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2008年12月

2008.12.31

大晦日&大掃除2

今日で平成20年、西暦2008年も終わりですね。
明日からは新年、気持ちも新たに迎えられるように、本日は院長室の掃除、床のワックスがけをしました。合間に買い物に出かけたり、「年越し蕎麦」として自宅で食べるように注文しておいた「田毎」のお蕎麦を取りに行ったり、『山茶花』のマスターと奥さんにご挨拶がてらコーヒーを飲みに行ったりして、昨日ピカピカにした『ジョンダーノ・ホール』で、「ピーターと狼」と「管組2番」の今年最後の練習をしました。

昨年の大晦日のブログ記事に倣って、今年撮った鳥海山の写真を並べてみましょう。

1月。
なんと今年の1月は鳥海山の写真を一枚も撮らなかったようです。医院の建設が佳境に入り、内部を撮影したり、MRIの搬入を撮影したり、地吹雪の建設現場を撮影したりで、山を観る余裕がなかったようです。

23b2月。
これはオペラの練習で庄内町の「響ホール」に行った時の写真。田んぼの積雪が多いです。

224同じ2月の末、ついに完成し引き渡しされたクリニックの院長室から撮った鳥海山です。
すぐ裏のお宅の屋根にも雪が積もっています。

323b3/3に開院して、少し息をついたのが3月末。天気も春めいて来て空気が明るいです。
この頃は、まだズームアップして撮影していなかったのでクリニックの裏が大きく入っていますが、角のお宅、新築中だったんでしたかね。

Photo_4b4月。
ようやく春の訪れた庄内地方。旧平田地区の桜並木の間から見える鳥海山。

53_2bほぼ同じところから観た5月の鳥海山。回りの景色も5月中旬を過ぎると、春爛漫からそろそろ田植えの雰囲気です。


Photo場所や栽培する品種によって田植えの時期は5月初旬から下旬まで幅があります。
田植えの準備完了の田んぼと鳥海山。

612b6月のある日、院長室から。
陽射しが初夏から夏に向かっています。夏至は6月下旬なので、陽が一番高いのはこの月なのですが、鳥海に雪はまだあります。

7月は私の誕生月。秋田は土崎の港祭りなど出かける機会は多かったのですが、なぜか鳥海山の写真を撮りそびれたようです。院長室から写真を撮る心の余裕がなかったのかな〜。。。


827b8月の末。院長室からの鳥海。
1年で最も鳥海山の積雪が少ないのは、8月末から9月初めにかけてでしょう。ほとんど残雪は観られません。


930b9月末、鳥海山「初冠雪」の報が届きました。
うっすらと雪化粧。しかしこの後数日の好天で一旦ほとんど消えてしまいます。

1031b本格的な雪化粧は10月末。こうなるともう根雪になって溶けません。
冬間近です。

1111bそれでもいいお天気が続いたりすると、このように11月中旬でも雪はまた少なくなります。


1129b5月の田植えの直前の田んぼと鳥海の写真とほぼ同じ位置から、11月末に撮りました。稲刈りの後、そして5,6合目まで雪を被った鳥海。

1129_2b同じ頃に、4月に桜並木の間から撮った場所とほぼ同じ位置で。
桜の木の間から白い鳥海が美しい。

1216_2b12月に入ると、もう「冬」です。晴れの日は少なく、どんよりとした雲に覆われているか、激しい風とともに霰や雪が降る季節。
なかなか頂上まで綺麗に見える日は少なくなります。

こうして今年も一年、鳥海山を仰ぎ見て生きて来ました。
1月のクリニック完成、MRI搬入、2月の建物引き渡しと内部装備の完成、3月の開院、5月、6月、10月の3回のサロンコンサート、8月のJAO高松大会参加、九州旅行、ギターフェス、9月のバボちゃん庄内公演、11月の酒フィル定期、、、と駆け足で1年が過ぎてしまいました
平成19年が「動」の年だったとすれば、今年は「始」の年だったと言えるでしょう。
本当に多くの方々にお世話になり支えて頂きました。
ここにあらためて感謝申し上げます。
ありがとうございました!

Bこのブログも、来年そうそうにアクセスが35万に到達する事になりそうです。昨年暮れに17万ヒットとか言っていたのですから、1年で17,8万アクセスを頂いている事になります。

このブログをご覧頂いている皆様の来る新年が、幸せで輝かしい一年でありますように心からお祈り申し上げます。私も、開業2年目を迎える事になりますが、初心を忘れずに謙虚にそして常に前を向いて頑張って行きたいと思っています。
良いお年をお迎え下さい!

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2008.12.30

大掃除1

今日から年末年始の休みに入りました。
自宅は家内がせっせとお掃除をしています。
クリニックは、先週末そして昨日とスタッフと家内が大掃除をしてくれました。お陰で私は診療に集中できました。

せめて「ジョンダーノ・ホール」の大掃除は自分で、と本日頑張りました。
昨日のうち、スタッフが椅子を片付けておいてくれたので、まずクイックルワイパー(もどき)の「ドライシート」で乾拭き&ごみ取り。
つづいて「つや出しウェットワイパーシート」でクリーニング。
仕上げはワックスコートシートでワックスがけ。
Photoピカピカになりました。
いかがでしょう?

便利になったものです。
クイックルワイパー(もどき)のハンドルに、ワックス掛け用のシートを装着すると、1枚でおよそ6畳分のワックスがかけられます。結構力がいるので終了後両手がぷるぷるしました。
3/4ほどワックス掛けをしてからピアノとチェンバロなどを移動して残りの1/4にかけます。全部で10枚使い、ちょうど60畳の広さのフローリングは綺麗になりました。

働いたので今日のお昼はややカロリー高めの食事。

C酒田市東大町の「北京飯店」で昼食。
定食Cは、半エビラーメンと半チンジャオロースーかけご飯。
「これが半分?」というボリュームで、お腹いっぱい。美味しくて満足。これで980円は安いと思います。(お蕎麦だっていいお店で大盛り頼むと1000円超えますから)

午後は、ピカピカになってほのかに爽やかな香りのする「ジョンダーノ・ホール」で練習。
新年1/11(日)、酒フィルの新年会ニューイヤーコンサートで演奏することになった、JSバッハの管弦楽組曲第2番から「ポロネーズ」「メヌエット」「バディネリ」を練習しました。
心なしか、響きもより豊かになったような。。。(椅子を片付けたから残響が増したのでしょう)(^^)

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2008.12.29

仕事納め

大学病院や県立病院など公立病院勤務時代は、「御用納め」「仕事納め」と言う言葉が生きていました。午前中で公的には仕事は終わり、医局などに集まって、ミカンとお茶(さすがに時節柄お酒と言う訳にも行かないのです)で一年を簡単に振り返って皆で「御用納め」という儀式をしていました。

自分が個人事業主になってみれば、休んだ日は収入が「0」になる訳ですから、職員の労働基準法遵守と福利厚生を考えなければ毎日働いたって良い訳です。年末はいつから診療をお休みにするかも自分で決めてよい訳で、開業一年生としてはいつにすれば良いのか迷いました。
親しくしてもらっている他の開業医にお聞きしたところ、今年の暦からすれば本日12/29までか、明日12/30までのどちらかで、12/30の午前中で診療終了しその後、皆で大掃除をしてお寿司をとって「仕事納め」をするという医院もありました。
Photo中途半端は嫌いなので、本日の普通の診療が終わったら「仕事納め」としました。明日から年末年始のお休みです。(クリニックの正面玄関に正月飾りを付けました)

今年はカレンダーの通りで、新年は正月三が日と続く1/4(日)までお休みで1/5(月)から仕事を始める事になります。病院勤務時代は、「御用納め」「仕事納め」と言っても、年末年始の間、入院中の患者さんを診に来たり、当直があったり、若手の先生は関連病院の日直や当直の応援があったりでなかなかまとまった休みは取れるものではありませんでした。12/31の夕方を申し送りとして、年末年始を前半と後半に分けて交代で休みを取り、自分が主治医の患者さんについても休みの間の担当医を決めて引き継ぎをして休みを貰っていました。そうしないと、結局ほとんど一日も休みがなくなるからです。

大学で医局長をしていた時、ある若手医師が大晦日から実家の東京に帰れるようにチーム編制を組んだところ、「医学部卒業後10年目にして初めて正月を家族で迎えられて、実家の親も喜んでいました!」と感謝されたことがありました。かくいう私は、卒業後正月を実家(横浜)で迎えた事は一度もありませんでした。平成18年の1/2成田発で酒田フィルの団員としてハンガリーに演奏旅行に向かうために、仕事納めから毎日「脳外科の出番」をし、大晦日も病院泊まりで元日の朝まで働いてお昼から出かけて、成田発の前泊を横浜の実家にした時だけ、元日の夜を親と過ごしたというのが医師になって25年の間で一回だけ正月を実家で過ごした「例外」です。

医療崩壊とか勤務医の過重労働を緩和しようとかのかけ声があがっているのは悪い事ではないと思いますが、私は、正月を実家でのんびりと過ごすことが出来ないのがこの仕事を選んだ定めと考えていました。逆に感謝された若手医師に(そんなに親と実家で過ごすのが大切なのか?)と感じた事は事実でした。

勤務医生活とおさらばして、今年平成20年の正月は自宅でゆっくりと過ごし、三社参りもしました(2008.1.1の記事をご覧下さい)。病院の日直や当直もなく、急患で呼ばれたり緊急手術もない年末年始は医師になって初めての経験でした。そういう余裕を作り出すために開業と言う選択、夢とともにリスクもある選択(自分が倒れたらお終い、経営が上手く行かなければお終い)をした訳です。
しかし、世の中は激変して来ていて、勤務医の負担を少しでも減らすために地区医師会の開業医が協力して交代で時間外診療に当たろう(要するに夜の急患を病院に出かけて行って診る)とか、当直もしようという動きがあるようです。時代の要請としてやむを得ないこともあるかもしれませんが、自分が病院勤務時代は24時間体制で容赦なく呼び出され働いていたのに、自分が病院勤務を辞めたら今度は病院勤務医の負担軽減のために開業が病院に出かけて行って手助けをするの?という疑問が湧くことは非難されるものではないと思います。

まあ、今年もお蔭さまで恙無く、一年を締めくくれそうです。
Photo_2新米開業医として手探りでやって来た部分が多く、いろいろな方に助けて頂きました。この場を借りて感謝申し上げます。
明日、明後日で、「ジョンダーノ・ホール」や院長室の掃除、ワックスがけを頑張るつもりです!

ーーーーー
今日のおまけ。
中学の同級生でジャズピアニスト岩崎佳子氏の演奏風景がYouTubeにアップされていると、同級生から連絡がありました。
カッコいいです!ご覧ください!
岩崎佳子と仲間達play-All The Things You Are

Iccyu3ピアノを弾いているのが中3の時に私のフルート演奏の伴奏をしてくれた(左の写真で前列に私と並んで鞄を提げている女の子)岩崎佳子さんです。

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2008.12.28

上棟式から一年

庄内地方は相変わらず荒天で、夜中じゅう「ゴーゴー」と嵐が吹き荒れていました。
今日の日中も、雪こそたまにぱらつく程度でしたが、一日中「びゅーびゅー」「ごぉーごぉー」と風がうなっています。
「どっどどどどうど どどうど どどう」
まるで宮沢賢治の世界のようです。

いつの間にか「冬至」(今年は12/21)も過ぎ、天文学的には日に日に陽が長くなっているはずですが、天候としてはどんどん「真冬」に向かっているようです。

そういえば、1年前の今日、12月28日は大安で、この真冬の、年の瀬の慌ただしい時期に、拙クリニックの上棟式を挙行したのでした。ブログ記事「上棟式」をご覧下さい。

この記事の写真を見る限りにおいては、一年前の12/28は曇りながらもまず落ち着いた天候だったようです。今日の庄内は、本当に強い風が吹きまくっていて、自宅などはどこの窓も開いていないのに、台所と廊下の間の戸が風圧(風による家の振動?)でがたがた言っています(築15年以上の借家ですから)。
朝からのんびり年末のテレビ番組などを観ていました。日曜の朝の楽しみの一つ『題名のない音楽会』は年末特番でお休みだったので、なんとなくだらだらとして、『サンデージャポン!』という番組を観ました。先日、自宅マンションで亡くなっていたタレントの飯島愛さんが昨年芸能界を引退する直前までレギュラー出演していた番組なので、飯島さん死去の特集をやっていました。

その中で印象に残ったのが、BSE問題で米国産牛肉の輸入が禁止されて牛丼の「吉野家」から牛丼が消えてしまい、2年くらい前でしたか、1日限定で「牛丼復活」という日がありました。その時に、飯島産がレポーターとして「吉野家」で牛丼を食べていたシーンで、「昔は貧乏で、一杯の牛丼を彼と二人で分け合って食べた」というような話が出ていました。
華やかな芸能界でチヤホヤされる前にそういう苦しい時期を過ごしていた、ただその頃の事をとても懐かしそうに、まるで幸せな時間だったように語っていたのが印象的でした。そんな飯島愛さんの牛丼を美味しそうに頬張る映像を観ていたら、家内と「今日の昼はヨシギュウだね」という事になってしまいました。

Photo自宅の近くにある「吉野家」に出かけて行きました。このお店に入るのは初めて。
というよりも人生で2回目の「吉牛」体験です。1回目はそれこそ、一日限定の牛丼復活の日でした。仙台に住んでいた頃に、「飯のはんだ屋」という安くて量のある食堂チェーンでご飯を食べたことはありますし、元「ほっかほか亭」の弁当で過ごした学生時代もありましたが、私の人生で吉野家は何故か縁がなく(というより興味がなく)過ぎて来たのでした。
久しぶりの、吉牛、大盛り480円は昔に比べて「高くなったな」という印象はありますが、美味しかった。飯島愛さんは別に好きなタレントでもなんでもありませんでしたが、彼女の短い人生の中にここの牛丼は大きな意味を持っていたんだろうな、、、と感じました。

その後、相も変わらずびゅうびゅう、ごうごう、という嵐の中、クリニックのジョンダーノ・ホールで、JSバッハの管弦楽組曲第2番からポロネーズ、メヌエット、バディネリの練習。年明け、酒田フィルの新年会で仲間と(家内のチェンバロも加えて)、この名曲に挑戦してみることになりました。
フルート吹きにとって憧れる曲の一つ。
軽々と、踊るように、そして華麗な装飾をさりげなく、センス良く付けたいものです。

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2008.12.26

やっぱり凄い!アル・ケッチャーノ

1226ついに来ました冬将軍。昨日午後から大荒れの天気で、今日は朝から拙クリニックの玄関や駐車場の雪かきをしたのですが、庄内特有の海から風に煽られて、すぐにまた地面が見えなくなります。

ーーーーー
この冬一番の寒い日に(朝、出勤時に車のコックピットに表示された車外気温はー3.5℃でした)冷たい雪の話では味気がないので久しぶりにグルメ記事とします。
12/25、クリスマスの夜は鶴岡の『アル・ケッチャーノ』を予約しました。

2年前でしたか、TV『情熱大陸』で取り上げられ、その後も数多くのメディアに登場して、いまや庄内一、いや山形一予約の取りにくいお店になってしまった感があります。それ以前は、ブラッと訪れて黒板に書かれたその日のお勧めメニューの中からパスタを1品選んで食べる、そういう楽しく気軽なお店でした。
テレビで取り上げられた事を深く考えずに、H18年の夏(まだ山形市に住んでいました)、夏休みの一日にぶらっと庄内にドライブをして、「お昼はアル・ケッチャーノで」と寄ってみたところ、店の外にまで並んで待っている人がいてビックリ。
「お昼がだめなら、夕食は?」と聞いたところ、「スミマセン。夜は一ヶ月先まで予約が埋まっています。」と言われてビックリ。それ以来、ちょっと足が遠のきました。

昨年、庄内に移住して私の誕生日(納豆の日)に予約してディナーを頂きました。秋には拙クリニックの地鎮祭を行った際、横浜の両親を湯田川温泉(藤沢周平縁の九兵衛旅館)に案内した翌日、昼食を予約して頂きました。
いずれも満足な食事でしたが、それ以来行っていません。大好きなお店なのに、庄内に住んで1年7ヶ月の間に2回しか行っていませんでした。

前回行ってから1年2ヶ月半、ディナーを頂くのは1年5ヶ月ぶりになります。「アル・ケッチャーノのクリスマスメニューってどんなんだろう?」という期待感が高まっていました。結果的には「さすが奥田さん!素晴らしい!美味しく楽しかった!」という感想で帰って来ました。

折角なのでメニューを全て写真に撮って来ましたので、ここに並べてみたいと思います。

Photo一皿目はブリのお刺身。分厚いけれどたった一切れのブリの切り身が写真のように海を思わせる青いお皿の真ん中に盛りつけられています。回りには庄内の海から作られた塩が撒くようにおかれていて、その塩を付けて食べるというシンプルなもの。ブリの旨さがお塩で際立ちます。メニューの名前は「宇宙の中に浮かんだ一切れの寒ブリと満月の塩」です。

Photo_22皿目は「北海道の天然ホタテと岩手産キャビアのラビオリ仕立て ホタテのヒモとセロリのサラダの食感」というメニュー名。この名前の付け方にも奥田シェフの独創性が十分に表現されています。味はさっぱりしていて、ラビオリ、ホタテの柔らかい食感とホタテのヒモの歯ごたえにセロリのシャキシャキ感が大変音楽的でした。

Photo_33皿目は「米沢の雪菜とサンダニエーレ産の生ハム」。
地産地消を唱え、「地場イタリアン」を謳う奥田シェフですが、今回は同じ山形県でも遠くはなれた(車で3時間かかります)米沢の有名な地場野菜の登場です。生ハムもとても美味しいのですが雪菜の個性の前に負けている印象。生ハムの塩気が雪菜の味付けになっている感じです。雪菜は生のままと少し炙ったものの2種類を一皿に盛っているのも奥田さんらしい手の込みようです。

Photo_44皿目は「飛島沖メジマグロと三川佐藤さんの冬トマトアイコの冷たいカッペリーニ」。
冬に食べる冷製パスタ!美味しかった。メジマグロの海の恵みに、軽い酸味に甘味の強いトマト、本当にこれだけでも料理になるようなトマト、そしてエンジェル・ヘアーのパスタ。好きです!

Photo_55皿目は「カリッと焼いたのどくろとこんがり焼いた長いも」。
庄内が誇る食材の一つ「ノドクロ」。刺身や寿司はもちろん焼いても煮ても旨い魚を、アル・ケッチャーノではカルパッチョにする事が多かったと思いますが、今回は「焼いて」出て来ました。グリルでしっかり焼いて(でも中は柔らかく)、それに付け合わせとして出て来た長いもを焦げ目がしっかりつく程焼いたのがよく合います。更には黒い粒粒が。聞かなかったので確かではありませんが、指に付けて食べてみたところ、炭焼きの「竹塩」ではないかと思います。
さすがの味でした。

Photo_66皿目(さあ、一体何品あるのでしょう、、、)は、「ウンブリア産の黒トリュフと庄内米はえぬきのリゾット」。
クリスマスメニューは、いつものアル・ケッチャーノのお任せフルコースに比べて1.5~2倍くらいの値段。それがこういうところに出ていますね。トリュフが出し惜しみせずフンダンにかかっておりました。はえぬきのリゾットもとても美味しい。香りのぶつかるのを警戒したのか、私的にはチーズがもっとたくさん使われていても良かったかな〜と感じました。

Photo_77皿目、「ファアグラと干し柿のテリーヌ ずっぱいインゲンサラダとカヤの実」。
よく食べるソテーされたフォアグラではなく、パテのようになったテリーヌがしっとりとしていて、しかもフォアグラのソテーのようなしつこさがなく食べやすい。そのスライスの間にサンドされたのが干し柿のスライス。その甘さと苦さがアクセントになってフォアグラのテリーヌと絶妙にマッチしています。添えられたインゲンサラダはその食感に酸味、そこにカヤの実の歯ごたえと軽い渋みがまた味覚を刺激します。一皿にこれだけの味、香りを盛りつけられるのはさすがです。

Photo_148皿目、「山形の特産紅花を打ち込んだスパゲッティ ズワイガニのソースで!」。
メニューにちゃんと「!」が付いていました。
あれ?焼きそばみたいなスパゲッティだな、、、と思いましたが、それこそ紅花が打ち込んである麺なので黄色っぽいのですね。ズワイガニを茹でた汁がパスタに絡んで美味しかった。

Photo_99皿目!「うちのヤギの低温ロースト 生ハムの香りをうつしたクリームソース」。
ここまで来ると、男性の私でも結構苦しくなって来ました。一皿一皿はピッコロなのですがさすが9品目です。でもバラエティに富み、味の変化が豊富で、同じ皿の中にもいろいろな世界が広がるのでまったく飽きが来ません。
さすがのアル・ケッチャーノ。全席予約で満席ですが、これだけの料理を次々に運んでくるフロア係も大変です。食事を始めてここまでで1時間40分くらい経っています。でも次の皿の間が間延びせず、かといって次々に責め立てられるように料理が運ばれて来る事もなく、なかなかのタイミングで出て来ます。そしてメインの前の皿が「ヤギ」。
ちょっと重くないのかな、と不安に思いましたが、低温ローストなので上級のローストビーフよりも柔らかくしかもサラッとしていました。クリームソースも美味でしたが、ここまでに白と赤のグラスワインで気持ち良くなっていて「生ハムの香り」というのはよくわかりませんでした。

Photo_1010皿目、メインの料理です。私が頼んだのは「ハンターより ウサギの一皿 オリーブとドライトマトのタップナードソース」です。家内は牛で、「A4ランクの米沢牛のグリルタリアータ 秘密の調合のハーブマスタードとクレソンサラダ」でした。
ウサギのお肉など滅多に食べないのでよくわかりませんが、他の獣の肉のどれにも例えたり比較できない感じです。カモとも違いますし、牛や馬とはまったく違います。低脂肪、低コレステロールと健康に良いお肉のようです。また食べたいと思わせる味ですが、「ハンターより」と表現されているように猟師さんが獲って来ないと食べられないのでしょうね。

Photo_11今回のクリスマスメニューは「10品」と聞いていたのですが、クリスマスカードにプリントされたメニューには、さらに「消化作用のあるエメラルドグリーンのスープ」と「クリスマスに開店するドルチェのワゴンサービス」そして「食後のお飲物」とありました。
ちょっとフロア係が混乱したのか、我々のテーブルには予定になかったラ・フランスのシャーベットが運ばれて来て(写真の左の背の低いシャンパングラス)、その後に「エメラルドグリーンのスープ」が来ました。これは小松菜とキュウリのスープということで本当に消化に良さそうです。

女性の目を釘付けにしていたのは、ドルチェのワゴンサービス。
我々のテーブルよりも先に来られて食事が早く進んでいるお隣や後ろなどにワゴンが運ばれ、奥田シェフ自らがドルチェを次々に運んで来て、客の好みを聞いて切り分けてお皿に盛っていました。

Photo_12Photo_13全部で7品のドルチェをシェフ自ら切り分けて下さいます。奥田さんが左利きだと言う事が初めて分かりました。
ティラミスにはシェフ自らクルミを砕いたものとココアパウダーをかけて下さったのでその際に少しお話も出来ました。

東京は霞ヶ関にあった山形県のアンテナショップが、来年春に銀座に移るに際し(もともとは年内開店の予定が飲食部門に応募が不調だったらしい)、2階に飲食店をいれるのですが、県関係者からの強い誘い(お願い?)によって「アル・ケッチャーノ」が入る事になったそうです。
噂では、春の開店に合わせて奥田シェフが家族も連れて東京に移住する(軌道に乗るまでは東京で本腰を入れる?)という事でしたが、本人に確認したところ、東京には月に2、3回は行くもの、普段は本店「アル・ケッチャーノ」にいるとのことでした。
県のアンテナショップとしては、土日の人通りが官公庁街の霞ヶ関からは比べ物にならない銀座に打って出る以上(相当なお家賃の高さらしい)、大きな目玉になるものが欲しいのは当然でしょう。全国的に有名になり、東京辺りから「アル・ケッチャーノ」で食事をするためにわざわざ庄内に旅する人がいる位のお店なのですから、その誘客力に期待が集まるのもやむを得ないのでしょう。

今回、クリスマスというイベントとして久しぶりに予約を取って訪れた「アル・ケッチャーノ」。料理の素晴らしさはもちろん、開店以来の生え抜きフロア係のAさんがご家庭の事情で関東地方に戻られて以降、ちょっと心配だったスタッフですが、若いのに皆素晴らしく、コースを通して遊園地の様々なアミューズメントを楽しんでいるような、心地よさと楽しさが感じられました。
一皿一皿にいろいろな思いが詰まっていて、客を飽きさせる事なく、客の楽しむ心をくすぐりながら、実はお料理を出している奥田シェフ自身が楽しんでいるんじゃないかと思いました。客を楽しませる事を楽しむ、とでも表現すればいいのでしょうか。
一流の音楽家にも共通する資質と才能を見た思いがしました。また、ドルチェを供する時のナイフの使い方やその手さばきなどを見ていて、「この人が外科医を志したら名外科医になったんだろうな〜」と感じました。
実際、料理と手術には共通点が多いと思います。
材料の準備、始まりから完了までの全体を通しての計画、手際の良さ、アイデアとイマジネーションの豊かさ、確実な手技、勉強に裏打ちされ訓練に培われた技術とその応用、何かトラブルが起きても即座に対処できる迅速さと器用さ、全体を統括する指導力と人間性、、、
いろんな料理の名シェフというのは皆名外科医になりうる人なのではないかな、と思います。

久しぶりに訪れて、アル・ケッチャーノは、奥田シェフはやっぱり凄い!と感嘆しました。

オマケの写真。
1226_3今日の昼休み時間に駐車場の雪かきをする家内。昼は私はアポイントがあったので除雪作業はしませんでした。
私も朝、診療開始時間前に玄関前などを一生懸命除雪したのですが、寒くて顔が「北国の赤ホッペの坊や」みたいになってしまいました。折角、掻いた雪もすぐに風が吹いてまた地面が見えなくなるのです。本当に大変です!

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2008.12.25

聖なる夜に

Merry Christmas !

Photo『音楽は 喜びの友 悲しみの薬』


今年、念願叶って開院した小クリニックに併設したリハビリ室兼小ホールで、サロンコンサートを開催する事が出来ました。

Photo_2Photo_3Photo_4(写真左から順にジョンダーノ・ホール・サロンコンサートの第1回、第2回、第3回)

第1回は新日本フィルのフルート奏者である荒川洋さんに演奏して頂きました。私も幸せな時間でしたが、地元の中学生や高校生の女の子の荒川さんを見る目が「ハート」になっているのが印象的でした。

第2回は私の師匠のお一人、フルート・クライス主宰者の上坂学さんに「酒田場所第1回」として、リサイタルとフルート講習会そして個人レッスンをして頂きました。地元の高校生から大人まで演奏を楽しみ、講習会も皆真剣そのものでした。ムラマツ新宿本店の修理室長伊藤さんにお出でいただき、無料調整会&試奏会も行われました。来年もやりたいです。

第3回は、酒田フィルの定期でチャイコのPコンの素晴らしい演奏を聴かせて下さった山形市出身の気鋭のピアニスト石井理恵さんにリサイタルをして頂きました。来年春頃に鶴岡でリサイタルが予定されていると聞いており、これも楽しみです。

今年は、まずこの3回のサロンコンサート、そして酒田フィルチェロ軍団の発表会を兼ねた内輪の演奏会を行ったり、仲間の木管五重奏やフルート四重奏の練習会場として「ジョンダーノ・ホール」を無料で提供する事が出来ました。

B先日は、某所で酒田フィルのコンミス、ビオラ弾きの酒フィル会長、チェロ弾きの副会長の「3人のヴィルトゥオーソ」とご一緒させて頂いて、モーツァルトのフルート四重奏D-durの1楽章を演奏して来ました。

ブログを読んで下さっている皆様の聖なる夜が、美しい音楽と喜びに包まれ幸せでありますように。
もしも何か辛い事があるならば、せめて音楽が悲しみの薬として傍にありますように。

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2008.12.24

ノクターン遺作

何か特別な、大切な気持ちを持ちながら観ていたTVドラマ『風のガーデン』。
先週の木曜日、12/18が最終回でした。
このドラマが遺作となった名優緒方拳さん。しばらく画面ではお会い出来ないかもしれません。

扱うテーマが「死」であり「生(いのち)」でした。
主役の中井貴一の職業は医師。その父である緒形拳の役柄も医師。
病院、看護、介護、在宅医療、往診、、、。自分にとって身近なテーマがたくさん出てきました。
そういう事も、このドラマに惹き付けられた理由ですが、一番はこれでしばらく緒形拳さんとお別れか、という思いもありました。
更に、主題歌やドラマ中の挿入歌を歌い、自身も中井貴一役の恋人(?)で重要な役として出演した平原綾香さんの歌も大変魅力的でした。
。。。

「あ〜、終わった、終わった!」
という感じに表現出来ないドラマだったので、ブログ記事にするまで1週間近く経ってしまいました。
このドラマの主題歌が「ノクターン(風のガーデン)」です。
YouTubeから、「名優・緒形拳さん追悼♪ノクターン・・・平原綾香」をご覧ください。

この曲は、平原さんがホルスト作曲『惑星』の中から「木星」をカバーする形で歌った「Jupiter」と同じように原曲があります。それはF.ショパン作曲の「ノクターン遺作 嬰ハ長調」です。原曲もYouTubeで視聴できます。
「ショパン ノクターン遺作 嬰ハ長調」をご覧ください。

この曲を聴いて、ショパン好きで映画通の人ならすぐに思い出すのは『戦場のピアニスト』です。
この映画の主題曲がこの「ノクターン遺作」でした。YouTubeで映画の宣伝用フィルムを観ることが出来ますが最初の方で鳴っています。
「The Pianist Trailer II」

「風のガーデン」で、平原さんの歌い出しを聴いた瞬間に、「あ!『戦場のピアニスト』の曲、、、」と思いました。ショパンの「夜想曲集」は楽譜を持っており、何曲か弾いてみたことがあります。しかし、この「遺作 嬰ハ長調」はあまりにも美しく悲しい旋律を持っておりまだきちんと弾いたことがありません。

この曲を主題歌とした『風のガーデン』が、緒形拳さんの「遺作」となってしまったのは偶然なのでしょうか。緒方さんが書いた、飾りのない、朴訥としたドラマの題字を思い出します。

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2008.12.23

たばこ規制枠組条約ガイドラインのこと

私も以前は喫煙者でした。たばこの害については今更説明するまでもないと思いますが、狂信的にたばこを「悪」と決めつける論調にもやや反感を覚えることがあります。

先日報道された「たばこ規制枠組条約」の事と音楽の関連について考えたいと思います。
簡単に言うと「たばこは悪!悪い事をして儲けた金で『社会貢献』をするなどチャンチャラおかしい!そういった活動すら辞めさせよう!」というのが主旨のようです。ディライトフォーラム、アフィニス、JTカップといった活動を廃止にまで持っていこうというガイドライン採択のことです。

http://sankei.jp.msn.com/life/body/081219/bdy0812190819000-n1.htm

ーーーーー
(ニュースソースから)
「たばこ規制枠組条約の締約国会合が新たに3件のガイドラインを採択し、近く世界保健機関(WHO)から修正文書が示され、厚生労働省が初めて概要を邦訳して公開することが10日までに分かった。たばこ産業の広告、販促、支援活動の全面禁止だけでなく、研究助成や人道支援を含む社会的活動の全面規制を求める厳しい内容だ。
 ガイドラインは条約の主要条文を具現化する方策。11月17〜22日に南アフリカで開かれた第3回締約国会合で参加130カ国が3件の草案を議論、一部を厳しく修正したうえ、満場一致で採択した。
 たばこ産業の社会的資格を事実上、剥奪(はくだつ)する内容で、「病気や死亡の原因となり、社会的病害や貧困を増大させることが科学的に立証されている製品を製造販売するたばこ産業の権益は、公衆衛生政策が目指す利益と根本的に相反する」という締約国の強い意志を示した。」
 
(中略)

「ガイドラインについて、JTは「条約の義務履行を支援するもので、法的拘束力はない。今後も関連法などを順守して事業運営していく」と静観。ブリティッシュ・アメリカン・タバコ(英)ジャパンも「国内法にどう反映されるかはっきりしない段階では何とも言えない」。フィリップ・モリス(米)ジャパンは「ブランドを区別できるよう喫煙者とのコミュニケーションは必要で、広告、販促の制限は支持するが全面禁止は支持できない。社会貢献活動や政治的プロセスからも排除されるべきではない」と反論する。」
ーーーーーー


『アフィニス文化財団』という組織があります。
HPはこちらをご覧ください。
先日、JOFCの事を書きました。「JOFC山形大会」の記事を参照ください。その席上、招かれて参加していたアフィニス財団の方から、来年以降の「アフィニス夏の音楽祭」は広島交響楽団を擁する広島市と山響擁する山形市で隔年交互開催して行く予定との発表がありました。大都市圏ではない、地方オケのある都市で、札幌や仙台のように既に「音楽祭」が開催されている都市ではないところということで、山形が対象になったようです。

「アフィニス夏の音楽祭」は、財団の支援を受けて全国のプロオケ奏者が合宿のごとく集って研修会を開きその成果をコンサートとして発表するものです。これまでは毎年のように信州で開催されており、今年で20回を迎えています。この夏は山形でも文翔館議場ホールで「アフィニス夏の音楽祭」の山形特別演奏会というものが行われました。

「アフィニス」はJTがその主たるバックで、文科省(文化庁)が管轄している芸術文化支援活動です。
その主な活動の一つに「国内のプロオーケストラの活動を支援する」ものがあり、プロオケの団員のレベルアップのための合宿の様なものや、海外留学支援などを行っています。
地方のプロオケの老舗の一つである我らが山響(山形交響楽団)も財政的には楽ではありません。アフィニスは楽器購入の助成も行っており、山響団員もこれまでに何人かアフィニスの支援で留学や研修を受けています。

今回の「タバコ規制枠組条約」で採択されたガイドラインに従いアフィニス財団の活動を規制するということになると、財政難の中で頑張って来ている山響のような地方オケの活動にも影響が出る可能性があります。「隔年で山形で開催される予定になった夏の音楽祭も中止になるのでは、、、」と危惧しています。ガイドラインは最終的には、タバコ産業の社会貢献活動や寄付なども止めさせるということを目指しているようなので、近い将来、アフィニス財団自体が消滅しプロオケなどの音楽芸術への支援が無くなる可能性は高いように感じます。

医師にもまだまだ喫煙者はいますが、山響の団員の中にも愛煙家はけっこうおられます。タバコを愛している人にはまったく理解出来かねる話かもしれませんが、世界の潮流はこうなっているのです。
タバコは病気や死亡の原因となる事は証明されている。すなわち「悪」である。その悪玉のタバコで儲けたお金を「社会貢献」の名の下に寄付や財政支援に用いるのは、タバコ産業のイメージアップを狙うものであり許しがたい。世界的に130カ国の条約締結国が集まって上記ガイドラインが採択されたという事です。
タバコの弊害については、医師として異論は無いのですが、今回のガイドラインに表明されたタバコ産業による人道支援や社会貢献活動の中止までも求める内容については疑問を覚えます。

「病気や死亡の原因となる、、、」という論旨であるなら、他の産業、たとえば自動車産業や石油産業はどうなのでしょうか。CO2問題、排ガス問題、地球温暖化は深刻です。地球規模で環境を破壊し、人類のみならず地球上の生命すべてを脅かしています。
アルコール産業はどうでしょう。アルコールの過量摂取は健康に害を及ぼす事は証明されています。
ファストフード産業はどうでしょう。過量の脂質、糖質摂取はメタボリックシンドローム、糖尿病を増加させ、脳卒中、心疾患を増大させます。

こういったタバコ産業以外の「人類に害を及ぼす」業種についてはなんのおとがめも無いのに、何故タバコだけがこのような事態になっているのか。タバコが規制される事によって「薬物使用」が増える事も懸念されます。

いろいろ心配してみたところで、現実はすでにこのガイドラインが採択されて話は進んで行っているのです。「アフィニス文化財団」の行く末、地方プロオケの財政難が心配です。

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2008.12.21

少しゆとりの週末

来週は早くも今年最後の週末。
昨日と今日は特に予定のない週末でした。

土曜日は酒田市立美術館でやっている『小磯良平 聖書装画展』を観に行きました。
酒田市美術館のHPはこちらです。

小磯良平の描く世界、特に女性の絵は昔から好きでした。その小磯の描く聖書の世界にはとても興味がありました。さらに、「関連企画」として12/20,21の両日、美術館内で「グラスハープ・クリスマスコンサート」があるということで、その時間に合わせて遅めに出かけました。
Koiso_01(写真はHPから)
この作品群は、日本聖書協会からの制作依頼を受けて描いた一連の作品群です。旧約聖書から新約聖書まで32の場面が小磯の想像力に寄って描き上げたもので、「エデンの園のアダムとイブ」や「モーゼが海を2つに分けてイスラエル人がエジプトから脱出するシーン」や左の絵のように「東方の三賢人がイエスを拝むところ」などが展示されていました。さらに、下絵となったデッサンも43点、完成した絵とは違う構図のものなども含んで、隣に展示されていたのでとても勉強になりました。

100才の現役画家森田茂の常設展もまた観ましたが、変わらぬ迫力でした。
午後5時半から、グラスハープ奏者「ただのなおみ」さんのコンサートが展示ホールで行われました。
Photoここは、昨年の10月に山形弦楽四重奏団の館内コンサートも行われた場所です。(「地鎮祭と美術館と湯田川温泉と藤沢周平」をご参照下さい)
グラスハープは、部屋の湿度の影響を強く受けるそうで、絵を展示している美術館は湿度が低めのため音が鳴りにくいと言う事でした、そのため、演奏する度に霧吹きでたくさん並べてあるグラス全てに十分切りを吹きかけているのが印象的でした。今回のコンサートでは、手回しオルゴールであるオルガニートを酒田市内で音楽活動をしている加藤千鶴さんにより演奏(というのか?)しつつ、グラスハープを奏でるというものでした。昨日午後に子供達を対象にグラスハープのワークショップを行ったということで、たくさんの子供達とその父兄もいたので用意された客席は一杯で後方に立ち見している方も10数名いらっしゃいました。
19時から酒フィルの練習があるため、我々はコンサートの前半が終わった段階(18時頃)に帰りましたので、後半の3曲(「きよしこの夜」など)は聴けませんでした。グラスの音は美しい響き、ハーモニーでしたが、湿度のせいなのか鳴りが悪くイマイチという印象を受けて帰って来ました。

日曜は、久しぶりに午前中はゆっくり。朝風呂(昼前風呂?)なんか入っちゃったりして、「小原庄助さん」の気持ちが少し分かるようでした。あの後、酒なんか飲んでコタツに入ったりすれば、それこそ
「お〜は〜らしょ〜すけさん、なんで〜しんしょ〜つ〜ぶした、、、」
てな具合になるのでしょうけど。。。

お昼は、最近情報を得たリストランテに行ってみました。
Photo_2そのお店は、鶴岡市にある『ファイヤーボール』というイタリアン。
写真のような店構えに店名からは、「?」という印象を受けるかもしれません。おそらく元焼き肉屋さんか何かをあまり金をかけて改装もせずに使っているという感じでした。しかし、出て来た料理は素晴らしかった!

Photo_3Photo_4写真左は「アンティパスト」前菜の盛り合わせ6品。生ハムはもの凄く美味しいし、エビも貝もライスコロッケもすべて美味しかった。
右のスープは、ランチのパスタを頼むとついてくるもの。庄内に多いしょっぱさではなく絶妙な塩加減。

Photo_5Photo_6久しぶりに美味しいパスタを食べたかった私を大変満足させてくれたパスタ達。左は「豚トロとキャベツのピリ辛スパ」、右は「チキンと茄子のトマトスパ」。
庄内は美味しいものが多く、素材を生かした料理を提供してくれる素晴らしいレストランが多いのですが、気軽にランチに「美味しい」スパゲッティを、という店は余りないのです。『アルケッチャーノ』は今一敷居の高い店になっちゃったし(敷居高くはなってはいないでしょうが、予約が取りにくいので私が勝手にそう感じてしまっている、ようやく予約を取って出かけていてスパゲッティ一品という気軽さが失われていると思います)、酒田市内に美味しいパスタ「だけ」を食べさせる店はあまり多くないのです。酒田の『ラ・ルーチェ』はパスタも美味しいですがリゾットが最高で、必ずリゾットも頂きます。そしてちょっとだけお高め(値段相応の素晴らしいお味ですが)。鶴岡には他に『緑のイスキア』という何回か足を運んだ美味しいお店があります。石釜で焼くピッツァが売りのそのお店ではパスタも注文しますが、やはり必ずピッツァを頼みます。
もうちょっとお安く、気軽に、1000円以下で、たくさんのメニューの中から選べる「パスタ屋さん」を探していたのです。

この「ファイヤーボール」はピッツァも美味しいらしいのですが、今日はシェフの腕を確かめるべく家内と二人でアンティパストとパスタ2種にしてみました。ランチのパスタにはスープ、サラダ、コーヒーもついていてほとんどが1000円以下です。しかもボリュームが多くお腹いっぱいになります。
パスタの茹で具合、ソースの味付け、塩加減、具材すべてが本格的で美味しかったです。シェフは以前、かの有名な落合さんのお店で働いていた事があるらしく、私の注文した「豚トロ」のパスタにはドライトマトのスライスが入っていたり本格的イタリアンなパスタのソース作りを手のうちにしていると思いました。勝手に推測するに、店を改装するお金をかけるくらいなら料理の素材に金をかけるという心意気を感じました(食べたプロシュートの美味さからの勝手な想像ですが)。
お店をここに開いて3年以上経っているそうなのですが、最近まで知らなかったのと行くチャンスがなかなかなかったのですが、いいお店を見つけたと思います。

地物の素材だけで勝負するのではなく、いろんな材料を普通に使った本格的なスパゲッティを出すこういうお店は、銀座や西麻布などに行くとたくさんあるでしょう。しかし、東京だったらこのメニューでは一人2,000円はするでしょう。高いお店に行けば、パスタ一皿3,000~4,000円も普通にあります。ランチのセットで1000円以下でしかも本格的、庄内にこういう「都会的」なパスタ屋さんを求めていました。

ーーー
そうそう、ゆとりといえば、ガソリン代安くなりましたね。
昨日、家の近所のプリペイドカード式セルフのガソリンスタンドでは、レギュラーがついに100円を切りました。おそらく酒田で一番安いと思います。ハイオクは109円/リッターですが、40リットル入れても4,500円しないのですから、今年の最高値の時から比べると満タンでラーメン一杯くらいの差額が出ますね。
世界的金融危機が招いている円高のただ一つの好影響でしょうか。

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2008.12.20

山響酒田定期第8回演奏会を聴く

昨日、12/19(金)、希望ホールで山響の第8回酒田定期演奏会がありました。

拙クリニックで法人として酒田定期会員になったので5枚のチケットが配布されたのですが、1枚余ってしまいました。平日の夜で開演18:30はちょっと厳しいです。
私も、17時台に新患が二人来られて、最後の患者さんを診終わった時点で18時を回っており、「1曲目は無理かな、、、」と思ったのですが、職員に特に急いで会計チェック、診療終了を手伝ってもらい、18:13頃クリニックを出て、18:26頃希望ホール裏の駐車場に到着し、指定席に着いたのが18:28という離れ業でした。
おかげで、指揮の工藤さんのプレトークがちょうど終わる時で、内容はわかりませんが、後でチラッと聞いた話では、映画『おくりびと』の事なども話されていたようです。

Photo工藤さんは、このブログでも何度か書いていますが、H16~18年シーズンの酒田フィル定期の指導指揮をして頂きました。現在山響と群響を始め全国いろいろ指揮をされている、「酒田出身」の指揮者です。
その指揮ぶりは、非常に丁寧で基本に忠実なまじめな棒です。性格が出ていると思いますが、激するような部分でも、体の動きや手の振りはもちろん激しく大きくなりますが、あくまで控えめで冷静でオケがいつも付いて行ける棒だと思います。観ようによっては、派手さが乏しいので素人受けしないというか、ビジュアル系とは言えないのですが(すみません)、玄人受けのする指揮だと思います。

GpGp_2私は診療があるのでもちろん無理なのですが、工藤さんにお願いして家内だけゲネプロ見学をさせて頂きました。何せ、本日のソリスト、曽根麻矢子さんは家内の「師」ですから。(^^)
後で聞いた話では、ゲネプロで曽根さんのチェンバロを聴いているだけで、気分はアゲアゲ、興奮してハイになったそうです。

1曲目、シャブリエの「田園組曲」から4曲。
初めて聴きました。なかなか難しそうな曲です。シャブリエは、酒田フィルのH18年の定期(漆原啓子さんをソリストにラロのスペイン交響曲とベト7をやった年)で狂詩曲「スペイン」を工藤さんの指揮で演奏しました。ピッコロが大変だった事を思い出します(しかも、演奏会ピッコロデビューでした)。
面白い構成で、管楽器が活躍します。フランス人らしい洒落た、しかし田園を思わせるのどかな雰囲気が漂います。

2曲目、いよいよ曽根さんの登場です。
プーランクのチェンバロと管弦楽のための「田園のコンセール」。
チェンバロは非常に音量の小さな楽器で、しかも1200超の客席の大ホールなので、PAをつけて小さなスピーカーで拡声していました。先日の村治さんのギターで使ったPAとはまた別のものを自前でお持ちになったようです。
チェンバロと相対するオケは小編成なのかしら、と思ったら意に反してまったく普通の数。弦だけは4プルトだったようですが、コントラバスも4本、金管はトランペットにトロンボーンも入っています。
ところどこででチェンバロ独奏になるのですが、その繊細で美しい音色とオケが全部で奏でるffの対比が楽しい。チェンバロの部分になると、おもわず耳の感度を上げて「聞き耳」をたてる感じになります。それは希望ホールの観客皆そうだったようで、チェンバロの部分に来ると客席から時に聴こえる不快な鞄か携帯につけた鈴の音や服の衣擦れやプログラムなどの紙の音はもちろん咳払い一つ聴こえません。みんなが聞き耳をたてているようでおかしかったです。
わたしはもちろん、家内もチェンバロを大ホールで聴いたのは初めてです。元々、宮廷で食卓の横や寝室の裏で静かに奏でる楽器だったのが演奏会に出て行って、様々な楽曲(チェンバロ協奏曲など)が作られました。しかし、ピアノフォルテの出現によって、次第に大音量や強弱のつけられる楽器に負けて演奏会で使われる頻度が減り、チェンバロ用の楽曲の作曲も激減しました。20世紀の音楽家であるプーランクは、委嘱されてこの「田園のコンセール」を作ったのですが、さすがフランスの作曲家、エスプリに富んだ、愉快で面白い、そして優雅な音楽でした。
プーランクといえば、フルート吹きにはそのソナタが有名で私も1、2楽章は演奏したことがありますが、3楽章はそのスピードの速さ、高度なテクニックを要求するもので人前ではまだ吹いていません。しかし、難解なと言う難しさではなく、聴く立場に立てば、愉快で洒脱な、滑稽なところもある曲なのです。「田園のコンセール」の3楽章フィナーレもそれに通じるものがあったように思いました。

盛んな拍手で、曽根さんは5回程カーテンコールでステージに登場されました。チェンバロソロのアンコールは、期待したのですがありませんでした。

プログラム3曲目の「ブラ3」。ブラームス作曲の交響曲第3番へ長調。
この曲は、実は、医学部受験に失敗して浪人中、仙台の自宅の自室でかなり聴きました。週に3回は聴いていた様な気がします。確かあのレコードは、カラヤン指揮ウィーンフィルで悲劇的序曲と一緒になっている奴だったと思います。本当に溝がすり減る程聴きました。なので、演奏が始まるとほとんど全ての部分が体の中に入っている感じで(正確には、慢性の記憶を保持する記憶の二次中枢?にある音楽が、呼び戻されて出てくる感じ)ついつい体が動いてしまいます。
映画音楽にも使われて超有名な3楽章のチェロ、フルート、ホルン、そして弦全体で奏でるあの美しいメロディ。それも好きですが、私は1楽章の出だしと4楽章が好きでした。いや2楽章の牧歌的雰囲気もいい。結局全部好きなのです。ブラームスの交響曲は4つとも好きですが、どれか一つと言われれば私は「3番」と答えます。
浪人中の、悲しかった、辛かった当時の気持ちが蘇りつつありましたが、目の前で素晴らしい演奏をされる山響の音楽が現実に引き戻してくれて没頭出来ました。ただ、第1バイオリンが5プルトだったようで、この音楽は7プルトぐらいあった方がいいんじゃないか(管とのバランスから)とか、モーツァルト定期ではあの繊細な音を響かせてくれる、バイオリンが今ひとつ音程が不揃いというか不安定な印象がありました。どうしたのでしょう?
エキストラが多かったからなのか、希望ホールといういつもと違うホールのせいなのか。おそらく後者でしょうね。私はVnの位置に座って演奏した事がないのでよくわかりませんが、もしかすると自分の音が良く聴こえないのか、他の人の音が聴こえにくいのかも知れません。管はいつものように素晴らしかったので、弦の今ひとつの不揃いがちょっとだけ残念に思いました。

飯森さんの時と違って、アンコールがありました。ブラームスのハンガリー舞曲から第1番です。オケも生き生きとして演奏していました。

Photo_2終演後、ロビー交流会があったのですが、金曜の夜なのですが先を急いで帰る人が多く、あまり大勢の方が参加されなかったのは残念です。合唱指導で著名なS先生がインタビュアになって曽根さんのインタビュー。
「最初にチェンバロに触れたのは?」という質問に対して、曽根さんは「(桐朋)高校1年の時に、ピアノをやっていて、バッハが好きだったけれどどうもしっくり来ない、バッハの時代はチェンバロだったのだからチェンバロで弾いてみたら何かわかるんじゃないかと思って、学校にあったチェンバロを弾かせてもらった。初めて音を鳴らした瞬間に『なんだ!私ってこの楽器を弾くために音楽をやって来たんじゃないの!』と思った。」と仰っていました。
その直後、酒田のチェンバロ弾きさんと「何か質問はないか」と振られた家内ですが何も質問できずに黙っていました。曽根さんは家内と同じ事を言っているな〜と思って聞いていた私ですが、家内の心の動揺というか感動までは後ろに立っていて気付きませんでした。
実は、上記曽根さんの言葉を聞いたとき、家内は涙が出そうになっていたのだそうです。うちの家内も小さい頃からピアノをやっていて、大学(教育学部の音楽科)に入った時にその道では有名な小野崎先生に、「君は何をやりたいのかね?」と聞かれて「バッハがやりたいです!」と答えたところ、「こちらへ来なさい」と手を引くように別室(教授室?)に連れて行かれたのだそうです。18才の小娘の動揺はどんなものだったのでしょう。(笑)
そこにはチェンバロが置いてありました。ジャララ〜ン、と初めて弾いてみた瞬間に、家内は「私のやる楽器はこれだ!」と思って感動したということでした。曽根さんと同じような感動を、初めてチェンバロに触れた瞬間に感じ、その事を改めて曽根さんの口からお聞きして、当時を思い出し胸が震えたのだと思います。S先生の質問の振りに応えて口を開いたら涙がこぼれてしまいそうだった、とのことでした。(S先生、あしからず〜)

Photo_3続いて、酒田出身の工藤さんのインタビュー。なんと中学の同級生達が今回の演奏会に来て下さったそうですが、ほとんどの人がクラシックの演奏会、まして山響の演奏会は初めてだったそうです。皆さん、旧交を温めついでにクラシックファン、山響ファンになって頂ければいいですね。
酒フィルの面子は、最後の最後に工藤さんのサイン会のところでそれぞれに挨拶。そこで冒頭のプログラム写真への工藤さんからのサインとなりました。

本日、12/20(土)は同じプログラムで山形テルサで山響定期があるため、団員はみなとんぼ返りでした。バックステージに行ってみたところ、特別客演首席コンマスの高木さんやホルンの八木さん、岡本さん、フルート&ピッコロの竹谷さん、チェロのシンさんなどにはお会いしてご挨拶も出来ましたが、山Qの中島さん、倉田さん、茂木さん達にはお会いできず残念でした(本番前の休憩中に、喫茶店「山茶花」で家内が中島さん、倉田さん、田中知子さんにはお会いしたそうですが)。

インタビューの段取りの問題で、曽根さんのサイン会が行われなかったので、楽屋まで押し掛けてCDにサインを頂きました。10月に蔵王町のチェンバロ工房木村雅雄さんのところでお会いした事は覚えていて下さり、昨日は山響コンミスの犬伏さんと山形のプロのチェンバロ奏者梅津さんと飲んだのよ〜、と仰っていました。
今度は、酒田にもゆっくりいらして頂きたいものです。
庄内の食や酒も楽しんで頂きたいですし、おそらくジョンダーノ・ホールは曽根さんにチェンバロリサイタルをして頂くには、ベストの音響、広さだと思っていますので。。。

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2008.12.17

「夢の響演」を聴く

12/16(火)、酒田市民会館希望ホールで行われたコンサートに行って来ました。

全席自由3,500円、と言う事で良い席は早い者勝ちです。
Photo_2私は18時過ぎまで診療で、18:45開演では到底良い席は望めません。実行委員会に知人は大勢いますし、無理にお願いすれば出来たかもしれませんが家内に並んでもらう事にしました。市役所に用事のあった家内は17:45開場の1時間半近く前、16:20から並んだそうですが、それよりも早く来て並ばれていた熱心なファンが数名以上おられたようです。
言葉の感じから関西系の人もおられたようで、村治香織さんの熱烈な支持者なのでしょうか。
そのお陰で、前から6列目のほぼ真ん中という、ベストな位置(もちろん最前列で美しい3人を間近で眺めると言う手もあったでしょうが)でした。

もうベテランと呼んでもよろしいでしょう、漆原啓子さんは、ピンクのドレス。村治香織さんは真っ白、純白のドレス。向山佳絵子さんはブルー(薄い青紫)のドレス。
皆さんお美しい!
マイクを持ってMCありの楽しいコンサートです。
漆原さんや向山さんは村治さんのことを「かおりちゃん」と呼んでいます。「かおりちゃんと初めて一緒にやったのはいつの事だったかしら?」「え〜っと、あの時ですね、、、」と言う感じです。
村治さんは、大先輩のお二人の事を「お姉様方」と呼んでいました。
漆原啓子さんも若々しく素敵な衣装にお似合いの髪型で美しく凛々しく演奏されていました。座って演奏するよりも立って演奏する方が弾きやすいのでしょう(バイオリンという楽器は腕だけではなく体全体を使います)、最初と最後の3人のアンサンブル以外は立って演奏されていました。向山さんもまだ「若手実力派」と呼ばれるお立場ですが、チェロという楽器のせいか(どっしりと座ってグッと構える)一番貫禄があるように見えてしまいます。向山さんはN響で活躍されているチェリスト藤森亮一さんとご夫婦。チェロ奏者同士の夫婦というのはあまり聞きませんが(酒フィルのチェロのY夫妻もいますが、笑)、凄い才能の方が結婚されてお二人のお子さんは何をされているのか興味がわきます。

お二人の音色は、もう素晴らしいの一語です。
うっとりします。
しっとりしていて、艶があって、切れがあって、粘りがあります(なんのこっちゃ)。
激しくて、優しくて、強くて、切ないです(ますますなんのこっちゃ、ですね)。
MCの途中で、漆原さんと向山さんの楽器の事が話題になりました。お二人とも「○○製」という名前はおっしゃいませんでしたが、漆原さんの楽器が1660何年製で向山さんのチェロは1690何年製だと行っておられました。隣で家内が「バッハの生きていた時代の楽器だ〜」と感激していました。
漆原啓子さんのHP(http://www.keiko-uru.com/)には、「ストラディバリウス」というページがあってストラドについての解説がされているので、おそらく彼女の楽器はストラドなのでしょう。でもそうだとすれば、アントニオ・ストラディバリがまだ20代の若者の時の製作と言うことになります。向山さんのチェロは「誰の作かわからない」とご本人がおっしゃったとどこかの記事に書いてあったように記憶しています。でもストラドだとすれば、50才代で製作したもので脂の乗り切った頃の、特に名作が多いと言われるちょっと前くらいになります。
ちなみにJS Bachは、1685年生まれで1750年没、アントニオ・ストラディバリは1644年生まれで1737年没と伝えられています。

楽器が誰製で何年製であろうとなかろうと、演奏が素晴らしい事に変わりはなく、本当に惚れ惚れして聴き入ってしまいました。希望ホールの広いステージから1200人が座る客席に、音が広がるというよりは「飛んで行く」感じがしました。
そう、実行委員会の人達は「チケットが売れない」と心配していましたが、1階席は完全に満席。2階も満席。3階席が少し空きがあるというくらいでしたね。

そして村治香織さん。
ウェディングドレスを思わせる様な白いドレスでギターを抱え微笑むとまるで絵のようです。演奏も素晴らしいのですが「やはり美人は美人だな〜」と変な事を考えながら見入ってしまいました。彼女のギターは1990年代製だそうです。ギターという楽器はその素材などからしてもあまり長持ちしないものの様な気がします。とても柔らかで繊細の音がしていました。
今年の1月には、ほんの3,40名だけの限定的な「ムーンライトコンサートin名月荘」を間近でお聴きし、今回は1200席超の大ホールでの演奏。どちらも素敵な演奏でしたが、今回の方がリラックスされている様な表情にお見受けしたのはbalaineの勘違いでしょうか(1月のコンサートは完全なソロで、響きのあまり豊かではない蔵での演奏、しかも目の前に観客が座っているという条件ですので、緊張しやすい条件だと思います)。

プログラムはどの曲も素敵で、甲乙つけ難いですが個人的には2曲目のファリャのバイオリンとギターの「7つのスペイン民謡」と5曲目のコダーイの「ヴァイオリンとチェロのためのデュオ Op.7」が素晴らしかったと思います。
プログラムには載っていませんでしたが、前半に「ギターのソロと言えばこれという曲」という自らのMCで村治さんのソロ、タレガ作曲「アルハンブラの思い出」も演奏されました。熱狂的なファンの方か、私の前にお二人もスタンディング・オベイションをされている方がいました。

初めて聴く曲が多かったのですが存分に楽しめました。最後の曲、ヨーク作曲「トランスシリエンス」は本来はフルートとチェロとギターのための三重奏曲だそうで、フルートだったらまたずいぶん違った雰囲気だろうなぁと思いながら聴いておりました。

アンコールは、1曲目に有名なピアソラのリベルタンゴ。漆山さんと向山さんの激しい部分、情熱的な音色が観客を魅了します。村治さんは音量の低めなギターなので(PAは使っていたようですが)、控え目に聴こえます。
鳴り止まない拍手に応えてアンコールの2曲目は、グノーのアヴェ・マリア。村治さんのギターがベースのテンポを厳かに支えながら、時に漆原さんのバイオリンが、時に向山さんのチェロが前面に出て来て歌います。そして3人での美しいアンサンブル。陶酔、です。

MCも入っていたせいか、途中休憩も20分と長めでした。休憩時間に慌ただしくトイレやドリンクとならないよう、折角の美しい音楽をゆったりした気持ちで楽しんでほしいという実行委員会の思惑だと思います。18:45に始まったコンサートですがアンコール2曲目が終わった時は、21:20。なんと2時間半以上に渡るコンサートでした。
人気の高いお三方のコンサートで観客も多かったので、無料で車が停められる市役所駐車場はもちろん、希望ホール裏のホール専用駐車場も満車で、私は清水屋駐車場に停めました。希望ホールでのコンサートに際し、「3時間無料駐車券」はいつも出してくださるのですが、今回は車を停めてからすでに3時間を越しての閉演。「3時間を越えた方には1時間の無料駐車券をお渡しします」という実行委員長のS先生の場内アナウンス。
さすが細やかな気配りですね。合計4時間の無料駐車券になったので、今聴いたばかりの素晴らしい音楽を心に刻みながらゆったりと駐車場まで歩いて帰りました。
素晴らしいコンサートでした!

最後に、10月に発売されたばかりの村治さんの新作CDを会場で購入。
今回は全編JS Bachで、その名も「Kaori Muraji plays Bach」です。
Photoコンサートの写真も、お3人の写真も撮れないので、CDの中身、村治さんの写真集のような2009年のカレンダーを写真に撮りました。
先日、パユもバッハフルートソナタ全集を出したばかり。バッハはやはり音楽家にとって特別な存在です。このディスクにはチェンバロ協奏曲をギター版に編曲したのが2曲入っています。さっそく聴きましたが素晴らしい演奏です。
しかも、録音が凄い。何か濁りのない透明な特殊な空間をわざわざ作って録音したのかというように、音が澄んで聴こえます。録音技術の勝利のようです。

ーーー
うっかりしていたら拙ブログのカウンターが33万アクセスを越えていました。
30万アクセスが10月7日の事でしたので、それから2ヶ月と10日程で3万以上のアクセスを頂いていることになります。こんな雑多な内容の、推敲もろくにしない書きなぐりのブログに対して、日々400から500のアクセスがあるというのは、書いている本人が「?」です。
ありがとうございます。m(_)m

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2008.12.16

今年もあと2週間

今朝は寒かったですね。
この冬、初めて車の窓が凍り付いて、ガリガリしました。デフロスターをオンにして4分くらいは出発できませんでした。
こういう日はお天気がよいのです。朝から鳥海山も綺麗です。
1216_2朝陽を浴びている間、頂上近くに雲がかかっていましたが、昼少し前に頂上近くの雲は動きました。その代わり手前に厚い雲がかかっています。山には陽が当たっているのですが全体に薄暗いのは上の雲のせいです。

昨日一足早くクリスマスプレゼントが届きました。ウィーンからです。
Photoこのブログのお陰で知り合いになった、HN「潤」さんがウィーンからスターツ・オパーの絵はがきを下さいました。しかも切手は小澤征爾と2006年のウィーン・フィル・ニューイヤーを振ったマリス・ヤンソンスです。
マリス・ヤンソンスは私も好きな指揮者の一人で、特に私が住んでいた頃ピッツバーグ交響楽団の音楽監督だったロリン・マゼールが去った後、1997年からピッツバーグ交響楽団を率いていた指揮者です。現在はロイヤルコンセルトヘボウとバイエルン放送響という名門2つの常任指揮者をしている人です。
16日後の「2009年ニューイヤーコンサート」はバレンボイムの指揮のようです。潤さん、お仕事とはいえウィーンで年越しを迎えるのでしょうか。羨ましいものです。

昨年の5月に訪ねたウィーンがなつかしい。
HkeguestLvbeethoven1昨年の5月のブログ記事に掲載している写真であるが、左は宿泊したホテル・カイゼリン・エリーザベトの玄関にある、過去この地およびこのホテルに居住または宿泊した著名人(音楽家中心)のリスト。綺麗な石に彫られて碑にしているところがその伝統と格式を主張している。そんなに超高級ではなく居心地の良いこじんまりとしたホテルだった。
右の写真はオペラハウスとコンツェルトハウスの間の公園にあるベートーベンの像。
なつかしい、、、

と言う訳で、今年もあと2週間。あっという間の1年だった気がする。
特にこの1年は私にとっては新規事業の開始、生まれて初めて事業主となった年であり、いろいろ迷いもあったけれど、とにかく前に進むしかない一年だった。
総じて見れば、大変素晴らしい一年だったと締めくくれそうなので、のこり少しも気を引き締めてかかりたい。

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2008.12.14

忘年会

師走ともなるとあちこちで『忘年会』というのが、日本の伝統的(?)な年の瀬の姿でしょうか。
しかし、未曾有の金融経済危機と不況によって泊まりがけなどの派手な忘年会はもちろん質素な姿でも「今年はヤメ」というところも少なくないように聞きます。

先々週に早々と地元医師会の忘年会があり新参者としては「義務」と考えて出席しました。
先週末(昨日の事ですが)は、大学医局の同門会の幹事会(幹事にして頂いているので)と総会そして忘年会出席ということで山形市まで行って来ました。同門会関係者(大学の教授や先輩後輩の脳外科医師の他、同門会顧問の大病院院長や大学教授の先生方、大学病院や関連病院の看護師の方々)にこの1年間のいろいろな事に対する感謝と挨拶、新年も変わらぬご指導ご鞭撻をお願いする上で、特に私の場合は開業医1年生として欠かす事の出来ない行事でした。
先輩後輩や医局の秘書さんなど見知った顔と酒を酌み交わすのは楽しい時間ではあるのですが、私は泊まりではなく車で往復だったのでずっとウーロン茶で通しました。それもあって、けっして楽しいばかりの時間ではありませんでした。

さらに、ちょうど同じ日に山形大学のサークル活動としてのオケ(山形大学フィルハーモニーオーケストラ、通称「大フィル」!)の定期演奏会がありました。これには関係者が出演するため前々から聴きに行く予定でしたが、同門会が後から同じ日に組み込まれてしまいました。
「今年は聴けないのか、、、」と諦めかけていたのですが、同門会の「幹事会」が16:30から、「総会」が17:00から、「忘年会」が18:30からという予定になっていたので、「これは行けるかもしれない!」と挑戦してみる事にしました。

16:00過ぎ、同門会会場のGホテルに到着、時間前に人が揃ったので16:30少し前から「幹事会」が始まり、16:55くらいに終わりました。下の階で「総会」が1時間半の予定になっています。私は医局長に断ってGホテルから車で、山形テルサに向かいました。
「大フィル」の定期演奏会は、開場16:00、開演16:30です。
プログラムのうち、1曲目のロッシーニ作曲「セヴィリアの理髪師」序曲と2曲めのハチャトリアン作曲「仮面舞踏会」より抜粋は私の見込みでは16:30〜17:05くらいで、そこから15分の休憩が入って17:20からメインのドヴォルザーク作曲交響曲第9番「新世界より」になるんじゃないかと予測。
テルサに到着したのが17:15で、ちょうど休憩中。ピッタリ合いました!

Photoと言う訳でメインの「新世界から」だけしか聴けませんでした。(写真はメインの交響曲の始まるチューニングの前)
いろいろ小さな事故や大きなミス(?)もありましたし、弦パートだけになった時にだんだん音程が下がって来て、突然木管が入ったときフルートやオーボエの音程が悪いように聴こえましたが、金管が入ってくるとまた全体の音程が戻ってくるという感じで、たくさんの不安定さと不揃いなどもありますが、それはそれで楽しめました。
ただ「上手な」演奏を聴きたいのであれば、プロやCDだけ聴いていれば良い訳で、上手下手の問題ではない、音楽に取り組む姿勢、7,80人という大勢で一つの曲を創り上げる気持ち、その喜びを観に、感じに行くのです。私が所属するアマオケだって団員の力量や練習量にデコボコがありますが、結局は本番に向けて皆が心を合わせて演奏をするという、その姿、心が聴く人の心に響くものを届けるのだと思っています。最終的には演奏技術とか音色とかそういうものだけではない、演奏する魂みたいなものがやはり大事なのだと思います。

アンコールのラデッキー行進曲が終わるや否や私は会場を後にしました。実は、「本日はありがとうございました」というアナウンスの後に、ステージを暗転しペンライトを振りながら『ホワイト・クリスマス』を演奏したらしく、私のようにそれを聴かずに帰った方もいたようですが、家内は「ジ〜ン」としたと言っていました。

師走の夕方18時過ぎの駅周辺は車も多く渋滞で、見込みよりは時間がかかりましたが、18:30過ぎに同門会忘年会会場に戻り、ちょうど乾杯前の来賓の挨拶のところに滑り込みました。その後、学生時代からお世話になった元学長(元医学部教授、医学部長を経て)にもご挨拶し、県立S病院や公立のO病院、N病院、T病院などの院長先生方にもご挨拶。中には私が酒田で開業した事をまだご存知ない方もいらっしゃいましたが、皆、励まして下さいました。
酒田から手術治療のため、N病院、S病院、そして大学病院に患者さんを紹介し、それを元同僚、後輩がしっかり手術して治してくれました。頭を開ける手術など恐いのは当たり前です。それを一生懸命説得して大学病院に紹介し、後輩が綺麗に顔面けいれんを治してくれました。患者さんは酒田に戻って来て、涙を流しながら「先生のおかげです。ありがとうございました!」と感謝の言葉を述べるのですが、「あなた、そりゃ〜違うよ。手術してくれた大学病院の先生に感謝しなくっちゃ!」と言って笑って話が出来たのはとても嬉しかったですね。
適材適所で働くプロフェッショナル軍団である我々同門の先生方には、これからもベストな治療のために患者さんをお願いすることになるでしょう。そういうコミュニケーションもこういう忘年会の大切な役目のように思います。

Photo_2Photo_4ずっとウーロン茶で通して、忘年会のお開き20:30過ぎに会場を後にし、ちょっと七日町をぶらついて21時半頃にまた車で酒田に向かいました。
ホテルの外、七日町通りは写真のようにクリスマスシーズンの電飾が綺麗でした。

なかなか面白いタイミングでの行動で、慌ただしくもありましたが、こういうことをおざなりにせず出席する事は大切なのだと疲れた身体に言い聞かせたのでありました。(苦笑)

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2008.12.12

来週のコンサート予定

いつの間にか、こっそりと『タビの親父』さんのブログが復活していました。
祝、復活!
ということで、タビの親父のブログをご覧下さい。
「タビの親父のブログ」
です。

そこで告知されているコンサートの宣伝です。
20081207094947題して『三人のヴィルトゥオーソ 夢の響演』という凄いタイトルのついたコンサート。希望ホールの自主事業なのであまり一般のメディアで宣伝されていないのですが、凄い人達の共演です。

ヴァイオリンの漆原啓子さんは、シャルル・デュトアがディレクターを務め、Vnの徳永二男さんが総合プロデューサーとコンマスをされている『宮崎国際音楽祭』では徳永さんの隣り、フォアシュピーラーの位置で演奏されています。実妹の漆原朝子さんも著名なヴァイオリニストというスーパー姉妹です。漆原啓子公式サイトをご覧下さい。
これまで酒フィルにはなんと5回も出演して下さっています。私が酒フィル定期に初めて出たH16年は漆原啓子さんのソロでラロのスペイン交響曲をやりました。著名な音楽家なのですが、大変気さくで親しみやすい方です。これからもまた共演する機会があると嬉しいですね。

ギターの村治香織さんはこれまた有名な方ですね。「Kaori Muraji Official Site::Dulcinea」は村治さんの公式サイトです。
純粋な音楽家なのですがその容姿の美しさからタレント的に扱われることも少なくなく、そういった扱いを受けるのはプロとしてはある意味で大切なことではありますがご本人はあまり歓迎しておられないような印象があります。以前は日本を代表する自動車会社のTVCFにも出ていましたし、今でもFMラジオ番組を2つ担当し、テレビや雑誌などのメディアへの出演も大変多い多忙な方です。しかし、ギタリストとして更に精進して確固たる位置を築きたいと希望しておられるのだと思います。昨年あたりから特にBachに取り組んでいる事からその気持ちが伺えるように思います。
新しいレコーディング(10月に発売されたばかり)でも全編バッハです。チェンバロ協奏曲をギター版に編曲して録音するのは同じ撥弦楽器として頷けますが、バイオリンの曲をギターで弾くのはなかなか難しいし、それがJS Bachというのは彼女の追い求める「音楽」を表現する上で通らなければならない道という覚悟の録音ではないかと推察しています。
今年の1月に上山の名月荘でムーンライトコンサートを聴く機会がありました。「村治香織ムーンライトコンサートin名月荘」を参照ください。
そこでも、バッハのパルティータ2番から「シャコンヌ」を演奏していましたが、いつにもまして気合いの入った、魂を捧げている様な演奏に思いました。彼女の演奏を間近に聴くことが出来るのはまた楽しみです。村治さんと共演する機会は、、、あるかもしれませんので楽しみにしていましょう。

チェロの向山佳絵子さんも、また著名なチェロ奏者。ディスクも5枚程出されていますし、バッハ無伴奏チェロ組曲全曲録音もなされています。酒フィルとは1996年の定期演奏会に出演して頂いております(私はその頃はまだ団員ではなかったのです)。数多くのコンサート、ソリストや共演をこなされた実力派の上に、NHK-FM「おしゃべりクラシック」のパーソナリティも務められています。残念ながら向山さんの公式HPなどは見つけられませんでした。

上記「タビの親父」さんのブログで12/16のコンサートのプログラムが公開されていましたので、ここに転載させて頂きます。そこにも書いてあるように、漆原啓子さん、村治香織さん、向山佳絵子さんという、音楽家としての実力もありまたいろんな意味で大変魅力的な美しい女性3名を「一緒」のステージで眺め聴くことが出来るのは、それぞれに関係の深い酒田ならではと思います。
一人一人別々ならば東京でも大阪でもコンサートはありますが、この3人が揃って共演、まさしく響演というのは、おそらく初めての事でしょう。

〜〜〜
夢の響演  漆原啓子・村治佳織・向山佳絵子 コンサート
12月16日(火曜日)、午後6時45分 開演、酒田市民会館 『希望ホール』
プログラムは次のとおりです。

パガニーニ:ヴァイオリン、チェロ、ギターの為のテルツェット
ファリャ:7つのスペイン民謡(Vn&Gt)  
ジナタリ:チェロとギターのためのソナタ
 第1楽章 アレグレット
 第2楽章 アダージョ
 第3楽章 コン・スピリート

〜休憩〜

バルトーク:ルーマニアン民族舞曲
コダーイ:ヴァイオリンとチェロの為のデュオ Op.7
アンドリュー・ヨーク:トランシリエンス
〜〜〜

更に、来週、12/19(金)は同じ希望ホールで、山響の酒田定期第8回公演があります。
昨日の山形新聞夕刊にも12/19の酒田定期と12/20の山形テルサでの第193回定期の事が掲載されていました。
今回は、音楽監督の飯森さんではなく、山響正指揮者の工藤俊幸さんです。何度かこのブログでも触れましたが、酒田市内の「あいおい工藤美術館」館長のご子息で、酒田出身の指揮者です。その縁で酒フィルもH16~18年の定期演奏会の指導と指揮をお願いしました。漆原啓子さんの時と村治香織さんの師匠の福田進一さんをソリストに迎えた定期でした。

今回のプログラムは、
シャブリエ: 田園組曲
プーランク: チェンバロと管弦楽のための「田園のコンソール」
ブラームス: 交響曲第3番ヘ長調作品90
です。
特に2曲目のチェンバロの曲はそうそう聴けるものではありませんし、今回のチェンバロ奏者は曽根 麻矢子さんです。素晴らしいチェンバロ奏者です。大変楽しみです。
曽根さんは、その風貌(美しい)とチェンバロという楽器から推察すると、「深窓の令嬢」的なイメージがありますが(私の勝手なイメージですが)、先日お会いしてお話ししたり、演奏を聴いたりする限りは、割とチャキチャキとした江戸っ子的な雰囲気が感じられました(勝手な印象なので誤解されませんように)。お会いしたときの事は、拙ブログ「チェンバロの世界」 に書いておりますのでご参照ください。

ということで、来週は、現代日本を代表する、バイオリニスト、ギタリスト、チェリスト、そしてチェンバリストというしかも美しい4人の女性にお会い出来るので楽しみです。

なお、上記、両コンサートともにまだチケットは余裕があるそうです。
詳しくは、お近くの酒フィル団員か希望ホールまでお問い合わせください。

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2008.12.11

シンボル・ツリー

拙医院の開院を祝して関係者から寄贈された玄関正面前の「樅の木」。
PhotoPhoto_3_2記念植樹を行ったのは今年の6月12日。丁度、半年前の事になります。
医院の正面に常緑樹を植えて、しっかりとこの地に根付いた診療所として発展する事を祈念したものです。

Photo_2_2Photo_2歩道との境界にも花壇を作り、『バレーヌ・ガーデン』だけではなく、医院には関係なく前を通行する人や近隣にお住まいの方々にも憩いを与えられるような存在でありたいと願いました。

Photo_3そしてクリスマスシーズンを迎え、11月末から電飾をつけています。
午後4時から深夜0時まで自動的に点灯する設定にしているので、休日でも、嵐の日でも電飾は健気に光っています。
午後9時になると、玄関前のダウンライトも看板の照明も消えるので、暗い夜道に光る樅の木の電飾は多少は治安にも役立っているかも、などと考えています。

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2008.12.10

脳外オケ

ブログにする話題がないので、このブログにも時折コメントを下さる「KEN」さんがわざわざ届けって下さった新聞記事を取り上げます。

Photo_4日本経済新聞の12/3(水)号の第40面(一番後ろ)の文化欄に乗った記事です。
この記事を書かれたのは、元東大助教授から埼玉医大の脳外科教授になられ、現在は埼玉医大の国際医療センター病院長である松谷雅生先生です。
「日本脳神経外科学会オーケストラ団」Musica Neurochirurgianaの事務局長をされていて大変お世話になっておりますが、脳外科学会の中でも脳腫瘍、殊に小児脳腫瘍の権威で多くの教科書なども執筆されている大変偉い先生なのです。松谷先生本人からお聞きした事によると、松谷先生は淡路島のご出身で中学高校と野球部に所属されていたそうです。それとは別に小さい頃からバイオリンもされていたのですが、どちらかというと野球に一生懸命だったとの事。東大に合格したところ、高校の野球仲間から、「東京6大学リーグ戦はテレビ放送されるから松谷が見られるかも」と言われ、東大でも野球部に入るつもりだったのだそうです。ところが野球部は全員坊主頭で寮生活の上、1年生は上級生のユニフォームを洗うなどの上下関係の厳しいところだったとのことで、誘われて東大オーケストラに入部し野球部の方はあきらめてしまったとの事。それ以来、ずっとヴァイオリンを弾いて来られたとの事です。

そもそも「脳外オケ」が生まれたきっかけは、1987(昭和62)年に当時東大教授であった高倉公朋先生(後に女子医大教授、学長をされた)が会長で日本脳神経外科学会総会を東京で開かれた時に、助教授だった松谷先生が中心になって東大オケOBなどに声をかけて全国の脳外科医で楽器の出来る人を集めたことから始まります。
Photo_2その後紆余曲折あり、1999(平成11)年からは元東大学生オケの指導をされていた早川正昭先生に常任指揮者になって頂いて、年に2回、脳外科総会と脳外科コングレスの開会式典や会員懇親会などに際して、10分程度の曲を演奏するようになりました。(写真はリハ中の指揮者早川正昭先生)

1996年から参加させてもらっている私は、これまで合計で20回近く脳外科オケとしての演奏を経験しました。たしかに、寄せ集め、レベルもデコボコ、練習時間が少なく、合わせ練習は前日1回と当日直前のみというものです。それでも昨年のような素晴らしい経験もしました。
ちょうど「脳外オケ創立20年」という節目でもあり、一般の方にも演奏を聴いて頂くという大それた事をしたのです。
N響ハーピストの早川りさ子さんとの共演の事を書いたブログ、l「学会での演奏ほか」をご参照下さい。
これまでに、恒例の「夏の三島合宿」、コングレス直前の4月の東京での「集中練習会」などにも参加していましたが、開業1年目の今年は、どのイベントも欠席させて頂きました。平日に休みなどそう容易く取れる訳でもなく来年以降頑張ろうかな、と思います。

このオケの凄いところをいくつかあげます。
1)一つの医学関係の学会で自前のオーケストラを持っているのは脳外オケだけ
2)バイオリンからコントラバスまで全員自前の楽器を持っている
3)合宿まで行っている
4)継続して20年近く活動している
などでしょうか。
実際は、ティンパニやシンバルなどのパーカッションは学会をやる土地の大学オケなどにエキストラを頼みますし、楽団員全員が脳外科医ではなくその家族(妻、娘など)や友人の医師(内科医など)も含まれます。脳外科の若手はなかなか病院を抜けて演奏活動に参加しずらい事もあり、大学の教授、学長クラスの先生が4名、病院長クラスが3名と偉い先生が多いのも特徴的です。

「本番強い脳外科医オケ」という新聞の副題。
確かに神経をすり減らすような緊張の顕微鏡下手術(破裂脳動脈瘤にクリップをかけたり、危険な領域の傍紙一重の境界で脳腫瘍を摘出したり)を経験している脳外科医にとって、いざと言う時に集中力は普通の人よりも高いものがあると思います。ただ、普段練習量が少なく、合わせる時間も少ない以上は、本番に集中力を高めて「やってやる!」という風に演奏するしかないのです。細かいミスはたくさん、大きな事故がほとんどないだけでいっっっぱ〜い問題はあります。音楽以前の問題も多く、オケとしてどうなんだろう、「まあ脳外科医がこんだけ集まって演奏してるんだから拍手でもしてやろう、、、」みたいな同情もありそうです。
しかし、余暇の少ない者同士が集まって一緒に音楽を造り上げる過程とその結果は当然美味しいお酒を飲みながらの打ち上げという形で帰結します。普段は簡単に言葉を交わせないような偉い先生や遠くはなれた地域の同業者と仲良く音楽や脳外科の話で盛り上がります。
それが楽しみでやっているのかもしれません。。。


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2008.12.08

雪、そして発表会

1206Photo12/5(金)辺りから冷え込みが厳しくなり、時折強風まじりに霰、そして雪が降りました。
写真は12/6(土)の夜の拙医院前です。1週程前、一人で2時間程かけてシンボルツリーに電飾を飾りました。この時は冷たい雨でちょっと苦労しました。この木の大きさに一体どのくらいの電球数が合うのか、皆目見当がつかず、この時期大量の電飾が出回っていて安い米国と違い、日本では結構なお値段するのでまず200球のセットを2つ(1つは光るパターンを換える装置とコンセント付き、もう一つは接続して増やすセット)買って来て付けてみたところ、この木の大きさでは半分も埋まりません。すぐに接続用2セットを買い足し、合計800球つけました。欲を言えば、もう200球あった方が豪華だったかも。しかし、上の方は脚立に昇って木に掴まりながら結構大変の思いをして付けました。
写真では、暴風雪の中で、木も、写真を撮る体も揺れてぶれています。

1207明けて12/7(日)の午前中の「バレーヌ・ガーデン」です。悪天候の峠は越えたようで、昼前には陽も差してきました。
庭の芝の部分だけ雪が残っています。

そして、ヴァイオリン&チェロ発表会は、午後2時から「ジョンダーノ・ホール」で開演。
まずは、酒フィルコンミスH先生の生徒さん、小学生から中学生まで4名の演奏。皆、緊張しながらも一生懸命に演奏していて微笑ましい。

小休憩の後、小生と家内による「歓迎演奏」と言う名の飛入り演奏です。
性懲りもなくJS Bachのロ短調ソナタBWV1030から第一楽章のみ(それでも8分くらいの演奏です。全曲やると15分はかかります)。
11/16の定期演奏会終了後、直ぐに来年3/1の「ファミリーコンサート」に向けて練習を開始しています。特に今回は難曲のプロコフィエフ作曲『ピーターと狼』に挑戦する意欲満々で、さらっているところです。
プロコの「小鳥」とバッハのフルートソナタは、フルートの曲としては対極のところにある様な気がします。どちらも難しいのですが、難しさの質が違います。バッハの曲は一音でも外すと直ぐにわかります。素人でもすぐにわかってしまうような曲です。ただ音を並べて行くだけでも易しくはないのですが、それを音楽にするのは大変です。
フルートコンクールの予選の曲としてよく取り上げられますが、リサイタルなどでバッハのソナタを演奏する人は多くありません。実力がわかりやすいですし、メッキが剥げやすいのです。演奏する人の人格まで鏡のように写してしまいかねない曲なのです。

そんな曲に、恥知らずにまた挑戦して、人前で演奏してしまいましたが、久しぶりのフルートソロ演奏(去年の、藤島町での音楽フォーラム以来?)でとても緊張して息があがってしまい、「お腹の支え」が不安定になって、音がかすれたりうわずったり、外したり縒れたり、あげくの果てにはでなかったりと散々な出来でした。
散々な出来のくせに演奏を公開するのが「自惚れコンサート」のいいところ(?)です。
今回の恥ずかしい演奏は、こちら→「241. BWV1030-1発表会演奏」です。

午後3時前から、メインであるチェロの発表会。F先生のお話の後、酒フィルチェロ軍団のうち、今回は4名の独奏です。みな、短い期間に仕上げて来ていて素晴らしい演奏でした。特に、酒フィルチェロトップのY氏の演奏は、その風貌と相まって「ヨーヨー・マ」のようだったと皆から絶賛されていました。
やはりチェロという楽器は、沈思黙考というか、哲学的です。
映画『おくりびと』でも主人公の楽器はチェロ以外考えられません。これがフルートやトランペットだと、華やかではありますが哲学的な、悩んでいる雰囲気がありません。
最後に秋田市から来られている講師のF先生の講師演奏。
ポッパー作曲「ハンガリー狂詩曲」。最後の方は誰でも一度位は聴いた事のある有名な曲です。
さすが、素晴らしい演奏でした。
ジョンダーノ・ホールの響きも、ピアノにはやや強すぎましたが、バイオリン、チェロの響きは美しく残響も豊かで、40名弱の聴衆&関係者でしたがちょうどいい響きだったように思います。


演奏会終了後、リハビリ室であるジョンダーノ・ホールでは、大マッサージ大会となり、普段診療に使用しているウォーターベッドが大人気でした。
その後、場所を近くの食事どころに移して「打ち上げ」が行われました。皆、自分の演奏に満足の行かない点や反省すべき点を噛み締めながら、でも次の発表会はどうしましょう、とか既に先を見据えているところは立派です。特に小学生の子供達など、日曜日の昼に集中して演奏し、人の演奏も寝ずに聴いて、さらに大人と一緒に夜の打ち上げまで出ておとなしくしっかりしている事には感心しました。
「きらきら会」主催者の村川千秋先生がかつて言っておられましたが、小さい頃からヴァイオリンを習っていると、ただ音楽が出来るとか演奏が得意とかいうだけではなく、何かに取り組む際に根気とか集中力とかそういったものが養われ一生の宝になるはずだと言う事でしたが、本当にそう思います。

私は、次の目先の目標は3/1のファミリーコンサート。
でも、やはりフルートソロの発表会も作らないと行けないな〜と思います。
「1回の本番は100回の練習に勝る」です。

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2008.12.06

久しぶりのCD購入〜その2〜

昨日の続き。
今回購入したCDのうち、まずはモーツァルトのピアノソナタ by バックハウス。
41cpksxsel_ss500_モーツァルトのピアノソナタのうち、4, 5番、10,11,12番の5曲とK.511のイ短調ロンドが入っています。
もう最初からバックハウスの音楽に陶酔します。
録音は50年近くまえのリサイタルの録音です。現代の高音質録音に比べれば、録音そのものはいかにも古色蒼然という音に聴こえますが、全然古くさくない。表現が難しいのですが、軽やかなだけではない、しかし重くも暗くもない、心地よい音楽がそこに広がります。

通常のピアノソナタは18番までありますが、その前半の9曲は中学1、2年の時のピアノのレッスンの課題でした。確かに、単純なテクニックの問題としては「中学生の僕」が弾いてもそれほど困難ではありませんでした。あまり真面目に練習しなかったので上手には弾けませんでしたが、それでも高松時代に女子大の講堂で東京から来られた著名なピアニストの公開レッスンを受けた事があります。
たしか、イ短調の第8番を弾きました。
冒頭の左手の和音が単純ながら難しい曲です。モーツァルトのピアノソナタに短調の曲は、この8番以外には14番のハ短調だけ。あとは全部長調の曲です。それだけに、軽やかではない、陰のある、重苦しくはないが爽やかに明るい音楽ではありません。「中学生の僕」には、短調のモーツァルトを演奏するような精神的成熟はまったくありませんでした。


3つ目は、これまたバックハウスによる「ベートーベン・ピアノソナタ全集」です。
31s7ryqp75l_ss500_こちらはCD8枚組の大作。生涯に2度全集の録音を行っているバックハウスですが、ステレオ録音も入った新盤の方です。モノーラル録音の旧盤の方が良いという人が多いようです。
それほどたくさんの演奏家のベートーベンを聴き比べた事がある訳ではありませんが、まったく個人的にベートーベンの「ピアノソナタ」ならバックハウス、「ピアノ協奏曲」ならルドルフ・ゼルキンと思い込んでいます。
まだ私が医学部の進学過程(昔は2年間の教養部と4年間の医学専門課程に完全に分かれていました)にいた頃のことです。山形大学には当時「とくおん」と称される特設音楽課程がありました。今は教育学部ではなく「地域教育文化学部」の中の「文化創造学科」の中の「音楽芸術教育コース」と名前を変えて、規模も内容も少々変わっているようです。当時は、芸大の他には国立大学で器楽や声楽の演奏を教える、いわゆる音楽学部は2、3しかなかった頃で、山大の「とくおん」には芸大や在京私立有名音大の教授陣が教えに来ておられました。

テニス部や聖書研究会などのサークル活動を通して「とくおん」にも友人がたくさんおり、ある人がベートーベンのピアノソナタ全集のレコードを貸してくれることになりました。山形大学の本部と教育学部それに医学進学過程がある小白川キャンパスには、「とくおん」にピアノ練習室として防音の整ったアップライトピアノの置いてある個室が30程、さらにグランドピアノのある練習室、小コンサートが開けるようなホールなどがありました。本当は「特音」始め教育学部の子だけが入れるのですが、こっそりピアノ練習室に入り込んでいろいろ練習、というか弾き散らしていました。
ベートーベンのピアノソナタも楽譜だけは購入していたので、借りたレコードを聴きながら楽譜を眺めたものです。そして、当時貧乏学生の私(なにせ昼食は主に70円のかけそば一杯で済ませていた)としては全集のレコードなど手が届かず、借りたレコードを全部カセットテープに録音したものです。そして、バイトして貯めたお金で無理して買ったTEACのカセットデッキにYAMAHAのA-1というアンプを通して何回も何回も聴きました。
それがバックハウスのベートーベンピアノソナタ全集でした。

自分がピアノを弾かずに、ただプロの演奏を聴いて批評批判する人の中には、新盤のバックハウスの録音は旧版に比べて「雑」だとか「深い精神性が欠けている」という酷いものまで見ました。バックハウスの場合、スタジオ録音よりもライブ録音を聴くとそのしっかりとした技巧の上にかなり自由度の高い(といってもハチャメチャナのではなく)音楽の喜びに溢れたテンポ感やリズム感を聴いて取れると思います。
そしてなによりもその音色です。
決してキラキラしているわけではなく、かといって湿度の高そうな暗い音でもなく、「深い」「枯れた」心に染み入る音だと思います。シュタインウェイではなくベーゼンドルファーの音色がバックハウスにぴったりだと思います。

聴いていて、心洗われるような、何も余計な事を考えずに音楽に没頭できるような演奏を久しぶりに聴き幸せな気持ちになれました。


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2008.12.05

久しぶりのCD購入〜その1〜

と言っても、先日の山響定期(11/23)の際に、山響のモーツァルト交響曲全曲演奏チクルスの第1弾を買ったばかりでしたので、そんなに久しぶりではありません。
街にレコード屋さんもありませんし、クラシックのCDをたくさん扱っている店は山形市まで行かないとありませんので、どうしてもAmazonでの購入になります。

今回購入したのは、次の3つ。
1)エマニュエル・パユの「BACH complete flute sonatas」
2)ヴィルヘルム・バックハウス「モーツァルト・ピアノソナタ」
3)ヴィルヘルム・バックハウス「ベートーベン・ピアノソナタ全集」

1)は要するに「バッハ・フルートソナタ全集」。
51mlgcym2fl_ss500_ベルフィル首席にして、現在活躍するフルート奏者の中でも第1人者であるエマニュエル・パユ氏が、久しぶりにバッハに帰ってきました。
これまで彼が出した数多くのディスクの中でも、「初」となるチェンバロとの演奏。
そのチェンバロは、これまた大家トレヴァー・ピノック氏。
「オブリガート・チェンバロのためのソナタ」はパユとピノックですが、「通奏低音のためのソナタ」にはチェロのジョナサン・マンソン氏が加わります。
2枚組のCDに1曲だけ入れられた「2本のフルートと通奏低音のためのソナタ」にはこの3人に、シルヴィア・カレッドゥという女性フルーティストが加わります。

12/7(日)、「ジョンダーノ・ホール」でのVn.&Vc.発表会に飛び入りで参加しますが、私のフルート、家内のチェンバロで、ロ短調ソナタBWV1030の第一楽章だけですが演奏します。
音楽の世界におけるJS Bachは、ただ宗教音楽とか崇高な音楽という言葉だけでは片付けられない、なかなか近づけないもののように感じます。殊にフルートの世界において、JS Bachのフルートソナタはキリスト教における「旧約聖書」のような感じさえ受けます。

それほどの超絶技工は要求されず(バッハの時代の横笛は現代のフルートとは全く違う物(トラヴェルソ)なので)、現代のフルートである程度の技術が有れば演奏する事は困難では有りません。しかし、その音楽に真剣に向き合ってバッハの極みに到達しようと試みると、冷たく跳ね返される気持ちにすらなります。「まあ、固い事言わないで、、、」というような気持ちでないと、人前で演奏なんておこがましくて出来ません。
その「おこがましい」演奏をやる上で、グラーフ、ニコレなどの巨匠やブリュッヘン、有田などのフラウト・トラヴェルソの演奏を鑑賞し学んで来たつもりでしたが、楽譜とにらめっこしながら演奏を聴いたのは実は今回のパユが初めてでした。ライナーノートにも、ベーレンライターの新バッハ全集版、ブライトコプフ版、ヘンレ版などこれまで出版されている楽譜を研究し尽くして、さらにチェンバロの大家ピノックとの協議検討を加えて演奏ということであるので、その解釈はやはり現代のフルート吹きにとっては一つの「教科書」になるものだと思います。

パユとピノックのバッハのフルートソナタは、今年の秋〜初冬の日本のコンサートシーンで観られるはずでした。たくさんの人が二人の演奏を心待ちにしていたはずです。私も日程と演奏会場さえ都合が付くなら聴きに行きたかった。東京の演奏会のうちどれか行こうかと思っていたくらい。
ところが「中止」になりました。
なんと、ピノック氏が体調を崩し来日出来なくなってしまったのです。

急遽、パユ一人による「ソロ・リサイタル」に変更されたようです。
ただ、東京の王子ホールでは既にパユ氏の無伴奏ソロリサイタルをやったばかりだったので、同じプログラムは出来ないという事でしょうか、コンサートそのものがキャンセルとなりました。
ピノック氏の体調が心配されます。

2)3)のバックハウスについては、明日でも続きを書きましょう。
一つだけ。私がベートーベンのピアノソナタの素晴らしさに目覚めたのは、21才頃、当時LPレコードでこの全集を持っていた友人に借りて聴いてからです。
30年前の感動、感激が蘇ります。

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2008.12.04

新型インフルエンザのこと(やや長文)

年の瀬も押し迫ってきましたが、まだインフルエンザ蔓延のニュースは入っていないようです。
県内の医師会会員任意参加のMLでは、どこそこでインフルエンザA型陽性の患者がでた、とか、どこそこの人はB型だったというようなsporadicな情報はあるようです。

乾燥しやすい冬、これからインフルエンザウィルスが猛威を奮うのでしょうか?今年は例年と違う株のウィルスが発生すると予測されており、特に気管支疾患を持つ子供さんと高齢の方は12月中に予防接種を済ませておいた方がいいと考えられます。(予防接種には、「かからないで済む」というような予防効果はありませんが、かかった場合に軽く済む事が期待され、高齢者の死亡率を減らすと予測されています)

さて、表題の「新型」インフルエンザ。
先日の庄内医師集談会でも中心の話題はこれでした。保健所や病院の感染症対策担当者、そして東北大学の細菌学教授などの講演もあり、結構勉強になりました。
巷ではまだあまり話題になっていないようです。「新型」というのと、「今年のウィルスの株が例年と違う」というのとは別の話です。この場合、「新型」=「鳥インフルエンザ」です。
現在、地球上に存在し、人間に感染する通常の(新型でない)インフルエンザも元はと言えば鴨などの水鳥を自然宿主とするウィルスが突然変異を起こしてヒトに移ったものです。ですから、一番最初はその時点では「新型」だったのです。

ウィルスも生命体である以上、自己を守り種族を守って存続し続けようとします。それは人間と同じ事です。インフルエンザウィルスが存続し続けるためには、地球上の生命体に広く感染して蔓延しその子孫を作る(ウィルスの場合は「複製」という作業)事が必須な訳で、元は水鳥などを主な住処にしていたのですが人間を対象に変えて、自分の姿も少しずつ変え(変異)て何世紀にも渡って地球上に存在しているものです。

「新型」=鳥インフルエンザは、現時点では人への感染報告はまだ多くはないのですが、インドネシアではある家族に感染し家族8名中7名が死亡したという報告がありました。WHO(世界保健機構)の発表では、今のところ全世界で鳥インフルエンザによる死者は201名に達しているとの事ですが、原因が鳥インフルエンザだと確認出来ない死亡例も含めればもっともっと多いはずです。
死亡例が報告されているのは、インドネシアのほかアゼルバイジャン、カンボジア、中国、エジプト、イラク、ラオス、ナイジェリア、タイ、トルコ、ベトナムと中東から東南アジアが中心になっています。

日本は大丈夫なのでしょうか?
大丈夫という保証はなく、厚生労働省も「日本にも新型インフルエンザはやってくる」という考えのようです。厚生労働省:感染症に関する情報をご覧ください。
その他にはこんなのもあります。「新型インフルエンザ情報室」という名のブログです。

ウィルス学的に言えば、何十年周期で必ず世界的に広く蔓延するような突然変異が起こっており、これまでに有名なところでは1918年の「スペインかぜ」やその亜系である1957年の「アジアかぜ」、1968年の「香港かぜ」などがあります。(ウィルス学なんて、今回、約30年前に大学で仙台ウィルスの権威であった細菌学教授の本間先生に学んで以来と言っていいくらいに勉強しました)
今回話題になっている「鳥インフルエンザ」は、実際に人への感染とそれによる死亡が確認報告されている訳で、これが全世界に流行しないという保証はどこにもない訳ですから、「流行する恐れがある」と考えて対応し対策を整えるべきという考え方で専門科や政府機関は動いています。

たとえば、1918年のスペイン風邪では、世界中で4000万人、日本国内だけで39万人もの死者を出しています。それと同じ様な事が、現在心配されている「新型インフルエンザ」で起こる危険性は誰にも否定出来ない訳です。
ただ、90年前の抗生物質もないような、衛生環境も現代の様に整っていない時代とは違うとの考え方もあります。ウィルスに抗生物質は効かないのですが、インフルエンザに罹患して高熱で寝込む事によって体力が低下し、通常では感染源にならない様な常在菌(この場合はウィルスではなく細菌)が元で肺炎を起こした場合、抗生物質は有効です。現にスペイン風邪では合併罹患した細菌性肺炎によって多くの人が命を落としたと言われており、現代の医療体制ではスペイン風邪の様な大量の死者は出ないだろうという楽観的な見方もあります。

現在厚生労働省の試算では、「新型インフルエンザ」が日本で蔓延した場合、約2500万人に感染すると想定されています。スペイン風邪やアジア風邪の時のデータに基づいて計算すると、日本国内で50万人(17~64万人)の死者が出るという計算がなされています。
日本の人口のおよそ100分の一が住む山形県に置き換えると、山形県内で25万人が感染し5000人が死亡するという計算です。県内人口の4分の1が住む庄内地方に置き換えると、およそ6~7万人が感染し1200~1300人が死亡するという、恐ろしい計算なのです。

なぜこのように死者が多くなる危険性があるのかというと、一つは鳥インフルエンザが鳥にとっては低病原性(感染してもあまり深刻な事態にならない)ものであっても人にとっては「高病原性」(感染したら高率に病気を起こす)可能性が考えられている事と、新しいウィルスに対して人類はまだ免疫を持っていないため、罹患したら高率に発病し強い症状を呈して死亡する確率が高いという事によります。
元々は「新型インフルエンザ」であった「スペイン風邪」などは最初の1、2年で蔓延して多くの死者を出しましたが、罹患して生き残った人にはそのウィルスに対する抗体が体の中に作られ、次に罹患しても強い症状を呈さずに済む様になったのです(その時点で既に「新型」ではなく、通常の流行性インフルエンザウィルス)。今騒がれている「新型インフルエンザ」も、万一今シーズンや来シーズンに世界中に蔓延したとしても、2、3年過ぎれば人類にはその免疫が出来上がると考えられています。

ですから、蔓延し始めた最初の年が大変なのです。その対策が必要な訳です。
大量の患者が発生し病院や診療所に押し掛けて来たらどうなるでしょうか?病院、診療所の機能が麻痺します。新型インフルエンザではない他の病気の患者さんに感染します。既に病気を持っている人の中には免疫力の低下している人が多いので、高率に症状を呈し死亡する危険性があります。そうならないようになんらかの対策、対応が必要です。

行政、保健所、病院、診療所などではどのような対策を立てているかを簡単に説明します。
・まず、現在のインフルエンザ予防接種の様にワクチンはないのか?というと、「ありません」。まだ人類に広く完成していない、現時点では「鳥インフルエンザ」なのでそのウィルスに感染した人の血液などを元に培養してワクチンを作る事はまだ不可能なのです。
・現在の一般的なインフルエンザワクチンは効かないのでしょうか?答えは「効かないと思います」です。同じインフルエンザウィルスであっても、突然変異して出来る形の違うものなので、既に流行したウィルスを元に作ったワクチンが有効とはまず考えられません。
・世界的な流行をどこかで停められないのか?というと、「停められる可能性はほとんどない」です。
現代の様に世界的に人や物が流通する時代に、鎖国する訳にも行きませんし、空港を閉鎖したり海外渡航を禁止する事はできないでしょう。発病、死者が確認されている上記の様な国から帰国する人を制限する訳にも、現時点ではいきません。
・日本国内で蔓延し始めたらどうするのでしょうか?
蔓延が確認される前に、可能な限り蔓延を阻止しなければなりません。そのために現在出来る事は、「新型インフルエンザに罹患したと疑われる人を他の人に可能な限り接触させない」という対策が必要です。どうやったらできるのでしょうか?
実は、症状(発熱や咳など)では他のインフルエンザやいわゆる感冒と見分けることが出来ません。ですから、発熱した人はすべて同じに扱う必要があります。そこで登場するのが「発熱外来」です。
つまり「熱がある」という症状で病院に来た人は「すべて」一般の患者さんとは別の導線で別の場所に移動させて、別の場所で診察を行います。現在、全国の主たる病院や医師会や保健所などで「発熱外来」の対応は計画されていて、シミュレーションを行っているところもあります。
「ドライブスルー外来」と言って、マクドナルドのドライブスルーのように、発熱した患者さんは自家用車で来てもらい(この場合は公共交通機関の使用を避ける)、車から降りずに別のルートでドライブスルーの様に車に乗った患者のところに医師や看護師が近づいて診療を行うという方式も考えられています。1日に数名ならいいでしょうが、何十人も来たらどうするのでしょう。自家用車を持たない人が多い都会ではどうするのでしょう。冬の戸外は厳寒の東北や北海道ではどうするのでしょう。
そして、これらの対応は新型インフルエンザの感染力からすれば焼け石に水的(無駄ではないが無駄に近い?)なものでしょう。結局、広く蔓延し始め、「発熱外来」には100人単位の人が押し寄せてくる様になるでしょう。とても病院や診療所では対応出来なくなります。
どうするのか?
・病院が最初にする事は「発熱外来」の閉鎖です。すでに発熱外来で診察して、重症の人は入院治療(これも病棟を別にする)を行っている段階ですが、これ以上受け入れる事は物理的に不可能になります。通常の病院の機能が麻痺するからです。脳卒中や心筋梗塞や切迫流産や最近話題になった脳出血の妊婦などをまったく受け入れられなくなってしまいます。通常の病院機能を麻痺させずに残すためには、発熱した人、「新型インフルエンザ」の疑いがある人は病院に来られては困ります。
どうするのでしょうか?発熱した人は自宅待機。外に出るな、病院に来るな、という対応になります。
更に、増加した入院感染患者は病院から別の場所に移し(いわゆる「隔離」です)、他者に蔓延させない対応をとる必要がでてきます。
・自宅に待機した発熱患者さんは治療が受けられないのでしょうか。
病院や診療所に来れない人を見捨てる訳には行かないので、症状を電話などで聞いて疑わしい人にはタミフルなどのインフルエンザ治療薬(治療薬に関しては、体内でのウィルス複製増殖を抑える働きは同じなので、現在のインフルエンザ治療薬も「新型」に効くと考えられています)を何らかの方法で届けるという方策が考えられています。
でも、それをどうやって、誰が、という具体的な対応策はまだ出来ていません。
そういう事態(パンデミック、感染蔓延状態)になったら、あらゆる手だてもほとんど無効になってしまう恐れがあります。そうなった場合には、重症で死亡する人は死亡する、免疫力が強く体力のある人は生き残る、そういった自然界の掟の様な事態になると想像されます。
日本人のうち、50万人が死亡(庄内地方在住者のうち1200名が死亡)して、人類に免疫が成立し「新型」ではなくなって新しくワクチンが生成され、予防接種が広く行われて感染の蔓延が防がれる様になるということが、これまでの歴史を繰り返す様に起こるのでしょう。

以上が、「新型インフルエンザ」に対する現時点での厚労省や保健所や医療機関の対応と考え方です。一般人に何か出来ることはないのでしょうか?
相手がウィルスなので、確実な対応策はないと思います。
一般のインフルエンザと同じ様に、外出から帰ったら手を洗う、うがいをする、人ごみに出かける場合がマスクをする、部屋の湿度を上げる(60%以上が良いと言われています)、などでしょうか。「新型インフルエンザ」に対する対策としては、海外渡航、特に東南アジアへの渡航を控える、最近東南アジアから来た人と接触を避ける(これも問題を醸しかねませんが)、野鳥特に水鳥との接触を避ける、などでしょうか?
そういう理由もあって、最上川スワンパークに毎年飛来する10000羽近い白鳥への餌付けは今年は禁止されました。情報では、飛来数はけっして減ってはおらず、私がブログに写真で乗せている様に庄内の多くの田んぼで落ち穂拾いをする白鳥の集団が例年と同じ様に見られます。

どんなに医学が進んでも、人類にとって「感染症」、細菌、ウィルスはいつまでも敵です。医学の発達と抗生物質の開発によって減少したとはいえ、日本人の死因の第4位は「肺炎」です。
地球とか宇宙と言った規模で考えた場合、増え続ける人口を抑制し、地球環境を保護するためには「新型インフルエンザ」による大量の死亡者によって人類の増加が抑えられる事は必要なのかもしれません。同じ様な意味では、戦争(人が人を殺す)も「必要悪」(まさか!)なのかも、などと今回の問題を機に考えてしまいました。

皆さんは、まず、手洗い、うがい、マスク、部屋の湿度などでインフルエンザ感染を真に「予防」し、予防接種で罹患しても重症化しない様な対策をお取りください。
お大事に!

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2008.12.02

篤姫と南洲翁

西郷南洲翁の事について、これまで何度かこのブログで触れてきました。
心から南洲翁を尊敬されている方や、南洲翁遺訓を元に勉強会を定期的にされている庄内南洲会の方々などに比べれば、私の知識などは付け焼き刃のミーハー的なものです。

Photo1年近く前になりますが、今年のお正月に酒田の南洲神社に初めてお参りしました。「敬天愛人」の書を買い求め、額に入れて玄関に飾っています。
その時点では、ある意味で、西郷南洲翁は、徳のある見上げる人という感じを持っていました。

今、佳境を迎えているNHK大河ドラマ『篤姫』。
先週の日曜、今週の日曜と録画していたのを観ることが出来ましたが、観ながら涙が出て来て困りました。篤姫から徳川慶喜助命嘆願の手紙を受け取りそれを読んだ時に官軍参謀長西郷の見せる、本来の心優しく熱い人間としての顔。さらに島津斉彬公から篤姫へ宛てた手紙を西郷に届け、身分の低かった西郷を取り立てて教え育て薩摩藩を代表する藩士にした今は亡き島津公のこころを思い出させ、江戸城総攻撃を止める決断をするシーン。

どこまでが史実に忠実なのか、どこからが脚本なのかわかりませんが、西郷役の小澤征悦の演技が素晴らしくて引込まれ、涙してしまいました。「小澤征爾の息子」などという肩書きももういらないですね。素晴らしい演技、素晴らしい役者さんです。
それにしても、官軍の江戸総攻撃を、勝海舟と西郷隆盛の会談で「無血開城」となり、江戸市中が火の海になる事が避けられた、無益な戦火が防げたという史実に変わりはないのですが、薩摩出身の篤姫がこれほどまでに関与していたとは驚きでした。

亡き島津公の後を追って殉死しようとしたり、月照和尚と入水自殺を計り助けられたり、2度も島流しをされたり、既に何度も「身を捨てた」人として、徳川幕府を徹底的に叩きのめし新政府による新しい世の中を造り上げるための礎として命をかけたのでしょう。その強い決心を本当に篤姫の手紙が変えさせたのだとしたら凄い事です。11/23の回と11/30の回の両方とも、生島が、勝が篤姫の手紙を届け、それを読んだ時の西郷の反応は感動的でした。観ていて熱いものがこみ上げてくるのを堪えることが出来ませんでした。

Photo_2150年近く経って、その行動が、その想いが人を感動させ、感激させる人というのはやはり凄いな〜と思いました。
しかし、我々と同じ人間であり、ただ「見上げる」だけの人ではないのだと、今は思うようになっています。

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2008.12.01

12月の演奏会

「師走」になりました。
私も職業名に「師」が付く立場ですが、走るのかどうか。。。(苦笑)
1127写真は、先週の11/27の朝、荒天続きの日々でしたがちょっとした晴れ間がありました。鳥海山も大分雪がつもり、頂上の上、海抜でいえば2500~3000mくらいでしょうか、ちょっと面白い雲がかかりました。
1129先日も掲載しましたが、これは11/29の午後の鳥海。6合目くらいまでは積雪しています。最近は曇っていて山が全然見えない日も多いのですが、この日の昼前後だけはきれいでした。

慌ただしい時期でもあり、冬至に向かって益々日が短くなり、日に日に寒い時期であっという間に時間が過ぎて行きます。大事な演奏会などを忘れないよう備忘録的にも告知します。

まずは身近なところから。
1)バイオリン&チェロ発表会 in 「ジョンダーノ・ホール」
  12月7日(日)午後2時から
 酒フィルコンミスの本田さんの教え子4人と藤原ケイ子先生に師事する酒フィルチェロ軍団から4名の発表会です。講師演奏で藤原ケイ子さんも演奏されます。
127127_2プログラムは←こちら。
小生と家内のフルート&チェンバロの飛び入り演奏も予定しています。
通常の「サロンコンサート」としては位置づけていないのですが、関係者以外の一般の方も自由にお聞きいただけます。
 入場は「無料」で、午後2時から2時間弱の間、演奏の邪魔にならなければ出入りは自由です。

2)「三人のヴィルトゥオーソ〜夢の響演〜漆原啓子・村治佳織・向山佳絵子コンサート」
  12月16日(火)、午後6時45分開演、「希望ホール」
まさに「夢」の共演、響演ですね。全席自由3,500円です。

3)山形交響楽団 庄内定期 酒田公演第8回公演
  12月19日(金)、午後6時30分開演、「希望ホール」
指揮は久しぶりに工藤さん。プログラムはメインに「ブラ3」(もしかすると来年の酒フィル定期のメインになるかも)、目玉としてチェンバロの曽根麻矢子さんをお迎えして、プーランクの「チェンバロと管弦楽のための『田園のコンソール』」もあります。
 曽根さんは、先日家内がレッスンを受けたばかり。ブログ記事「チェンバロの世界」を参照下さい。
また曽根さんの素晴らしいチェンバロの音色を聴けるかと思うと楽しみです。

4)ミューズの会「2008クリスマスコンサート」
  12月23日(火・祝日)、午後0時開演、希望ホール「大ホール」、入場無料

ここまでが酒田市内の演奏会。

山形市での演奏会は、
5)山形弦楽四重奏団第29回定期演奏会 
  12月3日(水)、午後6時45分開演、文翔館議場ホール、1000円
 山Qさんの本年最後の定期演奏会。ブラームスの弦楽五重奏(ビオラの倉田さんの奥さん、田中知子さんが加わります)とハイドンの弦楽四重奏曲「日の出」、さらに佐藤敏直さんの弦楽四重奏曲第1番です。

6)第12回ハーモニーコンサート in 白鷹
  12月6日(土)、午後6時開演、白鷹町ハーモニーホール
指揮は、留学から戻られた大井剛史さんで、チケットは大人が2,000円です

7)東根市市制施行50周年記念「市民コンサート」
  12月14日(日)、午後3時30分開演、東根市さくらんぼタントクルセんター大ホール
目玉はモーツァルトの戴冠ミサ曲

8)山響第193回定期演奏会 
  12月20日(土)、午後7時開演、山形テルサホール
上記の3)と同じプログラムの定期です。

9)山響「第九」演奏会
  12月25日(木)、午後7時開演、山形県民会館
指揮は飯森範親さん、合唱は県民有志合唱団です。飯森さんのブログによれば、モンテディオ山形のJ1昇格決定を祝し、モンテディオのユニフォームを着て指揮するというつもりらしいですね。

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本日のオマケ写真
Photoもう冬だと言うのに『バレーヌ・ガーデン』には今年最後とばかり、花が開き、まだ小さなバラ達も、ピンクにオレンジに赤紫と蕾を付け花を咲かせました。
霰が降ったり、雷雨に打たれたりで可哀想になりますが健気に咲いています。

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