6月の始まり
今日、6月1日はちょうど日曜日。
午前中少し曇っていましたが、お昼前から晴れて来て、とても爽やかな青空が広がりました。
自宅すぐ近くの富士見小学校では、この小学校の学区を総称する「富士見地区の大運動会」。
富士見町はもちろん、「曙町」「日の出町」「こあら町」に、新井田川を超えた北側の「上安町」、国道7号線を越えた西側(酒田駅寄り)の「北新橋」「新橋」という結構広い範囲の富士見小学校学区群の町内会も参加した規模の大きい運動会です。
うちのクリニックの大家さんであるC社のM会長が富士見学区大運動会の実行委員長なのでちょっと顔を出しました。なんでもこの学区群に2500を越える住まいがあり、7000人を越える人たちが住んでいるのだそうです。今は酒田市に合併してしまった、旧の松山町や平田町の総人口よりも多い人たちが住んでいる学区になります。私の医院は、もちろん周辺地域との関係を考えた上での開業地の選定をしたとはいえ、昨年場所を決めた時点ではここが富士見学区のほぼ真ん中に当たる場所だとまでは考えていませんでした。住所としては曙町にあるコミュニティセンター(公民館)でさえ、「富士見コミュニティセンター」という名称で、通称「富士見コミセン」と呼ばれて地域住民に愛されています。
行ってみると、小学生以外にもたくさんの人たちがいろいろな競技に参加して盛り上がっていたのですが、今日は昼から別の会があるので会長や小学校関係者への挨拶だけで失礼しました。
平田牧場が経営する「みずほガーデンパレス」で、『地方独立行政法人 日本海総合病院設立記念式典・祝賀会』が催されたので参加してきました。
この会には庄内(鶴岡)の選出である衆議院議員の加藤紘一氏や山形県知事の齋藤弘氏、酒田市長の阿部寿一氏、総務省から大臣の代理の官僚、その他のお歴々が出席されていました。加藤紘一氏と同席の最も上座の席には、私の師匠である嘉山孝正医学部長・脳外科教授も出席されていました。祝賀会という事で写真の様に「酒田舞子」さんも踊りで盛り上げていました。
酒田市立酒田病院と山形県立日本海病院という、別々の組織である地方自治体管轄の2つの公立病院を統合するというきわめてユニークな形をとって出発したこの「日本海総合病院」というのは、日本全国の地方自治体立病院や厚生労働省、総務省などからも注目されているのだそうです。
なぜこの2つの病院の「合併」がなされたのかは様々なところに書かれていますので簡単にしますが、事の発端は築40年を越える老朽化して来た酒田市立病院の新築問題でした。同じ酒田市内の、しかも車で5分ちょっとの距離に築10年をようやく越えたばかりの県立日本海病院があったのです。どちらも地方自治体の管理運営する重要な病院であり、同じような急性期治療を目指した地域の基幹病院です。
酒田市の財政も苦しいところですが、市からの市立病院への補助金は病院運営を見かけ上は「黒字」にしていました(新しい大型機械をあまり購入しなかった事もある)。一方、県からの予算を減らされ続ける県立病院機構(県内5つの県立病院)としては非常に苦しい台所事情で、設立から10年を過ぎて、一台数億円もするCT、MRIを始めとする大型医療機器の更新の時期にもあたり、県立日本海病院は「赤字」続きでした(しかも職員の給与は減らされ、時間外勤務の手当は部分的に支給されず、というひどい状態でした)。
人口が減り続け、老齢人口比率のあがり続ける酒田市周辺地域において、2つの急性期病院を別々の地方自治体が持つ矛盾について協議検討がなされ、その結果、市立病院も県立病院も廃止して、新しい組織(地方独立行政法人)として非公務員型組合立病院として統合する事になった訳です。この準備および実施には、産みの苦しみというか困難な事がたくさんあったと聞き及びます。それぞれの職員も運営管理する地方自治体も、現場で働く医師や看護師も様々な思いがあり、不満があり、障害がありました。どなたかの挨拶でも出た様に、全国的に同じような事は考えられて、無駄を廃しスリム化した公立病院の運営を目指そうとしているようですが、どこでも「総論賛成、各論反対」で成功したところはほとんどないようです。それをこの酒田でやってのけた事は非常な評価に値します。
病院は何のためにあるのか。その存在意義は何なのか。
結局、保健医療活動を通しての地域住民の幸せのためです。今まで市立酒田病院にあった外科がなくなって旧県立日本海病院に移ったり、今まで県立日本海病院にあった整形外科がなくなって旧市立酒田病院に移りました。患者さんにとっては不便もあると思います。今までかかっていた病院に頼りにする診療科や先生がいなくなってしまったのです。実際は、車で5~10分離れた別の建物に移っただけなのですが、人間というものは慣れている事が急に変化する事にはおよそ拒絶反応を示します。同じ組織の別の建物という考えではなく、今まで行っていた病院が、今までかかっていた科が「なくなった」と感じるのも仕方ないものでしょう。
なぜ統廃合したのか。結局、急性期病院を1つに集約して、そこで先端医療、救急医療、通常急性期医療を展開し、同じ組織の別の建物を「回復期」医療、亜急性期医療の拠点にするというのが目的です。それにより、医師、看護師などの医療職の集約(=ヒューマンリソースの有効活用)、高度診断治療機器の集約(=無駄の排除と集中化、センター化)と2つの急性期病院を、救命救急センターを併設する1つの急性期病院と、リハビリ施設を充実させた1つの回復期病院にして、しかもその管理経営を一つの組織にまとめる(事務の集約化と無駄の排除)を目指しているものです。
本当の組織再編、リストラ、新しい部門の設立、建物建設や医療機器の購入準備はこれから3年間の間に、酒田市と山形県の支援を得てこの新しい地方独立行政法人が進めて行く予定との事です。
庄内南部には鶴岡市立荘内病院という、歴史と伝統(大正2年創立)があり、5年前にヘリポートまである10階建ての新病院に生まれ変わったばかり急性期治療の拠点病院があります。庄内北部には、3年後を目指して救命救急センターを持つ日本海総合病院とリハビリ・回復期に特化した日本海総合病院酒田医療センターが出来上がります。医療は病院だけでなされるものではありません。診療所も大事ですし、介護施設、老健施設なども含めた「大きな医療圏」として捉えて考え活用する事が大切です。
ひとつ脳神経外科医療をとって考えてみると、お隣りの庄内町にある私立病院の非常勤医師1名からなる脳外科も含めて、庄内北部に病院脳外科医3名、診療所脳外科医2名がいます。日本海総合病院だけで捉えてしまうと2名の脳外科医しかいないのですが、実際5人の脳外科医がいるのです。そのうち4名が脳外科専門医です。これに神経内科医3名を加えれば、8名のヒューマンリソースを持っている事になります。これを有効にうまく使って地域住民の医療需要に応え、先端的医療も含めた高度な(元々脳外科というのは高度な事をやっている診療科)診療体制を構築できるのではないかと考えています。
診療所で普通に頭痛や物忘れを診る事も、脳ドックを始める事も、庄内北部医療圏という大きな枠で考えた場合に意義深い事ではないかと思われます。
さあ、爽やかな緑の6月です。
明日からも頑張って行きましょう!
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