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2009年8月

2009.08.31

フロア・サービスに物申す

昨日、上山での永田美穂さんのコンサートを聴き、愛車を車検に出すため、山形往復しました。
朝、近くの小学校に国政選挙の投票に行き、ちょいと準備をして午前11時頃出発。

ピアノリサイタルは13:30開場、14:00開演なので、13:30までに昼ご飯を済ませようと、山形市の南より、上山に近い蔵王松ヶ丘にある「シベール・カフェ」(シベール・ファクトリー・メゾン)を目指しました。
山形市に住んでいた頃は年に数回以上、結構行っておりましたが、さすがに酒田の人になってからは1年に1回行くかどうか。大変久しぶりでした。

12:35頃到着。
幸い、日曜にもかかわらず思った程は混んでいなくて、空席待ちの2番目になりました。
12:45頃、席に案内され、二人共パスタの前菜セット(前菜と小さなドルチェとドリンク付き)を注文。
Photo_2写真のように、二人分を一皿に盛って出してくれました。
フランスパンにマグロ(?)のタルタル、キッシュ、生モツァレラ、トマト、サラダでしたが、味はまあ合格点。
庄内で美味しいものを食べ慣れて来たので少々辛口になります。(^^;;;
X奥さんは写真奥の「ナスのトマトパスタ」で私は手前の「イカと小エビのジェノバソースパスタ」。
ソースの味はまあまあですが、イカの生臭みが残ります。オリーブオイルで炒めた後に白ワインで匂いを消した方がいいと思います(あれでもしていたのかな?)。

私は、美味しいものを食べた場合、その料理やシェフや店を褒める事はあっても、批判は極力避けて来ました。単なる「味音痴」の個人的な感想だとしても、お店の営業妨害になるといけないという思いから、気に入らなかったお店の事はブログに載せていませんし、美味しくないと思ったらその料理の写真を載せたりコメントを書いたりはして来ませんでした。

昨日のシベール・ファクトリー・メゾンのランチも、そのお値段から言えばリーズナブルで、味もそこそこなので特に文句を言う気はないのですが、フロア・サービスについてちょっともの申したいと思います。

セットのドリンクは、「食事後」ということでお願いしました。
日曜日のお昼時、次々にお客さんがやって来て空いているテーブルはありません。厨房の中にいるスタッフも、フロアのスタッフも、皆少々目がつり上がったような感じで頑張っているのは分かりました。
前菜とパスタを食べ終わったのは13:15頃。
ごちゃごちゃ混んでいるので10分くらいは待たされても仕方ないかな〜と思っていましたが、結局15分程待たされました。それも、厨房まで、「まだでしょうか?」と聞きに行ってです。
おいしい料理には、サービスするタイミングというのがあると思います。
リーズナブルなお値段の料理ということは、逆にいえばそれほど高額なものではないので、少々サービスが低下しても我慢すべきかも知れません。このお店は、スタッフの数、時給などを抑えて低価格での料理の提供を目指しているのかも知れません。でも、それでも限度はあると思います。

鶴岡の有名なお店「A」や「F」などのイタリアンで、食後のデザートやドリンクに5分以上間があいて待たされた経験はありません。酒田の「L」や「A」などのイタリアンもすぐにサービスされます。
要するに、昨日うけたサービスは、ファミレス以下だったと言わざるを得ません。
シベールは山形を代表するお店であり、全国にも名を知られるようなお店です。
私如きの批判で客が減るような「チンケ」なお店ではないので、あえてフロア・サービスに物申させていただきました。

ドリンクをサーブするタイミングが全てのテーブルで5分短縮できれば、ある時間帯に店全体でサービスしているお客さん全部で60分以上の短縮が図れます。そうすると、名前を書いて並んで待っているお客さんが一組食事をして帰るだけの時間が短縮できます。ランチの時間を2時間半くらいと考えて、その間におそらくもう3、4組のお客さんを増やす事ができるはずです。
すなわちお客に対するサービス向上だけではなく、お店の収益も上がるはずなのです。
勿体ない。。。


コンサートで満足し、車屋さんで代車に乗り換え、月山道を帰って来たら夕方、18:35過ぎでした。
先日、8/16の夜に行ってみたらあまりにも大勢のお客さんが並んで待っていたので諦めた、みづほの「平田牧場 とんや」に行ってみました。しばらくとんかつも食べていなかったし、30分位待っても「今日はとんかつ!」とお腹が言っていたので、名前を書いて並びました。6組目、つまり我々の前に5組も待っていました。
家内を待合のソファに置いて、直ぐ近くの本屋さんへ。
いろいろ物色して購入し、20分位でゆっくり戻ると「あと2組」になっていました。
結局、19:10頃、テーブルに案内されました。

お店の中でも一番奥の一番小さなテーブルですが、食べる物は同じなので我慢。
注文して、美味しいとんかつを久しぶりに堪能。いつも混んでいるのでしばらく来ていなかった(1年くらいは来てないかも。その代わり庄内空港店に行きましたが)のですが、ゴハン、みそ汁、キャベツは当然お代わりしました。ここはゴハン、みそ汁、キャベツ、一夜漬けなどは何回でもお代わりできるシステムになっています。

ひっきりなしに入って来る客でスタッフは忙しく働いています。
一番奥のテーブルなんか気にする店員はいないようです。空のゴハン茶碗とお味噌汁椀を置いたまま、しばらく様子を見ましたが、声をかけるにも店員はこちらのほうに近づいてさえも来ません。
仕方ないので立って行って、テーブルを片付けている店員に「お代わりお願いします」と頼みました。すぐにお代わりを持って来てくれましたが、わざわざ客が立って行って店員に声をかけなければいけないのは、フロア・サービスとしては最低の部類に入ると思います。
全部食べ終わって「帰ろうか」というと、家内は「なんか、小さなデザートがつくんじゃなかったっけ」と言います。確かにそうでした。
待っていてもデザートを運んで来る気配はありません。というより、一番奥のテーブルの客が食べ終わっている事に気付いている店員は一人もいないようでした。結局、店員に声をかけてデザートを持って来てもらうことになりました。

1回の食事の間に2回も客の方から店員に声をかけなければ食事が終わらなかったのです。
これもファミレス以下だと思います。
たしかに、日曜の夜で、お客さんは多く、ひっきりなしに注文が入ります。店の若いスタッフ達は必死に働いていたでしょう。誰もサボってなんかいませんでした(そういえば、顔の分かる店長は昨日はいなかったようです。転勤したのか?昨日は休みなのか?)。

お店の出入り口近くとか、中央の方の誰でも目が配れるテーブルなら目をつぶってでもいない限りはお客さんの食事の進行状況は分かるでしょう。気を配る必要はないと思います。一方、奥まった小さなテーブルの目立たないところに案内した客の事を気にかけるのはフロア係として当たり前のことではないかと思います。仕事をこなすのに必死でお客に目が配れないのだとしたら、食堂、レストランのサービスとしてはかなり低い評価になるでしょう。
「平田牧場」は酒田が、庄内が、山形が誇る一流企業です。豚カツを供するレストランは都内だけで3カ所も出店していて、たびたびテレビにも取り上げられる立派な会社です。
ここも、私如きの批判で集客に影響の出るような「チンケ」なお店ではないので、あえてもの申させていただきました。

残念ながら、美味しそうな「三元豚特厚ロースかつ」の写真は撮りませんでした。
味は満足ですよ。ラードだけでカラッと揚げる老舗のトンカツ屋の匂いや味には及ばないですが、肉が美味しいので合格点は出せます。
問題は、忙しい時でも、客が多い時でも、きちんとしたサービスが出来るかどうかです。

上に上げたお店以外にも、フロア・サービスが気になるお店はいくつもありますが、こんなブログの批判など屁でもないような大会社だけ取り上げさせていただきました。
いくつかのやや高級な県内のホテルの従業員などの物腰でも気になるのですが、こういったお客さんへのサービス、心配りと言った点に関しては、山形のお店はまだまだ、まだまだです。
東京などの「都会」のお店に行くと、田舎との差はこういう「人の配慮」で彼我の差を大きく感じます。別に山形を、庄内を都会にしたいと思っている訳ではありませんが、「天地人」や「おくりびと」で都会からも、他の地方からも多くの観光客がやって来るようになった山形です。
「ちぇっ、田舎だな〜」
と思われないようなサービスをお願いしたいものです。

「さすが、『おくりびと』の土地だな〜」
「やっぱり『天地人』の里は、気配り、目配り、心配りが効いているね〜」
と思われたいじゃないですか。

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2009.08.30

永田美穂 ふるさとで奏でる

7/24のブログ記事「今後の演奏会、ほか」で紹介したように、8/30(日)上山市のエコーホールで上山出身の若手ピアニスト、永田美穂さんのリサイタルがあったので酒田から往復3時間半かけて聴きに出かけた(他に愛車を指定の車屋さんで車検に出すという用事もあったのだが)。

Photoプログラムは、
1)J. ハイドン:ピアノソナタ第53番 Hob. X VI/34 ホ短調
2)F. シューベルト:即興曲 Op.90 No.2 変ホ長調
3)シューベルト/リスト:「冬の旅」より ”菩提樹”、「12の歌曲」より ”水の上で歌う”
4)F. リスト:超絶技巧練習曲 No.10 へ短調
 〜 休憩 〜
5)C. ドビュッシー:前奏曲第1巻より 「アナカプリの丘」「西風の見たもの」「パックの踊り」「ミンストレル」
6)F. リスト:スペイン狂詩曲

プログラムの表紙に「ふるさとで奏でる」と大きな字で書かれている。
永田美穂さんのご実家は上山市内でも有名なお家柄と聞く。ご両親の顔も広く知人も多い。
開場の13:30から遅れる事13:45頃にエコーホールに到着すると、すでに車の駐車にも困るような状態。急いで開場に入ると、ほぼ満席で前の方のサイドにパイプ椅子が追加で並べてある状態であった。真ん中のほうは全く空いていないので、ピアノのすぐ目の前、1列目の下手側に座る。

彼女の生まれ故郷なのだから人がたくさん入ったとは言えるのだろうが、それだけではなく、これまでの彼女の演奏活動から大きな期待感が寄せられているのが開演前からの雰囲気でなんとなくわかる。

最初の曲はハイドン。すこし意外な選曲ではあるが彼女の選択なのだと思う。
ピアノ曲のあらゆるジャンルを勉強しているのは当然として、彼女の留学先はパリとイモラ(F1で有名なイタリアの町)なのだし、師匠はショパン、リストを得意とする方らしいので、ショパンが1曲も入っていないのは少し不思議だった。

小さめなホールで、親戚や知人が多いというのは、演奏する側にとってみればかえって緊張したり、余計な事を考えて集中しにくい環境だったと思う。更にホールのコンサートピアノ(ヤマハ)は、あまり使用されず管理も行き届いていない代物らしく、前日からそれなりの調律師が東京から来てかなり手を入れたり調整はしたらいいのだが、なんとなくぼんやりした響きのする楽器だった様な気がする。
座席がピアノの目の前の下手側だったので彼女の演奏する手元ともに鍵盤の動きがよく見えたし、ペダルとその動きをダンパーに伝えるメカニズムも見えたのだが、なんとなく反応が鈍いように感じた。しかも鍵盤が均一な動きをしておらず、彼女の指が離れた後に元に戻るスピードが遅い鍵盤もいくつかあるように思えた(遅いといっても、コンマ何秒以下のものだが)。

そういうちょっと可哀想な条件でのコンサートであった事は事実。今日のコンサートの感想を書く上でそういうことを無視は出来ないことは残念ながら事実。

ハイドンはとても活き活きして素敵な音楽だった。ハイドンの初期〜中期は、まだチェンバロ主流の時代でピアノの前のクラヴィーアに移行する頃。現代のピアノで聴いても、しかし違和感は全くなく、永田さんの瑞々しいタッチから生まれる音楽はそういった時代を超えて楽しめるものだった。
シューベルトの美しい歌曲をピアノ曲に編曲したリストによっていかにもピアノが歌を歌っているように永田さんの指先から「歌心」が紡ぎだされた。
少々のミスタッチや乱れは、上記の様な悪条件の故と目をつぶって、ただ音楽に身を委ねるように聴くことに徹した。

休憩後の2曲は、さらに彼女のピアニズムがキラキラ光って圧巻だった。
ドビュッシーの音楽はやはり映像的だった。風景や踊りが見える様な演奏で聴いていて身体が自然に揺れる様な感じだった。
最後のリストでは息をのむ迫力と繊細さのダイナミクスが素晴らしく、彼女の持ち味が遺憾なく発揮されたすごい演奏だったと思う。満員の観客の拍手は、身贔屓を超えて、やはり素晴らしいものは素晴らしいというものだったと思う。

アンコールには、やはりというか当然ショパン。
「スペイン狂詩曲」の迫力の演奏の直後として、軽妙な音楽をと考えられたのでしょう。「子犬のワルツ」は本当に軽々と演奏。拍手は鳴り止まず、花束贈呈も含めて4回程カーテンコール。そしてもう1曲。ショパンのエチュードから。

Photo_2休憩を入れても1時間30分弱のコンサートだったが、ホールを去る観衆のほとんどが満足そうな表情なのが印象的だった。音楽に詳しい人にも、それほど詳しくない人にも、いいものはわかる。そういう演奏会だったと思う。先日、医学部同窓会で宿泊した際にあいさつをした「古窯」のおかみさんも、いつもの着物ではなく素敵なスーツ姿でいらしていた他,上山の人を中心の多くのお客さんが入って大盛況のコンサートだった。400席強の座席はほぼ満席で、車もいっぱいで、帰るのも時間がかかったけれど、いい音楽のおかげで気持ちよく帰る事が出来た。

帰りには東青田にある車屋さんによって、車検に出す車をあずけ、代車を借りて、慣れない車でいつもよりも安全運転で月山道を超えて酒田に戻りました。

少し時間が経って冷静に考えてみると、永田美穂さんは素晴らしいピアニストだと改めて思いました。
顔が可愛く美人でスタイルも良く、2回程お話しただけですが性格もほんわかして素直な方だと思います。才能もあり努力もしている(聴いていて、弾き込んでいるのはわかります)。あと必要なのは、運というか巡り合わせというか、縁とか何かそういった、本人の努力だけではどうにも出来ない様なものが音楽家には必要なことがあります。
素晴らしい音楽も、多くの人に聴いてもらってこそという面はあります。「有名な音楽家」になることが大切な事ではありません。「いい音楽家であり続ける事」が重要だと思います。しかし、山形から、上山から、世界中に認められる様な素晴らしい音楽家が出て有名になる事は地元の人間としては嬉しい事です。

まだパリで修行中の身の永田さん。日本には、今回のように「お盆」などの夏休みで少し帰ってくる程度。将来的に本拠地をどこにして行くのかはわからないけれど、これからも応援して行きたいと思います。


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2009.08.27

地域医療懇談会に出席

酒田市の3次救急病院は、日本海総合病院一つだけです。
そこに勤務する医師が地域医療を支えています。
しかし、日本海総合病院以外にも2次救急を扱う病院もあり、診療所(いわゆる開業医)もいます。それらの医師達、看護師、技師などのパラメディカル、そのすべてが「地域医療」を支えているのです。

地域の医療を支えあう同士の交流を深めようという目的で、何年か前から定期的に開催されている懇談会に出席してきました。当初は、病診連携や診診連携の問題点を討論する場であったのですが、いつの頃からか、とにかく酒を酌み交わし「顔」の見えるいい関係を作ることが主眼となってきました。

それはそれで大切な事です。

元々、統合前の県立日本海病院に勤務していたので、今でもほとんどの先生は顔見知りです。
私が座ったテーブルには、市内の開業医が4名(皮膚科医、小児科医、眼科医、脳外科医)と日本海総合病院の医師4名(神経内科、小児科、小児科、脳外科)という組み合わせ。近くのテーブルにも、見知った顔達。食事そっちのけで、テーブルを回り酒を酌み交わしてきました。
先週の「親分」酒田興行、もとい、特別講演で座長をして頂いた医師会長にも挨拶。
そういえば、今日の新聞に出ていましたが医師会長と小学校からの親友であった酒田市出身の作家北重人さんが昨日亡くなられたそうです。直木賞候補にもなった人気作家であり、連載も抱えていて、まだ62才という早すぎる死です。ご冥福をお祈り致します。

そこここのテーブルで、ごちゃごちゃの交流。これが本来の目的でしょう。
そんな中、病院勤務医の現状を目の当たりにします。
私のテーブルの脳外科医(私の後輩)は、結局現れませんでした。午後から緊急手術になっているとのこと。そして、宴もたけなわ、心臓外科医が2人+研修医?帰って行きました。「大動脈解離」の急患が来てこれから緊急手術になるということです。
ご苦労様です。。。


私が病院勤務医時代の事を思い出しました。
急患もまったく来ない、暇な日もたまにはありましたし、いつもしかめっ面ばかりしていた訳ではありませんでしたが、同テーブルの小児科医などと「昔は、勤務中、たいてい機嫌が悪かったんですよ」などと話していました。

〜〜〜〜〜
朝、8時過ぎに出勤。着替えてすぐにICUへ。
ここは重症患者、術後患者を管理しているところ。昨日手術したくも膜下出血の患者に、3日前手術した脳腫瘍の患者、5日前から人工呼吸器をつけている交通事故によう脳挫傷の患者を診察し、必要な処置をし、検査結果を確認して、新しい指示を出します。
壁を隔てず隣りにあるHCUヘ。
ここは、ICUで管理する程ではないけれど、一般病棟よりは手のかかる、特に目のはなせない重症患者を治療管理しています。昨日入院したばかりの脳梗塞の患者。2日前の交通事故による外傷性くも膜下出血で意識ははっきりしている人。4日前に入院した不整脈のある脳塞栓症の患者。1週間前に手術したくも膜下出血で回復過程にある経過の良い患者。。。

それから外来を担当する医師と病棟を回る医師に分かれます。
週5日のうち、3日間は外来を担当します。私が外来に出ている間は、若手の医師一人、または若手医師と管理職(副院長)の脳外科医の二人が病棟を回ります。外来でない日は、自分一人、または若手医師と二人で病棟を回ります。
これがまた、急患などでいろんな病棟に患者さんが入院していて(脳外科病棟だけではベッドが足らず)、あちこちの病棟を回ることになります。
最大で記憶している限りでは5カ所の病棟を回ったことがあります。すべての患者を看護師と一緒に回って診察し、必要な処置を施し、検査結果を確認し、新たな指示を出します。
そして週に2回は「予定手術」。
手術は最低2人で行うので、どうしても外来の終わった午後からになります。大抵の場合、予定手術は午後1時入室、1時半執刀開始です。すると午後1時までには昼食を済ませなければなりませんが、外来が1時まで終わらない事もままあります。速攻で診察を終わらせ、5分で昼食をかき込んで、まったく休憩時間もなく手術場に直行です。そのまま着替え、手洗いをし、たいていは非常に緊張する顕微鏡手術。大きな脳腫瘍などの場合、それから6時間とか8時間という手術時間になるので、順調にいって手術終了が夜の9時、10時。麻酔が覚めて(または途中覚醒のまま)、ICUに移動し、処置をして、指示を出し終わると、夜の11時から12時です。
夕食(?)はそれからです。

やっとの思いで、家(すぐ近くの病院官舎)に戻ると深夜の1時頃。
しかし、寝付く間もなく夜中の2時に脳卒中の急患で救急室から呼び出し。重い身体を引きずりながら駆けつけて、CT、MRIを撮り、HCUに入院させ、指示を出し、家族に説明をし、先ほど手術した患者の状態をチェックするためICUに寄って、また家に帰ります。深夜の3時半を過ぎています。
すぐにベッドに倒れ込み寝ていたら今度は5時に病棟から呼び出しです。駆けつけて処置をします。幸い事なきを得てすぐに家に帰れることもあります。6時前に戻り、その日の日中の仕事のために1時間でもいいから寝ようとベッドに倒れ込みます。
また8時過ぎに出て来て、眠い目をこすりながら昨晩手術したばかりの患者をICUで診察します。入院させたばかりの脳梗塞患者をHCUで診察し、再度状態と今後の見通しなどを家族に説明します。術後のCTがあがって来たので、手術患者の家族を招き入れて術後の状態を説明します。それからまた病棟を回ります。そうしていたら、急患。今度はくも膜下出血です。
手分けして、外来、病棟の最低限の仕事を済ませ、破裂脳動脈瘤の精密検査です。カテーテル検査が出来るのが午後ということで、一旦ICUで鎮静させ、その間に他の業務をこなします。午後1時からカテーテル検査。脳動脈瘤が見つかりました。その前に手術場には連絡を入れていましたが、他科の予定手術がたくさん入っているので、すぐには緊急手術が入れられません。午後5時からならなんとかなる、という麻酔科医の返事で、それまでICUで治療を行います。
その間に、病棟の仕事を済ませます。まだ時間があったので、介護保険の主治医意見書と保険会社に出す診断書を数名分書き、少しエネルギーを補給します。
午後5時入室、執刀開始は午後6時前になります。そこから破裂脳動脈瘤の根治術。簡単な症例では2時間程度終わることもありますが、複雑な形をした動脈瘤や難しい場所にある場合は4時間とか6時間とかかかることもあります。今日の症例は結構手強く、5時間半かかりました。手術が終わったのが午後11時半。麻酔を醒さず挿管したままICUに運び、人工呼吸器に繋いで管理します。鎮静剤を少量持続投与しながら、術後の血管攣縮に備えた治療を開始します。家族に手術の説明を終えると、すでに深夜の1時過ぎです。
前の日(正確には2日前)に手術した脳腫瘍の患者の状態を確認し、隣りのHCUの脳梗塞の患者の状態を確認して家に帰ります。今日は、若手医師が「当番」なので、余程の事がない限り(また緊急手術とか)今夜は呼ばれません。深夜の2時に床に入り、幸い朝7時までぐっすり5時間寝る事が出来ました。。。
〜〜〜〜〜

もちろん、こんなに忙しい日ばかりではなく、稀に2、3日まったく急患のない事もありました。
でも、365日のうち、340日位はこんな感じの日々でした。
地域の脳卒中、脳外科疾患は自分が、自分たちが支えているんだ。他に自分の代わりになる者はいないのだ。そういった責任感と使命感が身体と心を支えていました。

最近、救急医療の崩壊について、病院勤務医はその忙しさにもかかわらず給与が安いなどという議論が起きます。もちろん、給与は多い方がいいに決まっていますが、我々は「金を稼ぐためだけ」に上に書いた様な仕事をしているのではありません。医師としての「使命感」でやっている訳です。

そうやって疲れた身体にむち打ちながら働いている最中に、前日に転倒して頭を打った子供を夕方に連れて来た母親がいて、通常の外来時間に来るように、または前日に転倒したならその日のうちに連れて来るように言ったりすると、「24時間、いつでも診るのが医者の仕事なんじゃないんですか!」と逆切れされたりもしました。前の日は「これくらい大丈夫だろう」と考えて病院に来ず、翌日は母親に仕事があったので午前中の外来には来ずに、夕方になって自分の仕事が終わったから連れて来た(脳外科にとっては外来は午前中だけなので、時間外診療になりますが、病院としては時間内の診療)という訳です。

患者さんには、医師が前の日、どういう風に働いたか、何時間寝たのか、夜中に呼びされたのか、なんてわかりません。わかりませんし、関係ありません。その日、医師が朝からどれだけの仕事をして来たのか、夕方に来た患者を診察するために、会議を途中で抜けて来たとかそういうこともわかりませんし、関係ありません。

患者の権利が声高に叫ばれて久しくなります。
確かに、昔は「医者が言ってるんだから黙って聞け」、「治療方針に患者が口を出すな」的な雰囲気があり、患者さんの権利も何もなかった時代もあったでしょう。しかし、今では「権利」を振りかざし、医師が自分を診てくれる事に対する感謝など感じず、「診るのが当たり前」「税金払ってんだから公立の病院は自分の金で動いている」という様な感覚で、病院や医師に接してくる患者さんもいらっしゃるようです。医師が、限られたヒューマンリソースの中でどれだけ無理をして働いているかなんて、最近になってようやくマスコミが取り上げ始めましたが、ずっと昔から上に書いた様な感じで働いて来ていたのです。

今日の「懇談会」に出席予定で来れなかった脳外科医も、途中で退席した心臓外科医も、それを望んでそうなった訳ではなく、緊急に発生した患者さんを救うために他の事を犠牲にして当然の使命を果たすために彼らの仕事を果たしたのです。これが緊急医療の実態です。

看護師さんも激務ではありますが、3勤務交代制があります。
ある時間が来て、自分の業務が終わっていれば、帰る事が出来ます。それでも夜中の勤務、重症患者の管理、急患への応対など激務である事には代わりありません。
脳外科医や循環器内科医、心臓外科医は、交代要員がありません。一つの病院に3名いるとして、手術中に急患が来たら、診察は出来るけれど、並行して2つの手術を同時には出来ません。そして、その3名の医師は次の日も仕事があります。翌日休む訳には行きません。代わりがいないのです。

心臓の急患に関しては、循環器内科医は脳外科医よりたくさんいますし、心臓外科医は循環器内科医や麻酔科医、ICU医などと共同で患者の治療に当たれます。
しかし脳外科医は、脳の外傷や卒中を診れる医師が自分たちだけなので、外来、救急、手術、ICU管理、病棟、などなどすべてを自分たちでやることになります。もちろん、他科の医師にいろいろ手伝ってもらいますし、優秀な看護師がいるので、患者管理はそれらの「総合力」にはなりますが、最終的に自分の患者に責任を持つのは自分だけですので常に「代わりがいない」という切迫感を感じながら仕事をしていたように、今考えれば思います。

今は、急患も診ない、緊急手術も予定手術もしない、開業医になってしまいましたが、それでも微力ながら地域医療に貢献しているという自負はあります。
日本海総合病院で日中から緊急手術をしている時に受診しようとした患者さんは、総合受付から私のクリニックに回してもらって、診察、検査を行います。午前11時の日本海総合病院脳外科外来受付時間を過ぎて(仕事の都合だの、受診時間を知らなかっただのという、患者の勝手の場合も少なくない)、病院に来た人も拙クリニックに行くように案内されてきます。入院が必要そうでない、軽症だけど縫合処置が必要そうな患者さんも当院に回されてきます。
通常受付時間に受診したけれど、新患が立て込んでいて、3〜4時間待たなければ行けない状況では、脳外科外来の看護師さんが拙クリニックを患者さんに紹介して「良かったらこちらへ、、、」という感じで患者さんが回ってきます。

日本海総合病院の脳外科医の仕事量が減る訳ではありませんが、必ずしも脳外科医が診なくても良いような患者さんを私が診る事で、病院のため(勤務医のため)にもなり患者さんのためにもなっていると思っています。病院勤務医時代の私だったら、(この患者さんは精神科だろ、、、)とか(自律神経失調症か更年期障害じゃないの、、、)という、頭痛やしびれやめまいの患者さんを大勢診ながら、(なんで脳外科医がこういう患者さんを診なければならないんだろ、、、他にやらなきゃいけない仕事はたくさんあるのに、、、)とつい考えてしまいました。それでも患者さんが診療を望むのだから、「はい、それでは2週後にMRIを予約しました。それまで、このお薬を飲んで様子を見て下さい。緊急性の疾患ではないので大丈夫だと思います。」という感じで対応せざるを得なかったのです。

「1年くらい前から時々頭痛があるが、ここ1週間続いているので心配だ」とか「同僚が脳出血で倒れたので、自分も健康診断で血圧が高めと言われていて、頭が心配になって来た」というような患者さんを脳神経外科医が診察する必要があるのかと言われると、本来の脳外科医役目からすれば必要ないと思います。内科医で頭痛に詳しい医師、真に総合力のある総合医、実力のある救急医がいれば、あらゆる現場に脳外科医がいる必要はないのです。
しかし、「心配だ」と言ってくる患者さんの中に、症状を呈していないのに脳腫瘍があったり軽い脳卒中が起こっていたりする事も、多くはないけれどある場合があります。もし診療を拒否(拒否は出来ませんがしっかり診ない様な状態)して、後から重篤な疾患が分かった場合、場合によっては訴訟になることさえある現代の世の中です。
患者を守るためではなく、医師個人、病院を守るためにも少々過剰と思いながらもCTやMRIの検査も必要になります。それを3次救急の病院ですべて行うならば、脳外科医が5、6人いて、前の日夜中まで手術していたなら半日くらい休める程度の「交代要員」がいなければ成り立たないのです。

ですから、私が「心配だ」というような患者さんを毎日診療し、必要と考えればすぐにMRIを撮り、異常があれば適切な治療を行い、必要があれば日本海総合病院に紹介し、入院治療をしてもらう、そういう体制は、病診連携の一つのモデルと言えると思います。

どうしても医療の事を語りだすと、長くなります。
とにかく、病院勤務医は皆真面目に必死に働いています。開業医だって楽をしている訳ではなく、共に地域医療を支えているのです。病院>診療所といった上下関係ではなく、脳、神経を専門とした診療所医師として、病院に出来ない地域医療への貢献を行っているんだという自負と使命感を持って頑張って行きたい、という意を強くした懇談会でした。

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2009.08.25

先週の土日のこと

先週はブログも更新せず何をしていたのかというと。。。
う〜〜ん、そんなに忙しかった訳でもないのに。まあ、たまには話題がなかったということで。

脳ドックのデータ整理とレポート書き。特に「Aコース」はフルスタディなので、レポート書きも結構時間がかかります。全てのデータを整理してプリントアウトするのに1時間以上、画像を編集してCD-Rに落とすのに1〜2時間、所見をまとめてレポートを書くのに1時間、それらを整理してファイルに入れ誤字脱字などをチェックして発送準備をするまでに1時間。一人分で4時間以上かかる計算になります。
8/20(木)の夜は、介護認定審査委員会。終了後19:30から21:00前までゴルフの練習。8/23(日)の同級生ゴルフ大会に備えて一応練習。

8/22(土)は午後1時までの診療を終えて、自宅に帰り、久しぶりにパスタを作って出かける準備。なぜパスタを久しぶりに作ったかと言うと、理由1:家内がチェンバロの発表会のため朝から出かけて独り身だった、理由2:近所の蕎麦屋「めだか」に行ったら蕎麦が切れてしまっていた、からです。
14:30頃出発し、上山の葉山温泉の有名旅館「古窯」に着いたのは16:20頃でした。受付に山形大学医学部で教授をしているTS君と准教授をしているHS君、山形市内で開業しているNS君にYYさんの4名。同級会なので、教授、准教授などの身分の上下は無関係の無礼講。「君」「さん」付けで呼び合おうとは、私が管理する同級生MLで提唱し皆がその通りにしてくれるので嬉しい。
部屋割りは学生時代の出席番号順。学生時代の実習(病理やら実験やらポリクリという白衣を着た学生の臨床研修も)はほとんどが出席番号順だったので、昔一緒の釜の飯を食った仲間。すぐに25~31年前に戻れます。

まずは一風呂。
午後から夜中までは、男風呂が8階の展望の良い大浴場。体を洗って午後の陽射しを浴びる蔵王連峰を眺めながら展望の良い露天風呂へ。そこに自然と同級生が集まりいろいろ雑談。
部屋に戻って、宴会が始まるまでにすでにビールで何度も乾杯。仕事の関係で遅れて来る友が来る度に盃が酌み交わされ、宴会前に出来上がりそう。
Photo_2Photo_318:30から大広間に44名(1名が事情でドタキャン)が集まり、楽しい宴。「一人1分」の持ち時間での自己紹介・近況報告も、手短にまとめる者から長々と話す者まで学生時代の性格(たち)そのままで全く変わらず。私が徹夜して(世界陸上のウサイン・ボルトの200m=19.19secを観ながら作った)「同窓会近況報告文集」にそれぞれ概要を書いているのでそれ以外の事を喋ればいいはずだが。。。
Photoまあ、折角、ひさしぶりに、中には卒業以来25年振りに山形に来た仲間もいるのだから、目をつぶって話を聞く。宴会芸も飛び出し、昔の話、今の話、あんな話、こんな話でそこら中で盛り上がり、まずは一次会時間切れで集合写真を撮る。
上の写真、私はどこにいるか。
普段の私の顔を知っている人でもなかなか分かりにくい程、自分で見ても楽しそうで優しい顔をしている自分がいますね。
ちなみにここに写っている人は全員医師です。医療の現場ではなく官僚になっている人もいますが医師免許は持っていて、自ら「ペーパードクター」と言っていました。

「古窯」の中で別の部屋に移動し二次会。さらに飲みたい人たちは宿泊する部屋の中で大きめ部屋に集まり三次会。私は疲れていたので早めに休む。中には2時過ぎまで飲んだ者もいたらしい。と思ったら、部屋を移動して4時過ぎまで語り明かした人たちも数人いたと言う事。
山形大学医学部を卒業して25年振りに山形に来た人もいたり、卒後初めて会う人もいたのですが、皆「おじさん」「おばさん」になったとはいえ、昔と変わりない顔顔。懐かしくて話が弾みました。

我々の学年は、二期校最後の学年で、同級生には東京出身者が6割、関東出身者が8割いました。学校別では私の母校でもある仙台一高が6名と最多、次に多かったのが湘南高校の4名。山形県出身者は100名少しの同級生中、4人しかいない状況。それでも半分近くは卒業後山形に残って医師になりました。逆に言えば50名以上が、関東中心の出身地地元に戻って行った訳です。
山形市や附属病院の発展や変わり様に驚いている人もいました。


翌朝8/23(日)、朝6:30に起きて、前日の酒を抜くために朝風呂へ。
朝7時前なのに大浴場は結構混んでいてびっくり。さっさと朝食を済ませ7:30過ぎに出発。上山から宮城県の川崎町にあるゴルフ場を目指します。同級会のゴルフ大会(と言っても参加したのはたったの8名だが)がメンバーになっている東蔵王ゴルフ倶楽部で行われました。
8:20頃到着。早速準備して練習場に向かい、酒を抜きながら打球練習。そして練習グリーンでパター練習。天気は薄曇りでちょうどいい感じ。
9:13に「いずみコース」からスタート。2時間15分ほどでハーフを回って、昼食後12:20後半の「山里コース」へ。午後は天気がよくなって陽射しも強くなり、みなちょっとバテながらも楽しくラウンド。

午後2時35分上がりでいそいで入浴、表彰式兼懇親会(ダブルペリア方式で一応準優勝)を失礼して急いで山形県民会館を目指しました。
Cd昨日の記事に書いた如く、山形県民会館には午後3時40頃到着。
「今日は奥さんは?」「今日は一人ですか?」と何人かの知り合いや山響団員に聞かれました。まあ、いつも二人で一緒に行ってますから、たまに一人だとかえって目立つのかもしれません。
山響のコンサートを聴いた後は、学生時代に通った食堂に夕飯を食べに行き、酒田に戻ったのは午後9時20分頃。

とても楽しい、中身の濃い2日間が終わったのでした。

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2009.08.24

山形交響楽団第199回定期演奏会を聴く

気がついたら1週間ブログを書いていませんでした。こんなに空いたのは久しぶり。
いろいろありました。「親分」の酒田での特別講演、介護認定審査委員会、同窓会、その他、です。
土日に同窓会があったのですがその関連の記事は明日以降に書く事にします。

200ついにあと1回で記念の第200回を迎える訳ですね。
といってもいつもの「定期演奏会」の一つではありますが、今回8/23(日)のコンサートは客演首席指揮者の阪(バン)さん指揮で、田部京子さんを迎えてのピアノ協奏曲もあり、魅力的なプログラムなので山形まで聴きに行きました。

午後3時40分過ぎに、県民会館の裏の出入り口近くの100円パーキングを目指すと、裏口の外で煙と戯れる数名の団員を発見。顔見知りの方にご挨拶。なんとオーボエのT氏が燕尾を着てモクモク中。2年前に退団されたT氏がなぜ山響の定期演奏会に客演したか、、、その驚きの事実は後ほど。。。

会場に到着し着席したのは15:45を回っていました。
まもなく本日の指揮者阪哲郎さんがステージに登場し、プレトークを始めました。

199本日のプログラムは、最初に田部京子さんありき、ベートーベンのPコン3番ありき、だったのだそうです。「ドボ8」と呼ばれる、今夜のメインのドボジャーク作曲交響曲第8番、今では滅多に「イギリス」と呼ばれる事もないようですが、今回のプログラムは「イギリス」がキーワード。イギリスで人気が出て、その後米国にその人気が飛び火し、米国の音楽学校に招聘されてドボジャークが「新世界から」とか弦楽四重奏曲「アメリカ」を作曲したのは有名な話。
 ドイツを本拠地として指揮者活動をしている阪氏にとっては、いつもこの8月がヨーロッパのオケのオフシーズンなので毎年8月に山響定期を振っていました。
しかし2009/2010年シーズンから新しいポジションを得て、忙しくなるため一旦山響との契約は終わりになるそうです。現在のアイゼナハ歌劇場音楽総監督からレーゲンスブルク歌劇場の総監督に就任されるそう。もう既に引っ越しも終わったなどとお話されました。
京都出身の阪さんですが、ご両親が山形生まれなので山形には強い縁があり、新庄演奏会もある程ですから、山響の首席客演指揮者としての契約が切れても、また山形に来てくださる事を期待しております。


さて、プログラムはウェーバー作曲の歌劇『オベロン』序曲から始まりました。
初めて聞いたと思いますが、いかにもウェーバーらしさ満載で聞いていて楽しい曲。おそらく演奏していても楽しい曲だと思います。阪さんは、緩急自在な音楽を棒を持たない指揮法でまるで踊るように華麗に指揮していました。美しい曲で、今夜の「序」を飾るに相応しい音楽でした。

2曲目は、今夜の目玉とも言えるベートーベン作曲ピアノ協奏曲第3番。ソリストは田部京子さん。
個人的に、数多いピアノ協奏曲でも好きなベスト3に入る曲です。特に1楽章のカデンツァ、2楽章のお昼寝のまどろみの様な優しい音楽、3楽章の踊る様なテンポ、いつ聴いても感激します。
決して響きが豊かとは言えない、いやむしろ貧弱と言った方が良い県民会館。しかも、今回は年に1回の阪さんに、田部さんに、耳馴染みのある選曲で観客は結構入っていて、残響はさらに吸収され短くなります。9割方埋まっていたでしょう。県民会館のシュタインウェイがどのように管理されているかはわかりませんが、ピアノ自体は問題なかったと思います。ちょっと響きが「薄く」感じられるのは県民会館のステージの作りのせいでしょうか。私は真ん中の真ん中あたりのいい場所でしたが、何年か前に反響板などを設置して響きを改善したとは言っても、山形テルサには及びませんし、酒田市民会館希望ホールに比べれば三流ホールと言わざるを得ません。
だいたい、客席が狭く、椅子のスプリングはへたっていて、座っていて疲れます。列の真ん中のほうに座ろうものなら、出入りも憚られます。座っている人全員に立ってもらわなくては出入り出来ない客席だからです。こんな劣悪な環境でも、田部さんのピアノは心地よく、阪さんと山響のアンサンブルも小気味よく(一部、ピタっとは来ない部分もありましたが)、心弾む音楽でした。
1200人は入ったと思われる観客から鳴り止まない拍手。
田部さんはつごう5回程カーテンコールで挨拶されました。残念ながらアンコールはありませんでしたが、観客はいつまでも田部さんに拍手を送っていたいような雰囲気でした。

15分の休憩の後、メインの交響曲。
ドボジャーク作曲交響曲第8番。通称『ドボ8』です。
酒フィルの定期ではH18年に工藤さんの指揮でやりました。
耳馴染みのある旋律、「鉄オタ」のドボジャークらしい、蒸気機関車の走る雰囲気や鉄道の音が聞こえる様な部分もあるようです。
首席フルートの足達先生、さすが素晴らしい!
ベートーベンのPコンの時は、足達先生の笛の響きはアグレッシブに輝いて聴こえ、ベートーベンの音楽の雰囲気には少し強すぎる様な印象を勝手に持ちましたが、ドボジャークの交響曲では、その輝かしい音質や歌心が存分に発揮されて、一部では「これ、フルート協奏曲なの?」という感じすら受けました。大ブラボーです。
トランペットも、1楽章の始まりの徐々に下がって行く音階の3回目の時に、「あれ?」という感じがありましたが、4楽章は完璧でした。トロンボーン隊も気合い十分にバリバリ鳴らし、4楽章最後は「金管のためのフィナーレ」という感じでした。井上さんの音色、素敵でした。よく響き渡っていました。
阪さんは最後まで指揮棒を持たずに全身を使って踊る様な華麗な指揮。どう表現したいかとても分かりやすい指揮だと思いました。観客として後ろ姿を見ながら離れて座っていても引き込まれるようなオーラを感じましたので、正面を向いているステージ上の団員にとっては吸引力はより強く感じられたのではないでしょうか。とてもワクワクするような演奏でした。

今回は、コンマス(最近はコンミスと呼ばない?)に犬伏さん、フォアシュピーラに高木さんでした。
後半変わるのかと思ったら3曲とも犬伏さん。第1バイオリンは、交響曲では9人。
セカンドトップはヤンネ舘野さんでトップのインに山Qの中爺さんでした。第2バイオリンも9人でした。(協奏曲では8人だと思った)
そして、ビオラのトップはなんとなんとらびおさんがご夫婦で仲良く並んでおられました。私が記憶する限りでは、1プルでご夫婦が並んで演奏したのは初めて見ました。3プルの6人だったと思います。
チェロは、首席が不在なのでまた客演の方。サイドは研多郎さん。これも3プルの6人。
コントラバスは、トップが柳澤さんで、協奏曲は3人、メインは4人でした。

今回のメンバーで一番の驚きは、オーボエ。
トップは客演の方で、セカンドが酒フィルのトレーナーもして下さっているT氏でした。いつもの女性奏者が二人ともお休みです。なんとMS嬢はちょっとした怪我で演奏不可状態になっているのでした。10/3のモーツァルト定期での「オーボエ協奏曲」が少し心配です。おそらく頑張って治してこられるでしょう。早く回復されますようにお祈りしています。

阪さんが定期を振るのはひとまず最後(?)ということもあって、本当に鳴り止まない拍手。拍手。拍手でした。アンコールは、鶴岡公演と同じく(鶴岡公演の感想は「Nimrod.音楽部通信」から)弦楽合奏のみによる『楽興の時』でした。 
本当に、音楽を楽しみ、幸せを感じられるひとときでした。

終演後、ロビーではまず田部さんのインタビュー、つづいて新しいCDなどもロビーで発売しておりサイン会もありました。阪さんも結構熱心にインタービューに答えておられました。
インタビューが終わった阪さんに思い切って声をかけ、ごあいさつ。昨年、JAO高松大会で阪さんの指揮のもと、プロコフィエフの「ロメオとジュリエット」にピッコロで出演したこと(ブログ記事「JAO高松大会2」参照)をお話ししたら昨年の会話(ブログ記事「山響と神奈川フィル」参照)を覚えていて下さって、「ああ、酒田の方ですね、、、」と言われました。
ドイツでの更なるご成功と、山形との浅からぬ縁の由、今後も山響を振りに来て下さるようお願いしておきました。

今回の定期演奏会プログラムにはユニークな事が書いてありました。
要約すると「山響を通して山形をアピールする上でブログを書いている人は演奏会の感想を書いて山響のHPにリンクを張って下さい」というような事でした。
えっと、リンクを張る、ってどこに張るのかな。トラックバックではないし。。。


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2009.08.17

8月も後半

だいたいお盆の頃になると、庄内の岩ガキはもう終わりなのですが、8/15の夜には「街かどコンサート」のプレ打ち上げ、もとい壮行会を妻と二人で勝手に挙行。(笑)

Photo_2いつも「鈴政」や「こい勢」が多いのですが、さすがにお盆期間中の土曜の夜でどこも一杯。「だるま寿司」のカウンターがなんとか穫れました。メニューに「岩ガキ」とあったので「まだあるの?」と聞いたところ「はい!」と。当然1個頂きました。おそらく今年最後の岩ガキ丸々1個頂きました。
あとは「板さんお勧め握り」に追加握りで満足。


ところで、今年の夏は、高松だ、宮崎だ、と積極的に動いた昨夏に比べて、本当にどこにも行きませんでした。医師会のゴルフ大会に参加したのが積極的な行動くらいですが、それも自宅から20分程の酒田カントリークラブでした。本当に酒田市内からどこにも出かけなかった感じです。

8つ程掲げていた「この夏にやっちゃおう!」目標のうち、なんと完成したのは1つだけ。「ブランデンブルク協奏曲第4番」の特訓だけです。レベルは低いもののそれなりの演奏は出来たのではないかと、反省よりも充実感があります。
昨日のブログで、1楽章、2楽章の演奏録音公開にリンクしましたので、今日は3楽章。
「ブランデンブルク協奏曲第4番第3楽章」←をクリックしてお聴きになってみてください。(アリバイ工作のため8/18のアップになっていますけど、、、)

さて、その他の7つの「to do」はどうなったか?

・脳ドックのレポートは4人分のうち、3人分は完成。後一人は今日明日中に出来る予定。
・脳ドックの施設基準認定のための申請書は、書類は完成したものの添付する資料(実際のデータ、未破裂脳動脈瘤のデータや受診者に渡しているレポートなど)がまだ準備出来ませんでした。
・院長室の片付け、、、まったく出来ませんでした。(;;)
・読書、、、、、全然出来ませんでした。2回も映画を観に行ったこともあるでしょうが、自由なまとまった時間が殆どなかったのです。
・9月にある「庄内地区頸動脈エコー研究会」に演題を出そうと思って、データを整理しようと考えていたのですが、これも中途半端で終わっています。
・今週末、8/22に上山温泉泊まりがけで大学の同窓会があります。卒後満25周年を過ぎての同窓会ですが、同窓会自体大変久しぶりです。所用で残念ながら同窓会に参加出来ない同級生もたくさんいます。そこで、同級生のML管理者として、「卒後25周年記念近況報告文集」を作ろうと呼びかけました。集まった原稿を整理し体裁を整えて皆に配布しようと思っています。8/16を原稿締め切りにしていたのですが、まだまだ集まりが悪く、「近況報告文集」製作は今週一杯の仕事になるでしょう。
・今週木曜の「介護認定審査委員会」の準備。まだ3日あるので、手をつけていません。

まあこんなもんでしょう。。。
本当は、記載順の3、4つ目くらいまでは完成させたかったのですが、ブランデンブルク協奏曲の練習にかなりの時間を取られたのは事実です。結構練習しましたし、合わせリハや他のグループの練習のために「ジョンダーノ・ホール」を無償供与したのでその間「番」をしなければなりませんでした。

クリニックの庭「Balaine Garden」は、芝刈り機で芝だけは刈りましたが、肥料撒きはまだです。ハーブの鉢もほったらかし。自宅の庭は結局シルバー人材センターに頼んで他力本願になりました。

今週は、金曜日に「親分」が酒田に来る大切な講演会があります。
土日は上記の如く、同窓会。土曜の夜は泊まりがけなので散々飲むことになるでしょうが、日曜の朝は早起きで同級生ゴルフ。そしてそれが終わり次第山形県民会館で山響のコンサートです。
結局、今週も慌ただしく過ぎてあっという間に8月も終わりに近づくことになりそうです。

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2009.08.16

街かどコンサート、無事?終了。

8/16(日)、酒田希望音楽祭「街かどコンサート」でした。
午後1時半からの酒フィルの出演の中でも一番最後、5番目の出演順でしたので1日が長かったですね。

朝、9時半前に家を出て、「ジョンダーノ・ホール」での練習に備えます。
10:00~11:00はブランデンブルク4番組の最終リハ。11:00~12:00はブランデンブルク6番組の最終リハ。そして12:00過ぎにチェンバロの運び出し。
チェンバロをピアノのカバーやタオルケットで保護して仲間の大型車に積み込み、クリニックの戸締まりをして、会場の市交流広場にチェンバロを運び込んだらすでに12:40頃。市交流広場の向かいにある本間病院1階にある「木村屋」さんでパンなどを買い込み昼食。
家内はわずかな時間を惜しんでチェンバロの調律。チェンバロは移動、気温差、演奏などによってすぐに狂ってしまう繊細な楽器なので、本来は演奏の度に調律が必要なのですが、会場とプログラムの関係から1度調律したら最後まで調律の時間はありません。

Photo13:00から、酒田マリーンジュニア合唱団の演奏です。
耳馴染みのある日本の歌のメドレーなど、かわいらしい、爽やかな歌声が響きます。

Photo_213:30から酒フィルの番です。
最初に「おくりびとのテーマ」をチェロ五重奏で奏でます。
プログラムの1番は、オーボエ二重奏。アルビノーニのヘ長調の可愛らしいソナタ形式のデュエットでした。
Photo2番手は、家内もチェンバロで出演するブランデンブルク第6番。
弦楽合奏ですが、バイオリンがないという結構変則的なアンサンブル。ビオラ2本、チェロ3本(本来は、チェロ1本+ダ・ガンバ2本)にコントラバス1本+チェンバロ(通奏低音)なので、中音から低音の魅力的な曲です。少ない練習の割に皆さんよく頑張りました。ただ、音楽は頑張っただけではうまく出来ないもの。バッハはやはり厳しいです。

Bこちらは3番目の、弦楽アンサンブル「ポピュラー音楽組」。
「天城越え」や「千の風になって」など、一般の方に耳馴染みのある音楽を市民の皆さんも楽しんでおられた様子でした。

A_2クラ2本+ファゴットによる木管アンサンブルに続いて、大トリは弦楽アンサンブル「ブランデンブルク協奏曲第4番」です。ここまですでに1時間20分が経過しており、聴いて下さる市民の皆さんもお疲れだったようです。残念ながら聴衆も少し減っておりました。
B_2小さな事故はあったものの、練習を通して一番良い出来だった様な気がしました。会場は響きはデッドなもののチェンバロの音は結構聴こえたように思います。

リハ中の演奏を少しずつアップしてみます。
まずは、「ブランデンブルク協奏曲第4番第1楽章」です。9名のアンサンブルともなるとピタリと合わせるだけでもなかなか大変で、音楽としてより高いものを追求する以前の問題になっています。
でも、この演奏に参加する機会が与えられた事が幸せでした〜。
~~~~~
8/16の朝のリハーサルから、第2楽章もアップしました。
「ブランデンブルク協奏曲第4番第2楽章」をクリックしてみて下さい。

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2009.08.15

8月、中日、去年の思い出と今年

815久しぶりの鳥海山の写真です。
そういえば、ここのところ雨や曇りの日が多く、このように雲一つかかっていない鳥海山を見るのは久しぶりのような気がします。
いつの間にか、山肌にはほとんど積雪がなく、夏の山です。

しかし、すでに8月15日。
8月も半分終わりです。今日は「終戦記念日」。
昨年の夏は、7月末に秋田の土崎港祭りにでかけ、7月31日から横浜の実家1泊経由で高松にJAO全国大会に参加しました。8/3(日)の演奏会を終えて羽田に戻り、渋谷から夜行バスで酒田に戻ったのは8/4(月)の早朝。その足で仕事をしました。
8/10は鶴岡の赤川花火大会。「緑のイスキア」でイタリアンを頂きながらの花火見物もオツなもんでした。
そして8/14〜8/17は宮崎旅行でした。25年振りの宮崎を満喫しました。

それに引き換え、今年の夏は、どこにも出かけず家にいます。
Photoこれは、今年、中町の中合清水屋デパート前に戻って来た「人魚の像」。
これは、木内克という彫刻家の作品で、1973年から1978年まで、旧清水屋の正面に置かれていたのだそうです。1976(昭和51)年の酒田大火後、旧清水屋が現在のマリーン5に移った際に、この像を市に寄贈していたのが今年の7月に30年振りに戻って来たのだそうです。
Photo_2その清水屋のすぐ脇の中町通りでは昨日「中町ゆかた祭り」が開催されました。
予想通りあまり人出はありませんでしたが、流しソーメン、焼き鳥、焼そば、生ビール、ステージが用意されて太鼓、フラ、タヒチアンダンスなどの出し物があったそうです。
「あったそうです」というのは、催し物の始まる19時からは酒田フィルの役員会でそちらに出席しなくてはならなかったので、ビールも太鼓もなしでただぶらぶら歩いて帰って来ました。
写真は、映画『おくりびと』で主人公が高校時代の友人に「おめ、もっどまともな仕事さ、つげ!」と言われた中町の一角です。

Photo_3どこにも出かけない代わりにちょっとだけグルメ。
久しぶりに上安町の「シェディ・オーク」へ。予約していて正解。お昼は入れ替え性で満席。我々は午後1時15分から伺いました。写真は、ジャガイモの冷たいスープ。
いわゆるビシソワーズとは違って、生クリームは控えめ、ジャガイモも裏ごしせずに潰しただけ(?)で素朴なつぶつぶとした食感とジャガイモの香りを楽しめました。
Photo_4家内は大好きな野菜のリゾット(リゾットと言っても、こちらのは焼き固めたゴハンの上にスープをかけたような感じで、いわゆるイタリアンのリゾットとは全然別ものでs)。私はパスタ。
おすすめはカレー風味のパスタということで、一昨日「ナーランダー」でカレーを食べたばかりでしたが、お勧めに従いました。
カレー風味といっても、スープパスタの雰囲気で、そのスープがほのかなカレー風味なだけ。たっぷりと入った野菜類は、シェディ・オーク自慢のカレーライスの具と同じで、素揚げした大葉、オクラ、ズッキーニ、芋、ニンジン、ピーマンとたっぷりの野菜だけです。美味しい!
Photo_8これもお店の人に勧められた「春巻き」です。
なんと枝豆が入っており、あとはオクラやネギといった野菜のみの春巻きですが、皮がパリパリでちょっとかかった塩味が良く利いてうめぇのぉ。
Photo_5デザートは、家内は写真の向こうに見えるプリン。ソースがまた美味しいのです。
私は洋梨のシャーベット。ブランデー(おそらくカルバドス)をかけて頂きます。
うまうま、大満足です。

昨日はこのお食事の後、妙法寺さんにお墓参りに行って来ました。

オマケの写真。
おととい、こちらも久しぶりにいった大宮町の「ナーランダー」。
Photo_6木曜定休なのですが、お盆期間と言う事で開いていました。でもお客さんはガラガラ。みんなお休みだと思っているのかも。
この大きな焼きたてのナンの下には。。。
Photo_7マトンのカレーと羊肉のシシカバブ、サラダが隠されています。
シシカバブも美味しく、大満足。

そしてこの日(一昨日)は、なんと先日「山形スクリーム」を観に行ったイオンシネマに「アマルフィ」を観に行きました。最近、レイトショーにはまっています。
観客はガラガラ(300名ちかいシアター席で我々をいれても20人くらい)で余裕でど真ん中に座ってゆったりと観覧できました。
映像が美しかった。
ストーリーが面白かった。
でも、メインロケ地、アマルフィの美しさをもっと引き出せたんじゃないかと感じました。ヘリコプターからの空撮だけではなく、沖合の船から撮影するとか(そういうシーンもあったかも)、なんとなく展開の速い話の内容に、落ち着いてみていられずローマ、ナポリ、アマルフィなどの景色が予想していた程には活かされていなかったように感じました。


今日は、朝からブランデン4番の追い込み練習。
9人全員揃っては2回目です。やはりバッハは難しい。技術的な難しさもありますが、要求される音楽の高みが我々の実力のず〜〜っと遥か上にある感じがします。後は、楽しんで演奏するしかないでしょう。「ト長調」の曲なんですから。

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2009.08.14

お盆期間の仕事の合間に〜片頭痛の事

お盆で休診のため家でのんびりしてもいいのですが、いろいろやることもありクリニックに出かけました。
まずは8/16の「街かどコンサート」に向けての個人練習。メトロノームに合わせて、少し早めのテンポで特訓です。
次に今週の月曜、火曜に行った脳ドック患者さんのデータの整理とレポート作成。
その他にも、「日本脳ドック学会認定施設」申請の準備、録り溜めたテレビ番組録画済みHDDデータの整理(保存したいものは、DVDにダビング)、院長室の片付け他、いろいろやることはあります。


そんな中、インターネットで片頭痛について検索していたら、興味深いサイトを見つけました。
これから書く事は、一部そのサイトの批判になりますので、どういうサイトなのか特定できないように考慮する必要があります。
サイトに書かれていた文言は「>」の後に記します。

>『片頭痛“ストレス”や“生活習慣の乱れ“が引き金に…』

 これは書かれた通りだと思います。
 片頭痛はそれになりやすい体質の人と言うのが存在しますが、日頃の診療を通して感じる事ですが体質だけでなく性格も影響すると思います。どちらかというと、神経質、細かいことを気にするタイプ、気分転換が下手、くよくよしやすい、責任感が強い、、、そういう傾向があると思います。

>生活のリズムの狂いやストレスが多い現代社会。
>私たちはホルモンバランスを崩しやすい環境、つまり片頭痛を誘発しやすい
>環境に生きているのです。
>特に日本人の場合は姑との関係や育児のストレス、また仕事でのノルマや
>人間関係の悩みなどが、引き金になる場合が多いと言われています。

 これもほぼ正しいですね。
 ただ、ホルモンバランスを崩しやすい環境が片頭痛を誘発しやすい環境かどうかは証明されていないと思います。

>片頭痛の痛みが起こる仕組み、長年の研究から次第に明らかになってきています。
>もっとも有力なのは脳内の血管が広がって脳細胞を圧迫するので頭痛がするという「血管説」です。

 片頭痛の別名は「血管性頭痛」です。
 血管が拡張して頭痛が生じるという点は正しいのですが、ここに大変大きな間違いが堂々と書かれているので、このブログで取り上げて指摘したくなったのです。
それは、
>「脳内の血管が広がって脳細胞を圧迫するので頭痛がする」
という文言です。

 片頭痛の痛みの原因になる血管の拡張は「脳内の血管」ではなく、「頭皮の血管」です。
ですから「脳細胞を圧迫」はされません。しかも、脳細胞=ニューロンには「痛覚」がありません。ですから脳細胞は圧迫されても痛みを感じないのです。脳細胞が圧迫されれば、運動麻痺、言語障害、意識障害など、脳卒中や脳腫瘍の症状と同じ様なことになりますが、それで頭痛が起きる訳ではありません。
 片頭痛の痛みというのは、拡張した頭皮の血管から分泌された神経伝達物質が痛覚神経を刺激する事によって起こる、頭皮の血管の周りに存在する痛覚神経が拍動性に刺激されて起こるものです。
 決して脳細胞が圧迫されて痛くなる訳ではありません。

 このような医学的に明らかな間違いを堂々と書いて、商品を販売しようとしているサイトがありました。正しい医学的知識を持たずに、世界中の頭痛の本のどこにも書かれていない「誤った情報」を堂々と書いているだけで、この商品の効果には疑問が生じるものです。


>「片頭痛」特効薬は存在しない。

 片頭痛を「治す」という意味での特効薬は存在しません。しかし、「抑える」という意味での特効薬は存在します。片頭痛頓挫薬といって、「トリプタン製剤」と総称されています。片頭痛を起こしている頭皮の血管の拡張を抑えて正常に戻す働きを持つのがトリプタン製剤で、今から9年前までは注射薬しかありませんでしたが、今は内服薬5種類、点鼻薬1種類、皮下注射薬1種類が存在します。


>長年、片頭痛に悩まされているあなたは、市販、もしくは医師から
>処方された鎮痛剤を常に服用していることでしょう。
>しかし、年々薬を飲む頻度が増し、片頭痛が起きやすくなってはいませんか?
>これは、薬を長期にわたって常用すると体が薬に慣れてしまって効きにくくなり、
>「薬の効果が切れる⇒薬を飲む」という悪循環に陥り、「薬剤誘発性頭痛」と
>いわれる症状が起きているためです。
>市販の鎮痛剤で片頭痛の痛みを一時的に除くことはできますが、服用を繰り返す
>と、薬効がなくなるのです。なぜなら、薬は「片頭痛」を一時的に対症するもの
>であって、片頭痛の原因を取り除くものではないからです。

 ここに書かれてある事はほぼ正しいと思います。
 「痛み止め」=鎮痛剤と、上記の片頭痛頓挫薬であるトリプタン製剤は理論的にはまったく別のものです。
痛み止めは脳と末梢神経に働いて、痛覚をブロックし痛みを和らげます。片頭痛頓挫薬は、頭皮の血管を収縮させて、血管拡張による片頭痛発作を和らげます。
 このどちらの薬も、使いすぎると「薬剤誘発性頭痛」または「薬剤乱用性頭痛」を生じさせます。どちらの薬も一時的な効果しか期待できず、1日を超える様な長時間の効果もなければ、片頭痛発作を予防する効果もありません。

 片頭痛発作に対して、安易に購入出来る市販薬を毎日のように連用する事はもちろんよくありません。どんどん効かなくなってきます。
 さらに、多くの一般開業医が「頭が痛い」と訴える患者さんに「安易に」鎮痛剤を処方しすぎると感じています。患者さんが「頭が痛いから薬をくれ」と訴えると、すぐにたくさん処方してくれます。患者の言う事を聞いてくれる、優しい、「いいお医者さん」です。
 そういう「いいお医者さん」の中には、痛み止めを1日3回毎日服用するように何年もず〜〜〜〜〜っと同じ処方で変更も見直しもしない医師もいます(開業して1年半近くの間に、そういう処方をされていた患者さんを少なくとも3人は診察しました)。

 医師が「薬剤乱用性頭痛」を作っているのです。医師が患者の状態を悪くしているのです。
 問題は「薬物乱用性頭痛」という言葉すら知らない医師がまだたくさんいるという事です。頭痛持ちの患者さんが知らないのは仕方ないとしても、それを治療している医師が頭痛に対してあまりに無知な場合が少なからず見られるのです。

>では、片頭痛は一生治らないのでしょうか?いいえ、方法はあります。
>それは片頭痛の原因を取り除けばいいのです。

 片頭痛の原因?ってなんでしょうか。
 このサイトでは、顎の歪みと書いてありました。歯の噛み合わせ、顎のずれが片頭痛の原因なのだそうです。
 
確かに歯の噛み合わせの悪さや顎のずれは頭痛を誘発する因子になると思います。でもそれは、たくさんある片頭痛の「誘発因子」の一つに過ぎないと思います。たとえば、女性の生理とか寝不足とか赤ワイン飲酒による血管拡張とか騒音とか低気圧とか、そういう因子と同列のものであり、「片頭痛の原因」とは言えないと思います。

 もし、「片頭痛の原因」であるならば、歯の噛み合わせを治せば、顎のずれを治せば片頭痛は治る訳ですから、世の中から片頭痛という病気が消え去る可能性があります。原因を取り去れば病気が治る、これを原因療法といいますが、治療の王道です。しかし、片頭痛の治療において、顎のずれを治したから片頭痛が治って二度と起きなくなったという報告はないと思います。一時的には効果のある人も、中にはいるでしょうが、「原因療法」ならば全員が治らなければおかしい訳です。
 片頭痛の予防薬としては、抗てんかん薬であるデパケン、抗うつ薬のトリプタノール、血管の平滑筋を弛緩させるCa拮抗薬などがあります。私の経験でも週に1〜3回は頭痛に襲われ、鎮痛剤をほぼ毎日飲んでいた様な人が、吐き気を伴ったり寝込んだりする頭痛はほぼ無くなったか、あっても半年に1回程度となります。内服による副作用がなければ、デパケンを第一選択で投与しています。

 ということで、チラッと見たサイトにちょっと医学的におかしな事が書かれていたので、それを指摘しようと考えて、片頭痛の事を熱く語ってしまいました。

 片頭痛=血管性頭痛の成因、誘因、その診断、治療について、詳しく分かりやすく説明できる医師は、残念ながらそれほど多くないと思います。頭痛で悩んでいる方は、まず頭痛の事を詳しく知っていて、きちんと詳しく説明してくれる医師を捜すべきです。

さて、明日(もう今日ですが)、休み期間の"what to do"を片付ける仕事の続きです。

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2009.08.13

「だだちゃ、だだちゃ」

だだちゃ豆だば、茹でで塩さまぶしてビールのおつまみに食べる、夏の最高の食品の一つだの。

本来は鶴岡市の白山地区を主産地とする特別な枝豆で、今や全国的な知名度になり、贈答品にも選ばれる程である。
白山以外の他の土地ではなかなか栽培が難しいと言われていた「だだちゃ」だが、遊佐町の鳥海山麓で栽培に成功して現在は栽培地が広がっている。しかし、本場のだだちゃ豆とその類似品ではやはり味も風味も違うと言う事で、ブランドイメージを守るために白山地区以外の枝豆は「だだちゃ豆」と呼ばないように地元のJA鶴岡は商標使用権を持っているらしい。

「特別」な高級枝豆であるが、酒田に暮らしているため時々頂き物をする。今年も2回ほど頂いたが、実は本物の白山だだちゃ豆はお盆すぎから出て来る物で、今出回っているのは「早生」品種である。
Photoそんな「有り難い」だだちゃ豆をアイスクリームに入れてしまうなどと言う、罰当たりな(?)ことをしちゃったのが、写真の『山形スクリーム』。
アイスの入れ物の蓋に書かれているのはすべて「冗談」。
原材料の所を読むと「原材料名:思いつき・やる気・忍耐・団結・血・汗・涙」となっており、生産地は「山形県御釈ヶ部村」と書かれている。

Photo_3先日楽しんだ映画『山形スクリーム』と提携して期間限定で売り出したアイスクリームを家内が買って来てくれたのだが、味は申し分なし。
だだちゃ豆のかけらがフンダンに入っていて、だだちゃ豆の風味は十分に活かされていると思う。

Photo_5側面には本物の原材料名や生産者が記されているが、それよりも竹中直人監督兼俳優の落ち武者の亡霊の絵のインパクトのある事。

映画の中で、平家の落ち武者を庄内の農民が追いつめるシーンで、なぜか「だだちゃ、だだちゃ、だだちゃ、、、」と言葉を知らない原住民のように描かれていたが、我が家ではちょっとしたプチブーム。夜中にトイレに起きると「だだちゃ、だだちゃ、、、」などと言ってふざけている。

他にも「御意、御意、御意、、、」というパターンもあるのだが、意味は映画を観てのお楽しみと言う事で。
アイスクリームにも映画にも特に加担はしていないのだが、山形を、庄内を広めてくれる「仲間」として応援したい気持ちでブログ記事にしてみました。


さて、雨で2日順延になった影響か、残念ながら酒田南高校もあっさり負けてしまいました。いくら山形県全体のレベルが低いとは言え(甲子園で過去最高はベスト4でしたか)、県内の予選全試合で「失点0」のエースを擁して少しは期待していたのですが、7点も取られては仕方ありませんね。
明日から3日間、お盆休みによる休診です。私は、まだ両親も元気ですし、親戚の墓はほとんど宮崎にあるのでお盆の帰省などはしません。秋田出身の家内の両親が酒田に縁があり、お墓も酒田にあるのでお参りはするでしょうが、特にお盆だからと言って休診にする必要はないのです。
しかし、スタッフが皆お盆休みを取るので結局休診にせざるを得ないと言う事になります。

今夜は、この3日間+日曜の4日間にやる事、やるべき事、やりたい事をリストアップして明日からに備えましょう。読みかけの本なども読破したいのですが、読書はリストの8番目になってしまいました。庄内の近隣にも出かけては見たいのですけどね。。。
鶴岡・酒田エリアの観光案内

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2009.08.12

「救命病棟24時 第4シリーズ」始まる

昨日8/11から「第4シリーズ」が始まった。
前シリーズは2005年に放送されていた。このブログで前シリーズの感想を書いていた。
「救命病棟24時」を批判するを参照ください。

救命救急の大変さ、過酷な状況から救命医全員辞表提出して辞職、患者さんのたらい回し(実情は受け入れる余裕がないための受け入れ拒否)、医療訴訟、などなど現代の医療問題を的確に取り上げた内容で第1回が始まった。期待してこの第4シリーズを見守りたい。

まあ、テレビドラマなんだから、、、と細かいことに目くじらを立てるつもりはないが、少々突っ込みを入れておこう。

1)江口洋介演じる主役の進藤医師が、松嶋菜々子演じるかつての同僚後輩医師小島楓に会いに、「平日の日中」に出かけて行き、どこかの公園で腰を下ろして仲良くお話をしていた。
 あまりの過酷な労働状況に全員が辞職する様な救命救急の医師が、平日の昼間に一人のんびり小島医師を捜しに出かけて行くなんてあり得ない。非番の日、代役の医師がいたので休みを取ったというならわかるが、一人も救命救急医がいない病院に赴任したばかりの状況である。。。

2)救命救急の医師不足を補うために、他科の医師から応援派遣があるのはよく聞く話である。人がいないのだから、人のいるところから無理してでも人を捻出するという手は全国的にも使われているだろう。しかし、「3次救急」である救命救急にいきなり眼科医や耳鼻科医が駆り出されるという事は、「あるかもしれない」がそうよくある事ではないだろう。
 緊急患者や意識障害の患者などに対応出来る医師の代表は、脳神経外科医である。日常、そういう患者さんを見ているからである。呼吸循環の変動の激しい緊急患者に対応出来るのは、循環器内科医や麻酔科医、ICU医師、心臓血管外科医などであろう。まずはそういう「実力のある」医師の多い診療科から優先的に人を「駆り出す」ように努力するのが常套手段だろう。まして「医科大学付属病院」なのだからすべての診療科があり、ある程度の人は揃っているはずである。

3)「こんなとこでこれ以上働けない」と辞めて帰ろうとする眼科医師。
 医師にもいろいろな人がいるので、忙しさのあまりキレてそういう言動に出る人もいるかも知れない。しかし、病院全体で会議をして対策を考え、人を出せる科から応援をよこしているのだから、普通なら眼科の医局で医局長や教授に相談して、救命救急の手伝いから手を引くとか、代わりの医師を送るとかそういう「大人」の対応をするはずである。病院勤務医師というのは、開業医と違って一人で仕事をしているのではなく集団で医療行為を行っているのである。

4)頭部外傷の少年を救急車の中で「穿頭手術」。
 金属バットで側頭部を打撲して意識障害を起こし、クッシング現象を起こしている10才の少年。頭蓋内圧が高まる事により、血圧が上昇し脈拍が遅くなる「クッシング現象」。外傷のサイドがはっきりしていて、瞳孔の大きさに左右差があれば確かに外傷による頭蓋内出血の可能性が非常に高い。
 しかし、急性硬膜外血腫なのか、急性硬膜下血腫なのか、脳内血腫なのかはCTを撮らなければわからない。CTを撮らずに上記3つの状態をはっきり鑑別出来る医師は世界中探しまわってもいないだろう。
もしも、「Lucid interval」といって、外傷直後に意識を失いながら一端意識を回復してその後、30分〜1時間の間にまた意識がもうろうとして急速に意識障害が進む「意識清明期」が教科書的にみられたのなら、「急性硬膜外血腫」の可能性が高いだろうが、昨日のドラマでは外傷直後からずっと意識障害で短時間に進行していたので、一番蓋然性があるのは脳内血腫を伴う急性硬膜下血腫だと思う。
 そういう状態の患者さんに「穿頭手術」を自信を持って行える医師というのは、脳外科医の中にさえもいないだろう。それが救命救急医の小島楓が「救急車の中で」手術に及ぶのである。
 たとえ、診断が正しいとしても、救急車の中に「開頭セット」や「穿頭セット」などおいてあることはまずないだろう。頭蓋骨はメスだけでは開けられない。ハンドドリルという手で回す頭蓋骨用の大きな錐のような手術器械が必要である。万一、陥没骨折を伴っていてピンセットなどで陥没した骨を取り外せるなら硬膜外の血腫を取り除くことも出来るかもしれないがそういう状況は描かれていなかった。
 一般的には、救急車の中で脳外科手術など考えられないというか、あり得ない設定だった。

5)どんどん発生する緊急事態に対し、多くの救急病院が「受け入れ不能」ということで救急患者の診療を拒否し救急車のたらい回しが描かれていた。
 これはある意味、日常のことだと思う。しかし、それは救急隊と3次救急病院の連絡体制の問題であろう。場所は横浜のみなとみらい地域が描かれていたのだが、横浜市の救急体制はそんなにレベルが低いのであろうか?横浜の救急隊、消防本部、横浜市の大学病院、救急病院はこのドラマを見て怒らないだろうか。
 
 これは突っ込みではないが、酒田ではこういう「たらい回し」状況はまず起こらないと思う。なぜなら、緊急患者を受け入れられる総合病院は日本海総合病院と余目病院くらいしか無いので、救急隊からの要請を「拒否」した場合、患者さんはどこにも行くところがないのである。どこにも行くところがないのだから、どんな患者でも、どんな状況でもいつも受け入れるしかないのが、地方の救急病院の宿命である。こういう地方の緊急医療の状況こそ描いて欲しいものである。

 最後にもっとも深刻な突っ込み。
 小島楓医師が、脳外科が受け入れ不可能の状況で頭部外傷の子供を受け入れて救命救急で救えなかった。医療訴訟の「被告」となって、それに対して「自分の判断ミスで死なせてしまった」と自分の非を認め、争う気持ちがないという。
 争う気持ちがないならなぜ「訴訟」になっているのだろう?
 医師として、自分の力不足で救えなかった命に対して、責任を感じ申し訳ないと思う謙虚な気持ちはとても大切であるしその点は認めるが、すでに6件ほどの救急受け入れを拒否されて「たらい回し」になっている患者をぎりぎりの状況で受け入れて助けられなかったとしても、それで医師が責任を取らなければならないのなら、日本全国の救命救急は緊急患者の受け入れを全部拒否しなくてはならない。
 何か明らかな医療ミスで誤って患者さんを死なせてしまったのなら理解も出来るが、脳外科が受け入れ不能だとしても「たらい回し」の状況でどんどん状態の悪化している患者をなんとかして上げたいという「医師の善意の心」で受け入れて、その結果が蘇生出来ずに死亡したとしても誰も医師の責任は問えない。ドラマに描かれた状況ならば、たとえ脳外科が受け入れ可能だったとして助けられなかったはずである。救命救急に緊急搬送された患者さんに大緊急手術が必要と判断し、脳外科医、麻酔科医を招集して手術室を確保し大大緊急手術を行うとして、頭蓋内の血腫が取り除かれるまでには30分、いや1時間はかかるだろう。
私が急性硬膜外血腫の患者に大緊急手術をして様子を書いたブログ記事、「12/17続き」を参照ください。つまり、まだ意識がJCSで30~100くらいでも手術がぎりぎり間に合うかどうかの状態。ドラマで描かれた状態では、意識は200〜300(瞳孔が開いていると言っていた)であり、小島楓のいる救命救急に運び込まれてまもなく心肺停止状態になっていた。あの状態ではどんな「神の手」の脳外科医が現れたとしても助けられない。どんなに急いでも手術に持ち込むまで30分とか1時間がかかるのである。
たとえ「急性硬膜外血腫」であって救命救急のその場で開頭または穿頭を行ったとしても、助けられなかったと思う。
そういう状況の患者を救えなかったから、脳外科が受け入れ不能なのに救命医が受け入れたからそれで「訴訟」を起こされるのでは医師は100%確実な医療行為しか行えない。つまり緊急患者は絶対診ないという医療である。

考えてみて欲しい。小島楓医師が「受け入れ拒否」をしたら、あの10才の患者さんは次の(8件目?)受け入れ先を探している救急車の中で心肺停止状態になり、たとえ8件目が見つかって受け入れられてもそこで命を落としていたと考えられる。それを救おうとした「医師の善意の心」を無視して訴訟を起こすならば、またその医療訴訟で医師が有罪にでもなるならば、医療崩壊は最終章を迎える訳である。

まあ台本にいろいろ無理やおかしな点はあるけれど、あくまで「娯楽」の「ドラマ」としておおめに見てあげたいとは思っている。

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2009.08.10

ジョンダホールではありません!(笑)

8/16(日)の酒田市希望音楽祭「街かどコンサート」で演奏する、ブランデンブルク協奏曲第4番と第6番の練習を8/8(土)に行いました。

チェンバロが重要な役割を演じるので家内にチェンバロで参加してもらい、あとは酒フィルのメンバーです。練習会場は当然チェンバロを常置している我が「ジョンダーノ・ホール」です。
メンバーの中に、ここの名称を「ジョンダホール」と思い違いしていた人がいました。7/11の記事、「誕生日の食事、そして+α」にも載せた山形新聞の7/11の記事に、「山形弁のじょんだ(上手だ)にちなみ名付けた」と書いていただいたからかも知れません。
私としては、山形弁ではなく「庄内弁」の「じょんだのぉ(じょうずだねぇ)」にちなんで名付けたつもりでございます(笑)。

Photoこちらは「6番」の初合わせの様子。
ビオラ2本の独奏に、チェロが3本とコントラバス1本、そしてチェンバロです。
本来は、「ヴィオラ・ダ・ブラッチョ」2本、「ヴィオラ・ダ・ガンバ」2本、「チェロ」1、「ヴィオローネ」1、チェンバロという編成です。
古楽器である「ブラッチョ」、「ガンバ」、「ヴィオローネ」はプロでも持っている人は少なく、古楽器愛好家か古楽演奏家しか使わない物です。
ちなみに、ラテン語で腕の事をbrachialisと言う通り、ブラッチョは「腕」という意味で、「腕に載せるヴィオラ」という意味で「ヴィオラ・ダ・ブラッチョ」と言うようです。また、「ガンバ」は「脛」とか「脚」と言う意味ですので、「脚で支えるヴィオラ」という意味で「ヴォオラ・ダ・ガンバ」と呼ばれていたようです。形、演奏する格好からすると現在のチェロに似ていますが、本来はチェロとは違う楽器です。「ヴィオローネ」は「大きなヴィオラ」という意味で、現在のコントラバスの祖先には当たりますが、バロック時代には「通奏低音」(Basso continuo)としてチェンバロと一緒に演奏されました。

Photo_3今回、チェンバロはありますが、他は現代楽器で代用するため、ヴィオラ2台、チェロ3台、コントラバス1台という組み合わせです。チェロ3台のうち、本来はソロを受け持つチェロが1台あるため、今回の練習でもチェロを3台並べずに、2台のヴィオラ・ダ・ガンバに当たるチェロ2台と離れてソロを受け持つチェロ1台がチェンバロの向こうに座っています。

このブランデンブルク協奏曲第6番に続いて「4番」の練習をしました。
構成は、ソロ・ヴァイオリン1、リコーダー(ブロックフレーテ)2、ヴァイオリン2、ヴィオラ1、チェロ1、ヴィオローネ1、チェンバロの9名という少々大所帯です。こちらの方の練習の様子はまたあらためて写真を載せたいと思います。

本日のオマケ。
久しぶりのオマケ写真です。
Photo_4昨日は、久しぶりに地区医師会のゴルフ大会に参加。全然練習していない(5月の連休に1日ゴルフをして以来)ので、さすがに8/6(木)に1時間程練習したが、それだけで普段使わない筋肉痛が生じました。昨日は午後1時過ぎから小雨まじりとなりましたが、朝方は曇り時々晴れで少し日焼けもしました。なるべくカートに乗らず歩いたのですが、後半息切れして来ました。体力がありません。
午後2時半には帰って来て(会場の酒田カントリーは山の上ですが自宅から車で20分で行ける距離)、後はクリニックで先週の脳ドックのレポートを書いたりフルートの練習。
筋肉痛と体力の衰えを「治療」するため夜は国道7号沿いの「北京飯店」に中華料理を。私は麻婆豆腐定食、家内は回鍋肉定食。ここの奥さん(オーナー)は元々中国人で帰化した女性。とても明るくアッケラカンとして夫婦揃って彼女のファン。
前々から「うちのフカヒレ、食べて見て。ぜったい、おいしから!」と中国訛りの残る庄内弁まじりの日本語で力説していたので、「治療」のためフカヒレの姿煮を食べました。とても大きく、厚みのある食べ応えのあるフカヒレでした。餡には蟹肉も入っていて贅沢なお味でした。
大変満足。

その後、8/1からロードショーをしている『山形スクリーム』を観にイオンシネマへ。
「映画『山形スクリーム』オフィシャルサイト」をご覧下さい。
ちょうど「赤川花火競技会(大会)」をやっていたので国道7号を鶴岡に向かいながらちょうどフロントガラスの向こうに美しい花火を観る事が出来ました。ニュースでは『山形スクリーム』にちなんだ花火もあげたそうです。
本当は8/8からロードショーの始まった『HACHI〜約束の犬』を観に行こうかと思ったのですが、家内が『山形スクリーム』が観たいと希望した事と、『HACHI』は子供を対象に考えているせいか「日本語吹き替え版」だけで「字幕版」をやっていなかったので諦めました。

私は洋画を観る際は、基本的に「字幕版」を観ます。俳優の声も魅力だからです。「日本語吹き替え」の声優の声が悪いと言う訳ではありません。今回だって主演のリチャード・ギアの吹き替えは北大路欣也氏です。今毎日曜の夜やっているテレビドラマ「官僚たちの夏」では、故池田勇人首相がモデルの池内総理大臣役をやっています。声にも演技にも不満はまったくありませんが、リチャード・ギアの声はリチャード・ギアで聞きたいのです。

ということで、あまり期待せずに(どうせ、お笑いだろ?くだらないホラー風のお笑いだろ?)と思って行ったのですが、その通りでした。その通りなんだけど、面白かったです。期待以上の出来ですし、最後は結構爽やかな感じになれました。
「なんで?」とか「どうして?」などと「考えて」は行けない映画ですね。ただただ「楽しむ」ことに徹する映画だと思います。

お時間に余裕のある方は騙されたと思ってご覧下さい。
庄内弁もフンダンに出て来ますさげの。

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2009.08.08

「ブランデンブルク協奏曲」

Photo(写真は、希望ホールのトップページからDLしたpdfの写真)
8月15日(土)、16日(日)に、酒田市の「市交流広場」(本間病院向かい)と中町の「さかた街なかキャンパス」で開催される「2009酒田希望音楽祭『街かどコンサート』」(「街なかキャンパスの」の方は8/16の午後のみ)。

Photo_38/16の13:30から「市交流広場」の方に、酒フィルメンバーによるアンサンブルで出演します。
プログラムの2番目「弦楽アンサンブル」の『ブランデンブルク協奏曲第6番』には家内がチェンバロで出演。
プログラム5番目(オオトリ)「弦楽アンサンブル」の『ブランデンブルク協奏曲第4番』には私がフルート、家内がチェンバロで出演致します。

これを機に「ブランデンブルク協奏曲」についてちょっと調べてみました。

〜〜〜〜〜

「ブランデンブルク」といえば、おそらく一番有名なのはベルリンに今も残る「ブランデンブルク門」だと思います。大バッハが作曲した6曲の合奏協奏曲に「ブランデンブルク」の名前がついているのは、この「門」と無関係ではありません。

当時はまだ「ドイツ」という国はなく、神聖ローマ帝国の時代。現在のドイツ国首都ベルリンを含むブランデンブルク州とポーランドの一部はかつてブランデンブルク辺境伯領と呼ばれていました。そのブランデンブルク辺境伯領の西隣に当たる現在のザクセン=アンハルト州にある「ケーテン」という街で大バッハは仕事をしていたのです。ケーテン侯レーオポルトの宮廷楽長として、1717年から1723年までここに暮らしていた訳です。
ケーテン候は音楽好きで自らも演奏を好むため、バッハはケーテン侯も交えて演奏できる曲などを作っていました。ところがケーテン侯のお妃となった女性がなぜか音楽嫌いで、そのため侯の音楽熱も冷め楽団も縮小解散の憂き目に合うのです。そこで就職活動の一環として、「いくつもの楽器による協奏曲集」(Concerts avec plusieurs instruments)と記されていた6つの楽曲をブランデンブルク=シュヴェート辺境伯クリスチャン・ルートヴィヒに献呈したものとされています(1721年5月24日に献呈されたという記録あり)。
後の世になってこの6つの楽曲に「ブランデンブルク協奏曲」(Brandenburgische Konzerte)という曲名が付けられたのですが、番号は後から付けられたものであり、作曲された順番は第6番、第3番、第1番、第2番、第4番、第5番とされています。第3番と第6番はケーテン時代の前のヴァイマル時代にさかのぼると推測され、第1番以降については楽器編成や高い演奏技術が求められることなどから、ケーテンの宮廷楽長に就任してからの創作と考えられています。

最も有名で、6曲の中では最後に作曲されたと見られる第5番については、大バッハがベルリンに注文しておいたチェンバロを受け取りにいったと言う記録があり、新しいチェンバロを前にバッハが作曲の腕をふるい、有名な第1楽章のチェンバロ独奏部はチェンバロのお披露目を意図して後に改変されたものと考えられています。これがチェンバロ協奏曲の端緒となり後の世の「ピアノ協奏曲」に繋がったものと考えることができる、貴重な楽曲なのです。

今回「街かどコンサート」で披露する曲は、6曲の中で最も早く作曲された2本のビオラを独奏楽器とする協奏的合奏曲の6番と、1本のソロ・ヴァイオリンに2本のフルート(本来はリコーダー)の二重奏ソロが絡みある4番です。
6番は、ケーテン侯にビオラ・ダ・ガンバを演奏してもらって一緒に演奏したらしく、チェンバロもそれほどの技巧を要さない通奏低音楽器として他の楽団員が弾いていたのだと思います。
4番は、バッハがビオラを弾きながら指揮をしたという記録があるそうです。凄い技巧を要するソロ・バイオリンを弾きこなせる宮廷音楽家が仲間にいたということになります。

大バッハの時代が再現できるとは思いませんが、今回の「街かどコンサート」ではいつも「ジョンダーノ・ホール」に置いてある家内のチェンバロを運んで、それを家内が演奏します。チェンバロが入ると単なる弦楽器アンサンブルの雰囲気がガラリと変わるのもお楽しみ頂けるのではないかと思います。

酒田周辺の方で、8/16(日)の午後、時間に余裕のある方は是非「酒田市交流広場」にお越し下さい。お待ちしております!

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2009.08.07

東北の夏祭り

本日は暦の上では「立秋」です。
東北は「梅雨明け」宣言もないままに、「残暑」の季節を迎えました。

8/1から弘前のねぷた、8/2から青森のねぶた祭が始まり、8/3からは秋田の竿燈、8/5からは山形の花笠まつり、今日8/7からは仙台の七夕まつり、、、と各地で夏祭り真っ盛りである。
県庁所在地で行われる大規模な、歴史と伝統のある祭りを取り上げて「東北三大夏祭り」とか「四大祭り」と呼び習わす。この中で、山形の花笠まつりは歴史も浅く、伝統も今ひとつはっきりしない。
尾花沢市の笠回しは動きが激しく有名だが、この尾花沢の土木作業の時の「土突き歌」が花笠音頭の起源と言われている。

この花笠音頭は、覚えやすい節回しのせいか、全国的に良く知られていて、小学生のbalaine少年も福岡時代か倉敷時代には耳にした覚えがある。プロ野球のヤクルト・スワローズが試合に勝った後に勝利を祝う歌として歌われていたので、てっきり東京地方のお祭りの歌だと思っていた。昭和53年、山形に暮らし始めて、夏には「花笠音頭」で「花笠祭り」というのがあると知って初めて「花笠音頭」が山形の歌なのだと認識した。
歴史も浅く、観光客誘致数の面でも他の東北◯大祭りに比べると少々劣る感のある「花笠祭り」だが、8/5〜7の3日間、山形市の中心部は花笠祭り一色と言って良いノリになり、夕方から夜9時頃までは、ず〜〜〜っと「花笠音頭」が鳴りっぱなしとなる。

東北の他の県、他の県庁所在地に夏祭りがない訳ではない。
岩手盛岡には「さんさ踊り」というのがある。東北の祭りの先陣を切ると言う意味で8/1からやっているらしい。その他に、県庁所在地ではないが福島県の郡山には「うねめ祭り」というのが結構な規模である。
あとは「夏祭り」(要するに7月末からお盆までの間の規模の大きなお祭り)という範疇としては、季節の先駆けということで福島県の「相馬野馬追」も含められるようだ。

夏の祭りではないので今ひとつ注目もされないし、規模も決して大きいと言えず、人出も「ねぶた」のような300万人はもちろん「花笠」の90万人にも遠く及ばないが、酒田の山王まつり、現在の「酒田まつり」はその歴史において、東北でも最も古く現在まで続いている祭りといえる。(「ねぶた」の起源を紐解いてみると、もっと古い起こりがあるが恐ろしい話でもある)
慶長14年=西暦1609年から今年まで400年間、大飢饉があろうが、戦争があろうが、大火があろうが、1回も休まずに続けられて来たと言う事が凄いと思う。
「酒田まつりウィーク始まる」
今年も5月頃は「新型インフルエンザ騒ぎ」があったがまったく問題なく開催された。

祭りというのは、本来、神に祈り神に感謝する行事、己や家族の穢れを払い健康と五穀豊穣を祈る儀式の一つであったはずであるが、今ではそういう宗教的な側面は重要視されない。皆で力を合わせて弾けて夏を謳歌する、という趣がある。
力を合わせるにも資金が必要なので、自治体や観光協会の援助と参加者や住民の募金などで成り立つ訳であるが、夏の風物詩「花火大会」が不況のあおりを受けて「規模縮小」や「中止」となったという話も聞く。

人口減少に歯止めがかからず不況の波から浮上できずにいる、酒田を含む庄内地域であるが、先日8/1の酒田大花火大会は「酒田まつり創始400年」を記念して昨年よりも規模を拡大した。
「酒田花火ショー2009」HPをご覧下さい(そのうち、消滅するページかもしれませんが)。

今年の花火は先日のブログ記事に書いたように屋形船から楽しんだわけだが、特に途中の「2尺玉大博覧会」が見物だった。全国の花火会社8社による各職人の趣向を凝らした20号玉が連続で打ち上げられるというユニークなショーだった。

不況にも人口減少にもめげずに祭りを「続ける」事。これは非常なエネルギーが必要である。ここが「湊酒田の心意気」の面目躍如と頑張った方々に賞賛の気持ちを送りたい。
神に感謝して、人の努力を思う。

「継続は力なり」は古代からの真理。
努力を続ける事を厭わない人、これも才能の一つ。天才とはその神から与えられた才能を磨き続ける事を持続継続出来る人の事だと言える。凡人でも、神から与えられた才能が乏しくても、努力を継続すれば素晴らしい事は起こる。
そういう事を目撃できるものの一つが甲子園の高校野球。

山形県代表は「酒田南」。映画『おくりびと』米国アカデミー受賞以来、乗っている酒田。何か奇跡を起こしてくれないだろうか。
高校野球甲子園大会、これも「夏祭り」の一つであろう。

さて、明日は午後から「ジョンダーノ・ホール」で、ブランデンブルグ協奏曲の6番と4番の合わせ練習に、夜は7/18以来となる久しぶりの市民オケの定時練習。
8/16(日)の「街かど音楽祭」も近づいて来たし、練習もさらに頑張らなければ!

「継続は力なり」

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2009.08.03

「観るな!危険!」

最近の流行として、新しい映画が公開される直前にその宣伝を兼ねて、昔の映画やその主役のヒット作がテレビで放映される。
マスコミと映画配給会社の仕組んだ「罠」と知りながら、悔しいけれどついつい観てしまう。

「ハリーポッター」には私はまったく興味がないけれど(あるのは音楽だけ。以前、ジョン・ウィリアムズの音楽をファミリーコンサートでやった)、テレビでやっていると気にはなる。
俳優織田裕二主演の「アマルフィ」封切りを記念して(宣伝のため)、フジ系では彼が主演した「踊る!大走査線」や「ホワイトアウト」を放送していた。

8月8日の末広がりの日に封切りとなるアメリカの映画「HACHI」。
「HACHI 約束の犬」のHPは←こちら)

あの「忠犬ハチ公」の実話を元にアメリカで映画化された。主演のリチャード・ギア(数々の映画があるが、私的には「プリティ・ウーマン」と「Indecent Proposal」が記憶に残る)が台本を読んで惚れ込んで作った映画らしい。
その宣伝を兼ねて、先日「ハチ公物語」がテレビで放映されたので録画していた物を昨日ゆっくり観た。仲代達矢と八千草薫が主人公夫婦役、いや主人公は秋田犬の「ハチ」。大正時代の大館での秋田犬の出産シーンから始まるちょっと衝撃的な映画だったが、もういろんなところで涙腺が刺激されまくりで困った。とても誰かと一緒に観る映画ではない。こっそり一人で観ながら、流れる涙をタオルか何かで拭かければとても見続ける事が出来ないような映画だった。

渋谷駅前に今も立つ忠犬ハチ公の銅像。その出生地である秋田県大館にもハチ公の銅像はある。
戦争中には「金属回収令」により接収されてしまった両方の銅像。渋谷駅前には戦後間もなくの昭和22年には再建されたそうだが、大館駅前の像は昭和62年にようやく再建されたのだという。
(詳細は、「大館市「忠犬ハチ公」をご参照下さい)

この実話を元にハリウッドで製作されたこの夏公開の「HACHI」。
大変興味はあるのだが、「観るな、危険」に違いない。映画館でこの映画を観た後に、平静の顔に戻るまでどの位かかるのか、大変そうだから。

でも、観てみたい。。。

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2009.08.02

講演会と花火

Photo8月になりました。
昨日、8/1(土)、かねてから約束していた、山形大学教育学部卒業及び山形県内で働いていらっしゃる養護教諭の先生達の同窓会で「ジョンダーノ・ホール」を使っていただきました。
 県内の4カ所、村山山形、置賜米沢、最上新庄、そして鶴岡・酒田の庄内地区で毎年持ち回りで同窓会を開いていらっしゃるそうです。今回は、小生のつたない講演を望まれ、昨年9月に鶴岡の金浄寺さんでお話させていただいた「脳からみたこころの癒し方」を元に、新たな内容を付け加えて「脳とこころと音楽と」という大げさなタイトルで1時間程お話をさせていただきました。
Photo_2私の話が少しはお役に立つのでしょうか?不安いっぱいでしたが、熱心に聞いて下さっている雰囲気が伝わり話に熱が入りました。質問も2つ程頂き、うまく答えられたかどうかわかりませんが、聞いて下さった40名弱の養護教諭の先生方の、日々向き合っている学校関係、特に子供達のこころの問題、ストレス、それに対応を迫られている先生方の必死さも伝わって来ました。

 「音楽と」と言う内容の前振りで、家内のピアノ及びチェンバロとともにフルート演奏もさせていただきました。こちらの方も、どのように聞いていただけたのか、楽しんでいただけたのか、不安な気持ちでした。しかし、終わった後の皆さんの笑顔と感謝の言葉で少しはお役に立てたのかな〜と感じております。
 演奏した3曲のうちの1曲を公開しました。こちら↓です。
「JS Bach Flute Sonata BWV1031-2 Sicilliano」をお聴き頂ければ幸いです。

Photo_3講演会用に飾るお花を用意していただきましたが、「お礼」にと写真のような素晴らしい花束を頂きました。今回の企画の中心になった方の御主人が丹誠込めて作っている遊佐町の野菜達の花束です。
銀座松屋の地下などでも販売されている遊佐町のパプリカなどの野菜達。東京ではこの量だと諭吉一枚では足らないほどの高級お野菜様でございます。
パプリカ生産者の数は、遊佐町は日本で一番多いそうです。ハンガリーからパプリカの種から導入して何年もかかってここまで来たものです。この野菜達を使って、パスタやスープを作って食べるのが楽しみです。

その後、山居倉庫前の屋形船みづきのところに三々五々集まり、酒田港祭りの「大花火大会」を屋形船から皆で鑑賞。
Photo_5参加したのは我々夫婦を含めて22名。山居倉庫前の新井田川から一瞬外洋(日本海)に出て最上川河口に回り、今度は最上川を花火の打ち上げ会場近くまで上ります。出羽大橋と両羽橋の間、ホテルリッチ&ガーデンの見えるところ、ちょうど「スワンパーク」の目の前辺りに到着。まもなく大花火大会が始まりました。
その迫力は本当に凄い!
花火の凄さ、特にバ〜〜ン、ド〜〜ンという音、屋形船がビリビリ震える位です。

外洋に出た所での小舟の揺れ、近くを大きな船が通った後の波を受けて木の葉のように揺れる屋形船はちょっと恐かったけれど、「ディズニー・シーに行っていると思いましょう!」といいながら楽しみました。
皆様、ありがとう!充実した一日でした。

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