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2008.02.07

人生の王道、そして笛の道?

Photo西郷南洲翁についてのお勉強はその後も続けております。
これは、庄内で私が一番最初に目にした『敬天愛人』の碑です。鶴岡市役所の隣の消防署の横にあります。酒田の飯森山にある「南洲神社」境内の石碑より大きいです。庄内酒井藩のお城跡、鶴岡公園のすぐ近くにあるのですから当然でもありましょう。
しかし、もう一度、考えてみましょう。

戊辰戦争において、徳川方の親藩として先頭に立った会津松平と庄内酒井。官軍総本山の参謀であった島津薩摩藩の西郷ドン。奥羽越列藩同盟の中で、酒田の本間家の莫大な経済的援助をバックにイギリス式新式銃を大量に揃えて連戦連勝で官軍を追いつめていた(新庄、山形まで攻め落とし、秋田まで迫っていた)庄内藩は、他藩が敗戦脱落する中で、仲介を得て無敗のまま「恭順」の意を示すことになります。
薩摩軍を主とする官軍が鶴岡の街の中に凱旋する際に、街の人などへの狼藉やもめ事を心配した西郷隆盛の参謀黒田清隆の命(西郷の命令そのものとも言われています)によって、武装を解除すべき庄内藩士から刀を取り上げる事無く、官軍側が武装を解除して鶴ヶ岡城に迫ったそうです。
そして敗軍の将に対して寛大な措置を行った事に対して、殿様を守るためなら家老以下全員が切腹してでもお願いしたいと思っていた庄内藩士の薩摩、特に黒田清隆への感謝の心はそれは大変なものでした。そして、その措置は実は西郷隆盛の命令によるものだったと後に知った庄内藩士の西郷隆盛に対する尊敬と感謝の心は、藩主酒井忠篤(たたずみ)を始め多くの藩士が薩摩まで西郷を訪ねその門を叩いて教えを請うというまでに至りました。

西郷が遣韓使問題で政府要職を辞して野に下り、ついに政府軍の挑発に乗って薩摩の若手が暴走します。そして、日本の歴史上「最後の内戦」と言われている「西南戦争」が勃発します。庄内からは敬慕する西郷さんを助けるために参戦するという若者が多かったのですが、南洲翁はそれを望まないだろうという管公などの説得によって思いとどまります。ちょうど、西郷の私学校に留学中であった2名の若い元庄内藩士が参戦し殉死します。そして西郷は政府軍、つまりは明治天皇に弓ひいた朝敵とされてしまいます。そんな中、庄内藩では西郷の元で学んだ者達がその教えを後世に伝えるために書物を作ります。西郷が亡くなった後も、明治憲法発布に伴う特赦が行われて西郷の朝敵の汚名が雪がれ名誉が復活するまでは世に出す事ができませんでした。そして、ついに庄内藩士が作り上げた「南洲翁遺訓」は、西郷南洲翁の言葉として世に出て行きます。その際にも、元庄内藩士がたくさんの「南洲翁遺訓」を背負って全国を行脚し配って歩いたと言われています。
今でも、荘内南洲会の事務所に行けば「南洲翁遺訓」を無料で配布してくれます。その当時の庄内藩士の心を平成の世にも受け継いでいるのです。

だからこその、鶴岡の、そして酒田の「敬天愛人」の石碑なのです。
個人事業主となるに当たり、人として世の中に出て生きて行く事、人と付合う事、人を使う事、事業を成す事、会計を担当する事、など様々な状況に応じて大切な心を「南洲翁遺訓」、それを解説した「南洲翁遺訓に学ぶ」、西郷南洲の教えに学ぶ「人生の王道」を読んで学ぶ事ができた気がします。
至誠、誠を尽くし正しく生きる事、天を敬い人を愛する事、ぶれない事、姑息な手段や計略を考えたり用いたりしない正々堂々として行動を貫く事など、易しい事ではありません。むしろこれがなかなか出来ないからこそ「人間」なのかもしれませんが、そういう道を追い求めて行きたいものです。

などと綺麗事を言っても、私は、「もっと笛が吹きたい」「もっと笛が上手になりたい」「もっと自由に笛を吹く時間が欲しい」「もっといろんな音楽に触れて音楽の世界に浸りたい」という気持ちが開業を志す大きな誘因、要因になっています。つまり「私利私欲」であり「利己」です。
そこには南洲翁が説く「無私」や「利他」の心は乏しく、独りよがりの貧しい気持ちが見えます。たった一度の人生、20数年を脳の外科治療にかけて突っ走って来た道から大きく軌道修正(と言えば聞こえはいいけれど、道を逸れ)して行こうとしています。果たしてこれが正しい選択であったのか、自分の取るべき道であったのか、迷いが無いと言えば嘘になります。ただ、「敬天愛人」の心や「至誠」の志はどこかに忘れずにもって生きて行きたいと思っています。
でも、これもいろいろな縁。そして、笛の妖精の魔力に導かれて迷い込んでしまったのかも、しれません。。。。
という訳で、今日の演奏は、笛の妖精「パン(葦)」の曲、「DebussyのSyrinx」です。


本日のおまけ(結局、それかい!笑)。
Photo_2Photo_3一昨日訪ねた庄内保健所の入っている山形県庄内支庁の裏手にあるお蕎麦屋さん「茂一(もいち)そば」。昨年行った時はまだ暖かい季節だったので、ざるそばと麦きりの合盛りを頼みましたが、雪の振りしきる中、暖かい肉そばにしました。「日本蕎麦」の文化が乏しかった庄内地方で何十年とお蕎麦屋さんをやっている人気店です。

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コメント

とうとう最終日です。

ウィーンはプラハ、ワルシャワの疲れが残り、リングをトラムでグルグル回ったり、ドナウ川近くのゴミ処理施設を見たぐらいであまり動いていません。
疲れましたが大変充実した旅でした

ワルシャワで心残はbalaine先生と同業の財前ゴロちゃんのロケ地の教会の鐘楼に登れなかったことです

投稿: 潤@Wien | 2008.02.09 12:14

潤さん、今頃は荷物整理?搭乗手続き中?
私は、財前教授の要にワーグナーを聴きながらオペのシミュレーションをするなんてことはしませんよ。でも頭の中では手術の場面を想定してプランニングはしますけどね。手術は料理や交響曲を指揮するのと一緒だと思います。勉強して準備してプランを練ってイメトレして、結果を頭に描きながら初期動作に入る、という感じでしょうか?
良い外科医は、頭の中でイメージを具体的に造り上げるのに長けていると思いますし、いいシェフになれると思っています。
お家に戻られるまでよいご旅行であります様に!

投稿: balaine | 2008.02.09 23:28

balaineさま

昨夜7時半過ぎ、無事日本の土を
踏むことが出来ました。

良い外科医もシェフも“作品作り”に有能なスタッフは欠かせません。イメージをを的確に伝える言語能力、コミュニケーション能力が重要ですよね。

どんな天才、秀才でも人を動かさなければ、組織は回りませんからね。イマジネーション豊かな人ほど、未知の状況や緊迫した場面に柔軟に対応出来りはずです。

西郷さんはカリスマ、イマジネーション、
包容力全てに卓越したものがありましたが、先を見通す能力と、“泣いて馬謖を切る”的
冷徹さが欠けていたように思えます。
逆にそれが故に日本的リーダーとして
人気を得る理由でしょうか。

今回はプラハの他に、もうひとつワルシャワの国立オペラで「ホフマン物語」を鑑賞。
クプファー演出による構成、演出、美術
ともに斬新な舞台でした。

私のプランニング(予習)が不足だったせいで、いまいち消化不良に終わりましたが、
オペラの舞台の広さや、大理石をふんだんに配した重厚な造りに、この地のオペラ文化の
豊饒さを実感しました。
ちなみにワルシャワの文化施設のほとんどは
戦災で破壊され、戦後再建されたものです。


投稿: 潤 | 2008.02.11 16:47

潤さん、お帰りなさい、そしてありがとうございます。
この3連休はほとんど医院にいました(コンサートも行きましたけど、、、)。明日からは新採用の職員も一部出勤して来られ、オリエンテーションなどの開始です。
仰せの事、肝に銘じて真剣に取り組む所存です。

投稿: balaine | 2008.02.11 17:58

先日、テレビを見ていたら会津の特集があり、そのなかで「あいづっこ宣言」が取り上げられていました。子供だけでなく、大人もこうあろうという誓いが込められているそうです。日新館童子訓の「什の掟」とともに会津人の気質というか気概を感じました。庄内の方と通じるものがあるのかもしれませんね。

あいづっこ宣言
一 人をいたわります
二 ありがとう、ごめんなさいを言います
三 がまんをします
四 卑怯なふるまいをしません
五 会津を誇り、年上を敬います
六 夢に向かってがんばります
 やってはならぬ やらねばならぬ ならぬことはならぬものです


わたしは、腹に据えかねることがあっても、決して卑怯なふるまいだけはすまいと思います。

投稿: ふなゆすり | 2008.02.29 12:10

ふなゆすりさん、「あいづっこ宣言」存じております。
最後の「ならぬことは ならぬものです」は、米沢の鷹山公の「ならぬは ひとのなさぬなりけり」とはまた違った趣と意味の深さがありますね。
卑怯、、、今の世の中は儒教思想が薄れて、「卑怯者」が増えたのでしょうね。
でも長い修行で免許皆伝となった武士も刀一本では拳銃、ライフルの前にはあまりに無力。修行もろくに必要のない、寄せ集めのライフル隊でも、免許皆伝の武士の集団よりもずっと強かった訳で、そういうのは時代の流れと片付けられるのか、卑怯!ではないのか、官軍と徳川軍、鉄砲隊と会津武士の戦い、その結末を考えるにおいて、無視は出来ないけれど目をつぶりたい事実ですね。

投稿: balaine | 2008.02.29 16:19

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