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2009年3月

2009.03.31

鳥海山は今日も美しい。。。

3月31日です。
明日から4月ですね。
今日は日中お天気でした。
331院長室から見える今日の鳥海山です。
いつものように美しい。
天気はよかったのですが、空気は結構冷たかったようです。

明日の天気予報を見ていたら、明日、山形県内はどこも気温が低く、午前中は「雪」との予報でした。4月なのに雪です。

4月の雪で思い出すのは、昭和47年の4月1日のことです。
この日、私は父の仕事の関係で、香川県高松から仙台に転居してきました。当時の交通の便では、高松からフェリーで岡山へ、岡山から特急で大阪へ(開業したばかりの山陽新幹線だったかも。個人的にちょっと悲しい事件の記憶があります)、大阪で1泊し、翌日大阪から東京へ新幹線で、上野で特急に乗り継いで仙台へという2日かかりの大変な旅でした。
当時、まだ東北新幹線も通っていない、木造の旧仙台駅に着いたのはすでに陽も暮れた頃だったと記憶しています。仙台駅から外に出た私は目を疑いました。

雪が舞っていたのです。

倉敷と高松に暮らした計4年間の間で、雪がちらついた日は何日かあったように記憶していますが、積もったことなど一日もありませんでした。温暖な気候の瀬戸内海地方から「寒くて暗い」イメージの東北に転校してきた訳ですが、仙台に着いたその日に、しかも4月に雪が降っているなんて予想もしていなかったのです。中学生の私は大きなショックを受けたことを覚えています。
「こんなとこに住むのか〜、、、」

それから、仙台、山形と東北に暮らすこと37年近くになります。雪が降るからこそ美しい鳥海山を毎日見る事が出来ます。

Photo一昨日、マリーン5清水屋でも見かけ、希望ホールでの「おくりびと」特別上映会でも販売していたワイン。ラベルは、一番上の写真と同じような鳥海山の写真です。
しかし!「月山ワイン」なのに「鳥海山」とはこれいかに?!
清水屋オリジナルなのだそうですが、酒田のデパートが作ったから許されるものの、なんで月山の写真ではないの?と批判を浴びないでしょうか。
映画「おくりびと」には、鳥海山だけではなく月山も何度か画面に大きく出てきましたよね。

Photo_2さらに「おくりびと」のお酒も新しいラベルのものが出るそうです。今は「NKエージェント」社屋となった旧割烹小幡をラベルにしていますが、今度は旧櫛引町の桜の写真。予告編でも出てくるあの桜です。
庄内地方の桜は、開花予測日まであと2週間を切りました。

都会の人は、雪を美しいと評します。確かに雪は真っ白で美しいのですが、その中に暮らすのは楽ではありません。寒いし、歩くのは大変ですし、大雪が降れば除雪は大変です。地吹雪になれば、車で運転することすら危険です。
そういう厳しい冬があるからこそ、より春を愛で喜ぶ気持ちが東北に暮らす者には強く湧き起こります。4年間に2、3日雪がちらつく程度の温暖な地方で暮らしていた頃にはまったく理解できない喜びです。
そして、鳥海山の美しさを今日も感謝の心で眺めています。

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2009.03.30

三寒四温?

とは冬から初春に使う言葉でしょうか。
九州では桜も開花し、花見も盛り。京都辺りではようやく開花し、お花見はこれからという状況のようですね。
山形県で最も早く桜が開花するのは、日本海に近く県内でも気温が高い酒田なのですが、今年の開花予想は4月11日と(今のところ)言われています。先週の冷え込み、降雪がどのように影響を与えるのかよく分かりませんが、昨日の午後からは穏やかな天候。
今朝はとても寒かったのですが日中はポカポカ陽気になってきています。見頃は、サロンコンサートの4/19頃ではないでしょうか。。。

さて、昨日の希望ホールでの「おくりびと」特別上映会の話の続き。
Photo_2「おくりびと」ロケ地マップ(酒田版)ですが、右は先日購入したお酒「おくりびと」の箱の中にはいっていた物。左は松山文化伝承館に置いてあったものです。中身も少しだけ違うのですが、表紙に「日本アカデミー」と「米国アカデミー」のことが大きく印刷されていて、発行が「酒田市」になっています。NPO法人酒田ロケーションボックスが作っていたチラシを市が率先して印刷し始めたと言うことでしょうか。

映画を観に行く前に小腹を満たそうと、マリーン5清水屋の1階角に少し前にできたラーメン屋(新庄ラーメンを喰わせるらしい)に行こうと思ったら、夜は18:00~2:30a.m.という営業時間のため、まだやっていませんでした。残念!
清水屋で「諸国旨いもの市」とか言うのをやっていると言うことでイベント会場を覗いてみると、九州から北海道までいろいろな特産品、流行の旨い物の店が並んでいました。

Photo_3ラーメン腹(脳?)になっていたので、一角にある「喜多方ラーメン」にふらふらと吸い寄せられました。喜多方の中心部にある「ラーメン館」から出店していたようです。
喜多方には、昭和60~61年の冬、5ヶ月間、一人医長として某病院に出向していたので、その間はほぼ毎日のように喜多方ラーメンを食べていました。今でもとても懐かしいのです。
酒田のラーメンとはやはり全く違います。魚系の出汁はほとんど使われておらず、野菜と豚骨、鶏ガラが主体だと思います。期待していなかったのですがとても美味しかった!
当時の喜多方で夜飲みに行くとよく寄っていたI食堂のおばさんはどうも病気で亡くなったらしい、と出店していた喜多方の人から聞き、残念に思いました。まあ、23年程前のことですからね〜。

宇都宮の餃子と横浜中華街の点心を少し味見させてもらい、名古屋の手羽先揚げと、川越の鯛焼きと、広島の広島焼きを買って帰宅後の食事としました。

ーーーーー
先週からF1が始まりました!
今年はホンダが撤退し、チームは身売り。エンジンをメルセデスにしたチーム「ブラウンGP」。昨年まではバリチェロとバトンという優秀なドライバーを擁しながら、なかなか好成績は残せなかったホンダチームでしたが、ブラウンに変わった途端、なんとなんと1、2(ワンツー)フィニッシュで優勝です。驚き!

F1は、いまやエコ、地球温暖化、世界規模の経済不況のどれにも逆行するスポーツと言えます。先行きの不安はありますが、やはり観ていて興奮します。世界規模で1万人ともいうリストラを断行するトヨタはF1から撤退しませんでしたが、来年はどうなるかわかりません。ホンダもトヨタもいなくなってしまったら、日本グランプリも消滅してしまうかもしれません。
今年の日本GPは、ホンダが撤退したにもかかわらずホンダの本拠地鈴鹿サーキットです。トヨタの本拠地富士スピードウェイでは今年は開催されません。

今後モータースポーツはどうなって行くのでしょう?
一方で、エコとかハイブリッドとか言いながら、他方でガソリンを撒き散らし時速380kmを越える超高速の世界を追求する。エネルギーが無限で、地球環境が落ち着いているのならいいのですが。まだまだ寒い日もあるとは言っても地球温暖化で10年、20年前に比べると明らかな桜の開花時期が早くなって来ている現状。いずれ10年も経たないうちにF1やインディやル・マンなどのモータースポーツは消え去るしかない運命なのではないでしょうか。。。

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2009.03.29

「おくりびと」、三たび

「希望ホール in 希望ホール」に行ってきました。
映画「おくりびと」の希望ホールでの特別上映会が3/28,29の2日間行われました。

Photo(映写は1階席の最後尾に2台の大型映写機が設置されていました。途中でこの映写機の調子が悪くなり、画面が乱れたため一旦停止して再始動したり、しばらくカタカタカタカタと回転する音が結構大きく響いていましたね。「金、返せ!」と文句言う人はいなかったのでしょうか、、、)

映画に先立ち、滝田監督と主演の本木さんからのビデオレターが流されました。(撮影されたのは日本アカデミーの直後の様で、まだアメリカアカデミー受賞の前のようでした)
映画「おくりびと」の制作にあたり、庄内の人々、庄内の風土、庄内の食べ物に応援され助けられた事に対する感謝の言葉がありました。

映画は封切りの日、9/13に映画館で観て、先日DVDも届き、3回目になります。次にどういうシーンが来るかおよそ覚えているし、台詞も結構頭に残っていました。
助演男優賞を受賞した山崎努演じるNKエージェント社長の佐々木が「うまいんだな、、、困った事に」という台詞は、ふぐの白子を炙った物を食べたときだけではなく、クリスマスに皆でフライドチキンにかぶりついた時にも言っていましたね。
映画館ではなく、希望ホールでの上映である上、地元の人ばかり、中にはエキストラで出演した人もチラホラ。いくつかのシーンや台詞には会場から笑いやどよめきなども聞かれ、とても「反応」のある上映会でした。

やはり、冒頭の「第九」演奏会は、ここ希望ホールで撮影されただけに、希望ホールで観る感慨というのは特別なものがありました。酒田フィルの定期演奏会などでたびたびステージの上に上がる事ができる恩恵に浴していることもあり、希望ホールのステージがアカデミー賞を獲得し、今後世界で上映される映画として世界の人の目に触れることを考えると、なんだか我が事のように嬉しく思うのでした。
鳥海山の美しい姿は映画を通して何回も出てきました。白鳥も、庄内地方に生きている物の一つとしてポイント,ポイントで映像に生命の美しさを強調するものとして登場します。
冷静になってみて観ると、ストーリーの展開に映画というよりはテレビドラマ的な、なんと言ったらいいのでしょうか、やや「計算」しつくされた感のある部分も否めませんでしたが、感動的なシーンにはやはり目頭が熱くなってしまいました。会場内でもすすり泣く声が聞こえてきました。

会場の整理には、酒田ロケーションボックスの人たちがあたっていて、副理事長で「鈴政」(映画の中でもモックン演じる大悟が「港座」を探して歩くシーンで堂々と画面に出てくるお寿司屋さん)の若大将「ひでさん」も観客誘導や、終演後に帰る客のお見送りなど活躍されていました。
映画のエンドロールは、9/13に劇場で観た時と少し違うようでした。山形交響楽団のすぐ後に、「酒田第九を歌う会」の皆さん、と酒田フィルハーモニー管弦楽団というのがすぐに出てきましたが、前観たときは、酒フィルのクレジットはもう少し後ろの方だったと思ったのですが。

(写真、および記事の追加は後に続きます)


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2009.03.28

3月末の雪

今週はまた冷え込み、一昨日辺りから雪がちらついていました。

328b_2今朝起きてビックリ!
雪が積もっていました。彼岸過ぎて、3月末の積雪はいくら山形でも稀です。
(この写真の中に、ちいさくうちの「白さん」も写っています、あ、ご存知の方だけ分かるでしょうか?)

328この時期に朝車に積もった雪を掃くなんてあまり記憶にありません。拙クリニックのスタッフの中には気が早くて夏タイヤに替えた人がいましたが、あわてて戻したそうです。ちょっと異常な程低い気温。
そのうち異常な程暖かくなりそうですが、このままでは桜の開花も予定より遅くなるかも知れませんね。

先日、旧平田町の阿部家にお雛様を観に行った帰り道、路端の丘の部分に色鮮やかな緑色の蕗の薹がたくさん出ていました。今まで、蕗の薹を摘んでいる人を見かけたことはありましたが自分で摘んだことはなかったのですが、その日はなぜか「よし!摘んでみよう」という気になりました。「美味しいよ!」と蕗の薹が呼んでいるような気がしたのです。
Photo笠の開いた蕗の薹は「トウが立つ」と言われるように固くて苦くなりますので、なるべく開いていない、あまり大きくないのを探します。時には雪やシダの下に隠れるようにひっそりと出てきています。
家内が天ぷらに揚げてくれました。
微妙なほろ苦さと軽妙な甘さが口の中に広がり、春を感じます。
これを頂いた時には、「もう春だな〜」と思ったのですけどね。


拙クリニック向かいの、元ゴルフ練習場。
先日まで、あの高いネットをかけていた支柱の取り外しを写真でレポートしていましたが、ついにほとんど更地になりました。
Photo_2更地になった空地の向こうの住宅街のさらに向こうに日本海総合病院が見えます。この写真を撮った時は雲が出ていてよく見えませんが、天気の良い時にはずっとずっと向こうに鶴岡の金峰山が見える時があります。視界を遮る高い建物がほとんどないからです。

庄内に春が来るのはもう少し。
あと2週もすれば桜が咲くでしょう。

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2009.03.27

石井理恵ピアノリサイタル in 鶴岡を聴く

3/26(木)、19時開演、鶴岡市文化会館での石井理恵さんのリサイタルに行ってきました。

木曜は午後1時までの診療なので、まずは週一通いのスポーツジムへ。
鈍っている身体を1時間強いじめました。筋肉痛が心地よい。でも冬の間の運動不足と仕事のストレスなどで体重はなかなか減少しません。。。(;;)

ジムからクリニックに戻り1時間程フルートの練習。愛器18Kゴールドはパールフルートの工場にオーバーホールに出したので(工場送りは1年半以上ぶりか)、総銀製C足管で練習。材質の違いだけではなく、歌口が違うので息を当てるポイントも少々違うし鳴りも響きもやや違和感がある。
ドップラーの練習をしていたらあっという間に時間が経ち、自宅に寄って鶴岡へ向かう。
開場時間を過ぎて到着したにもかかわらず、駐車場は余裕がある。観客の少なさを予感。

鶴岡市文化会館は昭和30年代の竣工で、式典なども行う多目的ホールとして作られているため音楽ホールとして音響の良さはあまり望めません。さらに、当時の日本人の体格で設計されているためか、客席は非常に小さく、座ってみた感覚ではおそらく山形県民会館の椅子よりも小さいと思います。椅子の中のスプリングがへたっているため、座るとお尻にゴツゴツした感じがありますが、2時間弱のコンサートならばなんとか我慢出来ます。大柄な外人さんを招待して何時間も座らせておく学会などにはまったく適さない、はっきり言って時代遅れの施設です。
酒田市民会館が、昭和37年竣工の旧会館から平成16年に現在の「希望ホール」になり、本格的なオーケストラピットを兼ね備え、バルコニー席付きの3階席まである素晴らしい音響のホールとなったことと対比して、鶴岡の音楽ホールのあまりの貧弱さは残念なことです。

主催がYBC鶴岡支社ということで、今回鶴岡市文化会館での開催になったのでしょうが、庄内地区でのピアノ単独のリサイタルであれば、中村紘子や上原彩子やラファウ・ブレハッチやアレクセイ・ゴルラッチのリサイタルを行った庄内町の「響ホール」がベストではないかと思います。ピアノの状態とホールの大きさ、ホールのピアノに対する響きなどから考えると、希望ホールはやや大きすぎる印象があります(先日の佐藤七菜子さんのリサイタルでも感じた)。

ホール全体の空間は希望ホールの半分か、せめて2/3くらいしか無い様な印象なのですが座席数は1,247席と県内では県民会館、酒田市民会館希望ホールに次ぐ収容人数なのは驚きです。客席全体を見渡す限りでは800~900席くらいかな?という印象を受けるからです。

開演の19時近くになって客席を見渡しましたが400人入っているだろうか?という人の入りです。これならやはり「響ホール」(満席で520位)でやれば良かったのに、、、と思ったのは私だけでしょうか。

プログラムは、前半が1)バルトーク「ルーマニア民族舞曲」、2)ベートーヴェン「ピアノソナタ第18番変ホ長調」、3)ショパン「3つのワルツ 作品64」、4)リスト=ホロヴィッツ「ラコッツィ行進曲」、後半は5)シューマン「謝肉祭 作品9」でした。
決して響きの良くないホールですが、石井さんのピアノは鳴ります。
ppの繊細な響きから、fffのド迫力の響きまで非常に幅の広いダイナミクス、緩やかで優しい音色から、激しく強い音色と色彩感も多彩です。彼女の演奏で一番感心するのはそのリズム感です。シンプルな一定のリズムは揺るぎがなくどっしりとしていて、テンポ・ルバートや揺れる部分では余裕のある起伏感があり、リズミカルな部分では聴いているこちらの身体も弾むようです。

昨年の酒フィル定期で一緒に演奏した、いわば「身内」のような気持ちも勝手に持っており、身びいき的な部分も否定は出来ないでしょうが、やはり彼女の演奏は聴いていて楽しいし感動します。
選曲も良かったのでしょう。ピアノの玄人以外の人でも楽しむ事ができるように、ショパンのワルツを入れたり、迫力満点の「ラコッツィ」では結構小さいお子さん達(おそらくピアノ教室の生徒さん)も、それまではもぞもぞ落ち着きなく聴いていたのにあまりの迫力の音量と腕の動きの速さにみんな時間が止まったかのように身体の動きを止めてピアノを弾く石井さんを見つめていました。
素晴らしい演奏会でした。

決して多くはない観客でしたが、盛んな拍手に応えてアンコール。
1曲目は、モリコーネの「ニューシネマパラダイス」のテーマの編曲。またまた盛んな拍手に応えて、アンコール2曲目は昨年の酒フィル定期の際にもアンコールで弾いたカプースチンの「8つの演奏会用練習曲」から「フィナーレ」。まるでジャズのようなリズムと激しくビートの利いた演奏に酔いしれました。さらにさらに盛んな拍手に応えて、アンコール3曲目!ショパンの「幻想即興曲」。有名な曲ですが、生で聴くのはかなり久しぶりな感じがします。勢いに任せない、コントロールされた美しい演奏でした。

終演後、バックステージを酒フィルの仲間と訪ね、昨年の定期演奏会が山形県の芸術祭で「優秀賞」を獲った(音楽団体では最上位)ことを報告し、演奏の素晴らしさを讃えねぎらってきました。当然お花はたくさんもらうと予想し、酒フィルからのプレゼントとしてあの「おくりびと」のお酒をお渡ししたところ、笑顔で「堪能させて頂きます」と。
山形市からわざわざ来られたご両親や知人、友人らに囲まれていました。
プログラムが硬軟取り混ぜた感じで良かったことと、演奏時の集中力と音の美しさ、そして「打楽器」としてのピアノの迫力を堪能しました。またいつか共演させて頂きたい演奏家だと思いました。

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2009.03.26

月刊「SPOON」休刊(廃刊?)へ

K印刷会社が制作し、毎月「無料」で酒田市および周辺地区に約5万部を配布していた月刊『SPOON』。
来月の4月号をもって「休刊」となるそうです。
1991年4月に創刊され、18年間「無料」で継続配布して来られた情報誌。

最近、似たような情報誌が増えて来ていますが、その中身の質の高さにおいて庄内地区で群を抜いていたと思います。300円くらいならお金を払ってでも読みたいと思うような内容が多く、地元の情報を中心にきれいな写真とためになる文章が魅力的なものでした。
庄内を中心に山形の歴史、芸術、食文化、祭りなどを幅広く掘り下げた取材が評価されて2005年には酒田市教育委員会制定の「庄内文化賞」を受賞しています。
旧酒田市の全戸に無料で配布し、昨年から庄内全域に配布地域を広げたばかりで、まだまだ続くものと思っていただけに大変残念です。
各方面から「廃刊」を惜しむ声が上がっているようですが、K社内ではいずれ「再刊行」の声もあるやに聞き及びます。いろいろな理由があるでしょうが、やはり最近の経済情勢が大きく影を落としているのでしょうか?全国的な雑誌でも廃刊になるものもあるようですし、今朝のニュースでは東京都内でも比較的大きなホテルの廃業や転売が起こっているそうです。

廃部、廃業と言えば、天童市にある「パイオニア」。プラズマテレビはその画像の美しさが売りなのですが、液晶テレビに負けてしまったのか、パイオニアがテレビ事業から完全撤退するそうです。バレーボールのVリーグに所属する(プリンセスめぐこと日本のエース、栗原恵もいる)「パイオニア・レッドウィングス」が廃部になったりする事のないよう、頑張ってほしいものです。

今は「SPOON」以外に、酒田に有料の月刊情報誌が1種類、無料の月刊情報誌が1種類、無料の週刊情報誌が1種類あり、鶴岡にSPOONと似た様な無料の情報誌が1種類、その他にも私の知らない情報誌は出ていると思います。以外と新聞では取り上げない様な特集記事、特にお祭り関係や食文化・グルメ情報が豊富で重宝していました。
月刊「SPOON」(HPはこちら)、また戻って来てほしいですね。


さて、今日は鶴岡市文化会館で石井理恵さんのピアノリサイタル。
昨年秋の酒田フィル定期で、チャイコフスキーのPコンを見事に弾いてくださった素晴らしいピアニスト。山形市出身で現在は東京で活躍中。郷土の誇る若手ピアニストです。
19時開演です。楽しみです。

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2009.03.24

「アンダンテとロンド」(サロンコンサート準備)

フルートの曲の名前です。
作曲者は現在のハンガリー(旧オーストリア領)生まれのフランツ・ドップラーです(ハンガリー人なので、日本人と同じように「姓」「名」の順で名前を書くので、ドップレル・アルベルト・フェレンツというのが正しい表記でしょうが、通例で英語式に表記しています)。
救急車が近づいてきて通り過ぎ去って行く時にサイレンの音の音程が変わる、あの「ドップラー効果」のドップラーではありません。ドップラー効果は、ヨハン・クリスチャン・ドップラーというオーストリア生まれの物理学者です。
調べてみると、フランツ・ドップラーは1821生まれ、1883年没、一方のクリスチャン・ドップラーは1803年生まれ、1853年没なので、同世代の人です(クリスチャンは、モーツァルトと同じザルツブルグの生まれ)が、親戚ではないようです。

さて、フランツ・ドップラーはわずか18才にしてブダペスト歌劇場の首席フルート奏者を務めた程、フルートの名手でした。その後はウィーン宮廷歌劇場首席フルート奏者、首席指揮者、ウィーン音楽院フルート科教授などの輝かしい経歴を持っています。また弟のカール・ドップラーもフルートの名手で、共に作曲家でもありました。フランツのほうは、実はオペラやバレエなどの舞台音楽の作曲家として評価がたかったようですが、現代ではフルート曲で有名です。

特に、「ハンガリー田園幻想曲」は、その東洋的な響きや旋律から日本人には大人気の曲で、この曲を知っているから、演奏してみたいから、壮年を過ぎてからフルートを始める方もいらっしゃる程です。
フランツとカールの兄弟ともにヴィルトゥオーソとして活躍したこともあり、フルート二重奏曲にも名曲を残しています。その一つが、タイトルの「アンダンテとロンド」。

4/19(日)の拙クリニックのサロン・コンサート第4回で、仙台フィルのフルート奏者山元康生氏とともに演奏させてもらえることになりました。頑張って練習を始めています!
どんな曲かというと、YouTubeなどで演奏が公開されているので紹介します。
YouTubeのドップラー「アンダンテとロンド」←をクリックして視聴下さい(途中、ちょっとミスもありますが大目に見て下さいね)。
これ以外にもいくつか公開されています。

Photoこれはまだ仮の状態ですが、4/19(日)のサロンコンサートのチラシを作成しました。
プログラムはここに載っている通りですが、なかなかいい選曲だと我田引水です。大学生以下は500円にしているので、現在フルートを学んでいる学生さん達にもたくさん聴きにきて欲しいと思っています。
この他にも2曲程アンコール曲を準備しており、ピアノS嬢とチェンバロのKK嬢も目下猛練習中のようです。
小学校時代からの友人との共演、実は彼がプロになってから二重奏するのは生まれて初めてです。
大変楽しみです!

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2009.03.23

酒田雛街道巡り

昨日は、雨降りとなりましたが、午後から出動。
まずは腹ごしらえ(いつもこれ、笑)。

Photo現在は酒田市になってしまいましたが、旧松山町の松山軒という有名なラーメン屋。これまでは「四十番」ばかり行っていたので今回初めてです。
午後1時半過ぎに着いたら、「売り切れ御免」の看板が。。。
「二人ぐらいなんとかなりませんか?」と聞いたら「大丈夫ですよ」と言われほっとしました。
上が普通のラーメン、下がチャーシューメン。
Photo_3麺は太めの縮れで、スープは醤油味。おそらく野菜をたっぷり使って出汁を採っているものと思われます。塩っぱくて甘い、さっぱりしているけどコクのあるスープ。美味しい!人によっては、この甘めの感じは「どうかな?」と思うかも知れません。でもとても美味しくてドンブリの底までスープをなめるように飲み尽くしました。
麺は歯応えモチモチでとても美味しい。おそらく酒田周辺の数あるラーメン屋さんの中でも上位5本指に入る麺の旨さだと思います(個人的には、「味龍」の麺、「三日月軒東中の口店」の乱切り麺などと並ぶ美味しさだと思いました)。

腹ごしらえ後向かったのは、松山軒からは目と鼻の先の「松山文化伝承館」。
とても立派な建物です。昨年の桜の季節にも来ました。「松山城趾と桜」をご覧ください。
ここに、雛人形と地元の人たちが製作した「傘福」が飾られていました。
と同時に「真下慶治」の素描展が開かれていました。この「真下慶治記念室」は常設で収蔵品の展示を時々変えているようです。「松山文化伝承館 真下慶治記念室」をご覧ください。

その後、旧平田町の阿部家のおひな様を観るために、「眺海の森」の山を越えました。
「え?こっちで大丈夫?」というような道ですが、ナビの案内通りでスムーズに到着。客は我々夫婦だけ。係の人(阿部家の人?)がていねいに案内してくださいました。
Photo_4昔の農家の組織の中で「肝煎」と呼ばれる、土地の中心的役割を果たすお宅だったようです。外から見た感じよりも中は広く、土蔵まで廊下が繋がっていて古いものがたくさんありました。驚いたのは、200年以上前に作られた大きくて立派な仏間。観音像も祀られ素晴らしい欄間の彫刻など驚きの品々。
そして、雛飾りは大きくはないけれど古くて歴史を感じさせるもの。更に、鵜土河原人形がたくさんありました。地域に古くから伝わるものと、阿部家で行われる土人形制作教室で作られた比較的新しいものも含めたくさんのお人形が飾ってありました。

冷たい雨が降って、結構寒くなったので、暖まるために今日の雛めぐりは、酒田フィル団員の溜まり場でもある喫茶店「山茶花」へ。
Photo_5マスターの趣味で季節ごとにかわる飾り物があるのですが、今の季節はお雛様。「酒田ひな街道」では、市中心部のお店でも雛飾りを飾っているところにはピンク色の幟を立てて目印にしています。

Photo_6「山茶花」からの帰り。市役所の駐車場で酒田市が出している看板を写真に撮りました。
真ん中に、米国、日本両方のアカデミー賞受賞を祝う看板があります。
その横に今年「創始400年」を迎える「酒田まつり」の看板も出ています。「酒田山王まつり」のHPはこちら→「酒田まつり創始400年本年祭」をご覧下さい。

日本中に何百年と続く歴史あるお祭りがあります。
「酒田まつり」は慶長14年、西暦では1609年に始まったそうです。国内のどんなお祭りにもひけをとらないのは、戦争中だろうが、大火事があろうが、大飢饉があろうが、この400年の間、一度も取り止めずに毎年欠かさず行ってきたお祭りだということです。
たとえば、私の生まれ故郷である博多の「どんたく」は、その起源を辿れば800年以上の歴史があるようですが、現代までの間に何度も取り止めになっています。「酒田まつり」の凄いところは、400年ず〜〜っと続いていると言うことです。「湊酒田の心意気」と言われています。

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2009.03.22

愛しき楽譜たち

昨日から秋の定期演奏会(10/25、酒田市民会館「希望ホール」)に向けての練習が始まりました。
Photo今年の定期の演目は、メインにドヴォルザークの交響曲第7番を選びました。
いい曲です。
難曲です。
昨日の練習で初めて楽譜が配られて、いきなり本当の「初見大会」でした。
フルート、おいしいところがたくさんあります。

協奏曲は、なんとヴァイオリンに久保陽子さんをお迎えして、ブラームスのヴァイオリン協奏曲です。
名曲です。
難曲です。(笑)
笑っている場合ではありません。


Photo_2更に、私には練習しなければならない曲があります。
こちらは、5月にパシフィコ横浜で開催される第3回国際脳腫瘍学会の開会式典で演奏するものです。
学会のHPはコチラ→wfno2009です。
学会会長の松谷先生(埼玉医科大学副学長、脳外科)が脳外科オケ団の事務局長をなさっている関係で開会式に続いて小児脳腫瘍患児に対するチャリティコンサートとして行うことになりました。
開会式入場音楽としてモーツァルトの歌劇『フィガロ』から第2幕のフィナーレを演奏します。
チャリティコンサートとしては、1)モーツァルトの『魔笛』序曲、そして2)ベートーベンのピアノ協奏曲“皇帝”を全曲演奏します。
ピアノ独奏は須藤千晴さんという、才能あふれる美しい方です。こちら→プロフィールをご覧下さい。

ベートーベンのピアノ協奏曲は全て好きですが(大好きなのは3番)、「皇帝」はまだ演奏したことがありません。なんとピアノ譜もスコアも持っています。バックハウスとルドルフ・ゼルキンの演奏が好きです。楽しみです!

Photo_3そして、さらに、今年第1回(通算第4回)の「サロン・コンサート in ジョンダーノ・ホール」を開催する4/19(日)に、仙台フィルの山元康生氏と共演する曲が決まりました。
写真一番右のドップラーの「アンダンテとロンド」です。
フルート吹きには良く知られた曲。フルート吹きが二人揃うコンサートなら取り上げられる確率の高い曲ですね。とても楽しいいい曲です。ドップラーは兄弟で凄腕のフルート吹きで作曲家だったそうです。
その他の楽譜は、左からモーツァルト、テレマン、ヘンデルのフルートソナタの楽譜。こちらは山元氏の演奏ですが、チェンバロ演奏は家内がやります。

ファミリーコンサートの「小鳥」が終わっても、こうして毎日毎日取り組むべき曲がたくさんあって嬉しいです。プロとして、仕事で取り組む場合と違い、私のように「この機会を逃したら今度いつ吹けるかわからない」(特に「皇帝」など)という立場では、練習できることが楽しくて仕方がありません。

今日も練習してから、午後は「酒田雛街道巡り」にお出かけです。

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2009.03.21

「みーちゃん、はーちゃん」

映画『おくりびと』の快挙以降、酒田および酒田周辺のロケ地は盛り上がっています。
今年「創始400年」を迎える「酒田(山王)まつり」を盛り上げるためにもいろいろ考えているようです。「NKエージェント」の社屋になった旧割烹小幡は、夜間のライトアップが始まりました。今年の酒田祭りの最終日の夜(5/21)まで続けられるそうです。

今日は、風は冷たいけれどお天気が良く鳥海山がよく見えるので、午後、「あの」ロケ地を目指してみました。
Photo遊佐町の月光川にかかる「旧朝日橋」近くの土手です。
なんと椅子が置いてありました。(笑)
映画でモックンが座ってチェロを弾いたのは、木製の低い丸椅子のようでしたが、観光客用なのでしょうか、誰が椅子を置いたのか。酒田ロケーションボックスの人たちでしょうか?

Photo_2この旧朝日橋のかかるところにある「月光川河川公園」にはすでに何台かの車が停まっており、映画ロケ地を見に来た人が結構いました。皆さん、カメラを構えて椅子に座り記念写真を撮っています。
Photo_4遊佐高校を月光川に向かって通り過ぎ、保育園のあるところの直ぐ先に新朝日橋がありますが、「ロケ地案内」の看板が出ています。旧朝日橋は直ぐ隣にありますが、このようなロケ情報の看板もありました。

Photo_3Photo_7大悟(もっくん)が橋の上から鮭の遡上を観ていたのもこの旧朝日橋下を流れる月光川。この写真は、隣に走っている「新朝日橋」から撮影。

Photo_5Photo_6ぐるっと回って来ると、旧朝日橋には「月光川」の文字が。
そして、旧朝日橋の上から土手と鳥海を観たところです。

この土手の反対側の河原は、大悟と美香が「石文」の話をしたところ。
Photo_8「いしぶみ」を探しているのでしょうか?男女のカップル(アベックなんて言葉を使ったら家内に笑われてしまいました)がたたずんでいました。
結構絵になりますね。

今度、チェロ持って行こうかな?(笑)
でも、本当に「絵」になる場所です。
大好きな鳥海山がまた美しい。本当に絵になる山です。
Photo_9Photo_10今日の院長室からの鳥海山。右の写真が、院長室の机の位置から丁度見える鳥海山。
設計図面を引く時も、机に向かった状態でいつもこの美しい山を眺める事ができるように設計してもらい、大きなガラスの窓を部屋の北側北東よりにつけたのでした。
私は美しいこの山を眺めてどれだけ心癒されてきたことか。
以前、酒田の人に「鳥海山、美しいですよね〜」と言ったら、「あ〜、、、毎日みてんもののぉ」と言われたことがありましたが、私には何年経ってもその美しさに対する感動の気持ちは変わりません。

映画『おくりびと』は、確かに本木さんの構想、小山さんの脚本、滝田さんのメガホン、そして全てのキャストとスタッフの総力で素晴らしい作品に仕上がった訳ですが、私はこの「鳥海山」の存在が本当に大きなものだったと思います。
今日のロケ地巡りはそういう意味では私にとっては単なる「ミーハー」な気持ちではなかったのです。

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2009.03.20

休日の庄内雛街道

今日は春分の日。お彼岸です。
かねてより家内と酒田の雛めぐりをしようと言っていたので、午前中のんびりした後、お昼から出動!

Photoまずは腹ごしらえから。
北新橋の「めだか」。お気に入りの蕎麦屋です。家内は写真の「磯たぬきそば」。今日はちょっと風が冷たく気温も7〜8℃なので暖かいものが欲しくなります。

Photo_2私はこちら暖かい汁で頂く「鳥汁蕎麦」。いつもは板蕎麦にするのですがこの日は普通の「もり」にしてみました。美味しい!
ちょうどWBC日韓戦をやっていて、おいしい蕎麦を食べていたら8回表に日本が3点を追加して5-2となり、9回にも1点とって勝負の行方が見えたところ。

Photo_3まず向かったのは「清亀園」。ここでは「旧家の雛」展をやっています。写真撮影禁止なので写真はパンフレットしかありませんが、加藤家のお雛様と村田輿治兵衛家のお雛様、それに村田家の素晴らしい振り袖を始めとするお着物が展示されています。
お雛飾りも江戸後期の古今雛など素晴らしいものですが、家内はお着物と帯などの素晴らしい衣装に目を奪われていました。ここ「清亀園」はそのお庭も素晴らしかった。

次に向かったのは、山居倉庫にある「夢の倶楽」。ここでも酒田の旧家、加藤家の古今雛が展示されています。実は加藤さんは山響FCの会長もされている方なのでよく存じていて、家内共々お世話になっています。今回も「御招待券」を頂いていたのです。
Photo_5驚きました。男雛はその高さ43cm、女雛も40㎝もありとても大きい。目は二体ともガラス玉。江戸後期の作というのに、本当に大切に保存されて来たのでしょう、全く傷みのない人形とお着物、そして冠などの装束。素晴らしいものです。
雛祭りの時だけ飾られるという後ろの屏風も相当に立派なもの。「洛中洛外図屏風」で金色に輝いています。いや〜、加藤さんって『おぼっちゃま』だったんだね〜、と家内と変な感心をしてしまいました。

まだ時間もたっぷりあるので、今日はもう1軒行こうということになり、実はまだ私は足を踏み入れた事のなかった「相馬楼」に行ってみました。
ここはお雛飾りも立派ですが、博物館的、観光地的にいろいろ観るものがあり、なによりも舞子さんがいるのです。ちょうどお昼の舞子演舞が終わるところ。舞子さんを目的に来ていた観光客の大型バスが2台と県外ナンバーの車が駐車場に停まっていました。ここはその昔「不敬事件」として世間を騒がせた「相馬屋事件」のあった「相馬屋」。料亭が消えるのを惜しむ声に、三元豚で有名になった平田牧場のオーナー(現会長)が買い取って、「相馬楼」という観光客も誘致できる茶屋に仕立て直したのです。建物は一応、(最近話題になっている)「登録有形文化財」。

相馬楼が特注して作らせた、現代物の男雛女雛が凄かった。顔の雑作は二重で大きめなお目目と現代風で、お着物も新しいのでまだビカビカですが、なんとも輝かしさに満ちあふれたちょっとバブルな感じのするお雛様でした。
家内は、それよりも舞子さん達に大喜び。ちょうど3人の舞子さんがいらして、3人ともにそれぞれ特徴のある可愛らしさで、女なのに「萌え〜〜〜!!!」と言っておりました。(笑)

さて、これから旧平田町に行って、無声映画を観て来ます。
佐々木亜希子さんの活弁、楽しみです!

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2009.03.19

明日は春分の日

急に暖かくなりました。
先週だったか、朝、車に乗り込むと車外気温「0.5℃」などと表示されて雪も舞いフロントガラスも凍り付いた日もあったのに、今朝8時過ぎの車外気温は「14.5℃」と表示されました。
午後はコートなどいらない陽気。
3週間振りにスポーツジムに行って体をいじめて来ました(鈍り過ぎ〜)。

Photo拙クリニックの南側正面にあった、鳥海ゴルフ練習場。昨年暮れで営業を停止し廃業してしまいました。まずはクラブハウスの解体から。これは解体を始めて1ヶ月経たない2/1の写真。

Photo_22階建ての打席もあったクラブハウスはいち早く壊されましたが、高い高いネットを張った支柱はしばらく残っていました。
庄内の冬の天候が作業を遅らせたのだと思います。これは2/19の写真。

26天候の落ち着いた時を見計らって、高い高いクレーン車を使って支柱の一番てっぺんまで人があがり、支柱同士を繋いでいるワイヤーなどを外します。日によって強風、雪が作業を阻みます。
これは2/26の写真。

0309雪がほとんどふらなくなり、強い風も吹かなくなって作業が進みます。1日に1、2本ようやく外している感じでした。
こちらは大分支柱が外された3/9。

1高い支柱はついに残り1本になった3/13。短いのがまだ6本ほど残っています。
外した支柱はいくつかのパートに分けて大型トラックに積み込みどこかに運んで行きます。

Photo_3ついに全部の支柱が外されました。
3/18の写真です。
何も無くなると、視界が開けて、ゴルフ練習場のあった曙町を通り越してその南側の日の出町やこあら町の住宅や公園が見えます。

さらに、ずーっとまっすぐのほぼ真南には、日本海総合病院が見えます(写真の真ん中やや左にぼんやり病院が見えます)。
そして、先日、これまた拙クリニックの真正面にあった「ラーメンハウスまこちゃん」が閉店してしまいました。この未曾有の不況の中、生き残れなかったみたいです。目の前にありながら一度しか食べに行きませんでしたし出前も取りませんでしたから仕方ないのかも知れません。

うちの近くにあった、お気に入りだったカレー屋さんが昨年わずか数ヶ月の営業で撤退し、こうしてゴルフ練習場、ラーメン屋さん、とちょっと古い地図なら名前の乗っているお店などが消えています。
この広い敷地には介護福祉施設、老人保健施設2つが建設され、まだ明らかにされていませんが何らかの複合ショッピング施設が建設されると聞いています。


世の中は、確実に暖かくなり、明日は「春分の日」。
東北の地でも梅の開花がチラホラと観られますが、九州などではこの陽気で桜が開花したとのニュースもありました。
WBCでは、なんとかJapanは踏ん張ってキューバを撃退してくれましたね!次はまた韓国ですが、勝つと準決勝はアメリカになります。韓国に負けた場合、準決勝の相手はベネズエラです。負けに行く試合などはしないでしょうが、「優勝」「世界一」を計算した場合、どうするといいのでしょうね。
次の韓国に負けて、準決勝でベネズエラに勝ち、決勝はアメリカと韓国の勝者と戦う方がやりやすいような気もします。
いずれにせよ、頑張れ日本!

明日は、旧平田町のタウンセンターで、先日の酒フィルファミリーコンサートで「ピーターと狼」のナレーションをして下さった、酒田出身で全国で活躍中の活動弁士佐々木亜希子さんが、小津安二郎監督の『東京の合唱』という昭和6年作の無声映画の活弁をされます。
入場無料です。聞きに行く予定です。楽しみです。

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2009.03.18

今年の「サロン・コンサート」の計画

昨年、拙クリニックに併設したリハビリ室でもある「ジョンダーノ・ホール」でいろいろな演奏会を行いました。
5月に、新日本フィル酒田公演に合わせて、フルート副主席の荒川洋さんに記念すべき第1回コンサートをお願いしました。
6月に、小生のフルートの東京の師匠である、フルートクライスの上坂学さんにコンサートとフルート講習会、ミニクリニック、個人レッスンをお願いしました。通称「酒田場所」、「フルートを楽しもう!in 酒田 Vol.1」です。
10月には、昨年の酒田フィル定期演奏会でチャイコフスキーのピアノ協奏曲のソリストを務めて頂いたピアニストの石井理恵さんにピアノでは初となるサロンコンサートをお願いしました。
12月には、酒田フィルのチェロ軍団の発表会とコンミスのバイオリン教室の発表会を行い、小生と家内もバッハのフルートソナタで出演しました。

このように、他のイベントとの関係から不定期に開催して来た「サロン・コンサート」ですが、今年もやります!

まず今年の第1回(通算4回目)のサロン・コンサートは、4/19(日)の午後、仙台フィルのフルート奏者山元康生氏をお招きして行う予定です。
前日、4/18(土)が仙台フィルの酒田公演なのでそれに合わせた形です。山元さんは、実は私の倉敷時代の小学校の同級生。彼がフルートを吹いていたから、まねして私も始めたという関係です。その後、私は高松、仙台と転居しましたが、彼は中学、高校とフルート一筋で、芸大にストレートで合格し、芸大卒業後は、パリのエコール・ノルマル音楽院でレイモン・ギヨーなどに師事したという輝かしい経歴を持っています。仙台フィルの全身の宮城フィルの時代から仙台に移り、そのままずっと仙台の人間になっています。
まだ独身時代には、仙台でもソロリサイタルを3、4回開いており、山形からも2回ほど聴きに行きました。素晴らしいテクニックで、吹けない曲はないんじゃないかという感じです。彼を仙台時代の先生としてその後プロのフルート吹きになった人たちの中には、古川出身の東京交響楽団の首席フルート奏者相澤政弘さんや、仙台出身でソロ活動をしている立花千春さんなど錚々たる顔ぶれがいます。
その後、ピアニストの奥さんと結婚して子供に恵まれて元気な男の子3人のお父さんとなって、ソロリサイタルはほとんどやっていないんじゃないかと思います。彼とは親しくさせてもらっていますが、正真正銘のプロのフルーティストなので一緒に演奏する機会などなく時間が過ぎて来ました。今度のサロン・コンサートではデュエット曲も予定しており、人の前で二人で吹くのは生まれて初めてと言うことになると思います。
大変楽しみです。
4月19日、日曜日です。

続いて、6月13日、14日の土日には、昨年に続いて上坂学さんに東京からお越し頂き、「フルートを楽しもう! in 酒田 Vol.2」を予定しています。
昨年と同じように、土曜日の午後遅くに上坂先生のリサイタル、続いてフルート講習会、同時にムラマツフルート新宿店(今年もおそらく伊藤さん)のご協力を得て、無料調整会と試奏会を開催します。翌日曜日の6/14には、申し込みに従って個人レッスンをお願いする予定です。

それぞれのリサイタルの開演時間、演奏曲目、その他詳細は決まり次第、このブログでもお知らせする予定です。是非是非楽しみにしていて下さい!

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2009.03.17

DVD『おくりびと』きた〜!

1月中にAmazonに予約注文していた映画『おくりびと』のDVD。
Photoメイキングなど、映画館では見られない映像も入ってるという事で3/18の発売を心待ちにしていました。昨日、3/16(月)にAmazonからのメールで「ご注文いただいた商品を本日発送致しました」というメールが届きました。
「え?1日早く届くんじゃない?」と思っていたら、今日届きました。

「きた〜〜〜〜〜〜!!!」

です。(笑)
Photo_3早速開けて観てみました。
購入された方、包装のビニール、捨てないで下さい。
「祝!米国アカデミー受賞、日本アカデミー賞受賞」は、DVD完成の後になったので、中身には印刷されていないのです。ぎりぎりこのビニールの包装にシールを貼る事で間に合わせたようです。

Photo_5上の写真が箱の表側。
左の写真は、箱の裏側とDVDの入った中身です。とても立派な箱に入っていて、長く大事に保存させて頂くという気持ちにさせられます。

Photo_6いよいよ開けてみました!(笑)
左側の1枚の紙には、表に1〜27のチャプターが書かれています。
「10. 君の天職だ」「15. 穢らわしい!」「24. オヤジの訃報」などと、そのシーン一つ一つが思い出されるチャプター名が付けられています。

中身は、購入してご覧下さい。
私が一番楽しみにしていたのは「秘蔵映像」。
特典映像は映画館では見られません。その中の一つ「おくりびとの、おくりびと」はいわゆるメイキング映像満載です。
メインロケ地となった、ここ酒田で封切り前に完成試写会が「希望ホール」で行われました。私は残念ながら抽選に洩れて観に行けなかったのですが、当日は本木さんがステージの上で、生チェロ演奏をされました。そのシーンもこの特典映像には入っています。わずか1年足らずの特訓でよくぞここまでチェロを弾かれる!と感動すら覚えます。

その他、雪のシーンを4月にどうやって撮ったかとか、自宅の中のシーンは東京で撮影したとか、メイキングならではの興味ある話が続々あります。
16名もエキストラで参加した酒田フィル団員。希望ホール「小ホール」で1日がかりで行われた「解散、、、します!」ではほんの一瞬だけ、7,8名が確認できました。その他の人はメイキングで出てくるかなーと思ったのですが、残念ながらそのシーンはありませんでした。

その代わり(?)、希望ホールでの「第九」の演奏会シーンは本編よりも多く、リハーサル中のシーンもあります。「らびおがゆく」の山響ビオラ奏者倉田さん(ブログ記事「一番近くにいた人の証言」をご覧下さい)は、リハでは焦げ茶色のジャケットを着て、少しリラックスして練習しているのがモックンの横でばっちり映っています。
本編では「第九」の第4楽章だけちょっと映っただけですが、メイキングではもっと他の部分の演奏シーン、飯森さんの指揮姿ももっと多く映っています。

Photo_7先日、庄内映画村主催(?)で米国アカデミー受賞の祝賀会が開かれた時、参加者に配られた映画の中の「いしぶみ」を模して作ったクッキー。祝賀会に参列した酒田フィルの事務局長の奥さん(librarianさんのことです)から分けてもらいました。

Photo_8先日乗った酒田市内のタクシーには、ご覧のようなシールが貼られていました。「おくりびと」の「むかえびと」たらんとする酒田市民の姿勢がうまく伝わるといいな、と思いました。

DVD、当然ですが中身もいいです。
特典映像には、映画の最後に本木さんが一人で粛々と納棺の儀式を行ったあのシーンがノーカットで納められています。素晴らしい映像美です。

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2009.03.16

介護保険サービスのこと

昨日、日曜の午後1時半から5時15分過ぎまで、正式名称「介護認定審査会委員及び認定調査員新規研修」という長い名前の「研修」に行って参りました。

3時間半に渡り、分厚い資料のあっちのページ、こっちのページと指示に従って慌ただしく行き来しながらの研修会。参加したのは庄内地区全域(遊佐、酒田、庄内町、三川町、鶴岡)の医師に、介護福祉関係の看護師、ケアマネージャー、役人(介護福祉関係の市、町の担当職員)、ざっと100名強。
事前に場所と時間の連絡はあったものの「介護認定審査会に初めて参加する医師への説明会かな?」と気軽に出かけて行った私は、まず駐車場がいっぱいなので隣の藤島中学に駐車して来て下さいという段階から面食らいました。役人的な受付、日程説明に続いて、トイレ休憩以外はまったく「おもてなし」はなし、飲み物もなし。休憩は2回合わせて15分。
「日曜の午後に人を呼び出しておいて、研修と言う名の強制的な説明会、、、まったく!」という印象しか残りません。医師として25年、特に神経系、脳神経外科を専門にしてきた人間です。「介護認定調査委員」(医師ではない人)を対象に、「上肢の麻痺の見方は座った状態であげさせて顎のラインまで届くかどうかで診て下さい」と言うようなあまり医学的とは言えない説明を延々と聞かされて辟易しながら我慢して座っていたという感じです。「調査委員」(非医師)と「審査会委員」(医師)は別々に研修を行うべきでしょう。
挙げ句には、「認定調査委員」(公務員ではないが市町村から介護認定の訪問調査の委託を受けている)も個人情報の守秘義務を始め、違反した場合は「公務員に科せられる罰則が適用される」という話まで「大事な事ですが、、、」と説明を受けた。
地方公務員法で、「1年以下の懲役又は3万円以下の罰金」と規定されているらしい。

自分からこの仕事を「やりたいです」と手を上げた覚えはない。介護保険サービスは市町村が保険者となって行うものなのだから、どちらかというと市町村の職員が全て行うべき公的サービスなのだが、医療の専門家がいないので地区医師会を頼んで病院勤務医や開業医が「代行」している仕事という認識でいる。その「代行」を「依頼」されている立場の者達に対して「公務員法で罰せられますよ」という話は、「注意して下さいね」という気持ちからなのだろうが「何かおかしくない?」という反感を抱かせた。
広い会場に顔見知りの医師もチラホラいるのだが、開業わずか1年で審査会委員に任命されて研修を受けているなんて私だけだった。一番新しいところで開業3年目の医師もいたが、開業して10年近く経つ先生や、病院勤務20年というようなベテラン医師も多かった。

介護保険のサービスを受けている一般市民の方々は、介護認定がこのような医師達のボランティア的活動に寄って支えられている事はあまりご存知ないだろう。私の場合、地区医師会長の名前で介護認定審査会に参加できる希望日程などを調査された上で、通常の平日夕方からでは診療に差し支えると困るので、「半ドン」にしている木曜の午後6時半からの会議を希望し、そこに出席することになっている。つまり介護認定審査会委員を続けるこれから2年の間(平成23年の3月一杯まで)、およそ2週に1回の割で木曜の夕方を空けておかなければならず、どこかに遊びに行ったりも出来なくなる訳です。
そういう役人、看護師、介護職、医師達の働きがあって介護保険サービスが維持されていると言う事をどのくらいの一般市民がご存知であろうか。
「要支援1、2、要介護1、2、3、4、5」というあの段階を決めて、それに応じて介護サービス(物理的、経済的、精神的な公的支援)が行われるのだが、これは元来は「医療費抑制政策」によって確立したもの。高齢化社会において、膨らみ続ける医療費。破産に向かっていく保険者(国民健康保険とか社会保険の支払い基金)。これを解決する一つの方法として、医療保険とは別に「介護保険料」を被保険者(つまり一般市民)から徴収し、介護サービスが必要となった人(一般には病人)に対して、医療とは別の社会福祉サービスとして、保険者を市町村などの地方自治体として(というより国としては地方自治体に押し付けて?)、国の予算等に関する統計上「医療費」には組み込まれない金の動きを「介護保険」という形に換えた物と言い換える事もできる物です。つまり病気の人を治療するのにかかる医療費とは別枠で、高齢故に身体の弱っている人、または慢性の疾病を抱えた故何らかの介助、介護が必要な人を「医療費」ではなく「介護保険」でカバーする事によって、見かけ上国の総医療費を抑制している形になる訳です。
「介護保険サービス」は、弱者を救済し広く公平に公的な医療福祉サービスを享受できると言う面では良い制度だと思いますが、要するに一般市民から税金を獲った上で更に介護保険料という形でお金を徴収することで、医療保険料(国保や社保の保険金)とは別建てで行っているサービスなのです。
そのサービスを実施する根幹となるのが「介護認定」で、その認定審査は医師に行わせる(というか医師でなければ出来ない)のですが、その役目に一般開業医を「使っている」という形になると思います。これは当然の義務なのか。おそらく推薦指名された時点でお断りする事は出来るのだと思います。医師会長名で届いた書類には「委員として推薦致しました」と書かれています。推薦を辞退することはできるのだと思います。しかし、地区医師会に所属する医師が順番で回って来たら義務としてこなしている仕事をあえて断る特別な理由もないのでお受けした事になっている訳です。

今後、益々高齢化社会が加速し、あと6年後の2015年には団塊の世代が「前期高齢者」になり、全人口の25%が高齢者ということになります。山形県はそれを上回る28.6%が高齢者となると予測されており、『介護保険サービス』の重要性は更に増す事になります。
高齢者が増え、医療費が嵩む中で、「介護保険サービス」によって見かけ上の医療費を抑制し、病院、診療所以外の施設での医療を含む社会福祉サービスを提供するというものですから、今後「介護認定調査」も「主治医意見書」も増加し、それを元に判定会議を行う認定調査委員会の頻度も件数も増大すると予測され、医師が病院や診療所で働く以外の仕事も益々増えるのでしょう。
今でも「医療崩壊」を食い止めるために、病院勤務医の負担を少しでも軽減し医師の病院離れを防ぐために地区医師会会員の診療所開業医が「病院の宿直」や「当直」を分担するということを始めている地区医師会もあります。病院勤務医の労働環境が悪いから、待遇が悪いから、病院での宿直や当直を続けたくないから勤務医を辞めて開業したのが本音だと言う医師も少なくないのに(私も開業理由の一つになります)、その医師達に病院宿直を手伝わせるというのはいかがなものかと思います。
要するにhuman resourceとして医師の絶対数が少ないのです。
厚労省が言うように医師の数は足りているなどということは現場の感覚ではありません。人口と医師数を単純に割ったり掛けたりして計算して出している「医師数」と、実際に働いている、働ける医師の数、医師の能力には開きがあるのです。そして、ますます仕事ができる医師に負担が増す傾向にあります。やはり医師の絶対数を増やさなければなりません。開業医が病院を手伝ったり、開業医が介護保険サービスの判定会議を手伝ったりというのは本来求められている形ではありません。

その医師の専門が何か、これまでの経験はどうか、その仕事を依頼し任せるのに適任な能力を持つのか、それを判断した上での「手伝い」、すなわち社会的に必然の要請があるならば私はそれを否定するものではありません。医師ならば誰でも、どこでも、何でも、、、という今の体制に不満があるのです。
(話が膨らみすぎたので今日はこの辺にしておきます)

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2009.03.15

今年度最後の山響庄内定期のことやら。。。

昨晩と打って変わって、明るい陽射しの日曜になりました。
昨日は、本当に寒かった。風が強いので体感気温が更に低く、そういう悪天候の中で客演指揮者のバイロン・フィデチスさんと山響の皆さんは熱い、熱い演奏を聴かせてくれました。

鶴岡市文化会館は17:45開場、18:30開演でしたが、定期会員チケットをS席指定席と当日交換するために17:00少し前に会館に到着。酒田フィルの定常練習をお休みにして、トレーナーである犬伏さんの応援も兼ねて大挙コンサートに行きましょう!という事務局およびインペク(小生)の考えで、団員にも声をかけました。なるべくいい席を取ろうと、同じ時刻に酒田フィルの定期会員チケットを持つ人が8人も集まりました。
あんまり極端な「かぶりつき」では、こちらも恥ずかしいし、演奏者も緊張するかも?ということでみんなで6~7列目辺りに「プチ・かぶりつき」です。単独で来た人、夫婦で来た人など全部合わせると、酒田フィル団員とその関係者だけで20人は聴きに来ていたのではないでしょうか。


開演まで1時間半あるので、「タビの親父」さんお勧めの、鶴岡市民文化会館近くの蕎麦屋「東京庵」にみんなで出かけました。
Photo昭和61~63年と平成9年にあわせて2年半、荘内病院に勤務したので鶴岡に住んでいた私。しかし「東京庵」の存在は知りませんでした。(恥)
なんと大正2年創業!もう少しで100年の歴史を持つお店だったのです。
説明書きを読むと、何でも初代が東京は神田に住み仕事をしていたので、鶴岡に戻って来た時「東京庵」という名前にしたとのこと。さらに、単なる蕎麦屋ではなく、昔は「フランス料理」を出したり、屋上ビヤガーデンもやっていたそうで、言うには「おそらく地方都市では屋上ビヤホールを最初にした店」ではないかと言う事です。大正初期ですからね。

Photo_2蕎麦屋と聞いていたので、「もり」でもとおもったのですが、会館からお店までの4〜5分の徒歩が雪まじりの強烈な横風で非常に寒かったため、タビの親父さん以外は皆温かいものです。私は「鴨南」。他には「カレーうどん」や「天ぷら蕎麦」「たぬきうどん」。団内指揮者でチェロ奏者の「タビの親父」と第1Vnフォアシュピーラーの「タビのママ」。事務局長でチェロ首席のY氏とライブラリアン(らびおさんや中爺さんのブログによく「librarian」というHNで登場する)でチェロ奏者のY氏夫人、さらにY氏夫妻に小さい時から酒フィルの練習につき合わされ、ピアノ、バイオリン、最近はフルートまで始めた超早熟英才教育を受けているお子さんのMちゃん、そして私たち夫婦で「東京庵」に行ったのですが、考えてみれば1月に山響の真室川公演(「ピーターと狼」に「運命」)を聴きに行ったのとほぼ同じメンバー(もう一人、オーボエのMちゃんがはいりますが)でした。

食べ終わってもまだ外が寒いし開演まで十分時間があるので、ちょうどテレビでやっていたモンテディオ山形のJ1初ホームゲームを観ていました。山形市も雪で、後半はグランドが真っ白になってしまい、寒いだけではなくスリッピーで選手がかわいそうでしたが、結果は「0−0」の引き分け。
あのストイコビッチが監督を務め、日本代表フォワード玉田を擁し、正ゴールキーパーは日本代表の奈良崎というビッグネームの名古屋グランパス。ユニフォームの広告もTOYOTAと国際的企業なのに対し、我がモンテディオの胸に燦然と光る「つや姫」の文字。今年から力をいれて行く山形県のお米の銘柄です。なんとも「山形」らしい。。。
先日の初アウェーで、かつてのJリーグ王者、ジュビロ磐田を6−2と叩きのめしてしまった(これまた正ゴールキーパーは川口能活)モンテ。「これでJ1全敗は免れた」などというネガティブなサポーターの声をよそに、グランパスと引き分けて勝ち点1をもぎ取り、現在順位は暫定2位!
あのガンバ大阪に次ぐ位置にいると言うモンテディオ=山の神。いつまで上位にいれるでしょうか。でもなかなか動きも組織プレーも良さそうだし、魂のこもった試合運びをしているし、1年でJ2へ転落ということはなさそうな予感。。。


さて、話が逸れすぎました(昔はこれでもサッカー少年だったので、、、)。
モンテの試合が引き分けで終わったのを見届けて会館に戻ると18:10頃。この悪天候の割にはお客さんも来ているな〜と思ったのですが、座席についてみると我々の6、7列目より前に座っているお客さんは両脇の方まで見ても、5人しかいませんでした。6割は入ったかな〜?という程度。いつも人の入りが悪いと言われる鶴岡定期。一番の原因は鶴岡市民文化会館の老朽化と音響の悪さによるものだと思います。昨日のコンサートをもし酒田市民会館「希望ホール」でやってくれたら、もっともっと素晴らしかったでしょう!

コンサートに先立ち、マエストロが通訳を伴ってプレトークに登場。
大柄な体を折り曲げるように丁寧に笑顔でお辞儀をなさいます。通訳とはドイツ語で話していました。
1曲目の、私は初体験のベートーベンの劇音楽「アテネの廃墟」 より序曲は、ギリシャ人としてのコメントがありました。元々ヨーロッパの文化の根源に関わるギリシャですが、その当時は政治体制の問題などで抑圧され廃れた傾向にあったそうですが、ベートーベンの音楽が勇気づけてくれたと言うような事を仰っていたように思います。
2曲目のブラームスのドッペルコンチェルトは、ソリストが2人必要なこともあってそんなに多く演奏されないけれど、山響の奏者2人が素晴らしいソリストでもあるので素晴らしい音楽になるだろうとの事。3曲目の「ベト7」は語るまでもない有名曲。山響の皆さんの演奏が素晴らしいと言うような事をおっしゃっていました。

1曲目は、曲の題名やベートーベンという先入観から暗い、重い音楽なのかと想像していましたが、「序曲」らしく軽快でなんとなく爽やかな感じもする演奏でした。

2曲目。
ソリストが2人なのでステージは、コンマスの位置も指揮者から5m位離されます。チェロ奏者用に台と椅子が運ばれます。ソリストと指揮者が登場です。
そうそう、コンマスは山響の特別客演コンマスであるたかぎ〜さんです。犬伏さんがソリストなので誰がコンマスをなさるのかと思っていたら、なんとなんと高木さんの登場で驚きました。山響コンサートのレポートでは的確で詳細な文章を書かれるnarkejpさんに比べて、私の場合は記憶にのみ頼っていますが、犬伏亜里さんは青緑色で光沢のあるロングドレスでした。前日の山形県民会館での装いとは違うようです。少し痩せたかな?
劇的な中にも洒脱な部分があるブラームスっぽくない(?)曲だと勝手に思っているのですが、お二人のヴィルトゥオーソな演奏を堪能しました。特に二人でユニゾンを奏でるところや、アルペジオで駆け上がるところなど、音程もリズムもピッタリあっていて凄い!と思いました。プロなんですから、それぐらい出来て当然というか、それが出来なければドッペルコンチェルトなんて弾けないのかもしれませんが、あのユニゾンはゾクゾクしますね。鶴岡市民文化会館は音響があまり(とても?)良くないので、真ん中より後ろの方で聴くと響きが散乱して吸収されるという感じなので前の方で聴いたのは正解だったと思います。その代わり、ステージ上の奏者の一人一人の音が手に取るように分かる感じでした。特にコンマスの高木さんの音が凄く届くので、あれ〜ソリスト喰っちゃわないかな、、、と心配する位。アルコの時はもちろん、ピッチカートの時の高木さんの音の「立つ」こと。「ピィ〜ン!」と響いて来ます。やはり高木さんは巧いな〜、とコンマスに感心しながら協奏曲を聴くと言う珍しい体験でした。

犬伏さんと宮城県、もとい宮城健さんのソリ二人は、細かいことをあげつらえば多少の傷はあったかもしれませんが、素晴らしい魂のこもった演奏を聴かせて下さいました。年も同じ家内などは横にいて、単なる演奏会を聴くというよりは、同級生や友人がコンサートに出ているというような(勝手な)心情になってしまい、冷静に聴けなかったそうです。私も酒フィルのトレーナーとして大変お世話になっており、更に山響FCなどで一緒にお酒を飲んだりお話をしたりという比較的親しくして頂いている方なので、あまり冷静に聴くことはできず、「頑張れ!」「いいぞ!」という応援の心が半分以上を占めていたような気がします。さらに、昨日の「らびおがいく」ブログで、宮城健さんが3月一杯で退団されると言う事を伺い、これまた「3年間ありがとうございます」「山響の奏者として最後の演奏、頑張って!」という心境で聴いてしまいました。
オケにとってはもちろんですが、協奏曲のソリストにとって、鶴岡市民文化会館のような響きの吸収されるホールは苦しいと思います。音は丸裸にされ、豊かな音も痩せて聞こえる場合もあります。でも昨日のお二人の音は、前の方で聴いた効果もあってか、熱く、迫力のある響きでした。上にも書きましたが、これを「希望ホール」で聴けたらな〜、、、というのは偽らざる心境でしたが。

この、プロオケでもそうそうやらないドッペルコンツェルト。実は酒フィルはやっています。それも漆原啓子さんや藤森亮一さんやといった凄いソリストを招いて、モーツァルトとブラームスのドッペルコンツェルト、両方ともやっていると言う話(私が入団するよりずっと前の事です)。凄いですね〜。


休憩を挟んで、メインの「ベト7」。
コンマスは指揮者から1mくらいの距離に戻ります。
第1楽章の始まりは比較的遅いテンポ。上昇するアルペジオも全ての団員が一音一音ていねいに奏でています。こういう部分が、テンポも音程もピタっと合うのがやはりプロオケです。アマオケではこういうところが上手なオケはほとんどないと思います。シンプルで音が少ない方が難しいのは、バッハやモーツァルトが難しいというのと共通です。
ドラマ「のだめカンタービレ」のオープニングテーマである、ホルンの咆哮から続く「元気」な部分を過ぎ、悲しみと哀愁の2楽章、ダンスの3楽章、心弾む歓喜の4楽章。ワーグナーが「舞踏の神化」と呼んだのがよく理解できます。聴いていて体が熱くなって来るのは、本当に現代の「ロック」に共通するような音楽だと思います。ベートーベンってすっげぇ!って思わされます。
昨日のように「プチ・かぶりつき」で観ていると、普段よりも更に面白い事がありました。ベートーベンがある旋律やリズムを第1バイオリンから第2、ビオラ、チェロと1小節単位、または2小節単位で移動させるところなどは、音的にではなく視覚的にも移る事がよくわかる点や、コンマスが第1バイオリンに座る残り9人に対して、後ろに信号を送っていたり、セカンドやチェロやビオラのトップに目や体やそして音で信号を送って「一緒に演奏している」のがよくわかりました。
いまさら、オケの、アンサンブルの基本なのですが、やはり「言わなくてもわかるでしょ?」ではなくて、「ほらこうして!」「ほい、付いて来て!」「さあ、一緒に!」ってやらないと、少なくともそういう「心」を発信しないとダメなんだよな〜と思いました。それは私のやる楽器フルートだって同じ事で、自分のパートだけ吹いているのではなく、隣のオーボエや後ろのクラ、ファゴットなどの木管群はもちろん、コンマスをはじめとする弦パートとも音を通して「心」を通わせ「会話」をしなければいい演奏にはならないのだな、と昨日のコンサートを聴いて(観て)いて強く感じました。
第4楽章では、コンマスのたかぎぃさんとビオラ首席の成田さんが、「どっちが楽器を高く持ち上げるか」という「峰君」(笑)競争をしているのでは?と思うくらいに熱の入った演奏。本人達にはきっとそんな意識はないのでしょうが、演奏している中で、指揮者を中心に奏者達がお互いに丁々発止とやり合っている感じがとても楽しかった。特に、ビオラの成田さんは私の中学の同級生若松夏美さんらと「バッハ・コレギウム・ジャパン」などで古楽演奏でも大活躍されている方で、イメージ的にもの静かで無口でクールなイケメンという印象なのですが、高木さんに挑発されたのか、演奏していてベートーベンの音楽に動かされたのかとても激しい動きで熱い演奏をされていました。

万来の拍手、4回程カーテンコールがありましたが、アンコールはありませんでした。
山形でやる場合と違って、終わったらすぐに片付け、バス(または自家用車)で山形へ戻るという感じで、音楽の余韻を楽しんだり、ロビー交流会のようなものがないのがいつも鶴岡公演では残念に思うところです。チラッとバックステージにも行ってみたのですが、犬伏さんはとっくに着替えて愛車で一人帰ってしまわれたようでした。高木さんにも挨拶できませんでした。
宮城健さんは着替えていらしたので、3月で退団の事をちょっとお話し、これからも機会があれば山形で、山響で演奏して下さいとお願いしておきました。

音楽監督飯森さんのブログをみると、なんとなんと13日の金曜日の県民会館の演奏会は、飯森さんも聴きにいらしていたのですね。ロビー交流会の写真を飯森さんが携帯カメラで撮ったりして面白い!(いつもは撮られてばかりいる立場ですからね)。
ということで寒い寒い天候の中、熱い熱い演奏でした!

今後の音楽関係のことはお出かけ先から戻ったら書きましょうかね(これから「介護保険審査会」の講習会。開業医になったのに日曜日にも働かされます)。
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長くなりそうなので、介護認定審査会委員研修の話は明日にします。
今後の音楽、特に拙クリニックの「サロンコンサート」の事も明日以降、日を改めて書く予定です。

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2009.03.14

山響鶴岡公演

に行ってきました。
疲れたの詳しい事は明日書くつもり。

山響の団員さんは山形から鶴岡往復、おそらく決死の覚悟だったのではないでしょうか。
凄い雪、とても寒い一日でした。
でも、犬伏さんと宮城さんによるドッペルコンツェルトが熱く、心も身体も燃えました。
メインの「ベトしち」はやはり心の中から弾みました。
雪が横から吹きすさぶ「さむ〜〜〜い」夜もおかげで熱い夜になりました。

(犬伏さん、一足早く自分の車で帰ったみたいでした。無事に帰ったかな〜、みんな)

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2009.03.13

まだ『おくりびと』、そして「むかえびと」

日本初の米国アカデミー賞外国語映画賞の余波はとどまるところを知らず、というよりこれから本格化しそうです。映画『おくりびと』のロケ地を観たいと言うツアーも組まれており、4月以降観光客は更に増えそうです。
4月上旬までは「庄内ひな街道」でも賑わっていますが、おそらく4/12頃から4/18頃に桜も咲き、ロケ地ツアーは更に賑わいそうです。

酒田では「むかえびと」としての講習会も開かれたとの事。
酒田に観光で来られる方を心からもてなそう、庄内、酒田の良さをもっと知って頂きたい、「おくりびと」で注目されるだけではなく、ロケ地ツアーにとどまらず観光客をもてなそうという街を挙げての取り組みが始まったようです。中心街のデパートでも店員さんは「むかえびと」というバッジを胸につけているのだそうです。

Photo山形新聞では今週の朝刊に毎日「おくりびとの舞台」という県内ロケ地の紹介特集を組んでいます。
大悟と美香の暮らす山形の家(母が遺した酒田の店という設定)は実は上山にあるのですが、それ以外の多くのロケ地が私の住む地域の周辺、すぐその辺にあります。

Nkこれはお正月に撮った「NKエージェント」の外観。旧割烹「小幡」の建物です。
先日、NPO法人酒田ロケーションボックスの呼びかけで、ここの清掃が行われたそうです。そのNPO法人の副理事長も務める若大将が鮨を握る銘店「鈴政」。昨日は、家族が遊びにきたので久しぶりにカウンターで「ひでさん」の握る美味しい鮨を頂きました。

Photo_2Photo_3全部を載せるのは抵抗もあるので一部だけ。
まずは「カマトロの炙り」。さっと炙って脂を閉じ込めています。とても香りがいい。
右は「ノドグロの炙り」。絶品です。そのまま生でもいいのですが、炙って脂を押さえたところが奥ゆかしい感じです。
Photo_4Photo_5左は「本マグロのトロ」。口の中で溶けて行くのが感じられます。お勧めのお酒「鈴政」と良く合います。
右は「地物のアン肝」。アンコウって庄内沖でも獲れるのだそうです。この時期になると、肝以外は捨てられる事が多いのだそうです。勿体ない!庄内では「アンコウ」よりも「寒ダラ」の方が喜ばれるとのこと。

粋でキップのいい「ひでさん」の握るお鮨に文字通り「舌鼓」を打って『鈴政』を後にして向かった先は、そこからほんの目と鼻の先にある(角を曲がって直ぐのとこ)「旧港座」。
Photo_6映画の中では納棺の「ハウツービデオ」製作現場として、モックンが紙おむつ姿で白粉を塗られて笑いを誘ったあのシーンが撮影されました。昔は小型の映画館。今は使われなくなってしばらくなりますが、再建を考えているとの事。このあたりは、相馬楼と「鈴政」の中間の裏手で、大悟が石畳の街並を歩くシーンも撮影されました。
写真を通っていたら通りかかった酒屋さんが「皆で写真、撮ってあげましょうか?」と気軽に声をかけてくれました。「むかえびと」の意識がひろまりつつあるようです。「ジモピー」なので丁重にお断り致しましたが。

「NKエージェント」「旧港座」「石畳の街並」は皆、徒歩圏内。
車で行く程の距離でもないところに、演奏会と解散シーンを撮影した酒田市民会館「希望ホール」。そのすぐ近くにご遺体を引き取りに向かう車の中から映った「山居倉庫」があります。
市民会館から歩いて2〜3分のところには街角でばったり会った旧友(銭湯「鶴の湯」のおばさんの長男で公務員という設定)に「もっど、まどもな仕事さつげ!」と叱責された中町商店街もあります。
その「鶴の湯」と大悟がバスに乗って「なんか臭い?!」と女子高生にからかわれた(?)のは鶴岡市内です。

鳥海山をバックに堤防でチェロを弾いたのは遊佐町の月光川。石文の話をしたのもこの河川敷。
この先どうするか迷っている大悟に対し、「運命だな」といい加減(?)な説得をする社長が車で通りかかるのも月光川の旧朝日橋。遡上する鮭を眺めたのもこの橋でしょうか(新朝日橋?)。
最初の納棺儀式(ニューハーフ?)をやったのは三川町の「アトク先生の館」(先日、訪問撮影済み)。
ちょっと納棺に遅れただけで揶揄叱責され、最後は「あいづ、今までで一番きれいでした〜」と奥さんを亡くした旦那さんに感謝されたのは鶴岡(旧東田川郡朝日村)の大網でのロケ。

などなどたくさんのロケが庄内一円で行われたのです。
地元の人間は、単に受賞を喜ぶばかりではなく、そこに「暮らす」者として訪れるお客さんの「むかえびと」という意識が求められるようです。

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2009.03.11

寒い!

「啓蟄」を過ぎました。
「春分」まであと10日を切っています。
日本は「春分の日」を「国民の祝日」と定めているため、今年は3/20(3/21の事もある)が休日になるのですが、諸外国では「春分の日」は必ずしも祝祭日ではないようです。

春分の日を境に、昼の時間が夜の時間よりもどんどん長くなって行き、季節は夏に向かって行く訳ですが、春はまだまだと言う感じ。
昨日などは気温が上がり、3月下旬から4月上旬の気候との報道もあったのだが、今日は最高気温が5℃。朝から雪が舞っていた。

こうして変わりやすい気候を経ながらいつの間にか春になって行く。
今年は特に桜の季節が待ち遠しい。昨年より気持ちを落ち着けて桜を愛でたいと思っている(昨年は、開院して1ヶ月少しのところで、まだ回りを見渡す余裕も少なかったように思う)。特に映画『おくりびと』の桜や、月光川と鳥海など写真の対象となるものがたくさんあるここ庄内で、様々な形で春を喜ぶ季節が待ち遠しい。

でも今日は寒い!

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2009.03.10

週末は山響

今週土曜日3/14は、山響の庄内定期鶴岡公演です。
その前日3/13(金)は山形県民会館で同じプログラムで第195回定期演奏会。

プログラムは『バッカスの饗宴』と銘打って、
1)ベートーヴェン: 劇音楽「アテネの廃墟」 作品113より序曲
2)ブラームス: ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲イ短調作品102
3)ベートーヴェン: 交響曲第7番イ長調作品92
というもの。

メインの交響曲第7番はいわゆる「べと7」と呼ばれる名曲。先日、酒フィルファミリーコンサートでも、「指揮者体験コーナー」で「ベト7」の第1楽章のサワリをやりました。あのテレビドラマ『のだめカンタービレ』のオープニング・テーマになって一般にも広く認知されたあの曲ですね。
リストが「リズムの神化」と称し、ワーグナーが「舞踏の神化」と呼んだように、全曲を通してタンッタタン、タンッタタンという躍動的なリズムが聴く者の脳ではなく体にしみ込んできて思わず体が動いてしまうような曲です。
特に終楽章は、「バッカスの饗宴」とまで呼ばれ、クラシック音楽を聴いてこんなに興奮させられる曲はないのではないかと言う位、現代で言えばいわば「ロック」のような音楽だと思います。

ちなみに「バッカスの饗宴」とはローマ神話の酒神バッカスの事で、たとえばルーベンスのこの絵が有名ですね。ルーベンスの「バッカス」をご覧下さい。

「アテネの廃墟」はわかりませんが、2曲目のブラームスのヴァイオリンとチェロの二重協奏曲も大変楽しみです。ソリストには、山響コンミスで酒フィルのトレーナーも務めてくださっている犬伏亜里さんとチェロ首席の宮城健さん。(山形交響楽団の首席なのに「みやぎけん」とはこれいかに、失敬)

ということで、本来は今週末から秋の定期に向けて練習を始めるところなのですが、今回はお休みです。秋の定期は10/25(日)「希望ホール」で再び井崎正浩氏の指揮で行います。
現段階で決まっているのは、メインがドボルザークの交響曲第7番、協奏曲はヴァイオリンの名手久保陽子さんをお迎えしてブラームスのVn協奏曲をやります。久保陽子さんに失礼にならないよう、ブラームスに失礼にならないよう、心して練習に取りかからなければなりません。
定期演奏会の本番まで28回程練習が予定されますので、地道に取り組んで行きたいものです。
来週から頑張ろう!

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2009.03.09

序数

突然毛色の変わった話題で失礼します。

最近何カ所かでみかけた日本人の英語力不足について。
とても単純で基本的な事なんだけど、中学時代の教育が悪いのか、大人になって忘れてしまうのか私的にはとても気になる「ミス」。

数字の1はoneですが、「第1」とか「第1番」という「序数」になるとfirstといいます。同じように2がtwoなら「第2」はsecond、3はthreeで「第3」はthirdとなります。
こんな事言われなくても知ってるよ、と思いますよね。中学1年で習う事でしょう。

ところが、これを数字を使った書き方にすると間違える人が多いのです。
つまり「第1」は「1st」、「第2」は「2nd」、「第3」は「3rd」と書き表すのが普通です。ここまでは間違わない人も多いのですが、これが大きな数になると間違える大人が増えます。

第81回米国アカデミー賞は、「The 81st ,,,,」と書くべきなんですが、これが「The 81th,,,」と書いてあるのを見かけました。結構公共の目に触れるところに展示してあるんです。
おそらく書いた人は間違いに気付いていないし、展示している人も分からないのでそのままなのでしょう。「老婆心ながら、、、」と注意しようかと思ったのですが、なんとなくそのままにして来てしまったので気になっています。

先日、家内も出演させてもらったある発表会。
歴史と伝統のある教室なので23回目の発表会でした。会場に大きな看板がかかっていたのですが、そこには「23th,,,」と書かれていました。「第23回」ならば「The 23rd」と記載するのが正しいと思います。
4から9の数については、序数は通常"4th"とか"7th"でいいのですが、1〜3については注意しないと行けません。
さらに、「第11」と「第12」はeleventhとtwelfthなので、「11st」や「12nd」ではなく、「11th」と「12th」が正しいのです。

日本人の感覚として、数字の後に"-th"をつければ序数になるように考えてしまうのですが、要するに「発音」に従っているということを忘れては行けません。英語で発音してみれば上記の間違いにも気付いたはずです。
「第81回米国アカデミー賞」は、英語で発音すると"the eighty-first annual academy award"となるのでそれを文字にすれば「81st ,,,」となるのです。

お勉強の事を「読み書き算盤」と昔から言っている日本では、文字を読み書く事が知識の吸収であり、言葉を「聞く」「喋る」ことはあまり重視されて来なかった傾向があります。いえ、学問としては「否定」されて来た部分すらあると思います。
国際的に通用する英語力のテストの一つであるTOEIC(=Test of English for International Communication)ではより実践的な英語力の評価がなされるように思われています。現実に、国際社会での競争力を高める必要のある会社などでは、社員にTOEIC受験を義務づけたり、海外事業部門の部長クラスでは850点以上取らないとなれないなどの基準に使っているところもあるようです。

しかし、TOEICは単に英語の力を測定する一つの尺度に過ぎないと私は思います。これで高得点を取る人は点数の低い人よりは英語の力を持っているとは言えますが、本来目指している「国際的なコミュニケーション力」を表しているとは言いがたいと思います。現に8年程前に初めて受験した私は910点を取りましたが、流暢にべらべら何でも思い通りに喋れるかと言うと、全然だめです。おそらく英語圏の人ならば小学校高学年から中学生低学年位の人となら対等に喋れるかも知れませんが、ビジネスの世界になると全くダメだと思います。というのは、TOIECはlisteningに重点が置かれすぎているため、一応理解ができて高スコアを取る小手先のテクニックがあればいい点を取る事は難しくないのです。
ちゃんと話したり、書いたりする能力はほとんど試されません。マークシートのペーパー試験ですので、英語の音声で出される問題の聞き取り能力さえあれば結構いい点が取れるのです。
「TOEIC925で英会話力ゼロ」という講演をされた先生もいらっしゃるそうです。

どうしても紙、読み書き偏重の学習、教育を、「聞き取り話し会話する」真のコミュニケーション能力に方向転換していかなければ、日本は国際社会の中ではいつまでも二流に甘んじることになると危惧しています。
日本人が国際社会でスピーチする場面をテレビで目にしますが、「おお!この人は凄いな!さすが!」と感じ入る人はほとんど見かけません。先日のアカデミー賞受賞式でも「流暢な英語を喋っていた」と新聞には好評価を得ていたようですが、あれくらいでは小学生クラスだと思います。
新しい米国大統領に世界で一番にホワイトハウスに招かれたと仰っていた日本の偉い方の英語など、もっと酷い。あの程度の常套句を喋る程度だったらもっときちんと練習していてもう少しスラスラとお話して頂きたいものです。英語力のせいで「力がない」と誤解される事は非常に残念なことなのです。
発音なんか少々変でも通じればいいのです。インド人の英語なんて発音は本当に酷いアクセント(訛り)ですが、ぺらぺら喋りスラスラ通じています。
やはり小学校から英語の教育は必要なのでしょうか。でも「どのように」教育するか、が大切です。

英語よりも先に日本語、国語の教育が大事だと主張する方もいます。しかし、そんなの主張する以前の問題で「当たり前」の事だと思います。日本語力というよりも、言語を用いた論理的思考能力を身につける、そしてそれを日本語および英語で表現できる、思った事を音声言語に出来る、と言う事が大切なのです。日本の中学、高校における国語、英語教師の役割は重いと思います。

ーーーーー
本日の拙クリニック前の「旧ゴルフ場」。
0309だいぶ高い柱がなくなって来ました。まだまだかかりそうですが、いつの間にか道路2つ隔てた向こうの家や公園がよく見えるようになって来ました。
もう「ゴルフ場の高いネットを目標に探して来て下さい」と言えなくなってしまいましたね。(^^;;;

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2009.03.08

庄内食のフェスタと藤島〜羽黒周辺

本日は拙クリニックのMRIが1年目の点検(1年間で3回目)で、磁場の調整などに時間を要すると言う事で、休日を利用して朝から夕方まで(10:00~17:00)技術者が来ていろいろしておりました。
その間、ず〜〜っといなくてはならない訳ではないので、昼食時を利用してちょっと出かけて来ました。

Photo旧藤島町の体育館では、「庄内食のフェスタ」が開かれていました。庄内を代表するシェフ3名の調理実演と「お裾分け」があるというので覗きに行ってみました。駐車場に入りきれない車を整理している段階で「お裾分け」は諦めましたが、広い体育館内には人がいっぱい。(そういえばこの写真にも写っているのですが、新県知事吉村氏がいらしていました。テレビで見るよりチャーミングな方でした)。

調理の実演をしているのは、「アル・ケッチャーノ」の奥田シェフ、レストラン「欅」の太田シェフ、フードコーディネーター(という肩書き、前は鶴岡の東京第一ホテルの総料理長、その後高松のレストランのオーナーだった)古庄氏、と「食の都庄内」親善大使の3人。
これから作る料理、その素材の特徴の解説、ポイントなどの解説があり、ステージ上から下のテーブルに並べられた後、小皿に小分けされて「お裾分け」という段取りのようでした。やはり人気・知名度・観客の拍手ともナンバー1は奥田シェフ。彼が用意したのは、「雪菜と生ハム」。実はこれ、昨年のクリスマスディナーで「アル・ケッチャーノ」で頂いたものでした。すでにたくさんの人が椅子に座っている状況でとてもお裾分けは頂けなさそうなので、「藤島に行くならここにいきたい」というところを頭の中で決めてあったので早々に諦めました。

折角なので体育館の中をぐるりと2周して様子を見てみました。いろいろな食材、海の幸、山の幸、里の幸などが展示され、試食できるコーナーもありました。漁協のほうで出していたソイのつみれ汁が小さいお椀ですが一杯100円と書いてあったので並んでみたところ、なんと私の前の人で鍋が底をついてしまいました。おばさんが、つみれも豆腐も入っていない「お汁」だけくれました。「具が入ってないんだからお金は取れないよ」ということで、ただでつみれから出汁の十分に出た旨い白味噌仕立てのお汁を頂きました。

Photo_2「お裾分け」が無理そうだったらそうそうに諦めて行こうと思っていたのはここ、藤島駅前通りにある「原田食堂」です。
H19年の12月の記事「庄内音楽フォーラム」の記事の下の方をご覧下さい。実はそれ以来なので1年3ヶ月ぶりでした。それなのに、店内の様子はほとんど変わっていません。小さなカウンターの手前に置いてあるガスストーブも、棚の中の布袋様や達磨様も何一つ変わっていません。この姿のままラーメンの味も変わっていませんでした。
Photo_3Photo_4左は「中華そば」、右は噂の(笑)「チャーシューメン」です。チャーシューで丼が覆い隠されていて、チャーシューの端からスープがお盆に伝わり落ちています。これは早くお迎えに行かねば、、、とばかりにまずチャーシューを2枚程ぺろりと食べて、ようやくラーメンに対峙する感じです。
 我々は12時少し前にお店に行ったのですが、まず感じた事は「あ!暖簾が出てる。やっててよかった!」ということです。お客さんが2名程いましたが、我々が食べている間に続々と入って来て狭いお店はほぼ満席になりました。親爺さん一人で切り盛りしているので、注文はカウンターの中に入って行って大きな声で(少しお耳が遠いようなので)直接言う必要があります。
会計の前に、食べ終わった丼はお盆ごとカウンターに持って行ってあげるのがこの店のルールです。フロア担当がおらず親爺一人でやっているのでお客さんは皆そうしています。お水ももちろんセルフです。
メニューは「中華そば」「焼き肉ラーメン」「チャーシューメン」の他はビールと酒だけです。昔は丼ものもやっていたようで、外にかかる暖簾には「丼物」と書かれていますがメニューからは消えています。1年3ヶ月振りでもまったく同じ味で旨かったです。あ!変わったのは、値段が全部100円ずつ高くなっていました。中華そばは600円だったのに700円です。チャーシューメンはこのボリュームで800円が900円になったのは文句も言えませんが、「中華一杯700円」は田舎にしては高いかな〜。
でもまあ少し延び目の軟らかめの麺もここでは許せてしまいます。もしも固めが良ければ注文の時に頼んでみたらどうでしょうか。でも親爺さんが聴いてくれるかどうかは保証できません。(笑)

Photo_5Photo_6やさしいラーメンの味で幸せな気持ちになって(しかもポカポカ暖かくて、車の窓を少し開けて走らせる位)、藤島町の外れにある、知る人ぞ知る(知らない人は全然知らない?私も昨日行きつけの美容室で教えてもらった)ケーキ屋さん「いづみや」に行ってみました。ここは元は和菓子も(今も?)出していたのでしょうが、現在は「チーズケーキ」が有名との事。
定番の「ケーゼクーヘン」の他に「チーズスフレ」「レアチーズ」「二重奏チーズケーキ」「ゴルゴンゾーラのチーズケーキ」などなど何種類ものチーズケーキがあります。今日はこの中から「ゴルゴンゾーラ」と「二重奏」を頂いてみました。美味しいです!
「鄙には稀な」という言葉がピッタリの洋菓子店ですね。今後贔屓にしたいと思います。(頂いた「いづみや特製手書きカレンダー」もステキだ!)


Photo_7酒田から見れば、庄内のかなり南より(鶴岡から見ればそうでもないが)に来たのでついでに「庄内映画村資料館」(写真)のある松ヶ岡開墾場跡に行ってみました。
本来は「蝉しぐれ」と「SUKIYAKI WESTERN GIANGO」の展示が中心なのですが、今はやはり「おくりびと」です。いろいろ興味深い展示がありましたが、中でもタイムテーブルというか映画作成スタッフに配布される日程表のようなものが興味深かったです。ある日などは、広末涼子さんは朝一の飛行機で庄内入りしてあるシーンを撮ったら昼過ぎの飛行機で東京へ日帰りの予定が組んであり、夫役の本木さんは別のところで撮影で、夜は納棺の練習という予定など時間入りで細かく書いてありました。
Photo_11絵コンテも、撮影風景を記録する美術スタッフのスケッチなども、まだ米国アカデミーどころか日本アカデミーなども何も考えていない撮影時のものなので、かえって感慨深いものです。
まだここまで見に来るお客さんもいないようで、日曜の昼過ぎなのに客足は少なかったように思いました。(写真は同じ松ヶ岡にある別の資料館とその2階の雛飾り&超大量の全国の土人形などの展示)


Photo_8酒田への帰り道、三川町の「アトク先生の館」に初めて行ってみました。
「アトク先生」とは、三川町の名家阿部家の出身で、鶴岡中学を経て京大、東大院、ミュンヘン大などで学び、後に山形大学や鶴岡高専で教鞭を取った阿部徳三郎氏を慕う生徒達からつけられた愛称で、その立派なお屋敷は三川町の管理になっています。
実はこのお屋敷、映画『おくりびと』の撮影現場です。
一番最初の納棺シーン。山崎努演じる社長に「やってみるか?」と聞かれて、モックン演じる大悟が「はい」と答え、ご遺体を整え始めたところ、女性だと思っていたご遺体が実は、、、というあのシーンが撮影された家です。
映画「おくりびと」のポスターもこの家のお座敷で撮影されたものが使われています。
Photo_10その「アトク先生」の家も「鶴岡雛街道」の赤い幟が立っていて、いろんな面白い人形が飾られていました。
映画「おくりびと」のロケ地ツアーとして、酒田は今賑わっていますが、ここ「アトク先生」の家は、我々が行った時がたまたまそうだったのかまだ訪れる人も多くはないようです(鶴岡の銭湯「亀の湯」は観光客で賑わっていると聞きましたが)。

そういうわけで、休日の短時間に近場でいろいろ楽しんできました。
酒田、鶴岡周辺の「おくりびと」ロケ地ツアー、プライベート編というのをそのうち作ってみたいと思っています。
絶対外せないのは、大悟がチェロを弾いた月光川。
「NKエージェント」の元割烹小幡。今回行った「アトク先生の館」も「マスト」でしょう。鶴岡の「鶴の湯」も外せませんね。酒田の旧映画館「港座」もロケ地として重要です。広末涼子演じる妻美香が「実家に帰る」と言って寂しく電車を待つ余目駅。山崎努演じる社長が車から降りて「運命だな!」と言った橋も探して写真を撮って来たいと思います。

庄内は、4月上旬までの「ひな街道」、そして「おくりびと」ロケ地巡りでもうすぐ春を迎えます。

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2009.03.07

オスカー効果と1周年のお祝いと。

酒田、凄い事になっているようです。

今日のお昼は久しぶりに日吉町の「田毎」にお蕎麦と決めていました。
オスカー効果は何かあるかしら?とちらっとは思っていましたが、お店自体は「祝!アカデミー賞」というチラシがある意外には目立って変わったところはなし。
Photo米国アカデミーどころか日本アカデミーのノミネートの話が出る前から、蕎麦屋の親父さんが作っていたちょいと自慢話を写真に撮って来ました。
映画『おくりびと』の撮影時、平成19年の4,5月頃ですが、わずかの間に、主演の本木さんも、最優秀助演男優賞の山崎努さんも別々に2度足を運んだというお店です。この文章、読めたらきちんと読んで欲しいのですが、滝田監督もこっそり来ていたと言う話。
Photo_5私は以前からいくつかある酒田、庄内のお蕎麦屋さんの中でも、ちょっと品のある、都風の蕎麦屋としてはここは一押しの店。昨年の年越し蕎麦も「田毎」の蕎麦を予約しておいて大晦日の晩に自分で茹でて頂きました。(写真は、素朴な味わい、こけしの雛飾り。「田毎」の奥さんのものだそうです)

アカデミー賞受賞記念と言う事で、今日は本木さん、山崎さんが注文された品に挑戦です。

Photo_2Photo_3こちらは「天せいろ」。
本木雅弘さんが2度来て2度ともこれを注文されたそうです。私は普段は「せいろ特盛」(つまり2倍)を頼む事が多いので、この店で自分の注文に「天せいろ」は初めて。天ぷらは抹茶塩でも濃いめの汁でもいけます。カボチャの天ぷらも旨い!
「せいろ」も最初抹茶塩で食べてみましたが、これもいけます。もちろん蕎麦つゆと天つゆは別に出してくれ、ちょっと塩っぱ目の蕎麦つゆはほんのちょっとだけつけて、勢いよおくつるつると啜ります。

Photo_4こちらが山崎努さんが、これまた2度来て2回とも召し上がった「鴨なん」です。
鴨の脂が浮いて汁がいい感じにテカっています。太くて甘い葱がこれまたいけます。「鴨が葱背負って」、さらに三つ葉とゆず皮。香りも良く旨い。汁を吸った細めの面は、「せいろ」にくらべるとちょっと柔らかくくたっとなっていますが、そこがまたいい感じです。
山崎さん、ちょっとしかめっ面しながら口元を緩ませて、「ふん、、、んん、、、」なんて唸りながら食べてたのかな。

本木さんは、きちんと座って、綺麗にお箸を使って、あまりずるずるなんて音を出さずに丁寧に蕎麦をたぐっていたのではないかと推測されます。(^^;;;
蕎麦屋の親父さん、良かったですね〜。
アカデミー賞はもちろん嬉しい事ですが、自分の作った蕎麦を旨い旨いと食べてくれて、口コミで映画スタッフが1度ならず2度も通ってくれたなんて、蕎麦屋冥利というものですね。

親父さんがいう事には、今日(3/7)の日中だけで本木雅弘扮する「大悟」が歩いた相馬楼や鈴政近く(「田毎」の1本北側)に700人を超す団体観光客が来たそうです。ちょうど「庄内ひな街道」で賑わう時季ではあるのですが、それに「『おくりびと』ロケ地ツアー」がくっついて観光客がふくれあがっているそうです。
市役所の前を通ったら、市役所駐車場に大型観光バスが6、7台停まっていました。映画でコンサートのシーンと「解散、、、します!」のシーンを撮影した「希望ホール」もロケ地として紹介され案内された観光客が押し寄せているとの噂。凄いものです。

ーーーーー
今週、拙クリニックは開院1周年を祝いました。
3月3日の夜は、まだ風邪が抜けず体調は悪かったのですが、鉄板焼「おく山」で家内と二人だけで祝いました。
Photo_6和食の先付けとフランス料理を融合させたような前菜に、天然物のホタテなどを頂き、今日は「おく山」の和牛。ヒレとロースを頂きました。
目の前の鉄板で、ちょうどいい感じに火が通って行く山形牛を眺めるのもいいものです。

Photo_7滅多に写真の対象にならないものをひとつ。
今週のクリニックの勉強会の昼食は、「鈴政」のお鮨をお願いしました。
若大将の「ひでさん」こと、佐藤英俊さんはNPO法人酒田ロケーションボックスの副理事長も務めており、「おくりびと」のロケハンや食事その他様々なお世話をされたようです。米国アカデミー賞受賞の瞬間、酒田市内の某所で小さなくす玉を用意して割っていたのが「ひでさん」。全国放送され有名になったようです(信州に住む私の友人で酒田に住んだこともあり「鈴政」を知っている人から、「あの映像で映ってたのは鈴政の板さんでは?」とメールをくれました)
鮨はやはり握り立てをカウンターで頂くのが一番ですが、折りにしてもここのは旨いです。


Photo_8Photo_9別の日にさる方からのご招待で、「1周年」を祝って市内の料理屋「富重」でお食事しました。
一昨年のJAO酒田大会でフルート組、オーボエ組が会食したのがここ「富重」でした。
お雛祭り、春を意識して準備して頂き、ボタンエビ、車エビ、甘エビにタラバガニ、ズワイガニ、毛ガニとエビ・カニづくしを頂き、ノドグロ、ソイにヤリイカと素晴らしいお刺身、その上、ノドグロの煮付け、飛島の岩のりのお握りなどなどとても食べきれない御馳走で、お包みして3品程持ち帰った程でした。
折角、風邪ひいて咳が酷く2kg程体重が落ちたと思っていたのに、こんな食事をしていてはすぐに戻ってしまいます。

でも「一生に一度」「後にも先にもない」「満1周年」のお祝いだったのですからお目こぼし頂きましょう。

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2009.03.06

3大B

音楽の世界で「3大B」といえば、バッハ、ベートーベン、ブラームスとドイツの生んだ3大作曲家のことを指すことになっている。
3月4日(水)、すでに2日前の話になってしまいましたが、酒田市民会館希望ホール「大ホール」で、ドイツ在住の佐藤七菜子さんのピアノリサイタルが開かれたので聴いてきました。
Zu1029_2東京生まれの佐藤さん。そのお母様が酒田出身で、お祖母さんが酒田で闘病中だったため、留学先のドイツからお見舞いに来たついでに折角の機会だからと、希望ホールの「小ホール」でリサイタルを開いたのが2年前の3月。私はその当時は山形市に住んでいたのでこの演奏会を聴くことが出来なかったけれど、知り合いなどの口コミで「小ホール」に用意した座席は一杯、溢れた人は後方で立ち見、通路に座って熱心に聴いたという話を聞きました。素晴らしいコンサートだったという感想も聞きました。

実は、今年の3月上旬にまた留学先のドイツから酒田に来るので、『ジョンダーノ・ホール』ででもリサイタル開けないでしょうかね、と知人から打診されたのは確か1月末頃。佐藤七菜子さんは直接存じ上げない訳ですが、素晴らしいピアニストとの事で、こちらとしては喜んで!ただうちの狭いホール、元G7を改造したピアノでいいのか?という気持ちがありました。スケジュールが合うようならホールの使用料はもちろん「タダ」でいいですよとお返事しておきました。
その後、結局「希望ホール「大ホール」」でのリサイタルが決まったと,その知人から連絡がありまもなくチラシ(写真)を頂きました。わずか70人で超満員の「ジョンダーノ・ホール」から満席1200超の「大ホール」へと、こりゃまた凄い格差だなぁと思いながら、そんなホールで演奏する様な方を面識もないのに条件の良くないところに無理にお招きしなくてよかったかな、と少しほっとした様なでも間近で聴きたかったようにも思いました。

3/4の夜、仕事を終えてあたふたと直行で市役所駐車場へ。なんと「満車」との看板が。そこで裏の希望ホール駐車場へ。平日の夜のあまり有名ではない若手ピアニストのコンサートで駐車場が埋まるなんて凄いな〜と思いながら会場へ。受付でも人が並んでいます。やはりワンコイン=500円ということが大きいのでしょうか。それとも私が知らないだけでよほど凄いピアノ弾きなのでしょうか。。。

19:00のコンサート開始時刻を少し過ぎて佐藤さんがステージに登場。
広い大ホールのステージ真ん中に、昨年の酒フィル定期で石井理恵さんが「チャイコのPコン」でガンガン鳴らしたシュタインウェイのフルコンが「ポツン」という感じに置いてあります。観客は6割ほど入っているのでしょうか。有名人でもなく、前宣伝もなく、平日の夜の一人リサイタルとしては「良く入ったな〜」と思います。

プログラムは、
1)J.S.Bach:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番 BWV1004より「シャコンヌ」ニ短調
2)L.v.Beethoven:ピアノソナタ第31番 変イ長調 作品110
3)J. Brahms:幻想曲集 作品116
と冒頭に書いた「3大B」です。

演奏を聴く前から「また凄いプログラムを組んだものだな〜」と感じていた。ベートーベンのピアノソナタは別として、平日の夜に聴いても心うきうきとなるようなプログラムではない。どちらかと言えば、重く暗い印象の曲目。ピアノ弾きにしてみれば、そのテクニークと音楽性を正面から問うて来る様なある意味挑戦的とも言える選曲と言えるのではなかろうか。よほどの自信家と思われても仕方のない選曲とも考えられる。いや自信がなければ、自分に縁の地とはいえ希望ホール「大ホール」でのソロリサイタルをいきなりやるだろうか。

演奏は、(すべての譜面を知っている訳ではないのである意味「印象」に過ぎないが)楽譜に忠実に、派手なパフォーマンス的なところの一切ない、無駄をそぎ落とした様な演奏だった。ピアノの音は美しく、時折ホールの響き(残響)とペダリングがかみ合っていないかな?という部分も感じたけれど、重みのある、抑制の利いた音色と演奏スタイルだった。現在ドイツ国家演奏家過程で研鑽中とのことであるが、すでにある程度完成された音楽家であり、まだ模索しながらも自分の演奏スタイルというものを持っていらっしゃるのではないかと感じた。逆に言えば、素人受けしない、面白みの少ないパフォーマンスだっととも感じられる。クラシック音楽に、素人受けするパフォーマンス(見てくれだけのことではなく)が必要なのかと言われれば、それは考え方次第であろう。佐藤七菜子さんの演奏は、いかにも「ドイツ」という感じで、おそらく今ついている「先生」の影響が強いのだろうが、とにかく堅実、持ちうる技術を確実に鍵盤上でコントロールして譜面に忠実に作曲家の書いた音楽を「再現」するという演奏家の立場にこだわったもののように感じられた。つまり「玄人受け」する演奏だったろう。
そのためか、観客の反応としては熱狂的なものはまったくなく、おそらくお母様やお祖母様の関係者など一部熱心な観客を除けば拍手も好意的ではあるが醒めた感じのものが多かったように感じた。かくいう私も、その演奏技術の高さと抑制の利いた無駄の少ない演奏に感心しながらも、心弾む様な盛り上がりに欠けた感じを少し残念に感じていた。

いや、そもそも、この3曲をプログラムに選んだ段階から「心弾む様な盛り上がり」はあまり期待出来ない訳である。大バッハの「シャコンヌ」は元はヴァイオリン曲だがピアノでもよく演奏される。ギターでも演奏される。でもこの曲はやはりヴァイオリンの曲で、これをピアノで演奏する意義が私にはまだ理解出来ない。クラシック音楽の原典、常に目指すべき高みとして存在する大バッハ。その中でも燦然と輝くこの「シャコンヌ」に音楽家が挑戦する意義は理解出来る。オケ版もあり、あの斎藤秀雄の薫陶を受けたサイトウキネンが演奏するのも理解出来る。しかし、どんなに凄い名手が弾いても、ピアノでこの曲の持つ魅力を引き出せるのかというと私の頭には「???」が出る。以前、響ホールで浜松国際ピアノコンクールで優勝した男性ピアニストのリサイタルを聴いた時にもこの「シャコンヌ」の演奏があったが、それ以外の曲が魅力的だったのにどうもこの曲だけは「下手」に聴こえてしまうのだった。原曲と違う楽器で演奏を試みるというなら、まだフルートでバッハの「チェロ組曲」を演奏するなら理解出来る。バボちゃんのホルンで奏でるチェロ組曲はこの上なく美しいが。。。
ヴァイオリンの「シャコンヌ」をピアノで、というのは未だによく分からない。おそらく私の音楽的素養の低さ故なのかもしれないが、単純に「面白い」と感じられないのである。

というわけで、佐藤さんの技術とか音楽のレベルという前に、曲のレベルの高さと言うか敷居の高さに気持ちがやや萎えながら、否定的に聴かないように、演奏を肯定的に捉えるように自分の心に語りかけながら聴くのに疲れた演奏会だった。
ちなみに熱狂的ではないが温かい観客の拍手に応えて、アンコールは2曲。ここでピアノの横に用意してあったマイクが初めて使われた。コンサートの最初から置いてあったのだが、彼女は一切MCなしでピアニストとして演奏を終え、アンコールに入る前に短い挨拶。いわく「日本語がおかしくなってしまい噛んでしまいそう。あまりしゃべるのは得意ではない。今日はありがとうございました。」こんな感じであったがこういうところにも佐藤さんの性格を垣間みる感じ(決して否定的な意味ではなく)がした。目立ちたがり屋、山形内陸弁で言うところの「あがすげたがり」の正反対の、質実で素直で、でもどこか危うげな印象があった。
1曲目はショパンのノクターン嬰ハ短調「遺作」。あの「戦場のピアニスト」でも有名な曲。彼女のショパンは、これまた楽譜に忠実なテンポルバートの少ない演奏だった。ベタな関西系のノリの様ないかにもショパン!という演奏よりはずっと好感が持て、演奏者の性格が現れる様な素直な演奏だったように思うが、どうも「熱さ」とか「哀感」などを感じにくい印象だった。
2曲目のアンコールは、ブラームスの何だったかな?素敵な曲でした。

誤解されないように最後に書いておくが、素晴らしい技術を持った素晴らしいピアニストであることは間違いない。演奏解釈も、私的感情を抑えて譜面を忠実に理解し再現しようとしていることがよく理解出来、持っている凄さをさりげなく出してしまう音楽家だと思う。ミーハーな観客の多い日本より、音楽をよく理解しているドイツではきっと高い評価を得られているはずである。ベルフィル団員を始め、彼女の事を信頼し共演している世界的な音楽家も少なくないとお聞きしている。
素人受けしないのは、選曲のせいと、その淡々とした、敢えて言うなら若い女性にありがちな浮ついた感じのない、どちらかというと一見老成した様な響きのせいだったのだろうか。彼女の演奏は、今度ベーゼンドルファーで、もう少しこじんまりとした響きのぼやけない部屋で聴いてみたいものである。
今回の彼女のリサイタルは、現在ドイツで学んでいることの「研究発表」的な演奏と考えればそれなりに納得出来るが、それならばワンコインなどと言わず無料で良かったのではないか?(どうせ500円では収益が上がる訳ではないのだから)。1円でもお金を取るならミーハーな客も居る事を考えてプログラムを構成してもいいのではないかと思う。この考え方は間違っているだろうか?

しかし、それにしてもやはり3大Bは大きな存在である。

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2009.03.04

2つの訃報

悲しいお知らせなのであまり詳しくは書きません。
平成17年の8月と平成20年8月、庄内町の響ホールで開催された2回の「庄内国際ギターフェスティバル」。当ブログでも紹介しました。
「ファイナル・ガラ・コンサート」2005.8.29の記事と、「ギタフェスその1」2008.8.28の記事参照。
もう終わったので新しい情報はありませんがまだ残っているのでHPも紹介します。こちらです。
「庄内国際ギターフェスティバルin響」

この2回のギターフェスティバルの開催に最も尽力された大会実行委員長S氏。
山形の庄内地方に、通常では考えられない様なタレントを一同に集めたギタフェス。日本、アジア、そして世界のギタリスト羨望の演奏家を集めるために音楽監督の福田進一氏の力が大きかった事は当然としてその福田さんを動かしたのはS氏だったのだから、やはり2回のギタフェスの最大の功労者であろう。第1回の後、身体を壊され闘病生活を送りながら第2回の開催に尽力され、大成功に導いた。その闘病の軌跡を少々存じ上げているだけにその後の健康状態を心配していたが、昨日お亡くなりになったと知人より連絡があった。
大変残念で悲しい事である。
ご冥福をお祈りします。安らかにお休みになりますように。。。


本日の朝刊で見た訃報。
100歳を超えた画伯森田茂氏が3/2に亡くなられたとのこと。享年101歳であられた。
私は面識のないかたですが、酒田市美術館には森田画伯の有名な「黒川能」を始めとする迫力の画が何点か常設展示されている。「地鎮祭と美術館と湯田川温泉と藤沢周平」では、山形弦楽四重奏団が酒田市美術館の館内でコンサートをしたことに触れているが、ちょうど森田画伯の絵の前で素敵な演奏を聴かせて頂きました。元々著名な画家ではあったけれど、酒田にその絵が何点も展示されているとは知らず、このミュージアムコンサートで初めて本物を観たのであった。単純に「100才の今も絵を描いてるなんて凄いなぁ!」と思ったのが一昨年の10月のことであった。
ご冥福をお祈り致します。

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2009.03.03

1周年の感謝の日

3月3日は女の子のお祭りとも形容される「桃の節句」。
以前にも書いたように、古来「上巳の祓」と言われる体の穢れや病気を祓い清める儀式を中国暦の3月3日に行って来た事に由来するもので、都(京都)の人々が紙人形に体の穢れを移して川に流し健康を祈願する儀式と宮中での人形遊びが融合したものです。旧暦の3月3日が丁度桃の花の咲く季節でもあり、「桃の節句」と呼ばれるようになったのですが、元はと言えば野山に出て薬草を摘み紙人形に体の穢れ(病)を移して健康を祈願する「上巳」の日。

昨年、平成20年の3月3日(月)に拙クリニックを開院しちょうど1年が過ぎました。
Photo_2(お祝いのケーキを頂きました、ル・ポットフーの特注、「鯨のケーキ」です、大笑)
この間、大過なく、私もスタッフも大病もせず無事に過ごすことが出来た事をまず感謝したいと思います。細かい問題はいろいろあり必ずしも順風満帆とは言えませんが、大学でのキャリアを捨てて(自分ではあまり「捨てた」などという感覚はないのですが、一般的に見れば准教授の立場を辞職して一診療所開設個人事業主となれば、そういう表現を使うのかな、、、)、手術をする腕を犠牲にして(これも「犠牲にした」という程大げさには思っていないのですが、国内でもある程度のレベルに達した(一応技術認定制度委員でした)限られた内視鏡下の経鼻下垂体手術の技術を持つ脳外科医の一人だった訳なのでこういう表現を使ってみました、、、)、手術も入院も無い無床診療所を開設したのは、第一には酒田の市民オケ活動を中心に自分の音楽活動を続けるためでした。

Photo_3(スタッフとともにお祝いのケーキに入刀!です)


それが、大学病院のある山形市でもなく、高校を出た仙台でも、実家のある横浜でも、生まれ故郷の福岡でもなく、酒田だった事にはいろいろな意味と想いがあるのですが、すべてを語ることはできません。自分がどんな形でも(当直のバイトとか外来診療応援バイトも含め)医師として働いた事のある土地をすべて上げると、山形県内だけでも1)山形市、2)天童市、3)上山市、4)南陽市、5)米沢市、6)鶴岡市、7)新庄市、8)長井市、9)川西町、10)小国町、11)酒田市と数多い。県外となると、福島県の喜多方市、福島市、新潟県の新発田市などでも仕事をしました。

全く働いた事のない土地で開業する事もできない訳ではないのですが、やはり知り合いがいるとか、応援してくれたりサポートしてくれる知人があるとか、仕事をした仲間がいるとか、開業して必ずしも成功するとは限らない「ビジネス」として真剣に取り組む事においてはそういう条件も当然考えました。
市民オケも、県内には山形フィル、米沢フィルに酒田フィルと伝統のあるアマオケが3つありますが、これも人が奏でる集団であるが故に、音楽が出来ればどこでもいいという訳にはいかなったのです。

Photo_4(ケーキの断面は?)
大学で医師として研究者として仕事をしながら、自らの趣味の時間を楽しむというのは無理でした。時間的にも精神的にも余裕がありません。
特に時間です。
一応土日も休日、祝日もある職場ですが、現実には土日も祝日も年末年始も患者がいれば病院に行き、研究や学会などの仕事があれば朝早くから夜中まで仕事をしていました。家でフルートやピアノに触れる時間は、どんなに頑張ってみても週に2、3時間がいいところでしょうか。というよりも毎日はとても出来ない環境なので、結局継続出来ないから「やらない」状態になってしまうのです。

Photo_5(鯨の断面は?)
平成19年の酒田でのJAO全国大会主催、昨年3月の希望ホールでのオペラ『ラ・ボエーム』全幕原語公演のオケピットでの演奏、その他、「一期一会」のこの機会を逃したら一生巡り会えない、知らないままで終わってしまう世界が目の前にあったのです。とても「偶然」という感じではなく、そこに着々と準備された「必然」のようなイベントがあったことが「意を決した」大きな理由だったのだと思います。

そして酒田市にある南洲神社。南洲翁が好んで書いた「敬天愛人」。庄内と九州、薩摩との関係。
Photo(お祝いのお花を頂きました)
今となっては、本当にいろいろな必然に導かれて酒田で開業し1年が過ぎたと言う感じです。
「一周年」は目出度い事ではありますが、この土地で私が元気である限り15年、20年と続けて行く覚悟の仕事ですから、月並みではありますが満1年ではあるけれど一つの通過点であり、いつもと変わらぬ診療の行われる一日でもあります。

Photo_6(お祝いのお酒も頂きました、出羽桜『一路』は世界の品評会で優勝した日本酒、山形が誇る出羽桜酒造の逸品です)
まずは天に、そして皆様に感謝して一周年を迎えられた事を喜びたいと思います。
「ありがとうございます。」
そして5年前に始めた時からこのブログの信条としている言葉の通りです。
「Tomorrow is another day !」


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2009.03.02

ファミリーコンサート無事終了!

昨日、3月1日は庄内町響ホールで酒田フィルの第32回ファミリーコンサートでした。
おかげさまで、小鳥はそれなりに飛べたのではないでしょうか。
自己評価は甘めに付けて「80点」でしたが、終演後にコンミスから「なかなか良かったわよ〜」とお褒めの言葉を頂きました。v(^^)

0228(2/28リハに向かう途中、13時過ぎの鳥海山)
実はこの3日間は大変でした。
インスペクターとして色々気を使いながら自分の演奏にもプレッシャーはあり、気の弛みなどまったくなかったはずなのですが、久しぶりに風邪を引きました。患者さんか職員から遷ったのかも知れません。
熱はないのですが喉が痛くて咳が出て、かなり消耗するようなゲホッゲホッという湿性の咳でした。早く治すべく、適切な薬を飲んで、2/27(金)のリハ終了後(21時半頃帰宅)も2/28(土)のリハ終了後(21時頃帰宅)も速攻でベッドへ。1日9時間は寝ました。

0301(3/1、朝9時過ぎ、GPに向かう途中の鳥海山、昨日とほぼ同じところで同じアングルで撮影してますね)
寒いけれどお天気はよく、土曜の午後の鳥海山も美しかったのですが、昨日、日曜の朝の鳥海山はことのほか美しくしばし見とれました。
さすが、モックンの背景になった山です。(笑)

お天気と鳥海山は素晴らしいのに、私の体調は最悪に近く、きちんと演奏出来るかどうか緊張する余裕もなく、それが却って良かったのかもしれません。本番中一番気にしていたのは、ステージ上で咳き込まないかどうかです。
演奏終了後会場で聴いていた家内に一番最初に聞いた言葉は、
「どうだった?咳、聞こえなかった?」
です。

実際、本番中、ステージ上で何度か咳をしました。喉に痰が絡まって苦しくなるのです。でもオーボエのソロやクラのソロ、弦がppで演奏している時にステージ上で「ゴホン!」とか「エヘン!!」などとやる訳には行きません。演奏する曲は頭に入っているので、あと十何秒か我慢すれば「ティンパニが炸裂する」とか「ホルンとトランペットが咆哮する」という場所が来るまで息を止めて堪えていました。
呼吸をするから咳が出そうになるので、息さえ停めればなんとか我慢出来るものです。
幸いフルート吹きなので、30秒くらい息を止める事くらいなんでもありません。1分でも大丈夫。
舌の根っこで喉を塞いでぐっと堪えて咳を我慢しました。

そして「ここだ!」というティンパニの炸裂場所で譜面台の陰に隠れて思いっきり「ゴホッ、ゴホン!」とやっていました。そんな感じで、変なところで疲れました。


たくさん回収されたアンケートによると、コンサートはまず一番には佐々木亜希子さんのナレーションが評判が良く、殊に我々のアドバイスを聞いて工夫してくださった小言の多い「お爺さん」だけ「庄内弁」でやってくれたのが受けていました。
たとえば「ピーター、そっちは危ないと言っただろう。まったくもって、、、」というところは
「ピーター、そっちだばあぶねっで言ったでねぇが、でってほんどで、、、」となる感じです。
さすが活動弁士、ピーター、小鳥、お爺さん、狼などの台詞は声色を変えてのナレーションで素晴らしかったです。

その次に評判が良かったのは「指揮者体験コーナー」でした。
一番目に振った3才の女の子が、とても堂々としていて、棒もしっかり振ってくれて途中で止めたりせず最後まできちんとしかも楽しそうに指揮をしています。プレゼントをもらってステージから降りて会場の席に戻る間も、大きな声で「あ〜、楽しかった!」と会場中に聞こえる声。会場中爆笑。とても可愛らしい女の子でした。
その他に8才の男の子、20代の女性とそれぞれ生まれて初めての指揮を体験され、観ているだけの観客の皆さんも共にとても楽しんで頂けたようです。

休憩時間のバイオリン体験コーナーも準備出来る楽器の数と指導する役割の団員数に制限があるため8名にしか体験してもらえず、そのため長めにした20分の休憩時間が「長い!」と思われた方もいたようですが楽しくバイオリンを体験して頂けたようでした。

その他の曲、スッペ「軽騎兵」、ボロディンとシューベルトの「未完成」は様々なご意見を頂きました。一番楽しんで頂けたのはやはり「ピーターと狼」だったようです。未就学児童も入場可としたため、やはり途中で飽きて来て声を出したり泣いたり動き回ったりで、静かにクラシック音楽を楽しみたいお客様には迷惑だったかもしれません。ただ、こういう機会でもないと小さな子供をクラシックのコンサートに連れてくるなどもできないものです。まだ若いお父さんお母さんの姿が目立ったのは小さいお子さんを連れて来てもいいファミリーコンサートならではだったものと思っています。
おかげさまで、バルコニーの追加席も加えて満席550の響ホールは、DVD作成用のカメラ全4台が占める位置や、最前列を除いてほぼ満席の530弱入ったようでした。バルコニー席を用意していなかった前半などは少し遅れてこられた方は後方で立ち見となってしまいご迷惑をおかけしました。

指揮者コーナーなどで予定がやはり延び、終演は16:15過ぎ。
アンコールはラデッキー行進曲で華やかに閉めました。私も解放された喜びと、会場の手拍子が大きいのでピッコロを力一杯ストレスなく吹く事が出来ました。いがった、いがった〜。

ーーーーー
慌ただしい片付け、打楽器搬出などの後、同ホール「小ホール」にて打ち上げ。
Photoナレーションの佐々木亜希子さんも参加頂き(写真)、楽しくビールを飲む事が出来ました。
(医者にあるまじき事ながら)「アルコール消毒!」などと言って打ちあで飲んでいましたが、ビールで消毒になる訳はなく、疲れたので一次会で退散し、また昨晩も9時間程寝ました。
それでも今日も喉は痛く、咳をすると辛いのですが、だいぶ回復して来た感じです。

さて、懸案の「ピーターと狼」が終わり、秋の定期演奏会に向けての第1回練習は3/21の予定。3/14は山響鶴岡定期があり、弦パートトレーナーである犬伏さんのソロもあるので酒田フィルの公式練習はお休みです。

そうそう、昨日の演奏会が終わって嬉しかった事に、入団を希望する、または興味を持ったので練習を見学したいと言う方が3名ほどいらっしゃった事です。
オケ活動は、特にアマオケというのは、それぞれに仕事や家庭を持ち境遇も様々な大人達が練習のたびに40人、50人と集まり、年に数回の演奏会のために毎週のように集まって練習を続けるという、言ってみれば手間隙のかかる、非常に面倒くさい活動です。だからこそ得られる喜びというものもあります。
私の小鳥がどの程度羽ばたけたのかは、本番を聴いていないのでよくわかりませんが、GPの録音の一部を公開しようと思っています。
こちら(→「ピーターと狼」GPの小鳥)をご覧ください。


そして
明日、拙クリニックは開院満一周年を迎えます。。。

そうだ、、、
今晩からフルートの練習、何しよっかな〜。一昨日までは毎日最低1時間、興が乗れば2時間は「小鳥」を中心に練習していたのですが、目標が目の前から消えたのでちょっと戸惑いますね。
とりあえず、同じプロコフィエフのフルートソナタでもさらってみますか。(え?!)

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