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2008.08.20

2008年夏、宮崎、その2

宮崎の2日目、8/15(金)。

日向市の細島は、古くは神武天皇も立ち寄ったとされ、日宋貿易の頃から交通の要地として栄えたところ。江戸時代には、薩摩藩や高鍋藩など参勤交代では細島港から海路、大阪へ渡った重要な港である。
日向灘を望む高台にあるホテルに泊まって、今日は従兄弟の車でグルッと阿蘇を廻ろうという計画。
その前に、宮崎の名所を調べていたら「馬が背」という海沿いの景観が有名らしいのだが、なんとそれは細島にあるのだった。子供の頃、毎年細島に来ていたのだがおそらく行ったことはなかった。

Photo細島の突端近くにある馬が背に向かう途中、写真の「クルスの海」「クルスの鐘」という場所に立ち寄った。この写真を90度左に回転させると、岩肌を洗う海がちょうど漢字の「叶」という文字に見えるのだそうで、カップルが願い事を唱えながら鳴らすと幸せになると言う鐘が設置されている。十文字に見えるから、クロス(英)=クルス(多分スペイン語)という事なのだと思う。
クルスの鐘の写真は「クルスの海」日向市ホームページをご覧ください。

Photo_2素晴らしい景観!
柱状節理の断崖絶壁が日向灘の海しぶきを受けている。こんなところが昔からあったなんて知らなかった。駐車場からここまで結構歩くのだが(10分くらい)、崖の端に道があり林の中を抜けるようになっているので日陰がありがたい。
こういう景色は、東北は三陸沖のリアス式海岸を思い出させるが、あの荒々しさは少なく何となく陸地が下からググぐっと柱状に盛り上がって来てそれが波しぶきに削られた感じである。

細島を後にする際、海沿いを通ったら墓碑のようなものがあった。調べてみると「黒田の家臣の墓」と言われている。幕末、「寺田屋事件」で捕らえれた勤王の志士3人が薩摩に護送される途中、ここで惨殺されたらしく、それを黒木庄八という細島の住人が手厚く葬り子孫がその墓を守り続けているということである。

国道10号を延岡方面へ従兄弟のセ○シオを走らせ、一部有料+一部無料供与(全国いろんなところにこういう不完全な道路がある)の高速道路を使って高千穂方面へ。道はどんどん昇って行く。
Photo_3従兄弟の車のカーナビの使い方がいまいちわからず、目指すはずの「阿蘇中岳」がうまく設定できなかったので阿蘇山観光案内所を目的地に入力しそれに従って走らせたら、熊本県阿蘇市に車は向かってしまった。高千穂から南阿蘇を抜け中岳に至るルートを思い描いていたのだが大失敗。仙酔峡に向かって行ったがこちらからは中岳に到達できないので、再度阿蘇市に戻り「阿蘇パノラマライン」に合流。
Photo_4ここから有名な草千里を通って阿蘇山火口近くへ。有料道路を使って火口すぐ近くまで車で行けるところが凄い。写真はGoogleの衛星写真であるが、左上方の白い湖のような部分は、エメラルドグリーンの火口湖で、「火口西」という文字の上に並ぶ5、6個の丸い物は、防空壕のような噴火時の避難壕である。この写真の火口西の駐車場に車を停め歩いて避難壕の前の柵のところまで火口に近づける。「有毒ガスが発生しています」と日本語、韓国語、中国語で書かれている。観光客の半分は韓国人か中国人の団体客のようで、ハングルやChineseが私の回りを飛び交っていた。

2006_gw20026Lrg_10088363中岳の火口の写真はすべて私か家内が写っているので、ここはネットから写真を引っ張ってくる。
この2枚が当日我々が「ゾーンB」という、最も火口に近づける立ち入り可能区域から見た阿蘇火口の様子に近い。風が反対側に吹いていたため、硫黄臭いことも、有毒ガス発生のため退避させられる事もなく余裕で写真を撮って来た。

Photo_5この地図の「仙酔峡」まで行きながら一旦阿蘇市に戻って「みんなの森オートキャンプ場」からパノラマラインを抜けて草千里を通って中岳に到達し、帰り道はロープウェー乗り口すぐ下を南下して南阿蘇に向かい、そこから高千穂に戻った。

高千穂もいろいろ見るところがある場所であるが時間も限られているので1カ所だけ回る事にした。そこは「天岩戸神社」。
天照大神がお隠れになったという神話が伝わる「天岩屋」は社殿の裏手の木が生い茂った岩の崖にあるのですが、見学希望者は社務所に申し出て宮司さんに先導され団体行動。写真撮影禁止です。
神社や天安河原(あまのやすがわら)の写真は、「天岩戸神社」←こちらのリンクでご覧になれます。

Photo_6天岩戸神社の入り口近くにある大きな像。岩を抱え上げて鬼の形相をしているのは、須佐之男命、ではなく、スサノオの乱暴に怒って天の岩屋に隠れた天照大神を、天の安河原に集まった百万の神の相談によって芸達者な天鈿女命(アメノウズメノミコト)を岩屋の前で踊らせて宴会を開き、騒ぎに興味を示した天照大神が岩戸を少し開いたところその岩戸を開いて投げ飛ばした手力雄命(タヂカラオノミコト)ということである。神話とはいえ、その話は古くから伝わり、しかもその場所が「ここ」だと示されればそういうこともあったのだろうな〜と思ってしまう。

高千穂峡見物はいずれの機会にとして、夕刻になって来たので今晩宿泊する「やまめの里」のフォレストピアというホテルに急いだ。個別のロッジ風の宿で、食事は「えのはの家」で食べる。
Photo_7Photo_8左の写真は、やまめの塩焼きと天ぷらとご飯とデザートが来る前。やまめの刺身は結構脂がのっていて美味。並んでいるイワナの刺身は少しこりこりした歯ごたえであまり「魚」という感じがしない。
右の写真は「やまめの骨酒」。外気温は20℃台と同じ宮崎県内でも海沿いの日向とは5℃以上も気温が低い。やまめ尽くしの夕食を頂いて、お酒も手伝って川のせせらぎを聞きながら就寝。

盛りだくさんの2日目の紀行文を終える。

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