勤務医生活にお別れです
今日は「立春」です。
そして、私にとってはおよそ24年間の「勤務医」生活最後の日です。
三川町のM病院は庄内に移り住んでから非常勤で仕事をさせて頂きました。脳や神経系に専門性を持たせて開業すると、神経精神科関係の疾患をお持ちの方も受診されるであろうということもあり、勉強させて頂いたのです。
昭和59年に医学部を卒業して以来、国立、県立、市立、私立の違いはあれど、昨年までは手術の出来る大きな病院で勤務医をして来ました。急患もたくさん診て、緊急手術もたくさんして、夜・夜中、日曜祝祭日関係なく働いて来ました。それが「やりがい」でもありました。
昨年からは開業の準備のために大学病院を辞して基本的には時間外診療はしない一般診療所と手術をしない精神神経科内科の病院に勤務しました。そのため、約8ヶ月間、外から来る救急患者や緊急手術は「0」で、夜勤(宿直)もわずかしかしていません。日によっては「9時−5時」という、昔の生活からは信じられないような勤務をして来ました。
大学を卒業して、わずかな休みをもらって、確か4月15日頃から「勤務」を始めました。その当時は「医師国家試験」というのは卒業後の4月に受けるもので、発表は5月の中旬。合格を受けて関連部署に手続きをして国家資格を持った医師として「登録」されるのは5月下旬から6月。よって、正式な「研修医」としての採用は6月の途中でしたので、初めてのお給料は7月からもらいました(10万以下だったはず)。ですから4、5、6月の3ヶ月間は、医学部を出たのに、働いているのに、「無給」で、親から仕送りをしてもらいました。
親には「大学で研究などをして、金を稼ぐ医者にはならないから、そういう意味では諦めてね」などと言っていました。脳に興味があり、脳科学が面白くて、ワイルダー・ペンフィールド博士に憧れて脳外科医を志したので、給料が少ないとか働く時間が多いなどという事は「普通」の事であって、ほとんど気にした事はありませんでした。関連病院に出向のような形で勤務すると、「研究」と言う仕事はほとんどない代わりに、急患、緊急手術、当直、夜間や休日の緊急呼び出しなどがあります。それは、しかし「手当」として収入に反映します。大学で「研究」の名の下に朝早くから夜遅くまで(平均的に朝7時から夜の10,11時)働いても、超過勤務手当も時間外手当も何も付きませんでした(最近はわずかばかりながら付く様になったらしいです)。一般病院での時間外手当は、手取り収入の1/3以上を占めることもありました。しかし、それも不当(?)に削られる様になって来ました。病院側(管理する県など)にも「予算」があり、いくら医師が忙しく懸命に働いても「無い袖は触れない」ので、時間外出勤簿に医師が記録したものを事務側で「なかったこと」にして削除するのです。
一番もらっていた頃の時間外手当から、最終的には約半分まで削られていました。お金のためだけに働いている訳ではなくても、当然もらえるはずのものが削られれば不満は生じます。「医者は金もらい過ぎなんだ」というのが、一般の人や事務職の意見、考えのようでした。
たしかにたくさん頂いていました。と思っていたのですが、昨今の様にいろいろな職業の収入が明らかになって来ると、「なんだよ〜」という気持ちになるのは偽らざる心境です。
昨日でしたか、さるテレビ番組で「あなたの収入いくら」というのをやっていました。一生懸命仕事した事に対して相応の収入を得る事は当然の事だと思います。ましてそれが特殊な仕事であったり、普通の人に無い特殊技術や資格に基づいたものであれば高額収入も納得できます。たとえば銀座の「夜のお勤め」の女性達の髪を10~15分でセットする30才そこそこの美容師さんの月の収入は(歩合制とは言え)70万円ということでした。ミシュランにも乗った銀座「久兵衛」の鮨職人も月収も70万円くらいでした。さすが、と思い、当然とも思います。しかし、「ワーキングプア」も少なくない現代で一般の人はどのようにとられるのでしょう。
私は、大学では最終的に准教授でした。その額面の収入はいろいろな手当(扶養や交通、住宅など)がついて50万円弱でした。前年の収入が大きかったため(一般病院で時間外手当などたっぷり頂いた)大学からの手取りは30万円いかない月もありました。朝7時から夜11時まで働き、土日も患者さんを診に病院にでて来て(これは主治医として患者を持つなら当然の事と思います)、平日にできない仕事をしたりします。一年に自らの執刀だけでもかなりの数をこなし、若い医師を指導し、医学部の学生に講義や指導をし、外来をやって、病棟の患者を診ます。それ以外に、医局の運営や学会の準備やもろもろの会議や出張(学会が主)があります。ある特殊な手術方法に関して、その方法で手術をする患者数が年平均で15~20例以上持っている医師は日本全国でおそらく10人程度という極めて特殊な事もしていました。上記の美容師さんは全く休みが取れずにぶっ続けで働くとは言っても一日の仕事はおそらく4時間程度。鮨職人は朝6時頃の仕込み準備から夜の本業まで長いとは言っても、休みの日はしっかりお休みで「緊急の呼び出し」や「夜中3時、4時の病棟からの連絡」「明け方5時の急患室からの緊急呼び出し」などは皆無でしょう。
どちらが偉いとかきついという比較の問題を問うているのではありません。命に関わる仕事をする人間には、それなりの覚悟と責務があるのは当然ですし、むしろその事を誇りに思い自負して働いて来ました。昼食も夕食も摂る時間がなく夜中まで手術をしたこともあります。「金」の話ばかりで恐縮ですし、誤解されるかも知れませんが(なんだ、こいつ、結局は金か、と)、特殊な技術と資格を持って命に関わる仕事をしている人間に対する報酬としては、欧米の状況から見れば「十分すぎる」とは言えないと思います。
医療は本来ボランティア活動である事、人の病気や怪我という不幸に基づく仕事である事、博愛の心であたるのが本来の姿でそれによって得る収入は問わない、そのために働く時間の長さに不平不満を言わない、というのは「当たり前」の世界だと理解しています。しかし、あえて、他の職業と比較して収入の話をしているのです。それは、日本の医療制度にも関わります。戦後ずっと続けて来た「国民皆保険制度」と「診療報酬点数制度」によって、上がって来たとは言っても先進諸国と比較すると日本の医療費は低く抑えられ国民の負担は少ない方に入ります。そして医師(特に勤務医)の収入は低い方に入ります。
今、大統領選を戦っているヒラリー・クリントンがかつて日本に来た時に「日本の医者はまるで『聖職者』のような自己犠牲の精神で働いている事に感銘を受けた」と言って帰って行きました。これは、感心して感動して言ったように聞こえますが、実は「落胆」して言ったと理解できます。というのは、日本の「健康達成度の総合評価(WHO)」は何度も書いている様に世界1位。一方の米国は15位です。
なんで?アメリカの方が医療は進んでいるんじゃないの?心臓移植とかみんなアメリカや豪州に行くんじゃない?
それらはすべて制度の違いによるものです。
なぜヒラリーが落胆したかというと、WHOの評価などから判断して日本の医療制度はどんなに素晴らしいのだろう、学んで米国に取り入れよう、と思って来日するのですが「とても米国では真似できない」とがっかりするのだそうです。「どんなに素晴らしいシステムで運営されているのだろうか」と思って期待して来たら、素晴らしいのは制度ではなく、「時間外手当がカットされても、36時間連続勤務でも、自殺者が出る程過酷な労働条件でも、歯を食いしばって患者のためと働いている、日本の医師、特に勤務医の崇高な精神と実行力によって成り立っている」ということがわかるからなのです。米国では、移植外科医や脳外科医など先端的な治療を行う特殊技術を持つ医師の年収は日本円で1億円以上が普通です。私が留学していたピッツバーグ大学の脳外科の主任教授は、14年くらい前で大学から「だけ」の給与で2億円くらいもらっていると聞きました。別荘を2つとクルーザーと小型飛行機を持っていて、日本のRV車で通勤している事を自慢していました。ドイツの知り合いの脳外科教授は、自家用飛行機を持っていて、来日の際はフランクフルト空港まで自分で飛行機を飛ばして来ていました。
日本の大学病院の脳外科教授で、別荘やクルーザーや小型飛行機を持っている人がいたら教えて下さい。おそらく年収1000万ちょっとではそんな生活はできないはずです。こういうところの差が国民には知られていないようです。ヒラリーも知らなくて、制度を学びに来日して、システムではなく医師の「心」で成立している事を知って、感心すると共に落胆して「これではアメリカでは取り入れられない」と帰って行ったのだそうです。
勤務医を辞めるにあたり、日本の勤務医がいかに頑張っているのか、頑張りきれなくなって辞める人が続出している原因はどこにあるのか、改善する方法があるのか、なんらかの対策をとらなくていいのか(少しは対策がとられているようです)などを問いたくて、「金」の話を持ち出した訳です。
日本の医療、特に病院での高度な医療は、このままでは崩壊までいかなくても衰退してしまう恐れが十分にあります。いや、すでに衰退し始めていると思います。善意で働く医師を取り締まり、少しでも落ち度があれば捕縛しようというような『診療行為に関連した死亡に関わる死因究明等の在り方に関する第二次試案』などとんでもないことだと思います。
もう一度、拙ブログ記事、「日本の医療の安全について少し考えてみました」をご参照ください。
かくいう私は、音楽活動を続ける事が第一の目的として開業医を目指すことになり、本日「勤務医」を卒業致します。
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コメント
JUN@Praha desu.
KInmui seikatu nagai aida otukaresama desita.
Iyoiyo raigetu kara ikkoku itijou no aruji desune.
Masumasu sekinin juudai ni nari
masuga gokentou wo oinori simasu.
Atatakaku nattara mata Sakata ni
asobi ni ikimasu.
Sorosoro wasyoku ga koisiku natte
kimasita. Demo gaman.
Gou ni ireba Gou no mono wo tanosime desune.
Praha no beer ha hontou ni
"Umai" desune .
Osusume beer ha "Bernard"
Praha ni iku kikai ga areba zehi
nonde kudasai.
http://www.bernard.cz/sub_page.php?page=149&parent=147
Deha siturei simasu.
投稿: JUN@Praha | 2008.02.04 16:31
潤さん、ありがとうございます。酒フィルの仲間が先日ハンガリーに5日程行っていました。先日の記事にも書いた、パプリカ生産者のファゴット奏者T氏です。
暖冬で暖かかったと言ってました。一昨年の1月にプラハに行った時は「厳冬」で、-15℃とかいう中を歩いた事を思い出します。
Bernardは知りませんでした。次はトライします。
酒田の雛祭りは「旧暦」ですので、4月にどうぞいらして下さい。「あいおい工藤美術館」もお忘れなく!v(^^)
投稿: balaine | 2008.02.04 21:55
スフレさん、お疲れ様でした♪
医師の現状・・・やはりそういうものなんですね。先日、サークルの仲間が東大病院に就職が決まり(国家試験の前に決まるんですってね?びっくりしました)、勤務医としての激務を見越してもうピアノに触る時間もないだろうとのことで、弾きおさめをしてきました。医師になって何年後から普通の給料をもらえるかわかりませんが、あのように休みなく働いてコンビニ並みなんですもんね。
スフレさんのこれからの医師人生、音楽と医学といろいろなことへの成功、お祈りしております♪
投稿: まーちゃん♪ | 2008.02.05 08:09
balaineさん、長い間お疲れ様でした。
そして新しい船出、おめでとうございます。
お金のことをはっきりと言っていただけたおかげで、少しもやもやしていたものがなくなりました。
私も5年前に大企業での長年のサラリーマン生活と部長職という高給生活に自ら終止符を打ち、自分の事業を立ち上げました。
自分を酷使し、すり減らし、使い捨てになることをやめたのです。自分のために、自分を生かすために新しい道を選びました。
最初は、勿論給料なしからのスタートでした。自分の事業としてFAPSという音響機器の開発製造販売会社を設立、音楽の道として某音楽施設での勤務を兼務する二束のわらじでしたが、運を引き寄せることができたようで、3年目でサラリーマン時代の所得を超えることができました。
最大の収穫は、音楽への道が太くなったこと、定年後という言葉がなくなり、まだまだ幼い我が子が育っていけるだけの環境を作り上げられたこと、これから先の道が見えたことでしょうかね。
人生の転機には大変なことがまとめてやってきますが、これを乗り越えた時の喜びは非常に大きなものだと思います。
balaineさんには音楽を支えに新たな世界を切り開くという共通のテーマ、使命を感じております。
ご成功をお祈りいたします。
共に笛を吹きながら頑張りましょう!♪
投稿: ♪ふえ♪ | 2008.02.05 08:34
まーちゃんさん、あはは、Souffleは「あっち」で使っているHNでっせ。(^^)
「初期研修義務化」以降、卒業前に「マッチング」と言って、医学生の希望と新研修医を採用する病院との間で選抜を行って「行き先」を決めるのです。これも米国のマネですが。約束されるのは「初期研修」の2年間だけで、3年目からはその病院での実績と本人の希望で他所にいく場合も出て来るんですよ。いろいろな所で「他流試合」をする事によって実力をつけるという良い意味合いもあるのですが、医師が定着しない、人気のある街や大病院に医師が偏在するというデメリットが浮き彫りになって来ています。
投稿: balaine | 2008.02.05 09:04
♪ふえ♪さん、日中、ココログがメンテナンスにはいってコメにレスできませんでした。"3M"でした(笑)。
自らの手で新しい道を開き、自らの足で踏み出している先輩として、フルートを愛する共通の心を持つ友として、♪ふえ♪さんとは(まだ一度もお会いしてはいませんが)これからも末永くよろしくお願いしたいと存じます。
さて、新録音アップしましたよ〜!♪
投稿: balaine | 2008.02.06 00:36
Hello ;)
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投稿: Richardbow | 2019.09.05 16:08
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