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2009年5月

2009.05.31

土日のオケ練習とサロン・コンサートの告知

今日は朝から雨模様で天気が悪く肌寒く感じます。

所属する市民オケのインスペクターとして、この土日は弦と管にわかれてのトレーナー練習を計画し、管分奏に参加しました。トレーナーの先生(弦は山響コンミスのIさん、管は元山響オーボエ奏者のTさん)が来て下さっての分奏練習はやはりためになります。
休憩などを除いた実質の練習時間は、昨日土曜が1時間45分くらい、今日日曜が3時間35分くらいと、それほど多い訳ではありませんが、密度の濃い練習内容でどっぷり疲れました。

管分奏に関しては、やはり「和音」「和声」の事がいつも通り問題になります。また、pやppなど弱奏部分の弱点を多く指摘されました。
「そうそう、このオケって、pの部分が弱いオケだって思い出したよ!」「1度目はちょっときついけど、2回目はとても和音が良くなる。2回やると、素晴らしい!」
などと言われながらの練習。
ドボルザークの7番は、フルートトップは厳しいです。それだけにやりがいはたっぷりありますが、ppからfffまでダイナミクスの幅は広く、一番下のC(ド)から3オクターブ上のC(ド)まで音域も非常に広く、ゆったりで長い音もあれば32部音符もあるということで、オケのフルート奏者の持てる技術を総動員する感じの曲です。
美味しいソロの部分もありますが、大変緊張します。
2番フルートとの美しいハーモニーの部分や、オーボエとのデュエットもあり、両脇のその二人を良く聴きながら譜面と指揮者を見るのは当然として、後ろの列にクラやファゴットに耳を傾け、少し離れたホルンの動きをきちんと考えながら演奏します。
つまり「木管五重奏」そのものです。そして弦5部が入ればもちろん弦を良く聴いて、コンマスを見ながら演奏する事が要求されます。これが「オーケストラ」というものです。

今年の定期演奏会本番は10/25(日)。
それまで5ヶ月弱(21週)あるとは言っても途中にいろいろなイベントもあり、実質は15週くらいしか練習期間はありません。直前の指揮者練習、ソリストを入れた練習を除くと、自分たちで出来る連取はあと12週ほど。
今回取り組む曲が大変な曲(「ドボ7」とブラームスのVnコンツェルト)なので、もう1回はトレーナー練習による管・弦分奏をインスペクターとしては計画しています。短時間で密度の濃い練習をして実力を上げいい演奏に結びつけるためにはとても有用だと思います。


そんなことで、大変疲れて今ボ〜っとしています。
6/13(土)のサロン・コンサート第5回&フルート講習会、翌日6/14(日)のフルート個人レッスンまであと2週間を切ってしまいました。
5ようやくチラシもできました。
地元吹奏楽団は6月に定期演奏会があり、またコンクールも近づいているそうですし、中高の吹奏楽団にしても吹奏楽コンクール地区大会が6月中にあるらしく、彼らの参加はあまり期待できないかも知れません。
一般のフルート吹き、吹奏楽団のイベントで忙しくない方に期待します。

上坂先生が作られた、「第2回フルートを楽しもう! in 酒田」(兼サロン・コンサート第5回)のサイトをまたご紹介します。
コチラ→「フルート・クライス フルートを楽しもう! in 酒田 Vol.2」をご覧下さい。プログラムや楽器の無料診断調整会のこと、続いて行う「フルートQ&A」などの詳しい内容や、参加申し込み要項(特に楽器診断調整は「対面」で行うため予約が必要です!)、「Q&A」で聞きたい事、直に教えてもらいたい点、演奏上の悩みなどを事前に上坂先生に伝えて準備をして頂く申し込みや翌日の個人レッスン申し込みなどの詳細な要項がありますので、是非じっくりとご覧下さい!

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2009.05.30

残念なこと

大学の同級生が亡くなりました。
AS君は、字は違うけれど私と同じファーストネームで、昭和53年の大学入学時からその優秀さは同級生の中でも群を抜き注目されるような人でした。当時は「教駒」と呼ばれた、現筑波大学教育学部附属高校の出身。東大などにたくさんの合格者を出す、超一流の進学校卒。

我々の学年は、共通一次(今のセンター試験の様なもの)の前の最後の世代で、山形大学医学部は当時「二期校」と呼ばれていました。彼は確か東大理3に残念ながら落ちて、いわゆる「都落ち」で山形に来たのです。我々の学年は、皆、どこかの「一期校」受験に失敗して山形大学医学部に「流れて来た」感じの人ばかりでした。
まだ教養部(当時は6年間の一貫教育ではなく、2年間は教養部、4年間は医学部とはっきり分かれていました)の1年の夏に、山形市の当時のあまりの田舎ぶりに愛想を尽かして、折角医学部に入ったのに辞めて行った同級生もいました。翌年、東京周辺の私立大学医学部に合格しそちらに移ってしまったようです。
私も仙台の予備校ではそれなりに優秀な成績で(高校時代はテニスと遊びばかりで勉強していなかったつけですが)、仙台の大学の医学部には当然合格すると周囲からは思われていたのですが、本番に弱いのか、実力がなかったのか、多分その両方でしょうが、浪人して必死に勉強したのに結局受験に「失敗」して、当時の気持ちとしては「仕方なく」山形大学医学部に入学しました。

当時の山形市は、笹谷トンネルもなく、もちろん山形自動車道もなく、仙台からは車では関山峠を超えて天童から入って来るしかなく、電車は仙山線でした。仙台ー山形市間は片道2時間以上かかったと思います。大学でもテニス部に入って、練習が終わって友達と山形市一の繁華街であるはずの七日街に繰り出すと、ほとんどの店がシャッターを下ろして閉まっていたのに愕然とした事を思い出します。
東京から「都落ち」して来た都会のお坊ちゃん達には、仙台から来た私よりも、更に強烈に「田舎」を感じた事でしょう。

しかし、逆に変な誘惑や危険な世界に近づく事もなく、当時、遊びと言えば、仲間の家に集まって麻雀をするか、ちょうど流行り始めた「インベーダーゲーム」などをしに「喫茶店」に行くくらいでした。
AS君は、私とは違う「軟式庭球部」でしたが、いつも隣りのコートで頑張って練習していました。
真面目な性格ながらひょうきんなところもあって、皆に愛され信頼されていました。
その優秀さと人柄から学年でもリーダー格の一人で、国家試験対策委員をやったり、勉強でもテニスでも同級生や後輩を引っ張って行く頑張り屋さんでした。

昭和59年に目出度く医学部を卒業し、国家試験に合格。
私は地元山形大学医学部の脳外科に入局しましたが、結構多くの同級生が自分の地元に戻りました。
我々、最後の「二期校」世代は山形県外出身者がほとんどで、鮮烈に覚えているのは教養部の何かの授業で先生が「この中で、関東出身の者、手を上げろ」と言ったら、同級生の8割が手を上げました。その先生は驚嘆したように「へぇ〜、それじゃあ、東京出身の者は?」と言ったら、6割が手を上げました。それくらい、当時の医学部は他県の出身者ばかりであり、高校別の入学者数で言えば、私の母校の仙台一高が6人と最も多く、その次が神奈川県の湘南高校の4人という具合で、山形県一の進学校である山形東高校からは現役〜浪人合わせて確か3人しか入っていませんでした。庄内地方の進学校である、酒田東高校や鶴岡南高校からは一人もいなかった状態でした。

そのように他県出身ばかりの医学部でしたが、5〜6割くらいが山形に残りました。
AS君は、より高い理想を追求すべく、慶応大学の内科の中で血液・感染症・リウマチ関係の研究室に入り、内科医として、そして研究者としての輝かしい道を歩き始めました。たしか、故夏目雅子さんの主治医グループの一人でもあったはずです。

慶応大学の内科医と山形大学の脳外科医ではそれほどの接点はなく、年賀状くらいが交流という状態になってはいましたが、今どこで何をしているかぐらいはお互いに知っている状態でした。
平成4年〜6年、私が米国ペンシルバニア州ピッツバーグ市のピッツバーグ大学に留学していた丁度同じ時期、彼はジョージア州オーガスタにある研究所に留学して頑張っていました。平成5年のマスターズの前に彼の所在を知った私は連絡を取り、マスターズの水曜日(練習日&パ−3コンテスト)に合わせて彼を尋ね、アパートに泊めてもらいました。彼は当時はまだ独身で、研究に燃えていました。久しぶりの再会を祝し、卒業以来のお互いの近況や積もる話をしました。

その後、帰国したAS君は慶応大学で更に内科医と膠原病関連の研究に邁進し着実に研究者としての階段を上って行きました。平成18年からは、同門の慶応大学出身者が教授を務める東海大学医学部の内科学血液・リウマチ学教室の准教授として活躍していました。

優秀で人柄も良く研究者として前途洋々、結婚が遅かったのでまだお子さんも小さいAS君。
残念無念だと思います。
私が管理運営している同級生のメーリングリストに昨日訃報が届き、何人もの同級生が弔意を表するメールを寄せています。その多くが、「彼みたいに優秀な人が倒れ自分はのうのうと生きている」、「研究に一生懸命打ち込んでいた彼が早死にして、ぼんやりぐうたらな自分が生きている」ことの無情さを憂い、彼の無念に想いを馳せています。

冷静に考えてみれば、自分も病死してもおかしくない年になっている訳です。彼の死はあまりにも早すぎ残念でなりませんが、これまでに多くの業績を残しご家族を愛して生きて来たAS君を大きく讃えたいと思います。残されたご家族の悲しみを思うと胸が詰まります。
ご冥福をお祈りしご家族の皆様に哀悼の意を表します。

AS君、残念だ!
いろいろとありがとう。。。



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2009.05.28

サロン・コンサート第5回〜第一報

うかうかしていたら、すでに5月28日。5月が終わっちゃいますね。

ジョンダーノ・ホールでの『サロン・コンサート』第5回を6月13日(あと2週間だ!)に開催するのでここで告知します。(チラシができたら第2報を載せます)

上坂先生がフルート・クライスのサイト内に今回のイベントの案内ページを作られました。
こちら→「フルート・クライス フルートを楽しもう! in 酒田 Vol.2」をご覧ください。
また、各種申込(Q&A、無料楽器診断調整、翌日のプライベートレッスン)も上記からどうぞ!!!

〜〜〜〜〜
サロン・コンサート第5回
『フルートを楽しもう! in 酒田 Vol.2』
フルート・クライス 上坂 学

日時:平成21年6月13日(日)、開場15:30、第1部開演16:00(コンサートは1時間強、全部終了は20:00頃)
場所:酒田市富士見町3丁目2−3 くろき脳神経クリニック内「ジョンダーノ・ホール」

<第1部:プロムナード・コンサート>(16:00~17:15)
・モーツァルト:ソナタ B-dur KV.10(チェンバロ伴奏)
・J.S.バッハ:トリオソナタ ニ短調 BWV1036(Fl二重奏+チェンバロ)
 (休憩の予定)
・ゴーベール:ロマンス(以下、ピアノ伴奏)
・エルガー:愛の挨拶
・サン=サーンス:白鳥
・カリヴォダ:サロンの小品
 (アンコール、ピアノ伴奏で2曲ほど予定)

<休憩とフルート試奏>(17:15~17:45)
ムラマツ・フルート試奏会(総銀製、14金、18金製など5〜6本を自由に吹いて頂けます)
楽器無料診断調整会(ムラマツフルート修理室長伊藤氏(酒田市出身)による楽器調整会、一人一人対面で行いますので、第1部開始前から第2部終了まで平行して待合室で行います)

<第2部:フルートを楽しもう!講習会とQ&A>(17:45~19:30)
「驚くくらい楽に音が出せて、おまけに音程も良くなる当て方とアンブシュア」
「普段の練習方法や取り組んでいる楽曲の問題点、悩みなどのQ&A」
「楽器の吹き比べ(同じ曲を各種楽器で吹いてその音色などをみんなで聴き比べます)

「フルート個人レッスン」(予約制、先着順)(小生か上坂氏に予約申し込みをお願いします)
6月14日(日)「ジョンダーノ・ホール」
(時間未定;およそ午前10時〜13時、14時〜16時、申込人数によって変わります)

〜〜〜〜〜

 「フルートを楽しもう!」シリーズは、東京と大阪ではあわせて20回近くを数えて定着し、東京では大好評のため最近では年に2回(第8回「フルートを楽しもう!」in 東京参照)も行っています。
 小生が、H16年でしたか、東京で行われた「フルートを楽しもう!」に初めて参加して、その演奏理論や指導手法に「目から鱗」の思いで感銘を受け、これをいつか東北でも、山形でも、、、と思っていたのを、ようやく昨年6月に「サロン・コンサート第2回」として実現にこぎ着けたものです。
 その時に、「またやって欲しい」「次はいつですか?」「年に2回くらい開催して欲しい」というアンケートでの希望を頂いていました。多忙な上坂氏と小生側のスケジュール調整の結果、結局今年も同じ6月にということで、「第2回」(Vol.2)が実現することになりました。
今後、最低年に1回、毎年地道に続けて行きたいと思っています。
「酒田で面白い事やっているらしい、、、」という噂で人が集まるようになれば嬉しいですが,現状では知人などにいろいろお知らせしてようやく人が集まるくらい(なにせ庄内地方で人口35万人ですから、フルート人口も知れています)。

昨年の「酒田場所」の様子は、こちら↓。
「フルート・クライス コンサートとQ&A in 酒田 Vol.1」をご覧ください。

今週末開かれる「金沢場所」(こちらは3回目)のプログラムはこちら↓。
第3回「フルートを楽しもう!」in 金沢をご覧ください。

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2009.05.27

土日の出張〜楽しかった日曜(その2)

5/24(日)、薮蕎麦でお昼を頂いてからの続きです。
本日のメインは、小石川のトッパンホールでの「前田りり子リサイタル」でした。
『ヴェルサイユのフルート音楽』という副題が付いており、ルイ14世の活躍した時代、つまり「17世紀」の音楽が中心でした。

Img_7341ご本人のHP前田りり子公式ホームページ「りりこの部屋」に、今回のコンサート(札幌から福岡まで全国ツアー)の総まとめが書かれております。(写真はそこから頂きました、福岡のコンサート風景)

Photo_6トッパンホールはこじんまりとした、室内楽向きの響きの穏やかないいホールでした。
梅岡楽器のチェンバロでしょうか。美しい。家内は、昨年酒田で曽根麻矢子さんが弾いたのと同じじゃないか?と言っていました。私のブログ記事(山響酒田定期第8回演奏会を聴く」)の写真を見るとやはり同じもののようです。
ビオラ・ダ・ガンバは見た感じ新しそう。

プログラムは、りり子さんのホームページ(上記)に掲載されています。
「J.M.オトテール フルート組曲集」CD発売記念コンサートでもあり、オトテールが3曲、クープランが2曲、A.ドルネル、そしてJ.モレルが各1曲でした。
アンコールは、ちょっと記憶が怪しいです。1曲目は確かオトテールの
2)クープランの「王宮のコンセール」の3番のエコーだったかな?でした。

Photo_7りり子さんの演奏は生では初めてでした。
バロック時代のフラウト・トラベルソは右の小指で押さえるキーが1個だけ付いていて、後はリコーダーの様に笛に空いた穴を指で直接押さえるものです。音量は小さく、音程も不安定になりやすく、速いパッセージは凄い技巧が必要です。モーツァルトがフルートをあまり好まなかったと言い伝えられているのは、この時代の笛が不安定で調子の狂いやすいもの(気温や湿度ですぐに狂う)だったからでしょう。
しかし、現代フルートと違って、素朴で穏やかで優しいその音色はとても魅力的です。りり子さんの笛は、チェンバロとビオラ・ダ・ガンバという、その当時のやはり音量の大きくない楽器と溶け合い、3つの楽器で演奏されているのではなくまるで1つの楽器で演奏されている様な、まさ「アンサンブル」の極地とも言える演奏でした。技巧や音色が素晴らしいのはもちろんですが、音楽が生き生きとしていて、聞いていて自然に笑顔になる様な音楽でした。プログラムが「長調」の曲中心だったこともあるでしょうが、大変楽しく癒される演奏会でした。
写真は、終演後のサイン会風景。
隠れて見えませんが、チェンバロのロベール・コーネン氏(というより教授の方がふさわしい感じ)ともお話が出来ました。家内がチェンバロをやっていると言ったら、にこやかにツーショットの写真を撮らせてくださいました。
Iccyu3リリ子さんもコーネン氏も「18世紀オケ」や「バッハ・コレギウム・ジャパン」に深く関わっているので、「バイオリンの若松夏美さんをご存知ですか?」と聞いたら、「当然!」というお答え。BCJのコンミスなのですから当然です。
この写真、前にも出しました。笛を持つのが私、真ん中で鞄を提げているのがジャズピアニスト岩崎佳子さん、その後ろでちらっと顔を出しているのが若松夏美さんです。

Ririkorecital会場ではCDの販売とサイン会をやっていて、当然プログラムにお三人の、CDには演奏に参加しているりり子さんとProf. Kohnenのサインを頂きました。
さらに、以前から読みたいと思っていた「フルートの肖像 その歴史的変遷」も購入しサインを頂きました。すでにCDも聴き、本も読み進めていますが、どちらもとても奥が深くこれから極めたいと思います。


楽しく幸せな時間をトッパンホールで過ごし、羽田に行くまでまだ3時間近くあるので、ちょっと覗いてみたいと思っていた銀座の「月光荘」に行く事に。
Photo与謝野晶子が名付け親という、1917年(大正6年)の老舗。
知らないと分かりにくい場所ですが、知っていれば簡単(当たり前か)。地図は「これ」がわかりやすい。
なんか、とっても魅惑的な、初めて行くとちょっと腰が引ける感じですが、店員さんが若くて親しみやすく、優しくいろいろ教えてくれるので身構えずにまた行ってみたいと思います。今回は「ちびショルダー」といくつかの画材をゲット。何か描きたい気持ちが起きたら使ってみたいと思います。

Photo_8有楽町線の銀座一丁目で降りてしまい、一丁目から八丁目まで「月光荘」を探して歩いてちょっと疲れたので、先日行った資生堂パーラーからちょっと行ったところの中央通りにある銀座の「立田野」へ。
明治28年、相撲取りだった創業者がその四股名「立田野」をそのまま店の名にしたのですが、これまでに1、2回寄った事があります。銀座という土地柄、けっしてお安くはないのですが、店構え、店員の雰囲気、そして甘味のお味、どれをとっても「やっぱり銀座」という印象があります。
家内は奥の「クリームあんみつ」、私は手前の「抹茶クリームあんみつ」を頂き疲れを取りました。

「立田野」の2階でお茶を頂きながら、真向かいにある「H&M」の混雑振りや歩行者天国を歩く人たちを眺めると話に眺め、しばらく休憩していましたが、そろそろ羽田に向かうことも考えなければなりません。早めに羽田に行ってそこで食事をするか、銀座で軽く食べて羽田に向かうか、、、。
今、甘味を食べたばかりですのでそんなにお腹は空いていませんが、有楽町線から降りて「月光荘」に向かう途中で目にしていたお店が気になりそこへ向かう事にしました。
Photo_9銀座のグリル「スイス」です。
ご存知「カツカレー発祥の店」と言われています。昔から名前は知っていましたが、今回偶然店の前を通りかかって場所が分かったので初めて伺いました。
昭和の雰囲気を色濃く残す、こじんまりとしたお店です。
グリス「スイス」のカレーはこんな味だ!という特徴のあるカレー。おそらくタマネギをじっくり炒めてそこにひき肉(合挽き?)も入っています。それを更に炒めてルーに合わせてあるせいか、やや焦げた味がします。それも特徴でしょう。とんかつは普通の脂身の少なめなロースカツ。インターネットで旨い物を食べ歩き、個人的に勝手な評価を付けて喜んでいる人の中には(私自身も少々反省するところはありますが)、「たいした味ではない」とか「わざわざ行く店ではない」とか「カレーは美味しくない」という辛口の評価をしている人たちがいます。味覚というのはあくまで個人の好みの問題なのでどう評価しようが勝手かも知れません。しかし、本当にわざわざ行く店ではないのでしょうか。

ご飯とカツレツとカレー。みんな好きですよね。
どういったらいいでしょう。ミシュランの星3つにはならないでしょう。わざわざこれを食べるためだけイに庄内から出かけようとは思わない。それなら平田牧場の「とんや」の三元豚のカツカレーの方がいいかもしれない。
しかし、グリス「スイス」は、その店構え、長年刻んできた雰囲気そのものが「味」だと思います。昭和22年創業ということ、レジにどっしり座って優しく応対して下さる女性(推定75~85才)がオーナー夫人で厨房に御主人がいらっしゃるのだと思います。お店は62年の歴史があるのですから、創業時に20才としても現在82才前後なのでしょうか。

(タクシーチケットを持っていたので)「羽田までタクシーで行きたいのですが、車を呼んで頂けないでしょうか?」とお願いしたところ、丁寧に応対して頂きタクシー会社にお電話して下さり、タクシーが着いたら運転手さんに「今、食べてらっしゃるから、もうちょっと待ってて下さいね」と優しく声をかけ、我々には「ゆっくり食事して下さいって運転手さんが言ってましたから」とこれまた優しく声をかけて下さいました。
食事を終え食事代を払って礼を言って店を出ると、店の前まで出てきて、待っていたタクシーの運転手さんに礼を言い、「山形の酒田から来ました」と簡単に自己紹介していた我々を見送るためにタクシーが走り出すまでお店の外に出ておられました。お見受けしたところ、高齢ですし、腰椎症で腰が悪く足もあまり自由が効く方ではない様子なのに、レジの席を立って外に出て見送って下さる姿を見て、この奥さん(?)がいるだけでこの店は一流だなと思いました。
店の雰囲気も今様に言えば「レトロ」「昭和風」で素敵ですし味があります。そして何よりもこの奥さんの応対によって、私の食べた「元祖カツカレー」は実際の味の3倍も4倍も美味しく印象に残りました。また機会があれば伺いたい店だと思います。

ということで、5/23,24の土日の出張+α(アルファの方が圧倒的に多いけれど)のレポートを終わります。

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2009.05.26

土日の出張〜楽しかった日曜(その1)

Photo_3品川のホテルの部屋から。昨日(5/23)食べなかった渋谷の宮内庁御用達「青山御膳」の高級なお弁当と品川駅と東京タワー。(笑)

朝の目覚めは爽やか。最近、日曜の朝は普段より早く目が覚めます。月〜土と仕事のある毎日の中で、唯一、「遊び」に費やす事の出来る休日。勿体なくて朝寝が出来ません。(^^;;;
と言いながらも折角のホテル泊なので、のんびり部屋で過ごし「題名の無い音楽会」を見てからビュッフェ・スタイルの朝食へ。さっきお弁当を二人で食べたので、小食にしておきます。

庄内に帰るのは20:15羽田発なので、19時過ぎまで10時間程遊べる訳です。
チェックアウトしてまずは上野へ。
国立西洋美術館の「ルーブル美術展」を目指します。
雨が降っているのに、凄い人の数。上野駅の改札を出ると目の前に東京文化会館。小学校6年生のbalaine君はここの大ホールでピアノ独奏をしたことがあります。K音楽教室主催の子供音楽コンクール「ピアノ部門」の全国大会に出場したのでした。以前にも書きましたが、その時の録音はSPレコードになって手元にあります(恥ずかしい演奏で聴けませんけど)。

傘を差しながら人にぶつからないように歩いて美術館へ。
予想よりは並んでいる人が少ないように思ったのですが、「50分待ち」という表示が!
でも、思ったよりは順調に進んで40分くらいで館内へ。でも館内もまだ行列があって、結局50分弱で展示室へ向かえました。
今回は、「ルーブル美術館展 17世紀ヨーロッパ絵画」が6/14まで開かれています。有名な絵がたくさん来ているだけではなく、その「17世紀」というのにも惹かれます。今日(5/24)の午後にも「17世紀」に会う予定だからです。
Pict3(絵の写真はすべて、国立西洋美術館のHPから)「リュートを持つ道化師」。
「どうしてこんな楽しそうな顔が描けるんだろうね」といいながら観ているご婦人がいました。本当にそう思います。

Pict5Pict8Pict12このような有名な絵画を一同に観る事ができるのですから、雨の中50分待つくらいはなんでもありません。ただ、館内も当然大勢の人でなかなか近づいてつぶさに観る事は難しく、人並みを押しのけてみるのも気が引ける上、疲れるのでおよそ離れてみていました。つよく惹かれた絵だけは近づいてみましたが。
左から「レースを編む女」、「王女マルガリータの肖像」、「大工ヨセフ」。
「大工ヨゼフ」の絵では、蝋燭の火を風から守ろうとしている少年イエスの小さな手に灯りが透けて血が通っている生きている人間であることが強調されているようです。光と影、明るさと闇がイエスのこれからの生涯を暗示しているようです。
素晴らしい絵達に心が穏やかになりました。

「ルーブル美術館展」を見終わって12:30少し前。外はまだ小雨状態。
今回の予定の中で最も楽しみにしているのは、13:30開場、14:00開演の小石川トッパンホールでの「前田りり子リサイタル」。これが「午後にも会う17世紀」。
まだ1時間あるので寄る余裕はあるだろうと考え、上野と小石川の中間の神田薮蕎麦を目指します。

上野の次、秋葉原で降りて徒歩ですぐのはず。実は蕎麦好きにもかかわらず、かの有名な神田薮蕎麦はお初。私の従兄弟のブログにはよく登場するので気にはなっていたのです。(従兄弟のブログの記事は「こちら」です)
Photo_4神田の薮蕎麦。HPは「かんだやぶそば」を参照。
店構え、佇まいが老舗の風格。
ちょっと腰が引ける感じになります。日曜だからなのか、雨だからなのか、いつもこの程度なのか、12:45頃でしたが、並んでもおらず直ぐ席に着けました。
Seirousoba左が私の注文した「せいろう」(二枚)、下が家内の注文した季節の「じゅんさい蕎麦」。
明治13年創業で「百余年変わることのない味と技」と誇らしげにHPにも書かれています。
山形で蕎麦の味を覚えた田舎者にはちょっと違和感のあるお蕎麦であった事は白状しなければなりません。「これが江戸風ってやつかい?」「蕎麦そのものの味が違うようだが」と思いました。
Photo_5HPによると、「創業者七兵衛が夏場のヒネの時期にそばもやしの青汁を打ち込んで清涼感と新蕎麦の青みを出そうと工夫した」と書かれています。確かに青みがかっているのですが、山形の内陸(大石田や尾花沢周辺)で新蕎麦の季節に4たて(摘みたて、挽きたて、打ちたて、茹でたて)の本物の新蕎麦を食べた事のある者にとってはちょっと違和感があるのです。山形で食べる新そばは、一番粉の場合、やや緑色がかった淡い灰色でキラキラ光ります。二番粉では黒いつぶつぶが見えます。
ダッタン蕎麦になるともっと茶色くて少しモソモソします。
山形にも「更級」を出すお店が何軒かありますが、「これはソーメン?」と思うくらい真っ白に近いですね。蕎麦粉100%でつなぎを使わず細い蕎麦を打つ名人の店もありますが、やはり淡い緑がかった灰色です。
「薮蕎麦」の蕎麦は、つなぎと添加物で喉越しよく新蕎麦「風」を演出しようと言うお蕎麦なのでしょう。これが「薮」風なのでしょう。「神田」の「薮」に行った、という名所旧跡を訪ねるような物見遊山的な話としては受け入れられますが、真の蕎麦好きが好んで「薮」に行くのかどうかは、、、
食べ物の好みは個人の「趣味」「好き嫌い」の問題ですからね。
インターネットでちょっと調べると、世に蕎麦好きは多しといえ、こんなに情報が氾濫しているとは。しかし、山形の、特に村山〜大石田辺り、蕎麦街道の蕎麦を喰わずして蕎麦を語っている人のなんと多いことか。名前だけは超一流の「信州蕎麦」とか、知名度の高い「盛岡わんこ蕎麦」とか、山形のおいしい蕎麦を食べてから語ってくれ、という感じのところもありますから。

蕎麦文化不毛地帯であった「米所」庄内で、最近はいい蕎麦屋が酒田市内や周辺にも何軒かあります。
4立てとまで行かなくても、3立てくらいのいい蕎麦を味わえます。そういうお蕎麦は、汁なんか付けなくても旨い。水だけで啜れます。ちょいとお塩なんか付けた日にゃあなた、「蕎麦ってこんなに旨いのかえ?」と歌舞伎町に、もとい歌舞伎調に喋ってしまいそうです。

「薮蕎麦」で感心したのは、ほとんどが年配の店員のてきぱきした江戸っ子な雰囲気と、お会計のところに座っている店主とおかみさんとおぼしき人たちの立ち居振る舞い。全て客の注文は席の番号とともに注文内容の書かれた紙がそこに届けられ、おかみさんが美しい声で、「3番〜さん〜〜〜、せいろう〜2枚〜〜〜」と、まるでグレゴリオ聖歌でも聴いていると勘違いするような節回しを付けて厨房に注文を言いつけているのです。本当に美しい、澄んだ歌声で、家内と私は蕎麦を啜るよりもその声にうっとりして目を見合わせてしまいました。
100年を超える伝統と培われた素敵な雰囲気のお店で、有り難くせいろう2枚、量が少ないのでペロッと頂きましたが1,400円。この値段出せば、山形では名人の旨い蕎麦の大盛りが喰えますね。
薮蕎麦の周りには見上げるような高層ビルが建っていたりして、昔の雰囲気を残す「ふぐ料理屋」や「割烹」なども残りながら、だんだんと都会の無機質な雰囲気に飲み込まれつつあるような悲しさも感じました。

神田薮蕎麦を後にして、つづいて向かったのはJR水道橋駅。そこからてくてく歩く事約15分(思ったより遠かった!)、「トッパンホール」が今回のメイン。
ここで開催された「前田りり子リサイタル」の事は、蕎麦の話でつい熱くなり長くなったので翌日に続く。

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2009.05.25

土日の出張〜土曜日の記録

5/23(土)は、今月2回目の東京出張。
午後1時まで診療時間であるが、12時半過ぎの時点で新患も予約の再来患者も途切れたので診療を終了して庄内空港へ。午後1時過ぎに到着したがなんと駐車場が満車で本当にどこにも停める場所が無い。
家内に一足先に空港ビル内3階の「平田牧場庄内空港店」へ行って昼食の注文をしておいてもらう。

Photo13:05着の羽田からの便から降りてきた人が車を出し始めようやく駐車できました。すでに午後1時15分すぎ。乗るのは午後1時45分発。ちょっとあせります。
今日はこれ!と決めておいた「カツ玉丼」。
テレビ番組「東京Vシュラン」で絶品のかつ丼として紹介されていたこともあり期待していました。「平田牧場」は、本店のある酒田市みずほ町の直ぐ近くにある「みずほガーデンパレス」1階に「とんや」があり、昔から時々行っています。三元豚も桃園豚も「特厚ロースカツ」は特に旨い!
しかし、この「かつ玉丼」はちょっと期待を裏切られた感じ。ご飯の上にロースカツが乗り、その上にふわふわトロトロという呼び文句の卵がのっかり、だし汁がかけられたものです。なんとなく全体的にあっさりしていて主張が乏しく、「若い女性に好まれるかつ丼なのかな〜」という印象。けっして美味しくない訳ではありませんがこれに1,300円払うなら普通の豚カツの定食を食べた方がいい。どうしてこれがテレビで「丼物」の第1位になったのか、理解に苦しむ感じ。

羽田についてまず品川へ。ここで医学系の研究会が行われたのです。
宿泊は久しぶりの品川プリンス。学会場は品川プリンスのアネックスタワー。
「新型インフル」騒ぎでもっとマスクしている人が多いかと思いましたがそれほどでもなかったですね。ざっと見渡しても100人に一人しているかどうか。学会場の入り口でも手指消毒液が置かれ、無料のマスクが配られていました。私も一枚もらいましたがしないでポケットへ。
18:00を過ぎ、2番目の講演が終わって質疑応答の段階で私は会場を後にしました。

品川区民会館「きゅりあん」で品川区民管弦楽団による「春のコンサート」がありそちらに向かいました。18:30開演のぎりぎり3分前くらいに到着。先に出かけていた家内はネット上で知り合いになったアマチュアフルート奏者Tさんと座席に座っておりました。この品川区民管弦楽団のフルート奏者Zさんも家内のネット上でのお友達。私はネット上の「架空の世界」から「現実の世界」でその方たちにお会いするのも楽しみでした。
会場では、フルート・クライスのメンバーH氏に3年振り(G.ショッカーの四谷でのリサイタル)くらいにお会いしたりして驚き。でも、ここは東京ですからね。いろいろなところでいろいろな人に会う可能性はあります。

終演後、バックステージを訪ねてご対面。
Photo_2写真取りましたがご本人たちの許可を得ていないので掲載しません。
その後、私は家内とHN「とにゃまま」さんの3人で品川へ。そこで飲めや歌えやの大宴会ではなく、イタリアンでワインなどぞ飲みながらささやかに懇親。午後11時にはホテルに戻りました。

5/24(日)はいろいろと予定があり、楽しい東京出張となりました。
上野で「ルーブル」、 小石川で「前田りり子リサイタル」、その合間に神田と銀座を楽しみました。
続きは明日。

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2009.05.22

酒田まつり創始400年本年祭です〜その3

例年の「酒田まつり」は、5月20日の日中で終了です。
今年は記念の年という事で,「夜祭り」で閉会という趣向。その目玉は、あの20mの高さと言われる立て山鉾の巡行です。

Photo昔の「山王祭り」では「雲を突く様な」と表現される巨大な立て山鉾が街を練り歩き、その姿は酒田湊に停泊する船からも見えたとの事。近代になり街中には電線が張り巡らされたこともあり、立て山鉾を動かす訳には行かなくなりました。
Photo_3ということで、明治39年(西暦1906年)に姿を消して以来、103年ぶりの復活ということでした。昨年は酒田市役所に据え付け飾られただけで動きませんでしたが、これですら102年ぶりの復活でした。そして今年はついに「山が動いた」訳です。

Photo_4市民の寄付金、市からの補助など合わせて1,100万円かかったのだそうです。
清水屋前の道路を50m程動いただけでしたが感動しました。

山が動いたのは、夜も8時半を回っていました。
予定では午後8時過ぎと言う事でしたが、安全に確実に動かすためにいろいろあったのでしょう。
夜祭り自体は、午後6時から始まりました。
折角の機会なので、6時少し前には清水駐車場に車を入れ、清水屋正面玄関前に到着。すでに大勢の市民、観光客が臨時に設置された椅子(ビールケースなどに板を渡したような簡素なものが歩道に3〜4列)に座って陣取り、我々は立ち見に2〜3列目。人の頭の間からなんとかイベントを見ると言う感じ。背の低いおばあちゃんが「なんにも見えね〜」と横で嘆いていました。

Photo_5イベントを盛り上げるための、踊り(鶴岡のよさこいソーラン同好会?や山形市のファイヤーダンスグループなど)があり、写真のように東北公益大学の学生サークルによる「よさこいソーラン」のパファーマンスも披露されました。この学生たちの踊りは大変良かった。エネルギッシュで若々しさに満ちあふれ、上手な人から初心者(新1年生)までレベルにデコボコはあるものの、とても惹き込まれるダンスでした。終わった後、「アンコール!」の声が観客からかかっていたのもうなづけます。

内陸の村山市からも、村山徳内囃子のご一行がわざわざ参加されて、見事な踊りを披露し、8月の徳内祭りの宣伝をして行かれました。踊りの一番後方で巨大な旗を振っているお兄さんの力強さに感動しました。

Photo_6酒田の隣町、庄内町からは「飛龍」による龍の舞い。大きいのでなかなかに迫力がありました。龍の頭に乗ったお兄さんがあめ玉などを放り投げ、観客は競って取っていましたが、家内も一個ゲット!

そうこうしているうちに、陽も暮れてきました。
Photo_7「山」の前を飾る最後は、「日吉丸」と「八波会」の神輿。
今年も会と同じ芸名を持つ「八波一起」さんが参加され、神輿の先頭で提灯を振って元気に活躍されていました。八波さんのブログに、20年前、「八波会」から「酒田まつり」に参加して欲しいと連絡があり、意気に感じてギャラなしで参加したという事が書かれています。
こちら→「八波一起のたっしゃでワイド!!」をご覧ください。

上の写真で、ひとつ問題があります。
中央に白っぽい帽子をかぶったご夫人の一つ前に座る、濃いグレーのつなぎのような服を来た男性です。分かりにくいかも知れませんが、タバコを吸っています!この人混みの中でタバコを悠然とくゆらせているのです。手荷物を自分の横に置いて、一人分の席も潰しています。
どこにでもこういう非常識な人は居るものですが、目の前には子供も座っているし大変危険。
「飛龍」からあめ玉などが投げられた時も、徳内囃子からお札のようなものが投げられた時も、この男性は煙草を吸いながらも周囲の人と争って取り合いをしていました。右手に火のついたタバコをもったままです。隣の男性に注意されても素知らぬ顔でタバコをくゆらせ、周りに紫煙をまき散らしていました。
主催者には、来年以降、祭りの最中の歩きタバコ、観客席や見物中のタバコは「禁止」して頂きたいと思います。

Photo_8前座的パフォーマンスや山車、神輿が終わって、ついに山が動く時が来ました。
予定では午後8時過ぎと言われていましたが、8時を20分過ぎても動く気配もなく、内部の電灯も点けられず、MCからの説明もなく、しびれを切らした人や小さな子供連れなどは途中で帰ってしまう人もいました。
8:30前後になって、ようやく「山」が少しずつ清水屋前の道路に出てきました。15トンもあるそうなので、曵き手も大勢必要です。少しずつ正面を向き、ようやく正面に向いたのが8時半頃。
カウントダウンとともに内部の電灯が灯されます。

天辺は鳥海山山頂。雪を頂き山麓からは酒田市の鳥、イヌワシが舞います。
十二滝、玉簾の滝などが描かれ、山、平野、川、そして海には北前船。庄内沖で獲れる様々な魚介類もぶら下がっています。「西回り航路」を開いた河村瑞軒が立ち、庄内オバコも立っています。
最後に実行委員長である酒田市青年会議所の代表が凛々しくも挨拶をし「来年も、これからも、立て山鉾が続くように努力したい。市民の皆さんのご支援もお願いします。」というようなご挨拶。
これにて閉会となりました。

最後に最上川河畔でしょうか、何発かの華々しい花火が打ち上げられました。清水屋前に立つ人からは死角になっていましたが、道路の反対側に陣取った人からはよく見えたようでどよめきと歓声が上がっていました。来年以降はあげる場所、角度をもう少し検討して頂きたいですね。

創始400年、亀傘鉾は344年、そして立て山鉾の巡行は103年振りという、まさに歴史的な「酒田まつり」はこうしてフィナーレを迎えました。
山鉾作りや山車の準備、巡行などに関わった方々、その他大勢の裏方さん、ご苦労様でした。来年は、是非、祭りの観客は禁煙でお願いします。

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2009.05.21

酒田まつり創始400年本年祭です〜その2

5/19(火)夜の前夜祭からつづきです。

Photo横浜開港の父とも言われる遊佐町出身の佐藤政養の縁から、5月頭の「横浜開港150年祭記念パレード」にも参加してきた『日吉丸』。
綺麗な山車です。
前から見たところですが、天辺に鳳凰、正面に羽の生えた龍、両脇にも立派な龍の木彫りの飾りが付いています。近くで見ると本当に手の込んだ細工がいろいろ見えてきます。

前夜祭も昨年より人出が多く多いに盛り上がりましたが、やはり何と言っても「本祭り」です。
5/20(水)の正午から始まりました。この模様は、山形新聞のインターネットニュースでビデオ映像が見られます。いつまで閲覧できるかどうかわかりませんがリンクしておきましょう。
動画ニュース「酒田まつり『本祭り』」

Photo_2本祭りの行事の中心、山車の巡行です。酒田市役所駐車場と112号線の2カ所から合わせて51団体、約2500人の山車行列。昨年はずっと雨にたたられましたが、今年はすごいお天気。良過ぎて、暑くてたまらない感じ。
昔の奉行所の代官は酒田市長が務め、頭屋の町内会の人々は皆、羽織袴に裃をつけて練り歩きます。家内の叔父さんは北今町の住人で、本来ならこの行列に入るはずでしたが、奥さんの義理の姉が亡くなったばかりと言う事で、忌事のある家は参加できないのだそうです。残念!

Photo_3写真上と左は、400年の歴史の中でもまた歴史を誇る、本間家の「亀傘鉾」。
明和2年(西暦1765年)、酒田本間家三代目で神社にも祀られている本間光丘が207両で京都にて作らせた亀をかたどる目出たい傘鉾です。
Photo_4私は、これは昭和に作られたレプリカか何かと思っていましたが、明和2年作の本物だそうです。普段は山居倉庫の「夢の倶楽」に飾られていますので、入館料を払えばいつでも見ることが出来ます。でも渡御行列の中で観るのは格別です。
詳しくは、こちら→「本間様の亀鉾とまつり」をご覧下さい。

Photo_5市役所の駐車所には色とりどり、様々な山車が行列の出番を待って待機していました。
おなじみの黒と赤の大獅子(H19年のJAO酒田大会のプログラムの表紙も、スタッフTシャツもこの大獅子がデザインされていました)の他に、幼稚園、小学校、中学校、子供会などの山車があります。
写真は、景勝地である旧平田町の「十二滝」をモチーフにした山車。

Photo_12山車行列を楽しみ、清水屋横の「三日月軒」で伝統的酒田ラーメンを味わっていたら、市長と一緒に裃つけて歩いておられた拙クリニックの大家さんの会長M氏が巡行を一周して回って来られ、三日月軒の亭主に有り難い「酒田大獅子」のお札を配っていました。私はすでにゲットしていました。

Photo_7いつもは車でススッと通り過ぎてしまう酒田の街中ですが、お祭りで交通規制が布かれているためゆっくり歩きました。するといつもは気がつかないものに気付いたりします。
松尾芭蕉が酒田に長逗留したのは有名ですが、中でも酒田の医師、伊東玄順宅には8泊もしています。玄順は俳号を不玉と言い、伊東宅跡は「不玉亭跡」としてこのような碑が建っています。
山形(上山)出身の歌人斎藤茂吉も医師ですし、医者にも歌人、俳人など文化的な人が少なくないようですね。

Photo_8その不玉亭のすぐ近く、酒田市役所の目の前には「鐙屋」があります。
「酒田まつり」を祝してなんと「無料開放」されていたので、久しぶりに訪ねてみました(ちょっとせこいかな?)
Photo_9「献花展」と銘打って、「酒田まつり」を寿ぎ様々な流派の生け花が飾ってありました。
この「鐙屋」は、井原西鶴の「日本永代蔵」にも「北の国一番の米の買入れ、惣左衛門といふ名を知らざるはなし」と紹介される回船問屋、豪商です。

Photo_10酒田の街中で写真を撮り忘れたのは、映画「おくりびと」で主人公役もっくんが高校時代の友人にばったりあって、納棺師をしていることを「もっと、まどもな仕事さ、つげ」と揶揄される場面。中町商店街です。露天が並んでいない、「寂しい」雰囲気の時に撮影したいと思います。
その中町商店街でジェラートの有名なお店「モアレ」。暑かったのでこれで涼みます。
冷たいものを食べながら露天を冷やかしていると、暑い熱い食べ物、例えば米沢牛の串焼きとかあげ餅とかシャーピンとか焼きそばとかが昨夜のようには売れておらず、人出が多いのにちょっとかわいそう。

Photo_11山車行列真っ最中のマリーン5清水屋前。
お祭りってのはこのくらいの人出がなければ盛り上がりません。それにしても、日曜の仙台一番町よりも人が多いかも(部分的に)。歩くのも楽ではない位、人が出ていました。
また明日(つまり今日)から、人の少ない、寂しい商店街に戻るのでしょうけれど、こういう時もあっていいですね。

写真もいっぱいあるので、「本祭り」の夜祭り、目玉の立て山鉾の巡行の事は明日に続きます。

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2009.05.20

酒田まつり創始400年本年祭です〜その1

5月20日が「本祭り」と決まっている「酒田まつり」。
旧暦の「山王祭」は4月20日にやっていたそうです。

本日、午後を「休診」にして行ってきました。
雨にたたられた昨年(酒田まつり「本祭り」参照)と打って変わって、今年は暑い!日中の最高気温は28℃。祭に参加する市民も、見物する市民も熱く、暑かったでしょう。

まずは昨晩の前夜祭。
PhotoPhoto_2Photo_3左から、立て山鉾の裏(清水屋の駐車場側から)、右側面(清水屋前から)、正面です。
高さ20m?とのこと。青年会議所の青年(?)達が総出で造り上げた力作です。
昨年は雨風で途中壊れたりしたので、今年は防水加工されているそう。
酒田市の鳥である「いぬわし」が舞い、北前船の西回り航路を開拓した河村瑞軒が立ち、庄内の風物や海山陸の幸が描かれています。

Photo_4産業会館前から喫茶店「山茶花」前までにずらりと並んで19:30からの「夜の山車巡行」を待つ山車たち。
「日吉丸」は、先日横浜で行われた「横浜開港150年」のパレードにも参加したそうです。
なんでも、江戸時代に神奈川の一寒村に過ぎなかった横浜を、遊佐町出身の「佐藤政養」が幕府に貿易港として開港する事を建言したことで実現したと言われており、その縁で、酒田まつりの宣伝も兼ねて日吉丸が出てきたのだそうです。

Photo_5仮説ステージの第2部(黒森歌舞伎など)が終わって、日吉丸を先頭に巡行開始!
威勢良い掛け声、テンションがあがります。巨大な立て山鉾と日吉丸を一緒に眺められる絶好のポジションは清水屋の向かい側から。

Photo_6山鉾を通り過ぎて清水屋の前へ。
乗り手のお二人のパフォーマンスも加熱します。落ちないのか?!
カッコいいお兄さんたちの囃子と舞いです。

Photo_7仮説ステージの前まで入ってから戻ってきたところ。
立て山鉾の前で、日吉丸と続いてきた「八波会」の神輿が競い合います。
押せ!押せ!引け!引け!とやっています。

Photo_8中町にはズラ〜っと出店が並んでいます。
いつもの酒田の街中とはまったく様相が違い、ここは違う町か?日曜の仙台の一番町か?と思うような人並みです。
なつかしい「あげもち」を売っていたので買い求めました。

さて、これから本祭りの「夜祭」に出かけるので、ひとまずここまで。

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2009.05.18

インターネットも追いつかない?

ニュースを届けるメディアとして新聞は重要なものですが、ニュースソースがどんどん変わって行く場合、その情報の即時通達性の面からはインターネットには遥かに及びません。正確性、となるとインターネットが新聞に勝るかどうかは怪しい面もありますが。

今、日本で確認されている「人人感染」の新型インフルエンザA。
朝のニュースでは、感染が確認された人は92名。その後、午前8時頃、ニュース速報が入り、93名でした。
お昼過ぎのニュースでは「感染確認は全国で130名」とのこと。5時間弱で40名程増えています。
これは、「疑わしい患者さん」の検体をPCR検査に回し、その結果が出始めたからだと言えます。今後もっともっと増えるでしょう。
日本の場合、医療技術、情報技術が高度で安定しているため、調べ始めればどんどん増えると思います。問題は、今回問題になっている「新型インフルエンザ」が今のところ、感染力は強いものの弱毒型で通常は生命に影響を及ぼす危険性が低いと考えられているのに、今の対応は、昨年来話題になった「鳥インフルエンザ」(強毒性)による「新型」に対する対応策をベースにしている点です。

すでに厚労省などからの通達も、休校や閉鎖の期間を10日から7日までに減らしていますし、過剰に反応せず冷静に行動するようにとの政府発表も出ているようです。
病気の予防対策は厳しいに越した事は無いと言えばそれまでですが、それじゃあ、脳卒中の危険因子である多くの生活習慣病(高血圧、糖尿病、高脂血症、肥満など)を厳密に予防しようとしている人がどの位いるかというと、かなり疑問です。

感染症と脳卒中は違うではないかと思うでしょうが、感染症の場合、感染した患者さんに通常の抵抗力があればたとえ感染したとしても、安静にしているだけで自己免疫力によって治る可能性が高いと思います。そこにインフルエンザ治療薬(タミフルやリレンザなど)を投与すれば速やかにウィルスの増大を防ぎ治癒を早めると思います。
脳卒中は、十分な予防をしていても発症する危険性がありますが、病気による死亡数、致死率や後遺症発生率からすればインフルエンザなどよりずっと高く、しかも命を失わなかったとしてもその後一生残る症状との格闘が続く大変な病気です。

現時点では、通常の季節性インフルエンザと同様の対応策=うがい、手洗いの励行、人混みに外出する際はマスクの着用くらいで十分なのではないでしょうか。神戸や大阪では中学、高校の休校措置が始まっているようで、責任ある都道府県自治体側としてはこういう対応をとるしかないでしょう。
季節性インフルエンザの際に、学級閉鎖はあっても一校丸々休校ということは余り無いと思います。
要するに、「今後どうなるか分からない」「相手が何者なのかイマイチよくわからない」という事から強めの措置がとられているのでしょう。
でも、現在においても、既に感染しているのにまだ潜伏期間で症状が発現していない人、症状は出ているが通常の風邪か季節性インフルエンザと区別がついていない、または「新型」の疑いが強いもののPCR検査に進んでいない人、それ以外に、何らかの理由によって医療機関を受診せず自宅などに潜んでいる患者さんなどを加えると、おそらく既に数千人からもしかすると数万人単位の潜在的患者数である可能性があります。しかし、怖れる事は無いと思います。
感染した場合に重症化する恐れのある、老人、幼児、何らかの理由で免疫機能の低下傾向のある人には、十分な対策とケアが必要だと思いますが、通常の健常人は自己免疫力で克服できるはずです。

事態を、冷静に見守り、新しい情報に常に付いて行く必要があります。
インターネットでのニュースがとても大きな意味を持つと思います。

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2009.05.17

酒田まつりウィーク始まる

今年、「創始400年」を迎える、「酒田まつり」。
本祭りの5/20(水)は、拙クリニックも午後休診にして、街中にお出かけします。
昨年は雨にたたられましたが、それでも「山車行列」を観に行き、頭屋(とうや)の知人から『酒田大獅子』の有り難いお札を頂きました。

祭りの詳細は、専用HPがあるのでそちらをご覧頂きましょう。
「酒田まつり創始400年本年祭」のHPは←こちらです。
昨年の祭りの様子は、H20/5/19の記事、「酒田まつり前夜祭」と5/20の記事、「酒田まつり『本祭り』」をご参照下さい。

この祭りの凄いところは、慶長14年、西暦1609年からどんな事があっても一度も取り止めにならず毎年継続して行ってきた点です。第2次世界大戦の最中も、記憶に新しい昭和51年の酒田大火の翌年も中止になっていません。そして400年が経過し、401回目の祭りになるのだと思います。
History_2(写真は、上記HPから。湊の船からも見えたという巨大な山鉾の昔の写真)
日本全国の、由緒ある、歴史ある様々な祭り(京都の祇園祭や、博多のどんたくなど)で、もっと長い間続いているお祭りはありますが、途中1回も中止していないのは「酒田まつり」位なのではないでしょうか(他にあったらすみません)。

元は「山王祭」は酒田湊の商人のお祭りで、頭屋(または神宿と書いて「とや」とも)となった商人は、祭りにかかる莫大な費用を負担する代わりにこの時だけは羽織袴に裃をつけ刀を差して奉行所に入る事が出来たという事で、侍身分の扱いとなり大変に名誉な事であったそうです。ただ、あまりに莫大な出費故「頭屋を三回もすると家が潰れる」とさえ言われたそうです。

Photo今年は、特に「創始400年本年祭」ということで、酒田市も力をいれており、5/15(金)〜5/21(木)を「酒田まつりウィーク」と定め、街中には幟が立ち、提灯が並び、雰囲気を盛り上げています。
(写真は5/14夕方の市役所駐車場)
Photo_25/15には、上神宿と下神宿の神宿開きや、市役所での安全祈願祭、餅まきなどがあったとのこと(仕事で行けませんでした)。5/16(土)は午後の診療を終えて、街中にちょっと行ってきました。
(写真は、市役所駐車場で作成中の大山鉾)

Photo_3本日5/17(日)も祭りムードを盛り上げるために街中ではいろいろなイベントが行われているようです。
(写真は市役所入り口の花で作ったの看板)

Photo_4昨日の街中には、そろそろ出店が並び始め、フリーマーケットや猿回しなどが行われていました。
ちょうど「お猿の光君」の芸をやっていたのでそれを見て、ちゃんと「おひねり」も渡して参りました。おむすび屋さんやスムージーの美味しいフルーツ屋さんに立寄り、夫婦でぶらぶらしてきました。「木村屋」の「昨日限定」のクリームパンは行った時には「売り切れ御免」となっておりました。
また昨日は、酒田出身の(医師会長の同級生で幼なじみらしい)作家「北重人」氏(大藪春彦賞受賞、直木賞候補)を招いて基調講演会とパネルディスカッションがあったそうです。後から時間がわかったのですが、「無料」だったので行けば良かった。しかし、その時間帯は、夜に行われる立川談志独演会のためにすでに市役所駐車場は入場が制限されており入れませんでした。

明日、5/18(月)は、映画「おくりびと」の滝田洋二郎監督を迎えて、トークショーと「おくりびと」上映会が市民会館希望ホールで行われる予定。トークショーの開演が午後6時ですし、映画は劇場で1回、希望ホールで1回観て、さらにDVDも購入しているので、いくら監督が来られても、、、という気持ちになってしまいます。
まあ、1,000円で監督のトークショーと映画も観られるので、まだの方にはお得な感じだと思います。

新型インフルエンザで、神戸の「神戸祭り」(5/15〜5/17)は実質取り止めになったとのこと。
国内での人ー人感染が確認されては、甘いことは言っておられませんが、人の交流、動きの激しい現代とは言え、横浜や神戸の新型インフルエンザが庄内に上陸するのはもう少し(潜伏期も入れて)かかるでしょう。インフルエンザはその名前の由来からも、感染し蔓延することは防げない病気だと思います。一人一人が、うがい、手洗い、なるべく人混みを避ける、などの予防策が必要です。
でも「酒田まつり」は中止にする訳には行かないでしょう。
あと、3日。
山形県や庄内地方に疑いの濃厚な患者さんが現れない事を祈るのみです。


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2009.05.14

人間的な生活

月曜日の式典記念チャリティコンサートの軽い興奮を残したまま、火曜の朝から通常の診療体制。
昔だったら結構無理が利いたはずが何だか疲れている。

たとえば、市中病院勤務の時代なら、月曜の朝から普通に働き、夜20時頃一旦帰宅するも、22時頃急患で呼ばれ、入院させて安定させ家族に説明して帰宅すると深夜の1時過ぎで、それからベッドに入るも朝の4時頃病棟患者さんの急変で叩き起こされ、駆けつけて処置をするも残念ながら死亡され早朝5時半頃病院から死亡退院のお見送り。少しでも休もうと、また病院近くの官舎に戻って2時間程仮眠して、8時半にはICUから回診を始め、病棟を急いで回って昨晩入院させた急患の脳血管撮影を行い、脳動脈瘤を発見して、午後から緊急手術。手術場が混んでいるため午後4時まで入室できないので、その間に昼食を摂り、たまっている診断書や介護保険主治医意見書などを書き、もう一度ICUの患者の状態を確認して新しい指示を出し、午後4時から手術場に入り、麻酔がかかるのが午後5時近く、執刀開始が5時半頃になり、それから破裂脳動脈瘤の根治手術を9時半頃までかかって行い、終わってほっとする間もなく、患者をICUに移送してそこで状態を安定させ、患者家族に説明を終えると午後11時を回っていて、それからパンかなにかを口にして(昼食以来、11時間振りくらいの水分と食事)、まだたまっている書類を整理して深夜0時頃帰宅。
翌日は、学会出張で東京へ。。。

などという生活は、それほど稀な事ではなかった。
大学医学部勤務の時には、多忙な中で学会発表の準備を夜を徹して(つまり徹夜ですね)行い、朝6時半頃完成、朝の検討会に出て、その後、学会発表の医局内での練習会(教授以下、医局員の前で発表と同じ事を行う)をして、教授のダメだしなどに従い、修正点をチェックしてから、まずは日中に業務(外来や病棟)を行い、手術のある日は手術に入り、それらの仕事が落ち着いてから、学会発表の修正点を直し、ようやく自宅に帰って、翌日は大阪に学会出張。。。

こんな生活もしていた。疲れはしても、ちょっとした時間を見つけてはどこでも眠れる特技を身につけ、ぐっすり寝て休息を取るとか、東京出張の新幹線の中でとにかく寝て疲れを取るとか、そういう感じだった。
人間、楽な状態には直ぐ慣れてしまうもので、開業医となってからは、夜中の呼び出し、緊急手術、死亡退院の見送りなどは無く、極めて人間的生活を送れていると思う。
「救急医療の崩壊」とか「病院勤務医師の減少」などのニュースを見ると、正直心が痛むところもあるのだが、勤務医を辞めて開業するに至った理由の(小さいけれど)一つには、これ以上激務を続ける事への懸念があった事は事実である。苦しむ患者さんのために一生懸命働くのは医師としての使命感であり、「自分の仕事」をきちんと果たした結果、患者さんや家族から感謝されるのは医者冥利であった。しかし、どんなに頑張っても給与は増えるどころか減らされ、時間外手当は事務の方で勝手に削り(記載した時間、働いていない事にしていた節がある、県などの予算が決まっているため苦肉の策であったから、医師の誰もが公的には文句は言わなかった)、一日17時間働くとか緊急呼び出しや長時間手術などの時間外勤務を含めると週に70時間とか、時間外勤務だけで多い月には150時間を超え、時に200時間近くなるなど、全くもって「労働基準法」など無視の世界で長年働いてきた。さらにモンスターペイシェントおよびその家族も増えてきて、頑張っているのに評価され無いどころかけなされたり、それが患者だけではなく病院上層部からも医師側を非難するような声があがったりするまでになって、とても耐え難い状態があったことは事実である。

今は、働く時間をほぼ自分でコントロールできる。
今週の月曜日のように、学会出張(+チャリティコンサート出演)のため「休診」にして自分の働く時間を自分で制御できる立場になっている(その代わり、休診=無収入であるが)。かなり精神的にこちらも参るような精神状態の患者さんの相手をじっくりしたり、たくさんお話しする必要のある患者さんが続くと、診療患者数は多くなくてもぐったり疲れるが、そういう診療を目指して開業したのである。世の中にはまだ、「無診察診療」に近い事をやっている医師もまだいるようである。患者さんに聞くと、A医院を受診しても医師と話をする時間はほとんどないとか、B医院では「変わりがなければいつものお薬を」という感じで、不眠症やうつ状態を治療しているのに医師と患者が顔を合わせる時間のない診療を行っているところもあるようである。いくら流行っていて患者さんがたくさん来るからと言って、そんなことでいいのか!と言いたくはなるが、おそらくそういう医師からはそれでいいと思う患者さん以外は少しずつ離れて行くだろう。拙クリニックではまだ患者数が多くないので受診した全員の患者さんとお話をしている。再診時に話を聞くのに時間がかかりそうな患者さんは、なるべく午後のすいている時間帯に予約をいれるようにしているが、最近は午前中少し混み合ってきて、予約枠の患者さんでも30分以上、下手すると1時間近くお待たせしてしまう事があり大変気になっている。
開業する際に、準予約制にして、患者さんを30分以上待たせない、という事を一つの目標としたのだが、早くもそれが守られない状況になっている。何か工夫して改善しないと行けない。
予約の無い新患の場合、1時間以上お待たせする事態も時々出てきてしまっている。それでも日本海総合病院を受診して3〜4時間待たされる、その上、当日のMRIはできず、予約して再度検査に来るという状況よりはずっとましであるが、初めて受診したその日に、受付して1時間から遅くて2時間以内には診察も検査(MRI含む)も終わり、診断をつけてきちんと説明し必要に応じて投薬治療を指導するまでを実現したいと思っていた当初の考えから少し外れてきているようで反省しなければならない。

なんだか、疲れと勤務体制の事を書いていたら、今の診療状況の反省になってしまった。

Cd「人間的な生活」を送る上で、時間的な余裕はもちろん大事だが、忙しい中に、疲れている時に、やはり音楽は体と心を癒してくれる。家内のチェンバロにかかれたラテン語(今まで何度もここで紹介しました)のように
『音楽は よろこびの 友  悲しみの 薬』
ということである。
月曜に共演した須藤千晴さんのCD。
彼女は美人なのが逆に欠点かもしれない。美しいが故に誤解されるかもしれないと言う事。
表面上、「クール・ビューティ」なのであるが、彼女の演奏をじっくり聴いてみると、可憐な女の子の音楽ではない。むしろ骨太な、構成のしっかりした、音楽が聴こえる。基本的な技術を磨き上げてその上に華美な事をできるだけ避け、楽譜を研究し尽くしている。
このディスクは、ショパンは余り好きではない、という人にもお勧めする。何も知らずにこのディスクを聴いた人は、日本人の、若い、美しい、女性が弾いているとはまず思わないと思う。ドイツ人の、音楽大学の教授か、准教授クラスの、目立たないけれど確固たる音楽を作る人の演奏を想像するのではないかと思う。

私はショパンは好きで、「プレリュード」はルビンシュタインやアルへリッチやポリーニなどの素晴らしいピアニストのレコードやCDを持っており、昔は随分聴き込んだものだった。今回、須藤千晴さんのショパンとスクリャービンの演奏を聴いて、私は何か「こころが落ち着く」ような感触を得た。この演奏は、お世辞抜きに好きである。


もう一つ。
人間的な生活と言えば、美味しい食べ物はかかせない。
Photo連休前に行ったはずだから、ちょっと前になるが、最上川を超えた「川南」の錦町にあるインドカレーのお店「シタ」。
以前にもレポートしたが、インド出身のご夫婦とバングラデシュ(?)の従業員がやっている。御主人は酒田に来る前、東京のインド料理の店で働いていたので、本格的な事この上なし。日本語はまだ怪しい。
Photo_2ディナーのカップル用セットは、タンドリーチキンとチキンのカバブが一人に一つずつついて、カレーは何種類下の中から2つ選べる。辛さも好みでお願い出来る。「中辛で」と言ったら、「カライノ、ダイジョブ?」と御主人に言われた。
特大のナンは焼きたてなので手でちぎるのもアツアツ。サフランライスもナンもいくらでもお代わりできるし、残ったらお持ち帰りできる。本格的なのに庶民的な価格なので家族連れやカップルでいつも混んでいる。
こういう美味しいものを食べる時が、一番人間的な生活の幸せを感じるのかもしれない。
単なる、食いしん坊か。。。。(^^;;;

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2009.05.12

式典チャリティコンサートは成功!

Photo「みなとみらい」の早朝。
観覧車の時計は5:43です。5:20に目覚ましを設定し、なんとか起きました。
桜木町から横浜駅へ、そこで京急に乗り換え羽田へ。余裕で45分程前に着きました。結果的には、もう15~20分遅く起きても間に合った訳です。
7:15羽田発、8:15庄内空港着の1便で帰ってきて、朝9時前から通常通り診療をしましたので、今、ちょっと眠いです。

さて、携帯で文章だけアップした昨日書きかけの続きです。
写真を携帯からブログにアップする方法がうまく出来ず諦めました。
午前に一つ、午後一に一つ、あわせて2つのセッションの英ー日同時通訳を担当しました。夕方まで5つのセッションを担当された先生もいるのに、私は楽をしました。しかも、通訳内容は自己評価は結構ボロボロ。あまり高速なトークに付いて行けず、途中「フリーズ」を何回か起こしました。

Photo_32つだけの担当にしてもらったのは、午後2時からは「チャリティコンサート」の練習があったからです。
 会場は「パシフィコ横浜」の大ホール。
 一見響きが良さそうに見えますが、音楽ホールとしては今二くらいでした。まず、開場後の「お迎えの音楽」として、モーツァルトの『フィガロの結婚』から第3幕フィナーレ。実はこれ、当日の練習までお迎えの演奏で自分が1番フルートを吹く事を失念していました。楽譜が配布されて1番と2番を練習し、4月の集合練習の時にも練習していましたが、自分が1番を吹く事が頭にありませんでした。序曲では1番を吹くので、フィガロもそのまま1番。1番を吹く事を当日認識したという自体。幸い、譜面づらは難しくないのでGPでも問題なく吹けました。
 メインのベートーベンの『皇帝』の前に、モーツァルトの『魔笛』序曲。こちらはフルート1番を吹くのですが、途中フルートのソロの部分があるので結構緊張。何とかまとめました。

午後4時半頃まで練習し、本番の午後5時55分前までは休憩と着替え。
指揮の早川先生は会場の熱さ(主にライティングのせい)でかなり汗をかいておられました。ピアノの須藤千晴さんは、リハの時は普段着的なラフで動きやすい格好でした。

まず、予定通り午後6時少し前から「お迎えの音楽」。
続いて、国際脳腫瘍学会の開会式典です。会長の松谷先生のご挨拶の後、米国、欧州、アジアの各脳腫瘍学会の代表、そして最後の世界脳腫瘍学会の会長の挨拶がありました。
続いて午後6時25分頃からようやく『魔笛』序曲。途中ちょいと乱れたところはありましたが、本番の集中力の高め方を知っている脳外科医によるオケなので何とかなりました。

そして、いよいよ『皇帝』です。
須藤千晴さんのピアノは残念ながら、会場の響きが比較的吸収する感じなので、ピアノの反射板のコチラ側にいるオケにはあまり聴こえません。それでも、きらきらとした美しい音色、柔らかなタッチ、粒の揃った音階はよく分かります。

第2楽章は2番フルートはtacetなので、余裕でピアノ演奏を楽しみ、1番フルートのソロを多少ドキドキしながら聴いていました。(この記事に対し「オケに参加する資格なし」という厳しいご意見を頂いてしまったようです。ご不快に感じられた方には申し訳ありません。一緒に演奏をした仲間にも失礼致しました。ここに謝罪致します。写真は削除しました)
華々しくフィナーレ!
Bravoの声もかかります。
「脳外科医のオケにしては、、、」という割り引いて考える感想や身びいきもあるでしょうが、お褒めの言葉がおおかったそうです。ピアノは素晴らしかった!

Photo_5終演直後、この演奏会の入場料は脳腫瘍に苦しむ患者さんを助ける会などへ寄附されました。
バックステージで早川先生と須藤千晴さん。美しいですな〜。
私もツーショットお願いしましたが、公開は致しませんです。(^^;;;;

その後、速攻で着替えて、「みなとみらい」のQueens Squareのあるお店で、飲み放題、食べ放題のバイキング形式での打ち上げ。皆、喉が渇いていてビールをがぶがぶ。お腹が空いていて炭水化物をガツガツ。更に白ワイン、赤ワインと飲み放題。
須藤さんと関係者の方々がやや遅れていらっしゃり、そこで昨年発売されたCDのサイン会付き販売。
「失敗した自覚のある人は一枚購入するように!」というのは冗談として、団員の半分近くの方が購入したのではないでしょうか?!会長もやや遅れて参加され、みな盛り上がりました。
明日の仕事のため、名古屋や関西方面の方は21時台の新幹線で帰るべく途中で退席されましたが、泊まりのメンバーは盛り上がって飲み放題。ついにお店のほうで、ビールなし、ワインなし、ウィスキーだけという状態になり打ち上げ終了!
飲み足りない先生方は、ホテルにチェックイン後、まだ飲みに出かけられたようですが、翌日(=今朝)の早い私は23時前には休みました。

ベートーベンのピアノ協奏曲第5番『皇帝』は生まれて初めての演奏。
たくさんの名演がありますが、個人的にはルドルフ・ゼルキンのディスクが好きです。華麗と言うよりはていねいで淡々とした演奏の中に、熱い思いが感じられるのです。
演奏する立場としては須藤千晴さんの演奏を冷静に聴く事が出来ませんでしたが、間違いなく素晴らしいピアニストです。これからますます成長される事でしょう。音楽家として、人間として、さらに素敵な女性として、大活躍をお祈りしています。
またどこかで共演できれば嬉しいですね。

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2009.05.11

「みなとみらい」で仕事

昨日午後から空路横浜の実家に来ました。実家にる寄るのは丸2年振り。
あの中央ヨーロッパ旅行に出掛ける前日以来。

今回は、5/11から始まる国際脳腫瘍学会で英語ー日本語の同時通訳のお手伝いと夜の開会式での演奏が目的。
午前中、一つ通訳の担当を終え、用意されたお弁当を頂いて、午後一のセッションを通訳したら、午後は開会式でのオケの練習となる。

久し振りの同時通訳は、普段のルーチンワークで錆び付いた脳みそには強烈な刺激を与えてくれたが、スピーカーがボストンから来た米国人で、その機関銃のような喋りにやられてしまった。日本語で喋られても付いていけるかどうかという速さに戸惑いながらも、戸惑ったままという訳にもいかず、必死でスライドをみながら何とか通訳の真似事をした。

(つづく)

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2009.05.08

庄内のミシュラン「星、みっつです!」

今日の話は、少し話題の時期から遅れたけれど、「ミシュラン・グリーン・ガイド」ジャポン。
東北地方では、たとえば「松島」が☆☆☆の3つに選ばれているのはまあ理解できる。

山形県内はどうかというと、なんと米沢も山形市もどこも選ばれていないのに、庄内だけ下記のように選定されているとの事。なぜ庄内だけ?との疑問もあるが、たしかに県内で見所が固まっている土地ではある。
☆☆☆「羽黒山杉並木」
☆☆「羽黒山五重塔」「羽黒山三神合祭殿」「羽黒山斎館」「注連寺即身仏」「致道博物館酒井氏庭園」
「本間家旧本邸」「本間美術館鶴舞園」「土門拳記念館」
☆は「本間美術館」「酒田市美術館」などいろいろ

Photo庄内のグルメ情報をはじめ、いろいろな話題を幅広く扱う情報誌『庄内小僧』の5月号に、このミシュランの星の事が特集されています。
何と言っても、「星、みっつ、です!」の羽黒山杉並木。
星3つの定義は「わざわざ訪れる価値がある観光地」です。フランス人が日本を旅行する場合に、「羽黒山杉並木」はわざわざ見に来る価値があると、このガイドブックでは選定している事になります。

Photo_2星2つの定義は、「近くにいれば寄り道をして訪れるべき場所」ということ。
羽黒山に行って、そのあとは鶴岡、酒田の「星、ふたっつ、です!」のどこかを選んで訪れる計画を立てると良いと言う事ですね。

観光地としてのガイドであるグリーンガイドですが、一時話題になったレストラン、ホテルガイドであるレッド・ミシュランにまで取り上げられるような店が無いのは残念ですが、仕方ない事でしょうか。

田舎版ミシュランガイド「庄内編」を作るとすれば、このグリーン・ガイドに加えて、見るべきところ、寄って食べてみるべき店は数多くあります。当ブログ開設以来、4年と4ヶ月の間に数多くの「ご当地グルメ的」なお店、食べ物を紹介してきました。自分の目と舌で確かめた店なら、東京から友人が来ても、九州から親戚が来ても、自信を持って連れて行けます。

「おくりびとロケ地巡り」とともに、地元民によるガイドブックなんて作ってみるのも面白そうですね。
まあ、そのうちに、、、

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2009.05.07

GWの3日間〜その2

5/4は、山菜料理、浮世絵の展覧会、上山の「おくりびと」ロケ地、日帰り入浴の温泉と楽しみました。
5/5(火・こどもの日)は、1年振りのホームコース、「東蔵王ゴルフクラブ」へ一人で行きました。フリーで来たメンバーだけを組み合わせて回る事ができるのです。

首都圏に戻る人たちの渋滞が凄いらしいとテレビで言っていますが、酒田からはそれほどでもないだろうと朝6時半に酒田を出発。宮城県川崎町の「東蔵王ゴルフクラブ」へ。車で30分少しで行ける山形市から、2時間かかる酒田に転居したこともあり、メンバーなのに丸2年の間でようやく2回目のホームコースプレー。

Photo(写真はゴルフ場のHPから)
美しい雑木林。八重桜が咲き誇り、緑のグリーン、淡い新緑の林、奥に広がる常緑樹の濃い緑、ずっと向こうに見える蔵王などの山々の残雪を頂いた淡い紺と白のコントラスト。その中に、濃いピンクの花を競う八重桜やその他の美しい花々。ちょっと大げさですが、あの「オーガスタ・ナショナル」にも及ぶとまでは言えないけれど、けっこういい勝負できそうな美しさを愛でてきました。
8:20に到着して、フリーのメンバーと4名で8:51スタート、昼食を挟んで18ホールで終えて帰るつもりが、一緒に回った方々(東京、福島など皆県外の方ばかり)が皆シングルの方で上手なので私も引っ張られ、後半が終わった時がまだ午後2時だったので、もう9ホールということになり、山里、みやま、いずみの27ホールを全て回ることになりました。
Photo(こちらもネットから、マスター室前)
昔なら考えられないくらい人が少なく、前後にプレーしている組がほとんど見えません。スイスイとハーフ2時間強で周り、27ホール全部終わっても午後4時15分で陽もまだ高く、東蔵王ゴルフクラブが誇る天然の温泉に入って疲れた体をほぐし、ゴルフ場を後にしました。
さすが高速道路は混雑していますが、仙台から山形、酒田方面はゆとりがあり、逆方向の上り車線は月山道路などは渋滞していました。午後6時40頃に自宅に到着。往復で3時間半、プレー6時間半、昼食に50分くらい(プレー前と後の入浴などで1時間ちょっと)で、ちょうど12時間遊んで来た事になります。電動カートを使いながらも結構歩きました。週1回くらいやればもっと運動不足も解消できるのでしょうが。。。


そして、昨日の5/6(水・祝)。GW最終日。
5/6がなぜ休日なのかと言うと、日曜に重なった5/3「憲法記念日」の振替休日らしい。
5/4は以前は4/29だった「みどりの日」なので、5/3,4,5は必ず「3連休」になるようになっている(昔は、5/4だけポコッと平日が入ったりしてましたね)。


旧余目町の島田地区の「しま田」が4月から蕎麦屋を再開したと聞いたので行ってみたところ、残念ながら蕎麦が無くなったのか、幟は立っているのに「終わり」と言われたとお客さんが帰って行くところ。三川町に菜の花畑を観に行こうと考えていたので、三川町の庄内合同庁舎の裏にある茂一蕎麦に行く事に変更。
Photo_2Photo_3ここはお蕎麦も美味しいけれど、麦切りが旨い!何十年前からあるのでしょうか。少なくとも昭和61年に荘内病院に勤務して鶴岡に住んでいた頃にも来た覚えがあります。三川合同庁舎の人たちの御用達のお蕎麦屋さんですね。

それから向かったのは、開業前に非常勤でお世話になっていた三川病院の直ぐ近く。「いろり火の里 なの花温泉 田田(でんでん)」の目の前に広がる菜の花畑。
Photo_4一面に広がる黄色い菜の花。子供でなくても思わずうきうきします。
「ライ麦畑でつかまえて」よろしく、菜の花の中にはいって記念写真を撮ったり撮られたり。お子さんは菜の花よりも背丈が小さく黄色い花達の中に埋もれて見えます。
気がついたら黄色い花粉が服に付着してしまいました。(^^;;;

ということで、5/6はのんびりと過ごし、これで平成21年のGWも終わってしまいました。
このような連休は、今年は9月にもありますね。
9/19(土)、20(日)、21(月、敬老の日)、22(火、国民の休日)、23(水、秋分の日)と、土曜がお休みの方は5連休。24(木)、25(金)と休みをとれば、土曜がお休みの職業の人は、9/19〜9/27までの「9連休」が作れます。土曜も仕事でカレンダー通りの私の場合はそうもいきませんけれど。。。

今日からまた通常通り仕事です。頑張りましょう!

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2009.05.06

GWの3日間〜その1

すでに記事にしているように、5/2(土)は普通にお仕事+酒田中央高校音楽部のコンサート。
そして5/3(日)はスタッフの結婚式。

Photo_4残り3日のGWをどう過ごすか、と考えて、5/4(月・祝)は山形へ。
山形美術館で開催されている「四大浮世絵師展」を観に行きました。
ただ山形に行くのももったいない(?)ので、最近行っていなかったところへ。

西川町の山菜料理で有名な「出羽屋」さんへ行ってみました。
朝の時点で予約は無理(個室の予約は一杯)ということで、行ってみて並んでみて、、、ということに。
山形自動車道ー月山新道はさすがに混んではいましたが、渋滞とはならず。山形から庄内に向かう下り車線の方が圧倒的に交通量は多かったようです。
月山第1トンネル、第2トンネルと非常に長いトンネルがあるのですが、試みに自分がトンネルに入って抜け出るまでの間に対向車線の車の数(バイクも含む)を数えてみたら、第2トンネルでちょうど70台、第1トンネルでは101台の車両とすれ違いました!
普段ならせいぜい10〜20台と言うところですからやはりGWというのはスゴいんだな〜、もしかして「おくりびと」ロケ地巡りにでも行ってるのかな〜?と「仙台」「宮城」という車のナンバーを見ながら考えていました。

12:15頃、出羽屋に到着。
すでに店の前に行列。駐車場も一杯。
名前を書いて待つ事に。一時間は待つだろうと覚悟して、新聞を読みながらゆっくり待っていました。
部屋料を取らない「そば処」の方だとまだまだでしたが、午後1時近くになって「個室」の方がチラホラ空いてきたらしく、部屋でもいいとお願いしたところ、まもなく個室が空いたと言う事で案内されたのは2階の「松風」。
茶室風の趣のあるとてもステキな個室でした。
Photo「山菜定食」のうち、天ぷらが付くのは4,200円の料理からですが、個室ではそれが税込みで4,620円とお高くなります。これは、まだ天ぷらとお鍋とご飯が来る前の状態。「待て!」が出来なかったので。
Photo_2天ぷらとお鍋が並んで、早速頂きました。家内はてんぷらの付かない3,420円コースを「麦きり」に(そば、麦きり、ご飯から選択)、私は4,620円のコースで「タケノコご飯」に(本当はウコギご飯が食べたかったのですが、季節を過ぎてしまったそうです)。

山菜はいまではちょっとした高級料理ですが、もとはといえば、西川町では出羽三山に入って修行する修験者や僧侶が入山前に山菜で精進落としをしながら栄養を付けたという言い伝えがあります。それが地元に残ってこういう立派なお店になったようです。
何種類もの山菜がいろいろな形で食用に供され、そのどれもが美味しく素晴らしい食事でした。
しかも、多分低カロリー、高食物繊維、抗酸化作用物質が豊富な健康の面から考えてもかなり理想的な食事。お鍋に鶏肉が少し入っていた以外は動物性タンパク質はまったくなし。
山菜だけで14,5品あり、お腹一杯になりました。
そこから山形市を目指します。

Photo_3山形美術館には午後2時半前に到着。1時間もあれば見て回れるだろうと思っていましたが、結構な人出で、展示はずらっと並ぶ行列に付いて歩くような感じ。
Photo_5今までは浮世絵は、ボストン美術館などで本物を見た事があります。天童には天童広重美術館がありそこでも少し見ました。しかし、この中右コレクション程の作品数は初めて。厳選された172点が展示されていますが、中でも写楽作品が20点、一堂に会するのは珍しいとの事。
写楽の作品は寛政年間の歌舞伎役者や相撲取り、そして吉原の女たちが描かれていて皆素晴らしい。個人的には、四世松本幸四郎や二世坂東三津五郎など、今も歌舞伎役者として活躍している人たちの直系の祖先の役者の姿を観て、確かにどこかに同じDNAを持った顔つき、体つきを感じて感心しました。
北斎漫画には、現代の日本のまんが文化のルーツを見る思いがしましたし、「冨嶽三十六景」はさすがのもの。歌麿の美人画の中でも、乳にむしゃぶりつく金太郎の姿は印象が強かった。そして広重の特に「東海道五拾三次之内」は、そこに登場する人物の生き生きとした、今にも本当に動き出しそうな描写にあらためて驚きました。
人が多かっただけではなく、ついついじっくり眺めてしまったので2時間近くかかり、ついでにこの美術館が誇る、ルノワール、ピカソ、シャガールと言った素晴らしい常設展示の作品も目に。私はモネとミレーが好きですね。あの光の感じが素晴らしい。離れてみると、まるでその景色の中にいるような気分になります。

美術館を後にしたのが午後4時半で、ちょっとあせりました。
Photo_6上山の映画「おくりびと」で「大悟の実家」として使われた旧美容室の内部公開は午後5時までだとネットで書いてあったからです。閉まっていたら、外から眺めるだけでもいいね、、、と行って着いた時刻は午後4時55分ちょっと過ぎ。結構な観光客がまだいたので入れてもらえました。
Photo_7といっても、酒田のNKエージェント(旧割烹小幡)に比べると、その展示や見るべきものは10分の一以下かな〜と思います。狭い建物で1階だけを展示用に解放し、ロケの写真などが飾ってあるのですが、上山のその「大悟の実家」のシーンは2、3枚で後は、酒田、鶴岡のロケ写真。

Photo_8それでもNKエージェントと同じく「清掃協力金」として一人100円取られるので、コスト・パフォーマンスとしては酒田の方が格段に上だと感じました。まあしかし、上山にしか置いていない、このパンフレットを100円で頂いたと考えれば不満はありません。
パンフレットの作りが酒田のものにそっくりだな、と思ったら表紙に「協力 酒田ロケーションボックス」と書いてありました。表紙の絵は、大悟の家となった旧美容室を映画の美術スタッフが描いたもの。ロケのほとんどは庄内なのに、大悟の実家だけ上山というのは、とにかく徹底的にロケハンをして、滝田監督のこだわりに応えてスタッフやボランティアがようやく見つけ出したこの建物だったとの事。
酒田のようなNPO法人ではないものの、上山市役所が主となって「映画『おくりびと』応援組織 上山コンチェルト」という名称でボランティア的に活動されているようです。

せっかく上山温泉街に来たので日帰り入浴でもと思ったのですが、時間も夕方5時半ちかくだったので、蔵王温泉に向かう途中の蔵王上野の「天神の湯」へ。
天神の湯でゆったりして酒田に帰ろう、、、と思いきや、GWのためか、ここも人が多く、風呂場はまるで芋の子を洗うが如くという感じで、7席しか無い洗い場では並んで待つような状況。
それでも、蔵王温泉のような強酸性のパンチのあるお湯ではなく、やわらかく透明な「石膏芒硝泉」。入っているだけでお肌がぴちぴちと引き締まる感じがあり、さらにお湯を弾くような弾力が得られるような温泉。飲んでもいいらしい。
混んではいましたがまったりくつろいで、ゆっくり酒田に戻りました。

Photo_9酒田到着は夜9時近かったのでお気に入りの「北京飯店」へ。
ここの料理は中国人のコックさんが作っているし、店を切り盛りするTさんが中国から帰化した人で、いつもにこにこ元気に働いている姿を見るとこちらも元気になるのです。今日(5/4)の夕飯は、「レバニラ炒め定食」でした。

5/5は、久しぶりにゴルフに行く予定。
5/6はのんびり過ごす計画、で続きます。


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2009.05.03

「華燭の典」

今日は、拙クリニック自慢のナースの結婚式でした。
Photo新郎の友人たちの賑やかな芸(アキバのオタ芸で新郎新婦を応援する)や、新婦の同僚(つまりうちの職員たち)による楽しい今流行のお笑いのパフォーマンスありで、楽しい会でした。新婦の美しさと共に、新郎の母上への優しさに満ちあふれた言葉と行動(お母さんをお姫様抱っこ)など、愛あふれる幸せな披露宴でした。
我々夫婦揃って招待され、私は新婦の直属の上司ということで一番高い席に座る事になり、新郎側の主賓に次いで2番目に祝辞を述べることになりました。

大学の講師や准教授時代には、教授ご夫妻をご媒酌人に、もっと上の席の方の祝辞をお聞きして、私はいつも「乾杯講師」役でしたが、一度フルートの演奏をした事があります。しかし、それは山響の首席フルート奏者の足達先生が演奏者として招かれた席だったので、足達先生と「美女と野獣」のフルート二重奏を演奏させてもらいました。

本日は、祝辞はできるだけ手短にして、家内と二人で祝奏をさせて頂きました。
曲は、E. エルガー作曲の有名な『愛の挨拶』。
ピアノの教え子であったキャロライン婚約した際にこの曲を作り贈ったと言われています。愛する妻を想って作曲した、愛の喜びと優しさに満ちた演奏が出来たでしょうか。
本番前に家内と「ジョンダーノ・ホール」で練習した演奏を公開しました。

音ブログの「253. 愛の挨拶」
です。

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2009.05.02

黄金週間始まる?初日は「アンサンブル・コンサート」

「?」を付けたのは、すでに始まっている人は始まっているであろうから。
中には、4/25(土)から連休に入った人もいるらしい。27(月)、28(火)、30(木)、5/1(金)の4日を有給休暇とか特別休暇で休みにしてしまえば、4/25〜5/6までなんと12連休。
ついでに5/7(木)と5/8(金)も休めば、5/10(日)まで「16連休」が出来上がると言う訳。
これは土日休みの週休2日制の人にだけ通用する話。

拙クリニックは、土曜は午後1時まで。今回のGWもカレンダー通りの休みなので、最大で5/3〜5/6の4連休ということになります。「休み」=「患者なし」=「無収入」なのですから、個人医院を開設して漸く2年目に入ったばかりの新米開業医としては休んではいられません。

と言う訳で、今日、5/2(土)も午後1時ちょっと過ぎまで患者さんの診察。
世の中は、朝から高速道路が大渋滞とか。東名の下り路線では60kmを超す渋滞との情報も。いくらETC割引で1000円でどこまでも行けるとしたって、時速15km平均で4時間かけて渋滞を抜けて、そのあと、どこまで行く気になるのだろう。地球温暖化防止と言っているのに、こんなに渋滞の車がガソリンを燃やしていては(しかもいい天気なのでみなエアコンかけているだろうから)燃費も悪く、CO2もたくさん出ているはず。

やはり家や周辺でのんびりしているに限る。
しかし、今日は、酒田市立酒田中央高校の音楽部の「アンサンンブル・コンサート」なので、のんびり遊んでもいられない。
私も出演したことのある、地元のFM局、「ハーバーラジオ」が昨日既に取材もし、本日も取材に来る?らしい。(音楽部の指導者で酒フィルCb奏者のM氏のブログ、「Nimrod.音楽部通信」を参照下さい。

若者たちは午後1時前に集合。私と家内は診療終了後、ちょっと外出して昼食。今日はお天気が良く熱いくらいなので、ラーメンはちょっと。。。お蕎麦は先日食べたばかり。。。
ということで、駅前東急インの1階に出来て間もない「イタリアンレストラン アンジェロ」に行ってきました。

Photo今日はゴールデンウィーク期間のAランチコース。
前菜に生サーモンとオレンジ。カルパッチョと言うよりどちらかというとサラダ風。

Photo_2つづいて、ワラビの冷たいスープ。
ビシソワーズのようなややざらざらした食感に口の中をかすかに刺激するワラビのほろ苦さが加わった冷たいスープ。これは旨い!

Photo_3コースのパスタは「豚肉とタケノコのラグーソース」のスパゲッティ。
豚のひき肉がゴロゴロ入ったボロネーズ風のソースに、細切りにしたタケノコがたくさん入っています。タケノコのシャキシャキした歯触りがちょっとモタッとしがちなソースにアクセントをつけていて、なかなかに美味しい。注文してから時間をおかずに次々と出てきたので、「パスタは茹で置きか?!」といぶかったのですが、歯応えはアル・ダンテで茹でたてのちゃんとしたパスタでした。
しゃきしゃき野菜のプチ・サラダが付いてきました。

Photo_4ドルチェは、イチゴとティラミス。
ティラミスには抹茶粉末のようなものがかかっていました。あまり甘くなくて私好み。
付け合わせのような小さなイチゴは、中も白いし、あまり熟れていない、固めの甘みの少ないもの。家内にはこのイチゴは全然甘くないと不評でしたが、私には「あると思います」。そもそも今のイチゴは、大きくて甘くて高級なものが好まれますが、元はと言えば野に生えていたベリーの一種。酸味の強い野いちごのようなものも私は好きです。
これにエスプレッソがついて1,500円ちょっと。普段のパスタランチは1155円ですからちょっとお高いですが、その分「前菜」がついています。

ここは、アラカルトもたくさんあって、ディナーのコースもあります。まだピッツァにはトライしていません。コースの締めのエスプレッソを飲んでいたら、3階の「ル・ポトフー」のソムリエ・マネージャーがソムリエの格好で店に入ってきました。
「アンジェロ」はイタリアンですが、フレンチの「ル・ポトフー」の系列店なのだそうです。
な〜んだ。。。

ということで、お腹と心を満たして、午後4時からの中央高校生の「アンサンブル・コンサート」に備えます。

ーーーーー
さて、午後4時から1時間ちょっとの「アンサンブル・コンサート」、無事終了しました。
Photo_7中央高の生徒さんのご父兄だけではなく、拙クリニックの患者さんや、酒フィル関係者など大勢の方に来て頂き、およそ40名の観客。
「ジョンダーノ・ホール」には、椅子が60しかなく、演奏に使うため観客用の椅子が少なくなったため、待合室や診察室などから6つくらい椅子を持って来なければ足らない位で、満席となりました。
写真は家内がチェンバロで合奏に参加しているところです。滝廉太郎作曲「花」とヴィヴァルディの「四季より「冬」」でチェンバロ参加です。
Photo_6中央高音楽部員は、入ったばかりの1年生を除く2、3年生の精鋭23名で、16~20人のアンサンブルを響かせてくれました。
 新3年生は、初めてヴァイオリンを持ってまだちょうど2年。コンミスの子は、中学時代はブラスバンド部でパーカッションだったとのことで、2年でこんなに上手に弾けるようになるなんて、やはり若い能力はスゴいと思います。
 「上手い」演奏を聴きたいならば、ベルフィルとかウィーンフィルとかコンセルトヘボウとか、そういうプロオケのCDでも聞けばいいのです。N響アワーだってあります。しかし、音楽の演奏にはただ「上手い」ということではなく、「思い」とか「熱さ」という別のエネルギーが必要です。彼女たち(and a boy)の演奏は、ただお行儀良く合わせるだけではなく、演奏に対する「思い」が現れるようになっていたと思います。

B私たち夫婦も、「家主」の特権で演奏会に参加させてもらいました。
音楽部の学生が主役なので、曲は控えめに短く。J.S.バッハの「フルートとオブリガートチェンバロのためのソナタ」BWV1030から第2楽章のみです。
今日のため、昨日「ジョンダーノ・ホール」で練習したのを録音し、音ブログにアップしています。
演奏はこちら→「252. BWV1030 2楽章」です。

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