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2009年9月

2009.09.30

9月も終わりですね

今日で9月も終わりです。
今年もあと3ヶ月になってしまいました。
明日からは衣替え。私も半袖の白衣(ベン・ケーシー・スタイル)から長袖白衣にする予定。

明日は、所属市民オケでしょっちゅう練習会場として使わせて頂いている、曙町の「富士見コミュニティセンター」に朝7:30までに出勤です。検診センターで進めている市民の健康診断、特定健診いわゆるメタボ健診などの受診者の診察のお仕事です。これを8:30頃までやってからクリニックに出勤してお仕事です。
10/1, 2の2日間、健診のお手伝いということです。

明日から新しい月。心も新たに仕事に趣味に頑張りたいと思います。
このブログのカウンターもあと2000ちょっとで45万アクセスを迎えます。50万アクセスは来年1月頃でしょうか。

そういえば、拙クリニック「ジョンダーノ・ホール」でのサロン・コンサートにも「昨年」「今年」と2回出演頂いている在京のフルート奏者上坂学氏の本家本元のサイト、日本最大のフルート・サイトとも呼ばれている「フルート・クライスHP」がなんと100万アクセスを迎えました。
Congratulations! わ〜〜、パチパチパチ。
「感謝感謝の100万アクセス」
この「てんし」様のブログ「つれづれに、、、」を直接ブックマークしていて、なかなかHPのトップページから入る事が無くなっていました。サイトのトップは「こちら」です。
物凄い情報量のサイトですが、フルート吹き、特に初級〜中級者の疑問質問難問(?)、時には呆れるような珍問に上坂先生がいつも丁寧に答えている質疑応答の珠玉の部屋は「フルートなんでも質問箱」です。フルート吹きは一度くらいお世話になった事がある方も多いと思います。

これからも毎年「ジョンダーノ・ホール」のサロン・コンサートにはご出演頂く予定ですし、本家のフルート・クライスの情報提供はもちろん2月に1回のペースで続けられ既に150回を超えている「クライス・フルート・ソロイスツ」を始めとする演奏活動もお元気に続けていって欲しいですね。

〜〜〜〜〜

さてさて、銀週間旅行などでしばらく封印されていたご近所グルメのレポートを久しぶりに。
Photo私は麺類は大好きです。
中学生の時、高松に住んでいたこともあり、うまい饂飩を知っているのでなかなか「うどん屋」に足が向きません。庄内には「麦きり」といううどんであってうどんではない食べ物もありますが、讃岐のような本当においしい饂飩屋というのはなかなかないのです。
酒田市の駅東にある「美鴨」さんは、そんな私の舌を満足させてくれるうどん屋の一つです。
9月の上旬、結構まだ暑かった日の昼食(土曜だったかな)は「美鴨」の野菜天付きざるうどんです。
Photo_2家内は、冷たいおろしうどんに小盛りの天丼のついたセットメニュー。
つるつるしこしこ喉越しの良い、そして歯応えのあるおいしい饂飩です。
欲を言えば、讃岐で食べられる「小麦の香りがする」ような饂飩には今一歩という感じかな。


Photo_3いつの土曜日だったか、久しぶりに「ラ・ルーチェ」のリゾット、パスタが食べたいね、ということになりました。
ランチのお勧めコースは、まずスープから。オニオンのシンプルなコンソメスープ。

Photo_42週程前なのでひとつひとつは忘れましたが、前菜の盛り合わせです。
とても美味しい。食欲が進みます。

Photo_5メインのリゾット&パスタ。
今日のリゾットは貝柱と枝豆(だったかな?)。いつもながらここのリゾットは絶品です。
パスタはミートソースのロング・マカロニ。いつもより太めの麺だな〜と思ったら、中空の空いているマカロニでした。
Photo_6ドルチェ盛り合わせ。ゼリーは中にマスカットと洋梨が入っています。
これにコーヒーなど飲み物がついて1,500円なのですからお得感抜群です。

先日、往復1590kmの長旅から帰って来た9/23のその日、不動産フェアに出かけました。今の家は安い借家なので、どこかに良い中古一軒家か良い土地はないか、と探しに出かけたのです。フェアをやっていた会場の近くにまだ行った事のないラーメン屋があるので、昼食はそこにしました。

Photo_7「東軒」のワンタンメン。
ワンタンメンは、満月や川柳が有名ですが、ここ東軒もなかなかの客の入り。雨にもかかわらずひっきりなしにお客さんがやって来ます。メニューには「サッポロラーメン」とか「カレーラーメン」など「酒田で何故?」というものもあります。
味は、非常に和風でさっぱり。疲れた体には優しかったのですが私にはちょっと物足りない感じ。温かいお蕎麦の汁にラーメンが入っている感じでしょうか。おそらく好きな人には何度行っても飽きの来ない極めてシンプルなラーメンなのだと思います。

Photo_8酒フィルの定期演奏会まで、あと25日、です。
さて、定期演奏会の練習をして家に帰りましょう!

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2009.09.28

銀週間旅日記仕上げ(9/22~23)

9/26(土)、9/27(日)は市民オケ定期演奏会の本番の指揮者である井崎正浩氏に酒田までお出で頂いて、2日間みっちりの練習でした。今回、初めての試みとして指揮者による「弦分奏」と「管分奏」を取り入れてみましたが、密度の濃い練習になったと思います。たくさんのことをご指導頂き、2日間でオケの音が少し変わったと思います。

やはりドヴォ7は難曲なのです。
井崎先生お知り合いのN響のヴァイオリン奏者で、東京周辺のいわゆるアマオケにトレーナーで良く行かれる方も、「ドヴォ7をやるオケには行かない!」と言っているのだそうです。
その理由は「自分がちゃんと弾けないから」とのこと。プロの、それもN響奏者もきちんと弾けないという難曲に挑んでしまうところがアマオケの良さ(?)でしょうか。
フルートのソロの部分が多いので練習が長くて体力的に疲れるというよりも、精神的に疲れました。土曜の夜の指揮者を交えた懇親会では、少し気持ちが悪くてアルコールを我慢したくらいです。
でも充実した2日間でした。

さて、、、
いよいよ、旅日記の仕上げと行きましょうか。

〜〜〜〜〜
Photo_7浜松を午後1時過ぎに出発し、東名高速焼津インターを降りたのは午後2時過ぎ。地図の赤い点が焼津です。サッカーで有名な藤枝のすぐ隣なんですね。

「焼津さかなセンター」はインターチェンジを降りてすぐのところにありました。

焼津さかなセンター「新鮮市場」
センター内マップ
センター内には食堂や寿司屋などが数カ所ありますが、午後2時過ぎてもどこも混んでいました。しかしちょっと穴場?が空いていたのでそのお店で食事しました。

Photo_10握り寿司や海鮮丼が目を引く中、「今日はこれ!」と決めていた特上鉄火丼です。一瞬、海鮮丼と迷ったのですが、今は鰹はないというし天下の焼津に来たらマグロしかないでしょう。夫婦で同じものを注文するのは珍しい事です。
Photo_11アクセントを付けるために「まぐろいろいろ寿司」というのを注文。マグロづくしかと思いきやうにまでありました。大満足です。焼津まで来たかいがありました。

市場をぐるぐる回ってみて、両親へのお土産などを物色。まぐろを買って行く訳にも行かず、日向出身の母親が気に入りそうなこちらをお土産に。↓
「黒はんぺん」

Photo_8焼津を午後3時半頃後にして、東名を東京方面へ。
富士宮あたりで小さな渋滞を超え、沼津でもちょこちょこ渋滞。
御殿場インター先はゆっくり流れながら次第に渋滞へ。横浜町田インターまたは大和トンネル辺りから「45kmの渋滞」との表示!
9/23の東名上りです。渋滞はハナから覚悟の上。諦めてはいましたが、御殿場から横浜町田インターまで2時間以上と表示されては、なんらかの方法を講じなくてはと考えました。

結局、大井松田で東名を降りて小田原に向かい、小田原厚木道路に乗り、伊勢原インターで降りて、カーナビの示す通り長後を目指して戸塚の実家に着いたのは午後7時過ぎ、焼津を出て4時間でした。

Photo_9実家には老夫婦が寂しく暮らしておりますので(都内に妹家族がいるので、高校から大学まで孫がいますけど)、外食に連れ出しました。その後、布団を敷いてもらって少し休息を取り、夜の10時過ぎに戸塚を出発。
折角、夜の首都高を走るので、戸塚からは横浜新道から横浜本牧を目指しベイブリッジを渡り、湾岸線を通ってお台場に入り、レインボーブリッジを通って首都高を抜け、東北縦貫道に向かうルートを選択。
助手席の家内は、ブリッジから見える横浜みなとみらい地区の夜景や観覧車、お台場から見える東京タワーやブリッジから見えるお台場などの都会の夜景を楽しんだようです。

東北道の上河内SAで1回休憩。この時、午前1時頃。
次に、頑張って福島と宮城の境の国見SAで休憩。この時、午前3時頃だったでしょうか。戸塚を出て5時間、朝、掛川を出てから合計すると10時間以上運転しているので疲れが限界に近づいてきました。
村田JCTから山形自動車道にはいると眠気が襲って来たので、山形蔵王インターのPAで少し休憩、そして寒河江SAで本格的に休む事にしました。ふっと気がついたら、夜が白み始めていて朝の5時半近くになっていました。1時間は寝てしまったようです。
朝の冷気に触れてからだをストレッチし、缶コーヒーを呑んで気持ちを入れ替えて酒田へ向かって出発!

Photo_12ようやく酒田市富士見町の自宅に到着!
車のメーターを見ると、静岡県の掛川を出てから12時間以上、合計で820kmも走っていました。朝6:30とはいえ外気温は18.5℃とひんやりしています。東北はもう秋です。

いや〜〜〜、我ながらよく頑張った!
お疲れさまでした。
楽しい2泊3日+車内休憩一晩で、9/20の朝6:30に出発し9/23の朝6:30に戻ってくるという、ぴったり丸3日間の旅行でした。

軽井沢も楽しんだし、知人、友人とも酒が飲めたし、kokutanさんにもお会いしたし、鰻も喰ったし、楽器博物館は感激したし、まぐろも喰ったし、実家にも寄ったし、いろいろ贅沢な旅でした。

ETC割引なので、酒田→軽井沢は高速料金1000円、軽井沢→掛川は確か割引で1000円、掛川→浜松が450円だったかな、浜松→焼津が1000円、焼津→戸塚は1000円+小田原厚木道路が450円?だったか、そして戸塚→酒田は、首都高を通っているので西川町のインターまでで1500円、その後、月山道を通って湯殿山インターで再度高速に乗るので酒田まで650円だったか、800円だったかこれもはっきり覚えていません。
いずれにしろ、高速道路の割引でガソリン代が浮くぐらい。荷物をたくさん持って移動出来るし、運転を楽しんだ事を割り引けば、JRや飛行機で行動するよりもずっと安上がりで楽しい旅でした。

車でのこんな長旅は2年前の函館旅行以来。「連休の旅行」参照。次回はまた2年後かな?(苦笑)

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2009.09.27

銀週間旅日記第三日(9/22)、その2

2つにわけた第3日目。
いよいよ浜松です。
掛川からは高速道路で20kmちょっとなのですぐです。10時過ぎに掛川城前を出発して11時前には浜松駅前、アクトシティにある「浜松市楽器博物館」に到着しました。
充実した館のHPはこちら→「浜松市楽器博物館」

Photo_9ここの存在は結構前から知っていましたが、強く意識したのはNHKのクラシック倶楽部でフランスの名工ブランシェのチェンバロを修繕調整して、それを中野振一郎氏が演奏した模様が公開されたのを観たからです。
今から244年前の1765年作(kokutanさんの嵐牛蔵美術館で見せて頂いた数々の作品の中に「十返舎一九」のものがありましたが、その「一九」が生まれた年、明和2年が西暦1765年です!)という、歴史的、国宝級の作品です。楽器でありながら美術工芸品と言うべきものです。

私よりもチェンバロ弾きの家内の方が当然ながら興奮していたようです。
Photo_18Photo_151階の展示物から順路順にゆっくり見て回る私。展示品の音はヘッドフォンで聞く事ができるので、あまり耳にした事のない、東南アジアやアフリカ、モンゴルの楽器の音などチェックして行きます。
Photo_12Photo_13家内は途中から観覧の速度が上がってきました。早く地下1階の展示、特に鍵盤楽器を観たいようです。
ちょうど12時から1時間おきくらいに行われている楽器のデモ演奏と解説が「チェンバロ」となっていたので、私はその時間を計算しながら鍵盤楽器展示室以外を比較的丹念に見て回りました。

笛吹きである私は、当然笛に特に興味があります。
Photo_10Photo_11日本の笛、中国、その他のアジアの笛、アフリカ、アメリカの笛、そしてヨーロッパの笛。。。
動物の骨を土に埋めて、中心の骨髄部分を地中動物/虫に処理させて「管」を造り、そこに指穴を開けて笛を作った様式は、古代のヨーロッパやアフリカ、中南米にも見られました。適当な動物がいなかったのかアジアにはそういう作りの笛が見当たりません。
Photo_14最初から笛に適した中空のもの、そうです、「竹」があったからだと思います。木製の笛は曲がったり歪んだり割れたりしますので、ヨーロッパでは造るにしても黒檀、紫檀という重くて固い木が使われたり、象牙が使われたりしたようです。
Photo_16一方、和笛は篠笛、竜笛、能管などすべて竹製です。素材が手に入りやすく、加工しやすく、漆を塗って内部や穴を保護すれば丈夫なものです。竹が植生分布していない西洋には竹製の笛がないのはやはり興味深いものです。

Photo_17ヴィオロン族の多種多様な楽器も興味深いものでした。
いわゆる古楽演奏に用いられる楽器のその祖先達や系譜を並べて見比べる事が出来ます。現代のオーケストラで使われる弦5部の楽器が整って来たのにはそれなりの訳があるでしょうが、こういった古い楽器が一度廃れかけ、今また復興の光を浴びているのも興味深いものです。

Photo_19Photo_20左の写真の左側は、手前のポストホルン、ホルン群からずらっと管楽器が並んでいます。
右の写真はその並びを反対側から見たところで一番手前にはファゴットが並んでいます。

Photo_21そしてついに鍵盤楽器群の展示室へ。
地下1階の鍵盤楽器群展示室には、ずらりとピアノ、ピアノフォルテ、チェンバロなど鍵盤楽器の歴史を見せる圧倒される様な楽器達が並んでいます。

Photo_2212時からチェンバロの解説とデモ演奏がありました。館の学芸員(?)の女性がヘンデルの『調子のよい鍛冶屋』の一部を聴かせてくれましたが、その演奏はちょっと耐えられなかったです。ごめんなさい。チェンバロ弾きの演奏ではなくピアノ弾きと想像致しました。家内と苦笑するしかなかったです。
しかも解説に使用したこの楽器は、ロンドンのカークマンのものですが、ペダルが2つついていて音色がいくつか換えられる機構を持ったものでした。デモンストレーションとしては面白かったのですが、チェンバロを知らない人達にとってあれがチェンバロの標準だと誤解されないかと家内は心配していました。

集まった聴衆に「チェンバロの弦を弾くこの部分は何で出来ているかお分かりになる方?」という質問をしていました。遠慮しているのか知らないのか、誰も答えません。カラスや白鳥などの比較的大型の鳥の羽の軸を削って使っているのですが(家内も修理用に鳥の羽を持っています)、ご存知ない方々が多かったようです(連休中の観光客ばかりですから)。

Photoちょうど隣りにチェンバロが音を出す仕組みが模型で解説されていました。これは触って音を出す事ができるのです(当然展示されている楽器は触っては行けませんが)。
鍵盤を押すと上に跳ね上がる棒の横に鳥の羽の軸を削ったものが付いていて、それが弦を弾くのです。ギターの弦をピックで弾く様な感じです。弦をハンマーで叩く(だからハンマークラヴィアという)ピアノとはまったく発音の機構が違うのでまったく違った音がするという訳です。そのため、チェンバロでは鍵盤を強く叩こうが弱く押そうがほとんど音量の変化が得られません(実際は少し変わるのですが、鍵盤を叩く強さではなく押すスピードで変わることになります)。

Photo_2Photo_3フランス、イタリア、ドイツ、イギリス、ベルギーなど様々な楽器が並んでいて、チェンバロ弾きの家内は「萌え〜〜〜」状態。ちなみに「ジョンダーノ・ホール」所有のチェンバロはフレーミッシュタイプ(ベルギー)です。

ここでショックなことに気づきました。
今回の博物館訪問の引き金なり実物を見たかったフランスの名工ブランシェの国宝級とも言えるチェンバロの写真を撮るのを忘れたのです。その美しさに見とれてしまった故と申しておきましょう。
家内のブログ「カノンのお稽古帳♪」では古い携帯のカメラで色は悪いですがブランシェの写真も撮っていました。
PdfPhoto_4Photo_5仕方ないのでネットからブランシェの映像を探しました。
NHK-BSクラシック倶楽部で観た中野振一郎さんの演奏会(解説付き)の映像が、楽器博物館のサイトで公開されておりそれを画面キャプチャーで取り込みました。
猫足の装飾、側面や大蓋の絵や塗装など溜め息ものでした。

ネット検索中にこんなのを発見。「浜松市楽器博物館見学ツアー報告」
ブランシェのチェンバロに実際に触れた方もいらっしゃるのですね。うらやまし〜。
私は、CDやDVDで見聞きするしかありません。

Photo_6ピアノのコーナーにはこんなものもありました。
ベートーベンのライフ&デスマスクです。
ピアノを愛し名曲を数多く創り自らも名ピアニストであった楽聖ルードヴィッヒ。この展示をしている博物館の人の想像力と言うか企画力というか発想に感心しました。

ピアノの元祖といわれる、クリストフォリのピアノの復元モデルもありました。
17世紀後半から18世紀前半にかけて、ピアノを開発(発明?)したといわれるバルトロメオ・クリストフォリ。「ハンマーによるチェンバロの発明家」と言われています。
世界中に現存する本物のクリストフォリのピアノはニューヨークのメトロポリタン美術館などに3台しかないそうです。ミュージアム・ショップで家内が購入したCDを聴くと、音色はチェンバロに近く現在のピアノや少し前のフォルテピアノなどとはまったく違う音色で、優しい音をしていました。

さてさて、2時間程楽器博物館を堪能し、出口の脇にあるミュージアム・ショップでは「敵の思う壷」にどっぷり入った二人でしたが、ニコニコ顔で満足してここを後にしました。

ーーーーー
今回の旅の主目的を果たしたので、後は帰るだけです。
名古屋廻り、中央道から上越道、北陸道、日沿道新潟経由で酒田に戻るか、実家のある横浜戸塚に立ち寄って帰るか(この場合は東名で行くしかない)。
食いしん坊の私が考えていたのは、昼食には「1: 浜松で餃子」か「2: 焼津でまぐろ」です。(笑)
浜松の餃子は宇都宮の餃子と並ぶくらい有名なのですが、この際まだ行った事のない焼津行きを決定。ということで東名で東京方面に向かうことになりました。

昨日、今日と市民オケの定期演奏会(あと4週後!!!)に向けて、本番指揮の井崎正浩さんいよる指揮者練習をしています。ということで、今日も日中はびっちりドヴォルジャーク漬けなので、この続き(焼津のマグロ、実家経由の酒田まで)はまたあらためて書きましょう。

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2009.09.26

銀週間旅日記第三日(9/22)、その1

掛川駅前のホテルは満室で、狭めな朝食のホールは家族連れ、学生旅行?などでごった返していました。お値段(一人一泊3,500円)の割にはちゃんとした朝食(バイキングで食べ放題、ドリンクも飲み放題)で感心しました。

Photoチェックアウト後、向かったのは掛川城。
観光案内所が分からなかったので一度ホテルに戻ってフロントの若い人に聞くと、なんでも掛川駅のすぐ隣りだと言います。説明も、「そこの交差点をあっちに行ってこの辺です」というような説明。
おいおい「あっち」って何だよ?!
仕方なく車でその辺りを観てみたのですがそれらしきものはバスの案内所しかありません。
「いくら安ホテルとはいえ、駅前のホテルのスタッフが「観光案内所」の場所も説明出来ないのでは、、、あきれたもんだ」と失笑するしかありません。家内が携帯で観光案内所の電話番号を探し出しそれをカーナビに入力すると、なんとなんとたった今廻って来た掛川城の目の前のようです。

「観光案内所」!という堂々とした看板がなくて分かりにくかったのです。
「掛川観光協会 観光案内処」は←こちらです。
「こだわりっぱ」という看板は目立ったのですが観光案内所はちょっと控えめでした。ここで人力車に乗る計画だったのですが、行ってみると9:30からの営業。まだ30分弱あります。
Photo_2人力車の俥夫さんに9:30から乗りたいと口頭予約して目の前の掛川城を先に見て来る事にしました。復元されたお城とはいえ立派なものです。お城の登城口は急勾配の坂、石段ですぐに息が切れます。ようやく城の中にたどり着き、天守閣まで一気にあがります。
Photo_3曇っていて残念なことに富士山は拝めませんでした。昨日、富士山の脇を南下して来た際も、曇っていて富士山は拝めず。ちょっとこれはついていませんでした。
(昨晩泊まったホテルも見えます)

掛川城は、長い歴史の中でたびたび城主が変わっていますが、やはり天守閣付きのお城を築いた山内一豊がもっとも有名でしょうか。大河ドラマにもなった『功名が辻』でも紹介されたはずです。一豊の妻お千代が有名になりましたね。
Photo_4(城の目の前に彼岸桜が咲いていました)
日本全国あちらこちらで城郭の再建、天守閣の再建がブームのようになりました。歴史的遺産を正しく評価して、その土地のランドマークを建設し、あわよくば観光客誘致、地元の経済振興にという想いは分かります。「城マニア」の人にも興味深いものでしょう。この掛川城も、市民や企業の寄付も併せて大手門を一緒にすると12億円という巨額を投じて造り直したものです。古いものが、改修を加えながらそのまま残される事には意義を見いだしますが、歴史の中で焼失したり撤去されたものを新しく『復元』することにそんなに強い意義は私は感じません。
「日本100名城」に選ばれていない立派なお城(たとえば昨年訪れた白石城など)もあります。
全国で200近いお城の再建、復元がなされているようです。1カ所に平均10億円つぎ込んだとすると全国で2000億円になります。無用の金とは申しませんが、、、


さて、話が逸れました。
掛川城を「駆足で」(笑)見学し9:30に「こだわりっぱ」に戻ります。
人力車、記憶する限り私は生まれて初めての体験。家内は結構好きみたいでこれまでに数回乗ったことがあるらしい。
Photo_5「こだわりっぱ」を出て直ぐ近くに「大手門」があります。
お殿様が馬に乗ったまま門をくぐれる高さがあるのだそうで、この門だけで2億数千万かかったということでした。

Photo_6こちらは二宮尊徳の教えを後世に伝える「大日本報徳社」は掛川にあります。
二宮金次郎の生まれは足柄、今の小田原なのですが、報徳思想を伝える社団法人の建物は掛川にあるのです。今日はお休みで中を観ることはできませんでした。

Photo_7掛川に今は一人だけの俥屋さんはかっこいいオジさんで、道行く地元民や車の中から「おじさん!」などと声をかけられていました。30分弱廻って頂いていろいろ解説してもらって2,000円(二人で)は安いと思います。ありがとう!

10時に人力車を降りて、すぐに浜松に向かいます。
Photo_8地図の赤い線が掛川から浜松。高速道路を使ってわずか30分足らずの道です。
本日のメインイベント、浜松の楽器博物館見学。このためにはるばる酒田から片道750km以上の道を運転して来た訳です。

楽器博物館の話は長くなりますので、続きます!


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2009.09.25

銀週間旅日記第二日(9/21)

旅の続き、2日目の旅行記です。

軽井沢「B&Bあさま」の朝方は冷えるため、部屋には灯油のストーブが置いてあり朝から使用しました。
9時過ぎに出発するつもりで準備をし、8時にロビー棟の母屋で朝食。
Photoこれに美味しいパンが2つとコーヒー(家内は紅茶)のシンプルな朝食。手作りのジャムが美味しい。
iPhoneで現在位置を確認し、今日走るルートを探索しています。

オーナーとそのお嬢さん(桐朋音大出のチェロ奏者)やテーブルを相席した方々と楽しく談笑。
ついつい音楽の事など話し込んでしまう。しかも、今日は映画『おくりびと』地上波初登場なのでその話題も。チェロ奏者のお嬢さんの桐朋の先輩にあたる山響音楽監督飯森さんの話なども。

話し込んでしまったため出発は9:30を少し回ってしまいました。
軽井沢駅前通りの旧中山道を佐久方面に戻り、地図の様にまっすぐ静岡県に向かって南下します。
目的地である掛川に向かうには、
1)高速道路で上越道から関越道に入り都内を抜けて東名で向かう
2)上越道で上田から中央道の飯田方面に回り名古屋の手前で東名を東進する
3)富士山の東か西を南下する
などのルートがあります。

Photo_2私の住所とクリニックの所在地が「富士見町」であり、映画『おくりびと』に出て来た鳥海山が「出羽富士」と呼ばれる美しい山であることから、今回富士宮、富士を通る事に拘ってみました。
佐久から八ヶ岳を右手に見ながら「佐久甲州街道」という結構な難所(狭くてところどころくねくね)を通り、清里を抜け、須玉インターから中央自動車道にはいりました。
大月JCTから富士吉田、河口湖に向かう方法もあったのですが(そのルートなら、山中湖を過ぎるまでずっと高速で、一般道は20km足らずで御殿場インターから東名に乗れたのです。
しかし、「富士」にこだわったため、中央道の双葉JCTから「中部横断自動車道」という南アルプス市の少し南までしか出来ていない高速に回りました。そこから国道52号を使いましたが、結構混んでいて、さらに数カ所工事渋滞。富士川沿いにまっすぐ南下すれば良かったかもしれませんが、カーナビに工事箇所が何カ所か示されたため、富士川を渡って「本栖みち」という富士山麓に上る道路に入りました。本栖湖を過ぎて国道139号に入るまでは、凄いぐるぐる道路で大変でした。
国道139号は朝霧高原周辺の牧場を横目に見ながらまっすぐ富士宮へ向かいます。富士市から朝霧高原方面に上ってくる反対車線は酷い渋滞ですが、南下する方はまずまず流れていました。富士宮市内で信号渋滞はありましたが、あまり困らず。「富士宮焼きそば」を食べて行く余裕はないのでコンビニでおにぎりと「富士宮焼きそば」を購入し食べながら運転。
東名の富士インターに乗ったのは午後2時前。
軽井沢を出発して4時間半。途中2回休憩を取りましたが、実質4時間以上かかってようやく東名に到達したのです。そこからはひたすら掛川を目指して走り、掛川駅前のホテルにチェックインしたのは午後3時半過ぎ。

家内はチャッチャと着物に着替え、荷物を置いて、ブログで夫婦ともにお世話になっているkokutanfluteさん宅に向かいました。
黒檀邸は由緒あるお屋敷。敷地内の蔵にはその道の人ならば垂涎の品が並んでいます。
「嵐牛 蔵美術館/俳人/掛川市」をご覧ください。

Photo_3芭蕉のご縁で、酒田にもいらしたことがあるというkokutanさんご夫妻とそのお宅は、我々とは違う品の良さと本当の意味でのセレブ(単なる成金ではない!)な雰囲気でした。
蔵美術館の収蔵品は、私には「猫に小判」なものばかり。でも由緒ある漆器などをただ陳列されているのではなく、時にご自分で使われている事をお聞きし、数多い食器も使ってもらって喜んでいるだろうな、と思いました。

ここで急に脳外科医で俳人だった故中田瑞穂の事を思い出しました(掛川では思い出さなかった!)。中田瑞穂は新潟大学脳外科の初代教授で、私が入局した当時の山形大学脳外科教授の恩師の恩師に当たる人です。ですから瑞穂の句のことは良く聞いていましたし、直筆の絵と句を何回か見せてもらったこともあります。
「中田瑞穂」のことは←こちらを参照。

「学問の 静かに雪の 降るは好き」
「刻々と 手術はすすむ 深雪かな」

この2つの句はとても鮮烈に記憶に残っています。雪深い新潟の地で、黎明期の脳外科の学問と手術に打ち込んだ当時の中田瑞穂の姿が光を浴びて浮かび上がってくるようです。

Photo_4(笛大集合です)
当然櫻井幸一郎作の黒檀フルートを吹かせて頂きました。
ご主人様の趣味である和笛も触らせて頂きましたが、屋台(=山車)の上で祭り囃子を吹いていらしたご主人の妙技は真似の出来るものではありませんでした。

Photo_8楽しい語らいと笛の時間はあっという間に過ぎて、2時間程でお暇する事に。
夜はkokutanさんお勧めのうなぎ屋さんを予約してもらっていたので一旦ホテルに戻って車を置き、徒歩すぐの鰻「甚八」に向かいました。


Photo_5玄関に掲げてある「お子様連れはにがてです」という看板。噂では店の人は愛想がなくぶっきらぼうらしい。
おそるおそる入って名を名乗ると、「予約席」となっているテーブルに案内されました。奥の座敷では小学生以下と思われる子供3人を連れた家族が6人で静かに食事中。子供がまったく声も出さずに静かに食べています。
「子供がうるさいと追い出されるから、無言で食べてるのかな〜」
「あんなに静かに食べてるなんて、お店に来る前に親からよっぽど強く諭されてるんだろうな、、、」
という印象。ちょっと怖いけど面白そう。。。

そしてついに注文していた品が登場。
Photo_6炭で焼いた香りが違う。
タレは香ばしく、あまり甘くない。かといって辛くもない。絶妙なタレ。
絶品の鰻でした!さすが静岡、さすが掛川、さすが「甚八」と言ってしまいましょう。
Photo_7酒田にだって江戸末期からずっと続いている老舗の鰻屋さんがあります。旨いです。でもタレは「甚八」の勝ちだと思います。

美味しい鰻に酒が入っていい気分。
朝から合計6時間以上(距離にするとたったの320km強)、車を運転して昨日と合わせて2日で14時間近い運転時間。疲れもピークでしたので、ホテルでマッサージを頼み、地上波初登場の「おくりびと」を狭い部屋で(朝食付き二人で7,000円!)観ながら眠りについたのでした。

2日目の旅行記を終わります。
明日は、いよいよ、浜松の楽器博物館です!!!


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2009.09.24

銀週間旅日記第一日(9/20)

さて、ようやく写真の整理もついたので、初日から順に旅日記を書いて行こうと思います。

平成21年9月20日(日)、わたしにとっては連休の初日です。
前日の夜9時までは市民オケの練習でしたが、23時頃、いつもよりは早めに就寝。
9/20の朝は5:30頃起床。私は起きて顔を洗って着替えれば即出発という感じですが、家内は女性ですので、いろいろ準備があります。
前日ある程度出発の準備をしていましが、荷物の最終確認、クリニックに行って新聞を取り戸締まりをチェックして、ガソリンを満タンにし、6:30過ぎ出発。

カーナビのDVDはデータが古く(2006年版)、当てにならないところもありますがやはりあると便利です。本日の目的地である軽井沢は「高速道路優先」にすると、月山越え、山形自動車経由、東北縦貫道から回るルートや、新潟経由関越自動車道から回るルートを示します。
しかし、東京、関東方面から軽井沢に向かう道はおそらく大渋滞するだろうと予測し、新潟経由、上越周りの上越自動車道経由で長野、佐久を回って行くルートを選択しました。

Photo酒田からは庄内空港の脇を通り、湯野浜、加茂、由良を抜けるルートで国道7号に入ります。
笹川流れルートではなく国道7号線をそのまま新潟に向かいますと、村上のところで高速道路「日本海沿岸道路」、通称「日沿道」に入ります。中条までだったルートがさらに今年から伸びているのです。
ここまで来る途中も建設中の高速道路が見られました。秋田ー庄内沿岸ー新潟と高速が繋がれば、大変便利になるでしょう。

高速道路は、新潟を抜け上越自動車道にはいる手前までは順調でした。上越で分岐する直前から車が並んでいます。何事かと思えば、交通集中による自然渋滞が発生しているのでした。北陸自動車道を富山側から入って来る車、上越インターで乗って来る車、そして我々のように新潟方面から来た車の合流地点が大渋滞で、まったく停止してしまう状態が結構長く、この渋滞を抜けるのに30分以上を要しました。
春日山城趾を横目に見ながら、上越自動車道にはいり、その後も、妙高を過ぎるまで断続的な渋滞があり、停まったり走ったりでしたが、野尻湖を過ぎた辺りからはスイスイで、長野、上田を廻り、佐久インターを12時少し過ぎに降りて、まずは第1目的地の「メルシャン美術館」を目指します。
(そうそう、高速道路料金は、カーナビでは8,500円と表示されましたが、実際はETC割引の1,000円でした。ガソリン代が5,000円強かかったはずなので、ETC割引のお蔭でガソリン代+二人分の美術館入場料が浮いた計算になります)
メルシャン美術館は佐久インターから軽井沢に向かう途中にあり、しかも興味ある展示会をやっているということで折角通り道だから寄っていこうと考えた訳です。(上の地図の青い線は、酒田から佐久インターまで、赤い線は佐久インターから軽井沢までを示す)

酒田の家を出てから、佐久で高速を降りて、メルシャン美術館に到着したのは12:30頃。432kmの道のりを5時間55分で到着しました。まだ元気なのでトイレ休憩は柏崎を過ぎた米山SAで1回だけ、5分ほど休んだだけでまっすぐ来てしまいました。

「メルシャン軽井沢美術館」は御代田という所にあります。とても雰囲気のいいところです。
Photo_11丁度お昼時なので、ここにあるフレンチのお店、『エルミタージュ・ドゥ・タムラ』(お店のHPはこちら)の美術館店に行ってみた所、「予約のお客だけ」と丁重に断られてしまいました。残念!
(写真の右側がレストラン、林の左手に美術館本館があります)

Photo_4そこで同じく美術館内にある「白樺亭」へ。こちらもなかなか雰囲気があり素敵なのですが、白樺の並木の傍のテーブルで食べる戸外の席は一杯。仕方ないので、店内で頂きました。
あまり時間のかからなさそうなメニューを選択。
Photo_2Photo_3 家内は左側の「きのこのオムライス」、私は右側の「高原のビーフシチュー」。
味は、可もなく不可もなく。美味しいですが特別これを食べるために来るというほどではない印象でした。観光客が一杯でお店の人も何となくいらついている感が出ていましたね。

シチューの写真に写っているのが、今回の目玉である『ヨーロッパ美術史の変遷』。
食事を済ませ早速展示施設へ。7/18〜11/29の期間限定の展覧会は、「宮廷絵画からバルビゾン、そしてアール・ヌーヴォーへ」という副題が付いておりとても楽しみでした。そしてパンフレットをよく見てみると、「山寺 後藤美術館所蔵」と書いてあります。

え?!山寺???

そうだったのです。芭蕉で有名な山形の山寺にある「後藤美術館」。そこの収蔵品が全国を巡回していて、今はここ軽井沢に来ていたのです。「灯台下暗し」ではありませんが、後藤美術館の存在は知っていても行ったことはありませんでした。
こんな素晴らしいコレクションを所蔵されているとは!
それを、山形の人間が軽井沢で知るとは!勉強不足でちょっと恥ずかしい気持ち。
でも美しい絵画、ガラス工芸品など溜め息の出るような作品ばかりで大満足。

Photo_7写真は、メルシャン美術館から眺めた浅間山。
浅間と言えば大噴火よりも「浅間山荘事件」が記憶に新しいけれど、噴火した山らしい茶褐色の山肌を晒し非常に近くに見える事に何となく驚きました。今年の5月にも小噴火した「活火山」なのですから。


美術館を後にしたのは、午後3時前。
「旧軽」と呼ばれる地域の特に「軽井沢銀座」辺りにはまったく興味がないので、どうやって過ごそうかと考えて、楽しみにしていたのは「旧三笠ホテル」。美術館から旧三笠ホテルまで18km程度。ところが軽井沢バイパス分岐を過ぎてから、旧中山道である国道18号は大渋滞。小一時間かかってようやく午後4時頃到着。


Photo_5Photo_6旧三笠ホテルは、指揮者だった故山本直純氏の祖父に当たる山本直良氏が造った竣工当時(明治38年)としては極めて珍しい日本人設計の純洋風建築。
文化人政財界人外国人が宿泊し「軽井沢の鹿鳴館」とも呼ばれていたもの。

Photo_8旧三笠ホテルの全景模型が館内に展示されていました。
このような造りは、たとえば山形市の文翔館や新潟の白山にある新潟県政記念館などにも見られます。
これが、現代とは違い、交通の発達していない明治時代に、長野県と群馬県の県境に近い山奥にあった事自体が、軽井沢という土地の性質を現しているでしょう。しかも昭和45年まではホテルとして営業していたとの事。

Photo_10当時の軽井沢の特徴を現している一つがこの写真。
明治末期の三笠ホテルでの晩餐会の出席者の一部の写真が飾られていました。
左から、近衛文麿公爵(その後首相、この人の弟は音楽家・指揮者の近衛秀麿)、黒田長和男爵夫妻(福岡初代知藩事黒田長知の息子)、山本直良(三笠ホテル創立者)、徳川義親侯爵(尾張徳川第19代当主)、毛利子爵夫人、有島武郎(小説家)、里見弴(小説家、有島と里見は実の兄弟)、徳川慶久公爵夫人(徳川慶喜の子)、近衛文麿夫人、西尾忠方子爵という面々。こういうパーティが時に開かれていたのでしょう。
(しかし、この写真、堂々と「大正はじめ」と記載されて飾られていたのはどういう事でしょうね)

Photo_9ホテル内の旧客室の調度品の一つ、簞笥には「三つの笠」を組み合わせた三笠ホテルのマークが入っていました。今から100年以上前に建築され、その当時、上下水道などもないと思われるのに、洋式トイレ、洋式バスが設備されていました。モダンでハイカラだったのでしょうね。

観覧が終わった頃は夕方5時近くで、旧三笠ホテルは軽井沢の中でもやや高いところにあるせいか、空気はヒンヤリ、肌寒ささえ感じるほど。上着を羽織る位でした。
そこからは、旧軽銀座の喧騒を横目に予約しておいたホテルへ。

軽井沢 森の中の小さなホテル 「B&B あさま」のHPは←こちら。

2007_0915070007知らないと見落としてしまいそうな、なんともさりげない「B&Bあさま」の入り口の看板。
写真はネットから拝借しました。

2007_0915070011こちらもネットから写真を拝借。
宿泊した建物から母屋のロビー棟を見た所。
写真の通り、うっそうとした林の中に隠れるように立っているので表通りからはほとんど見えません。
喧騒の軽井沢銀座とは別世界の静かさで、部屋にいるだけでこころ癒される感じでした。

1時間程、部屋でのんびりして18時過ぎ、おでかけです。
B&Bなのでホテルに夕食はありません。食べる所には困らない(選ぶのには困る位)軽井沢ですので、ここに泊まる方は、毎日違う食事を楽しむのです。
実は、折角軽井沢に泊まるので、知人に会う約束をしていました。

一人は大学の同級生M君。しかもその奥さんのお母さんは大学時代に私が経鼻的内視鏡手術で下垂体病変の手術を執刀し、今もお元気でいらっしゃる方。
M君は佐久市内の病院に勤務していますが、先月の医学部卒後25周年同窓会には急用で参加出来なかったため、非常に久しぶりです。10年振りくらいかな〜。

もう一人、私が1992~1994年、ピッツバーグ大学脳外科に留学中に信州大学から短期留学で勉強に来られたT先生(3年先輩ですから、君付けできません、笑)。現在は小諸市内に開業されています。同じ脳外科なので学会などで顔を会わせる事はたまにありますが、一緒に食事をするのは10年振りくらいかも知れません。

ホテルの人に教えてもらったレストランは予約が一杯だったので、この際、会って一緒に飲み食事をし語らう事が目的だからどこでもいいや、、、という感じで、軽井沢駅南側直ぐのプリンスアウトレット内ので安レストランで会食。
4懐かしい話で盛り上がりました。しかも、M君とT先生はお互い名前は知っていても(患者を紹介したりされたり、、、)、会って話をするのは今日が初めてとの事。お互いにいろいろ共通の知人の話でまた盛り上がっていました。

軽井沢から新幹線で隣町の佐久まではほんの10分ちょっと。
午後9時40分頃の新幹線で帰る彼らを軽井沢駅に見送り、涼しくなった駅前の通りをホテルまで10分ほどそぞろ歩きしながら帰りました。
この時点で、朝起きてから17時間程経っており、まもなく深い眠りに着いたのでした。

旅行初日を終わります。
9/21の日記は明日に続きます。(予定)

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2009.09.23

銀週間の充実(無謀ともいう)

今日は9月23日(水)。
「秋分の日」です。
以前にも書きましたが、「昼の時間」と「夜の時間」は同じ、ではないのです。太陽が沈み切ってしまうのが「日没」であることと、地平線付近の空気の屈折などによって、8分程昼間が長いらしい(太陽の中心が地平線から現れて消えるまでなら、ほぼ昼=夜のはず)。

そんな日の、朝6時半、6:30 a.m.です、酒田に戻って参りました。
7時前からベッドに入って、さっき目が覚めてしまったので、とりあえずブログを。。。
写真入りでの本格的「旅日記」を書く前の覚え書きとして。

=====
9/20、酒田を出て、新潟、上越、長野回りで佐久まで高速で走り(この距離でも高速料金は1,000円!)、メルシャン美術館へ。ここで驚きの事実が、、、(笑)。
続いて、旧軽の旧三笠ホテルへ。指揮者の故山本直純氏の祖父が造った「三笠ホテル」。軽井沢の当時の文化や社交を堪能。

旧軽銀座の人混みは嫌いなので、なるべく見ない振りをして通り過ぎ、お宿へ。
軽井沢駅前から旧軽銀座へ続く本通りや裏のアウトレットなど一部の軽井沢の軽薄で喧噪の日常とは別の非日常的世界。表通りから少し入っただけなのに、「一見のお上り観光客」には知られていない静謐で上品な世界がありました。林の中は薄暗く、出迎えて下さった宿の方は上品で、部屋は質素というか華美な物は一切なし。オーナーのお父上が別荘として使っていたという母屋(ロビー棟)の建物も素敵でした。あらためて詳しく書きます。

夜は、佐久市内の病院に勤務する大学の同級生のM君と、私がピッツバーグ留学中に遊学に来られて以来親しくさせて頂いている、信州大脳外科出身で現在小諸市内で開業しているT先生と会食。
「何年振りだろう」などと語らいながら楽しい食事の時間でした。


9/21、「B&Bあさま」でシンプルで美味しい朝食を頂き、テーブルが相席になった栃木県議ご夫妻に、オーナーと桐朋ご出身のチェリストであるオーナーのお嬢さんを交えながら会話。音楽に関係するものの繋がりが次々と、会話も弾みすぎてしまい、9時には宿を出るつもりが9時半を廻ってしまった。

軽井沢を出発。ルートは迷ったものの、シンプルに南下することを考えて、佐久経由で国道141号を通って八ヶ岳高原、清里を通り、どんどん下って中央自動車道に入ってすぐに建設途中の中部自動車道を南アルプス市まで南下。
富士川沿いに南下するか、富士山脇を通るか悩んで、工事中の表示で本栖湖廻りを決断。大変な道でした。軽井沢を出て4時間半後にようやく富士宮市へ。焼きそばを食べている場合ではないので、東名高速へ。そこから掛川を目指し、まずは駅前のホテルにチェックイン。

すぐに掛川市内にお住まいで「嵐牛 蔵美術館」をやっていらっしゃる笛吹きのkokutanさん宅へ。
kokutanfluteのサイトとしてご自分で作られたMIDI音源の伴奏をバックに、主に桜井フルートでの演奏を公開されているkokutanさん。黒檀フルートの音声data本館の中のFLUTE MUSIC DATABASEをご覧ください。ちょっとアプローチが違う物の同じように「balaineの自惚れコンサート」として自らの演奏を公開している私。昔からお互い笛の音はよく存じ上げているものの、リアルにお会いするのは今回が初めて同士。

あっという間でしたが楽しいひとときでした。ご主人、お嬢様、皆さん、品のある素敵なご家族でした。ありがとうございました!

その後、掛川駅前の安ホテル(夫婦二人朝食付きで税込み7000円!)に戻り、歩いてすぐの鰻屋さんへ。絶品でした。大満足!

その晩は、2日続きの長距離運転の疲れをとるため、マッサージを受けながら地上波初登場の映画『おくりびと』を観ました。映画館で封切りの日に観て、ロケ地希望ホールでも観て、DVDも購入して、何度も観ているのに、また観てしまいました。


9/22、朝食後、すぐ近くの掛川城を見学。人力車に生まれて初めて乗りました!
その足で浜松へ。スムーズに到着。
今回の旅のメインの目的である「楽器博物館」へ。
大満足でした。家内は数々のチェンバロに興奮気味でした。(笑)


さて、そこから酒田にどうやって帰るか。おそらくどこに向かっても渋滞は必死。特に東名の上り、東京方面は大渋滞であろうとは予測しながらも、実家に寄る事に決定。まずは腹ごしらえに、焼津の魚センターでマグロ三昧(と言う程でもないが)をして、体力と気力を充実させてから東名を東京方面へ。
富士宮や沼津あたりで断続的な渋滞に巻き込まれながら、御殿場を過ぎる頃には、片道3車線の高速道路がのろのろ運転の車やトラックで埋め尽くされた感じ。
カーナビは、「横浜町田IC」から大和/保土ヶ谷バイパス、横浜新道経由で戸塚行きを指示するものの、交通情報とカーナビのVICSでは、海老名SAを先頭に45~50kmの大渋滞とのこと。目的のICまで「2時間以上」との表示に早々に東名に見切りを付ける事に決定。
カーナビの「距離優先」と別のルート探索を使って、東名を途中で降りて小田原廻りで実家へ。

詳しい顛末はまた書く予定。

結局実家に午後7時過ぎに到着。両親と食事をしてちょっと休み、午後10時過ぎに戸塚を出発。
休み休みしながら、そして仮眠も取りながら今朝戻って来たという次第。

「覚え書き」とか言いながら、かなり詳しいものになってしまいました。
初日、酒田→軽井沢は約450km。
2日目、軽井沢→掛川は約320km。
3日目、掛川→浜松→焼津→戸塚は約270km。
3日目から4日目朝にかけて、戸塚→酒田は550km。
合計で約1590kmの車旅でした。ず〜〜〜っと一人で運転しました。
地図で見ると、酒田から鹿児島まで行ったに等しい距離でした。

疲れたけれど、いろいろと充実して楽しい車旅。長距離の車旅行は一昨年の函館の旅以来でした。
今日は、まずゆっくり休んで明日以降の日常に備えましょう。

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2009.09.21

今夜は『おくりびと』

今現在は静岡の掛川に来ています。
今のところ予定通りの行動です。
Photo昨晩は軽井沢に泊まり、軽井沢から佐久、八ヶ岳高原、清里を抜けて中央道から中部自動車道で南アルプス市まで南下し、そこから富士山の西側を通って富士宮から東名に乗り、掛川まで来ました。
 
酒田から軽井沢は450kmでしたが、軽井沢から掛川までの方が距離は短いのに大変でした。峠越えが数カ所会ったからです。

さて、今晩、テレビ地上波で映画『おくりびと』が初放映です。
昨年9/13に封切られてちょうど丸1年を過ぎたところ。

庄内平野の地吹雪から始まり、酒田フィルの本拠地(?笑)である「希望ホール」での『第九』演奏会シーン、そして3階の「小ホール」を楽屋(?)に見立てた、楽団解散シーンと、いつも使っている、見慣れている場所がフンダンに出てきます。
よくお邪魔するお寿司やさん、「おしん」でも有名な山居倉庫、本州一の飛来数を誇る白鳥、そしてあいする「鳥海山」。私が日々暮らし生活しているところがメインロケ地なので、初めてご覧になる方も、何度目かの方もどうぞ酒田、庄内の風景を御堪能ください。

ではちょっと出かけてきます!

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2009.09.19

「銀週間」始まる

週休2日の方は今日から来週水曜日まで5連休ですね。
ついでに来週の木、金と年休でも獲れれば、土〜翌週の日と9連休。

海外旅行に出かける方も少なくないようです。
私の知人の医師も、何年かぶりの休暇といってイタリア旅行を計画している人もいました。

開業1年半の新米としては、早々休んでもいられませんので、残念ながらカレンダー通りです。今日の午後1時まで通常診療。さらに、市民オケの定期演奏会が1ヶ月と1週間後に迫っており、今夜の練習も休む訳には行きません。

先日からぼんやりと考えていて、だんだんと計画が頭の中で練れて来たので、明日から小旅行に出かけます。
目的地は、浜松の『浜松市楽器博物館』です。チェンバロ奏者で古楽系が好きな家内はもちろん、私にとっても垂涎の楽器が並んでいます。楽しみです。
先日、車検を通したばかりで、ブレーキなどの部品も新品で調子の良い"272M30"を駆って車の旅に出てみます。日本地図を眺めて、酒田と浜松の途中を見てみると途中に「軽井沢」がありました。ネットで観る限りはめぼしいホテル、宿は予約で満室。佐久あたりに住む知人、友人に聞いてみましたが厳しいと言う返事。
そんな中、ジョンダーノ・ホールでも素晴らしいリサイタルをして下さったフルーティスト荒川洋さんのブログを観ていたら、先日軽井沢のメルシャン美術館でギタリストのマーティン・フォーゲルさんとデュオリサイタルをしたとのこと。マーチンさんは、福田進一さん総合プロデューサーのもと、庄内町で開催された庄内国際ギターフェスティバルの第1回のプレコンサートで演奏をお聴きしました。
その荒川さんが軽井沢で泊まったという宿が魅力的で、ちょっと隠れ家的な雰囲気なので「だめもと」で電話してみたら、何と宿が取れました。
よって明日からの旅行決行が決定!v(^^
(いいかげんだな、、、)

初日は早く出て、軽井沢をブラブラして一泊。佐久市内の病院に勤務している大学の同級生と会って飲む予定。
2日目は、なるべく早く朝食を済ませて、軽井沢から甲府を抜けて富士宮まで南下。時間に余裕があればB級グルメ憧れの「富士宮焼きそば」を本場で食したい。
そこから掛川に向かい、ネットで夫婦ともお世話になっている方のところへご挨拶。ご夫婦で笛(洋物も和物も)を吹かれる方。お勧めの鰻屋で静岡の本場の鰻を楽しむ予定(酒田にも「玉勘」という江戸時代創業の老舗がありますけど)。
掛川で一泊して、翌朝、人力車で城見学?
そして、浜松の楽器博物館へ。

その後の計画は未定なれど、食い意地のはるbalaineとしては実家の戸塚に立ち寄る前に焼津でまぐろとカツオを喰おうとか、いろいろ妄想は華々しい。

9/22(火・祝)あたりの高速道路の渋滞は必至のため、移動時間は読めず。戸塚の実家に寄る特別な理由もないので、別ルート(上信越道や関越道)で戻るかもしれず、いろいろ考えるところです。

〜〜〜〜〜

さて、当ブログのカウンターが45万に近づいて来ています。
以前から何度か書いているように、ココログがカウンターサービスを始めるよりも早くこのブログを開始していた(2005年1月)ので、この数は本当のアクセス総数ではありません。
それでも4年4ヶ月程に渡るアクセス数として、こんな個人のしがないブログにこれだけのアクセスを頂いているのは感謝のみです。
日頃のアクセス数からすればあと20日以内で達成しそうです。

「銀週間」、皆さん、どうぞ事故なく平和に過ごされますように!
(旅先でもチャンスがあればブログは書くつもりです)

〜〜〜〜〜

追加!
先日、東北地域限定で放送されたNHK山形放送局制作のドラマ『スキップ』は明日です!
こちら→NHK山形放送局地域ドラマ「スキップ!」をご覧下さい。

今度は全国放送。
9/20(日)、朝10:05からの「地域発!ぐるっと日本」の枠です。
実在の(した)「S 酒田 H 発 I アイドルグループ P プロジェクト」=SHIPというグループと酒田の中町商店街の取り組みをドラマ化したものです。
ついに「全国」放送です(といっても、中部地区は放送されないのだそうです、、、(;;))

お見逃しなく!!!!!

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2009.09.18

山響第197回定期演奏会を「観る」

いつものコンサートは「聴く」なのですが、今回は「観る」。正確には「視聴する」でしょうか。
先日、当ブログでも紹介した通り、今朝、5月の山響定期演奏会がBS-2で放送されました。
日曜夜9時、NHK教育テレビの「N響アワー」の「第5週」に放送される『オーケストラの森』でも放送されましたが、その時は1時間番組なので割愛されていました。

今回は、演奏会全部がノーカットです。
山形テルサの会場で聴く、音の響き、オーケストラの醸し出す香り、指揮者や演奏者の体から出る熱というか思いは、どうしたって「ライブ」には敵いません。でもその演奏の素晴らしさは十分伝わって来ました。

1曲目はラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」。耳馴染みのある哀愁に満ちた優しいメロディにうっとり。冒頭からホルンの八木さんの安定した、優しい音色に癒されます。ブラボーです!
フルートの足達さん、オーボエの麻咲さん他、木管のソロもそれぞれに素晴らしかったです。
山響の弦の音の美しさ、響きの清澄さは、残念ながらテレビ用の録音放送ではあまり感じられないようでした(うちのテレビが悪いのかも、、、)。
やはりコンサートホールで「生」を聴くべきだと思いました。

2曲目のラロの「スペイン交響曲」。
5楽章構成のバイオリン協奏曲です。出だしはやや遅めに感じます。飯森さんの指揮で、少々重々しく、重厚な感じの1楽章。あまり「スペイン」という感じがしないようにも感じます。
しかし、3楽章〜5楽章にかけての軽快な感じとのコントラストがくっきり描かれたように感じます。
H18年に酒フィルでやった時は、バイオリンソロは漆原啓子さん、指揮は工藤さんでした。私は定期演奏会ピッコロデビューで大変緊張したのを思い出しました。
ピッコロの音はオーケストラの最高音域を受け持つのですが、その中でも高い音域とか跳躍が多く、安定して吹くのは難しかった思い出があります。しかもピッコロの音は目立ちますし、バイオリンソロの高音と呼応する様な部分もあります。
5楽章など聴いていると、「スペインはヨーロッパじゃない」ということがはっきりわかります。アフリカでもないし、ギリシャやトルコでもありません。イベリア半島は特有の気候風土と文化なんだということがよくわかります。

3曲目のカリンニコフの交響曲 第2番 イ長調。
生まれて初めて聴きました。
冒頭から何となく異国情緒豊か。ちょっと中国的な印象を持ちました。そこから民族音楽的な舞踏的なリズムも入り、金管、特にトロンボーン、チューバの金管最後列が重厚に咆哮します。
2楽章は、静かで美しい楽章。コール・アングレの哀愁に満ちた美しいメロディが心を捉えます。映画音楽にでも使われそう。いや、NHKの大河ドラマの劇中挿入曲の様でもあります。
3楽章は、素早く面白い動きの弦とリズムで、なんだか勝手に「トムとジェリー」の映像が浮かんできます。ロシア人得意のバレエ音楽のようでもあります。
4楽章は、静かに始まり途中から1楽章の主題が再現されつつ、フィナーレに向かいます。華やかな雰囲気がやはりバレエ音楽か映画音楽的、すなわち映像的な印象があります。
最後は堂々たる交響曲風に終わりますが、全曲を通して、4楽章形式ではあるものの、10曲程度のバレエ音楽のような印象を持ちました。

カリンニコフの交響曲の解説、感想はこちらの方をご覧頂いた方が良いと思います。
『電網郊外散歩道』から。
「山形交響楽団第197回定期演奏会を聴く」
もう一つ。『Nimrod.音楽部通信』から。
「山形交響楽団第197回定期演奏会」

自宅ではなく、クリニックの「地デジ」対応テレビ&ビデオで、高画質高音質で録画し、50"弱の大きめの画面で視聴出来たので、「生」には敵わないもののコンサートに行ってような感じになれました。
午前中の診療で疲弊した頭と心を、この山響の演奏会が癒してくれました。
我が山響の定期演奏会を、BS-2の全国放送で、ノーカットで視聴出来るなんて本当に幸せです。

最後に、ちょっとだけ蛇足。
カリニンコフが終わって、管楽器奏者が順に飯森監督に指名されて拍手を浴びるシーンでちょっと面白い事件(?)がありました。
ファゴットの高橋嬢が指名されたはずが、一つ前に座るオーボエ麻咲嬢が立ち上がってしまい、自分じゃなかったんだと気付いた麻咲嬢が驚いて、後ろの高橋嬢に誤りながら恐縮しているシーンがテレビらしく結構大写し。ご本人としてはこんな恥ずかしいシーンを全国放送されるなんて、と思われるかも知れませんが、かえって山響の団員の和気藹々とした雰囲気がよく伝わって来ました。

この5月17日の定期演奏会には、正規団員弦楽器奏者がすべて揃っており、コンマスに高木さん、フォアシュピーラーに犬伏さん、第2バイオリン首席ヤンネ舘野さん(先日のベストハウスで紹介された左手のピアニスト舘野泉さんの息子さん)、横に山Qの中島さん、ビオラ首席の成田さんという布陣(チェロとコントラバスにはまだ首席奏者の指定なし)。
特に2曲目のラロのときは、ソリストの滝千春さんが大写しになるのは当然なのですが、テレビ画面では滝さんの後ろに座っているヤンネさんと中島さんが大変目立ちました。

こういうところもテレビ放送ならではのものでしょう。
N響のように、ほとんどの演奏会がテレビ放映される楽団では、ステージ上では一瞬たりとも気が抜けないでしょうから大変ですね。演奏してない時に間抜けな顔をしていたり、汗を拭いたり、管楽器の水抜きをしていてもテレビには映ってしまうのです。金管がちょっとだけ音をはずしても、通常の演奏会ならその瞬間は「?」と思っても、全体的な素晴らしさの中では対したことはなく忘れてもらえますが、テレビ放送されると「あ!音、はずしてやんの!」などと揚げ足取りの人も出て来る事でしょう。

楽団員にとってはテレビ放送なんて嬉しくないでしょうが、楽団のプロモーションとしてはテレビの宣伝力は大きいものです。この番組を観て、今後の演奏会では画面に映って寂しかった山形テルサの座席がもっと埋まってくれるといいなあ、と自らは行かなかったくせに思ったりしました。

〜〜〜〜〜

ブログが2日空いたのは、それなりに忙しかったせい。
特に、来週前半の大型連休(土曜もお休みの人は5連休)を控え、患者数も多く、先週の脳ドックのまとめにも時間を取られました。
昨日木曜は、午後1時の診療終了が、少しおして午後1時半過ぎ終了。
Photo昼食を「めだか」に食べに行った所、またまた(これで3回連続)「二八」の蕎麦が売り切れており(なんでも最近テレビに出たらしく、ちょっと遅いと蕎麦が切れているのです、、、)、疲れた体に「外二」の板蕎麦は重いので、爽やかな喉越しを味わいたいと思って「田毎」に向かいました。
(写真は、家内の注文「そばとろ」と私の注文「せいろの大盛り」)

その後、午後3時過ぎからスポーツジムで汗を流し、最近ストレス太り(?)で増えつつある体重を少しでも絞ろうと努力(木曜に限っていろいろ仕事が入ったりして、一月に1、2回しか行けていませんが)。
その後、16:30から理容店で散髪。
さっぱりしたところで、18:30から介護認定審査委員会。
それが終了直後、希望ホールに直行。19:00からの「ソルノク市立交響楽団酒田公演実行委員会第2回会議」に少し遅刻して出席。目玉であった「第九」が変更になったと言うショックな説明を受けました。
その後、クリニックに戻り、脳ドックの資料整理。本日、金曜日までに終わらせておかないと今週中に受診者にレポートを発送出来ないので頑張りました〜。
帰宅は22時過ぎ。それから夕食を摂って、すぐに倒れるように寝ました。。。

さて、さて、来週の大型連休。
それなりに計画あり。
その件については明日以降に書きましょう。

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2009.09.15

山響定期のテレビ放送、と、、、

本ブログに時々コメントを下さるHN「潤さん」からメールを頂きました。
今週の金曜日、9/18の午前10:00~11:39、NHK BS-2で第197回の山響定期が放送されます。

「BSクラシック ナビゲーション」というサイトで、クラシック音楽の放送を時々チェックしているのですが、うっかりしていました。

5/17に山形テルサで行われたコンサートが全て放映される模様。
5月末の「オーケストラの森」では1時間番組に編集されたので、カットされた演奏でした。
今回はおそらく全部放送される予定。

プログラムは、
 1. 亡き王女のためのパヴァーヌ   ( ラヴェル作曲 )
 2. スペイン交響曲 二短調 作品21   ( ラロ作曲 )
 3. 交響曲 第2番 イ長調   ( カリンニコフ作曲 )

2曲目のバイオリンは滝 千春さん。
管弦楽:山形交響楽団、指 揮:飯森 範親

実は、私はこのコンサートは聞き逃しています。
横浜と東京に2週続けて出張する合間の週末で山形に行く余裕がなかったのです。さらに、月末の「オーケストラの森」も見逃した上、録画も忘れていたのです。

ラヴェルではホルンの八木さんのソロが素晴らしかったという話でした。
ラロは、滝さんのヴァイオリンが圧巻でスゴかったということです。
カリンニコフはなかなか取りあげられない交響曲で良い演奏だったようです。
このプログラムは、6/20(土)に東京オペラシティコンサートホールにて『「夢づくり」さくらんぼコンサート2009』と銘打って演奏され、東京近郊のファンの前に山響の現在の力を示したものです。

今日のうちに録画予約をしておきました。(笑)

Photoさて、今日の午前中、クリニックに荷物が届きました。
私は診療中でしたので、午前の診療が終わるまでお預け。届いた箱の中身は写真の鞄です。
自分で注文したのですが、ヌメ革のダレスバッグ。
ホホホ〜〜イ!という感じです。嬉しい。。。。。

Photo_2元米国国務長官のダレス氏が来日した際に手にしていた鞄をモデルに日本の鞄制作会社が「ダレス・バッグ」という名前で広めたものだそうです。よって海外で「ダレス・バッグ」と言っても通じないそうです。何十年もの使用に耐えるような「ブライドルレザー」のものはとっても値が張るので、「ヌメ革」の鞄にしました。

ヌメ革の解説:
『ヌメ革は植物から抽出されたタンニンという成分で鞣され、型押しなどの表面加工を施されていない革です。大昔から行われていた伝統的な鞣し方法で、鞣しの工程だけで1ヶ月以上かかることもある、手間ヒマのかかる方法です。ヌメ革は廃棄されても土中で微生物などにより自然に分解され、またその製造工程中に環境を汚染するような有害廃棄物をほとんど出さないため、自然環境に優しい素材として近年その価値が見直されています。』
だそうです。

女性は、自分へのご褒美にどんなものを購入されるでしょう。
手に入りにくいスイーツか、心躍るようなアクセサリーでしょうか。帽子や靴の場合もあるでしょう。
男性は自分へのご褒美にどんなものを購入されるでしょう。
高級なウィスキーの人もいるでしょう。素敵な腕時計とか、重厚な万年筆を買う人もいるでしょう。
Photo_3私は前々から欲しいと思っていたダレス・バッグを買った訳です。
仕事のテンションもあがります。
これを持って、学会や研究会、会議などに出かけたくなります。
鞄に負けないように男を、人間を磨かなければ。v(^^)

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2009.09.13

日曜の午後らしい?一日

日曜の午後と言えば、のんびり家でくつろぐとか、普段出かける余裕のないようなお店に買い物に行くとか、音楽を聴くとか、本を読むとか、、、人それぞれいろいろな過ごし方があるでしょう。

今週末、土日の市民オケのトレーナー練習(管弦分奏)は、トレーナーのIさん、T氏がともに山響の仕事で今日中に北海道に渡る必要があるため、土曜の夕方18時から21時と日曜の午前中だけとなりました。山響の北海道地域音楽教室(文化庁派遣)の仕事だそうです。

昨日の夜の懇親会を欠席したにもかかわらず、ここ数日の疲れが溜まっていたのか、今朝目が覚めたのは9時少し前!
「管分奏トレーナー練習」はジョンダーノ・ホールで9:30からなので、今日は9:00にはクリニックに行って表玄関を開けたりホールのカーテンを開けたりして、管楽器の団員を迎える予定でした。あわてて飛び起き、ぐるぐる考えながら速攻で着替え、鞄を持って家を飛び出したのが9:05頃。クリニックまでは車で2分。しかし、数名の団員はすでに駐車場で待っていました。
ごめんなさい!
急いで鍵を開け、表玄関の自動ドアを解除し、ホールを明けて迎え入れます。
9:20頃には、フルート奏者とファゴット奏者各1名を除いて全員揃い、予定通り9:30からT氏による練習が始まりました。
今日はまず協奏曲から。私は「降り番」です。

ブラームス作曲バイオリン協奏曲。名曲です。
Photo_3今回の酒田フィルの定期演奏会でソリストをお願いしているのは、日本が誇る世界的バイオリニストのお一人で大御所ともおよびすべき久保陽子さんです。ご本人も有名ですが、御夫君はこれまた世界的なピアニストの弘中孝氏です。
こんな素晴らしい方をお迎えして演奏が出来る幸運とともに、その重圧も感じます。トレーナー練習は限られた時間の中、要所要所を手際よく指導していただき、音色、和音、アーティキュレーションが随分改善されたと思います(私は気楽に傍観者でしたが)。

11:30から30分、昨晩出来なかったシンフォニーの3楽章を練習。
「ドボ7」の中では、特有の暗さが薄れて舞踏的な雰囲気が楽しい。大変な曲の中では比較的に取り組みやすい楽章のように捉えられていましたが、フルート1番はとても大変なのです。これは吹いた事のある人にしか分からないと思います。より有名な「ドボ8」の方がまだ楽な印象です。

ぴったし12:00に練習終了。
少し休んだ後、家内と昼食に出かけ、随分前から買って来たかった、クリニックの庭、家の庭の除草剤、芝生用の除草剤、花壇の肥料などを「ムサシ」で購入。さっそくクリニックの「Balaine Garden」の芝に、高麗芝用の除草剤を撒き、バラや芍薬などを植えてある部分と駐車場スペースの花壇、そしてシンボルツリーの周りの花壇に配合肥料を撒きました。

その後、ポカリと空いた「日曜の午後」をどう過ごすか、コーヒーを味わいながら考えました。
再放送ですが、鶴岡の『アル・ケッチャーノ』を取りあげた旅番組の放送を観て、またあの美味しい地場ヴェジ=イタリアンを食べたくなりました。

そうそう、決して暇でやる事がない訳ではありませんでした。次の木曜に開かれる介護認定審査委員会の資料に目を通しておく必要があります。先週の脳ドックの資料整理とレポート作成もあります。仕事に終わりはないのです。

〜〜〜〜〜

少しダウンした気分を上げるため、最近食べた美味しいものの写真でも。

Photo_4まずは8月末に久しぶりに行った「花鳥風月」の「花鳥風月ラーメンゆず塩」。
酒田のラーメンとはかなり違った趣ですが、とても斬新で美味しいラーメン。ちょっと値段が高めですが、材料も選び抜いたものを使っているようで、食べ終わった後も爽やかです。

Photo_6こちらは先々週の土曜日に行った、庄内町(旧余目)の「萬人」のラーメン。
つけ麺を食べるつもりで行ったのですが、診療が終わったのが午後2時前であったため、店に行ったのは2時半で「つけ麺は終わりました」ということで、家内は写真の通常のラーメン+「味玉」。
Photo_7私は、こちら、「辛味噌ラーメン」。
麺は極太の縮れ麺で、スープは通常の味噌ラーメンとちょっと違う感じ。赤湯に本店のある「赤湯ラーメン」の辛味噌に良く似ています。チャーシューもトロトロで旨かった。
Ca3a3616001「萬人」の玄関はこちら。写真はネットから。実は、我々が訪れた時、すでに昼食時間終了だったようで、この暖簾は店の中にしまわれてしまい、帰りがけに撮ろうと思っていた写真が撮れなかったのです。

最近、ショックだったのは国道7号線沿いの「北京飯店」が無くなってしまった事です。
中国から帰化した女性が経営し、中国語しか喋れない中国人家族が厨房に入って本格的な料理を出してくれました。このブログでも数回紹介しましたが、チャーハンや焼きそば、レバニラ炒めやホイコウロウ、酢豚などの一般的な中華料理から、北京ダックやフカヒレの姿煮という高級中華料理まで供してくれる本格的な店なのに、気楽に入れ値段も安くお気に入りの店だったのです。
経営者の関係者を知っているので、どうしたのか聞いてみると、何でも北京に住んでいる経営者の母親が体を壊したため、長期間中国に戻ることになったらしい。それで店を畳んだのだそうです。結構、流行っている店でしたし、わりと近くで気軽に定食のように食べられる店だったので残念です。

その代わりといってはなんですが、クリニックのごく近所にお気に入りの店ができました。
Photo_8あまりいい写真がないのですが、一皿だけ。
焼き鳥屋さんというか、民家を改造した居酒屋のようなお店。「串きの」さん。
歩いて1分のところにあり、「まこちゃんラーメン」亡き後、拙クリニックからはもっとも近い飲食店です。
ここなら、仕事帰りに美味しい焼き鳥を食べて、ビールや焼酎を飲んで、歩いて家に帰れるのでそういう意味でも便利ですが、なにより料理が旨い。お通しで出て来るものもなかなかですし、お漬物も美味しい。焼き鳥は種類は多くないのですが、「ぼんじり」や「せせり」「すなぎも」などみんな絶品です。
この界隈では結構有名になっているようで、毎晩、店の前を通って帰宅するのですが、いつもお客さんで賑わっているようです。
また近いうちに行きたいですね。

さて、仕事仕事!

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2009.09.12

久しぶりに安眠

昨日、金曜日は市内の某ホテルで頚動脈エコー研究会が開催され、一般演題を発表してきました。
ちょこちょこと準備はしていたのですが、結局、直前2日で仕上げる羽目に。
大学病院勤務時代は、病棟での仕事や手術場にいるよりも、一番長い時間を費やすのは医局にいて医局の事務的仕事、学会開催準備、学会発表準備をしている事が多く、昼間から学会発表準備をしていました(それが大学に勤める文部科学教官の大事な仕事の一つですから)。
毎日のように1日15~6時間働いて、手術場にいるのは毎日ではないので平均で1日3時間、病棟にいるのは1〜2時間位でした。外来は週に1回だけだったので、1週間をならして1日の平均時間にすると1時間くらいになります。病棟では研修医、病棟医が主に働くシステムで、私はその指導、執刀した患者の回診、医局の若手医師との回診を済ませればさっさと医局に戻ってたくさんある他の仕事をしていました、結局、医学的研究、学会準備、学生の教育、講義、教授の仕事の補佐などで1日のうち10時間は費やしていたことになります。

現在は、朝から夕方まではほとんど休まず外来です。昼食をとって昼休みもとっていますが、1時間は休めない状態です。
そして、学会発表準備などをしようと思えば、診療に関するすべての仕事が終わってからの時間になります。それは、脳ドックの資料整理やレポート作成、介護認定審査のための資料のチェックなども含みます。

そんな状態なので、金曜の夜の発表のため、水曜の夜〜深夜(ほぼ早朝)と木曜の夜〜深夜(午前3時頃)を使って仕事をしました、2日間の睡眠時間は合わせて8時間足らず。しかも木曜の夜は、糖尿病の勉強会もあり出席。さすがに金曜は眠かったのですが、いつも通り夕方まで診療。そして18:30から世話人会に出席。19:00から研究会。
特別講演が終わったのは21時。それから情報交換会に出席し、特別講演に招待した講師の先生に座長のA先生、一般演題3題の座長をしたS先生に世話人会代表のA先生と私の5人で別席へ移動。

講師のドクター、はるばる大阪からいらして頂いた頸動脈エコーの権威松尾汎先生を囲んで楽しい酒宴。映画「おくりびと」を観て感動したという松尾先生とは、酒田の事、大阪の事、映画の事、そしてご家族が楽しまれる音楽の事(なんと奥様はアルパを演奏されるとのこと)など、多彩な話で遅くまで盛り上がり、結局帰宅したのは23:30過ぎ。
ということで金曜の夜は0時にはベッドへ。そのまま朝までぐっすり。7時間程久しぶりの安眠という感じでした。

今日、土曜日はお昼までの診療で、疲れた身体を神様が労って下さったのか患者さんも多くなく、午後1時にはさらっと終わる事が出来ました。
Photo昼食は、先週木曜に行った「小野木精肉店」の中にある中華料理。
家内は写真の「五目ヤキソバ」を注文。少し甘めの味付けで、大学病院勤務時代によく出前をとっていた大学病院前の中華料理屋さん「桃華楼」の味を思い出させるものでした。
Photo_2私はこちら、ピリ辛ネギチャーシューラーメン。
2種類のネギがたっぷり入っています。チャーシューも細ギリにしたものがふんだんに入っています。「ピリ辛」と言ってもあまり辛すぎず、丁度食欲を刺激する程度のもの。「これは!」という程のインパクトは乏しいものの、何度も通いたくなる安定した味付けでした。
ただ、頂けなかったのは、写真の2つ以外に「餃子」を注文したのですが、注文を忘れていたらしくラーメンを食べ終わる頃に催促して、完全に食べ終わってから餃子が出てきました。精肉店の片手間の食堂ということではなく中華料理屋のつもりならば、客の注文を落とすというのは決してやっては行けない事だと思います。

その後、クリニックに戻って、昨日録画していたNHKドラマ『スキップ』を観ました。
期待以上の出来のドラマでした。ちょっと尺が短くて話をはしょり過ぎな印象もありましたが、製作期間や予算などの問題もあったのでしょう。45分ではなく、せめて1時間15分くらいは欲しかったな〜。
ストーリーは、9/20(日)朝10時からの「全国放送」を楽しみにしている方にネタばれになるので触れずに置きます。最後にエンドロールのところで、このドラマの元になった実在の元アイドルグループ『SHIP』が、
”S酒田(商店街) H発 Iアイドル Pプロジェクト”
と紹介され、本物のSHIPと中町商店街が写真で紹介されていました。
さらに、先日9/5のブログ記事で知人と紹介したS氏たちが堂々写真で登場していました。
主たる撮影地の河北町の商店街やそこの人達だけではなく、ストーリーの元になった酒田の商店街と人々がちゃんと紹介されていたのは嬉しかったですね。

そして夕方18:00からは市民オケのトレーナー練習。
元山響オーボエ奏者T氏による緻密な指導が3時間。
O. ニコライの喜歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲は、Allegro Vivaceの部分のピッコロの練習がまだ不十分ではあったが、この曲の管楽器群の構造がよく理解出来てためになった。
シンフォニー(ドボ7)の方は、セカンドオーボエが欠席、ファーストファゴットが代吹きであったけれど、その他はメンバーが揃いしっかりした練習が出来た。
ファーストフルートは出番が多く(というより、ず〜っと吹きっぱなしに近い)、ソリスティックでメロディアスな部分が盛りだくさん。一人で練習している時は楽しいけれど、合奏では非常に緊張する。全体のアンサンブルを壊さないように、ピッチが狂わないように、指がとっちらからないように、、、
考えてみれば「○○しないように」「△△ならないように」と否定的な事ばかり考えてしまった。マイナスを減らすことは大切だが、プラスを増やすようにも考えなければ音楽として楽しくない。
明日のトレーナー練習では、今日やり残したシンフォニーの3楽章とブラームスの協奏曲をやる予定だが、「上手に吹く」ことよりも「何かプラス方向に働く演奏」を考えてみよう。

指導の講師、管のT氏、弦のIさん(イニシャルで伏せる必要があるか?笑)を囲んでの懇親会が予定されていたが、水、木2日続けの睡眠不足、木、金2日続けの勉強会、研究会と飲み会が続いたため失礼させて頂いた。

さあ、今日も安眠して明日の練習も頑張ろう!

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2009.09.10

TV番組『奇跡の脳スペシャル』を観て

明日9/11の酒田地区頸動脈エコー研究会での一般演題発表に向けてスライド原稿作成を追い込みで行うため、昨日は夕方の診療終了後、食事もクリニックで摂りながら夜中までデータ整理とスライド作成を行った。
途中でうたた寝したり、休んだり、考えたり、仕事したり、「ダラダラ仕事」で深夜まで、というより朝方近く(午前4時近く)までやったので、今日はちょっと眠い。考えてみれば、病院勤務医時代は午後から深夜に及ぶ大手術をやったり、急患で深夜に叩き起こされたり、病棟に呼ばれたりなどは「日常茶飯」の事だったので、自宅に帰る時にはすでに今日の朝刊が配達されていたり、陽が短くなったとは言え東の空がやや白んで来る時刻まで仕事しても、少し前の自分の勤務状況を感傷的に思い出すくらいで特別に辛いなどとは感じない。
「大変だったあの頃に比べれば(今は楽をしている)、、、」
という思いはある。

しかも、食事後はテレビを観たり結構遊んでいたので、8時間のうち、実質真剣に仕事したのは5時間くらいのものである。
昨日、クリニックでたまたまつけた番組に興味を引かれた。
そんな番組をやるとは知らずに、本当にたまたまそのチャンネルをつけたらやっていたのだ。
番組名は、『ザ・ベストハウス123 茂木健一郎プレゼンツ奇跡の脳スペシャル』。
番組HPは「これだ!」(笑)


脳科学者と呼ばれている(定義は不明)茂木健一郎氏がプレゼンする形で、3例の脳障害の方の実録&再現ビデオによる「脳が奇跡をおこした」という内容。
1例目の、髄膜炎後水頭症、さらにシャント手術後成長に伴ってシャント機能障害が元で左前頭葉の大半を失った男性の話。母親の愛が感動的であった。「音楽運動療法」(呼び方や定義はこの際捨て置いて)というアプローチも面白かった。脳の機能を回復させると言う観点からすると、ある意味では当たり前のこと、別に特殊な事をしているとは思わないが、それを実践し継続している事がスゴいと思う。
本来、成長に伴ってシャントチューブの長さが足らなくなったり、それに伴ってシャント機能不全が起こる事は、予測の範囲であり、手術をして外来経過観察をしている病院、医師の方で、十分に注意して定期的に、半年〜1年に1回はレントゲン撮影でシャントチューブの位置を確認したり、CTやMRIで水頭症の状態をフォローアップすると思うが。。。
脳外科の事を書き出すときりがないので止めておくが、「奇跡」と呼ぶ事に水を差すようで申し訳ないが、その男性が発症したのは幼児期で、シャント不全で具合が悪化したのも小児期。つまり、大人と違ってまだまだ可塑性のある脳だったのだから、本来回復するはずがないと言う脳が機能を一部回復させたり、何か欠落した機能の代わりに他の機能が非常に発達すると言う事は、科学的に十分ありうる事で「奇跡」と呼ぶ程ではないと思う。
もちろん、「奇跡的」な機能回復には、本人の努力、家族(特に母親)の愛と努力、周囲の理解とサポートなどがあったからこそであり、ただ指をくわえていて自然に奇跡的になった訳ではない。あまり「奇跡」「奇跡」と奇跡を安売りすると、まるで「神の手の外科医」「天才ドクター」と連呼するのと同じで、もともとあるべき人間の高い能力をあたかも特殊なものとして崇めるような違和感を私は感じる。

2例目のピアニストの事例を飛ばして3例目の中国人の大学生の話。
事故で右脳に大きな脳挫傷と後遺症の脳損傷を負ったケース。頭蓋骨骨折が酷かったのは分かるが、番組では「頭蓋骨が割れて傷害を受けた脳が腫れ、むき出しになって骨からはみ出した」というような(正確には記憶していないが)表現をしていた。しかし、それは違うと思う。
外傷によって脳挫傷性の脳内出血を起こした場合、血腫がある程度の固まりであれば手術で取り除くことも考えるが、昨日テレビで見た事故直後のCTでは、血腫はあるものの小さな脳挫傷が癒合して大きくなるタイプで開頭手術で取り除くのは困難(開けたはいいが、止血が困難になって脳がかえってぐちゃぐちゃになるタイプ)な症例と判断できた。そういう場合、脳外科医は「減圧大開頭」といって、損傷を受けて腫れている脳の異常な高い圧を外側に逃がして、正常な部分(左大脳や脳幹など)を守るために頭蓋骨をビックリする位大きく取り外す手術をするのである。私もこの手術は、外傷はもちろん脳出血や激しい脳梗塞、脳腫瘍などでもたくさん経験している。
もちろん点滴などの薬で脳の腫れを改善させ、腫れた脳自体によって正常の脳が圧迫されて壊れるのを防いだり守ったりする治療はある。それは十二分にやっても脳を守りきれないと判断した場合、脳外科医はこの「減圧開頭」という手術を行うのである。
その中国人大学生も、減圧大開頭を受けたように思われた。そして事故で割れた頭蓋骨片は最終的には元に戻すには適さなかったため、チタン合金で頭蓋骨の代わりを作成して頭蓋形成をしたものと推測する。
減圧大開頭部分の脳は「飛び出したり」「むき出しになったり」した訳ではない。脳は、外側から硬膜、くも膜、軟膜という3層の膜に包まれており、その外には厚さ1cmを超える頭皮があるのだから骨がなくてもガーゼで覆ってヘルメットを被っていればまずまず大丈夫なのである。そして時間とともに血腫が吸収され、脳の浮腫が改善したら自家骨をもどしたり、チタンやセラミックで骨欠損部を形成して頭蓋形成術というのをやるのである。
このケースでも、本人の努力はもちろんあるが、親、特に母親と恋人や友人などの愛と支えがあった事が重要な意味を持つ。奇跡は起こるべくして起きたもので、神が奇跡を起こしたというようなものではないのだと考える。

そして、遠回りしてしまった2例目の話。
有名なピアニスト舘野泉氏のことであった。
Ichct脳卒中(CTからは左視床を中心とする大脳基底核あたりの直径3cmくらいの出血)によって、右半身と言葉が不自由になり、世界的に活躍していたピアニストとしての機能(右手のヴィルトォーソな動き)が失われてしまった。(写真はネットから流用)
運動野から脊髄に向かう錐体路が通る部分が直接損傷されれば、わずか1cmの出血でも半身不随になってしまう。微妙に出血の場所がずれていたため、右半身麻痺は強く出たものの、努力によって杖をつかずに歩行したり、構語障害は残るものの会話も出来る。
しかし、それまでのピアニストとしてのキャリアが失われてしまったものと思い、絶望のどん底に落ち込んでしまった舘野氏。

Janneその氏を励まし、立ち直るきっかけを作ったとして紹介されていたのは、息子さんのヤンネ舘野さん。
ヤンネ舘野さんは、昨年から山形交響楽団第2バイオリンの首席奏者なのである。「山形交響楽団HP【楽団員紹介】」も参照下さい。

Photoこれは、1年半以上前、山響が遊佐町で公演した際に撮った、ヤンネさんとのツーショット。

こちら→「NPO法人 Mプロジェクト」のHPにも掲載されているように、舘野泉さんが旭日小綬章受章と文化庁長官表彰を受賞され、山形の音楽活動を応援している知り合いがそのお祝いの会に出席して、舘野泉さん、ヤンネさんと写真を撮って紹介している。

脳外科医として一番興味を持ったのは、実は舘野泉さんのケース。
1例目は子供、3例目は大学生と、二人共まだ若く、脳の可塑性がまだまだ十分に期待出来る年齢であった事も、その努力+愛と合わさって「奇跡的」な脳力回復に繋がったと考えられるが、舘野泉さんが脳卒中で倒れたのは66才。その年で失われた機能が回復することは、常識的には考えにくい。
確かに、上に書いたように出血が直撃を避けて少し機能が残った事は事実。しかし、筋肉も骨も老化して衰える一方であり、ピアノを弾くための指先のコントロールなんてまずは回復不能と脳外科医の100人中99人は考えると思う。
番組の最後の方で舘野泉さんは「最近右手が動くようになっているんです」と嬉しそうに語って、両手を使ったピアノ演奏を少しだけ公開された。元々厳しい訓練で培った小脳系、錐体外路系を持っているからこそ出来た事かもしれない。
しかし、最近の研究では、脳の中の脳室周囲や海馬には、神経幹細胞の元になり機能分化を果たしうる細胞があって、成人して完成した脳でもそれは存在し増殖して機能回復に参加しうるということも報告されているようである。

舘野泉氏の音楽に対する愛、ピアノに対する愛、そしてヤンネさん達家族や友人の愛が彼の右手の機能を回復する方向に導いているのかもしれない。これも「奇跡」ではなく、脳にはそういった「奇跡的」と考えられる能力がもともと備わっている、これまで人間はそれを十分に活用していない、という事なのではないかと思う。

「念ずれば通ず」という。
強い思い、強い思いを支えサポートするのはやはり愛。
「天地人」ではないけれど、やはり「愛」の力というのはスゴいのだと、このテレビ番組で教えられた。


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2009.09.08

さかた街なかキャンパス「昆虫展」

9/6(日)、最近出かける事が多かった(お盆は「街なかコンサート」、翌週は上山で同窓会、翌週はまた上山でピアノリサイタル)ので酒田市内にとどまりのんびりする事にしました。

今週末に、酒田地区頸動脈エコー研究会があり、そこで一般演題をひとつ発表する予定なので、その準備をし、清水屋さん(デパート)のいきつけ(といっても月1以下ですが)のマッサージルームで全身に癒しを受けて来ました。

そんな中、先日ドラマ「スキップ」で紹介したばかりの中町商店街に出かけ、『さかた街なかキャンパス』を訪ねてみました。
その目的は、
Photo「こども昆虫標本展コンクール」が開催されているのでそれを観る事。
酒田市内の夏休み作品展に出店した昆虫標本を一堂に集めて展示するということですが、写真のように子供の展示はあまり多くありませんでした。酒田地区ですら、子供が昆虫を捕まえるなどと言う「夏休み」「小学生」「作品」といえば、『昆虫』という時代を過ごした私からすれば少し残念な状態。

Photo_2この展示会を盛り上げるために、同時に「庄内昆虫同好会」会員の標本や昆虫の写真などがズラ〜っと展示されていました。
蟻より小さい「ケシカミキリムシ」などがキレイに展示されていました。

こんなのもありました。
Photo_4蝶々の展示は2つだけでしたが、この下の蝶は「アレクサンドラトリバネアゲハ」という世界最大級の蝶々の一種。
左に置いた携帯電話と大きさを比較して下さい。
この2体は、羽を広げた大きさ(幅)はせいぜい14cm程度。世界最大級は30cmにも及ぶものがあるそうです。
先日テレビでやっていた「高校生クイズ」番組の確か決勝戦(開成高校と東大寺学園でした)でも出題されていました。「アレクサンドラ」を「アレキサンドリア」と間違えて書いたチームもあり、それを見て初めて知った私は「へぇ〜〜〜」と思ったものです。出題文は「散弾銃で撃ち落とされたことがあると言う世界最大級の蝶の名前は?」というものだったと思います。

それを見ていたので、この蝶の標本を見た時に、「おおっきいい!」とは思わず、「あれ?こんなものなの?」という感じもしました。しかし、羽も触覚も足ももちろん胴体もどこも傷つく事なく綺麗な形で標本になっている、その美しさ、仕事の丁寧さに感嘆しました。

こんなのもありました。
Photo_5昆虫標本はいわば屍体の展示ですが、生きている昆虫の写真を展示したものです。
相手は生きている昆虫ですから、写真を撮ろうと思ったって動いたり飛んで行ってしまったりもするでしょう。綺麗な写真がたくさん展示されていました。

なぜ、昆虫展に出かけたかと言うと、私が昆虫に造詣が深い訳ではありません。
故手塚治虫は、子供の頃から昆虫が大好きで小学生の頃から美しい昆虫の標本を作り、素晴らしいスケッチを残している事でも有名。そして本名手塚治だったのですが、「オサムシ」という名前の昆虫がいた事から、手塚治虫というのをペンネームにしたと言われています。
医師であった故手塚治虫と同じように、私も生き物全てに興味があります。
でも、今回はそうではなくて、上の昆虫写真の真ん中の上下の2枚についている「サクライ」というのが、家内の叔父さんで酒田辺りではちょっと知られた昆虫博士なのです。当然、展示会場にもいらして、昆虫の説明などもしていただきました。実態顕微鏡で昆虫の標本も観察出来、大変興味深いものでした。

この「こども昆虫標本展コンクール」+庄内昆虫同好会会員作品展示は、9/13(日)まで中町の「街なかキャンパス」で無料展示が行われていますので、興味のある方はどうぞ!

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2009.09.05

NHKドラマ『スキップ』

『今夜はなまらナイト!」(番組HPはこちら)などオリジナリティに溢れたユニークな番組を創っている、NHK山形放送局。

そのNHK山形放送局がテレビ放送50周年を記念してドラマを作成しました。
そのタイトルが『スキップ』。
明日9/6(日)の朝、8:00から43分間、東北地域限定でそのドラマの「メイキング特番」が放送されるそうです。

そして、いよいよオンエアは、9月11日(金)の夜、20:00~20:43、総合テレビですが、これも残念ながら「東北限定」の放送です。
ところが!
なんと早くも「全国放送」が決定しました。
9月20日(日)の午前中、10:05からだそうです。
詳しくは、「スキップ」のHPをご覧下さい。こちらです!

なんで私がNHKのドラマの番宣なんかしているかといいいますと。。。

<ドラマのあらすじ>
〜〜〜〜〜

5年前、山形県にある、ごく普通の商店街 ”さくらんぼ商店街” は時代の波を受け、閉店が次々と続く、シャッター街化に頭を悩ませていた。

「この商店街でアイドルを育てて活性化を図ろう。」

仰天プランが、かつて商店街で育ち東京で音楽トレーナーをする倉田竜介(35)から持ち込まれる。商店主の多くが反対する中、金物屋・新田芳太郎(45)の協力でプロジェクトはスタートする。
アイドルグループ”SKIP(スキップ)”として、地元高校生のひろっぴ、さりー、みゅーの3人は、商店街の現実や商店主の思いに接し、自分自身とも向き合うようになる。
1年かけて、ようやく正式デビューコンサートに漕ぎついたとき、メンバー、竜介、芳太郎は、大きな決断に迫られ、岐路を迎える・・・。

〜〜〜〜〜

この”さくらんぼ商店街”とは架空のものですが、実は酒田市の中町商店街がモデル。
「スキップ」は、商店街発アイドルグループ『SHIP』という酒田の女子高生を中心とする実在のグループがモデル。
メンバーを募って育成しデビューさせた後のプロデュースは、私が良く行く酒田フィルの溜まり場でもある喫茶店「山茶花」によく出没されているS氏。

残念ながら中心メンバーの進学などを機に、活動を休止し、現在は事実上解散状態であるため、2年前の5月に酒田に移り住んだ私は「本物」を見た事はない。
今回、そんな”伝説”の「地方商店街発」アイドルグループ、『SHIP』の事をドラマ化した番組がほうそうされるということで、大変期待している。

詳しくは、Wikipediaに掲載されているので、こちら↓をどうぞ。
「SHIP - Wikipedia」

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2009.09.03

口こみ

7/25(土)山響庄内定期酒田公演の夜。
あの清水直子さんのバルトークのビオラ協奏曲とブルックナーの3番を聴いた日の話です。
山響団員TpのIさん、ObのMSさんを交えて、山響FCや山響を応援するメンバーで飲み会をしました。その会には所用で少し遅れながらもマエストロも参加して下さいました。
その席で、飯森さんが「お昼に食べたラーメンが美味しかった」と言い出しました。

酒田は、「酒田のラーメン」と言って、基本的には魚系の出汁が主体で和風な感じのあっさりしたラーメンが有名です。初めて食べた時には、煮干し系の匂いが強くて、その割に味はあっさりしすぎている印象であまり好みとは思いませんでしたが、その後、いくつかお気に入りの店もできて、今は大好きです。
お腹に重くないのが長所なのですが、酒田のラーメンは大体どの店に行っても量が多い。
麺は普通が150gr~200grあり、「中」で220~250gr、「大」というと300grも出して来る店も少なくありません。少しお年を召した方や小食の人には「並」「普通」でも多いので、「小」というサイズを用意している店も結構あります。
しかも約8割の店が「自家製麺」で、麺の味、太さ、縮れ具合、こしなどが店によって全然違うのも面白いものです。同じ名前の「三日月軒」という店でも、現在市内に4カ所程あるお店全てで麺が違います。

さて、グルメの飯森さんがどこのお店のラーメンを食べて気に入ったのか、皆興味を持ちました。
ところが飯森さんは、お店の名前を覚えておらず、酒田衆が有名なお店の名前をいくつか挙げても、どれも違うということ(「川柳」「満月」「三日月軒」「新月」「味龍」などなど、、、)。

「ほら、あの有名なお肉屋さんのやっているラーメン屋さんですよ」
と言われて、かえって皆「???」となりました。
その場には、少なくとも酒田衆(生まれ育ちが酒田)が4人程、我々も入れて酒田在住の者が6人はいました。鶴岡の人など庄内衆を入れても誰も思い当たりません。

「肉屋?のラーメン?」
あそこかな?多分、あそこだのぉという話は出たのですが、それ以上追求はしませんでした。
とにかく、グルメなマエストロのお気に召すラーメンが食べられたと言うのですから、酒田衆としてはホッとしたところでした。

その後、タウン情報誌である肉屋さんがプロデュースしたステーキ屋さんがオープンしたという情報が載っていて、それを見て「飯森さんが言っていた、有名な肉屋さんってここじゃないのかな?」という話になりました。

そしてついに今日、その肉屋のラーメンを食べに行って来たのです。
Photo家内は「飯森さんは、五目ラーメンが美味しかった、と言ってらした」と記憶していたので、まずは「五目ラーメン」を注文。
お店は入り口から入ると、普通の肉屋に肉関係のお惣菜が並んでいるようなお店なのですが、少し奥まった所に、ジェラートを出すお店の一角でかき氷を食べるような感じで簡素なテーブルが3つおいてありました。
Photo_2お店の人に、「飯森さんが食べたのはどれですか?」とダイレクトに聞いてみました。「飯森さん」と言ってもピンと来なかったようなので、「先日来た指揮者の人」と言ったら、「ああ、それならこの貝柱青菜ラーメンですよ」と中国語の発音で教えてくれたのが写真のラーメン。

五目ラーメンも貝柱青菜ラーメンも味が濃厚なのですが上品で、とろみのあるスープもくどくなく、最後まで飲み干せてしまいました。とても品の良い中華料理店の味がします。
「東京の中華料理屋さんで修行したので、、、」と、お店の跡取り若旦那でしょうか。「うちのは薄味なんです」とはおかみさん。

いや、酒田にしては薄味かもしれないけれど、決して味は薄くはないです。濃厚だけどしつこくない上品な味でした。

我らが山響の音楽監督飯森範親氏のことは、クラシックファンならまず知っていると思います。でも、山形の人でも「山響の指揮者」と言うと、「え?ああ〜」という感じの反応。
それは例えて言えば、Jリーグ1部で頑張っているモンテディオ山形の選手や監督でも、昔サッカー少年だった私にしてもほとんど名前が出て来ないのと同じ感覚でしょう。
「◯◯選手」とか「△△監督」と言われると「聞いた事ある、、、」という位でしょうか。

酒田に美味しいものが多く、美味しい店もたくさんあります。
タウン誌やインターネット、特に個人のブログなどで「口コミ」のように情報を得て、いろいろ挑戦して楽しんでいます。しかし、酒田の美味しいお店をマエストロ飯森に教えられるとは思いませんでした。参りました!(^^

ところで、、、
Photo_3「小野木精肉店」さんは、酒田市の一番町、大火で焼けた後に出来た「酒田市立資料館」の直ぐ近く、いわゆる「大通り」に面した角にあります。
「酒田まつり」の時は、目の前を行列が通ります。今年の「酒田まつり」の時に一回入ったのですが、その日は「予約の総菜のみ」ということでラーメンやチャーハンなどの中華食堂?はやっていなかったのです。
しかし、この建物、どこかで見た覚えがあります。。。

Photo_4実は、拙クリニックの玄関の車寄せとそっくりなのです。
それは酒田に住み始めて、拙クリニックの設計が終わり模型を見せてもらってから、大通りを通りかかった時に気付いていました。それ以降、とても親近感が沸き、気になっていたお店だったのです。

似ているのは当然。実は、同じ設計者による建築物なのです。
小野木さんはおよそ9年前に新築したとのこと。拙クリニックは昨年春に出来たばかり。
その設計をして下さったのは、「こちら」です。

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2009.09.02

酒フィル定期まであと50日強となりました!

春のファミリーコンサート(佐々木亜希子さんの語り入りで「ピーターとおおかみ」をやった)が終わって、少ししてから秋の定期演奏会の練習が始まりました。すでに5ヶ月少しを費やして来ています。
しかし、その間、合唱団「コーロ・プリモ」の創立60周年記念コンサート(11/15)のためのオケ練習+合唱との合わせ練習や、夏の「街かどコンサート」のための練習や、様々な行事で定期演奏会のための練習はけっこう飛びました。
さらに、酒田フィルの行事ではありませんが、酒田C高校音楽部の定期演奏会の賛助出演などもありましたし、ずっと定期演奏会用の練習だけできたわけではありません。

気がついてみたら9月になり、定期演奏会の10/25(日)まであと2ヶ月を切っていました。
Photo今年のチラシは渋い色使いです。
マエストロ井崎と並ぶ写真は、ブラームスのバイオリン協奏曲のソリストをつとめていただく久保陽子さん。この写真も渋いですね。ブラームスを弾いているように見えませんか?

今年のプログラムは、
1)O. ニコライ:喜歌劇『ウィンザーの陽気な女房たち』序曲
2)ブラームス:ヴァイオリン協奏曲
3)ドヴォジャーク:交響曲第7番
です。

Photo_2チラシの裏に、マエストロとソリストの紹介文を入れました。
下の方には、前記「コーロ・プリモ」の演奏会の情報もあります。
さらに、11/21(土)遊佐、11/22(日)酒田、11/23(月・祝)と3日連続のソルノク市交響楽団の演奏会の情報も入っています。マエストロ井崎が音楽監督を務めているオケで、我々がこれまで2度に渡りハンガリーで交流を深めて来たオケでもあります。私も平成18年の正月の演奏旅行に参加し、首席フルート奏者のボルバーラの家にホームステイさせてもらいました。

これから秋の芸術のシーズン。
10/4には知人の音楽教室の発表会に賛助出演します。「脳と音楽」のミニ講演もします。
上記の他には11/3(火・祝)は酒田市民音楽祭の演奏会があります(まだ決まっていないけれど、オケと合唱)。
11月には、チェコフィル来日もあります。フルートのロマン、オーボエのヤナ、ファゴットのオンジェに2年半振りで会えます。「プラハの春音楽祭」に合わせてウィーン、ザルツブルグ、ブダペスト、プラハと旅行したのが、もう2年4ヶ月も前のことだなんて。。。
本当に時の経つのは恐ろしく早いものです。

この分では、定期演奏会まで「アッ」と言うまでしょう。
練習、練習。。。

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