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2008年11月

2008.11.30

おめでとう!「山の神」!

イタリア語で、「山」はmonte、「神」はdio。

Montedio山形、Jリーグに参加して10年で悲願のJ1リーグ入り達成しました!
おめでとう!

J2からJ1になると、いろいろかかる経費も増えるそうで経営の面など大変な事があるようです。J2時代の年間予算が7億円ぐらいで、J1ではそれが最低10億円になるのだそうです。
でも、J1になると、あの鹿島アントラーズや浦和レッドウィングスやガンバ大阪が、モンテディオのホーム試合では山形にやって来るんですよ!
1年でJ2に降格にならないように頑張ってほしいと思います。

ライバルのお隣りさん、仙台のベガルタ仙台も現在J2の3位で、なんとか入れ替え戦でJ1にあがれる位置を保っているようですが、微妙ですね。頑張ってほしいものです。


本日の庄内地区医師集談会の発表準備のため、ここ3、4日は特に夜中遅く(日によっては転寝しながら午前4時過ぎ位)までPowerPointのプレゼンテーションを準備していました。
学会発表準備を深夜まで頑張るというのは大学勤務時代は「日常茶飯」の事でしたのでなんだか懐かしい気持ちで頑張ってしまいました。今日は、その疲れが出て、肩もこりこりです。

発表もつつがなく終わり、パネルディスカッションや特別公演の「新型インフルエンザに対する対策」も大変勉強になり、その上、モンテディオがJ1昇格と嬉しい事が重なりました。

先週のJOFCの集まりでもちょっと話題になったのですが、プロオーケストラのある地方都市の中で山形は最も人口の少ない街です。
プロオケがある街は、東京、大阪を除くと、北から札幌、仙台、高崎、千葉、横浜、金沢、名古屋、京都、広島、福岡、そして山形市です。この中で、政令指定都市でないのは、高崎と金沢と山形ですが、山形市は人口25万人足らずの地方都市。
そこに東北初のプロオケがあり、このたびJ2からJ1にあがったJリーグチームが有り、プリンセスめぐなどのオリンピック代表選手を擁するVリーグのパイオニア・レッドウィングスがあり、プロ野球楽天の2軍チームがあります。

車で50分くらいで行けてしまう、お隣の大都市、仙台には仙台フィル、ベガルタ仙台、東北楽天ゴールデンイーグルスがあり、お互いに県庁所在地ではありますが、その規模と地理的関係から考えれば何でも仙台に吸収されてしまってもおかしくないのですが(事実、若者は山形市内の町中に行くよりも仙台に買い物に行ったりする人も多いようです)、山形はオリジナリティを保って頑張っていると思います。中学と高校が仙台出身の私からみていても、「山形、頑張れ!仙台に負けるな!」という気持ちになります。
お蕎麦の旨さだけでは圧倒的に山形の勝ちですけど(新蕎麦の季節、山形の有名そば屋の駐車場は半分以上が、「宮城」「仙台」のナンバーです)。牛タンは当然仙台に軍配が上がります。

仙台は、「せんくら」というクラシック音楽の祭典や、「定禅寺ストリートジャズフェスティバル」に、仙台国際音楽コンクールに仙台フルートコンクールなど音楽関係の催しが多く、さすが100万都市だと思います。山形は、「国際ドキュメンタリー映画祭」は有名ですが、それ以外のあまりパッとしないのです。仙台の人口の4分の1以下なのですから仕方ないでしょう。
山響の躍進ととともに、モンテディオもますます頑張ってほしいと思います!

もう一度、おめでとう!

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2008.11.29

今日はオケ練、明日は集談会

1129_3本日の鳥海。
昼過ぎ、旧余目から酒田に戻ってくる道、旧平田地区で撮影したもの。なんでここで写真を撮ったのかは、今日のこの記事の最後の方にその答えがあります。

ーーーー
11/16(日)の酒フィル定期後、1週練習はお休みでしたので、今日は2週振りのオケでした。
来年、平成21年の3月1日(日)、庄内町の響ホール「大ホール」を会場に、酒フィルのファミリーコンサート(通称ファミコン)をやります。

今年のファミコンは、オペラ『ラ・ボエーム』のため、例年のようなコンサートはありませんでした。
来年のプログラムは、目玉が3つあります。

1つは、プロコフィエフの『ピーターと狼』です。
ナレーションをお願いしたのは、酒田出身の女性活動弁士の佐々木亜希子さん。とっても美人で素敵な方です。佐々木さんのHPがあります。
「こちら」をご覧下さい!
知っている人は知っている有名な方で、酒田でも何度か無声映画の弁士などもされていたはずです。
「酒田出身なんだから『ピーターと狼』も庄内弁でやったらいいんじゃない」なんてこちらサイドでは無責任な声も上がっています。
猟師:「ピーター、狼を捕まえてくれてありがとう!」

「ぴ〜た〜、オオカミだば、とっづがまぇでけで、もっけだ〜!」
なんてのもいいんでないかい?

「小鳥」のフルートは超難曲です。今日は初合わせの「譜読み練習」でしたが、出来るところと出来ないところがはっきりしました。必死に練習すれば、なんとかなるかも、という感触は得る事が出来ましたけど本当に難しいんですよ!

目玉の2つ目は、「あなたも指揮者に挑戦!振ってみましょう!!!」
ベートーベンの交響曲第7番の第1楽章を振って頂きます。あの『のだめ』でも有名になった曲です。指揮者に憧れる方はどうぞ挑戦して下さい!

目玉の3つ目は、「2つの『未完成』」です。
未完成交響曲として有名なのはシューベルトですが、それに加えてもう一つボロディンの未完成交響曲である第3交響曲です。2つとも魅力的な曲なのですが、共に第2楽章までなのです。

これらのうち、今日は両方の「未完成」と「ピーターと狼」の3曲を一応通してみました。大変でした〜。

さて、明日は庄内地区の医師集談会。病院勤務医、開業医などが集ってそれぞれの関心領域や専門分野から学会形式で発表し懇談する会です。以前病院勤務医の時に発表したり座長をやった事もありましたが、今回久しぶりに発表してみます。3月に開業して以来のMRIを撮った症例について検討を加えてみたものです。
頭痛やしびれなどで「頭の病気」を心配して来られる患者さんは、専門家が診て「大丈夫ですよ!」と言われる事を期待しつつ、「何か頭にあるんじゃないか」「脳卒中になりかけているのか」という不安を持っているというのがほとんどです。丁寧な神経学的問診と診察をやってもそれだけでは結局診断できない病気はたくさんあります。私もこの9ヶ月の間に、「え?!」とか「まさか!」という思いをした患者さんが何人もいました。頭痛で受診して運動麻痺もないけれど、まあ念のためとMRIを撮ったら慢性硬膜下血腫や髄膜腫などが見つかりました。他医で「風邪」として風邪薬を投与されてなかなか改善しない頑固な頭痛の発症1週後に来院した「くも膜下出血」もいました。
脳腫瘍、片側顔面けいれん、未破裂脳動脈瘤などに対する手術治療を行ってもらうため、大学病院や地元の市中病院の脳外科に紹介しました。急性期の脳梗塞をすぐ治療してもらうため、電話でホットライン的に地元の病院の脳外科医に直接連絡して緊急受け入れをしてもらいました。そういういわゆる病診連携で紹介した患者さんは25名。1ヶ月に平均で3名の患者をお願いしてきました。
手術を怖がっていたけれど、「手術をすればちゃんと治るから頑張って受けましょう!」と勧めた結果、地元の病院で摘出手術を受けて「先生、治って来ました〜」と退院の報告に来て下さった方もいました。
片側顔面けいれんに対してこれまで2回のボツリヌス毒素注射治療を受けていて、結局けいれんが再発して来た患者さんに、是非大学病院で手術を受けるよう勧めました。私の1回目の米国留学はこの顔面けいれんなどに対する顕微鏡手術(血管減圧術)の創始者であるジャネッタ教授の元に行ったのですが、日本海病院時代は私が酒田地区の患者さんの顔面けいれんや三叉神経痛は手術で治していました。今は手術をしない身になったので、この手術は大学病院に紹介しています。基本的に命に関わる病気ではなく、機能的な病気なのですが、それだけに手術の成否は患者さんのその後の人生を大きく左右するものです。手術を受ける事を迷っていたその女性患者さんには確か3回くらいに渡って手術を受ける事を説得しました。先日、その患者さんの息子さんと言う方から電話が入りました。
「昨日、母が大学病院で顔面けいれんの手術を受けて、成功しました。けいれんも止まったようで母も喜んでいます。先生にお伝えしたくて電話しました。」
ということでした。その息子さんには私は一度も会っていなかったのですが、本当に嬉しそうで、わざわざ連絡してくれた事を感謝し礼を言いました。その後、その患者さん本人がクリニックに来られ、手術が成功してけいれんの止まった姿を見せに来てくれました。涙ながらに「先生のおかげです!」と言われるので、「それは違うでしょ。手術してくれた大学の先生のおかげですよ。良かったですね〜」と言ったら、帰り際にその患者さんは何度も何度も頭を下げて行かれました。
こういう経験は、診療所開業医をしていてこそ味わえるものだな〜、自分の手でいい手術をして患者さんを治すという喜びとか満足感はないけれど、的確な診断で適切な専門家に治療をお願いするという事も診療所医師の大切な仕事。これこそが「病診連携」の醍醐味と思いました。

さて、話が逸れて来たのでこの辺にしましょう。
明日の発表原稿はまだ「未完成」なのでした。

ーーー
今日のオマケ
Photo_3田んぼで落ち穂拾いをしている白鳥たち。
結構、「メタボ」になっています。きっと庄内米の収穫後の田んぼには栄養豊富な美味しい落ち穂や虫達がたくさんあるのでしょう。こういう集団での落ち穂拾いは、この時期の庄内では至る所で診られます。

今日の昼食は、そばと麦きりが食べたいと言う事で、庄内町の「しま田」に行ったのですが、なんと「臨時休業」の札が。。。(ガ〜〜ン!)
ショックを拭うために頭の中では余目から酒田辺りで食べたい昼食のデータベースの高速検索がかかりました。その結果、私が車を向けたのは、、、

PhotoPhoto_2余目の焼きそば屋「テンテン」です。新メニューの「ピリ辛もつ焼きそば」に挑戦。左が食べ始める前。右は少し食べてソバとモツが見えるようになったところです。目玉焼きも乗っています。これは「中盛り」という名の大盛りでこれで650円。家内は普通のテンテンの焼きそばの普通盛りで550円。

1129_2その帰り道、春に桜の並木の間から鳥海山を撮影した場所を通ったのですが、雲一つない晴天に現れた白銀の鳥海山をぱちり。
春の鳥海の写真は、今年の4/23の記事。←こちらをご覧下さい/

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2008.11.28

白石と奥羽越列藩同盟(長文)

Photo11/24(月・祝)、写真の様な朝の蔵王を臨みながら起床。
前日の飲み疲れ(JOFC)の何のその、朝からバイキング形式の朝食をしっかり食べて、10時前に白石に向けて出発。

山形自動車道から東北縦貫道に別れて白石インターで降り、国道4号を白石駅方面へ向かいます。山形からはちょうど1時間くらいで到着。最初の目的地は、「壽丸(すまる)屋敷」。
「白石まちづくり株式会社」のブログは「こちら」です。

Photo_2国道4号から白石駅方面に向かって、駅までもう少しという「中町」に第一の目的地「壽丸屋敷」はあります。以前は味噌や醤油を扱う大店だったらしい。古い住所表示や昭和な感じの看板に蔵が昔を少しだけ物語っているようです。

Photo_311/23にホワイトキューブで開催された『戊辰の役と奥羽越列藩同盟の歴史的意義のシンポジウム』に合わせて、「〜奥羽越列藩同盟〜戊辰の役パネル展」が開催されていました。写真は、ちょうど幕末から大政奉還、そして戊辰戦争の際の東北雄藩の藩主の写真と当時の東北諸藩の地図です。
 我が庄内藩は酒井忠篤(ただずみ)公。7名の藩主の中では一番ハンサムかも(すでにザンギリ頭なので、戊辰戦争より後の写真でしょう)。考えてみれば、農作物を育てる(当時は自給自足が当然な訳で、農業こそが全ての営みの中心だった)天候としては蝦夷地を除けばもっとも過酷な条件にある東北は、明治維新と言う名の革命(人によってはこれを「テロ」とも呼びます)を中心になって興した西国諸公(薩長土肥)と違って、その領土が比較的江戸に近く、徳川家に忠誠を誓う家が多かった訳です。
 会津藩松平家は徳川秀忠の子供の直系ですし、庄内藩酒井家は徳川四天王の一人酒井忠次の末裔です。そういうこともあって、徳川幕府から京都の朝廷警備を命ぜられた会津藩主松平容保は、皆の反対を押し切って会津松平家草創以来の「徳川家のために身を惜しまず働く」という教えを守り「京都守護職」に着きます。新撰組を統括し、京都市中で攘夷派として活動した不穏分子を厳しく取り締まります。その結果、後に薩摩と仲直りして手を組んで倒幕の主勢力になった、蛤御紋の変や第1次長州征伐前後の「朝敵」長州藩からは激しい憎悪と怨念の恨みを買います。
 一方、庄内藩は同じ様に「江戸市中見回り組」という仕事を命じられます。倒幕を目指していた薩摩藩は、江戸市内で狼藉を働く不穏分子を庇ったり支援すらしていました。江戸幕府に対する薩摩のゆさぶりに堪り兼ねて、幕閣の命令で江戸市中見回り組は薩摩藩邸を焼き討ちします。結果、庄内藩は薩摩藩から大きな恨みを買うことになるのです。

 「戊辰の役」は、本来、長州藩と薩摩藩による会津と庄内に対する私怨のようなものが火種だったと思います。東北の他の雄藩である仙台藩などは「会津を征伐せよ」「庄内を攻めよ」と新政府軍から命じられたため、嫌々ながらも「錦の御旗」を盾に迫る薩長の命令に反する訳にも行かず、形だけの出兵をしたと言われています。つまり攻める気も征伐する気もないけれど国境近くまで兵を進めたという事です。そして、ついに白石が歴史の表舞台に躍り出ます(NHKの『その時、歴史は動いた!』観たいですね、笑)。
 徳川幕府のために粉骨砕身働いた歴史と伝統のある会津家、そして言いがかりをつけられた酒井家を見殺しにするわけにはいかない、皆で結束して横暴な新政府軍と戦おうというのが「奥羽14藩の重臣による会議同盟」そこに越後長岡藩が加わり、「奥羽越列藩同盟」が白石城の列公会議で決まりました。
 しかし、秋田の佐竹家などすぐに弱腰になって脱退する藩が現れます。もともと天皇に逆らう気など毛頭なく、徳川幕府体制が終わったとしても新しい日本の政府を作りこれまで通りの領主として生きて行きたいという気持ちであった訳です。徳川家を守りながら天皇陛下の元に集まり新しい体制の日本を作りたいという保守的な考えの東北諸藩に対して、革命テロ軍団とすら言える西国集団の革新的な考えが衝突し、「錦の御旗」を手にしていた者が勝ったというだけのことだったのです。
 結局、薩長軍を中心とする新政府軍は東北、越後に攻め入り、軍門に下った仙台藩などは今度は「昨日の友は今日の敵」とばかりに庄内藩攻めに転じる訳です。

 ところが、先日も書いた様に奥羽越列藩の中で最新最強の軍備を誇った庄内藩は非常に強く、清川口での初戦こそ「引き分け」だったようですが、その後は新庄藩や秋田藩領まで逆に攻め入って、連戦連勝、無敗を誇ったのです。そのまま戦い続ければ最終的には負けたのかもしれませんが、酒田の本間家を始めとする豪商達の資金援助を得て戦に於いては優勢を誇っていました。
 結局、仙台藩などの降伏の勧告に応じて鶴が岡城の無血開城となり、西郷隆盛の指揮下に後に総理大臣にまでなった黒田清隆率いる薩摩軍が鶴岡の街に入って来ました。西郷さんの指導がしっかりしていたのか、薩摩軍は統制が取れ市中で盗みなど狼藉を働く者もなかったそうです。庄内藩は感激し、殿様さえ助けてもらえれば老中以下皆腹を切って果てるとの覚悟を示したところ、「全員許す」との非常に寛大な処置となりました。負けた者は城を明け渡し先祖伝来の土地を離れるのが普通です。
 長州に酷い恨みを買った会津は「白虎隊」で有名な戦いの末、敗れて厳しい処置を受けました。会津藩主容保は鳥取藩預かりとなり嫡男は何とか家名存続を許されて現在の青森のむつ市に斗南藩を作りましたが、多くの藩中心関係者は斬首となったり一族郎党は蝦夷地に追いやられました。そして、新政府の意地悪な考えで、庄内藩は盟友であった会津に転地との命令がくだされました。
 なんとか酒井家を庄内に残してほしいとの嘆願の末、一度、長岡へ転地に変更になった後、「戦争賠償金70万両」を納めれば庄内に残っても良いということになりました。ここでまた酒田三十六人衆を中心とする豪商達が活躍します。領民も金を出し合い、何とか30万両を集め新政府に納めます。「残りは分割で、、、」とお願いしたところ、「もう、これでよか!」と西郷ドンが言ったとか伝わっています。
 こういう事の積み重ねで、庄内藩の西郷南洲翁と薩摩に対する敬愛の念は非常に強いものがある訳です。ちなみに、この時に庄内藩の家老職にあった管実秀(すげ さねひで)は西郷さんから多くを学び親交を深めます。この菅の指示によって、鶴岡の松ヶ丘開墾が整備され(ここは、今は映画のロケ地などになっています)、酒田の山居倉庫が作られ(ドラマ『おしん』で有名になり、今でも酒田一の観光スポットです)ました。

 この白石で会議が行われ結成された「奥羽越列藩同盟」が、その後新政府軍に楯突いたものとして、(要するに2つの革命派閥の一方が負けたというだけの事なのですが)「白河以北一山百文」という差別的な政治経済的処遇を甘んじなければならなくなった一因といえるでしょう。後に東北出身の初めての総理大臣になった原敬をして「戊辰戦争は即ち政見の異同のみ。当時は勝てば官軍、負くれば賊軍との俗論あり」と言わしめたのも白石で結成された「奥羽越列藩同盟」がその発端であろう。
 その後、長い間、東北の地、東北人は薩長土肥を中心とする西国革命テロ集団のクーデター的国家体制転覆の犠牲となり、蔑まれ虐げられ我慢を余儀なくされて来たとすら言えると思います。

 誤解しないで頂きたいのですが、私の両親は宮崎出身で、母の家系は薩摩藩とともに蛤御紋の変に出陣した日向秋月家の関係者であり、私自身も九州は福岡の生まれです。九州生まれである事に誇りを持っています。そして、中学生の時に高松から仙台に転校して以来、すでに35年を越える東北人としての生活を送っている者です。要するに、その時の歴史の流れでいろいろあったけれど、日本に生まれ日本で育った日本人である事、これを今回の白石訪問で深く認識させられました。そして、公に恥ずかしくない大義名分をもって事を成す上で何らかの犠牲を払う事は仕方のないこととしても、私怨、私憤を晴らすために公的な行動をしてはならないということを、今回の歴史探訪で再度学びました。
Photo_4壽丸屋敷の「パネル展」では20年程前に河北新報に連載された、「戊辰の役」に関係する特集記事も展示されていて、いろいろな立場でのいろいろな考えがあり、東北人には東北人の、仙台藩には仙台藩の言い分や言い訳があったのだな〜と改めて感じました。写真は、パネルと共に展示されていた白石城関係の鎧兜(張りボテ)です。

Photo_11Photo_13その後は、まず腹ごしらえ、と最近JR東日本のCFで吉永小百合さんが出演されている白石うーめんのお店へ。「うーめん番所」というそのお店、TVCFの効果でしょう、団体客を始め多くの観光客が押し掛けて並んでいます。中には「新幹線の時間に間に合わないな、仕方ない、行こう!」と言って残念そうに帰って行かれるお客さんもいました。
左の写真の店の正面。右の写真は、そのお店の裏手にある民家のような離れの座敷。ここが吉永さんが座ってうーめんを召し上がった部屋のなのでした。
Photo_12私は、うーめんを食べたのは久しぶり。白石で食べたのはおそらく初めて。麺が短い稲庭うどんみたいなものかな〜と思っていたら、「白石うーめんが伝わって稲庭うどんになったんですよ」と説明する方がいました(真偽の程は?)。

Photo_5Photo_6続いて、白石市内にある「人形の蔵」へ。
いわゆる「昭和」な展示品の美術博物館的なものですが、酒田のあいおい美術館の雑貨駄菓子屋版とでも言えばいいのでしょうか。
私の伯母が昔延岡で駄菓子屋をしていて、里帰りすると私はその駄菓子屋いろんなもらったり、遊んだりしていた事を思い出します。
Photo_7Photo_8この「人形の蔵」には別棟があり、そこは市松人形がたくさんあって少々不気味でした。左はその2階に上がる壁に貼ってある昔のポスター。ちょっと誰かさんに似ています。
右は、「人形の蔵」の2階、太平洋戦争時代の物を集めた展示品の真ん中で当時の書き物を読んでいるところです。

Photo_9その後、初めて白石城を見学。
「賊軍方」であった仙台藩の枝城が残っている訳はなく、現在の物は平成7年に復元建造されたのだそうです。急な石階段を上って入り口で入場料を払い、3階まで上って行くと天守閣です。
写真は天守閣から西北西の蔵王を眺めたところ。考えてみれば、この日の朝、反対側の山形市から東南東の蔵王を眺めたのでした。

Photo_10最後に寄ったのは、壽丸屋敷の隣にある「イル・パッソ」というイタリアンな蔵の喫茶レストラン。
ブログなどにも登場する有名な「小十郎パフェ」に二人で挑戦しました。その由来はよくわかりませんが、家臣団の大きかった伊達家においても、数々の功績から第1の家臣とも謳われ、徳川幕府も認めた仙台城以外の仙台藩領内の第2の城の当主であった片倉小十郎にちなんでいるのだそうです。

 遠く白石まで出かけて、庄内藩、酒田などの事を再度学ぶとは思ってもおらず、はからずもNHK大河ドラマ『篤姫』でちょうど徳川幕府の終焉、大政奉還、戊辰戦争の頃をやっていることもあり、没頭してパネルを読んで満足して帰ってきました。

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2008.11.26

JOFC山形大会

11/23(日)の山響定期演奏会は午後4時過ぎに終了し、ロビー交流会と神尾真由子さん、飯森範親さんのサイン会などが行われました。
表題のJOFC、日本プロオーケストラファンクラブ協議会が場所を山形国際ホテルに移して、ロビー交流会とサイン会を終えて駆けつけた飯森音楽監督が到着して午後5時ちょっと過ぎから始まりました。

JOFCの理念は、それぞれの地域で頑張っているプロオーケストラを音楽を愛する仲間が集って応援しよう、その仲間達が連携して互いを刺激し合い応援し合ってプロオケの活動を高めて行こうというものです。JOFCのHPは、「こちら」をご覧ください。

そもそもはH17年の8月に、山形市での山響演奏会に合わせて仙台フィルと札響のファンクラブメンバーが集い、合同交流会を持った時に、全国のオーケストラのファンクラブ同士が連携できる全国組織をつくれないか、との札響くらぶからの提案を山形宣言として採択し、設立に向けての事務を札響くらぶに託したのが始まりでした。
それを受けてH18年11月に、キタラホールにおける札響の定期演奏会に合わせて、地元札響の「札響くらぶ」、仙台フィルの「仙台フィルハーモニークラブ」、山響の「山響ファンクラブ」、群響の「群響を応援する県民の会」、広響の「広響フレンズ」の5団体が札幌に集まり、設立総会が開かれたのです。JOFCの会長には、札響くらぶの会長であり札幌市長でもある上田文雄氏が選出されました。
これを受けて、昨年の11月に仙台で「第1回」のJOFC総会が開催されました。
そして、今回、11/22, 23の山響第192回定期演奏会に合わせて「第2回総会」が山形で開催された訳です。

Jofc開会にあたり、JOFC会長であり札響くらぶ会長の上田札幌市長からご挨拶がありました。JOFC設立の経緯などをお話しになり、今回は上記5団体に加えて、名古屋フィルの応援団である「名フィルファンクラブ」と金沢のOEKの応援団である石川県立音楽堂「楽友会」の計7団体が集合し、さらにプロオケ活動を援助している「アフィニス文化財団」と「日本オーケストラ連盟」からも代表者が参加されました。
Jofc_2続いて、山響音楽監督である飯森さんから基調講演がありました。
飯森さんが以前から言っていること、「私は音楽家はサービス業だと思う。サービス業でなければならないと思う。観客があってこそのオーケストラである。」といった飯森さんの信念、その信念に基づいて発展して来た山響の活動の事などをお話しされました。

続いて、札響くらぶ、仙台フィルハーモニークラブ、群響を応援する県民の会、名フィルファンクラブ、石川県立音楽堂「楽友会」、広響フレンズ、山響ファンクラブの7団体が、それぞれの活動や直面する問題点、困っている事などを各自の立場から発表し情報を交換しました。
上田会長が昨年の総会で仰ったという、「ただ単にオーケストラを応援するのではなく、我々はプロオーケストラを支えているんだ、音楽文化に貢献しているんだ、という誇りと自覚を持って活動して行こう」という言葉が再度披露され、協議会総会参加者全員にその考えが伝えられました。

世界的金融危機、地方自治体の財政難もあって、大企業や希有な篤志家による大きな経済的支援が期待出来ない地方オケの経営状況はますます厳しいものがあるでしょう。我々一般市民が、いくらプロオケを愛するとはいえ、経済的に出来る支援などはたかが知れており、応援団であるファンクラブの活動すら経済的に余裕などないもので、団体によってはすでに経済的に立ち行かない状況になっているらしいのです。
しかし、音楽を愛し、オーケストラを愛し、演奏会を聴きに行き、いい演奏には精一杯の拍手を送ることがまず大切で、その上で一人一人の行動がオーケストラそのものや団員のモチベーションを上げ、その活動を後ろから支えて盛り上げて行くものになること、その動きに微力ながら参加している事が音楽文化を支える文化的活動をしているという意識をもつ事もいいのではないかと思います。

席を隣の部屋に移して、続いてJOFCの懇親会が開催されました。
会場に入ると、まず生の音楽で歓迎されます。
Photo懇親会歓迎の演奏をしていたのは、なんとなんと我らが山響が誇る金管部隊による金管五重奏です。
トランペット首席の井上さん、同じくトランペットの佐藤さん、ホルンの八木さん、トロンボーンの永瀬さんと高橋さんです。

開会の挨拶、乾杯の発声に続き立食形式で懇親。私も広島のかたや群馬の方々、そして仙台の方々とお話をしました。ある程度会が盛り上がって来たところで、またまたサプライズ!
Flステージでモーツァルトのフルート四重奏の演奏が始まりました。
フルートは、山響首席フルート奏者の足達先生。バイオリンに特別客演首席コンマスの高木さん、ビオラも首席(オーケストラリベラクラシカやバッハモーツァルトなどでも活躍されている)の成田さん、チェロは若手ナンバ−1でプラハから帰国後山響に入団した渡部さん(あの映画『おくりびと』の第九のシーンではもっくんの横で演奏していました)という面子です。
「こんなメンバー、望んでも望めない、凄い凄い!」と私は心の中で興奮していました。モーツァルトのフルート四重奏は、医学部の学生とちょっとした会でその第1楽章だけ演奏したことがありますが、と〜ってもおそ〜く演奏しました。譜面面はそれほどでもないのですが、モーツァルトらしい音楽、明るく、快活で、幸せな演奏のために決して間違えずにサラサラっと速く演奏するのはとても難しい。

Photo_2その後、先ほどの山響が誇る金管部隊が「ピンクパンサー」などの楽しい曲を五重奏で聴かせてくれました。
フルート四重奏も金管五重奏もブラビッシモ!でした。

Jofc_3演奏に参加されない団員も大勢参加して下さり、懇親会を盛り上げて下さいました。2日間の定期演奏会を終えたばかりで、別に仕事でもなく、ギャラが出る訳でもないのに、20名近い団員がJOFCの懇親会に参加して下さるというのは、山響ならではだと思います。飯森さんのリーダーシップ、団員の自主性、そして山響団員と山響ファンクラブメンバーの非常に親しく緊密な関係があってこその事だと思います。しばらく「温泉ツアー」は休止されていますが、先日の団員とファンクラブの合同芋煮会や恒例の忘年会などを通して親しく言葉が交わせる仲になっている事が大きいのではないかと思っています。
私は「枯れ木も山の賑わい」と参加する事に意義がある派で参加したのですが、飯森さんや山響団員には本当に感謝感謝でした。

Photo懇親会には演奏会からずっと着物で通した女性も数名。着物っていいものです。

その後、場所を移して二次会がありましたが、車で来られた仙台フィルハーモニークラブの一部の方、御高齢の参加者を除いてほとんどの方が参加されたため、30名で予約していた居酒屋の部屋が足らず、たまたま空いた隣の部屋を壁を取っ払って繋ぎ、合計45名近い二次会参加者で大いに盛り上がりました。神尾さんの迫力ある演奏、素晴らしいシューマンの演奏会の興奮から、JOFC総会、懇親会と気持ちの高ぶりは続き、札幌市長から飯森音楽監督に各団体の代表も、狭い部屋で肩を寄せ合うようにして酒を酌み交わし熱く語り合いました。

この宴席に参加する事を目的に、この日は山形市に宿泊する事にしていたのですが、もう一つ、翌日11/24に白石市を訪ねる事も目的だったのです。その事についてはまた改めて書きたいと思います。

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2008.11.25

第192回山形交響楽団定期演奏会+CD発売

山響定期は、11/22(土)の夜と11/23(日)の2回公演でした。
11/22は、酒フィル定期の翌週で、久しぶりにオケの練習のない土曜日でしたが買い物、雑事いろいろをこなしました。

11/23, 10時半少し前に出発。月山新道は路面は濡れているものの積雪はなし。路肩には除雪された雪が場所によってはすでに1m程の高さになっていました。
12時過ぎに山形に到着。まずは腹ごしらえと、久しぶりの「庄司屋」へ。

PhotoPhoto_2左は板そばの天ぷら添え。右は鳥そば。
板天の蕎麦に「海苔抜き」と頼むのを忘れてしまった。
久しぶりの庄司屋の蕎麦はやはり庄司屋の味。酒田でしょっぱい汁に慣れてしまったのかやや薄く感じる。美味しい蕎麦屋が多くはない庄内で、一生懸命うまい蕎麦を食わせる店を探したせいか、久しぶりでも感動が少なかった。

その足で駅西へ。今回は山形テルサの斜め向かいに立つホテル「リッチモンド」へ。午後1時に駐車場に車をいれ、早めにチェックインして荷物を置き、会場に向かう。
今回の定期演奏会は、昨年のチャイコフスキー国際コンクールバイオリン部門優勝者の神尾真由子さんが登場すると言うことで早くから評判になり、昨日はほぼ満席だった由。当日券を求める人が数十人並んでいるのを横目に入場。

まずは、先行発売になった山響のCDを購入。
「モーツァルト交響曲全曲演奏チクルス」より初のアルバムがついに発売になりました!
記念すべき第1号ディスクに収録されたのは、
1)交響曲第31番ニ長調 K.297「パリ」(平成19年10月第2回モーツァルト定期)
2)交響曲第39番編ホ長調 K.543(平成19年8月第1回モーツァルト定期)
3)交響曲ヘ長調 K.Anh.223(19a)(平成19年8月第1回モーツァルト定期)
4)モテット「アヴェ・ヴェルム・コルプス」 K.618(平成20年8月第4回モーツァルト定期)
山響のHPからも注文可能です。「こちら」をどうぞ!

Mozart1big今回の定期のプレトークで飯森さんが、「この演奏を音楽仲間にどこのオケの演奏か黙って聴かせたら、ヨーロッパのオケの名前を挙げた。」と嬉しそうに語っていました。SACDの超高音質のディスクに、ノン・ヴィブラート奏法の弦の美しい音が「スィ〜」と漂います。たしかに何の先入観も予備知識も無くこの演奏を聴いて、「山形交響楽団」の名前を挙げられる人はまずいないと思います。
演奏時間の短い曲が多いので、今回の初アルバムは上記のように第1、2、4回の定期から抜粋になっています。今後、続々と発売されるであろうチクルスのアルバム、すべて購入したいと思います。

さて、演奏会の方ですが、
ワーグナー: 歌劇「さまよえるオランダ人」序曲
ベートーヴェン: ヴァイオリン協奏曲ニ長調 作品61
シューマン: 交響曲第2番ハ長調作品61
というプログラムでした。

どれも素晴らしい曲で、ワーグナーの序曲も短いけれど演奏する方にとっては大変そう。
シューマンの交響曲も3番の「ライン」ほどの知名度はないが、シューマン好きにはたまらない曲。なかなか印象に残らないが第3楽章は印象的。今回は、モーツァルト定期と同じようにメインのシューマンでもピリオド楽器(&もどき)を使用。
フルートはパウエルも黒い木管、トランペットとホルンはピストンのないピリオド楽器、ティンパニも同じ。そして今回初登場は、トロンボーンのピリオド(風?)楽器。トップのNさんが吹くのはまるでトランペットのような可愛らしい大きさのトロンボーン。ピッコロトロンボーンとでも呼べるようなサイズ。いつもはバストロ担当のTさんが吹くのは、スライドに取っ手がついていて、人間の手の長さだけでは足らない分までなが〜〜〜く伸ばせるトロンボーン。現代のバストロは構えた時に肩の後ろに来る部分がグルグルとホルンのように巻かれていてそこで管が長くなっているのだが、ピリオド楽器では管がまっすぐなため、スライドをなが〜〜〜くする必要があり、そのために取手がついている訳です。
この3本のトロンボーンについては、プレトークの際に、トランペット2本、ホルン2本と合わせて7本で『運命』の第4楽章のパ〜ンパ〜ンパ〜〜!パ、パ、パ、パ、パ、パ〜ン!の部分を、現代楽器とピリオド楽器で吹き比べると言う面白いデモンストレーションがあり、その音色、音量の違いが百「読」は一「聴」にしかず、という感じでよく理解できました。
これらの楽器を使ってのシューマンの交響曲演奏というのは、おそらくヨーロッパ以外では初めてではないかという飯森さんの発言もありましたが、山形テルサに居ながらにして19世紀初頭のヨーロッパの中都市のコンサートホールにトリップしてしまったような素晴らしい音色に包まれました。

そしてなんといっても、今回は神尾真由子さんのバイオリン。
今、この20代の若さだからこそ出来る演奏という感じをうけるが、とにかく力強く、ダイナミックで、良く謳うバイオリン。超高音から低音まで幅広い音域を余裕あるダイナミクスでまさに「弾き切る」という表現が相応しい。
テクニークがどうとか、細かいパッセージがどうとか言う前に、その音色で人の心を強く惹き付け酔わせるそういう「もの」を持っていると思う。やはり何年に一人の逸材だと思う。チャイコのコンクールVn部門で優勝したのは、日本人では諏訪内晶子さん以来だが、優勝翌年の諏訪内さんはいろいろ迷いがあったようにお聞きしている。ジュリアードに学び、しばらくコンサートなどを封印して(?)いたが、再登場したときは明らかにコンクール優勝当時とは違った諏訪内晶子を聴く事が出来た。それに比べると神尾さんの方がしっかりしているように見えるというか、この若さで「自分」というものを持っていてそれが演奏に現れているように感じられる。

私は幸い米国留学中の平成5年だったか、当時ジュリアードに学んでいた諏訪内さんのメンコンを、ロリン・マゼール指揮ピッツバーグ交響楽団で、ピッツバーグのハインツホールで聴く機会があった。その時は、諏訪内さんの素敵なお母様にもお会いして、諏訪内晶子さんからサインも頂くことが出来た。
まだまだ可愛らしい少女の面影の残る美しい人だったが、意志の強そうな表情の裏に、不安げな雰囲気が見え隠れしていた様に思う。まだいろいろ迷いがあった頃なのだと思う(最近の演奏や表情にはそういったものを克服しきった、自信と落ち着きが感じられます)。
神尾さんが自信満々という風には見えないけれど、「自分」というものを持ってこれから音楽家として、バイオリン奏者として生きて行くんだ!という決意の様なものを感じられる。

先日、NHK-BSで神尾真由子さんの特集の再放送をやっていた。一度観たのだが録画してまた観てしまった。私よりもずっとずっと年下なのに、何か凄い事を成し遂げる人はやはりそれだけの器量というか器(同じ事か)を持っていると思わされました。「ものが違う!」ということですね。
今回の様な若く、力強く、艶やかな演奏は今後いつまで出来るかわかりませんが、すでに「神尾真由子の音」と言うものを持っているようなので、これからの更なる活躍と進歩を凄く期待します。

Photo_3コンサート後、いつものようにロビー交流会が行われ、飯森さんと神尾さんがインタビューを受けていた。私は、彼女のデビューディスクにサインを頂いて、直ぐに次の会、JOFCの総会への手伝いに駆けつけるため会場を後にした。

JOFCの事についてはまた明日以降に書くつもりです。


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2008.11.24

昨日は山響定期とJOFCでした。

山形市のホテルでブログを書いています。
昨日、午前中に酒田を出て、お昼頃山形に到着。久しぶりに「庄司屋」のお蕎麦を頂いて山形テルサへ。
今回の定期の目玉はなんといっても、昨年のチャイコフスキー国際コンクール優勝者神尾真由子さんのソロでベートーベンのVnコンチェルト。
さらに、午後5時から今朝の山形新聞の記事にも載っている、JOFC日本プロオーケストラファンクラブ協議会の総会とその後の懇親会および二次会出席もあって、山形市に宿泊。
駅西にいくつか出来ているホテルのうち、今回は「リッチモンド」にしてみました。新しいので部屋がきれいで、朝食がビュッフェスタイルですが美味しくてお得感があります。

昨日のコンサートは素晴らしく、その後のJOFCも意義深いものでしたが、詳しい事は酒田に戻って落ち着いてから書く予定です。とにかく神尾さんのバイオリンが素晴らしくて引き込まれました。
JOFCの懇親会では20名近い山響団員も特別に参加され、金管五重奏、フルート四重奏など普段なかなか聴けない素晴らしいメンバーでの演奏の「サービス」もありました。

実はこれから家内の以前からの希望で白石に遊びに行きます。
白石温麺(うーめん)を食べるのが目的ではなく(もちろん吉永小百合さんがJR東日本の宣伝で召し上がっているお店に行くつもりですが)、『戊辰の役パネル展』などをやっている市中心部を観光する予定。
ちなみに、薩長を中心とする倒幕軍(すでに新政府軍)と戦った奥羽越列藩同盟は、兵器と兵隊の数の差で次々に敗走を続けたという事ですが、唯一連戦連勝で一度も敗走せず進軍していた藩がありました。それは現在鶴岡市のある庄内藩酒井家の軍でした。その大きな理由として、庄内藩の枝城の亀ケ崎城のあった現在の酒田市に本拠を構えていた豪商本間家の経済的援助が大きかったと言われています。莫大な援助によって、当時の最新式イギリス銃を大量に揃えその火力をもって新政府軍を蹴散らしたと伝え聞きます。

というわけで、白石に行って、気分次第では仙台に回り夜酒田に戻ることになるでしょう。

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2008.11.22

MRI、その後

私は開業するにあたって脳外科医としてどうしても画像診断、特にMRIは必要だと考えました。
ただ、MRIという医療機器は、一時に比べれば機種も増え価格も下がったとはいえ、定価ベースで言えば一台1億円から数億円という値段の代物です。
長く大学病院に勤務し蓄えのない貧乏医師としては個人事業の展開や借金返済を考えれば、診療の目玉にはなりますがリスクは大変大きい。どんなに一般的値引き交渉をしても(公立病院ではないので「入札」などは必要なく個別の交渉が可能)限界はあります。現在、日本で主に使われているMRIを製造販売する会社は、G社、P社、S社、T社、H社といったところが主流だと思います。大学付属病院や大病院では、超伝導MRIでも1.5T(=テスラ)から3.0~4.0Tという高磁場超伝導MRIがどんどん導入されつつあり、画像の分解能や種々のオプションによる脳機能解析などに力を発揮する素晴らしいMRIがどんどん発売されています。そういう高機能のMRIは、値引き交渉をしたとしても2億円前後する上に、液体窒素と電気代などのランニングコストがべらぼうに高く、年間数百万〜数千万円というコストなのです。

Mridemot2revどうせ高額な機器を導入するならば、なるべく妥協はしたくない、でも値段は安い方がよい。ランニングコストも低い方がいい。
そうすると、どうしても常伝導型のMRIになります。ランニングコストの面からは、コイル型よりは永久磁石式がいい。0.2Tよりは0.3Tが、0.3Tよりは0.4T(現状ではこれが最も高磁場の常伝導型のパワー)ということになり、拙医院にはH社の0.4Tオープン型全身用MRIを導入する事にしました。(写真は、拙医院の0.4TオープンMRIで撮像した脳のT2強調反転画像)

価格交渉の末、最終的に機種を決定したのはちょうど1年くらい前になります。
常伝導永久磁石式のMRIの場合、設置して電源を入れて安定した磁場が得られる様になるまでに数週間から1ヶ月かかるということで、3/3の開院の1ヶ月以上前に設置する必要がありました。2月末には正常に稼働している状態を得るためには、遅くても1月末に設置完了の必要があります。MRIは、電気屋さんに行って「これ、ください」というような買い物ではないので、注文を受けてから作るという状況の様で、納品に2,3ヶ月はかかるということでした。昨年の9月末か10月初めにはほぼ決定して、更に価格交渉や保守点検の条件についてなど細かい点を詰めて、11月には決定していた訳です。
その過程において大変お世話になった方がいます。

H社の東京本社で部長職を務めているそのI氏は、実は私と高校の同級生で、一緒にブラスバンド部に所属し、彼はホルンを吹いていました。本業は合唱で(私も本業はテニス部でした)、私の2年のときの担任であったT先生の指導する合唱部でも頑張っていたようです。私と同じ大学の工学部を卒業してH社に就職し、主にレントゲン撮影装置の開発に携わり、現在は電子カルテや医療情報を扱う部門で活躍しているようです。連絡を取ったら、多忙の中スケジュールを調整して酒田に飛んで来てくれました。
10年くらい前に、出身高校で毎年夏に開催している全体同窓会の幹事役が我々の学年になった時、私も初めて仙台のホテルで開催されたその会に出席しました。「大言海」の著者大槻文彦作詞の校歌や応援団に強制的に覚えさせられた凱歌などを久しぶりに歌いました。その席で、I氏と再会していなければ、彼がH社に勤務している事など知りませんでした。高校卒業後31年降り、全体同窓会後数年ぶりに連絡を取ったのです。
Photo_9(写真はI氏が先日久しぶりに酒田に来てくれたときのお土産、「ダロワイヨ」のマカロン!)
I氏は、価格交渉などを含めあらゆる面でいろいろ骨を折ってくれたそうです(高校の同級生が開業するから何とかお願いする、とH社の相談役にまで直接掛け合ったと聞きました)。


それでも、現金で購入するお金は持っていないし、医院の建築、土地建物を含めて家賃、その他の必要物品の購入などにかかる莫大な借金から考えて、MRIは「リース」でということになりました。このリース代だけで毎月100万円以上勝手に出て行く状況ですので、それなりに稼がないとやって行けません。「MRI貧乏」にならないためには、最低でもMRIの元を取れる数の検査が必要で、毎月およそ100件近いMRI検査を行う必要があります。1日あたり平均4~5件と言う事になりますが、今のところはぎりぎりどうにか、、、という感じです(日によってばらつきが多い)。
幸い開業して半年を過ぎた頃から、あそこはMRIのある医院らしい、行ったらすぐにMRIを撮ってもらえるらしい、という事が少しは広まって来たようです。来週末にある庄内地区の医師の集談会で、開院以来のMRI撮像症例についてまとめてみる予定です。
An324b今までに、髄膜腫、聴神経腫瘍、破裂脳動脈瘤によるくも膜下出血、未破裂脳動脈瘤、慢性硬膜下血腫、急性期脳梗塞、くも膜嚢胞、ラトケ嚢胞、その他多くの脳疾患の確定診断が付けられ、必要に応じて大学病院、地元の総合病院の脳外科、神経内科などに紹介し治療をお願いしました。未破裂脳動脈瘤の症例の中で2名は、血管内治療を行える設備とスタッフを揃えた施設に紹介しGDCによるコイル塞栓術を行ってもらいました。

ということで、なんとかMRIもそこそこ順調に稼働しています。望むらくはもう少し、1日平均6~7件のMRI検査が行えれば借金返済や家賃支払いに苦しまなくても済むのですが、、、(苦笑)。

先日I氏が酒田に来てくれた際には、彼の交際費(?)で一緒に食事をしました。これまで3回、今回が4回目の来酒でしたが、漸く『ル・ポットフー』に連れていく事が出来ました。

Photo_10Photo_11左:前菜「ひらめのカルパッチョ、いくら添えとサラダ」、右:スズキのポワレ菜の花添え
飲み物は、先日この店のソムリエに勧められて初めて口にして気に入った、上山の竹田ワイナリーのスパークリングワイン「ドメーヌ・タケダ ブリュット」。
Photo_12Photo_13左:メインの山形牛のステーキ、レアミディアムで頂きました。
右:デザート、グラスの中はジンとライムのシャーベット。季節のフルートの中にはしっかり「庄内柿」が入っています。
職業柄海外出張も多く、奥さんとともに国際レベルの合唱団に属していてパリ公演などにも行っているI氏にも満足して頂けたようです。
(著者註:こういう食事をした翌日などは自宅では質素に納豆ご飯とおかず一品ぐらいで過ごしています、なにせ高額借金を抱えた身ですから)

ほんの5年くらい前までは開業するなんてこれっぽっちも考えたことはありませんでした。
患者さんが最後の砦として頼りにしている前線の市中病院に勤務し忙しく身を削って働いているのに、「患者中心の医療」の名の下に厳しい労働環境で我慢して働いている脳外科医に対して、県も、病院の中枢にいる人達も、事務も、冷たい対応でした。さらに働いた分の労働対価として当然請求していいはずの「時間外労働」の手当も県の予算が減らされた結果、事務の方で勝手に削ってきました。医師への世間の風当たりは強くなり、特に医師や病院を悪者にして一般大衆を味方につけ改革の先導者気取りのマスコミには叩かれ続け、医師として苦しむ患者さんのために自分の自由にできる個人的な時間や趣味の時間を削り夜中も休日も正月も働いているのになんだか空しい、悲しい気持ちにさせられモチベーションが下がってきました。50才を目前にして、ずっと市中病院や大学病院で忙しく身を削って働く事に疑問を感じ始め、そこに音楽、特にアマオケへの開眼が加わり、医師をやりながら自由な時間を作るためには開業するしかないと結論し今年開院しました。
最近でも二階経産相に、今度は麻生総理までも、医師を愚弄するような発言をなさいました。マスコミに作られた、「医者=金持ち」「病院=医療事故隠蔽」「医療=安全で完璧なのが当たり前」というような極端な考え方が、この国のトップの脳まで支配しているようです。単なる無知ではなく、「洗脳」されているとしか思えない発言が続きます。

自分が倒れたお終いという、個人事業主として世間の荒波を乗り越えて行くために、自分の知識と経験を生かすべく、そして専門性を特に活かすためにも、超高額医療機器であるMRIを導入してようやく船出したばかりです。その船出に際し、上記I氏を始め、多くの人から助けられました。高校の同級生がたまたまH社にいたというのも何かの縁と感じます。
これから5年、10年後の事を意識しながら、MRIを撮って行きたいと考えています。

ーーーーー
今日のオマケ
Cyoukai1122ここ数日、天気は荒れています。寒い。雪もちらつき、風は吹き、時折激しい雨。そして夜中の雷鳴。
ついに昨日冬タイヤにしました。
そして、今日、重たい曇り空の中、ちょっとだけ晴れ間が除いた瞬間の鳥海山。
頂上には厚い雲がかかっています。
積雪は中腹を下り、3〜4合目辺りまで降りてきているようです。

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2008.11.21

冬到来!

昨年の今頃は、花巻の鉛温泉に一泊旅行に行ったり、チェコ・フィルの来日に合わせてファゴットのオンジェのリサイタルが遊佐の公民館であったり、そして12/3の酒フィル定期演奏会に向けて(昨年はチャイコの6番「悲愴」がメインでした)頑張っていた頃です。

今年は少し冬が早く来るのでしょうか。
毎日毎日寒くなります。
毎晩、雷がゴロゴロドシャーン!と鳴っています。
一昨日、夜21時前に拙医院から帰宅する際、車のコックピットに表示される外気温は0.5℃でした。

雪も降りました。
昨日の朝は車に積もった雪を、今年初めてどかしてから出かけました。凍った路面でESPが働いてちょっとヒヤっとしました。

今週末は山形テルサで山響定期。
昨年、チャイコフスキー国際コンクールバイオリン部門で、日本人では二人目の優勝者となった神尾真由子さんが登場します。土日の2日公演なので今回は日曜のマチネを聴きに行きます。
その後、JOFC、日本プロオーケストラファン倶楽部連盟の会合が開かれるのでそれにも参加する予定。今回は、札響くらぶ、仙台フィルFC、群響を応援する県民の会、広響フレンズ、名フィルファンクラブ、石川県立音楽堂「楽友会」、山響ファンクラブの7団体が参加するとのこと。日本中のオーケストラを応援する人たちとの交流が出来る事が楽しみです。

週末に安心して山越え(月山道)するためには、もう冬タイヤに交換しておいた方がいいでしょう。
来週末には庄内地区の医師会主催の研究発表会があり、開業して初めて発表する予定。
そろそろ準備に取りかからないと。。。
来年3月1日に決まっている、酒フィルのファミリーコンサートの練習も始めていますが、ちょっと難曲があります。プロコフィエフの『ピーターと狼』です。まだ自分が吹くと決まった訳ではないので、試し練習という感じですが、「小鳥」になって激しくさえずるのはなかなか大変です。

秋もそろそろ終わりそう。庄内の荒れる冬がやってきました。
そして毎日、いろいろやることがあります。
ーーー

今日のおまけ。
地元の名料理店の一つ『欅』の総料理長太田さんの企画である「総料理長 太田政宏の夕べ」に行ってきました。11/20(木)はちょうどボジョレー・ヌーボーの解禁日(11月の第3木曜日)でしたので、それも今回の目的の一つ。
ボージョレーは、バブル期とそのちょっと前でしたか、猫もしゃくしもボージョレー・ヌーボーみたいなおかしな時期がありました。本来は、今年のブドウの出来を確かめ将来いいワインになるかどうかを楽しみに見極めるために飲んでいた「ヌーボー」、つまりまだワインとは呼べない新酒。それを極端にありがたがった時代がありました。
Photo本格的な赤ワインと違って、コクや渋みなどはまったくなく、あっさり爽やかで香りが豊かです。アルコールを含む赤ブドウジュースです。

Photo_2Photo_3お料理は、「食の都庄内」親善大使の太田シェフの造り出す創意溢れる素晴らしい物でした。特に、庄内の在来野菜であるカブが3種類(それぞれ田川、温海、藤沢の地物野菜)、それぞれ前菜、ファグラのソテー、和牛頬肉の煮込みに使われていました。
Photo_4Photo_5前菜のワラサの刺身、主菜の一つであるフォアグラも、オマール海老も和牛頬肉ももちろん美味しいのですが、庄内の地物野菜の凄さにちょっと喰われてしまった感もありました。それぐらい素晴らしい野菜達でした。
Photo_6Photo_7写真は左上から順に、「ワラサの前菜」。そこに添えられた野菜は藤島町の在来野菜のカブ。右は「びっくりクラムチャウダー」。
真ん中左はフォアグラのマデラソースですが、下に温海カブがひいてあります。これがかすかな甘みに渋みと苦み、そしてわずかな辛みがあって絶品です。右はオマール海老のバニラソース。
下の左は和牛のほほ肉の煮込み。ここにも在来野菜が添えられていますが、鶴岡の藤沢地区(藤沢周平がそのペンネームの由来にした)の在来野菜藤沢カブがまた素晴らしい味を添えてくれ、メインのほほ肉を喰うくらいの味でした。ネギのように見えるのは洋野菜のポアロ葱。これも庄内産だそうです。
最後のデザートがまた絶品でした。
庄内柿を樹上脱渋した「柿しぐれのタタン風」に「ラ・フランスのシャーベット洋梨のコンポート添え」でした。柿のわずかな渋みを残した甘さとタタン風のタルトのパイは脳天に響きました。
(また、グルメをしてしまいました、、、でも美味しかった〜!)


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2008.11.19

よじどら

「四時のドラマ」のことらしい。
今、平日のほぼ毎日、午後4時から、以前やったドラマが再放送されている。
もう少しで封切り予定の映画『私は貝になりたい』の宣伝をかねているのか、SMAPの中居正広氏主演のドラマが続いている。

先週までは、渡辺淳一原作「無影灯」をドラマ化した『白い影』が放映されていた。何年前であったか、このドラマに私は結構はまってしまった。看護師役の竹内結子が健気で愛らしかった。まだナースを「看護婦さん」と呼び、看護婦さんらしいナースキャップを頭に着けている時代である。
そして、今週から(先週末から?)は松本清張原作のテレビドラマ版『砂の器』が始まっている。主演は同じく中居正広氏。
『白い影』の死期の迫る暗い影を持つ外科医、『砂の器』の悲惨な過去を消そうと殺人を犯した俊英ピアニストの演技が似ているのはご愛嬌?。中居君の演技は、でも、なかなかのものである。観ていて引き込まれるし、どちらもクールでニヒルでしかし心の底には優しさを秘めている男を演じていてなかなかカッコいい。
日中は仕事なので通常はテレビなど観れないのだが、たまたま患者さんの来ない時間にテレビをつけたらやっていたのでそれから録画を始めたこの「よじドラ」。
今日、初めて『砂の器』の第1回を観た。
何年か前に夜の枠で放送していた時も大変興味を持っていたが、毎回は観ていなかったようである。
第1回の一番最初、ピアニスト和賀英良が横浜のみなとみらいホールでピアノ協奏曲を弾いているシーンから始まるのだが、それがなんとなんとチャイコフスキーのPコン1番だった!
みなとみらいの夜の風景の空撮からホールに近づいてくるシーンで、あのPコンの第3楽章のフィナーレ直前から入ってくる。ほんの数日前に自分が演奏したばかりなので楽譜のどこの部分なのか直ぐにわかる。おそらくこのテレビドラマ『砂の器』の第1回は観ていなかったのだろう。

とても興味があったのに、全話をしっかり観ていなかったというドラマは結構ある。
2年前、話題になったアニメが原作の『のだめカンタービレ』もそうだ。H18年の秋は、11月下旬に山形市で開催した全国学会の主催者側の事務局として非常に多忙にしていたので、午後10時前に自宅に帰る事は少なかった。帰ってみたらすでに始まっていて「あ、そうか、今日は『のだめ』の日だった」という感じだったな〜。
その『のだめ』も別の番組で再放送されている。午後2時〜4時にかけて2話ずつまとめて再放送されているのだが、これは何か目的があるのだろうか。録画したものを観ていて、「あれ〜?こんなシーンあったっけ?」というところは結構ある。
先日、テレビでも放映された映画『スィングガールズ』でジャズをやる女子高生を熱演した上野樹里が「のだめ」役だし、映画の中で山形県の山河高校の野球部員だった福士誠治はオーボエの「クロキン」だ。もう一つ違う番組だがNHKの大河ドラマ『篤姫』に出てくる坂本竜馬を演じる玉木宏は『のだめ』の中では主人公の一人千秋真一、小松帯刀を演じる瑛太はバイオリンの峰龍太郎である。

最近、「旬」な若手俳優はいろいろなところで目立っていると言う事だろう。
あ!若手ではないが『スィング・ガールズ』でサックスを吹けないジャズお宅の数学教師役を演じる竹中直人は『のだめ』の中では千秋真一の師となるミルヒ・ホルスタイン、いやもとい、フランツ・シュトレーゼマンであった。

今日も「テレビッ子」の私は『砂の器』第4話が楽しみである。
(『砂の器』の公式HPはこちらです)

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2008.11.17

酒田フィルハーモニー管弦楽団第36回定期演奏会

よくある、「〜演奏会を聴く」ではなく、私の場合は「〜に出た」です。
昨日は、朝からGP。
Photo_29時半過ぎには市民会館へ。練習は10時丁度に始まり、最後の調整や修正があって、アンコールまで練習して終わったのは12時10分くらい。(写真は、舞台上手袖に置いてあるフルコンに写った、GP開始前のステージを撮ってみたもの)

開場が13:15、ロビーコンサートが13:40~、開演が14:00なのでほとんど余裕がありませんでした。
用意されたお弁当を食べ、ちょっと休んでいたらあっという間に13時を回ったので、タキシードに着替えます。それから、心配なチャイコフスキーのピアノ協奏曲の苦手な部分を何度もさらいます。最後の「アガキ」です。朝のGPでは、結構ぼろぼろで、昼食時には「タビの親父さん」始め何人から、「厄落とししたから本番大丈夫でしょう!」「練習のうち間違っている方がいいんだよ」などと慰められる始末。情けない!

Photo_4チェロ五重奏のロビーコンサート(ダビッド・フンクの曲と映画『おくりびと』の主題歌をチェロ5本に編曲して演奏)も聴きたかったのですが、余裕を失っていたので13:55まで控え室で練習していました。
チェロはトップのY氏から女性3名ともう一人オペラ「ラ・ボエーム」の時の団内指揮者でもある「タビの親父」さんの5人。演奏曲目と今回の定期のポスターをいれて家内が撮ってくれた写真です。

14時、いよいよ開演です。
Photo1曲目は、グリンカの『ルスランとリュドミラ』序曲。
練習よりはやや遅いくらいでしたが、それでもVn.からは火を噴くのではないかと思うような超速いパッセージです。なんとか落ち着いて演奏できました。
結構、序曲としてイイ演奏だったのではないかと思います。

P2曲目、いよいよチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番。
石井理恵さんは、濃いめのピンクの美しいドレス。
出だしの大切なホルンがちょっとだけ崩壊するトラブルがありましたが(残念!)、ピアノも和音のffからはオケも落ち着きをやや取り戻します。
石井さんのヴィルトゥオーソな演奏が、きらきらと、力強く、繊細に、迫力満点に、時に物悲しく、優しく、雄々しく、響き渡ります。「希望ホール」の残響1.9秒という環境に、シュタインウェイのまだ若いグランドピアノを鳴らし切った石井さんのテクニックが冴え渡ります。演奏するのを忘れて聞き惚れる名演です。観客として聴いていられればどんなに楽な事でしょう。
1楽章にも、フルートのソリスティックな部分が2カ所程ありますが、小さなトラブルはあったもののなんとか乗り切りました。

P_2いよいよ2楽章です。
冒頭に、弦のピチカート4小節に導かれて、フルートの全くのソロ(ピチカート以外は他の楽器はまったくなし)が8小節あります。いわゆる「おいしい」ソロなんですが、演奏している団員とか観客あわせて800名の人がいる静まり返ったホールに自分のフルートの音が響くと言うのは、喜びよりも大きなプレッシャーです。つい、唇が少し震えてしまいます。息のスピードが落ちるとピッチが下がります。
なんとかこれを乗り越え、2楽章がおわり、すぐに高速スピードの3楽章に入ります。
最も不得手とする中間部始めの部分で16分音符12個のスケールと第3レジスターの超高速パッセージを、まずまず、ちょっとよろけながらも自己採点65点くらいで乗り越えられました。
そしてフィナーレに向かいます。
最後は、石井さんのド迫力のカデンツァを迎え、オケが咆哮して華々しく終わります。
ブラボーの声はかかりませんでしたが、凄い拍手でした。

2回のカーテンコールを終えアンコール。
椅子に座り終わらないうちに弾き始めるという演出に、ジャズのような超絶技巧の曲がすごく楽しい。
短いですが華々しいアンコール曲で、聴衆と団員の心をつかんで素敵な演奏でした。

アンコールの曲目は、ロシア(ウクライナ)出身のジャズピアニストで作曲家のニコライ・カプースチンの「8つの演奏会用練習曲から第8番フィナーレ」。初めて聴いたのですが、まさにジャズでした!
あんなに凄い迫力のチャイコを弾き切った後に、まだまだあんな超絶技巧の曲を弾けるパワーと心が残っているなんて、あらためて石井理恵さんの実力の凄さを思い知りました。

15分の休憩時間、私は何をしていたのかよく覚えていません。ほとんど『明日のジョー』みたいに「白い灰」になっていました。

メインのシベリウス作曲交響曲第2番。
静謐な北欧の林と美しい湖、そこに渡る冷たい風、夜空、朝焼け、冬を抜けて春へ、、、というイメージを抱かせる名曲です。アマオケにはなかなか厳しいところがたくさんあります。
指揮の井崎正浩さんは、おそらく注文をつけたいところがた〜〜くさんあったと思いますが、限られた時間と限られた(?)演奏能力の中で今回の演奏会を成功させるためにどうしても必要な所を追求して、酒フィルなりの「シベ2」4楽章をまとめてくださいました。我々の演奏の至らない点は大いに反省するものですが、現在持っている力は遺憾なく発揮でき、アマオケとしてはそこそこにいい演奏が出来たのではないでしょうか。トラで来ていた方からも「名演と呼べるのでは?」という感想を頂いたりしました。
井崎先生の指揮を観客席から観ていた家内は、その後ろ姿が実際よりも凄く大きく見えた、両手を真横にバ〜ンと広げたところがかっこ良くて、その姿のせいか、オケの音が「バ〜ン」と広がって聴こえたという感想。知人も井崎さんの指揮が柔らかくて凄く素敵だったとメールをくれました。
Photo_3私は、演奏が始まる前には「白い灰」から生き返る事が出来、シベリウスには2番フルートとして全力を尽くしました。
写真は「シベ2」終了後、指揮の井崎さんに花束が渡されたところ。多くの団員に笑顔が見られます。
演奏し切った!という満足感だけではなく、いい演奏が出来た、井崎さんと仲間達と一つの作品を作り上げた!という充実感に満ちた笑顔だと思います。

アンコールは、井崎さんの提案でシベリウスの『悲しいワルツ』。
これも美しく、最後は第1、第2Vnのトッププルトの4名で四重奏をして終わり。

こうして演奏会は成功裏に終わりました。
17:30からの打ち上げ懇親会に出席し、途中から酒が回って気分が悪くなりました。プロジェクトチームとしてまたPコンのフルートトップとしてかかっていたプレッシャーのせいか、ダウン寸前になってしまいしばらく休んでいました。
二次会からまた参加しましたが、目の前で焼かれる美味しそうな焼き肉もまったく食べられず、グラスに注いでもらったビールも口をつける気になりませんでした。
遅くに開けてもらった「山茶花」に最後は10数名で流れ込み、マスターにコーヒーをいれてもらって漸く酔いも少し抜け、体調不良もやや回復しましたが、軽い吐き気は続いていました。

一夜明けて、まだ昨日の疲れが残っていて体がだるいのですが、総合して自己採点80点くらいですが、まあまあ満足の出来る演奏が出来たのではないかな〜と密かな充実感を感じ始めているところです。
井崎先生とは、また来年も定期演奏会(10/25)を振って頂く事が決定しており、さらに来年は日本とハンガリーの友好関係140周年、戦後の国交回復50周年を記念したハンガリーイヤーにあたり、ソルノク交響楽団の音楽監督である井崎さんはソルノク響および合唱団の合計170名とともに来年11月に日本公演を行う事になっている。
あのユーモアのセンスと「忍耐力!」に満ちた笑顔、そして的確な指導力。また一緒に演奏できる機会があると思うと大変楽しみである。

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2008.11.14

二階大臣の発言撤回について

失言する大臣が相次いでいます。
人間だから、失敗、失言はあり得る事なので、まあその辺は大目に見るとして、今回の二階経産相の失言には見過ごせない部分があるのでコメントしたいと思いました。(どうしても長文になってしまいます)(^^;;;

まず、二階大臣の発言とそれを撤回する内容をニュースソースから次にピックアップします。

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東京都内で脳内出血の妊婦が相次いで救急搬送を拒否された問題で、二階俊博経済産業相が「医者のモラルの問題」と発言したことから、医師などの団体から抗議が相次いだ。二階経産相は13日、謝罪した上で発言を撤回した。

 発言は10日、二階経産相が舛添要一厚生労働相とともに、病院の情報伝達システム開発を両省で強力して行うことを表明した際に飛び出した。

 二階経産相は搬送拒否の問題に触れ、「医者のモラルの問題だ。相当の決意を持ってなったのだろうから、忙しいだの、人が足りないだのということは言い訳に過ぎない」と、発言した。

 これに対し、全国医師連盟が「産科救急の問題は、基本的に人員や施設の不足に起因」とした上で、「発言でモチベーションが下がり、さらに離職する産科医が増える」と抗議声明を発表。他にも2つの市民団体から抗議の声が挙がった。

 13日の参院厚労委員会でも足立信也議員(民主)が発言の真意を質問したところ、二階経産相は「発言が医療に携わるみなさまに誤解を与えたことをおわび申し上げ、発言を撤回する」という回答を寄せた。
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実際にどういう発言をしたかというと、
「政治の立場で申し上げるなら、何よりも医者のモラルの問題だと思いますよ。相当の決意を持って(医者に)なったのだろうから、忙しいだの、人が足りないだのというのは言い訳にすぎない」
と言ったらしい。
これを昨日聞いた私も憤慨しましたが、「また馬鹿な大臣が無責任なことを言ったのか、、、」と考えて無視しようと思っていました。しかし、再度ニュースを読み直して、これは一言ブログに書いておかないと、と思い直したものです。

確かに、医療職に携わる者の中には、怠惰な人もいるかもしれませんし、緊急患者を「忙しい」などの理由で断ることもあるかもしれません。でもそういう状況はどんな職業にでもある訳で、大方の医師は緊急の現場で精一杯働いています。

こんな事を書くと、誤解を招いたり、怒りを覚える方もいらっしゃるかもしれませんが敢えて書かせて頂きます。
医師になる人間は、その資質として決して「頭がいい」とか「勉強ができる」という事は最優先のものではない事は確かです。でもある程度以上の、学習能力、学び続ける事への努力を厭わない者であることは大切です。医療情報、技術は日進月歩で進んで行きます。
医師という仕事は、社会的地位や立場とか収入という面からみた場合、比較的安定して高い(実際に年収がそれほど多くないとしても)ものであるからか、理系の大学受験では常に最難関コースです。勉強ができるから医学部を、という考え方はおかしいと思いますが、医学部を目指す高校生など受験生が高い学力を備えていることはある程度必然のものです。
私が医学部を目指していた昭和50年代、医学部受験はすべての受験の領域で常に最難関でした。希望する東北大学に、地元仙台の予備校でトップクラスの成績を収めながらも失敗して、山形大学に入学したのですが、その当時、山形大学医学部の偏差値は東大の理科一類、二類よりも上でした。つまり理系の大学の中で、山形大学の医学部より難関なのは他大学の医学部しかありませんでした。
英語と日本史が得意で数学と物理が苦手だった「純粋文系」的な私は、医学部に進んで医師になる事しか考えていませんでしたが、物は試しと私立文系コースの全国統一模擬試験を受けてみたことがありました。上智大の英語学科や慶応大学英文科は「合格確実」でした。東大文一ぐらいなら受けたら合格できたかもしれません(あくまで仮定で妄想です)。

日本の政治や経済を動かしているのは、未だに東大文一を中心とする官僚養成コース出身者です。その政治家や官僚が上手くシステムを作れずに問題の起きている、「医療崩壊」「救急医療問題」を政治家から「医師のモラルの問題」と非難されるのは屈辱的ですらあると感じるのです。

かなり前ですが、お隣韓国では全国の医師が「ストライキ」をしたことがあります。といっても、医師としての責任はあるので、救急医療と緊急手術だけは通常通りに行い、その他は「スト」ということを数日間やったことがあったそうです。
日本でもかなり前から「医者がストライキでもしないと、医師の重要性は本当に理解してもらえないのではないか?」という議論があります。しかし、真面目な日本の医師はそういう声が上がるたびに、「現場には困った患者さんがいるのだから医師がストライキなどしてはいけない」と抑えて来たのだと思います。そのあげく、医師には「労働基準法」など適用されないような厳しい労働環境が「常識」となり、それは医師として当たり前の事、医師としての仕事として耐えて来たという状況が続いている訳です。

専攻する診療科、勤務する病院の規模や設備などによっても違いはありますが、たとえば私が市中病院や大学病院に脳外科医として勤務していた時の事を考えるとこうです。
一日の労働時間は、通常短くて10時間、長い場合は17,8時間。これは当直とか救急の出番ではなく、ただ一日中、ICU、病棟、外来、急患そして手術をしていた場合の事です。これに家に帰った後の夜中の電話連絡、食事をしていても風呂に入っていても患者急変や救急患者での呼び出しがあります。土曜も日曜も入院患者さんを診察しに病院に出かけます。大学で准教授をしていた時も日曜でも働いていました。
「そういう仕事」だからです。

一般人の一日の通常の勤務時間が8時間だとするならば、上記私の勤務状況では「時間外労働」は毎日最低で2時間、多ければ10時間(1日ですよ!)、それに加えて緊急呼び出しや土日の出勤があるので、1週間の「時間外労働」は軽く30時間を超えて、一月に「時間外労働」だけで150時間を超える事も珍しくありませんでした。そして、この時間外労働に対する対価は大学の教官の時はほぼ「0」。市中病院勤務医の時で、自治体の予算などによってカットされるため多くても30~40万円でした。月額の給料を時間で割ると、「まるでコンビニ店員の時給並み」と自嘲していたものです。
こういう状況で仕事をしている専門職(医師は特殊技能を持つプロです)に「モラルの問題」という言葉を投げかけるのは、無知というだけではすまないと思います。

文系受験を目指せば東大や早慶など日本のトップクラスの大学に入学出来る頭脳を持っていたはずの高校生が医師になりたいために医学部に進んだ、その将来が中央大学出身の一代議士けん国務大臣から「医師のモラル」と非難される始末。
これでは全国の医師が憤慨するのも当たり前です。
一言で言えば、「おい、馬鹿にするのもいい加減にしろ!」です。
太平洋戦争時代の「精神論」と変わりがない発言です。つまり『欲しがりません、勝つまでは』と大差ない考え方です。
戦争そのものが間違っていますが、太平洋戦争の敗北は精神力の問題ではなく資源と兵站線の大きな差が戦争の勝敗に結びついたのです。
救急医療の領域で大事な事は、きちんとしたシステムの構築、救急の現場で働く医師や看護師を補給する兵站線の整備です。これまで長い間、耐える医師の精神力で乗り越えて来た問題が崩壊し始めた事にようやく世間が気づき始めたのです。
大野病院事件や今回の大臣失言などが、我慢の限界に来ている現場の医師の撤退(勤務医辞職と個人開業、立ち去り型サボタージュ)を後押ししていることを政治家や官僚はまだ本当に気づいてはいないのではないかと思います。
一度、全国の勤務医師がストライキしたほうがいいのではないかと考えてしまいます。

長々と書きましたが、これは単なる「愚痴」ではないと思っています。

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2008.11.13

今更スコアの勉強

しつこく告知します。
酒田フィル第36回定期演奏会は、明々後日です。
11/16(日)、13:15開場、14:00開演です。最初にロビーコンサートも予定されています。

指揮には、昨年のJAO酒田大会でフェスティバルAオケのバルトークの「オケコン」を指導指揮頂いた井崎正浩さん。H18年1月に、酒田フィルがハンガリーのソルノク市を訪問してベートーベンの「運命」やショパンのピアノ協奏曲1番を演奏した時に、初めて指導指揮をして頂いたご縁で今回(そして今のところは来年の定期演奏会も)指揮して頂くことになりました。
昨年のJAOで、会場(3階)で聴いていたら、演奏を終えたAオケのパーカッションの人たちが後ろで話していました。
「井崎さんの棒、わかりやすいよね。ナイス、棒!」
その表現に思わず吹き出しそうになりましたが、本当に丁寧で分かりやすい棒を振ってくださいます。
練習の時でも、イメージを伝える言葉が的確。我々のレベルが低いのは承知の上で引き受けてくださっている訳ですが、ぐっと我慢してにこやかに、時にビシッと指示をして頂けると、その直後からオケの音が変わるから本当に指揮者って言うのは面白い仕事だなぁと思います。
もう一度生まれ変われるなら指揮者になりたいかも、、、(笑)

今回のメインは「シベ2」の愛称で親しまれる、シベリウスの交響曲第2番です。ベートーベンやチャイコフスキー程は一般には有名ではないかもしれませんが、オケをやっている人間にとっては一度は演奏したい曲です。酒フィルでは確か3回目のだと思いますが、私は初めてです。
聴いていると北欧フィンランドの森林や草原や澄み切った夜空が目の前に現れてくるような曲です。そのような演奏をしたいと思います。

もう一つの目玉は、山形市出身の新進気鋭のピアニスト(まだ20代!)、石井理恵さんをお迎えして、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番。この曲は、チャイコフスキー国際コンクールピアノ部門の優勝者が演奏するので、最近では日本人で初めてピアノ部門で優勝した上原彩子さんの演奏が思い起こされます。H16年7月に現庄内町(当時余目町)の「響ホール」でピアノリサイタルを開いた上原彩子さんを私の車で送り迎えしたことがなつかしい(その時の上原さんとのツーショット写真は「こちら」です)。
元々ピアノを長く習っていた私にとって、ピアノ協奏曲は憧れです。モーツァルトもいいし、ベートーベンは3番が大好き、もちろん5番(皇帝)もいいし、あ!4番もいいよね、グリーグもかっこいいし、シューマンも素敵だ、もちろんショパンは美しい。。。。。
自分が演奏できなくても間近に聴けるチャンスがあれば興奮します。それが今回は、チャイコのPコンを自分も演奏するのですから大変興奮するとともに緊張します。最近は仕事を終えて毎日追い込みの練習をしていますが、昨日などは途中でバッハを吹いたり、ピアノを弾いたりしていて、気がついたら夜の10時を回っていました。もちろん夕食をとらずず〜っと練習していたのです。
今日は、「今更?」という感じですが音源(上原彩子さんの弾くチャイコのPコン)を聴きながら、スコアを見てフルートと他の楽器、ピアノとの関係を再確認したりしています。

明日金曜は井崎先生が酒田入りされ、夜にシベ2の仕上げの練習。
明後日は石井さんが酒田入りし、午後から夜までかけてプログラム全曲の練習。
明々後日の本番は、朝から通し稽古(GP)を経て、午後はいよいよ本番です。
おそらく明日から日曜まではブログはちょっとお休みになると思います。練習と、飲み会と、打ち上げでパソコンに向かっている暇はないと思います。

ーーー
今日のオマケ
Photo_2今朝、出かけようとしたら、「クヮ〜、コォ〜」と鳴き声が頭上で聞こえました。見上げると白鳥が、編隊という程ではないけれど飛んでいました。慌てて写真を撮ったら、頭上の電線が邪魔になってしまって。。。
あれ?
よく見ると、五線紙に並んだ音符のようではありませんか?
電線が3本だったのが残念な位。あとの2本が離れていなければ、ちょうど5本だったのに。
白鳥は、順に和音を構成しているのでしょうか。(笑)

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2008.11.12

「白さんズ」

本来、家内のブログ記事の材料になる、うち「にも」お邪魔しに来てくれる白い猫二匹。愛情を込めて「小さい白さん」と「大きい白さん」、二人合わせて「白さんズ」と呼んでいます。

私は子供の頃から大の動物好き。犬や猫以外、何でも近づいてナデナデしたりしていました。
でも生き物はいつかは死ぬ運命にあるので、なかなか自分で動物を飼う気になれません。
一番最初の「死」のショックは、博多時代、小学校4年生の頃でしたか。転勤して行く同じ団地に住む友人が買っていた真っ白な手乗り文鳥。その名も「ミッチ」。
貰い受けた私にもすぐになついてくれて、団地の4階まで階段を上がる私の足音を聞いただけで、帰りを喜んで騒がしくなっていたというミッチ。私がいるときは篭から出して狭い団地の部屋の中でフリーにしてあげる事もよくありました。
私の肩にとまって、そちらに顔を向けると(綺麗な話ではありませんが)私のつばを口からチュッチュチュッチュとなめていたミッチ。

ある朝、篭の中の巣から落ちて死んでいました。
私はショックで、悲しくて、悲しくて、、、
『ミッチの死』という作文を書いた事を覚えています。どんな内容だったかは忘れました。
博多の小学校にある動物小屋でチャボとうさぎを飼っていましたが、私は飼育係になっていて夏休みの間もほとんど休まず学校に行って餌をあげたり世話をしていました。でも自分で動物を飼う気には、「ミッチの死」以降なかなかなれませんでした。
その後、医師になり、たくさんの「死」を見つめて来ました。昭和59年、卒業して医師になってまもなく受け持った患者さんの死は今でもはっきり覚えています。悪性脳腫瘍の子供でした。彼は、まだ「ヒヨコ」以下の私の事を「先生」とは呼ばず、「おにいちゃん、おにいちゃん」と呼んでくれていました。一生懸命助けたいと思いました。最後は私も彼の心臓マッサージをしました。でも助けてあげられませんでした。
その後、一体、何人の患者さんの死に立ち会い、何枚の「死亡診断書」を書いて来たのでしょう。
受け持ちの患者さんがあまり亡くならないですむような診療科もあります。一年に一枚の死亡診断書も書かなくてすむような診療科もあります。脳外科は、脳卒中、脳腫瘍、重症交通外傷など死と直面している患者さんが多い科なので、数えた事はありませんがこれまで(H19年初頭まで)200枚は書いて来たんじゃないかと思います。
「死」というものは、「おくりびと」の儀式のように厳かなものではありますが、そこには喪失と敗北があるだけで喜びはありません。ですから、動物を自分で飼うということにはためらいがあります。

でも今でも動物が好きな事には変わりありません。犬と猫なら犬派なんですが、最近は猫好きが回りに多い事もあり猫愛にも目覚めて来たようです。
今の借家に引っ越して来て1年半近く経ちましたが、「白さんズ」がしょっちゅう来るようになったのは最近の事。他の猫達とともに、たま〜に見かけたり、夜、近所を徘徊する姿を突然目にしたりという関係だったのですが、家内の愛情(餌?)のおかげで最近は毎日うちにやって来ます。

今朝、出かけようと玄関を出て庭の方を見た瞬間、私は大声を上げて笑ってしまいました。すぐに家に戻り家内に外を見るように告げました。
それは、、、

Photoまるで「双子」のように、隣の家の倉庫の白いトタンの壁の脇に並ぶ「白さんズ」。朝陽を浴びて、壁に反射して、暖かいのだと思いますが、白が白に同化しています。
影がとってもおもしろい!
そして二匹とも眩しそうに目を細めて私の方をジロリ。
(だんな、これからお出かけですかい?まあアンジョウやっておくれやす)
とでも言ったのでしょうか。。。

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2008.11.11

今日の鳥海。あれ?

毎日寒いですね。
今朝は晴れていて特に風の冷たさを感じました。

雲一つかからない美しい鳥海山が眺められました。
1111あれ?
え?!
昨日と様子が違います。
昨日の鳥海山はこんな感じでしたよね。「昨日のブログ記事」参照。

いくら雲がかかっていたとはいえ、確かに6合目くらいまでは真っ白になっていました。ところが今日の鳥海山は8合目くらいまでが少し白い程度。たった一日でこんなに変わるのでしょうか?昨日の日中がそんなにいい天気だったとも思わないのですが。。。
変わりやすい山の天気。雪と霜で白く見えたのが日中の気温上昇と太陽の光で溶けたのでしょうか。
不思議に思いながら眺めていたら、最上川から遊佐方面に編隊飛行をして飛んで行く白鳥の群れ。
あ!
と思いましたが、写真を撮るのは間に合わず。美しい鳥海山の方向に向かって、真っ白な白鳥が20羽ぐらい、V字編隊飛行をして飛んで行きました。美しい光景でした。

白鳥の写真が取れなかった代わりと言えば怒られるかもしれませんが(誰に)。
Photo昨年の晩秋から全く手入れをしておらず、「ジャングル」と化していたうち(借家)の庭も数週間前に綺麗にしてもらいました。
家内のブログにたびたび登場する、「白さんズ」。
私のブログには、ず〜っと以前に隣のうちの倉庫の横で日向ボッコをしている姿を捉えた写真がありますが、2匹登場は初めてです。2匹ですよ!
すぐに分かるでしょうけれど。(^^
最近は私の車のエンジン音にも反応して、どこからか「とっとっとっとっ」と現れます。どこかの家の飼い猫ではないようですが、2匹とも(親子?)この辺りを縄張りにしているようです。いろいろなお家で適宜エサを頂いて気ままに暮らしているようですが、これから冬の間はどこで暮らすのかな〜とちょっと心配になります。
私、猫派ではなかったんですけどね。

ーーー
今日のオマケ。
今日は一日いいお天気でした。
夕方、夕日を浴びた鳥海山も久しぶりに拝めました。
1111_2朝の鳥海とはまた違った趣です。
編隊ではなく、1羽2羽と今度は最上川方向に戻ってくる白鳥もチラホラ見えました。
これから冬にかけて、その美しさが際立つ、鳥海山です。

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2008.11.10

そろそろタイヤ交換?

11/7の立冬を過ぎて、朝晩かなり冷え込むようになりました。
皆さんもカゼなど引かないようお気をつけ下さい。インフルエンザも今年は例年と違う株が予測されており、特にお年を召した方は予防接種をされた方がいいようです。
今までインフルエンザの予防接種など一度もしたことのない私ですが、今年は接種しておこうと思っているところです。

1110今朝、太陽を浴びて美しく光った鳥海は一瞬で、雲をちょっと被ってしまいました。
このところの寒さで、積雪も5〜6合目近くまで降りて来ているようです。

ほんの少し前、10/31の鳥海の雪はこんなものでした。
1031ああ、ようやく冬が近づいて来たな〜と思わされる冠雪でした。
最上川に白鳥も集まり始めていました。

10月の頭はこんな感じでした。
1001まだまだ冬は先の話。紅葉?まだまだでしょ、という頃でした。
9月末に初冠雪したものの、頂上付近を残してすぐにお天気で溶けてしまっていました。

そのちょうど1ヶ月前、9/10頃のはこうでした。
080910それから2ヶ月ちょっとであっという間に、冒頭の写真のようです。

例年スタッドレスタイヤには11月末から12月頭に換えていますが、11/22,23と2日連続で月山越えをする前に履き替えるべきか、悩むところです(スタッドレスタイヤは、柔らかいので摩耗が激しいのと燃費が悪くなります、さらに高速での走行安定性がやや低下し音もうるさくなります)。

さあ、あと6日で酒田フィル定期演奏会本番です!

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2008.11.09

太田光子リコーダーの世界(金浄寺ルネッサンス本堂コンサート)

9/23に『脳からみた心のいやし方』という講演をさせて頂いた、鶴岡市のお寺さん、金浄寺さんで今日11/9(日)本堂コンサートがありました。
このお寺さんでは、いろいろ社会性の高い問題を取り上げた講演会もありますが、年に数回本堂でのコンサートを以前からなさっています。今回が、72回目の催しになります(小生の講演が第71回でした)「金浄寺ルネッサンス」。

Photo今日のコンサートは、家内が楽しみにしていたリコーダーとチェンバロ。
最近、天気の悪い日が多くなり、今日も結構寒い(午後には気温10℃以下となりました)。先日講演した本堂の中に、チェンバロが運び込まれ本尊様を左手に見るようにソファが、ソファの間にいくつか石油ストーブが並べられていました。

Photo_2コンサートに先立ち、開会の合図は住職さんの鐘と木魚です。9月の講演のときはご本尊様に背を向けるように立ってお話をさせて頂き、初めてだったのと緊張でご本堂をよく見ていなかったのですが、今回は冷静に拝観させて頂きました。

Photo_3曲の合間に、リコーダー奏者太田光子さんがリコーダーについて説明。特にバロックリコーダーとそれより前の時代のルネッサンス期のリコーダーの構造と音の違いなどが興味深いものでした。
演奏でもその2種類を時代や曲に応じて使い分けておられました。

チェンバロの福間彩さんもチェンバロという楽器の構造や成り立ちについてお話になりました。チェンバロを初めて観る方も多く、興味深そうに話を聞いていました。

演奏は、素晴らしかった!
リコーダーの素朴で柔らかい美しい音色。けっしで響きの良くない、どちらかと言えばデッドな環境の本堂(畳、障子、木の柱、天井が高い以外は典型的日本家屋の造り)ですが、明るく、爽やかに、時に静かに、陰影を持った音色で魅了されました。テクニックが素晴らしい事は当然なのですが、演奏している太田さんが楽しそうで、1曲終わるととても素敵な笑顔をされる事にも感激しました。
チェンバロは、ジャーマンタイプだからということもあるかもしれませんが、あまり綺羅びやかな音の楽器ではないようですが、通奏低音(左手の低音にコードの番号が振ってあるだけ)の楽譜から様々な即興(ジャズで言うところのインプロビゼーションでしょうか)が生まれて来ます。福間さんのチェンバロは、リコーダーがメインなので控えめな演奏で、派手さはないけれど、確実な伴奏、それにしなやかな即興、聴いていて心躍るような装飾音など素晴らしいものだったと思います。

Photo_4今日のプログラムはこちら。
前半の、レイエ、エイク、パンドルフィなどは作曲者の名前すら聞いたことがありません。
作曲者不明にディヴィジョンフルートより、「オールド・サイモン・ザ・キング」はとっても軽快で、徐々にテンポがアッチェランドするもので、思わず踊り出したくなるような演奏でした。
後半2曲目のバッハだけがチェンバロ独奏で、これは結構バッハの若い頃の作品の様で、普段聞き慣れる大バッハの作品とはちょっと違う感じを受けましたが、物語性があってとても面白かった。

フルートはリコーダー(=ブロックフレーテ)の仲間のような楽器ですが、発音機構が違うためまったく違う楽器のような扱いになります。フルートが吹けてもリコーダーは吹けません(もちろん音は出せますが、指使いやその他いろいろな違いがあります)。
うちにも、ソプラニーノからアルトまで5,6本リコーダーがあったはずなので吹いてみたい気分になりました(でも、今は、来週の定期演奏会で一杯一杯ですけど、、、)

いいコンサートでした。
金浄寺さんに感謝です。
演奏された太田さん、福間さん、そしてこのコンサート企画運営に関わられた新潟のN先生、鶴岡のT先生など古楽を愛するドクター達にも感謝です。

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今日のオマケ(は後ほどアップします)
まず写真だけ
Photo_5Photo_6Photo_7
今日のお昼は鶴岡市のお蕎麦屋さんにしました。
前から気になっていたのですが、今日初めて訪れました。
写真の左から、「十割蕎麦の更級と田舎蕎麦の合い盛り(大盛りのみ)太打ち」、「十割蕎麦 更級細打ちの五穀地鶏蕎麦」、「お店自慢の豆腐(豆富)」。
お店のメニューによると、小麦粉などツナギは全く使わず、毎日引立ての蕎麦粉を取り寄せて打っているそうです。私の今までの蕎麦経験からすると、「ツナギなしの十割蕎麦」はどんな蕎麦名人が打ったとしても時間が経つと蕎麦がぼつぼつと千切れて来るのですが、ここのお蕎麦は最後までほとんど切れずに手繰る事ができました。ちょっと不思議に思いました。
味は、汁も、地鶏も、豆腐も、揚げ豆腐も美味しかった。
内陸の田舎風蕎麦(固めで太い腰の強い蕎麦)に慣れ親しんだ口には、ちょっと違和感があるという事を否定は出来ませんが、綺麗な蕎麦でした。

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2008.11.08

今日はクラシック、明日はバロック

来週の日曜日、11/16は酒田フィルの第36回定期演奏会です。

ここで何回か告知して来ましたが、、、
08あと8日になってしまいました。
今日は、レギュラーな練習日としては定期演奏会前最後の練習になります。
来週は、指揮者とソリストが集合して、金曜の夜、土曜の午後〜夜、そして本番日曜の午前中と最後の追い込みの練習とリハになります。
まだまだチケットたくさんありま〜〜す!(^^)

酒田周辺の方、どうぞ11/16、13:15開場です。
映画『おくりびと』にちなんだロビー・コンサートもあります。
(同じ日に山形市内で山響さんが「スクリーンミュージックコンサート」という魅力的なプログラム。私も演奏会がなければ聴きに行きたいところですが、、、)

さて、明日は、9月に講演をさせて頂いた鶴岡のお寺、金浄寺さんでバロックのコンサートがあります。リコーダーとチェンバロによるコンサートです。

第72回 金浄寺 本堂コンサート
太田光子 リコーダーの世界
出演 太田光子、福間彩(チェンバロ)
場所 山形県鶴岡市 金浄寺本堂
開演 14時
入場料 無料
お問い合わせ 金浄寺 

リコーダー奏者 太田光子さんのHPからも演奏会情報が見れます。
「こちら」です。

チェンバロ奏者 福間 彩さんのHPにも載っています。
「こちら」です。
開演時間は、太田さんの書かれている14時が正しいと思います。

と言う訳で、この週末も音楽三昧。
そして、来週はいよいよ定期演奏会。今からワクワクしています。

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2008.11.07

木曜の楽しみ

開業し、個人事業主となった以上、セコい話ではありますが日々の稼ぎ、収益というものに敏感にならざるを得ません。借金を返さなきゃ行けないし、ローンを払わなきゃ行けないし、リース料を払い家賃(建物も土地も借り物)を払わなきゃ行けないし、電気代ほか出て行くものは多いし、職員の給与もあるし、そして自分の生活もあります。楽ではありません。
患者さんが何人来て、MRIを何人撮って、どのような診察検査をしたかで一日の「あがり」がどの程度になるのかはおよそ見当がつく様になってきました。現在の状況は、借金、リース、家賃、人件費、必要雑費を支払うとほとんど手元には残らない状態ですが、まあなんとかやってはいけそうです。

休んだ日は収入が「0」になる訳なので、休日はうれしいのですが、「祝日」が増えても手放しでは喜べないところがあります。休日・祝日の分、その他の平日に患者さんがより多く来てくれればいいのですがそうとは限りません。ですから年末年始の休診もどうしたものか、年内は何日まで診療をするか、まだ決めかねています。

そんな中、平日の診療体制としては、毎週木曜と土曜は午後1時までの診療なので、それ以降は「自由な時間」となります。特に木曜の午後は、特別な用事がない限りはスポーツジムに通う事にしています。週に1回では全然足らないのですが、やらないよりはいいということで継続していますが、バイクに35~40分程乗って、5、6種類の筋トレをやって、およそ300Cal消費し、体重で300~400grぐらい落としています。でも、また次の週までに運動不足で「プチ・グルメ」で十分戻ってしまうので、毎週毎週継続して減量されてはいません。会合、飲み会などが続くと増えていることもあります。(;;)

先日、ある用事でちょっと小走りに15分くらい走ることがありました。以前の私なら、息が切れてゼーゼーと言っていたと思いますが、ちょっと軽く汗をかいたもののほとんど息は切れませんでした。バイクで有酸素運動を、週一ながらも続けている効果かな?と思います。昔、テニスをやっていた頃は2,3km真剣に走っても大丈夫だったんですけどね。。。

ということで、昨日も、午後1時に診療を終え、その後勉強会をして、脳ドック患者のデータ整理をちょっとして午後3時前にいつものスポーツジムに家内と勇躍でかけました。ところが、駐車場がガラガラ。あ!ガ〜〜ン!昨日は臨時休業の日なのでした。
バイク、筋トレ、風呂で2時間弱を過ごしている木曜の午後が空いてしまいました。
自宅に戻り、その後クリニックに出かけ、脳ドック患者さんのデータ整理を行い、フルートの練習をし、インターネットをやり、HDDに録画しておいた先日のテレビ番組「フェルメール」と「源氏物語絵巻」を美しい画面でもう一度観て楽しみ、まだ未視聴だった録画済みの「N響アワー」などを観ました。
週に1日、木曜の午後だけですが、このような時間を持てる事はとても貴重です。

そして夜9時少し前に自宅に戻り夕食。
テレビッ子の私が楽しみにしている番組が木曜に集中しています。一つは『秘密の県民ショー!』。
山形県がある限りはこの番組は無くならないのではないかと、出演者の誰かが言っていましたっけ。いわく、「生け垣(うこぎ)を食べる」、「あけびの中の甘い部分を捨てて、苦い皮を調理して食べる」など他県民では考えられない様な食生活をしている県民です(といっても、生け垣を食べるのはおそらく米沢周辺だけ、あけびを炒めるのは内陸中心)。
日本全国の県民性、地域による違いを見るのは大変楽しいものです。私の様に、九州出身の親を持ち、自分も福岡で生まれ、岡山県(倉敷)、香川県(高松)、宮城県(仙台)、神奈川県(横浜)と移住移転した歴史を持ち、山形の中でも、村山、最上、置賜、庄内と歴史文化の違う4地域に暮らした経験を持つと、驚く事は少ないだろうと思っていると、知らない事がまだまだたくさんあるのです。

もう一つ、今楽しみにしている番組は、倉本聰作の『風のガーデン』。
先日、惜しまれつつお亡くなりになった緒形拳さんの遺作となってしまいましたが、このドラマを放映している限り、毎週拳さんに会えます。拳さん演じる父も、中井貴一演じる主人公も医師であり、病院や医師や医療の現場がたくさん出てきます。在宅医療、終末期医療、緩和医療など考えさせられるところもたくさんあります。
このドラマの初回に驚いたことがあります。
中井貴一演じる大学病院麻酔科学の准教授が勤務する病院の、病棟看護師、救急部の看護師の白衣(白いとは限らないナース服)が、拙医院で採用しているものと同じものだったからです。
「あ!うちの制服だ!」と声を出してしまいました。

今年の2月に、開院当初の職員4人(+専従者1)が決まって、まず制服を決めようと言うことになり、ものすごくヴァリエーションのあるナース服のカタログから皆の(つまり女性の)意見を入れて決めました。というより、私の意見はほとんど入っていません。(^^;;;
白、青、ピンクと色違いですが、同じデザインの同じ製品です。
それとまったく同じものを『風のガーデン』で着ていたので、なんとなく嬉しい気分になりました。

夜のテレビ番組で、欠かさず観たいと思う番組は少なく、「N響アワー」と美術関係、たまにお笑い、そしてこの木曜の2つの番組。日中に疲れて捻れた頭を、スポーツジムのトレーニングと同様に、こんがらがった状態から解いてニュートラルに戻すのに大変役に立っている、「木曜の楽しみ」なのです。
(うちの制服を着た職員の小さな写真は、『院長ブログ』に掲載予定です)

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今日のオマケ。
『風のガーデン』ならぬ"Balaine Garden"は、あまりきちんとした手入れをしていないにもかかわらず、小さなバラが咲いたりしています。片隅でハーブを育てているのですが、一度収穫してしばらく放っておいたバジルがたくさん葉っぱを付けていました。一年草なので、寒くなる前に収穫しなければ、、、と昨日、大きな葉っぱはほとんど刈り取りました。
先日家内が手に入れておいてくれた松の実と、青森は田子のニンニクに、頂き物のイタリア産エキストラバージンオリーブオイル。これだけ揃えば、ジェノベーゼのバジルソースができます。
Photo作った以上は味見してみなくては、、、と昨晩、夜遅くにもかかわらず自分の分だけ作りました。茹でたてのパスタに緑も鮮やかなバジルソースを落として、皿の上でぐちゃぐちゃとかき混ぜたので、見栄えは汚いですが味は抜群です。
更に頂き物の、静岡産の生しらすと生桜えびをそのままトッピング〜〜!
後はくるくるぐちゃぐちゃ混ぜて食べれば、ブォ〜〜ノ!!!(^^;;;
でした。

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2008.11.06

竜馬さんに適任なんは、誰じゃぁ、思うがかや。

来年のNHK大河ドラマは長岡、会津、そして米沢を主な舞台に活躍した上杉家執政の直江兼続を描く『天地人』。主役の直江兼続を演じるのは俳優妻夫木聡さん。
あの「愛」の兜を被って、無骨な戦国武将を優男(っぽい)妻夫木さんがどのように演じるのか、今の『篤姫』演じる宮崎あおいが、予想を裏切る好演をしているだけに、更に注目されるところ。

そして、再来年、平成22年、西暦2010年の大河ドラマは『竜馬』。
坂本竜馬という人ほど、何の官位も役職も持たない身で明治維新に大きな役目を果たした人物はいないであろう。日本人の偉人の中で、竜馬ほど老若男女に愛されているキャラクターもいないであろう。
謎の部分も多いけれど、土佐を脱藩してからの竜馬の行動や言動は記録も多いらしく(手紙など)、結構型ができているようで、俳優として演じるのは楽ではなさそうに思う。
どんな人が演じるとはまり役なのだろう、、、
今の『篤姫』では、漫画が原作のドラマ「のだめカンタービレ」で主人公の一人、指揮者の千秋真一を演じた玉木宏さんが竜馬役を演じている。ちょっと線が細い感じがするが、なかなか風来坊的な、ちょっと甘えん坊で女性に弱そうで、進取の気性に富んだやんちゃ坊主的な役柄が似合っていると思う。

大河の「竜馬」を誰が演じることになるのか、と思っていたら、今日、決まったらしい。
竜馬さんに似おうとんは誰じゃぁっち、ちっくと考えよったきに。


EXCITEニュースから。
「NHKは、2010年放送の大河ドラマ「龍馬伝」の主人公、坂本竜馬役に歌手で俳優の福山雅治さん(39)が決まったと6日、発表した。福山さんは「剣術の練習をしたい」と意欲を見せており、「2010年という時代だからこそ、このスタッフだからこそ表現できる『坂本竜馬』を作り上げたい」とのコメントを発表した。明治維新後に三菱財閥の基礎を築いた岩崎弥太郎の目から見た竜馬像を描く。」

え?!
福山雅治?!
まちゃこ、、、ですか?!

いえ、福山さんは、かっこいいです。男から見ても素敵だと思います。
話題のテレビドラマ『ガリレオ』で、湯川学という物理学者を演じています。気難しそうな、理論好きな感じが、ピッタリはまり役と言う感じがします。映画『容疑者Xの献身』というのもヒットしているそうな。。。
その彼が、「竜馬」というのは、ちょっとイメージが合わないけれど、決まった以上は応援しましょう。

私の「竜馬」像は、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』や、大河ものをはじめとするたくさんの竜馬演じる役者さんの演技に影響されている。坂本龍馬を敬愛し憬れてフォークグループ「海援隊」を作った武田鉄矢さんが原作の漫画『お〜い!竜馬』でもそのイメージが出来ている。小さな頃から姉に可愛がられて大事にされ、あまり躾がなっていない、世界を知り、夢を見て、行動をする、その代わりに普段の生活はまったくデタラメという印象である。
たとえば、物を考えながら食事をすれば、ご飯もおかずもぼろぼろこぼし、竜馬の食卓の周りは大変汚い。当時、毎日風呂に入ったり髪を洗う風習もない上に、余り着物や見栄えにこだわらなかったため頭をかくとフケがぼろぼろ落ちたり、結構不潔だったというイメージがある。
「まちゃこ」(註:福山雅治のキャラクター、毎週日曜の午後4〜5時にFM放送の枠を持っているがその番組の中で出てくる)は、自分でも言っているし、他人も指摘しているが、非常に綺麗好きで几帳面で、どちらかというと小難しいタイプのようである。
よって、素では演じられない竜馬のような人物、しかも日本人ならほとんどの人が知っている有名な歴史上の人物で、皆から愛され、それぞれにそのイメージがあるような役を演じるのは大変だろうと思う。
福山氏が長崎出身というのは特に関係ないと思うが、土佐の人たちがこの配役をどのように受け止めるだろう。しばらく話題になるかもしれない。

私も坂本竜馬という人物は大好きだし、一時のめり込んだこともあるので、再来年のドラマがすでに今から楽しみである。
坂本竜馬は、新撰組の元になる浪士隊を組織したことで知られる、庄内出身の清河八郎とも交流があったらしく(北辰一刀流同門の先輩に当たる)、きちんとした史実には出て来ないが、竜馬は庄内、今の狩川、清川あたりにお忍びで来た事があるらしい。
そのうち、そのような事もブログ記事にしてみたい。
「回天の魁士 清河八郎」を参照下さい。

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2008.11.05

追悼!ジャン・フルネ先生

私などがブログに書くことではないかもしれないが、フランス人指揮者で多くの日本人に愛された、ジャン・フルネさんが11月3日にお亡くなりになっていたということ。
95歳だった。

日本人の音楽家でフルネ先生のお世話になった人は数知れず。
多くのオケを振り、特に東京都交響楽団の名誉指揮者を勤め、「指揮者としての引退」を2005年12月21日の東京都交響楽団の定期演奏会と決めて、当時世界最高齢92才の現役指揮者としての幕引きの場を日本とした事は記憶に新しい。
フランス生まれでフランス育ち、実はフルートを専攻してパリ音楽院を首席で卒業されている。フルート吹きならほとんどの人がテキストに使う、フィリップ・ゴーベールに師事し、フルート奏者を目指したはずであったが、指揮者であった父の病気代役で指揮者デビューして以来、指揮者一筋だったようで、フルーティストとしてのフルネ先生の側面を知る人は多くはない(パリ音楽院関係者やプロのフルート吹き以外)。

私は実は生の演奏を拝聴する機会に恵まれなかったので、生のフルネ先生を知らない。
2005年の最後のコンサートはCDにもなっているが、ネットで一部を聴くことが出来る(Windowsのみ対応のようです)。
「ジャン・フルネ、伊藤恵&東京都交響楽団」(Macでは駄目なようです)

フルート奏者から世界的な指揮者になり、92歳まで現役で棒を振り続け、その後も後進の指導に当たっておられお元気な様子を間接的に伺っていたのですが、突然の訃報に驚きました。
心より哀悼の意を表し御霊の安らかならん事をお祈り申し上げます。
合掌。。。。。

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2008.11.04

文化の日、久しぶりの満タン

最近、経済の不安定さ、低迷が世界に暗い陰を落としている。
世界的な不況が生み出した一時的な円高の恩恵か、最近ガソリンが値下がりしている。
「道路特定財源」のすったもんだの際、リッター110~120円から一気に150円代になり、その後もじりじりとあがり続け、レギュラーガソリンでリッター170~175円くらいが普通になってしまった。8月に宮崎旅行をした際に、従兄弟の車を借りて旅行したとき、ハイオクをクレジットカードで入れようとしたら「カードの場合はリッター197円です」と言われて、現金で入れた覚えがある。
特定財源の税分が戻って一気に値上がりし始めた頃から、少しでも燃費を良くするためにガソリンを「満タンにしない」対策で過ごしてきた。近場を移動するだけならタンクは空に近い状態でいた方が、ほんの少しでも燃費が良くなる訳で、近所の「セルフ」ガソリンスタンドで一回に入れるのは20リットル程度にしていた。
仙台まで出かける時でも、往復の距離と通常の燃費から計算してタンクに30リットルも入っていれば間に合うのでそのような対応で過ごして来た。

ところが最近、日に日にガソリン価格が下がって来て、1リットル140円を切るようになって来た。そして昨日は130円丁度となった(近所のプリペイドカード使用のセルフスタンドの場合)。ニュースによると、関東の安いところでは120円代まで下がり、全国一安いところでは119円となったらしい。

ハイオクはレギュラーよりリッター当たり10円程度高いのだが、久しぶりにリッター140円丁度くらいになったので、本当に久しぶりに「満タン」にした。ほとんどカラだったのでなんと70リットルも入ったが、それでも10,000円かからなかった。
不況が円高を生みガソリン代が下がるというおかしな状況の恩恵を受けた訳だ。

昨日、市民音楽祭の後は家でのんびり過ごした。
昨日のテレビ番組では、話題のフェルメールに、誕生1000年を祝った『源氏物語絵巻』の話(紫式部日記に、西暦1008年に源氏物語の冊子作りが行われた、11月1日にそれを皆で見たというような事が書かれているらしい)が放映され、大変興味深く視聴した。
今、なぜか日本には世界中の財産とも言える名画が集まっている。六本木の国立新美術館と東京ミッドタウンのサントリー美術館でピカソ展が、東京都美術館ではフェルメール展(といっても、フェルメールの作品は7点らしい)が開催されている。
仙台の宮城県立美術館では「ウィーン美術史美術館 静物画の秘密展」が開催されています。面白い事にこれらの凄い美術展はすべて12月14日までなのである。

H9年、世界脳神経外科学会総会がオランダのアムステルダムで行われた際、国立美術館でかの有名な「牛乳を注ぐ女」を観た。
H19年、ウィーンの美術史美術館では、あの「絵画芸術(画家のアトリエ)」をこの目で見る事が出来た。ブリューゲルの「バベルの塔」やベラスケスの「青いドレスのマルガリータ王女」にラファエロの「草原の聖母」も観る事が出来、感激だった。今回、仙台では「薔薇色の衣装のマルガリータ王女」が目玉のようである。
有名な絵画というものは、有名なだけある。クラシックの名曲が名曲と呼ばれるだけの事はあるのと共通点がある。いつの世でも世界中の人を魅了する作品には、それだけの「もの」がある。こういった絵画を観る事は人の感性を高め、脳を活性化し、まず間違いなく脳の機能保護(神経系の免疫機能)にもプラスにも働く。

ガソリン代も下がった事だし、昨年ウィーンで会った絵達に仙台まで会いに出かけようかと考えている。

ーーー
ハイオクがリッター当たり40円値下がりしたので、満タン70リットル入れると夏の最高値より3000円近く安く上がる。「欅」でランチ二人分以上浮くのはありがたい。
というわけで今日のオマケ。
Photo酒田のラーメンで有名な「月系」のお店の中で、個人的に最も好きな「三日月軒 東中之口店」。ここにだけある「乱切り麺」を注文。

Photo_2家内は「潮ラーメン」。魚のつみれがはいり、スープには魚醤が効いている。しょっぱいけれど懐かしい味がする。

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2008.11.03

タンホイザー『大行進曲』

(11/4、写真を追加しました)
ーーー
本日は、文化の日。
第51回酒田市民音楽祭でした。
午後1時半開場で、我々夫婦は13日後に迫った酒田フィルハーモニー管弦楽団第36回定期演奏会のチラシや、12月に開催する「漆原啓子、村治香織、向山佳絵子 三人のヴィルトゥオーソ 夢の響演」のチラシなどを受付で入場者に配布。

音楽祭はまずホワイエのプレコンサートから。C高校の音楽部の弦楽合奏です。
市民音楽祭なので、市民による様々な音楽活動の発表の場。
PhotoPhoto_2Photo_3箏曲から始まり、女声合唱、男声合唱、混声合唱、室内弦楽合奏、などなど前後半あわせて15団体の出演です。
酒フィルは、最後の第16演目として、いくつかの市民合唱団の合同合唱とともに出演。
演目は、ワーグナー作曲の「タンホイザー」から『大行進曲』。
Photo_4タンホイザーとヴァルとブルグの歌合戦の行われる会場に堂々入場するシーンで演奏されます。
実は、昨年5月のウィーン、ザルツブルク、ブダペスト、プラハの大旅行をしたのですが、その時、ブダペストのオペラ座でちょうど「タンホイザー」をやっていたのです。ドイツ語公演(マジャール語字幕)でしたが、ストーリーはよく分かっていたので、一昨年の『ニーベルンゲンの指輪』よりは寝なかったと思います。その中で、この「大行進曲」は2幕目の山場の一つ。
Photo_5オペラハウスのバルコニーの最前列の3階(王様などが座るバルコニー席の1階上かな?)の両翼、つまり上手側と下手側の両方にバンダのトランペットが並び、「大行進曲」の最初のファンファーレを演奏しました。我々は1階席だったのですが、上方の左右からステレオ効果も顕著なファンファーレとその後に続く、行進曲と合唱に酔いしれた事を思い出します。
(その様子は、H19年5月31日のブログ記事、⑤「中央ヨーロッパの旅」:5月10日、ウィーンからブダペストへの真ん中当たりに書いております)

さて、今回の市民音楽祭の演奏を久しぶりの「音ブログ」にアップしましたので「大行進曲」をご存じない方(もちろんよくご存知の方も)は聞いてみて下さい。
「balaineの自惚れコンサート(?から220.『大行進曲』本番演奏をお聴きになってみて下さい。なお、昨日のリハ演奏もアップしていますが、録音状況が違うため、本番の方がいいようです。

この2連休(土曜もお休みの方には3連休ですが)も、ほとんどがオケ活動でした。
市民音楽祭の練習と2週後の定期演奏会の追い込みの練習、そして市民音楽祭の本番。
その間にもプチグルメでしたが、今日のお昼は、自宅からもほど近い、最近お気に入りのお蕎麦屋さん「めだか」で『新ソバ』を堪能しました。
Bloomという鶴岡中心で配布されている無料情報誌の10月号の紹介されたためか、「新ソバ」の季節だからか、連休だからか、おそらくそのすべてが原因でしょうが、小さなお店の駐車場は満車で歩道にまで駐車している県外ナンバーの車までいました。
Photo_6私は「外二」のうちたての板蕎麦を、家内は平田の赤ネギと庄内豚の肉ソバを注文。どちらも素晴らしい旨さでした!(写真は新しい携帯のカメラで。新しいとは言っても、10Mピクセルのデジカメを愛用しているのでカメラ機能は重視せず、3.2Mと中間クラスの機能です)

音楽に食に、そして新しい携帯電話に、満足な連休でした!

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2008.11.02

辻村寿三郎芝居人形展と、、、

今日は昨日の記事に書いた通り、山居倉庫の「夢の倶楽」に行ってきました。
「華の館/夢の倶楽」

昨年もいらっしゃった辻村寿三郎さん。昨年の会場は「ものすごい人が来た」ということだったので少し早めに到着するべく、10:30頃到着。丁度、バタバタバタという音を立てて大粒の雨が降ってきました。悪天候にもかかわらず、「夢の倶楽」前には数台の大型観光バスが停まっています。誘導のおじさんに言われるままちょうど一台分空いていたスペースに駐車。
Photoお土産売り場には間を通って歩くのも容易ではないほどの観光客。しかし、「華の館」前はそれほどでもなくちょっと拍子抜け(入場券売り場で行列か、と思っていたので)。
辻村寿三郎さんは既にサイン会を始めていました。
家内はサインに並び(ちゃんと小品を買い求めて)、一緒に写真も撮って頂けました。

その後、「芝居人形展」のギャラリーに入るとまもなくジュサブローさんが入ってこられ、人形の説明など始められました。なんとなくゆったりした、緩やかな、腰の柔らかい表情と声でお話しされます。

「そうそう、折角だから、お人形さん、動かしてみましょうか、、、」
(え〜、ジュサブローさんの人形のお芝居が観られるの!すごい!)

Photo_2近松の心中物から「梅川」のお人形を持ってこられました。
シャンソン「雪が降る」をバックに、妖艶な「梅川」の舞が始まりました。左手を人形の中に突っ込んで、体の芯を作り背中や頭を操ります。右手で人形の両手を操り、主に右手で表情を作ります。
なんという美しさ、なんと言う艶やかさ。
寂しさ、悲しみ、想い、儚い希望、絶望、一縷の望み、、、
Photo_3そういった女性の心の動きが、本当にそこに生きている女性がいて、踊りながら演じているように見えます。その瞬間、人形を操っているジュサブローさんが、そこにいるのにその存在が無いようごとく、無いというより、人形とジュサブローさんが一体となってそこに「いのち」が見えました。
陶然、、、というのはこういう事なのか、と思いました。

「今、皆さん、我を忘れたでしょ?それが大事なのよ〜。」
そういう表現で聴衆を惹き付けます。世の中のいろいろな嫌な事とか、人の命の事とか、おぎゃ〜と生まれた時はみな同じなのにその後の環境のせいで「いい人」「悪い人」などと人生が分かれて行くことなどを人形の事を説明しながらお話しされました。

家内に誘われて、行ってみるまでは「辻村寿三郎さん、ね〜」「高校の時、NHKの『新八犬伝』観たな〜」位の気持ちだったのですが、行ってみて、美しい人形を観て、75才のジュサブローさんの(操る人形の)妖艶な舞を観て、いい時間をもらえたな〜と素直に思いました。
『仁義礼智忠信孝悌』の八つの玉のお話、儒教思想をその時始めて学びました。
ジュサブローさんは東京暮らしが長いはずですが、なんとなく関西系のサービス精神豊かな方でもありました。「梅川」を舞わせながら、背中を大きく反らせるところでは、「これ、イナバウアー、ならぬイナジジイ、ね!」というオヤジギャグも飛び出します。とっても親近感がわいて、私も「新八犬伝」のDVDを買ってサインをおねだりしてしまいました。
「もう年だから、今年で最後よ!」
なんておっしゃっていましたが、まだまだ若々しい。人形を操っている時は30代くらいに若々しく見えました。もっともっとご活躍頂きたいと思いました。
(写真を追加掲載しました)

Photo_4Photo_5折角いい時間を過ごしたので、その時間をもうちょっと延長したいと思い、昼食は『欅』に行ってみました。家内は「魚のランチ」、私は「クレープランチ」を頂きました。左の写真は、「魚のランチ」のスープとメインのお魚(すずきのグリル)。
Photo_6Photo_7こちらは「クレープランチ」の前菜(カスベの焦がしバターがけ、絶品!!)とメインのクレープ(ホタテとエビが入ったグラタン風)。

Photo_8デザートに出て来た、「柿シグレのタタン風」が想像以上に美味しかった!
(写真を追加掲載しました)

午後は、思い切ってド○モショップに出向き、ついに3年9ヶ月ぶりに新機種のFOMAに機種変更。
いろいろな手続きとデータコピーなどで2時間近くかかってちょっとグッタリ。
そこから明日の「市民音楽祭」の最終リハに向かいました。
合唱団と初合わせ。希望ホールの音響の素晴らしさもあって、結構いい感じに仕上がりました。明日の本番が楽しみです。

ちなみに、お昼に御馳走を頂いたので、夜は最終リハから帰って自宅で納豆ご飯でした〜。(^^;;;

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2008.11.01

市民音楽祭準備+α

11/3(月・祝)文化の日、第51回酒田市民音楽祭が酒田市民会館「希望ホール」で開催されます。
今日のオケの練習は定期演奏会に向けてあと2週と迫りながら、前半は音楽祭用にワーグナーのタンホイザーでした。
久しぶり(JAO高松大会以来)にピッコロも吹いています。普段吹いていなかったので音が「プスって」しまいます。。。

明日(11/2)は、希望ホールの本番舞台で合唱団との「初」合わせ兼「最終」リハでございます。
その前に日中は久しぶりに山居倉庫に行く予定。いっつも観光客で賑わっている山居倉庫。希望ホールの近くにあるので横目に見て車を走らせる事はしょっちゅうです。
Tokubetu2008_01その酒田観光名所「山居倉庫」には「夢の倶楽」という常設展示場があるのですが、そこには人形作家辻村寿三郎氏の人形も飾られています。常設の展示に加えて「辻村寿三郎芝居人形展」が10/2〜12/2に期間限定で開催されているのですが、今日11/1と明日11/2は辻村さんご本人が酒田に来られて、「ギャラリートーク&サイン会」があるのだそうです。
「華の館/特別企画」をご覧ください。

今日は日中、酒田市内唯一のデパートSに行ってきました。
開館30周年記念大売り出しというのをやっていて、店員さんの中にはハッピを着ている人も居ます。その割には盛り上がりの少ないお客さんの数なのですが、これは以前から同様の状態。三川町のJをはじめとする郊外型大規模店には酒田と鶴岡はもちろん周辺地区、さらには秋田沿岸南部からも集客する魅力があるようです。
さて、何気なく開館30周年と聞き過ごすところでした。現在のSデパートが今の場所に建設されたのが30年前。そう、かの「酒田大火」からの復興の始まりだったのです。

昭和51年の晩秋、10月29日。佐藤久一さんのことを書いた本『世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか』でも書かれているように、その映画館「グリーンハウス」が火元になり、ほぼ一晩燃え続けて酒田市中心部1700棟を超える商店や民家を焼き尽くした有名な「酒田大火」。
その当時、市中心部に2つあったデパートOとSですが、Oは全焼を機に撤退(一旦、酒田駅前に移転、その後閉店)。元Oデパートの建っていた場所に、現在のSが新築竣工したのが大火から2年後の昭和53年。私が山形大学の医学部に入学した年です。
昨日10/31、酒田地区頸動脈エコー研究会というものがあり特別講師の「3次元エコー検査」の講演を堪能したのですが、実は私も一般演題を発表しました。開業しておよそ8ヶ月。その間経験した症例について発表しました。研究会後の「情報交換会」という名の簡素な立食パーティを経て、一般演題の座長と演者の私、特別講演の座長と演者の4名に主催者で酒田で寿司と言えばここと言える「鈴政」で会食しました。天気が悪く時折強い雨、時折風が吹きます。さらにびっくりするような大きな音で雷も時折鳴っています。
出されたおいしい料理の中に「ハタハタの味噌田楽」がありました。ハタハタは漢字で「鰰」と書きますが、「鱩」とも書くのだそうです。東北の日本海沿岸、庄内〜秋田沿岸では今からの季節に特に穫れるのですが、ちょうど冬を迎える前、非常に雷の多い季節。雷の魚で「鱩」です。
昨日もゴロゴロ、ドシャーン!と派手に雷が鳴っていました。

群馬などではおそらく夏の名物?雷ですが、ここ庄内では晩秋から初冬。それも本当に地鳴りがするようにゴロゴロとなって割と近いところにドシャーンと落ちてきます。建物が「ドロドロドロ」「グラグラグラ」と揺れるのです。数年前には運悪く雷が落ちてボヤを出した開業医院もあります。雷に冷たい雨、そして強い風が吹く事が多いこの季節。
9月頃までは夏を引きずって暑い日もあるのに、10月の声を聞くと日に日に気温が下がり短いけれど実りの秋を迎え、11月になると「冬はもうそこに」という感じで強い風、雨、雷など変わりやすい天気の今の季節です。
昭和51年の酒田大火も、折からの日本海から吹き付ける強風によってあっという間に酒田市中心部に広がり、東へ東へとどんどん火の手が拡大して行ったと聞き及びます。そして中心部の消火活動は不可能と判断した消防隊は新井田川の東側に消防車を集結させて天に向けて放水し、風におあられ飛んでくる火の粉を川より東には飛び火させないようにするしかなかったそうです。
酒田フィルの仲間で当時東京に住んでいた人は、夜のニュースで「酒田が火事だ」と聞いて驚き大変心配したものの自分に出来る事も無いのでそのまま寝たところ、翌朝になっても「まだ燃え続けていて鎮火されていない」というニュースに本当に驚いたのだそうです。
その大火から32年。
Sデパート移転新築から30年。
商店街や市として、いろいろ企画、工夫はしているものの、中心商店街の賑わいは少なく客足も少なく寂しい街になっています。映画ロケへの積極的な協力や関与にいろいろなお祭りなど、さらに「食の都庄内」と言われる豊かで美味しい食材を活かした和洋食の料理屋さんの数々。魅力的なところがたくさんあり、上に書いたような観光客で溢れ返る山居倉庫などもあります。
しかし、若い年代層の地元の買い物客を中心街で見る事は非常に少ない。
三川Jに行くと、「庄内にこんなに若者が居るのか?!」と驚くくらい、中高生や大学生、若年社会人、子供を連れた家族などが来ています。年齢別購買層で言うと、酒田中心部は単に人口が減少したという以上に、10代〜30代前半の買い物客がほとんどいない、と言ってもいいくらい。三川Jに行くと、庄内の10〜20代は全員ここに来ているのか?と思うほどです。
お店の扱う商品と客の求める物の関係ですから仕方の無いところもあるのかもしれません。でもこれで、このままでいいのかな、、、と思うのです。

明日は、大勢の観光客に混じって久しぶりに山居倉庫、そして三川Jではなく街中で食事や買い物をしたいと思っています。

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