酒田まつり創始400年本年祭です〜その3
例年の「酒田まつり」は、5月20日の日中で終了です。
今年は記念の年という事で,「夜祭り」で閉会という趣向。その目玉は、あの20mの高さと言われる立て山鉾の巡行です。
昔の「山王祭り」では「雲を突く様な」と表現される巨大な立て山鉾が街を練り歩き、その姿は酒田湊に停泊する船からも見えたとの事。近代になり街中には電線が張り巡らされたこともあり、立て山鉾を動かす訳には行かなくなりました。
ということで、明治39年(西暦1906年)に姿を消して以来、103年ぶりの復活ということでした。昨年は酒田市役所に据え付け飾られただけで動きませんでしたが、これですら102年ぶりの復活でした。そして今年はついに「山が動いた」訳です。
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市民の寄付金、市からの補助など合わせて1,100万円かかったのだそうです。
清水屋前の道路を50m程動いただけでしたが感動しました。
山が動いたのは、夜も8時半を回っていました。
予定では午後8時過ぎと言う事でしたが、安全に確実に動かすためにいろいろあったのでしょう。
夜祭り自体は、午後6時から始まりました。
折角の機会なので、6時少し前には清水駐車場に車を入れ、清水屋正面玄関前に到着。すでに大勢の市民、観光客が臨時に設置された椅子(ビールケースなどに板を渡したような簡素なものが歩道に3〜4列)に座って陣取り、我々は立ち見に2〜3列目。人の頭の間からなんとかイベントを見ると言う感じ。背の低いおばあちゃんが「なんにも見えね〜」と横で嘆いていました。
イベントを盛り上げるための、踊り(鶴岡のよさこいソーラン同好会?や山形市のファイヤーダンスグループなど)があり、写真のように東北公益大学の学生サークルによる「よさこいソーラン」のパファーマンスも披露されました。この学生たちの踊りは大変良かった。エネルギッシュで若々しさに満ちあふれ、上手な人から初心者(新1年生)までレベルにデコボコはあるものの、とても惹き込まれるダンスでした。終わった後、「アンコール!」の声が観客からかかっていたのもうなづけます。
内陸の村山市からも、村山徳内囃子のご一行がわざわざ参加されて、見事な踊りを披露し、8月の徳内祭りの宣伝をして行かれました。踊りの一番後方で巨大な旗を振っているお兄さんの力強さに感動しました。
酒田の隣町、庄内町からは「飛龍」による龍の舞い。大きいのでなかなかに迫力がありました。龍の頭に乗ったお兄さんがあめ玉などを放り投げ、観客は競って取っていましたが、家内も一個ゲット!
そうこうしているうちに、陽も暮れてきました。
「山」の前を飾る最後は、「日吉丸」と「八波会」の神輿。
今年も会と同じ芸名を持つ「八波一起」さんが参加され、神輿の先頭で提灯を振って元気に活躍されていました。八波さんのブログに、20年前、「八波会」から「酒田まつり」に参加して欲しいと連絡があり、意気に感じてギャラなしで参加したという事が書かれています。
こちら→「八波一起のたっしゃでワイド!!」をご覧ください。
上の写真で、ひとつ問題があります。
中央に白っぽい帽子をかぶったご夫人の一つ前に座る、濃いグレーのつなぎのような服を来た男性です。分かりにくいかも知れませんが、タバコを吸っています!この人混みの中でタバコを悠然とくゆらせているのです。手荷物を自分の横に置いて、一人分の席も潰しています。
どこにでもこういう非常識な人は居るものですが、目の前には子供も座っているし大変危険。
「飛龍」からあめ玉などが投げられた時も、徳内囃子からお札のようなものが投げられた時も、この男性は煙草を吸いながらも周囲の人と争って取り合いをしていました。右手に火のついたタバコをもったままです。隣の男性に注意されても素知らぬ顔でタバコをくゆらせ、周りに紫煙をまき散らしていました。
主催者には、来年以降、祭りの最中の歩きタバコ、観客席や見物中のタバコは「禁止」して頂きたいと思います。
前座的パフォーマンスや山車、神輿が終わって、ついに山が動く時が来ました。
予定では午後8時過ぎと言われていましたが、8時を20分過ぎても動く気配もなく、内部の電灯も点けられず、MCからの説明もなく、しびれを切らした人や小さな子供連れなどは途中で帰ってしまう人もいました。
8:30前後になって、ようやく「山」が少しずつ清水屋前の道路に出てきました。15トンもあるそうなので、曵き手も大勢必要です。少しずつ正面を向き、ようやく正面に向いたのが8時半頃。
カウントダウンとともに内部の電灯が灯されます。
天辺は鳥海山山頂。雪を頂き山麓からは酒田市の鳥、イヌワシが舞います。
十二滝、玉簾の滝などが描かれ、山、平野、川、そして海には北前船。庄内沖で獲れる様々な魚介類もぶら下がっています。「西回り航路」を開いた河村瑞軒が立ち、庄内オバコも立っています。
最後に実行委員長である酒田市青年会議所の代表が凛々しくも挨拶をし「来年も、これからも、立て山鉾が続くように努力したい。市民の皆さんのご支援もお願いします。」というようなご挨拶。
これにて閉会となりました。
最後に最上川河畔でしょうか、何発かの華々しい花火が打ち上げられました。清水屋前に立つ人からは死角になっていましたが、道路の反対側に陣取った人からはよく見えたようでどよめきと歓声が上がっていました。来年以降はあげる場所、角度をもう少し検討して頂きたいですね。
創始400年、亀傘鉾は344年、そして立て山鉾の巡行は103年振りという、まさに歴史的な「酒田まつり」はこうしてフィナーレを迎えました。
山鉾作りや山車の準備、巡行などに関わった方々、その他大勢の裏方さん、ご苦労様でした。来年は、是非、祭りの観客は禁煙でお願いします。
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コメント
酒田祭りって、こんなに大掛かり
なんですか~。
でもじっくり観られてよかったですね。
都会は怖いです。
私は阿修羅展に行きましたが、
背が低いので、肩から上を遠巻きに
観ただけでした。
それよりも阿修羅を観ようと左回りに
1周するはずが、ずっと廻り続ける(多分)
前の4重くらいの人の渦が怖かった。
人間のエゴをみたような・・・
後姿を垣間見ただけでもうこの場所には
居たくないと思いました。
阿修羅だけに修羅場;
投稿: イコマ | 2009.05.24 22:46
おお!これはこれは!珍しい!
え?!「阿修羅展」?いつ?今日?
というのは、うちら夫婦は今日、国立西洋美術館に「ルーブル展」を観に行って来たところですよ。雨の中、50分くらい並んで入りました。ここにも人がたくさんいましたが並んだかいはありました。
その後、バロックフルートの前田りり子さんのコンサートに行きました。有田正広氏のお弟子さんで、若松夏美さんともヨーロッパ演奏ツアーに行ったりしたそうです。
投稿: balaine | 2009.05.24 23:12