ってもいいけれど、何もこれからブロムシュテット&チェコフィルを聴くぞ!というタイミングにわざわざという感じでもなかった様な、、、(^^)

Photo_10さて、プログラムは、巨匠ヘルベルト・ブロムシュテット指揮チェコフィルハーモニー管弦楽団によるブルックナーの交響曲第8番。一曲だけ。
御年82才!蟹座(私とは誕生日が1日違い)!
なんと徹底した「菜食主義者」らしい。

途中休憩もなく(楽章間の間だけ)、19時過ぎから20時30分少し前まで、1時間25分程に及ぶ大曲を澱みなく演奏。申し訳ないが、うちの両親とほぼ同じ年である。1時間半、ずっと立っているだけでも大変であろうに、ブルックナーの音楽に全身全霊を打ち込んで指揮という運動をしながら、指揮台の上でオケを引っ張って行く。その姿を見るだけでも感動するのに、体全体から溢れ出る音楽の喜び、その表情、すべてが魅力的である。
チェコフィルの団員もマエストロが元気なのに疲れをみせる訳には行かない。4楽章の最後の最後まで魂のこもった熱演だった。

Photo_11これは開演前のサントリーホール「大ホール」の様子であるが、2000席の大きなホールなのに音響は本当に素晴らしく、静寂のホールに目を瞑ると2000人もの人が座っているとは思えない程の静けさ。それなのに、誰かが咳をしたり、チラシを落としたりすると、どのあたりでそんな事をしたのかがすぐわかってしまう様な、音の「定位」の素晴らしさ。
演奏家も皆絶賛する素晴らしいホールである。もう20年以上も前に造られているのだ。

オケは、対向配置で16型の3管型。ステージ下手側にコントラバスが8本、ずらりと威容を誇る。
ティンパニが指揮者正面の真ん中最後尾で、金管はティンパニよりも上手側に2列。金管の前で上手側にハープが2台。ホルンはフルートとクラの下手側に2列で、前4人はホルンのみ、後ろ4人はワーグナーチューバ持ち替えで合計8人。3番ファゴットはコントラファゴット持ち替え、3番フルートはピッコロ持ち替え。
ヴァイオリンだけで30人!弦5部で60人!!全部で100名弱の大編成。
そして女性が本当に少ない。4、5人いただろうか。これでも最近は外国人や女性奏者が増えて来たのだが、社会主義国の国家のオケだった名残がプンプンする。

フルートはピヴォダ氏、オーボエはヤナ、ファゴットはオンジェと首席が「降り番」なのだ。他の2つのプログラム(ドヴォ8とか新世界とかブラームス1番とか「モルダウ」とか、チェコフィルの定番?!)に回るのであろう。ハープもトラではないし、まあ、「世界のチェコ・フィル」なんだから当然なのだろうか。。。
その贅沢な規模は何もかも、山響やソルノク響と違う。いくらサントリーホールとはいえ、S席一人20,000円!!!なのだから当然か、、、(あとでオンジェとロマンにチケット代のことを話したら目を丸くしていた)

これだけの陣容で、マエストロの鬼気迫る熱気で指揮されて、16名の第1ヴァイオリンは最後方8プルトまで弓をいっぱいに使って楽器を鳴らす。上手の14名の第2ヴァイオリンも負けじと奏で、真ん中上手側に座る12名のヴィオラはブンブン言っているし、下手側の10名のチェロはズンズンと鳴る。
コントラバスがブォンブォン、ゴリゴリ鳴る部分では下手奥からホール全体を揺るがせる様な感じだし、金管が咆哮する時は上手奥からパ〜ン、カカーン、ブォ=ンと「そこまで張らなくても、、、」というくらいに鳴らす。
オーケストラの、ブルックナーの醍醐味の一つは、このダイナミックレンジの幅なのだろう。誰かが間が悪くプログラムを落とした音がホール内に響き渡る様なpppの部分から、少々咳き込んだって聞こえないくらいの大fffまで、もうこれだけで感動するのにそれがさらにマエストロによって統率されてピタっと決まると鳥肌が立つ。

しかし、あらためて飯森&山響が12型(弦5部で40人くらい)のサイズでブルックナーに取り組んでいる(すでにCDも4番、5番を出している)事の意味も考えされる。単純に感動するのは、100人規模のチェコフィルのサントリーだろう。しかし、迫力では負けるが弦の響きの美しさ、バランスの取れた管楽器群、全体の統一感と身体をうずうずさせる様なじわじわと来る感動はむしろ70人足らずの山響(希望ホール>山形テルサ)ではないかと思う。

チェコフィルの最近の音色、特に弦は「昔のチェコフィルのビロードの様な弦」を知る人から言わせると「らしさ」が失われてがっかりしている人も多いという噂を聞いたことがある。確かに、澄んだ柔らかい音ではなかったが、決してがさつなのではなく自然に全員が鳴らしている感じで私は悪くないと思った。一時よりまた良くなって来たのだろうか。伝統あるオケとはいえ、奏者がどんどん若返り代替わりして行くのだし、音楽監督も変わって行くのだから変化は仕方ないだろう。

4楽章フィナーレが終わってすぐに拍手をした人とブラボーを叫んだ人がいたが、できればマエストロが手を降ろしてからにして欲しかった。ほとんどの観客はマエストロ・ブロムシュテットがその止めた手を降ろした瞬間に大拍手。数々のブラボー。
マエストロが客席の方を向くや、嵐の様な、グォ〜というような拍手。マエストロも、チェコフィル団員もニコニコしている。2000人の殆どが心から拍手するとこんな風になるのか。。。

11/21(土)の山響200回定期は本当に満席で素晴らしい演奏に大きな拍手が沸いたけれど、満席850のテルサではサントリーの半分にも満たない。しかも、東京のお客さんは拍手の仕方を知っているので、一人一人の拍手が大きいため、山形テルサの3〜4倍の拍手の力を感じた。

この日の演奏の感想は多くの方がブログ書かれているようで、少し(勝手に)ご紹介しましょう。
「ブロムシュテット指揮チェコ・フィルのブルックナー8番に涙を流した!」
「23日・ブロムシュテット指揮チェコ・フィル・ブルックナー:第8番」
「11・23(月)ブロムシュテット指揮チェコ・フィルハーモニー管弦楽団ブルックナー「8番」(←こちらは、ブログ主東条硯夫さんに反抗したコメントが面白い!)

何回もカーテンコール。
最後に、マエストロが弦の1プル奏者全員に握手をして、コンマスを促して団員がステージから下がっても拍手は鳴り止まない。
ついに、ステージにはティンパニ奏者だけが残った状態で、またマエストロが拍手に応えて登場。まるで在りし日の朝比奈御大を見るようだ。あんなに凄い演奏を1時間半近くやったのに、まったく衰えない足取りでニコニコしながら一人で指揮台まで来て、まだ帰らない観客のスタンディング・オヴェイションに応える。本当に82歳なのか?!信じられない。

マエストロが下がって、ようやく拍手も終わり、やっとホールを後にする。
アークビルの前からタクシーでホテルに戻る。15分足らずで戻ったので、ひとまず部屋で休憩。
バスで戻って来るロマンを待つ事に。21:10頃、ロビーに降りて行くと、戻って来たチェコフィルの人たちを見かける。
その中に、昨年、バボちゃんと一緒に遊佐に来た(ブログ記事「この1週間」参照)首席ホルン奏者のヤン・ヴォボジルさんを見つけた。歩み寄ると、「あ〜、あなた、覚えているよ!」と英語で話しかけられ、遊佐で会った事を話すと満面の笑顔を返してくれた。

21:30頃、ロマンが、遅れてオンジェが降りて来た。
オーボエのヤナは少し熱があり体調が優れないらしい。専属の医者がオケに同行しているから大丈夫だと言っていた。何でも明日(11/24)は、チェコ共和国大使館で初のチェコフィル来日公演から50年のお祝いを兼ねてクローズドの演奏会があるらしく、それにはヤナも出るのだと言っていた。

Photo_12以前、新高輪プリンスで脳外科の学会があった時に脳外科オケで打ち上げをした、ホテルから歩いて1分の「Outback Steakhouse」に二人を案内する。
ここはビールが大きなピッチャーで飲めるので、「まずはビール!」という二人のチェコ人にうってつけ。

ビールの銘柄は、キリン、アサヒ、バドワイザーがあるというと、「バドワイザー、No~!!!」と二人共言う。私もバドは嫌いである。「あれは黄色い水だからね」というと「そうだ」「その通りだ!」とまた二人のチェコ人の気合いが入る。
元々、チェコのブドワラ(英語読みでバドワイザ)地方のビールの製法か商標をアメリカの会社が勝手に使って、裁判にまでなったけど結局アメリカが勝って今のバドワイザーがあるのは私も知っている。だからチェコ人は米国産のバドワイザーは大嫌いなのだ。

キリンのピッチャーを頼み、まずは「ナーズダラビ〜!!!」「乾杯!」。
特に演奏して来たばかりのロマンはぐびぐびビールが進む。オンジェもチェコ人だから、まるで水の様にビールを飲む。私も負けじとビールをぐびぐび。
この店は、BBQ ribが美味しいし、Bloomin' Onionというタマネギのフライが最高。いろいろ頼んで楽しく飲み食べ語らう。お土産をあげたら、お返しにウィスキーフラスコにいれたベヘロフカをプレゼントされた。一口飲むと、うまし〜、しかしつよし〜。およそ40度のアルコール度数である。

23:30のラストオーダーが過ぎ、24:00近くになって、お客さんは我々4人だけになってしまった。
今日は、連休の最後の日。明日は普通の人はお仕事だ。
名残惜しく、最後の乾杯をして、「次はいつプラハに来るんだ?」「自宅でカクテル(モヒートって言ったっけ?)を作ってあげるから早くおいで」「来年、プラハに来るか?」と何度もロマンに言われた。

そうそう、会話の中で、私が愛用するピッコロの製作者スタンダ・フィンダが日本にいる事を知った。奥さんの志保子さんの実家にいるらしい。電話番号を知らないので、志保子さんの携帯にメールをしたらすぐに電話がかかって来た。久しぶりに志保子さんとお話しする。スタンダは23時過ぎだというのに「仕事中」だという。ロマンが「ビール飲んでんじゃないの〜?」と志保子さんに言っていたが本当に真面目に仕事をしていたらしい。またスタンダと志保子さんにも会いたい。できればプラハで。そして約束のチェスキー・クロムロフに連れて行ってもらいたいな。

翌朝(11/24)、羽田発7:15の飛行機で酒田に帰る我々は、0時半頃ホテルの部屋に戻り、バタンキューと寝た後、朝5:30の目覚ましでしっかり起きて、6:15頃の品川からの京急で羽田に着き、余裕を持って飛行機に乗って帰って来た。
庄内空港から、高速を使えばクリニックまでは20分。8:50少し前にはクリニックに着いて白衣に着替え、余裕でコーヒーを飲んで9:00から涼しい顔(?)で予定通り診療を開始した。

楽しい東京、幸せなチェコフィル in サントリー、嬉しい再会だった。
そして、山響200回定期、ソルノク響酒田公演&ハンガリーナイト、チェコフィルと3日間続いた怒濤のオケ三昧もひとまず終わったのである。

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2009.11.26

ソルノク響酒田公演とハンガリーの夕べ

(11/29追記です)
音楽評論家東条硯夫氏のブログにオペラシティでのソルノク響コンサートの事が紹介されました。
こちら→「11・27(金)井崎正浩指揮ハンガリー・ソルノク市交響楽団」をご覧ください。

〜〜〜〜〜

11/21(土)の山響200回で感激し、深夜に帰宅。
11/22(日)はゆっくりしたい所だが、希望ホール9:30a.m.集合のため、『題名のない音楽会』を観る事も能わず。

まずは、大ホール入り口でみんなでプログラムへのチラシ挟み作業。受付の準備などをしているうちに、昨日は遊佐に宿泊したソルノク響のメンバーがバスで到着。市民会館外までみんなで出迎える。
インペクでオケ団員の代表の様なオーボエのイムレと挨拶。楽団指揮者のバリ・ヨージェフさんともご挨拶。ご挨拶と言ってもハンガリー式なので、男同士でも抱き合って肩や背中を叩きあう感じ。

そうこうしているうちに、フルートパートのヨルディ登場。頬と頬を左右で寄せあうご挨拶。
そしてボルバーラが登場。お互いに満面の笑みで抱き合い、頬を寄せあう熱烈歓迎のご挨拶。ボルバーラと会うのは1年半振り。H19年5月の中央ヨーロッパ旅行の際にブダペストで会って以来(参照「中央ヨーロッパの旅」:5月11日、ブダペスト2日目)。ヨルディはH18年の酒フィルハンガリー公演以来だから2年10ヶ月ぶりだろうか。

時間の限られている彼らは、すぐにリハーサルへ。
Gpバリさんの指揮でコダーイの「マロシュセーク舞曲」を練習後、音楽監督の井崎さんの指揮でバルトークの組曲「ハンガリーの風景」を練習。

Photo11:30終了の予定を大幅に過ぎ、酒フィル団員との懇親の場面を写真に収める時間は短くなった。
ソルノク市立のオケとして、日本とハンガリーの外交関係開設140周年の記念の事業として、ソルノク響団員が酒フィル団員と一緒に練習または指導をしている様な写真が必要であったようだが、真面目な写真ではなくそこここでこのような「記念写真」的になった。

その後、3曲目のコダーイの「ミサ・ブレヴィス」のリハ。バルトーク・ベラ室内合唱団(女声)とソルノク・コダーイフェスティバル合唱団(男声)に日本で今回のために特別に編成されたハンガリーフェスティバル合唱団Tokyo(混声)の約60名が加わった。合唱団の最前列真ん中でソロを歌うソプラノにロシュト・アンドレアを予定していたが、急遽日本人の清水理恵さんにスイッチ。指揮者の目の前に並ぶソリストに、メゾソプラノのボコル・ユッタさん、テノールのムック・ヨージェフさん、バスのイェルク・ラースローさんの3人も加わった。

練習は13:30頃まで念入りに行われた。なにせ本番のための練習時間が限られていて、その中で少しでもいい音楽を届けたい、イメージに近い音楽を完成させたいと言う井崎さんの熱意の表れであったろう。
開場14:15、開演15:00はあっという間に来てしまった。
私は実行委員の一人として、前半と後半の間の休憩時間に舞台設置(後半は合唱が入るため、オケを1段前にずらすべく、椅子や譜面台を動かす)の役目があるが、それ以外にはデューティはないのでまずは1階席の最後方で演奏を鑑賞。
コダーイやバルトークと言った、彼らに取っては「お手の物」の楽曲。ハンガリーの草原を駆ける駿馬や民族衣装で踊るハンガリーの人々が目に浮かぶ様な、独特の旋律やリズムが踊る。ボルバーラのフルートも、疲れをものともせず冴え渡る。素早いパッセージなどは、単に音の上下というような動きの問題ではなく、ハンガリー人だから表せる表現力というのを強く感じてしまう。真似しろといわれても多分出来ない。

騎馬民族ではない日本人にショパンのワルツやポロネーズなどのリズムは表現出来ないといまで極論する人がいるが、確かにそういう面がある事は否めない。悔しいけれど、社交の場でワルツを踊った事のない日本人にウィンナワルツをスマートに演奏することは出来ないだろう。

休憩時間の舞台転換はスムーズに終わり、後半を聴くため再び客席に戻る。最初、合唱だけでチェミツキ作曲のアヴェ・マリアが演奏され、それからコダーイに移ったのだが、あまり間を置かずに移ったので、最初からコダーイの「ミサ・ブレヴィス」には冒頭合唱だけの音楽があるのかと思ってしまった(あとでプログラムを見て、別の曲だと気がついた)。

このミサ曲はbrevisつまり「短いミサ曲」という意味。
医学部では、解剖学用語はラテン語で学ぶ事が多い。私もそうだった。だから、短拇指球筋の事をラテン語でmusculus abductor pollicis brevisと呼ぶ様に、brevisとは「短い」という意味のラテン語であることは分かっていた。
「イントロイトゥス」「キリエ」「グローリア」「クレド」「サンクトゥス」「ベネディクトゥス」「アニュス・デイ」と、通常のミサ曲で観られる楽曲が並ぶが、最後の8曲目に「イテ・ミサ・エスト」という終曲がある。プログラムノートを見て初めて知ったのだが、『この終曲「謝儀を解散す」とは、本来「ミサ」という言葉が”解散”を意味する言葉から来ていて、コダーイが平和への祈りを広く與に解き放とうと考えたのだろう』という事なのだそうだ。
コダーイのミサ曲は、やはりドイツ音楽のそれとは異質のものであった。キリスト教の典礼音楽という共通点、「通常文」による歌唱の構成は同じでも、その音楽は独特で厳かな中にハンガリーの香りが漂う様な心地よさを感じた。
この曲は、原曲作曲が1942年で、管弦楽版が1950年。以外と最近だな〜なんて間抜けな考えをしていたが、コダーイは1967年に85年の生涯を閉じた結構長命な作曲家であり、つい42年前のことなのだ、自分はもう小学生になっていたんだな〜などと考えたら急に近しい感じがした。

コンサートそのものは素晴らしかったが、我々実行委員会の力不足で観客は500を下回るものとなってしまった。私自身もチケット販売を当てにしていた方々が3連休の中日のため不在にするとか、他の用事があるとかでなかなかチケットが売れず残念だった。
10/25の酒フィル定期、11/3の市民音楽祭、11/15の「コーロ・プリモ演奏会」と立て続けに演奏会があり、その上、11/21に遊佐、11/22に酒田の2公演では、よほど話題性がない限りチケットを売るのは難しかったと言わざるを得ない。

Photo_2ソルノク響は今回の日本ツアーで6公演を行うのだが、11/26(木)つまり本日の山梨公演だけチケット完売なのだそうである。ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝し一躍時の人となった、あの辻井伸行さんがラフマニノフの2番Pコンを演奏するのだから無理もないだろうが、ちょっと悔しい。
おそらく酒田公演がこの辻井さんのPコンのプログラムであれば、1300弱のホールが満席になり、当日券を求める人が溢れた事であろう。音楽の中身の問題ではなく、チケットが売れる売れないというのは残念ながらこういう側面が大きいの事実である。
しかしながら、当日のソルノク響のコンサートを聴いて下さったお客さんは一様に満足し感激して帰られたようであった。


その後、場所を遊佐の遊楽里(ゆらり)に移して懇親会が行われた。
Photo_3主催が遊佐町であったため、町長や町議会や教育関係者の長い挨拶が続いたが、ようやく乾杯!エゲシェ・グングレ!と盛り上がった。
立食パーティなので、どんどん動いて交流を深め、飲み物、食べ物もフンダンにあったので存分に楽しむ事が出来た。途中、写真の様な「鳥海太鼓」の演奏披露や日本の合唱団+遊佐混声合唱団による「遥かなる鳥海山」の合唱なども飛び出し盛り上がった。

Photo_4私のテンションが上がったのは何といっても、写真の「グヤーシュ」。
ハンガリーを代表する食べ物で、パプリカをふんだんに使った肉、野菜、ダンプリング(スイトンみたいな小麦を練ったもの)が入ったスープ。美味しくて2回もお代わりしてしまった。

Photo_5他にも写真はたくさん撮ったのだが、一枚だけ。
こんな感じで、旧知の仲の人、新しく知り合った人、そこここで写真撮影。
驚いたのは、着物を着ていった家内がハンガリー人から引っ張りだこになり、まるで芸能人のインタビューのように「はい、こっち向いて」「すみません、写真1枚!」「こっちも1枚」「もう一枚!」「一緒にお願いしま〜す!」「私も、、、」「僕も、、、」と旦那そっちのけで写真を撮られていたことだ。これも国際親善、日本・ハンガリーの友好のため、酒田・遊佐とソルノクの友好のためである。

懇親会終了の20:30を過ぎてもまだまだ交流の興奮は冷めず、21時近くになってようやく皆帰路についた。ソルノク響は、明日(11/23)朝から希望ホールで練習後、バスで山形市に向かい、山形県内3つ目となる「山形公演」に向かう。
我々は、朝早く起きて8:45庄内空港発の飛行機で東京に飛び、夜の「チェコ・フィル」コンサートに向かうのである。フルートのボルバーラ、ヨルディ、エミーリアの3人の女性と名残を惜しみプレゼントを交換してお別れした。
「今度はソルノクでお会いしましょう!」

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2009.11.24

山響第200回定期初日を聴く

(11/28追加)
音楽評論家の東条硯夫さんが、今回の「200回」定期を11/22(日)聴かれて、山響ファンが泣く様な嬉しい評論をブログに書かれていますのでご紹介申し上げます。
「11・22(日)山形交響楽団第200回定期演奏会 歴代4人の指揮者が競演」をご覧下さい。

〜〜〜〜〜
土曜+2連休は、「山響」(「山形交響楽団HP」は←こちら)、「ソルノク響」、「チェコフィル」と怒濤のオケ三昧。
まずは時間に従って思い出しながら書いてみましょう。

11/21(土)。
土曜の診療は少々延びて13:30過ぎに終了。急いで昼食を摂り、14:30に約束していた荘内病院勤務の某医師の訪問を受ける。開業を計画しているため、拙クリニックを見学に来たのだ。いろいろ話し込んでしまい、結局16:00頃までかかってしまった。
今年初の冬タイヤでの月山越えなので余裕を持って16:00過ぎには出かけるつもりだったが、16:20過ぎになってしまった。お世話になっているマエストロ井崎率いるソルノク響が遊佐公演をするのはわかっているけれど、後ろ髪を引かれる思いで、山形に向かう。月山道は途中薄い積雪もあり、月山第一トンネルを過ぎて少し下った辺りで案の定交通事故。15~20分位、そこで足止め。まったく動かず、道路もカーブしている所で先も見えないので不安になるが、「しょうがない、なるようにしかならない」と腹を決めたら少しして車をクレーンで移動する車両が通り、まもなくなが〜〜い行列が動き出した。いや実際、20分足らずで済んで良かった。18:30過ぎに山形テルサ前に到着。着物の家内を降ろして私は少し離れた駐車場へ。

200今日は、記念すべき第200回。
プログラムも華やかで分厚い(全39頁)。
指揮者も4人出るため、いつもの「プレトーク」はなし。楽団員がステージに揃った所で下手から音楽監督の飯森さんとYBCアナウンサーの青山さんが登場。青山友紀アナはいつもの報道の時とはガラッと変わって、濃い青色のカクテルドレス姿で華やかさを添えます。

二人で第200回を祝う話をして、最初の指揮者黒岩英臣氏を迎える。
ワーグナーの「タンホイザー」から序曲を演奏。
少々熱が入りすぎた様に感じるところもあったが、いつもの様にスマートに、そして情熱的にタクトを振っていた。山響は、本当に超満員のお客さんに感激した様子で熱く演奏されていた。演奏後、1回のカーテンコールの後、下手袖近くで、飯森さん、青山さん、黒岩さんの3人でトーク。
「何故、この曲を選んだのですか?」との問いに「好きだから」と黒岩氏。そして「ワーグナーが素晴らしい。山響が素晴らしい。もしかすると僕がまだ足らなかったかも、、、」とのコメント。

2番手は、工藤俊幸氏。
鶴岡出身の作曲家故佐藤敏直氏の「星と大地(つち)とによせる舞曲」を演奏。
現代曲らしい、無調的な、変拍子の多い、やや難解な曲を、いつもの様に「キッチリ」と振っていた。とても素晴らしい曲だと思う。こんな素晴らしい作曲家が地元にいらしたのかと認識を新たにし、7年程前に亡くなられている事を本当に惜しいと今さらながら思う。ちなみに佐藤敏直氏の曲は、山形弦楽四重奏団も時々取りあげている。
酒田出身の工藤さんが鶴岡出身の佐藤敏直の作品を山形で山響で演奏する、という事だけで十分と思うが、工藤さん自身が小学校時代に村川山響の音楽教室を聴いて音楽家になりたいと思い、努力して現在山響指揮者になっているということがまた素晴らしいと思う。単なる地元びいきとか身贔屓ではなく、やはり「地元」に根ざした音楽をやるという事も必要だと思う。

Photo休憩時間の間に、芸工大生が「200回」を記念して作成したオブジェを観る。
こちらは2階のロビーに展示してあったもの。ウェディング・ドレスのようにも見えるが、、、大地をイメージしたものらしい。

Photo_2こちらは1階のホワイエから2階にあがる階段前に展示されたオブジェ。4曲目の「火の鳥」をイメージしたものらしい。

休憩後、3番目はいよいよ山響創立名誉指揮者村川千秋氏の登場。
登場しただけで場内のボルテージは一気に上がり、演奏前からスゴい拍手。皆、村川さんを楽しみに今日の演奏会に来た事がよくわかる。
得意のシベリウスから「カレリア組曲」。
ああ、、、いいなぁ。
指揮台の上で、音楽をする喜びに満ちあふれて、笑顔でタクトを振り、体を揺すり、オケを鼓舞し、軽快に動く千秋先生を見ているだけでこちらも喜びに満ちて来る。その姿を観ただけで不覚にも涙が出そうになる。クラ、オーボエ、ファゴット、コール・アングレなどの歌う第2曲は心癒される。そして「行進曲風に」の第3曲は、千秋先生と山響が一体となって素晴らしい音楽を奏でた。

嵐の様な拍手と数々のブラボーの声。
千秋先生の姿を見ている山響団員も皆笑顔。団員の中には、オケ創設期の苦難は勿論、村川千秋という音楽家を知らない世代も多くなっている。それでも一緒に音楽をやると、たちまちその素晴らしさは理解出来る。言葉は必要ないのが音楽の良いところだ。
Photo_3この「喜び」を記録したかったのでこっそり写真を撮らせて頂いた(フラッシュ炊いてる人がいましたが、私ではありませんよ、笑)。拍手は鳴り止まず、数回のカーテンコールの後、下手の飯森さんと青山さんの元へ。
トークが始まるのでようやく拍手が鳴り止んだ感じ。ところが、MCの飯森さんが感極まって泣いてしまい声にならない。その姿を観て、また多くの女性ファンが涙するという、およそオケのコンサートに観られない貴重な光景。そのステキなお姿は飯森さんのブログに自ら公開されておりますので、是非ご覧下さい(「マエストロ、出番ですよ」から)。

千秋先生は、「本当は言うまいと思っていたんだけどね、、、」と話し出す。
「7年前に、もう山響は若い人に任せよう、と自分は一線を退いた。二度と振らないし口出しもしないと決めていたので、今日指揮をするのも断った。だけど「お祝いなんだから、、、」と言われて出て来ました。一言、皆さんに、今日ここにいない人も含めてみんなに『ありがとう!』」とお話された。それを聞いて、(千秋先生に少なからぬ縁のある者として)また涙が込み上げて大変だった。
音楽って、やっぱりいいな〜としみじみ思った。

さて、4曲目は音楽監督飯森範親氏。
ストラヴィンスキーの「火の鳥」。1910年原典版、1911年版、1919年版とある中、1945年版で演奏。おそらくは山響のサイズを考慮した故で、特に「凶悪な踊り」では1919年版と比べても金管部分が厚くなっている点も山響の特徴を考慮したものだと思う。
生まれて初めて買ったスコアがストラヴィンスキーの「春の祭典」だったという飯森さん。機会ある毎にストラヴィンスキーを振って来たとのお話。そして今回のこの「火の鳥」。さすが音楽監督。オケをまとめ引っ張る力は凄い。最近では一番一緒に活動する機会が多い訳だから当然ではあるけれど、オケが棒に一番付いて行っている感じだったし、タクトの先から音楽が出て来る感じがするのは群を抜いて飯森さんだったと思う。

喜びと感激と涙と大満足の演奏会はあっという間に終わってしまった。
その後、いつもの様にホワイエでアフタートーク。
Photo_4いつにもまして大勢のギャラリーが詰めかけ、4人のそれぞれの思いや言葉をうなづきながら聞いていた。黒岩さんはみずからのデジカメでインタビュー中の村川さんを撮ったり、4人並んだ姿を撮ってもらったりと、気さくな感じだったので勇気を出してちょっとお話させて頂いた。

話題は、10/24に酒フィルの定期演奏会のGPを見学に来られたご子息の事。ピアニストの黒岩悠(はるか)氏がブラームスのピアノ協奏曲を演奏する上で、是非参考にしたい、と久保陽子さんのブラームスのヴァイオリン協奏曲をGPから聴くためにわざわざ酒田にいらしたのでした。ご本人が出演されるコンサートがいつの事なのかお聴きしていなかったのですが、そのお話をしたら黒岩さん(英臣氏)が「ああ、(酒田の演奏会は)素晴らしいコンサートだったって息子が言ってました。(息子の)ピアノ協奏曲は先日終わったんですよ。」とのことで、あらためて調べてみたら、これだったようです。
「パイオニア交響楽団第20回定期演奏会のご案内」をご覧下さい。

続いてアフタートークが終わって知人友人に囲まれている千秋先生が解放されるまで、フルートの足達先生とお話。今日の演奏会にハープで乗っていた内田奈織さんともご挨拶(昨年、モーツァルト定期で「フルート&ハープ」で演奏されたコンビ)。実は、来年の5月頃に、ジョンダーノ・ホールで足達先生(フルート)と内田さん(ハープ)でのサロン・コンサートを開催する目論みがあり、その簡単な打ち合わせもさせて頂いた。
やっと解放された千秋先生がバックステージに戻る所をやっと捉まえてご挨拶。庄内のお土産をお渡しし、また一緒に演奏しましょうね、とお話しして別れる。千秋先生とお話し出来て幸せな時間だった。

アフタートークの内容はあまりよく覚えていないけれど、それぞれの山響に対する思いや思い出を改めて語っていた。また飯森さんは音楽監督らしく、「200回は通過点に過ぎません。これからもいろいろ思い描いている事があります。」とのことで、すでに40周年、300回はもちろん、その他にアジア遠征など思い描いている事がたくさんあおりのようであった。

山響団員の中から古参のメンバーで、トロンボーンの五十嵐達也さんとトランペットの佐藤裕司さんがインタビューを受けていた。村川さんらと草創期に自らトラックで楽器を運んだり、訪ねて行った小学校では自分たちで椅子を並べたり譜面台を出したりしたことなどお話されていたようでした。
その後、何人かの団員ともご挨拶し、山響ファンクラブの「霊会」に出席。
酒田に帰らなければならないので、ビールで盛り上がる人たちの中、ウーロン茶で乾杯しサラダを食べた。参加されていたコンマスのたかぎ〜さんとヤンネさんとも少々お話しし、23時過ぎにお暇。

帰りは眠くて眠くて仕方なかった。
無理もない。金曜の夜もいろいろあり、来週に迫った(ああ!あと5日後だ!)医師集談会の準備や同門会誌への寄稿文の準備やらなにやらしていて、あまり寝ていなかったのだ。
なんとか午前0時半頃帰宅しすぐにベッドに向かった。
明日(その日にとって、今日)は「ソルノク響酒田公演」。お手伝いする我々は朝の9:30に希望ホール集合なのだ。。。
(とりあえずここまで書いてアップ。後ほど改変するかも)

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2009.11.21

祝!200回

山響第200回定期を祝し、グルメの音楽監督を意識して、最近1ヶ月くらいの間に頂いたお料理を載せます。

まずは、酒田市あきほ町のイタリアン「ラ・ルーチェ」のランチセット。
リゾットとパスタのお皿のうち、パスタだけ手打ち麺の大盛りにしてみました。普通盛りとの違い明らかですね。
Photo_2Photo_3ラ・ルーチェ前菜、スープ




Photo_4Photo_5これがパスタの普通盛りと手打ち麺の大盛り。



Photo_6ドルチェ



続いて、昔から通っている酒田市一番町の鉄板焼「おく山」。
メインは鉄板で焼く山形牛ですが、フランス風懐石料理のお皿がうれしい。
Photo_7Photo_8おく山前菜、うに




Photo_9Photo_10ナスと大根、アワビ




Photo_11ステーキ



酒田市こがね町の西洋割烹「花月」。
ディナーコースは8皿もありました。ハタハタのムニエルが絶品でした。
Photo_12Photo_13花月カルパッチョ、かぶとお魚



Photo_14Photo_15さざえ、すずき




Photo_16Photo_17ハタハタのムニエル、鱈顎肉のリゾット



Photo_18Photo_19かも肉とフォアグラ、デザート



庄内町余目上猿田の「ブリラーノ」。
ドルチェのデコレーションはいつも見事。♪とト音記号でした。
Photo_20Photo_21ブリラーノ前菜3種盛り合わせ、カルボナーラ



Photo_22Photo_23海の幸とルッコラ、ドルチェ(ムースとシャーベット)


酒田市北新橋の蕎麦屋「めだか」。
新蕎麦です。
Photo_24Photo_25めだか新蕎麦、なめこそば、おろしそば

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2009.11.20

いよいよ200回、、、そして。

山響第200回定期はいよいよ明日明後日の2日間公演です。
昔からの様々な人間関係で思い入れは強い方だと思います。山響団員さん達のブログ(らびおがゆく、中爺通信、Der Buchstabe、トランペットタイム、クロヤギの館、など)にも、それぞれの立場でそれぞれの思いが綴られています。やはり古参の団員の村川千秋先生への思いは格別なようです。
私も明日の夜の月山道越えのため、今日のうちに冬タイヤ装着を済ませました。
Photo昨日紹介した4日連載の山新の記事の向こうを張る様に、朝日新聞にも連載が掲載されています。
こちらは昨日の朝刊。音楽監督飯森さんへの単独インタビューと記事のカップリングです。

Photo_2こちらは、山響の様々な取り組みを紹介する記事。山響FCの仲間が大写しになっていますね。(笑)
映画『おくりびと』で使われた元美容室を「上山コンチェルト館」として公開して、そこに滝田監督だけではなく飯森さんのサインも加わったという記事です。公開後7ヶ月で18000人を超える見学者があったと書いてあります。
記事には「上」「中」とありますから、明日「下」が続くのでしょう。

まあ、張り合う訳ではありませんが、ロケ地の本家本元である酒田の「NKエージェント」(ブログ記事NKエージェント訪問参照)は4月の公開から7ヶ月で見学者数「10万人」を超えています!いまや「山居倉庫」よりも観光客が多いかもしれないという状況です。

酒田市民会館「希望ホール」は、飯森&山響が映画ロケで『第九』を演奏したホールです。私はそこで市民オケの仲間とステージに乗ったりいろいろと楽しく幸せな思いをしております。
感謝です!

〜〜〜〜〜
11/29(日)の『癒しのコンサート』in ジョンダーノ・ホール。
危うくダブルブッキングでした。庄内地区医師集談会で「難治性頭痛、特に薬物乱用頭痛」の事を発表する予定にしていて、ほぼ同時に決まった日程をあとから比べてみたら、なんと!私の出演する時間帯と発表の時間帯がほぼピッタリ重なっていたのです。
なんとかお願いして発表時間を変更して頂き(ありがとうございます!)、コンサート出演も「前座」の予定をずらして「中継ぎ」的な出番にして頂く事で両方こなせる見込みが立ちました。

問題は演奏そのものです。
メンデルスゾーン作曲シュテックメスト編曲の「歌の翼に変奏曲」は、グランドピアノの伴奏ですし18K金フルートで輝かしく歌い上げたいのですが、まだ細部の調整や練習が必要です。テーレマンのフルートソナタ ヘ短調は、音量の小さなチェンバロ伴奏との共演を考えて、総銀の笛で優しく渋く、少し陰のある暗さと疾走感のある明るさを表現出来ればいいなあ〜と(考えるだけはできる)。。。

さて本番まであと1週間ちょっとです(大学の同門会の寄稿もあるし、医師集談会の発表準備もあるし、サントリーホールに行っている暇などないのですが、、、)

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2009.11.19

山響定期第200回記念コンサート

今週末は、いよいよ「山形交響楽団」の定期演奏会が第200回を迎えます。
伝統あるオケにしてみれば、200回という数字などあまりたいした事ではないかもしれません。しかし、村川先生の初期のご苦労や山響の途中を少しは知っている者として感慨深いものがあります。
Photoこの「200回」にあわせて山形新聞で11/15から4日間の連載記事が載りました。
初回は当然村川千秋先生。もう76才になられていたのですね。村川先生のお蔭で、私の長女はヴァイオリンを長男はチェロを覚えました。社会人になった長女は東京在住ですが今でもヴァイオリンに心癒されています。大学3年の長男は、地元の大学オケでチェロを弾き、なんだか知りませんが「団長」と呼ばれているようです。

第2回は黒岩英臣氏。音楽監督の飯森さんにとっては桐朋の先輩。スマートな指揮をされる印象があります。内輪の話ですが、10/25の酒田フィルの定期演奏会を黒岩氏の息子さんが聴きにこられていたのです。GPの時にピアニストである黒岩さん(息子さん)と、少しだけお話しましたが、スラッとして物腰が上品でイケメンでした。ブラームスのピアノ協奏曲に取り組む中、行き詰まり悩んでしまったため、久保陽子さんのブラームスのVn協奏曲を聴いて何かを得たいというお考えでわざわざ酒田までいらしたのでした。お父上のマエストロ黒岩とお話しする機会があればこのことを話題にしたいです。

Photo第3回は正指揮者の工藤俊幸氏。
酒田の生まれです。ご両親とも酒田在住で親しくして頂いております。
村川&山響が酒田の小学校に音楽教室で回って来た時に初めてオーケストラを聴き、それ以来、プロの音楽家になる事を目指されたそうで、今や地元の誇る指揮者です。酒田フィルには工藤さんを子供の頃から知っている古参のメンバーおり、H15~17年の3年間定期演奏会の指導指揮をして頂きました(この間のメインは、ベト7、ブラ4、ドボ8という名曲中の名曲ばかり)。
指揮者になる前にフルートを専攻されていた時期があり、フルートにちょっと厳しい(笑)。

そして第4回は音楽監督の飯森範親氏。
マエストロの事は好評発売中の本『マエストロ、それはムリですよ!』に詳しく書かれていますから皆さんよくご存知でしょう。音楽の知識・技術・経験に加えて、その卓越した企画立案実行の能力が、中小企業の経営者達からも注目されている指揮者です。山形交響楽団がマスコミに露出する機会が増え、注目される事が楽団員のモチベーションや集客力の向上に結びつき「実績」を残しています。

1119最近お天気の悪い日が多く、今朝、少しの晴れ間から見えた鳥海山は中腹まで真っ白。その後、すぐにどんよりとした曇り空になり冷たい雨まで降ってきました。

山響第200回定期演奏会は、11/21(土)と22(日)の両日、山形テルサで行われます。
ちょうど、ソルノク響が山形にやって来るのです。
以前もブログで紹介したように(「酒フィルとソルノク響」「続・ソルノク響」を参照)、11/21(土)は遊佐公演、11/22(日)が酒田公演ということで、完全にかぶってしまっております。H18年の酒フィル・ソルノク公演、ソルノク響日本公演、H19年のブダペスト旅行などで大変お世話になったソルノク響、特にフルートのバルボーラも来ますし、先日酒フィルを指揮して頂いた井崎正浩氏が音楽監督としての凱旋公演でもあり、また遊佐公演、酒田公演の両方とも「実行委員」にされており、私もいろいろお手伝いをしなければなりません。
そこを押しての「第200回」。
これを逃したら、この4人の指揮者が一堂に会する演奏会などもうないでしょうし、千秋先生の指揮など(失礼ながら)あと何回観る事ができるだろうかと考えてしまいます。演奏会後にはおそらくいつもの「霊」会もあるでしょう。楽しみです。

そして、、、、、
H19年のプラハ旅行でもお世話になった(H18年の正月にもお世話になりましたが)、チェコフィルの友人が来日します。2年振り(?)のチェコフィル日本公演が始まっています。11/20から28までの9日間で7公演をして慌ただしく北京公演に向かいます。
私の休みとチェコフィルの公演がうまくマッチするのは、11/23(月・祝)のサントリーホール。マエストロ・ブロムシュテットの指揮でブルックナーの8番一曲です。このため、11/22(日)のソルノク響酒田公演、その後の懇親会などに参加して11/23の朝の飛行機で上京、チェコフィルが泊まる品川のホテルに宿を取り、アフラートゥスのメンバーであるフルートのロマン、オーボエのヤナ、ファゴットのオンジェイに会う予定です。11/24(火)は通常通りの診療の予定ですので、早朝7:15羽田発の飛行機で帰って来る予定です。

大変忙しい、充実した週末になりそうです。

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2009.11.16

創立60周年記念コーロ・プリモ演奏会に出演する

いろいろと、仕事、プライヴェイトで多忙なので、ゆっくりブログを書く暇がございません。
写真を中心に載せておきます。

宝塚歌劇団で声楽教授をされていて、後に酒田に戻って「ボーカルスタジオ」そしてそこの合唱団を設立し、酒田市名誉市民になった故加藤千恵さんの教え子の一人であった、歌手岸洋子が昭和45年のレコード大賞歌唱賞に輝いた名曲「希望」。
その名を冠した酒田市民会館「希望ホール」で、ボーカルスタジオ合唱団が発展してできた合唱団『コーロ・プリモ』の創立60周年記念演奏会に酒フィルの一員として出演させて頂きました。


PhotoPhoto_2演奏会の前半はピアノ伴奏で合唱のみのステージ。後半は、写真のようにオケが乗ってオペラ名合唱集という企画。私は全曲ピッコロ担当。結構難しくて苦労しましたが楽しみました。


Photo_3Jsプログラムの最後、『椿姫』から有名な「乾杯の歌」。独唱は、テノールが関矢基博さん、ソプラノが関矢順さん、そうJS先生。
映画『おくりびと』のエンドロールに、「合唱指導」とクレジットされているお方です。
素晴らしい歌声でした。
演奏しながら聴いていて笑顔になってしまうような、そんな歌声なのです。
BRAVO、bravissimoでした。

こんな素敵な「地元音楽家」とご一緒させて頂く、11/29(日)のサロン・コンサート第6回。緊張します。練習しなくちゃ(でも練習する暇が余りないのが悩みです)。

「打ち上げ」では、先日当選されたばかりの市長や副市長までいらして頂き、楽しい宴会となりました。さすが合唱団、無骨?無粋?なオケマンと違って芸達者。様々な宴会芸が飛び出します。

Photo_4写真は「光呂なんたら神社」という幟と、酒田名物の獅子を、笛や太鼓に乗せて会場を練り歩き、「酒田まつり」では有名な光景である、獅子の口に「ぱっくんちょ」というのをやっていました。
もちろん真面目に男声合唱をやったり、真面目な挨拶もあった後の、事ではありますよ。

無芸の酒フィルとしても、これはやらねばならん、ということになり、得意の「最上川舟唄」の大合唱と船頭さんと舟の芸。口で説明するのは難しい。
Photo_5写真は、2007年の夏にJAO全国大会を酒田で行った際の、初日の希望ホールホワイエでのレセプションで披露した「酒フィル宴会芸:最上川舟唄」の1シーンです。真面目に歌い、船頭さん役が舟に見立てた人の足を大きく漕ぐという、それだけなのですが、受けます。

しかも、合唱団の宴会。「我こそは!」と歌いたがる参列者が3人もいて、普通は1番、2番で終わるところを6回も繰り返されて、舟も船頭も汗だくでした。
お疲れさま。
楽しかったね!

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2009.11.14

明日はコンサート出演

日付が変わりそうですが、急いで記事をアップします。

明日11/15(日)は、合唱団『コーロ・プリモ』の創立60周年記念演奏会です。
昭和24年、宝塚の声楽教授をされていた故加藤千恵先生が酒田に戻られて「ボーカルスタジオ合唱団」として誕生。これまでに、「ミカド」「フィガロの結婚」「椿姫」などのオペラにも挑戦し、昨年春には我々酒田フィルハーモニー管弦楽団とともに「ラ・ボエーム」公演を成功させた、伝統と実力の合唱団です。

Photo明日のコンサートは、前半が合唱団のみの演奏で後半に酒フィルが入ります。
その最終リハーサルを本日の夜、希望ホールで行いました。私は全曲ピッコロ担当なので出番は多くありません。写真は、マスカーニの『カヴァレリア・ルスティカーナ』から開幕合唱の「オレンジは薫り」の途中です。

Photo_2写真はヴェルディの『椿姫』から有名な「乾杯の歌」の1シーン。
 ソロを歌っているのは、テノールの関矢基博さんとソプラノの関矢順さん母息子。このお二人が11/29に『ジョンダーノ・ホール』で開催する「癒しのコンサート〜五人の地元音楽家による〜」のメインの出演者なのです。

さあ、明日、いいコンサートとなりますように。私はフルートよりも緊張度の高いピッコロですが、演奏を楽しみたいと思います。

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2009.11.11

音楽と脳〜サロン・コンサート第6回の告知〜

Photo今月の末、11/29(日)に拙クリニックの『ジョンダーノ・ホール』で、写真左側のチケットに記載されたコンサートを行います。
サロン・コンサート第6回を兼ねて行いますが、主催は「(社)日本ピアノ調律師協会東北支部山形ブロック」です。『ジョンダーノ・ホール』に置いてある、元「G7」でハンマーや弦などを手直し補修して、もはやヤマハのピアノではない音がするうちのピアノ。これを「造った」I楽器のT氏が中心になって企画されたものです。

「五人の地元音楽家による協演」となっています。
五人とは、市内で音楽教室を主宰し、合唱団「コーロ・プリモ」の指揮指導をされているソプラノ歌手の関矢順さん(当ブログでこれまでJS先生と書いて来た方です)、そのご子息で中学教師であり国立音大声楽科卒のテノール歌手関矢基博さん、市内で音楽教室を主宰されているピアニストの光国寺菊栄さん、そしてそして、なんとも恐れ多い事にフルート奏者の私とチェンバロ奏者の家内を加えて「五人」なのです(すみません、、、)。

『癒しのコンサート』〜五人の地元音楽家による協演〜
日時:平成21年11月29日(日)、開場13:30、開演14:00
場所:くろき脳神経クリニック ジョンダーノ・ホール

入場「無料」です!

一応、念のため、「黒木脳神経クリニック」ではなく「くろき脳神経クリニック」であり、「ジョンダノホール」ではなく「ジョンダーノ・ホール」ですよ〜。

私ども夫婦以外の3人の音楽家はお一人お一人でお客さんを呼べる実力者ですので、満席70名の小さな『ジョンダーノ・ホール』に入りきれるのかどうかちょっと心配です。そのため「入場整理券」がありますので、ご入用の方はお問い合わせ下さい。

上の写真の右側の本は、3年程前、銀座の山野楽器で日本国内では初めて(その前にプラハでお会いしていましたが)スタンダ・フィンダと奥さんの志保子さんにお会いした時に買い求めた本。実は、内容はかなり難解で、邦訳のせいか読み進みにくい本なのでまだ読み終わっておらず、部分的に拾い読みしているのです。
邦訳のタイトルは「音楽する脳」となっていますが、原題は"Beethoven's Anvil - Music in mind and culture"、直訳すると「ベートーベンの金床〜心と文化の中の音楽について」という訳の分からないタイトルなのです。
動物と違ってヒトには音楽を創り出し表現し継承する能力がある。音楽はヒトの心を表出しそれが文化を形作る、その過程そのものが人間の世界における音楽芸術であり、ベートーベンが苦労して音楽を生み出した、まるで「金床(かなどこ)」で鉄を鍛え上げる様に苦心して努力して創り上げたものなのだという意味のようです。

音楽家の中でも「演奏家」は、作曲家が創り上げた音楽を楽譜などから読み取り、解釈して、それを自分のものとして表現する人たちです。生の演奏会では、それまでに培った技術や能力を使って、その解釈を表現するのですが、「時間芸術」である音楽は表現するそばから空気の中に拡散し消えて行きます。聴いている人がいなければそのまま「無」になってしまうのですが、観客がいる事によって聴いている人たちの耳から脳に届き、そして「こころ=感情、記憶といった脳の機能」を刺激して何らかの影響を与え一部は残ります。

私達の演奏が、観客のこころに届き何らかの「癒し」を与えるものになる事を願っています。
それにしても練習しなくては。。。(苦笑)

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先日来、大胆にも公開している酒田フィル定期演奏会のGPの録音。
今日で最後の予定。
ついに「ドヴォ7」の「第4楽章」のGPです。是非、イアフォンかヘッドフォンでお聴きになられる事をお勧めします。
パソコンのスピーカーとイアフォンで比較してみたのですが、全然音質、響きが違います。「希望ホール」の無観客状態の残響の長いホールでの演奏をお楽しみ頂ければ幸いです。

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Photo_2「癒し」といえば、この子達。
先日11/6の朝、出かける時に撮っていた写真です。「チャペ」はお庭のベンチを独り占め。「大きいさん」と「小さいさん」はいつもとちょっと違う位置で「御主人」をお見送りです。。。

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2009.11.09

金浄寺でバロックハープを聴く

11/7(土)の仙台での中学同期会は遅くまで楽しく飲みました。あらかじめホテルをとっておいたので久しぶりの仙台お泊りでした。

11/8(日)、朝はゆっくり目に起きて朝食を摂り10時頃出発。鶴岡を目指します。
鶴岡の金浄寺さんでのコンサートを聴くためです。
昨年は私が金浄寺さんで講演とフルート演奏もさせて頂きました。「この1週間」という記事の中程に『脳からみた心のいやし方』というタイトルで行った講演の事を書いています。
昨年の11月には、リコーダーとチェンバロのコンサートを聴きに行きました。「太田光子リコーダーの世界」という記事をご覧下さい。

その前に、折角鶴岡に行くのだから、「イル・ケッチャーノ」に行ってみようと思い、月山新道から湯殿山インターを使わずに一般道で鶴岡に向かいました。
Photo「アル・ケッチャーノ」の方は、有名になる前も超有名になってからも何回か(あわせて8回くらい?)行っているのですが、「イル・、、、」の方で食事はした事がありませんでした。
少し位は待つけどなんとかなるだろう、、、と行ってみたら、なんと!貸し切りでした。
「食育文化研究会」という名称で団体さんがどど〜〜んと入っていました。貸し切りで一般客お断りということは来てみなければ分からない訳で、秋田ナンバーや新潟ナンバーの車の人たちが「え〜!!!」とがっかりしておられました。
そのため、「アル・、、、」の前には恐ろしい程の行列ができていました。

人気のあるお店である事は認めますが、予約でコース中心になったと言う噂の「アル・、、、」に対し、予約なしに誰でも気軽に来る事ができるお店として開いたはずだった「イル・、、、」を団体に貸し切りにしてしまっては、ぶらっと食事に行けるお店ではなくなってしまったと言う事で、大変に残念です。私の様に庄内に住む者は「しょうがねぇな〜、また来るか。。。」で済みますが、県外からわざわざ来られた方はかわいそうだと思いますし、折角鶴岡の片田舎まで来たのに申し訳ないと、私が経営者なら考えます。


ということで、鶴岡辺りでパスタを食べるなら『緑のイスキア』か『ファイヤーボール』でしょう、ということで家内のリクエストで後者に。

Photo_2Photo_3左が家内のオーダー、「鶏肉と野菜のスパ、トマトソース」で右が私のオーダー、「鶏のど肉のトマトソーススパ」。
名前が似ていますが、ちょっと違います。
左は普通の美味しいトマトソース。ナスなどの野菜が効いていてウマウマです!
右はホールトマトを茹で潰してクリームを加えたようなトロトロのソース。そして同じ鶏肉でも「のど肉」というのは何とも言えない食感で、さらに驚く程大量にゴロゴロと入っていて満足感150%位でした。

イタリアンでも、パスタなどはおやつ代わりに食べたりするものなのだから、こういう風にぶらっと行ってササッとたべて、ああ美味しかった!という感じでなければ行けませんね。「アル・、、、」と「イル・、、、」はそういうお客さんも無視しないで欲しいと思います。

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さて、昼食の話で遠回りしてしまったので、コンサートの話に戻ります。
Photo_4今回の「金浄ルネッサンス本堂コンサート」は、西山まりえさんというチェンバロ&バロックハープ奏者と春日保人さんというバリトン歌手のコラボ演奏会でした。
タイトルの「和洋邂逅」とは、400〜450年程前、日本では安土桃山時代、織田信長や豊臣秀吉らは見て聴いたであろう16世紀の西洋の音楽、当時使われいた「バロック・ハープ」という物を使っての演奏会、そして日本の民謡、そして明治以降の日本の唱歌などを組み合わせたユニークなものでした。

歌の持つ力は凄い!と思わされました。
歌詞があるので、まず音楽以前に言葉の力があります。そして歌声という演奏が加わり、歌い手の思いや心が伝わります。春日さんの歌は、楽しく、切なく、明るく、暗く、華やかに、ひそやかに、本堂に集った観客に語りかけて来ます。
西山さんは、とても可愛らしい容姿でその筋では有名なチェンバロ奏者。やや大きめの(と言ってもグランドハープに比べればひとまわり小さい)バロック・ハープからは、何とも言われない優しい音色が語りかけ、歌の伴奏をし、オブリガートをつけ、ソロ演奏で楽しませて頂きました。
Photo_5バロック・ハープの近影。
弦が3列になっていて、真ん中の列に多く、その両脇に張られているのですが、全音階、半音階をここで弾き分けているようでした。
弦はガット弦のようで、低音部はかなり太い物でした。
演奏会が始まる直前までかなり念入りに調律していて、休憩時間にもまた調律していましたが、演奏中に微妙に狂って来ていました。肌寒い本堂の中で、ストーブを焚き、人の体温、呼吸があり、演奏する中でどんどん狂って来るのはチェンバロと同じか、それ以上に繊細な感じでした。


Photo_6中世ゴシック・ハープの写真を撮り忘れてしまったのですが、休憩時間に調律をしている姿を撮ったこの写真の中に写っています。
「西山まりえさん」と大書された正目柱に張られた紙の横に、黄金?の布の上に横向きに置かれたギターよりも小さいくらいの、竪琴のような大きさで、形はハープと同じ物がそれです。
今から7~800年前の中世に使われていたものですが、現存する楽器はないらしく、その当時の絵画から想像して復元された物が「中世ゴシック・ハープ」と呼ばれています。
ハープというよりは、小型のお琴(箏)の様な、琵琶のような音がしていました。

Photo_7春日さんは、バリトン歌手ですが、篠笛やコカリナ(オカリナとは別物)、しまいにはティン・ホイッスルなども取り出し、巧みに演奏されていました。
一番前の席に居て隠し撮り(?笑)した一枚ですが、ちょうど西山さんが中世ゴシック・ハープを演奏し、春日さんが篠笛を吹いている時でした。貴重な写真です。

Cdお二人ともお話がお上手で、特に春日さんはMCも慣れていらっしゃるし、声楽家というのは「演技」も普通にするもの(オペラ歌手だけでなくとも、歌いながら演技をする事はよくあります)なので、歌唱以外も十分に楽しめました。
CDを購入しサインを頂きました。左は『天正遣欧使節の音楽』というアンサンブルグループ「アントネッロ」の演奏を納めたもの。西山さんも春日さんも参加しています。
右は西山さんの『バロック・ハープとの出会い』というCDです。日本人では、バロック・ハープのソロアルバムを出した最初の一枚だと言う事です。

コンサート終了後は、出演者と本堂でのざっくばらんな会話もここの演奏会の魅力。
西山さんは、録音関係の技術者である御主人を運転手に車に2台のハープを積んで、千葉からいらしたとの事。春日さんは、ご出身が熊本で、そういうこともあって前半のプログラムには熊本の「福連木の子守歌」や「五木の子守歌」、そして宮崎の「日向木挽唄」が入っていました。

MCでも言っておられましたが、実は鶴岡の郊外には加藤清正のお墓があります。「黒鷺城」と呼ばれる熊本城を造った加藤清正の嫡男忠広が若く(長男、次男が病死し11才で世継ぎとならざるを得なかった)、更にいろいろと問題を起こしたために改易され、庄内の酒井忠勝(先日もブログ記事に書いた様に、鶴岡庄内藩初代藩主)にお預けとなり、旧櫛引町(今の鶴岡市の一部で横綱柏戸の出身地)に「出羽丸岡藩」という石高一万石という見かけ上の大名となったのです。
加藤忠広が死去して丸岡藩は消失し、忠広について来た家臣の一部はそのまま庄内にとどまり鶴岡酒井家に召し抱えられたとの事です。幕末の西郷隆盛と庄内藩の関わりよりもずっと以前にこのように九州と庄内の深い関わりがあったのです。

会場の人たちのうち、この話に感銘を受けた人がどのくらいいたでしょうか。
おそらく熊本出身の春日さん以外には、両親が宮崎生まれで自身は福岡生まれの私くらいだったのではないでしょうか。

ということで、コンサートと関係ない話ばかりになったのでこのあたりで。。。

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昨日に続き、先日の定期演奏会の演奏の公開(GPの継ぎ接ぎ録音ですが)。
今日は、「ドヴォ7」の「第3楽章」のGPです。

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2009.11.08

11月最初の土日

昨日土曜日11/7は、仙台で中学校の同期会があり、3年振りに参加して来ました。

Photo診療が終了して、レセプトの事務処理をして、クリニックを出たのは13:40過ぎ。
新蕎麦の季節ですし、「新蕎麦食べ放題」のチラシをみかけた、こあら町の蕎麦屋さん「こあら」に行ってみました。ところが時間が遅かったせいか「盛りそば、十割蕎麦、ダッタン蕎麦、麦きり」の食べ放題は終了していて、蕎麦も「十割」しかないとのこと。
蕎麦の挽きぐるみだと思うのですが、茶色いポツポツのたくさん入ったややボソボソ感のあるお蕎麦です。「喉越しがいい」とは言い難い。十割なので、時間が経つとぼつぼつと短く切れて来ます。
ここは、笊や蒸籠にもらずにお皿で出すので、やや水っぽい感じも残ります(乾燥してボツボツ切れるよりはいいですが、もう少し麺の水切りをして欲しいな、、、)。

味は悪くないのですが、新蕎麦をたぐり香りを鼻孔で感じる、、、という爽やかさが足らないかな〜。
挽きぐるみだから、栄養価は高いお蕎麦だと思います。


さて、家内は着物に着替え、仙台に向かって出発!
高速を「安全に」飛ばして17:00過ぎに仙台駅前のホテルと契約している駐車場に入りました。
Photo_2ホテルにチェックイン後、すぐにお出かけです。
家内は、ブログで知り合った着物フリーク(なんて呼び方で言いのでしょうか?)仲間のMさんとホテル前で待ち合わせです。そのため、酒田から着物を着て出かけたのです。
私はS-PAL地下の同期会会場へ。

同期会の写真は掲載致しません。いろいろ問題があるでしょうから。(何が?笑)
残念ながらお亡くなりになられた先生や、諸処の事情でお出でになれない先生もいるのは仕方ない事。それでも仙台一中、当時7クラスあった我々の学年のうち、担任が3人、音楽の担当で私の所属したブラスバンド部の顧問でもあった先生1人の計4人の先生がいらして下さいました。
今回の幹事クラスであった私のクラスから10名と最多の出席。他のクラスは、一次会はたった一人の出席のクラスもあり、合計27名。それでも中学卒業後37年!という驚く様な時を超えて、すぐに昔に戻り、楽しく飲み食べ語らいました。
仙台の地元に住んでいる女子の出席が多いのは仕方ないのかな。
二次会も楽しく酒を飲み、久しぶりに大笑いをしてきました。


3次会、4次会と行った強者もいたようですが、私は本日鶴岡であるコンサートを聴くため、早めに戻らなければならなかったので、0時前にホテルに戻りました。
今日の、鶴岡の事は明日以降書きましょう。

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ところで、大胆にも(?)、先日の定期演奏会(10/25)の演奏を少しずつ、小出しにして、公開し始めました。
ソリストの演奏は勝手に公開出来ないので、まずはアンコール曲「ドヴォジャーク作曲スラブ舞曲第1集3番」Op.46, No.3から。演奏は本番ではなく、GPというか直前練習の継ぎ接ぎです。

つづいて、メインの「ドヴォ7」。
まずは「第1楽章」のGPです。全部は収録していません。途中で停めたり、やり直したり、の演奏を繋いだものです。

もういっちょ!
同じく「第2楽章』のGPです。フルートが目立つ部分が多いです。

第3、4楽章は明日以降にアップする予定です。
記録が目的ではありますが、できれば聴いてもらいたいな、、、と意識している人が何人かいらっしゃるのは偽らざる事実です。v(^^)

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2009.11.06

これからの演奏会

今月自分が出演するものです。

(1)「創立60周年記念コーロ・プリモ演奏会」
日時:11/15(日)、開演14時
場所:酒田市民会館希望ホール「大ホール」
料金:1,000円(学生無料)
 酒田で最も伝統のある合唱団の一つ、コーロ・プリモの演奏会の第2部で、酒フィルとして出演します。
合唱団コーロ・プリモは、先日、酒田市庄内文化賞を受賞されたばかり。こちらの記事「荘内日報ニュース」をご覧ください。


(2)サロン・コンサート第6回「癒しのコンサート〜地元の音楽家による〜」
日時:11/29(日)、開演14時予定
場所:ジョンダーノ・ホール(くろき脳神経クリニック「リハビリ室」)
料金:無料!
定員:70名(先着順)
出演者:関矢 順、関矢基博、光國寺菊栄、黒木 亮、黒木香乃(敬称略)

 オスカー受賞作『おくりびと』の始めの方に、希望ホールで収録された山形交響楽団と「酒田第九を歌う会」による『第九』演奏シーンがありますね。その合唱の指導をし、映画のエンドロールにしっかり名前がクレジットされ、また、故佐藤久一さんのことを書いたあのなが〜〜〜いタイトルの本に「ソプラノ歌手」として出ている、このブログで何度もJS先生と書いた関矢順さんとその仲間達というプロの音楽家に混ぜてもらいます。
 関矢先生(歌唱)や光國寺先生(ピアノ)の演目はわかり次第ここに告知致します。

我々夫婦の演奏「予定」曲目:
1)メンデルスゾーン-シュテックメスト/「歌の翼」による幻想曲(4'30")フルート+ピアノ伴奏

2)テレマン/フルートソナタ ヘ短調(11'30")フルート+チェンバロ

(アンコールがあれば)
3)バッハ/フルートソナタ 変ホ長調 第2楽章 Sicilliano(2'10)

ことしはメンデルスゾーン生誕200年でしたが、春のファミリーコンサートも、秋の定期演奏会もメンデルスゾーンを取り上げなかったので(私は交響曲『スコットランド』を推薦していたのですが)、いよいよ年も押し迫った11月末に取り上げます。フルート吹きには大変有名な曲です。
練習を重ねて、少しは人に聴いてもらえるレベルになったら、「自惚れコンサート」にも収録する予定。

さて、練習練習。。。

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ついに、先日の酒フィル定期演奏会の演奏をアップしてしまいました。
といっても本番ではなく、本番当日午前中のGPです。前日予定のリハーサルにマエストロが間に合わず、当日の朝のGPからの棒となりました。
「あと1回で本番だ、、、」という緊張感と諦めと背水の陣という感じです。

まずは「260. アンコール」からです。
その他の演奏も徐々にアップして行く予定です。

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2009.11.03

文化の日「市民音楽祭」

酒田市の市民音楽祭は今年で第52回目とのこと。
私と同じ年ということになる(途中で中止などがなければ)。

今回、酒田フィルの出番は最後の最後、全合唱団と酒吹との合同でワーグナー作曲 歌劇『タンホイザー』から「大行進曲」。実は昨年もやった演目。「タンホイザー『大行進曲』」をご覧下さい。

午後2時開演で、前半10団体(合唱が中心だが、ギターや弦楽合奏もあり)、後半8団体の出演。
Photo休憩時間には、ホワイエで酒フィルのチェロから5人でロビーコンサート。チェロだけ5本の渋い、柔らかな演奏を市民は楽しんでいました。

いよいよ最後の最後、18番目が酒田フィルハーモニー管弦楽団と酒田飽海地区合唱団による演奏。
昨年は、バンダをステージ下手に立たせて演奏しましたが、今年はできれば2階席、バルコニーから演奏したいと考え、酒吹のトランペット奏者6名が参加して下さいました。

Photo_2Photo_3写真は家内が2階席前の方から撮ってくれたのですが、左右のバルコニーのバンダが一緒に収まる角度ではなかったため、2枚に分けて撮影。

最初にバンダのファンファーレが始まった時、1階席の観客達は「え?!何事?」と言う感じで、左右のバルコニーを見上げていました。ファンファーレが頭上から降り注ぎ、残響の長い「希望ホール」の中をコダマして見上げるとそこにはラッパを吹く人たちが。
これだけでかなりドラマティックな視覚・聴覚効果があったのではないかと想像します。

Photo_4メインは大合唱による「大行進曲」。
合唱団の女性の衣装から数えて少なくとも10団体以上の混成合唱。
酒田フィルは、つい9日前に定期演奏会で燃えた後でもあり、やや参加が悪く、酒吹さんからチューバはもちろん、トロンボーン、ファゴット、そして打楽器に出演頂きました。
弦はすべて自前のトラなしというのは珍しい感じ。

演奏がどうだったのかは、お客様の感想を聞いていないので分かりませんが、酒田市民による音楽団体が18も出演して3時間弱に及ぶ「第52回市民音楽祭」は楽しく幕を下ろしたのでありました。

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今日のオマケ
先日初めて行った「ぷちぽあ」に先の土曜日にランチに行きました。
Photo_5家内は土曜日のランチセット。
鶏肉のソテー、赤ワインソース。お肉の火加減が絶妙で赤ワインの香りと酸味が食欲をそそります。

Photo_6私はハンバーグランチ。
そういえば、外食でハンバーグなんて久しぶり。ミンチのお肉は、ステーキや豚カツなどより格が落ちる感じがしますが、こういう「手を加えた」料理こそそこの料理人の腕が分かるのではないでしょうか。
お昼ご飯らしくやや小さめのヴォリュームですが、実にオーソドックスなハンバーグでした。ソースも何も奇抜な所のない、いわゆる普通に美味しいソース。食べていてホッとする様な味です。ランチとしてはこの二人分(食後にコーヒーがついて)で1600円というのはお得感もあります。
一昨日のブログ記事に載せたラーメンが2つで「ぷちぽあ」のランチ2人分よりも高いのですから。


さて、次は11/15(日)のコーロ・プリモの演奏会への出演に向けて、ピッコロの特訓をしなくては!

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2009.11.01

久しぶりの「寝て曜日」?

11月1日(日)、今年もあと2ヶ月になりました。
先週の酒フィル定期演奏会から1週間。
「燃え尽き症候群」ではありませんが、特に「これ!」というトピックスもなかったのでブログもちょっとサボり気味でした。
今日は、本当に、久しぶりに特に用事のない日曜日。ということで、9時半過ぎまでベッドでぐだぐだ。こんな日曜日はいつ以来だろう、、、思い出せないくらい。

しかし、生来の「貧乏性」故か、10時過ぎにはクリニックに出かけ、先週の脳ドック受診5名のデータ整理とレポート作成。お陰さまで、最近はコンスタントに週に2〜6名の脳ドック予約が入っております。

お昼過ぎには昼食を兼ねてお出かけ。
旧松山町(現酒田市松山)の松山文化伝承館で「東洲斎写楽展」をやっているので観に行きたいと思っていて、ようやく日中に用事のない日曜日が生まれたのです。
Photo松山に行くなら、やはり「松山軒」か「四十番」、ということで今日は「松山軒」へ。
今年の春以来(「酒田雛街道巡り」の記事参照)です。「四十番」も「松山軒」もテレビ取材などを受けている有名店。雨降りの肌寒い日曜の午後1時過ぎ、行ったら丁度客の切れ目か、誰もお客さんがいなくてビックリ。

前回はオーソドックスなラーメンを味わいましたので今回は変化球で。
Photo_2こちらお店の「トシちゃん」お勧めの「スタミナ麺」。YBCで取りあげられたのもこのラーメンです。お店の人は何の迷いもなく私の前に持って来ましたが、実はこれを注文したのは家内です。着物を来た女性が頼むものじゃあないですね。(笑)
ニンニク摺りおろしが乗ったチャーシューはそのまま私のどんぶりに移りました。

Photo_3こちらが私の注文した「もやしラーメン」。
もやしのシャキシャキ感と極太縮れ麺のモチモチ感のコントラストが口の中で素晴らしいアンサンブルを奏でます(まだ演奏会モードか?!)。想像と違って、スープはピリ辛でした。以前食べた時に感じた、ちょっと一種独特のスープの甘さがくどい感じもしますが、好きな人は好きでしょう。

家内の「スタミナ麺」の方が、見た目よりも辛くない。スープも甘めの味噌味がベースに魚系の出汁が効いています。極太縮れ麺が良く合います。野菜から出た甘みだけなのだろうか?何か砂糖を加えた様な甘みが口に残ります。でも麺は本当に美味しい!

口廻りをベタベタにしてお店を出る訳はないのでありまして、きちんと置いてあったテッシュペーパーで口を拭って店を後にして、「松山軒」からほんの目と鼻の先の「松山文化伝承館」へ。
Photo_4ここは、庄内藩酒井家の分家にあたる酒井家の治めた松山藩の城趾。
酒井家と言えば、今「天地人」ではかなりの悪役として描かれている徳川家康の四天王の一人酒井忠次の嫡流。酒井忠次の正室は家康の伯母にあたるので、酒井家は名門譜代というだけではなく家康の近い親戚でもある。酒井忠次の2代後の酒井忠勝が信濃松代藩から加増されて庄内に入部。庄内藩酒井家の初代忠勝の三男忠恒が出羽松山藩の祖と言う事になります。
Photo_6戊辰戦争では、官軍に最後まで抵抗した庄内藩ですが、枝藩の出羽松山藩も城は取り壊されたのですがこの大手門だけは「今更謀反もあるまい」と残す事が許され、今も松山文化伝承館の敷地のど真ん中に大切の保存されています。

Photo_5常設展として最上川をはじめとした風景画で知られる真下慶治の絵が飾られており、今は「最上峡から酒田まで」でした。写真の右奥の方がその常設展示場です。
今回の写楽展は、今年のGWに山形で観た「四大浮世絵師展」に比べればその量も迫力もこじんまりとしていますが、一枚一枚大変に興味深い人物像でした。

そのあとは、今年中に引っ越す予定なので家具などを扱う店を見学。なかなか良さそうな物もいくつか物色。新居に引っ越した後の妄想が私の脳の中で駆け回ります。(苦笑)

さて、夜は希望ホール大ホールで明後日11/3の「市民音楽祭」のリハーサルです。

〜〜〜〜〜
本日のオマケ。
最近、家猫ではないいわゆる「野良」が白さんズ以外にもう一匹増えた事は先日書きました。
Photo_7Photo_8隣家の倉庫の壁が白いので、朝の陽光を浴びて体を温めている3匹。
時々違う場所に座りますが、この2枚の写真は10/25と10/29のもの。右から「小さいさん」「大きいさん」そして新参者の「ちゃぺ」です。
この方々の引っ越しは、ちょっと難しいかと。。。

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