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2008年3月

2008.03.31

ブログ記事と新聞記事

個人のブログというのは、無責任に個人の日々の出来事や物事への感想、想いなどを書き連ねるもので、今や「ブロガー」という言葉まで生まれ、巷にはブロガーがあふれているそうです。
私自身はインターネットとの出会いは比較的早く、平成4年米国留学中に既に体験しました。それまでniftyserveという「パソコン通信」の世界を体験していたのでスムーズに移行出来ました。
所属する医局のホームページ(HP)や個人のHPを平成7~8年には作成していました。山形大学医学部脳神経外科の初代のHPは私が最初に英語で作ったため、国内はもとより諸外国からアクセスがあり、日本の脳外科の情報を知るにはまず山形大学の脳外科のHPを見る、ということにすらなっていた事を後からドイツ人の脳外科医やアメリカ人の脳外科医から教えられて驚きました。

インターネットの世界の進歩は凄まじく、そこにパソコンの大容量高速化、通信回線の安定化、高速化が加わり、さらに直にhtml原語でHPを作成することなく、自由に文書や絵や写真をレイアウトするアプリケーションが登場し、私はむしろHP作りから離れました。背景の色や文字の色ひとつ決めるにも、16進数で00~FFをRGBそれぞれに組み合わせて、トライアル&エラー式に色を決めていた面倒くさい(でも楽しい)時代から、誰でもできるようになったので逆に面白くなくなったのです。
平成17年の正月。初めてブログというものに手を染めてみました。
それからは「ブログ中毒」と言ってもいいくらいになってしまい(笑)、これまで自分が作ったブログは様々な種類を全部入れると6種類になりました。本ブログがその中でも最初からずっと続けているメインのブログです。

ブログの利点は何よりもそのアクセスの容易さです。
以前のようなパソコン通信では電話回線でアクセスポイントに接続して、通信料金を気にしながらいろいろな書き込みをしていましたが、いまや24時間常時接続のB Fletsですのでいつでも空いた時間に書き込みができます。夜中だろうが明け方だろうがOKです。
なので、その日にあった出来事を家に帰ってすぐに書き込めば、テレビのニュースとどちらが早いかという位の「スピード」があります。普通の新聞よりは圧倒的にブログの方が「速さ」という点では「ニュース性」が高いのが普通です。

先日、3/28(金)の夜に酒田で行われた岡田芳郎さんの講演会について、私は3/28の夜に記事を書きました。「岡田芳郎氏講演会in酒田」
この講演会にはテレビ、新聞などの取材が来ていました。3/29(土)の夕方、山形の地方放送局の地元ニュースで流れたそうです(1日遅れ)。そして、3/30(日)の地元紙山形新聞と全国紙朝日新聞の庄内版に講演会の記事が出ていました(2日遅れ)。山形新聞の記事はこちら↓です。
『世界一の映画館と、、、』著者が講演岡田

山響の3/29(土)のすみだトリフォニーホールでの地方オーケストラ・フェスティバルへの出演の事は、記事平成20年の「オーケストラの日」に書きました。この演奏会の様子は、山形新聞の3/30日曜版朝刊に大きく取り上げられていました。記事は次のweb新聞で読む事ができます。
「山響、地方都市オーケストラ・フェス出演」

このように、これまでも新聞の記事よりもブログ記事の方が先になることは多々ありました。一人で好き勝手に書いているので、内容をチェックする上司もいなければ校正もほとんどなく、その上紙面への割り付け、印刷、配達という手間がないので新聞より半日〜1日早いのは当然とも言えます。
主だったニュース、世の中の動き(株価、円からお天気まで)はインターネットで得られるので、新聞はその確認に使うくらい。むしろ新聞には、一素人では求められない一味違うニュースソースや二歩ぐらい踏み込んだ取材内容を求めます。特に地元の記事、地元のイベントには注目します。新聞がインターネット時代を今後生き残って行くためには、地元に密着した「手抜きのない」深い取材と分析、洞察力の鋭い「これぞプロ!」という部分がなければ駄目でしょう。さらに単に読者にこびるのではなく、読者の目線を意識した地元などのニュースソースへの「愛情」というものが不可欠なのではないでしょうか。
私個人としては、「がんばれ!新聞!」という感じなのです。

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2008.03.30

シベ2

フィンランド生まれの作曲家、ジャン(ヤン)・シベリウス。
有名な「フィンランディア」(映画『ダイハード2』の主題歌にもなった)は、フィンランドの第2の国歌とも言われています。山響の創設名誉指揮者である村川千秋さんは昔からフィンランドが好きで、何度か訪れているとお聞きしています。昔、フィンランドから帰国間もなく指揮をした山響演奏会は素晴らしく、私はその時「『シベリウスの村川』と呼びたい」と当時(11,2年前)作っていたホームページに書いたくらいです。
2フィンランドに縁のある人が「日本シベリウス協会」を運営していますが、初代会長は実の母親がフィンランド人であった指揮者の故渡邊暁雄が勤め、現会長はフィンランド人と結婚してフィンランドに居住していたピアニスト舘野泉氏(脳卒中で右半身麻痺になって『左手のピアニスト』としても脚光を浴びておられます)です。ちなみに舘野さんの息子さんであるヤンネ舘野さんは、4月から山響の正式団員(ヴァイオリン)(これまでは客員首席など)になられます。写真は、2月の遊佐での山響演奏会の時にヤンネ舘野さんと一緒に撮った写真です。

タイトルの「シベ2」とは、そのシベリウス作曲交響曲第2番の「愛称」。世界中のオケで良く演奏される名曲です。今年、11/16(日)に行う酒フィルの定期演奏会のメインはこの「シベ2」に決まり、その第1回の練習が昨日行われました。
3/16のオペラで燃えて、少し腑抜けになりかけています。1週間のお休みの後の第1回練習にどのくらいのメンバーが集まるか、少し不安でした。急に冷え込んで雪のちらついた土曜の夜、集まったのはヴァイオリンが8名、ヴィオラが5人、チェロが5人、コントラバスが2名と、室内楽アンサンブル程度の人数ではありましたが、皆十分個人練習をして来た事が伺えました。管の方は、フルート1、オーボエ1、クラ2、ファゴット2、ホルン1、トランペット2(一人は楽団指揮者)でした。これまた木管五重奏にプラスアルファという程度の少人数ではありました。
交響曲としては、リズムの変化や転調の比較的多い「シベ2」ですが、「ラ・ボエーム」に比べれば楽なもんです。(笑、冗談です!)

これから7ヶ月少し練習を重ねて、11月にはいい演奏をしたいものです!

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2008.03.29

この秋、バボちゃんが庄内へ!

梶本音楽事務所で配信している「カジモト・イープラス」より転載します。
ーーー
★ラデク・バボラーク(ホルン)と仲間たち
ホルン界のアイドルであり、その技巧は神の領域とも言われる天才バボラーク。
若干17歳にして世界最高峰のミュンヘン国際コンクールに優勝、
「ホルンの革命児」「100年に1人の逸材」と絶賛され、
一躍世界中にその名を広めてから10余年。
あっという間にベルリン・フィルの首席奏者まで登り詰め、
リサイタル、オーケストラとの共演で日本の聴衆の度肝を抜き続けてきた彼。
今回は仲間たちとともに室内楽を繰り広げます。
▼日時・会場
9月21日(日)紀尾井ホール(昼)
ーーー

これは東京公演の会員限定先行案内です。
このボバちゃんたちの公演は全国数カ所で行われますが、実は現在、庄内でも公演をということで話を進めております。

日時・場所は、9月25日(木)酒田市民会館希望ホール「大ホール」の予定です。

以前からこのブログでも触れている様に、ラデク・バボラ−クは10代の時に庄内で開催された国際ホルンフェスティバルに参加して以来、庄内をお気に入りの様で、来日公演しても東京や大阪などの大都市は楽しくない、庄内に行きたいといつも言ってくれているようです。
07b最近庄内に来たのは、一昨年平成18年の9月、アフラートゥス五重奏団の一員としてでした。(写真は庄内町「響ホール」でのリハ風景)

06a私が昨年プラハでお世話になった、フルートのロマン・ノヴォトニー、ファゴットのオンジェイ・ロスコヴェッツ、オーボエのヤナ・ブロジュコワ、クラリネットのヴォイチェフ・ニードルと一緒でした。
今回、残念ながらアフラートゥスの日本公演はありません。
バボちゃんと弦楽奏者などのアンサンブルの仲間達のツアーです。
上記紀尾井ホールでは、S席6,000円のプレミアムチケットですが、酒田公演ではいくらになるのでしょう。いくら「世界一のホルン奏者」とか「天才」と呼ばれるバボちゃんでも希望ホール1200席超を埋める事が出来るでしょうか。
彼のホルンの演奏を生で聴くと、本当に度肝を抜かれます。
「これ、何の音?ほんとにホルン?」
というような音色です。柔らかいオルガンのような、朴訥としたファゴットの様な、深みのあるチェロのような、様々な音が彼のホルンからは生まれでて来るのです。
まるで魔法の様なんです。

酒田、庄内、もっと拡げて山形県一円、新潟、秋田、仙台、もう少し拡げて東北まで含めて平日の夜にどの位のホルンファン、バボちゃんファン、クラシック音楽ファンが集まって頂けるか。
いろいろおもしろい企画を考えてこれから告知をして行きたいと思っています。
是非、酒田でバボちゃんの魔法の様なホルンの演奏をお聴きください。
07c(写真は2006年のアフラートゥス庄内公演の打ち上げで。みんなはしゃいでいたので写真もぶれています。真ん中で畳の上に横に寝そべってふざけているのが、バボちゃんと私とチェコフィル・ファゴットのオンジェイ、そして酒田市役所前の喫茶店「山茶花」のマスターです)

今日のおまけ
Photo酒田市大宮町の蕎麦屋「太郎庵」の並そば大盛り(板)です。
石臼引きにこだわった、色と香りの見事な蕎麦です。店主の雰囲気が、みるからに誠実で真面目そうなのですが、お蕎麦も「真面目な蕎麦」という感じでした。(内陸に比べて)蕎麦の銘店の少ない庄内地方ですが、酒田市日吉町の「田毎(たごと)」、庄内町(余目)の「蕎麦工房せき」、「蕎麦しま田」らと遜色ない秀逸な美味しいお蕎麦です。
県立日本海病院と最上川のちょうど中間辺りに新しく出来た、目立たない小さなお店です。

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2008.03.28

岡田芳郎氏講演会in酒田

本日3/28(金)、東北公益文化大学内にある「公益文化センター」において、表記講演会がありました。この方は、今や酒田では最も有名な文筆家の一人とすら言えるかも知れません。
ブログ記事「『世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか』を読む」に詳しく書きました。あの本の著者です。

東京生まれで元々酒田には縁のない岡田さんが酒田で公演をすることになったのは、この「佐藤久一」のことを伝記的に取り上げたノンフィクションのためです。何せ、出版から数週の間は酒田周辺の本屋では店頭に並べばすぐになくなって行く、文字通り「飛ぶ様に」売れた本です。山形県内の調査では2週程本屋さんの売り上げNo.1になっていたはずです。

その本を書いた岡田さんという方がどんな人なのか、シンプルに興味があったので、18時の診療受付が終わって待っている患者さんがいない事を確認してから、スタッフに後をお願いして18:10過ぎにはクリニックを後にしました。
18:30、庄内一円で大変人気のある情報誌『SPOON』の編集部の女性の司会で講演会が始まりました。(写真の使用に問題があれば削除しますので、NGの場合には関係の方、ご連絡ください)
328岡田芳郎さんが紹介されます。初めて拝見する岡田さんは、失礼ないい方かも知れませんが「作家先生」という感じでは全然なく、会社勤めの長かった品のいい初老の紳士という印象。割と淡々とお話をしていきます。聴衆は、雨の平日の夜にしては結構集まっています。レストランや食の関係者以外は、比較的高齢の方が多いようです。ざっと周りを見回して見ると60才、70才以上の方が多いようです。映画館「グリーンハウス」を実体験した世代が多い様に思えました。岡田さんの話に昔を思い出す様にうなづきながら聞いている女性や、そうだったな〜と懐かしそうな微笑みを浮かべる男性が私の周りにたくさんいました。

328_21時間を超える講演会に続いて、岡田さんに加えて、レストラン「欅」の総料理長にして「食の都庄内親善大使」の一人である太田政弘氏、酒田に住んだのはわずか1年余りながら「あの本」の中で「佐藤久一」に命ぜられて東京まで夜行で往復してテーブルの上に置くある国の国旗を買いにやらされた、今や東京でリストランテ「エム・ディ・ピュー」のオーナーシェフをやっていらっしゃる室井克義さんの3人によるパネルトークが行われました。このトークショーの準備をするわずか5分程の間を利用して、昔、「佐藤久一」がテレビ出演した(「料理万歳」とかそういった)番組をスクリーンで見せてくれました。その後のトークで太田シェフも言っていましたが、芸術家肌で完璧主義で時代の先を行っていた「佐藤久一」がとても器用とは言えない手さばき(?)でお客様に鱈などの料理をテーブルでサーブするシーンを見て、その「人間らしさ」になんかホッとする感じがしました。
一緒に仕事をして楽しかったかどうかはわかりませんし、友人とするに心地よかったかどうかも疑問ですが、人間として興味深くもっと長生きして酒田で「なんか別の事やって欲しかった」という感じの人ですね。

328_3最後に、3人ステージ上に並んだままサイン会になり、しっかりお3人のサインを本に頂きました。
講演会、トークショーの最後の方は、「庄内はいいところだ」「食の都だ」「酒田の良さを住んでいる我々が認識してもっと盛り上げよう」「人助けを待つのではなく自ら何か動くべき」、、、、などというような、「庄内をどうするか」というような話になってしまったのは仕方ないのでしょうか。。。
私自身、何か買い物があるなら「三○ジャ○コ」には絶対行かずに、「中○清○屋」でシャツや靴なども買っています。街中の活性化はそこに住む者が自らの手で造り出すものでしょう。
そう言う意味で、酒田フィルハーモニーの活動というのは、酒田、庄内にとってもとても大事なものであると思います。そこに関われる事を喜びに感じています。

庄内を全国的にアピールする際、「地産地消」とか「スローフード」という話にどうしても向かいます。食材がいいと言う事は誰もが認める所なのですが、私は心の中で声を上げていました。
「庄内の食べ物が美味いのは、『水』がいいから。食材一つ一つよりも、東京などの都会ではまず手に入らない、美味い水と空気。みんなでもっと『水』や空気を大事にして行くべきでしょう。」と。

岡田さん、「佐藤久一」の事を取り上げて下さって、酒田のことをたくさん書いて下さってありがとうございます!私は、前からこのブログでも書いている様に、「酒田に行けば、、、」と言われる様な脳の専門家のいるクリニックを目指し、そのうち、太田シェフや奥田シェフと結託して、『庄内の歴史とグルメと脳ドックの旅』なんていうとんでもないものをやってみたいと思っております。
こういうものの考え方は「佐藤久一」的でしょうかね。(笑)

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平成20年の「オーケストラの日」

毎年3月31日は、3,3,1の語呂合わせから「みみにいい日」として「オーケストラの日」ということになっています。
日本全国で、特にプロオケのある都市ではそのプロオケを主体に3/31の「前後」に一般音楽愛好家(またはこれからオケの応援団になってくれる可能性のある方々)を対象に様々な企画が催されます。その日「3月31日」に開催するか、別の日にするかは各団体の自由の様で、土曜や日曜などお客さんが参加しやすい日に開催するところもあるようです。北から、札幌、仙台、山形、高崎、金沢、名古屋、京都、大阪、広島、福岡、そして東京(在京11オケ合同?)と、はっきり言って山形と高崎以外は大都市ばかりです。
社団法人日本オーケストラ連盟のHPの「各地のオーケストラの日について」で、全国様々な場所での素晴らしい企画がご覧頂けます。お金を取る所もあれば、山響の様に「無料」のところもあります。(よく見ると、1、2部が無料で第3部は500円ですね)

昨年の山響による「オーケストラの日」の素晴らしい企画が終わった後に、当時存在した山形交響楽団のHPにあったBBSに私がすぐに書込んだお願いは、今年叶えられませんでした。
そのお願いとは、「『オーケストラの日』が3/31なのはわかりますが、平成20年は3/31は月曜日。平日では一般社会人は仕事で参加できません。1日ずらして3/30の日曜日にしていただけないものでしょうか」というものです。
おそらくオーケストラや指揮者、ソリストの日程というものは1年以上も前から決まっていて簡単には変えられないのでしょうし、山響主催のオーケストラの日が3/31というのは「その日にこだわる」という考え方から理解できるものではあります。でも、月曜日の午後からの企画に参加できるのは「学生」か「主婦」くらいなのではないでしょうか。参加できないのは残念です。。。

それにしても、今年の「オーケストラの日」のポスター。全国的に「のだめ」で埋め尽くされているようです。こちら↓をご覧下さい。
「オーケストラの日」のポスター

昨年の山響主催の「オーケストラの日コンサート」では、一昨年の日本音楽コンクールピアノ部門に本戦出場を果たし「聴衆賞」を獲得した山形市出身のピアニスト石井理恵さんをソリストに迎え、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の第1楽章が演奏されました。
今年、我々酒フィルは石井理恵さんをソリストに迎えて11月に定期演奏会を行う予定です。今から楽しみです。

山響は、明日3/29(土)は東京はすみだトリフォニーホールで開催されている「地方都市オーケストラ・フェスティバル」に出演します。一昨年の定期でやったモーツァルトの交響曲「パリ」と昨年の定期で素晴らしい熱い演奏を披露した事も記憶に新しいブルックナーの「ロマンティック」を引っさげての登場だそうです。きっとまたあの美しいモーツァルトと熱いブルックナーの響きで東京の聴衆を感動させてくれる事でしょう。

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2008.03.26

体調不良?

昨日3/25の午後から今朝までCocologがメンテナンスに入っていたため、記事更新もTB承認も何もできずにおりました。
Chokai323さて、院長ブログ(こちらです)でも公開した最近の鳥海山。
何の建物も、電線も視界に入らない場所というのはなかなかないものです。
この写真でも、よく見ると右側から真ん中に伸びているちょっと黒っぽいものは、鳥海山の麓に向かうように延びた「山形自動車道」という高速道路です。真ん中から左の方に送電線の鉄塔が並んでいますが、写真左端の方に、ゴルフ練習場のネットが見えます。こうして見るとゴルフ練習場というのは結構高さもあり目立つ建造物です。実は、このゴルフ練習場の正面駐車場の真向かい(北側)に私のクリニックがあります。ですから、酒田市街に近づいてきたら、国道7号線よりも東側にこのゴルフ練習場を探してみてください。そこを目指していけばすぐわかるはずです。

開院して丸3週が過ぎ、4週目に入っています。今週も多くの「新患」さんに来ていただき3/24のブログに書いたように重大な疾患もたくさん見つかりました。忙しい中でもお昼ご飯を食べない訳に行かないと患者さんの診療の合間を縫って3分でお弁当を掻き込んだのがいけなかったのか、この数週間の緊張がつもっていたのかちょっと体調を崩しました。3/24の夜は診療終了前からむかむかと軽い吐き気がして、自宅に帰ってからも全く食欲がなく、薬を水で飲んでも吐き気がする感じで、何も食べずにすぐに寝ました。
昨日も少し回復したものの、頭痛と時に軽い心窩部痛に吐き気もあり、夜会合があったのですがあまり無理をせず、早めに帰宅して薬を飲んですぐに寝ました。2日合わせて18時間くらいは寝たでしょうか。
今日は(万全とは言えませんが)回復しました。か弱い(どこが?!)心に人知れず負担がかかっていたのでしょう。可哀想に、、、(笑)。

今日は、午前と午後の診療の間に1時間弱は休憩が取れました。
この昼食の時間、午後1時からBS-HiVision放送で「ハイビジョン クラシック倶楽部」という番組をやっているのでそれを見ながら一時の休息を楽しみにしています。先日は、山響の客演コンマスでもある高木和弘さんのソロリサイタルを放送していました。美しい音色に癒されました。
この「一時の憩い」が今週は「高校野球」のため「休止」になっているので少々がっかりです。
高校野球は好きです。昔ほどは必死になってみませんが、野球は自分でプレーもしますし嫌いではありません。しかし、高校野球はNHKの総合でも、教育テレビでもやっていて、さらに「ハイビジョンクラシック倶楽部」を潰してまで、HiVで放送する意味がどれほどあるのでしょうか。
Hi-Visionで高校野球を楽しむ人の方が、「クラシック倶楽部」を楽しみにしている人よりも多いのかもしれませんが、こういう対応をされるとNHKも視聴率優先か、、、と思ってしまいます。

NHKでは「N響アワー」や「芸術劇場」を始め、魅力的な音楽番組がたくさんあります。
先日のN響アワーは、2007年度のN響の演奏会のベスト10の発表でした。さすがにどれも素晴らしい演奏、素晴らしいマエストロばかり。そして第1位に輝いたのは私も大好きな指揮者ネルロ・サンティ指揮によるオペラ『ラ・ボエーム』演奏会形式でした。オケはステージ上、合唱はオケの後方の椅子、2幕に登場する軍楽隊はオケの左後方、ソリストは指揮者の横でオケの前に一列に並んでの演奏。当然衣装は普通の演奏会用のもの(さすがにミミとムゼッタは3,4幕では着替えていました)。
サンティ指揮のN響の演奏を我が酒フィルと比べるのは「月とスッポン」以上の隔たりがあるでしょうが、オペラとして観た場合、先日3/16の我々のオペラ公演とこの昨年11月のN響公演のどちらが魅力的かと言えば、まちがいなく我々の公演だと思います。
特に2幕3幕のソリスト以外に合唱、子供の合唱、軍楽隊が入る場面で、N響の演奏会形式のようにお行儀よくステージ上に並んで歌ったり、太鼓を叩いたりでは、演奏が素晴らしいのはもちろんなのですが躍動感に欠け面白みがありません。
それにしても、N響アワーでも1年間のベスト演奏に「ラ・ボエーム」が選ばれたのはある意味当然でもあり、自分たちが演奏したばかりでもあっただけにうれしい驚きでもありました。

と、今日も脳梗塞の患者さんが来てN病院に紹介入院がありました。
これから認知症の勉強会にお出かけです。
せば

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2008.03.24

MRI勉強会その4

「その1〜3」がいつだったのか、不明確ではありますが。。。(笑)

Sah0324aまずは、この6つの同一患者さんの連続スライスをご覧ください。
プロは見ればすぐに異常がわかりますが、いかがでしょう。誰にでもわかりやすいようにコントラストなどを調整した画像です。これはFLAIR(=Fluid Attenuated Inversion Recovery)という撮像方法で見た「くも膜下出血」のMRIです。

こうなった原因は、これです。
Sahan0324これは、MRIで撮像した脳血管、すなわちMRA(=MR Angiography)です。
顔のほぼ正面から見ていますが、右中大脳動脈に直径8mmほどの脳動脈瘤を認めます。写真では、むかってやや左側にある少しぼんやりした膨らみです。Rt. M1M2(右中大脳動脈水平部末端分岐部)動脈瘤です。
写真のほぼ中央にも大きさ5mmほどの膨らみがあります。これはBA-rt.SCA(脳底動脈ー右上小脳動脈分岐部)動脈瘤です。
さらに、写真の右側になる左中大脳動脈水平部末端にも小さな径3mmほどの膨らみを認めます。
同じ人に3つの脳動脈瘤があることになります。

「くも膜下出血」が明らかであっても、CTで出血の偏りが少ない場合、2個以上動脈瘤が見つかると破裂したものと未破裂のものの鑑別に困ります。この事例では、FLAIRで画面左側の「右大脳」にくも膜下出血の偏りがあり、6枚のスライスの一番左上のものに、脳動脈瘤と考えられる少し黒っぽい信号が写っています。おそらく破裂した後、瘡蓋ができて出血は止まり、瘤の中の血流速度は正常血管ほどは速くないものの流れているので黒っぽく見えるのでしょう。流れが遅いか、渦を巻いているため、MRAでは「ぼんやしとした」膨らみに見えるのでしょう。
脳底動脈と左中大脳動脈の動脈瘤は「未破裂」で偶然見つかったものと考えられます。

開業4週目にして、ついにくも膜下出血の患者さんが受診しました。
10日ほど前に突然の頭痛と嘔吐で発症し、ある診療所を受診したら、熱も37.6℃あり「風邪」という診断で風邪薬を処方されていました。「頭が痛い」と自分で車を運転し、歩いて来た患者さんが、微熱があれば「風邪」と診断しても仕方ないかもしれません。その診療所の医師は責められません。ただ、頭痛以外に「風邪症状」があったのでしょうか。咽頭痛、咳、鼻水、咽頭の発赤という症状です。
薬を飲んでもあまり頭痛が改善せず、当院を歩いて受診されました。
意識は清明ですが、なんとなく表情が冴えず顔色が悪い。24年間の脳外科医の勘?からくも膜下出血もあり得ると思いましたが、「髄膜刺激症状」はまったくなし。それでも可能性を疑ってMRIを撮ったらあったのです。

くも膜下出血は、出血する場所と量によっては救急隊が到着したときには呼吸が停まっているような超重症もあれば、この症例のように頭痛のみ、または頭痛と吐き気だけで我慢して仕事をしたり、車を運転している場合もあるのです。怖いですね。
このかたの場合、手遅れにならないうちに的確な診断がついて良かったです。
すぐにN病院のA先生とE先生に電話して、手術治療のための緊急入院をお願いしました。

今日は、それ以外にもまた慢性硬膜下血腫(これもN病院に紹介)に、Wallenberg syndrome(右PICA領域脳梗塞、こちらはくも膜下出血患者紹介の後だったので神経内科のS先生に紹介)も見つかり、大忙しの上に、大変な病気がたくさん見つかった、ちょっと変な日でした。

確かに、私も病院勤務時代、必ずしも寒く冷え込んだ日ではなく、だんだん気候が緩んできて、でもまだ朝晩冷えるという季節の変わり目にも脳卒中がいっぱいあったように記憶しています。

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2008.03.23

初めての日曜日

3月23日。
321b_2321先ほど車のコックピットが示す外気温「21.5℃」でした!コートがいらないどころか、上着も要らないくらいの陽気です。
倉庫に眠っていた自転車を引っ張りだして来ました。
明日からは自転車通勤しようかと思っています。
(写真はクリニックの2階、院長室から見える鳥海山。この2枚は3/21に撮影したものです。)

今年に入って、クリニックの準備でいつも駆け足でやってきました。土日は必ずオペラの練習かコンサートがありました。
3月2日(日)は、開院前日で、予定は何も入っていませんでしたが心穏やかではない日曜日。
3月9日(日)は、開院して初めての日曜でしたが、オペラ公演直前の週でソリスト達と初めての合わせがありました。
3月16日(日)は、オペラ『ラ・ボエーム』公演本番。そして打ち上げでした。

今週末はアマオケの練習も「お休み」なので、今年に入って初めての何も予定のない真の意味での「日曜日」のような気がします。
323aA_2写真は、院長室から見える今日の鳥海山とクリニックの正面に道路を挟んである「ゴルフ練習場」です。上の2日前の鳥海山と比べると、あきらかに雪が減少して山肌が見え始めています。鳥海にも春が訪れ始めているのでしょう。天気も良いので久しぶり(2年半ぶり?)にクラブでも振ってこようかな、と考えている所です。(その前に院長室の片付けをしなくちゃ、、、)

ーーー
来週末からは11月の定期演奏会に向けて、オケの練習がスタートします。
とりあえず、前に戻って土曜の夜だけの練習計画のようです。
指揮者は、H18年の酒フィルハンガリー公演でお世話になった井崎正浩さん。昨年のJAO酒田大会でバルトークの「オケコン」の指導指揮をされた方です。演奏曲目は、ピアニストに山形市出身で一昨年の「日本音楽コンクールピアノ部門」本選出場で「4位」と「聴衆賞」を獲得された石井理恵さんをお迎えして、チャイコフスキー作曲ピアノ協奏曲第1番を演奏して頂く予定の他、前プロにはグリンカ作曲歌劇『ルスランとルドミュラ』序曲、そしてメインには「シベ2」と呼ばれる名曲、シベリウス作曲交響曲第2番を「予定」しています(予定とは言っても、事務局はすでにスコアの準備などに取りかかっておりますので今更変更はないでしょう)。
なぜか、ロシアとフィンランドという寒い国の音楽になってしまいました。

昨年の定期演奏会は、たった3ヶ月半前のことなのに、すでに忘れかけていました。(ブログ記事、「何十億もする楽器」を参照ください)
メインはチャイコの6番『悲愴』(一昨日、小澤征爾さんの事を書きました)で、スロヴァキア人のダーネル氏を指揮者に迎え、協奏曲はダーネルさんの弾き振りでモ−ツァルトのVn協奏曲5番「トルコ風」をやったのでした。前プロはベートーベン作曲「エグモント」序曲でした。
ドイツ(オーストリア)、ロシアの作曲家の曲だったわけです。こうしてみると、酒フィルではあまりフランスもの、イタリアものを取り上げていないように思います。
と思ったら、先日のオペラはイタリアもので舞台はパリなのでした。。。(笑)

ーーー
昨日の希望ホール「小ホール」での「KING」のコンサート、大変面白かった。かっこ良かった。
これについてはあらためて記事にしようと思っています。
今朝の「題名のない音楽会21」の『指揮者になる夢叶えます!第2回振ってみましょう』も楽しかった。前回(ブログ記事、「最近可笑しかったテレビ番組」参照)の法がインパクトの強い、要するに個性的で、ちょっと変な人が多かったようで、今回はお行儀の良い、上手な人が多かったのは番組的にはどうかな?と思うけれど、皆さんなかなかでした。
実は、昨年暮れだったか、番組でこの応募者募集が告知された時、自分のスケジュールを確認してしまいました。ビデオで応募して選ばれたら2月の中旬ぐらいに番組収録がある予定だったと思います。
「開院前だし、行けるかな?」と考えた自分がいました。(笑)

オケ活動はしていても指揮はまだ未経験です。
いつか指揮もしてみたいものです。。。

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2008.03.22

庄内国際ギターフェスティバル

今年に入って、元日から毎日書き続けたブログ。
書く事がなくてもなんとかひねり出して書いていた感じでしたが、ついに昨日3/21で途切れました。
書く事がない訳ではなかったのですが、昨日は診療の後、ちょっとした会合があり、久しぶりに外で飲むことになったので、ビールに焼酎を飲み、日頃の疲れも手伝って眠くなってしまい、家に帰ったのが23時前でしたが、宵っ張りの私には珍しくそのままベッドへドスン、で朝まで寝てしまいました。
昨日は初めて行った店でしたが、料理は美味しく、しかも九州関係の料理がたくさんあり、ミンククジラの刺身まで出ました。焼酎も鹿児島の芋は当然として、宮崎の芋、麦、蕎、米各種の焼酎が置いてあり、私の大好きな「山ねこ」「山翡翠(せみ)」「山猿」の「山シリーズ」もありました。私は「邑」をお湯割りで、西酒蔵の幻の焼酎と言われる「天使の誘惑」をロックで楽しみました。
酔いました〜。

さて、タイトルの話。
酒フィルの定期演奏会「充実感と、、、その3」でも共演した世界的ギタリスト福田進一さんを音楽監督に迎え、庄内町「響ホール」を会場に行われる、ギターの祭典が今年3年ぶりに庄内やってきます。
今年の8月末のこと、まだ5ヶ月先のことですが、とても楽しみなので告知させて頂きます。
公式HPは3/20に出来上がったばかりの様です。こちら↓です。
"Shonai International Guitar Festival in Hibiki"
「庄内国際ギターフェスティバルin響」
このイヴェントのためのプレ・コンサートとして、すでに福田進一さん一人のコンサート(「福田進一プレ・コンサート」)が開かれ、今度は4/12には「松尾俊介&福田進一」プレ・コンサートが開かれます。
松尾さんは、上記福田さんをソリストに迎えたH16年の酒フィル定期の練習に、福田さんの代弾き奏者としてわざわざ酒田にお出でいただいたことがありました。私のブログ記事、「贅沢な練習」をご参照ください。

今年のギターフェスでは、目玉の一つとして飯森範親氏率いる山形交響楽団が初めて(?)、庄内町「響ホール」に登場する。これも記事、「アランフェス、音楽ホール」に書いたが、飯森さんの指揮でドイツのオケと福田さんのギターでアランフェス協奏曲を、福田進一ほどの巨匠にして生まれて初めてCDを出すために録音したという繋がりから生まれた話でしょう。
楽しみですね〜!

ーーーーー
今日は、「希望ホール」小ホールでアフリカンリズムの世界に浸って来ます。
「引用」ばかりで失礼しました。

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2008.03.20

「春分の日」

3/20の庄内地方の「日の出」は05:42、「日の入り」は17:51とのこと。
太陽の上縁が地平線(水平線)を超えたときが「日の出」であり、逆に「日の入り」は上縁が沈んで隠れた瞬間と言うことになっています。ですから太陽の「中心」の「出」や「入り」とは違います。
太陽が出ていた時間は、12時間9分ということになりますから、「昼と夜の長さが同じ日」という訳ではないようです(およそ「春分」の4日前が昼夜の長さがほぼ同じになるのだそうです)。

国際的に見ると「春分」は3月21日と固定している国も多いそうですが、日本では国立天文台の算出する天文学的春分日を元にして閣議決定され、前年2月に官報で告示されています。天文学に基づいて年ごとに国家の祝日を決定している国は珍しいのだそうです。

天文学的に考えると、春分には太陽は真東から上って真西に沈むことになります。
これを赤道上で見ると、太陽は正午に天頂を通過することになります。北極点または南極点から見ると、春分の太陽はちょうど地平線と重なるように「水平に」動き、上ることも沈むこともないということなります。昇る事も沈む事もない太陽、一度見てみたいものです。

ーーー
今日は休日なので久しぶりにたっぷり「朝寝」をしました。
クリニックの開院準備、お披露目会、そして開院、さらにオペラの練習と慌ただしい日が続いていたので久しぶりに「何にも予定のない」真の意味での休日です。
遅い朝食を済ませ、私はクリニックに出かけました。昨日までのMRI画像の整理や紹介状への返事の整理などを行い、主要なMRI画像をプリンタで紙にいろいろプリントしてみます。紹介患者の返事に必ずしも画像を添付する必要はないのですが、折角のMRIの所見を如何に無駄なく美しく相手に伝えるかを考え、従来のフィルムへのイメージプリンターによるプリントではなく、普通のパソコンのプリンターで紙にプリントしてみました。コントラスト、明るさ、大きさ、配置などは撮像法に寄ってもかえる必要がありそうです。試しプリントに飽きると、リハビリ室へ行って、ピアノを弾いたりフルートを吹いたりして気分転換が出来ます。ここは私にとってアミューズメントパークのようなところで、「仕事場」という感じがしません。
午後遅く酒田市街中心部に出かけ、椎名誠が愛するワンタンメンのお店「川柳」でワンタンメンを食べ、中心街で買い物をと清水屋デパートに出かけ、足らなくなって来たYシャツを少し購入。1ヶ月遅れの妻への誕生日プレゼントも買いました(これまでゆっくり物色する時間的、心的余裕がなかったため)。

またクリニックに戻ってBSを観てみると、なんとBS-Hiで「ベルフィル」の特集をやっているではありませんか!慌ててHDDへ録画を開始。なんとなんと午後1時から8時まで7時間ぶっ続け放送。フルベンからカラヤン、そして小沢征爾まで名だたるマエストロとベルフィルの演奏の模様を放送していたのです。
自宅のテレビはちょっと古くてBSは入るには入るのですが、きれいに写らないのでほとんど観ないのです。クリニックにいれた新しいテレビは「地デジ」。一般放送も綺麗ですが、BSの映像の美しさと音の素晴らしさは感動ものです。
今、小沢征爾指揮でベルフィルが『悲愴』をやっています。今年の1月に「カラヤン生誕100年記念演奏会」においてベルリンで演奏したもののようです。フルートは尊敬するパユです。ホルンは愛するバボちゃんです。
昨年の10月のとある日、私の携帯に留守電話が入っていました。知らない番号なのですが3回くらいかかって来ているのでなんだろうと留守電を聞いてみると、日本に来ていたラデク・バボラックでした。その事は、私のブログ記事、「バボちゃん」に書いています。
このBSの放送で、バボちゃんは元気にホルンのトップをつとめていました。ちょっと髪を伸ばしてアイドルっぽくなっています。前より少し痩せたかな?元々ハンサムなのですが、より「いい男」に映っていました。あの後、頭痛発作はどうなっているのでしょう。今年、また来日します。うまくすると庄内にも演奏に来ます(アフラートゥスではなく、バボラックとその仲間で)。その時に聞けるかもしれません。
最初はパユやバボラックなどの「映像」に惹かれましたが、すぐに「演奏」そのものにググッと引きつけられることになります。
マエストロ小沢は指揮棒を持たずに指揮をします。スコアも置いてありません。第1楽章の冒頭から凄い表情で、あれ?と思う位、ゆっくりしたテンポです。演奏の前に、リハーサル風景がありました。その中で、小沢さんは名だたる名手ぞろいのベルフィルに対して、「だいたいこんな感じ、というような弾き方は止めましょう」と結構細かく演奏「方法」を指示しています。その結果、チャイコフスキー作曲交響曲第6番『悲愴』が、楽譜に書かれているすべての音符のどれひとつおろそかにする事のない、丁寧な、重みのある、深い演奏になっていきました。難曲『悲愴』といえど、ベルフィルの名手達にとっては、今まで何回も演奏をして「手慣れた」曲になっていたはずです。小沢征爾はそれを忘れる事から始めているようでした。熱演です。ただ、「勢い」で演奏する熱演ではなく、一つ一つの音符を大切に、凄く早いパッセージでもすべての音に想いを込めて演奏するような感じの熱演でした。フルートトップの、現在世界一のフルーティストと言っても差し支えないであろうエマニュエル・パユが顔を真っ赤にして、大きく口を開けて息継ぎをして、fffを吹いています。「100年に一人の逸材」と謳われ「天才」の呼び名をほしいままにするバボラックが目を向くようにpppやfffを奏でています。ベルリン・バロック・ゾリステンでもおなじみの弦の名手達が、食い入るようにマエストロの表情と指先を見つめながら必死の形相で演奏しています。
凄い、としか言いようがなく、このブログを書きかけていた私はそのままテレビの前に文字通り釘付けになっていました。

去年の12月2日、酒フィルの定期演奏会で、メインにこの『悲愴』を演奏したのです。ブログ記事『何十億もする楽器』を参照ください。
その時の演奏は、音ブログ「214. Pathetique-1a.」などで聞くことが出来ます。私はフルートトップを吹かせてもらいました。パユの姿を観ながら私は心の中で演奏していました。
しかし、この『悲愴』も、先日の『ラ・ボエーム』も、最後は死を迎えて終わるのですね。
酒フィルは、2つ続いた演奏会で、悲しく死を迎える演奏をしたことになります。それも悪くはないのですが、次は明るい歓喜の声や勝利の歌で終わるような演奏もしたいものです(と言いながら今年の定期演奏会のメインはすでに「シベ2」と決まっているのですが)。

番組の最後に、小沢さんは演奏終了直後、万来の拍手とブラボーの嵐を浴びながら、ベルフィル団員に対して天井を指差し、天国のカラヤンのおかげで今のベルフィルがある、カラヤンに感謝しましょう、というような事を言っていたという話がありました。
素晴らしい話だと思いました。
さすが、マエストロ小澤征爾です。
昨年、5月にウィーンのコンツェルトハウス内ですれ違う時に、ギョロっと目で見られました。「中央ヨーロッパのタビ」5月7日、ウィーン2日目をご覧ください。
今年の5月に新日本フィルを率いて、酒田「希望ホール」に登場します。楽しみです(チケットが手に入れば、、、ですが)。(^^;;;

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2008.03.19

立ち止まっていはいられない

3/16のオペラ『ラ・ボエーム』、あのビッグイヴェントが終了して本日で早くも3日が経ちましたが、出演した者の一人として日々の仕事をしながらもまだ「余韻」を引きずっている感があります。この数日の間、私が招待した知人・友人から多くの賞賛を頂きました。
中でもブログを書いておられる、私のクリニックの設計担当である一級建築士のA氏の感想などは演奏者冥利に尽きるものでした。どうぞ「プッチーニ作曲 オペラ”ラ・ボエーム”」をご覧下さい。

3/17(月)の朝から、強制的に(?)日常に戻されている訳ですが、先週と違って今週はなぜかクリニックにいらっしゃる患者さんの数が多くなっています。2回目の受診の方がチラホラ見えて来た上に、新患が多いのです。そして、これまでも数回書いている様に、頭痛、めまいなどの一般的な訴えで受診されて、通常に神経学的診察では明らかな異常所見を認めないのにかなり高い確率でMRI上の異常所見が見つかっています。
3/17に初診された「めまい感」の患者さんで、神経学的には明らかな運動麻痺や感覚障害などはなく、自覚症状が継続するならMRIを撮りましょうか?という対応で経過を見ようとした方が2日後の本日再来されました。寝ていても周りが「サーッ」と流れる様なめまい感と左半身のだるさを自覚するということで、処方しためまいの薬を服用してもあまり改善しない、ということでいらっしゃいました。
頭蓋内病変を否定する意味でMRIを施行してみた所、なんと右の前頭部前方(額より少し上方)に直径25mm程度の腫瘍が見つかりました。軸位、冠状断の種々の撮像法によって「髄膜腫」の可能性が非常に高いと思います。この腫瘍が右前頭葉に食い込む様に発育しているため、患者さんが訴えられていた「周りがサーッと流れる様なめまい感と左半身のけだるさ」は十分腫瘍による症状であると思われます。腫瘍の主座は右前頭葉前方の「眼球運動の上位中枢」よりも少し前方にあるのですが、ここに対する圧迫症状またはてんかん症状の可能性があると思われます。

休日を除くと、開院して15日になるのですが、70才以上の方に見られる無症候性の散在性の小さな脳梗塞の所見は予測していた事ですが、腫瘍、くも膜のう胞、ラトケのう胞、未破裂脳動脈瘤が各2個ずつ診断されました。慢性硬膜下血腫(すでに総合病院で手術終了)と器質化した硬膜下血腫(交通事故後11ヶ月、昨年某病院でCTやMRIにて同様の所見あり)なども診断されており、しかもそれらの画像は満足できる高い画質で、「非」超伝導MRIの中では最上位機種を選択導入した事が間違いではなかった事を確信しております。

4月から診療報酬が一部改定されます。
MRIの検査料は、現行の「1.5T以上MRI=1230点」、「それ以外のMRI=1080点」から変更はないようです。
実は、このテスラ(=T)でMRIの料金を高いものと安いものに分けているやり方には不満があります。例えば、10年前の1.5TのMRI、そこまで古くなくても5年前の機種と私が「清水の舞台から飛び降りる覚悟」で導入を決定した0.4TのMRIの画像を比較してみると、画質に遜色がないどころか、MRAに関して言えば高速コンピュータを使用したPACS(MacPro+OsiriX)のお陰で当院のMRAの方が画質も綺麗でより診断力が高いものであると自信を持って言えます。
画質が良くて診断力が高い器械を使用しても、現行の診療報酬制度では「安い方」=1080点の検査という「枠」にはめられているのです。「お上」が決めている事であり逆らう事は出来ないのですが、患者さんの役に立つという観点からは、少し古い超伝導MRIと同等かそれ以上の画質を確保できている自信があります。この自信は日々の診療における私のモチベーションにはなりますが、残念ながら医院の「収入」という面では貢献しません。しかし、上記の様にこれまで15日間のわずかな経験でも、私がMRIを持って開業した事は地元住民の方々の役に立ち、地域の医療レベル向上に確かに貢献していると自負しています。

地元の総合病院におけるMRI検査は予約が立て込んでいる為に、脳外科や神経内科を受診した患者さんで軽症(自覚症状はあるが医師の診察による他覚所見がないなど)の方にはすぐにMRI検査が出来ない状況(緊急性が乏しいと判断する為)となっており、およそ3~4週間待ちなのだそうです。そのためそれらの病院の先生方が「あそこに行ってMRIを撮ってもらって下さい」と当院を積極的に紹介して下さいます。つまり、病院から診療所へMRI検査の紹介が行われるという、すこし変わった(でも予測していた)状況になっています。
総合病院へ集中しがちな患者さん、病院に於ける限られた診断機器の数、そして限られた勤務医の数に対して必要とされる検査数の多さのために、病院でのMRI検査の予約混雑状況はどこでもこんなものではないでしょうか。先日、山形市から車を運転してわざわざ酒田まで受診に来て下さった、以前私が診察していた患者さんなどは、大学病院の専門外来で「その先生の外来日に限定して、ある特殊な撮像法を指定して」MRIを予約すると、なんとなんと「7ヶ月待ち」だったそうです。
MRIの予約が半年以上先になるという、信じられない状況が起こっているのです。
私も大学病院に勤務していた時に検査を予約する側としてこのような事態は経験済みです。このような「異常」ともいえる事態に対処する方策としては、「予約の取りやすい他院のMRIを利用する」でした。山形市内の私立、公立の病院で信頼できる優秀な放射線科医が常勤し(顔が見える)、MRAや高度な撮像の出来る機種(たいていは1.5T)のある近くの病院3つの中から選択してMRI検査のみを予約依頼するのです。これであれば、曜日や時間をある程度指定しても1ヶ月後くらいの検査が可能でした。
私のクリニックのMRIも、地元病院のすでにパンクしかかっているMRI検査の代替え品としても活用される事を想定し願っていましたが、開業2週が経過した時点で徐々にそのような状態になって来た様に感じています。

立ち止まってはいられない訳です。(^^)

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2008.03.18

取材?

オペラも終わり、少しホッとして、腑抜けになりたいところですが、そうも行きません。

開院して3週目に入りましたが、「口コミ」というものがそろそろ少しずつ出てきているようです。
「誰々に言われた、、、」「家族がここを見つけてきた、、、」「隣の人から勧められた、、、」というのに加えて、市内外の診療所、病院からも「あそこに行ってMRI撮ってもらいなさい、と言われた」というような受診の方もチラホラ。
昨日と今日は、先週と違い新患だけで二桁になりました。
遠くは秋田のにかほ市から今まで2名もおいで下さいました。
今や鶴岡市ではありますが、新潟県との県境近くにある温海の鼠ケ関からもお一人いらっしゃいました。
新庄市からも一人いらっしゃって下さいました。
驚いたのは、5年前に山形市内のさる病院の脳外科外来で検査や治療を行っていた方が、私の移動の時に紹介状を書いていたのですがそこには行かず、今回私を捜して山形市からはるばる車を運転して来院して下さいました。
3年前、4年前にN病院でくも膜下出血の手術を行った方が、これまでに2名、「先生にまた会えて嬉しいのぉ」と、紹介状なしで訪ねて来てくれました。
そして今日は、およそ11年前に鶴岡市のS病院に勤務していた時に外来で病気を診断し、大学病院に紹介し、その後私も大学病院に戻った為、主治医として手術に関わったある患者さんが、私の開院の噂を聞きつけて酒田まで来て下さいました。

医院の宣伝というのは、医療法や医師法の制限があるのですが、その制限内でミニコミ紙や新聞への広告を考え少しずつ実行しています。しかし、よく言われる様に、地元の人々による「口コミ」というのが少しずつ広がっている様な感触を持っています。

そんな中、今日は2件の取材がありました。
雑誌と地元FMラジオ局です。それがどれだけの影響力を持つのかはわかりませんが、決してマイナスにはならないだろうと考えて取材を受けました。この事は、別のブログに書きました。
「院長ブログ『取材が2件』」をご覧ください。

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2008.03.17

大成功でした!

オペラが終了し、打ち上げが終わり、早くも24時間以上が過ぎています。
Photo昨日のオペラは、前売り完売で当日券なし、客席は満席でした。
酒フィルの定期演奏会では考えられない「満員御礼」の客席をじっくり見てみたかったのですが、写真の様にオケピットに潜ってしまっては背伸びしても1階席の前の方がやっと見えるくらいです。

客席が半分暗くなって、緞帳が降りたままの舞台に照明が当たり、音楽監督の三枝成彰さんが登場。
「ラ・ボエーム」の粗筋やそれを理解する為の時代背景などを解説します。そしてオペラの素晴らしさと主催者である酒フィルの紹介をして下さいました。その中で、「この団員の中には、オペラの練習に参加して本番に出たいが為に大学を辞めてこの酒田で開業したという先生までいらっしゃるそうです」という話をされました。私は思わず隣のピッコロ担当YS氏と顔を見合わせてしまいました。どこで私の話を聞いたのか(会長かタビの親父さんかな?)、私以外の誰の事でもないエピソードに思わず苦笑しました。
1幕、スムーズな滑り出し。ルドルフォの水船さんによる『冷たい手を』のアリア、そして続くミミの大貫さんによる『わたしの名はミミ』のアリア。会場から拍手が湧きます。オケピットに潜っていると拍手が小さく聞こえます。もっと拍手して欲しいな、素晴らしい歌声なのに。拍手が短くないか、、、
そんな事を気にしてしまいました。そしてミミとルドルフォは恋に落ちます。
2幕、クリスマスイブのカルチェ・ラタン。大勢の群衆が場を盛り上げ、酒場にルドルフォ達4人にミミが仲間に入ります。そこに金持ちを連れたムゼッタが現れ、あの有名な『私が街を歩けば』のアリア。ムゼッタの安達さん、ああ、素晴らしい!
Photo_2ステージ上の合唱団の写真は撮れなかったので(なにせ演奏中ですから)、控え室で集合写真を撮っていた所にお邪魔してパチり。この素晴らしい衣装。担当の方々が、一人一人採寸してオーダーメイドで作った衣装です。いくらトヨタから後援を受けているとは言えこういう衣装代も本当は大変な額に昇るものをほとんどヴォランティアの様に作って下さったのだそうです。でも着る人達の「かっこいい!」とか「素敵〜!」という言葉で十分報われるのだそうです。

2幕と3幕の間に20分の休憩がありました。本当はもうちょっとゆっくりしてもいいのではないかと思います。折角、ホワイエではコーヒーや軽食だけではなくワインなどのアルコールも販売されたのですが、20分ではちょっと慌ただしかったのではないでしょうか。終わる時間を考えたら仕方ないかも知れませんが。
3幕前にまた三枝さんからお話がありました。4幕が始まるとまもなく「パブロフの犬」よろしく涙腺が緩んでしまうのだそうです。4幕の最後が近づいて涙が出ない人は感情がおかしいかも知れませんよ、などと半分冗談にしても極論を述べられました。(笑)
でもそれだけ胸にグッと来るアリアに音楽です。
4幕でルドルフォの元に運び込まれ、息絶え絶えになりながらも「あなたと二人きりになりたかったの。お話ししたい事があるの。」と歌うミミのアリアを聴きながら私は涙が出そうになって困りました。グッとこらえて演奏を続けました。
そしてついに最後の時を迎えます。
一瞬のfffの、次第に消え入る様にpppになって終わります。
拍手、拍手、そしてブラボーの声も聞こえます。上に書いた様にオケピットの中にいると、客席の音はかなり小さく聞こえます。ブラボーもかなり遠くでかすかに聞こえる感じなのです。
何回ものカーテンコールの後、我々オケもステージへと呼ばれます。普通、オペラでオケがステージ上がる事はありませんが、今度のオペラは酒フィルが主催でTCCの援助を受けて二期会や藤原歌劇団の歌手の方達に地元の合唱団が加わったものなので、最後にオケ全員がステージに上がりカーテンコールを受けました。鳴り止まない拍手の中、緞帳も3回程、上がり下りを繰り返しようやく終わりました。

Photo_3Photo_4希望ホールのホワイエで引き続き打ち上げが行われました。
ソリスト達、合唱団、舞台・衣装スタッフ、トヨタの関係者、そして酒フィル、酒吹、エキストラの皆さんが集い、楽しい会でした。二次会、三次会と続き、ソリスト達と親しく飲み交わし成功を祝しあいました。
楽しく素敵な宵でした。
本番の朝まで含めると、全48回の練習でしたが、あっという間に終わってしまいました。
希望ホールという素晴らしいホールに恵まれ、TCCという素晴らしい企業メセナに後押しされ、本当にいい思いをさせて頂いたと思っております。

おまけの写真。
Photo_5酒フィルの溜まり場、酒田市役所向いの角にある喫茶店「山茶花」のお雛様。
今、酒田ではちょうど『庄内のお雛さま』をいろいろなところでやっています。4月上旬の「旧暦の桃の節句」まで、山居倉庫や本間家旧本邸をはじめたくさんの場所で江戸時代のひな飾りやその他、酒田の名物「傘福」なども飾られています。

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2008.03.16

『ラ・ボエーム』いよいよ本日です!

3/15 (土)、午後1時までのクリニックの仕事を終えて、横浜からオペラを見るのと開院した医院を見るために来酒した両親を迎え、ホテルに送り届けて、慌ただしく最後の練習、「通し稽古」に出かけました。
昨日のオケピットの作り方、オケピットの様子などは今回裏方に回っている(といいながら、2幕目の軍楽隊長として舞台に登場し大変目立っている)「下棒」(練習指揮者)のタビの親父さんのブログに詳しく紹介されています。こちらです。
「ラ・ボエーム」いよいよオケピットをご覧下さい。

ピットに潜った立場からはこちら。
Photoまずは、ピット裏=ステージ下です。地下のようになっていますが、結構広いです。ここに楽器ケースや鞄を置いている団員もいます。

Gp午後4時半頃から、カーテンコールの動きの確認などが先に行われ、5時10分からついに全幕の通し稽古が始まりました。ソリストも地元合唱団もメイクして衣装を着けて、本番と同じセットで、両袖には字幕スーパー(電光掲示?プラズマ?)も出ます。
これは、1幕の有名なシーン。ミミとルドルフォが出会って自己紹介をする所。フルートはちょっと間が空いていたので、演奏しながら写真を撮りました。

Gp_21、2幕を通した後、20分休憩して3幕に入ります。その直前、まだ客席も明るい状態のステージセットです。
割とシンプルな造りでした。


Photo_33, 4幕と感動のアリア、シーンが続き、演奏しながらの撮影は無理でした。
ステージ上に、ソリストが集合し、音楽監督の三枝成彰さん他スタッフが揃っている所をパチり。
フラッシュをたかないので光量不足とシャッタースピードが遅いためぶれています。

自分もたくさんミスをしましたが、弦のほうが途中で完全に1小節ずれたり、どこかで1拍ずれたまま演奏が続いたり(指揮のマエストロ中橋は「ずれてる!ずれてる!」と声を出しながら指揮を止める訳にいきません)と、かなりスリリングなシーンが展開されました。
今日やっておけば明日の(もう今日ですが)本番ではミスしないだろう(?!)という気持ちで。


Photo_4Photo_5疲れたので、「アルバ」のカレーへ(本当は『ナーランダ』に行ったのですが、20:30ちょっと前に店に着いたら既に閉店していました、閉店時間20:30!ガッカリ)。
家内は2幕目で変なピエロに追いかけられる街の女役に、洋服屋さんを取り囲む子供たちが歌い出すシーンを補佐する、大柄な子供役と、3幕目で初めの方に主役のミミがルドルフォがいるはずの店の場所を訪ねるシーンで道を聞かれる女役(台詞、歌なしで演技のみ、でもソロ!)をやります。ずっと立ちっぱなしだったので足が棒のようだと言っていました。お疲れ!

さあ、本番です。
残念ながら「当日券」はないそうです。「完売」だそうです。

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2008.03.15

オペラ前日

今日は、午後からソリスト、合唱の場当たり。その後、夕方からオケが入って、本当のゲネプロです。
Photo昨日は、私は遅刻しましたが(6:45頃駆けつけました)初めてのオケピットに興奮しました。
(写真は、ステージとオケピット全景です。一階の最前列は通常の6列目になります。2階のバルコニー席は、まるでヨーロッパのオペラハウスで王様達が鑑賞する特別席のようです!)

困るのは、結構tacet(休み)が多いのですが、その間、どうしても舞台上のソリストが気になります。素晴らしい歌声で演技をつけながら歌っている人達はすぐよこのステージ上にいるのですから、そっちを見るなと言われても気になります。
Photo_2木管楽器群はステージに向かって左手、舞台下手側に固まっています。通常、交響曲などの時は弦楽器の後方に位置する管楽器ですが、オケピットでは木管は下手、金管と打楽器は上手側という形になっています。(写真は、私の位置から指揮者方向を写したところです)

Photo_3私は、通常の交響曲などのコンサートで言えば第1バイオリンの4、5プルト位の位置にいるため、指揮者を真横から見る角度にいます。よって、ちらっと左側を見るとそこはステージです。チラ見でなく堂々と舞台を見上げる事もできます。
たとえば11小節の休みがあると堂々とステージ上を見ながら指を折って11小節を数え、9位まで来たら楽譜に目を戻して演奏したりしました。
(写真は、本番のように客席の灯りを落としてみたところです。マエストロは天井からまっすぐサーチライトのような光で照らし出されます。かっこいいです!)

今日のゲネプロ、楽しみです!

ーーー

クリニックの方は、2週目の診療が終わります。今週は受診される患者さんの数もガクッと落ち込みました。「0名」の日がなかったのがせめてもの救いでしょうか。。。(笑)
今日は土曜日なので午前中だけで6名の患者さんにいらしていただきました。
今週は、風邪症状の方、不眠症の方なども来てくださったので、数は少ないですが少しこの医院の存在が知られてきたのでしょうか。

明日のオペラが終わったら、毎日の地道な診療にまっしぐら、となりますか。。。(^^)

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2008.03.14

今日から3日間はオペラ!

昨日は、舞台に乗る人達(ソリスト以外の合唱団、少年少女合唱団、バンダ(軍楽隊))の衣装合わせがありました。詳しくは、「タビの親父」さんのブログ
『ラ・ボエーム』衣装合わせ
をご覧ください。素敵な衣装がご覧頂けますよ!

オケは、上下黒黒に黒蝶ネクタイでオケピットに潜り、ライトも当たらない(譜面台に手元ライトが付きます)ので全く目立たない、というか公演中は見えないはずです。
今日の夜から、オケピットでの練習です。舞台に乗る人達は、合わせた衣装を着けての練習です。立ち位置、動きなど衣装を着ければまた変わりますので、その練習です。
というか、今晩が最後のリハーサルになります。
明日、土曜日は午後からゲネプロ(ゲネラール・プローベ=General Probe)=通し稽古です。基本的には練習ではなく、最初から最後まで通して問題点を見つけて修正し本番に備える最後の段階です。
明日は土曜なのでいいのですが、今日はオケピットへの大型楽器(コントラバスやティンパニ、ベルなど)の搬入セッティングもあり、来れる人は4時過ぎ集合、その他は5時半集合で6時最終リハ開始、となっています。

私は、申し訳ありませんが遅刻です。
医院をオープンしたばかりで、私的な用事で休診や早めに終了はできません。午後は2時から6時まで受付ですので、6時ギリギリに患者さんが来られれば当然対応します。もし新患であれば終了するのが午後7時近くになる可能性もあります。断ることはできません。
フルート3人の中では一番気楽な(?)セカンドにしてもらっているので、その点少し安心ですが、セカンドがいなくて良い訳ではありません。迷惑をかけてしまいますが、社会人が仕事と両立させながらやっているのがアマオケの良い所なので皆さんのご理解をお願いしています。
早く行けるといいなぁ〜〜〜。

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2008.03.13

1.5ヶ月ぶりでした

前回行ったのは2/1(金)。ちょうど6週間ぶりでした。
地元のスポーツジム。
昨年から、体力維持、健康増進を目的に入会したのですが、結局、頑張っても週に2回はなかなか行けず、いいとこ週一ペースで、ちょっとさぼると2週間行かないということも途中にありました。
昨年暮れあたりから、新しく生命保険に加入することもあって特にメタボリックシンドロームに気を使うようになりました。特に体重、そしてその結果であるBMIです。

年末年始は1年の行事でもありますし、ここでお酒も御馳走も頂かないというのはあまりに無粋なので、松の内明ける頃から本格的に「運動増多&食事制限&減量」を心に決めました。でも年が明けてますます医院開設準備で忙しくなる中、頑張っても週一ペースの運動でした。春雨ヌードルのような極低カロリー食品を食べ、晩酌は止め(会合での酒飲みはあり)、なるべく間食を制限しました。その結果、正月明けから1ヶ月で約3.5kgの体重減に成功しました。
おかげで新しく加入する生命保険のための健康診断も「健康体非喫煙者」でパス!
その後も減量計画は続けていたのですが、上記のように運動はパタっと6週間やっていませんでした。
久しぶりにランニングマシーン、エアロバイク、そして4種類の筋トレを行いました(クリニックの院長室にはWii Fitも準備したのですが、もう2週間くらいやってないかも、、、)。
今日の体重は、正月明けの最近の「最大体重」からみるとー4.5kg以上でした。最後にスポーツジムで体重を量った2/1よりもー1.0kgくらいでした。

「全然運動してないのに体重が減った!」「入会してから週一ペースで運動していても、入会時より体重が減らないどころか一時増えた」「ジムを休んでいたら体重が1kg減っていた」
これは事実の表記です。書いている文言に間違いはありません。
これを短絡的に解釈してしまうと、「ジムに週一ペースで行くよりは、全く行かない方が体重が減少する」ということになってしまう可能性があります。

なんでこんなことを書いているかというと、今朝程、いくつかの情報番組で日大の研究グループかどこかが発表した「睡眠時間と肥満の関係」についてちょっと疑問に思ったからです。報道によると(論文や学会発表を直に聞いた訳ではない事をお断りしておきます)、「睡眠時間の少ない人は肥満になりやすい」「肥満の人は睡眠時間が短く、眠りが浅い傾向がある」ということでした。
ただ、「睡眠が長ければ痩せている」とは言っていません。適度な睡眠時間(確か7時間前後だったと記憶しています)を取っている人が、最も肥満になりにくいという結果だったと思います。

この結果には異は唱えません。しかし、その解釈には疑義申し立ていたします。
確かに、睡眠と脳内ホルモン、身体の標的臓器に対する内分泌ホルモンなどの関係から、適切な睡眠時間を取る事は体調の維持、ひいては体重の適切な維持につながる事は言えると思います。しかし、睡眠時間が少ない人が肥満になる傾向を、すべてその「ホルモン」では説明できません。睡眠が少ない=肥満という短絡的な論理の展開は非常に危険です。

よく考えてみてください。
睡眠の少ない人はどういう人である傾向が高いか。
独断と偏見で失礼しますが、睡眠時間が4,5時間という人達の中で、一日の残りの19,20時間をずっとまじめに働いているという人は少ないと思います。普通に8~10時間労働したり勉学に励み、食事をとり、テレビを観、風呂に入り、歯を磨いて、それだけではなく更に加えて何時間もインターネットをしたり、ゲームをしたり、何か夜更かしをするような事をしていて、就寝が1時、2時、場合によっては3,4時まで何かやっているとか、つまり、「早く床に着いて規則正しい睡眠を取り一日の生活リズムを守っている」人達とは真逆の生活をしている人が多いのではないでしょうか(間違っていたら済みません)。
更に、夜更かしするために間食や夜食が多くなったり、アルコール摂取が増えたり、睡眠時間が少ないため朝はご飯を抜いて、学校や仕事に出かけ、不規則などか食いをしているのではないでしょうか。

私が言いたい事は、睡眠時間が短いためにホルモンのバランスを崩して肥満に陥る傾向にあるという解釈はちょっと短絡的で、睡眠時間が短い傾向にある人達の集団は、十分な睡眠を取っている人達に比べて、不規則な食生活をし、健康への意識が低く、肥満になる「生活習慣」を送っている人達なのではないかという事です。
最初に書いた私の事例のように、事実だけを短絡的に論理展開してしまうと、「スポーツジムに行けなくなってから体重が減少したから、週一ペースくらいで行くくらいなら行かない方が良い」などというとんでもない結論になってしまう訳で、同じ事がこの睡眠と肥満にも言えるのではないだろうかとちょっと考えてしまいました。

ーーー

今日の酒田は日中の最高気温が13℃あったそうです。「平日の半ドン」2回目の今日、6週間ぶりにスポーツジムに向かう時、車に表示される車外気温は14.5℃になっていました。また、寒のぶり返しは来るでしょうが、春はもうすぐそこまで近づいているようです。スタッドレスタイヤいつ外そうかな?なんて考える季節になりました。あと1週間で「春分」です。
明日は、オペラ『ラ・ボエーム』の最終リハーサル、舞台稽古+オケは初オケピットです。
明後日、文字通りのGP(General Probe)で、明々後日ついに本番です。
もう希望ホールの1階席は売り切れ、2回にわずか残っているのみで、当日券は無いかもしれません。
日本人宇宙飛行士土井隆雄さんが乗り込んで作る国際宇宙ステーションの日本実験棟の名前は「きぼう」=Hopeです。
明日から我々がリハ、ゲネプロ、本番を過ごすのは酒田市民会館「希望」ホールです。
なんか、いい感じです。。。v(^^)

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2008.03.12

様々な手続き

診療所を開設するまでにたくさんの書類を書き手続きをしました。
大雑把にいってしまえば、金融関係、建築関係、医療施設開設関係、労働および税務関係です。
対象とする施設または係は、銀行、保険会社、建設会社、リース会社、市や県の建築課、消防署、保健所、社会保険地方事務局、労働基準監督局、税務署などです。
これを私一人でやってやれないことはありませんが、書類が多くてとても大変です。これに加えて、医療産業廃棄物処理に関わる契約や自動販売機の契約、ビル管理、警備会社、清掃関係の契約も結びました。
銀行担当者、税理士、社会保険労務士、リース会社担当コンサルタント、それぞれの会社の契約担当が持ってくる書類に、言われる通りに(言われるがまま?)住所を書き、署名をし、捺印をし、一体何枚の契約書や書類を書いたことでしょう。

院内に揃える物品のうち、PACS用のコンピュータは知人の助けを得て、自分でコンピュータ販売会社に直接交渉し発注し支払い納入してもらいました。テレビや掃除機などの院内家電製品は自分で家電量販店に出向き、必要なリストを渡して見積もりをもらい、発注して支払い納品してもらいました。
ファックス・コピー複合機は医療機器販売会社の事務所に販売店担当者を呼び、説明を受け、発注し納品受け支払いをしました。その他の小物医療関係用品は細かいリストを作ってもらい発注し納品しました。
院内の家具(待合室のソファ、診察室の机など)は、2社の提案プランと見積もりを比較し、さらにカタログとレザーや布地の見本を実際に見て、考えて発注し納品され支払いをしました。
これらのことは、当然ながら担当者と相談しながらも全部自分一人で考え、決めなければなりませんでした。

そして、2ヶ月ほどかけて考えに考えたあげく決めた電子カルテも、準備段階、シミュレーションを経て、現在なんとかうまく使っていますが、今度、もう一つ手続きが出てきました。
患者さんが病院、医院を訪れて診察を受け、会計する場合、その加入している医療保険(国保、社保など)によって個人負担額がかわります。おおむね、一般社会人の本人の現行は「3割負担」です。つまり、当日の診療費用(院外処方なのでお薬代は除く)が5000円かかったとすると、本人は3割の負担なので窓口では1500円を支払って帰ることになります。医療機関としては、5000円相当の医療行為を行ったのですが、残りの7割分3500円は窓口では受け取れません。これは、患者さんのはいっている国民健康保険(国保)か社会保険(社保)の医療費支払い基金に医療機関から「これこれこういう医療行為を行ったので出してください」と明細とともに依頼を出して、各支払い基金ではそれを妥当な医療行為であるのかどうか「審査」して、認めたものだけ医療費を医療機関に支払います。
要するに、「ちょうだい」と言いさえすれば「はい」とくれるものではなく、「こういう医療行為ですので正当に医療費を請求いたします」というお願いをして、「そうですね、いいでしょう、支払います」と認められて初めて残りの3500円が医療機関に払われます。これは、たとえば今日3/12の医療行為ならば翌月4月の10日までに申請をして、それを審査されて認められれば5月になって医療機関に支払われるという寸法になっています。
この審査の段階で、「ん?この病名でこの検査はおかしいですね。認められません。」とか「この診療行為でこの請求は過剰ではないでしょうか?」とか「このお薬はこの病名では認められません。」ということになって、「返戻(へんれい)」ということが起こりえます。保険診療として認められないから支払い基金としてはお金を出せません、と断ってくる訳です。医療機関はそれでは困るので、返戻された内容を検討して、漏れていた病名を付け加えたり、その請求をした理由を詳しく書いて認めてもらえるように「再審査」を請求します。その結果、支払い基金側の審査で「そういうことであるのならばいいでしょう、支払います」となる場合、さらに1ヶ月以上支払いが遅れます。さらに、「いや、そういう理由ではやはり支払いは認められません」と再度返戻されてくることも有ります。
医療機関としては、行った医療行為に対する対価はどうしても得たいので、もう一度再々審査請求を行いますが、支払い基金からの指摘が妥当で医療機関側の審査は通りそうにない場合は「支払いを諦める」ということも起こり得ます。すると、場合によっては残りの3500円全額もらえないか、一部たとえばそのうちの1000円分は支払ってもらえない、ということもおこります。

この仕組みは、実際は単純なのですが、手続きや行為はとても大変です。月末になると「レセプト、レセプト」と各病院、医院で必死の形相(主に事務)になったりするのはこの事です。
従来は、一人の患者さん一回の診療に1枚の診療報酬明細(レセプト伝票)があり、それを手書きで記入して、診療記録(カルテ)と整合性がある事を確認し(特に処方、注射などの薬、検査、処置)、支払い基金の審査期間に申請を提出するのです。医療にも電算化はかなり前から入っていますが、この診療報酬明細の電算化は遅れていたようです。
通称レセコン(レセプト・コンピュータ) と呼ばれるシステムを導入して、病院では外来部門、入院部門別に事務職員がレセコンを操作して会計と診療報酬請求を行います。小さな診療所では、事務職員がたくさんいない場合は、看護師や医師、さらに医師の家族(主に妻)がレセコン操作を担当する事になります。
ところが古くからやっている診療所、特に高齢の医師が昔ながらにやっている診療所では、なかなか新たにレセコンを導入するなんて話にならない場合が有ります。今までやっていた方法でできるのだからそれでいい、という感じでしょう。さらに、レセコンを導入するには何百万円という投資が必要で、しかも操作方法を覚えなければならないとか、これまでの方法と変わるとか、だからといって紙のレセプト明細や請求書はなくならないとか、面倒くさい事が多かった訳です。

今でも、電子カルテもレセコンもなしで、すべて紙で職員、家族総出でレセプト作業をがんばっていらっしゃる施設も少なくないと思います。
カルテは紙だけど、レセコンは導入して、レセプト処理は電算化しているという施設も増えてきました。電算化したレセプトは、フロッピーディスクなどで国保や社保の支払い基金に請求することになりますが、この電算化請求は初めて行う場合、「試験」を受けなければなりません。
当院では、電子カルテ(+レセコン付き)を導入しているので、電子請求をするのですが、またいろいろな手続きが必要です。まず最初に「レセプト電算処理システムに参加するため確認試験の依頼書」というものを、各担当部署に連絡して書類を送ってもらいます。この依頼書に記入してこれを提出します。これには締め切りがあります。
すると、「確認試験実施連絡書」というのが送られてきます。それに対して、「確認試験用磁気レセプト提出」と言って、「旧来の紙のレセプトとFDなどの電算化されたレセプト両方+総括票など」を相手方(支払い基金)に送り、確認試験に合格すれば、「磁気テープ等を用いた請求に関する届出」と言うものを提出します。その結果、その次の月からは「磁気レセプトによる請求」といって電算化システムに本格的に参加出来る事になります。
もし、この「確認試験」に何らかの理由で不合格となった場合は、その次の月も再度「旧来の紙のレセプトと電算化されたレセプト両方」を提出する事になります。返戻された場合も「紙」レセプトになります。

このように、診療所を開設し、電子カルテ(レセコン付き)を導入して、スムーズにIT化の波に乗っていけるかと思いきや、本当に様々な手続きや障壁があるものです。うんざりしますが、やらなければならない仕事、乗り越えなければならない道なので前に進むのみです。
3月分の請求を4月に紙とFDで提出して、5月に順調に支払われる事と、4月分の請求を出す5月からはスムーズにFDのみによるレセプト請求でいけるように祈るのみです。

しかし、FDなんてここ何年使っていなかったかな?
以前はMOばかりでしたが、最近は私はUSBメモリを頻用しています。CD-Rはあまり使いません(なんか割れそうで)。FDか、、、大量に買ってこなくっちゃ。。。

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2008.03.11

8日目、とっても嬉しかった事

今日の外来に懐かしい患者さんが来てくれました。
電子カルテに現れた「受付中」の患者さんの名前を見て、(ん?どこかで見覚えがあるな、、、)と思っていたら、問診に「H17年に先生に手術を受けて元気になりました」と書かれていたのでわかりました。
「あ!あの人だ!会いたかったんだよね〜」思わずそばにいた当院スタッフにそう漏らしていました。
その方とは、当ブログのH17年5月23日の記事に書いた、
「True Story(感動)」
の人です。2年10ヶ月ぶりの感動の再会でした。

その患者さんを救った犬の「タロー」は、昨年18年と半ぐらいの犬にしては長寿の人(犬)生を安らかに終えたのだそうです。人間の年では100才近かったと思われます。その患者さんはその後自宅で元気で一人暮らし。自転車で20分くらいかかる「近所(?)」の医院をかかりつけにしているそうです。
私がN病院時代に外来で最後に診察した時に、およそ半年後のCT(MRIだったか?)の予約をしました。しかし、私は医局人事でその4ヶ月と少し後に他地方の救命センターのある病院に転出してしまいました。11月末にN病院に来られたその患者さんは、私が病院を辞めて突然いなくなった事を聞かされてがっかりし、代わりに外来を担当した医師に、「あなたはもう元気だから、近くの開業医に紹介するからそちらに行きなさい」と言われてそれっきりになってしまったそうです。よって正常圧水頭症に対してシャント手術を行って管が入っているものの、H18年の11月を最後に、破裂脳動脈瘤の手術部位も脳室も何も検査されておらず、近くの開業医で喘息やアレルギーの治療薬と胃腸の薬、睡眠薬をもらっているだけだったそうです。

今回、人づてに私が開業する話を聞いて、心待ちにして、待ちに待って、でも一人では車も運転できないのでなかなか来れないため、妹の御主人に頼んで車に乗せて来てもらったそうです(自動車でおよそ25〜30分かかる距離に住んでいるため)。「一日も早く来たかったどものぉ、開業した日やその週は混んでんでねぇがのということで、次の週に行ぐかのぉってなって、今日来たんです」とのこと。
「いや〜、うれし〜、命の恩人さ、まだ会えで、、、せんせに会わねうぢは死ねねぇど思ってたんだものぉ、、、せんせがこっちさ戻って来ねがぁって思ってたんだども、、、開業するって聞いだ時は嬉しくって、、、」と一気にまくしたててくれます。

玄関先で発見されたときは意識が無く、救急車で搬入されたときはもうろう状態で、くも膜下出血のグレード(Hunt & Kosnik)では4に近い3でした。検査を進めているうちにJCS一桁(I-3)になって来た事と、脳動脈瘤が右のIC-PCであった事から即日手術をしたのでした。術後2週間と少したって正常圧水頭症となりそれに対して脳室腹腔短絡術(通称シャント)を行って、次第に回復しリハビリをして、一人暮らしのため退院を少し延ばしたものの発症後2ヶ月ちょっとで、後遺症なしで退院された方でした。「犬のタロー」の話は、退院後の外来で本人から伺ったことでした。

今日は、1年4ヶ月ぶりになる脳の断層撮影を行い、シャントの圧設定をX線撮影で確認してずれがないことをチェックし、不眠症もあるし白質に軽度のラクナ梗塞も認めたため処方して時間の外来を予約しました。「遠いし車も無いから大変でないの?」と聞いたら、「バスで来て、後はタクシーでも使って来ますから」ということだったので、できればまた妹の御主人にお願いして送って来て頂いたら?とアドバイスして1ヶ月後に再来してもらうことにしました。

2週目に入っても再診の方は少ないので、新患数で一日が決まります。昨日、鶴岡から苦労して苦労して2時間以上かかって探して来てくださった方がいたように、当地でもまだ無名で知られていないクリニックのため患者さんは少なく、このままの状態が続いたら「夜逃げか?!」という感じです。(笑)
でも私は生来の楽天家で、ちょっとは気にしますが、悩んではいません。今週末のオペラに向けて、今はまだあまり忙しくない方がいいですし、職員もまだ動きや電子カルテに慣れていないので、患者さんが少なくてちょっと暇だな〜くらいがちょうどいいと思っています。(でも4月になってもこのペースじゃちょっとやばいかも、です。。。)
(^^)

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2008.03.10

2週目にはいりました

開院2週目に入りました。
つい先日まで、雪が降り、嵐が吹き荒れ、とても寒かった庄内地方ですが、ここのところようやく「春一歩手前」という感じになりました。
0309昨日のオペラ練習終了後、院長室から見えた鳥海山です。
もう少し視界の開けた場所では、冬の終わりの晴れやかな空気の中に真っ白な美しい鳥海山が、まさに迫って来る様に威容を誇っていました。

今日も患者さんは全員新患でした。まだ再来患者さんが来られる程日が経っていないからですが、お一人お一人に十分時間をかけて診察や検査が出来ます。本日は隣の鶴岡市の総合病院からも紹介患者さんがいらっしゃいました。うちのクリニックがどこにあるのかわからないため、かなり迷って時間がかかっていらっしゃったそうです。そのため午前の診療時間を過ぎて昼休みに入った時間帯、午前中診療最後の人が会計を終わらせて帰る時になっていらっしゃいました。わざわざ隣町の病院から紹介され、必死で当院を探して来て下さった方を待たせる訳にも行かず、そのまま診療を続けました。
2ヶ月程前に階段で転落して頭を打ったことがあり、最近になって頭痛ともの忘れを訴えて来られたのです。先週も同じ様な感じでMRIを撮影したら慢性硬膜下血腫が見つかり、脳外科のある病院に手術目的に紹介したケースがありました。今回も、問診、診察の後、すぐにMRIを撮りました。検査が終わって結果を説明し、紹介状に返事を書いたり、その方の地元の医院に診療情報提供書を書いていたらもう午後2時になってしまい、午後の一番の患者さんが受け付けにきてしまいました。検査結果が出るわずかな合間を縫ってお昼ご飯を5分程でかき込み、スタッフにも交替で昼休みを取ってもらいました。そして午後の診療へと続きました。

そんなに忙しい訳ではないのです。たまたまこうなっただけです。午後は結局数名の患者さんが来られただけです。しかし、忙しさにイライラしてばかりではない病院勤務医時代と違う私がいる様な気がしました。患者数は多くありませんが、この鶴岡からの紹介患者の他に、地元の開業医からも紹介がありました。さらに、また地元総合病院の脳外科が手術中で軽症の交通事故の患者さんが当院に回されて来ました。先週一度経験しているので、今回は受診受付も会計も保険会社との連絡もまずまずスムーズに行きました。
先週に引き続き、今日もめまいの患者さんで内耳道内にほぼ限局する様な聴神経腫瘍が疑われるMRI所見が発見されました。9ヶ月程前にめまい症状で他の病院にかかった際にもMRIを撮って「特に何ともない」と言われたという事だったので、その病院の担当者に連絡を取り当時のMRIをチェックしてもらうようお願いしました。すぐに調べてもらえて、その結果、9ヶ月前のMRIにも同様に内耳道内に腫瘍の影があるようだとの事でした。
来院した方全員に検査をしている訳ではなく、何か症状があり疾患の疑いがあるから検査をしている訳ですが、開業1週間で「脳動脈瘤2個」「慢性硬膜下血腫」「くも膜のう胞」「硬膜下水腫」「聴神経腫瘍」さらに「軽症多発性脳梗塞」は最低でも3人見つかっています。技師さんがとてもやりがいを感じてはりきってくれているのも嬉しいです。

おまけの写真。
1一昨日、3/8に撮った、オペラのソリストとの初合わせの風景です。真ん中に写っているのが「ミミ」役の大貫裕子さん。手前のお二人はルドルフォの水船桂太郎さんとムゼッタ役の安達さおりさんです。後ろの人達は、2幕と3幕に登場する地元合唱団および少年少女合唱団の皆さんです。練習の合間のちょっと休んでいる瞬間で、ちょっと皆、「?」という感じに見えます。
ソリストの皆さんの歌声は、昨日も書きましたが、本当に素晴らしい。大げさではなく「素晴らしい楽器」としか言いようのない素晴らしい歌声です。
私は音楽、クラシックは好きでも、これまでオペラは食わず嫌いで来ました。その大きな理由の一つはまず「長い」こと。真面目に見ていると半日かかるものが多く。短いものでも2時間かかります。劇のストーリーはわかりやすいものが多いのですが、よって「くさい」というか、「え?なんでそうなるの?」という話も少なくありません。本当は伏線があるのですが、劇ではそのような部分はカットされていることもあり、たとえば今度やる『ラ・ボエーム』では主人公のミミとルドルフォはろうそくの火を借りにきてその5分後に恋に落ち、「愛、あい〜〜〜!!!」と叫びながら1幕目が終わります。
そう言う事を言い出すと、ミュージカルだってバレエだって、「あれぇ?」「なんで?」という所は多々あります。オペラは歌舞伎と同じ様な舞台芸術、オケを伴奏に付けた総合芸術なのです。
自分がオケで演奏する立場になって初めてオペラの良さ、凄さがわかって来た様に思います。この凄さを自ら演奏者の一人として味わえる喜びを感じると共に、「あと6日」でこの楽しさが終わってしまうのかと思うともうすでに寂しい気持ちになっています。

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2008.03.09

素晴らしい歌手達!

昨日、本日とオペラの練習がみっちりありました。
ちょっとくたびれました。でも指揮指導の中橋先生はもっとお疲れでしょう。最後は「ちょっと右手が挙がらなくなって来た」と仰っていました。

今回、本番のソリストが初合わせで酒田入りされました。
前日のブログにも書きましたが、ミミ役の大貫裕子さん、ムゼッタ役の安達さおりさん、ルドルフォ役の水船桂太郎さん、マルチェッロ役の与那城敬さんが来られました。
こんな事書いたら怒られるかも知れませんが、皆さん、さすがプロの歌手。声質が違います。今まで、地元の合唱団の声しか聴いていなかったのでやむをえませんが、「全然『もの』が違う」という感じです。
特に主役のミミを演じる大貫さん、チラシ裏面のお写真よりも地味な感じ(普段着での参加ですから当然でしょう)ながら、お美しいだけではなく、やはり声質、そして声量に圧倒されます。演奏しているすぐ傍で歌って下さるのですが、その声量もさることながらコントロールされた美しい声に、もう「うっとり」です。
おもわず聴き惚れてしまい、自分の入るべき所を落っこちてしまいそうになりました。
演奏しながら、感動して涙が出そうでした。

本番は、絶対に素晴らしい公演になるでしょう。
イタリア語がわからなくても、ストーリーを知らなくても、とにかくミミ、ムゼッタ、ルドルフォ達の歌を聴くだけで感動して、これにオケの演奏が加わって、きっと感動で涙、涙になること請け合いでございます。
これをたった3500円のS席で聴けるなんて(1000円のA席はすでに完売、S席も2階に少し残っているだけだそうです)、なんて素晴らしい事でしょう。
酒田はもちろん、山形県内で「ラ・ボエーム」を観劇出来る事は今後10年、20年ないと思います。
クラシックファン、オペラファンのみならず、このチャンスを逃される事のないよう、お薦め致します!

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2008.03.08

地元情報誌紹介、そしてあと1週間

私のクリニックのパンフレットを作ってくれたK松コーポレーション(K松印刷)が、庄内地方中心に5万部発行している「無料」の月刊『SPOON』という地元情報誌があります。ここでご覧になれます。↓
スプーン 月刊SPOON 「暮らしにスプーン一杯のエッセンス」

その3月号には注目したい2つの記事があります。
特集「庄内のお雛さま拝見。」が一つ。
上記SPOONのウェブサイトから記事をご覧下さい(過去のバックナンバーも同じページから辿れます。)
庄内地区の旧家に伝わるお雛さま達や、庄内一円で公開されているお雛さま達の紹介が紙面では10ページに渡ってあります。1/11の当ブログで紹介した「あいおい工藤美術館」も紹介されています。

2つめの記事は、インタビュー特集。
スプーン・インタビュー177
今回は指揮者「飯森範親さん」です。先日の遊佐町での山響のコンサート「鳥海春待ちコンサート」の時に、K松コーポレーションでインタビューを行ったようですね。なかなか良い記事です。
山響は山形市を中心とした活動が当然多いのですが、「庄内定期」と言って、酒田と鶴岡で年に2回ずつの定期演奏会もやっていますし、その他にお正月の鶴岡公演や2月の遊佐町公演などもやっています。
今年8月の庄内「響ホール」での「第2回庄内国際ギターフェスティバル」(監督:福田進一氏)では、ギターと山響のコンサートが行われる予定だそうです。

そして、あと1週間。
私の大好きなF1の開幕もありますが、それではなく、オペラ『ラ・ボエーム』本番です。
2今週末は、最後の練習になります。先日の記事に書いた様に、指揮者の中橋健太郎佐衛門さんにゲストコンミスの神谷未穂さん、その他、プロ、アマのエキストラを迎え、2幕に出て来る軍楽隊(バンダ)も揃って、本番さながらの練習が行われます。

そして、、、そして、ついに、二期会の歌手の皆さんとの初練習になります。
Photoミミ役の大貫裕子さん、ロドルフォの水船桂太郎さん、マルチェロの与那城敬さん、ムゼッタの安達さおりさん、コルリーネの谷茂樹さん、ショナールの岡崎智行さん、ベノア&アルチンドロの宮本聡之さんという豪華な布陣です。2月の大阪での「ラ・ボエーム」公演は同じ歌手の方々で行われたのですが、聴きに行った酒フィルの団員は、とにかくミミの大貫さんが素晴らしかったと教えてくれました。
この布陣に2、3幕に出て来る合唱は、地元のコーラス団体「コーロ・プリモ」(JS先生の指導)と、2幕目の子供たちは酒田マリーンジュニア合唱団(こちらもJS先生の指導)が参加します。

今日3/8の練習では、希望ホール小ホールでの練習予定になっていますが、これだけの人が入るのでしょうか?まあ、昨夏のJAO酒田大会のリハではA,B2つのオケを分けて練習した時に、「小ホール」に120名を越す人が入って練習したのですから、出来るのでしょう。
練習も楽しみ。そして来週の金、土のゲネプロ(本当の意味での通し稽古)を経て、日曜日3/16の本番となります。
ああ、楽しみだなぁ。。。(^^)

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2008.03.07

脳動脈瘤と慢性硬膜下血腫など

医院を開院して5日目を迎えます。
一日平均で6件程のMRI検査をしていますが、すでにいろいろな病気が見つかっており、自身でも少々驚いています。
(個人情報保護に配慮し、患者さんが特定されない様に書きます。ここで使用する写真は、患者さんのものではなく、インターネット上で代表的な写真として公開されているものを拝借して使用します。ちょっと小さな写真しか見つかりませんでした。)

Domyakuryu6初日、慢性の頭痛が心配という患者さんにMRIとMRAを行い、未破裂の脳動脈瘤が見つかりました。疾患の特徴について時間をかけて説明し、治療方針についてあらためて家族と共に相談する事にしました。
破れたら「くも膜下出血」になります。出血する場所とその程度によりますが、医学が進んだ現代でも、脳外科の医療レベルは世界有数の日本でも、破れてしまえば1/4は死に至る病です。私が庄内地方のN病院に勤務していた時代に経験した限りでは、明らかにくも膜下出血と診断がついて亡くなられた方は1/10以下だったと思います。亡くなられた方のほぼ全てが手術も出来ない程の重症の方でした。手術をして亡くなられた方は2年間50例中で1例だけでした。その方は、残念ながら胆嚢炎などの合併症を来して入院が長引き、リハビリを開始して間もなく肺塞栓症を起こしてしまったケースでした。よって、くも膜下出血の手術そのもので私自身としては死亡例を経験していません。しかし、脳外科に来る前に、病院に運ばれる前にくも膜下出血が原因でなくなられる方もいらっしゃるため、いまだに1/4程度の死亡率と言われています(正確なデータはありません)。

そんなに死亡率が高いのなら、未破裂の状態で見つかったら手術などの治療を施すべきという考えになるでしょう。しかし、未破裂の瘤が「破裂=くも膜下出血」になる確率が低いのです。これはまだ調査中で結論が出ていませんが、破裂率の高いデータで年間2~3%程度、低いデータですと年間0.1~0.2%とされています。このデータの解釈は非常に慎重でなければなりません。なぜなら、人間は一人一人皆違い、脳動脈瘤も一つとして同じものはなく、「確率」だけでは論じられない面があります。さらに、集めたデータの、人種、年齢、動脈瘤の場所、形などがまちまちなので、それぞれのデータを単純に比較できないのです。医学界では非常に権威のある雑誌である、米国のNew England Journal of Medicineに何年か前に掲載されたデータはショッキングでした。破裂率は0.05%程度と低く、未破裂の瘤を破れない様にする為の予防的手術による後遺症発生率や死亡率が数%もあるため、「予防的手術は危険ですらある」という結論付けでした。しかし、この論文には「破れてもくも膜下出血にならない」海綿静脈洞内の動脈瘤も含まれていたりおかしな点がたくさんありました。
そこで、現在、(社)日本脳神経外科学会では、何年かかけて未破裂脳動脈瘤の破裂率を独自に調査する研究が進行中です。その途中経過を簡単に述べると、未破裂で見つかった脳動脈瘤の大きさが径5mm以上で、形が綺麗な丸ではなくややいびつである場合の破裂率は1%以上あると考えられています。確率論から言えば、予防的手術による死亡率が1% x 1/4=0.25%以下になるなら手術をした方が得策だということになります。脳の手術の場合は、さらに手術によって運動麻痺や言語障害などの後遺症が出るという危険性もあります。人が人たる所以の臓器=脳を触るのですからいろいろな危険性があります。
手術をする脳外科医としては、予防的手術である以上、死亡はもちろん後遺症も「0」であるべきで、完璧を目指すべきです。私も脳外科医として未破裂脳動脈瘤の予防的手術を経験しましたが、幸い死亡も後遺症の発生も「0」でした。これは腕が良いというより、自分の腕で100%の手術が出来ると思った症例だけを選択した結果です。自分の手に負えない難しい症例は、大学の教授に治療をお願いしましたから。

先日の「お披露目会」には、その「未破裂脳動脈瘤の予防的手術」を3年少し前に私が執刀した患者さんがご家族と一緒に訪ねて下さいました。とても嬉しかったです。年に1回の脳の検査のフォローアップは私のところでやらせて頂こうと思っています。


1011これは「慢性硬膜下血腫」のMRI写真です。
俳優の若林豪さんがこの病気(怪我)で舞台を緊急降板され緊急手術を受けたというニュースが出ていました。なんでも「3時間の緊急手術を行った」と書いてありました。
通常の慢性硬膜下血腫であれば、手術は局所麻酔で手術時間は30分から長くても1時間くらいで終わります。手術手技としては脳神経外科全般の中でもっとも簡単な方に入る手術方法で、優秀でしっかりとした若手脳外科医ならば、指導にあたる上級医に横についてもらって、医師1年目か2年目で執刀医となるような手術です。私も医師1年目から3,4年目の時には先輩脳外科医に横についてもらってたくさん執刀しました。経験を積んでからは、後輩の若手医師に執刀してもらい横について指導をした経験がたくさんある疾患です。
軽度の打撲、たとえば道で滑って転んだとか、酔っぱらってよろけて壁に頭を打ったという位の軽微な外傷(直後に病院にもかからない位)で発生するもので、ほとんどの症例で頭部の打撲から3,4週間、長いものでは2,3ヶ月経ってから頭痛、吐気、進んで運動麻痺、歩行障害、失禁、ボケなどの症状が出て来るものです。
1ヶ月半程前に凍結した道で滑って転んだと言う方が、1週間程前から頭痛が出て来て強くなって来たということで、頭痛以外には何の症状もなかったのですが慢性硬膜下血腫も疑って検査をしてみたら、なんと「当たり!」でした。すぐに総合病院の後輩脳外科医に電話をし、そこに紹介しました。翌日無事に手術をされたそうです。

T2axialこれはちょっとわかりにくいですが、「くも膜のう胞」という病気のMRIです。くも膜下出血で有名な「くも膜」。これは脳を包む3層の膜、内側から順に、軟膜、くも膜、硬膜となっているくも膜の下に溜って流れている「脳脊髄液」が何らかの原因で(大半が先天性?)一部に溜って膨らんで「袋状」になり、場合によってはその部分の脳を圧迫するものです。頭痛の原因やその他、大きくなれば脳の症状を呈する可能性もありますが、ほとんどの場合が無症状で、検査で偶然見つかるものです。
頭痛の患者さんで頭の中が心配との事でMRIを撮りましたら、側頭葉に最大径で20mm程度の幅、厚みでせいぜい10mm程度のくも膜のう胞が見つかりました。CTと違い、T1,T2そしてFLAIR撮像法を行うMRIでは他の袋状の疾患、たとえば「類上皮腫」などとの鑑別が可能です。その患者さんは、偶然見つかった小さな「くも膜のう胞」であり、頭痛との関連は「ない」とは言い切れないものの、病歴からはストレスと肩凝りによる緊張型頭痛と考えられ、画像に関しては経過を見るだけで良いということにしました。気になるなら年に1回程度MRIを撮って経過を追いましょう、ということになりました。

実質、3日半(木曜は半ドンだったので)でこれだけの疾患が見つかりました。その他にもMRA上で脳動脈硬化が強く糖尿病もある方なので頚動脈エコーを行ったら、頚動脈膨大部に軽度ながらプラークが発見され、糖尿病の治療と生活習慣の管理を指導した方など、数は少ないながら結構高率に異常や疾病が発見されております。
やりがいを感じます。

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2008.03.06

平日の半ドン

「半ドン」は造語です。日本語の「半分」とオランダ語の「ゾンタック」(=zondag)(ドイツ語でも同じで日曜日Sonntagの意味)が訛った「ドンタック」(私の生まれ故郷、博多の「どんたく」も同じ意味で「休日」ということ)がくっついて出来た言葉です。
官公庁も学校も土曜日は休日となってから久しいですね。そのため「半ドン」という言葉は死後に近いものがあります。

医院を開設し、木曜と土曜は13:00までの診療時間としたので、午後は休みになりました。つまり「半ドン」です。今日、3/6木曜日は初めての「木曜半ドン」でした。午後1時ぴったりに終わる訳はないのですが、2時にはあがれました。職員も皆1時半過ぎに帰宅。その後アポイントがあったので結局3時少し前まで昼食にありつけませんでしたが、アポイントの用件が終わった後は「休日」でした。
皆を早く返し、月曜からの3日間で出来なかった事務的用件を片付け、院長室のテレビで『ラ・ボエーム』のDVDを久しぶりに観ました。練習がかなり仕上がってきたので、ほとんどの場面と音楽が頭に入っています。よって、以前観た時と全く違います。何が違うのかというと、歌手の歌、歌詞が耳に入ってきますし、演技(笑顔とかはしゃぐ様子とか怒った表情とか)に注目できます。するとオペラが本当に楽しい。やはり、オペラを楽しむためには、相当な下準備、勉強をしていた方がいいようです。
もちろん、全くの予備知識なしに素の状態で音楽と演技を楽しむという考えも否定はしませんが、やはりイタリア語の歌詞の意味が大体はわかっていて、音楽を理解していると、演技に集中できる感じがします。
その後、一人でリハビリ室でピアノを弾き、フルートを吹きました。
ピアノは小1から中2まではピアノ教室に通い、かつてはK音楽教室子供の部で全国大会にも出場したのですが、もう全然鈍っています。ショパンのワルツやノクターンを数曲弾いてみたら、普段使わない筋肉を使うので、前腕の手首に近いところが筋肉痛になりました。10本の指の間の筋肉も凝ったようです。
でも気分的にすっきりしました。結構、冷静なつもりでいても無我夢中で3日間走った疲れは、身体にも心にも出ています。リハビリ室には最新鋭のウォーターベッドがあるので、自らそれを用いて「消炎鎮痛処置」(=マッサージ)を受けました。気持ちよかった〜。

そんな事をしていたらあっという間に真っ暗になっています。
日が長くなってきて、あと2週間ぐらいで「春分」なんですね。
平日の「半ドン」を満喫しました〜。(^^)

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2008.03.05

お花の効用

開院3日目を迎えました。
毎日、何人受診した、と威張れるような数ではないのでそれは止めておきます。今日は新患は4名だけでしたので、ばたばたする事なく余裕で、一人の患者さんに説明の時間をたっぷり取れました。
MRIと頸部動脈エコーを施行した患者さんには、ご家族とともに画像の説明と治療方針だけで20分近くお話をしたと思います。理想的には1日に新患が5,6名でMRIが7,8名、それに再来の患者さんという感じですが、これからどうなりますことか。

Photo2今回、3/1のお披露目会と3/3の開院にあわせて、大変多くのお花、鉢植え、観葉植物をプレゼントして頂きました。感謝申し上げます。
待合室は植物園の様相を呈しています。右側の写真で廊下の奥の方を見て頂くと、中待合や廊下の突き当たりにもお花を置かせて頂いています。写真に写っていない待合室の他の角にも4、5個のお花や観葉植物を置かせて頂いています。


Photo_2Photo_3それでも置ききれないお花達は、広いリハビリ室に置かせて頂いています。写真のように、ピアノやチェンバロはお花に囲まれています。リハ室ようのベッドもお花に囲まれていて、まだ治療機器を置いていないスペースには椅子の上にお花を並べました。
お花や観葉植物は、美しいデザインではあってもただの建築物のちょっと素っ気なくも感じる壁を本当に華やいだ爽やかな空間に変えてくれます。見る者の心を癒してくれます。
そしてそれだけではなく、植物の蒸散作用で暖房によって乾燥しがちな部屋の空気に適度な湿度を与えてくれます。お花達が来る前のリハビリ室の湿度は30〜35%と低く、ほとんどが木で出来ている繊細な楽器であるチェンバロはカンカンに乾いて、演奏のためキーを叩くと「カタカタ」と雑音が出ていました。ところがお花達がたくさん置かれたら、湿度計の針は45~50%を指すようになりました。
風邪やインフルエンザの原因菌やウィルスを撃退するにもちょうど良い湿度です。植物の力って凄いんだな〜と思いました。

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2008.03.04

交通事故と自由診療

医院開業2日目でした。今日も必死で(私は本来「必死」なんていう言葉を安々とは使いたくないのですが)なんとか終わりました。「無我夢中で」と言い換えた方が正しいかもしれません。

今日も、脳卒中が心配な頭痛患者さんを始め大勢(?)いらっしゃってくださいました。11名の新患と1名の再来(昨日の採血結果を聞くため)でした。本人の希望と医師の判断により、9名の方にMRI、2名の方にX線撮影を行いました。採血は今日は「0件」でした。腰痛、頸部痛、肩関節周囲炎などに対する消炎鎮痛処置としての医療用マッサージ(ウォーターベッド)で6名の方が治療を受けました。最後に、交通事故で軽症ながらも受傷された方を診察しました。警察に提出する診断書と診療費用のところでとまどいました。
診断書作成は「自由診療」です。
交通事故は基本的に「自費」扱い(もちろん患者の希望で保険診療をしても良いはず)です。交通事故の診療においては保険診療でない場合、自由に診療単価を設定して良いことになっています。保険診療と同じように1点=10円でもいいし、場合によっては1点=100円(普通の10倍!)でも法的には良いはずです。

そもそも日本の医療は、保険診療という体制で守られ(別の言葉で言えば縛られ)ています。欧米では自由診療が普通ですので、どの病院でどのくらい医療費がかかるかは「公開」されていても、行ってみなければわからないところもあります。日本と違って、アメリカやドイツで盲腸の手術を受けたら100万円請求されたなどというのは当たり前の世界です。心臓移植などの高度で金のかかる医療の場合、入院費用、ICU費用、手術費用、等々で通常5000〜6000万円くらいかかるのは当たり前の世界です。

日本で保険診療制度に守られて(縛られて)、医師である私自身も医療費のことなどまじめに考えてきたことはありませんでした。病院勤務の場合、自分が診察した、手術した患者さんがいくらかかっているかなんてほとんど考えたことはありませんでした。実母がくも膜下出血で手術治療を受けた時に、くも膜下出血の患者さんはどのくらいの治療費を払うのかと初めて知りました(実感としては、「あれだけの治療をしていてたったこれだけで済むんだ!日本の医療費は安いんだな〜」でした)。

今回、開業して、初めて、一つ一つの手技や検査などにいくらかかるのかを考えることになりました。そして開業2日目にして、「診断書料」を設定していなかった事、「自由診療の交通事故の単価」を決めていなかった事を思い知らされました。地区医師会の先生に電話をかけ、税理士さんに相談し、インターネットで調べて、きわめて常識的な線かそれより低い額に設定しました。高く設定すればその分、一時的な収入は増える訳ですが、個人事業として後ほど収入にかかってくる税金の事を考えると、たとえ診断書料を一枚10000円にしたところで、交通事故の診療単価を100倍にしたところで、結局税金で持っていかれることになるので自分の懐に入るお金が増える訳ではないのだということを、地区医師会の先輩医師に教えてもらいました。なるほど〜、、、でした。
インターネットで調べると、通常書式の基本的な診断書料は東京辺りでは消費税込みで3150円というところが多かったように思います。先日まで私がお世話になっていたUクリニックでは一枚2100円という設定にしているそうです。交通事故の診療単価は1点=12〜20円の幅の中で各病院が自由に設定している場合が多いそうで、特に決まりはないようです。
これらのちょうど中間あたりの設定にしようと考えています。

交通事故の際に支払う医療費の設定ってこうなってるんだ、診断書作成費用ってこうなっているんだ、とあらためて深く理解した一日でした。
日本の医療費って、やはり世界中の先進国の中で水準の高い医療を展開している割には、「割安だな〜」というのが実感でした。ただ、これは払う患者さん側にたって考えてみれば、1円でも安い方がうれしい訳で、出来れば「無料」というのが理想です。
医療行為は本来はヴォランティア活動であるはず、あるべき、とは私も思います。日本国内の全医療行為や介護が無料で提供できればこれは理想でしょう。しかし、実際は物を使い、人を使い、機材を購入し、薬を購入し、訓練を積んだ専門家が実践するのですからこれを全部「無料」にするためには、当然「公的資金」(=国民の税金)を注ぎ込まなければなりません。すると、健康で医療行為をあまり受けない人は、税金だけ払って医療行為による恩恵を受けない訳ですから、赤の他人の病気の人のために汗水たらして働いた税金をごそっと持っていかれる(公的資金だけで国民の医療費を賄おうとすれば、おそらく消費税は20%位にして、所得税ももっと上げなければならなくなるでしょう)という「不公平感」を感じるでしょう。
結局、「タダ」にはできないものなのですね。
誰が何の目的でどれだけ払うか、そこで弱者(高齢者、低所得者)に不利にならないような制度が守られなければならないのですが、日本の保険医療制度は医師の収入や病院の収入をきわめて低く抑える事によって存続している制度なのだと思います。それが先日も書いた、「ヒラリー・クリントンのため息」という話(「勤務医生活にお別れです」)になる訳です。

さて、3/3の開院に合わせるように、本ブログのアクセスカウンターが20万をヒットしました。
20万をゲットされた方お目出度うございます!
これからもこのブログは続けていきますので、よろしくお願いいたします。>皆々様 m(_)m

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2008.03.03

初日(続き)

(本日2つ目の記事です)
ーーーーーーーーーーーー
40と12。
頂いたお祝いのお花の数と観葉植物の数です。
さらに、電報、メール、お祝いのお酒などなど。
本当にありがとうございます。m(_)m

玄関、靴箱の上、待合室、中待合、廊下に並んだお花と観葉植物のおかげで、あたかも植物園の様相を呈していますが、それでは置ききれない分は広いリハビリ室に移動しそこだけでも20近くのお花が置いてあります。先輩医師、知人、知り合いの医師、仲間、親類の他は製薬会社、医療機器会社などが多いのですが、酒田で鮨と言えば「ここ」と言われる『鈴○』さんから頂いたのには驚きました。情報通!
お向かいの「ま○ちゃんラーメン」さんもお花ありがとうございます!
皆さんの祝意とともに期待も感じております。

本日の最後の初診患者さんは診療時間終了(予定は18:00)ぎりぎりにいらっしゃって18:02の受付でした。一応、玄関横の告示やインターネット上の告知でも「新患の受付は17:30まで」としてあるのですが、初日ですし、まだ診療時間も浸透していないでしょうから喜んで診察させて頂きました。絶対今日検査をしなければならないような重症感や緊急度はなかったので、「都合の良い時に、一度MRIを撮った方が良いと思います。MRIは検査だけで30分くらいはかかるので、できれば平日は17:00まで、半ドンの木曜と土曜は12:00までに受付して頂けると助かります。」とお伝えしました。
私は診療時間が延びて遅くなってもかまわないのですが、職員に迷惑がかかります。技師さんは子供さんが3人いるお母さんですし、その他の事務の人も通勤に30分以上かかる所から来ている人もいます。勤務時間は18:30までなので、遅くなっても19:00には会計も閉めて帰宅して頂きたいと考えています。

今日の外来患者数はわずかに10名でした。しかし、このうち、6人にMRIを施行しました。2名に採血し、1名に2時間ほど点滴もしました。単純頭部X線写真はお一人撮影しました。採血と点滴は結構ばたばた(何がどこにあるの?状態)しましたが、MRIは非常にスムーズに行きました。
疲れましたが、まだ始まったばかりなのでへこたれてはいません。
この心が折れずにずっと「継続」させる事が大事なのですが、私にそれがちゃんと出来るのかな、、、
頑張ります!

P.S.
カウンターは、3/3があと4時間で終了という現時点で、20万まであと110となりました。
3/4の深夜になるかもしれないと思っていたのですが、どうやら今日中に超えそうです。
記念の日に記念の数です。
カウンター20万を踏まれた方は、どうぞご連絡ください。
ささやかなプレゼントを考えたいと思います。
連絡先は、balaine@mac.comです。

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桃の節句;初日です

開院しました。
今はお昼休みに入ったところです。
午前中の新患は4名でした。めまい、頭痛、ふらつき(めまい)、物忘れなどが主訴です。全員がMRI検査を希望されました。
神経学的な異常を軽度ながら認めた方、既往のある方、高血圧や糖尿のある方など、何らかの危険因子を持っている人ばかりなので、全員MRIを施行しました。まったく所見のない方もいましたが、軽度のラクナ梗塞の方、さらに何と予想外に未破裂脳動脈瘤の見つかった方などもいました。説明に時間をかけましたので、たったの4人でも12時過ぎまでたっぷりかかり、まったく休んでいる暇はなし、採血やその結果の説明、処方とその内容の説明など、初日ですので特にていねいに慎重に心がけましたので、お一人当たり平均で45分くらいの時間がかかりました。
最長の待ち時間は、すでにMRIが2名はいった3番目の方が30分以上お待ちいただくことになりましたが、受付してから初診+診察+採血+MRI+結果説明+次回予約+会計+処方箋・予約票発行まで、長い方で1時間15分、短い方で50分程でお帰りいただくことが出来ました。

気分転換にブログなど書いていますが、本当にもしかすると今日中に20万ヒットしそうです。
昨日のオペラの練習に参加されたゲストコンマスのヴァイオリニスト神谷未穂さんの写真を、楽団指揮者である「タビの親父」さんから送ってもらいました(私のデジカメ、ちょっと故障中なので)。

これです。
PhotoPhoto_2なんと表現したらいいのでしょう。キリリとした美人です。日本を離れパリ在住で、ヨーロッパや日本で音楽活動を行っているという洗練された、ちょっと研ぎすまされた感じが漂います。でも美人にありがちなツンツンした感じはまったくなく、とても柔らかいお話のされ方をなさいます。素敵な方です。
こんな人と一緒に乗れるなんて、オケをやっていればこその役得です。
私は右の写真の後ろの左端の方にボーっと写っています。(^^;;;

さあ、これから昼食を摂って休んで午後は2時から診療開始です。

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2008.03.02

いよいよです!

昨日の「お披露目会」の後、夜7〜9時はオペラの練習でした。今日も朝10時から夕方4時までたっぷり練習でした。本番指揮の中橋健太郎左衛門さんの指導です。本番のゲストコンマス(コンミス)である、神谷美穂さんが初めて参加されました。<ヴァイオリニスト未穂のダイアリー>をご覧下さい。
うちの団のコンマスも昔はプロだったのですが、オペラのオケを束ねるのは大変ということと結構コンマスのソロが多い作品ということで、ゲストコンマスを迎えることになったようです。神谷さんのソロの美しい音色に楽譜から集中力が離れて自分の入る場所を落ちそうになったりしました。まずい、まずい、、、

オペラ公演本番まであと2週間、14日となりました。いよいよです!
そして、私にとって、本当に「いよいよ」なのは医院の開院です。
明日、桃の節句、3月3日に「いよいよ」クリニックをオープンいたします。昨日のお披露目会にもたくさんの方にお出でいただき、周辺住民の方々、患者さん、他院の先生方に、単に興味をもたれているだけではなく、(口幅ったいですが)期待して頂いている事を感じました。
ありがたい事です。恐縮です。
折角、私なりにいろいろ想い描いて、考えに考えて作った医院、設備です。個人のものではありますが、医療機関という公共的な、公益的な仕事をする場所としての色彩が強いものです。作ってくださったのは現場の職人さん達、設計は青木建築設計室(山形市)の青木さん、そして建設会社の担当者の方々です。土地のオーナーである会社の経営陣、特に中心的な方々も「どうせこの土地を貸すならば」と私のような者に期待を寄せてくださっています。医療機器の製造会社、販売会社の人達も、単なる「商売」を超えて、私の「想い」や「考え」に賛同してくださり応援を頂きました。その他、大勢の人のお世話になって、プランを練り始めてから8ヶ月とちょっとでここまで来ました。
さらに、スタッフ募集に集まってくださった方々、考えて選抜させて頂きましたが、これも人の縁、私の考えるところも天に伝わったのか、いろいろな力が働いてすばらしい方々が集まってくださいました。

昨日の「お披露目会」にいらした方々が、半分以上はお世辞としても、口々に「よくこれだけのものを作りましたね〜」とか「立派な建物ですね」「素晴らしい設備ですね」と仰ってくださいました。確かに、私の脳の中で想い描いた「餅」はありました。雛形というか、このような感じのクリニック、このような設備を持ちたい、そしてこのようなデザインで、こんな配色で、などという「朧げな」プランは私の頭から出てきたものです。でも、それを形にしてくださったのは、建築士であり建設会社と現場の職人であり、その他の企業、会社の方々です。それが「仕事」とはいえ、対価を払ったものとはいえ、やはり人の縁や人智を超えた力を感じない訳には行きません。
「凄い建物だね」と言われた方には「いや〜、私が建てた訳ではありませんから、、、設計と建設がいいんですよ、、、」と答えておりましたが、本心です。私自身は「う〜ん、、、こんな感じ、、、かな?」という心もとないものだったのです。時間も限られている中を本当に現場の方々が頑張って頂きました。今年の冬は一昨年ほどではないにしても昨年に比べれば厳しい冬でした。地吹雪も吹き荒れ、冷たい雨に雪に彪に霰も降りました。仙台や山形から現場に通う関係者は、月山道路や国道47号線で何度も恐い思いをされたそうです。工期に限定があり、2/8(金)までに引き渡し、と10月末の着工前に決めていたので、現場ではそれを守るためにかなり無理をしたようです。夜の9時過ぎに現場を通っても電気が付いて工事作業をしている事もありましたし、土日も関係なく、年末年始も数日オフにしただけで現場の作業は行われていました。
ほぼ出来上がってからも、チェックしてみるとやはり工期的に無理があったのか諸処問題があったため、私が厳しく駄目だしをしました。現場ではそのすべてに応えて頂きました。本当にありがたかったです。庄内弁で言えば、「もっけだの」です。
本当に、もっけだ、です。

32開院前の忙しい時によくオケの練習なんて(どうせアマオケで遊びなんだし、、、)と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、音楽があるから、アマオケの活動があるから、頭が煮詰まらずに心を切り替えて前に向かっていけるのだと思っています。
オケの本番でも、それまで準備に準備を重ね、練習に練習を重ね、意気込んで失敗してしまう事も経験しています。いつも通り、普段通りに自分の力を発揮する事は易しい事ではありません。そういう舞台の上での「本番」の経験も、今の私には貴重なものです。明日からの本番でも、まあいろいろ諸問題が発生するとは思いますが、私の本業は「医師」ですのでそれをわきまえてきちんとやること、粛々と自分の仕事をまっすぐ行う、という事だと考えています。
「いよいよ」と意気込むだけではなく、落ち着いて本番を迎えたいと思っています。

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2008.03.01

3月になりました

土曜日です。
医院の「お披露目会」をさせて頂きました。朝8時半頃から準備に取りかかりました。10時半の開始予定でしたが、10時前からいらして下さった方もいました。いらして下さった方は芳名帳にお名前の記入をお願いしたのですが、お断りされた方や複数で来られて代表者お一人の名前だけ書かれた方もいます。そういう方を含めると、およそですが100名以上は来て頂きました。
Photo昨日と今日の2日間で、お花を25、観葉植物を6つも頂き、その他にもたくさんお祝いを頂きました。玄関や待合室に置ききれない為、半分近くリハビリ室に置かせて頂きました。
本当にありがとうございます。

Photo_2夕方の5時頃まで、お昼時間のわずかな時を除くとひっきりなしに見学に来て頂きました。酒田に住むようになってからお世話になったUクリニックの院長や職員、M病院の院長もいらして下さいましたし、知り合いの開業医やN病院の神経内科医など多くの医師も来て下さいました。

Photo_3Photo_4酒フィルの仲間も楽器持参で三々五々やって来てくれました。驚いたのは、3/16(日)のオペラ『ラ・ボエーム』本番の指揮をして下さる指揮者N氏にゲストコンマスのKさんが来て下さった事です。今日、明日とオペラの練習がある為、楽団指揮者「タビの親父」さんが空港に迎えに行った帰りに、うちに寄ってくれたのです。チェロのY氏夫妻は、リハビリ室でピアノ、チェンバロ、チェロを奏で、フルートのMS氏はバルトークのフルート二重奏の楽譜を持って来てくれました。来訪者のお相手をする合間を見て、MS氏とフルート二重奏、Y氏夫妻とバッハのフルートソナタ(チェロとチェンバロの三重奏)、家内のチェンバロとの二重奏などを演奏し来て頂いた方々にも聞いて頂きました。

私のクリニックに導入したMRI機種はH社のオープンMRIの中の最上位機種で、担当者によると山形県内で第1号機とのこと。さらにMac+OsiriXのPACSも、私が知る限りでは山形県発です。おそらく、この最新型オープンMRIとこのPACSの組み合せは、庄内地方や山形県に留まらず東北唯一、当クリニックだけだと思います。おいで下さった方の多くに、診察室のMacPro+30"cinema displayを使った画像供覧、特に血管に赤い色をつけた3次元のMRAを見て頂きました。この血管をマウスで自由にくるくる回したり、ググッと大きくしたりススッと小さくしたり、自由自在に扱う様を見て頂けました。このシステムを一医院で扱っているのは県内唯一であると自信を持って言えます。
ただ、器械やソフトがすごいだけであって、それを扱う医師がそれによる判断と治療をきちんと行う事で初めてその「凄さ」が活かせるのだと考えています。
来週からが本番です。

P.S.
カウンターは、20万アクセスまであと1200を切りました。
今日の残り時間、明日3/2と明後日3/3でぎりぎりいけるでしょうか?3/4になるかも知れません。
でもちょっと前までは、今週中すら難しいと思っていたのがこんな感じになりましたので、意外と行くのかも知れません。楽しみです!

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