『病は気から』
この週末、横浜に暮らす父が一人で来酒した。
傘寿を迎えた両親は、それぞれ「二病」息災程度で、老老介護までは行かないまでも二人共二カ所以上の医療機関にかかっている。
昨年開院して間もなく、オペラ『ラ・ボエーム』で酒田に来た折りに、高血圧、脂質代謝異常、高尿酸血症などがあるのだから一度脳MRIを撮った方が良かろうと検査をした(実際、母親はH13年にくも膜下出血で倒れ開頭クリッピング術を受けているのだから頭の定期検査は必要)。
その際、父親の脳にもやはり多少の変化を認めていたのだが、いろいろな病気をして薬を飲んでいると、昔は健康だった自分に対する自信の喪失もあるのだろうか、不眠症になり、気が弱くなって来ている。昔は、会社の野球チームに所属してセンターを守り、ゴルフでホールインワンを出し、テニス仲間と試合をし、民謡の大会に出場し、「みなとみらい」で第九を歌い、芸達者で健康いきいきという父であったが齢80にもなるとやはり年齢相応の弱さに伴う軽度の老人性精神障害もあるのかもしれない。
そんなことだから調子が悪いと時々電話で相談して来るので、1年以上経ったし脳の検査も兼ねて酒田に行きたいという申し出があった。金曜の夜は私は山形出張だったが、上越新幹線で新潟経由でやって来ていた。土曜に検査をしたところ、昨年認めた以上に軽度の動脈硬化病変が進んでおり、脂質代謝異常の治療をかかりつけの医師に厳密にやってもらう必要を認めた。
固いものが噛みにくいし、昔のように量を食べられなくなっている。胃腸も弱っているようだ。
酒田には旨い物がたくさんあるのだが、寿司も岩ガキも、ましてやステーキ等も受け付けないようだ。麺類なら食べやすいだろうと、近所の「めだか」に連れて行く。
とろろ蕎麦は美味しそうに食べたが、やはり完食は出来なかった。
写真は家内の好み!「温玉めかぶぶっかけ蕎麦」。
昨年も確か同じような写真を出したが、これはトマトでもスモモでもない。
山形は今さくらんぼが最盛期。主力の「佐藤錦」はもうほぼ終わりであるが、まだまだいろいろ出ている。一般の「佐藤錦」よりもいつも数日から1週間程完熟が遅い、寒河江の知人のさくらんぼ。
甘くて、甘くて、甘い。(笑)
親類、知人に送るととても喜ばれる。
今年は昨年より1週間以上早かったのだが、先週始めには各地に発送した。
宮崎の親類からは、さくらんぼお返しに「宮崎マンゴー」が送られて来るのでこれもまた楽し。
食欲のない父は、山形のさくらんぼの中でも特に美味しい「佐藤錦」の中でもまた特に甘い、知人のNKさんの「佐藤錦」ですら食べる気が湧かないという。ちょっと心配である。
今年は、酒田生まれの写真家、土門拳の生誕百年ということで、土門拳記念館も賑やか。
今日は日本のあるカメラ会社主催のツアーか何かも行われていたようで、凄い人出だった。
その土門拳記念館の目の前に広がる池、「拳湖」の周囲には何千本という紫陽花が植えられており、この時期、いろいろな種類の紫陽花が見事な花(ガク)を競っている。美しい紫陽花を少し愛でて歩くも、すぐに「疲れた」という父。
この2枚の写真はほぼ連続しているのだが、拳湖の周りをグルッと案内しようと思ったが1/4程で引き返して来てしまった。土門拳記念館の向こう側に見える小さな山は「飯盛山」というのだが、その反対側の麓に「南洲神社」がある。
宮崎は延岡生まれの父にとって、南洲翁は比較的身近な存在。
鹿児島に留学中だった若き庄内藩士2名が西南の役が勃発して西郷軍に加わり、政府軍と戦い命を落とした。その一人榊原青年が息を引き取った延岡の陸軍病院なども身近な存在である。昨年久しぶりに母の実家のある日向の細島に帰った際に、伯父達の墓のある細島の墓地に、延岡の戦闘で命を落とした官軍兵士の墓がすぐ傍にあった。西南戦争は、現在の鹿児島だけではなく、有名な田原坂のある熊本をはじめ、宮崎でもたくさんの死闘があった。結果的に「天皇の軍隊」である政府軍に抗った西郷軍は「賊軍」とされ、西郷隆盛は明治維新立役者の重要人物の一人であるにもかかわらず、明治憲法発布に際する特赦があるまでは汚名を濯ぐことはできなかったのである。
庄内藩を救った西郷隆盛の遺訓を偲び讃え教えを後世に伝える目的で現在も勉強会が続けられている、「庄内南洲会」は酒田市飯盛山の南洲神社の脇にある。
宮崎出身の父は、南洲神社に詣る事を希望していたので、神社と隣の南洲会館にも連れて行った。西郷隆盛の揮毛による書など縁の品々を見る事ができる。
昔のような体力と気力のない父は、しかし、ここも短時間の見学で終わった。
大病をした母の方が食欲が旺盛で、食欲の低下している父は、気が弱くなってめげているようだ。
十分な睡眠を取る事が大切なのだが、私もいろいろ忙しいのであまり相談に乗ってあげることはできなかった。医師として、脳と頚部の動脈の動脈硬化について、かかりつけの医師にお願いの手紙を書いたくらいである。まあ、まだまだ元気でいてもらわなくては困るのだが。。。
父が帰った後は、招待券を頂いていた酒吹の定期演奏会へ。
ちょっと遅れてついたが第1部の1曲目が終わったばかりで、その後、バラエティに富むステージを堪能する事が出来た。
管弦楽と吹奏楽は同じ音楽をやっていて、使う楽器も重複するものが多いのに、その音楽性とか目指す方向は、全く違うとまでは言わないがかなり違うように感じる。なぜだろう。。。
自分も昔は吹奏楽をやっていたのだが、今は管弦楽が楽しく、吹奏楽をやろうという気はあまり起きない。今日のプログラムの中にも、素晴らしい曲がたくさんあり、吹奏楽は吹奏楽で挑戦する難しさや合奏を皆で成し遂げる楽しさがある。バイオリン奏者には、吹奏楽団という選択肢はハナからないわけだが、フルート吹きは、オケ、ブラスバンド、マーチング、ジャズ、現代音楽、ルネッサンスにバロックと幅広い音楽に対応できる。
自分は何がやりたいのだろう。
自分は何を目指しているのだろう。
自分の目指すところはどこなのだろう。。。
レベルの低い素人音楽家には考えても無駄な事かもしれないが。
・・・
自分で自分の事を限定したり、可能性を否定したり、枠を決めてしまうのは、とてもつまらない事だと思う。音楽の事だけではなく、自分の健康状態や気持ちの事でも、自ら枠を作ってしまったり、可能性を否定したりすると、その時点で「それ以上」はない。
病気の人は、辛い病と闘うという「マイナス面」があるために、なかなか明るく、快活に、前向きになれない。「病は気から」というが、確かにそういう側面はあると思う。「気」だけではどうしようもない事はたくさんあるのだが、「気」が大切であることは間違いない。
健康についても、音楽についても、「気」というものをもっと考えるきっかけになった週末だった。
〜〜〜
おまけ
酒田駅発の特急「いなほ」まで時間があったので、NKエージェントの前(今日も大勢の観光客で溢れ帰っていた)を車で通って港の側を通ったら海上自衛隊の船が停まっていた。自分は特に自衛隊や軍備、国防に強い興味も持ってはいないが、こういう建造物は単純に「男の子の血」が騒ぐところがある。疲れている父とスカートをはいている家内をテントで待たせ、艦内見物をさせて頂いた。
掃海艇「とびしま」は、主に機雷処理等を仕事としているが、船首にはこのような20mm機関砲が備え付けられている。私もちょっとだけ機関砲を操縦させて頂いた。
白い制服姿も凛々しい海上自衛隊員もにこやかに一般開放による広報任務(?)に当たっていた。
もっと詳しい情報は、「MSC-678・掃海艇とびしま」をご覧下さい。
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