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2008.08.22

2008年夏、宮崎、その3

8/16(土)、今日は今回の宮崎訪問の主目的である法事がある。
宿泊先の五ヶ瀬からは車で2時間はかかると思われ、昨日と違う道で「椎葉村」の方を通って戻りたかったが、道が狭くて離合の難しい区間が多いという忠告により、諦めて高千穂経由で北方から高速道路で延岡まで戻る事にした。
7時過ぎに朝食に起きたが、小川の流れる山間の五ヶ瀬の気温は22℃。半袖では少し涼しすぎるくらいだった。8時に出発、順調に来た道を戻る。どんどん下って行くという感じ。高速道路に入った頃には外気温は30℃を越えた。

10時ちょっと前に細島の観音寺に到着。ここは、西南戦争の際に官軍側が陣地を構えたりした地域らしい。有り難い読経、お参りをして、お墓参りへ。

安○家の墓の敷地は結構大きい。17回忌の法要をしている伯父が存命中に、両親(私にとっての祖父祖母)の家系の墓の一部をここに集めたらしい。伯父の奥さん(存命中の伯母さん)の旧姓は日高で、「日高家」の墓も同じ敷地に並んでいる。そこには「日高秀子の墓」があった。
同じ宮崎出身の歌人若山牧水の恋人と言われ、交流があったとされる。細島出身の才女(同志社大学と日本女子大学で学んでいる)だったらしい。
若くして病に倒れなくなった秀子を詠んだ牧水の歌がある。

『ふるさとの お秀が墓に草枯れむ 海に向へる 彼の丘の上に』

この墓の3つくらい隣りに私の伯父や祖父達が眠っている訳です。

お墓参りから戻る途中、西南戦争で散った官軍(西郷どん達旧薩摩士族にとっては敵ですが)のお墓がありました。
Photoそっと見ていると「羽前国田川郡、、、」という文字が目に入りました。今の鶴岡に当たる場所です。写真では、手前から5列目左から2番目の墓標に、「五十嵐○△」と書かれています。
西南戦争には、旧酒井家から西郷に私淑する若者を毎年送っていたため、2名の旧酒井家の若者が戦死していて、西郷さんのお墓の近くに手厚く葬られているのは有名な話です。その敵となった官軍に同じ鶴岡地区出身の、想像するには旧酒井家ではない、農家か商家の出身なのでしょうか、同郷のもの同士が戦って、どちらも延岡の戦いで命を落としたものと思われます。

法事に参加して親類一同で昼食をともにしました。
Photo_2大変久しぶりに顔を見る親類もいます。前回東京や横浜で会った時には子供だったのに今やピカピカの女子大生だったりします。自分も年を取りましたが従兄弟も皆年を取っています。伯父の奥さんである伯母さん、母の姉である伯母さん、母など女性ばかり長生きで80を越えています。年寄りの男は私の父だけです。
Photo_3写真は安○家の写真。真ん中の少年が16年前に亡くなった伯父。左上が祖父。そしてその祖父に抱っこされている可愛らしい少女が私の母です。この写真の中で存命しているのは、その母と真ん中下でうつむき加減に立っている少女(母の姉である伯母)の二人だけです。

昼食後、父の案内で父の兄が入所している施設に、父の兄(伯父)を見舞いました。
おそらく26年ぶりにお会いしたと思います。おもったより元気そうだったのですが、、、
昨日の記事の様なことになってしまい、本日が告別式となってしまいました。

ーーー

宮崎に残る父母と別れ、私と家内は宮崎市へ。
ピーク時だったため、最初朝7時台の飛行機しか予約出来ていなかったのですが、キャンセルがでたということで9:35発になりました。
Photo_47時台のつもりで前泊を宮崎市内にしていたので予定通り日向から特急で宮崎へ。列車は帰省から戻る人たちなのか自由席のぎりぎり座れるくらい混んでいました。南国らしい(?)派手な色の列車でした。

宮崎についてすぐにホテルへチェックイン。
繁華街近くの食べ歩くには便利な場所のホテルです。部屋は狭く料金は二人で7000円(しかもじゃらんのポイントを使ったので6300円!)と超格安です。
フルーティスト高木綾子さんが自身のブログで「宮崎国際音楽祭」の時に行ったお店を紹介していたり、従兄弟に教えられたり、自分で調べたりして、宮崎地鶏やチキン南蛮を食べるお店をいくつかピックアップしていたのですが、電話してみると予約で一杯とのこと。お盆の土曜の夜。どこもにぎわっているのでしょう。
Photo_5仕方ないのでホテルでもらったガイドで歩いて行ける店を数件ピックアップ。その中で、感じの良さそうなところを選んで入ってみました。

食後、小降りの雨の中を急いでホテルに戻ろうと思ったら、数件となりに写真のお店。
Photo_6確か以前テレビで東国バル知事も出てこの店の「肉巻き」はうまい、と食べながら宣伝していた店。
肉巻きを1個ゲットして夜食用にホテルまで持って帰る事にしました。

ーーーーー
8/17(日)、7時起きで準備をし、7:45にタクシーで空港へ。8時過ぎについて、まずはお土産。
また、私のリュックサックは大量のお土産入れと化しました。
その後空港内レストランで食事。

宮崎空港9:35発の飛行機は順調に航行し、11:10頃羽田に到着。久しぶりに「バス移動」。乗り継ぎがあるので乗り継ぎ者専用エレベータで2階へ。
庄内便はまた空港ビルの端の方なのでひたすら歩いてゲートへ。
小一時間待って搭乗。この時点で少し遅れ、出発は予定の12:10を大きく回って12:30頃となり「羽田渋滞」を経て、曇り空(気温23℃と宮崎より10℃くらい低い東京)の中を一路庄内へ。
Photo_7山側から海へ大きく回り込んで着陸態勢に入るため、鶴岡を通る山形自動車道に接続予定の日本海東北道建設中の部分がよく見え、湯野浜の海水浴場やゴルフ場を眺め、庄内空港周辺のメロンのビニールハウス群の白い反射を見ながら、ぐるっと回って左手に雲に隠れた鳥海山、酒田市街を抱える最上川河口など、懐かしい姿を眺めながら着陸へ。
この時点で、私も家内も「庄内人になってるんだな〜」との感慨を持った。
こうして、無事に3泊4日の宮崎紀行は、多くの親類、懐かしい宮崎の風景、はじめての風景など実り多い旅行として終えることが出来た。クリニックを木金土と休診にして(いずれにせよお盆休みの予定ではあったが)行った甲斐は非常にあったし、偶然にも父の兄である伯父にはお別れを言う様な形になってしまってが会えて良かった。

今度宮崎に行くのは私が何歳の時になるのだろう。。。

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コメント

宮崎お疲れさまでした。毎日、朝が早くて大変でしたね。久しぶりに会えて皆、喜んでおりました。十分なおもてなしも出来ず、すいません。次回は新庄帰省の折に酒田でお会いしましょう。
法要の模様や写真を掲載戴いたので、本船のブログと勝手にリンケ-ジさせて戴きました。ご容赦をお願いします。では再見!!

投稿: kaiyoumaru2001 | 2008.08.23 15:34

kaiyoumaru2001さん、許可もえず船長と船の写真を掲載しました。事後承諾と言う事でよろしいでしょうか?
いろいろと大変お世話になりました。
こちらは、朝晩はすで気温18℃などという季節になりました。

投稿: balaine | 2008.08.24 18:07

宮崎紀行文読ませて頂きました。隣の県で育ちながら、宮崎へは行った事がありません。小さい頃からそれはそれは酷い乗り物酔いで、旅行は苦行でしかなく…で、今ここで宮崎観光(笑)

冷や汁に類似したぶっかけ汁、大分の田舎でも作っておりました。焼いたアジやエソを使ってたと思います。ただ見た目ですがもう少し濃厚で、胡瓜などは入れず、そうして名前が「さつま汁」でした。で、てっきり鹿児島名物だと長年…

東国原県知事、行政の手腕は存じませんが、これほど観光効果をもたらした方もいないのではと思います。

見事な海の青さときちんと会え、暑いながらも好天でなりよりでしたね。阿蘇もですか、それに天岩戸神社に、やまめの骨酒…惹かれます!官軍のお墓、墓碑の整列も見事!

親戚というのは、あっという間に歳月の距離が縮まる不思議な関係ですから、暖かい時間が流れたんだろうなあと思いました。

派手な特急列車は、「にちりん」として大分でも走っています。外観も内装も凄い色でしょう? 洗練された車両が増えてる中、いかにもローカル単線!ですが…これからもガンバレです。

伯父様のご冥福をお祈りいたします。記事を読み進みながら、ああ、<死ぬまで元気>という生き方をされたんだなと思いました。
なかなかこうはいきません。素晴らしいと心底思いました。
私の母も施設で暮らして居りますが、まだ意思疎通が可能な頃、私も昔の写真ばかりのアルバムや、田舎の家族の大きく引き伸ばした写真など送ったものです。
伯父様の御家族も同じ想いだったのだろうなあとか思いました。

スイマセン、長々コメントでした。楽しい紀行文、ありがとうございました。 機上からの写真、とてもいいですね。

投稿: リスペクト | 2008.08.25 09:45

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