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2009.11.24

山響第200回定期初日を聴く

(11/28追加)
音楽評論家の東条硯夫さんが、今回の「200回」定期を11/22(日)聴かれて、山響ファンが泣く様な嬉しい評論をブログに書かれていますのでご紹介申し上げます。
「11・22(日)山形交響楽団第200回定期演奏会 歴代4人の指揮者が競演」をご覧下さい。

〜〜〜〜〜
土曜+2連休は、「山響」(「山形交響楽団HP」は←こちら)、「ソルノク響」、「チェコフィル」と怒濤のオケ三昧。
まずは時間に従って思い出しながら書いてみましょう。

11/21(土)。
土曜の診療は少々延びて13:30過ぎに終了。急いで昼食を摂り、14:30に約束していた荘内病院勤務の某医師の訪問を受ける。開業を計画しているため、拙クリニックを見学に来たのだ。いろいろ話し込んでしまい、結局16:00頃までかかってしまった。
今年初の冬タイヤでの月山越えなので余裕を持って16:00過ぎには出かけるつもりだったが、16:20過ぎになってしまった。お世話になっているマエストロ井崎率いるソルノク響が遊佐公演をするのはわかっているけれど、後ろ髪を引かれる思いで、山形に向かう。月山道は途中薄い積雪もあり、月山第一トンネルを過ぎて少し下った辺りで案の定交通事故。15~20分位、そこで足止め。まったく動かず、道路もカーブしている所で先も見えないので不安になるが、「しょうがない、なるようにしかならない」と腹を決めたら少しして車をクレーンで移動する車両が通り、まもなくなが〜〜い行列が動き出した。いや実際、20分足らずで済んで良かった。18:30過ぎに山形テルサ前に到着。着物の家内を降ろして私は少し離れた駐車場へ。

200今日は、記念すべき第200回。
プログラムも華やかで分厚い(全39頁)。
指揮者も4人出るため、いつもの「プレトーク」はなし。楽団員がステージに揃った所で下手から音楽監督の飯森さんとYBCアナウンサーの青山さんが登場。青山友紀アナはいつもの報道の時とはガラッと変わって、濃い青色のカクテルドレス姿で華やかさを添えます。

二人で第200回を祝う話をして、最初の指揮者黒岩英臣氏を迎える。
ワーグナーの「タンホイザー」から序曲を演奏。
少々熱が入りすぎた様に感じるところもあったが、いつもの様にスマートに、そして情熱的にタクトを振っていた。山響は、本当に超満員のお客さんに感激した様子で熱く演奏されていた。演奏後、1回のカーテンコールの後、下手袖近くで、飯森さん、青山さん、黒岩さんの3人でトーク。
「何故、この曲を選んだのですか?」との問いに「好きだから」と黒岩氏。そして「ワーグナーが素晴らしい。山響が素晴らしい。もしかすると僕がまだ足らなかったかも、、、」とのコメント。

2番手は、工藤俊幸氏。
鶴岡出身の作曲家故佐藤敏直氏の「星と大地(つち)とによせる舞曲」を演奏。
現代曲らしい、無調的な、変拍子の多い、やや難解な曲を、いつもの様に「キッチリ」と振っていた。とても素晴らしい曲だと思う。こんな素晴らしい作曲家が地元にいらしたのかと認識を新たにし、7年程前に亡くなられている事を本当に惜しいと今さらながら思う。ちなみに佐藤敏直氏の曲は、山形弦楽四重奏団も時々取りあげている。
酒田出身の工藤さんが鶴岡出身の佐藤敏直の作品を山形で山響で演奏する、という事だけで十分と思うが、工藤さん自身が小学校時代に村川山響の音楽教室を聴いて音楽家になりたいと思い、努力して現在山響指揮者になっているということがまた素晴らしいと思う。単なる地元びいきとか身贔屓ではなく、やはり「地元」に根ざした音楽をやるという事も必要だと思う。

Photo休憩時間の間に、芸工大生が「200回」を記念して作成したオブジェを観る。
こちらは2階のロビーに展示してあったもの。ウェディング・ドレスのようにも見えるが、、、大地をイメージしたものらしい。

Photo_2こちらは1階のホワイエから2階にあがる階段前に展示されたオブジェ。4曲目の「火の鳥」をイメージしたものらしい。

休憩後、3番目はいよいよ山響創立名誉指揮者村川千秋氏の登場。
登場しただけで場内のボルテージは一気に上がり、演奏前からスゴい拍手。皆、村川さんを楽しみに今日の演奏会に来た事がよくわかる。
得意のシベリウスから「カレリア組曲」。
ああ、、、いいなぁ。
指揮台の上で、音楽をする喜びに満ちあふれて、笑顔でタクトを振り、体を揺すり、オケを鼓舞し、軽快に動く千秋先生を見ているだけでこちらも喜びに満ちて来る。その姿を観ただけで不覚にも涙が出そうになる。クラ、オーボエ、ファゴット、コール・アングレなどの歌う第2曲は心癒される。そして「行進曲風に」の第3曲は、千秋先生と山響が一体となって素晴らしい音楽を奏でた。

嵐の様な拍手と数々のブラボーの声。
千秋先生の姿を見ている山響団員も皆笑顔。団員の中には、オケ創設期の苦難は勿論、村川千秋という音楽家を知らない世代も多くなっている。それでも一緒に音楽をやると、たちまちその素晴らしさは理解出来る。言葉は必要ないのが音楽の良いところだ。
Photo_3この「喜び」を記録したかったのでこっそり写真を撮らせて頂いた(フラッシュ炊いてる人がいましたが、私ではありませんよ、笑)。拍手は鳴り止まず、数回のカーテンコールの後、下手の飯森さんと青山さんの元へ。
トークが始まるのでようやく拍手が鳴り止んだ感じ。ところが、MCの飯森さんが感極まって泣いてしまい声にならない。その姿を観て、また多くの女性ファンが涙するという、およそオケのコンサートに観られない貴重な光景。そのステキなお姿は飯森さんのブログに自ら公開されておりますので、是非ご覧下さい(「マエストロ、出番ですよ」から)。

千秋先生は、「本当は言うまいと思っていたんだけどね、、、」と話し出す。
「7年前に、もう山響は若い人に任せよう、と自分は一線を退いた。二度と振らないし口出しもしないと決めていたので、今日指揮をするのも断った。だけど「お祝いなんだから、、、」と言われて出て来ました。一言、皆さんに、今日ここにいない人も含めてみんなに『ありがとう!』」とお話された。それを聞いて、(千秋先生に少なからぬ縁のある者として)また涙が込み上げて大変だった。
音楽って、やっぱりいいな〜としみじみ思った。

さて、4曲目は音楽監督飯森範親氏。
ストラヴィンスキーの「火の鳥」。1910年原典版、1911年版、1919年版とある中、1945年版で演奏。おそらくは山響のサイズを考慮した故で、特に「凶悪な踊り」では1919年版と比べても金管部分が厚くなっている点も山響の特徴を考慮したものだと思う。
生まれて初めて買ったスコアがストラヴィンスキーの「春の祭典」だったという飯森さん。機会ある毎にストラヴィンスキーを振って来たとのお話。そして今回のこの「火の鳥」。さすが音楽監督。オケをまとめ引っ張る力は凄い。最近では一番一緒に活動する機会が多い訳だから当然ではあるけれど、オケが棒に一番付いて行っている感じだったし、タクトの先から音楽が出て来る感じがするのは群を抜いて飯森さんだったと思う。

喜びと感激と涙と大満足の演奏会はあっという間に終わってしまった。
その後、いつもの様にホワイエでアフタートーク。
Photo_4いつにもまして大勢のギャラリーが詰めかけ、4人のそれぞれの思いや言葉をうなづきながら聞いていた。黒岩さんはみずからのデジカメでインタビュー中の村川さんを撮ったり、4人並んだ姿を撮ってもらったりと、気さくな感じだったので勇気を出してちょっとお話させて頂いた。

話題は、10/24に酒フィルの定期演奏会のGPを見学に来られたご子息の事。ピアニストの黒岩悠(はるか)氏がブラームスのピアノ協奏曲を演奏する上で、是非参考にしたい、と久保陽子さんのブラームスのヴァイオリン協奏曲をGPから聴くためにわざわざ酒田にいらしたのでした。ご本人が出演されるコンサートがいつの事なのかお聴きしていなかったのですが、そのお話をしたら黒岩さん(英臣氏)が「ああ、(酒田の演奏会は)素晴らしいコンサートだったって息子が言ってました。(息子の)ピアノ協奏曲は先日終わったんですよ。」とのことで、あらためて調べてみたら、これだったようです。
「パイオニア交響楽団第20回定期演奏会のご案内」をご覧下さい。

続いてアフタートークが終わって知人友人に囲まれている千秋先生が解放されるまで、フルートの足達先生とお話。今日の演奏会にハープで乗っていた内田奈織さんともご挨拶(昨年、モーツァルト定期で「フルート&ハープ」で演奏されたコンビ)。実は、来年の5月頃に、ジョンダーノ・ホールで足達先生(フルート)と内田さん(ハープ)でのサロン・コンサートを開催する目論みがあり、その簡単な打ち合わせもさせて頂いた。
やっと解放された千秋先生がバックステージに戻る所をやっと捉まえてご挨拶。庄内のお土産をお渡しし、また一緒に演奏しましょうね、とお話しして別れる。千秋先生とお話し出来て幸せな時間だった。

アフタートークの内容はあまりよく覚えていないけれど、それぞれの山響に対する思いや思い出を改めて語っていた。また飯森さんは音楽監督らしく、「200回は通過点に過ぎません。これからもいろいろ思い描いている事があります。」とのことで、すでに40周年、300回はもちろん、その他にアジア遠征など思い描いている事がたくさんあおりのようであった。

山響団員の中から古参のメンバーで、トロンボーンの五十嵐達也さんとトランペットの佐藤裕司さんがインタビューを受けていた。村川さんらと草創期に自らトラックで楽器を運んだり、訪ねて行った小学校では自分たちで椅子を並べたり譜面台を出したりしたことなどお話されていたようでした。
その後、何人かの団員ともご挨拶し、山響ファンクラブの「霊会」に出席。
酒田に帰らなければならないので、ビールで盛り上がる人たちの中、ウーロン茶で乾杯しサラダを食べた。参加されていたコンマスのたかぎ〜さんとヤンネさんとも少々お話しし、23時過ぎにお暇。

帰りは眠くて眠くて仕方なかった。
無理もない。金曜の夜もいろいろあり、来週に迫った(ああ!あと5日後だ!)医師集談会の準備や同門会誌への寄稿文の準備やらなにやらしていて、あまり寝ていなかったのだ。
なんとか午前0時半頃帰宅しすぐにベッドに向かった。
明日(その日にとって、今日)は「ソルノク響酒田公演」。お手伝いする我々は朝の9:30に希望ホール集合なのだ。。。
(とりあえずここまで書いてアップ。後ほど改変するかも)

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