« 2008年4月 | トップページ | 2008年6月 »

2008年5月

2008.05.31

世界禁煙デー

5月が終わりますね。(はやいもので開業して3ヶ月が経つところです)

今日、5月31日は「世界禁煙デー」です。
1988年に制定されて1999年5月31日から毎年実施されているので満20年の記念日に当たるようです。
喫煙が健康に害を及ぼす事は科学的にも認められておりタバコの包み紙や宣伝にも「健康に害を及ぼす」ということを明記するようになっています。
しかし、タバコばかりが悪者扱いされているこの風潮にちょっとばかり疑問を持ちます。
喫煙とガンの関係や、喫煙者の傍で副流煙を吸う人の健康被害が喧伝されていますが、本当にタバコだけが悪いのかどうかは証明されていません。ガンのような腫瘍の発生は、細胞内の情報伝達の異常、つまり遺伝子レベルの問題です。ここに影響を及ぼすものの一つにタバコがあるであろう事は決して否定するものではありませんが、それ以外の物として、食べ物、水、空気、紫外線なども影響を及ぼすものとして上げなければなりません。科学的に言えば、発がん性に影響を与えるものとして、この世に「安全」なものなど一つもないとさえ言えると思います。

害悪ばかり喧伝されるタバコですが、たとえば精神衛生上の面(こころが落ち着く、いらいらしないなど)や薬物依存の面(タバコを禁止すると、タバコ以外のもっと身体に悪影響を及ぼす物質、たとえば覚せい剤、麻薬などを蔓延させる危険性がある)などはあまり触れられません。精神疾患を病んでいる人が愛煙家の場合、それを「健康に害があるから」と言って禁煙させようとする医師(精神科医)はほとんどいないと思います。タバコを強制的にやめさせるような事をすると安定しかけていた精神状態が不安定になったり、治療がうまく行かなくなる危険性もあります。
江戸末期、中国でのアヘン戦争で中国の人々はイギリスをはじめとする侵略国からもたらされたアヘンの被害に遭いました。日本では開国をいち早く迫った米国が、タバコを持って来たため、タバコは広まった物のアヘンは広がらずに済んだという説を聞いたことがあります(真偽の程は確かめていません)。日本で麻薬や覚せい剤が「あまり」広がっていないのは、タバコが普通に販売されているからだと言う考え方もあるようです。

人間とは嗜好品が必要な生き物のようです。
タバコに限らず、酒、コーヒー、紅茶、などなどです。
生きて行くためだけであれば、タバコはもちろん酒もコーヒーも要りません。でも好きな人は止めません。コーヒーがなければ生きている意味がないとまで言う人もいます。タバコも嗜好品の一つでしょう。
タバコが健康に害を及ぼす物である事は確かです。
特に、狭心症や心筋梗塞の方、閉塞性動脈硬化症などの方は、喫煙は文字通り命取りになります。脳卒中後遺症など血管の病気、特に閉塞性、狭窄性の動脈硬化症を持っている人はタバコは止めるべきです。肺がんについては、タバコが発生を上げるというのが大方の意見ですが、そんなことはないという意見もあります(要するに、ガンという病気は非常に多くの複数因子によってもたらされる)。
タバコを何十年も吸っていてガンにもならず長生きする人もいれば、一本も吸った事がないのに肺がんに倒れる方もいます。高血圧を治療していないで平気で生活している人もいるのに、低血圧気味でもくも膜下出血に倒れる人もいます。生活習慣は一つの事がひとつの病気の「原因」となる訳ではなく、発症の「誘因」または「危険因子」ということです。

日本のタバコは今一箱300円くらいでしょうか。
これを一箱1000円にすれば、禁煙する人が増えて日本国民の健康増進に寄与するとともに税収の増加によって破綻しかけている保険診療制度を守れるという意見があるそうです。一見もっともに思えます。
税収増大の話は置いておいて、「健康増進」について、それに伴い日本の国民総医療費も抑制できるということまで言っている人もいるらしいです。
本当でしょうか?

タバコを辞める人が増える→健康な人が増える(?)→長生きになり超高齢者が増える→脳卒中で寝たきりや認知症の人が増える→医療費が増大し、介護保険制度も苦しくなる

また、脳卒中や心筋梗塞のような動脈硬化疾患はもちろんの事として、ガンにおいても「加齢」すなわち年を取る事は遺伝子異常を起こす確率を高くするため(細胞を保護し安定状態を保つがん抑制遺伝子が不安定になったり、なくなったりする)、高齢者が増えれば病気が増え、医療費が嵩み、国民総医療費は高騰を続けるのです。

今年4月から始まった「特定健診」、いわゆる「メタボ健診」にしたって、脈管病、生活習慣病を抑え元気で長生きする人が増えて医療費が抑制されるという計算になっているようですが、長生きした80才、90才はそのまま健康でいられるのでしょうか?私の(私ではなくても)考えでは、ガンの発生が増えて、ガンに対する手術治療、放射線治療、抗がん剤治療、長期入院、ホスピスなどの緩和ケアが驚く程の数字で増えて来るはずです。
人間は動物の一種です。
生あるものは、いずれ滅びます。生まれてから死ぬまでなんの病気もしないでいるということはありえません。

タバコの害は認めますが、ファナティックな、禁煙ファシズムと呼ばれるような排除運動、差別運動は注意しなければなりません。まったく煙草を吸わず、タバコの害を説いて回っている人でも、ガンや脳卒中にはなる可能性を持っています。タバコ一箱の値段を上げればすべてがうまく行くというような、先の見通しのたっていない、短期的視野の論法も慎重に構えて聞くべきだと思います。

かくいう私は、昔は煙草を吸っていましたが、もう何年か吸っていません。
「禁煙」しよう!と言う意識は持っていません。私の人生に、今、タバコは必要ないからです。
個々の人々の考えを、人間一人一人を尊重すべきだと思います。
過剰な「禁煙運動」にはやや斜に構えてしまいます。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2008.05.30

シートベルト

昨日のブログ記事「自転車」について、ヘルメットを勧めるコメントを頂いた。
もっともな事である(ただ、側頭部が守れない現在の自転車用ヘルメットでは不十分という意見もある)。

ーーー
実は、バイクのヘルメットと車のシートベルトについて、脳外科医の立場からの意義深い経験がある。
私が医者になった昭和59年当時、シートベルトの「着用義務」や「違反点数」はありませんでした。バイクは原付では「努力義務」で反則、罰金はありませんでした。
私が某県立病院に昭和59年に出来たばかりの救命救急センターで働いていた頃は、毎日のように交通事故の患者さんが運び込まれました。軽症から超重症(来院時心停止)までヴァラエティがあり本当に多かった記憶があります。バイクの単独事故も多く、頭部外傷、頚椎損傷も多く診ました。

昭和60年に高速道路のシートベルトが義務化され、翌61年には一般道でも義務化されました。着用していないと罰則違反金が生じたのです。また、昭和61年には原付以下のバイクもすべてヘルメット着用義務化されました。

努力義務で推奨されるだけでは人間だめなようで、「着用義務化」「罰則あり」になってからは確かに装着率が上がったと思います。救命救急センターに運び込まれる重症交通事故の患者さんが減りました。軽症が増え、打撲、頚椎捻挫(むち打ち症)程度で、緊急手術になる頭部外傷は激減しました。重症な外傷が減り、病院に救急車で運ばれてくる頭部外傷としては、軽症で通院で済む人から超重症で手術も施せない程の人の両極端に分かれる傾向を感じていました。
とにかく、脳外科医がバタバタと走り回り、夜中でも休日でも開頭手術にかり出されるような交通外傷が減ったことは事実です。

シートベルト非着用者の致死率は着用者の約4倍というデータがあります。
まさに私が県立中央病院や鶴岡市立荘内病院で昭和59年から63年の間に感じて来た、経験して来たことです。シートベルトとヘルメットの着用義務罰則化によって、交通事故による重症頭部外傷は激減しました。

2008年6月1日(明後日です!)から、従来「努力義務」であった後部座席のシートベルト着用が運転席・助手席と同様に義務化されます。まだ一般道では「注意のみ」であり、罰則・違反金はないのであまり浸透しないと予測されますが、高速道路での違反は罰則加点対象です。自家用車と同様に高速道を走行するバスの乗客にも座席シートベルト着用が義務化されます。
後部座席シートベルト非着用の場合、後部座席同乗者が前席乗員に衝突することにより、前席乗員が頭部等に重傷を負う確率が、後部座席シートベルト着用の場合の約51倍にも増大するといった調査結果もあります。
「着用義務」のない現在のデータでは、後部シートベルトの着用率は12.7%と非常に低く、運転席98.2%、助手席93.0%に対して余りにも開きがあります。

考えてみれば、昭和60年前後は運転手でさえもシートベルトをする癖はついていませんでした。罰則がなかったからでしょう。明後日からどのくらいの違反が検挙されるかわかりませんが、とにかく1年くらいの間に、後部座席シートベルト着用も浸透する事でしょう。大変良いことです。

再び脳外科医の経験から。
昭和62年頃だったか、勤務していた病院に車の自爆事故で急患が4名運び込まれて来ました。
お母さんが運転していて、助手席に子供(多分4、5才)を乗せ、後部座席に運転手の母親とその膝にもう一人の子供(たしか1,2才)を抱えていたのです。この中でシートベルトをしていたのは運転手のお母さん一人でした。助手席の子供が何か「おいた」をしたのか母親がよそ見をしてしまい、車は橋の欄干に正面衝突しました。子供二人はフロントガラスを突き破って投げ出されて重体。後部座席の母親は全身を打撲し、顔中割れたガラスで大けがをしましたが、命に別状はありませんでした。シートベルトをしていた運転手の母親は足を打撲しただけで、歩いて救急車から降りて来れました。
子供二人は重症の脳挫傷で緊急手術の適応にもならない状態でした(血圧が下がり呼吸が微弱になっていた)。挿管し、人工呼吸器に繋ぎ、脳保護薬を投与し心臓と血圧を刺激し強める薬を持続点滴する状態でした。まもなく二人とも「臨床的脳死」の状態に陥り、たしかその日か翌日に天に召されました。
体重が軽く身体が柔軟な子供でも、車外に放り出される程の衝撃を受ければ助かる可能性は非常に低いのです。

もう一つ。
(こちらの事例は、上記の事例より更に衝撃的なので、苦手な方は読まないでください)
平成16年頃、勤務していた病院に車2台による交差点での出会い頭での事故による外傷患者が緊急搬送されて来ました。片方の車の運転手は、シートベルトをしていて手足の打撲だけでした。前方側面に衝突された軽自動車の運転手であった20台の女性はシートベルトをしていなかったそうです。助手席に座っていたその友人はシートベルトをしていたのだそうです。車は回転して交差点角の電信柱に衝突。運悪く、運転手側の右前方から電信柱に突っ込みました。
救急車到着時には、助手席の友人はシートベルトを自力で外して車外に出て自力で立っていたのですが、運転手の女性は衝突の反動で頭部右前方を運転席右前方の枠(ピラー?)にぶつけ、さらに反動で身体ごと助手席に跳ね返ってそこにぐったり座っていたそうです。大量の血液が流れ出ていたらしく、とにかく大緊急で病院に搬送されました。救急部ではとにかく生命兆候を確認しつつ、自発呼吸がないので挿管してバッグでもみながら酸素を投与し、心臓が停まっていて血圧が測れないので血管を確保して大量の生理食塩水などの点滴をしながら心マッサージを開始していました。その場面に脳外科医として緊急で呼ばれました。患者さんの顔(瞳孔など)と頭を診て、これからCTを撮りに行こうとしていたその場の救急医、当直医、救急当番看護師などにその必要のないことを告げました。患者さんはすでに死亡されていたのです。瞳孔は両方とも開ききり、頭部の大きな傷はざっくり割れているのですが出血は止まっていました。頭蓋骨が割れていて直接脳が一部見えました。頭蓋骨の下の硬膜などの脳を包む膜も損傷していて、脳の周りを流れているはずの脳脊髄液もありませんでした。おそらく、外傷を受けて頭部を激しく損傷し大量の血液と脳脊髄液を助手席にもたれかかった状態で失っていたのだと推測されます。心マッサージは中止され死亡時刻が宣告されましたが、まだご家族が病院に到着していないのでその状態でICUに運び込みました。ご家族に連絡がついて病院に来られるまで救急室に置いておくよりは少しでも静かに対面の可能な場所をと考えた結果です。

この事故では3名の方が怪我をしたのですが、死亡したのはシートベルトをしていなかったこの女性だけ。あとの二人は自力で歩ける位の怪我でした。もしこの方がシートベルトをしていたら、頚椎捻挫と打撲くらいで済んだかもしれないのです。そんなにスピードが出ていた訳ではなく、回転して電信柱に衝突したのがたまたま運転席側だったということです。

この2つの私の経験(もっともっともっともっと、たくさん交通事故外傷の治療経験はありますが)から見て、シートベルトの効果、意義はご理解いただけると思います。
明後日から着用義務化される高速道路(一般道路も一応義務化です)での後部座席同乗者もかならずシートベルトをしましょう。後部座席に座る人そのものを守るためでもあり、前部座席の人を守るためでもあるのです。

シートベルトとヘルメット。忘れないでください。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008.05.29

自転車

最近、雨降りでなければ、自転車で通勤している。(文体、「である」調に変えてみようかな、、、)
自転車通勤などと偉そうな事を言っても、自宅から1kmもないのだからあっという間で大したことはない。たいしたことはないけれど、これを自動車で通うのと自転車で通うのではかなりの違いがある。
まず、ガソリンの節約になる。近場であればなおの事、距離の割にはガソリンを食うのだから、それを節約すると言う事は家計の助けにもなり、また今話題のCO2の削減にもなる。
つまり地球環境、そして人類の未来にとっても良い事をやっている訳である。
さらに、普段の運動不足の(わずかながらも)解消になる。特に私の自転車は、いわゆるママチャリではなく、シマノの18段変速、しかも折りたたみ式のMTBである。運動不足による体力低下を感じ始めた4年程前に買ってあった(車に積んで山や川の近くまで行き、そこで自転車を出して1時間程漕いで遊ぶなんて事をしていた)のだが、ここ2年程は全く乗っておらず倉庫にしまわれていた可愛そうな自転車だった。
直線では、変速機をどんどん上げて最高の18段目にするとかなりの速度が出るし、足にも結構くる。必死で漕ぐと結構息があがる。いい運動になる。
これでも高校時代は片道30分の自転車通学をしていた。仙台の鶴ヶ谷というちょっと小高い所にある住宅街に住んでいて、高校は「元茶畑」という所にあるので、「行きは良い良い、帰りは辛い」だった。たしか、朝、遅刻しないように必死で漕いで行くと20~25分で高校に着いたが、練習が厳しい事で有名だったテニス部(おかげでインターハイに出場したが)で真っ暗になるまで練習して更に筋トレなどやって、それから重い身体に鞭打って帰る道は40分はかかっていたように記憶している。私の基礎的体力はこの頃に鍛えられたと思っている。大学時代のテニス部は、まあちゃらちゃらやっていた感じがあるので。

さて、MTBとはいっても「もどき」モデルなので、本当に悪路や山道を攻めたりはしない。町中を走るのが主である。ママチャリと違って不便なのは、別売りで買わないとライトも付いていないしもちろん買い物かごもない。だから、自転車の時の私はリュック(古!)を背負っている。「アキバ系」のではなく、(あまり違いはないが)「登山系」のあれである。それをYシャツ(またまた古!)にネクタイ、紺ジャケットに革靴の格好で背負ってMTBを必死に漕いでいる姿は、きっと滑稽だろう。(笑)
これを「うち」では密かに「ざえもんスタイル」と呼んでいる。
由来は、内緒、である。

道路特定財源のすったもんだの末にガソリン代が再度上がり、更に最近益々値上がりしている。私がよく使う、プリペイドカード式のセルフのガソリンスタンドでも、ハイオクはリッター159円する。「3円引き」の火曜日でも156円だ。そこで、少しでも燃費を良くするために「満タン」にしないという対策をとっている。タンクが空になりますよ〜というシグナルが出ても慌てて給油せず、いよいよという時になったら20リットルぴったり給油する方法を取っている。10リットルの方が更に節約になるが、給油回数が増えるのも面倒なので今のところ20リットルにしている。私の車の場合、満タンにすると75リットル程入るので、いれても20リットルくらいにしておけばその分車重が軽くなり、またあまり無駄に噴かしたり急発進などはしないようにになる。
さらに自転車通勤をしているので、最近は遠出でもしない限り給油回数が減った。

今日は「半ドン」の日なので、午後からまたスポーツクラブに行ってそこでも45分間バイクを漕いだ。筋トレも6種類やったので結構へとへとになるが、最初の頃の比べると身体を重く感じなくなって来た。体重という「数字」が減る事よりも、体脂肪率が減少して筋肉量が増えているのではないかと思う。そうすると基礎代謝量があがり、太りにくい身体になる「はず」である。
春雨ヌードルはまだ続けている。体重は、正月前後の人生最大体重から3~4kg減った所で足踏みして、会合があったり外食が続くと「まずい!」という感じで増えてしまうが、次の目標として具体的な数値が見えて来たのでやる気が出る。

そういう、体重だとか、運動だとか、ガソリン節約だとか、言う以前に、自転車を漕ぐのは実に気持ちがいい。そのうち、休日に、リュックを背負って自転車で遠出してみようと思っている。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008.05.28

サロンコンサート第2回「1ヶ月前」

演奏会の予告の前に、、、

世の中、あいもかわらず様々奇怪な事件が起きています。
「後期高齢者医療制度」など、机上の論理では「よかれ」と思って創ったのであろう新制度は各方面から叩かれていますね。高齢者が増え、医療費が嵩み、社会保障の財源に限りがある、となれば、「受益者負担」「無駄の削除」などの理由から、高齢者への負担が増やされるのもやむを得ないか、というのは一応の理解は可能です。
しかし、政府、役人、与党がわかっていないのは、「人の心」だと思います。
システムにも問題はありますが、そのやり方がよくない。当事者を無視して「賢いお役人が集まって知恵を絞り国が決めたいい制度なのだから従え!」的な方法が良くない、と思います。

現在75才以上の方というのは、昭和7,8年より前にお生まれになった方々です。
あの食糧難の苦しい「大東亜戦争」時代とその後の混乱期に学生時代を送り、滅びかけた日本の復興期に社会人となり、高度経済成長期に中心になって働いて来た世代です。その人達に対して「あなた達後期高齢者はすぐに病気になって金がかかるから、なるべく病院に行かない様に。行くのなら自分でももっと負担する様に。」と言わんばかりの制度なのですから、「若い頃から苦労して来て、ようやく余生を過ごす時期になったら、またこれか!」と思うのが人情でしょうね。経済政策を「感情論」や「人情」で論じるな、と言われるとするならば、政治や経済は誰のためにあるのか、と問い返させていただきます。

むろん「人」のためです。そして人間は「感情の動物」です。
感情論で、「なるほど〜、そうか。それなら仕方ないな、私たちも頑張ろう!」と納得させるような方法を全く取らず、「とにかく、決まった事なのだから、まあ、文句言わないで、偉い人の言う事に従いなさい」的な発言をされては頭に来るというものです。ああ、情けない!と思っている後期高齢者が多いのではないでしょうか。感情は大事なのですよ。政府や与党の方々やその他の政治家や国のお役人様。

よく、社会保障の財源がないと言われます。財源に比して支出(国民総医療費)が高騰を続けているのだから、保健診療制度は破綻する、しているという意見もあります。
じゃあ、道路特定財源はどうなっているのでしょうか。「道路建設」を見合わせて「社会保障費」に少し回す事は出来ないでしょうか。全国に建設中、建設計画中のすべての道路が本当にすべて必要でしょうか。更に、日本の土地の価格、道路建設にかかる異常なほどの土地の価格や建設費。諸外国と比べてなぜ日本の道路はこんなに金がかかるのかをまじめに検討して、経費削減を考えている人がどのくらいいるのでしょうか。

財源が不足するのだから、個人の負担をあげ、消費税をアップして財源を確保するしかない、という意見も聞きます。それでは、大企業に対する法人税の減税や優遇税制はどうなのですか?日本の企業の国際競争力を高めるために法人税を免除するというのは、一見正しい様に思いますが、得をしているのは法人とその経済支援を受けている政党だけではないのですか。個人への税や消費税を上げる考えの前に、法人税その他現在の優遇税制を受けている団体組織(宗教団体やその他の団体なども含む)への税を見直す事は出来ないのでしょうか。
この税制の改革だけでも、消費税のアップをせずに「社会保障費」の財源を確保出来るという意見も聞いたことがあります。

正しい政治、人情を大事にする政治はどこにあるのでしょうか。。。

ーーーーー
さて、地域に根付く医療と音楽を目指して(耳障りの良さげな言葉で恐縮です)、サロンコンサート第2回も着々と準備が進んでいます。

6月28日(土)15:30開場、16:00開演、です。
今日はちょうど1ヶ月前です。

フルート・クライスの上坂氏は、先日「金沢場所」を成功させられたとの事。ついにクライスのHPのトップには、「酒田場所」がで〜んと「一面トップ」という扱いになっております。
「フルートクライス・ホームページ」は←こちら。

Kreisとはドイツ語で、英語circleに当たる言葉。「フルート吹きの仲間達の集まり」という意味と理解しています。「酒田場所」では、フルートのコンサートに試奏会、楽器無料診断調整会、そして上坂先生お得意の「Q&A」をやります。

演奏会の曲目として、現時点で決まっているのは
1)CPE Bach:フルートソナタ ニ長調 Wq. 83(チェンバロ伴奏)
2)ボザ:イマージュ(フルートソロ)
3)クーラウ:2本のフルートのための華麗な二重奏曲 ニ長調Op.102(フルート・デュオ)
4)ドップラー:ハンガリー田園幻想曲(ピアノ伴奏)
です。

3)のフルート・デュオでは私もデビューします。
お楽しみ(?)に!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.26

鶴岡天神祭「化けものまつり」

ご存じない方の為に、まず説明致します。
「化けもの」とは、花模様の長襦袢に角帯を締め手ぬぐいと編み笠で顔を隠し手に徳利と杯を持ち無言で酒を振る舞って街を歩くという習わしのことで、天神様と祀られる学問の神、菅原道真公が京から太宰府に流される際に、道真公を慕う公家などが時の権力に気兼ねして女装して(化けて)顔を隠し密かに酒を酌み交わし、別れを惜しんだという言い伝えに基づいています。
化けもの姿で、3年間誰にも知られずお参りができると、念願がかなうと言われており、往時には、会社や個人の家々に、化けものが上がり込み、酒などをふるまう姿が町のあちこちで見受けられました。最近では、飲酒運転の問題もあり、日本酒以外にはペットボトルのお茶やジュースを振る舞わざるを得ないこともあり本来の「化けもの」よりもその他の神輿やパレードなどのお祭りになりつつあります。

何故毎年5月25日なのか、何故京からも太宰府からも遠い鶴岡で「天神祭」なのか、よくわかりません。
「鶴岡天神祭」←こちらにも説明はないようです。

面白い言い伝えとして、同時期に開催(毎年5月20日)の「酒田まつり」が晴れると「鶴岡天神祭」は雨が降る、酒田が雨なら鶴岡は晴れる、ということがあるそうです。今年は、、、
なんと酒田も雨、鶴岡も雨でしたが、メインの14時からのパレードの時には雨が上がっていました。やはり言い伝え通りになりました。

Photo
Photo_2
Photo_3お祭りのパレードは、鶴岡駅前から出発して鶴岡銀座商店街を抜けて鶴岡市役所前を目指す群と、鶴岡天満宮を出発して同じく市役所前を目指す集団があります。写真左と中は、天満宮を出発した集団で天神様の神輿と菅原道真公に扮した人を中心に歩くお公家様たち(?)です。
一番右の写真は、鶴岡庄内藩の藩校であった「致道館」前(鶴岡市役所の真向かい)の歩道に座ってパレードを待つ人達。

Photo_4
Photo_5写真左は、「化けもの」からお酒を振る舞われる家内(私は運転手だったので、子供化けものから頂いたジュースで我慢、、、)。
右の写真は、鶴岡銀座商店街を通るパレード。見物客の数は、酒田祭りが平日で大雨であった事、鶴岡では日曜で曇り(雨上がり)であった事を考えると、今一の人出の様に思います。昔、鶴岡市立荘内病院に勤務していた(昭和61~63年という、20年以上も前の事です)頃にはよく来ていたこの「銀座」と名のつく商店街。鶴岡も酒田と同じく、中心街の空洞化、シャッター街化は避けられず苦しんでいると聞いています。昔、よく来たレコード店(古!楽器とレコードとCDを売っていた店)が見当たらず、喫茶店もわからず、酒屋さんも?でした。日曜だから?お祭りだから?閉まっていただけかも知れませんが、やはり20年も経つと店や街の雰囲気も変わっていました。

お祭りは、この他に鶴岡公園(鶴岡城址)にたくさんの露店などが出ていて、なんだかカラオケ大会とかジャズの演奏などをやっていました。
Photo_6駐車場の関係で鶴岡公園近くに停めたので、パレードが始まるまでの時間に昼食をということで、今日もまた「致道博物館」横の「三昧庵」で食事。先日来た時にメニューで気になっていた「山伏豚のカレー」に挑戦。味は悪くないのですが、900円もするのに、山伏豚はたった2切れしかはいっておらず、カレー自体は「ボ○カレー」じゃないの?という味と具でした。ここでカレーを注文するのが行けないのか、、、麦きりは美味しいのですよ。

銀座商店街のパレードを見た後、駐車場に戻る道に「丙申堂」がありました。
あの藤沢周平原作の映画『蝉しぐれ』で、お福様と文四郎が再開するシーンが撮影された「旧風間家住宅」のことです。写真も撮りましたが家内が被写体なので、こちら→旧風間家住宅「丙申堂」のHPをどうぞ。旧の市立荘内病院のすぐ近くにあり、私が都合2年半通い続けた脳外科外来(病院の東端にあった)の真向かいにある建物なのですが、20年前はまったく知りませんでした。それもそのはず、一般公開を始めたのは平成12年からなのだそうです。映画に使われたのは4年程前の事です。
この建物は意外と新しく明治29年建造だそうで、その年が「ひのえ、さる」の年だったため「丙申堂」と呼ばれています。
ちなみに、風間家は鶴岡庄内藩の御用商人から大地主と銀行になった豪商で、庄内では酒田の本間家に次ぐ力を持っていたそうです。ただ風間家は元は新潟の村上から、酒田に移り、その後鶴岡に移ったので、風間家の本家筋は今でも酒田に在住されているそうです。

初めて鶴岡の「化けものまつり」を見ましたが、この由来や伝統をもっと前面に押し出した方がいい様に思いました。ただ、どうしても「お酒」が必須のお祭りなので難しいですね。。。

ーーー
この記事を書きながら久しぶりにF1を最初から最後までテレビで観ました。以前は、ほぼ全戦をテレビで観戦していましたが、夜中にやるので最近は途中で力つきて眠る事が多かったのです。5戦振りに応援しているマクラーレン・メルセデスが1位でした。中嶋悟の息子の一貴が日本人初のモナコグランプリで7位入賞を果たしました!おめでとう!素晴らしい!

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008.05.24

1年経ちました

昨年、酒田に引っ越して来たのは5月20日。(そういえば、「酒田まつり」の午後〜夜で住宅街は静かだった記憶があります)
ほぼ1年が経ちました。
昨年は4月一杯まで大学で准教授職を勤めさせていただき、それからGWも含めて約3週間の休暇を取りました。連休中に早川りさ子さんの名月荘でのコンサートを聴き、5/6から5/16まで、一世一代の大旅行とも言える9泊11日の中央ヨーロッパ(ウィーン、ザルツブルグ、ブダペスト、プラハ)の旅をして来たのです。
それから酒田に転居して一息ついたのがちょうど1年前の平成19年5月24日。その日のブログ記事は「挑戦。前へ!」です。
こちらでお世話になったUクリニックやM病院での、お気楽(?)な雇われ医師生活ではなく、自分の診療所を持って独立しようと決断した時でした。それから開院の今年3月3日まで、9ヶ月と2週間ほどの期間に本当に様々なことがあり、いろいろな人に助けていただき、今日を迎えているのだなあとしみじみ実感します。

2年前は何していたのかなぁ?
平成18年5月24日のブログ記事は、「情けない話」です。ああ、こんな事書いていたんだな。このときは、大学病院で働いていました。

3年前は何していたのかなぁ?
平成17年5月24日のブログ記事は、「広い視野を持つ事」です。この時は、N病院に勤務していました。
そうそう、「脳ドック」に対して、「脳外科医の失業対策」だとか「金儲け主義」だとか、データを曲解した上での独善的な主張を展開していた人に対して強く反論していた頃だったなあ。あの人は今でも「脳ドック」を脳外科医の失業対策などと思っているのだろうか、、、人間の性格なんて簡単には変わらないからなあ。。。

開業して当院で初めて見つかったくも膜下出血の患者さん。お亡くなりになったそうです。。。
うちを初診しその日のうちにMRIを撮って診断がつき、その日のうちにN病院脳外科に紹介し入院し治療が開始されました。発症から1週間ほど経っていたせいか、N病院で行った脳血管撮影で「脳血管攣縮」が起きていたので即時の開頭手術(クリッピング)は得策ではないと主治医は考え、血圧を下げて鎮静剤を持続投与して破裂から2週間が過ぎる安定期を待つ「待機手術」を計画したそうです。
手術をしようと計画していた2日前に再破裂が起きてしまったのだそうです。ご自分の足で歩いて来た人が、2回目の出血で大きな血腫が出来て意識不明となり(JCSで100~200)、主治医としては脳圧降下剤を投与し減圧開頭手術をするしかなかったそうです。まだ若い人だったので体力があったのか、それから1ヶ月は持ちこたえ、先日亡くなられたそうです。
くも膜下出血は、そのほとんどが脳動脈瘤の破裂が原因です。この方の様に、まだ若いのに、破裂するまでは全く正常に日常生活を送り、子供がいて、仕事をしているのに、破れたら命を失うのです。この世から消えてしまう病気なのです。

重症のくも膜下出血で亡くなる患者さんをたくさん、たくさん治療して来た脳外科医は、「破れる前に見つけられないのか」「破れる前に治療出来ないのか」「普通の健康診断の様に、入院しなくても、痛い思いをしなくても簡便に動脈瘤が見つけられないのか」と考えて、その結果がMRIとMRAを検査の中心とする「脳ドック」だったのです。これが普及して正しい治療(←これが大事ですけど)が行われれば、上記の様にまだ若く、高校生や中学生の子供を残してこの世からいなくなってしまう無念な方が少しでも減るのではないでしょうか。この考えは間違っているのでしょうか。
折角、まだ軽症のうちにうちのMRIで診断がついたのに残念です。運命と言ってしまえば仕方ありません。この「未破裂のうちに治療する」という考えは「正しい」と信じるからこそ、私もいよいよ「脳ドック」を始める事にしました。
3年前の今日の記事に書いている様に、何でもかんでも検査して手術する、などという考えは今も持っていません。そういう検査を「希望する人」にだけ行い、「必要な人」にだけ治療を行う、ただそれだけです。

4年前の今日?
このブログを始めたのが平成17年1月だったので、4年前の記事はありません。

1年前に開業を決意したのだったなあ、と考えながら過去の記事を見ていろいろ考えました。
人生は不思議です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.21

山形新聞日曜随想

本ブログ記事でも何度もそのお名前をアルファベットで表記して来たJS先生。
酒田市内の高校で音楽の授業を担当し、コーラスを中心にクラシック音楽の幅広い活動をされています。
あのなが〜〜いタイトルの本の事をブログにした1/29の記事『世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか』を読む。その本の中に、フランス風郷土料理レストラン「ル・ポトフー」で、初めて生のピアノで生のアリアなどを歌った「女性クラシック歌手」としても実名で出てこられます。
名前を出してもいいのですが、こういう世の中、何があるかわかりませんし、一応アルファベットで。でも調べればすぐわかる訳ですが。逆に「誰のこと?」と興味を持たれた方が調べたくなることも考えた上での、「JS先生」のつもりです。

山形新聞の日曜版の2面に『日曜随想』というのがありますが、今年の2月から月に1回、JS先生が執筆を担当されています。先日、5/18(日)の新聞では小澤征爾氏のことを取り上げていました。5/12(月)に酒田市民会館希望ホールで小澤征爾指揮新日本フィルの演奏会があった訳ですが、H16年の「希望ホール」杮落し事業にどうやって小澤さんが来る事になったのか、いろいろな人の努力と繋がりの事が書かれていました。山形新聞を購読されていない方には読めない記事で申し訳ありませんが、小澤さんが特に後進の育成、若手音楽家の教育に力を注いでいる事が書かれていて、読み終わって爽やかな気持ちになりました。

JS先生も小澤征爾氏も、皆、共通しているのですが、傑出した才能とか努力とか運とか、何とか言う前に、音楽への「愛」、音楽する「喜び」に溢れていらっしゃいます。一つの事をコツコツ続ける、努力を厭わない、いえ、そういう事をあえて「努力」と思わないことも天才である大きな証であると思いますが、世に天才と呼ばれる人たちの多くは、「好きだからずっとやってきた」と表現する方が多い様に思います。
私なぞは、子供の頃からピアノを習い、小学生でフルートを始めたのに、あまり好きではなかったり、他に興味が移ってご無沙汰してしまったり、コツコツと継続するというのとは反対の人間でした。ある程度の器用さは持っているようなので、ちょっと練習すると演奏出来たりはするのですが、そういうものでは人の心を打つような、感動させるような演奏はできないのです。「不惑」を通り越し「天命を知る」年になってから、ようやくこのような事を理解するようでは情けないのですが、まあこれから残された人生で好きな音楽に打ち込める時間を可能な限り増やしたいと考えているところです。

山形新聞を購読されている方、是非JS先生の「日曜随想」に目を通してみてください。
それにしても、小澤さん、酒田公演の後、新潟は良かったのですが、その後結局体調を崩されて、5/19,20の大阪公演と津(三重)公演はキャンセルされたとか。荒川さんも思わず「オフ」ができました、と連絡いただきましたが、心配ですね。

調べていたら、小澤さん、なんと庄内と縁の深い事がわかりました。征爾の爾と言う文字は、鶴岡庄内藩士の家系で関東軍参謀などを務め、後に陸軍中将・第16師団長までになった石原莞爾と小澤征爾の父親(開作、歯科医)が親交が厚く、石原の名前の一文字をもらったのだそうです。ちなみに石原氏の家系には医師がいて、今も鶴岡にいらっしゃるようでがんすしぃ、遠い親戚には鶴岡地区選出の衆議院議員加藤紘一さんがいるようですのぉ。
もっけだ。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008.05.20

酒田まつり『本祭り』

今日は、「本祭り」。
しかし、全国的に悪天候。関東から東北は低気圧の影響で雨と風です。
酒田も朝早くから結構な雨が降り、本祭り開始のお昼になっても小降りになるどころか、強い風も加わって大変なお天気になりました。折角、午後休診にしたので午後1時過ぎ、街中に向かいました。
さすが400年間、一度も中止する事無く続いて来た祭りです。かなりの雨風にも構わず、見物の客は思ったより多く、車も規制の道路の周りで渋滞しています。
知人の駐車場に車を置かせてもらい、大通りから市役所方向へ歩く事にしました。

Photo_9Photo_10酒田市役所前を出発した山車や神輿は降りしきる雨の中、「大通り」に向かいます。その途中には、有名な「鐙屋」や「本間家旧本邸」があります。左の写真は、本間家旧本邸前を通る天狗様。
右の写真は、酒田市役所で出発を待つ、大獅子4体。

ここに到達するまでに、横殴りの雨でズボンと靴はぐしょぐしょになりました。
紋付きと羽織袴に裃をつけた神宿(とや)と呼ばれる人たちが何人か居ましたが、うちの医院の土地建物の大家さんであるM氏に会えました。有り難い酒田大獅子のお札を頂きましたが、一緒に歩いていたのが町奉行役の阿部市長でMさんから紹介して頂きました。


Photo_11Photo_13低気圧がちょうど午後2時頃に通過するとかで、台風の様な突風も吹き、傘を壊している人もいました。
市役所前駐車場に据え付けられた折角の山車山鉾も突風の為、その飾り付けが壊れてしまっていました。濡れて冷えた身体を温めるべく、清水屋近くの「三日月軒」へ。中華を頂きました。

街中商店街の露店街を眺めながら大通りへ戻ると、大獅子の口の中に小さい子供入れて、「ヨイショ、ヨイショ」の掛け声と共に口をガチガチと打ち鳴らして合わせます。中には泣き出す子もいますが、こどもたちの成長と無病息災を祈って行うもののようです。
Photo_12雨にも関わらず大通りにもたくさんの観客が詰めかけていました。
写真は、昨夜も観た「日吉丸」が巡行しているところです。電線を持ち上げる役などもいて、なかなか大変なものです。雨の中を一生懸命山車を曵いたり、神輿を担いだり、お囃子をしたりする人、それを見物する人がたくさん集まって、皆でこの祭りを大切に守って来たんだなと感じました。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

酒田まつり前夜祭

5月19日(月)、昨夜、行って来ました。
市内は一部交通規制(通行止めや駐車禁止)がありますが、家内の車で中合清水屋の西側道路から回って清水屋の駐車場に入れました。午後7時少し前でしたが、昨日は清水屋も夜9時まで営業という事で駐車場も9時過ぎまでOKなんです。ラッキーでした。(ちなみに今夜は8時までらしい)

Photoまずは腹ごしらえ。
清水屋1階奥には、まだあまり知られていないのでしょうか、海鮮どんや「とびしま」の出店があります。ちょっとセコイですが、ここで食事をすれば駐車場代も節約出来ます。写真は握りの「大盃」。これで1000円です!

さて、お祭り。
今日は前夜祭ということで、清水屋正面玄関前の国道112号線を封鎖して、そこに本部とステージが置かれていろいろやっています。
午後7時20分の「木遣り」を手始めに、お囃子隊、山車、神輿、そして黒森歌舞伎などの巡業。
Photo_2
Photo_3おお!酒田にこんなに人がいたのか?!と驚く様な人出です。
休日の清水屋前にこの10分の一でも人出があれば街中ももっと活気があるのですが、、、

Photo_4
Photo_5山車が信号機にぶつかりそうになるのを笛と掛け声に拍子木の合図でかわしていました。


Photo_6かつて、天明年間から明治頃までは市内を巡行していた「雲をつく様な」大きな山鉾山車。
高い建物のなかった昔は、最上川対岸(今ならば、土門拳記念館とか東北公益文化大学があるあたり?)からも山鉾が見えたのだそうです。
電線などが邪魔になるため、この高い山車立て山鉾はその後姿を消したのだそうですが、今年久方ぶりに復活!ただ、市内を練り歩くのは難しいので、このように市役所前の駐車場に据え付けられています。周りの人の大きさと比較するとその高さがおわかり頂けるでしょう。
日和山の木造灯台ほか何かストーリーのある山車なのですが、意味はあとで調べておきます。

Photo_7酒田の土着の芸能として歴史のある「黒森歌舞伎」もステージでやっていました。江戸時代から酒田市の黒森地区で伝承され、主に冬期間の農民の楽しみとして芝居が続けられて来たものです。
Photo_8お祭りと言えば、露店ですね。
クレープとか中国、台湾、はては信州のおやきまで出ていましたが、「揚げ餅」のお店には行列ができていました。こういう場所では物珍しさよりも懐かしさの方が強いようです。

私は「どんたく」と「山笠」の本場、九州は博多の生まれですし、血が騒ぎます。
ちなみに「博多どんたく」は毎年5月に行われますが、歴史と伝統のある「博多どんたく」も「酒田まつり」と違って、様々な事情や戦争などで中断した時期があり、400年間一回も休まずに続いている酒田祭りは規模こそ小さいけれど凄いなぁと思います。
さらにちなみに「どんたく」と並び称され、「山笠、あるけん博多たい!」と言われる、「博多祇園山笠」は私の生まれた7月上旬に博多の街を沸騰させる行事です。こちらにもかつては背の高い山車があったのですが、電線を切ってしまうなどの事故のため、背の高い山車は「飾り山笠」として市内商店街に飾られ、市内を競走する様に走り回る曳山(舁き山)とに分けられたのだそうです。
かつて西鉄(ライオンズ)黄金期、博多市内を走るチンチン電車、西鉄の市電には電飾が飾られ、祭りのムードを盛り上げていました。。。今は無き、チンチン電車。。。今は無き、西鉄ライオンズ。。。

秋田は土崎の港祭りで血が騒ぐ家内と共に、私は「酒田まつり」で博多の祭りを思い出していました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.19

致道博物館と有元利夫展

本日5/19と明日明後日5/20,21は「酒田まつり」です。
「創始400年酒田まつり」は←こちらで。
今年は創始400年前年祭として大変盛り上がっています。うちの医院も明日の「本祭り」は午後を休診にします。
酒田まつりは元々は「山王祭」と呼ばれ、上と下の山王権現(神仏分離令以後、日枝神社)のお祭りなのですが、昭和51年の酒田大火以後、「酒田まつり」と呼ばれています。

さて、酒田まつりについては実際観に行ってブログに載せるとして、昨日訪れた鶴岡市の致道博物館とそこで5/22まで開催されている「有元利夫の芸術」展について書きます。

鶴岡カトリック教会での素晴らしいオルガンコンサートの後、鶴が岡城址の鶴岡公園の脇に建つ「致道博物館」へ。まずはその脇にある「三昧庵」という食事処へ。今は「グランド・エルサン」というホテルの傘下に入っているようです。
Photo_3おすすめのセット料理にAの「けぇ〜」とBの「くぅ〜」があります。庄内弁でそれぞれ「食べなさい」「食べます」という意味なんです。家内は庄内名物麦きりが主の「くぅ〜」を注文。私は欲張りなので、AもBも少しずつ入って更に今の時期の湯田川の孟宋筍の入ったもうそう汁もついている「食文化膳」。美味しく頂きました。特にここは麦きりが旨いです。うどんなんですが、稲庭うどんよりも太く、讃岐うどんより細く、冷や麦やそうめんと違って生麺をゆでるのでもっちりでふわっとしていてでも腰があるのです。

お腹を満たして、いざお隣の博物館へ。
(財)致道博物館HPは←こちら。
致道館とは元は出羽庄内酒井家の藩校です。博物館と言っても一つの建物ではなく、旧西田川郡役所(旧の鶴岡地方を西田川郡と呼び、旧の酒田地方は飽海郡と呼ばれた)、庄内藩主ご隠殿、絵画展示棟、酒井氏庭園、旧鶴岡警察署などの複数の施設を併せたものです。
Photo_4Photo_5まずは、重要文化財の西田川郡役所建物です。旧石器時代から明治時代までの庄内地方の歴史、文化などをまとめて展示してあります。
右は、明治時代の薬屋さんの看板。「健脳丸」という商標に思わず惹かれてしまいました。(笑)
今の世にも欲しいお薬ですね。

幕末から明治にかけての激動期は、庄内藩にとっても本当に大きな転換期でしたのでその関係の展示もたくさんありました。西郷隆盛関係の展示もいくつかあります(酒田の南洲神社の方が当然多いのですが)。江戸時代の藩政における最後の庄内藩主である第13代酒井忠篤(ただずみ)の写真を見て、なかなかのハンサムなので驚きました。忠篤は一旦家督を弟に譲り(第14代忠宝)、下野した西郷をしたって鹿児島の西郷の私塾まで家臣を連れて学びに行きます。その後、軍事などの勉強のためドイツに留学し、帰国して再び第15代藩主(正確には庄内藩はない)に戻ります。「南洲翁遺訓」を発行したのは忠篤の力が大きいと言われています。

続く建物は「ご隠殿」。庄内藩主の隠居所を移築したもので、庄内藩関係の鎧、兜、その他興味深いものが陳列されていますが、最も興味深かったのは釣り竿として名高い「庄内竿」と数々の魚拓です。藩主愛用の長さ6~8mにも及ぶ、継ぎ目なしの一本竿など愛好家には垂涎の物でしょう。「ハマちゃん、スーさん」の釣りバカ日誌にも庄内竿は出て来ますが、江戸時代の泰平の世に武道の鍛錬に加えて家臣に釣りを推奨した文化があります。竿や道具を抱えて海岸まで徒歩往復し、竹製の一本竿で鯛などを釣り上げる事を「勝負」と呼び、魚との駆け引きを含め足下の悪い岩場での釣りを「鍛錬の場」として藩士に指導推奨したのです。

さあ、いよいよ本日のメインイベント。
「有元利夫の芸術」展です。
Photo_7Photo_8有元さんの絵をどうこういうほどには芸術を理解していないので、ネットから得られた絵を載せておきます。右側のは「有元利夫の女神たち」という絵や塑像や楽譜(小音楽も作曲しています)や生涯をまとめた本の表紙です。違う表紙の本を持っていたはずなのですが、また買い求めてしまいました。

Photo_9Photo_10Photo_11この3枚の写真は、いずれもフルート奏者(主にフラウトトラベルソ)の有田正広さんのCDのジャケット写真に有元利夫の絵が使われている物を並べました(このシリーズはもう少しあります)。中には、私の中学の同級生でバイオリンの古楽奏法の第1人者若松夏美さん達とのアンサンブルもあります。

展示された絵の数は30枚足らずで、ササッと観てしまえば5分で終わる様な展示です。しかし、一枚一枚の絵から、語りかけられる物語があり、聞こえて来るような音楽がある独特の世界をもっています。一通り観終わった後も、私は中央のソファに座り、お気に入りの何枚かをぼーっと眺めていました。
館内には有元利夫が作曲した「ロンド」というCDの曲が流れていて、そのハープ1本の音楽が絵と大変マッチしていました。

Photo_6この他には、写真のような「田麦俣多層民家」が展示してあり、中は2階までくまなく見て回る事ができました。
台所(だいどころ)を「でどこ」と庄名弁発音表記で記してありました。ちなみに、美味しいものは「んめもの」といいますし、御馳走は「ごっつぉ」と発音します。
Photo_12鶴岡は隣町なのに、この博物館の7つの建物をくまなく見て回ったのは初めてでした。

オルガン演奏に感動し、麦きりと豆おこわと孟宋汁に感激し、有元さんの絵に再び強く感銘を受け、楽しい一日になりました。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008.05.18

鶴岡カトリック教会とオルガンコンサート

私の好きな画家である有元利夫の絵画展『有元利夫の芸術』が、鶴岡市の致道博物館で5/22まで開かれています。38才で夭折したこの芸術家の作品は、古楽演奏(フラウト・トラベルソ)家の有田正弘さんのCDにも使われています。以前、東京駅ギャラリーで偶然観たこの独特の絵は私の心を捉えました。
「その絵にまた会える」
幸いこの週末はオケの通常練習以外は何の予定もありません。
折角鶴岡に行くんだし、何か他に面白いもの無いかな?そういえば、国際オルガンフェスティバルの一環で鶴岡のカトリック教会で演奏会があるの、いつだったっけ?
え?今日!
本当?!

なんとラッキーなことでしょう。
すぐに頭の中に計画が出来上がりました。
10時出発。高速道路を使わずゆっくり鶴岡へ。懐かしい鶴岡カトリック教会へ(教会のすぐ近くには旧鶴岡市立病院がありました、私が昭和61~63年、駆け出しの脳外科医として必死に働いた場所です)。
コンサート後、致道博物館脇の『三昧庵』で名物の麦切りなどを食し、致道博物館で有元利夫の絵に再開する。うん、完璧です。(笑)

Photo午前11時、国の指定文化財である鶴岡カトリック教会天主堂でパイプオルガンコンサートが始まりました。司会はなんと某国営放送山形放送局のアナウンサーで、地元では「今夜はなまらナイト」の司会で有名な方。
「インターナショナル・オルガン・フェスティバル」は今年で第18回なのだそうです。本年は、公演順に大分、東京、長崎そして鶴岡の4カ所。
演奏するのは、カトリックの国、ポーランド第2の都市グタンスクのオリヴァ・カテドラルの主任オルガン奏者ロマン・ペルツキ教授。終演後に主催者の一人でオルガン奏者の児玉麻里さんが説明するには、グタンスクのオルガンは鍵盤が5段でパイプがなんと8000本もあるのだそうです。8000本ですよ!
鶴岡のパイプオルガンは、なんと酒田のパイプオルガン製作者の手になるものです。可愛らしい天主堂に鎮座するその可愛らしいパイプオルガンは鍵盤も1段しかなく、パイプの数は100本ないのではないかという小型です。しかし、その音色はとても魅力的でした。
天主堂の天井は、たとえばウィーンの大聖堂の天井の高さから見ると1/10くらいしか無いような低い建物です。そのため、石造りの教会によくある残響の多い響きはありません。鶴岡の天主堂は、なんとその2/3のスペースに畳が敷かれています。カトリック教会の天主堂に畳?そうなんです。
明治時代から105年も経つ建物で、昔から畳が敷かれているようです。そのような環境での小型のパイプオルガンは、教会の中にありがちな「ボワ〜ン」とした美しいけれど輪郭の不鮮明な音ではなく、一つ一つの音が良く聞き取れる、演奏者の実力がよくわかるオルガンでした。しかも、音色が素晴らしいのです。
さらにペルツキさんの演奏も素晴らしかった!すべて素敵な曲でしたが、個人的には5番目に演奏された(作者不明)の「舞踏曲」とジョバンニ・モランディ作曲の「鐘の音のロンド」が良かった。ストップを操作して音色を変える事により、リコーダー四重奏のような爽やかで可愛らしい音楽を奏でます。

児玉麻里さん作曲の「オルガンと箏・尺八によるトリオ『フランシスコ・ザビエルの足跡』」という曲も箏の高橋理香さん(三川町出身)、尺八の佐藤晃さん(鶴岡在住)、オルガンの児玉さんで演奏されました。物語性の高い面白い曲でした。
Photo鶴岡カトリック教会には、司祭のドネガンさんが説明するには、おそらく日本でもここにしかないかもしれないというフランシスコ・ザビエルの遺品がこの祭壇に納められているのだそうです。
オルガンは、祭壇から見ると後方の2階に置かれている為、祭壇に背中を向けてのコンサートというのもちょっと変な感じがしました。

そして、鶴岡のカトリック教会と言えば有名なのはこれです。
Photo_2赤子のイエスを胸に抱く聖母マリア像ですが、イエスもマリアも肌の色が黒いのです。
「黒いマリア像」として有名。フランスの修道院から贈られたものですが、色の黒いマリア像は日本ではここだけにしかないものだそうです。昨年訪れた時(「鶴岡の街」の記事参照)は、丁度修復の旅に出かけていたので、本物のマリア様には今回初めてお目にかかることが出来ました。
この天主堂の事などは、こちら、「鶴岡カトリック教会」のHPです。

有元利夫絵画展のことは明日にでも書きましょう。
それよりも、酒田は明日から創始400年、慶長年間1609年に始まり一度も中止された事の無い、「酒田まつり」です。この事も記事にする予定です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.15

サロンコンサート第2弾の予告

先日、第1弾が無事終了したばかりですが、すでに第2弾「サロンコンサート第2回」の企画準備が始まっています。
今度お呼びする音楽家もプロのフルート奏者です。
国立市在住で東京を中心に活躍されている上坂学さん。知っている人は知っている(笑)「フルート・クライス」というインターネット上最大と言われるフルートサイトをもう10年以上やっていらっしゃいます。
「フルート・クライス」のホームページは←こちら。
この中では、「フルートなんでも質問箱」が凄いのです。日本中のいろんな年齢、立場のあらゆるレベルの笛吹きからの、質問、疑問にていねいに答えてその質疑応答の書き込みがもうすぐ4000件に到達しようと言う凄いものです。

そもそも私と上坂先生との出会いは、今から5年程前になります。大学病院から市中病院に出向してから再燃したフルート熱。長い、なが〜い、なが〜〜〜いブランクのため、演奏技術の衰え(というか元々技術は低かった)はもちろん、フルートの情報に疎く(当時は、まだエマニュエル・パユも高木綾子もよく知らなかったんです)この「フルート・クライス」のHPを見て、BBSなどに出没しながら情報を収集していました。その中で、クライス上坂門下集合の年末の「大発表会」の告知があり、いわゆる「殴り込み」という感じで出演させて頂きました。H15年の12月に初めてお会いした事になります。

その後、学会などで上京した折りに、「クライス・フルート・ソロイスツ」と銘打ってすでに140回近く続けているリサイタルにお邪魔したり、品川や新大久保で個人レッスンを受けたりして来ました。
H16年の春だったと思いますが、「フルートを楽しもう!in東京」に参加し、フルート奏法の考え方でまさに「目から鱗」の思いをしました。フルートの音の出し方、構えなど、それまで自分が自己流で考え来たものとは大きく違うもので、最初は戸惑いもありましたが実際にやってみるとあまりにも驚く程簡単にいい音が出るのです。
いつかこの「上坂流フルート講習会」を山形でもやりたいとその時から思っていました。

昨年、金沢の笛吹きドクターI氏とそのお仲間が上坂先生を呼んで「フルートを楽しもう!in金沢vol.1」を実現させました。日程が折り合った私は、酒田から車で金沢まではるばる参加しました。そして、また「これを是非、山形で、、、」という気持ちを強くしたのです。

その後、開業準備に入り様々な縁もあって広さ100平米のリハビリ室は、音楽ホールとして十分使用出来る音響の良い雰囲気の良いものに仕上がりました。これを演奏会に使いたいという気持ちはついに先日現実のものになりました。
夢は叶うものではなく叶えるものだ、という人がいます。
私の場合は、うまくいくかどうかということより、「こうなるといいな」「こうしたいな」という夢や企画を持って、とにかくそれを「考え続ける事」を大切に思っています。「考える」「考え続ける」と何故かいつの間にか周りの状況が整って来るものなのです。無理をしなくても段々準備が整って来るものなのです。待っていると転がり込んで来るのではなく、転がり込む様に準備をしていると言い換えた方がいいでしょうか。

そしてついに実現させることになりました。
「フルートを楽しもう!in 酒田 vol.1」
です。平成20年6月28日(日)(土)です。
東京から上坂先生と、ムラマツフルート新宿店で修理室長をしている伊藤さん(なんと!酒田出身で、ゴールウェイ始め世界中のフルーティストが厚い信頼を寄せている職人です)にお出でいただきます。
1)上坂先生のフルートリサイタル、2)フルート無料調整会、3)ムラマツフルート試奏会、4)フルートQ & Aの4本立て!の豪華版です。

リサイタルの内容やQ & Aなどについては、「フルートを楽しもう!in 酒田 vol.1」に逐一報告されて行くと思いますので、そちらをご覧頂ければと思います。こちらのブログでも私なりに少しずつ告知して行く予定です。とにかく、フルート吹きにはたまらない、楽しくためになる会になる事をお約束致します!

---
音ブログにもアップしました。ドビュッシーの「シランクス」です。いかがでしょうか?

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008.05.14

小沢征爾指揮新日本フィルを聴く

5/12(月)、希望ホールには往復はがきの抽選に当たったプレミアムチケットを手にした(または当たった人から譲ってもらった?)人たちがあふれ、大ホールは満席。
さすが小沢征爾さん。もちろん有名ということはあるし、普段はウィーンで活躍されているのだから、国内ではなかなかお目にかかれないという事もあり、SS席は12,000円。山響の4000円に比べて3倍の値段の価値が本当にあるのか?とも思うが、山響が残念ながら7割くらいの入りだったのだから、だれも12000円を高いとは思わないのでしょう(私も思いません)。

席も抽選で決まっているので選べず、私にしては珍しく1階席の前方。前から5番目の上手ブロック。
メインの「悲愴」はコントラバスやビオラが活躍するので、マエストロが上手側を向いて指揮をする姿が観れるだろうと予想し、始まる前から軽度の興奮状態。

これで小沢征爾指揮は3回目ですがいつも期待通りの演奏をしてくださいます。
今回も事前に体調不良との噂。終演後の打ち上げにも出席されないと聞き及んでいたので少し心配していましたが、元気に登場。
でも体は痩せていて、肌はやや生気がない感じ。それもそのはず、昨年煩った帯状疱疹の痛みがあり、ひどいと一人で歩く事もままならないらしい。ステージ袖では激痛に顔を歪めるような事もあったとのこと。でもひとたびステージに出るや、ニコニコと満面の笑顔で渾身の指揮。さすがというか、だからこそというか、息子さんも役者さんですが、本人こそ「役者」だと思います。

1曲目はモーツァルトのディヴェルティメント。
よく耳にする曲です。弦のみの小編成の演奏ですが、衝撃を受けました。これまで生で聴いたディヴェルティメントの中で文句なしに一番美しい演奏でした。
コンマスは、新日の「葉加瀬太郎」と呼んでいいでしょう、風貌がそっくりな崔(チェイ)文洙さん。モーツァルトの演奏でもかなりの体のアクションが入ります。
一番感動したのは、コントラバスの柔らかい音。そして合奏全体の凄く繊細なpp。演奏のダイナミクスの幅が広く、活き活きとしていて緻密で、これぞモーツァルト!と言う感じ。目をつぶればウィーンのコンツェルトハウスかムジークフェラインで聴いているような錯覚を覚えるとまで書くと言い過ぎでしょうか。いえ、それくらい素晴らしい演奏でした。

2曲目は、モーツァルトのオーボエ協奏曲。この曲の事は先日書きました。
ソリストは新日の首席オーボエ奏者、荒川さんと二人イケメンが並ぶ、片方の古部賢一さん。
そのオーボエは音色、テクニックともにさすがです。なによりアーティキュレーション、アゴーギグの付け方が素晴らしい。そして、バロック時代を受け継ぐモーツァルト時代の音楽を強く意識したと思われる、装飾やカデンツァの奏法。バロック好き、ジャズ好きの家内は隣でツボにはまって大興奮。私も古部さんの演奏に合わせ自然に体が揺れました。
フルートではニ長調となるこの協奏曲。オーボエの原曲では微妙に譜面が違うようで、私がフルート譜で覚えている音の動きとは違う部分が結構ありました。プロオケをバックにいつかはニ長調協奏曲を吹いてみたいものです。。。(考えるのは自由ですよね)

休憩は予定より長く20分以上。やはいマエストロの体調が悪そう。
3曲目、いよいよ『悲愴』。チャイコフスキー作曲交響曲第6番です。
少なくともフルートの1番の楽譜はすべて私の頭の中に入っています。昨年の4月から12月初めまで7ヶ月以上練習して、定期演奏会で吹いた曲です。定期のメインで初めてトップを吹かせてもらった曲です。完璧に頭に入っています。
ですから、フルートトップの荒川洋さんと一緒に吹いていました。もちろん心の中で、ですが。
小澤さんの指揮は、本当に素晴らしい。
「指揮はdriveではなく、carryだ」というカラヤンの言葉を弟子としても受け継いでいるそうですが、私にはdriveしている様に見えました。小澤さんの体から出てくる音楽の魂に団員の心が反応して、熱く燃えるのです。fffffの部分などは、すべての弦楽器(だいたい第1Vnで8プルト=16人という大編成)の弓から火が噴いているような感じで、弓と弦の摩擦で生じるやや焦げたような匂いまで感じられるような大熱演。「新日の葉加瀬太郎」のソロコンマスは、椅子から落ちるかと言うくらいのアクションで、ほとんどジミヘン弾き(のだめに登場した瑛太の演じたバイオリニストの様)。
クラのpppppは本当にかすかに聞こえる程度の音量。受け継ぐバスクラがそこまで音量を落とせず可哀想、と言うくらいのpppppでした。
2楽章の舞踏、3楽章の行進、と素晴らしい音楽が続きます。

懸念していた事は現実になりました。
あの熱演を聴かされれば3楽章が終わった途端、拍手をしたくなる気持ちはわからないではありません。しかし、もう少し曲を勉強してほしいな。結構な数の人が3楽章が終わった途端、拍手をしてしまいました。楽章間の拍手はしてはいけない訳ではありません。禁じられている訳ではありません。
ただ、『悲愴』の場合、4楽章はattaccaで始まります。すくなくともマエストロ小澤はアタッカで演奏します。それは、今年始めのベルフィルを振った「カラヤン生誕100年記念演奏会」での『悲愴』でもそうでした。拍手は音楽の緊張を断ってしまいます。できれば拍手はしてほしくなかったですが、酒田の聴衆(酒田以外から来た人もたくさんいたようですが)はそこまでの知識はなかったようです。
すこしがっかりしました。
小澤さんの指揮で、激しい3楽章が終わって、間髪入れずに4楽章のうねりに入る、その緊張感が失われました。息を呑むような、体が凍り付くような、緊張感を味わいたかったですね。

でも4楽章の演奏を聴いていて、そんな残念は直ぐに忘れ去り音楽に没頭しました。聴いていて、さすが小澤さん、ウィーンで、世界のクラシックシーンを牽引する重要な音楽家として活躍する日本人、それに応える力量を持つ新日本フィル、、、などとボーッと考えていたら胸が熱くなってきました。
最後、コントラバスが2パートに分かれてarcoで重たい足を引きずる様にディミニュエンドしていきながら、ピチカートで心臓の鼓動が弱くなって停まって行く、そして消えいる様に死を迎える、その間、小澤さんはコントラバスの方に向きながら、手と表情とそして体全体でその様を表現しておられました。
最後の一音が聞こえなくなり、小澤さんが手を降ろさず、ゆっくり手を下げて、、、、
今度は誰も拍手しません。音楽の余韻にうちひしがれて、体が動かなくなってしまったようです。拍手のタイミングを計りかねていたのかもしれません。
パラパラと拍手、少しずつ拍手、ようやく皆拍手。。。小澤さんは直ぐには聴衆の方を向かず、団員をねぎらいます。各パートリーダーに握手を求め、ようやく観衆の方に向き直ったところで「大拍手」。
ようやく聴衆も4楽章の「死」から復活したかの様に拍手拍手。中には感激のあまりか泣いている人もいました。やっぱり小沢征爾は凄い指揮者です。
新日本フィルも凄いです。もしかすると今日本で一番凄いオケかもしれません。新日本フィルの前では、残念ながら山響も仙フィルもまだまだかな、と思います。目指すところが違うのですから何も比べる必要はありませんが、音楽的な力の差を感じます。


終演後、荒川さんと約束していたのですが、クラのトップを吹いた重松希巳江さんもご一緒に「打ち上げ」に向かいました。ロビーで待っていたら、日曜日にフルートクリニックを受けて中学生や高校生が「ここで待っていれば荒川さんに会えますか?」とまたハートのお目目で必死に聞いてきます。まもなく登場した荒川さんは引っ張りだこでサインを求められたり、一緒に写真に収まったり。そんな中、マエストロ小澤が懸命に笑顔を作りながら希望ホール3階で行われた実行委員会主催の懇親会に出席するため(体調不良で出ないと言っていたのをおして)目の前を通られました。事情を知らないファンが取り囲み握手を求めたりしていましたが、私は遠巻きに眺めてその痩せられたお姿をやや悲しく、でも素晴らしい音楽を聴かせてくださった事に感謝の気持ちでおりました。係の人がようやくファンを制して通り過ぎて行かれたのでホッとしました。

「打ち上げ」には、ホルンパートの吉永さんら3名にチェロの方も1名加わり、新日の楽団員6名に我々は8名で楽しく飲みました。最後は「酒の後はラーメン」と酒田のラーメンを夜遅くまで出してくれる「鶴岡屋」に行き、名残惜しくお別れしたのは0時を回っておりました。

今日、荒川さんからメールを頂きました。感謝の気持ちとともに「また学生さん達に会いに行きたいと思います」と書かれていました。
酒田希望音楽祭が新日本フィルを毎年呼ぶというプランは5年の約束なので、一応今年で終わりです。でも可能なら来年も、再来年も毎年来てほしいと思います。マエストロ小澤は毎年が無理だとしても3年に1回くらいいらしていただけないでしょうか。音楽監督のクリスチャン・アルミンクで十分ですし、昨年の様に「炎のコバケン」でももちろんOKです。
「希望ホール」といういいホールを持ったおかげで、山形県内で一番恵まれた環境にあるのが酒田だと思います。山響に仙台フィルに新日本フィル、そして酒フィル(?!)まで聴けるのですから。(笑)

ーーー
おまけ
「ジョンダーノホール」での演奏。
荒川さんの演奏を勝手に公開する訳には行きませんので、チェンバロのあわせ練習のために私が代理で吹いた演奏をアップしています。
JS Bach ロ短調ソナタ BWV1030 1楽章
は←こちら。
JS Bach ロ短調ソナタ BWV1030 2楽章
は←こちら。

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2008.05.13

サロンコンサート第1回報告

5月11日(日)、某脳神経クリニックのリハビリ室、別称『ジョンダーノホール』で第1回目のサロンコンサートを行いました。

こけら落としの演奏にお迎えしたのは、新日本フィルフルート副首席の荒川洋さん。
酒田のクラシック音楽シーンになくてはならない存在であるJS先生(あの、故佐藤久一氏を題材にした非常に長いタイトルの本にも、レストラン「ル・ポトフー」で歌を歌ったクラシック歌手として登場します)や、リハビリ室に置いたグランドピアノを元のヤマハの中古からハンマー、アクションや弦などをすべて新品に変えて調整した(半分、造ったと言えるくらい)I楽器のT氏などとは家族ぐるみで古くからの交流があり、H16年の「希望ホール」杮落し事業で初めて小沢征爾&新日本フィルを迎えた時に私も一緒に食事をする機会に恵まれました。(「自慢の写真2-6」

それから酒田に来られるたびに交流を続けていたのですが、今回このようなチャンスが生まれました。私にとっても、「ジョンダーノホール」にとっても、大変幸せな事です。

Photo朝一の飛行機で庄内空港着なのでお迎えにあがり、まずは酒田海鮮市場の海鮮どん屋「とびしま」を目指しました。荒川さんは朝からスペシャルなウニ丼をペロリ(私は550円の「づけ丼」)。そしてクリニックにお連れし、T氏による調律を終えたばかりの完璧なピアノをMS嬢の演奏により早速リハーサル開始。
小品を数曲やって、前半のメインのプーランク。
荒川さんの笛の音は、一言で言うと「ものが全然違う」という感じでした。私の笛の音を聞き慣れている家内などは「驚いた」「何事が起きているのかと思った」というぐらい、衝撃的な音でした。音量も大きいのですが、響き、音の深み、芯のある、柔らかく強い、要するに「強烈」な音色です。凄すぎて私は笑うしかありませんでした。
わずかな休憩を取って、後半のメインのバッハのロ短調ソナタ。家内がチェンバロを担当。繰り返し後は、フラウト・トラベルソ風の音を出したり、バロックなので自由な装飾を付けたり。チェンバロの音量に比べて笛の音量が大きく強いのでちょっとバランス悪いかな?と感じましたが、ホールの響きがカバーしてくれたようでした。

あっと言う間に12時を過ぎたので昼食タイム。
Photo_2平田牧場の本店がある酒田なので平牧直営店「とんや」でとんかつを、とお連れしたかったのですが、なにせ日曜日のお昼。行ってみたら、「11組待ち」。1時間は並ばなければならないだろうということで諦めました(土日は予約を受け付けてくれないのです、、、怒)。
市役所近くの名店、フランス風郷土料理のお店レストラン「欅」にお連れしてランチを頂きました。ランチのお魚のコース、魚がとても美味しくて荒川さんも感動していました。

戻って来たら、午後2時少し前。3時半開場なのでもうあまり余裕はありません。それぞれ「おさらい」して準備を整えます。3時頃にはチケットを求める人から電話や直接尋ねてくる人もいて、予定していた人よりも増えそうだとかすかな危機感を感じます。一方で、不幸があったため予約をキャンセルする人など「想定内」の出来事もあり、念のためチラシ兼チケット兼プログラムを増刷します。
医院の待合室や中待合いのソファも運び込んで、もしも予定より入場者が増えたらという事に対応します。

3時半前には高校生などが来場。受付をオープンするとあっと言う間にたくさんの人が来られ、開演10分前にはほとんど人が揃いました。私はこの日のために用意しておいた、ネットからDLしたJRの車内放送用オルゴール音源集から「主よ 人の望みのよろこびよ」をかけて、開演を告げます。荒川さん自作のCDや妹さんのリコーダーをメインにフィーチャーしたCD「『みんなしあわせ』荒川知子とファミリーアンサンブル」を案内。
4時少し過ぎていよいよリサイタル開始。会場は満員(7席ほど座席を追加して空席が5つくらい)。
荒川さん自作曲でご挨拶演奏。短いMCを挟んで、ドビュッシーの「小舟にて」、フォーレの「シシリエンヌ」、マスネの「タイスの瞑想曲」を続けて演奏です。荒川さんの深みのある響きの美音に皆酔いしれているようです。ピアノ伴奏も素晴らしい!

小休憩をして、プーランクのフルートソナタ。この曲は、1957年にプーランクが作曲し、プーランク自身のピアノにランパルのフルートで初演されています。この年に生まれた私としても思い入れが深い曲です。なお、プーランクは没後50年を経ていない事もあり、JASRAC登録作品です。最近はJASRACもネットを使って自動検索エンジンを活用し、日本中の演奏会を細かくチェックしているらしく、何の前触れ(電話での問い合わせとか確認)もなく、拙医院に「JASRACへの演奏会の登録と報告のお願い」という『指導』が郵送されてきました。ネットの世界はバーチャルな事も多いのにまったく確認もせず郵送されて来た事にまず驚きました。
医師や医院の宣伝に関して、インターネットのHPなどは町に設置した看板や新聞への広告などのような「不特定多数への宣伝」とは見なされず、インターネット接続環境を持っていて、意図してそこに尋ねてこなければ閲覧出来ない情報ということで、医療法、医師法の制限を受けないのですが、JASRACはインターネット上に公開した演奏などは、「不特定多数への自由な公開」という解釈になっていて、私のフルート演奏の「音ブログ」なども「取り締まり」の対象にされています。

個人がその個人的な趣味で演奏したり音楽会を開いたりする事も取り締まる事がどこまで正義なのか、妥当なのか、はっきりわかりませんが、言える事は「取り締まる」ならばすべてもれなく公平に公正に取り締まってほしいものです。JASRACは別に公的機関でも法的機関でもないはずなので、実際は「取り締まり」ではなく「お願い」という名前の「指事」「指導」なのですが。。。

さて、話がずれました。
プーランクのフルートソナタ、荒川さんの笛はもちろんMS嬢のピアノも素晴らしかった!大拍手。
Photo_3そして10分ほどの休憩を取って、後半のメイン、バッハのロ短調ソナタ。
これを聴くために、秋田の家内の両親や友人も駆けつけてくれました。初めて家内のチェンバロ演奏を聴く人がほとんどだった訳ですが、皆チェンバロに興味津々。JS先生から「チェンバロ、素晴らしかったわ」とお褒めの言葉を頂きました。
私は出ないのか?と何人かの方に言われましたが、まあ、初めてのことで準備に奔走したのと、主催者側としていろいろ気配り、目配りが必要だったので荒川さんとのデュオは諦めました。(^^;;;;

Photo_4アンコールは、まずドビュッシーのSyrinx。部屋を真っ暗にしたかったのですがその余裕がなかったのでやや灯りをダウンしただけ。大きな拍手でつづいて荒川さんの小品をもう1曲。
17:20頃、リサイタルは盛況のうちに終了しました。皆、満足げな顔をされていたのでほっとしました。ホールの事も褒めていただきました。

15分ほど休憩して、第2部、フルートクリニックです。
希望者が増えて、中学生3名、高校生9名、一般1名となったので、限られた時間でどうなるか見当がつきませんでしたが、そこは指導もなれている荒川さん。一人一人丁寧にポイントを押さえて指導をされて、時間は結局、17:40から19:20過ぎまで1時間40分もクリニックに時間を割いていただきました。中高の子供達は、皆、緊張しながらも目を輝かせ、イケメンで凄い音色の荒川さんを見る目が皆「ハート」になっているようでした。(笑)
クリニックが終了しても、学生達は荒川さんを取り囲み、なかなか離れようとしないので、「はい、撤収!撤収!」と声をかけざるを得ませんでした。

医院近くの「善べえ」というお店で荒川さんを含めて11名で「打ち上げ」。19時過ぎからを予定していたのですが、クリニックが大幅に伸びたので結局19:50頃からになってしまいました。楽しくフルート談義、音楽談義を交わし「お疲れさん」と慰労し合い、何よりも素晴らしい荒川さんの演奏に感謝、感謝でした。

やってよかった、サロンコンサート!
第2弾も既に計画済み。
不定期ながらどんどんやって行きますよ!

| | コメント (11) | トラックバック (0)

2008.05.12

今日は小澤&新日フィル

昨日のサロンコンサート第1回は、たくさんの方においで頂き、楽しく成功裡に終了しました。
遠くは秋田市からもおいで頂き、酒田市中心に吹奏楽部の中高生やその指導者の方々、酒フィルの仲間や笛吹きの人たちも大勢参加していただきました。フルートクリニックは参加者が多くなり(後から申し込んで来たのですが全員お受けしました)、予定を大幅に超過して終わったのは午後7時30分少し前(予定では17:20〜18:30が、17:40〜19:25となりました)でした。その後、近くの店で「打ち上げ」をし、荒川さんを囲んで楽しいお酒を頂きました。
詳細は、また写真入りでアップします。

さて、その演奏会で笛を吹いてくださった荒川洋さんもトップとして演奏するコンサートは今晩、酒田市民会館「希望ホール」です。マエストロ小澤の人気は絶大なので、往復はがきによる抽選形式ですが私は幸い「当たり」ました。席も自由には決められず抽選結果に従うしかないのですが、1階の上手前の方の席ですので、小沢征爾氏の表情も観れるのではないかと期待しています。
小澤さんは、昨年5月の中央ヨーロッパ旅行の際、ウィーンのコンツェルトハウス大ホールの演奏会、ニコラス・アーノンクール指揮ウィーンフィルハーモニーの「ベト7」で見かけました。休憩時間に人でごった返すラウンジを歩いていたらVIPルームから出てこられた小澤さんとばったり。すれ違う直前にタキシードと着物姿の我々を日本人と認識されたのか、「クシャッ」というあの笑顔を向けてくださり感激した事を昨日の様に思い出します。やはり体の中から出てくるオーラというか「気」が凄かった事を思い出します。「中央ヨーロッパの旅、2日目」にこの事を書いています。

本日のプログラムは、
・モーツァルト:ディヴェルティメントニ長調
・モーツァルト:オーボエ協奏曲ハ長調
・チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調「悲愴」

2番目のオーボエ協奏曲は、新日本フィルオーボエ奏者の古部賢一さんのソロです。古部さんは、先日新潟で聴いた「もぎぎオケ」でもオーボエトップをつとめておられました。ブログ記事、「いまだかつてないコンサート」をご覧ください。
このオーボエ協奏曲は、漫画およびテレビドラマで話題になった『のだめカンタービレ』において、オーボエ奏者「クロキン」こと黒木泰則が演奏したものです(ちなみに、テレビドラマでの実際の演奏(音源)は、私の高校の後輩に当たるオーボエ奏者最上峰行さんが演奏されたそうです)。

1777年モーツァルト21才の時に、ザルツブルグのオーボエ奏者ジュゼッペ・フェルレンディスのために作曲したものです。その後、モーツァルトはオランダ人医師でフルート吹きのドジャンから作曲依頼を受けたのですが、その性急な依頼に応じるために1778年にオーボエ協奏曲をそのまま1音高く移調してフルート用に編曲し「フルート協奏曲 ニ長調」としてドジャンに送ったと言う事になっています。

フルート協奏曲ニ長調といえば、いつの世でもフルート吹きの憧れであり目標の一つです。技術的難易度は、イベールやハチャトォウリアンのそれに比べればおとなしいものですが、その美しさ、軽快さ、音楽の喜びにあふれた演奏をするのはそう簡単な事ではありません。音を出すことはある程度の演奏技術さえあれば、中学生でもできるでしょう。しかし、一つも無駄のない音をすべて意味のある豊かで軽快な音楽にするのは大変難しいと思います。
オーボエ協奏曲、大変大変楽しみです!

そしてメインの「悲愴」。
これは昨年12月の酒フィル定期のメインの曲で、私がフルートトップを吹きました。今夜は荒川さんが吹く訳で、きっと熱い視線を送って聴く事でしょう。(^^;;;
さらに、今年1月にベルリンでカラヤン生誕100年の記念演奏があった際に、マエストロ小澤がベルフィルを振って、この曲を演奏しています。それはそれは熱く、魂のこもった演奏でした。番組表も観ないでたまたまつけたテレビ(BS-HiV)で「ベルリンフィルのすべて」という特集をやっていて、その中でこの1月の演奏が放映されたのを観る事ができたのです。感激しました。
今晩はどうでしょう。。。
3楽章から4楽章はattacaなのですが、誰も拍手しなければいいけれど、、、(演奏を中断させてしまう恐れがあるので)。とにかく楽しみです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.10

山響庄内定期酒田公演

酒田市民会館が新しく素晴らしいホールになって、酒田市出身の故岸洋子さんにちなんで「希望ホール」という名前になって丸4年=5年目を迎えました。

山響の定期演奏会は、それまで山形テルサか県民会館または市民会館で行われていました、鶴岡の文化会館と「希望ホール」でも「定期演奏会」をということになり「庄内定期」というのが出来た訳です。

Photo本日は、庄内定期酒田講演の第7回目の演奏会でした。希望ホールが出来たH16年には、小曽根真さんを迎えて小曽根さんの作曲になるピアノ協奏曲「もがみ」の演奏会がありました。指揮は、高校の後輩である佐藤寿一氏でした。
H16年の山響シンフォニックジャズコンサートは←こちら。3枚目の写真です)
H17年から定期演奏会になって年に2回「希望ホール」で公演があります。酒田公演4年目で7回目という訳です。

本日のプログラムは、なかなか意欲的なものでした(飯森さんはいつも意欲的ですが)。
1)キラール;オラヴァ
2)ショパン;アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ変ホ長調作品22
3)ラフマニノフ;交響曲第2番ホ短調作品27

キラールは、私は名前も知りませんでした。曲はもちろん初めて。
第1バイオリン5、第2バイオリン4、ビオラ3、チェロ2、コントラバス1という、全部で15名のアンサンブルです。
コンマスは、高木さん、フォアシュピーラーが犬伏さん、セカンドトップは舘野泉氏ご子息のヤンネ舘野、横に山Qの中爺、もとい中島さん、ビオラトップはバッハコレギウルムジャパンでも活躍されている成田寛さん、山Qの倉田さんが後ろにいます。チェロはトップが首席の宮城さん、横に山Qの茂木さん、Cbは相川さん柳沢さん一人。そして指揮は飯森さんです。
山響の弦のトップ奏者、これだけの陣容が揃うと凄いです。まず音の透明感が高い。アンサンブルが美しい。美しいだけではなく激しさも厳しさも表現する幅が広い。そして皆自信に満ちあふれた演奏をしています。
現在の山響のレベルの高さを如実に示す編成でした。メインにラフマニノフの3管編成の70名くらいの迫力の大型オケを持って来ておいて、その前にこの小編成。飯森さんの憎い演出だと思います。
(そういえば、最後に「エイッ!」とか「ヤッ!」というかけ声を全員でかけていましたが、楽譜にはなんと書いてあるのか見てみたいですね)

2番目のショパンは、ピアノが仲道郁代さんです。
相変わらず、綺麗で可愛らしい。細い!!!ちょっと狸顔(失礼!)の優しい表情をされていますが、演奏では、繊細なpppから迫力のfffまで、音域、音圧の幅が広い柔軟な音楽を奏でられます。
飯森さんと桐朋で同級生という事で、カーテンコールを受けた際にも、ステージから袖に控える飯森さんを手招き(しかも下から手を回すやり方!)で呼ぶ様な「友達」という感じです。
この曲は、プログラムノートにも書いてありましたが、映画『戦場のピアニスト』で最後に演奏された曲との事。終演後のホワイエでのインタビューで仲道さんが仰っていましたが、本来、ショパンはピアノとオーケストラのために書いた曲だったのですが、ほとんどピアノ単独で演奏されます。私もオケとの演奏を聴いたのは、有名な曲にも関わらず初めてでした。仲道さん自身もなかなかオケと共演で演奏する機会は少ないとの事で、山響としかも飯森さんと一緒に演奏出来た事を本当に喜んでいらっしゃるようでした。
ただ、曲は10分強と短いので、折角仲道さんが酒田までいらして下さったのにこれで終わりでは少し寂しいと思いましたが、観客の盛んな拍手に応えてアンコール。曲はショパンの「幻想即興曲」。私も最初の一頁分くらいなら弾いてみた事がありますが、本当に幻想的な、変化の多い、柔軟な演奏で、ブラボーでした。

3曲目のラフマニノフ。2番といえば「ピアノ協奏曲」が有名ですが、これはさんざん酷評された交響曲第1番のショックから精神科医の助けを得てまた作曲に取りかかり、その有名なPコン2番を書いた同時期の作品だそうです。どうりで、Pコン2番ととても似ている部分があり、飯森さんも言っていましたが「まるで映画音楽?」というような、甘い、切ない、旋律が繰り返されます。劇的で、優雅で、激しく、哀愁を帯びた演奏が延々と続きます。そう、この曲は長いのです。編成も大きいだけではなく、約1時間近く交響曲。それ故でしょうか、演奏される機会はあまり多くなく、アマオケではほとんど取り上げません。
3楽章のクラのソロ、美しい。第1バイオリンの旋律、そして客演首席コンマスの高木さんの美しいソロが希望ホールに響きます。コールアングレも美しい。トランペットもカッコいい。ホルンは5人(1アシ付きでしょう)で勇壮に、時に悲しげに響きます。ビオラもチェロも素晴らしい。。。

Photo_3(写真は終演直後の様子)
聴いていて、先日のSフィル(プロオケ)の演奏を思い出し、つい比較してしまいました。音楽に、演奏に、「比較」はつきものです。どちらがいいとか悪いとか、優れているとか劣っているとか、コンクールではないのでナンセンスだということはわかるのですが、圧倒的に山響の方が「上」だと思いました。まず音が美しい。アンサンブルが緻密。演奏が丁寧。そして団員が自信と共に音楽をする喜びが溢れている様に感じる、とまで言ってしまうと単なる「身びいき」でしょうか。
山響の苦しい時代を、「ガタ響」と揶揄された時代を知っているだけに、つい判官びいきになるのかもしれません。
金曜の夕方、開演が18:30だったこともあり、観客が少ない、8割位の入りだったのが残念でしたが。。。

Photo_28時半を回って、団員は急いで撤収、山形へバスで戻る準備をする中、飯森さんと仲道さんはホワイエでファンとの交流会を開いて下さいました。私は、知人のチェロのSさんとトランペットのIさんと少し袖でお話をして、ホワイエの交流会にも参加。
飯森さんは「音楽家は、僕はサービス業だと思う」と言い切っておられました。誤解を生みそうな発言ですが、芸術を求める人にサーブするという意味だと思います。コンビニの店員さんとは違います。サービスする内容が違い、サービスする志が違うと思います。

写真はNGと言われましたので、小さくしました。飯森さんはOKでしょうが、多分仲道さんのエージェントの関係で言われたのでしょう。問題があれば削除します。>関係者

いつもの司会のJS先生は、細みの酒フィル前会長の身体に隠れて見えません。飯森さんは、ラフマニノフの1時間に及ぶ指揮の直後にもかかわらず、着替えもしないでファンサービスです。お話もおざなりの受け答えではなく、本当にクラシックを広めたい、ファンから愛されたい、という思いが感じられました。仲道さんは、声も愛らしく、「木綿のハンカチーフ」(古!)を歌った太田裕美を彷彿とさせる感じです。「自分は『さらい魔』で練習が好きでピアノが好きで、子供の頃からいつも練習していた」というようなお話。「好きこそ、、、」ではありますが、一つの事を捲まず撓まず続けられるという事こそ、「才能」と言うのだと思いました。

ーーー
昨日は別の場所である医学研究会が行われていたので、コンサートの直後、遅れて参加しました。
大学の同級生で、今は、都立駒込病院の外科部長の要職を務め、NHKの『今日の健康』にも出演している「大腸がんの権威」である高橋慶一先生の講演があったのです。
(ついでながら、慶一君は5/10(土)午後8時からNHK教育の「名医に聞く」に登場します)
Photo_4直後の情報交換会から、N病院の消化器・一般外科の先生方の集まりに私も混ぜてもらいました。同じく酒田に開業している整形外科医のN先生と私の2名は、「慶一君」の同級生という事で「鈴政」での二次会に参加。外科の先生方と一緒に記念撮影です。前列右から2人目が大腸がんの権威、高橋慶一先生です。
昨年は同級生から2名、医学部の教授が誕生しましたし、このように同級生が活躍するのは嬉しい事です。私も頑張ろうという気になりますね。

明日は、「サロンコンサート」第1回。
演奏の練習として、もう1曲アップしました。
「プーランク・フルートソナタ」1楽章
は←こちらからどうぞ!

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2008.05.09

サロンコンサートの準備1

何度か告知して来た「サロンコンサート」第1回も、明後日、あと2日になりました。
荒川洋さんのフルートのピアノ伴奏をお願いしているのは、酒フィルセカンドバイオリンS氏の奥方です。M音大のピアノ専攻卒なのですが、プロとの共演ということで先日、東京の師匠(コッホ・幸子氏)の元にレッスンに行かれたという気合いの入れよう。
荒川さんと合わせるのは5/11本番当日の午前中ということになるので、どんな曲なのかを掴んで頂く為に、不肖わたくしが練習台として笛を吹かせて頂きました。(^^;;;;;

H17年の6月から断続的に続けている「音ブログ」(音声をアップするブログ)であるケロログに、久しぶりにこの演奏をアップしました。今回のプログラムの曲の一部を少しずつ公開していきます。

まず1曲目は、マスネ作曲「タイスの瞑想曲」です。まあ、本番はプロが吹きますので、、、

続いて2曲目は、フォーレ作曲「シシリエンヌ」です。
う〜ん、、、こんな演奏でご勘弁下さい。m(_)m

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008.05.05

5月の鳥海

GW、皆さまはいかがお過ごしですか?
私は旅行などには行かず、いろいろしています。

一つは、庄内町「響ホール」でやっている木管楽器の合宿にちょっとお邪魔しています。
仙台のT大学オケのOBのうち、木管楽器奏者でずっと年1回は合宿をしているそうです。庄内町に「響ホール」という素晴らしい中型ホール(満席で500名)が出来てからはGWに合わせて関東や東北などいろいろな所から集まり2泊3日の合宿をしているそうです。
Photo_23木五(木管五重奏=フルート、オーボエ、ホルン、ファゴット、クラリネット)を2セット作って練習し最終日に録音までしているのですが、フルートが3名いるためどうしても一人余ってしまうという事で、T大のOBではない私が「お邪魔」させてもらって、「フルート四重奏」をやらせてもらいました。
ボザの「夏山の一日」とデュボアの「なんとか?」という曲です。とても難しいけれど楽しい曲です。

535月3日に初めて楽譜を渡されました。2曲とも4楽章構成なので、短いながらも8曲練習しなければなりません。ただ譜読みをするだけでもとても難しいところがあります。5/11のサロンコンサートのチラシやチケットを作りながら、リハ室にこもって(?)「コソ」練です。その時に、院長室から見えた鳥海山。
5月に入って、コタツを片付けたと思ったら、あっという間に連日夏日です。鳥海山の雪も、あっという間に無くなって来た様に見えます。

53_35/4の午後に「木五」の練習の合間を縫って、フルート四重奏の合わせの練習の時間が2時間だけ取ってもらえたので、コソ練後、この手蔵田の桜の堤の近くを通って「響」に向かいます。ほんの2週間前に満開から桜吹雪だったこの並木も綺麗に葉が開き周りにもいろいろな花が咲いています。
美しい。。。

練習が終わったらその足で、酒田市民会館「希望ホール」へ向かいました。
「立川談志独演会」。ある方からチケットを頂いて招待を受けていたので、着物を着た家内と二人でそそくさと向かいました。期待した談志は、喉をやられほとんどまともな発声が出来ないという状態。元々前座をやるはずだった人に加えて、急遽談志の弟子、立川談慶と立川談春の二人を呼び、「立川一門の会」に変更されました。それでも談志師匠は、まさに文字通り「声を振り絞って」、それこそ「喉から血を吐く様な」声を出して、短いジョーク集で高座を必死に務めていました。残念でしたが、ちょっと悲しく、ちょっと切なくなりました。談志師匠、細くなっちゃって、、、頑張って欲しいな。
頑張れ〜、談志!!!


Photoお米の品種によりますが、庄内地方では田植えは通常GW明けか、5月中旬頃から始まるようです。
今年は桜前線の移動も早かったし、5月に入った途端のこの陽気。酒田周辺の田んぼも急ピッチで水が張られトラクターで耕し整地されています。そして、田によってはすでに「田植え」が始まっています。
写真は、一部田植えの終わった田んぼと鳥海山。庄内の季節は駆け足で進んで行きます。

そして5月5日の今日、午前中はその木五合宿組の「録音」がありました。私も、上記ボザとデュボアでフルート四重奏に参加し、録音にも参加させてもらいました。オケとは全然違う難しさと楽しさを堪能しました。
午後は、山形市の山形テルサ3階「アプローズ」で、『木島由美子作品発表会VOL.2』があり、聴きに行きました。山形大学教育学部特設音楽科、通称「特音」卒の作曲家木島さん、HN=ウニさんの作品を、マンドリン合奏、朗読とピアノ、歌とピアノ、フルート・チェロ・バイオリン・ピアノの四重奏、トランペットとピアノといったバラエティに富む組み合せで聴かせてくれました。
まるで、「音楽の遊園地」に出かけて来た様な、次々に繰り出されるアミューズメントに驚き感動し喜び、なんだか聴きながら自然に笑顔になる様な曲ばかりでした。
木島さんの作曲の才能と共に、図抜けた企画力の凄さを感じました。

53_2こうしてGW後半4日のうち3日はほとんど「音楽」「芸」で過ごした訳です。


写真は4枚目の桜並木の間から眺めた、美しい鳥海山。
美しい。。。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2008.05.03

サロンコンサート第1回告知

先日来、時々ここで告知して来ました、サロンコンサート。
その第1回の正式(?)なパンフレットが出来上がりました。
自作です。
Photoプロが作る様にはいきませんが。
うちのリハビリ室には、椅子が60脚あります。クリニック内のその他の椅子をかき集めれば70人程は入れますが、一応「定員60名」としました。
庄内一円のフルート吹きや吹奏楽連盟関係の人に優先的に声をかけさせて頂いています。ですので、現時点ですでに半分以上は席が埋まっています。そこに関係者、招待者を加えると残りは20席程度です。
この演奏会に興味のある方はお早めに小生までご連絡ください。メールの場合は、このページの左側に「メール送信」というのがありますのでそれをクリックして下さい。

Photo_2庄内一円の個人宅に無償配布されている大変魅力的な情報誌「SPOON」5月号のインフォメーションに載せて頂きました。月刊スプーン「SPOON」は←こちら。

一昨日発行の「コミュニティしんぶん」5/2号とこのSPOONの影響でしょうか、サロンコンサートが聴きたいです、という問い合わせも頂いています。
サロンコンサートは、↓このような雰囲気の中で、グランドピアノとチェンバロの伴奏で行われます。
Photo_3このサロンコンサートが一時の癒しの空間として定着するよう努力して行きたいと思っています。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008.05.01

メーデー。炬燵をしまう

なに?炬燵?コタツ?
こたつってあの「冬」に使う、あれですか?
5月になるのに、こたつ、ですか?

九州生まれの私は、記憶する限りにおいて、中学生時代、高松に住んでいた頃までは「こたつ」なる家具は知らなかったと思います。仙台に転居して、冬に初めてコタツを経験したのではなかったかな〜。西日本の方では、コタツのない家はたくさんあるのではないでしょうか。

今朝方まで当家にはコタツが出ておりました。ここ数日、日中は大変いい陽気で気温も20℃を超えますが、まだまだ東北地方、朝方は気温は5~10℃なのです。
4/29でしたか、県内の天気予報を見ておりましたら、もっとも寒暖の差の激しかった米沢では「最低気温0℃、最高気温23℃」と出ていました。4月末で気温0℃ですよ!さすが東北、と感心してもいられません。
日本海沿いにある酒田はまだ寒暖の差は緩い方で、最低気温7℃、最高気温22℃くらいだったでしょうか。そして今日の日中はとても暖かく、車のコックピットの表示された午後2時頃の外気温は26.5℃!。
5月に入ったとたん「夏日」です。
そして、昼に自宅に戻るとついに居間からコタツが消えていました。夕食後、あの温々としたコタツの中に潜り込んで、そのままうたた寝してしまうという季節ではなくなったのですね。

Photo今日、半ドンで、とても暖かかったのでサラッとしたものが食べたい気分になり、庄内町(旧余目)の蕎麦屋さん「しま田」に行きました。平日の午後2時過ぎだったので、客は我々夫婦だけ。
写真の手前は「一日限定10食」の十割蕎麦。むこうは普通の盛りそばと庄内で食される「麦きり」の合盛りです。「麦きり」とは、小麦粉を蕎麦のように打ったものなので、つまり「うどん」ですが、うどんとも違います。秋田の稲庭うどんとも違います。讃岐うどんより細く、稲庭うどんより太く、腰は残っているけれど柔らかい、ぷるにゅん、と言う感じの赤ちゃんの肌のような麺です。喉越しもよく美味です。「鰊棒」をつけました。
山形のそば屋では、北前船による京都地方との交流の影響か、この「鰊棒」がよく見られます。

お天気も良く、あたたかでほんわりしたい所ですが、週一のトレーニングをここでさぼるとまた行かなくなりそうだったので、自分の気持ちを奮い立たせて午後はスポーツジムに行って汗を流して来ました。1時間半ほどで体重は500gr程落ちました。今年の暮れまでには、あと4~5kgは落としたいので、まだまだです。

51クリニックに郵便などを確認によると、今週末5/2号の「コミュニティしんぶん」が届いていました。その「インフォメーション」のコーナーに、写真のように拙クリニックでの「サロンコンサート」第1回の情報が載っていました。なんと!恐れ多くも、5/9(金)の山響庄内定期酒田公演(指揮飯森範親、ピアノ仲道郁代)と並んで載せて頂いています。

ーーー
(長い余談)
ニュースでもやっている通り、本日は街のガソリンスタンドで給油している車をほとんど見かけません。お店によって多少のばらつきがあり(フルサービスのお店からセルフ、そしてプリペイド式の販売方法まで)、酒田辺りではレギュラーで157~161円、ハイオクで165〜171円/リットルくらいのようです。
自転車通勤の私も、スポーツジム通いなどに車は使うので4/29の夜に満タンにしておきましたが、先日、サービスデーのプリペイドのセルフのハイオクが1リットル128円くらいでしたので、+30円どころか店によっては40円近い値上がり(含む道路特定財源分税)になっています。

何か物事をきちんと成すためには、しっかりとした財源が必要なことは当然であり、皆が幸せに暮らすために必要な税金などは、真面目な納税者としてはきちんと払うのは当然です。しかし、政府、関連団体、特に社保庁や防衛省や厚労省などの数々の不正、疑惑、無駄遣いを目の当たりに見せられて、「後期高齢者保険制度」や「道路特定財源復活」に、全く異論なく双手を上げて大賛成とは言えません。
先日、後期高齢者保険制度の問題でテレビのニュース番組かなにかで街角の意見を聞いていた時に、街の声として「結局、医療費が高いのがいかん」「なんで医療にこんなに金がかかるんだ」という意見があがっていました。

前から申している通り、国として、また一医師として、「理想」は国民の医療は「ただ」です。無料提供が理想だと思います。
しかし、人、物、組織が動いて医療サービスは成り立つ訳ですから、「タダ」で出来るはずがなく、国民が医療サービスを無償で受けるためには、どこか別に莫大な財源がなければなりません。たとえば、「消費税一律30%」というような、北欧の社会保障制度を成立させているようなシステムが必要です。
今の消費税5%では、様々な所に財源が不足するので、医療費は国民の保険料、国の税金、そして医療サービスを受ける本人の負担で確保しようとする考えは間違ってはいません。
しかも、何度もここで書いているように、今のところ、まだ日本の医療水準はWHOの調査では世界トップクラスを保っています。世界の中でも比較的に技術が高く安全で安価で公平な医療サービスということです。しかし、医療は日々進歩しています。
45年前、脳外科領域に手術顕微鏡はありませんでした。皆、肉眼で手術していました。
30年前にはX線CTはありませんでした。神経学的診察と血管撮影の血管の形だけで診断していました。
20年前、ようやく世に広まって来たMRIですが、まだ現在のMRAの様に造影剤を入れずに血管を映し出したり、DWIのような超急性期脳梗塞の検査法はありませんでした。
10年前、脳梗塞超急性期に治療に使うt-PAはまだ脳外科領域の使用は認められていませんでした。
7,8年前、偏頭痛の特効薬はまだ注射しかなく、現在のような飲み薬はその後に出て来ました。

このように、日々進歩して改善が見られる医療の領域ですが、保険診療点数は毎年のように「マイナス改訂」と言って、要するに「値下げ」が続いています。それでも社会一般からは、「医療費は高い」「医者が儲けすぎている」というような正しくない理解が確立しているようです。

自動車や家電の性能が良くなったら、値段は普通あがります。今、日本車でもちょっと高級な車は300万円では買えません。昔は、自動車を買うと言ったら新車でも150〜200万円用意できれば、結構立派な車が買えたように記憶しています。そうやって物の値段は性能の向上に従い時代とともに少しずつ高くなるのが普通と思われますが、医療は昔より安全で確実性が「増している」にも関わらず「値下げ」されているのが現状です。
それでもいろいろな検査や薬で結構なお金がかかります。「医療費がかかる」「医療費が高い」というのは一般市民の実感であり、上記のような説明は医師の立場からの言い訳に聞こえるかもしれません。

しかし、このまま骨太改革の方針の元に、とにかく目的は国民総医療費の抑制、抑制、抑制、、、とお役人が机上で計算すれば、「お年寄りや低所得者などの弱者からもお金を取る」「医師や病院の稼ぎは減らす」「高額な医療費がかからないように適度にサービスを低下させる」、、、ということをやり続けていきかねません。そうまでしても、国民総医療費は決して抑制は出来ないのです。なぜなら日本は世界に冠たる高齢者国家であり、医療のレベルが世界のトップクラスだからです。

やるべき事は、ただただ「抑制」ではなく(もちろん無駄を省く努力は必要ですが)、別な方法での国民の医療サービスに関する財源の確保です。税金の無駄使いを廃し、しかし何らかの方法で国民の負担を増やすしかないと思います。

医療と文化(クラシック音楽を含む)に金をかけないような政治は必ず衰退します。
大阪府も危ないのではないでしょうか。ただ借金を返せば、無駄を省けばいいというものではない。大阪府に所属する某プロオケが存続の危機にあると聞きます。滋賀県の素晴らしいオペラハウスも破産状態に近いと聞きます。
これらの「文化」にお金をかけられるかどうか、その母体がいかに危ない状態になっていようが、こういう素晴らしいものを切り捨てない、「医療」や「文化」に金をかけられる政治でなければ長い目で見れば必ず否定的な評価を得ることになると思います。
(以上、長い余談の独り言でした)(^^;;;

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年4月 | トップページ | 2008年6月 »