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2008.05.21

山形新聞日曜随想

本ブログ記事でも何度もそのお名前をアルファベットで表記して来たJS先生。
酒田市内の高校で音楽の授業を担当し、コーラスを中心にクラシック音楽の幅広い活動をされています。
あのなが〜〜いタイトルの本の事をブログにした1/29の記事『世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか』を読む。その本の中に、フランス風郷土料理レストラン「ル・ポトフー」で、初めて生のピアノで生のアリアなどを歌った「女性クラシック歌手」としても実名で出てこられます。
名前を出してもいいのですが、こういう世の中、何があるかわかりませんし、一応アルファベットで。でも調べればすぐわかる訳ですが。逆に「誰のこと?」と興味を持たれた方が調べたくなることも考えた上での、「JS先生」のつもりです。

山形新聞の日曜版の2面に『日曜随想』というのがありますが、今年の2月から月に1回、JS先生が執筆を担当されています。先日、5/18(日)の新聞では小澤征爾氏のことを取り上げていました。5/12(月)に酒田市民会館希望ホールで小澤征爾指揮新日本フィルの演奏会があった訳ですが、H16年の「希望ホール」杮落し事業にどうやって小澤さんが来る事になったのか、いろいろな人の努力と繋がりの事が書かれていました。山形新聞を購読されていない方には読めない記事で申し訳ありませんが、小澤さんが特に後進の育成、若手音楽家の教育に力を注いでいる事が書かれていて、読み終わって爽やかな気持ちになりました。

JS先生も小澤征爾氏も、皆、共通しているのですが、傑出した才能とか努力とか運とか、何とか言う前に、音楽への「愛」、音楽する「喜び」に溢れていらっしゃいます。一つの事をコツコツ続ける、努力を厭わない、いえ、そういう事をあえて「努力」と思わないことも天才である大きな証であると思いますが、世に天才と呼ばれる人たちの多くは、「好きだからずっとやってきた」と表現する方が多い様に思います。
私なぞは、子供の頃からピアノを習い、小学生でフルートを始めたのに、あまり好きではなかったり、他に興味が移ってご無沙汰してしまったり、コツコツと継続するというのとは反対の人間でした。ある程度の器用さは持っているようなので、ちょっと練習すると演奏出来たりはするのですが、そういうものでは人の心を打つような、感動させるような演奏はできないのです。「不惑」を通り越し「天命を知る」年になってから、ようやくこのような事を理解するようでは情けないのですが、まあこれから残された人生で好きな音楽に打ち込める時間を可能な限り増やしたいと考えているところです。

山形新聞を購読されている方、是非JS先生の「日曜随想」に目を通してみてください。
それにしても、小澤さん、酒田公演の後、新潟は良かったのですが、その後結局体調を崩されて、5/19,20の大阪公演と津(三重)公演はキャンセルされたとか。荒川さんも思わず「オフ」ができました、と連絡いただきましたが、心配ですね。

調べていたら、小澤さん、なんと庄内と縁の深い事がわかりました。征爾の爾と言う文字は、鶴岡庄内藩士の家系で関東軍参謀などを務め、後に陸軍中将・第16師団長までになった石原莞爾と小澤征爾の父親(開作、歯科医)が親交が厚く、石原の名前の一文字をもらったのだそうです。ちなみに石原氏の家系には医師がいて、今も鶴岡にいらっしゃるようでがんすしぃ、遠い親戚には鶴岡地区選出の衆議院議員加藤紘一さんがいるようですのぉ。
もっけだ。

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コメント

こんにちは。
うちのすぐ近くに石原莞爾ゆかりの日輪講堂という建物があります。
私もつい最近まで何の建物か知らなかったんですけど。
石原莞爾が東亜連盟会員と共に開拓事業をしていたときに集会所に使われたのがこの日輪講堂だそうです。
ただ元の場所は住宅地になってしまいましたので、これは移築した物らしいです。中には写真などあるらしいのですが、普段入れるのかどうかはわかりません。

投稿: librarian | 2008.05.21 20:57

日曜随筆良かったですね♪

小澤さん、庄内と縁が深かったのですね!びっくりです。コンサート当日、30年前に購入していた「巨人」のLPレコードを持って行きました。あわよくばサイン・・・・もちろん、その様なチャンスはありませんでした。

酒田の演奏会がキャンセルにならなかっただけでも、ありがたいことです。小澤さんの早期の体調ご回復をお祈りいたします。

今日もありがとうございます♪♪♪♪♪

投稿: けんちゃん | 2008.05.21 23:50

librarian様、コメントありがとうございます。
遊佐っていろいろ凄いんですよね。「三方領地替え」の時に、最初に江戸城大手門前の駕篭訴に成功したのは確か遊佐の農民。指導したのは遊佐の和尚さん。
石原莞爾は、戦後、身体が悪く戦犯から除外されて、荘内病院で手術を受けた後、遊佐に暮らしたようですね。「満州国の立案は私がやったのに、何故私を戦犯にしないのだ!」と言ったと残っています。また、太平洋戦争に対して「油が欲しいからとて戦争を始める奴がいるか?!」と反対したり、当時参謀長(後に首相)の東条英機と満州国の事で対立し、「東條上等兵」と馬鹿にして呼んでいたため、東条英機から罷免されたとか、逸話に事欠かない人です。日輪講堂、今度探してみます。お茶にでも呼んで下さいね!(^^

投稿: balaine | 2008.05.22 06:35

けんちゃんさん、どうもっす!
あの酒田公演の日も、調子が悪いと一人で歩くのもままならないくらいだったそうです。終演後、着替えられて、ホール受付前から正面に出て3階の「実行委員会主催パーティ」に顔を出されていましたが、係員が制御したため、握手もサインもされませんでした。体調の悪い事を存じていたので、歩いて出席される姿を見て少しホッとすると共に最初ワッと取り囲んだファンを制御出来なかった係に頭に来ましたが、本当はこどもたちとも触れ合いたかったんだろうな〜と思っておりました。
帯状疱疹後神経痛、私も大学で脊髄電気刺激療法の執刀をするなど関わっていましたが、なかなか厄介な病気で、激痛が走るんですよ。

投稿: balaine | 2008.05.22 06:46

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