日本初演とか世界初演という甘美な響きに誘われて、(どうせバレるからカミングアウトしますが)酒フィルの練習を休んで(インペクのくせにさぼったのです、、、)山形に行って来ました。
演奏会の模様は、山Qメンバー4人のブログ(「山形Q第30回定期演奏会終了」 by らびおさん、「第30回定期終了」 by 中爺さん、「第30回定期終了」 by 委員長、「山形Q第30回定期終了!」 by だちゅ)やいつも的確な感想を書かれるnarkejpさんのブログ(「山形弦楽四重奏団第30回定期演奏会を聴く」)などに詳しく書かれています。
これらと同じ事を書いてもしょうがないのでちょっと違った切り口で行きましょう。
まず、昨日、土曜日の状況から。
お昼頃までは酒田も曇りの天気で先日積もった雪もだいぶ溶けて車は走らせるのに問題のない状態でした。
午後1時に診療を終了し、まずはいきつけの近くの蕎麦屋「めだか」へ。
いきつけ、なんて偉そうに書きましたが考えてみれば今年初めての「めだか」でした。
寒い冬でもなるべく「かけ蕎麦」は食べたくない私。ちょうど「鴨汁」がありました。
ここの蕎麦は「もり」の場合は「二八」なんですが、「板」を頼むと「外二」、つまり蕎麦粉10に対しつなぎが2という、蕎麦粉の割合の多い、しかも粗挽きの一番粉を使った風味豊かで歯応えがあり喉越しもいいというギリギリの線の蕎麦を出してくれます。
鴨も狩猟の鴨でしょうか、噛み応えのあるしっかりした肉でした。しかも!「平田の赤葱」が入っているじゃありませんか!この葱の甘みも出て、つけ汁の旨い事。この汁だけごくごく飲めそうでした。
冬季限定ですから興味のある方はお早めにどうぞ!
一旦家に帰って出かける準備。
コンサートは18:45から。プレコンサート18:15には余裕で間に合いたいし、折角文翔館に行くんだからちょっと寄りたいところもあり、15:30前に出発。
山形自動車道を酒田インターから乗った所で、すでに路面はシャーベット状の積雪。鶴岡を過ぎて、山の方に向かって行くと、道がどんどん白くなって来ます。前の車の轍にハンドルを取られそうになるため、高速道路なのに時速50~60km/hぐらいで走らせます。一番ホッとできるのはトンネルの中です。
月山新道は予想通りの真っ白な道。上りも下りも滑らないように、ハンドルを取られないように、いつもの数倍緊張して、いつもの何倍も腕に力をいれてハンドルを握ります。
寒河江インターを過ぎる頃、道は白からまたグレーのシャーベットに変わります。山形蔵王まで行って県庁の所から市内に戻ってくるか、山形北で降りて文翔館方面に来るか、山形中央道に乗り換えて山形中央インターで降りるか、考えながらハンドルを握りしめます。
山形市内に入っても結構な積雪に雪の降り方。こういう場合、経験上、市内の道路はどこも混みます。どこから降りてどういうルートで市中心部にアプローチしてもどこも同じ位時間がかかるだろう、そうならば高速道路料金の少ない、早く高速を降りて一般道に入るルートにしようと考え、「山形中央」で降り、西バイパス側から市中心部に近づくルートにしました。
おそらくこれは正解だったと思います。混んではいましたが、信号による自然渋滞くらいで高速を降りて10分くらいで文翔館の前に来ました。この時点で17:15頃だったのでまだ1時間あります。
そこで市中心部の楽器屋さんTに行き、近々やる曲のスコアをまとめ買い(プロコの「ピーターと狼」、ボロディンの交響響3番未完成、シューベルトの交響曲7番「未完成」、さらに2つの交響曲のスコアを購入)、家内が見たいと言っていた和装に合う小物を探しに「大沼デパート」と呉服の「結城屋」さんへ。お目当てのものは見つかりませんでしたが、大沼デパートでは何と何と『大九州展』をやっていました。
エスカレーターを降りた目の前に、懐かしい『梅が枝餅』の看板が。。。
生まれ故郷福岡で、毎年のように行っていた太宰府天満宮。その参道沿いに何件も『梅が枝餅』の専門店が並びます。餡子の入った焼きもちなんですが、餅米粉の違いなのか、その風味は他で味わったことがありません。一口食べただけで私の脳を小学生時代に戻してしまう、いわばソウルフードの一つです(ちなみに、嗅覚と味覚は原始的な記憶機能に近い部分にあるため、ある種の強い匂い刺激は古い記憶を呼び起こす事が知られています)。
あまり時間がないのでグルッと回っただけですが、「佐世保バーガー」に黒木本店の売れっ子の焼酎「山猿」「山翡翠(やませみ)」「山猫」も売っていました。からすみ、アゴ(トビウオの干したの)、もちろん明太子、辛し高菜、さつま揚げ、角煮饅、、、食べ物以外にも鼈甲製品など九州の産物がそれこそ盛りだくさん。
見て回っている私の表情を見て家内が「まるで小学生みたいな顔をしている」と指摘しましたが、あえて表現すれば子供がディズニーランドに行った時の様な気分でした。
いろんなものを買って帰りたかったのですが、諸処考えて「やまやの明太子入り辛し高菜」と「梅が枝餅」だけで我慢しました。我慢、、、これが適切な表現だと思います。。。(笑)
さてそろそろ18:00。
文翔館裏の駐車所に移動し、歩いて会場へ。気温がそれほど低くないので、湿ったベタベタの雪が降っており、足下はぐちゃぐちゃで最高に歩きにくい状況。家内は和装なので下駄ですが、これが以外と歩きやすい様子。下駄の二枚刃がぐちゃぐちゃの雪でもかえってスタッドレスタイヤのように、水気の多い雪を避けるようです。
会場に到着した時点では、まだ30人程度しかお客さんがいない様子。
「この雪じゃあ、な〜」と思いましたが、アンサンブル・トモズのプレコンサートが終わった頃には100人近い方がいらしていました。
この「トモズ」、チェロの茂木さんの奥さんのVnとビオラの倉田さんの奥さんのVaの2本だけなのですが、大変美しい、優しい音色で雪の中をあくせく辿り着いた心を柔らかく解きほぐして下さるようでした。お二人の性格が出ていると感じられる音楽で(お二人の詳しい性格は存じませんので)、暖かく自然で、でもきちっとする所はきちっと合わせて、とてもバランスの良いデュオだな〜と思いました。
いつものように「前振り」が長いのでそろそろ本題へ。
今回プレトーク担当のチェロの茂木さんが、これまたその人間味溢れる訥々としたしゃべり方で楽しいお話。芸大の学生時代、おそらく「アンサンブル東風」の事だと思うのですが、アンサンブルの団体で韓国を訪れ演奏の後の交流会で韓国の人から「何か日本の歌を歌って下さい」と言われて、学生が誰も日本の歌をちゃんと歌えなかった、それを一緒に行った作曲家(?指揮者だったかな)の先生から嘆かれ怒られ、自分自身でもとても恥ずかしい気持ちだった。
西洋の音楽を学び練習しているけれど、自分の国の自分の音楽、歌すら歌えない音大生、、、それを大変恥ずべき事だと感じたのだそうです。そして今回、弦楽四重奏の白眉とも言える「ラズモフスキー」を演奏するとともに、日本の民謡を弦楽四重奏で演奏できると言う事が本当に嬉しく幸せだと言う事でした。
1曲目は今年没後200年のハイドン。
「蛙」という副題が付いているのだそうです。楽しい曲でしたが、次の幸松さんの日本民謡の印象が余りにも強くて、4楽章最後の方以外あまり記憶に残りませんでした。
2曲目は幸松肇「弦楽四重奏のための4つの日本民謡第1番」〜さんさ時雨、そーらん節、五木の子守唄、ちゃっきり節〜の4曲。いずれも日本人ならどこかで耳にしたことのある有名な民謡ですが、特に私の場合、歌好きの父親がある時期先生に付いて真面目に民謡を習っていた事があり、家でよく練習をしていたのでこれらの曲は大変馴染みのあるものでした。
リズミカルな、アップテンポな曲は、ポップスというか演歌や流行歌ぽいやや甘めの編曲荷なる部分も感じられましたが、出だしの「さんさ時雨」などは「これぞ弦楽四重奏のための編曲!」と膝を叩きたくなるような、4つの異なる楽器が織りなす綾が美しく響きました。「五木の、、、」では、出だしにチェロの鋭く大きなピッチカートがはいり、そこへ高弦がppでか弱く旋律を刻み、貧しく苦しい生活に喘いだ少女が仕事の一つとして子守りをしながら歌ったとされる歌詞の雰囲気をよく現していました。私は個人的にまだ「オボコ」の「おしん」が酒田の商人の家で仕事で子守りをしていた姿を思い浮かべていました。
さて、いよいよ「世界初演」です。
世界初演に間違いないのですが、作曲家の幸松氏本人が「(恥ずかしいから)日本初演にしておいてくれ!」と頼まれたのだそうです。
茂木さんがチェロをひっくり返し背板の上部を右手の指3本(4本?)で叩きます。私はチェロにかけられていたタオルが気になってしまいました。最初は、普通に表板を叩いて打楽器的奏法をしてみたのだそうですが、茂木さん本人からお聞きした事では「もっといい音のする所はないか」といろいろ試してみた結果、背板になったのだそうです。
バイオリンの二人、中島さんと駒込さんは普通に顎の下に支えたバイオリンの横板のクビレの部分を右手の人差し指(または中指)の爪で弾きます。これも「爪で楽器の横を弾く」という指示があるのだそうです。この3人の打楽器的演奏に続いて、ビオラの倉田さんがようやくアルコで「よ〜いさぁの まか〜しょ〜 エ〜ンヤ コラマーカセ」と『最上川舟唄』の出だしを奏でます。
最上川が流れる大江町は左沢(あてらざわ、あちらの沢という意味でしょう)が発祥の地とされるこの歌の出だしを、現在大江町に居を構える東京出身の倉田さんが弾き出した事は単なる偶然なのでしょうか。
最初の歌詞にあたる「酒田〜さぁ いぐさけ〜 まめ(達者)でろちゃ〜」はこれまた東京出身で山形市在住の中島さんが弾き出します。弦楽四重奏らしい、複雑な旋律の絡み合いは「編曲」を通り越して「作曲」だと思います。
「まっかんだいごの しょっつるに〜 しょおが〜 しょぱぁく〜て くらわんねぇっちゃ〜」の所は
魚醤(塩汁)=しょっつるの本場である秋田出身の駒込さんが弾いていたのを見て、「これは単なる偶然なのだろうか?作曲者はここまで考えて、意図して編曲されたのだろうか?!」と思いながら、感動しながら聴いておりました。
酒田に本拠地を構えるのかどうか、酒田の名の付いた市民オケである酒田フィルハーモニー管弦楽団。演奏会終了後の打ち上げなどの宴会の席では、団員総出で「最上川舟唄」を歌のが習わしです。特に鵜新入団員がいる時には、その人(男に限る)がステージ上で横に寝かされて舟の格好をさせられます(両手を頭の上の方に伸ばしてピンとそり、舟の形を真似るのです)。船頭役の人が片足を持ち上げて、それを舟の櫓に見立てて漕ぐような動きをします。激すると股関節を痛める位、強く足を漕ぐのです。
芸達者な船頭役の場合、途中で櫓に見立てた足の靴下を脱がせてそれを嗅ぎ「くっせぇの〜!」とばかりに放り投げ、皆の笑いを取ります。
手慣れた芸達者な団員の中には、英語の歌詞カードを用意して来て、「最上川舟唄」英語バージョンまで飛び出します。
それもこれも歌詞の先頭に「酒田さ いぐさげ、、、」とあるからでしょう。私もつい最近までこの歌が大江町発祥とは知りませんでした。
話を演奏会に戻しましょう。
「最上川舟唄」の有名なかけ声や歌詞部分の主旋律などいくつかのモチーフをちりばめながら、最上川の情景が散りばめられます。バイオリン1本で最上川源流の小さな流れが少し強くなって、バイオリン2本に合流し流れが速くなりうねりが大きくなるような様は、日本人が大好きなスメタナの我が祖国の中の「モルダウ(プルタヴァ)」の出だしのフルート2本による源流の流れを彷彿とさせます。
春の最上川、冬の最上川を想像させるような季節感の表現も見事です。置賜地方に源流を持ち、村山、最上地区を潤し、庄内地方に肥沃な土地を作りつつ舟運での産業を支え、日本海に注ぐ母なる川、最上川。これだけ大きな一つの川が、一つの県に始まり一つの県の中だけを通って一つの県で終わるというのは、北海道を除けば極めて珍しいことです。厳しい山々に分け隔てられた県内4つの文化も歴史も異なる地域を、最上川だけがひとつに結び繋いでいるのです。
もはや民謡としての「最上川舟唄」を超越して、「モルダウ」に匹敵する名曲になっていると感じました。本当に感動し、作曲家の幸松さん(招かれて会場にも見えていた)に休憩時間に直接にお礼を言いたい気持ちを止められませんでした。
演奏会終了後の私の第一の感想は、はやくこの曲の「庄内初演」を!というものです。
それが「ジョンダーノ・ホール」であればどんなに素晴らしく嬉しい事でしょう。
さて、4曲目。
本来、今回の演奏会のメインであり、目玉であるベートーヴェンの弦楽四重奏曲第9番ハ長調Op.59-3、いわゆる「ラズモフスキー第3番」。30分にも及ぶ熱演です。
この曲自体が持つ、混沌とした雰囲気、終楽章の拡張高いフーガなど、同じ頃に作られたとされる交響曲4番やピアノ協奏曲4番と同じく、頭に浮かぶのは「革新的」な作曲です。この曲も当時の人々には受け入れられなかったそうですが、確かに聴いていて心地よいとか、楽しいとか、面白いという曲ではないように感じます。ピカソが「青の時代」などを超えて「キュービズム」に到達し始めた頃と比較するのは突飛でしょうか。
世間一般に理解され受け入れられる「商業的商品」を作るのではなく、「芸術を創作する」という信念、逆に言えば必死な思いによる頑さのようなものも感じられるのですが、ベートーベンがベートーベンに到達し始めた頃の作品、ロマン・ロランが評した「傑作の森」の中の一作品と位置づけて理解してもいいのだろうと思います。
アンコールは、ハイドンの「鳥」からフィナーレ。バイオリンの二人がまるで双子のように息とハーモニーのピッタリあった楽しい鳥のさえずりを聞かせて下さいました。重いべーさんの後に、ハイドン先生はやっぱり楽しいです。
演奏会場をすぐには立ち去れないような感動に少し震えながら、入り口でいつものように見送って下さる4人に感動と感謝を伝えながら雪降る外に戻りました。こういういい演奏会の後は、本当はゆっくりお茶と甘いものでも頂きながら、心を少しずつニュートラルに近づけてから帰りたいものですがなかなかそうも行かず。。。
演奏会は夜9時まえに終わるだろうから、酒田に戻る前に夕食として是非行こうと考えていたお店に予定通り行きました。
駅前の牛タン屋さん「とだて」です。近くの駐車場は積雪で苦労しましたがなんとか停めて入店。驚いた事に客が一人もおらず、注文もすぐに来て、もろきゅう、もずく酢を平らげ、写真の牛タン焼き3人前を二人で分けて食べました。もちろん麦飯とテールスープ付きでご丁寧にとろろも一つ付けました。
さらにメニューにはない、「南蛮の味噌漬け(これは無料)」をお願いして出してもらい、麦飯をかき込みました。
ここ「とだて」の御主人は、山形は河北町出身の先代が興した仙台における牛タン焼きの発祥の店である「太助」で修行を積んだと聞いています。仙台にも「とだて」という店はありますが、そこのタンよりはやや厚めに切ってあると思います。
しかし、旨い!
酒田、庄内は食の都と自称し、旨い物がたくさんある土地ですが、私が一つ残念なのは「牛タン屋」が知る限りにおいては一軒もないのです。魚の美味しい土地柄、焼き肉屋さんも今ひとつはやっていない感があります(鉄板焼きやステーキの店はいい店がありますが)。
「牛タン定食」が食べたくなったら、仙台か、せめて山形の「とだて」に行くしかないのです。
折角の感動的な「世界初演」の話を「牛タン焼き」で締めるのもどうかと思いますが、折角雪道の中、恐い思いをしながら往復4時間かけて行った、それだけの価値のある素晴らしい演奏会、そしてその感動に更に満足感を付け加えてくれた、昼の蕎麦と夜の牛タンを紹介しない訳には行かないのでした。
(夜の雪道運転のダメージはしっかり今日まで残っていますが、、、)
幸松肇編曲(山形弦楽四重奏団委嘱作品)「弦楽四重奏のための最上川舟唄」の庄内初演、是非今年中に実現させたいものです。
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