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2008年8月

2008.08.31

定期演奏会に向けての練習

今年の酒フィルの定期演奏会は、11/16(日)。
Photoあと2ヶ月半ほどである。
私は定期演奏会プロジェクトチーム(サブリーダー)に入れられており、現在ポスター制作などに関わっている。(このポスターは未完成なので小さめです)

先週の練習は、阪哲郎&山響の貴重なオールフランスプログラムを聴きにいくためにさぼってしまった。(土曜日のみの一回公演なので、サボるか諦めるかの選択しかなかった)
フルートパートリーダーとして個人的に練習記録を付けているのだが、オペラ「ラ・ボエーム」終了後、定期演奏会に向けての練習が始まってから練習を休んだのは先週が初めてだった。
毎週練習に出ていて、すでに10数回、というより20回近い練習を積んで来ているのに、今日の練習もななかなか考え込んでしまうようなレベルだった。楽団指揮のS氏は本当に我慢強いなと感心する。

いろいろな事情(主には、本職のせい)で練習に人が揃わないのはいつもの事。ある日などは、管でパートが揃ったのは「0」という日まであった。フルート1、オーボエ0、クラ1、ファゴット0、ホルン3、トランペット1で何をするの?という感じだった。弦も第1バイオリン3、第2バイオリン2、ビオラ3、チェロ4、コントラバス0という日もあったように記憶している。

オケは「合奏」なのだから合わせて練習しなければ意味がない訳だが、合わせるパートがいなければ「2時間個人練習していた方が実があがるのでは?」という気にさせられる。でもそんな事を言っていては、地方アマオケは成り立たない。都会のアマオケや大学オケなどでは、よほどの事情がない限り練習を休むなんてもってのほかで、練習に出てこないなら本番に出してもらえないのが普通だと思う。しかし、酒フィルのような、弱小地方アマオケの場合、メンバーを揃えるだけでも大変。特に弦は楽器を持って「愛好している」程度ではなかなか交響曲など太刀打ちできるものではなく、日々の大変な練習が必要な訳で、「練習に参加しないなら本番に出さないよ!」などと言える状況ではない。

管の場合、弦と違って「ソロ楽器」の集合なので、パートごと、一人一人役割が違い全員が揃って初めて音楽が構成される。しかし、仕事でほとんど参加できないメンバーや、いろいろな活動で来たり来なかったりのメンバーもいるのだが、練習に参加しない事が同じパートの仲間や合奏するオケ全体にどれだけ迷惑をかけているかという意識は低いように思う。
あくまで「アマチュア」の趣味で楽しむ演奏なので、仕事をないがしろにしたり出張や会議を取りやめてまで練習に参加することは本末転倒であるので、「仕事もいいけど練習に出ろ」というような事は言えるはずもない。私も言われたら大変困るし、そんなことではオケ活動を辞めざるを得なくなる。

今年度に入って、退団、休団が数名出たこともあり、パートによっては「本番、大丈夫?」というところもある(人の心配をしているほどの実力はないのだが)。仕事でしばらく練習に参加できていなかったため、まだ「譜読み」レベルの人もいる。私もまだまだ練習が足らないので、本当に人の事は言えないのだが、「これでいいのか?」という思いもある。
本番まであと10回くらい練習日はあるし、酒フィルの場合、結局毎年の事だが人が揃い始めるのは農繁期を過ぎた9月末位からになるので私などが心配する事ではないのだろう。いつものようにこうやって本番近くなると、皆、力を出して、一部エキストラの力も借りて演奏会を迎えるのである。結局はなんとかなるのである。だから余計な心配だと思う。

いや、心配をしているのではなくて、これでいいんだろうか、という気持ちなのである。
でもそんな事を考えても、こんな田舎のアマオケで、いくら細々と40年近く続いているとは言っても、結局は「人」なのだから、実力のある人、ない人、オケ経験の長い人、短い人の寄せ集めでなんとか活動をするためには、目をつぶり我慢しなければやっていけない面が多くあるのだ。これまでは、一笛吹きとしてただ練習に参加し本番に出て、あ〜よかったよかった、で来た私であるが、今年はプロジェクトチームに入って、オケ全体を見るような目ができたために余計な事を考えているのかもしれない。

それにしても、今日の練習では皆の失笑を買ってしまい恥ずかしかった。
チャイコフスキーのピアノ協奏曲、第3楽章、変ロ短調、Allegro con fuoco。
92小節目に大変難しいパッセージがある。速い3拍子の中、16分音符で「ミファソラファソラシ♭ミソ♭ファ」という部分。
変ロ短調なので、フラットが5つ付いているのだが、この部分はミ、ソ、ラにナチュラルの臨時記号が付いて、最後にソが臨時記号でフラットに戻る。しかも第3レジスターなので「シ♭」などは、普通の演奏に使う音域の最高音の「ド」の2つ下、つまり基本的には倍音を使った替え指で音を出す音域である。この11個の音のうち、第1や第2レジスターと同じ指、つまり替え指ではない運指で出す音は一つもない。2倍くらい遅いスピードで吹いても指がこんがらがることもあり大変な箇所である。
結局は自分の実力不足、練習不足なのだが、この部分で指が回らずヘロヘロになってしまい、失笑を買ったのである。しかもさらに悪い事にこの部分、ファゴット以外の楽器はすべてお休みの小節で、後はピアノだけ。ようするに大変速く高い音のソロがチョロっと入る部分なので、ごまかしはきかない。

ゆっくりと繰り返し、リズムやアーティキュレーションを変えて練習を繰り返すしかないと思う。今日も日中、1時間あまり個人練習をした際にも、ほとんどをこの部分に割いたのだったが、合奏練習では速さについていけず「撃沈」だった。私の脳の前頭葉にある運動のプログラム中枢と巧緻運動に関わる小脳の働きが老化しているのだろうか。。。
よって、上にも書いたように「人の事を心配しているレベルではない」のだ。
9月に1回、10月に1回の本番指揮のマエストロ井崎(正しくは、大ではなく立という部首の崎)の練習があり、それに合わせてピアノソリストの石井理恵さんも東京から来てくださる事になっている。つまり第1回指揮者&ピアノ合わせ練習まであと3回しか練習日がない!それなのに、こんなレベルでよいのか?!自分!そしてみんな!という感じだったのでつい愚痴っぽくなってしまった。

でも、私はこんなハラハラなアマオケ活動が好きだし、チャイコフスキーやシベリウス(本番は乗らない予定だけど)の名曲を自分が演奏できる事を幸せに感じ、仲間と音楽ができる事を楽しんでいる。
Photo_2本番ではきっと(たぶん、、、おそらく、、、)きちんと吹いてみせます。(^^;;;
いい演奏会にしたいと思っています。11/16、お暇な方、どうぞ酒フィル定期にいらしてください!
(ポスター第2案、こちらも未完成なので小さく)

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2008.08.30

告知です!

ギターフェスティバルで盛り上がっている庄内ですが、およそ1ヶ月後にまた大イベントがあります。
Photoこのチラシをご覧頂ければわかると思います。
ベルフィルの首席ホルン奏者、「天才バボちゃん」のコンサートです。
「バボラークと仲間たち」
10代からミュンヘンフィルで活躍、20代になってまもなくベルフィルに入団。一方、アフラートゥス五重奏団などのアンサンブル活動やソロ活動も積極的にこなしています。
「天才」「鬼才」「百年に一人の逸材」「ホルンの革命児」など様々な呼び名が冠せられるとんでもないホルン吹きですが、素顔の「バボちゃん」はとても自然体で親しみやすい性格。

奥さんはチェロリストのハナさん。H18年に酒田に来た時(アフラートゥスとして「響ホール」で演奏。この時の記事は「アフラートゥス庄内公演」参照)、街で食事をして歩いていた時にお花屋さんがありました。赤い文字で「花」と書いてあったので、「ラデック、あの「花」という漢字、「ハナ」と発音するんだよ」と教えたら携帯のカメラで写真を撮っていました。そんな人なんです。

「なんで遊佐なの?」「なんで希望ホールでやらないの?」などと聞かれました。
今回の日本ツアー。奥さんを含め、ミュンヘンフィルやベルフィルの仲間たちと東京や大阪、名古屋などで演奏会を開きます。東京「紀尾井ホール」での演奏会の情報をご覧ください。
他の大都市での演奏予定と移動日などから、庄内公演は9/23(火・祝)か9/25(木)のどちらかと音楽事務所から連絡がありました。
コンサート開催実行委員の動きや協力してもらえる人脈などから、庄内町の響ホールよりは酒田市の希望ホールがいいだろうと、ホール予定の空いていた9/25(木)の夜のステージを押さえました。経済的な事、時間などいろいろ検討しました。その結果、いくら世紀のホルン吹きバボちゃんといえど、酒田で平日の夜にどのくらいの観客を集められるだろうか(大ホールは満席で1200名)、、、という事になりました。おそらくどんなに頑張って宣伝しても300名、奇跡が起きても500名がいいところだと思います。
演奏会を開催するにあたって、主催する側としては考えなければ行けない事がたくさんあります。
酒田市や「希望ホール」としてバボちゃんのコンサートを取り仕切ってはくれません。結局、9/25(木)のコンサート(平日の夜)では、庄内以外の音楽愛好家、ホルン吹きなどを集める事が難しいだろうということになり、9/23(火・祝)の夜に演奏会を開催したいということになりました。9月の飛び石連休、休日の夜、残念ながら希望ホールは空いていません。演奏会を主催するためにはいろんな人の協力が必要です。結局、9/23の夜にホールが空いていて、たくさんの人の協力が得られるという事で「遊佐公民館」になったのです。遊佐町の楽友協会などのたくさんの方々の協力が得られるという事も大きいのです。

少しでも多くの観客を集めるためには休日の夜、ホールが空いていて多くの人の協力が得られる遊佐町の遊佐公民館を会場にするしかないだろうという事になったのです。
確かに遊佐公民館はキャパも小さく、施設も古く、楽屋も貧弱で、ホールの音響も希望ホールや響ホールに比べると劣ります。しかし、山響のモーツァルト定期と同じプロで演奏会(山響「鳥海春待ちコンサート」)をしてくれましたし、アフラートゥス仲間ファゴット奏者オンジェ・ロスコヴェッツのリサイタル(「ありがとう!オンジェィ!」)も行いました。
確かに音響はよくないでしょう。楽屋は貧弱です。でも上記演奏会は大成功でした。
結局は演奏そのものが素晴らしければいいのです。それがメイン、それが目的なのですから。
迎える我々が一生懸命お世話しサポートすれば、施設が古いとか貧弱という事には我慢してもらえるでしょう。ここは東京ではないのですから。
そして、チケットは東京公演が6000円なのに対し、遊佐公演はなんと!「2500円」です。

「(バボラークのコンサートなのに)こんなに安くて大丈夫なの?」と聞かれました。
でも、庄内で、遊佐で3000円以上のコンサートはほとんどありません。4000円、5000円というチケット価格では地元の人の誘客は期待できないのです。キャパが500人弱と小さいホールですが、できるだけ満席にしたいのです。
そして実行委員会としてはこの公演で「儲ける」気がないのです。世界が認めるベルフィル首席のホルン奏者、天才バボちゃんの演奏を東京や大阪の公演を聴きにいけない、東北のファンに一人でも多く聴いてもらいたいのです。

繰り返します。
9月23日、火曜日、「秋分の日」です。
遊佐町の遊佐公民館で18時半開場、19時開演です。
大人は2500円、高校生以下はなんと!1000円です。
「ホルンの革命児」世界のバボちゃんがこの値段で聴ける演奏会は日本でもここだけだと思います。
一人でも多くの方が聴きに来ていただける事を期待しております。

本日のおまけ写真。
Photo_5ギタフェスのプログラム、チケット、そして本日になりますが8/30(土)のギタフェスビアガーデンのチラシです。
「ギター協奏曲の夕べ」で素晴らしいフラメンコギターを聴かせてくれた沖 仁さんが、野外ステージでフラメンコギターを聴かせてくれます。
(楽しみですが私はアマオケの練習とバッティングしてまして、、、)


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2008.08.28

ギタフェス、その2

8/28(木)、「ギター協奏曲の夕べ」、終わりました。
Photo_6午後6時開場、6時半開演でしたが5時少し過ぎから並んでいる方もいました。
(写真は5時45分頃、この時点で100~150人程が良い席で聴きたいと並んでいました)


福田さんのアランフェス、ブラボー!でした。
フェルナンデスさん、福田さん、松尾さん、大萩さんの「ジスモンチアーナ」日本初演、ブラボー!!でした。
沖さんのフラメンコ「風林火山」、ブラボー!!!でした。
そして、 フェルナンデスさん、葉さん、李さん、福田さんの「アンダルシア協奏曲」、ブラボー!!!!でした。

GpPhoto_7写真は、本日の日中、ゲネプロの様子です。

左が「ジスモンチアーナ」、右が「アンダルシア」。違うのはギターの奏者(管楽器も)です。


飯森さん&山響も素晴らしかった。
こんな素晴らしいコンサートを庄内で聴けた事を幸せに思います。
福田さんのおかげです。ギタフェス実行委員の皆さん、特に委員会会長のSさんのおかげです。
山形に山響があるおかげです。
飯森さんが山響音楽監督だったおかげです。
飯森さんと福田さんのおかげです。

そして、庄内町響ホールという素晴らしい音響のホールのおかげです。
(山響FCの女性陣に山響FC事務局のI氏と仙台フィルFC会長(兼山響FC会員)K氏もいらしていましたが、「このホール、いいですね!」「ここでモーツァルト定期やるべきですよね」と私と同じ考えを述べておられました)

こんな凄い人達による、こんな凄い演奏を、こんなに身近で聴く事ができて、しかも今後生きている間にもう一回聴けるかどうかという曲もあり、本当に貴重な得難い時間でした。

今日の響ホールは満席で、熱気に満ちていました。
福田さん、飯森さん、ギタリストの皆さん、山響の皆さん、ギタフェス関係者の皆さん、ありがとうございました!

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それにしても、私はなんと言う1週間を過ごしているのだろう。。。

アマオケでグリンカとチャイコとシベリウスを練習し、、、
山響でオールフランスプロを聴き、、、
神奈川フィルでプッチーニとチャイコを聴き、、、
ギタフェスで南米、スペインにも飛び、、、

作曲家、演奏家の国籍、人種などを考えると、
ロシア、フィンランド、フランス、イタリア、ブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、スペイン、台湾、中国、韓国、日本、、、
ドイツ語圏がないな〜と思ったら、ギタフェス初日にフェルナンデスさんが編曲したハイドンの弦楽四重奏曲のギター二重奏版を聴いていました。

本当に音楽は世界の共通言語だと思います。

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ギタフェス、その1

Photo8/26(火)から始まっている、「第2回庄内国際ギターフェスティバル in 響」。
3年前の第1回(「日直の合間をぬって」「ファイナル・ガラ・コンサート」の記事を参照ください)では、音楽監督の福田進一氏を中心に、ゲスと主任教授にオスカー・ギリア氏、ゲスト出演:村治佳織、鈴木大介、大萩康治、アンサンブル指導:藤井眞吾の各氏という、超豪華な顔ぶれ。こんな人達が庄内町(旧余目町)に集まるなんて!という感じであったが、毎日のように素晴らしいコンサートなどのイベントが現実のものとなり、福田さんはもちろん、このイベントの立役者のお一人Sさんとスタッフの皆さんの努力に敬意を表したものであった。

第2回の今回は、受講生も日本人ばかりではなく、中国人(台湾からも1名)と韓国人が28名もいるし、講師にもウルグアイ、アルゼンチン、中国、韓国から参加している、文字通り「国際」的なイベントなっている。

すでに2日間のコンサートが終わった。
その感想を書く前に、明日(日付が変わったので本日!)の大イベントのことを書いておこう。
8/28(木)のコンサートは、「響ホール10周年記念 山形交響楽団特別演奏会 ギター協奏曲の夕べ」という副題が付いている。
そのプログラムは、
1)J.ロドリーゴ:アランフェス協奏曲、Gutar : 福田進一
2)L.ブローウェル:ジスモンチアーナ(2004) 日本初演、Gutar : エドゥアルド・フェルナンデス、福田進一、大萩康司、松尾俊介
3)千住 明(沖 仁&千住 明 編曲):巡礼紀 NHK大河ドラマ「風林火山」より、Gutar : 沖 仁
4)J.ロドリーゴ:アンダルシア協奏曲、Gutar : エドゥアルド・フェルナンデス、李 成雨、葉 登民、福田進一

「アランフェス協奏曲」は超有名曲。酒フィルも、平成17年の定期演奏会でソリストに福田進一さんを迎えて演奏した。私は、セカンドフルート&ピッコロで参加した思い出のある曲。福田さんと飯森さんと言えば、昨年、「レコード芸術」でもディスクが特選を受けたコンビ。CDのオケは、飯森さんが山響の音楽監督になる前に音楽監督を務めていた、ドイツのヴュルテンベルグ交響楽団。今回は、山響との共演。しかも、飯森&山響が響ホールに登場するのは確か初めてのはず。
大変楽しみ。

2曲目の「ジスモンチアーナ」は、今回日本初演!
キューバの作曲家レオ・ブローウェルが2004年にブラジル人音楽家エグベルト・ジスモンチの5つのピアノ曲を基に作編曲したもの。「4台のギターと弦楽合奏のための」という副題が付いている。ということは「管楽器」はお休みなのかな。いずれにしろ、フェルナンデス、福田、大萩、松尾という素晴らしいソリスト4人が同時にオケと演奏するなんて、世界中でもここだけの事。
初日のオープニングコンサートの後に参加させていただいたパーティで、福田さんは笑いながら「飯森君から電話があってさ、「福田さん、難しいじゃない!」って言ってたよ」と。2日目のコンサートは若手実力者で人気ギタリストの大萩さんらにまかせて、福田さんとフェルナンデス氏は山形市まで出向いてオケとのリハを行っているとのこと(オケが庄内に来るよりもソリストが庄内ー山形往復した方が、時間的、経済的に節約できるという理由でしょう)。
今回が初演ということはもちろん、今後日本で聴く機会があるのだろうか、というような曲。大変大変楽しみである。

3曲目は、若手フラメンコ奏者沖仁をソリストに昨年のNHK大河ドラマ「風林火山」からの音楽「巡礼紀」。飯森さんの力で山形交響楽団の座付き作曲家になっている千住明氏の作曲。ギター協奏曲として、千住さんと沖さんが編曲したもの。どんな感じになるのか楽しみである。

そして最後の4曲目。日本では2度目の演奏ということになるらしいロドリーゴの秘曲「アンダルシア」。フェルナンデスを中心に、台湾の葉登民、韓国の李成雨、そして福田さんと4人の名手が初めてカルテットを組む。4台のギターとオケがどのようなサウンドを響かせてくれるのか超楽しみ。

この「ギター協奏曲の夕べ」。名前の通り、4曲すべてがギターとオーケストラというもので、日本のどこを探してもこのような企画の演奏会はないのではないだろうか。これも、福田さんと飯森さんそして山響のおかげ。山形に山形交響楽団があるからこそ実現するものだと思う。
さらに、作曲家、演奏家の国籍を並べると、スペイン、キューバ、ブラジル、ウルグアイ、韓国、台湾、日本と本当に国際色豊かである。今からわくわくしている。

ーーー
初日、2日目の様子は、写真を整理してまた記事をアップしようと思うけれど簡単に触れる。
(8/28、昼、写真をアップしました)
Photo_2
8/26(火)は、フェルナンデス氏と福田さんのデュオによるオープニング・コンサート。
フェルナンデスの新編曲であるハイドンの「弦楽四重奏曲ギター二重奏版」の他、M.ジュリアーニの「協奏風変奏曲」、A.トロイロの「ラ・トランペーラ」やJ.C.コビアンの「酔いどれ達」などおなじみのタンゴ、フェルナンデス氏オリジナルの「アストール・ヴィジッツ・エイトール」、そして明治記念ホールのプレコンサートでも演奏された(こちらを参照ください)藤井眞吾氏の日本の歌メドレー「ラプソディー・ジャパン」。盛りだくさんの内容が、休憩なしの1時間で演奏された。
Photo_3Photo_4その後、「小ホール」で非公開のオープニング・パーティ。実行委員会に親しい方が多く、プログラムにも広告を載せさせていただいた「スポンサー」として、我々夫婦もパーティに参加させていただいた。福田さん、福田さんのママ(お母さんというより、「ママ」という雰囲気の素敵な方)、いろんな方々とお話ができた。シャンパンと一升瓶の日本酒を寄付させていただいたがどこで使ったのかな?(宿舎での飲まれたのかも、、、笑)

2日目の8/27(水)は、「大萩康司と仲間たち」。
仲間たちと言っても、共演の池田慎司、レオナルド・ブラーボ、金庸太の3氏がそろって演奏するのは初めてとの事。それぞれのソロが1曲ずつ、大萩さんと金さんのデュオで2曲、ブラーボ氏と池田さんのデュオで2曲、そして4人のカルテットで3曲+アンコール2曲。
圧巻だった。素敵でかっこ良かった。特に私の大好きなピアソラもあり大満足。ブラジルのショーロなど南米の音楽が多く、聴きながら自然に体が揺れてしまう。
Photo_5家内も言っていたが、ギタリストってなんだか「イケメン」ばかり。今回は残念ながら参加されていない、鈴木大介さんや村治香織さんなどは、さらにラジオ番組を持っていたりTVCFに出たり、特集番組が作られたりと超売れっ子だし、通常のクラシック音楽とはやはり世界が違う感じ。
(写真は、サイン会の様子。いろんな人が入り乱れて、右端の大萩さんが身体の大きな金さんの陰に隠れてしまった。池田さんは髪を短くして、3年前よりさらに若く見える感じ)

ーーー
「ギタフェス」は、コンサートだけではなく、毎日のレッスンが平行して行われている。5つのクラスに分けて4日間のレッスンの後、それぞれのクラスから推薦された生徒が5日目の8/30の福田さんとフェルナンデス氏のクラスでレッスンを受け、最終日の8/31のガラ・コンサートの前に表彰される予定。
毎日のコンサートの内容は、こちら、HP「コンサート&イベント」をご覧ください。プログラムには、とても目立つページにうちのクリニックの広告を載せていただいている。ちょっと気恥ずかしいけれど嬉しい。
夕方の診療を終えて、響ホールまで駆けつけるのは大変だけど、毎日とても素晴らしい音楽に浸り、幸せな時間をいただいている。山響登場の明日(今日)は、木曜なのでクリニックは午後休診。余裕を持って出かけられるので嬉しい。

827最近、なんだかバタバタとしていて、ゆっくり鳥海山を眺める時間がなかった。この写真は院長室からのものだが、今は一年で一番積雪の少ない時期なのだろう。白い部分はほとんどない。
響ホールに向かうためクリニック前の県道を東へ走ると、左手に広がる田んぼの中に鳥海山が偉容を誇る。ちょっと前まで青々としていた稲達も、8月の終わりの声を聞くと稲穂が出来始めて少々お辞儀をしているし、先の方がやや黄色みがかって来ている。黄金色の絨毯に鳥海山が映える季節まであとわずかになっているのを実感した。
(昨年の、黄金色の絨毯と鳥海はこちらの記事「秋の真夏日」をどうぞ。2枚目、3枚目の写真がそのような感じです)

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2008.08.25

山響と神奈川フィル

一昨日8/23は、第191回山形交響楽団定期演奏会。
山形県民会館で19時開演ですが山響ファンクラブの会員としてゲネプロ見学を許可されたので、午後1時に診療受付終了後、可能な限り早めに酒田を出ました。とは言っても、最後の患者さんを診察して戸締まりなどを確認すると午後1時半を回っていました。ゲネプロは午後2時開始なので間に合うはずがありません。

山響FC事務局のI氏は高校の同級生。ゲネプロの休憩時間に間に合えば静かに入れるだろうとのこと。丁度午後3時半少し前に県民会館前に到着。午後3時15分過ぎから15分の休憩に入っていたのでなんとかぎりぎりGP見学に入れました。プログラム後半のデュカス(デュカ)の交響曲。面白い曲です。弦は大変忙しそう。管はソロが多く楽しそうだけどやはり大変そう。
話が前後しますが、本番終了後、コンミスのIさんとお話しさせていただいた時に、3楽章(終楽章)はフォルテばかりで管の伴奏のように引きまくりの第1バイオリンは疲れたというようなことを仰っていました。
午後4時半少し前にGP終了。本番は午後6時半開場なので2時間以上あります。

久しぶりに七日町を散策することにしました。
県民会館から山銀本店を過ぎて大沼デパート方面へ少し歩くと、左手に岩淵茶舗があります。抹茶ソフトやほうじ茶ソフトが美味しく、6月だったか来た時には店頭で買ってたべましたが、今回はお店の奥であんみつでも頂くことにしました。
Photo_2あんみつにかけて頂く「みつ」は、「黒蜜」「白蜜」「抹茶蜜」の3種類から選べます。あんこも「粒あん」か「漉しあん」が選べます。お茶も付きます。このお茶も美味しいし、お代わりも出来ます。
左の本は、「ヤマザワ」の創業者山澤進氏が著した七日町の歴史と商家のお話です。山澤さんは、薬剤師としてドラッグヤマザワを興し、それから少しずつお店を増やし、今や山形県内と宮城県に併せて60店舗を持つ大企業です。
その昔、私が医学部の学生の頃、山澤さんのお嬢さんが医学部のどこかの教授秘書をしていたことを思い出します。この本は、山形商業高校の出身者の多い七日町界隈の商人の話が中心ですが、江戸時代、明治などの古い山形市街や300年を越えていまも山形で商売をしている商家の話、その屋号や紋章など、興味深い事が記されていました。

その後、七日町で音楽・楽器といえば「トミオカ」の富岡楽器に寄って、フルートの楽譜コーナーを覗き一つ楽譜を買いました。管楽器コーナーに山響のトロンボーン奏者が立ち寄っていました。7月の「悲愴」の時に、渾身のバストロを吹かれて私がブラボーを叫んだTさんでした。軽くご挨拶。
それでもまだ会場まで小一時間あるので、小腹を満たそうと市役所裏のお蕎麦屋へ。ここはまだ入ったことはありませんでしたが、行ってみると、コンサートを控えた山響団員がお一人きしめんを啜っていました。私は納豆蕎麦を、家内はたぬきを注文。山形の蕎麦はほとんどどこの店でも「はずれ」ません。「山形蕎麦研究会」とかなんとかいう看板がかかっている店ならまず大丈夫ですね。

さて、18:15開場なのでその頃を目指し県民会館へ。
まあまあの人の入りです。19時開演の10分ほど前に阪さんがプレトークをしてくださいました。
演奏内容などに関しては、narkejpさんのブログに詳しく的確に書かれていますので、そちらをリンクします。
「山形交響楽団第191回定期演奏会を聴く」をどうぞ。

ドビュッシー、サン=サーンス、ミヨーそしてデュカ(ス)とオールフランスプログラムであり、しかも19世紀中頃(世界的に時代が大きく動いた頃、日本では幕末から明治維新、パリで万博があり日本趣味が流行った頃)から20世紀始め、第1次世界大戦前後という、激動と混沌の時代背景があり、芸術も時代の流れに大きく左右されています。フランス音楽の中でも特に映像的で諧謔的なところもあります。
「6人組」のメンバーとして有名なミヨーですが、多分オケで聴くのは初めてです。同じ6人組にプーランクなどとともにフルートソナタなどの作品も手がけているので、笛吹きには大変有名なミヨー。ヘミオラや変調、変拍子の多い特徴はオケの作品でも同様という印象でした。
後半のデュカの交響曲は、ドイツで確立された「4楽章形式」ではなく3楽章で終わります。生まれて初めて(GPと合わせ2回)聴きましたが、大変面白く工夫された曲で、山響の演奏も阪さんのエネルギッシュでスマートな指揮に導かれてとても軽快で元気で楽しい演奏でした。
ただ、じゃあ何か一節、歌ってご覧、といわれても脳の中に鮮烈なメロディーが残っていないのですね。私の記憶力が悪いのかもしれませんが、音楽そのものが変化に富み、映像的ではあるけれどテーマ性に乏しいからではないかと思います。

阪さんは燕尾のまま着替えもせずにすぐにアフタートーク。通称ミミちゃんのインタビューに快活に親切に応えてくれていましたが、周囲に集まって聞いている人たちのうち、高校生軍団か何かがペチャクチャと雑談がうるさくて、思わず小声で「うるさい」と怒ってしまいました。
だって、首席客演指揮者が観客と交流を持とうと疲れている顔も見せずにお話をしているのに、その目の前にいて関係ない事をへらへらしゃべっているのです。その集団の引率者とも見られる男性には多少軽蔑のまなざしを向けてしまいました。。。(無視すればいいのに、、、とも思います)

県民会館から近い某所で、バン友の会(指揮者阪哲郎氏の後援会)の方々と山響FCの有志を集めて「阪さんを囲む会」が開かれましたので夫婦で参加してきました。遠くは奈良からいらっしゃった熱烈な阪さんファンの母娘や、前橋からも単独で来られたご夫人もいました。
阪さんの父上は新庄、母上は山形市出身で、そのご親類、友人、学校の先生などの関係で年配の女性が多く、男性は山響FCの男性計5人だけ。25人ほどの女性に囲まれて阪さんはもてもてです。

奈良や前橋の方、新庄の方などと会話を楽しみ交流を持てた事も良かった。そして23時を回ったので酒田まで戻る私は、ようやく阪さんに声をかけました。
PhotoPhoto_23週間前に高松のJAOフェスティバルでピッコロを吹いた事を話したら覚えていてくださいました。アマオケとはいえ、阪さんの指導指揮で演奏した栄誉に浴し幸せでしたね。
山響のプログラムではなくJAO高松大会のプログラムにサインを頂きました。

ーーー

阪さんの会を23:30少し前に抜け出して、車で酒田に戻ったのは8/24の夜中の1時頃。
直ぐに床に付けました。
日曜日は久しぶりに朝寝。
午前中は予定がないのでだらだら。

クリニックの庭にバジルなどのハーブが茂って来たのと、先週青森は田子町のにんにくを頂いたので、今日のお昼は久しぶりに私が家でパスタを作ることになりました。
ジェノベーゼを作ろうかと思ったのですが、近くのスーパーには「松の実」が置いてなかったのでいろいろ探しまわるのも面倒なので、オリーブオイルでじっくり炒めたパンチェッタとマッシュルームにディチェコのNo.11を絡め電動ミルで作った美しい緑色の「にんにくバジルオリーブソース」を上からかけただけのシンプルなものと、茹でたペンネリガートに地中海産の「唐墨」(地中海で獲れるボラの様なお魚の卵の薫製を粉末にしたもの)をかけて宮崎からもらって来たちりめんじゃこと少々のお醤油を混ぜまぜしたものにこれまたクリニックの庭で獲れたレモンバウムの葉を数枚散らしたものの2品を手早く作りました。
市販のパンチェッタが思ったより塩気が強く、全体にしょっぱい味付けになってしまいましたが、出来は上々。ただ、田子のにんにくが、非常に強烈なパワーを持っているので、念入りに歯磨きをして部屋や服に脱臭スプレーをかけてお出かけしました。

向かった先は市役所駐車場。家内は着物です。
午後1時過ぎに、酒フィルの溜まり場「山茶花」へ。やはり酒フィル関係者が4、5名来ていました。
午後2時開演で、希望ホールで「佐藤しのぶと神奈川フィル」コンサートがあったのです。このブログに何度も登場していただいている、声楽家音楽家のS先生から「いい席あるから買ってね!」とあの笑顔で言われたら、「あ、はい、喜んで」とならざるを得ません(笑)。
S席9000円を2枚。12列目の27,28と1階席の中央の真ん中、指揮者のラインでした。

客席は満席とは言えないものの9割弱くらいは入っているか。いつも見る顔と少し客層が違うよう。しのぶさんが来るということで、「歌」の人達も多いのかな?酒田だけではなく、鶴岡や、庄内以外の方も結構いらしているようでした。

前半、第1部はプッチーニのオペラ“蝶々夫人”から。「ある晴れた日に」「花の二重唱」「かわいい坊や」で、佐藤しのぶさんと井戸靖子さんのかけあいや二重唱やしのぶさんのソロがメイン。
オケはピットではなくステージ上なので、所々生声の歌のソロとのバランスが難しいところもありましたが、お二人の、特にやはりしのぶさんの素晴らしい歌声の響きと声量には圧倒されるところありました。またお二人の「演技」が素晴らしく、ドレスを着ているのに着物を着て日本髪を結った「お蝶」さんがいる様に思え、長崎の港に船が入って来たのを喜ぶその情景が鮮明に見えました。
さすが!と思いました。

後半は、オケだけ。
チャイコスキーの交響曲第5番ホ短調作品64。指揮は神奈川フィル常任指揮者の現田茂夫さん。爽やかな、明快な指揮で、スコア上のダブルバー(二重線)のところで左手をスパっとおろすなど、わかりやすい指揮を心がけておられるようでした。ちょっと肉付きの良いユンディ・リー(ピアニスト)見たいと思いましたがいけないでしょうか?
「チャイゴ」は、3年前に酒田C高校の定期で3番フルート&ピッコロ持ち替えで参加させてもらったことがあります。難曲です。でもいろんな要素があり、チャイコフスキーらしい、バレエ音楽の要素たっぷりの3拍子や6/8がたくさん。ワルツです。そして行進です。ファンファーレです。うつです。悲観です。爆発です。喜びです。感情の起伏が激しすぎます。
チャイコフスキーってクラリネットが好きだったのかな。あの音色でメロディをたくさん奏でさせます。フルートは少しメロディもありますが、弦と一緒に動いたり伴奏的になったりします。それはそれで楽しいのですが。

一昨日聴いた山響と昨日聴いた神奈川フィル、、、という差よりも、一昨日のオールフランスものと昨日のプッチーニ&チャイコフスキーの差。「名作」というのは、やはり心と頭に鮮明に残る旋律やリズムや仕掛けがあります。ミヨーもデュカスも素晴らしいのですが、洒脱なだけに重々しく残らない。その点、チャイコフスキーはさすがだと思います。その重さが嫌な人もいる訳ですが。。。(笑)

神奈川フィル、生では初めて聴きました。テレビでは『題名のない音楽会』などに良く出ていました。若い団員が多そうです(50才以上とおぼしき人は数えるほどしかいない様に見えました)。実力があります。特に低弦が素晴らしかったし、パンチの効いた金管も素晴らしい。全体的に演奏も若々しく瑞々しく、チャイコフスキーの元気な部分やダンスの部分は良かったです。
ただ、陰鬱な部分、重々しい部分、悲愴感の表現における繊細さという面ではもう一つかな〜と勝手に思いました。弦(バイオリン)の響きが軽いというか、薄いような印象がありました。ボストンポップスのように、ジョン・ウィリアムズの曲など演奏すれば壷にはまる様な気が致しました。
まあ、私も、家内も、本籍地は「神奈川県横浜市」ですので、神奈川フィル、今後もう少し注目して応援して行こうと思いました。
いい演奏会でした。高いなりの(前日の山響定期のちょうど2倍の値段!!!)価値はあったと思います。

ということで、週末はオケのコンサート三昧。
そして、8/8から始まったオリンピックも終わりましたね。今日からはテレビも寂しくなりそうです。

ところが!
庄内ではもっと凄いイベントが今週から始まります!
「第2回庄内国際ギターフェスティバル in 響」です。この事については明日以降また触れます。
「こちら」←をご覧ください。動画もあります。ブログもありますよ!
明日、8/26(火)はオープニングコンサート。プログラムの広告主として、懇親会にも招かれているので楽しみです。8/31(日)まで6日間、毎日ギターに関する何らかのコンサートがあります。受講生は講師陣と一緒に寝泊まりしながら猛レッスン。8/28(木)は、飯森山響の庄内町響ホール初見参で、ギター協奏曲の夕べがあります。こちらも超楽しみ!
(本文で説明されている写真が抜けている部分は、この後、追加して行きますので、、、)


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2008.08.22

2008年夏、宮崎、その3

8/16(土)、今日は今回の宮崎訪問の主目的である法事がある。
宿泊先の五ヶ瀬からは車で2時間はかかると思われ、昨日と違う道で「椎葉村」の方を通って戻りたかったが、道が狭くて離合の難しい区間が多いという忠告により、諦めて高千穂経由で北方から高速道路で延岡まで戻る事にした。
7時過ぎに朝食に起きたが、小川の流れる山間の五ヶ瀬の気温は22℃。半袖では少し涼しすぎるくらいだった。8時に出発、順調に来た道を戻る。どんどん下って行くという感じ。高速道路に入った頃には外気温は30℃を越えた。

10時ちょっと前に細島の観音寺に到着。ここは、西南戦争の際に官軍側が陣地を構えたりした地域らしい。有り難い読経、お参りをして、お墓参りへ。

安○家の墓の敷地は結構大きい。17回忌の法要をしている伯父が存命中に、両親(私にとっての祖父祖母)の家系の墓の一部をここに集めたらしい。伯父の奥さん(存命中の伯母さん)の旧姓は日高で、「日高家」の墓も同じ敷地に並んでいる。そこには「日高秀子の墓」があった。
同じ宮崎出身の歌人若山牧水の恋人と言われ、交流があったとされる。細島出身の才女(同志社大学と日本女子大学で学んでいる)だったらしい。
若くして病に倒れなくなった秀子を詠んだ牧水の歌がある。

『ふるさとの お秀が墓に草枯れむ 海に向へる 彼の丘の上に』

この墓の3つくらい隣りに私の伯父や祖父達が眠っている訳です。

お墓参りから戻る途中、西南戦争で散った官軍(西郷どん達旧薩摩士族にとっては敵ですが)のお墓がありました。
Photoそっと見ていると「羽前国田川郡、、、」という文字が目に入りました。今の鶴岡に当たる場所です。写真では、手前から5列目左から2番目の墓標に、「五十嵐○△」と書かれています。
西南戦争には、旧酒井家から西郷に私淑する若者を毎年送っていたため、2名の旧酒井家の若者が戦死していて、西郷さんのお墓の近くに手厚く葬られているのは有名な話です。その敵となった官軍に同じ鶴岡地区出身の、想像するには旧酒井家ではない、農家か商家の出身なのでしょうか、同郷のもの同士が戦って、どちらも延岡の戦いで命を落としたものと思われます。

法事に参加して親類一同で昼食をともにしました。
Photo_2大変久しぶりに顔を見る親類もいます。前回東京や横浜で会った時には子供だったのに今やピカピカの女子大生だったりします。自分も年を取りましたが従兄弟も皆年を取っています。伯父の奥さんである伯母さん、母の姉である伯母さん、母など女性ばかり長生きで80を越えています。年寄りの男は私の父だけです。
Photo_3写真は安○家の写真。真ん中の少年が16年前に亡くなった伯父。左上が祖父。そしてその祖父に抱っこされている可愛らしい少女が私の母です。この写真の中で存命しているのは、その母と真ん中下でうつむき加減に立っている少女(母の姉である伯母)の二人だけです。

昼食後、父の案内で父の兄が入所している施設に、父の兄(伯父)を見舞いました。
おそらく26年ぶりにお会いしたと思います。おもったより元気そうだったのですが、、、
昨日の記事の様なことになってしまい、本日が告別式となってしまいました。

ーーー

宮崎に残る父母と別れ、私と家内は宮崎市へ。
ピーク時だったため、最初朝7時台の飛行機しか予約出来ていなかったのですが、キャンセルがでたということで9:35発になりました。
Photo_47時台のつもりで前泊を宮崎市内にしていたので予定通り日向から特急で宮崎へ。列車は帰省から戻る人たちなのか自由席のぎりぎり座れるくらい混んでいました。南国らしい(?)派手な色の列車でした。

宮崎についてすぐにホテルへチェックイン。
繁華街近くの食べ歩くには便利な場所のホテルです。部屋は狭く料金は二人で7000円(しかもじゃらんのポイントを使ったので6300円!)と超格安です。
フルーティスト高木綾子さんが自身のブログで「宮崎国際音楽祭」の時に行ったお店を紹介していたり、従兄弟に教えられたり、自分で調べたりして、宮崎地鶏やチキン南蛮を食べるお店をいくつかピックアップしていたのですが、電話してみると予約で一杯とのこと。お盆の土曜の夜。どこもにぎわっているのでしょう。
Photo_5仕方ないのでホテルでもらったガイドで歩いて行ける店を数件ピックアップ。その中で、感じの良さそうなところを選んで入ってみました。

食後、小降りの雨の中を急いでホテルに戻ろうと思ったら、数件となりに写真のお店。
Photo_6確か以前テレビで東国バル知事も出てこの店の「肉巻き」はうまい、と食べながら宣伝していた店。
肉巻きを1個ゲットして夜食用にホテルまで持って帰る事にしました。

ーーーーー
8/17(日)、7時起きで準備をし、7:45にタクシーで空港へ。8時過ぎについて、まずはお土産。
また、私のリュックサックは大量のお土産入れと化しました。
その後空港内レストランで食事。

宮崎空港9:35発の飛行機は順調に航行し、11:10頃羽田に到着。久しぶりに「バス移動」。乗り継ぎがあるので乗り継ぎ者専用エレベータで2階へ。
庄内便はまた空港ビルの端の方なのでひたすら歩いてゲートへ。
小一時間待って搭乗。この時点で少し遅れ、出発は予定の12:10を大きく回って12:30頃となり「羽田渋滞」を経て、曇り空(気温23℃と宮崎より10℃くらい低い東京)の中を一路庄内へ。
Photo_7山側から海へ大きく回り込んで着陸態勢に入るため、鶴岡を通る山形自動車道に接続予定の日本海東北道建設中の部分がよく見え、湯野浜の海水浴場やゴルフ場を眺め、庄内空港周辺のメロンのビニールハウス群の白い反射を見ながら、ぐるっと回って左手に雲に隠れた鳥海山、酒田市街を抱える最上川河口など、懐かしい姿を眺めながら着陸へ。
この時点で、私も家内も「庄内人になってるんだな〜」との感慨を持った。
こうして、無事に3泊4日の宮崎紀行は、多くの親類、懐かしい宮崎の風景、はじめての風景など実り多い旅行として終えることが出来た。クリニックを木金土と休診にして(いずれにせよお盆休みの予定ではあったが)行った甲斐は非常にあったし、偶然にも父の兄である伯父にはお別れを言う様な形になってしまってが会えて良かった。

今度宮崎に行くのは私が何歳の時になるのだろう。。。

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2008.08.21

訃報

驚きました。
伯父(父の兄)が亡くなりました。
宮崎で、つい4日前、8/16(土)に会って来たばかり。
享年88歳。。。

延岡に農業を営む息子家族はいるものの、体も弱くなって来たので老人の集う施設に一人入所していました。
慢性の病気は持っているものの、車いすで移動し一人で食事のできる状態でした。4日前にお会いした時は想像よりずっと元気で頭の働きは達者であり、古い写真を大きくプリントしてもらったのを2枚見せられました。
1枚は、伯父がまだ3,4歳で伯父の母、つまり私のおばあちゃん(父方の祖母)の妹が嫁ぐ前にその親類が20人近く集まった大勢の写真です。私の父はまだ生まれておらずその写真の中にはいませんでした。
「これは誰々さん、これは○○さん、これは△△さん、これは□□さんよ。」
と延岡弁で説明してくれました。私が小さい頃にお世話になった、体の不自由だった駄菓子屋のおばさんなども写っていました。
もう1枚は、伯父が陸軍の兵隊として満州にいた頃の凛々しい、美しい顔をした写真でした。不幸中の幸いというのか、骨髄炎を患って手術を受け、すぐに内地に戻されたため悲惨な戦闘に参加せずにすんだようでした。

母方の伯父の法要後、まだ宮崎に滞在していた父と母は本日横浜に戻る予定を変更して葬儀などに出ることになりました。
驚きました。
あんなに元気そうだったのに。。。

小さい頃、古い農家の造りの伯父の家に泊まるのは少し苦手でした。トイレもお風呂も母屋の外にあるような昔ながらの造りでした。でも、牛や馬がいたりして、動物の好きな私は挨拶もそこそこに厩に行って草を食べさせたりしていたことを思い出します。
伯父は、私と妹に竹馬を作ってくれて、うまく乗れないけれどそれで遊んだ覚えがあります。
宮崎の田舎の自然あふれる場所でした(今は昨日書いた高速道路が通っていますが)。

伯父さん、いろいろありがとうございました。ご冥福をお祈り申し上げます。
合掌。。。。。

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2008.08.20

2008年夏、宮崎、その2

宮崎の2日目、8/15(金)。

日向市の細島は、古くは神武天皇も立ち寄ったとされ、日宋貿易の頃から交通の要地として栄えたところ。江戸時代には、薩摩藩や高鍋藩など参勤交代では細島港から海路、大阪へ渡った重要な港である。
日向灘を望む高台にあるホテルに泊まって、今日は従兄弟の車でグルッと阿蘇を廻ろうという計画。
その前に、宮崎の名所を調べていたら「馬が背」という海沿いの景観が有名らしいのだが、なんとそれは細島にあるのだった。子供の頃、毎年細島に来ていたのだがおそらく行ったことはなかった。

Photo細島の突端近くにある馬が背に向かう途中、写真の「クルスの海」「クルスの鐘」という場所に立ち寄った。この写真を90度左に回転させると、岩肌を洗う海がちょうど漢字の「叶」という文字に見えるのだそうで、カップルが願い事を唱えながら鳴らすと幸せになると言う鐘が設置されている。十文字に見えるから、クロス(英)=クルス(多分スペイン語)という事なのだと思う。
クルスの鐘の写真は「クルスの海」日向市ホームページをご覧ください。

Photo_2素晴らしい景観!
柱状節理の断崖絶壁が日向灘の海しぶきを受けている。こんなところが昔からあったなんて知らなかった。駐車場からここまで結構歩くのだが(10分くらい)、崖の端に道があり林の中を抜けるようになっているので日陰がありがたい。
こういう景色は、東北は三陸沖のリアス式海岸を思い出させるが、あの荒々しさは少なく何となく陸地が下からググぐっと柱状に盛り上がって来てそれが波しぶきに削られた感じである。

細島を後にする際、海沿いを通ったら墓碑のようなものがあった。調べてみると「黒田の家臣の墓」と言われている。幕末、「寺田屋事件」で捕らえれた勤王の志士3人が薩摩に護送される途中、ここで惨殺されたらしく、それを黒木庄八という細島の住人が手厚く葬り子孫がその墓を守り続けているということである。

国道10号を延岡方面へ従兄弟のセ○シオを走らせ、一部有料+一部無料供与(全国いろんなところにこういう不完全な道路がある)の高速道路を使って高千穂方面へ。道はどんどん昇って行く。
Photo_3従兄弟の車のカーナビの使い方がいまいちわからず、目指すはずの「阿蘇中岳」がうまく設定できなかったので阿蘇山観光案内所を目的地に入力しそれに従って走らせたら、熊本県阿蘇市に車は向かってしまった。高千穂から南阿蘇を抜け中岳に至るルートを思い描いていたのだが大失敗。仙酔峡に向かって行ったがこちらからは中岳に到達できないので、再度阿蘇市に戻り「阿蘇パノラマライン」に合流。
Photo_4ここから有名な草千里を通って阿蘇山火口近くへ。有料道路を使って火口すぐ近くまで車で行けるところが凄い。写真はGoogleの衛星写真であるが、左上方の白い湖のような部分は、エメラルドグリーンの火口湖で、「火口西」という文字の上に並ぶ5、6個の丸い物は、防空壕のような噴火時の避難壕である。この写真の火口西の駐車場に車を停め歩いて避難壕の前の柵のところまで火口に近づける。「有毒ガスが発生しています」と日本語、韓国語、中国語で書かれている。観光客の半分は韓国人か中国人の団体客のようで、ハングルやChineseが私の回りを飛び交っていた。

2006_gw20026Lrg_10088363中岳の火口の写真はすべて私か家内が写っているので、ここはネットから写真を引っ張ってくる。
この2枚が当日我々が「ゾーンB」という、最も火口に近づける立ち入り可能区域から見た阿蘇火口の様子に近い。風が反対側に吹いていたため、硫黄臭いことも、有毒ガス発生のため退避させられる事もなく余裕で写真を撮って来た。

Photo_5この地図の「仙酔峡」まで行きながら一旦阿蘇市に戻って「みんなの森オートキャンプ場」からパノラマラインを抜けて草千里を通って中岳に到達し、帰り道はロープウェー乗り口すぐ下を南下して南阿蘇に向かい、そこから高千穂に戻った。

高千穂もいろいろ見るところがある場所であるが時間も限られているので1カ所だけ回る事にした。そこは「天岩戸神社」。
天照大神がお隠れになったという神話が伝わる「天岩屋」は社殿の裏手の木が生い茂った岩の崖にあるのですが、見学希望者は社務所に申し出て宮司さんに先導され団体行動。写真撮影禁止です。
神社や天安河原(あまのやすがわら)の写真は、「天岩戸神社」←こちらのリンクでご覧になれます。

Photo_6天岩戸神社の入り口近くにある大きな像。岩を抱え上げて鬼の形相をしているのは、須佐之男命、ではなく、スサノオの乱暴に怒って天の岩屋に隠れた天照大神を、天の安河原に集まった百万の神の相談によって芸達者な天鈿女命(アメノウズメノミコト)を岩屋の前で踊らせて宴会を開き、騒ぎに興味を示した天照大神が岩戸を少し開いたところその岩戸を開いて投げ飛ばした手力雄命(タヂカラオノミコト)ということである。神話とはいえ、その話は古くから伝わり、しかもその場所が「ここ」だと示されればそういうこともあったのだろうな〜と思ってしまう。

高千穂峡見物はいずれの機会にとして、夕刻になって来たので今晩宿泊する「やまめの里」のフォレストピアというホテルに急いだ。個別のロッジ風の宿で、食事は「えのはの家」で食べる。
Photo_7Photo_8左の写真は、やまめの塩焼きと天ぷらとご飯とデザートが来る前。やまめの刺身は結構脂がのっていて美味。並んでいるイワナの刺身は少しこりこりした歯ごたえであまり「魚」という感じがしない。
右の写真は「やまめの骨酒」。外気温は20℃台と同じ宮崎県内でも海沿いの日向とは5℃以上も気温が低い。やまめ尽くしの夕食を頂いて、お酒も手伝って川のせせらぎを聞きながら就寝。

盛りだくさんの2日目の紀行文を終える。

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2008.08.19

2008年夏、宮崎、その1

東北では早くも秋の気配が漂い始めていますが、九州ではまだまだ酷暑が続く「日本の夏」でしょうか。
プライベートでは26年振りの宮崎紀行をしたためたいと思います。

初日、8/14(木)。
クリニックを休診にして、朝5時過ぎ起床。6時前に自宅を出発。朝マックも朝モスも6時ではやってないので、ファミマによって庄内空港へ。この時間は一般道を通っても30分かからず。駐車場は無料で置き放題。幸い、空港ビルに近い場所が空いていた。

噂の「ヒラボク・カフェ」は8/17からということでまだオープンしておらず、2階のショップで親戚へのお土産を購入。平牧の生ハム、ベーコン、清川屋のだだちゃ豆を使った饅頭「だだっこ」、木村屋の銘菓「古鏡」などをリュックサック(古!)に詰め込み、いざ搭乗。
羽田へはスムーズに到着し乗り継ぎのための移動(これがANAの端から反対側の端までの移動で遠い、遠い!)。1時間はたっぷりあるので、iPhoneでオリンピックの成績などを確認。
「空弁」も魅力的ながら、ちょうどカツサンドフェスタかなんかやっていて、銀座とかいろんなトンカツ屋のサンドを売っているもんだからつい2種類も買ってしまう。味は、、、「平牧」の三元豚の方がやはり旨いのではないかな?

9:20発の予定が機体変更などで9:35となり、いつもの羽田渋滞(滑走路に出て行くまでに6,7機並んでいて順番待ち)でさらに10分は遅れる。
Photo途中寝ていたが、四国を越えた頃、ちょうど目が覚める。右翼前方に長い海外線。写真の右の方が大分方面で、おそらく日向市の細島の半島が見えている(ここが今回の目的地)。宮崎空港は写真のまだ左の方。
結局11:10宮崎空港着の予定が15分は遅れた。
日向に向かう前に、まずはJRで宮崎駅へ。空港駅があるのですぐに乗れ、ガラガラで、なんともレトロな車両。宮崎駅からタクシーで宮崎県庁へ。

Photo_2建物だけの写真はないので、自分の顔が余り見えないように小さめの写真で。
いまや有名になった宮崎県庁。建物も素敵だが、とにかく植物が凄い。ワシントンパームにフェニックスに、アロエのお化けのようなものに、サボテンもにょきにょき。
なによりもこの空の青さ。突き抜けるような太平洋側九州の晴れた青空。紫外線が強くまぶしい。太陽が真上近くにあるので私の影もとても短い。
長く東北に住んだ者には陽射しがまぶしすぎる。秋田生まれの家内は、空の色と太陽の光の強さに最初は感激したものの、すぐに参ってしまった感じ。

Photo_3一都道府県知事様のお写真のお額をピシャリとするなど不敬甚だしいけれど、こうすると似合っているからさすが東国バル様!実は、今回法事を行う母方の実家の遠い遠い親戚筋は、東国バル様の前に県知事をやっていてお縄を頂戴してしまった方なのである。
県庁内も少し見学。建物としては、熊本出身の県令三島通庸が造らせた山形旧県庁「文翔館」の方が古いけれど、現役の県庁として使っているところが凄い。

タクシーの運転手に教えてもらっていた、県庁のすぐ近くの「冷や汁」を食べさせるお店へ。
Photo_4手前が「炭焼き地鶏定食(だったかな?)」。麦飯と冷や汁がついている。奥が「冷や汁定食」。お刺身がたった3切れだけ付いている。まあ、魚、刺身に美味しさは、酒田の海鮮丼屋「とびしま」の方が数段上だけど。
冷や汁は、昔は母が時々作ってくれたような記憶があるが、子供心にはあまり美味しいものではなかった。キュウリや大葉を入れた冷やしたみそ汁のようなもので、それを温かいご飯にかけるのだから、なんとなく「猫飯」的である。でもこのお店の冷や汁は大変美味しかった。すり鉢で供されるのだが、胡麻や味噌を摺っているのだろう。香りがよく、麦飯と良く合う。美味しかった!

Photo_5冷房の効いたお店で冷や汁を食べて汗もひいたと思ったが、外に出るとそこは気温34℃の世界。隣に写真の「土産物屋」があり、ちょっとだけ入ってみてみた。
Photo_6どうも、こういった、タレントやマスコミの力を借りまくっている、土産物屋というのは気に入らないのだが、台湾生まれのかき氷がとても美味しくて満足。

JRの時刻表を調べておいたので、タクシーで宮崎駅に戻り日南線乗り場へ。駅の改札は自動化されておらず、アロハシャツを着た駅員さんがスタンプを押して通る。なんとレトロな宮崎駅。
日南線は各駅停車でのんびりと行く。
ジャイアンツがキャンプをはる何とかスタジアムの脇を通り、昔は栄えた「こどもの国」の横を通る。子供の頃、確か一度はここに来てらくだの背中に乗って海岸線を歩いたっけな。
そして目的地「青島」へ。
駅は無人駅のため、ワンマン電車の先頭車両に移動して、運転手に切符を渡して降りるという、なんともローカルムード満点の世界。駅に降りて宮崎方面に戻る電車の時刻を確認すると(事前に調べてはいたが)やはり2時間半後!青島に2時間以上も用事はないので戻るのはタクシーだな〜と考えながら駅前の「一時荷物預かり所」へ。そこからてくてく5分程歩くと、青島へ出る門前市場のような賑わいの通りへ出る。青島の横には海水浴場があり結構な人が海水浴を楽しんでいる。

こどもの国〜青島はその昔、日本人の新婚旅行のメッカだったのだが、九州は初めての家内と、おそらく40年以上振りの私で有名な「鬼の洗濯板」を見ながら青島に渡り、青島神社にお参りする。
Photo_7とても自然が造り出した物とは思われない造形の石?岩。セメントでくっつけたのではないかと思いたくなるような形。そして、誰が最初に付けたのか、素晴らしいネーミングの「鬼の洗濯板」。
洗濯板というものを現代の若者はわかるのだろうか?私がまだ小さい頃にはうちには洗濯板があった。ちょっとした洗濯物は、母が洗濯板でごしごし洗っていたのを覚えている。
自動洗濯機(絞り機付き)が「三種の神器」だった時代の事である。

暑いので、這々の体で(古!)青島から南宮崎までタクシーで移動。宮崎駅に戻るよりも日豊本線の通る南宮崎駅に行った方が、時間も料金も節約できる。急行に乗る事を考えていたら、ちょうど15:26の特急「シーガイアなんとか号」があったのでそれで日向へ。大人二人で割引になりちょっきり4000円。
ビデオには撮ったが写真はない。途中の日向灘を眺めながら、リニアモーターカーの実験施設であるひたすらまっすぐな高架を日豊本線の横に見ながら日向に向かう。40分程で日向市に到着。駅には地元で公認会計士事務所を経営する従兄弟が高級車で迎えに来てくれる。彼の家には車が3台あるので、その高級車セ○シオを借りる手はずになっている。
日向市のちょっとした高台にある豪邸に寄って、庄内空港から「リュック」にいれてえっちらほっちら運んで来た、平田牧場の三元豚の生ハムとベーコンと清川屋の「だだっこ」をお土産にお渡しする。まもなく、細島の眺めのよいホテル日向に向かうことになり、従兄弟のピックアップトラックに誘導されて母の実家があった(今は空き家)細島へ。

Photo_10(顔が識別できないように写真は小さめ)
従兄弟は「海よう丸」の船長さん(本業は会計事務所の社長さんのはず、笑)。一人でこの船を操縦し、夜明け前から漁に出かけ、季節には「よこわ」というマグロの子供や、初ガツオをたくさん揚げるらしい。ちょっとだけ船に乗せてもらい、入れ替えた新しいエンジンや細島漁港停留の船ではこの船だけにあるらしいソナーなど自慢の武器を見せてもらう。私は魚には興味があるが漁にはあまり興味を持たない。船も好きだが、ヨットや船を持とうとは思っていない。時間もないし金もないからだが。
でもこんな環境で暮らしていたら船に乗って漁に出たくなるかもしれないな。。。

Photo_9細島のホテル日向の泊まった部屋から眺める日向灘と太平洋。写真の右側の海岸線をず〜っと辿って行くと、シーガイアや青島方面が見えている。
空の色も海の色も東北の日本海側とは全く違う。これでは人間の性格も違うはずである。
一年間の日照時間が日本で一番少ないと言われる秋田県。自殺者も日本一と言われている。
一方、日照時間が日本で一位、二位の宮崎県。明るく、ゆるやかで、人も土地もにこにこしている気がする。

この夜は、従兄弟夫婦の招待で日向駅前で食事をともにし、旅の疲れを取るため早めに休んだ。
初日の紀行文のおしまい。

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2008.08.17

涼しい!

庄内空港に降り立って最初に感じたこと。

たしかに薄曇りの天気ではありましたが、庄内についたのは午後1時半。晴れた宮崎の日中と10℃近く違います。
夕方になると、庭ではスズムシ、コオロギなどが競演し秋の気配の漂う酒田。窓を開けて風を通せばエアコンはいりません。陽が落ちると半袖では少し肌寒ささえ感じるのは南国から戻って来たからでしょうか。

宮崎空港に降り立った瞬間から、秋田生まれ育ちの家内は「外国だ」「ハワイだ」と言っていました。宮崎に行かれた方はわかると思いますが、まずワシントンパーム。空港はもちろん、宮崎県内、海沿いの町の至る所、道路の両脇に高さ10mにもなろうあという背の高い、てっぺんの方に葉っぱのついた、いかにも南国という木が並んでいます。さらに宮崎の県木であるフェニックス。背が低めで幹がものすごく太いのですが、葉っぱはワシントンパームと似ています。
PhotoPhoto_2言葉では限界があるのでネットから見つけた写真を載せます。左がワシントンパーム。右がフェニックスです。

宮崎駅の改札では(いまだに自動改札ではなく駅員さんが挟んで押すはんこを使っています!)、駅員さんはアロハシャツ。空港や駅には「アロハ!」の文字がたくさん。ここはハワイか?

8/14、往路、宮崎県庁、日南海岸(鬼の洗濯板、青島神社)、日向
8/15、日向市細島、阿蘇、高千穂、五ヶ瀬
8/16、日向、宮崎市
8/17、帰路
という旅行でしたが、写真を整理して明日以降記事をアップしていきます。

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2008.08.14

宮崎へ

折角復活したMacBookですが、荷物になるし、ネット接続環境もないので旅行にはiPhoneを持っていきます。なので、書き込みはほとんど絶望的です。
あ、FOMAもあるので、携帯でも書き込みはできるのでした。するかな、、、

庄内空港にも「平田牧場」直営店がこの夏オープン。
明日は7:10の一便なので、空港で軽食を、、、と思ったら、「ヒラボク・カフェ」(朝6時から)のオープンは8/18なのだそうで、ちょっとがっかり。レストランの「平田牧場」は午前10時オープン(開店セール?で今だけ朝8時からやっているそうですが)。
明日は、朝マックか朝モスか、6時前に開いていなければ、乗り換えの羽田で「空弁」かな?

田舎の良さの一つに、自宅から空港まで一般道を通っても30分かからない、高速を使えば15分くらい、しかも空港の駐車場は無料で停め放題、という空港利用の利点がある。今の庄内ー羽田便4往復では、その気になれば、朝一で出かけ東京で仕事をして昼食をとって、遊んだりショッピングして最終便で日帰りができる。東京滞在時間は、およそ9時間も取れるのだ。
その逆なんてのもやってみたいものである。
「その逆」とは何かというと、ちゃんと仕事をして最終便(庄内発18:15)で東京に行き、銀座とかどこぞで夜遊びをして、朝一(庄内着8:15)で帰って来てちゃんと仕事をする、というパターン。ま、夢物語ではある。(笑)

さて、明日の朝早い(5時起き)ので寝なくちゃ。
おやすみ!

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2008.08.13

MobileMe

MacBook、復活しました!
復活、というのかな?OSは同じで、中身が新品と同じ状態、HDは新品、液晶も新品、ついでにカバーも新品に交換してくれたみたいです。
4万円超は痛い出費ですが、Appleの工場で正規に交換してくれる、取りに来てくれて届けてくれる(この送料も込み)、対応が良く早い(たまたまだったかもしれませんが3日で戻ってきました。
半分は「新品」の状態です。

外付けHDのバックアップは残念ながら1年くらい前のものしかなく、開業準備のためにせっせと作った文章類、PowerPointの広告原稿、名刺原稿などはなくなっています。しかし!医院においてあるPACS (Picture Archiving and Communicating System)用のiMacやMacProの一部にこれらのファイルを移して置いたのでそこからコピーすることでなんとかなりました。

さらに、iPhoneで便利な機能の一つとして使っている「MobileMe」によるパソコンの情報で「同期」を使うことで、なんと今iMacなどで使っている、カレンダー、メール、Safari(webブラウザー)のブックマークなどの情報が、iDiskの共有とともにすぐにシンクロできました。
iDiskには、大事な文書、写真などのファイルを移して置くと、今後同期しているパソコンのどれかがイカレてもすぐにファイルを復旧できます。

MobileMeは、ふだん使用している数台のパソコンやiPhoneのそれぞれの入力情報をシンクロする大変便利な機能ですが、壊れたパソコンの復旧に役立つとは思ってもいませんでした。考えてみればネットを使って自分の外付けHDの様にAppleで用意しているサーバーにデータを管理し共有している訳ですし、.Macのメンバーとしての年会費を納めている有料のサービスなのですから、当然といえば当然なのですが。

ということで、この記事は、慣れたMacBook君でさらさらと書いています。
iPhoneではブログもメールも書く気にはなれません。書くのにイライラさせられ、書いている途中突然ネット接続が落ちるからです。
使い慣れたMacBookの場合、ほとんどブラインドタッチでキーを打てますし、この記事をここまで書くのに5分くらいしかかかっていないと思います。

MobileMe、万歳!
iPhone、ブ〜〜〜!(でも可愛いし、ブログやネット情報をROMするには便利ですよ)

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2008.08.12

残暑お見舞い

8/1〜3のJAO高松大会の記事から少し間が空きました。
8/3の深夜の高速バスで4日の早朝に戻ってすぐに普通の生活(仕事)をしているわけですが、1週間経ってようやく疲れが抜けたかな?というくらい、結構長くダメージがありました。
年、ですね。(笑)

その間にも、広島、長崎の原爆記念日は過ぎ、立秋も過ぎ、北京オリンピックも始まり、谷が銅を取り、内柴と北島が金を取り、毎日が慌ただしくあっというまに過ぎて行きます。
その間にもいろいろな行事がありました。
8/10はまずお昼に久しぶりに蕎麦の「田毎」に行きました。
Photo_4Photo_5ここの蕎麦は大変おいしいですが、蒸篭の普通盛りではちょっと物足りないので、+400円の「特盛」を注文。
並盛と特盛を並べるとこんなに違います。2倍はいっているんだそうです。
天ぷらを一つ注文して二人で分ければ、ちょうどお腹も一杯です。
ささっと食事を済ませて希望ホールに向かいます。

C078/10(日)は、昨年一緒に演奏させていただいた酒田C高校の音楽部の演奏会(8/31、希望ホール)のプレコンサートとして、希望ホールのホワイエで無料コンサートがありました。関係者が多いのは仕方ありませんが、それでも40名近い観客がいたのではないでしょうか。
CC_2高校に入って生まれてはじめてバイオリンを始めたという子もいる事を考えれば、素晴らしい演奏でした。1年生などは、チェロ、ビオラなどを手にしてまだ4ヶ月な訳ですから驚きですらあります。また全体に昨年よりもレベルが上がっていて、音程が正確でした。パート内での乱れも少なく、音程が正確なのは聞いていて気持ちがよかった。ただ、緊張のためか演奏中の表情が硬く、正確に演奏しようとするあまりか舞曲などに欲しい「ノリ」が乏しい感じでしたが、短期間でここまで弾ける様になっているのは、本人達の努力と指導者の力でしょう。8/31までまだ3週あるのですから、更に力を付けて演奏される事でしょう。後は、「上手に弾く」ことより、「演奏する事を楽しむ」、「自分の演奏を聴いてもらえる事を幸せに思う」そういう感じが出ればなおいいのではないかと、演奏を聴きながら思っていました。
続いて、8/31の本番でハイドンのトランペット協奏曲のソロを吹く、山形交響楽団首席トランペット奏者の井上さんとC高校との初合わせ練習が、日曜の昼なのに空いている(何かのキャンセルがあったらしい)希望ホール「大ホール」を使って行われました。非公開の練習でしたが、音楽部指導のM先生と井上さんのお許しを得て、ほとんど誰も座っていない広々とした観客席で、美しいトランペットの音の広がりを楽しむことが出来ました。

さらに、8/10の夜は鶴岡の「赤川大花火大会」。
先日のブログでも紹介した「穂波街道」あらため「緑のイスキア」レストランの企画、イタリアンを食べながら花火大会、に乗りました。写真は後ほど追加します。
Photoレストランの中は、30名も入れば一杯のお店ですが、赤川の花火打ち上げ場に向いて外にテーブルを出し、100名近いお客をとって頑張って営業していました。アンティパスト3種類、パスタ2種類、ピザ、おつまみ(ポテトチップス!)、スイカにドリンク1杯で大人3500円。厨房、ピザ用の石釜にはキャパシティに限界があるのですが大勢のお客さんにサーブするため、なかなかスムーズな給仕は出来ていなかったと思います(うちのテーブルには、ペンネが来なくて隣の人たちに飛ばされ、「すぐ持ってきます」というお店の人の言葉から15分経っても来ないので、ドリンクのお代わりを買い求めるついでにお店の前に行って、「ペンネ、まだ来ないんですけど」と言ったらお店のお母さんが「ごめんなさいのぉ」とつまみの枝豆をサービスにくれました)。花火を楽しむのが目的なので、多少料理が来るのに時間がかかっても、順番飛ばされても頭にはきませんでしたが、もうちょっと何か工夫があってもいいんじゃないかな?とは思いました。
Photo_2Photo_3でも、料理は美味しいので文句はまったくありません。しかも、花火は特等席に近いところで、光と音の時間差からざっと計算して、直線距離で1kmはない場所なので迫力もありました。私はお酒を飲んだので、家内はお茶で我慢してもらい運転手。二人とも浴衣を着たのですが、家内は運転のときだけは下駄を脱いで靴に履き替えていました。家内の軽自動車で来て正解。
イスキア前の細い道には車がすでにびっしり停められていて、軽自動車でさえぎりぎりで通れるスペースしか残っておらず、結局数百m離れた道路の路肩に停めなければなりませんでした。私の3ナンバーの車で行っていたら、置く場所すら探せなかったかもしれません。

ーーー

私の愛用のMacBookは、HDがイカレてからしばらく「寝かせて」置いたのですが、どうもiPhoneではwebのコメント入力すらままならず(書いている途中に「落ちて」しまうので、書く気にならなくなる)やはりノートブックのある生活に戻るしかないと思い直し、Appleに修理を依頼しました。
一定料金で安くはありませんが、すぐに取りに来てくれて、修理も速く、1週間以上かかると思っていたら2日で修理が終わり3日で手元に戻りました。
すぐに使用を開始しようと思ったのですが、新しくなったHDは「まっさら」な状態なので、外付けHDにバックアップを取っておいたデータと最近主に使っている院長室のiMacのデータを移そうと思ったところでストップしています。結構な量があるのと、データを移してチェックが必要なので時間がかかるのと、いろいろあってまだ放置状態です。

修理に送り出す時、「お盆のシーズンだし、まあ修理が終わって戻って来て使い始めるのは盆明けか、、、」などと勝手に決めていたので、手元にあるにもかかわらず取り組む気になれないのです。
MacBookちゃん、もうちょっと「放置」されていてね!

今年の夏は、近年になく旅行をします。
先日の高松に続いて、今週は「宮崎」に行きます。
子供の頃から大変お世話になった伯父(母の兄)の17回忌に祖父(母の父)の何回忌かをあわせてやるということで、プライベートな用事で宮崎に行くのはおそらく26年ぶりの事になります(学会など、仕事では10年に1回くらいのペースで行っていましたが)。
先日、四国という「海外」にはじめて渡った秋田生まれの家内は、同じ月に九州という「海外」に渡る事になります。
東国原知事のおかげもあって知名度のあがった宮崎ですが、宮崎市周辺や日南海岸もちょっと観光して、両親の郷である日向、延岡に向かいます。さらに、阿蘇の噴火口近くまで行き、「天孫降臨の地」である高千穂に泊まり、椎葉村を回って日向に戻る予定です。久しぶりの宮崎、連日の猛暑の中ではありますが楽しみです。

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2008.08.07

JAO高松大会3

ついに本番の日、8/3(日)を迎えました。
(8/7、詳しい記事を追加する前に、まず写真だけアップしておきます。これでも十分かも、、、)
(8/8、記事を少し追加します)

まずはユースオケのGP(ゲネプロ)風景。
Gp:ユースオケは、第1バイオリン4プルトのアウトに座っている少女を見ればお分かりのように、5才位から高校大学生生で構成。その少女は足台を置いて座っている位。バイオリンも1/6位のサイズの物だと思います。
指揮の平井秀明さんは、作曲家の平井康三郎を祖父に、チェロリストの平井丈一郎を父に持つ、由緒正しい音楽の遺伝子を引き継いだ新鋭の指揮者。作曲家としても活躍中で、中でも自作のオペラ「かぐや姫」は海外でも公演が行われている。初日のパート別懇親会とその後の二次会で目の前に座られたので親しくお話が出来たが、気取りの全くない、親しみやすい雰囲気を持った方で、気軽にいろいろお話が出来楽しかった。いつか酒田にも来て頂きたいものである。
演奏(チャイコのロメジュリ)は、確かに問題はたくさんあるけれど、問題点を指摘するためにあるようなコンクールではなく、フェスティバルなのであり、日本と韓国の青少年が心を一つにして演奏するところに大きな意義があるものだった。成人オケに比べれば、音量もパワーも技術もまだまだなところはあるけれど、小、中、高が中心になっているのだから素晴らしいではないか!と思った。
平井秀明さんのHPは、「Conduct the World !」
 
次にAオケのGP。こちらは演奏している私の席から見た、気合い十分の阪さんをどうぞ!
Gp_2本番中の写真はありません。いろいろ小さな事故やリズムのずれなどはありましたが、本番が一番良い演奏になったと思います。ピッコロもポイントになるところでは、まあまあ音程も音色も納得のいく演奏が出来たのではないかと思っています。客席で聴いた人の意見が大事ですが、自分でどういう演奏が出来たかと言う印象も無意味ではないでしょう。
とにかく、プロコのロメジュリは、バイオリンのソロやピッコロのpp, pppから、金管、打楽器が吠えまくるtuttiのfffまで、ダイナミクスの幅が凄く大きく、おそらくその音量だけでも聴衆は圧倒される音楽だと思います。その上に、美しい旋律、おどろおどろしい死の音楽、悲しみの音楽など感情の起伏も激しいものです。指揮の阪さんの気迫が強く伝わって来ました。

こちらは「出陣直前」のAオケの笛隊全6名です。
Photo_3最長老のAさんはさすがに着こなしが板についています。フルートは皆、音大を出ているなど単なる「趣味」の世界を超えた方々なので音色やソロをとる度胸など私なんか足下にも及ばない感じ。でも聴きながら、「あ〜自分のこのソロ吹いてみたいな〜」というのは本音です。(^^;;;

最後に、Bオケの本番の写真。本番を終えて速攻で着替え、3階席に回ってそこからフラッシュなしで撮りました。
BB_2Bオケは、バーンスタインの『シンフォニック・ダンス』。ミュージカル映画『ウェストサイド・ストーリー』の演奏会用抜粋版ですが、要するに現代版の「ロメジュリ」。ユース、A&Bオケの3つを通して、男女の愛を描くというのがホストになった高響の狙いでしょう。
Bオケは、ちょっと残念!というところもありましたが、とにかくパーカッション部門の激しさ、充実度が凄い!自分の演奏後の半分虚脱状態でも、3階席で聴いていても、思わず体が揺れてきます。これを1階席の方で聴いたらどんな迫力だったでしょう。
左側の写真の右側の方の2階のバルコニー席(暗くて何も見えませんが)には、久子様がおすわりでした。右の写真は、Bオケ笛隊を中心にややアップの写真。百戦錬磨の達人がずらりです。


そして演奏が終わって閉会式。17~18時のフェアウェルパーティに参加する余裕もなく、17:35発の空港行きリムジンバスに飛び乗ったのでした。
空港でお土産を物色していると、奥に「かな泉」の文字が!
市内紺屋町にある「かな泉」。37, 8年前は町中に買い物に出ると家族で良く行きました。工場の裏が「セルフ」のお店になっていて、打ち立ての生麺を自分でお湯にくぐらせて、置いてあるどんぶりにいれたら、好きなトッピング(ネギ、天かすなど)をかけて汁をいれて頂きます。多分、当時50円とか70円という値段でうどんを食べていたと思います。
Photo_2今回は「ぶっかけ」。合計6回うどんを食べたのですが、そのうち3回は「ぶっかけ」で頂きました。
やはりうまかった〜。

そして19:10発羽田行きの機上の人となり、高松に別れを告げました。
羽田空港からは、お土産が加わって膨らんだ荷物に閉口しながら渋谷にたどり着き、渋谷マークシティ5階(え?!5階?)のバス停に向かいました。確かに、ビルの5階に高速都市間バスの発着所がありました。

(詳しい話は明日にも追加します。とりあえずこんな形でアップしておきます。)
ーーー
羽田から重たい荷物と体を引きずる様に渋谷に着いたのは21:20分頃。バスの発車時間まで1時間以上ある。とりあえず「5階!」のバス停を確認するためにビルの中へ。5階に行くと、ホテルのフロントのあるビルの部分と、バスやタクシーが乗り入れる部分がありました。
いや〜、さすが大東京っすね〜。ビルの5階に高速バスの発着所があるんですから。
4階の「銀座ライオン」でビールを1リットルほど呑んで、すぐ眠れる状況を作り、バスに乗ったら間もなく眠くなりました。池袋によったのは記憶になく、大宮に寄った時にちょっと目が覚めました。
その後、途中で目が覚めた時にiPhoneのナビ機能で見たら栃木県で、それからは何度かうとうとしながらもだいたいは眠っていました。次に目が覚めた時は月山を越えて山形自動車道を鶴岡に近づいている時でした。
鶴岡に着いたのは6時過ぎで、そこから3カ所停まりながら7時丁度くらいに酒田駅に到着。
家内の車は酒田駅のJR利用者用駐車スペースに停めてあるので、5分ほど歩いて、自宅に戻り、シャワーを浴びて、すぐに着替えて8時には医院に出勤しました。
体のだるさはなんとなくまだ引きずっていて、5日経った今日でもまだなんとなく本調子ではありません。夜行バスで帰ってからはいつも午後10時過ぎには寝ています。
若い頃は1日寝れば回復したんですけどね〜。

という訳で、長々とお付き合いいただきましたが、3日間の高松の旅、一巻の終わりでございます。
チャンチャン!

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2008.08.06

JAO高松大会2

8/2(土)の朝を迎えました。
Photoホテルの部屋はちょうど屋島の方を向いていて、カーテンから差し込む朝日に起こされました。昨晩(というか8/2の深夜遅く)、夜中のぶっかけうどんを食べて帰り、初日の疲れが出てそのままベッドへ。
折角美しい朝陽を見たのでそのままシャワーを浴びて起床。

昨日の記事で大事な事を書くのを忘れました。
プロコのロメジュリ今回の演奏会用抜粋10曲の中で9番目に配置された「ジュリエットの墓の前のロメオ」。最後の最後にpppのピッコロソロ、というか単純な「ド」の16拍のロングトーンがあります。
これはオケが静まり返った中で、安定して吹き続けるのが難しく、とても緊張する部分。「大丈夫かな?」「ま、とりあえず一回吹いてみてから」という気持ちでいたら、阪さんから「最後の4小節カットします。そのままアタッカで終曲の最初の5小節をカットして入ります」という指示が出たのです。
8割方ホッとしたのは偽らざる事実。でも「頑張るぞ!」と思っていたので2割方はがっかりしました。ここの演奏はない方が気は楽ですが、直前の1週間は練習の時間をほとんどこのpppのC(=ド)の柔らかく、静かに入って安定して16拍、というのに費やしていたので(というほど練習してませんが)、その時間が無駄(ということは決してありませんが)になったか〜という気持ちに少しだけなりました。

ここがなくなったら、後は、まあ、嫌な部分もありますが、ずいぶん気楽に参加できます。そんな気持ちでパート別懇親会の1次会、二次会、夜中のうどん、そして深夜の帰室となった訳です。(^^;;;

朝食は和定食にしてみました。
すると2つ後ろのテーブルに、指揮者の阪さんがいらっしゃいました。Aオケのピッコロ担当です、山形県の酒田フィルです、山響FCの会員で昨夏演奏会後にご一緒しました(阪さんと奥様も写ったその宴席の写真がデジカメに残してあったのでそれをご覧に入れました)、などと簡潔にご挨拶ができました。

午前9:30から11:30まで練習室で練習。午後は14時(音だしは13:50)から練習。
夜は19時から高円宮妃殿下久子様のご臨席を賜りレセプションの予定なので、時間通りにきちきちと練習が進められます。阪さんも2日目に入り、少し細かい指示を出されます。
特に弦パートにはいろいろな注文をされていました。クレッシェンドの入りの部分、アンサンブルの部分、いろいろありましたが、一番印象に残っているのは、7番目の「タイボルトの死」の後半。
重々しい、葬送行進的なぶぶんですが、指揮より先に先に進まないようにという事を次のように表現されていました。
「私の指揮よりも先に行かないで。重く引きずられている感じで、まだまだ進まないで、という感じで。小兵ではなく横綱クラスを引きずっている感じで、指揮よりも遅れ気味に、先に行かないでという感じに演奏してください。」と(言葉通りではありませんが)こんな感じに表現されました。その意味は非常によく理解でき、オケがまとまって突っ込む人はほとんどいなくなり、重々しい演奏にガラッと変わりました。
さすがです。
翌日の演奏会まで残された時間は少なく、課題はたくさんあります。おそらく阪さんの頭の中では、本番からの時間を逆算しながら、やらなければならない優先順位を決めて順にこなしていくという感じだったと思います。おかげで(?)ピッコロの登場する部分は、tuttiでガ〜〜っとやっているところか、静かピィ〜と吹いているだけなので、ほとんど何の指示も注文も出ませんでした(入りを失敗したところでさえ、そのままスルーされたのでちょっとショックでしたが)。

今日(8/2)のお昼はタイトスケジュール。
11:30に練習が終わった私は、そそくさと楽器を片付け隣のホテルのロビーに急ぎます。
そこには37,8年前、紫雲中学でお世話になった吹奏楽部の顧問にI先生と、2年の時の担任で春休みに転校に際しクラスメイトと一緒に「宇高連絡船」の船着き場に見送り来てくださったN先生が待っておられました。前日と今朝、電話で連絡を取り、お会いする約束になっていたのです。
Photo_238年振りにお会いするN先生、I先生、お二方とももちろんそれなりにお年は取られましたが、昔と変わらぬ面影があり、逆に先生方も私を見て「あら、同じじゃ、同じじゃ」と仰っていました。
「先生、本人なんですから同じなのは当たり前ですよ」(爆笑)

懐かしく楽しい時間はあっという間に過ぎます。午後から献血事業に参加されているI先生とはホテルでお分かれして、N先生を御自宅に送りがてら、母校である高松市立紫雲中学校によってみました。
Photo_3Photo_4左は昔と様変わりした正門前。
金時雲のような雲の校章が紫雲中の特徴。写真はあえて小さめにしてみました。
右は、昔と変わらない「自主独立」の像の前で。
その横には、昭和44年に合唱コンクールで全国で優勝した時の記念植樹と碑がありました。I先生はその年(?)に紫雲に移って来て、合唱の顧問の先生にずいぶんいじめられたそうです。県大会止まりの吹奏楽団と全国制覇の合唱団では仕方ないのでしょう。当時の私はそんなことはまったく知りませんでした。

13:30には練習会場に戻りたい私は、N先生をご自宅までお送りし、栗林公園を見る予定の家内を公園入り口でおろし、またサンポートへ戻りました。
午後の練習は、阪さんもますます気合いが入ります。まだまだですが、部分的には大分まとまって来て、昨日の最初とは変わって来ました。

18:30で練習は終了。そしてすぐにホテルクレメントに移動してレセプションです。
Photo_5昨年の酒田大会にもお出でいただいた、JAO総裁の高円宮妃殿下久子様からご挨拶。ウィットに富んで人を惹き付ける話術と頭脳をお持ちで、笑顔や立ち居振る舞いがチャーミングで素敵。さすが!と言う感じである。
皇室、皇族についていろいろ揶揄される意見も聞くけれど、お育ちや普段の生活が違うのだろうなと思わされる。香川県は久子様のお父君鳥取氏の出身地だそうですが知りませんでした。しかもなんと私と同じ「納豆の日」のお生まれとは。。。光栄でございます。

さて、乾杯の発声の後はとにかくビュッフェスタイルの食べ物をいかにゲットするか、400名近い出席者の中での勝負です。私はいち早く数種類のプレートでお腹を満たし、余裕でうどんをゲット。しかしこの宴会場のうどんは頂けなかった。
山形の宴会でも蕎麦が出されることがあるがあまり美味しくない事が多い。蕎麦の旨い山形としてはそれは恥ずかしく悲しい事である。私が事務局を務めたある学会では、山形市で一番古い由緒ある蕎麦屋を呼んで来て、職人二人掛かりでその日に打った生麺をどんどん茹でてもらって、冷たい水で洗って締めた上で笹の葉を敷き詰めた台の上に盛りで供し、自由にたぐってもらう形式を取ったら、あまりの蕎麦の旨さに会場の参加者のほとんどが蕎麦の前に行列をなしたことがあった。やれば出来るはずなのに。。。

お腹を見たし、一息ついたところで、「サプライズコンサート」という名前の飛び入り演奏会。
Photo_6まず度肝を抜いたのは写真のようなコントラファゴット4台のカルテット。
そうそうお目にかかれるものではありません。
「像さん」や「ダースベーダー」のテーマなどを演奏しやんやの喝采を浴びていました。

Photo_7クラ(一枚リード)隊は、バスクラが5本にアルトサックスが2本も揃い、音域の広さを顕示するように演奏。これも素晴らしい。
写真がありませんが、二枚リード隊(さきほどコントラファゴットにファゴット、オーボエ)も楽しい演奏を聴かせてくれました。オケで最初にA=442Hzでチューニングをする際に最初の音を出すのはオーボエですが、チューニングで合わないところがまた面白かった。

Photo_8バヨリン隊は、人数が多いのですべての人が乗れないのですが、それでも30名以上出ていたと思います。さらにポヨンとした方々を前列にして赤い服を着せて、今話題の「ポニョ」を演奏。
チェロ隊は、チェロばっかり20台くらいの演奏もなかなかの迫力。

Photo_9演奏順では最後だった「ホラ吹き隊」。いつも元気で賑やかなホルン軍団ですが、水上の音楽を真面目に真面目に演奏して、「アンコール!」という声をもらっていました。

さて、笛吹隊はというと、、、

Photo_10Photo_11参加者中最高齢80才のAさんを中心に、韓国の20才の女子大生(赤いポロシャツの子)も交えて楽しく演奏です。ちょっと後ろの人がよく見えませんが。
Photo_12曲は、N響の首席神田さんが編曲した「ベートーベンの交響曲全曲を1分間で演奏するメドレー」のフルートカルテット。これを11名で吹きました。
「え?もう終わり?」という感想を頂きました。私の吹いている黒い笛は隣の男性のパウエルの木管です。今回は「ピッコロ正」なので私はフルートは持参せず、ピッコロ二本を持って来ただけだったので、フルートはお借りしました。

なお、このレセプションの事を含め、JAO高松大会を「オブザーバー」というお気楽な立場でそれこそ「観察」した愚妻(!)のブログは、こちらで〜す!

明日が本番なので、そのあとの二次会には今日は参加せず、本日の練習でうまく行かなかった部分を部屋に戻ってスコアを睨めながら、iPhoneに入れた音源で確認しながら早めに休みました。
2日目がようやく終わり、明日は本番です。
(つづく)

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2008.08.05

JAO高松大会1

7/31(木)、予定通り診療を13時で終わらせて、速やかに自宅へ戻る。用意してあった荷物を再確認して、酒田駅へ。
731731_2よく考えてみると、酒田駅から電車に乗るのは生まれて初めてだった(昔、鶴岡に住んでいた頃に新潟経由で東京へ出張したことはあったが)。
なので、酒田駅、東酒田駅、砂越駅、余目駅、藤島駅と通過する駅も初めて車窓から眺める景色ばかり。普段車で通って眺めている風景とは違う景色に、修学旅行に出かける小学生のようにうきうきわくわく。

PhotoPhoto_2酒田駅には駅弁が売っていない(駅に隣接する清川屋でユニークな弁当を販売しているが14時では既に売り切れている)。「いなほ10号」に乗り込むとすぐに売り子さんがやって来た。なんと「秋田のお弁当」。竿燈に見立てたご飯には味噌が塗ってある。ジュンサイもはいっていてユニークで美味しい!駅弁コンクールでグランプリを取ったものらしい。

iPhoneについているGPSナビ機能をオンにすると、当たり前のことだが自分が羽越線上で鶴岡方面から新潟に向かっているのがわかる。
なんだか楽しい。

新潟駅でMAXときに乗り換える。2階建ての2階だけど、だから眺めが素晴らしいと言うものではない。途中、越後湯沢や上毛高原あたりからは家族連れがドドッと乗ってくる。時間的には東京方面の自宅に戻る人たちのようである。

楽器やタキシード、着替えの入った3泊分の荷物は重い。
久しぶりに東京駅で東海道線に乗る。もう一本待てば座れるのだが、戸塚駅で家族と待ち合わせがあるので二人で4つの荷物を抱えて混雑した電車に乗る。品川、川崎、横浜とどんどん人が乗って来て(ちょうど19時台の帰宅ラッシュに遭遇)「戸塚で降りれるかな?」と不安になる。私一人なら、「はい、すみません」と強引にぐいぐい出口に進むことも出来るが、家内を連れ、大量の荷物を持ち、この人混みをかき分けられるだろうか、、、
「だから、都会は嫌いなんだよな、、、」
心の中でつぶやく自分がいます。本籍地は横浜なんですけど、すっかり東北の人間。
「田舎が良いよな〜、ラッシュアワーもなく、電車も座れない事なんてないし、、、中心商店街に行ったって人はまばらなんだから、、、」
「あ”〜、都会はなんて人が多いんだ!!!だから狂った人が通り魔殺人なんてするんじゃないか?」
いろんな事を考えながら戸塚駅に到着。なんとか荷物も一緒に二人降り立つ。改札には父と甥っ子(妹の長男、先日、甲子園予選東東京大会を残念ながら4回戦で終えたばかりの高3)が待っていてくれた。海外出張などでいつも多忙な妹の旦那を除いて、全員で8名で会食。
その日は戸塚の実家に泊まり、翌朝、8時過ぎに出発。
横浜駅で京浜急行に乗り換え、京浜蒲田で羽田線に乗り換え羽田空港へ。
9:55発JALは少し遅れて出発、高松空港へは11:30頃到着。バスで市内へ。
宿泊のホテルはフェスティバル会場と隣接するANAホテルクレメント。バスもそこに停まるので便利。

お昼を過ぎたばかりでもチェックインができたのでまず部屋に入り、荷物を置いてすぐに昼食へ。13時までに受付をして、13時から開会式。慌ただしいので、「ホテルの近くでさぬきうどんの店、お勧めはどこですか?」とホテルマンに聞くと、会場のサンポート高松のタワー棟にあるうどん屋さんを進めてくれた。

PhotoPhoto_2私は左の「基醤油ぶっかけ」、家内は右の「ざるうどん」。
なつかしい、本場の讃岐うどん。太くて、やわらかくて、長くて、麺そのものが結構塩っけがあって、喉越しが良くて、腰がある。あっという間に食べる。参加者ガイドを見てみると、初日夜の「パート別懇親会」のフルート・オーボエ隊の会場が、なんとその「川福」だった。いろいろなバリエーションのうどんを楽しみたかったのでちょっとがっかりしたが、さすがにうまいうどんを食わせる。

隣のホール棟へ移動し、受付を済ませ、ネームタグをもらって、会場へ。
日本全国150を超えるJAO加盟アマオケ団体のうち、60数団体から参加しているとの事。さらに今回はユースオケに韓国からの参加者も大勢。加えて世界レベル、東アジアレベルでのアマオケ活動を盛り上げるための会議も企画され、スコットランド、ベネスエラ、米国、韓国、台湾などから会議参加者、そしてドイツとロシアからそれぞれ一名、演奏参加者もあり非常に国際色豊か。
特にお隣韓国は、「竹島ー独島」問題で民間の日韓交流がほうぼうで中止を余儀なくされているおり、韓国からの参加もボイコットされるのではないかと懸念したが、親御さん連れで大勢のユースが参加してくださった。
音楽に国境はない、とはいうけれど、実際、音楽(芸術全般)も人間の表現手段として政治利用されたり、行き過ぎた民族主義や国家主義に利用されたり、戦争や政治に大きく巻き込まれた歴史を持つ。
しかし、今回演奏するチャイコフスキー、プロコフィエフ、バーンスタインの3つの曲目は、楽譜は世界共通で、イタリア語を中心に音楽表記があるけれど、どんな言語をしゃべるどんな国のどんな肌の色の人でも「音楽の基礎」を勉強してさえいれば、同じ楽譜を使って同じような演奏ができるのである。
そういう意味で、楽譜というのは凄いな〜と改めて感じた。

開会式後、すぐに練習。
8/3の午後の本番まで、もう2日しかない。時間には限りがある。私の出るAオケは、まず本番のステージでのリハーサル。

Photo_3Photo_4ホールは1800名はいる3階席まである立派なもの。ステージも奥行きが十分あり、120名を超える楽団員が乗っても余裕がある。酒田市民会館希望ホールよりは規模が大きい。音響的にはどうかな?
ここで2時間程練習し、30分の移動、休憩を取って今度は「練習室1」で続けて練習。
18:30まで熱心な練習が行われた。
本番のコンマスは、昨年の酒田大会でもBオケ(バルトークのオケコン)のコンマスをお務めいただいた東京フィルのコンマス三浦章広さん。ガーボールのピアノとのデュオコンサートが懐かしい。(この記事は、8/18「デュオ・コンサート」
をご覧ください)
8/1はスケジュールが合わなかったらしく、代理で東京フィルの若手の男性(すみません、お名前失念しました)がコンマスを18時まで(19時の飛行機で東京に戻るらしい)務めてくださった。弦にボーイングやタイミングなどの指示を出されていた。

指揮は、阪哲郎さん。
Photo_5何度も書いたが、ご本人は京都生まれながら、ご両親は山形市と新庄市出身なので山形の血の濃い方。昨年の山響定期でも、シェーンベルクの「浄夜」やベートーベンの「田園」を素晴らしい解釈で聞かせてくださった。現在はドイツを中心に活躍されているが、山響も首席客演指揮者になられたので、年に一回は振ってくださる予定。今年も8/23に山形県民会館で演奏がある。
阪さんの「本音」はお聞きしていないけれど、いくらフェスティバル(お祭り)とは言っても2日でロメジュリを人に聞かせるレベルに持って行くのは、しかも相手がアマチュアで120名以上いて、実力もデコボコで、抜粋ながら曲は10曲もあって、正直しんどいというか「無理〜」というお気持ちも少しはお持ちであったと思う。初日はとにかく我々の実力を試すが如く、全10曲を通して、気づいたところはその場で最低限の指示を出され、あまり細かいことにはこだわらずにとにかく我々が実力を出せるように気を使ってくださったと言う感じであった。

夜は、前記のようにパート別懇親会。
Bオケのバーンスタイン『シンフォニック・ダンス』が大好きで、そちらの練習を聴いて頭の中で『ウェストサイド・ストーリー』のダンスの妄想がぐったり疲れた家内を伴い、会場へ。
Photo_6最初はやや緊張気味の面々も、すぐに同じ志を持つ仲間として打ち解け仲良くなる。私のようにJAOの演奏初参加の人も数名いらしたが、何回も出ている人も多く、すでに顔なじみという人たちもいる。特に、群馬シティフィルからいらしたAさんは有名人。御年80才という年齢をまったく感じさせない、はつらつとした明るさ。若い女性にも人気者である。途中いろいろあったが、最後は綺麗に全員集合写真におさまった。ユースオケ指揮の平井さんも参加されて楽しく談笑。
続いて二次会へ。

木管楽器の集合となり、座る場所もぎちぎち。フルート、オーボエ、クラ、ファゴットだけなのだが何人いたんだろう?高響(高松交響楽団)のスタッフのうち、フルートに一人(Nさん)、ファゴットに
一人(Tさん)と私の通った高松市立紫雲中学校のブラバンで同時代に活動した人がいて感動。
Photo_11Photo_8左の写真は、1970年(!)、私が紫雲中学1年生時のコンクールでの写真。指揮指導のI先生の横、真ん中に立っている13才の紅顔の美少年(白黒だからわからないよね?)が私。
右の写真、私の横の男性が2年先輩のTさん。コンクールの時は後方でユーフォニウムを持っている。当時から背は高かったよう。今はファゴット奏者。
その横の女性は(店員さんにシャッター押すのを頼んだらぶれていますが、、、)M音大フルート科卒で高響トップ奏者。こういった人との交流こそがJAOフェスティバルの主たる目的。全国のアマオケ仲間が、苦労や喜びを共有しようというもの。
楽しい時間でした。Nさん、Tさん、ありがとうございました!

Photo_9たべかけでちょいと見苦しい写真で済みません。
二次会はまだまだ続いていましたが、「夜中までやっているうどん屋に行きたい人」ということで、Tさんの案内で中心繁華街近くのうどん屋に行きました。すでに12:30を回っていましたが人はいっぱい。1階は満席で、ちょっと待って2階に案内されました。
夜中の12時過ぎまでやっていて、人がごった返しているうどん屋なんて、高松以外では考えられないのではないでしょうか。いろんな種類があって迷いましたが、うどんの味を比べるため、「ぶっかけ」を選択。お店の名前を忘れたのが残念です。

こうして慌ただしく、移動日、大会初日が過ぎました。
(つづし)

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2008.08.04

うどん太り?

(書きなぐったのを読み直して校正しつつちょっと追加します)

先ほど、午前7時過ぎ、酒田に到着。これは医院の診察室のマックMacで書いています。
JAOフェスティバルの模様は写真を整理しながら後ほど「クワシック」書きます(いかん、頭がぼーっとして「もぎぎ」調だ)。

演奏会、閉会式に出て、高松空港発最終便で羽田に戻り、渋谷から夜行バスで戻ってきました。予定より早く着きはしましたが、自宅に着いたら7:20。速攻シャワーを浴び、朝食をとり、むくんだ足を引きずりながら医院に出てきました。

正直言えば、高松にもう一泊くらいして観光もして帰ってきたいところですが、既に先週の金、土と「休診」にして出かけていますので、これ以上休む訳には行きません。今日も午前、午後と結構再診予約の方が入っていますので、気合いを入れ直して仕事です。

それにしても3日で1.5kgくらい太りました。
8/1の昼に着いて8/3の夕方に発ったのですから、実質は2日と7時間くらい滞在した高松市。
その間、数えてみたら6回うどん食べました。その他に、弁当1回、朝食2回、昼食1回、間食2回、レセプションのビュッフェスタイルのディナーも摂りました。カロリーオーバーは当然ですね。

でも、やはりうどん、美味しかった〜!
香川県出身で東京などに住む人が、実家に帰るとうどん三昧になる気持ちがわかります。
ではまた後ほど。

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しかし、iPhone、数回投げたくなりました。
8/2の夜に、JAOフェスティバルの途中経過を記事にアップしようとしました。
「日本語入力変換機能」が大変もったりしていてイライラさせられる事は前にも書きましたが、候補の文字を探し出すと数秒以上止まるのです。そして選択してタッチした時には、次の候補が画面に出ていたりして選択するつもりのない文字を選んでしまうはめに陥ったりします。
そんなもったりもったりした日本語入力に耐え忍びながら10行程書いた文章が2回程消えてしまう事態にも遭遇しました。

iPhoneは基本的に今いる場所の「無線LAN」にアクセスしてインターネット接続をするかSoftBankの提供するネットワークに接続します。FOMAの様に安定していないせいか、それが突然落ちるのです。
Cocologの文章入力画面が「パッ」と消えて、iPhoneの基本画面に戻ってしまいます。
するとそれまで書いた文章を保存していなければ全部消える訳です。
ブラインドタッチが出来るパソコンなら、内容にもよりますが、10行くらいは数分で書けます。
iPhoneで30分以上かけて書きかえの文章が突然消えると、iPhoneを放り投げたくなる訳です。

このお馬鹿な日本語入力機能と落ちるインターネット接続は改善して頂かなくては困ります。
SoftbankさんとAppleさん、よろしくお願いしますよ!
(だって機種代金を除いて「パケット定額フル」と「ベーシックパック」で7280円払っているんですよ、これに携帯電話としての基本料金と機種代金の月賦価格が上乗せされて、毎月1万円近く払っているんですから、当然の要求ですよね)

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2008.08.02

高松にて

2日目終了しました。
記事をアップしようと十行くらい書いたところで、二回消えました。
気が萎えたので今日はやめます。

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