« いまだかつてないコンサート(今日も長文) | トップページ | 音楽会告知第1弾 »

2008.04.09

独自性と独創性

似たような言葉です。
実は英語にすると、どちらも"originality"ですから、同じ意味かもしれません。

本日の山形新聞夕刊の7面「文化欄」に、先日3/29の「すみだトリフォニーホール」で開催された『地方都市オーケストラ・フェスティバル』での山響の活躍の事が書かれてありました。その見出しは、
「見えて来た山響の特質、方向性」であり
「「小ささ」逆手 緻密な響き」であり、小見出しに
「独自性 聴衆の興味と両立も」
となっています。
さすが新聞。見出しだけで内容がおよそわかります。小見出しの「聴衆の興味と両立も」だけは山響の最近を知らない方にはわかりにくいでしょう。

音楽監督飯森範親氏の企画立案で昨年度から始まったモーツァルト・シンフォニー・サイクル「アマデウスへの旅」の事を指しているものだと思います。ノンヴィブラート奏法やトランペット、ティンパニに古楽器を用い、ホルン、フルートなども古楽器ではないものの18世紀当時に近い音の再現に合うような楽器を使用しています。年に3回、オールモーツァルトプログラムだけで定期演奏会を組んでいます。8年かけて、モーツァルトの交響曲全曲演奏(全曲録音、そしてCD化)に挑んでいます。
一つ一つの事、たとえばノンヴィブラート奏法とか楽器とかモーツァルトの交響曲全曲演奏とかは、決して世界で唯一、初めての事ではありません。全曲演奏録音も多分どこかの楽団がやっているでしょう。
そういう意味では、ユニークとか独自性があるとは必ずしも言えません。しかし、正規楽団員の数が多くない、専用のコンサートホールを持たない、専用の練習場もない、一地方都市の、どちらかというと弱小オケが、収容人数は多くないけれど(客席数約800)響きの良い同じホールで、録音する事を前提に年3回モーツァルトだけのコンサートを企画し、これを8年間続けていくという、「独創的」な演奏会を行うという「独自性」。その独自性とともに結果的に成長を続けるオケを目の当たりにして、単なる演目の興味だけで聴衆を引きつけるのではなく、その実力で地元山形市だけではなく広く山形一円から仙台、新潟まで、中にはこのモーツァルトシリーズのために東京から山形まで演奏会に足を運ぶ(当然、山形市に一泊の覚悟で来られる)人を作ってしまったほどの人気(実際、当日券なしで前売り完売のコンサートもありました)ぶり。

物事は、「企画」「立案」「実行」すべてが揃わなければなかなか成功しない訳ですが、まさにすべてが揃った演奏会シリーズになっていると思います。シンプルなわかりやすいメロディで構成されるモーツァルトの世界は、演奏する側からすれば大変恐い演目です。ミスをすれば誰でもすぐにわかってしまいます。アンサンブルが乱れるとすぐにわかってしまいます。音程が不安定ではすぐに濁った響きになってしまいます。耳の肥えたウルサい聴衆ばかりではない、むしろ「オラが街のオーケストラ」と自慢に思い愛しているだけに少々甘い点を付けることが多いであろう山形の聴衆でさえも、モーツァルトの音楽では濁りや乱れはすぐにわかってしまいます。そういう「恐い演奏」を行っている中で、演奏会の度に山響の演奏は緻密さを増し、音は透明感を増し、豊かなニュアンスの表現力が加わっている事がよく感じられるのです。
簡単に言えば、モーツァルトの演奏を繰り返す事で楽団としての実力がアップしたということです。
それが、大編成で挑むようなブルックナーの4番「ロマンティック」すら55人の小規模編成で、大音響による「迫力」よりも透明なハーモニーとアンサンブルの緻密さによる「凄み」と言うものを聴く者はいやでも感じる訳で、今回の東京公演でも山響の最近の躍進と実力を聴衆の耳に刻んだに違いありません。

それが今回の新聞見出しにもなっている「小ささを逆手に 緻密な響きを聴かせた」と言う事なのでしょう。それが山響のoriginalityと言えると思います。

翻って、うちのオケ、酒フィルです。
山形市よりも人口の少ない、11万都市の酒田、周辺の鶴岡、庄内町、遊佐、三川など含めても30万ちょっと。お隣り秋田の象潟、にかほ、由利本庄まで含めても40万くらいの背景人口の中で、特に若者、若年青年労働者層の少ない地方都市で、オーケストラのメンバーを揃えるのも大変です。
毎週の練習には、真面目な人は毎回顔を出していますけれど、おおよそ全団員の7割が揃えばいいほうです。管楽器は元々ソロパートなのですが、仕事の都合などがそれぞれに入れば、先週のようにシベリウスの2番の練習に、オーボエ1人、フルート1人、クラ1人、ファゴット0、ホルン2人、という有り様です。コントラバスは3名の団員がいるのですが、うち1名は車で1時間かかる街に住んでいて、現在ほぼ休団中。交響曲でコントラバスが2本で済む曲ってどの位あるのでしょうか。
団員の中からは、「背伸びしないで、団員数、実力を考えて身の丈にあった選曲をすべきでは」とか「演奏会の度に、不足する団員をエキストラで補って、どこに酒フィルの色が出せるのか」という批判的意見が毎回出て来ます。それは正論であり、理解できる当然の意見だと思います。
ですが、団員が少ない、特に弦が少ない、管が練習に揃わない、パーカッションの正団員がいない、ということで、挑戦する演奏曲目をハナから限定してしまっては「楽しみのためにやっているアマオケ」の楽しみが減少し、練習の面白みが乏しく感じます。いろいろ議論して、なんとか現団員数で練習に対応でき、本番には少しのエキストラを加えれば十分挑戦可能な曲という形で選曲していくことになります。あまりたくさんのエキストラに頼っていては、酒フィルの独自性と言うものがなくなると言う考えはわかりますが、じゃあ、「酒フィルの独自性って何?」と問うと、的確に表現できるような「そのようなもの」すら元々ないのではないかと思います。
オペラの音楽監督をしてくださった三枝成彰氏が、いみじくも言った「存在する事自体が不思議なオケ」である酒フィルは、その存在の危うさ、独自性がどこにあるのか不明な点がその存在意義と言ってしまっては言い過ぎでしょうね。

山響の事を誇らしく書かれた地元新聞の記事を読んで、確かにオペラ「ラ・ボエーム」全幕を演奏したけれど、酒フィルの独自性は乏しかったような、個々の演奏者の満足に終わり、楽団としての成長があったのか(私はあったと思っていますが)疑問の残る一大イベントであったと言う風に考える必要もあるのではないかな〜と感じています。
でも、あの調性もリズムも棒(タクトの振り方)も目まぐるしくまさに猫の目のように変化する楽譜についていけるようになった楽団員達は、まだ2回しか練習していませんが「シベ2」の練習においてもその成長が感じられると思っているのは私だけでしょうか。

今日、4/9、酒田鶴岡では「ソメイヨシノ」の開花宣言がありました。
庄内ではようやく今週末から来週にかけて「お花見」の季節です。

|

« いまだかつてないコンサート(今日も長文) | トップページ | 音楽会告知第1弾 »

コメント

ボレロさんが東京のコンサートを聴いてきました。いまだに感激が続いている山響のロマンチックだったそうです♪

新日本フィルの抽選にはずれたボレロさんと私は来月の山響の定演を楽しみにしているのであった・・・・。

私は提案します。チッケトは抽選ではなく2~3日前に並ぼうが 直接販売していただきたいと!  負け惜しみで締めくくる本日のコメントでした ^^

投稿: けんちゃん | 2008.04.10 00:46

けんちゃんさん、はずれましたか〜。。。
私は、当たってしまいました〜!
「小澤征爾でも見てみようか、、、」というような興味本位の人がもしも、もしもいるとすれば、クラシック音楽を愛し本当に行きたい、聴きたい人と同列で抽選というのは確かに納得できませんね。
5/11(コンサート前日)のうちのリハ室でのミニコンサートにいらしてください。

投稿: balaine | 2008.04.10 19:45

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/74618/40827474

この記事へのトラックバック一覧です: 独自性と独創性:

« いまだかつてないコンサート(今日も長文) | トップページ | 音楽会告知第1弾 »