さて、ようやく写真の整理もついたので、初日から順に旅日記を書いて行こうと思います。
平成21年9月20日(日)、わたしにとっては連休の初日です。
前日の夜9時までは市民オケの練習でしたが、23時頃、いつもよりは早めに就寝。
9/20の朝は5:30頃起床。私は起きて顔を洗って着替えれば即出発という感じですが、家内は女性ですので、いろいろ準備があります。
前日ある程度出発の準備をしていましが、荷物の最終確認、クリニックに行って新聞を取り戸締まりをチェックして、ガソリンを満タンにし、6:30過ぎ出発。
カーナビのDVDはデータが古く(2006年版)、当てにならないところもありますがやはりあると便利です。本日の目的地である軽井沢は「高速道路優先」にすると、月山越え、山形自動車経由、東北縦貫道から回るルートや、新潟経由関越自動車道から回るルートを示します。
しかし、東京、関東方面から軽井沢に向かう道はおそらく大渋滞するだろうと予測し、新潟経由、上越周りの上越自動車道経由で長野、佐久を回って行くルートを選択しました。
酒田からは庄内空港の脇を通り、湯野浜、加茂、由良を抜けるルートで国道7号に入ります。
笹川流れルートではなく国道7号線をそのまま新潟に向かいますと、村上のところで高速道路「日本海沿岸道路」、通称「日沿道」に入ります。中条までだったルートがさらに今年から伸びているのです。
ここまで来る途中も建設中の高速道路が見られました。秋田ー庄内沿岸ー新潟と高速が繋がれば、大変便利になるでしょう。
高速道路は、新潟を抜け上越自動車道にはいる手前までは順調でした。上越で分岐する直前から車が並んでいます。何事かと思えば、交通集中による自然渋滞が発生しているのでした。北陸自動車道を富山側から入って来る車、上越インターで乗って来る車、そして我々のように新潟方面から来た車の合流地点が大渋滞で、まったく停止してしまう状態が結構長く、この渋滞を抜けるのに30分以上を要しました。
春日山城趾を横目に見ながら、上越自動車道にはいり、その後も、妙高を過ぎるまで断続的な渋滞があり、停まったり走ったりでしたが、野尻湖を過ぎた辺りからはスイスイで、長野、上田を廻り、佐久インターを12時少し過ぎに降りて、まずは第1目的地の「メルシャン美術館」を目指します。
(そうそう、高速道路料金は、カーナビでは8,500円と表示されましたが、実際はETC割引の1,000円でした。ガソリン代が5,000円強かかったはずなので、ETC割引のお蔭でガソリン代+二人分の美術館入場料が浮いた計算になります)
メルシャン美術館は佐久インターから軽井沢に向かう途中にあり、しかも興味ある展示会をやっているということで折角通り道だから寄っていこうと考えた訳です。(上の地図の青い線は、酒田から佐久インターまで、赤い線は佐久インターから軽井沢までを示す)
酒田の家を出てから、佐久で高速を降りて、メルシャン美術館に到着したのは12:30頃。432kmの道のりを5時間55分で到着しました。まだ元気なのでトイレ休憩は柏崎を過ぎた米山SAで1回だけ、5分ほど休んだだけでまっすぐ来てしまいました。
「メルシャン軽井沢美術館」は御代田という所にあります。とても雰囲気のいいところです。
丁度お昼時なので、ここにあるフレンチのお店、『エルミタージュ・ドゥ・タムラ』(お店のHPはこちら)の美術館店に行ってみた所、「予約のお客だけ」と丁重に断られてしまいました。残念!
(写真の右側がレストラン、林の左手に美術館本館があります)
そこで同じく美術館内にある「白樺亭」へ。こちらもなかなか雰囲気があり素敵なのですが、白樺の並木の傍のテーブルで食べる戸外の席は一杯。仕方ないので、店内で頂きました。
あまり時間のかからなさそうなメニューを選択。

家内は左側の「きのこのオムライス」、私は右側の「高原のビーフシチュー」。
味は、可もなく不可もなく。美味しいですが特別これを食べるために来るというほどではない印象でした。観光客が一杯でお店の人も何となくいらついている感が出ていましたね。
シチューの写真に写っているのが、今回の目玉である『ヨーロッパ美術史の変遷』。
食事を済ませ早速展示施設へ。7/18〜11/29の期間限定の展覧会は、「宮廷絵画からバルビゾン、そしてアール・ヌーヴォーへ」という副題が付いておりとても楽しみでした。そしてパンフレットをよく見てみると、「山寺 後藤美術館所蔵」と書いてあります。
え?!山寺???
そうだったのです。芭蕉で有名な山形の山寺にある「後藤美術館」。そこの収蔵品が全国を巡回していて、今はここ軽井沢に来ていたのです。「灯台下暗し」ではありませんが、後藤美術館の存在は知っていても行ったことはありませんでした。
こんな素晴らしいコレクションを所蔵されているとは!
それを、山形の人間が軽井沢で知るとは!勉強不足でちょっと恥ずかしい気持ち。
でも美しい絵画、ガラス工芸品など溜め息の出るような作品ばかりで大満足。
写真は、メルシャン美術館から眺めた浅間山。
浅間と言えば大噴火よりも「浅間山荘事件」が記憶に新しいけれど、噴火した山らしい茶褐色の山肌を晒し非常に近くに見える事に何となく驚きました。今年の5月にも小噴火した「活火山」なのですから。
美術館を後にしたのは、午後3時前。
「旧軽」と呼ばれる地域の特に「軽井沢銀座」辺りにはまったく興味がないので、どうやって過ごそうかと考えて、楽しみにしていたのは「旧三笠ホテル」。美術館から旧三笠ホテルまで18km程度。ところが軽井沢バイパス分岐を過ぎてから、旧中山道である国道18号は大渋滞。小一時間かかってようやく午後4時頃到着。

旧三笠ホテルは、指揮者だった故山本直純氏の祖父に当たる山本直良氏が造った竣工当時(明治38年)としては極めて珍しい日本人設計の純洋風建築。
文化人政財界人外国人が宿泊し「軽井沢の鹿鳴館」とも呼ばれていたもの。
旧三笠ホテルの全景模型が館内に展示されていました。
このような造りは、たとえば山形市の文翔館や新潟の白山にある新潟県政記念館などにも見られます。
これが、現代とは違い、交通の発達していない明治時代に、長野県と群馬県の県境に近い山奥にあった事自体が、軽井沢という土地の性質を現しているでしょう。しかも昭和45年まではホテルとして営業していたとの事。
当時の軽井沢の特徴を現している一つがこの写真。
明治末期の三笠ホテルでの晩餐会の出席者の一部の写真が飾られていました。
左から、近衛文麿公爵(その後首相、この人の弟は音楽家・指揮者の近衛秀麿)、黒田長和男爵夫妻(福岡初代知藩事黒田長知の息子)、山本直良(三笠ホテル創立者)、徳川義親侯爵(尾張徳川第19代当主)、毛利子爵夫人、有島武郎(小説家)、里見弴(小説家、有島と里見は実の兄弟)、徳川慶久公爵夫人(徳川慶喜の子)、近衛文麿夫人、西尾忠方子爵という面々。こういうパーティが時に開かれていたのでしょう。
(しかし、この写真、堂々と「大正はじめ」と記載されて飾られていたのはどういう事でしょうね)
ホテル内の旧客室の調度品の一つ、簞笥には「三つの笠」を組み合わせた三笠ホテルのマークが入っていました。今から100年以上前に建築され、その当時、上下水道などもないと思われるのに、洋式トイレ、洋式バスが設備されていました。モダンでハイカラだったのでしょうね。
観覧が終わった頃は夕方5時近くで、旧三笠ホテルは軽井沢の中でもやや高いところにあるせいか、空気はヒンヤリ、肌寒ささえ感じるほど。上着を羽織る位でした。
そこからは、旧軽銀座の喧騒を横目に予約しておいたホテルへ。
軽井沢 森の中の小さなホテル 「B&B あさま」のHPは←こちら。
知らないと見落としてしまいそうな、なんともさりげない「B&Bあさま」の入り口の看板。
写真はネットから拝借しました。
こちらもネットから写真を拝借。
宿泊した建物から母屋のロビー棟を見た所。
写真の通り、うっそうとした林の中に隠れるように立っているので表通りからはほとんど見えません。
喧騒の軽井沢銀座とは別世界の静かさで、部屋にいるだけでこころ癒される感じでした。
1時間程、部屋でのんびりして18時過ぎ、おでかけです。
B&Bなのでホテルに夕食はありません。食べる所には困らない(選ぶのには困る位)軽井沢ですので、ここに泊まる方は、毎日違う食事を楽しむのです。
実は、折角軽井沢に泊まるので、知人に会う約束をしていました。
一人は大学の同級生M君。しかもその奥さんのお母さんは大学時代に私が経鼻的内視鏡手術で下垂体病変の手術を執刀し、今もお元気でいらっしゃる方。
M君は佐久市内の病院に勤務していますが、先月の医学部卒後25周年同窓会には急用で参加出来なかったため、非常に久しぶりです。10年振りくらいかな〜。
もう一人、私が1992~1994年、ピッツバーグ大学脳外科に留学中に信州大学から短期留学で勉強に来られたT先生(3年先輩ですから、君付けできません、笑)。現在は小諸市内に開業されています。同じ脳外科なので学会などで顔を会わせる事はたまにありますが、一緒に食事をするのは10年振りくらいかも知れません。
ホテルの人に教えてもらったレストランは予約が一杯だったので、この際、会って一緒に飲み食事をし語らう事が目的だからどこでもいいや、、、という感じで、軽井沢駅南側直ぐのプリンスアウトレット内ので安レストランで会食。
懐かしい話で盛り上がりました。しかも、M君とT先生はお互い名前は知っていても(患者を紹介したりされたり、、、)、会って話をするのは今日が初めてとの事。お互いにいろいろ共通の知人の話でまた盛り上がっていました。
軽井沢から新幹線で隣町の佐久まではほんの10分ちょっと。
午後9時40分頃の新幹線で帰る彼らを軽井沢駅に見送り、涼しくなった駅前の通りをホテルまで10分ほどそぞろ歩きしながら帰りました。
この時点で、朝起きてから17時間程経っており、まもなく深い眠りに着いたのでした。
旅行初日を終わります。
9/21の日記は明日に続きます。(予定)
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