« 「納豆の日」 | トップページ | いただきもの »

2009.07.11

誕生日の食事、そして+α

ということで、昨日は誕生日でした。

Photo子供の頃から、私の誕生日には、「鶏のモモ焼き」と「スイカ」は定番でした。
なぜか鶏のモモ焼きが好きだったんです。
昭和30年〜40年代、団地に暮らす普通のサラリーマンの家庭では、子供一人に鶏のモモ一本なんてかなり贅沢だったと思います。和牛のステーキだとか、ジューシーで身厚なとんかつなどが好みではなかった訳ではなく、おそらく高校生になる位まで食べた事がなかったと思います。

今に比べれば、「贅沢だな〜」と思うのは、博多の団地の中のスーパーで普通に紙の皿か何かに売っているので、ふぐ刺しとかフグチリ、そして鯨の刺身、ベーコンなどは食卓にのぼりました。福岡時代の子供の頃によく食べていた記憶があります。

もう一つ、子供の頃、外食もたまに(月に1回くらい)はしましたが、福岡の天神の大丸とか岩田屋に行った時、デパートのレストランで食事をするのも相当に贅沢な感じでした。小学生の私にとっては、「マカロニグラタン」は最高級の憧れの食事でした。しかし、レストランの入り口でその値段を見て、子供は食べては行けない値段の食べ物と考えていつも我慢していました。代わりに何を食べていたかはよく覚えていません。

日向市で公認会計士事務所を経営していた伯父(母の兄)が仕事で福岡に出てくると、たまに一家を食事に連れて行ってくれました。
「◯◯ちゃんは、何が食べたいね?」(日向弁)と問われ、私は
「ラーメン!」と答えていたそうです。

「こん子は、金のかからん子じゃね!」と伯父に言われた記憶があります。

もちろんラーメン(当然、とんこつの博多ラーメンたい!)は大好きでしたが、ラーメン以外にも、オムライスとかハヤシライスとかグラタンとか、食べたいものがない訳ではありませんでしたが、あさましく「◯◯が食べたい!」というのは恥ずかしく、遠慮していた、小学校低学年の私でした。

月給当時数万円(?)のサラリーマンの家族にとって、伯父が家族全員を食事に招待してくれるなんて(年に1、2回のことですが)千載一遇のチャンスでしょう。私の意見で、みんなで「長浜ラーメン」になっては仕方ないので、確か高級中華料理屋さんに行って、私はラーメンのようなタンメンか何かを食べ、皆でテーブルをぐるぐる回して楽しく食事した記憶があります。


と言う訳で、大人になった今の私の誕生日の食卓には、家内が「マカロニグラタン」を用意してくれるのです。子供の頃からの憧れの食事です。
さらに「鶏のモモ」をオーブンで焼くというのも大変なので、菜食主義者の故マイケル・ジャクソンでさえ大好きだったと言われる「ケンタッキー・フライド・チキン」も用意してくれました。食後には当然、「スイカ」です。

私の誕生日のディナーは昔を懐かしみながら(歳取ったもんだ)楽しく過ごしました。
ある程度予想していたサプライズですが、クリニックでの仕事を終え、脳ドックのレポート等を書き、20:30頃自宅に戻った私を迎えた家内の格好は「女給さん」でした。
Photo_3先日、家内が自分の書いているブログの関係で、着物好きな方々が集まり、写真を載せて喜んでいたのですが、安く購入した女給スタイルの白い前掛けが可愛かったので褒めたのでした。
(あまり顔が分からないように、写真は小さくしました)

〜〜〜〜〜

本日、土曜。
Photo_4近所の蕎麦屋「めだか」で「天もり」を頂きました。
ここの親父さんは、蕎麦屋の前は居酒屋をやっていたそうで、蕎麦も絶品ですが天ぷらも旨いです!
カボチャ、ホクホクで甘くて旨かった。

昼食を摂ったらそのまま中央高校に直行。音楽部の定期演奏会に賛助出演するので合同練習。
クリニックが終わったのが13:30を回っていて、片付けして昼食を摂ったら、すでに14:30。急いで駆けつけ16:00まで練習に参加。
本番はいよいよ7/21(月・海の日)なのであと10日しかありません。
明日の午後には、クーセヴィツキーのコントラバス協奏曲のソリストを務められる山響Cb奏者の柳澤さんとの合わせ練習です。

B市民オケの練習まで少し時間があるので、クリニックに戻ったら、山形新聞の夕刊が届いていました。
「え?!今日だったの?!」
掲載する日を教えます、という連絡は頂いていたのですが、その連絡が来る前に、新聞記事になっていました。先日、クリニックで山形新聞の記者から取材を受けたのですがどんな風に載るのか、楽しみなような恐いような気持ちでおりました。
まあ、写真も悪くないし、ちょっと「しょし」ですが、嬉しいです!

私の後ろの家内のチェンバロには
「行いは 人を 現す」
というラテン語と
「音楽は 喜びの友 悲しみの薬」
と書かれています。

いろいろ楽しく、驚いた、誕生日とその翌日、でした。

|

« 「納豆の日」 | トップページ | いただきもの »

コメント

お誕生日おめでとうございます
たまたまマミーが見つけてくれまして夕刊拝見いたしました。
なぜか納豆の日に納豆を食べる習慣が加わって数年
影響されてます。それにしても、スタッフの方々からの
納豆はどちらのでしょう?とっても気になります。

投稿: ボリジ | 2009.07.11 22:47

お誕生日、おめでとうございます。

納豆は食べそびれてしまいましたが、先生の食欲と音楽、診療への探求心に安堵しているしだいです。

いま、東北にいます。お蕎麦が美味しいです(涙)。

色気を忘れたいけず後家より((爆))

投稿: ふなゆすり | 2009.07.12 00:05

ボリジさん、早速見つけて頂きましたか。ありがとうございます。
「納豆の日」は、納豆が忌み嫌われてさえいる関西の納豆工業協同組合が納豆の消費拡大を目的に制定したものだそうです。
あの「高級納豆」は秋田の「二代目福治郎」というところのものです。ネットで簡単に見つかりますよ。本当に値段だけのことはあります。お試しあれ!

投稿: balaine | 2009.07.12 08:52

ふなゆすりさん、人間とは「欲深い」生き物ですが、悟りを開いて欲を抑制するのではなく、いつの間にか欲が低下(食欲低下、性欲低下など)していくと「うつ病」が心配です。
美味しいものを食べる欲というのは、考えてみれば可愛いものです。納豆には様々な栄養素があります。血栓溶解(血液サラサラ)効果とともに、相反する様な凝固因子を作るビタミンKも含まれています。
納豆ばかり食べても健康になれる訳ではありませんが、偏食傾向のある現代人には欠かせない食物だと思います。
まあ、、、「色気」も時に大切だと思いますよ。(^^

投稿: balaine | 2009.07.12 09:16

遅ればせながら・・・
お誕生日おめでとうございます♪
そして、「ご自由に倶楽部」正会員昇格、おめでとうございます(≧∇≦)

日常の食卓にフグ・・・
どこかで聞いたようなハナシ、、と思ったらワタシの母は北九州・戸畑出身(高等女学校卒までいたらしい・・戦時中デス)。
彼女の子供の頃の思い出話で、朝のお味噌汁の具はフグ、夕食にはフグの甘露煮だったとよく言っていました。

balaineさんとは年代が親子ほど違うけれど、フグは日常のお魚だったのですね。。。
いいなぁ~♪
(想像しただけで、おヨダが・・・^^;)

>「可愛かったので褒めたのでした」
>「音楽は 喜びの友 悲しみの薬」
心に染み入る言葉ですね。。。

投稿: ゼラニウム | 2009.07.13 01:39

ゼラニウムさん、ありがとうございます。
お母様、戸畑ですか!昭和37年、若戸大橋の開通時に車で通った覚えがあります。ベレー帽を被って後部座席に座った叔父と私が二人とも大人だと思われ、乗員オーバーの疑いでパトカーに停められたので、鮮明に覚えています。
子供にとって、ふぐの刺身なんかより、ハンバーグとかカレーの方が嬉しいですね。「え?!今日もフグ、、、」なんてリアクションだったと思います。

投稿: balaine | 2009.07.13 12:01

お誕生日おめでとうございます
おいしそうなグラタン♡
愛情いっぱいの"おうちごはん"が一番!

幼少の覚えから、我が家も誕生日には鶏のモモ焼き&ポテトマカロニサラダでした。
最近は何が食べたいか子供達に聞きます。
ちょうど10日の晩御飯は、コストコの鶏のモモ焼きでしたよ。

世田谷には「納豆工房 せんだい屋」という各地の納豆をおいた専門店があります。自販機もあるのです。

投稿: yonemama | 2009.07.13 15:33

yonemamaさん、コメントありがとうございます。
子供の頃の質素な、ある意味抑制された食事が今に影響しているのでしょうか。
柳川ですごく高級な鰻を食べたとか、博多で「しろうお」の踊り食いを食べたとか、小学生の頃の食の記憶が結構鮮明なのです。生まれつき食いしん坊なのでしょう。

投稿: balaine | 2009.07.13 19:59

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 誕生日の食事、そして+α:

« 「納豆の日」 | トップページ | いただきもの »