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2008年7月

2008.07.29

「ロメオとジュリエット」

本日も午後からは脳ドックの予約があり、おかげさまで忙しく、息つく暇のない5時間が過ぎた。
診察(眼底も含む)、頸動脈エコー、レントゲン撮影、検査の詳しい説明は私一人がやっているので結構大変。
技師はMRI検査に集中、こちらは脳MRI 、脳MRA、頚部MRI・MRAと検査項目が多く、一人の受診者だけで1時間20分はかかる。本日は、2回もMRIのコンピュータにシステムエラーが起きてしまい(脳ドックの日に限って!)、やり直しがあったりして時間もかかった。
看護師は、身体測定、採血、心電図、診察介助。受付事務は、問診、誘導、お茶出し、会計とそれぞれの持ち場で皆大変忙しく働いてくれた。

さて、、、
タイトルと関係ない「脳ドック」の事を書いたのには少し訳がある。

先週7/22と本日7/29で6件の脳ドックを実施したが、私なりに脳外科医としての自負もあるので、きちんとした検査をして丁寧で微に入り細に入った説明がしたい。そして検査結果すべてをプリントし、結果を解説し、今後の注意点など指導をし、画像はjpegとDICOMで2枚のCD-Rにして、個別にファイルを作ったりした。これは結構時間もかかり手間もかかる仕事である。脳ドックを謳っている施設すべてがこのような個別ファイル作り、画像のCD-R保存をしているかどうか、知りうる限りではほとんどそのような施設はない。手間と時間がかかるのだ。でもこれを捲まず撓まず続ける事に大きな意味があると考えている。

脳卒中は脳の血管の病気。
血管の病気は生活習慣病など全身性の病気。
日頃の生活が大切。
だから、脳卒中の予防には日頃の生活習慣が大切だという事を、脳のMRIや頚部の超音波エコーや血液検査などを示しながら説明し指導する事には意味があると考えている。この事に時間がかかるのは、脳の手術に時間と手間がかかるくらい大切な事だと思っている。

そして、タイトルの話。
ご存知、シェイクスピアの代表的戯曲。いろいろな形で現代にまで伝えられている。
バレエになったのは2つだが、圧倒的に有名なのはセルゲイ・プロコフィエフ作曲のもの。
今週末8/3(日)に、高松市で開催される全国アマオケフェスティバルのAオケで、このプロコフィエフ作曲の『ロメオとジュリエット』を演奏する。私は第1希望が外れて(?)、ピッコロ正ということになっている。「正」ということは「副」の方がいらっしゃる訳だが、ピッコロ2本でどうするのかな?という思いもある。
バレエ用には全52曲もある。これを「演奏会用組曲」として第1〜3組曲の計20曲にしたものの中から、今回は10曲の抜粋で演奏する。
ピッコロもそれなりに活躍する。しかし、曲によっては、本当に最初からずーーーーっと休みで最後の数小節前に1小節と2拍だけ「シ」の音をピィーと吹く曲もある。pやppの指示だから、「正」一人が吹くことになるはず。となると「副」ピッコロの方は、全く吹かずに休みの曲もあるはず。
出だしは「モンターギュー家とキャピュレット家」。
あのソ○トバ○ク携帯のCFにも使われた「ズンチャ〜、ズンチャ〜」という曲である。
なによりも演奏前から緊張してしまうのは、「ジュリエットの墓の前のロメオ」という曲。組曲では第2番の7曲目である。ホルンやコルネットの咆哮に大太鼓やティンパニの炸裂がある曲が、最後はなんとpppのピッコロと弦だけ。音域からしてもピッコロがとても目立つ。しかも凄く遅いテンポで4小節、つまり16拍のず〜〜っと中音の「ド」だけのロングロングトーン。
音の出だしも緊張するし、音量、音質を変えずに、同じ音を吹くのは、練習では出来ても本番の舞台上で果たして自分に出来るのだろうか、と考えてしまう。

最近は、iPhoneにいれた「ロメジュリ」を、スコアやパート譜を見ながら聴き込み、主要部分の練習もしているので(ピッコロはあまり練習しすぎると右耳が難聴になる)、少しは自信めいたものも出て来たが、とにかく「できるだろうか?」などと考えない事にしている。
そしてこの2週間、ばたばたと行事が多く脳ドックもあり(遊んでもいるが)、余計な事を考える暇もなく、夜は夕飯を食べてちょっと休んだら、もう脳がガス欠になって22時には寝てしまっているので、まだ不安とか心配の心はわき起こって来ていない。
うまく行くかどうかなんて心配しても仕方ない。うまく行かないのが嫌だったら最初からやらなければいい。アマチュアとはいえど、全国から強者が集まって、阪さんの指揮で三浦さんのコンマスで高円宮妃殿下始め聴衆の前で演奏するのだから、厳しい耳、目が注がれるだろう。曲を良く知っている人は、「あそこのピッコロ、大変だよね?」などと心配してくれるが、当の本人は「心配しても仕方ない」と思っている。
フィンダピッコロを2本(グラナディラとパリサンダー)用意して、高音のffを吹く時はグラナディラでその音程に合わせておき、中音以下のpp, pppを吹く時はパリサンダーで音が下がらない様に高めにチューニングしておいて、ステージにも2本持ってあがって演奏するつもりである(あ、ネタばらしちゃった!)。

8/23の山形県民会館での山響定期を振る阪さんの顔を、まともに見れるか、こそこそ隠れなければいけないか、あと5日で決まる。高松には7/31に一旦横浜の実家に泊まって8/1に到着する予定。ということは、出発まであと2日しかない。
練習が足らないけど、なんとかしなくちゃ。
したいな、、、(苦笑)
全国から高松集まるアマオケの皆さん、ピッコロ、見逃して下さい!(笑)

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2008.07.28

土崎港祭り+α

いろいろ行事があり、脳ドックの検査結果整理などの仕事もあって、なかなか記事がアップできません。1週間以上遅れましたが、先週の秋田の旅の続きです。
ーーーーー

7/20(日)、男鹿から秋田は土崎地区の家内の実家へ。20, 21日は『土崎港祭り』です。
Photoまずは土崎神社にお参り。
ちょうど神殿では儀式の最中。名だたる氏子に市長?も揃って、ありがたい獅子舞や祈祷などを受けていました。

そこから、屋台の立ち並ぶメインの通りをぶらぶらしました。外は夕暮れから日没の時間で大分涼しくはなって来ましたが、やはり浴衣に下駄という格好がいいのでしょう。
Photo_2山車は神社から町中を練り歩き、それぞれの町内に行きそこで一晩泊まります。そして2日目の明日、また各町内から戻ってくる「戻りヤマ(山車)」となります。
これはどこの町内の山車でしょう。秋田甚句で踊りを披露していました。

昨年の7/20は確か金曜日だったのであまり人でも多くなかったように記憶していますが、今年はちょうど日曜、祝日に重なった事と、学校によっては夏休みに入ったためか、中学、高校生を始め若い人が多かったように思いました。
ひとしきり歩いて、屋台で焼き鳥、ビール、焼きソバ、などなどを堪能しました。

Photo_4秋田と言えば「ババヘラ」。
最近は、「秘密の県民ショー」などのTV番組でも取り上げられ、県外者にも有名になったようです。実は、「本家本元」のババヘラとそれに似ている(登録商標がない)「パラソルアイス」というのがあります。写真は「パラソル」の方です。でもこちらの方が添加物の少ない、あっさりして美味しさ。おばちゃんによって、アイスを綺麗に盛りつける業に差があるのですが、この人は綺麗なバラ模様に盛りつけてくれました。写真も撮られ慣れているらしく、家内と一緒に撮った別の写真では「ピース」をしてくれました。

PhotoPhoto_2こちらが本家本元のババヘラ。7/21、秋田から酒田への帰路、国道7号線沿いにたくさん出ているのですが、その中から縁あってこの方のところへ。
まだ「ババ」と呼ぶには若い方でしたが、そのせいか、アイス盛りつけの技術は今一歩でしょうか。

土崎の家内の実家の近くには、エチオピアの酋長の娘さんが日本人に嫁いで来られてその後始めたエチオピア料理のお店があり、エチオピアカレーやワニのステーキなどが食べられるのですが、「港祭り」に出店していてお休み(その代わり、屋台でカバブ?を食べましたが)。
Photo_3そこで、7/21の昼食は秋田中央高校の近くにある「一心亭」へ。ここは「ちゃんぽん」が有名。
そう、あの長崎チャンポンです。「皿うどん」もあります。この場合のうどんは、讃岐うどんはもちろん稲庭うどんなどとはまったく違う、細くてカリッと茶色い揚げソバです。とにかく半端ではない位量が多い。
Photo_3写真は「大盛り」です。この1杯を二人で分けて食べましたが十分お腹いっぱいになりました。人気のお店でお客さんはひっきりなし。割と細目の若い女性が二人で、それぞれ「ちゃんぽん」と「皿うどん」を食べているのには驚きました。

ここで家内と話していて、面白いことがありました。
「秋田美人」という言葉ありますが、秋田の女性はたいてい本当に色が白いのです。
九州は宮崎生まれの両親、そのDNAを引き継いだ私は色黒なのですが、私の父なども昨年秋田に来た時に駅前を案内されていて、「秋田の女性はみんな色が白いね〜」と驚きの声を上げていたと後から(私は学会に出ていたので)聞かされました。
「一心亭」では座敷で食事をしていたので、カウンターに座っている女性の腕や足などが見るとはなしに見えてしまうのですが、本当にみな透き通ったように白く、静脈が良く見えるのです。(笑)
女性だけではありません。男性も色が白い人が多い。夏なので短パンにスリッパなど履いていると、足首がヤケに白い男性を何人も見かけました。

私の同級生で皮膚科学の教授をしているドクターがいます。皮膚の色、特にメラニン色素と遺伝子の関係を一つの研究テーマにしているようです。彼の話から類推すると、秋田の人はやはり日本人の中でも特異的にメラニン色素の少ない遺伝子を引き継いだ人が多いと言うことになります。在来の日本人(という人種がいるかどうかは置いておいて)とは明らかに違う遺伝子を持っています。
そして、男鹿のなまはげ。身体は大きく、毛むくじゃらで、髪は縮れ、肌は赤い。これは日本人ではないでしょう。やはり、秋田辺りの東北日本海側にはロシア人を始め、コーケイジャンの血を持った人たちが流れ着き一部は土着してその遺伝子を秋田辺りに残して行ったことが類推されます。

「色の 白いは 七難 隠す」
という言葉があります。色が白ければ、少々造りが良くなくても欠点が隠されて美人に見える、ということでしょうか。「秋田美人」は確かに色白なのです。中には、本当にきょとんとなってしまう程、白い人がいますね。
異国情緒漂う長崎名物のチャンポンを食べながら、秋田でそんな事を考えてしまいました。

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2008.07.25

男鹿半島(写真アップ)

7/20(日)、珍しくドライブスルーで朝マック。
国道7号線を北上して遊佐を抜け秋田県に入る。にかほ市と由利本庄の間まで高速道路(日本海東北道)が出来ている。途中まではまだ「無料供与区間」。
秋田空港から秋田方面に曲がり、秋田市内を抜けて「昭和男鹿IC」で高速を降りる。ここまで順調に来て酒田の自宅から2時間弱。
後は、国道101号をただ男鹿方面へ。家内が中学教師として奉職していた天王を過ぎ、ひたすら入道崎方面へ向かう。
PhotoToudai入道崎灯台に着いたのは午前11時頃。

Nyudozaki5Nyudozaki4まずはゆっくり灯台見学。

灯台からの眺めも絶景。


Nyudozaki3Nyudozaki2Nyudozaki1右端が入道崎の突端。先に見える岩肌は「水島」というらしい。
一応、上の2枚とこの3枚の写真が繋がるようにトリミングしてみたが、どうでしょうか。

灯台資料館も見学。
Photo_2ToudailampTodai2北緯40度のモニュメントなどを見物し、店が建ち並ぶドライブインの方へ。
早めの昼食。
家内はお決まり(?)のいくら丼。
Photo_3Photo_4サザエのつぼ焼きが食べたかった私は冷たい稲庭うどんとサザエ。この「くるりん」が大好きなんです。

食後のデザートに「黒い塩のソフトクリーム」を食べて、今度は「男鹿水族館GAO」へ。入道崎からは20分弱で到着。

さすが連休のGAO。小さい子供連れの家族が目立つ。
まずは順路通りに見学。
Photo_513:30から大水槽の餌付けがあるということで、途中をカットして大水槽へ。
餌付けされている魚が美味しそう。ブリに鯛に、、、(笑)

見物後、再度順路を逆行して白熊の「豪太」君のところへ。
Photo_6先ほど通った時は「あづいよ〜、どけちゃうよ〜」と言わんばかりに建物の日陰でだらしなく寝転がってほとんど動かなかったが、タイミングよく大動物(牛か?)の大腿骨かなにかを飼育係の人に与えられ、それを喜んで中央のプールの中でかぶりついていた。
Photo_7Photo_8「白熊の豪太君」なんて可愛がられているけれど、巨大な肉食動物。人間など一撃で即死するであろうあまり器用とは言えない大きな前足で骨を押さえつけ、骨頭部分にガブリとかぶりつく様は「可愛い」とは言いがたい。ホッキョクグマ(Polar bear)なんだから暑いだろうな〜、気の毒に。

あざらしやペンギンの水槽の前も人気。特にアザラシはなんだか愛嬌のある顔をしていて、水槽をスイィ=っと泳いではきょとんとしたような顔でこちらを見ている様が人気。ペンギンも結構いた。

途中のクラゲの水槽は綺麗ではあるが、クラゲの展示では鶴岡の加茂水族館が一枚も二枚も上である。数も圧倒的に多いし展示法もGAOよりも工夫されている。

水辺の生き物(ウニ、イソギンチャク、なまこ、貝類、等々)の展示では「手で触ってください」という表示に家内は大喜び。ムニュとかフニュという触感の変態、おっと間違い!軟体動物に触れては子供のような表情をしていた。

Photo_9ゆっくり見て回っても2時間くらいで見終わるのだが最後にタイミングよくGAOの入り口のアシカプール前でアシカショー。「ぐぉ〜」というお返事も凛々しいアシカのポンタ君が多彩な芸を披露してくれた。

写真はないけれど、GAOから秋田に戻る際に、日本海側をずっと走る県道59号で天王方面に戻る途中に、通称「ゴジラ岩」と呼ばれる奇岩の横を通った。くねくねした道を比較的ゆっくりのエコドライブで運転し、秋田ポートタワーセリオンまで59号を南下し、土崎地区の家内の実家まで余裕で到着。

少し休んで浴衣に着替えて「土崎港祭り」へ。
つづく。

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2008.07.24

連休とその前後

MacBookが脳死状態なため、夜中に自宅で、こそこそとブログ記事をアップしていた体制が崩れました。
更に、7/22からついに「脳ドック」を始動したため、その準備や何やで忙しく、更に更にいろいろな行事が重なり、ブログアップどころではありませんでした。

ーーー

7/19(土)、夜はアマオケの練習。
11月の定期に向けて、チャイコフスキーのPコンの2楽章とシベリウスの交響曲第2番の2、3楽章の練習。
Pコンの2楽章ははじめの方に素朴で美しいフルートのソロがある。けっこう「おいしい」旋律。練習ではそんなに緊張せずに吹く事ができるけど実際はどうなのだろう。。。

7/20(日)、21(月・休)は、家内の実家のある秋田は土崎の港祭り(去年の祭りの記事は、「秋田その1『土崎港祭り』」をご覧ください)に合わせて、超・超久しぶりに「男鹿」に行ってみた。
入道崎に「男鹿水族館」GAOで楽しんで来た。
祭りも楽しかった。

そして7/22(火)の午後はうちのクリニックで初めての脳ドック。しかも予約が3名(うち2名はフルコース(一人2時間半はかかる)のAコース受診)はいっていたので、朝から夜までほとんど休みを取る間もなく(昼食の30分くらい休憩したが)仕事をした。ありがたい事である。
そして気がついたら、7/23が終わり、7/24も終わろうとしている。

秋田旅行などの写真はあらためて明日以降アップする事にする。
今日は午後休診の木曜日であったが、院内で勉強会があり、それが終わった午後2時からスポーツジムに行って久しぶりに大量の汗を流し(でも最近の運動不足がたたって体重は増えている)、その後クリニックに戻り、ピッコロの練習をした。

8月の1,2,3日と、香川県高松市に行く。
昨年、酒田で開催したJAO全国アマチュアオーケストラ連盟のフェスティバルに参加するためである。
去年のJAO酒田大会の記事は、こちら→「JAO酒田大会最終日」をはじめ7〜8個の記事を書いている。
去年は開催地運営側として裏方に徹したため、私はなんの演奏にも参加していない。すべてサポートだけだった。今年はオケに参加する。
Aオケ(指揮は、山響客演指揮者でもある阪さん、コンマスは昨年もお世話になった三浦章広さん)のプロコフィエフ作曲「ロメオとジュリエット」から抜粋10曲、である。
ピッコロは、はっきりいって非常に出番が少ない。
待って、待って、待って、待って、待って、待って、待って、、、p(ピアノ)で「ピィ〜」と1、2小節吹くだけ、なんて部分もある。だけど待っている間寝ている訳には行かない。しかも、ピッコロで小さなかつ安定した音を、静まり返った大人数オケの中で吹くのは相当緊張しそうである。

なによりも、本番まであと10日と迫りながら(初リハの8/1まではあと1週間だ!!!)、まだきちんと通して練習していなかった。プロコのロメジュリは、全音のスコアでは第1, 2, 3組曲と3冊に分かれていて全部で20曲ある。今日初めて(今頃かい?!(怒)との声が聞こえそうであるが)、ピッコロのパート譜とスコアを見比べながらCDで全曲を聴いてみた。チェックを入れながら、ピッコロの出番の前の演奏しているパートや特徴などを確認して、楽譜に書き込みながら、時々ピッコロで音を出しながら戻ったり進んだりしながらやっていたらたっぷり3時間以上かかってしまった。
まだまだ復習しなければ消化しきれていない。
今頃!であるが、とにかくやるしかない。
6/28のサロンコンサート第2回が終了して、オケの定期の練習、脳ドックの準備、その他いろいろしていたら、あっという間に7月もあと1週間なのである。

ということで、旅の記録は、明日以降に、乞うご期待、、、というところで。

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2008.07.19

Macの焼きもち?

7/11, iPhoneを手にして浮かれていたのだが、7/13の夜遅くから7/14の深夜にかけて、最も頻用しているMacBookが脳卒中に中ってしまったらしく、昏睡状態に陥って(HDが停まって再起動も効かない)しまった。
すぐに緊急入院させたいところだが、近くに脳外の救急病院(Macを扱えるパソコンショップ)がないため昔ながらの脳卒中の対応に従い(動かさず安静に寝かせておく)、慌てず一晩待った。脳外科専門医(マックを修理できる専門家)がいないので、まず総合診療医(インストールCD)による蘇生処置・意識改善を期待して治療(インストールCDによる再起動とDiskFirstAidによるHDの修復)を試みた。
しかし、やはり脳外科専門医でなければ助けられないようである。まだ死亡宣告はしていないが、ほぼ脳死に近い状態(再起動をかけてもHDが動かない、他のマックに接続してMacBookを外部HD扱いにする操作をしてもデスクトップに現れない=無反応)で、7/15からはほとんど動かしてもいない。

人間と違って、何らかの方法でHDを蘇らせる可能性は0ではないが、期待は薄い。外付けHDにバックアップしていたのは確か昨年の暮れ頃で、この半年から少なくとも数ヶ月のバックアップデータがない。こうなったら、脳外科常勤のいる病院(仙台のアップルストア)か、より高度な治療の行える設備の整った病院(Appleの工場)に送るしかなさそうである。

iPhoneの方は使用報告に書いているように、これでメールを打つ気にはなれない。あまりにも反応の遅い「日本語変換機能」にはもはや諦めの境地である。愛用のMacBookはまだ購入してから1年半くらいで、脳死に陥る程重症な脳卒中になるとは思えなかったのであるが、iPhoneに夢中になった私に対する嫉妬なのであろうか?(苦笑)

そんなことで、ノートブックを失った(しばらく使わずにしまってある古いPowerBookやiBookは起動もしていない、一度高速の環境になれMacOS Xに慣れたら昔には戻れない)環境のまま、デスクトップでの仕事が中心となった。そうすると、夜中にブログを書くとか、思いついた時にすぐパソコンを開いて何か仕事をするという状況ではなくなった。いいことなのか、悪い事なのか、、、

そこで数日たまっていた写真などをアップしよう。
Photoまずは、フラウト・トラベルソを吹く「王子様」とチェンバロを弾く「お姫様」の人形。
この写真は、ムラマツフルートの会員に送られてくる雑誌「季刊ムラマツ」の100号記念で7月初めに送られて来た、特別付録。「季刊ムラマツ」の表紙は必ず世界中の笛を吹く人形の写真が大きく載っている。過去90数回の表紙の中から人気の高かった10枚をはがきサイズの写真にして、付録でついて来たもの。
笛を吹く「王子様」にチェンバロを弾く「お姫様」なんて、まるでどこかの夫婦のようではないか。(笑)。

先日、家内だけ希望ホールに歌舞伎を見に行った。私も興味がない訳ではなかったが、平日の夜なので仕事は早く終わっても18:30。
Photo_2今回は諦めた代わりに久しぶりに一人で豪勢な外食でもしてやろう、と前から気になっていた7号線沿いの「北京飯店」(先日iPhoneを購入したSBのお店の隣)に行ってみた。中国出身の夫婦がやっているらしく、本格的な中国料理のコックさんが作る料理、特に「北京ダック」など売りのようである。
Photo_3写真は、XO醤(ジャン)のレタスチャーハンと噂の北京ダック。
チャーハンは日本人好みのパラパラ感には乏しいが、味付けは抜群である。そして一皿1280円(ちょっと前までは1110円)の「北京ダック」。ダックは大きめで分厚い切れが入っていて、ちょっと濃いめの味付けだがとても美味しい。片言の日本語を話す奥さん(?)に、「とても美味しい」「素晴らしい」と賛辞を送ったら「北京、行ったこど、あるか?」とニコニコと話しかけられた。「この味、わかるは、中国、本場の味、知ってる、ね」というので、実家が横浜なので中華街には何度も行ったと話したら、「ああ、中華街、そうですか」とニコニコと答えてくれた。近いうちにまた来たい。


今日はとても暑かった。
家内が冷たいラーメンを食べたいというので、文房具も見る予定があったので、丸五文房具屋さん近くの中町のそば屋「川柳」に久しぶりに行ってみた。
Photo_4いつも混んでいる人気店だが、午後2時を回っていたのでお客は4名程度。
写真の右寄りに、この店を絶賛した椎名誠の写真や色紙などが貼られている。
「ここのワンタンはまるで雲を呑むが如き柔らかさ」と椎名誠が表現したらしい。ちなみに「ワンタン」は漢字では「雲呑」と書くのである。

Photo_5Photo_6左が、蒸し暑い夏にぴったりの「冷たいラーメン」。「冷やし中華」とは全く違う。普通のラーメンのスープも具もみんな冷え冷えのやつ。脂が固まらないように日本蕎麦のような出汁中心のあっさりしたスープが特徴で、胡麻のアクセントが効いている。
しかし、王道はやはり右の「ワンタンメン」。豚肉の具が入った雲呑がゴロゴロごろごろ入っていて、掬って食べているとそこの方からまた雲呑が現れる。「あれ?まだイラッシャったんですか?」と思わず敬語を使ってしまいそうな雲呑達。麺もうまいがあっさりした酒田ラーメン系醤油味のスープは蒸し暑い夏でも思わず全部飲み干してしまう。
ああ、久しぶりにうまいラーメンを食ったなぁ。先日サロンコンサート第2回で演奏してくださった「てんしさま」こと上坂氏ならきっと絶賛するだろうなぁ。来年、お待ちしていますよ!

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2008.07.16

iPhone発売5日の状況

7/11に世界21カ国で発売が開始されたiPhone 3G。
発売日からの金土日の3日間で世界で100万台売れたのだそうです。
「iPhone 3Gの販売台数」(Apple)
Appleのファン、Macユーザーにはご同慶の至りです。

1970年代、カリフォルニアのガレージで産声を上げたApple computer。常に先進的なコンピュータを提供してきましたが、どちらかというとそのクリエイティブな思想はコンピュータ屋さんや技術屋さんよりも、イラストレイター、グラフィック・デザイナー、ミュージシャン、作曲家に愛されてきました。確か、YMOも冨田勲も使っていました。
しかし、マーケティング力や販売能力でMicrosoftなど他社に遅れをとり、一時は「倒産」との噂もありました。1992年からマックユーザーになった私(それ以前は、NECのPC-8001と9801、いわゆるBasicとMS-DOSの世界でした)。これまで個人で所有したMacは、ノートブック型が5台、デスクトップ型が4台、そして今、医院には計8台のデスクトップ型マックがあります。Mac evangelistを名乗るほどではありませんが、そこそこにApple社には貢献して来たと言えるでしょう。
世の中はソフトの安さ、流通性、互換性、会社単位での納入数や大病院での電子カルテなどの大型システムとしてのシェアからWindowが主流になりました。アメリカだけではなく日本でもWindowsマシンの攻勢の中、Macのシェアは低く、一部医学部の医者や研究者には愛用される傾向がありました。学会でのプレゼンに使う、文字の美しさと多様さ、さらに手術ヴィデオなどを編集してプレゼンするのに便利なソフトと機能は、Appleに一日の長がありました。しかし、最近では医学部の学生もほとんどWindowsのノートブックを持っていて、医学部の授業でも情報処理関係の講義もWindowsマシンで行われる様になり、密かに悲しんでいました。
いえ、逆に、マックの良さがわからない「可哀想なWindowsユーザー」と心の奥で哀れみの心を持ってすらいました。

一時のMacのコンピュータは、デザインが優れている、価格がやや高い、先進的な機能、遊び心に溢れているけれどビジネスの世界には必ずしも必要ない、よく止まる、よく落ちる、よく「再起動」が必要になる、、、という感じでした。
数年前くらい、MacのOSが9になってからは安定性が高くなり、滅手に「じゃ〜〜〜ン!」(再起動の音)を聞く事もなくなり、OS10になってからの安定性、高速性は目を見張るものがありました。

うちの医院にPACS(MRIなどの医用画像をフィルムに出力せず、コンピュータ画面に出力し管理し保存するシステム)用として導入したMacのOSは今や最新の10.5.4。診察室にあるメインのマシンは、2x2.8GHz Quad-Core Intel XeonというCPUに、4GB 800MHz DDR2 FB-DIMMのメイン、グラフィック専用ボードを積み、HDも400GBという、昔から見れば「スーパーコンピュータ」並かそれ以上のパワフルなマシンです。これに30"のシネマ・ディスプレイを接続したシステムは、そんじょそこらの大病院のPACSにも負けません。胸部レントゲン写真は、ディスプレイ上でほぼ実物大で表示出来ます。このパワーに相当するシステムをWindowsマシンで組んだら相当高額になると思います。いえ、現時点では追いつけないのではないでしょうか?

倒産を心配するほどだった「小」コンピュータ開発会社が(そんなに小さかった訳ではありませんが、巨人であるMSに比べてと言う意味)いつのまにこんな器械を安定して供給する会社になったのでしょう。会社内部での大きな変革があった事は言う間でもありません。
どんなに頑張ってもパソコンのシェアではWindowsには遠く及ばなかったのが、大きな展開を見せたのはやはり「iPod」だったと思います。
初代iPod(2001年発表)は、HDも5GBしかなくポピュラー音楽なら1000曲もはいるかどうか。しかもMac専用。
しかし、今までにないユニークな携帯音楽端末は市民に受け入れられ、直ぐにWindows対応kが発表され爆発的ヒットとなります。
第2世代(2G)iPodは更に革命的。タッチホイールと呼ばれる、指で触ってなぞって動かすタッチセンサーを採用し、小型大容量化されたHDの採用と相まって、10GB, 20GBという容量が増えしかも価格が下がりさらに広まる結果となりました。その後、3G,4Gと矢継ぎ早に後継機種が登場し、カラーで写真も、そして動画も扱えるiPodとなり、今は6G iPodは、最大160GBのHD容量を持ち薄型になり価格も最初に比べれば安くなりました。大容量高性能化と同時に、iPod mini, iPod nanoと、ポケットからシャツの襟元などに留めて使えるほど小型軽量化も進み、音楽を常に携帯した若者を中心に幅広く受け入れられました。
と同時に、iTunesというアプリケーションを開発し、現在ver. 7.7まで来ていますが、CDなどから読み込んで管理し自分で好きなプレイリストを作ってそれをiPodで持ち歩いたり、Diskに焼いたりする事はもちろんの事、iTunes Storeというネット上の世界最大音楽DLサイトを構築して、クリック一発で最新のポップスや復刻版の戦前のモノラル録音の交響曲がDLできるようになったため、iPodの利便性は更に拡大しまいした。私でさえ、4GのiPodカラー40GBで約4000曲の音楽を持ち歩きます。中にはオペラ『ラ・ボエーム』のように、一つの音楽としてCD2枚分の曲もありますが、楽々一発で呼び出して、「今日は3幕目から聴こう」などということが容易に出来るのです。

そういった、iPodとiTunesという下地が出来上がっての今回のiPhone 3Gの発売。
カメラ付き携帯電話機能を持つ小型パソコン+iPodというべきものであり、「携帯電話」「PDA」「携帯音楽端末」のすべてが一つになったものと言える。最新の他社の携帯電話に及ばないのは、カメラ機能が弱い(解像度が低く、動画もとれない)、お財布ケータイ機能がない、ワンセグ機能がないという点。その結果、そういった機能はDoCoMoなど他社携帯を持ち、PDA+iPodとして(つまり電話機能はなくても良いのか?)iPhone 3Gに期待する点が多いという人が多い様な気がする(かくいう私がその一人)。

購入して5日経った使用感想としては、、、
1)薄くてそれほど重くないのでシャツのポケットに入れられるが既に2回ほどかがんだ際に床に落とした(痛!)
2)日本語入力機能は、前回使用した単語、頻用する単語がスムーズに出てくる点は評価出来るが、タッチパネルの文字が小さくミスタッチが多い(私は日本語入力も、平仮名からの選択よりはパソコンの様にローマ字漢字変換の方が慣れているが、「S」に触ったつもりで隣の「A」が選択されてしまいdelキーで戻る事が多い。指の太い人、体の大きな米国人などがスムーズに扱えるのだろうか?)
3)MobileMeを使った、複数のMac上の情報(カレンダー、メール、Web、写真などなど)をiPhoneで同時に最新情報で管理出来るのは素晴らしい!予定、予約など診察室のMacProで書き込み、院長室のiMacで確認し、自宅でiPhoneで再チェックができる。「こうなったらいいな〜」という夢が叶ったという感じである。
4)GPS機能は、使っている場所が悪いのか、あまり反応が良くない、というかアクセスして結果が出るのに時間がかかる
5)App Storeは素晴らしい!
最初は、「なんだこんなもの、、、」と思っていたが、「無料」アプリの「トップ25」というDL数の高いアプリケーションからいくつかDLした。
「Navitime」では、出発地から目的地まで、JR他の鉄道、バス、車など道路、飛行機、船などのあらゆる可能性のある経路での出発時刻、所用時刻、到着時刻、所用料金などがすぐにわかる。いろいろ使い道がありそうだ。
「PhoneSaber」:これはスターウォーズのルーク・スカイウォーカーが戦う時に「ブ〜ン、ブゥン」という音ともに振り回すあれである。iPhoneが剣になる訳ではないが重力センサーのおかげか、掌に持ったiPhoneをゆっくり回したり激しく動かしたり相手と戦う様に振り回すとそれらしい音が出る。バカバカしいといってしまえばそれまでだが、アメリカ人の作になるアプリらしいが素晴らしいと思う。遊びに域を超えている。
「通貨コンバーター」まだ使っていないが、主要海外に出かけた時に役立ちそう。
「NYTimes」;あのNY Timesをフリーで読めるらしい。アプリをDLしたのだがアクセス環境が悪いのか、「ロード中」の状態でくるくる回っているだけでまだNYTの記事は読めていない。
6)3.5"ディスプレイはover45にはきつい。先日、5○才になった私には、いくらSafariが使いやすく、いくらMobileMeでMac上のSafariの「お気に入り」リストがすぐ手に入って、気に入ったブログやHPが見られると言っても、字が小さい。2本指で画面をズームアップ・ダウンする優れたタッチセンサーも、あまり文字を大きくすれば見られる範囲が狭まるため読みにくい。やはり30代までが愛用する機能なのかな、、、(笑)
7)ビジネスマンでも投資家でもないから、「株価」は1回見ただけで後は使わない。
8)お天気も便利な機能だが、回りにたくさんMacがある環境ではまずパソコン画面でwebは確認する。
9)時計、計算機、メモの機能は使えると思うがまだ使っていない。
10)YouTubeは、夜中にイアフォンを耳に、こっそりいろんな動画を見る楽しみが増えた。(苦笑)

あまりにも機能が多くて、まだまだ使い切れていないのでとりあえず5日目の状況はこの辺で。
それよりHDがご臨終してしまった様な(インストールCDで立ち上げようとしても駄目、DiskFirstAidで修復不能!と宣告された)MacBookをどうするかである。
もっともつかっていたパソコンがこのMacBookなので一部バックアップされていないデータがあり困ったものである。パソコン(この場合はHD)などのデータは、何かの拍子に全部消えてなくなる事があるのは知っていたつもりであるが、医院のPACSほどには厳重なバックアップ体制を取っていなかったため回復が難しそうである。

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2008.07.14

山響定期を聴く(2)

MacBookが昨晩、突然空回りを始め、再起動をかけても昏睡状態で起きてくれません。
というわけで、書きかけの文章は消えてしまいましたが、あらためて冷静に感想を書こうと思います。

1曲目のレズニチェクの歌劇「ドンナ・ディアナ」序曲。
スリリングな演奏でした。面白い曲だな〜と思っていましたが、賑やかにずんちゃかずんちゃかやっているうちにあっという間に終わってしまいました。私にはよくわからない曲でした。

2曲目のチャイコフスキーのバイオリン協奏曲。ソリストは一昨年も山響と演奏された川久保賜紀さん。あの時は、ブルッフの協奏曲。今回はバルトークの予定だったのだが、直前まで体調を崩して入院治療を受けられていた(ドイツで)そうで、十分な準備ができなかったので、演奏をキャンセルしない代わりに曲目をこれまでに何度も引き込んでいるチャイコに変更された。
病み上がりという先入観からか、細身の体が更に細くなった様な印象があったが、演奏は天から聞こえてくる様なハーモニクスの超高音から鬼気迫る様な低音まで、幅広いダイナミクスと音域の曲を弓の自在な操作で自由に演奏されていた。素晴らしい演奏だった。

そして、昨日(アップしたのは今日の深夜になってしまったが)の記事にも書いた様に3曲目の「悲愴」。
これは昨年11月に酒田フィル定期でも演奏し、私はフルートトップを吹かせていただいた。そのため、演奏を聴きながらも目の前にはフルートの楽譜が現れ、心の中では足達先生と一緒に吹いてしまっていた。ブレスを足達先生と一緒に取る様な状態で飯森さんの指揮に観客席にいる私も操られた。
1楽章の憂鬱や爆発、静けさと荒々しさ、2楽章のワルツ、しかし3拍子ではなく5拍子。一見明るい舞踏の様に見せながら、さっと振り向くと沈鬱な、抑制された不満がわき上がるのを必死でおさえる様な揺れる感情をみせる。3楽章のマーチ。しかし、軍隊の行進曲ではなくチャイコフスキーの頭の中でいろいろな感情があふれている様な、抑制の利かない、理性的ではないもつれ暴れる心。
そして、ついに悲しみをこらえ、乗り越えようとして乗り越えられずに死をむかえる4楽章。
バイオリンに多少の乱れがあったか?と感じたけれど、キチッと揃った安全運転の演奏ではなく、暴れる感情を押さつける際に生じるがごとき乱れというのはこの曲が持つ特徴そのものとも言える。
いつもの様に管楽器は素晴らしい。特にファゴットの高橋あけみさんとクラの牧さん、そしてトロンボーン隊、中でもバストロの咆哮にはノックアウト。トランペット、ホルン、オーボエ、フルート&ピッコロ、そして打楽器隊も素晴らしかったが、やはりトロンボーンとチューバの大活躍するこの曲ではBravoはバストロ&チューバに送りたい。

昨年の酒フィルの演奏はおいておいて、今年1月のカラヤン生誕100周年の小澤征爾指揮ベルフィルの「悲愴」。そして先日の酒田での小澤征爾指揮新日フィルでの「悲愴」。曲が素晴らしいので、どの演奏も素晴らしいのは間違いなく、いずれの演奏も魅力的であったが、10型の小編成で挑んだ今回の山響の「悲愴」が最も迫力があったのはなぜなのだろう。管の編成からすれば「14型」ぐらいが普通なのだが、コントラバスはたったの4本の「悲愴」。ビオラは3プルトの6人4プルト8人だった。
飯森さんの解釈なのであろうが、楽章の中で、ドラマチックに変化する部分では、キチっと切って、場面を変える。
精神を病んだチャイコフスキーが楽譜に書いた「ppppp」=ピアニッシッシッシッシモ。
物理的には演奏不可能とすら考えられるのだが、それは解釈の問題。1楽章でクラのppppからファゴットが受け継ぐところなどは、いくらでも小さな音が出せる一枚リードのクラに比べて極小音の出しにくい二枚リードのファゴットを使わず、セカンドクラが「バスクラ」に持ち替えて演奏する事も多い。今回、飯森さんは譜面の指示通りファゴットに吹かせた。しかも「p」位の「大きな」音で。驚きだったが新鮮な感じだった。pppかppppの指示のはずの下降音を高橋さんは飯森さんの指揮に従ってゆっくり、はっきり発音していた。そして一旦静止。沈黙。そして爆発!
こういう場面の切り替えや味付けはさすが飯森さんといったところ。
全楽章について細かく語りたいが、語るだけの知識や能力がないのでこれくらいにしておく。
でもやはり4楽章。
全楽器の演奏からドラの音を合図に天上の音楽、神のお迎えか。そして次第に楽器が減って行き、管は誰も演奏せず、バイオリンが演奏を終え、ビオラが演奏を終え、チェロが演奏を終え、そして1楽章の最初と同じくコントラバスだけになって終わる。。。

こんな感動的な音楽を、生で、生きている間に何回聞けるのだろうか。日曜日に酒田から車を飛ばして来てよかった。やはり飯森さんは素晴らしい!それに応える山響は本当にBravo!である。
酒田に移り住んだため年間通しての定期会員ではなくなった(庄内定期があるので)。今回のチケットを買う際に私が考えたのは、「悲愴」と飯森さんの指揮。コントラバスとファゴットから始まり、コントラバスで終わる。最後は、コントラバスを操りながら一緒に死を迎える様な指揮をされるはず。上手(かみて)のバルコニー席ならその表情をつぶさに見られるだろう、そう思って席を予約した。
その狙い通り、1楽章でビオラに指示を出す顔、終楽章でコントラバスだけを指揮する顔。飯森さんの表情は、苦悩に満ちた、悲しみをこらえ耐えようとするチャイコフスキーの顔だった。その表情を見ただけで引きずり込まれる。山響の団員が飯森さんの指揮に揺り動かされ魂の演奏をするのも当然という感じがした。
演奏終了後、ファゴットの高橋さんやオーボエの齋藤さんは、汗を拭いていらしたのだろうか、それとも涙を拭っていたのだろうか。クラの牧さんは汗を拭いていたのだろうか、やはり涙だったのだろうか。
今回の第2バイオリンには客演首席として都響OBの平尾さんが乗っていらした。3月の酒田でのオペラ「ラ・ボエーム」でコンミスの神谷さんの後ろ、2プルを務めてくださった平尾さん。今度8月には、酒田で開催する山形県アマチュアオケ連盟の行事でアンサンブルの指導をしてくださることになっている。ご挨拶したかったけど楽屋までは行けなかった。

Photo_2終演後のロビーでは、多くの観客が興奮した面持ちで、飯森さんと川久保さんのインタビューを聞いていたが、私はバストロのTさんやコンミス犬伏さん、他多くの演奏者に賞賛と挨拶のためいろいろな人と話をしていたためほとんどインタビューは聞いていなかった。
2年前に演奏会終了後ロビーで一緒に写真に納まっていただいた時にはジーンズ姿だった川久保さんだが、今回は夏らしい涼しげなワンピースを着ておられ、近くで拝見するとご病気は感じさせない雰囲気だった。しっかり回復されたのなら良いのだが。

今回の演奏会は、YBCがこの秋(11月?)に放送予定の飯森さんのドキュメンタリー番組の取材も入っていた。ステージのチューバの脇には「飯森カメラ」とも言うべき小型HiVカメラが設置され、2階席後方からもテレビカメラがシューティングしていた。そして終演後のロビーでYBCの青山アナと金本アナにお会いした。金本美紀さんは、先週1週間(7/7〜7/11)、朝のYBCラヂオ番組に出演した私のお相手をしてくださった方。先日のお礼を言うため挨拶をしたら、取材を受けてしまった。まだ音楽に興奮していたので何をどうしゃべったか良く覚えていないが、チャイコフスキーは凄い、山響は凄い、飯森さんはやはり凄い、ということを言った様な気がする。酒田に向かって車を運転する帰路で、「変な事言わなかったかな〜。番組に使われたらどうしよう〜」などと急に心配になった。

今回の演奏会は、早速本日の山形新聞のネットニュースにも記事が掲載されていた。こちら→。
山形新聞ニュース「迫真の演奏に盛んな拍手」

本日のおまけ。
昨日は朝7時に酒田を出発。県の運転免許センターで「2時間」の講習を受けさせて頂きました。
目出たく免許を更新(普通運転免許ではなく、「中型(限定)」となっている、2年前からこうなったらしい)。コンサートまで時間があるので、七日町商店街や駅前をふらつき歩いていた家内を拾って、上町の「竹ふく」へ。
Photo_3山形の蕎麦というと、太めで固い板蕎麦が典型的なのだろうが、私は東原町の「梅そば」やこの「竹ふく」、天童の「やま竹」のような、一番粉の細麺や更級系も大好きです。
板蕎麦は「蕎麦を噛んで食べる」感じがするのだが、こういった細麺は「啜って喉で味わう」感じがする。今日は「免許更新&山響久しぶりに山形で聴きます」記念にちょっと豪勢に二色天せいろ。お蕎麦ともう一つは青じそ切り。ほのかな青じその香りと爽やかな味が美味しかった。

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第190回山響定期を聴く(1)

まだ少し気持ちが高ぶっていますが、身体は疲れてだるい感じがします。両側の胸鎖乳突筋(きょうさにゅうとつきん)が凝った感じがします。
日曜日に運転免許証を更新する為に天童市の山形県免許センターに朝9時頃までに行く為に、日曜日に早起きして7時過ぎに酒田を出たから、だけではありません。運転免許更新に合わせて日曜日のマチネの山響定期を久しぶりの山形テルサで聴いて、1時間半の道のりを運転して帰って来たから、という理由だけでもありません。

今日の山響定期、3つの演目とも熱演でしたが、やはりチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」の演奏が凄かった。飯森さんの渾身の指揮、身体から迸り出るオーラ、悲しみや苦しさを表現し尽くした顔の表情、それに反応して魂を込めた演奏をする山響。終楽章のコントラバスのアルコとピッチカートによる、弱って消えいくチャイコフスキーの呼吸と心拍。
そして迎える静かな死。
静寂。。。
飯森さんの両手は、そのまま動かない。決して幸せに満ちた死を迎えた訳ではない、苦悩に満ちた死。しかし、この世の生から離れる事によって、この世の苦しみからも解き放たれたかの様な静寂。
観客も、息をする音すら出す事が憚られる様な無音の世界が生まれ、思わず涙が出そうになりました。
そして、10数秒間の(計った訳ではないので時間はわかりませんが)静寂の後、飯森さんの両手から力が抜けてゆっくり降り始め、パラパラと拍手。観客は我に帰り、「ああ、拍手、、、そうだ、拍手、、、」と言う感じで拍手。

(残念ながら、この後を書いていたら愛用のパソコンが昏睡状態に落ち入ってしまいました。この行はiPhoneで書いています。ほとんど書き終わっていたのでがっかりです。復活はいつになるのか?不明です。)

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2008.07.13

新しいおもちゃの実力

「iPhone狂騒曲」は、一部の過熱したマニアを除き早くもインターネットのニュースソースから姿を消しつつある。本国米国での販売状況はどうなっているのだろう。NYのApple販売店では、なんと1週間前から行列ができているという報道もあったがその後はどうなっているのだろう。

インターネットのwebブラウジングやメール機能も便利なのだが、自宅でも医院でもノートブックでの無線LAN環境を構築しているので、わざわざ画面の小さな操作しにくいiPhoneを使う必要性は高くない。Macなどのパソコンと接続して充電しながらデータをシンクロさせる機能はまだ使いこなせていないが、まずはiCalというカレンダー・スケジュール管理のデータを共有出来る様になった。
その他、iPhotoで管理している写真、iTunesで管理している音楽もiPhoneで管理出来る様になった。ただ、今回購入したiPhoneはハードディスク容量が16GBと大きな方ではあるが、iPodの40GBなどに比べて容量不足は否めない。私のMacBookのiTunesで管理している約4000曲、24GBのデータは全部は移せないため、新たにプレイリストを作って最近のお気に入りだけ(シベリウスの交響曲2番とかチャイコのPコン1番とか、今年の定期の曲など)移すに留まった。iPhotoの写真も2000枚を超えるMacBook内のデータから1000枚程度を移動するに留まった。
携帯音楽プレイヤー(ほぼ=iPod)としてのiPhoneは、やはり「柄の大きな、容量の少ないiPod」という第一印象通りだったが、iTunesが標準装備されているので、そのまま音楽データを購入しDL出来る訳である。これは便利な機能なのだろうか?レコードの時代からCD時代になり、いまやmp3データDLの時代。購入したディスクの保管や整理に悩む事なく、胸ポケットからさっと取り出せるiPhoneでいつでも好きな時に好みの曲を検索して購入DL出来る訳であるが、はっきりいって私にはこの機能はなくてもよい。有料の楽曲DLなのだから、本当に必要なものを選んでDLするのだが、Amazonで欲しいCDを選択して送ってもらう方が私は好みである。ディスクに付随するノートやアーティストの紹介、写真なども私には必要なもの。そういうものは一切いらない。音楽だけ持ち歩ければいいという人には合っているかもしれない。

トップ画面から使える機能のうち、「株価」チェックは私には不要であるが、ビジネスマン、株を持っている投資家などには必須なのだろう。
YouTubeも面白い機能であるが、普段から特に使っていないので、あらためて「ああ、こんなことが出来るんだ〜」という程度の感想に留まる。
面白い機能は「マップ」。これはいわゆるGoogle MapとGPSの連動で、「今、自分がいる所が地図上に表示される」機能である。また、出発地と目的地を入力するとカーナビのように「経路」を示してくれる。初めての土地に行くとき、誰かと一緒にどこかに行ってちょっとはぐれてしまった時などに役に立つだろう。実際に(土地勘鋭い)自分にとって役に立つのかどうかはまだ不明。

15年以上のマックユーザーで、「.Mac」アカウントを所有している自分にとっては、複数台所有するマックのデスクトップパソコンやノートブックとのデータ共有機能に最も期待を持っている。この「.Mac」はいつの間にか(自分が知らなかっただけだが)「MobileMe」というものに変わっているのだが、まだこの機能を使っていないのでこれからの課題。

「カメラ付き携帯電話」としての機能は?
Photo本日のお昼ご飯は、最上川を渡って土門拳記念館に行く途中の錦町にあるインドカレーの店「シタ」のランチセット。今日のカレーは「鶏肉と野菜のカレー」。私は少し辛目にしてもらった。慣れるまでは口の中が痛いと思う程辛かった。この写真は、iPhoneのカメラ(2Mピクセル)で撮ったもの。安物デジカメ(デジ一に対して私が勝手に使っている言葉)でも10Mピクセルくらいあるのが普通の昨今なので、やはり色合いやシャープさなど見劣りする。ただ、ちょっとした記録に写真を撮る分には十分だろう。面白いのは、「その写真をどこで撮ったのか」というタグが前記GPS機能を搭載しているため可能である。
近頃の携帯カメラでは標準装備である「動画」撮影は出来ないが、有料DLのAppStoreに動画を撮るアプリがあるらしい。私には必要ないけど。
iPhoneは普通の携帯電話の様な「キー」がないため、画面全体がキー入力に換わったり、静止画、動画面に切り替えられる。そのため3.5"の動画モニターとしての機能は優れている。それなのに「ワンセグ」を搭載していないので、テレビを観たいという人は他のワンセグ携帯電話を購入した方が良い。

Photo_2ちょっと汚い写真で申し訳ないが、これもiPhoneのカメラで撮ったもの。知り合いが遊佐の日光川で解禁になった鮎を釣って来たもの。塩焼きで頂いた。できるだけその美しい姿を崩さない様に、と骨を抜く様に身を外してみたのでそれを撮ったものである(食する前の写真がないのは、、、トホホ)。

おまけの話。
Photo_3これはLUMIX10Mピクセルデジカメで撮った、宮崎は日向産のマンゴー。有名な「太陽のタマゴ」ではないが、負けず劣らず香りも良くとても甘くて美味しかった。
寒河江の知人のサクランボを、今年は全国の家族、親類などに14kg送った。宮崎の親類から、そのお礼にマンゴーが届いた訳である。宮崎県の東国原知事と山形県の齋藤知事が、両県の農産物、フルーツなどを一緒に販売するコラボをやっているらしいが、うちでは「サクランボを送ってお返しにマンゴー」という状態。これも一種のコラボなのか。
写真の話だった。
iPhotoの写真は、ブログにアップする前に少々レタッチし、解像度は変えずサイズを少し小さくした。
デジカメの写真は、解像度を180dpiから72dpiに落としサイズも小さくして、ファイルサイズとしては10分の1以下に縮小されている。それを考慮するとiPhoneのカメラ機能は、国産のカメラ付き携帯に比べるとやや見劣りすると言わざるを得ないだろう。

関係ない話だが、今年の夏は、JAO高松大会に参加するため、中学時代を過ごした香川県高松市に26年振りに訪問するし、両親の故郷である宮崎に法事の為、10数年振りに訪れる予定。
楽しみだが大層な旅費がかかる。今年の夏は海外旅行を計画している人にとっては「燃料サーチャージ」がかかり、ヨーロッパ片道では5~6万円も上乗せ料金がかかるらしい。
全ては原油価格高騰が原因であるが、あわせて小麦、野菜などの食料価格の高騰も街のそこここに影を落としている。以前、このブログで紹介した、近所に出来たばかりのカレー屋さん「スパイス・マジック・インディアン・レストラン」が閉店してしまった。私の医院と同じ通りにあるのだが、やや目立たない場所で、旧喫茶店の店舗を改装したものだった。何度か訪れたが客は少なくあまり知られていないようだった。味は保証するのだが、必ずしも本格的なカレーが好まれるとは限らない。しかも、酒田には日本海総合病院の近くに日本人がやっている「ナーランダー」というおいしいカレー屋さんがあり、上記写真のインド人がやっている「シタ」というお店がある。
油、小麦、ガスなどの燃料が高騰してお店の経営がうまく行かなくなったのだろうが(「スパイス、、、」は酒田市内にもう一店舗あるし、山形市に確か二店舗あるはず)、「シタ」は駐車場も一杯。若いカップルや子連れの家族、女性のグループなど多くの客で賑わっていた。何が違ったのだろうか。
燃料と材料費の高騰は食堂経営には大打撃だと思うがもう少し頑張って続けて欲しかった。気に入っているお店が無くなって残念である。

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2008.07.11

iPhoneゲット!

Appleが開発し、日本ではSoftBankで販売を開始したiPhone G3。
Iphone_3今朝の7時販売開始の店に数日前から並んだ人もいたらしい。ニュースでは、たくさん並んでいる後方の人は、本日正午販売開始の全国の他のSoftBankの店に行った方が早くゲットできるのではないか、と言っていた。
基本的には携帯電話なので、窓口で自分の順番が来てからも手続きや番号選択、場合によっては他機種からの機種変更などいろいろ様々な手続きが多く、一人30分では終わらない訳である。

田舎でも並ぶ人がいるのかな?と思ったが、家内に11時過ぎに某SoftBank店に行ってもらったところ、2名並んで待っていたらしい。受付に名前を書き待っていた。12時から販売開始になったが、窓口が2つしかなく店員2名で対応。SoftBankのお店なので、必ずしもiPhoneを求めに来た人ばかりではないらしい。私は午前中の診療を終わらせ食事もせずにお店に行って家内と交代。
一人目の人の手続きが終わったのが12:40頃。二人目の人がその窓口へ。別の窓口は、iPhone購入ではない方がいて、その人が終わって私に順番が回って来たのは12:50過ぎ。そこからは割とスムーズに行った。
隣の窓口にいる2番目だった人は、機種変更でiPhone G3にするらしく、いろいろ手続き中。私は新規で電話番号を決め、手続きをすすめ、プランを決めて、iPhone G3 16GB Whiteをゲットしたのは13:30位になっていた。隣の2番目の人は50分経ってもまだ終わっていなかった。

電話機能にロックをかけてあるのを解除するのは、当初窓口で行う予定であったらしいが、全国的に窓口が混雑して時間がかかるので、客が自分でパソコンにiPhoneをUSBで接続し、パソコンでインターネットにアクセスしてから解除する方法に変更指示された。医院に持ち帰って昼食もそこそこに早速Macに接続してロックを解除、iTunesに登録して使用可能となったのは14時少し前。

Iphone_2噂の機能はたくさんあるが、まだまだ使いこなせない。
携帯電話としてはソフトバンク携帯と同じ条件になるので、docomoや普通の電話にかける場合は、30秒で21円もかかってしまう。家の電話やDoCoMoの携帯電話(もう3年以上も同じものを使っている)を持つ身としては、電話の使用は最低限にしてWebブラウズ、メール機能、そして最も期待しているのは医院に8台、プライベートに2台持っているMacのパソコンとの機能共有=シンクロの機能である。

医院の診察室のMac上のカレンダーでアポイントを入れ、それをiPhoneでシンクロさせ、自宅に持ち帰って自宅のMacとシンクロさせる。いつでもアップデイトされたスケジュールが管理出来ることになる。iTunesにいれてある音楽も、iPhoneを(柄の大きな、容量の少ない)iPodとして持ち歩く事が出来る。

お誕生日プレゼントである新しいオモチャで、これからしばらくは楽しい日々が続きそうである。

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2008.07.10

「納豆の日」雑感

本日、私、○1回目の誕生日を迎えました。
朝、クリニックに行くと、診察室の机にクリニックのスタッフからのプレゼントが置かれていました。「ハッピィバースディ」の音楽が鳴るカードと肩凝りや首筋残りをほぐす「コロコロ」です。
ありがとうございました!

院長ブログに書きましたが、今朝はいろいろな理由でYBCラヂオの自分が出演している番組の録音に失敗しました。大きな理由は昨日何だかとても疲れて、食事をしてちょっとテレビを観ながらソファに横になったらもう眠くて眠くて、そのままベッドにうつぶせになった途端、気を失う様に朝まで寝てしまいました。気がついたら6:30を少し過ぎてしまい、慌てて飛び起き録音を開始したのですが、なんとコードをきちんと繋いでおらず、最後の5分くらいになってそれに気がついたという訳です。

私の医院の名前に「脳神経」という文字が入っている為、かなりの割合で「精神神経科」的症状の患者さんもいらっしゃいます。私の専門は脳神経外科と神経内科疾患ですが、精神神経科とオーバーラップする部分は多く、「ここからここまでの疾患しか診ない」というような線引きはできません。うつ病、アルコール関連障害、統合失調症、不安神経症、不眠その他、入院治療が必要な状態でなければどんな患者さんでも診させて頂きます。精神疾患を患う患者さんの多くは、その病気が故に、またそういう素因を持った人だからなのか、「負」のオーラのようなものを身にまとっている感じを受けます。
医療者としては患者さんの心になるべく寄り添い、訴えに耳を傾け、症状に共感する様に務めたいとは思うのですが、私も未熟な人間なのでいつも安定してそのようにはできません。
私は、本来、精神神経科は標榜しておりません。精神科の病院に勤務して自殺企図の強い患者さんやかなり重症の睡眠障害(睡眠薬を一晩に14錠も必要とする)やアルコール中毒症の入院患者を受け持ったり、外来で多くのうつ病や統合失調症の患者さんのお相手はしましたが、もっとも診療上得意としたのは「認知症」の患者さんでした。
昨日の患者さんで、他院である精神疾患の治療を受けていて、そこには相談せずに私のところに治療内容変更を希望して来られた方がいました。短時間になるべく正確に患者さんの状態を把握して、現在の服用している薬の内容、これまでの治療の内容を確認し、今後どうするかを考えました。ものすごい「負」のオーラが出ているのに負けない様に呑み込まれない様に約小一時間お話をしました。何十年も精神科一筋で来られた先生方には大した事ではないのでしょうが、私の様に、知識はあるけれど経験の少ない「駆け出し」の精神科外来治療医には重い負担です。
家に帰る前からかなりの頭痛があり、何もせずにボーッとする時間を30分程作って、それから鎮痛剤を服用して帰宅しました。そして上記の様に倒れる様に寝てしまいました。

今日になってもまだ頭痛はとれません。少しは和らぎましたが時々痛みます。
本日の外来は午後1時までだったのと「精神疾患」が主の患者さんはほとんどいらっしゃらなかったので仕事による疲れは軽度で済みました。週に一度、木曜の午後のスポーツクラブ通いも休もうかと思ったのですが、これでくじけては駄目だと思い行きました。ボトボト汗をかきながらバイクと筋トレをしてきました。その後、ちょっと嫌な事がありましたが、夜は酒田でも指折りの鮨屋「鈴○」に。
誕生日だと断ってあったおかげでカウンター席の真ん中に案内され、若親方の目の前で美味しく頂きました。しかも若親方のHさんからはシャンパンのサービスが。お鮨屋さんのカウンターでシャンパンを頂くのは初めて。素敵な演出に素晴らしい握りの数々に、頭痛でいらいら、嫌な出来事でちょっとプンプンとしていた私も目尻がさがり優しい顔になってしまいます。おいしい食事は人の気持ちを大きく変えるのですから素晴らしいものです。

失敗したラヂオ録音も、他の方が録音してくださった音源を取り寄せて(来週になるでしょうが)アップできそうです。明日はしっかり準備して録音したいと思っています。
こうして私の誕生日は体調不良の中、最後は気持ちよく過ごせました。
いろいろな事に感謝です。ありがとうございました!

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2008.07.09

Moller先生

平成4年の3月末から6年の3月末の2年間、アメリカ合衆国ペンシルバニア州ピッツバーグ市のピッツバーグ大学脳神経外科(正しくは、University of Pittsburgh Medical Center内のPresbyterian Hospital)に留学していた。
その当時のPresby(愛称)は肝移植の世界的メッカとして有名で、なんと1年で500件近い「脳死肝移植」をやっていた。Thomas Starzlという肝移植の権威とその右腕として日本人の藤堂先生(九大出身で現在は北大教授)がバリバリ世界的な仕事をしていたため、移植外科医を目指す日本人の外科医は常時20~30人ほど留学している大所帯であった。ちなみに藤堂先生とは同じ福岡出身という事で、出身大学も専門科も違うのに大変良くしていただき、脳外科医では私一人だけ藤堂先生宅に招かれたり、大晦日のカウントダウンのパーティに外科医の先生方ご家族とともに招かれてとても楽しい時を過ごさせていただいた。
脳外科は移植外科に比べれば日本人は(時によって変動があるものの)2~3人程度の留学者数だった。同じ病院内なのでカフェテリアなどで時々顔を見かけるのであるが、普段は皆手術や研究に忙しくそんなにはお会いしていなかった。
Peter Jannettaというこれまた脳外科の世界では顔面けいれんや三叉神経痛の手術治療である顕微鏡血管減圧術(MVD)の創始者で権威である教授が主任を務めていて、短期留学や見学(1日のひともいれば2週間くらいの人もいる)を含めればいつも世界中のどこからか留学生(医師)が来ていて賑やかなところだった。私が現在オケに夢中になっているのも、その当時日本から短期見学に来られた某大学の助教授の脳外科医がビオラを弾かれる方で、私の家に夕食に招いたところピアノとフルートを見て私が音楽をやる事を知り、「帰国したら是非脳外科オケで一緒に演奏しましょう!」と言われたのがきっかけだった。

Jannetta先生のMVDや聴神経腫瘍の摘出手術などの際に、脳や脳神経の機能を守るための神経モニタリングを行っていたのが表題のMoller先生。私の直属の指導者だった。
留学中の2年間、私は主にラットを使った顔面けいれんの動物モデル作り、それを元にした顔面けいれんの病態と治療の研究、脳外科手術における、脳、脳神経機能モニタリング(主に電気生理学的検査)を学び、朝は早い時は6時半〜7時にはPresbyの手術場に行ってモニタリングをし、午後は動物実験というような日々を送っていた。
平成5年の秋にメキシコのアカプルコで世界脳外科学会が開催された時には、ピッツバーグでの動物実験の仕事を発表するためMoller先生ご夫妻と一緒にメキシコにも出かけた。奥さんは耳鼻咽喉科医で、二人共北ヨーロッパ(デンマークとスウェーデン)の出身であり、アメリカ人特有のフランクでフレンドリーな中に、ビシッとしたヨーロッパ人の伝統と格式を重んじる気風を持っておられた。

平成6年に帰国後、ラッキーなことに平成11年に国費留学生として国からの完全援助を受けて、2ヶ月間だけであるが再度米国に留学した。その時は、テキサス州ヒューストンのテキサス大学ヒューストン校の神経内科(てんかんセンター)が勉強の場であったが、その2年程前にMoller先生はテキサス大学ダラス校の教授に転任されていたので、成田からヒューストンに直行便のない当時、ダラスに一旦降りて、Moller先生のところにお世話になったりした。大変面倒見が良く温かい人柄で、しかし研究者としては主に聴覚やモニタリング、神経の可塑性の研究では世界的な人である。
昨年、京都で湯川秀樹博士生誕100年を記念した何かの学会でも講演をされたと伺っている。数年に1回は日本に来られている先生なのだが、今回、日本の耳鼻科が中心となった耳鳴りの研究会に招待されて日本に来られ、山形大学の医学部(耳鼻科が中心ながら山形大学医学会として)の招待で約10年ぶりに山形に来られた。山形大学からは私の他に脳外科医が一人、耳鼻科医が二人Moller先生の元で学んでいる。この4人の弟子は直接的に多くを学び、そして弟子が山形に持ち帰って研究や臨床に活用し同僚、後輩に教え伝えた手法は今も引き継がれている。よって山形大学の医学部、ひいては山形で脳外科や耳鼻科の医療を受ける患者さんはMoller先生から間接的に大きな恩恵を受けている事になる。

その先生の特別講演と講演後の会食の席が設けられたため、新米開業医の身ではあるが昨日は午後4時で診療を終了して山形市に向かった。
9年ぶり(私はH11年にダラスのご自宅に泊めてもらったので)にお会いするご夫妻はやや年を取られた感じは否めないものの、常に新しいテーマを追求し研究を続けるその姿には感銘を受けた。若輩の私の方が新しいものへの追求、未知のものへの挑戦という姿勢が衰えていると言う事を反省させられる。
講演の内容は日本語に訳すと「神経の可塑性と自閉症」というテーマであった。米国では最近特に自閉症が増えていて大きな問題になっているらしいのだが、神経の可塑性(生前の母胎内での変化はもちろん、出産後の成長に伴う変化とともに、様々な因子により影響を受ける神経系の発達と変化)と自閉症の関連を論理的に結びつけ実際の患者で実験してみたという話である。
自閉症については門外漢なので質問することはできなかったが、たとえば自閉症の人の中にきわめて特異に優れた能力、たとえば絵を描くとか楽器を演奏するとか、という能力のある人がいること、社会的適応力は劣っているが脳の機能としては非常に優れたものを持っている人がいる事と、後天的な(出生後の)環境因子などの外的影響(遺伝子ではなく)の事を考えさせられた。

Mollerall3格調高い講演終了後、情報交換会が行われたが、すぐに別席に移動してゆっくり着席での会食となった。医学部長と耳鼻咽喉科教授の御高配により、Moller先生門下の山形大学医学部からの4人の留学経験者も交えての楽しい会食となった。
「ピッツバーグ時代は楽しかった」「いい思い出ばかりだわ」「今日ここに来れて、みんなに会えて本当に嬉しい」ご夫妻の喜びと感謝の言葉に我々も「楽しい思い出がたくさん」「皆が今こうしているのもMoller先生ご夫妻のおかげ」と礼を述べた。

今日のご講演を伺う限りではまだまだ脳の加齢現象からはほど遠く、可塑性の高い脳細胞をたくさんお持ちの様なので御健康が続く限り、また何でもお会いしましょう、と約束してお別れした。山形市在住の方々は本日もプライベートに会食をする予定と聞いたが、私は拙医院の診療があるので「これでお暇致します。明日はお目にかかれませんがお元気で!」と、マルガレータに庄内のお土産「手鞠」と「絵蠟燭」をお渡し、オーゲィには医学部長から手渡された感謝状を賞状入れの筒に入れてお渡しした。

先生、いつまでもお元気でいてください!

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2008.07.07

七夕様

平成20年の七夕様は、雨模様、曇り空で織姫と彦星の逢瀬は目撃出来そうにありません。
でも「バレーヌ・ガーデン」の庭に水遣りをしなくても天の恵みで花達も少し息をついたように見えます。

今日の朝から始まった私が担当したラヂオ番組の放送。
目覚ましを2つかけて頑張って6:15に起きました。
AM放送なのと安物ラヂオなので音があまり良くはありませんが録音も出来ました。
AMラヂオ→ローランドのEdirolで録音(mp3)→MacBookで編集(QTProを使って切り貼り、書き出し)し、ファイルを院長ブログにアップ致しました。
御興味のある方は聞いてやっておくんなせぇ。。。

「朝だ!元気だ!6時半!!!」7/7(月)放送分は←こちらからどうぞ!

おまけの写真。
7/7のキャンドルナイト。家でもちょっとやってみました。
Photoこんな雰囲気では缶ビールでは粋じゃないな、と冷蔵庫を探ってみたら、去年の旅行で買って来たトカイ・ワインの小さなボトルがまだ手つかずでありました。3プットニョッシュなのでそんなに甘くもありません。(冷蔵庫の中には6プットのボトルもまだありました)
本来、貴腐ワインなのでデザートで飲むものであり、食前酒、食中酒ではないと思いますが、キャンドルの雰囲気に合わせて小柄なボトルに合う小柄なグラスで飲んでみました。
食後でなくても悪くなかったですよ。


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2008.07.06

「クライマーズ・ハイ」を観る

映画は大衆娯楽の一つでしょう。
しかし、この映画は「娯楽」と呼ぶには内容が重く、とても真面目に丹念に作られ撮影された作品で、大変堪能出来ました。

三川町のIシネマには、学校の試験週間が明けたばかりだからなのか、子供連れの家族や中学、高校の同級生同士が大勢。「クライマーズ・ハイ」は昨日公開されたばかりですが、子供向けの映画ではないので、きっと他の典型的「娯楽作品」に集まっていたのでしょう。

内容はご存知の方も多いでしょうが、23年前の夏のあの大事件を題材にした物です。
昭和60年8月12日、日航ジャンボ機墜落事故。520名もの命が奪われた航空機の単独事故として史上最悪の出来事でした。私は医師になって2年目。(世の中を知らないという事は)恐い物なし、で夜中の急患の呼び出しに病院に駆けつけて、今の世に言う「初期研修医」の身で単独で脳血管撮影などガンガンやっていました(まだ世の中にMRIというものがありませんでした)。以前にもこのブログで記事にしましたが、山形県代表のT高校が桑田、清原率いるPL学園に歴史に残る大敗を喫したあの夏。そんな出来事など吹っ飛んでしまう様な大事件が起きたのでした。
病院でそのニュースを聞いた私の最初の感想は、「そんな馬鹿な!」「まさか!」でした。しかし、断片的にいろいろなニュースソースが耳に入り、「歌手の坂本九さんが乗っていた」「4名の奇跡の生存者がいた」「恐怖と混乱の中で書いた搭乗者の遺書が見つかった」などの事実は23年経った今でも鮮明に残っています。当事者ではないからこそ、頭の中から消し去りたいという感情もなく、「他人事」として記憶しているのでしょう。亡くなられた方のご家族や関係者にとっては、消し去りたくても消せず、思い出したくなくても忘れる事の出来ない、辛い悲しい出来事だと思います。

映画『クライマーズ・ハイ』公式サイトは←こちらから。

事実を元に書かれた架空の地方新聞社の記者を主人公に、よい意味での「新聞屋」の生き様、仕事に命を懸ける男達(女性記者もいますが)の熱い想い、携帯電話やインターネットのない時代の情報伝達、など興味深い内容であり、最悪の事故に巻き込まれた被害者やそのご家族に十分敬意を払われた丁寧な作りには好感が持てました。映画の始まりから、ストーリーの組み立ても映像も大変に考え尽くされ丁寧に作られていてグッと引込まれます。最後の終わり方には異論のある方もいるでしょうが、私は良かったのではないかと思います。
これ以上は「ネタバレ」になるので避けます。
興味のある方は映画館でご覧下さい。たくさん考えさせられる事のある映画です。決して「娯楽作品」ではないことを再度書いておきます。

ーーーーー
という訳で、予告を観た時から観たかった映画を観て満足。
映画館に行く前に昼食に、また鶴岡の「緑のイスキア」に行って来ました。
Photo鶴岡市の大宝寺から国道345号線を東へ、赤川を渡ってすぐの旧羽黒町にあります。
お店を立ち上げた方(女性)を紹介したサイト、チャレンジ応援サイト やまがた
をご覧下さい。

Photo_2お店自慢の石釜で焼かれたピッツァ。「今週のピッツァ」は、二種類のチーズにアスパラガスとグリーンピース。とても香ばしく美味しい。ここの「売り」はナポリピッツァなのですが今日のピッツァはトマトはまったく使用しないビアンコです。

Photo_3ピッツァのランチとパスタのランチを頼んでシェアして楽しみました。パスタは、具材はピッツァとほぼ同じ。ペンネのショートパスタにピッタリ。

2Photo_4お店のど真ん中に位置するご自慢の石釜。
元は『穂並街道』という名前の気軽なイタリアンレストランでしたが、息子さんが地中海に浮かぶイタリアのイスキア島で修行をして来たため「ヴェルディ・イスキア」という店名に変え、内装もガラッと変えたようです。
薪を焚いて高温でパリっと焼き上げる石釜の上には、天使がピッツァの出来を見守る様に座っています。熱い熱い窯の中を注意深く覗き込んでいるのがイタリアで修行して来たピッツァ職人でオーナーの息子さん(お名前は存じ上げません)。


最後におまけ。
Photo_2微妙な写真ですが、さくらんぼの写真。
実は左側が「ナポレオン」。右が「佐藤錦」。いずれも寒河江の知り合い直さんが丹誠込めたサクランボです。ナポレオンは佐藤錦に比べて、色はやや黄色みが多く味は酸味の強めなサクランボなのですが、直さんのナポレオンは真っ赤でとても甘い。よく知らない人は食べただけではわからないと思います。右の佐藤錦はややぼてっと丸みを帯びて粒が大きめ。対して左のナポレオンは、お尻がややシュッとすぼまってややハート型に近く見えるかも知れません。写真の取り方が悪くて違いがわかりにくいかも知れません。ちょっと傷んだ部分も写ってしまいました。
もうそろそろサクランボの「旬」も終わり。スイカとメロンの旬が近づいて来ましたね。
(結局、食べ物の事ばかりかい!)(^^;;;;

おまけのおまけ。
日付変わって今日の事、7/7(月)の朝!6時半から15分間、YBCのラヂオ番組『朝だ!元気だ!6時半!!!』に出演します。今日の朝から7/11(金)の朝まで5日間に渡って、「心配な脳の病気について〜特に頭痛ともの忘れ〜」と題して、医学の事と趣味の事を半々くらいでお喋り致します。
朝起きの方、酒田も山形もAMの918kHzですよ〜!

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2008.07.05

アマオケ管分奏、とおまけ

今年の酒フィルの定期演奏会は、11/16(日)。
会場は希望ホールで、指揮は井崎正浩さん。昨年のJAOフェスティバルのAオケ(バルトークのオケコン)を振ってくださったマエストロ。酒フィルとの出会いは、H18年1月のハンガリー・ソルノク市訪問演奏のときが初めて。
一昨年の酒フィル定期でモーツァルトのファゴット協奏曲のソロを務めてもらう予定が急遽来日できなくなり、その代わりに昨年のチェコフィルJapanツアーに合わせて、フォゴットリサイタルを遊佐で開いてくれた、チェコフィル・ファゴット奏者のオンジェイ・ロスコヴェッツ氏。
そのファゴットリサイタル(「ありがとうオンジェ!」を参照)でピアノ伴奏を務めてくださった藤井亜紀さん。H18年1月のソルノクにおける酒フィル+ソルノク響合同演奏会で、ショパンのPコン1番のソリストで素晴らしいピアノを聞かせてくださったのが藤井亜紀さん。

はじめてのハンガリー。はじめてのプロオケとの共演。はじめての海外演奏。はじめてのピアノ協奏曲でのトップ。初めてづくしの演奏会で。わかりやすく、やさしく、そして情熱的に指導指揮してくださったのがマエストロ井崎。
年の半分以上をハンガリーで生活し、ヨーロッパを中心に演奏旅行をされている多忙なマエストロと11/16の演奏会までに練習が出来るのは、直前の2日を除くとなんと2回しかありません。それまでに自分たちでかなり形にしておく必要があり、今年は練習に工夫をしています。
それは、弦分奏、管分奏の回数を例年よりも増やしたと言う事です。例年は、トレーナー(弦は山響コンミスの犬伏さん、管は元山響オーボエの竹谷さん)にお出でいただける日だけ、分奏を行っており、定期までの間、2回程度しかやっていませんでした。今年はそれを月1回くらいに増やしてみようということになっています。オケの場合、弦はたいていがtuttiであり、集まる団員が少なくてもパートごとに統一感があります。しかしながら、オケの管は元々「ソロ」の集合体のような感じなので、パート内でも違う旋律を弾いたりします。簡単に言うと、管楽器群は全員が皆違う楽譜を使っているのです(弦はご存知のようにパート内でほぼ同じ楽譜、プルト(2人)で一つの楽譜を使用しています)。

まだ、練習が始まって日も浅い段階で「管分奏」を計画しても、元々一人一人が違う演奏をしているソロの集合体なので「集まって一緒にやる」という意識が高まりません。「今の段階なら、その時間で個人練習をみっちりやったほうがましだ!」という考え方になっておかしいとは言えません。
0705ということで、今日の夜、今年初めての「管分奏」となります(弦はすでに3回目の分奏)。
その初めての管分奏をうちの医院のリハビリ室、愛称『ジョンダーノ・ホール』で行う事にしました。リハ室前の『バレーヌ・ガーデン』は、昨日の雨にもかかわらず既に土が乾いているのでまた十分に水まきをしておきました。

ーーーーー
昨日の記事に、日本海に沈み行く雲間の夕陽の写真を載せました。その写真を撮った場所。
グルメレポートになっちゃいますが。誕生日1週間前祝いということで。

PhotoPhoto_2前菜が2種。
庄内浜で採れたあわびにウニを添えて。もう一品は、当然の岩ガキ、それに地物のキュウリのすりおろしとトマトを添えて。

Photo_3Photo_4メインの前は、スープとパスタ。
スープは温かいじゃがいもスープをカプチーノ仕立てで。パスタはウニをあえたクリームスパゲッティ。やや細めのスパゲッテーニをアルデンテに茹でてありうまうまでした(私がパスタをうまいとほめる事は非常に少ない)。

Photo_5Photo_6メインの2品。
ノドクロのあぶりを載せたリゾット。うまうま2。それに黒毛和牛が締めです。

Photo_7Photo_8Photo_9そして本当の締め。
ドルチェ。
4人で行ったので、今日のドルチェ4種類全部制覇(笑)。なぜか写真は3枚だけ。
ティラミス、プリン、フルーツ、、、私が頼んだのはフルートのコンフォート。
このお店からは、昨日の写真のように日本海、時間によって日本海に沈む夕陽が眺められます。
お店の名前は、西洋茶寮『コヴォ・ディ・マーレ』。
イタリア語で「海の隠れ家」という意味だそうです。湯野浜温泉&海水浴場の山寄り。ゴルフ場の入り口の方にあります。料理はどれも満足できるものでした。

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2008.07.04

ようやく雨が、、、

子供の頃から雨は嫌いではありません。
お外で遊べないとか、あまり考えなかったな。
しとしと降る雨は結構好きだったかも。

爽快に晴れ渡った雲一つない空は確かに美しいのですが、何か自分の身体に対して攻撃的に感じました。乾燥した空気も苦手でした。しとしと雨には何故かやさしさを感じるような変な子供だったかも知れません。
ショパンのプレリュードでも一番最初に弾きたくて練習したのは「雨だれ」でした。

さて、梅雨入り宣言からまともな雨がなかった庄内地方(先週日曜も少し降ったり、昨日もちょっとは降りましたがたいした雨ではなかった)。今朝未明から結構ザーザー降りました。
この雨を待ち望んでいました。
クリニックのリハビリ室前に作ったばかりの庭。そこに植えたエゴの木、バラ、紫陽花、その他の草花達に芝生。毎日水はやるのですがまだ土がなじんでいないのか、水やりが足らないのか、しおれて来ていたのです。この雨で少し息を吹き返すのではないかと期待しています。

ーーー

とはいえ、梅雨時は湿度が高く、むしむししたりなんかすっきりしませんね。
ちょっと「封印」してあった写真を公開して(一部は公開済み)、気分すっきりといきましょう!

Photo_11まずは、とんかつ好きの上坂先生をお連れする余裕がなかった、庄内が誇る名産品「平田牧場」の直営店である「とんや」酒田本店の「金華豚の棒ヒレカツ」です。「三元豚の特厚ロースカツ」の方が脂の旨味が味わえるのですが、先日は脂を控えめにするためこのヒレにしてみました。ちょっとピンぼけ。


Photo_2Photo_3お次は、酒田のレストランの一つ「花月」。先日紹介した「庄内DECクラブ」加盟店で6/7~6/29まで行っていた「庄内の食材キャンペーン・スペシャルランチ」。
前菜は「もち豚のしゃぶしゃぶ風なんとか」に「冷たいかぼちゃのスープ」。
Photo_4Photo_5メインは真鯛のポワレ、ブラックオリーブのソースに地元の月山茸、姫メロンの子供?、なんとかインゲン豆などの野菜を添えて。「欅」の紙包み焼きが香りと柔らかさで一歩リードするなら、「花月」の真鯛は香ばしく焼き上げた皮としっとり柔らかな身のバランスにブラックオリーブのソースの塩味と軽快な苦みが抜群にマッチしていて、真鯛の良さを引き出したのはこちらかな?と思いました。
ドルチェの解説はなし(よくわからない)です。


Photo_6Photo_7Photo_8
続いては名店「ル・ポット・フー」。先日もブログ記事にちょっと載せた「グリーンピースの冷たいスープ」で始まり、メインは同じく真鯛と地元の野菜のソテー、そしてデザート(イカスミを練り込んだアイスクリームなど)。

「庄内の食材キャンペーン・スペシャルランチ」は、結局「欅」「花月」「ラ・ルーチェ」「ル・ポット・フー」という、酒田のレストラン4軒をギリギリ最終日の6/29までに回ったので、スタンプ4つゲット!各店共通で使える商品券1000円分をゲットしました。
この他に、酒田であと2店舗、鶴岡で3店舗、庄内町と三川町で各1店舗の計11店が参加した企画でしたが、「ランチ」という限定なので近場しか回れませんでした。次の機会にはもっと他の店にも挑戦したいものです。

最後に、おまけ。

Photo_9Photo_10雨模様の中、昨日の夕方、日没直前にちょっとだけ雲の間から顔をのぞかせた太陽。日本海(雲海)に沈む夕陽です。
これは庄内地方のある場所(建物の中)から撮影したもので、その場所はわかる方にはわかるでしょう。どこかは、明日以降に記事にする予定です。v(^^)

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2008.07.02

上坂先生のブログとYBCラヂオ番組の告知

第2回のサロンコンサートからすでに4日が過ぎました。
あっと言う間です。
上坂先生がお得意のデジ一を使った写真をアップされてご自分のブログでこの「酒田場所」の事を書いています(「酒田場所」というのは、私が「金沢場所」など相撲の地方巡業になぞらえて、上坂先生の巡業の事を表現したものです)。大量の写真に圧倒されます!
「フルートを楽しもう!in酒田 Vol.1・・・その1」
「フルートを楽しもう!in酒田 Vol.1・・・その2」
「フルートを楽しもう!in酒田 Vol.1・・・その3」

以上!という感じですね。(笑)

デジカメとデジイチ(デジタル一眼レフカメラ)ではこんなにも違うのか、と思わされます。
脳外科で使う手術顕微鏡や脳内視鏡だって、どんなにコンピュータ化が進もうとも、基本となる光学系が最も大事なので、ツァイス、ライカ、オリンパスというメーカーが世界市場の中心です。私が使っていた脳内視鏡(下垂体腫瘍の経鼻的摘出術や水頭症手術)は日本のオリンパスのものが中心でしたが、そのオリンパスの硬性鏡(=レンズスコープ)には「made in Germany」と書いてありました。
レンズですべてが決まるのです。
それはこの私のブログの写真と上坂先生のブログの写真を比べて見れば明らかですね。

::::

さて、先日、告知したYBC朝のラヂオ番組『朝だ!元気だ!6時半!!!』は来週の7/7から7/11の5日連続です。あと5日に迫りましたのでもう一度告知しておきます。
YBCラヂオ6:30~6:45
7/7~7/11『心配な脳の病気〜頭痛と物忘れ〜』
早起きの方は聞いてみてください。
聞き逃した方や県外の方のためには、私がうまく録音出来れば(仮定)音ブログで公開する予定です。
よろしくお願いします。

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2008.07.01

6月が終わり、7月になります。

Photo_4真っ赤に熟した、
夏の味覚、
冷たく冷やして、
口にほおばる、
、、、
ああ、
美味しい、
しあわせ、
なんと甘い事でしょう。。。


Photo_5そう、上の写真は、夏の味覚、「トマト」、、、

ではなくて、山形の名産「さくらんぼ」の中のさくらんぼ、
『佐藤錦』です。
寒河江の知人が丹誠込めて育てた『佐藤錦』。
少し拡大した写真にするとまるでトマトのようでしょう?とても大きな粒で、本当にルビーのような輝きです。箱の上に置いたマッチの大きさから粒の大きさをご理解頂けるでしょうか。

何年か前に地区農協内で最高の糖度を記録した(何でもメロンの糖度と同じ位だったらしい)と言う程の物です。今年は一昨日で収穫が終わったそうで、知人K氏は「疲れたんで今日は一日休んでたよ〜」と寒河江訛りで語ってくれました。また明後日辺りから、サクランボの別の品種『ナポレオン』の収穫が始まるとのこと。
東京、横浜、奈良などの親や親類に、そして遠く宮崎の親戚などに山形の初夏味覚を味わったもらいたいと送りました。今年は宮崎の親戚からあのH知事も宣伝している超高級果物「太陽のタマゴ」マンゴーを送って頂いたのでそのお返しや、3月の開院に際しお祝いを頂いたお礼などで例年の倍以上の量をたくさんの所に送りました。

6月が終わり7月を迎えました。
平成20年も半分が過ぎて後半に入った訳です。
ここまで無事に個人事業が続けられている事に感謝します。趣味の音楽に打ち込める環境に恵まれている事に本当に感謝感謝でございます。開業して4ヶ月が過ぎようとしていますが、この間にサロンコンサートを2回も行えた事に大感謝。関与された方々皆さまに感謝です。
次のサロンコンサートは全くの未定ですので、企画の段階からまた始めます。

そして、、、
しばらくしていなかったピッコロの練習を再開。
ピッコロはフルート族の笛ではありますが、またちょっと違ったコツというかテクニックが必要な楽器です。なぜピッコロを再開したかというと、今年の夏のJAOフェスティバルオケに参加するのですが、プロコフィエフの『ロメオとジュリエット』で希望者殺到のため、フルート(出来れば1番のアシ)を希望していたのですが叶わず、ピッコロになってしまったのです。ピッコロは大好きですが、「なってしまった」という思いには2つの理由があります。
まず、「出番が少ない」事。
楽譜を見ると、ず〜〜〜っと休みで、吹かずに数えて待っている小節数の数が書いてあるだけだったりします。1番フルートの様な「おいしい」旋律があまりありません。
次に「恐い」事。
非常に出番が少ないのですが、出て来る時はいきなり第3レジスターのH(シ)とかだったり、急にスタッカートで2つの音だけだったりと、出る直前まで大変プレッシャーがかかるのです。たった一つの音でそれまでのオケの努力を壊してしまわない様に、と強いストレスがかかる楽器です。

中学時代2年間を過ごした高松市。そこで開催されるJAOフェスティバル。
昨年の「酒田大会」から、早くも一年が経ちます。参加出来る事に感謝し、その緊張を楽しめる様に準備したいと思います。私がピッコロで乗るAオケは、コンマスがこれまた昨年の酒田大会でAオケ(井崎正浩氏の指揮でバルトークのオケコンを演奏した)のコンマスを務めて下さった東京フィル・コンマスの三浦章広さんです。指揮は、なんと山形交響楽団の首席客演指揮者である阪(ばん)哲朗さんなんです。
これまたお二人にお会い出来るのも楽しみです。
7月、、、そして私の誕生月。
「納豆の日」はまもなくです。v(^^)

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