『たらい回し』
最近、報道番組、新聞を賑わせている、東京の「妊婦たらい回し事件」。
およそ1年前に奈良県(〜大阪)でも似たような「たらい回し」があったばかり。現場の事情を理解していないマスコミは、当初こぞって医療バッシングのような記事を書き続けた。今回も、かかりつけ医や最初に受け入れを断り結局回り回って最終的に受け入れた都立墨東病院を非難するような記事が見受けられて心配していた。ようやく、現場の厳しい勤務状況、医師不足、急患受け入れ態勢、周産期医療情報ネットワークの不備、などが浮き彫りにされて来た。
亡くなられた女性の御主人が「今後、このような事が起こらないように対策をとって欲しい」と会見で述べられたとの事。不幸にもお亡くなりになった方とそのご家族には本当にお気の毒で哀悼の意を表するものであるが、こういうことはこれからもまだまだ起こりうることである。
本日のネットニュースで次のような報告が出て来た。
「緊急処置の必要な妊婦や赤ちゃんを受け入れる「総合周産期母子医療センター」を対象に共同通信が緊急調査したところ、全国75施設のうち回答があった59施設の56%は必要な産科の常勤医数を確保できずに定数割れに陥っていることが29日、分かった。当直の産科医が1人態勢のセンターがほぼ半数を占め、全体の90%以上が産科医確保に「苦労している」。綱渡り診療が少なくない現状が浮かんだ。」
なぜ、こういうことになっているのか。
まず、医師の絶対数が少ない。特に産科医療に携わろうとする産婦人科医が少ない(産婦人科を専攻しながら、産科はやらず婦人科だけで診療している診療所、医師も少なくない)。
ようやく医学部の定員を増やすことになったが、戦力となる医師として産科の現場に出て来るまでこれから10年近くかかる。しかも増やした定員数に従って「産婦人科医」が増加する保証はどこにもない。医学部を卒業して国家試験に通れば、医師免許上はどんな診療科でも出来ることになっているのが今の制度。どの専門診療科を専攻するかは、医学部の学生から研修医の時代における「その人」それぞれ自由な意志で決める事ができる。私の場合は脳に興味があり外科医になりたかったので「脳神経外科」を志した。
米国の場合は、ある診療科に対する学問的興味や科学的・医学的魅力によるものもないわけではないが、結局は「期待できる収入」が物を言う。私が知っているデータでは(5年以上前の古いデータだが)最も高額な収入を得られるのは大病院勤務の「移植外科医」、ついで「脳神経外科医」であった。米国では、頭脳明晰で上昇志向の強い医学部学生は、その社会的地位、学問的興味、そして収入の多さからも「脳外科医」に憧れ志望する。ただし、そこから競争があって、希望すれば希望した専門診療科を専攻できるとは限らないのが米国の制度。日本の場合は、本人の希望があれば少々の競争はあるけれどおよそ自分の希望する専門診療科を専攻できる制度になっている。
産科医療に対して医学部の学生や研修医が夢や希望を持てない状況が続く限り、期待する程には産婦人科医が増えないと言う事が懸念される。
今回も話題になっている病院の「たらい回し」。
広辞苑では「一つの物事を責任をもって処理せずに次々と送りまわすこと」と解説されているが、今回の患者さんの「複数病院紹介受け入れ拒否連鎖」は原義の「たらい回し」には当てはまらない。
今回の妊婦さんはかかりつけ医において、高血圧と強い頭痛ということでより高次の産科医療への紹介を考慮したと聞いている。そして最も距離的に近く、都の「周産期母子医療センター」になっている都立墨東病院にまず電話照会した。患者を救急車で連れて行って、窓口で断られて、次の病院に移動しそこで断られて次に移動し、、、という「たらい回し」が行われた訳ではない。墨東病院の救急担当医は都内の「総合周産期母子医療センター」ネットワークで受け入れ可能な病院を検索し、そこから電話連絡をして受け入れ要請をしたものの結局7つの病院にいろいろな理由で「断られ」、最終的に都立墨東病院で受け入れた訳である。つまりネット上、電話連絡上ではいろいろな病院に問い合わせして「たらい回し」の様にはされたが、患者さん自身は受け入れまでに時間がかかっただけで「回された」訳ではない。
にもかかわらず、こういう事例に「たらい回し」という言葉を使うのは誤った用法ではないのか。
最近の医療関連報道では、患者をある病院で一旦受け入れ安静にさせた上で、高次医療施設に搬送の打診をし、相手先に受け入れ余地が無く断られる事も「たらい回し」と呼ばれてしまうようである。しかし、一般の方にはイメージとして「救急車に乗せられた患者さんがぐるぐる回されている」ような印象を持たせてしまう言葉だと思う。
報道の仕方によって医療機関が「悪者」という強いイメージが出来る事を心配する。
今回の事例は、出産間近の妊婦が「脳出血」を起こしたもの。結局、都立墨東病院で受け入れ全身麻酔管理下に帝王切開で赤ちゃんを「無事」に取り上げ、脳出血の治療も行われた。しかし3日後に死亡したものである。かかりつけ医の段階でどこまで「脳出血」の可能性を考えていたかはわからないのだが、その時点で適切な診断が出来たとして、さらに今回のように計8病院の「たらい回し」もなくすぐに受け入れられたと仮定して、この「脳出血」の患者さんは助かったのであろうか?疑問である。
脳外科医の立場から考えると、治療を開始して3日で死亡する脳出血は、診断が付いた時点でほぼ致死的な状態である事が推測される(もちろん、最初は軽症で時間が経つ間に出血が増えて致死的になってしまった、つまりもっと速く対応できれば救えた可能性は否定できないが)。たとえ搬入時にまだ意識があるような状態であったとして、1回目の紹介ですぐに受け入れてもらえたとして、妊婦なのでまず産婦人科医が対応し、次に救急医または当直医の判断で頭のCTなどを検査し、脳出血が見つかってから当番(当直ではなく、各診療科の夜間および休日に対応する役割のある医師)の脳外科医を連絡し、その脳外科医が病院に駆けつけ診察、診断、治療を開始するまでにいったいどのくらいの時間がかかるのだろうか。
私の住む町のような地方都市の中核病院の場合で考えると、救急部に運び込まれてから脳外科医に連絡があり、脳外科医が駆けつけて診断がつくまでに、速ければ30分くらい。かかって1時間。
そこから治療方針を決めて家族に説明し手術の同意を得て、同僚の脳外科医に連絡し(一人では手術できない)、当番の麻酔科を呼び出し、当番の手術場看護師を呼び出し、手術の体制を整えて手術が始まるまでには、どんなに速くても運び込まれてから1時間(2時間くらいすぐ経ってしまう)。脳の手術は全身麻酔をかけ、頭部を固定して顕微鏡で出血部位にアプローチしたりするので、開頭して顕微鏡下処置を施し出血が取り除かれるまでどんなに速くても1時間、簡単に2時間くらいは経ってしまう。
つまり、発症し、連絡し、受け入れられ、搬入され、診察を受け、脳外科医が呼ばれ、手術を受けて血腫が取り除かれるまでには3時間くらいの時間はすぐに経ってしまう。その間に脳出血によるダメージが致死的になることは多く(いくら脳浮腫改善剤などを急速点滴投与していても)、結局、命を落とすか重篤な後遺症を残すことになる可能性が高いと、脳外科医の立場からは考えてしまう。
今回の脳出血で死亡した妊婦さんの事例は悲しい話であり、けっして見過ごしたり容認してよい問題ではないが、誰かを責めたりどこか特定の病院を非難したり、まして厚労省の無策の故に医師が不足したからだとか、都の責任だとか、ネットワークの不備だとか(それらは全て事実であり、改善されるべき問題である事は間違いないが)責めたり文句を言っても詮無き事だと私は思う。
人間は「生き物」であり、生きている物は死すべき運命。その妊婦さんは本当にお気の毒だが、その日、その時間帯に脳出血を起こしてしまったという運命は変えられなかったものではないのだろうか。
医療サービスにおいて「市民の安心感」を声高にうたい、「安心安全な医療」などという安直な標語を掲げる前に、ひとつひとつのシステムをきちんとする事を考えて頂きたい。何よりも現場の労働環境の改善、産科医療に携わろうという夢や希望を若い医師や医学生に与えるような教育とシステム、若手医師を指導したり道を示したり時には「背中で語る」ような立場にある中堅〜ベテラン医師の立場をもっと改善し、50才過ぎても月に数回の全館当直に週に数回以上の診療科当番(夜間や休みに呼ばれる、しかし日中は普通に仕事をしていて代休はない)をこなさなければならないような事態を改善すべきだと思う。若手医師や医学生は、40才どころか50になっても60になっても、休日の家族を置いて病院で忙しく働いている先輩医師を見て将来の夢をなくしてはいないだろうか。
こういう事になったのはどうしてなのだろうか。
私も総合病院や大学病院にいた時、上記のような忙しさで当直や当番をこなしていた。
大学で助教授をしていた時は、さすがに「全館当直」はしなかったが、診療科の当番(急患などで真っ先に呼ばれる)はまだやっていた。やらなければ若手にもっと負担がかかるからである。基本的に、医師の仕事が多すぎる。都会でも田舎でも医師の数が足りない。特に地方で医師の数が絶対的に不足している。しかも、以前勤務した県立病院では夜中に呼ばれて出て来て急患を診て手術をしてもその「時間外労働」に対する報酬は県の予算削減のため年々減らされている状態。
現場の医師に安心を与えてこその医療サービスの安心・安全なのではないだろうか?
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コメント
この事故についてbalaineさんのコメントお待ちしていました。脳外科専門医としての見方もなるほど!でした。
奈良の事故もあって「総合周産期母子医療センター」や救急時のネットワークの整備とかされていますが、じつは掛け声ばかりで、本質を捉えてないことがよくわかる事故でしたね。
墨東病院は土休日も産科救急を受け入れられるように当直を(数日の例外を除いて)2人体制に戻したと報道がありました。でも、マンパワーは事故前と変わっていない…。単に常勤医の負担を増やすだけになってしまうことは目に見えています。これは新たな事故の温床になりえます。
十分なスタッフと、良好な労働環境、見合った報酬がなければ人は去っていきます。労働強化された墨東病院の常勤医が今後もつぎつぎと去っていく可能性もありますね。
産科医不足ですが、私の知る範囲でも、周産期を見限って婦人科ガンに専門を変える医師が数人います。これは産科医を囲む環境がどんどん悪化しているなかで、福島の事件が追い討ちをかけてとどめをさしたのです。小手先の当直2人体制回復で収まる問題ではありません。
医師の中では公立病院は赴任先としてはあまり人気がありません。給与は低く抑えられていますし、研究・研修についても協力的でなく、機器の購入も予算のかかわりで、年単位で先送りになる、公務員としてのがんじがらめの服務規程等々です。
あるときちょっと計算してみました。ある公立病院の当直手当は時給換算すると750円くらいです。今、マ*ドナ*ドの高校生のアルバイトで時給800円です。つまり雇っている側は(公立病院の)当直医にマ*ドナ*ドの売り子さん以上のものを期待はしていないということでしょう。患者さんにもこのことを認識していただく必要がありそうです。墨東病院の産科の医師たちの当直手当が仕事に見合うものであることを願っています。
人はパンのみで生きるわけではありません。必要とされること、自分のすることが受け入れられ、喜ばれること、こういったことがあれば多少の苦労はいといません。多少報酬が少なくてもがんばれます。でも、マスコミや役所の都合でツジツマ合わせのために無理を強いられるのはね。
なくなった方のご主人がおっしゃっていたように、この事故が、今の医療行政の深いところを改革するのに向かうように願っています。
投稿: Teddy | 2008.11.01 11:56
Teddyさん、見識の高いコメントありがとうございました。
ただ、私の意見もTeddyさんの意見も一般の方から見れば「医者が医者の立場で吠えてる」風に取られかねない事を心配します。
医師の給与は一般に比べれば高いと思います。でも諸外国、特に米国に比べればかなり低いです。
それはすべて制度、システムの差でしょう。米国民3億人のうち、医療保険を払っていない人が5,6000万人いると言われます。その人達は、「安心安全な高度の医療」は受けられません。日本では最近問題になっている「保険証取り上げ」状態の人でない限り、いつでもどこでも(盆でも正月でも)全国一律同じ料金で医療サービスが受け入れられます。でも医療サービスにはお金がかかるので、人件費を抑える、時間外手当を抑える、役人や事務職の考えはそういう方向にしか向かないのです。
「安心安全な医療」を提供するために、もっと予算をとろう、医師や看護師の給与を上げよう、時間外労働手当を増やそう、などと考える役人や事務官はいないでしょうね。
最近では大学病院などで夜間や休日の救急外来を受診して、真に緊急性が少ない患者さんの場合特別料金を徴収するということが始まっています。「医療サービスには金がかかるんだ」ということを市民にも広く理解してもらう必要があります。
でも基本的に、多くの医師は高い収入を目的に医師になった訳ではなく、人の役に立ちたい、困っている人を助けたいという気持ちで医師を志しています。
だから、50才を越えて、通常の会社員なら下っ端とは明らかに勤務体制が違い、給与も違う立場になる様な年齢でも、全館当直や夜間、休日の呼び出しでも頑張って働いているのだと思います。その「こころ」も広く理解して頂きたいと思っています。
投稿: balaine | 2008.11.01 12:21