酒田まつり創始400年本年祭です〜その2
5/19(火)夜の前夜祭からつづきです。
横浜開港の父とも言われる遊佐町出身の佐藤政養の縁から、5月頭の「横浜開港150年祭記念パレード」にも参加してきた『日吉丸』。
綺麗な山車です。
前から見たところですが、天辺に鳳凰、正面に羽の生えた龍、両脇にも立派な龍の木彫りの飾りが付いています。近くで見ると本当に手の込んだ細工がいろいろ見えてきます。
前夜祭も昨年より人出が多く多いに盛り上がりましたが、やはり何と言っても「本祭り」です。
5/20(水)の正午から始まりました。この模様は、山形新聞のインターネットニュースでビデオ映像が見られます。いつまで閲覧できるかどうかわかりませんがリンクしておきましょう。
動画ニュース「酒田まつり『本祭り』」
本祭りの行事の中心、山車の巡行です。酒田市役所駐車場と112号線の2カ所から合わせて51団体、約2500人の山車行列。昨年はずっと雨にたたられましたが、今年はすごいお天気。良過ぎて、暑くてたまらない感じ。
昔の奉行所の代官は酒田市長が務め、頭屋の町内会の人々は皆、羽織袴に裃をつけて練り歩きます。家内の叔父さんは北今町の住人で、本来ならこの行列に入るはずでしたが、奥さんの義理の姉が亡くなったばかりと言う事で、忌事のある家は参加できないのだそうです。残念!
写真上と左は、400年の歴史の中でもまた歴史を誇る、本間家の「亀傘鉾」。
明和2年(西暦1765年)、酒田本間家三代目で神社にも祀られている本間光丘が207両で京都にて作らせた亀をかたどる目出たい傘鉾です。
私は、これは昭和に作られたレプリカか何かと思っていましたが、明和2年作の本物だそうです。普段は山居倉庫の「夢の倶楽」に飾られていますので、入館料を払えばいつでも見ることが出来ます。でも渡御行列の中で観るのは格別です。
詳しくは、こちら→「本間様の亀鉾とまつり」をご覧下さい。
市役所の駐車所には色とりどり、様々な山車が行列の出番を待って待機していました。
おなじみの黒と赤の大獅子(H19年のJAO酒田大会のプログラムの表紙も、スタッフTシャツもこの大獅子がデザインされていました)の他に、幼稚園、小学校、中学校、子供会などの山車があります。
写真は、景勝地である旧平田町の「十二滝」をモチーフにした山車。
山車行列を楽しみ、清水屋横の「三日月軒」で伝統的酒田ラーメンを味わっていたら、市長と一緒に裃つけて歩いておられた拙クリニックの大家さんの会長M氏が巡行を一周して回って来られ、三日月軒の亭主に有り難い「酒田大獅子」のお札を配っていました。私はすでにゲットしていました。
いつもは車でススッと通り過ぎてしまう酒田の街中ですが、お祭りで交通規制が布かれているためゆっくり歩きました。するといつもは気がつかないものに気付いたりします。
松尾芭蕉が酒田に長逗留したのは有名ですが、中でも酒田の医師、伊東玄順宅には8泊もしています。玄順は俳号を不玉と言い、伊東宅跡は「不玉亭跡」としてこのような碑が建っています。
山形(上山)出身の歌人斎藤茂吉も医師ですし、医者にも歌人、俳人など文化的な人が少なくないようですね。
その不玉亭のすぐ近く、酒田市役所の目の前には「鐙屋」があります。
「酒田まつり」を祝してなんと「無料開放」されていたので、久しぶりに訪ねてみました(ちょっとせこいかな?)
「献花展」と銘打って、「酒田まつり」を寿ぎ様々な流派の生け花が飾ってありました。
この「鐙屋」は、井原西鶴の「日本永代蔵」にも「北の国一番の米の買入れ、惣左衛門といふ名を知らざるはなし」と紹介される回船問屋、豪商です。
酒田の街中で写真を撮り忘れたのは、映画「おくりびと」で主人公役もっくんが高校時代の友人にばったりあって、納棺師をしていることを「もっと、まどもな仕事さ、つげ」と揶揄される場面。中町商店街です。露天が並んでいない、「寂しい」雰囲気の時に撮影したいと思います。
その中町商店街でジェラートの有名なお店「モアレ」。暑かったのでこれで涼みます。
冷たいものを食べながら露天を冷やかしていると、暑い熱い食べ物、例えば米沢牛の串焼きとかあげ餅とかシャーピンとか焼きそばとかが昨夜のようには売れておらず、人出が多いのにちょっとかわいそう。
山車行列真っ最中のマリーン5清水屋前。
お祭りってのはこのくらいの人出がなければ盛り上がりません。それにしても、日曜の仙台一番町よりも人が多いかも(部分的に)。歩くのも楽ではない位、人が出ていました。
また明日(つまり今日)から、人の少ない、寂しい商店街に戻るのでしょうけれど、こういう時もあっていいですね。
写真もいっぱいあるので、「本祭り」の夜祭り、目玉の立て山鉾の巡行の事は明日に続きます。
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