昨日、10/4(日)は日中にB音楽スタジオの発表会に出演させていただきました。その事は詳しく後で書きたいと思います。
まずは、「山響 in アトリオン」から。
秋田のアトリオン音楽ホールには、2年前の7月に初めて行きました。
その時のブログ記事は、「こちら」です。
今回ホールの写真は撮らなかったの、2年前の写真を使います。
正面にデデ〜〜ンとパイプオルガンがあります。
残響2.5秒と豊かな響きが特色で、ちょっと響き過ぎな感もあるため「風呂場の中の響き」と評する人もいるようです。客席は704席と山形テルサより100席ほど小さく、庄内町響ホールより150席程大きい、中規模ホールです。
秋田駅の直ぐ近くにあり、外から見るとこんな感じ。
音楽ホールは4階にあるのですが、1階からエスカレーターをぐるぐる、ぐるぐるっと回って上がっていかなればなりません。これがちょっと面倒。
今回の山響の演奏会は、前日10/3(土)のモーツァルト定期バージョン。
しかし、2曲目のオーボエ協奏曲(ハ長調)をピッコロ協奏曲に変えたプログラム。
ピッコロのソリストは、日本を代表するピッコロ奏者にして地元秋田が生んだN響フルート&ピッコロ奏者の菅原 潤さん。
フルート協奏曲ニ長調は、フルート吹きにとって憧れの名曲です。私も、ピアノ伴奏用楽譜、スコアなど版の違う物をいろいろ持っております。時々思い出したように練習したりします。今年の6月の上坂先生のサロン・コンサート&翌日個人レッスンでは、ニ長調協奏曲の第1楽章を少し見ていただきました。死ぬまでにかっこ良く吹けるようになりたいです。叶わぬ夢かも知れませんが、いつか、山響さんをバックにニ長調協奏曲とか「フルート&ハープ」とか演奏してみたいです。
妄想です。。。(笑)
原曲とされるハ長調のオーボエ協奏曲。
生では、昨年、希望ホールで聴きました。なんと、小澤征爾指揮新日本フィルの酒田公演。オーボエのソロは、もちろん新日のイケメン首席オーボエ奏者の古部賢一さんでした。
その時のブログに書いた文章をここでちょっと引用します(演奏会を聴く前の記事です)。
『1777年モーツァルト21才の時に、ザルツブルグのオーボエ奏者ジュゼッペ・フェルレンディスのために作曲したものです。その後、モーツァルトはオランダ人医師でフルート吹きのドジャンから作曲依頼を受けたのですが、その性急な依頼に応じるために1778年にオーボエ協奏曲をそのまま1音高く移調してフルート用に編曲し「フルート協奏曲 ニ長調」としてドジャンに送ったと言う事になっています。
。
フルート協奏曲ニ長調といえば、いつの世でもフルート吹きの憧れであり目標の一つです。技術的難易度は、イベールやハチャトォウリアンのそれに比べればおとなしいものですが、その美しさ、軽快さ、音楽の喜びにあふれた演奏をするのはそう簡単な事ではありません。音を出すことはある程度の演奏技術さえあれば、中学生でもできるでしょう。しかし、一つも無駄のない音をすべて意味のある豊かで軽快な音楽にするのは大変難しいと思います。
オーボエ協奏曲、大変大変楽しみです!』
この曲を、原曲のハ長調のまま、最低音がレ(=D)、つまりニ長調で吹くのが当然の楽器を使ってハ長調で演奏される。これを聞き逃したら一生後悔すると言っても大げさではないと思って秋田に向かったのです。
プログラム1曲目は、交響曲第7番二長調 K.45。
W.A.モーツァルト、12才の時の作品だそうです。なんと素晴らしい曲!
特に2楽章冒頭の、弦楽五重奏には感激。
第1バイオリンは特別首席コンマスの高木さん、第2バイオリンは首席のヤンネ舘野さん、ビオラは首席の成田寛さん、チェロは客演奏者の土田(?)さん、コントラバスは柳澤智之さん。名手5人によるアンサンブルは圧倒的でした。途中、高木さんが装飾で少し遊んだのか、指揮棒を降ろしたまま聴いていた飯森さんが高木さんの方を見てニヤッと笑っておられました。
そうそう、この日の演奏会の存在に気付いたのが遅かったのでチケットはぎりぎり先週中程に確保。左側ブロックの前から2列目。第1位バイオリンの3プルの真ん前辺りの席でした。
なので、最初に楽団員が拍手の中登場した際に、フォアシュピーラの犬伏さんにすぐに見つかってしまい、驚いた表情と微笑みを頂きました。
3楽章のメヌエット、4楽章の祝典的雰囲気の華やかなフィナーレ。素晴らしい演奏でした。
私の席の廻りは、当然秋田の人ばかり。
山響をアトリオンで聴くのは初めての人ばかりのようです。隣のオジ様などは、山響のノンヴィブラートの弦の響きの美しさに興奮して鼻息が荒くなったように感じましたし、観客のほとんどが山響のレベルの高さに息を飲むという感じでした。
そうそう、開演前のプレトークでは、これまでテルサや遊佐公民館、酒田市民会館希望ホール、新潟りゅーとぴあなど、山響が初登場する度に飯森さんが宣伝&説明して来られたピリオド楽器の話も出ました。フルートの足達さん、トランペットの井上さん、ホルンの八木さんが出て来られて実演し楽器の説明。フルートは、パウエル社の木製ですが現代楽器であり、フラウト・トラベルソなどとはまったく違います。14金や18金とは響きが違いますが、あくまで現代楽器でありピリオド楽器ではありません。
トランペットとホルンはナチュラル管で、ピストンやバルブがないため、倍音での音階に特殊奏法を加えて必要な音階を確保してみせます。最後に、トランペットとホルンの2本で、ヘンデルでしたか?王宮の音楽のような演奏がありました。残響2.5秒のアトリオンで、2本の金管の柔らかい音色がブレンドされて素晴らしい響きでした。
さて、戻って2曲目。
いよいよピッコロ協奏曲です。
オケは、6−4−4−3−26−6−4−3−2にオーボエとホルン。(コメントでらびおさんからご指摘頂きました)
チラッと音を外したのはご愛嬌としましょう。今日はそんな日のようです(私も酒田の本番で一音、音外しましたし、この後の交響曲40番でホルンが一音外していたようです、そんな事もあるでしょう、、、)。
N響コンサートでも普段使っておられるパウエルのグラナディラ、キーは14Kのお高いヤツです。生ですぐ近くで拝見する菅原さんは、柔らかく丸い手をしておられ、ピッコロ吹きにけっして有利な感じには見えません。でもさすが、軽々とあの音階や跳躍を演奏されます。
1楽章のカデンツァは『魔笛』のフレーズやらどこかで聴いたモーツァルトのメロディがまぶされているオリジナルのようでした。手書きの楽譜を、印刷された楽譜の中に隠し置いておられたようで、指揮台の上に立った飯森さんも、カデンツァの間、菅原さんの吹いている楽譜をジ〜ッと見ていましたが、「あそこから見えるのかな〜?」なんて余計な事を考えてしまいました。
2楽章に入る直前、頭部管を外して溜まった唾などをササッと掃除する菅原さん。上着の内ポケットからガーゼの付いた掃除棒を取り出すのはピッコロ奏者ならではというか。
ところがそのグラナディラの木管ピッコロを内ポケットにしまい、別の全身金色のピッコロ取り出しました。ピッコロは金属製だと本当に小さく細い楽器です。それを使って第2楽章を演奏します。
美しく、優しい緩徐楽章のメロディに可愛らしいピッコロの音色が合っているようです。
カデンツァはこれまでフルート版では聴いた事のないような音楽でした。おそらくこれも菅原さんオリジナルでしょう。
そして、アタッカに近く3楽章へ。
全身金色のピッコロを内ポケットにしまい、1楽章で使った黒い木製ピッコロが再登場。まるでポケットから次々と物を取り出す手品師のようです。
軽やかな、フルートで演奏するのでさえ、そう簡単ではない跳躍の多いパッセージを流石ピッコロ名手らしく軽々と演奏して行きます。そして、また『魔笛』などが散りばめられたカデンツァ。
いつまでも聴いていたい音楽もそろそろ終わりです。
楽しい、嬉しい、時間でした。
地元秋田での演奏という事で身贔屓もあるでしょうが、4、5名の「ブラボ〜」の声。菅原さんも満足そう。飯森さんも満足そう。
ピッコロによるオーボエ協奏曲ハ長調の貴重な演奏を生で聴く事が出来て幸せでした〜。
何回かのカーテンコールの後、下手からステージの端にちょっとだけ出て観客に手を振って「おしまいだよ〜」という感じで下がられました。
3曲目は、小林秀雄のモオツァルト冒頭を思い出させる名曲、交響曲第40番ト短調 K.550。
あの超有名なト短調の物悲しいながらも何か決然とした、でも迷いの残る出たし。バイオリンが「タララ〜タララ〜タララ〜ラ」と奏でる主題の前に、ビオラ(と低弦)が1小節と3拍先行する静かな「ダダディディダダディディ、ダダディディダダディ(ディ)」という音を聴いただけで、胸がキュ〜ンとなっちゃいます。アマデウスが生涯で2曲しか書かなかった「短調の交響曲」の一つ。心が吸い込まれて行きます。
飯森山響の演奏は結構テンポが速かったように思います。残響2.5秒のホールにしてはちょっと速いかな〜、と最初は感じましたが、しばらくするとそんなテンポのことなど全く気にならなくなりました。音楽が活き活きとしていて、ホール全体がモーツァルトに溢れているような感じになったのです。
2楽章のアンダンテでは、まるでウィーンのシュテファン大聖堂の中で小編成のオケを聴いているような感じ。錯覚ではなく、目を瞑ってみると、天井の高い高い大聖堂の中で聴いているようでした。パッと目を開けて上を見上げると、パイプオルガンの上に高いアトリオンの天井。
いいホールだな〜と思いました。
音楽に身を委ねているうちに、4楽章。よく知っているアーティキュレーションとは少し違うような印象が。。。いくらアレグロでも勢いでは演奏出来ないモーツァルトの音楽。弦の美しさの際立つ山響の演奏は秋田の観客を圧倒していました。コンマスとして、その音色の素晴らしさとともにバイオリンだけではなく弦全体を良く統率した高木さんの力量の高さが、こういう音楽を聴くとよくわかるような気がしました。
そういえば、今日の演奏はクラリネットなしの原点版だそうです。
今日の3曲ともクラリネットはなしなので、クラのお二人は秋田入りしていないようでした。フルートも、40番に足達先生一人だけ。後は、ファゴット二本が加わった位。トランペットは、1曲目の7番で出番はお終いだったのです。打楽器もなし打楽器も1曲目の交響曲7番でティンパニのみ、でした。
途中休憩の時に、ロビーですでに私服に着替えたTpの井上さんと昨日山形でソリストを務めたオーボエの佐藤麻咲さん、今日は降り番のバストロの高橋さん、そして作曲家のうにさんにお会いしました。
オーボエの麻咲さんには、まだ痛々しい感じの左肘の手術創を見せてもらいました。ギプスが外れた直後は筋肉が落ちていてやはり大変だったようですが、そこはそれ、20代の女性です。骨も傷も筋肉も驚異の回復力で怪我から1ヶ月と20日で「オーボエ協奏曲」という大役に間に合ったのでした。
昨日の演奏を聴けなかったので残念がっていたら、どうも10/3の演奏会はテレビ局2社から取材を受けており、全曲ではないでしょうが全国放送されるようです。
いつも的確な演奏会感想を書かれるnarkejpさんのブログ、「電網郊外散歩道」にもこの取材の事が書いてありました。
〜ホール内の掲示によれば、放映予定は次の二回とのこと〜
(1) 2009年10月17日(土)、朝8時00分〜、読売テレビ系「ウェークアップ!ぷらす」(YBC山形放送)
(2) 2010年1月3日(日)、朝4時25分〜、朝日放送系「新春クラシック2010」(YTS山形テレビ)
どんな放送か分かりませんが楽しみです。
今日の演奏会は、山響のモーツァルト定期なので大きい編成の「40番ト短調」でも、8-6-6-5-38−8−6−5−3だったようです(コメントで間違いをご指摘頂き直しました)。ですからそう広くはないアトリオンのステージでもまだ余裕はありました。
しかし、最初からシュタインウェイのグランドピアノが下手側、チェロの奥に置いてありました。
なんでピアノが置いてあるんだろう、しまう所がないとか、、、そんなバカな、、、と思っていたら。
プレトークでたっぷり15分以上は話しをした飯森さんが、ト短調の興奮も醒めやらぬ拍手喝采の続く中、ワイヤレスマイク片手に登場しました。その時点で、「ああ〜、なるほど!」と確信しました。
アンコールはやらない方針の飯森さん。それはどこに演奏に行っても貫いているようです。
山響と映画「おくりびと」の話。出た〜〜〜!!!という感じです。
そして、「交響曲の指揮を終えたばかりで、まだ手が震えているので、ちゃんと弾けるかどうか不安ですが、、、」と前置きして、客演首席チェロの土田さんに椅子を出し、下手袖のドアの前で演奏を始めました。
曲は当然、映画「おくりびと」のテーマ。
私達夫婦は酒田から来たんだよ!と心の中で秋田の聴衆に語りかけました(勝手にしなさい!苦笑?)。秋田の聴衆も「おくりびと」をご覧になった方は多かったようで、皆、「ああ、あの曲だ」「おお、あの映画だ」という顔で聴かれていたようです。
飯森さんのピアノの音がゆっくり消えて、ペダルで伸ばされた音がアトリオンの中に吸い込まれて行ってしまうまで、誰も音を立てずに聴いていました。そして、大拍手。
いや〜、山形交響楽団の秋田アトリオン初登場(?)は大成功でした。
終演後は、ロビーで飯森さんと菅原潤さんのサイン会がありました。飯森さんの本にも山響のCDにもすべてサインを頂いてしまっているので、本日のプログラムの表紙にサインしていただきました(3枚目の写真です)。
憧れの菅原潤さんに、コンサートで使ったピッコロの事をお聞きした所、1楽章と2楽章の間で楽器を十分に掃除する時間がないので、全身金色のピッコロを使ったというお答え。あれはヘインズのオールドでなかなか手に出来ない楽器なのです。
「たまに使ってあげないとね、、、」と茶目っ気たっぷりに仰っていました。
私は、2楽章に求める音色をオールドヘインズのピッコロで表現したかったのかなと思いましたが、そういう事ではなかったようです。すでに3年前から持っていた「Dedication to Piccolo」というディスクに加え、2年弱前に録音された「Piccolo Junction」というCDを会場で購入し2枚ともサインを頂きました。1枚目のCDに収録されているヴィヴァルディのピッコロ協奏曲の第2楽章と、アイザックソンの「November Song」は上坂先生のフルートクライスの発表会で演奏した事があります。
最後に握手をしていただきましたが、柔らかくてふんわりした「お手手」でした。
地元ならでは、というか、サインを求める人よりも、菅原さんにお土産を渡す人の方が多いかも、と言う位。次々に知人、関係者とおぼしき人が親しげに話しかけ、「これ、もってって〜」という感じで「お土産ッコ」を渡していました。
会場を後にしようとした所で、第2バイオリンのAさんや山Qの中爺さんにもばったりお会いしご挨拶が出来ました。まだ21時前だったので、アトリオンの目の前の時計屋さんの地下のリストランテで夫婦二人でウマウマなイタリアンを食し、あとはひたすら国道7号線を南下して酒田の家に戻ったのは23:20頃でした。
山響の団員さんは自家用車に分乗して来られた方が多かったようで、皆さんあれから山形を目指せばどんなに頑張っても10/5(月)の午前様になったはず。本当にお疲れさまでした〜!!!
秋田とピッコロ協奏曲に思い入れが強くて、超長文になってしまいました。
そうそう、マエストロ飯森様!
山形と仙台を結ぶJRは、「仙山線」と言います。「奥羽本線」ではありませんよ〜。v(^^)
最近のコメント