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2008年10月

2008.10.31

10月最終日

久しぶりに朝から晴れました。
1031ここのところ、雨または曇りが多く、鳥海山を眺めていませんでした。
院長室から眺める今朝の鳥海山は朝陽を浴びてこの数日で積もったと思われる冠雪が眩しく輝いていました。久しぶりにゆっくり眺めて今更のように
「美しいなぁ〜、、、」
と呟きます。
欲を言えば、手前の住宅がなく、電線もなく、何も視界を遮るものがなければいいのですが。。。

Photo_2ということで周りをトリミングして拡大してみました。人間の目というのは面白いもので、市内を走っていて跨線橋などから鳥海山が見えると写真にしてみるよりもすごく大きく見えます。対象とするものを脳の中でズームアップする機能があるようです。
ですから、この写真は安物デジカメのズームで撮った写真をさらに拡大してはいるのですが、現実にはこれくらいの迫力で迫ってくる山です。

一雨ごとに寒くなる、といいますが本当にここ数日は朝も寒く、ついに薄手のコートを着て出かけるようになりました。手袋をしないでは自転車もきついのでここ数日(雨模様でもあり)自転車通勤もストップしています。
早くも10月最後、ハローウィンですね。
11/16の酒フィルの定期演奏会が終わればすぐに「Thanksgiving Day」。
医院の記念植樹にXマスの電飾を飾りたいなと考えています。
いよいよ本格的な冬が来ます。あたたかな春の陽を迎えられる来年の4月頃まで、晴れる日はあるにしても地吹雪や雪や曇りの寒い日が続きます。

Photo_3写真は話題の映画『おくりびと』のワンシーン。
主役演じる本木さんが、月光川の堤で鳥海山をバックにチェロを弾くシーンです。
この撮影は昨年の5月初めに行われたはずで、春の、残雪の鳥海がバックになっています。

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山形では今日放送された『発見!人間力』。
いい番組でした。
飯森さんを中心に、山響、山形の魅力が余すところなく紹介されていました。個人的には、創設者の一人である村川千秋先生が取り上げられ、昔のコンサートや練習風景の映像も流れた事が良かったと思いますし、スクールコンサートでは現正指揮者の工藤俊幸さんの姿も出て来たのが良かったと思います。
予想通り、私への金本さんからのインタビューは「カット!」されておりましたが。。。(^^;;;

やっぱり番組的には、「もっと山響ラブ!」か「飯森ラブ!」な感じでの受け答えでないと駄目でしょう。結構ありきたりな事を言ってしまったように記憶していますから。
でも、半年近くかけてインタビュー、取材を続け、東京のコンサートシーン、飯森さんの自宅、山響の団員との焼き肉屋のシーン、本当はもっともっと伝えたい事があったでしょうが、30分枠の番組なのでかなり削られた事だと思います(確か、飯森さんの早朝のランニングやスポーツジムでのトレーニング風景も出るはずだった、「腹筋の割れた指揮者」の腹筋が見られるかと思いました、、、)。

HDDに録画しましたが、当然「タイトル保護」としましたよ!
山響FCの仲間もあちこちに映っていて嬉しかったですね。金本さんもいつも通り可愛らしく美しかったし。
これから放送がある地域の方、山形と飯森さんと山響のことを取り上げた今回の『発見!人間力』、見逃さないでくださいね!要、録画、ですよ!

もう一つ、おまけ。
今夜、10/31の夜、NHKのテレビ番組『解体新ショー』にも飯森さんが登場するそうです。
絶対音感の持ち主ということで、メチャクチャの和音(不協和音)や生活の中のいろいろな音を聴いて音階に替えられる事や、その能力を解明するために脳波をとりながら音を聞いたりなど面白い試みをされたようです。今夜23時とのこと。

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2008.10.30

iPhoneでワンセグ?

ワンセグ、絵文字、お財布ケータイ機能といった、日本の携帯電話には付いていない機種の方が少ないことができない「携帯電話」iPhoneもついに「日本仕様」になるそうです。

ソフトバンクの孫社長発表(ネット上のExciteニュースによる)
「「iPhone 3G」ユーザー向けに、ソフトバンクテレコムが全国約3500カ所で提供している公衆無線LANサービス「BBモバイルポイント」を、無料で提供すると発表した。
 また、iPhone 3Gとデザインを合わせた専用のワンセグチューナー兼充電用バッテリー「TV&バッテリー」も発売する。重量約80グラムのコンパクトな専用モジュールは、Dockコネクター経由でiPhone 3Gの充電ができるほか、内部にワンセグチューナーを内蔵しており、無線LANを経由してiPhone 3Gでワンセグが視聴可能になる。
 このほか、年内に絵文字に対応することも明らかにされた。絵文字はソフトバンクの新絵文字と同等のもので、絵文字が化けずに表示できるようになる。」

私はDoCoMoのケータイを持っており(アナログの頃だからH6年頃から使っているはず)、そろそろ機種変したいな〜と考えていたのだが、現在FOMAは上記機能はほとんど持っている。
絵文字、デコメこれは今のケータイにもあるが私は使った事がない。全く興味がない。
お財布ケータイは都会に住んでいれば便利だと思うが、一度空港で使って以来使っていない。使い方がよくわからなくなってしまったので、今は使えるはずだが面倒なので、普通にクレジットカードと現金で買い物をしている。クレジットカード、Suicaなどをケータイで使えば便利だろうが田舎に住んでいるとほとんど利用する場所がない。

そして、ワンセグ。
ケータイでテレビを見る必要性を感じた事はほとんどないので、興味がなかったのだが、iPhoneに別売りチューナーを発売するとなると買ってみたくなる。
こういう物らしい。「iPhoneがついに絵文字とワンセグに対応する事が判明」というGIGAZINEの記事を参照。

たまったドコモ・プレミアクラブのポイントが消失しないうちに機種変更も使用と思っているので、あまりケータイ・ヘヴィユーザーではない私(平気で家に忘れてくる)が、いきなり最新のFOMA(今のFOMAは4年前の機種)とワンセグ対応チューナーを装備したiPhoneユーザーになるのかも。。。
東京駅から戸塚に向かう東海道線が帰宅ラッシュなどで混んでいる時に「グリーン車」に乗り込んで、Suica機能を装備したケータイで天井に「ピッ!」とやってみたいものである(ちなみにSuicaでピッとやると前売りのグリーン券と同じ割引きになるのだが、客室を回って来た車掌さんからグリーン券を購入すると割高である)。

あんまり急を要しないし、あってもなくてもいい事なので、いつになるかわからないが、、、
新しいものが好きなので今年中に機種変とiPhone用ワンセグチューナには手を出すのだろうな。

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追加。
一昨日10/28の記事で書いた、飯森さんと山響が出るテレビ番組。
YBC山形放送では、明日10/31の午前10:55からです。
もしかすると、私もちょっと出るかも(出ないかも?)です。
7月の山響定期を山形テルサに聞きに行った際に、YBCの看板アナウンサーである金本美紀さんにお会いしたのでご挨拶をしたところ、「山響について思いを聞かせてください」とインタビューを受けたのです。金本さんはYBCのラヂオ番組『朝だ!元気だ!6時半!!!』のMCの一人で、私が出演した7/7(月)から7/11(金)の5日間(話のタイトルは「心配な脳の病気について〜特に頭痛ともの忘れ〜」)の担当だったのです。
でも、放送時間は以外に短く30分(民放なので実質は20分ちょっとでしょう)なのでカットされている可能性が高いですね。

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2008.10.29

『たらい回し』

最近、報道番組、新聞を賑わせている、東京の「妊婦たらい回し事件」。
およそ1年前に奈良県(〜大阪)でも似たような「たらい回し」があったばかり。現場の事情を理解していないマスコミは、当初こぞって医療バッシングのような記事を書き続けた。今回も、かかりつけ医や最初に受け入れを断り結局回り回って最終的に受け入れた都立墨東病院を非難するような記事が見受けられて心配していた。ようやく、現場の厳しい勤務状況、医師不足、急患受け入れ態勢、周産期医療情報ネットワークの不備、などが浮き彫りにされて来た。
亡くなられた女性の御主人が「今後、このような事が起こらないように対策をとって欲しい」と会見で述べられたとの事。不幸にもお亡くなりになった方とそのご家族には本当にお気の毒で哀悼の意を表するものであるが、こういうことはこれからもまだまだ起こりうることである。
本日のネットニュースで次のような報告が出て来た。

「緊急処置の必要な妊婦や赤ちゃんを受け入れる「総合周産期母子医療センター」を対象に共同通信が緊急調査したところ、全国75施設のうち回答があった59施設の56%は必要な産科の常勤医数を確保できずに定数割れに陥っていることが29日、分かった。当直の産科医が1人態勢のセンターがほぼ半数を占め、全体の90%以上が産科医確保に「苦労している」。綱渡り診療が少なくない現状が浮かんだ。」

なぜ、こういうことになっているのか。
まず、医師の絶対数が少ない。特に産科医療に携わろうとする産婦人科医が少ない(産婦人科を専攻しながら、産科はやらず婦人科だけで診療している診療所、医師も少なくない)。
ようやく医学部の定員を増やすことになったが、戦力となる医師として産科の現場に出て来るまでこれから10年近くかかる。しかも増やした定員数に従って「産婦人科医」が増加する保証はどこにもない。医学部を卒業して国家試験に通れば、医師免許上はどんな診療科でも出来ることになっているのが今の制度。どの専門診療科を専攻するかは、医学部の学生から研修医の時代における「その人」それぞれ自由な意志で決める事ができる。私の場合は脳に興味があり外科医になりたかったので「脳神経外科」を志した。
米国の場合は、ある診療科に対する学問的興味や科学的・医学的魅力によるものもないわけではないが、結局は「期待できる収入」が物を言う。私が知っているデータでは(5年以上前の古いデータだが)最も高額な収入を得られるのは大病院勤務の「移植外科医」、ついで「脳神経外科医」であった。米国では、頭脳明晰で上昇志向の強い医学部学生は、その社会的地位、学問的興味、そして収入の多さからも「脳外科医」に憧れ志望する。ただし、そこから競争があって、希望すれば希望した専門診療科を専攻できるとは限らないのが米国の制度。日本の場合は、本人の希望があれば少々の競争はあるけれどおよそ自分の希望する専門診療科を専攻できる制度になっている。
産科医療に対して医学部の学生や研修医が夢や希望を持てない状況が続く限り、期待する程には産婦人科医が増えないと言う事が懸念される。

今回も話題になっている病院の「たらい回し」。
広辞苑では「一つの物事を責任をもって処理せずに次々と送りまわすこと」と解説されているが、今回の患者さんの「複数病院紹介受け入れ拒否連鎖」は原義の「たらい回し」には当てはまらない。
今回の妊婦さんはかかりつけ医において、高血圧と強い頭痛ということでより高次の産科医療への紹介を考慮したと聞いている。そして最も距離的に近く、都の「周産期母子医療センター」になっている都立墨東病院にまず電話照会した。患者を救急車で連れて行って、窓口で断られて、次の病院に移動しそこで断られて次に移動し、、、という「たらい回し」が行われた訳ではない。墨東病院の救急担当医は都内の「総合周産期母子医療センター」ネットワークで受け入れ可能な病院を検索し、そこから電話連絡をして受け入れ要請をしたものの結局7つの病院にいろいろな理由で「断られ」、最終的に都立墨東病院で受け入れた訳である。つまりネット上、電話連絡上ではいろいろな病院に問い合わせして「たらい回し」の様にはされたが、患者さん自身は受け入れまでに時間がかかっただけで「回された」訳ではない。

にもかかわらず、こういう事例に「たらい回し」という言葉を使うのは誤った用法ではないのか。
最近の医療関連報道では、患者をある病院で一旦受け入れ安静にさせた上で、高次医療施設に搬送の打診をし、相手先に受け入れ余地が無く断られる事も「たらい回し」と呼ばれてしまうようである。しかし、一般の方にはイメージとして「救急車に乗せられた患者さんがぐるぐる回されている」ような印象を持たせてしまう言葉だと思う。
報道の仕方によって医療機関が「悪者」という強いイメージが出来る事を心配する。
今回の事例は、出産間近の妊婦が「脳出血」を起こしたもの。結局、都立墨東病院で受け入れ全身麻酔管理下に帝王切開で赤ちゃんを「無事」に取り上げ、脳出血の治療も行われた。しかし3日後に死亡したものである。かかりつけ医の段階でどこまで「脳出血」の可能性を考えていたかはわからないのだが、その時点で適切な診断が出来たとして、さらに今回のように計8病院の「たらい回し」もなくすぐに受け入れられたと仮定して、この「脳出血」の患者さんは助かったのであろうか?疑問である。

脳外科医の立場から考えると、治療を開始して3日で死亡する脳出血は、診断が付いた時点でほぼ致死的な状態である事が推測される(もちろん、最初は軽症で時間が経つ間に出血が増えて致死的になってしまった、つまりもっと速く対応できれば救えた可能性は否定できないが)。たとえ搬入時にまだ意識があるような状態であったとして、1回目の紹介ですぐに受け入れてもらえたとして、妊婦なのでまず産婦人科医が対応し、次に救急医または当直医の判断で頭のCTなどを検査し、脳出血が見つかってから当番(当直ではなく、各診療科の夜間および休日に対応する役割のある医師)の脳外科医を連絡し、その脳外科医が病院に駆けつけ診察、診断、治療を開始するまでにいったいどのくらいの時間がかかるのだろうか。
私の住む町のような地方都市の中核病院の場合で考えると、救急部に運び込まれてから脳外科医に連絡があり、脳外科医が駆けつけて診断がつくまでに、速ければ30分くらい。かかって1時間。
そこから治療方針を決めて家族に説明し手術の同意を得て、同僚の脳外科医に連絡し(一人では手術できない)、当番の麻酔科を呼び出し、当番の手術場看護師を呼び出し、手術の体制を整えて手術が始まるまでには、どんなに速くても運び込まれてから1時間(2時間くらいすぐ経ってしまう)。脳の手術は全身麻酔をかけ、頭部を固定して顕微鏡で出血部位にアプローチしたりするので、開頭して顕微鏡下処置を施し出血が取り除かれるまでどんなに速くても1時間、簡単に2時間くらいは経ってしまう。
つまり、発症し、連絡し、受け入れられ、搬入され、診察を受け、脳外科医が呼ばれ、手術を受けて血腫が取り除かれるまでには3時間くらいの時間はすぐに経ってしまう。その間に脳出血によるダメージが致死的になることは多く(いくら脳浮腫改善剤などを急速点滴投与していても)、結局、命を落とすか重篤な後遺症を残すことになる可能性が高いと、脳外科医の立場からは考えてしまう。

今回の脳出血で死亡した妊婦さんの事例は悲しい話であり、けっして見過ごしたり容認してよい問題ではないが、誰かを責めたりどこか特定の病院を非難したり、まして厚労省の無策の故に医師が不足したからだとか、都の責任だとか、ネットワークの不備だとか(それらは全て事実であり、改善されるべき問題である事は間違いないが)責めたり文句を言っても詮無き事だと私は思う。
人間は「生き物」であり、生きている物は死すべき運命。その妊婦さんは本当にお気の毒だが、その日、その時間帯に脳出血を起こしてしまったという運命は変えられなかったものではないのだろうか。

医療サービスにおいて「市民の安心感」を声高にうたい、「安心安全な医療」などという安直な標語を掲げる前に、ひとつひとつのシステムをきちんとする事を考えて頂きたい。何よりも現場の労働環境の改善、産科医療に携わろうという夢や希望を若い医師や医学生に与えるような教育とシステム、若手医師を指導したり道を示したり時には「背中で語る」ような立場にある中堅〜ベテラン医師の立場をもっと改善し、50才過ぎても月に数回の全館当直に週に数回以上の診療科当番(夜間や休みに呼ばれる、しかし日中は普通に仕事をしていて代休はない)をこなさなければならないような事態を改善すべきだと思う。若手医師や医学生は、40才どころか50になっても60になっても、休日の家族を置いて病院で忙しく働いている先輩医師を見て将来の夢をなくしてはいないだろうか。
こういう事になったのはどうしてなのだろうか。
私も総合病院や大学病院にいた時、上記のような忙しさで当直や当番をこなしていた。
大学で助教授をしていた時は、さすがに「全館当直」はしなかったが、診療科の当番(急患などで真っ先に呼ばれる)はまだやっていた。やらなければ若手にもっと負担がかかるからである。基本的に、医師の仕事が多すぎる。都会でも田舎でも医師の数が足りない。特に地方で医師の数が絶対的に不足している。しかも、以前勤務した県立病院では夜中に呼ばれて出て来て急患を診て手術をしてもその「時間外労働」に対する報酬は県の予算削減のため年々減らされている状態。

現場の医師に安心を与えてこその医療サービスの安心・安全なのではないだろうか?

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2008.10.28

山響、飯森さん、テレビ番組、酒フィル定期の告知

山形交響楽団については幾度となくこのブログでも触れて来ました。「山響の音楽教室」「明日は山響!」を参照下さい。
自分が山形に暮らしアマオケ活動をやっている事についても、我が「山響」の影響は少なくありません。オケの首席フルート奏者足達先生からはたまにですがレッスンを受けたりもしています。
Photo昨日、酒田で「音楽教室」があったということで、その帰りにわざわざ少し遠回りして拙医院に寄って下さいました。(診療の合間の昼休みで白衣を着たままレッスン)
2週程前に「音楽教室」で酒田にいらした際に、今度の定期で吹くチャイコのPコンの演奏についていろいろ教えて頂いていたのですが、その後どうなったか、チェック&フォローアップに来てくださったのです。まるで「お医者様」の様ですね。患者に処方した薬が効果があったのか、症状が改善しているのか、チェック&フォローアップが大切です!

さて、山形交響楽団。
1972年に村川千秋先生を中心に創設され、ある時は「ガタ響」と揶揄されたり、団員の1/3近くが隣の仙台フィルの前身である宮フィルに移ってしまったり、文化庁の助成金が「0」の年があったり、厳しい冬の時代を乗り越えて今がある訳であるが、現音楽監督の飯森さんが山形に来てから、「山響、いいね!」と県外者からも注目されるようになってきました。

そういった飯森さんと山響の取り組みがテレビで放送されます。『発見!人間力』という全国ネットの番組です。
民間放送教育協会のサイトで『クラシックが響く街へ〜指揮者・飯森範親の挑戦〜の概要がご覧になれます。
また、動画付きのサイトとしては、テレビドガッチ『発見!人間力』は←こちらをご覧ください!

全国ネットですが各地の放送スケジュールがバラバラです。上記サイトでわかります。
東京の「朝日放送」では11/9なのですが、長崎放送(10/25)、山梨放送、福島テレビ(ともに10/27)は放送が終わっちゃいました。今日、10/28(火)は南日本放送、山陰放送ですが、山陰放送は午前中に終わっています。南日本放送は、午後3時からです。
明日10/29(水)には沖縄テレビ、熊本放送、四国放送、北日本放送、と続々全国で放送されます。
地元山形の山形放送は、10/31(金)の午前!10:55~11:25です。
「午前」ですのでお間違いなく!

11月の山響定期には、昨年チャイコフスキー国際コンクールに優勝したバイオリンの神尾真由子さんが登場します。とても楽しみ!11/22、23の2回公演。酒フィルの定期演奏会の翌週です。
08そう、その「酒フィル」の定期演奏会。
しつこく告知します。
11/16(日)です。
メインは「シベ2」です。
コンチェルトは、先日サロンコンサート第3回に登場頂いた、石井理恵さんをソリストに、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番です。今、地元のテレビのなぜかパチンコ屋さんのCFにこの曲が使われていて、ちょっと驚きます。
序曲は、グリンカの歌劇『ルスランとリュドミラ』序曲です。

11月16日、午後1時15分開場で、ホワイエでロビーコンサートをやる予定です(おそらく映画『おくりびと』に絡んで)。
開演は午後2時、午後4時前終了予定です。
どうぞ、酒田フィルの演奏会においで下さい!
チケット、たくさん余っていま〜す。(^^;;;

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2008.10.27

チェンバロの世界

(奥さんのブログと記事内容、写真がカブリますが、、、)(^^;;

平成20年10月26日(日)、宮城県側の蔵王の麓にあたる「宮城蔵王リゾート」のペンションが建ち並ぶ、宮城県柴田郡川崎町に行ってきました。
酒田を朝9時に出発。山形自動車道の川崎ICで降りて、宮城蔵王リゾート地区を目指します。ちなみに私が会員になっている(ものの、この3年で1回しかプレーをしていない)東蔵王ゴルフクラブのすぐ近くを横目に見ながら素通りし、蔵王の方に向かって行きます。

あるペンションの角を曲がり舗装されていない細い道を奥へ奥へと進みます。2度ほど迷って探し直しながら、さらに「ここでいいんだろうか?」と不安な気持ちになった時、目的の場所が現れました。いかにも古楽愛好家というような雰囲気の、ちょっと普通の人ではない雰囲気(失礼!)の人々がある家の前に集まっていました。
そこには、私も家内も顔見知りの山形在住のチェンバロ奏者MUさんもお嬢さんを連れていらしていました。なんとなくまったりと一人目の「公開レッスン」開始です。
Photo講師は、チェンバロ奏者にこの人あり、と言われる曽根麻矢子さん。
今まで生の演奏はまだ聴いた事がなく、CDだけでしか知らない方ですが超有名音楽家。その人が目の前で指導しています。
ちょっと曽根さんがアルペジオをジャララ〜ン!と弾くと「違う楽器なのか?!」と思う程違います。音色、響き、何から何まで違います。大げさではありません。まるでマジックのようです。

一人目のレッスンは12半過ぎになんとなくまったりと終わり(何時から何時というのがあるのか、ないのか、、、と言う感じ)、お昼休みになりました。
「近くに食事するところはなく、皆で一緒に食事をするのでそのつもりでいらしてください」と主催者のチェンバロ制作家木村雅雄さんから言われていました。木村さんの工房兼自宅の庭で皆でお食事会です。
Photo_2曽根麻矢子さんも一緒に、日本酒、ワインを飲みながらスープ、ライ麦パンをスライスしてバーベキューの釜で焼いたもの(なぜか私がパンを焼く係に、、、)、手作りパンチェッタ、チーズ、芋と人参のカレー炒めなどなど手作り料理を、気持ちのいいオープンエアーで頂きます。古楽系の方々は皆さんお知り合い同士らしく、東京からこのレッスンを見る(聴く)ために日帰りで来られた音楽評論家の方や家内以外のレッスン受講者、主催者の木村さん、そして曽根さんと新参者の我々夫婦の間に合った距離は、この楽しい昼食会で縮まりました。
私は、残念ながらアルコール0%のドリンクで我慢。
楽しい食事に会話も弾み、自己紹介がてらいろいろなお話をしました。

そして、「午後1時から、、、」と言われていた家内のレッスンが始まったのは13:50頃。
Photo_3家内は憧れの曽根さんに文字通り「手ほどき」される事に興奮と緊張が隠せない様子。いくら慣れない二段鍵盤のチェンバロでの演奏とはいえ、音が「落ち着いていない」感じ。バタバタしている、というか。
取り組んだ曲は、JSバッハの「イギリス組曲」から1曲。
Photo_4夢の様な世界が過ぎて行った事でしょう。私に例えて言うならば、高木綾子さんとかエマニュエル・パユに「公開レッスン」を受けている様なもので、緊張と嬉しさによる興奮で冷静さを失い普段出る音でさえ出なくなるというもの。レッスンはみっちり50分弱。大曲だったため、曽根さんの模範演奏のようなものがなかったのは残念でしたが(一人目のときは途中まで模範?演奏が聴けた)、やはり曽根さんが弾くと「違う楽器か?!」と思う様な音色の違い。

Photo_6チェンバロという楽器は、鍵盤を押す(ピアノと違って叩くというよりは押す、ただしスピードは必要)と鳥の羽軸(多くはカラス、今はプラスティックも使われる)で出来た爪が付いた小さな板が押し上げられ、それによって鋼線を弾くことで音を出します。(写真は、木村雅雄作、今回レッスンで使用した楽器)
つまり、ギターやハープなどと同じ撥弦楽器です。その構造から、強く叩こうが弱く叩こうが基本的に音の大きさは変わりません。なぜ曽根さんが弾くと全然違う音がするのか。。。
それは多分、タッチのスピードとか深さによって、爪が弦を弾く物理力が変わり、更に最適な時間の間、鍵盤を押し続ける事によって弦は弾かれた後解放されたままで振動を続けるため、減衰しながらも鳴り続けることが出来る訳ですが、その弦の振動と他の弦の振動、さらに弦の振動によるチェンバロの響版や楽器全体の振動が変化するのだと思います。
本当に、驚く程、全然違う響きがするのですからびっくりです。マジックだ!と思ったのは本当です。

Photo_5家内のレッスンの後、もう1名(フレンチの楽器で演奏し、伴奏者がイタリアンで演奏)のレッスン。その方は、さらに2曲レッスンに持ってこられており、凄い演奏をされていました。
更に、1番目の人がもう1曲持って来たものをレッスンされ(サービス?)、夕方5時を過ぎて外は既に真っ暗になっていました。
木村さんのご友人の御婦人がまたまたおいしいお料理を用意してくださり、途中で帰られた方を除いて10人での楽しい晩餐。仙台に戻る曽根さんを知人の方が仙台から迎えに来られたので、夜6時過ぎに曽根さんはお帰りになりました。
我々も酒田まで戻らなければならず(それに、私はアルコール0%の透明な液体しか飲めず!)間もなく我々もお暇しました。

Photo_7「チェンバロに出来ないことはない!」と言い切る曽根さん。
チェンバロは面白い楽器なんですよ、同じ材料、同じ作り方してもバケツを叩いた様な音が出たり素晴らしい響きが出たり、、、と作者の木村さん。(写真は、現在作成中、「自分のための楽器」と木村さんが言っておられたチェンバロの響板に埋め込まれた作者のサイン)

私はチェンバロは弾けませんが(鍵盤に触れば音は出ますが、ピアノとは全く違う楽器です)、違う楽器でも「音楽」は同じなので聴講していて大変勉強になりためになる事がたくさんありました。
チェンバロを始め古楽の世界はちょっと普通とは違う人達の集まりの様に先入観が働いてしまうのですが、曽根さんは美しく優しそうな外見よりも「男らしい」というか、成功しているプロの女性音楽家によく見られる、さばさばした明るさと強さを持っている方ではないかと感じました。
曽根麻矢子さんは、12月21日に山響定期で山形テルサに出演されますが、その前日12/20には庄内定期で酒田市民会館希望ホールで演奏されます。
指揮は工藤俊幸さん。酒田の「あいおい工藤美術館」館長の工藤幸治さんのご子息で、酒田フィル定期の指揮指導をH16~18年と3年間やってくださった方なのでよく存じています。
プーランクの「チェンバロと管弦楽のための『田園のコンセール』」という曲をやるそうです。
楽しみです!

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2008.10.26

今日は蔵王へ

昨日土曜日はお昼を過ぎてから新患が2名来られ、外来が終わって片付けが済んだのは午後2時。それからお昼を食べ、ちょっと「スワンパーク」へ行ってみました。
先日の記事にも書いたように、今年は「鳥インフルエンザ」を懸念して最上川に飛来する白鳥への餌付けが禁止され、毎年「スワンパーク」に設置する観察小屋もなく、川面に近づけないように柵が置いてありました。
Photo一羽もいない白鳥に(だいたい日中は皆落ち穂狩りに行っていていないのがふつうなのですが)ちょっとがっかりしてパークをあとにしようとしていたら、一羽の白鳥が飛んできました。ぐる〜っと一周してまたどこかに飛んで行きました。群れからはぐれたのでしょうか。
「あれ〜?誰もいないよ〜。みんな、どこ行ったの〜?ウェ〜ン」という感じで飛んで行きました。

Photo_2みんなは、こういうところにいるのです。
もっとたくさんの群れは道路から離れた田んぼにいました。

医院に戻ったら午後3時半頃。先週の脳ドック患者さんのデータ整理などをしていたらあっという間に夕方。家に帰って軽い夕食後、19時からはオケの練習です。
定期演奏会まであと3週となってしまいました。
しかし、11/3(月・祝)の『第51回酒田市民音楽祭』で演奏するワーグナーの『タンホイザー』から「大行進曲」(合唱付き)の練習もあり、なかなか定期演奏会の練習の時間が減少。この「大行進曲」の練習は、あと2回のみで本番。なかなか大変です。

さて、今日は山形の蔵王ではなく宮城県側の蔵王に行きます。
曽根麻矢子さんという超有名なチェンバロ奏者による公開レッスンがあり、家内がこれを受けるためです。この様子や、上記白鳥さんの写真などは後ほど(明日?)アップする予定です。

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2008.10.24

庄内に暮らす喜び

山形県の中でも庄内地方は、その地理的な事を除けば天の恵みの多い土地です。
庄内には平成17年までの間に3回の病院勤務移動でつごう4年半暮らし、昨年5月に「骨を埋める」覚悟で移住してから1年5ヶ月が経ちました。
地理的にも、特に恵まれていない訳ではないのですが、東京や大阪などの大都市周辺の様な文化や娯楽はどうしても少なくなります。車での移動を考えた場合、県庁所在地の山形市までは1時間半、隣県の県庁所在地としては秋田市まで2時間弱、新潟市まで3時間、仙台市まではルートによって2時間半〜3時間ということで、どこも「いまいち遠い」という感覚があります。

ただ、最近注目されている映画のロケ地としても、「食の都庄内」としても魅力溢れる土地であり、ここに暮らす喜びはたくさん感じています。
鶴岡市出身の藤沢周平原作の映画作品を始め、ここ数年の間に庄内で撮影された映画、庄内に関わる映画は非常に多く、映画館で見る際にも大変思い入れは深くなります。9/16封切りの『おくりびと』は、映画館への観客動員数が、日本国内で東京に次いで庄内(実質は三川町の三川イオンシネマしかありません)で全国で第2位なのだそうです。
庄内空港ビルのHPの中に、昨日紹介した「山居倉庫前のライブカメラ」の他に庄内の映画情報をまとめた非常に良く出来たサイトがあります。こちら↓をご覧ください。
「庄内の四季と映画」

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Photo先日、10/19にサロン・コンサート第3回のピアノリサイタルをしてくださった石井理恵さんを、本番前の限られた時間にお連れした(お連れしたかった)のは、酒田駅前東急インの中にある老舗『ル・ポットフー』。言わずと知れた銘店であり、このブログでも佐藤久一さんんことやお店の事も何度も紹介している。
Photo_2日曜のお昼、ランチで頂いたコースは、お肉かお魚を選ぶもので、前菜プレート、主菜、パン、コーヒー(または紅茶)、デザートで1500円程度。石井さんとS夫人はメインに「庄内豚のロースと」を選択。私とS氏は写真の「舌ビラメのムニエル」。
舌平目は「ドーバーソール」が有名であるが、これは地物と思う。「べろうお」とか「ぞうりうお」などと呼ばれることもあるそうです。本格的なドーバーソールのような舌平目に比べると、魚体が大きい割には身が薄めで弾力に乏しい感じがしました。ムニエルもバターがやや焦げ目というか、それがこの料理の狙いだったかもしれません。『ル・ポットフー』の有名料理は「カスベのポシェ(=庄内沖のエイのソテー、焦がしバターがけ)」ですから。。。
実はピッツバーグに住んでいた時にイタリア人経営の魚屋で本物のドーバーソールがそんなに高くない値段で売っていたので、シャレで買って自分でムニエルを見よう見まねで作ってみたことがあったのですが、それがたまたまと〜〜っても美味しくて、15年経ってもあの味覚はまだ私の原始的記憶の中にしっかり残っているのです。
Photo_3デザートは、カシスのシャーベットにラズベリー、ブラックベリー、そしてラ・フランスと庄内柿の小さなスライスが添えてあって、ものすごく美味で爽やかでした。コーヒーも美味しく、お代わりが出来るところもいいですね。

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木曜日は、前日の記事で触れた「頭痛に関する勉強会」の準備があったので、午後休診日にあわせた週一通いのスポーツクラブもお休みにして、夜のこともあるので(下記に続く)昼はさっぱりしたものにしようと、お蕎麦にしました。
Photo_4クリニック近くの「めだか」はやっていましたし、ここのお蕎麦は美味しいので候補になったのですが、以前振られた(行ったらお蕎麦が切れていた)お店にしました。
それは、山居倉庫前の新井田川を挟んだところにある『川辺の館』にある蕎麦屋さん。ここは新井田川で舟遊びが出来る屋形船「みづき」のお店でもあります。行ってみるとお客は「0」。おじさんがどこからともなく現れてきて、蕎麦を注文するといきなり粉をコネ鉢でこね始めました。うちたて、ゆでたての「2たて」を食べられるのは嬉しいのですが、待たされるのかとちょっと不安。ところが非常に手早く写真の一人前板蕎麦は10分くらいで出て来たように思います。
1〜2番粉でうったと思われる太め、固めの麺。都風の洗練されたお蕎麦を出す日吉町の「田毎」に比べると、山形の内陸の田舎蕎麦風です。メニューなどが書いてある板に「佐藤長三郎そば」と書いてありました。酒田から47号線を新庄方面に行くと白糸の滝ドライブインを過ぎてちょっとしてからだったかな?高屋という地区の右手に「佐藤長三郎そば」という小さなお店が現れます。以前から気になっていました。さらに新庄方面に進むと戸沢村の古口にも「佐藤長三郎そば」という店があります。気になっていたのですがまだ入った事がなく、その事を店主に問うと、なんとなんと古口の本店と高屋の分店をやっているそのひと本人でした。奥さんの事情などで普段は酒田にいて、「酒田湊観光汽船」という会社を立ち上げて屋形船をやりながら蕎麦屋もやっているとのこと。そのため、古口本店は今は閉めていて、高屋分店は人に任せているとの事でした。前から気になっていた「佐藤長三郎そば」の本物を酒田で食べられるとは思いもよりませんでした。しかも、内陸の田舎風そば、ゴツゴツとした感じで美味しい。といっても、天童の水車蕎麦ほど固くはなく、村山の銘店「あらきそば」に近い感じでした。田舎風蕎麦が好みの方にはここは一押しですね。
Photo_5家内は「麦きり」を注文。庄内では小麦粉の麺は「うどん」と呼ばず、お蕎麦のように食べるのが普通で、それを「麦きり」と呼びます。少し前にブログでも触れた鶴岡の超有名店「寝覚め屋半兵衛」のふわっとやわらかくて、でも腰のあるやさしい麦きりに近い感じ。蕎麦と交互に食べ比べると、その噛み応えや喉越し、風味の違いが楽しいです。
Photo_6お蕎麦と麦切りを美味しく頂きながらメニューを見ていたら「いけないもの」を見てしまいました。それが写真の「玉こん」と「みたらしだんご」です。
玉こんにゃくは、山形の名物ですが、山形市の県庁近く、千歳山のふもとにある「千歳山玉こんにゃく」が有名ですし美味しい。その他蔵王のお釜や蔵王温泉他、県内観光地はどこに行ってもたいてい食べられます。ここの玉コンはちょっと濃いめの味付け。ギリッと醤油のしょっぱさが感じられます。おそらく伝統的な作り方であるスルメを煮汁に入れていると思われる風味はしっかりして、庄内人向け(?)の濃いめ、しょっぱ目な味付け。
みたらし団子は、これまた注文してから練って団子を作りそれから香ばしく焼いてタレ?をかけて出してくれました。これは絶品です!本当に旨い!練りたての団子という感じでやや柔らかめ。秋田生まれの家内は、「団子というよりも秋田の本格的なきりたんぽを思い出させる優しい味」と評していました。餅米?の風味がしっかり生きているのです。焼き方もやや焦げ目なところが旨い!一本100円です。お近くの方は是非ここの「みたらし」、一度は食べてみて下さい。「お蕎麦」も「麦きり」も美味しいです。
ただ山居倉庫あたりに来た観光客がちらちら見ながら横を通って、本間家旧本邸方面へぞろぞろ歩いて行くだけで、店の存在もあまり知られず(「川辺の館」というのは有名なのですが)、お蕎麦やさんとしては認知されていないと店主は嘆いていました。ここのお蕎麦屋さんも存続してもらえるよう、通わなくては。。。(笑)
「佐藤長三郎そば」のHPは「こちら」です。

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木曜日の勉強会の後は、主催者の招待でまた(!)『ル・ポットフー』。
これが分かっていたから昼は「軽く」と考えて、上記のような始末。。。

(前菜のお皿の写真は撮り忘れたようです、、、)
前菜は「ひらめのカルパッチョ」。美味しい!
飲み物に、佐藤久一さん以来交流がある上山のタケダワイナリーのシャンパンを頂きました。ここのシャンパン『キュベ・ヨシコ』は自分で買って飲んだことがあります。日本で初めて(?)、伝統的なフランスシャンパーニュ地方のシャンパン製造法に乗っ取って作られたスパークリングワインと聞いたことがあります。爽やかで優しい味がするシャンパンなのですが、通称「ドンペリ」と呼ばれる有名なシャンパンに比べてしまうとどこか物足りなさを感じていました。
ところが、今日頂いたのは『キュベ・ヨシコ』の「セコンド」というようなものとのこと。まだ町にそれほど出回っていない新しいものだと言う事でした。写真を撮り忘れたので、ネットから。
「1997ドメイヌ・タケダ・ブリュット」をご覧ください。「キュベ・ヨシコ」が「物足りない」と感じたのは単に私の昔の記憶なのですが、この「ブリュット」は酸味が強くパンチがあってでも爽やかで美味しかった!シャルドネ種100%のはずですが、どこか「青りんご」の風味を感じさせる、酸味と口腔を心地よく刺激する強さを持った新しいシャンパンです。まだ若い木から穫れたぶどうだけを使って新たに作ったものだそうです。私は好きですね。
「キュベ・ヨシコ」は←こちら。ワインは穫れた年によってものが違うので、私が以前飲んだのは「ヴィンテージ」物ではなかったのでしょう。いつか「10年シュール・リー」を頂いてみたいものです。泡立ちが3日持つなんてどんなスパークリングワインなのでしょう。。。
Photo_7今日のスープは「ひらつめガニ」。「渡りガニ」とも呼ばれる蟹で地物です。かにみそもスープに練り込んであるようで、濃厚でコクがあって口当たりが甘い。美味です。
Photo_8ディナーのコースはお魚とお肉が出ます。
魚は「スズキ」君。これも地物でしょう。さっぱりとした白身魚をローストしてバターでソテーした野菜が添えてあります。

Photo_12メインのもう一皿は山形牛。私はレアミディアムくらいであまり火を通さないように頼みました。美味しいのですが、お酒に弱い私は、ここまでにシャンパンと白ワインで結構酔ってしまい(前日の睡眠不足もたたり)、「やわらかいな〜」「表面の焼き具合がいいな〜」というのは覚えていますが味のレポートはできません。m(_)m
Photo_10デザートは、写真のように美しく、美味しく。。。え〜、、、美味しさでぼ〜っとして(酔っぱらって)、庄内柿以外はよく覚えてません。たしかブドウシャーベットにケーキが2種類、そしてフルーツの小スライスでした。(^^;;;

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またまた「グルメ・レポート」になってしまいました。
映画のこと、食の文化、さらに私の場合は酒田フィルなどの音楽活動と庄内に住む幸せを感じる事はたくさんあるのですが、昨日の診療でもその幸せを感じることがありました。

以前の記事にも書いた、私が執刀したくも膜下出血の女性。玄関前で意識を失って倒れたのを年老いた(目も見えず耳も弱くなっていた)愛犬が近所に知らせに行って助けを呼んだという、まるでテレビ番組になりそうな「本当のお話」の人です。
「True Story(感動)」を参照ください。
現在は一月に1回、血圧を中心にした管理程度。一人暮らしで車の運転もしないので、近所の人と一緒に車で来たり、酒田に住む妹さんのご主人に車で送り迎えしてもらったり、足がないときはバスを乗り継いで一生懸命通って下さる。車で行っても30分はかかるので、バスを乗り継いだりすると場合によっては片道1時間かかってしまうらしい。
その人が、「先生が酒田にいてくれて幸せだ」「私は先生から新しい命をもらったと思ってる」「H17年にくも膜下出血で倒れて、あの時一回死んで、その後の人生は新しい命を先生から頂いたと思って生きている」などとおっしゃって下さいました。
医者冥利、脳外科冥利です。
たまたま私がN病院にいて、たまたまその患者さんに愛犬がいて、賢い愛犬に導かれた近所の人が見つけてくれて、たまたま出血が致死的ではなくて(ハント分類でグレード3だったはず)、たまたま手術がうまく行って、その後の経過が運良く良好だっただけです。
患者さんの首には右側にうっすらと傷跡があります。確か、右の内頸動脈ー眼動脈分岐部の破裂脳動脈瘤だったので、開頭に先立ち頚部内頸動脈を確保するため頚部で総頚、内頚動脈部を露出して血管テープをかけておき、万が一クリッピング前に動脈瘤が破裂した場合にproximal control(破れた動脈瘤よりも心臓側(=proximal)で血管を絞められるようにする)ができるようにしておいた、その傷跡です。眼動脈は視神経の下に潜って眼窩方向に走って行くため、そこに出来る動脈瘤は大抵の場合、親動脈である内頸動脈を動脈瘤よりも心臓側で一次遮断することが困難です。視神経の入って行く視神経管の入り口である前床突起という骨を顕微鏡下に先端径1mmのダイヤモンドドリルで削って、動脈瘤にアプローチしやすくはしたのですが、やはり頭蓋内でのproximal controlは出来ない状況。
緊張しながら動脈瘤にチタンクリップをかけました。幸い処置中に破裂しなかったため、頚部で確保した内頸動脈を絞める必要は無く、結果的には頚部の処置は「無駄」に終わったのです。首の傷跡は手術が成功した「勲章」のようなものと思います。100%の確率で術中破裂が無いのであれば頚部の処置は必要なかったものです。無駄な傷をつけてしまったという思いはありますが、同時に万全の事をやって成功させた、という記憶を呼び起こします。
外科医というのは、大変だった手術というのは結構頭の中にその映像が残っているものです。この方の動脈瘤の形やクリップをかけたときの状況も、完全ではありませんが記憶にあります。医者冥利に尽きる嬉しい言葉を頂きながら、私の頭の中は患者さんの動脈瘤とクリップが思い浮かんでいました。(笑)

その他にも、N病院の脳外科医に患者さんの目の前で電話をして紹介する話をした時に、「開業医さんでこんなにすぐに密接な連絡が取れる先生がいてくれて、酒田に住んで安心だ」というような感想を頂いたこともあります。N病院の脳外科医が私の医局の後輩(医局長や講師をしていた頃に入局して来た人が3名)で、私がN病院で働いていたということで、医師もナースも知り合いが多いということが活きています。
こういったことも私自身、庄内に暮らす喜び、になるのです。。。


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2008.10.23

今日は小講演会

本日はクローズドな勉強会での講演会です。
「頭痛に関する勉強会」で小1時間講演する予定。
最近様々忙しかったので、ここ数日でPowerPointのファイルをまとめ、昨日は自宅の居間でソファで寝たり起きたりしながら(一度もベッドに入らず)、朝までかかってプレゼンテーションのスライドを作成しました。

開業してから、「慢性期脳梗塞の治療に関する勉強会」、「めまいに関する勉強会」、「脳からみた心の癒し方」という講演を行いました。これらのプレゼンデータは余裕があれば、医院のHPや「院長ブログ」の方に何らかの形で公開したいと思います。
今月は「庄内地区頸動脈エコー研究会」でも症例報告をする予定ですし、来月は庄内地区医師会合同の集談会で学会発表をする予定です。開業するとどうしても公的に報告、発表する機会が減ってしまうので、これを機会に勉強やデータ集計や発表を行って頭を常に「前向き」に、少しでも学問的にしておかなければなりません。ある程度の実力を持つ音楽家がコンクールを受け続けるのと似ているか(?)も知れません。自分にノルマを課して自分をある程度追い込んでいかないと、ついつい怠惰になって勉強しなくなるからでもあります。

勉強とは無関係ですが、頭痛に関する情報をネットで検索していたら、なぜかたまたまこんなのを見つけました。
「庄内空港ビル」HPをご覧ください。

トップには、ちょうど新井田川越しに山居倉庫を定点観察する「ライブカメラ」があります。
道路を通る観光バスや、山居走行の前を歩く観光客とおぼしき人達が見えますね。今度、誰かと時間を決めてこのカメラの前で手でも振ってみましょうか?(爆)

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2008.10.21

希望ホール

酒田市民会館は、昭和38年(東京オリンピックの前年!)竣工の古い建物をH16年に立て替えて現在の市民会館になりました。その際、酒田出身のシャンソン歌手岸洋子の代表作の歌曲名『希望』を取って、「酒田市民会館『希望ホール』」という新しい名前もつけられました。

今年、平成20年は「希望ホール開館5周年記念事業」と銘打って、様々な「支援事業」や「協賛事業」をやっています。(酒田市民会館「希望ホール」のHPをご覧ください)
会館側の事業ではありませんが、第52回酒田市民芸術祭の参加行事もこの秋に目白押しです。

その一つは、11/3(月・祝)の酒田市民音楽。
市民音楽祭とは「毎年11月3日の文化の日の音楽祭として酒田市民に親しまれ、50年の歴史を歩んできた。音楽祭を通じて地方音楽文化の向上に寄与する。」というものだそうです。
酒田市音楽団体協議会加盟18団体によるクラシック音楽のジョイントコンサートと合同演奏が行われます。我が酒田フィルは、音楽祭の最後の最後に複数の合唱団との合同演奏という形で参加します。演奏曲目はワーグナー作曲『タンホイザー』からかの有名な「大行進曲」です。
トランペットのファンファーレに導かれ、歌合戦への入場を盛り上げる行進曲です。この曲、私は平成18年の第65回日本脳神経外科学会総会(主催京都大学)の会員懇親会の開会式において、早川正昭さん(ハープの早川りさ子さんの父君)の指揮で日本脳神経外科オーケストラ団の一員としてフルート&ピッコロで参加しました。その時はオケだけでしたが、今回は合唱付きで行われます。
その合唱(ドイツ語)の日本語訳は
『芸術と平和がつねに満ち溢れている
 気高き殿堂を私たちが迎えることを喜ぼう!
 ここにはまた「チューリンゲンの領主ヘルマン伯万歳!」
 の叫びが(楽しげに)鳴り響くのだ』
というものです。
格調高い演奏が出来るでしょうか?

08そして、11/16(日)にはいよいよ酒田フィルハーモニー管弦楽団の第36回定期演奏会です。
先日、サロンコンサートでピアノリサイタルをしてくださった石井理恵さんをそりすとに迎えて、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番をやります。
40年の歴史を持つ酒田フィルでも、定期演奏会でチャイコのPコンをやるのは初めてのようです。ラフマニノフのPコン2番(のだめカンタービレでも有名になりました)は2回やっているようですし、モーツァルトのPコンも何曲かやっているようです。チャイコのPコンが初めてとは、定期演奏会プロジェクトチームに入るまで知りませんでした。
とにかく、楽しみで、今からワクワクしてしまいます。v(^^

先週(10/18)の第2回指揮者練習は、希望ホールの「小ホール」で行われました。ここにもシュタインウェイのフルコンが置いてあるのですが、これは前の市民会館で使っていたものでちょっと状態がよくありません。さすがのシュタインウェイでもちょっとへたっている感じがします。本番は「大ホール」にある4年前に購入された新しく状態の良いシュタインウェイのフルコンです。その音の素晴らしさは、H18年にファルカシュ・ガボールとショパンのPコン1番を演奏した際(ブログ記事「コンサート大成功!」を参照ください)にも確認済み。本当に素晴らしいピアノです。

さて、このように練習や音楽祭や定期演奏会の事などで足繁く「希望ホール」に行っています。先日来、1階の玄関ホール(大ホール入り口手前)に写真パネルがたくさん飾ってあるのに気がつきました。
Photo現在公開中、酒田を主な舞台にした話題の映画『おくりびと』のスチール写真です。
今年は『クライマーズ・ハイ』や『崖の上のポニョ』やこれから公開される『ICHI』に『私は貝になりたい』などいい作品が目白押しですが、やはり『おくりびと』は秀逸だと思います。
パネル写真の左上は、希望ホールでの撮影シーン。飯森範親指揮山形交響楽団と地元の合唱団で「第九」を演奏したシーン。主役のチェロ奏者モックンの手前に山響のチェロKW氏、向こうにビオラのJK氏がばっちり映っています。
Photo_2左上は、酒田市の日和山公園にあがって行く道の脇に現存する「小幡」という旧料亭の建物。そこが山崎努演じる社長の経営するNK(納棺)エージェントという会社の事務所。
左下は、遊佐の月光川の堤防で残雪の美しい姿を見せる春の鳥海山をバックに主役モックンがチェロを弾くシーン。まあ、普通、川の堤防に大事な楽器を持ち出して弾いたりはしないでしょうけれど。。。(笑)
Photo_3左下の写真は、納棺の「How to」ビデオ制作のシーンを撮影した、酒田市内の旧「港座」という映画館跡。
右上は、夫が屍体に触る仕事をしていると知り「けがらわしい!」などと誤解して、実家に帰るため列車を駅で待つ妻演じる広末涼子さん。この駅は酒田駅ではなく、庄内町の余目駅です。撮影は5月頃だったはずで、プラットホームなどに雪はなく、季節感を出すために鳥海山(月山だったかな?)から2トン以上におよぶ雪を運んで来て創りだしたシーンです。

いつまで掲示されているかは分かりませんが、希望ホールに行くとこれらのパネル写真を観る事が出来ます。

今日のおまけ
(写真用意中)10/19のサロン・コンサート直前、石井理恵さんを『ル・ポットフー』にお連れしました。1500円のリーズナブルなランチコースの最後はデザート。ラ・フランスと庄内柿の小さなスライスが入ったカシスのシャーベット。
美味しかった!

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2008.10.20

サロン・コンサート第3回レポート

H20年10月19日(日)、拙医院のリハビリ室にてサロン・コンサートの第3回を行いました。
過去2回はフルートがメインでしたが、3回目にして初めてピアノソロ、そして女性奏者の登場です。石井理恵さんは一昨年の日本音楽コンクール本選入賞などいろいろな賞を獲得されている新進のピアニスト。山形生まれで高校まで山形で過ごしています。そういうことでお話をしてみると、とてもたくさんの共通の知り合いや音楽関係の知人をお持ちでした。

Photo前日10/18は東京音大で仕事をされて夕方の便で庄内へ。すぐに希望ホール「小ホール」での酒フィルの練習に合流され、2時間を超す練習です。オケがまだまだなため、指揮の井崎正浩さんの指示でピアノとオケの絡みやピアノの仕事とオケの仕事を団員に理解させるため別々に演奏したりと、ただ演奏するだけではない様々な(面倒な)注文に応じての2時間超でした。井崎さんも「石井さん、すみません、いいですか?」とか「ごめんなさいね、○○からまた弾いて下さいます?」と気を遣っておられました。
(写真は、17:40頃に希望ホールに到着して、オケが17:45~18:30の休憩&弁当の間に小ホールのシュタインウェイで「指ならし」をされている石井さん)

そんな過酷(?)な練習の翌日にもかかわらず、9時過ぎから練習にのぞまれました。
ピアニストの大変さの一つに、演奏会場に自分の楽器を持っていけない、ということがあります。極く限られた特殊な人だけ(たとえば往年のホロヴィッツくらい?)が自宅から愛用のピアノを飛行機で運んで来て演奏会場に設置するとか、せめて愛用の椅子を運んで来る人(グレン・グールドなど)もいますが、普通はピアノも椅子も演奏会場に置いてあるものを使う訳です。同じグランドピアノでも、メーカーはもちろん型式、年式、普段の使用頻度、メンテナンス、調律によってかなりの差があります。そしてピアノの置いてある部屋、演奏する会場などによって、響きも変わりますし、それによって演奏法も変えなければならないようです。
うちのリハビリ室『ジョンダーノ・ホール』は、もちろん「音楽専用」のホールではありませんし、その床面積(約60帖)や天井の高さ(低いところで3mくらい、高いところで6m弱)もヤマハの7シリーズのグランドピアノには十分広いとは言えません。
グランドピアノはその蓋を「閉じたまま」「半開」「全開」と変える事によって、音量/音色も変化します。「全開」にした方が、音色の面でその楽器の持つ特色がストレートに伝わりやすいので、前2回のサロンコンサートでフルートという音量のあまり大きくない楽器の伴奏の際にも「全開」にしました。今回、石井さんのタッチの強さ、ffの音量の大きさから蓋を「半開」にする方法もあったかもしれませんが、私が自分で弾いて感じるのは「半開」にすると弦の振動が空気の振動へ伝わるだけでなく、響板からピアノの筥体、そして足から床へと伝わる音が強くなって音色が変わるようです。また、観客が入った場合の音の響きも変わります。ピアノの位置(後ろの壁からの距離、左右の壁からの距離など)でも響きが変わります。今回の位置が最適だったかどうかはわかりませんが、ちょっとピアノの音が強い、ホールに反響した音が少しうるさい、と感じました。今後、いろいろ試してみたいとは思います。(足と床の間に吸音するクッションを入れた方がいいのかな〜、、、)

さて、9:30〜11:40くらい、ほとんど休憩を取らずに練習をされました。慣れないピアノのタッチに少しでも慣れよう、変わった環境の響きに少しでも慣れようと一生懸命取り組んでいる姿に感動しました。「そろそろ、、、」と声をかけなければいつまでも練習していそうで、本当にピアノが好きなんだな〜と感じました。
時間はタイトでしたが、折角なのでオケのインスペクタであるSさん夫妻を誘って昼食へ。S夫人は前2回のサロンコンサートでピアニストを務めて下さった方です。東急イン内の『ル・ポットフー』でランチを頂きながら楽しく談笑。石井さんとS夫人はピアニスト同士、いろいろな話に華が咲きました。興味深かったのは、現代のピアノの3ペダルの真ん中にある「ソステヌート・ペダル」の使い方の話や石井さんが東京音大で指揮科のピアノ伴奏(オーケストラの代わり)をしていることです。うちのピアノは古いので2ペダル方式ですが、3ペダルの「ソステヌート」というのは特殊であまり使いこなす人はいないようなのですが、ある音を鳴らしてからすぐに「ソステヌート・ペダル」を踏むとその音だけが長く伸びるということでした。よって、ピアノでオケの代わりをするときも(これもスコアから弾く場合もあれば、オケの楽譜をピアノ譜に書き直したものを使う場合もある)左手であるベースの音を「ポーン」と弾いて「ソステヌート」をかけておいて、両手で高音部を演奏するというような弾き方もあったり、現代曲でも「ソステヌート・ペダル」で弦を解放しておいて、違う鍵盤で音を鳴らしてその倍音で響かせるというような特殊な奏法もあるのだそうです。


ピアノリサイタルは13:30開場。
時間通りにぞくぞくと予約されていた方を中心に来場。当日飛び込みのお客様も数名。全部で45名ほどいらして頂きました。小さいお子さんもピアノ好きの方などは真ん前の真ん中を陣取って座っています。
14:00予定通り開演。
まずは1曲目、スカルラッティの「カプリッチョ」。
Photo_3指慣らしと観客が入った後のホールの響きを確認するかのように軽快な音楽。タッチの明快さが際立ちます。私は控え室からの誘導や挨拶や録音や、、、などでゆっくり椅子に座って聴いておられず立ち見で落ち着きなく演奏を聴いたのでなかなか演奏を冷静に、客観的に評価できません。
2曲目、ベートーベンの「ピアノソナタ第30番」。後期ソナタでも最後の方なので、聴いているとまるでオーケストラ譜をピアノ譜に変えたような雰囲気。ピアノの音が鳴っているのですがベートーベンの交響曲を聴いているような印象を受けます。
Photo_23曲目、ドビュッシーの前奏曲より「亜麻色の髪の乙女」と「西風の見たもの」。「亜麻色の、、、」は美しい弱音が優しく響きます。演奏後、「この楽器は弱音の幅が広いですね」と感想を言っておられたのですが、私などが弾いては出せない、静かな弱音、柔らかい弱音、少し力を持った弱音などを柔らかいタッチと弱音ペダルを使いながら引き分けておられたのは「さすが!」と思いました。「西風の、、、」は一転、強いタッチで激しい嵐のような、突き抜けるようなフォルテを奏でます。あっという間に30分ほどの前半が終了です。

10分の休憩を挟んで後半へ。
4曲目は、シューマンの「謝肉祭」。
Photo_4全部で21曲、通して演奏すると30分強。石井さんに伺うのを忘れたのですが25分ほどで演奏を終えられたので、全曲弾いたのか何曲か選んだのかわかりません。「前口上」から「フィリシテ人と闘う『ダヴィッド同盟』の行進」まで、一気に演奏されました。おどけたピエロ、優雅なダンスのワルツ、様々な音色が小さなホール一杯に響きます。

最後は華々しく終わって大拍手!
アンコールはショパンのノクターン。
Photo_5映画『戦場のピアニスト』でメインに使われた曲です。私も大好きな曲。
優しく、物悲しい、甘いメロディが響きます。
拍手、拍手、拍手。。。

素晴らしい演奏会でした。
広いコンサートホールで、フルコンのグランドピアノを聴くのとはまた趣の違った演奏会だったと思います。それこそ、シューベルトやショパンやリストなどが、自宅や招かれた貴族、友人の家のサロンでピアノを弾いていたような「サロン・コンサート」をイメージはしているのですが、そういう雰囲気に慣れないのでどうしても「演奏会!」と構えて聴く雰囲気になってしまいます。
石井さんは昨日チャイコフスキーを、あんなに音の多いPコンを2時間以上弾いたばかりなのに、今日のこのバラエティに富むプログラム。しかも全部暗譜!ピアニストにとっては当然なのかもしれませんが、それが頭に(つまり脳の中ですが、感覚的には「体」に)全部入っているというのは本当に不思議ですし、感心します。「もうちょっと、このホールに合うような、静かな、サロン的な音楽を選べば良かったかもしれないですね、、、」と演奏後のご本人の感想。弾いているご本人もちょっと音の響きが強すぎるということを感じておられたようです。
でも、石井さんの素晴らしい演奏のお蔭もあって、11/16(日)の酒田フィルの定期演奏会の宣伝をしたら1枚チケットが売れました!

今回はじめてピアノ単独のサロン・コンサートを開催しましたが、ピアノの響き、ホールの響きについてもっと研究していろいろ対策をとらないと行けないな〜と感じました。また、床、天井に木が多く使われ床下もコンクリートなどで固めていない、「元は鉄骨作りのコンビニ」であるこのホールは、弦楽器の響きに合うような感触を持っています。今後、山Qさんなどのプロはもちろん、酒田フィルの弦のメンバーに依頼してまた「サロン・コンサート」は第4回、5回、と続けて行きたいと思っています。
2日間、みっちりとピアノ演奏をされて、観光も何もされなかった石井さんには本当に感謝でございます。こんな素晴らしい演奏家と一緒にピアノコンツェルトが出来るなんて感激です。

帰りの飛行機まで少し時間があったので、芸文協の会長である工藤先生がやっている『あいおい工藤美術館』(拙ブログ記事「あいおい工藤美術館」初訪問!を参照)にお連れしました。前にも書きましたが酒田出身で山響の正指揮者工藤俊幸さんのお父上です。
古い着物、骨董品、土人形、瀬戸人形、古い簪などの小物と言った、マニア垂涎の品々を趣味で集めて土日を主に展示している「お店」です。取り壊される寸前だった、立派な蔵付きの質屋を無理して借り上げて個人的に運営している美術館でもあります。
石井さんはご両親が米沢出身で、お祖父様が「米沢織物」の関係で着物が好きで、神社仏閣、古い物、骨董品に興味がおありのようで、ちょっと気が向いてお連れしたのですが本当はもっと時間があればゆっくり観ていたいというような感じでした。
すっかり陽も暮れた夕方18時過ぎの羽田行きの便で酒田を後にされましたが、今回の指揮者練習とサロン・コンサートで親しくして頂く事が出来て幸せでした。11月の定期演奏会の石井さんのチャイコがますます楽しみになりました。オケも頑張って少しでもいい演奏をしたいものです。

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2008.10.18

今日は指揮者練習、明日はピアノ・リサイタル

本日は、11/16(日)の酒田フィル定期演奏会に備えての2回目の「指揮者練習」。
本番指揮者の井崎正浩さんとピアニストの石井理恵さんにお出で頂いて午後2時から夜9時まで練習である。本番まであと4週となり秒読み段階になって来たが、オケとしてのまとまり、音楽の完成度はまだまだ低いと言わざるを得ない。でもこれからです。残された4週でググ〜ッ!と盛り上がるのがいつもの酒フィル。各団員の個人練習もいよいよ熱が入る事であろう。


そして、明日10/19(日)は『サロンコンサート第3回』。
ピアノの石井理恵さんに、拙医院のリハビリ室『ジョンダーノ・ホール』のグランドピアノ(ヤマハG7)でリサイタルをして頂く。
Photo左の写真のパンフレットの記載の通りだが、スカルラッティの「カプリッチョ」、ベートーベンの「ピアノソナタ第30番」、ドビュッシーの前奏曲より「亜麻色の髪の乙女」と「西風の見たもの」、休憩を挟んでシューマンの「謝肉祭」全曲の予定である。

これまでのサロンコンサート第1回、第2回はいずれもメインがフルートなので、チェンバロとピアノはアンサンブル、または伴奏であった。グランドピアノも伴奏としてメインではなかったので、プロが弾くうちのピアノの音を「ちゃんと」聴くのは初めてのことになる。楽しみであるしドキドキもする。
うちの広くはない(60帖あるとはいえ、グランドピアノには十分な広さではない)ホールでどのように響くのだろう。観客はどのくらい入ってもらえるのだろう。。。(今のところ、予約でまだ30名行っていないので当日いらっしゃるお客さんに期待している、、、)
お客さんがたくさん入れば響きも変化すると思う。

楽しみである。

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2008.10.17

拝啓!読売新聞社様、、、

白鳥さん、酒田にどんどん飛来しているようです。
綺麗なV字編隊飛行もいよいよ目にしました。
さて、、、
(以下の記事で今日とは10/16(木)です。16日に書いていたのですが、完成したのは17日(金)になってしまいました)
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今朝(10/16)の読売新聞朝刊は「医療改革」の提言を一面トップに持って来て、関連ページもたくさん「医療改革」に対する方策、対策などの特集でした。全国紙としての立場から提言されたその心意気やよし!です。内容についても賛成できる点もたくさんあります。
しかし、私のブログでも病院、勤務医の危機や苦しさについては、3年以上前から折りに触れ書いてきましたし、ネット上だけで見ても日本中の医師が医療に携わる立場からの危機感を書いていました。

政府や厚生労働省の役人が医療政策においてこれまでいくつもの思い違い、考え違いをして来たことは歴史が証明していると思うのですが、世間一般はあまり関知していないと思います。日本の人口あたりの医師数がOECD加盟国の中で低い方にある事は最近になって注目されていますが、これは前からそうなのです。何故、今頃になって大声で「医師不足」「医師不足」と叫ぶのでしょう。最近医師不足になったとお考えなのでしょうか。
制度を変えれば医師不足、医師の偏在は改善できる。そうかもしれません。それはもっともっと前からやっておくべき事だったのです。何故出来なかったのか。それこそ「制度」に由来します。
日本が世界に誇るべき「互助制度」である医療保険制度。日本の医療の「お値段」は「中医協」(中央社会保険医療協議会)が会議を行って決めていて、全国一律同一が特徴です。生活費や収入に差がある都市部も地方も同じ、機能に差がある大学病院も市中病院も開業診療所も同じ、同一病名同一検査同一手術に対する「診療報酬」は1年目の医師がやっても30年のベテランがやっても、年間手術数数百の医師がやっても10件程度の医師がやってもいつも同じです。この点に関しても、私はこのブログで3年以上前からたびたび書いてきました。

こういった「保険診療制度」「診療報酬点数制度」から変えなければ「医療改革」は根本的に進まないのではないかと懸念します。
私は日本の医療制度を米国のようにしようと言っているのではありません。その問題点はすでに明らかになっているからです。ただ、医師の偏在を改善するための議論や専門医の話題について、米国の制度を引き合いに出して論じるのはおかしいのではないかと思います。上記のような制度が違うのですから同一には論じられないのです。

たとえば、日本では世界的にも名を知られるような大学教授の脳外科医で手術の腕も超一流だとしても、国立大学の教官としての給与しかもらえません。国家公務員法に縛られていわゆる「バイト」には制限がありますし、「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」を始めとする公務員の不祥事から縛りはさらに厳しくなっています。正確な金額は知りませんが、大学の准教授だった自分の経験から教授の年俸を推定するに1000万から1200万円程度だと思います。東京のキー局のテレビ局社員の「平均」年収が1400万円と聞いたことがあります。日本全国で、そんなに数のいない凄腕の脳外科教授がテレビ局サラリーマンより低いのです。最近流行の「スーパードクター」とか「天才外科医」というテレビ番組に引っ張りだこの医師の年収が、その番組を造っている人たちよりも低いかもしれないという現状、、、こういう事も「医療崩壊」の一つの姿だと思います。

医師という職業はお金を追求する仕事ではありません。元々社会保険に関わる公的な側面の強い仕事でもあり、社会や患者さんに奉仕する仕事ができる事に喜びを見いだす人間がなるべき職業です。しかし、高校、ひとによって大学浪人、大学で6年間、大学院に進めばさらに4年間、と長く厳しい勉強の時間、これは他の学部や職業と変わらない条件(防衛大学、防衛医大などは違うでしょう)です。つまり医師になるために、時間とお金を費やしている訳ですから、国の施策や大新聞社の提言で「個人の自由」(医学部を出てどのような医師になるか、どのような診療科を選択するか、どのような将来設計をするか)を制限もしくは規定する方法はおかしいのではないかと感じるのです。
そういう事を考えるならば、その条件に乗る人に対するインセンティブ(学費援助とか生活費貸与とか)を与えるべきでしょう。
と考えていたら、私の母校、山形大学医学部で「医師確保のための新コース」を来年度から開始するというニュースが飛び込んできました。原則県外出身者を対象に、卒後山形県内で小児科、産婦人科を目指す学生に「学費を免除し入学から卒後教育まで9年間の一貫プログラム」というものです。さすが、母校(医学部長は私の恩師)です!

読売新聞の提言の中で専門医制度に触れている部分も問題があります。
確かに現在の専門医制度は怪しい面がある事は否めません。それは学会によってかなりの格差があると思います。日本で最も古い専門医制度を持つ脳神経外科専門医は、脳外科を6年以上専攻した者だけが受験できる制度で、しかも6割程度の合格率のものです。確かに、手術の技術を評価する制度が不足しています。しかし、新聞の論調はあまりにも現場を知らない書き方だと思います。私は平成4~6年と平成11年の2度にわたり米国の脳外科センターに留学する機会を得ましたが、そこで見た彼地の手術のレベルは私が知っている日本のレベルを遥かに超えるような素晴らしいものとは限りませんでした。確かに一部の「超」がつく名医は素晴らしい手術をしていましたが、普通の大学脳外科教授や市中病院の脳外科医の手術技術レベルは日本とそれほど変わりなく、卒後6年間の研修を受けている人たちの手術は時には目を覆いたくなるようなものであったり、ありゃりゃ〜と言いたくなるような技術レベルで、日本の駆け出し(1年目から6年目くらい)の脳外科医の方がもっと美しいまともな手術をしていると思いました。
私は臨床医としてではなく研究医として留学したので、米国で手術には入りませんでした(屍体を使った手術技術の講習会などは受けましたが)。しかし、帰国後自分が行った手術はけっして米国の同世代の脳外科医がしているものに劣るとは思いませんでした。

日本の場合は、専門医制度とともに医局制度、つまり教授とその弟子達という昔の徒弟制度のようなものが多少は残っており、その弊害もある事は事実ですが、その事実によって若手医師の技術習得、向上が保たれている事も事実だと思います。

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そして本日の記事の中で最も気になった部分に触れます。
「例えば脳外科専門医は、米国は約3000人と、人口当たりの医師数で日本の約5分の1に制限されている。このため、一人の医師がこなす手術件数は、日本の医師の5倍に上り、医師の技量も向上する。」(新聞より引用)という部分です。
いろいろ言いたいことがありますが、まずは結論のように導きだしている最後の部分「医師の技量も向上する。」の部分。何を持って「向上」というのか、「医師の技量」とはどうやって計り比較するのか、です。
たとえば、少数に限って技術を鍛える組織があって、それが大人数で技術を研修する組織(一人当たりの経験数は少ない)よりも必ず技量が高いということが一般論として正しいのかどうかです。数多くの手術症例をこなすという事は、一例一例に対する緻密さに欠けたり、一人の患者にかける時間が減少する訳で、必ずしも好結果には結びつかないと思います。手術は確かにたくさんこなせば上手になると、自らの経験でも思います。しかし、とすると「こなしている」多数の患者さんは、その医師が腕を磨くための「練習台」という考え方になります。日本の制度では、上級医の手術の助手としてびっちり鍛えられ、指導医とともに経験を増やし、そして執刀医に育って行くのです。その方法は米国でも同じですが、米国では独り立ちの時間がとても速い。日本の脳外科医が10年目くらいでようやく手がけるような手術を、5,6年目から執刀しています。経験数が多ければ手術が上手だ、とは言えない事実です。

また、米国と日本の脳外科医の仕事の違いを無視した書き方は甚だ遺憾です。
短絡的に表現すれば、米国の脳外科医は「外科医」なので一日中手術室にいて、朝から晩まで手術をしています。研修医でもない限り、救急は見ませんし、「当直」もしませんし、ICUにはICU専門医がいて、病棟には病棟医がいるので、手術後の患者さんをちょっと診て、後は研修医やICU専門医に任せて次の仕事に移るか、家に帰ります。脳外科医は脳外科の仕事しかしないのです。
テレビ番組『ER』でもよくこんなシーンを見ます。頭部外傷の急患が運ばれて来て、ER医が患者を必死に蘇生さえ治療を施して行きます。ER医は放射線科医と連絡を取ってCTを取ります。その結果、血腫が見つかります。手術をした方がいいと考えるのですが、手術をするかどうかを決定するのは「脳外科医」です。ER医が「うるさい」脳外科医に連絡を取ります。手術に忙しい脳外科医はいやいや連絡に応じ、ようやくERに現れ手術を決定しそのまま患者を手術室に連れ去ります。

一方、日本の脳外科医はどのような仕事をしているのか、ご存知なのでしょうか?読売新聞社様。
「外科医」なのですから当然手術をしています。しかし、一般の医師と同じく病院全体の当直をこなします。救急当番もあり、風邪の子供や足を捻挫した人、下痢の人などを診察します。米国の脳外科医はこのような仕事は一切しません。外来では、必ずしも脳外科医の仕事ではない(米国の脳外科医が外来で診る事は絶対にない)様々な慢性頭痛(ストレス性頭痛や偏頭痛など)を診ます。自律神経失調症やうつ病の患者さんも診ます(めまい、しびれ、耳鳴り、からだの脱力、頭痛などを訴えて来院しますから)。手術した患者さんを診るのは当然の事として、米国なら内科医や神経内科医が診る、手術の必要のない脳梗塞、めまい、手足のふるえなども入院治療するのは日本では脳外科医です。ICUにICU専門医の少ない日本では、脳の手術後の患者は当然脳外科医がすべて診ます。脳の病気や意識障害の合併した他の診療科の患者も脳外科医が診察に呼ばれます。
日本の脳外科医は、上記のように、脳卒中内科医、一般医と同じ救急、当直の仕事、様々な訴えで来院する外来患者を担当する外来医として働きながら、本来の脳外科医としての予定手術、緊急手術、救急対応をやっているのです。ですから、単純に「算数」で「5倍」いると言われては、日本の脳外科医は非常に悲しくなり落胆します。モチベーションが下がります。

脳卒中救急の現場では、日本と米国の差がもっと顕著です。日本では全国津々浦々(に限りなく近く)脳外科医が配置されています。その結果、一つの病院に1人、2人の脳外科体制も珍しくありません。それは脳卒中救急患者をセンターに集めるような、送るような、システムが日本にはないからです。国土は狭いながら交通網が不完全でドクターヘリも不備なので、脳卒中患者はできるだけ「近く」の「脳外科医」が一人でも二人でもいる病院に連れてこられます。日本の脳外科医の大半は、地方で脳卒中救急医、脳卒中内科医として働きながら脳外科医の仕事をしているのです。
対する米国の脳外科医は、大きなセンターに10人、20人といて、ガンマナイフだけしている脳外科医、慢性期(たまに急性期)の脳卒中の手術だけしている脳外科医、脳腫瘍だけ取っている脳外科医という風に住み分けしている事が多く、日本のように少人数で分散していません。脳卒中は救急医と脳卒中内科医が担当するので米国の脳外科医はそれらの医師に相談されない限りは診ません。脳卒中を初診するのは脳外科医ではないというのが米国のシステムです。
結果、一人当たりの仕事量が日本の脳外科医よりずっと少ないと思います。さらに、日本の病院では最近でこそ採用されてきましたが、PA(医師の仕事を補助、援助する技官)というのがいるので、米国では手術に集中している間に、紹介状や診断書や論文を作成してくれるひとがいるのです。そういう事務的仕事を減らすシステムが米国にはあります。
現場では、日本の脳外科医は非常に忙しく働いています。おそらく米国の忙しい脳外科医と遜色ないか、もっと忙しいと思います。そして決定的に違うのでは収入です。
米国の脳外の教授は年収1~2億円はふつうです。なかには7,8億円という凄い人もいます(数回の離婚を経験しているから稼がなきゃならないんだ、などと揶揄されるほどです)。私クラスの卒後20~25年の脳外科専門医は、数千万から1億円くらいの収入が普通です。日本の脳外科医の5~10倍なのです。それが成り立つのは、日本のような「診療報酬制度」がなく基本的に自由診療である事、そして「パイ」の奪い合いをしないように専門医の数を自ら「制限」して抑えていることが、上記のような米国脳外科専門医3000人というデータになるのです。上記の新聞記事は、上っ面のデータを突っついただけであり、内情、実情、現場を知らない知識不足から来る誤った考えとすら言えます。
「医療崩壊」の端緒を切ったのは、医師不足や政府の無策だけではなく、マスコミの無知(?)から来る医師叩き、病院叩きであったことをまだご理解いただけないのでしょうか。数多くの報道が日本全国の善意の医師のモチベーションを下げた事をお分かりいただけないのでしょうか。

確かに、今回の「提言」には拍手を送りたい部分もあります。
しかし、上記の脳外科専門医の話題のように、真実に迫って解析した上で報道して頂かないと実情を知らない日本国民は誤解します。誤解から生じるのは嫌悪だったりします。
このような大切な記事を載せる以上は大新聞としての見識、責任を期待します。
今回の事を一つの「始まり」として、もう少し各論も勉強してもっともっと正しい提言をして行って頂きたいと思います。

私も勉強不足ですべてを理解している訳ではないので、間違いがあればどうぞご指摘ください。
この記事は、一個人としての新聞記事への「感想」であり、特定の人を非難するとか、否定すると言った意図は全くございません。脳外科医の立場からの真実を伝え、もしかして無知から書かれた新聞記事をただしたいという善意の心から書いているものです。
ご賢察のほど、よろしくお願い申し上げます。m(_)m

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2008.10.16

山響の音楽教室

われらがオーケストラ、「山響」こと、山形交響楽団は地元に根ざすオーケストラとして、1972年に現在は「創立名誉指揮者」になっている村川千秋先生が中心になって創られました。私が山形に住むようになったのは、1978年の事なので創立期の苦労は知りませんが、村川先生がポケットマネーでコントラバスを買ったり、自らワゴン車を運転して楽器を運んだりというところから始まったそうです。村川先生は、後進の育成、特に子供達への音楽教育に力を注ぎ、「キラキラ会」という子供のバイオリン教室では個人的にも大変お世話になりました。(「キラキラ会」HPを参照)

現在は年間に12回の定期演奏会と特別演奏会(1公演が2日に渡るものを含むと21公演)など30近い公演をこなしていますが、最も多いのは「音楽教室」と呼ばれる小中学校への「出前演奏会」です。もともと村川先生が、「山形にはオーケストラなんて見た事も聴いた事もない子供達がいっぱいいる」「この子達に音楽を贈らなければ、、、」という強い思いで始めたものです。現在では、山形県を飛び出して、文化庁の補助で北陸や東海地方にまで「遠征」することもあるようですが、やはり中心は山形県内の各地。

今週は、火曜から金曜まで4日間連続で庄内は酒田地区での「音楽教室」です。
山形ー酒田は高速を使えば往復3時間、下道で行っても往復4時間なので、日帰りの距離ではありますがこれを連日4日間というのは辛いものがあるでしょう。団員の中には腰を痛めている人がいるようなので心配でもあります。。。
昨日10/15、クリニックの昼休みを利用して若浜小学校にお邪魔してきました。
Photo駐車場には見慣れた「山響」専用バス。また「山形」ナンバーの自家用車も数台停まっていました。
確か、バスを利用しない団員には往復の交通費の補助は出ないのだと聞きました。しかし、バスは団員全員が乗れるキャパシティはありません。財政難のオケとしては仕方ないのかもしれませんがひどい話です。
毎日往復はさすがに疲れるので、本日(遊佐方面)の演奏会の後は酒田に泊まろうかな、といわれる団員も(指揮者も)少しいました。山形ー酒田往復のガソリン代、高速代で5,6000円はかかるはずですから、安いホテルを探して一泊した方が楽なのではないかと思います。
今回の指揮は佐藤寿一氏。数年前までは山響の正指揮者で、今は関東方面でも活躍しています。私の高校の2年後輩にあたります。控え室で休んでいるところをノーアポで急襲して挨拶してきました。(笑)
Photo_2昼休みに尋ねて行ったのは、この演奏会を聴くためではなく(演奏は午後2時からなので無理です)、フルートをちょっと見てもらうためです。先日、素晴らしいモーツァルトの「フルート&ハープ」を演奏された足達先生に、現在練習中のチャイコフスキーのPコンを診て頂きました。
いろいろ難しいところがあるのですが、演奏法、特に音の作り方、アムブシュアの作り方、音程のコントロール、連続のフレーズでのブレスの最適な位置など30分足らずの間にたくさんの事を学びました。昼休みの貴重な時間を奪ってしまい申し訳なかったのですが、足達先生には本当に感謝致します。後は教えて頂いた事に注意しながらどれだけ練習で体得するかです。今日のわずかなレッスンでも本当にたくさん教えて頂いたのですが、教わる方に問題意識があるからとも言えますが、やはりプロにレッスンにつく事は大切だな〜と思いました。
普段は誰にも教わらず勝手に練習してしまっています。今まで、様々な人から教えて頂き、その都度多くの事を学び、一部を習得し、自分の力になってはいますが、定期的にレッスンを受けるということは大切だな〜と改めて感じました。

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今日のおまけ。
旧松山町(現酒田市)にある「菓子舗櫻田」のラーメン。
いえいえ、これはお菓子で出来たラーメンで正しい名前は「ラーメン風プリン」というものです。ある方から頂いたので食べる前に記念撮影。しかし、どこから食べようかな。。。
Photo_3

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2008.10.15

休日の音楽とプチ・グルメ

毎日、家に帰って食事をした後、「脳」が疲れていて長く起きていられません。昨日も22時過ぎには寝てしまいました。最近、疲れを感じて8時間くらい寝る日があります。どうしたんだろう?

ということで、10/12,13の連休の話。2日分盛りだくさんの内容で、長文になります。
ーーーー

10/12(日)の午前はゆっくりして、家内がどなたかのブログで見つけたうどん屋さんに行きたいとの事で昼食はうどんへ。鶴岡といっても旧藤島町の「うどんの大井」へ。初めてなのでGoogle mapで探すと、また行きたいな〜と思っていたラーメンの「原田食堂」(昨年12/10の記事「庄内音楽フォーラム」を参照)のすぐ近くのようです。旧平田から旧余目を抜けて藤島へ。藤島駅前の通りを駅に向かいます。藤島川を渡る直前左手に「原田食堂」。暖簾が出ていて軽くショック。というのは、ここのお店、ご主人たった一人でやっているので、お休みの日にやっているのかどうか不確かなところがあり、酒田から出かけて来てやっていなかったらショックだな〜と思いなかなか来れなかったのです。やっているというのを見るのは嬉しい反面、やっている日に素通りする悲しさがありました。(^^;;;;
原田食堂を素通りして藤島川を渡ったらすぐに左折し数十m左手にお店があります。住宅街の中にあるのでちょっと分かりにくいですが幟が出ています。
Photo_5Photo_6左が冷たいざるうどんを温かい汁で頂く。右はかき揚げ天うどん。
元来、ラーメン、そば、うどん、どれも好きですがどれか一つ選べと言われれば「讃岐うどん」だった私ですが、四国を離れてからはあえてうどんを食す気持ちになれないでいます。「大井」のうどんはメニューに秋田の稲庭うどんや男鹿の塩などが乗っていますので、元は秋田の人なのでしょうか。稲庭うどん系も好きですが、庄内で食べるならやはり「麦きり」が好きです。ここのうどんもおいしかったのですが、本場讃岐に2年暮らしうどんばかり食べていた中学生時代を持つ私にとっては、脳と舌が記憶する「うどん」とは少し違うなと感じました。いえ、とても美味しいのですよ。ただ私の好みのうどんではないな、ということです。

うどんを食べてすぐに戻ります。また原田食堂の前を通ったら午後1時過ぎで暖簾はしまわれていました。ここはやはり昼丁度くらいに来ないとだめなようです。
うちの近所、歩いて2分くらいの富士見小学校で「富士見地区合同音楽祭」が催されます。今日の目玉は「酒吹」こと酒田吹奏楽団の出演です。
昨年の音楽祭には警察音楽隊が出演した事は、『日曜日、レコードを聴く』の記事にも書きました。
今年は、前半に富士見コミセンのコーラスグループの元おにいさんや元おねいさん達の暖かい歌声。「童謡メドレー」、「屋根の上のバイオリン弾き」からサンライズ・サンセット、そして「あの鐘を鳴らすのはあなた」を熱唱されました。
続いて、富士見小学校金管バンドの登場。揃いの制服に身を包みかっこいい!演奏は金管群とパーカッション(大小の太鼓に木琴、鉄筋など)。小学生の体格が昔に比べてよくなったとはいえ、唇や肺、腹筋などは当然小学生なので、音に芯がない感じは仕方ないのかな。まあ、そういう音を求めて聴きに行っている訳ではないのです。頑張って演奏している姿を見て、倉敷の小学校時代の音楽部の事を思い出しました。
そして後半、いよいよ「酒吹」の登場です。
Photoひろい体育館に迫力のサウンドが響きます(ちょっと響きすぎで演奏はしにくそうでしたが)。
スーザの『士官候補生』を聴くとブラバンで吹いていた中学時代に戻ります。2曲目のスパーク作曲『オリエント急行』は、列車の発車から途中ヨーロッパの街や山川平原を抜けて目的地に到着という物語性が明確に美しく演奏されていました。3曲目の『エル・キャピタン』では、まず曲をいろいろなパート別に分解して、ベース、パーカッション、メロディ、対旋律部などなど楽器紹介とともに聴かせてくれました。そして、全部を合わせると。。。という趣向は良かったです。
Photo_2Photo_3指揮者体験コーナーでは、MCの呼びかけに対して「指揮をしたい!」と言う人が全然おらず苦労していました。ここはやはり一人二人前もって仕込みをしている必要があったのではないかな〜と感じました。なんとか観客のお父さん2名、金管バンドのアルトホルン(ユーフォニウムの小さい感じ)の女の子1名が指揮に立ってくれて、観客の一人にすぎないのにちょっとほっとしました。
Photo_4その後、『崖の上のポニョ』、そして「みんな一緒に歌いましょう!」と『ふるさと』。観客の皆さんも声を合わせて歌います。
アンコールは、
最後にもう1曲。富士見小金管バンドと酒吹が一緒に『サンダーバード』で演奏です。
楽しい演奏会でした。
校長先生と教頭先生にご挨拶。来年は良かったら酒フィルも呼んでくださいね。ただ10月は、定期演奏会や市民音楽祭などイベントが多いのでスケジュール調整が大事ですが。

ーーーーー
続いて翌日、10月13日(月)は、「体育の日」で休日!

仙台で「せんくら」。荒川洋さんと早川りさ子さんという豪華な組み合わせでのモーツァルトの「フルートとハープのための協奏曲」を聴きに行きます。
つい先日、10/5(日)に高木綾子さんのロビーコンサートを聴きに行ったばかりでしたので、今度は違うルートを通って行ってみようと、朝9時半頃出発して通称松山街道から清川で最上川を渡り47号線で新庄へ、そこからさらに最上町を通って鳴子を目指します。美しい紅葉を期待していた鳴子峡はまだ紅葉には早かったようで、観光客は結構たくさんいて駐車場も有料で誘導係なども出ていましたが、紅葉している木々はまだチラホラという程度。それでも仙台・古川(現大崎市)方面から鳴子に向かう下り車線は大渋滞。上り車線も渋滞はないものの交通量は結構多く、予想よりも時間がかかって古川で東北自動車道へ。高速に乗ってしまえば仙台までは20分ちょっと。12:30前に到着。
一番町近くの駐車場へ車を入れ、まずは昼食。仙台にくればやはり牛タンでしょう、ということで。
Photo_11「牛タン」発祥の地仙台にはたくさんの名店があります。一番町界隈にはたくさんお店があるのですが、私の大好きな『閣』はお休み。がっかりです。藤崎の近くで牛タン屋さんは、、、探しながら歩くもわからず。結局、二番町通りを渡って名掛丁商店街からダイエー近くの「利休」へ。店の前には短いながら行列が。。。お店を探しまわって時間をロスするくらいなら、と並びます。先日は市役所前の「利休」に行ったばかり。同じ店でも微妙に違うのは焼き方でしょうか。「利休」はチェーン店なので確か工場を持っていて、そこで仕込んでいるので牛タンそのものは同じはず。写真は、大量の注文を確認しながらひたすらタンを焼き続けるお兄さん。横には巨大な寸胴が。ここにはテールスープが煮込まれています。
Photo_12またまた同じパターン。「極」定食と1.5定食。こころなしか、こちらのお店の方が固め、やや焼き過ぎ?炭火で焦げ気味のところが香ばしい!満足です。
その後、藤崎でちょっとお買い物をして会場へ急ぎます。旭が丘にある「青年文化センター」を目指します。元仙台住民とはいえ、新しい道が出来ていたりで「カーナビ」なしでは困った事でしょう。10分ちょっとで会場に到着。地下鉄「旭が丘」駅やバス停にたくさんの人がいたのでちょっと焦りましたが、駐車場は空いていてホッと安心。会場へ。
入り口で大きな声でアナウンスしているお兄さんがいました。
「出演予定だった早川りさ子さんが腱鞘炎のため代役が演奏しま〜す!」
ええ〜!!!腱鞘炎!!!りさ子さんが出ないの〜!
ショックですが仕方ありませんね。ご本人が一番ショックなはずですから。大丈夫かな〜。

演奏会の写真はありません。
コンサートの冒頭にりさ子さんがステージへ。手の状況の説明と演奏できない事のお詫びがありました。そして代役の景山梨乃さんのことを説明。先般開催されたリリー・ラスキーヌ国際ハープコンクールで1位なしの2位になったばかり。また先頃行われたばかりのランパル国際フルートコンクールの優勝者と2回、「フルート&ハープ」の演奏をこなして一昨日帰国したばかりとのこと。元々りさ子さんの教え子であり、なんとなんとピッカピカの芸大1年生の18才!これからが期待される人です。
「あんさんぶる東風」(こち、って読むんですね)と指揮の松下さん、そして景山さんと荒川さんが登場。私は約800席の大ホールのもっとも後方、後ろから3列目という席。ここのホールは、山形テルサや希望ホールと違って、壁が石、コンクリートです。天井から何から石なので響きが違います。ステージの上方にはサントリーホールに見るような響きを反射させるガラスの板がぶら下がっています。ステージと後方の壁は木で出来ているようですが、全体としては天井の高い教会のような石造り。そのせいでしょうか、残響時間が長いだけではなくなんとなく反響が強く減衰が弱い感じ。つまりステージから離れた後方で聴いていると、音の定位が不明瞭でふわふわした感じで輪郭がぼやけるような印象を受けました。聴き比べてみないと分かりませんが、フルートのような四方八方に音が広がる楽器よりも、ベルのついている、ある程度音の出る方向性のある楽器、例えばトランペットとか、またはピアノのような石造りにあった楽器の方が合うホールなのではないかなと天井を見ながら考えました。
演奏は、荒川さんの美しく爽やかな音色で、若々しいモーツァルトでした。
ハープの景山さんは素晴らしい!上記のようなホールですが、音の強弱、メリハリがはっきりして、対旋律が美しく聴き取れ、全然固くない、柔らかい温かい音色でした。国際コンクールで最高位を穫った人なのですから当然ではありますが、突然の代役にも堂々とした態度で本当に素晴らしいハーピストだと思います。これからが楽しみな方です。
アンコールには、ハープとフルートだけで「アルルの女」から『メヌエット』。荒川さんの美音に景山さんの優しいしかししっかりとしたハープが寄り添います。うっとりする演奏です。
この組み合わせって、、、思わず声を出さずに笑ってしまいました。だって3日前、10/10の山響モーツァルト定期で、足達先生と内田さんのフルート&ハープのアンコールも同じ『メヌエット』でしたから。曲の長さ、親しみやすさ、受けの良さを考えるとこの曲になっちゃんでしょうね。
コンサートとしてはりさ子さんの演奏を楽しみにしていたので、正直がっかりした事は事実なのですが、この景山さんというハーピストに出会えた事はある意味でラッキーでした。荒川さんも絶賛していました。

会場で荒川パパ、ママ、そしてリコーダー奏者の知子ちゃんにお会いしました。知子ちゃんとお話しするのは確か2年ぶりです。荒川洋さんは終演後すぐに「サイン会」が開催されていたので、そこでちょっと慌ただしくご挨拶。先月結婚されたばかりのチェロ奏者の奥さんにもご挨拶。結婚祝いに山形県産高畠ワイナリーのスパークリングワインをプレゼント。ラ・フランスと柿のジャムなどもお土産に。バックステージには行かなかったので(行けば行けたでしょうが)りさ子さんには新妻えり子さんからお土産を渡して頂けるようにお願いして、ファンに囲まれて対応に急がしそうな荒川さんに挨拶して帰途につきました。
といってもまっすぐ酒田に帰る訳ではなく、一番町に用事があったので再びし中心部へ。

仙台ヤマハで楽譜を購入。そこで山響団員I氏にばったり。用事を済ませて、「カフェ・モーツァルト」へ。
Photo_13カフェモーツァルトは、私が仙台で高校生だった頃に出来た喫茶店。一番町の「フォーラス」のすぐ横。斜め向かいには「アップルストア」がある賑やかなところを階段でとことこ3階まで上る必要があります。ここはコーヒーが美味しいだけではなく、なんとなく音楽関係、特にクラシック関係者が集まるお店「だった」のですが最近は少し様相が変わって来たようです。
広瀬側の近くに「カフェ・モーツァルト・アトリエ」というライブハウスを持っていて、中学の同級生でジャズピアニストである岩崎佳子が昨年ここで演奏した際には酒田からはるばるでかけました。「今日の鳥海、昨日のライブ、そして驚き!」を参照。
この日は、甘いものが欲しくなった私は、ショコラ・モーツァルトというチョコレートケーキにアイスコーヒーのケーキセット、ちょっと疲れた家内はキャラメル・アイス(写真ではまるで卵掛けご飯みたいに見えますが)。体に糖を補ってそこから一路酒田を目指しました。
時間的に余裕はあるので高速道路を使わず、関山峠越えを目指したのですが、仙台西道路を過ぎて愛子(あやし)から定義如来(じょうぎにょらい)あたりまでず〜〜っとノロノロ渋滞で参りました。酒田に着いたら21時を過ぎていました。
往復6時間近い車の旅、短いコンサートではありましたが心に満たされるものを一杯感じられた一日でした。

ーーー
おまけのグルメ
ここでも何度か紹介している、比較的ご近所のレストラン『シェディオーク』。有機農業の契約農家からの野菜だけを使った料理と美味しいドルチェで女性に大人気のお店。先週の土曜日、診療を終えて、少し遅い時間に行ったのですがお客さんはいっぱい。しかも男性客は私だけ。
Photo_7Photo_8私はランチのBで、グラタンに、カレーかリゾットかドリアから選べるコースでカレーを選択。具には肉や魚はいっさい入らずすべて野菜だけです。でも淡白なあっさりした物足りなさはなく、野菜の甘みが凄い!グラタンの中のカブなんかは、噛むとジュワッと甘い野菜自体の汁が出て来て「うわっ!何、これ?」と驚く程。カレーの具も、カブ、サツマイモ、ジャガイモ、タマネギ、人参、キノコ類(しめじとえのき)、いんげんとお野菜だけです。そして結構辛い!
Photo_9Photo_10家内のランチAは、ミニパスタに、カレー、リゾット、ドリア、グラタンから選択。
で写真のリゾットは普通のイタリアンの「リゾット」を想像すると「え?!」と思う様なもの。お焦げご飯にコンソメスープを張って上に素揚げのおいしい野菜をたっぷり載せたもの。緑の葉っぱはホウレンソウ?何か聞くの忘れました。スープが美味しい!
デザートは、家内はここの定番「プリン」。今、ちょうど中町のデパート清水屋で「庄内んめもの市」とか言うイベントをやっているらしいのですが、そこにも出品されている絶品のプリンです(ちょっとお高い?)。私は、また「タルト・タタン」。
昨年もブログ記事に、ここの「タルト・タタン」は毒だ!とかいています(「連休続き」をご覧ください)。
あまりに美味しくて脳が溶けそうだと思ったからです。今回の感想は、、、
「おいしくて死んでしまいそう!」
でした。
先日の鶴岡の「岩のりのおむすび」を食べた竹中直人氏が「気が狂いそうになるくらい旨い!」と絶賛した、その真似ではありません。本心で出て来た言葉です。

音楽も、「んめもの」も心の洗濯だと思います。まじめに。
美味しいものを喜べる心を失うと、高率にうつ病になる恐れがあります。皆さんもいい音楽を聴いて心を安らげ、美味しいものを食べて喜びましょう。脳には「喜び」が必要なのです!!!

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2008.10.12

日曜日、レコードを聴く

私はLPやSPという「レコード」を持っており、レコードプレーヤーも持っています。
ステレオ装置は、CDプレーヤー以外は大学生時代にバイトで頑張って買った思い入れのあるものですが、スピーカーも30年近く経って音が出なくなったりすることもあるような代物です。山形でマンション住まいをしていた時は押し入れにしまい込んであったこのレコードプレーヤーとLPの入った電話台のようなレコード入れ(中学生の夏休みの工作宿題で自作した物です)を、酒田に引っ越してからはリビングに置いています。
しかし、自宅で音楽をゆったりと聴くという時間は意外となかったのです。iPodやiPhoneで音楽を聴く便利さに慣れてしまったからかもしれません。聴きたい音楽を考えて、ディスクを探して、取り出して、プレーヤーにかけて、、、こういう作業が「楽しい音楽の時間」を作るのですが、様々忙しい中でiPodなどの便利さに体が慣れてしまったのかもしれません。
「何聴こうかな?」と考えながらクルクルと回しながら曲を探したり、「あれ、聴こう!」と思ったらジャンルや曲目の中から検索して3000曲近く入れてあるiTunesから取り込んだ曲を聴く事が出来ます。スポーツクラブでバイクを漕ぎながらでも、ウォーキングマシンで歩きながらでも聴けます。こういった「手軽さ」「便利さ」もとてもいいものです。

久しぶりに何も予定のない日曜日、しかも明日も休日(仙台には出かけますが)なので、今日の午前中は自宅でのんびり。
「そうだ、レコードでも聴くかな、、、」
自作の古ぼけたレコード入れをあけてみます。まず取り出したのは、ビル・エヴァンスの名盤『Waltz for Debby』。レコードプレーヤーの上に積んであった書類などをどけて、レコードを丁寧に取り出し、ゆっくり針を落とします。この「針を落とす」という感覚。長らく忘れていたものです。

「、、、プチッ、、、プチプチッ、、」曲が始まります。
あれ?いくら昔の録音とはいえ音が、、、ガ〜〜ン!左のスピーカーが鳴っていない。スコット・ラファロのベースが聴こえません!はぁ?
長らく鳴らしていない間にスピーカーが腐ってしまったようです。強制的に音量を上げたり下げたりなどの物理的電気的「根性」を注入したら、ようやく鳴ってくれました。
。。。

言葉はいりません。
ビル・エヴァンスは大好きなので、実はCDの全集(12枚組)も持っています。こっちの方が聴くにも便利だし音もRemasteringされていて聴きやすい。でもレコードの持つ味は何ともいえませんね。
しばし感動。。。

次にランパルを聴いてみます。
LpLp_2Lp_3



「あ!こんなレコード、持ってたんだ。。。」買った当時の事を思い出し懐かしくなります。
Lp_4仙台や新宿でお会いしたミシェル・デボスト先生(「自慢部屋2」の写真2-4参照)の若かりし頃のレコードもあります。ジャケットに買った日が中学生のbalaine少年のつたない字で書いてありました。
「1970. 1. 21○○○(自筆のサイン)」
38年以上前でした。

そして、今度酒フィル定期でやるチャイコのPコンもありました。
ピアノはアシュケナージ、指揮はロリン・マゼール、オケはロンドン響。
Lp_5今練習しているし、スコアをみながら上原彩子さん演奏のCDは聴いた事あるし、先日BSで再放送したサンクトペテルブルグ・フィル、ピアノはエリソ・ヴィルサラーゼの演奏も録画して何回か聴いているので、オケ全体がほぼ頭に入っています。このヴィルサラーゼさんって知らなかったのですが、先般ロシアと紛争のあったグルジアの出身で、アシュケナージが1位になった時のチャイコフスキー国際コンクールで3位だった方のようです。素晴らしい演奏でした。
つい最近までN響の音楽監督を務めたアシュケナージさん。私にとってはやはりピアニストとしての存在の方が大きいです。この録音は、データが書かれていないのですが、1962年のチャイコフスキーコンクールに優勝した直後ということですので、おおそ45年前のものです。すると巨匠マゼールだってまだ若い頃ということになります。
このロリン・マゼールは、現在ニューヨーク・フィルの音楽監督であり、言わずと知れた偉大な指揮者ですが、実は私が留学していたピッツバーグ大学を卒業していて、ちょうど留学中はピッツバーグ交響楽団の音楽監督でした。ピッツバーグの借家の大家さんがピッツバーグ交響楽団のコントラバス奏者だったこともあって、マゼールの指揮するハインツ・ホールでの演奏会にはよく出かけました。大家のトニー(アンソニー・ビアンコ)のおかげでこっそりGPも聴かせてもらったり、マゼールと一言二言会話もしたことがあります。ピッツバーグ交響楽団は、米国でも有数の歴史の長いオケで、マゼール以前には、オットー・クレンペラーやフリッツ・ライナー、アンドレ・プレヴィンという世界のクラシック音楽の歴史そのもののような名匠が率いていた。私がピッツバーグにいた1992~94年にはマゼールのおかげで、五島みどりさんや諏訪内晶子さんなどの日本人ソリストのコンツェルトも聴く事が出来た(おまけに諏訪内さんにはバイオリンケースにサインまで頂いたり)。

30代前半のマゼールが率いるロンドン響をバックに、まだ20代のアシュケナージが熱演するこのレコード。思わずパソコンでブログを書く手を停めて聴き入ってしまった。堂々とした1楽章(結構遅い)、美しく変化に富む2楽章(中間部のフランス民謡)、ロシア的なリズムからどんどん前へ進む音楽、そして劇的なフィナーレの3楽章。チャイコフスキーはやはり天才だと思う。『悲愴』を聴いても、『白鳥湖』を聴いても、バイオリン協奏曲を聴いても、そしてこのピアノ協奏曲第1番を聴いても、ますますその凄さに圧倒されるばかりである。
こんな凄い作曲家の、こんな素晴らしい曲を演奏できるなんてなんて幸せなんだろう、、、と本当に思う。音楽をやっていてよかった。フルートを吹いていてよかった。

というわけで、近隣の方は、是非11/16(日)の酒フィルの定期演奏会をお聞き逃しなく!(笑)


さて、午後は近所の富士見小学校で「合同音楽祭」。
昨年は警察音楽隊の音楽と「おネイサン達」のカラーガード(「楽しい音楽会」参照)にやられました。(^^;;;
今年は、いつもお世話になっている「酒吹」こと、酒田吹奏楽団が出演されるそうなのでちょっと除いてこようと思っています。なにせ、歩いて2分くらいのところですからね!

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2008.10.11

第5回山響モーツァルト定期を聴く

(長文注意、さらに未完成なり)

これまでの4回はいずれも土日の公演だったのに、今回は何故か金曜とはいえ平日の夜。
山響A定期、B定期、庄内(酒田・鶴岡)公演など、よほどの別用でもない限り欠かさず拝聴して来た山響の演奏会。
しかも日本で唯一、モーツァルトの曲だけを取り上げた演奏会をシリーズ化して、アマデウス・モーツァルト作曲の交響曲を全部演奏して録音し、モーツァルト交響曲全集まで出しちゃおうという山響音楽監督飯森範親氏の提案で始まった通称「モーツァルト定期」、本名「モーツァルト シンフォニーサイクル『アマデウスへの道』」。これは平日の夜とて無理をしてでも駆けつけなければ。。。

しかも!
今回のコンツェルトは大好きな「フルート&ハープ」。フルート譜は一応こっそり全部吹いたことはある(カデンツァを除いて)のでほとんど頭に入っています。
しかも!!
フルートソロは、私と同じ年で、同じ福岡県生まれで、同じく小学校5年生でフルートを始め、山形在住24年目(私は医学部卒業して医師になって25年)と、共通点の多い(フルート人生はその後大きな隔たりがありますが)、私の笛の師匠のお一人である、山響首席フルート奏者の足達祥治先生。

このプログラムを知ったのは、昨年暮れだったか今年始めだったか。。。10月10日って昔は「体育の日」でお休みだったのですが、カレンダーを見て「なんだ!普通の日の夕方じゃん!7時開演ならば遅くても酒田を5時まえに出ないと間にあわないよ〜。どうしよう。。。」
いえ、本当は、どうしよう、と思った時には心は決まっていたのです。
「医院を休診、または午後早めに切り上げて駆けつけるぞ!」と。

実は、本日10/11(土)なら米沢の「伝国の杜ホール」で同じ様な演奏会があるのです。「同じ」ではなく「同じ様な」と書いたのは、1曲目の演奏曲目が違うからです。テルサでは交響曲ヘ長調 K.76(番号なし)、米沢では「アイネク」です。「フルート&ハープ」は同じ。
んじゃ、無理しないで米沢に行くか?!とも考えたのですが、米沢で午後4時開演ということは、午後1時までの診療受付を終わらせて昼食を摂って2時まえに出かけても間にあわないでしょう。高速を使っても酒田ー米沢は片道2時間半はかかるはずです。しかも土曜日はアマオケの練習日なので、午後4時開演のコンサートが終わって酒田に戻れるのは、どう頑張っても9時近くとなり練習に出られません。あと5週で今年の定期演奏会、今年はチャイコのPコンでトップを吹かせてもらうのにこの時期に練習に出ないというのは問題です。
やはり、金曜の午後を4時半で診療を切り上げて速攻で山形を目指すしかない、と判断しました。

足達先生にも事前にメールを打っておきます。
「仕事を早く切り上げて聴きに行きます!頑張ってください!それで、ソリストで大変でしょうから断って頂いていいのですが、もしお時間がとれ、余裕があったら終演後にでもチャイコのPコンのフルートを少し見て頂けませんか?」
返事は予想通りNo!でした。当然ですね。プロでもそうそう演奏出来ない(オケとハープが揃う必要がありますから)モーツァルトの定番、超有名曲のソリストを務める日に他の事に気を回すのはイカン!でしょう。
優しい足達先生は、「来週、音楽教室で酒田に4日行くので、昼休みにでもどうですか?」とお返事をくださいました。終演後のロビー交流会の後に相談しましょう、との親切な言葉まで頂きました。
恐縮でした。

午後4時過ぎに新患が一人来ましたが、問診、診察、MRIを素早くやって病状を説明し、薬を処方したらちょうど午後4時半過ぎくらいに診療終了。再来予約の方も午後4時までしか取っていなかったので、診療を終え、片付けをしてクリニックを後にしたのは16:45位でした。
実は車の1年点検に出していて山形のディーラーに代車で取りに行くことになっていたので「開演2時間前」の出発は全然余裕がありません。
かなり頑張って山形市成沢のディーラーに到着したのは、計算通り18:25(代車のガソリンも満タンにして返す必要がありました)。素早く車を交換して、テルサに向かい会場前には18:45少し過ぎに到着。飯森さんのプレトークがあるので家内だけ玄関前で降ろし、私は駐車場へ。会場に入った時には、既にプレトークの途中くらいで、ソリストの二人がステージに呼ばれていました。フルートの足達先生はソロ・リサイタルでも時々来ておられるグレーの燕尾服。内田さんは、演奏用のドレスではなく普通のお洋服のようでした。慌ただしく着席して「ぎりぎり間にあった!」という気持ちの中、汗を拭いていたので飯森さんのトークの内容はほとんど覚えていません。
10/31にYBCで放送される『発見!人間力」という番組で飯森山響の特集がある事、NHKの『解体新ショー』という番組に出る事(東大病院で脳波を録られたとか、ピアノで適当な多重同時音を聴いてそれを聞き分ける事などをしたとか)、飯森山響のモーツァルトシリーズのCDがいよいよ12月(?)に発売になる、次回の定期(チャイコフスキー国際コンクール優勝の神尾真由子さん登場!)の時に先行販売するとか、このCDを黙っていろんな人に聞かせて「どこのオケだかわかる?」と質問したら皆海外のオケの名前を挙げたとか、、、そんな事を話していました。

さて、いよいよコンサートスタート。
冷静になって会場を見渡すと、右前の3列程はガラガラ。その他も少々空席があり8割程の入りでしょうか。こんな素晴らしいプログラムなのに!とは思いますが、やはり平日の夜では無理でしょう。しかも翌日米沢でも聴けるのですから、置賜地区の観客は今回は少なかったのではないかと想像します。

1曲目、交響曲ヘ長調K.76。管はホルンとオーボエにファゴットのみ。本当にモーツァルトの作品かどうか疑わしいところもあるそうですが、最近の研究では交響曲5番と6番の間の時期、アマデウス11才の時に作曲されたらしく、ケッヘル番号は76になっています(交響曲5番と6番のケッヘル番号がそれぞれK.22とK.
聴いていると、モーツァルトらしいとも思えるし、らしくないとも思えるし、微妙ですが、そんなこととは関係なく、優しく可愛らしい曲で山響のノンヴィブラートの演奏がまた素晴らしい。澄み切った弦の音がテルサホールの隅々に届く感じ。弦は対抗配置に近く、下手に第1Vn.、上手に第2Vn.、チェロが下手側でビオラが上手側、そしてコントラバスは管の後ろ、最後方に3本並んでいます。
15分ほどの短い交響曲で、爽やかにあっという間に終わってしまいました。

2曲目、いよいよ「フルート&ハープ」です。団員は一旦袖に下がってコンツェルトの設定。
Photo指揮台が少し奥に移動され、指揮者の上手側にハープ用の台、その上にハープが設置されます。上手側に足達先生用の譜面台が置かれます。
コンツェルトのソリストの場合、譜面を置かず暗譜で演奏する事も少なくありませんが、最近の趨勢としては、暗譜していたとしても楽譜を見ながら、譜面の指示に忠実に演奏するのがプロの演奏家の務めというような意見を聞いたことがありました。
下手のバルコニー席最前列から見下ろすと、なんとなんと、足達先生の譜面台に写真が貼ってあります。お子さん達の写真のようです。きっと演奏開始時に愛する家族の写真を見て、心を落ち着かせパワーをもらっていらっしゃるのでしょう。実は終演後、足達先生の奥様にお聞きしたら、七五三の時のお嬢さんの着物姿の写真をいつも用意されているとの事。もう一枚は息子さんの運動会の時の写真だった様な。。。奥さんの写真はないのでは?酷いですよね!と笑っておっしゃっていました。(笑)
(個人情報をばらしてしまいすみません。問題あればこの部分、削除致します)

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト作曲『フルートとハープのための協奏曲ハ長調 K.299』
ああ!なんと素晴らしい曲なのでしょう。季節は秋なのですが、まるで春の麗らかな日差しの中で美しい芝生の上で遊んでいる様な気持ちになります。私はまるで自分が吹いている様な気分になって足達先生の素晴らしい響き、ハープとの楽しく幸せな音楽、山響の澄んだ音、特に2楽章で意外に主張するビオラに嬉しい驚きを感じながら、あっ!と言う間の30数分でした。
カデンツァはあまり聞き慣れない部分もあったので足達先生のオリジナルもはいっているのかしら、と思ったら1楽章と3楽章は比較的多く使われるライネッケ版、2楽章はトーマスと言っておられたように記憶しています。ライネッケは足達先生もソロリサイタルで取り上げる作曲家でフルート吹きには、「ウンディーヌ」などが有名です。ロマン派の作曲ですし、フレーズとしてはモーツァルトにぴったりという感じは受けませんでした。メインの部分は、「名手」と評されたとはいえアマチュアのド・ギーヌ公爵とその娘の為に作曲されたので、どちらかと言えば技巧的には易しい方に入るのでカデンツァでフルート吹きの技巧を見せたいために作曲した、そんな印象を受けました。
いずれにしろ、お二方の演奏はBravo!でした。
鳴り止まない拍手に応えて2回のカーテンコールのあと、ハープの内田さんがハープの椅子に座ります。お!アンコールやってくれるんだ、「アルル」かな?「カルメン」かな?
ボン、ポンポンポン、ポンポン、、、おお!「アルルの女」からメヌエットだ。
今度はシーンと静まった広い会場に、ハープとフルートの優しい音色だけが響きます。フルートを始めた者なら、一度は吹いてみたい、またはこっそりと吹いてみた事のある名曲。私も中学のブラバンの練習の合間によく吹いていた様な気がします。
足達先生のマテキ18Kゴールド(モーツァルト定期の時はオケの中ではパウエルの木管を吹いているのですが)の輝かしい、艶のある音が響きます。聴衆は皆うっとり!です。
素晴らしかった。なんだか我が事の様に嬉しくて嬉しくて顔が自然に笑顔になってしまいました。

休憩の後は、メインの交響曲第36番ハ長調K.425「リンツ」。プログラムには演奏時間35分と書いてあった様に思いますが、ずいぶん長かった。40分以上あったと思います。ロビー交流会で飯森さんは「普通やらない繰り返しを全部やりました。40分以上で大変でしたがオケが集中力を切らさず、時に効かせるエスプリに皆が着いて来てくれて、満足のいく素晴らしい演奏でした!」とおっしゃっていました。
プログラムノートによれば、アマデウスはこの素晴らしい交響曲を4日で書き上げたとの事。もはや宇宙人以外の何者もないですね。すべての楽章がいいのですが、印象的だったのは4楽章。あの超人的なプレストは効いている者の交感神経を刺激して、脈拍が上がり発汗する様に感じました。
ファゴット→オーボエ→ビオラ→第2Vn.→第1Vn.と同じ(ような)旋律が移って行くのは、バルコニーから見ていると大変面白いです。音の塊が、はいこちら、次そちら、ほんでこっち、はいそこ、そしてこっち!と動いて行くのです。しかも全く同じ旋律ではなく、一つおきに同じリズムと旋律の動きだったりとちょっとした、わずかな違いで続いて行きます。
いわゆる「後期」というかモーツァルトの40数曲(正確な数は?)の交響曲の中でも、最後の38番「プラハ」、名曲39番、不滅の40番、41番「ジュピター」へと続くほんの少し前の作曲で、緻密な構成が聴いていてもよくわかりました。

Photo_2終演後のロビー交流会で、「なぜ今回36番「リンツ」だったのか?」というインタビュアーKさんの質問に、「特に理由はありませんよ」と答えていた飯森さん。私は、「リンツ」はフルートが降り番なので足達さんが疲れないですむ、ハ長調なので古楽器を使うホルンとトランペットがC(ツェー)管一本で済むなどなど、細かい配慮の上の選曲だと思いましけど。
演奏前のチューニングの時に、オーボエが出す、通常のH(ハー)442Hzで弦がチューニングした後、C(ツェー)で管がチューニングする様はわかっていても面白いものでした。

観客の私の方が素晴らしい演奏に興奮していて、ソリストの内田さんも足達先生も冷静な感じで、交流会でどんな事をお話になったかよく覚えていません。ただ、足達先生が、「これからフルートをやりたい、今フルートをやっているという人たちに何かコメントありませんか?」という問いに「僕のところに習いに来てください!」と返して受けていた事だけはよく覚えています。
その後、コンミス犬伏さんに先日の松山の演奏会は別用で行けなかった旨詫びて、大変な曲でお疲れでしたねなどとお話。「松山の演奏会場に行ったら、受付のスタッフが酒フィルの人で、庄内はどこに行っても酒フィルの人に会うのよね(笑)」などとお話。次回の山響A定期の翌日、11/24(月・祝)は米沢フィル(アマオケ)の定期演奏会で、犬伏さんがブルッフのVn.協奏曲のソリストをなさるのだそうです。チェロの渡邊研多郎さんに、映画『おくりびと』でモックンの横で大きくアップで映ってましたね!などとお話。その他、数名の団員と言葉を交わし、ファンや弟子から解放された足達先生とお話。
来週、山響の音楽教室で4日連続で酒田に来られるそうです。4日も続けてなら泊まればいいのに、、、と思いますが、庄内って中途半端な遠さなんですよね。往復3~4時間で行って帰って来れるので、もうちょっと近いと(片道1時間くらい)なら楽に往復出来ますし、もう少し遠ければ(片道3時間くらい)ならば最初から泊まろうという気になるでしょう。その午前午後2本立ての音楽教室の合間を見て、私の笛を見てくださるということで詳しい打ち合わせは後ほどメールで、ということになりました。
練習の時に恥ずかしい思いをした、あのチャイコのPコン3楽章の高速の第3レジスター16分音符の部分も、換え指というか、倍音を使って第2レジスターの指使いで「後は気合いで吹くんですよ!」と足達先生からアドバイスをいただいて以来、気合いで練習してだいぶまともに吹ける様になってきました。酒フィルの定期演奏会本番まであと5週間なので、もう少し「気合いだ!気合いだ!気合いだ〜!!!」で頑張ってみようと思います。

ロビー交流会後、特別客演コンマスの高木さんと第2Vn首席のヤンネ舘野さん(舘野泉さんの息子さん)を交えて、山響ファンクラブの面々が集う食事会があるという事でお誘いを頂いたのですが、土曜も朝から仕事のある私は今日中(10/10中)に酒田に帰りたいため、残念ながらお断りせざるを得ませんでした。交流会が終わって駐車場から車を出した時には(そういえば我々の後ろを、7月のラジオ番組出演でもお世話になったYBCの金本美紀さんが歩いていらっしゃいました、『発見!人間力!』番組ディレクターとともにコンサートに来ておられました)、21:45を回っていたと思います。
それからちょっと軽く食事をして、酒田の家に帰り着いたのは23:30を回っていました。往復230kmはやはり疲れますが、足達先生&内田さんと飯森山響による『フルート&ハープ』があまりに心地よかったため、私の顔も心もずっと笑顔でした。こういう気分の時に人は「あ”〜、づがれだ〜」とは感じないようで、「うん、ちょっと疲れましたね、お疲れ!」という爽快な気分でパジャマに着替えたのでした。。。

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2008.10.10

今年の白鳥初飛来、その他の話題

NHKニュースから「白鳥 最上川河口に初飛来」
「動画ニュース」をご覧ください(いつまで見れるか分かりませんが)。

今年は10月9日(木)に8羽の白鳥さんが最上川にやってきました。
昨年は10月11日でした。ほとんど同じ時期ですね。白鳥さんはどこにカレンダーを持っているんでしょうね。
例年は、「酒田市白鳥を愛する会」がボランティアで餌付けを行っていて、8000羽とも9000羽とも言われる日本最大飛来地である最上川の「スワンパーク」には毎年「観察小屋」が設置されます。ところが今年は、「鳥インフルエンザ」に対する懸念のために市から「愛する会」や市民に対して、「餌付けはしないように」というお達しがあったのだそうです。残念ですが、時節柄仕方ないのかもしれません。
「愛する会」の方では「観察小屋」もどうするか考慮中との事。この小屋はスワンパークという最上川の河川敷の小さな公園のようなところに設置されて、悪天候の時や大変寒い時でも暖房にあたりながら、温かい飲み物を頂きながら窓越しではありますが、すぐ近くの川に集まる白鳥さんや鴨さんを観察することができるのです。
これから、続々と集まって来て、近いうちにあの綺麗な「編隊飛行」が見られ、コォ〜クァ〜という白鳥の鳴き声が聞ける事でしょう。

ーーー
名優緒方拳さんが亡くなられました。あの顔色と痩せ方からは悪性腫瘍かな〜と思っていましたが、突然亡くなられたので脳卒中や心筋梗塞もありか?と考えていました。肝癌によって肝破裂を来したそうですね。大変残念です。まだまだ活躍できた事でしょう。
映画『復讐するは我にあり』の鬼気迫る演技、NHK大河ドラマ『太閤記』での秀吉役などが思い出されます。最近では、庄内を舞台にした藤沢周平原作の映画『蝉しぐれ』、『武士の一分』、『隠し剣 鬼の爪』などに出演し、重要な役所を渋い演技で決めていました。素晴らしい俳優さんでした。

はからずも緒形拳さんの遺作となったテレビドラマ『風のガーデン』が昨日から始まりました。私にも身近な最先端医療を行う大学病院勤務医、そして田舎の診療所の医師を一つの題材として扱っているようです。これから注目してみて行きたいと思います。緒形拳さんの姿もしっかり観させて頂きますよ。

ーーー
庄内地方は米や庄内野菜など豊富な農産物に恵まれる土地です(海産物も豊富で美味しいです)。
山形と言えば「さくらんぼ」が有名ですが、佐藤錦などのさくらんぼは東根市や寒河江市を中心に「山形県内陸部」での栽培収穫が多く、庄内ではサクランボ農家は少ないですね。洋梨の「ラ・フランス」も南陽や朝日町などの内陸山間部での栽培が多いようですし、密のたっぷり入ったアマ〜いリンゴも朝日町などが有名な栽培収穫地です。
お米は、漫画『美味しんぼ』の第1巻にも紹介された「庄内米余目産ササニシキ」を始めうまい米がたくさん獲れます。鶴岡白山で有名なだだちゃ豆は、旬が8月末の2週間くらいときわめて短い産物ですが全国的に有名で、白山以外でもだだちゃ豆は作られています。
その他にパプリカなどの外来野菜も育てられていて、酒フィルの仲間の農家でも頑張って作っていますが、東京の渋谷だか池袋だかの高級デパートの地下食品売り場では庄内産野菜の段ボール一箱が10,000円もする安全で美味しい高級野菜として売られているそうです。
地元の野菜や海山の物を使って「地産地消」「地場イタリアン」を提唱する銘点『アル・ケッチャーノ』を始め、庄内にある多くのレストラン、食堂で地物の野菜などを供してくれますが、最近では東京などの有名イタリアンでも庄内の産物のみを使ったフェアなども企画されたりするようですね。

庄内で育てられる果物としては、いちご、砂丘メロンが有名で、その他には「庄内柿」に「刈屋梨」があります。今の時期は、梨、これからは柿が旬。
医院をやっていると、患者さんの中には「これ、おらだで作ったキュウリだ」とか「うるい食べてみれ」と苦心の農産物を分けてくださる方がいます。今日は今日で、素晴らしい刈屋梨をいただきました。スタッフ皆で分けて大切に頂きたいと思います。
刈屋梨は、こちら→酒田市HP「刈屋梨」をご覧ください。

庄内弁はまだうまく話せないbalaineですが、昨日地元のスポーツクラブのお風呂で二人のおじさんの会話を湯船につかりながら聞いていたら、うれしくて顔が緩みそうになりました。
正確に覚えている訳ではないですし、庄内弁初心者なので間違っていたらどなたか直してください!

「おめ、あれみだが?」
「あれって、あれだの」
「んだ、あの映画、なんてったかの?」
「うちのかあちゃんも映ってたっけの。『おくりびと』だろ?」
「あ〜、んだ。いっげが?」
「いいっけ〜。なみだあり、わらいあり、のぉ、感動的だ作品だの」
「焼き場(註:火葬場)のシーンで、誰だが議員もでったんだとのぉ」
「かあちゃんだら、どこさうづっでっがわがんねけっども、議員は結構おおぎぐうづってけ」
「だべな〜」
「だども、いい映画だの。やっぱし、さがたの風景がいっぺうづってからのぉ、みででうれしくなっげ〜。いづもみでるどごがうづってっからって、特別な気持ちになっけよのぉ」

映画に出てくる銭湯(鶴岡の「鶴の湯」で撮影)のようなタイル張りのちょっと古くて広くないスポーツクラブのお風呂場でのおじさんズの会話はあの映画のワンシーンを思い出せて嬉しくなってしまいました。
もとい、「うれしぐなったっけ〜、のぉ」

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2008.10.09

明日はモーツァルト定期だ!

明日、10月10日(金)は久しぶりに山響のモーツァルト定期『アマデウスへの道』、その第5回。
【モーツァルト定期】山形交響楽団HPをご覧ください。)

実は、第3回のモーツァルト定期(H20年2月9日、「第3回モーツァルト定期 in 山形」参照)とその翌日に遊佐町中央公民館(先日バボちゃんのコンサートをやったところ)でのモーツァルト定期と同じプログラムのコンサート(同2月10日、「山響『鳥海春待ちコンサート』」参照)以来、久しぶりのモーツァルト。

今年の8月に、山形テルサと鶴岡市文化会館でやった第4回モーツァルト定期のプログラムは、JAO高松大会に参加(ピッコロで、阪哲郎指揮のフェスティバルオケAに乗った)したため聞き逃していたのです。
しかも、今回の目玉は「フルートとハープのための協奏曲」。
私の憧れの曲です。
死ぬまでに一度はオケをバックにプロのハーピストと共に演奏してみたい、出来たら良いな、、、夢は思い続ければ叶うかも〜、、、(爆)

フルートは、山響首席の足達祥治さん。ハープは内田奈織さんです。
足達先生は常日頃からいろいろお世話になっている身近な存在。私は足達先生門下の猪苗代夏合宿にも参加させていただいた楽しい思い出があります。身近なだけについ気安くなってしまいがちですが、演奏家として大変素晴らしい方なのです。2番フルート&ピッコロのT女史に言わせると、足達先生は学生の頃から凄い演奏で有名で、足達先生に吹けない曲はないのではないか、レベルが違う、という事でした。
山響歴はおよそ25年になると思いますが、管では初めて「首席奏者」のポジションを得た方です。
2年に一回くらいはソロリサイタルを開くので、欠かさず聴きに伺っていますが、いつも素晴らしい音楽を聴かせてくださいます。
平成20年4月のリサイタルの記事はこちら→「山形往復230km」
平成18年4月のリサイタルの記事はこちら→「ひっかる〜うみ、ひっかる〜おおぞら、、、」

これが酒田から車で1時間半はかかる山形テルサで開場18:30のため、16:30~17:00にはこちらを出ないと間に合いません。うちの医院の診療時間、金曜日は18:00まで受付なのでこれでは間に合いません。そこで、なんと明日10/10(金)だけ、山響モーツァルト定期、というより足達先生のコンツェルトを聴くために16:30で診療終了(MRIを撮るような新患は16:00で受付終了)にしてしまいました。
一応、約1ヶ月程前から院内数カ所に診療時間変更のお知らせを貼っています。医院ブログ、院長ブログでも告知しています。
公的な病院ではなく、自分が開設者で院長の診療所だからできることです。


さて、さらにさらに、、、
10/11(土)〜13(月・祝)に仙台で行われる『仙台クラシックフェスティバル』、通称「せんくら」。
【せんくら2008公式HP】は←こちら。
3日間で全部で100を越える様々なコンサートが行われます。同じ時間帯に聴きたい演奏会がある場合は涙をのんでどちらかを捨てるしかないという問題がありますが、人気が高いのでぼやぼやしていると選びたくても「チケット完売」で聴けないという難点もあります。
私は、3日目、10/13(スケジュールはこちら→「10/13の公演スケジュール」)の青年文化センターコンサートホールで午後3時からのコンサートに駆けつけます。
またまた、モーツァルトの「フルート&ハープ」なんです。
フルートは「新日の王子」こと、新日本フィルハーモニー管弦楽団フルート奏者の荒川洋さん(荒川さんは仙台出身!)。そして、ハープはN響ハーピストとして多分お茶の間で一番お顔が売れている素晴らしい演奏家の早川りさ子さん。
荒川洋さんは今話題の映画『崖の上のポニョ』でもフルートで参加されていますし大変有名な方ですが、拙医院リハビリ室でのサロンコンサート第1回の招待演奏者。その模様はこちらの記事で→「サロンコンサート第1回報告」をご覧ください。
そして、早川りさ子さんも超有名な方ですが、この方とも幸運なことに縁があって、お父上の早川正昭氏は日本脳神経外科学会オーケストラ団の指導指揮をされていて、昨年の10月には恐れ多いことにりさ子さんのハープも参加して頂いて、チャイコフスキーの「白鳥の湖」抜粋の演奏をしました。(ブログ記事「学会での演奏」(2007.10.10)を参照ください。
また、早川りさ子さんのハープは上記以外でもとても間近で聴かせて頂いた事がある。それはこちら、「名月荘ムーンライトコンサート」(2007.6.7の記事)をご覧ください。

更に、荒川さんは昨年は新日本フィルの酒田公演(指揮は炎のコバケン)の際にもトラで参加していたチェロ奏者の女性と目出たく先日ご結婚されたばかり。お祝い持って行きたいな〜。

と言うことで、先日の仙台でのロビーコンサート(高木綾子さん&仙台フィル金管五重奏)からフルート奏者の追っかけみたいになっている今日この頃である。本当は日程が合ってチケットが手に入るなら、パユのコンサートも聴きに行きたいところであるがそれはまあ欲張り過ぎと言うものでしょう。。。仕方ないか。。。

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2008.10.08

可愛いお客様

平成20年10月8日(水)13:23(たぶん)、本ブログへのアクセス数が30万を達成しました!
ありがとうございます。

ただし、、、
このアクセス数は、私がブログを開設してからの数ではなく、Cocologがアクセス解析のサービスを始めた、H17年の4~5月頃からのものです。私はH17年の1月からブログを始めていたので正確な「総数」ではありません。また、このブログのカウンター上で300,000という数字になったことを指しているのですが、Cocologのアクセス解析で計算されている「累計アクセス数」は現時点で302,642になっていて、カウンターの数より2,600近く多いのです。
ま、細かい事はおいておいて、「ブログのページに設置したカウンターが30万をヒットした」事を喜びたいと思います。
皆様、ありがとうございます。そして、もしこんなブログでも興味があれば、今後もよろしくお願い致します。

ーーー

さて、残念ながら写真はないのですが、今日は拙医院に「小さな、可愛いお客様」がいらっしゃいました。患者さんではなく、「お客様」です。
この医院のある学区は「富士見小学校学区」と呼ばれています。実際に「富士見町」にあるのですが、近くに「富士見小学校」があるからです。県道を隔てた南側の曙町にあるコミュニティセンターも「曙町コミュニティセンター」ではなくて「富士見コミュニティセンター」、通称「富士見コミセン」と呼ばれています。
この小学校では、富士見町はもちろん、近隣の曙町、こあら町、北新橋、上安町、下安町などの町同士で対抗戦を行うような、「地区運動会」も行われるんです。(この運動会の事は、記事「6月の始まり」で紹介しています)

さて、本日午前中、小学校の先生に引率されて富士見小学校2年生の児童が6名、拙医院を訪ねてきました。小学校の近隣のお店などを調べて訪ねて歩くという課外授業の一環との事。
Mriwhale私は患者さんの診察があったので、ほんの5分程お相手をしただけですが、医院自慢のリハビリ室(にピアノ、チェンバロ、そしてウォーターベッドという理学療法機器)とMRI室(これもちょうど患者さんが検査中でしたので、ドアをそっと開けて自慢の鯨の大きな写真を見てもらうだけ)を案内しました。
T2revmri診察室で、PACSのMRI画像を見せた時は、男の子は「わぁ!すげぇっ!!!」と画面を食い入る様に見て、「鼻はどこ?」などと積極的に質問してきましたが、女の子はちょっと引いているようでした(笑)。

BmrademoMRI室で、赤い色をつけて3次元表示したMRAをマウスでクルクル回転してみせた時も男の子だけ、食いついてきました。生まれつきの性差なのか、性格なのか、育て(育ち)方による環境因子なのか、この違いは興味深いものです。

学校で準備して来たと思われる2つの質問を受けました。

「お医者さんをしていて一番大変な事はなんですか?」
「お医者さんをしていて嬉しい事はなんですか?」

私なりの答えをしたのですが、小2の子供達にキチンと伝わったのかどうかは不安です。
今は開業医なので「時間外診療」はしていません。
以前は、昼夜の区別なく、土日も、夜中も、緊急患者では呼び出しを受け、急患を診て、緊急手術をしたり、心肺蘇生をしたり、死亡を宣告したり、、、食事をしていても、風呂に入っていても、寝ていても、家族と買い物に行っていても、病院に駆けつけなければなりませんでした。それらの仕事は、一般の人には医師なら当然と思われている仕事(本当は臨時の、時間外労働)であって、日中に外来をして、回診をして、処置をして、予定手術をこなしている上に行っている事なのです。
でもこれも自分が選択した仕事なので、「眠いな〜」とか「疲れたな〜」と思ったことはありますが、これが原因で仕事を辞めたいとか考えたことはありませんでした。辛かったことは、たとえば昨日転んで頭を打った小学生の子供を夕方近くに連れて来た母親に、病院の会議中に急患だと呼び出された私がいらいらしつつ「昨日の打撲なら、昨日もしくは今日の午前中に連れて来た方がいい」などと言ったりすると「24時間、いつでも患者を診るのが先生の仕事なんじゃないんですか!」などと反論されたりする事がとても辛くて嫌な事でした。
そして嬉しい事は、まったく嘘でもカッコをつけている訳ではなく「治療した患者さんに『先生のお陰でよくなりました。ありがとうございました。』とか『先生に命を助けて頂き感謝しています。』などと言って頂ける事が嬉しい事です」と子供達には答えました。感謝の言葉を頂くことはこの仕事をしている冥利というものです。

うまく伝わったかな〜。
脳の断面を見てショックで忘れちゃったりしてないかな〜。。。(^^;;;


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2008.10.07

あと40日、あと12日、そしてあと1日?

月日の過ぎるのは本当に速いもの。
最近は仕事が終わったら外は真っ暗。ちょっとこないだまでまだあんなに陽が高かったのに。

ということで、酒フィルの定期演奏会、11/16(日)まで「あと40日」となるので再度告知します。
08「シベ2」です。
チャイコのPコンです。
そしてグリンカです。
頑張ります。
私は3曲とも乗ります。Pコンではトップを吹きます。チャイコのPコンのあの2楽章冒頭のフルートソロ、緊張します。ピッチ外さないよう練習します。3楽章のあの高速の高音16部音符、滑らないよう頑張ります。
どうぞ、たくさんの方に聴きに来て頂きたいです。
よろしくお願いします。m(_)m

ーーー

そのチャイコのPコンでピアノ独奏を弾いてくださる石井理恵さんをお招きして、拙医院主催の「サロンコンサート第3回」まで「あと12日」になりました。
10/19(日)、午後2時開演です!
たくさんの方に聴きに来て頂きたいのですが、用意できる椅子の都合で先着80名になりますのでご注意ください。

ーーー

私のブログ、30万アクセスまで現時点であと800を切りました。早ければ10/7か遅くとも10/8には30万アクセスを達成しそうです。「あと1日」ということになります。
300,000を踏んだ方、どうぞ遠慮せずに名乗りをあげてください。何か記念の品を考えます。

ーーー
先週の土曜日、外来が午後1時半くらいまでかかって2時過ぎに昼食となりました。
Photo_6Photo_7拙医院から車で1~2分のところにあるお蕎麦屋さん「めだか」の、左が板蕎麦、右が月見です。
ここの蕎麦は、作り手の心が見えるようです。真面目で普通に美味しいです。啜ると心を掃除してくれる様な気がする蕎麦です。
奇をてらうようなところはまったくありません。
板蕎麦は普通よりも太めで更に固めです。
6月のサロンコンサート第2回に出演して頂いたフルーティスト上坂学氏も絶賛してくれた蕎麦です。

こういう真に旨いものを食べると心にも栄養がつくような気がします。
そうしてこれからの限られた日にちを大事にして行こうと思います。

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2008.10.06

ド○モロビーコンサート in 仙台

10月5日(日)、仙台市にある携帯電話会社の大きな大きなビルの1階ロビーで「無料」のコンサートがありました。10/11~13に開催される通称「せんくら」に協賛したコンサート。
出演は、前半がフルートの高木綾子さん、後半が仙台フィルの金管五重奏でした。

小学5年で始めたフルートですが、高卒後しばらくブランク(たま〜に吹いていましたが)のあったフルート熱を再発させてくれたのは高木さんのCDを聴いてから、というのは以前にも書きました。
女性のフルーティスト、という変な固定概念を見事に覆してくれる、芯の太い、豊かな響き、特にその低音のバリバリというような重い響きと頭のてっぺんに響くような突き抜ける高音。「あ〜、こんな音、自分も出してみたいな〜」というのが、ベルフィル首席のパユとともに私にもう一度真剣にフルートに取り組む気持ちを沸き起こしてくれたのです。

それから、年に最低1回は生で高木さんの音を聴きたい、聴かなければ、とも思います。彼女の音を聴くと「あ〜フルート吹きたい!」という気持ちがわき上がるのです。
午後1時半開場ですが、無料で、先着200名着席、事前情報(電話で確認)によると消防法によって一定以上の人をロビーに入れられないということ。そこで12時前には仙台に着くように朝早く出発。3時間かかってもいいように、9時出発で最上川沿い、新庄経由、東根から関山峠越えという高速道路を使わない往路にしました。
Photo_2Photo_4早めに着いたので、コンサートの会場になるドコモ東北ビルを確認し、元仙台市民としては欠かせない牛タンを昼食にすべく、コンサート会場近くの牛タン「利休」として市役所前支店と花京院支店を視察し、駐車場の関係で市役所前支店へ。

15Photo一人前では物足りないので、「1.5人前定食」とギターの福田進一さんも絶賛した「極」定食を二人で頂きました。(左が1.5人前の牛タン。9切れ?だったかな。右が「極」定食。前歯だけで噛み切れてしまう、信じられない様な柔らかさと旨味!)
食事を終わって12:30頃。まだまだ余裕はありますが、折角2時間半かけてはるばるやって来て入れないではシャレにならないので、「勾当台公園」で行われていた身障者の方々によるイベント会場をちらっと見学しつつ会場へ。12:45過ぎに着いてみるとすでに100人近くの人が並んでいます!
Photo_3さすが!と思いつつ列に並びます。ガラス張りのホールはシェイドが降ろされて厳戒態勢(?)。私が並んだ部分はちょうど閉めきりにしてある回転ドアの部分で写真の様にリハ中の姿が拝見出来ました。ラッキー!
13:30開場予定でしたが主催者の予想を超える来場者だったため10分ほど早めに開場。前方の席が確保できました。すぐに200の座席は無くなり、後方には50名を超えると思われる立ち見の席。さらに入場を断られたかわいそうな方々は、ガラス張りのロビーの外から開演を待って立ち見です。

14時過ぎ、地元テレビの女子アナのMCで開演。
高木綾子さんは濃いめのピンクのドレス。新婚旅行から帰国したばかりという(高木さんのブログ情報)ピアノの坂野さんはいろいろ鮮やかな色を使ったデザインドレスで登場。
曲は演奏順に、1)タイスの瞑想曲(マスネ)、2)アンダンテ(モーツァルト)、3)タンゴの歴史から「1900, 1930, 1960」(ピアソラ)、4)トップオブザワールド(カーペンターズ)、5)EARTH(村松崇継)。
クラシックの有名曲あり、タンゴあり、ポップスあり、現代ありでわずか40分ほどの短い時間でしたが楽しいコンサート。周りの観客には、あまりフルート曲も高木綾子さんも知らない方々も多かったようで、高木さんの曲の解説MCに「ほ〜」とか「へ〜」という反応を示している人もいました。「EARTH」の解説のところでは、「この曲、聴いて気に入っていただけましたら、是非お近くのCDショップへ!」という話に笑いも取っていました。
花束贈呈後アンコール。曲は「バイオリンではお聴きになったことがあると思いますが、フルートでは初めてではないでしょうか?」という説明の後、「チャールダーシュ」(モンティ)。軽快な音楽を響かせてくださいました。
高木綾子&坂野のコンビのコンサートは、実はちょうど1年ぶりに聴きました。昨年は山形テルサでの演奏会。「高木綾子フルートリサイタル2007.10.18(山形)」を参照。
2003年に名月荘サロンコンサート、2005年は仙台フィルとのハチャトリアん、2006年は山響とイベール、2007年がテルサカフェコンサート、そして今回と、やはり「1年に1回は生で高木綾子のフルート」ですね。(笑)

フルートの後、休憩を経て、後半は仙台フィルのメンバーによる金管五重奏。MCも慣れたものという感じで観客のハートを掴みます。
5人のうち4人は間違いなく「メタボ」という体型をギャグにして、「我々のメタボリックな演奏を、、、あ、違うか、ダイナミックな演奏をお楽しみください!」という挨拶に始まり、演奏の合間に団員や楽器の紹介もあり。大阪の芸人のノリ(?)できっちり笑いを取るところが凄い!もちろん演奏は素晴らしい!
ヘンデルの「水上の音楽」では、山形県内のお寺さんの息子さんというトランペットの森岡さんのピッコロ・トランペットが輝かしく響きます。昨年5月にプラハの教会で聴いた、元チェコフィルのケイマルさんのピッコロトランペットの響きを思い出しました。金管五重奏は、同じ五重奏でも木管とはガラッと違う音楽になります。金管楽器を選ぶ人がそうなのか、金管楽器を吹いているとそういう人になるのかはわかりませんが、皆さん、どことなく体育会系な雰囲気を漂わせ明るく、強そう(笑)です。
「サウンド・オブ・ミュージック」「ウェストサイド・ストーリー」と元吹奏楽部指導者でもあり、
ダンス・ミュージカル好きの家内のツボを突く選曲もあり、隣の家内は後半の方がさらに乗っていたようです。
Photo_5「コンサート中は、写真撮影、ビデオ録画、録音は硬くお断りします」と3、4回アナウンスがあり、ちょっとしつこいくらいでした。会場の雰囲気を記録したかったので、すべてが終了し観客がはけてからステージを撮影してみました。

「星条旗よ永遠なれ」(スーザ)で始まり、最後アンコールは「イェスタディ」(ビートルズ)で美しく終わりました。MCもたっぷりとあったため終了は16時をとっくに回っており、山形で用事があったため、演奏終了後、まっすぐ山形市に戻りました。1年点検の車を代車に交換して、復路は高速道、月山道経由で酒田に戻ったら19時を過ぎていました。
週にただ1日の貴重な休みですが、10時間出ずっぱりでゆっくりは出来ませんでした。しかし、「利休」の牛タンに高木さんのフルート、仙台フィルの金管五重奏と幸せな時間を過ごせました。

この1週間ほどは、「フルートの追っかけ」となります。
昨日10/5高木さんのロビーコンサートに続いては、10/10(金)山形テルサでの山響「モーツァルト定期」での足達先生独奏のモーツァルト「フルート&ハープ」協奏曲(ハープは内田奈織さん)を聴き、そして10/13(月・祝)はまた仙台に出かけ、「仙台クラシックフェスティバル」におけるコンサート。5月にサロンコンサート第1回で演奏していただいた新日本フィルの荒川洋さんのフルートに、昨年脳外オケで共演していただいたN響のハープ奏者早川りさ子さんで、またまたモーツァルトの「フルート&ハープ」協奏曲です。
昨年あたりから、自分の老い先の事など考えたりします。フルートは何歳くらいまで元気に吹けるだろうか、とか。管楽器は、肺や気管支など呼吸器の運動能力がしっかりしていて、頭と手がしっかりしていれば「定年」というのはないでしょうが、やはり70歳代を超えての自在な演奏は厳しい感じがあります(ニコレやグラーフの最近の演奏を聴いても、、、)。
死ぬまでに、プロでもアマでもオケをバックにモーツァルトのフルート協奏曲3曲を吹きたい、吹けるといいな♡、と思っていて、特に「フルート&ハープ」は昨年楽譜を購入し、時間を見つけてはチョコチョコと練習もしています。超絶技巧を要する訳ではなく(元々、ハープを弾く新婦とフルートを吹くその父親の貴族のためにモーツァルトが作曲したのですから)、技巧的には難しくはありません。しかし、音楽としては奥が深く、取り組めば取り組むほど難しくなる印象です。ある程度の技巧を持っていて、逆に難しい事は何も考えずに、ただ「音を楽しむ」「演奏を楽しむ」という吹き方が出来ればそれだけでモーツァルトの音楽は十分なのかもしれません。能力の乏しい者ほど、その音楽の深さや掴まえようのない高みに足がすくむのかもしれません。音楽を知れば知るほど、演奏をすればするほど、難しくなるのがモーツァルトの音楽と言っても過言ではないかもしれません。
でも、死ぬまでに一度はホールで演奏したいな〜と夢物語を見続けたいと思います。(苦笑)

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2008.10.04

「アスキーによるパソコンユーザー調査」をみて〜私のパソコン履歴〜

このブログを始めて3年9ヶ月を過ぎ、もう少しで30万のアクセスを頂こうとしている。しかし、私のコンピュータ経歴はもう少し長い。
パソコンを初めて触ったのはたしか昭和55,6年頃。NECのPC8001。
医学部の学生の時で、同級生Aと、Aの元同級生で1年先輩のB(つまりAは1年留年して私の同級生になっていた)という機械語を操るコンピュータの達人がいて、いわゆる「マイコン」ブームの先駆けを行っていた彼らが作った「医学部マイコン倶楽部」に首を突っ込んだのが私のパソコンとの馴れ初めである(その前に高校や大学の医学部進学過程の数学の授業でFORTRANなどをキーパンチャーで打ち込んだりの経験はあった)。
だからしばらくはBasicという言語を主に、その後はMS-DOSに移行して、NEC PC9801シリーズを主に仕事に使っていた。でも当時は、シャープの「書院」などというワープロ専用機があり、PC98シリーズにドットマトリックスプリンターを持って外付けHDを購入すると100万円を超える値段にも関わらず、ちょっとしたワープロと表計算、統計計算くらいにしか使っていなかった(でも当時は、スゴい器械を持ったと錯覚していた)。

1970年代後半に産声を上げたAppleそしてMacは、グラフィック・デザイナー、イラストレイターや作曲家などの一部のプロから愛用される以外にはあまり素人受けはしなかったようで、主にNECのユーザだった私が「マッキントッシュ」というパソコンのことを実物を見て知ったのは1990年代始め(名前はApple IIの頃から知ってはいた)、平成になってからだった。それ以前から、医学部の医師、研究者などの一部には、高価であるがグラフィック機能や日本語のフォントが豊富で、特に漢字Talk6から7シリーズになってからの機能は、論文作成やスライド作成、プレゼンにパワーを発揮するためMacを愛用する者もいたが、当時のMacは使っている最中にしょっちゅう「落ちる」器械で安定性に乏しかった。
1992~1994年に米国留学し、PowerBook170とCentris660AVをピッツバーグ大学職員学生価格で購入し、「憧れの」Mac生活が始まった。当時、「音声認識」ソフトとかマルチウィンドウ、画面キャプチャーといった機能に「恋心」さえ感じていたが、冷静に仕事用と考えると必ずしも必要のない「遊び心」満載のオモチャ的パソコンであったことはWindowsユーザから指摘されても、決して全面的に否定の出来ないものであった。1994年に帰国し大学医学部勤務に戻ると、Macユーザがチラホラ。時はちょうどインターネットが日本に普及し始める頃。まだまだppp接続なんて普通電話回線でモデムを介していた頃で、NiftyもNiftyserveという名前だった。
動画、ネット、BBS、メールというものを駆使している人間はまだ一握り。勉強会を立ち上げて、サークル感覚で専門診療科や研究科の枠を超えて交遊が広がった。そんな中、1995年(平成7年)、国立大学にイントラネットから外部にアクセスできるインターネット環境が整い、私が中心になって日本で初の大学脳神経外科のホームページを平成7年に開設。さらに、全国の脳外科医や脳外科関連領域で仕事をしているエンジニアなどをこれまたサークル感覚で集めた、私設脳神経外科メーリングリスト「GIN-ML」というのを平成8年1月に始めた(山形大学医学部のサーバーにMLのサーバを置かせてもらった)。

その後は、インターネットはまたたくまに普及し、ppp接続からISDNそして光回線の常時接続が一般家庭に普及する時代となった。個人的な、趣味としてのネット活動としては、Niftyなどでちょこちょこやってはいたのだが、仕事(論文、学会プレゼン用、ビデオ編集)を中心Macをかなりの数、使って来た(Centris660AVの後は、LC575, PowerBook 540c, PowerMac 8500, PowerMac G3, iMac(初代),iBook, PowerBookG4, そして現役のMacBook、iMac, MacProと続いている)。
HDやメモリの価格が驚く程に下がり、ネットワーク環境が整い、CPUがどんどん高速化し、パソコンは進化を遂げ続け、仕事でも趣味でも幅広い領域でお世話になっている。
電話料金を気にしながらppp接続でBBSに書き込んだり、MLにメールを送るなどといった状態から、高速ネットワーク常時接続が普及して、趣味的にネットワークを使用できる環境が私の回りにも整い、ようやくブログを始めたのは、平成17年の1月と結構遅い方になる。

こうして振り返ってみると、約30年の間、一般人用の(コンピュータ専門家ではないと言う意味)パソコンの歴史を辿って来たようなものである。ただし、Windowsパソコンは個人的に購入したことがない。病院のオーダリングシステムや電子カルテシステムがWindowsパソコンで構成されていたので、仕方なく嫌々ながらWindowsも触るようになった。医院を開設して、その経理税務管理や電子カルテシステムのために、仕方なくWindowsのノートブックやデスクトップを計5台購入したが、これは「仕事上」の使用である。PACSという、院内の画像管理システム(MRIなどの画像を管理する)はMacで構成しており、院内にも8台の「仕事用」Macがある。

こういうパソコンユーザであることを振り返るきっかけになったのは、最近発表されたアスキーメディアワークスとアスキー総合研究所によるMacとWindowsユーザーに対するアンケート調査の結果を見たからである。

=====
『Macユーザーは「人と違ったことがするのが好き」、Windowsユーザーは「普通が好き」』。

そのサブタイトルはこう謳っている。確かにそういう印象はある。
Macユーザー278人とWindowsユーザー494人にアンケートを実施した結果をまとめたもの。一部を引用する。

「自分の性格について、Macユーザーは「人と違ったことをするのが好き」と答えた人が最も多く51.8%、2位が「頑固」、3位が「ゴーイングマイウェイ」、4位が「クリエイティブ」だった。Windowsユーザーは「普通が好き」が最も多く41.3%、「頑固」「ゴーイングマイウェイ」「控えめ」と続いた。」

「職種で見ると「デザイン・クリエイティブ」分野の人は、Macユーザーの9.7%、Windowsユーザーの1.3%と、Macユーザーに多い。「教育」や「会社経営・役員」と答えた人の割合も、Macユーザーの方が多かった。」

「世帯年収が900万円以上の人の割合は、Macユーザーでは21.3%、Windowsユーザーでは11%だった。」

「OSのイメージについて、Macは「オリジナリティがある」「先進的」「クリエイティブ」といった意見が多い。Windowsは「メジャー」「スタンダード」「ビジネスライク」という意見が多かった。」

「Macユーザーが米Appleに対して持っている印象は「音楽のライフスタイルを変えた」「感性に訴える製品を作っている」「ものへのこだわりが強い」といった意見が上位だ。」

「PC利用歴はMacユーザーの方が長いようで、20年以上と答えたのはMacユーザーの32.4%、Windowsユーザーの20.6%。10年未満の人は、Macユーザーの19%、Windowsユーザーの33.3%だった。」

MacユーザとWindowsユーザでの好みの携帯電話についてなどは、アンケート調査の目的はなんとか理解できるが私は興味がない。
面白かったのは、
「自動車メーカーでは、Macユーザーには本田技研工業が、Windowsユーザーにはトヨタ自動車が1番人気。BMWやポルシェ、フェラーリなど海外の自動車メーカーが好きと答えた人の割合は、WindowsよりMacユーザーの方が多かった。」
という、個人的な趣味や「好み」について、Macユーザーの方がなんとなく「こだわり」を求める人という印象が明らかになる。

ーーー
私の回りでiPhoneを使っている人はほとんどいない。発売当初、医師会関係の会合で、地元の歯科医の先生がiPhone 3Gの8GBモデルを持っていて、私の16GBモデルと比べっこをした位である。Windowsユーザーには取っ付きにくい使用感であり、日本人の携帯電話ハードユーザー(特に女子高生)などには受け入れられない要素が多く(メールが打ちにくい、絵文字がない、キャラ電もない、内蔵デジカメの能力が他の携帯電話に比べ低い)、私のようなそこそこのMacユーザーでも持っている満足度は余り高くない。以前にも書いたように、その理由は文字変換の遅さ、それゆえに「入力中心のPDA」というよりは、SafariのモバイルブラウザーでありデジカメブラウザーでありiPod,iTunesの2番手機種という感じで、モバイルコンピューティングの中心にはならなかった点である。

最近はiPodの普及によって、AppleとかMacintoshというブランドは、「一部のオタク」の物ではなくなり、街のお兄さんお姉さんが普通に持ち歩く「電化製品」になって来たような印象がある。昔のようなコアなユーザーは(相対的に)少なくなったであろう。物が普及する上で仕方のないことかもしれない。私も「人と違った事をするのが好き」な「クリエイティブ」なお兄さんではなく、普通のおじさんとしてパソコンを使っているように思う。

今後、パソコンはどのように変化を遂げ、我々の日常生活に入り込んで来るんだろう。
ホームセキュリティや家族とのテレビ電話、家電製品のネットワーク機能・管理、、、こういった展開はすぐ目の前(既に始まっている)だと思う。
個人的には「Mac頑張れ!Windowsに負けるな!」という気持ちはまだあるが、あまり大衆化するのも寂しい気持ちがある。

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2008.10.03

サロンコンサートの準備

昼休み、いつも観ている「ハイビジョンクラシック倶楽部」が女子ゴルフのためお休み。
午後1時〜1時55分のわずかな楽しみも、高校野球やゴルフの前には消えてしまう(ハイビジョンで観るようなものなのか?)。
BS2に変えたら、参議院の国会中継をやっていた。面白かった。

10011003さて、ここのところ数日の好天によって初冠雪した鳥海山の雪も酒田から観る限りは消えてしまった様に見える。左の写真は10/1朝の写真、頂上東側に冠雪がはっきり見える。右の写真は今日の午前中。ほとんど雪が消えている。
この分では、白鳥さんもまだ渡っては来まい。

SpoonPhoto10/19(日)のサロンコンサート第3回の準備の一環として、コンサート情報を地元の情報誌である月刊『SPOON』10月号と週刊コミュニティ新聞10/3号に掲載して頂いた(インフォメーションの欄は広告でない限り無料、ただし字数制限あり)。
さっそく申し込みが3名あった。
あと2週間あるが、なんとかもっと宣伝して、「ジョンダーノ・ホール」を満席にしたいものである。石井理恵さんというピアニストをもっと多くの人に知ってほしいし、11/16(日)の酒フィルの第36回定期演奏会の事も周知したい。

「石井理恵ピアノ・リサイタル」in「ジョンダーノ・ホール」、発売中!!!です。

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2008.10.02

10月、好天気

9月下旬からどんどん秋〜冬に向かう気温でしたが、ここ数日ちょっと緩んでいます。
今日などは上着を着ると暑い位。
木曜半ドンのため昼食を外で取ろうと思い、最近の気温の低さからは温かいラーメンかな?と思っていましたが、とてもポカポカ陽気なので変更。

PhotoPhoto_2国道7号線沿い、iPhoneを購入したSバンク酒田店の隣にある「北京飯店」です。
このお店の店長さんは中国から帰化した女性で、コックさんは中国人。本格的な中華料理が比較的安く食べられるので時々お邪魔しています(7/19の記事にも北京ダックのことをアップしています)。
平日のランチのみのメニューの点心セットを頼んでみました。メニューとはちょっと中身が違いましたが(フカヒレ餃子がなかった代わりに、メニュー上は6個のはずが写真の7個+揚げたてパリパリの春巻きと全部で8品)どれも中華街で食べるような本格的な点心でした。

最近、「美味しいものを食べた」という記事は控えめにしていたのですが、映画『おくりびと』で山崎努演ずるNKエージェントの社長が言った言葉、「死にたくなけりゃ喰うしかない。どうせ喰うなら美味い方がいい。」を思い出しました。

山形の置賜地方(米沢、川西、長井、高畠など)で主に撮影された映画『スウィング・ガールズ』で怪しい教師役を演じた竹中直人氏が監督になって庄内で映画の撮影が行われました。その名も『山形スクリーム』という映画です。
「山形スクリーム」オフィシャルサイトをご覧ください。
監督として、また出演者の一人として超多忙であまり庄内で観光などする暇はなかったそうですが、美味しいものはいろいろ経験されたようです。庄内地方に住むある方のブログには、あるお蕎麦屋さんに行ったら竹中直人そっくりの人が一人でお蕎麦と麦きりを食べていて、良く似てるな〜、でもまさかね〜と思っていたけど、見れば見る程本人以外の何者でもなかったと言うことを書いている人もいました。
Photo_3お店の名前は明らかにされていませんが、鶴岡市内で岩のりのおにぎりを食べた竹中直人氏は「気が狂いそうになる程うまかった」という感想を残しています。その岩のりのおにぎりは多分これかな?と思います。
私は、昭和61年から2年間、鶴岡市立荘内病院に勤務した時代からこのお店を知っています。その後、同じ市内で新しいお店を構えて、今では超高級料理店として知られているようですが、先日何年振りかで訪ねると、店主も奥さんも昔と同じにこやかな笑顔で出迎えてくださいました。
Photo_4まだ9月だったのに「はたはた」も頂きました。素晴らしい品の良い味でした。
「はたはた」は漢字で「鰰」、神様の魚と書きます。秋田の県の魚に指定されていて、有名な秋田音頭では「秋田名物八森ハタハタ、男鹿で男鹿ブリコ(アーソレソレ)」と謳われています。鶴岡出身の作家藤沢周平の小説「三屋清左衛門残日録」の中には、
「はたはたは、田楽にして焼いて喰べるのもうまい」
「町奉行は勢いよく、ぶりこと呼ばれるはたはたの卵を噛む音を立てた。浜でははたはたがとれるようになると、季節は冬に入る」
と庄内の季節感をハタハタで現している部分があります。9月にハタハタを食べたのはある意味拍子抜けでしたが、もう冬が近づいているんだなと強烈に思い知らされたことでした。

まあ、食べ物の話ばかりになってしまいましたが、10月になっても放火だの殺人だの自殺だのと殺伐としたニュースに、「世界恐慌?」の怖れさえ噂される世界経済の暗い話を少しは忘れたいと思います。
庄内地方は「稲刈り」の最盛期にあたるためか、予約再診の患者さんが来られなかったり、午後の患者さんがガラガラだったりしますが、それなりに新患の受診もあり、そこそこ忙しい日々を送っています。
本日のお天気のように、スカッと心が晴れるような、爽やかなニュースはないのでしょうか?

「余談」
そういえば、清原選手ご苦労さん!
以前にも書きましたが、とても強かった桑田・清原を擁する当時のPL学園。
当時セ・リーグ最下位のヤクルトと入れ替え戦したらPLが勝つのではないかと言われた程強かったんです。4番清原の陰に隠れてまったく有名になりませんでしたが、5番センターは私と同じ名前の選手でした。当時のPL以外のチームならどこにいっても4番だったことでしょう。
昭和60年、御巣鷹山にJALが墜落したその夏、PL学園は山形県代表東海大山形に対し、あらゆる甲子園の記録を破るような大勝をしました。最後には一塁手だった清原までピッチャーとなり、東海大山形の得点7点(あのPLから7点も獲った!!!)のうちの何点かは清原が投げたからだったと思います。
そんな昔の事は別にして、引退した桑田も最後は(活躍は出来なかったけれど)憧れのMLBの選手として野球選手人生に終止符を打ちました。そのユニフォームは私も留学していたペンシルバニア州のピッツバーグに本拠地を持つ、ピッツバーグ・パイレーツ(今や弱小球団ですが、昔はバリー・ボンズなどを擁し、何回もワールドチャンピオンになっている)でした。
帽子の「P」の字を見て、「ああ、桑田はPLで始まり、Piratesで終わったんだ。PLは彼の野球の全てと言っても良い程だったのかな〜。」と感じました。
二人共、いろいろあったけど、、、ご苦労様!

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