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2008年2月

2008.02.29

閏日の闘い

今日は4年に1度の日。
そして今日もいろいろありました。
まず午前中に消防署の点検がありました。2階も含め隅々まで点検。消火器設置の確認。
次に待合室の壁掛け時計は高い所に掛ける為、プロにお願いしました。
と同時に待合室とトイレの間のホールに自動販売機を2台設置しました。
その間、いろいろと準備を行いました。
昼ご飯もそこそこに、先日まで勤務していたUクリニックに残していた本や書類などを取りに向かいました。明日の「お披露目会」(=内覧会)の案内を渡して来ました。その足で、以前勤務していたN病院に向かい、主に働いていた病棟2つとICUとHCUに顔を出し、「宣伝」して来ました。久しぶりにお会いしたナース達は「先生!若くなったんじゃない?!」とお世辞を言ってくれます。2年5ヶ月ぶりに顔を見るナースも多かったのですが、皆お互いにあまり変わりがないことを喜び合い懐かしみました。存じ上げない若いスタッフももちろんたくさんいるのですが、顔のわかるスタッフが多いのは嬉しいものです。ICUなどでは重症の患者さんの処置中でベッドサイドから離れられないナースも、私の顔を見て大きく手を振ってくれたのも嬉しかったです。この病院で2年という短い時間ではありましたが自分なりに必死に頑張ったあの時間がちょっと甦ります。

いそいでクリニックに戻り、午後の仕事。主に昨日やり残したパターンのシミュレーションをやりました。「再来」患者さんで、腰痛や膝の痛みを訴え何度も通院していて、主に消炎鎮痛処置としてのマッサージ(器具による)を行う患者さんです。受診後、「診療待ち」になり、それを見て消炎鎮痛処置の指示を出します。指示戔を受け取ってスタッフが患者さんをリハビリ室に誘導し、そこで水流ジェットによる全身マッサージを行います。終了したら患者さんは受付で会計し、次の予約をして帰宅です。
Photoこれがその「ウォーターベッド」。300リットルの水が入ったベッドの上に横たわると、ぷかぷかと身体が浮いている様な感じになります。そこに9段階の強さの中から最適な強度を選択し、1分から数十分までの処置時間を設定するだけです。気に入った方はこれを受ける為だけにでも通院すると聞いています。とりあえずは、値段もなかなかのものなので1台だけ導入しましたが、人気が高ければ増やそうと思っています。

リハビリ室にはピアノとチェンバロを設置しましたが、一日中暖房をかけていると湿度が30~35%くらいになってしまいます。主に木で作られているチェンバロは乾燥にも湿気にも弱い楽器です。ちょっと気になります。ピアノは中古なので「新品」よりも木が枯れているというか安定しているようです。

もうすぐ4年に1度の2月29日が終わります。
明日から3月です。もう3月!という感じです。平成20年になってもう2ヶ月が終了してしまいました。明日は「お披露目会」、そして3日後には開院です。クリニックにはたくさんのお祝いが続々と届けられて来ます。お花が10鉢程、大きな観葉植物が4つ、電報、その他いろいろです。
まだばたばたしているところもありますが、そろそろまな板の上の鯉という感じになってきました。
私が昔からモットーにしている言葉
Tomorrow is another day !
で、今日の失敗は今日反省して、明日は明日と切り替え乗り切って行きたいと思っています。

そうそう、クリニックのHPのトップページにフラッシュ画面によるなかなか魅力的なページが完成しました。ご興味のある方はこちらからどうぞ!(→脳外科医balaineのクリニック

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2008.02.28

4日前

3/3(月)は新暦での『桃の節句』です。
旧来、旧暦の桃の節句は「上巳の節句」と呼び、古来中国では上巳の日に川で身を清め不浄を祓う習慣(上巳の祓)がありました。これが平安時代に日本に取り入れられ、人々はこの日に野山に出て薬草を摘み、その薬草で体のけがれを祓って健康と厄除けを願いました。この行事が、後に宮中の紙の着せかえ人形で遊ぶ「ひいな遊び」と融合し、自分の災厄を代わりに引き受けさせた紙人形を川に流す「流し雛」へと発展してゆきます。室町時代になるとこの節句は3月3日に定着し、豪華なお雛さまを飾って宮中で盛大にお祝いするようになりました。その行事が武家社会、さらに裕福な商家や名主の家庭へと広がり、今の雛祭りの原型となっていきました。
 
こうしてみると、桃の節句は身体の健康と厄除を願う日という事で、医院の開院に相応しい日のようです。「姉歯事件」の悪影響で「改正建築基準法」が施行され、ために着工が大幅に遅れ、開院時期を3月にせざるを得ませんでした。保健所の届け上は3月ならいつ開院しても良いのですが、3/1は土曜日にあたるため、週初めの月曜と考えると3月3日になりました。地方社会保険事務局からも、保険診療施設として認可されるにあたり、「1日は土曜日ですので3日の月曜日にしてください」と言われました。「その予定で考えておりました」とお返事しました。

今考えてみると、偶然の産物でしょうが、なるべくしてなった結果が3月3日、桃の節句の開院ということになりました。いろいろな偶然、必然、人の縁などに感謝でございます。

本日クリニックは夕方から大掛かりな清掃と床のワックスがけに入りました。
昨日、今日と2日にわたって実際に模擬患者さんに来て頂き、合計16名の患者さんを診察しました。新患受付、問診票、保険証情報、医師診察、院内採血指示、外注採血指示、MRI検査指示、X線検査指示、検査結果説明、処方、紹介状記入、会計、処方箋発行をいろいろなパターンで行いました。実際に、MRIも「脳ルーチン」(最も簡便な検査で8分)、「脳&脳血管」(長くて20分)、「腰椎」、「頚椎」MRIも撮りました。X線は胸腹部は行わず、頭部、頚椎のみでしたが実際に撮影しました。
行わなかったのは、心電図、超音波、そしてリハビリ(消炎鎮痛治療のマッサージや赤外線治療)です。明日、これらをチェックしておく必要があります。模擬患者さんにアンケート調査を行い、自分たちでも不足の部分や改善すべき点をチェックし反省会を行いました。
スタッフは一生懸命にやってくれましたが皆不安そうな顔をしています。院長がしっかりしていないからでしょうが、皆、新しいところで新しいやりがいのある仕事をする希望をもちながらも、「ちゃんとできるのかな?」「自分で大丈夫かな?」という自信のなさが表情に出ているようです。謙虚で控えめな庄内人、東北人気質でしょう。
私は、「なんとかなるよ」「最初からうまく行くなんて思っていませんから」「うまく行かない事があって当たり前!」と、九州人的な、西日本の人間的な陽性の、よく言えば積極的で明るい、悪く言えば自惚れで自信過剰な気持ちでいます。要するに、患者さんに迷惑をかけず、患者さんが喜ぶように、患者さんのためになることを考えてすればいいのです。それだけ、です。

明日は、総合的な反省会と最終チェックを行い、明後日の(内輪の)「お披露目会」に備えます。「内輪」「内輪」と言って、近隣の住居に折り込みパンフレットも配布しましたし、医師会の先生方や知人に挨拶状とともに開院案内および人によってお披露目会のチラシを送付しましたので、結局「内輪」ではありませんが、お近くの方で興味のある方はぜひ「お披露目会」にお運びください。

水中写真家加藤文雄さんが小笠原の海で潜水して撮られた「ザトウ鯨の写真」が自慢の(もちろん画質も撮像能力も自慢です)MRI室やその画像を瞬時に転送し、診察室はもちろん院長室でも見る事ができるMacOS+OsiriXによる現在最強とも言えるPACS、そして最新の電子カルテシステム、往診にも片手で持ち運べるハンディでかつ画面が大きく高性能の超音波検査装置、グランドピアノとチェンバロが置いてあるリハビリ室などをご覧頂き説明させて頂く予定です。

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2008.02.27

MRI検査続きと模擬患者さん

今日は、朝から模擬患者さんをお願いして、受診から会計終了までを実際に即して行いました。
医院の土地の大家さんにあたる会社の社員、建設会社社員、医療コンサルタントが手配してくれた人、製薬会社社員など午前中だけで8名の模擬患者さんが来て下さいました。新患なので、問診票に記載をお願いし、持参して頂いた本物の保険証を使って情報の入力、受付の段階で問診票に基づいた情報入力(受診の目的、既往歴、アレルギーの有無などなど)をします。その段階でアイコンが「受診手続き中」から「診療待ち」に変わります。それを見て、診察室に患者さんを呼び入れます。
主訴を聞き、いろいろな付随する情報を得て、診察(神経学的検査をする場合もあれば、ベッドによこになってもらって腹部の触診、打診、聴診をする場合もあります)をします。その所見を元に次に何をするかを考えます。
頭痛があり脳のの病気が心配だという方にはMRIルーチン(T1, T2, FLAIRのみ)を勧めます。この組み合せだけであれば(MRAやDWIをしなければ)、検査時間そのものは8分程度です。患者さんにMRI検査の諸注意を与え、指示戔を渡して、MRI室に誘導し、MRIの検査ベッドに横たわってから終わって出て来るまでは、約15分位で終わります。1番目の患者さんがMRIに向かった後、2番目の患者さんを診察に招き入れます。手のしびれを感じる事があるという50歳代後半の男性。明らかな神経学的脱落症状はなく、まずは頚椎のX線検査を行ってみる事を勧めます。1番目の患者さんはMRI室内で検査進行中です。MRIコンソール上、続く検査は「予約」が出来るので、どんどん検査を進めて行く一方で隣の部屋でX線検査です。技師一人ではだめなので私も診察室から操作室に出向いて一緒に位置決め、線量調節、そして撮影を行います。
1撮影したら私はすぐに診察室に戻り、3番目の患者を招き入れます。技師は今撮ったイメージングプレート(フィルム代わり)をCRに挿入します。ちゃんと写真が撮れているのを確認してDICOM dataをPACSに送信します。3番目の患者さんは高血圧の治療中で頭痛とめまいを訴える患者さん。高血糖を指摘されたこともあるけれどその後放置していたという設定。院内で出来る採血検査の、血糖値、HbA1c、尿一般検査を指示します。指示戔を出して処置室の前でお待ちいただきます。その間に、1番目の患者さんのMRIが終了して既にPACSに送られています。電子カルテでは「検査終了」のアイコンになっています。2番目の頚椎X線もPACSに送られ、電子カルテ上「検査終了」になっています。その時点で、4,5,6番目の受診手続きが終了して「診察待ち」になっています。
検査の説明を先にすべきか、受診待ちを先に見るべきか迷う所です。まずはすでに終わった検査の説明をして、一人でも多くの患者さんを「診察終了」状態にしようと考えました。4,5,6番目の患者さんにはお待ちいただき、1番目の患者を再び診察に招き入れます。30"シネマディスプレイでMRIの説明です。特に問題となる所見は見当たらず、現時点で何か治療を必要とするものはない。頭痛については、我慢できない様な痛みがあるときだけ頓服で鎮痛剤を服用するよう、多用連用しないよう注意を与え、処方箋発行して診察終了です。次に、2番目の患者を招き入れ、頚椎X線の結果を説明。多少軽度の骨変形があるものの、今の段階では心配ない事、もし症状が進行したり、何か変化があって心配であれば頚部のMRIで頚椎、頚随を調べましょう、と言う事を説明し、末梢神経障害に対するお薬を処方して診察終了です。同じ様に、4、5、6番目の患者さんを診察し、血液検査(院外)や予約のMRI検査やいろいろな指示を出し、処方をし、説明をし、次回受診の予約をし、診察を終了します。その間に、7番目、8番目の患者さんも受付終了し「診察待ち」になります。7番目の患者さんは、右手のしびれを訴えます。病歴から右肩のOAに関連した末梢性の可能性もありますが、家族に脳卒中があり自らも脳卒中を心配しています。しかし、神経学的検査からは頚随または末梢の病変を考えさせるという事で、頚部MRIを勧めこれを指示します。8番目の患者さんは比較的突然の頭痛を訴えて受診。くも膜下出血を考えなければなりませんが、どうも副鼻腔炎があるとのこと。鼻炎もあるようです。必ずしも「アテ」にはなりませんが、髄膜刺激症状を調べても異常はありません。頭部X線検査を行う事を勧め、これを指示します。また、技師と私の二人で、MRI検査患者とX線検査患者を切り盛りします。そして結果でてこれを説明し、処方し、診察を終了し、会計をし、終わり、です。

昨日の「予行」を経ての「シミュレーション」だったのでそれほどオタオタはしませんでしたが、電子カルテの入力で手間取ったり、処置室での採血業務の流れが滞ったり、検査技師への負担が重なったり、いろいろ反省する事はありました。昼食、休憩を挟んで午後も数名の模擬患者さんで同じ様にシミュレーションを行いました。
私はちょっと出かける用事があり、スタッフと電子カルテ指導者とコンサルタントで「反省会」です。頭で考えていては気がつかない、抜けや不足が実践してみてたくさんわかりました(たとえばX線検査室に、脱衣駕篭がおいてなかったとか、診察ベッドに枕が用意されていなかったなど)。
シミュレーションは明日も続きます。そしてまた反省会をして改善をはかり、2/29に最終チェック、3/1にお披露目会、3/2は日曜日、そして3/3(月)を迎えるという段取りです。


Dwi2こちらは一昨日のブログで解説したDWI、ディフュージョン撮像です。
その原理からしても解像度は悪いのですが、極々超急性期の脳梗塞を捉える事ができる検査です。この写真は正常者のDWIなので特に異常所見はありません。そのうち、異常所見のあるDWIがあれば掲載しましょう。
PhotoMRIの断面。左が普通のT1強調像で、右は反転T2強調像です。ちょうど「中脳」という部分の高さでのスライスになります。真ん中にある「ミッキーマウス」のような、下が割れたハートのような部分が「中脳」です。その前の部分、画面ではミッキーマウスの耳の間とその上は、脳底槽と呼ばれる脳脊髄液のある部分です(両側前頭葉と両側側頭葉と中脳の大脳脚で囲まれた部分)。その脳底槽内に、視神経交叉と下垂体茎が写っています。右側の反転T2では、本来流動する血液のため無信号に写る血管が白く見えるため、造影剤を使っていないのに造影した血管が写っている様に見えます。
Photo_2こちらは同一人物の脳の断面で、両側の視床や大脳基底核のスライスです。
両側の側脳室の前角(真ん中の前の方に羽を拡げた様な形の黒い部分)の両側にある尾状核頭やその両側にある「レンズ核」(正しくは、被殻(ひかく)、淡蒼球を合わせた解剖学的構造が「レンズ」の様に見える部分)を通るスライスです。
高血圧性脳出血の1番の好発部位「被殻」と2番目の好発部位「視床」が含まれ、中大脳動脈領域のラクナ梗塞の最も起きやすいレンズ核線条体動脈の通る部位でもあるため、脳卒中の時に最も目にする断面になります。パーキンソン病に対する定位脳手術で、古くは淡蒼球の凝固破壊術、最近では微小電極による電気刺激術でもこのスライスに入る部分に電極を挿入するため、脳外科医にとって最も馴染みのある断面と言えます。

さて、現在のアクセスカウンターは19万7500を超えています。
20万アクセスまで、あと2500を切っています。開院日である3/3まであと5日間ですので、一日のアクセスが平均で500あれば到達しそうです。それ以上のアクセスを頂いてしまいますと、3/2に到達するかも知れません。1ヶ月くらい前には「絶対無理」だと思っていた20万アクセスが目前に迫って来て驚きです。
よろしくお願い致します。(^^)


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2008.02.26

シミュレーションと脳以外の放射線検査

今日は電子カルテの勉強会の第6回目でした。
まだ心もとない所もありますが、使い方はある程度わかったという事で、そろそろ実践的に行かないとあと6日で本番なので、シミュレーションの予行ということをやりました。

まず、受付では、頭痛の患者さんが初めて受診した事を想定。問診票を渡し、保険証情報を入力。記入してもらった問診票情報を入力します。隣の診察室で、医師の私は、電子カルテで受付が終わって「診察待ち」と表示された「テスト太郎」さんを見て部屋に呼び入れます。型の通り診察し、患者さんの希望もあって即日MRIを行うことになりました。「セット登録」から画像診断のMRI検査を入力して指示戔を出します。指示戔を患者さんに持たせて、診察室向いのMRI室前の中待合いのソファに誘導します。内線で技師さんにMRIの指示を伝えます。技師さんは患者さんをMRI検査前室に誘導し検査着に着替えてもらいます。
患者さんが着替えている間に、技師は指示戔情報と電子カルテ情報を元にMRIコンソールに患者情報を入力します。MRI室に患者を誘導しベッドに寝せて頭部検査用コイルを固定し、設定後検査を行います。終了したら、患者さんには再び服を着てもらい、その着替えの間に今撮ったMRIのDICOM dataをPACSに送信し、電子カルテ上の患者さんを「検査終了」の表示に変えます。
着替え終わった患者さんに指示戔を渡し受付に行くように指示します。患者さんは受付に指示戔を出して検査が終わった旨を伝え、受付では待合室で今しばらく待ってもらうよう伝えます。
指示戔は診察室の医師に届けられ、電子カルテの表示と併せてMRIが終了して説明を待っている事が医師に伝わります。医師は、他の患者さんの診察の合間にMRI検査終了した患者さんを再度診察室に招き入れ、今撮ったばかりのMRIを迫力の30"シネマディスプレイで表示しながら説明します。必要に応じて処方し、診察終了。患者さんは会計を済ませ処方箋を受け取ってお帰りになります。


もたもたしながら、「あれ?ここで誰が誘導すればいいのかな?あ、私が自分でやればいいんだね、、、」などとやりながら予行の予行です。この他に、糖尿病があってふらつきと発汗のため「低血糖」を心配して来た患者さんを診察し、院内検査(血糖値、HbA1c、尿一般)と問診、理学検査の結果、糖は正常かむしろやや高めで、症状と発熱から風邪と診断して、検査結果を説明し処方をして経過を見てもらう患者さん、昨日交通事故で追突されて今日になって頭が痛くなったので、他の医院より紹介状を持って受診した頭部打撲の患者さん(診察の結果、軽度の頚椎捻挫であろうという事で単純X線検査のみ行い、正常なので処方をして帰宅)の診察など、受付から帰宅するまでの流れをスタッフ全員でやってみました。

私自身がいろいろな準備と忙しさにかまけて、まだ電子カルテに十分習熟していないので少しおろおろしてしまいました(反省、、、)。今まで、きちんとした電子カルテシステムは2カ所の病院で経験しています。電子カルテ一歩手前の医事入力システム的なものも2カ所で経験しています。うちのクリニックで採用する「スー○ー○リ○ックII」という電子カルテはなかなかの優れものです。しかし、完全な電子カルテというのは世の中に存在せず、どれも一長一短あり、使う医師や看護師や事務員によって好みが分かれたり、使い勝手が違ったりするものです。でも診察券発行機も含めて全部で500万円以上するシステムなのですからそれなりの働きをしてもらわなければなりません。

ペーパーレス、フィルムレスを実践するべく、導入した電子カルテとPACS。
PACSの方は、DICOM dataで書き出せるmodalityを接続すればいろいろなシステムが構築できます。今のところはMRIと単純X線検査だけで、超音波エコーと心電図はPACSには繋いでいません。(お金がかかる、煩雑になる、などなどの理由で)

ということで、MRI以外の放射線検査とMRI検査から「脳以外」のものをいくつか提示しましょう。
Photo胸部X線です。
30"シネマディスプレイ一杯に拡大すると、「半切」のフィルムをシャーカステンにかけて見ているのと同じ位の大きさです。モニター脇に置いたコーヒーの紙コップの大きさと比べて頂ければ、実際の大きさが想像できると思います。

Cranio頭部単純X線です。
単純X線検査は、撮影したフィルム代わりのイメージストレージをフィルム現像機代わりのイメージスキャナーで読み込んで表示するCR(Computed Radiology)というものです。ですから銀塩フィルムは一切使いません。ただ、他院に紹介する場合、まだフィルムレスで診療していない施設もたくさんある訳で、また検査依頼で紹介されフィルムを渡して返す必要も出て来る事から、CR装置にはフィルム現像機の代わりにフィルムプリンターが接続されています。これも銀塩フィルムを暗室で使う様な過去の方法ではなく、通常のX線検査フィルムに似た媒体にプリンターでプリントするという感覚です。(これによって、銀塩フィルムを排出せず、現像液を使わず、地球環境に優しいエコな診療所を実現しています)
当院ではフィルムレス診療なので、この頭部単純X線検査もCRからPACSにDICOM dataで送信され、診察室のPACSモニターで写真の様に表示されます。自由自在に拡大縮小、回転、コントラスト、明度の変換など「ちょちょいのちょい」(古!)と出来てしまいます。

Photo_2つづいてMRI。
これは頚部のMRI。右側がT2強調像、左側がT2強調像の反転画像です。
頚椎に軽度の変形と椎間板の圧迫による後方脱出があり、軽度の脊椎管狭窄が認められます。まだ症状はありませんが、頚椎症ですね。実は私の首、、、ちょっとショック、、、(苦笑)

Sagこちらは腰椎のMRIです。脊髄末端から馬尾(ばび)神経と呼ばれる、腰髄、仙髄の神経が脊椎管の白い脊髄液の中を下方(足やお尻の方向)に伸びて行っているのが見えます。まず正常ですね。

Photo_3こちらは付録。腰椎MRI検査の位置決めの為に撮像した腰部の軸位断層。おなかです。
被検者がやや肥満気味だったので(私ではありません!)、腰部、腹回りの脂肪(白い)そして内蔵脂肪がたっぷり乗っているのが見えます。腰部の筋肉(いわゆるヒレ肉の続き部分)にも脂肪のサシが入っている様に見えます。
よくテレビでは魚市場でしっぽの所を切断して、脂の乗りが見える様にして競りにかかっているマグロの映像を見かけます。切った断面を見て肉質、脂の乗りをチェックしている訳です。こんな風にMRIを撮れば、マグロも牛も肉に適度に脂が乗っているかどうかも生きたままチェックできる訳ですね。でも、生きたマグロや牛をどうやってMRI検査台に載せるか、ですが。。。結局、人間は美味しく頂く為にこれらの動物を殺している訳ですから、MRIで調べる必要はない訳ですが。

ちょっと話が逸れてしまいましたので、今日はこの辺で。
毎日、新しい事がたくさんあり、アポイントがたくさんあっていろんな人に会っていて、時間に追われイライラして来ます。「脳が疲れた」と日中の段階で感じます。ブログもそんなことでまとまりなく終わってしまいます。(苦笑)

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2008.02.25

1週前

本当に新たな船出まであと7日となりました。
毎日、なんだかバタバタといろいろな事をしていて、あっという間に一日が終わっていきます。
1日が30時間くらいあればもう少しゆとりができるのでしょうか?時間があればあったでやる事が増えるのだと思います。

今日も引き続きMRIの勉強。
今日は、DWI(ディフュージョン)と、膝関節、そして腰椎の撮像を行いました。

DWIは、10年ほど前にこの撮像が世に出始めたときは、脳外科医を中心に脳卒中をやっている医師から非常に期待された検査法です。
脳梗塞の症状(手足の麻痺や言語障害など)が出現して、すぐに救急車を呼び、脳外科のある救急病院に搬送され、脳卒中が疑われてすぐにCTを撮る、というところまでは、どんなにスムーズに行っても30~60分くらいはかかるのが普通だと思います。それより早く、というのは「院内発症」と言って、何か他の病気で入院中の方が、脳外科医のいる、すぐにCTやMRIの撮れる体制の病院で症状が出て、それを看護師や主治医が速やかに見つけて判断できたときだけという、なかなか特殊な状況です。
自宅や職場で発症すれば、どんなにスムーズに受診、検査が出来ても、CTの結果が出るまで30~60分はかかるでしょう。そして、脳梗塞(血管が詰まるか血の流れが悪くなる)になって、この60分くらいの時点では、普通のX線CT撮影では明らかな異常が見つからない事が多いのが脳梗塞という病気です。
CTで異常が出るのは、血管が詰まって栄養障害に陥った脳細胞が膨化(水ぶくれになるような死にかけの状態)し始めて、ようやくX線の透過性に変化が出てからです。この時点で、早くても2,3時間から6時間くらいかかるのが普通です。ですから発症後30分のCTでは、よほど大きな血管がポンッとつまらない限りほとんど変化はとらえられません。
これがMRIでは捉えられるのかというと、通常の撮像法であるT1強調像やT2強調像、FLAIR像などではまだ異常が出ない事がほとんどです。血管が詰まったために栄養を補給されなくなった脳細胞が、他の経路に助けを求め、それも来ないか非常に不足しているため徐々に栄養障害から細胞死に至り始めるまでは、早くて1時間程度の時間が必要です(場合によってはこの限りではありません)。3,4時間経過してもまだMRIに変化が現れないこともあります。

DWIという撮像方法は、たとえば水の入ったコップに青いインクをぽとりと落とすと滲みながらフワ〜っと拡がって行く、あの現象を見るものです。物質が「拡散」する事を英語でdiffusion(ディフュージョン)といいます。この拡散の現象が変化したものを捉えるのがDWIです。
脳血管が詰まって栄養が行かなくなった脳細胞は、細胞死の前に膨化します。この膨化が始まった時点で、脳細胞と隣り合う脳細胞の間の隙間(細胞間隙といいます)にある自由水は、従来は自由にブラウン運動をしていたのですが、細胞の膨化に従って隙間が狭くなってくるためその動きに制限が起こります。「拡散」運動が自由に行かなくなってくるのです。
そのような変化が現れてくると、他の正常にブラウン運動をして物質の拡散現象が見られる場所と比べるとMRIで捉えられるプロトン(H+)の信号に変化が生じます。この現象を利用して、X線CTはもちろん、T1,T2, FLAIRなどの通常のMRI撮像ではまだ異常が捉えられない「超急性期」(発症後30~60分)の脳梗塞を見つけ出そう、見つけたらすぐ治療を開始して悪くなり始める前に治そう、またはそれ以上悪化する前に進行を止めよう、というのがDWIが世に出たときの世界中の脳卒中治療医、特に脳外科医のおおいなる希望でありました。

しかしながら、その後の研究で、発症30分の時点でDWIだけに異常信号が出ている「超急性期」の脳梗塞も、その時点で治療を開始したからと言って必ずしも治る訳ではなく、ほとんどの場合、DWIで白く高信号に現れた範囲は、結局翌日のCTで黒っぽい低吸収域(要するに完成して元に戻らない脳梗塞)になることがわかってきました。最初の期待とは全然違う結果に、多くの脳外科医が失望感を味わいました。しかし、研究、治療を続けている間に、全部ではないけれど、時々、DWIだけで異常の現れた脳梗塞患者の中で、その時点で適切な治療を開始すれば症状が悪化しない、または回復する、まれに完全に良くなる人も経験するようになりました。

要するに、DWIは「夢の検査法」ではありませんでしたが、確かに超急性期の脳梗塞を捉える事の出来る確かで非侵襲的方法で、中にはその検査の結果、すぐに治療を始めたおかげで脳梗塞の進行を止めたり症状が回復する事もあるのだということは確かだと理解されるようになりました。
ただし、MRIであればすべての器械できちんとしたDWIが撮れる訳ではありません。器械の新旧、性能、ソフトの能力などによって変わるのです。私が選択したMRIは、超伝導MRIではないけれどDWIが綺麗に撮れる、というのが選択の一つの条件でした。ですからきちんとしたDWIが撮れる事を本日再確認しました。

PhotoMRIの写真を使った脳のお勉強や撮像法のお勉強は、今日はあまりに忙しかったのでお預けです。
明日以降、写真を撮って載せたいと思っています。

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2008.02.24

MRI自習&街かどコンサート

今日は日曜日。MRIの勉強会もお休みです。しかし、家族をヴォランティアにMRIを動かしてみました。
普通の撮像法であれば(T1, T2, FLAIR & MRA)ならば、2回教わっただけでもう一人で大丈夫です。
後は、DWI(通称「ディフュージョン」と呼ばれる特殊撮影、脳梗塞超急性期(発症15~30分程度でもわかる)などで使われる)と肩や膝などの関節MRIの撮像の勉強ぐらいです。

T2rev一人で撮れるという証拠です。これは成人男性。ちょうど眼球でも水晶体(レンズ)が見えるスライスが出ています。
顔、頭の大きさと眼球の大きさのバランスを見てください。

T2revこちらは小柄な20代女性。上の写真に比べて、顔、頭の大きさと眼球の大きさを見ると、お目めが大きい事がわかります。
この2つの写真はT2 reverseといって、普通に撮像したT2強調画像を白黒反転(reverse)させているものです。こうする事で、プロトン(H+)の多い水などの成分は白く写るT2が反転されて、水が黒く写ります。何がいいのかというと、水を含んでいないため通常真っ黒(無〜低信号)に写る骨を白く現すのとで現実に近い画像になる事と、脳の細部の形の表現が綺麗である事、そのため、死後解剖のような脳の断面に近い画像が得られるのが特徴です。

Mri同じ女性のMRIのT1強調像とT2強調像の同じスライスを並べました。
ちょっとうるさい写真ですが、代表的な解剖学的な名称を入れてみました。もっといろいろな部位名を付けようと思えば付けられますが、今日はこんなところで。
明日以降、気が向いたらまた作ってみます。

ーーーーー

さて、2/24(日)、酒田市交流ひろばで何回目かの「街かどコンサート」が行われました。
司会は、いつものJS先生。あの「故佐藤久一さん」の本に出て来る「ル・ポットフーで歌ったクラシック歌手」です。(^^)
224a今日は、酒フィルヴィルトゥオーソ4人の弦楽カルテットと酒田C高校の音楽部合奏に加えて、酒フィルCb奏者のAさんのお嬢さん千尋さんによるチェロのソロがありました。またJS先生のご子息MS氏による歌唱と盛りだくさんでした。
オペラ『ラ・ボエーム』の告知を兼ねたミニコンサートとしては今回が最後なので、40分に及ぶ少々長めのものでした。
224演奏曲は、カルテットがモーツァルトの弦楽四重奏「狩」の第1楽章。「ボエーム」からアリア「わたしの名前はミミ」。チェロ独奏はJSバッハの無伴奏組曲第3番ハ長調「ブーレ」と「ジーク」。弦楽合奏が、ヘンデルの「水上の音楽」二長調よりホーンパイプ。モーツァルトのディヴェルティメントよりアンダンテ。ポップスヒット曲よりコブクロの「蕾み」。そして最後は、弦楽合奏を伴奏にMS氏による『千の風になって』でした。
224cアンコールは、C高校弦楽合奏でボエームからムゼッタのアリア「わたしが街を歩くと」でした。
総勢40名近い出演者ながら、今年2番目の地吹雪の中、30名程度のお客様と後は酒フィルの身内でした。皆さん、お疲れ様でした。

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2008.02.23

MRI講習会第2日目

昨日に続き、MRIの操作勉強会でした。
技術者、技師、私の3名で朝から夕方まで、お昼休み1時間20分を挟んでみっちりお勉強しました。
昨日教わったコンソールの操作法を中心に、MRIのいくつかの撮像法、T1, T2, FLAIRにMRAを、撮像条件(スライスの厚みやスキャンする幅、画質など)を変えてトライです。
今日は私の脳も撮ってもらい、5年前に手術を受けた慢性副鼻腔炎の状態をチェックしてみました。両側の上顎洞の炎症はまずまず落ち着いていますが、左上顎洞の前方上方に粘膜の肥厚と貯留液を認めます。そして、両側の篩骨洞、蝶形骨洞、前頭洞は粘膜肥厚と液貯留がまだあまり改善していません。最近、軽い鼻風邪か鼻炎を起こして、ずっと鼻の調子が良くないと思っていたら「案の定」でした。
さらに本日頚椎、頸髄の「撮り合いっこ」をしてみたら、なんと頚椎の4、5番あたりが少しずれて椎間板がややはみ出していて、頚椎症、軽度の脊椎管狭窄を起こしていました。
頭痛や肩こり、頸部のこりはこれら「も」原因の一つでしょう。若くないってことだなぁ〜。

頸動脈MRAは大丈夫。2親等以内にくも膜下出血患者がいる人に未破裂脳動脈瘤がある確率は、そうではない人の数十倍高いという報告もあります。私の場合、実母が7年前にくも膜下出血になっているので、その時すぐにMRI, MRAを撮ってみたことがあります。その時には脳動脈瘤はありませんでした。しかし、2年前になかったところに新たに脳動脈瘤が出来て(de novoという)、それが破れてくも膜下出血を繰り返した患者なども経験したことがあり、「7年前になかった」という事は「現在大丈夫」という保証にはまったくなりません。MRAの結果は、、、、
脳動脈瘤はありませんでした。(ほっ)

MRIの操作訓練をしながら、ついでに自分の脳や頸動脈や頚椎を調べられるのは役得というのでしょうか。自分で金出して(借金ですが)買ったんだからいいですよね。
そして、PACSにと準備した、最新のMacProと30"のシネマディスプレイの凄さ!
がこれです。
Photoディスプレイの大きさは、キーボードやボールペンと比較するとご理解いただけるでしょうか?
画面の左側は、脳のT2強調像のBW反転画像(頭の大きさほぼ実物大になっています)。
通常、白く写る脳室などの水の多い成分は黒く、通常黒く写る空気を含む鼻腔などは白く写る「反転」像です。それにより、脳の断面はまるで解剖図の様に鮮明に見えます。ちょうど、両目と内耳、中耳の高さなので、耳の神経から続く三半規管や蝸牛が見えます。
画面の右側は、赤色でグラデーションをつけた脳の血管の3次元再構成像。これは自動的にくるくる回転している最中の一こまになります。
このPACSの画質も自慢です。

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2008.02.22

MRI検査講習

脳神経外科医を志して24年。
医学部の学生の頃から、X線CTはありましたが、MRI(ちょっと前はNMR-CTと呼ばれていたんです)は私が医師になってから世の中に出現した器械です。山形県内に最初にMRIを導入したのは山形市と米沢市の「私立」病院で、昭和61, 2年頃だったと思います。当時のMRIの画質は、陰で「MRIシンチ」(シンチグラムは、RI=ラジオアイソトープを使った放射線検査で、ボワ〜ンとした不鮮明な画像が特徴)と揶揄した位酷いものでした。20年以上前の事。世の中に携帯電話もデジカメもない時代だったのですからやむをえないでしょう。「公立」ではなくなぜ「私立」だったのかというと、20年前でも「?億円」という高額な検査機器で、公立病院ではすぐには買えない高価なものだったのです。

同じ「断層撮影」といってもCTのように頭の中に出血や腫瘍が見えるだけではなく、血管や神経(当時は太い神経で視神経位)が見えたり、いろんな角度に輪切りが出来るなど、画期的な画像診断で、脳の研究者、特に脳外科医は飛びついたものでした。CT以前の脳外科は、脳卒中で倒れた患者さんが「出血」なのか「梗塞」なのかもわからず、脳血管撮影で脳の血管が圧迫されて倒れた状態を見て「出血だ!」と考え頭を開いて手術してみたらどこにも出血はなく、脳梗塞でやられた脳がむくんで腫れていたという状態だったのですが、世の中にX線CTが出現し(日本国内に普及し始めたのは昭和50年代前半)、脳外科医は衝撃を受けました。
頭を開かなくても脳の中が見える!なんと素晴らしい器械だ!これで脳の病気は治せる!

しかし、人間の身体はそんなに簡単なものではありませんでした。見えるから、診断がついたから治る、と言う程単純ではありませんでした。そして、顕微鏡手術の進歩、脳内視鏡の出現、手術中の脳波・誘発電位などの電気生理学の発達などなどにより、脳の研究、手術もどんどん進んできました。そうなると、ただ脳の中が見えるだけではつまらない、脳の神経も見たい、脳の血管と脳の関係も見たい、脳の中の細胞の集まった部分と神経線維の集まった部分の境界をはっきり見たい、・・・を見たい、XXXを見たい、とどんどん欲求が高まって行きました。そこに登場したMRIは全世界の脳外科医を虜にしました。そして、MRI自体もどんどん進化して行きました。

「MRIシンチ」と揶揄されていたボワ〜ンとした画像も、今や言語中枢、運動中枢など脳細胞が活動している部分と休んでいる部分の違いが見えたり、運動中枢の脳細胞から脊髄に至る神経繊維だけが見えたり、本当に素晴らしい進化を遂げて更に進化しています。
脳外科医として開業する上で、いろいろな診療形態を考えました。しかし、やはりMRIは欲しい。これは偽らざる気持ちでした。高校で一緒に音楽をやった仲間がMRIを作っている大企業の「お偉いさん」になっていて、MRI導入について相談に乗ってくれました。検査能力の高い「超伝導MRI」は本体が数億円と非常に高価な上に、液体ヘリウムで常に超伝導現象を起こす為のランニング・コストも年間数百万円と嵩むため、一開業医の小診療所ではなかなか持つ事が出来ません。
永久磁石を用いたMRIでも本体価格は安くても3,4000万円で高いものは6,7000万円からします。導入は本当に「清水の舞台から飛び降りる」という感じでした。

そして、今日、初めてクリニックのMRIを自分で使ってみました。
1月末に設置されて、この寒い冬の中で24時間暖房をつけっぱなしにして部屋を暖めて磁石の温度を上げ、先週から画像調整に入り、そして今日の使用となりました。
被検者をベッドに寝かせ(あ、余計な事ですが、bedを「ベット」と記載する間違いをテレビでよく
見かけては一人憤慨しています)、頭部を固定し位置を調整しガントリーの中に誘導し、MRIコンソールのコンピュータを操作し、MRI撮像を行いました。
T1強調像、T2強調像、FLAIR画像の3種を撮るだけなら8~10分程で終わります。MRA(MRIを使った血管撮影)では更に10~12分くらいかかります。まだまだ使い始めたばかりで慣れませんが、患者さんのベッドへ誘導、設置、検査がスムーズに行けば、短い検査なら20分、長くても35~40分位で終わりそうです。
検査結果をMRIコンソール画面で見て、MRAのvolume renderingをおこない、これを3次元にクルクル回転させたりするのはワクワクします。DICOM dataをMacで構築したPACSに転送して、思いのままにズームアップしたりダウンしたり、コントラストを変えたり、3次元画像にしたり、くるくる回転したり、2種類並べて同時に動かしたり、、、
まるで「おもちゃ」を買い与えられた子供の様に遊んでしまいました。

Mri2MRI検査という医療器械の使い方の講習というと、なんだかこ難しい、面倒くさい、特殊な勉強の様に思うかも知れません。でもちょっと複雑なパソコンに触っている様なものなんです。しかも人間の頭の中を自在に調べる人の役に立つ器械であり、脳外科医にとっては「憧れ」の検査機器でもあり、私にとっては「遊び道具」のようなもののようです。
技師さんと一緒に操作を学びましたが、検査だけしていればいいのであれば自分がやりたいと思うくらいです。楽しく、嬉しい、というのが今日の感想でした。v(^^)
そういう想いが、この「くじら」にもつまっているつもりです。
(でも、現実は、いろいろな面談、打ち合わせ、道具の準備、資金調達、支払い、スタッフの採用、研修などなどの雑用が一杯で頭が疲れます)

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2008.02.21

今日(昨日)のニュースから

今日はニュースを3つ取り上げます。どちらかというと、批判的に、冷めた目で。

1つめ。
『[20日のロイター通信(ロンドン)から]
フィンランドの研究チームが20日、音楽が脳梗塞(こうそく)患者の早期回復を助けるという研究結果を専門誌ブレイン上で発表した。調査を行ったのは、ヘルシンキ大の心理学者テッポ・サーカモ氏が率いたチーム。右脳か左脳どちらかの中大脳動脈の梗塞を最近発病した患者60人を対象に実施した。
 それによると、通常の治療行為に加えて音楽や音声を記録したオーディオブックを毎日数時間聴いていた患者たちは、音楽などを聴かなかった患者たちよりも言語暗記力が向上したほか、気分も優れていたという。研究チームでは、音楽療法はこれまでにもさまざまな場面で用いられてきたものの、人に対する効果を実際に示したのは初めてだとしている。』
 先日、当ブログでも取り上げたばかりの「音楽療法」。科学雑誌Brainは、脳の研究者の中でも非常に評価の高い専門研究誌であり、ここで取り上げられた論文という事なので、かなりの科学性、信憑性のあるデータなのだと思います。ただ、「中大脳動脈」の血流支配領域には確かに言語に関する脳の機能領域がありますが、「利き手」との関係で左か右というのはとても大きな違いがあり、「右か左かどちらかの」という分類はちょっと「?」です。また対象が「最近発病した60人」ということなのですが、「最近」の定義、60人ということは「音楽を聴かせた人」と「聴かせなかった人」で30人ずつくらいを比較したことになると思いますが、この程度の数で統計学的にどの程度の信頼度があるか、など慎重に結果を検討する必要がありそうです。
 音楽を聴かせて治療(リハビリ?)をしていたら言語暗記力が向上するというのなら、どんどん行いたいものです。どういう音楽を聴かせるかが大きな問題の一つにはなりますが、それをクリアすれば,音楽を聴くという作業は難しい事ではありませんし、明日からでも始められる事です。私のクリニックのリハビリ室を「音楽ホール」にする、という目論みは、実はこの論文で言っている事を目指しているものなのです。ただ、科学的根拠の乏しい事を大きな声で「私は音楽を演奏して衰えた脳の機能を回復する治療をしています」などと言ったりすると、真面目に研究している方を冒涜しかねませんし、安易な「音楽療法」でその価値を下げたくないと思っているので、控えめに言って来たのです。
つまり、この論文の結果は、私が目指そうとしている治療を力強く後押ししてくれる様なものである様な感じがします。まずは、本文をちゃんと読んでみたいと思います。

2つめ。
全国紙Y新聞の34面「地域版」、地元山形中心の話題のページに、大変大きく山形交響楽団の事が取り上げられていました。どういうタイミングで何を狙っての記事なのか、ちょっと疑問ではありますが、山響の最近の躍進を地元紙Y新聞に遅れて(山新3P賞表彰から少しタイミングをずらして?というのは読み過ぎか)取り上げたもの。
音楽監督の飯森さん、特別客演首席コンマスの高木さん、山響創設者で創立名誉指揮者の村川千秋さん、そして山響ファンクラブ事務局長のpinoさん(私の高校の同級生)が写真入りで紹介されていました。山響ファンクラブが出来る前から応援している、密かに10年以上前から「シベリウスの村川」と呼んでいた私としては、Y新聞さん、とりあげるのちょっとおそいんじゃない?と思う訳です。文部科学省(大臣表彰)、中央のメディアや音楽雑誌で高い評価を得たのに遅れて新聞が記事に取り上げるのは、現代の「新聞」のオピニオンリーダーとして力の衰えを自ら暴露していることになるのかも知れません。でも、まあ、遅れたとしてもしっかりした記事として独自の取材を元に紙面を大きく割いたのは評価できます。

3つめ。
某公共放送局が日曜の夜8時からやっている、いわゆる『大河ドラマ』。今年は『篤姫』。先日以来このブログで取り上げている、南洲翁=西郷ドンも(小澤征爾の息子の征悦さん)、初回からずっと出ています。これからも重要な役どころになるはず。
で、話は、気も早く「来年」の大河ドラマ『天地人』のこと。兜の前立に「愛」の文字を付けていた上杉謙信第一の家臣、直江兼続。謙信亡き後、会津から転封された主君上杉景勝を、自分の領地米沢に迎え入れ、減移封された上杉家の存亡をかけて戦った一生を描くものでしょう。
米沢は、これまで度々歴史ドラマに取り上げられる武士の関わる土地。伊達政宗は実は米沢で生まれています。その後は上記の様に上杉の領土となり、今は上杉神社を中心に謙信以来上杉家代々の墓もある土地です。歴史ある旧米沢高等工業学校(全国で7番目の工業専門の大学、現在の山形大学工学部)もある土地ですが、地方都市の衰退の波の中で必死に生き残りの道を模索している様に、傍からは見えます。大河ドラマで『独眼竜政宗』をやった時は政宗が少年期を過ごした街として売り出し、それが過ぎるとまた「上杉の城下町」を売り文句にしていたのは何となく節操がない様に思えました。
今日のニュースで、『天地人』の主人公直江兼続には妻夫木聡さんが決まった事が発表されていました。今年の後半から来年にかけて、米沢には「愛」の文字が溢れ、直江兼続の街として観光キャンペーンが張られるのでしょう。同じ山形県内として応援はしたいのですが、あまりに品のない観光資源としての利用は控えて頂きたいものです。

Photo_9ところで、今日はぐっと気温も上がってクリニックの周辺に積もった根雪もかなり溶けました。あと10日あまりで開業なので、そろそろ駐車場もきちんと整備して頂かなくてはなりません。朝、雪を踏みしめ歩いた通用門の前が、夜8時に帰る時にはすっかり除雪され舗装準備の砂利が敷かれていました。
もうすぐ「桃の節句」=開院日です。
写真は、龍笛(本物ではなく教材用)を花とともに一緒に飾ってみました。
(日付が変わる前後に書き足したりしたので、2/21の記事にしました)

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2008.02.20

オペラの鑑賞法

まず初めに、『魅惑のオペラ』DVD & bookというものをご紹介します。
別に小学館の回し者ではありません。

第1巻の『フィガロの結婚』が出版されたのは、確か一昨年暮れ。それから1年強、心待ちにしていたのですが、先日、ついに『ラ・ボエーム』が発売になったようです。
オペラ『ラ・ボエーム』の名演は多く、CDもDVDも結構出ています。そのうち3つは既に持っていますので、今更という感じではあるのですが、この小学館のシリーズは名演のDVDに本がついているのが特徴です。オペラの全幕の日本語対訳付きで、ストーリーや背景の解説があり、A5版でオペラの鑑賞に携帯可能という設定になっています。

オペラは総合芸術の一つ。舞台装置が場を作り、オーケストラの音楽が雰囲気を作り、歌手が歌い演技します。しかし、多くはイタリア語かドイツ語で、日本人で原語上演を素で理解できる人はよほどのオペラ通か両原語に長けた人に限られるのではないでしょうか。
歌の意味が解らなくても、旋律の美しさやオケの演奏と衣装、舞台、照明などで感動は出来ると思います。しかし、やはり「言葉」の意味が解らなくては感動も半分くらいになるのではないでしょうか。クラシック好きの私ですが、2度経験したブダペストの国立オペラ劇場での公演(最初は『ニーベルンゲンの指輪』、2回目は『タンホイザー』)では、ドイツ語上演のマジャール語字幕(電光掲示)で爆睡してしまいました。

できれば公演を鑑賞する前に、ある程度の予備知識は持っていた方がいいでしょう。折角の総合芸術、これをより深く理解し感動も大きくなるものと思います。今回の3/16の酒田公演は、全4幕原語(イタリア語)公演です。舞台両袖に電光掲示(プラズマ?)で日本語対訳が表示されるそうですが、外国映画で日本語字幕ばかり追っていては折角の俳優の演技やスペクタクルなシーンに没入できない事が少なくないと思います。

昔から、私は、海外の楽曲を愛する多くの日本人、特にポップス系好きの若者に強い疑問を持っていました。それは、確かに米国を中心とする海外のアーチストは格好良く、素敵な楽曲を提供してくれます。アーチストそのものに夢中になる気持ちはわかります。しかし、彼ら、彼女達の歌を理解して熱狂しているのかどうかを疑問に思って来たのです。つまり、多くは英語で歌われている音楽の、その英語を耳で聞いて理解して熱狂しているのかどうか、ということです。
音楽が素晴らしいのはわかります。でも、歌詞の意味を理解できなければ、アーチストが発信しているメッセージを真に理解するというにはほど遠いと思います。しかしながら、英語はよく分からないけれどなんかカッコいいから聴いている、という人が多いのではないかと思っているのです。
私は、高校生から大学に入るまではビートルズはほとんど聴きませんでした。同級生で熱中している友人がいましたが、その歌詞をすべて本当に理解はしていないようでした。サイモン&ガーファンクルも大学に入って、英語の歌詞の意味が理解でき、自分でも一部は歌える様になる位になって初めてそのメッセージが理解でき、音楽を理解しました。

ちょっと理屈っぽいかもしれないとは思います。「音楽が素敵ならいいじゃないか」「かっこ良ければいいじゃないか」と言われれば、それは否定はしません。ただ、あるアーティストに夢中になるなら、その発信しているメッセージを自分の心で受け止めるには、「何を歌っているのか」がわからなければ駄目なんじゃないかな?ということです。
オペラの鑑賞においても同様で、その音楽、衣装、演技、舞台などで感動は出来ます。
しかし、やはり言葉、歌詞の意味が大切な事は当然でしょう。原語を全て理解できないまでも、少なくとも「今、何を言っているのか」がある程度わかる事は大事ですし、オペラの内容をより理解する為には不可欠な事だ思います。
横浜からオペラを観に来てくれる両親にも、冒頭のDVD & bookは薦めたいと思っています。

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2008.02.19

ピアノ、来る!

クリニックのリハビリ室に、と考えていたピアノがやってきました。

Photo雪の中の外構工事の遅れとリハビリ室前の庭の準備(本格的には春以降に芝生を植えたり、草木を植えたりする予定なので今は砂がはいっているだけ)もあるため、入り口近くまでトラックをつけられません。
結局2tのクレーン車で吊り上げて、リハビリ室の南面ドア前まで運びます。

Photo_2大事に包まれたピアノが南面のドアの所まで運ばれます。
あとは人力でゆっくり移動です。
足ははずされ、横倒しになった状態で運び入れます。
ぶつけないでね!

Photo_3ここまで運んだら荷解きして、足を付け、横倒しになっているのを起こして設置です。
大の大人3人で、よいしょよいしょと運びました。
ここまでは携帯のカメラで撮った写真です。
.
.

Photo_4Photo_5Photo_6場所を決めて、設置完了です。
まだ新しい建物なので、部屋自体が落ち着いていませんので、このまままず1週間程置いて、来週本格的に響きの調性作業と調律をしてくださるそうです。皆が帰ったあと、リハビリ室では家内が一人ピアノを弾きながら歌っておりました。私は、それを別の部屋で仕事しながら聴いていました。

Photo_7Photo_8YAMAHAの中古のG7です。
現在のラインアップではC7と同じものになります(ペダルが2つですけど)。ピアノの中の響板に印刷された文字がかすれて読みづらくなっていますが、このピアノの歴史を感じさせます。わずか100平米の広さの部屋にはちょっと大きなピアノで、蓋を全部開けてffで弾くと大迫力というか、音が響きすぎる感じです。もう少し響きをデッドにする工夫が要りそうです。
でも永年の夢であった、グランドピアノを持つ事が叶いました。ここで、いろんな楽器とのアンサンブルもできます。実はリハビリ室には、グランドピアノが1台楽々入る倉庫もあるので、リハビリ室本来の目的であるフロアをもっと広く使いたい時や、講演会の時には移動してしまっておく事ができる様に設計されているのです。

今日のおまけ。
Mriこちらも今日搬入設置された「くじらの写真」です。
水中写真家の加藤文雄さんから許可を頂いて有償で使用させて頂くことになった素晴らしい写真。
ザトウ鯨が2頭、寄り添う様に潜っています。海水面近くであれば、太陽光が射してもっとクリアに見えるのでしょうが、少し潜った所なので下にいるクジラは少しぼんやり見えます。加藤さんが苦労に苦労を重ねて潜水して撮影された作品が、MRIを撮りに来られた患者さんをやさしく迎えてくれることになります。
壁の色をもっと濃い青にして、MRI室全体を「グランブルー」にしたいと思っているのですが、ちょっと暗くなりすぎるかもしれないのでとりあえずこのような感じになりました。

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2008.02.18

20万アクセスまであと、、、

7000を切っています。
一日平均アクセス数を400として、17.5日で20万アクセスを達成します。このペースで行けば、3/6辺りになりそうです。最近1週間の平均一日アクセス数は520を超えていますので、13.4日で20万に達します。ちょうど開院当日辺りになりそうですが、これから開院まで追い込みの2週間、毎日ブログを書けるのか微妙になって来ました。
電子カルテの勉強会、MRI、エコーなどの診療機器、診断機器の操作の勉強会、PACSの操作の勉強などなど、開院準備の為の細かい打ち合わせと共により具体的な事がどんどん入って来ます。これから開院までの日々は余裕を持ってブログを書けるのかどうか疑問です。
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、この「★balaine★ひげ鯨の日々」以外に、いくつかブログを持っています。フルート演奏の音ブログ以外では、クリニック新設に関する物が2つ、元々予備で立ち上げていたものが1つ、その他が1つありますので、(音ブログも入れて)全部合わせると6つもブログを管理していることになってしまいます。
3/3の開院を機に、これらはおそらく3つくらいにまとめることになると思います。

しかし、絶対に無理だと思われた「開院当日20万アクセス」にも可能性が見えて来てちょっと驚きです。
今日の写真。
PhotoPhoto
少し大きめの写真です。左が待合室から見た受付。カウンター足下のライトなど工夫が凝らされていて素敵です。右が診察室の一部。診察机の上に並ぶモニターのうち、左の2つはPACS用です。見えにくいですが、真ん中のモニターにはMRA撮像の脳血管に3d volume renderingを行って赤い血管らしい色と淡い陰影を付けています。
これは、元画像121スライスの3d TOFからわずか5秒程で出来上がります。新型MacとOsiriX III、驚くべき速さと美しさです。

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2008.02.17

医学と音楽

今日のN響アワーの副題でした。
聖路加国際病院の名誉院長である日野原重明氏がゲスト。なんと明治44年生まれの御年96才で現役のお医者さんです。あまりに有名なこの方についてはあまり触れませんが、私がこの方のお年に達するまではまだ46年もあります。自分勝手に少なくとも90才までは生きる事にしているので、まだまだ先の話。一杯やりたい事がありますが、真面目にやって行けばきっとできるだろうなぁ、と思っています(生きてさえいれば、、、ですが)。

最初に、ベートーベンのPコン5番「皇帝」。ピアニストはアレクセイ・ゴルラッチ。この人、昨年7月に庄内町響ホールで聴きました。その時の印象は、ショパンは鮮烈で華麗で素晴らしかったけれどバッハなどに関してはちょっと?というのが正直な感想でした。この人の演奏での「皇帝」を出して来た池辺晋一郎さんの意図は何だったんだろう。「皇帝」の名演は数多くあるけれど、私にとって「皇帝」といえば、ルドルフ・ゼルキンの演奏になってしまいます。ゴルラッチ氏のようなこれから将来のある人には酷ないい方になるかも知れませんが、ゼルキンのあの演奏に比べると格が違うと言う感じでした。

番組の後半、チェロ奏者の故徳永兼一郎さんが日野原さんの作ったホスピスで、癌によってこの世を去るおよそ1ヶ月前に、家族、友人、弟子達の前で行った最後の演奏会のシーンがありました。おそらく癌の脊椎骨転移によってでしょう、下半身が効かなくなってベッドの上で練習していたそうです。
カザルスの「鳥の歌」を弾き終わって、弓を持ったまま涙を拭い静かに車いすのまま下がって行ったそうです。あと1ヶ月で命の火が消えるという時期の演奏。壮絶なシーンでした。

「音楽療法」という言葉、考えがあります。私はあまり安易に「音楽療法」という言葉は使いたくありません。
音楽が人の心、精神に与える影響についてはもはや議論の余地はないところ。
それと、医学における治療の方法、手段を表す言葉「療法」をくっつけたものです。考えとしては、宗教に近いものがあります。よくモーツァルトを聴かせ続けたぶどうから美味しいワインが出来たとか、酒蔵でずっとモーツァルトを流していたお酒だとかいう話を聞きます。全く同じ条件で、「聞かせた酒」と「聞かせなかった酒」を科学的に(人間の主観だけでなく)評価して比較検討しなければ、音楽でお酒がおいしくなるのかどうかは判断できません。ただ、人間以外に生命体に音楽の持つ特殊な周波数や音のエネルギーが何らかの影響を与えうるという事は十分考えられる事です。「音楽療法」というのは、音楽の持つエネルギーを病気の治療に役立てようという考え方です。「音」エネルギーとしての物理的な物も含まれるかも知れませんが一般的には、人の精神に与える影響、端的に言ってしまえば「癒し」の効果を考えている物でしょう。
しかし、人間の心、精神というのはそんなに単純な物ではなく、音楽もそんなに簡単なものではありません。ある人には心地よい音楽でも他の人には苦痛に感じる物もあるでしょう。音楽を聴けば誰もが心が晴れる訳でもありません。悲しい気持ちの時に元気な曲を聴くとすこしうきうきする人もいるでしょうし、かえって気分が落ち込むこともあります。要するに、音楽による効果を科学的に証明したり、統計学的に検証する事が大変困難で、科学になりにくいが故に「胡散臭さ」を否定しきれない面がある様に思います。

本日の番組ではその辺りの突っ込んだ話は一切無く、ちょっと肩すかしでしたが、そういう難しい話は避けた感じもしました。96才の日野原氏の「超然」とした感じですませてしまった様な印象です。
日野原さんがちらっと仰っていた、「音楽は通常、元気な人、健康な人が音楽会に聴きに行くもの」という話です。心や身体が病んでいる人にも必要である、むしろ健康な人よりも無くてはならないと考えられる音楽が、そういう本当に必要なはずの人から離れているのが「ふつう」の事である不思議さ。音楽家も若いうちはそんな事を考える余裕は少なく、自分の技術を磨き、または世の中で有名になる事に必死な訳ですが、ある程度功なり名とげて来てから病院や老人ホームでの「無料」コンサートなどのボランティアをやっている人もいます。アマチュア音楽家にも、病院、ホスピス、老人ホームなどでの活動を地道にやっている人達もいます。私も、「院内コンサート」という名前の演奏をこれまで数回(オケ、バンド、フルートカルテット、フルートソロなど)やってきました。
演奏して教えられるのは、やはり音楽は人の心を動かす力があるということ、みんなに影響を与えなくても、たった一人か二人でも喜んでもらえれば演奏する側としてうれしいということでした。中には涙を流して感激される方もいらっしゃいます。その時々、人々、おかれた状況や感情によって同じ音楽でも受け手によって変わるのがわからないところであり、おもしろいところです。

「音楽療法」などと大上段に振りかぶらずに、これからも人の心に届く様な音楽をやって行きたいな、と思いました。新医院のリハビリホールでの音楽活動も楽しみです。
ちなみに、サロンコンサートに使う予定のリハビリ室に何かいい名前を付けてみたいのですが、「こんなのどう?」という素敵な案をお持ちの方はコメントにお寄せください。
(「タマネギ−ホール」などという実在するちょっとふざけた感じも悪くないな〜、笑)

突然ですが、今日の一句
「温暖化 どこさいったの 今日も雪」

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2008.02.16

2週間前&4週間前

2月も後半に入りました。
今日も前半はなかなか酷い天気でした。
216土曜日でもあり、実務的には昨日行った様な電子カルテの講習会も無いので、医院の新採用職員はお休みです。しかし、MRIの調整作業や内装のやり残し、外溝工事は続いています。クリニックを開けなければならないので朝から「出勤」です。写真の様に、今日も吹雪の中、外の工事が行われていました。
あと2週間で内輪の「お披露目会」(3/1土曜日)になります。
MRI、PACS、電子カルテ、そして自慢のリハビリホールを見学してもらう計画。もしかすると院長の生演奏などもあるかもしれません。。。
慌ただしく毎日が過ぎて行く事でしょう。

そしてあと4週でオペラ『ラ・ボエーム』本番です。
昨年の3月末から練習、準備をしてきておよそ1年。あっという間に過ぎて来ました。ほぼ1年も練習に時間をかけるなんて、と最初は思いました。たしかにパート譜も分厚く、ヴァイオリンなどは1,2幕と3,4幕で「2冊」に分かれている位、重量感たっぷりの楽譜です。スコアなんてちょっとした医学書並みの厚さ、重さ、値段です。でも、いくら田舎の「ヘボ」アマオケでも(仲間の事をヘボイ、と言っている訳ではありませんが)半年ちょっと練習すればなんとかなるんじゃないの?と思っていました。
実際は、大変でした。一人一人の練習もですが、全体の練習では、あと4週となったこの時点でもまだ「おい、本番大丈夫か?」というようなところがたくさんあります。
確かにJAOの酒田大会がありました。市民芸術祭がありました。12月頭の定期演奏会がありました。ですから、「1年」(分の週末)のうち、半分は他の事をやってきました。そのために、オケの事務局側も悩んで、週末の土日2日間を練習に当てざるを得ないということでやってきました。
通常の我が酒フィルの練習は、土曜の夜2時間、というのが基本です。しかし、12月の定期をやると決めた時から、約11ヶ月間、土曜の夜2時間+日曜の日中4,5時間(昼抜き)をセットにした練習計画を組んで頑張って来ました。いくら音楽が好き、アマオケが好き、とは言っても、ほぼ毎週の土日に練習が入っているのでは、旅行にも遊びにも行けず、買い物も映画を観るのもままなりません。私も「自分の都合」(もちろん仕事や出張も入っています)で結構練習をさぼりました。学会出張や会議などというきちんとした理由があったとしても、アマオケの練習計画上、休みは休み、サボりはサボりです。これをずっと休まずに参加した凄い人も中にはいます。
オケの練習は、上手い下手は問わず、参加しなければ、集まらなければオケになりません。アンサンブルが出来ません。オーボエが一人もいない。クラが誰も来ない。今日はファゴットが0。コントラバスがいない。というような日もありました。フルートが3人とも来ないという日もありました。弦もセカンドが1人とかファーストが3人とかいう日もあった様に記憶しています。皆、仕事を持ち、家庭を持ち、主婦をしながら、毎週土日、よく練習を続けて来たと思います。オペラは面白いのですが、その練習は本当に手強いです。この約1年間の練習によって個人のレベルも、オケのレベルも少しは上がったのではないかと思います。それに、1ページと同じ調やリズムの続かない「猫の目」のようにくるくる変わる楽譜。指揮について行くのも精一杯。頭が切り替わらず、「出」を間違ったり、いらないところでフラットをつけたり、いる所でナチュラルにしたり、とてんやわんや。本当にオペラの練習は「惚け防止」にいいのでは無いかと思いました。
それもあと4週。
2来週は下棒(団内指揮者)が大阪の『ラ・ボエーム』を見学に行く為、指揮者なしでオケ全体集まっての練習もないだろう、ということで練習はお休みとなりました。3月に入っての週末と直前および当日の3日間を含めて、あと7日間の練習で本番というところまで来ました。
今日の時点で、団員に割り当てられた希望ホールの座席のうち、1階席は全て完売です。2階はまだ残っています。周辺のプレイガイドでもまだ少し席はあるようですが好調な売れ行きです。
横浜と秋田の両方の両親にも来てもらい、クリニックの見学とオペラ見学と庄内の小旅行を楽しんでもらう予定にしています。
あと4週間です。

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2008.02.15

医院の広告について

2月も半分が過ぎました。
あと2週間で3月を迎えます。
こちらの様な田舎では、新規開院に際して大々的な「開院記念パーティ」や「内覧会」などは行わないことが普通の様です。知り合いの開業医や先輩医師にいろいろ聞いてみたのですが、「MRIを装備する事を売りにするのだから『内覧会』位はやってもいいんじゃないか?」というご意見もありましたが、「あまり派手な事はやらない方がいい」という否定的なご意見の方が多いようです。
「郷に入っては郷に従え」です。
ただ、近隣の住民と知人や医師会の先生方を対象に(新聞折り込みなどではなく)、パンフレット(=チラシ)を作る事にしました。

既にホームページも開いていますが、インターネットのホームページは医療法における「宣伝」や「広告」にはあたらないという判断が一般的なようです。不特定多数の人が意識しなくても目にしてしまう看板、チラシ、新聞広告などと違って、「そこを見よう」と意識して訪れなければ目に出来ないホームページは、「院内広報」と同じ様に捉えられていて、結構自由なようです。自分の考えを述べる事が出来ます。
もちろん「誇大広告」や「比較広告」はいけません。
「必ず治ります」とか「絶対良くなります」とか「他院よりもいい検査法です」とか「他の医師よりも良くなります」とかの類は禁止されています。その代わり最近は、医院の建物や検査機器の事を掲載しても良くなり、誇大でなければ検査内容は治療内容も掲載できる様になっています。結局、医療サービスの受け手である患者さんが誤った情報に誘導されて被害を被る事のない様にすることが目的で制限がある訳です。

ですから、ホームページでは特に問題がないとされている診療内容についても、チラシなどで広告を出す以上は保健所の指導を仰いでいます。たとえば「診療内容」について、他科の医師よりも生命に関わりうる脳の病気が原因の頭痛の患者さんを診察、治療した経験の多い脳外科医として、「頭痛を専門的に診る」ということは第一に考える事です。このことをたとえば「頭痛外来」と表現した場合、チラシなどの広告においては、「専門性の高い外来」を行う、よって専門性の高い診断や治療を行うと宣伝していることになります。くも膜下出血や脳腫瘍の患者を自分の目でたくさん診て自ら手術して来た脳神経外科専門医である私が、MRIを装備して頭痛の患者さんを診療するという事は、通常の医師よりも専門性が高いとは言えると思うのですが、「保険診療」という制度においては、「頭痛」という疾患または症状は必ずしもCTやMRI等の精密検査を必要とするものではなく、何か専門性の高い治療法、たとえば大学病院での高度で先進的な治療を必要とする訳ではありません。「頭痛」という疾患は、特に大きな問題が無い場合は、鎮痛剤を処方して様子を見る、症状を抑えるというものだというのが、厚生労働省が管轄し中医協が診療点数を決定している「保険診療」における見解な訳です。
わかりにくい話を簡単にしますと、「頭痛」という病気は医師なら誰でも診れる、誰でも治療できる一般的なものであるので、「頭痛外来」などという専門性が高そうな診療を宣伝する事はできない事になるのです。脳外科専門医だろうが内科医だろうが、同じ診断で同じ薬を処方すれば「同じ値段」というのが日本における保険診療の制度だからです。
どうしたらいいのか?保健所の担当者に聞いてみました。

「頭痛外来」「めまい外来」「もの忘れ外来」などの専門外来を想像させる文言は使わない。
「診療内容」:次の様な症状や疾病をお持ちの方は御相談ください。
「頭痛、めまい、もの忘れ、不眠、、、、」

というような書き方ならば、チラシや新聞広告に載せられるのだそうです。
そういう決まりなのですから従うしかありません。なんとなく釈然としませんが、日本の制度では「皆、同等で同じ」というのが原則ですから、ある疾病について自分は経験が豊富で他の医師より優れているとかいい治療ができるというような事は宣伝してはいけないのです。

ただ、写真は載せてもいいということなので、精一杯優しそうなハンサムなお医者さんに見える様に(プッ!)撮って頂いた写真を載せる事にしました。(大笑い)

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2008.02.14

ヴァレンタイン

どうしたのでしょう。この3日くらい、酷い天気です。
213一昨日夜、昨日日中は、外を歩けない位のいわゆる地吹雪でした。隣の院外調剤薬局の引渡式に出席するため、わずか2,30mの距離を歩くのも困難。ブワ〜ッと雪が舞うと目も開けておられず呼吸も停めなければ行けない程になります。(写真は、自宅前の雪、この写真を見る限りはおとなしい積雪のようですが、、、)
214「こんな地吹雪の酒田に、なんで九州生まれの先生が住む気になったんですか?」と大家さんであるC社の会長さんから聞かれました。確かに、JRの列車を脱線させてしまう程の竜巻や雷、そして地吹雪と冬の庄内地方は交通も寸断される様な天候になる事が年に2、3回、日数にして計1~2週程はあります。
でも、九州や四国で酷い台風を経験した事がある私にとっては、「沖縄や九州の人が毎年、強烈な台風で酷い目に遭いながら、九州を逃げ出したりしないのと同じですよ」と答えます。
高松に住んでいた時は、2年間に確か2回程床下浸水の被害に遭う位の台風による豪雨に見舞われたこともあります。でも人々はそこに住み続けます。
(上の写真は、クリニックの駐車場から。写真の真ん中辺りに、ぼんやりとゴルフ練習場の高いネットが見えるでしょうか?地吹雪で数10m先の視界はほとんど利かない状態です。)

山形は、庄内は、雪が天災ですが、それ以外には台風もほとんど来ません(来た頃には弱い熱帯低気圧)、全ての市町村に温泉があるにもかかわらず地震も滅多に起きませんし火山も噴火しません。昭和51年の酒田大火のように、強い西風にあおられた大火事が何十年に一回か起きていますが、本当に雪、地吹雪以外には災害の少ない土地です。

214_2今日は、聖ヴァレンタインの日ですが、昨日よりは少しましですが、まだまだ吹雪です。寒いです。
でも、ほとんど一日中クリニックにいて準備の仕事をしているので自宅にいるより楽ですね。
新しいテレビもHDD/DVDプレーヤーも入り(秘密兵器も、笑)、地デジもBSも綺麗に大きく見えるし、リハ室でフルートの練習は出来るし、遊ぶ事ばかりではなく確かに開院前の準備にする事はたくさんあるし、帰宅は遅くなりがちです。でも家に帰ると奥さんがSt. Valentine's dayのお食事を準備してくれていました。家で焼いた2種類のチョコレートケーキ付きでした。御馳走様!

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2008.02.13

Le Souffle

昨日の夜から吹雪になりました。今日も酷い天気です。外に出る気になりません。
雪は降っている量は多くはありませんが、横殴りで、車の窓も真っ白になります。クリニックの正面玄関の自動ドアの人を感知するセンサー(上にあるのではなく、左右に付いているもの)に氷雪が付着して人がいるのと同じ様に作動して開いたはいいが閉まらなくなりました。
結局、このセンサーに付いた氷雪をはがすしか対策がありません。センサーの位置を付け替える事を検討中です。

ということで、昨日は食事の後、もう1件行って帰ろうと計画していたのですが、酔っぱらっちゃったのと最近寝不足だったので眠くて仕方なかったのと、余りの吹雪に食事後すぐに帰宅しました。でも酔っぱらっちゃって眠くてブログの続きは書けませんでした。

212表題は、昨日行ったレストラン『ル・ポットフー』の2つある個室のうちの1つの名前。日本語で「スフレ」にあたる言葉無く、スフレと言っていますね。この部屋では、かつて開高健や山口瞳や丸谷才一などのグルメ文人なども料理に舌鼓を打った事でしょう。先日の記事「『世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたか』を読む」に書いた「ル・ポットフー」。昨日はやはりそこに行ってみました。しかも、知っておられる方は知っている、私balaineの別のHNである"Souflle"の名前を冠した部屋。これはその部屋を指定して予約するしかありません。(笑)
写真は、Le Souffleの部屋から調理場方向を見た所。お料理をサーブして下さる女性が隣のテーブルで準備中。奥の明るい部分は、ガラスの向こうが一部オープンキッチン的になっています。
24年も前にオープンキッチンを取り入れたフランス料理店なんて、国内に何件あったでしょうね。

212_2212_3写真は、「ル・ポットフー」のメニューの表と裏です。
美味しい料理の写真を並べ立てるとまた批判を浴びそうなので我慢します。
「料理、、、それは思い出」という、佐藤久一さんの作った名コピーが今も使われています。お魚の絵はどなたが描いたのかは聞き忘れましたが、庄内沖であがる柳ガレイに平目でしょうか?

裏表紙の絵は、なんとジャン・コクトーが描いたマダム・ポワンの絵です。美食の街リヨン郊外にあるかつて「世界一のレストラン」と称された、有名なレストラン『ピラミッド』のオーナーシェフであった故フェルナン・ポワンの奥様。佐藤久一がリヨンを訪ねた際に、実際に会った事がその本にも書かれていました。

212_4212_5全く料理の写真を載せないというのも「味気ない」ので。
左は前菜、何とかと言うエビと平目のカルパッチョ。酸味の利いたドレッシングがかかっていてまずはお口の中が爽やかになります。お魚は何故か優しい木の香りがしました。
右は、「赤むつのポシェ 焦がしバターをかけて」。赤むつは別名「のどぐろ」とも呼ばれ、今や高級魚ですがこちらでは結構獲れるお魚です。
そして「焦がしバターをかけて」。私が初めて「ル・ポットフー」で食事をした昭和61年に「エイのムニエル=カスベのポシェ 焦がしバターをかけて」を頂いた時に生まれて初めて耳にしたフレーズです。20年以上を経て受け継がれた料理法にメニュー。嬉しくて涙が出そうでした。
お祝いの日という事で「シェフお任せのコース」にしました。最後のデザートでは、家内の方にはクリームでろうそくを8本立ててお誕生日のお祝いサービス。
8才、だったんですね!(笑)

珈琲も美味しかった。満足。
店内は、どちらかというと旧き良さを何とか保っている感じが方々に見られて、目を見張る美しさとかきらびやかさは無いのですが、いろいろ考えられ工夫が凝らされていると思います。椅子ひとつにしたって素敵なデザインのものをいくつか置いてあり、お店を開いた昭和59年当時にこれだけのものをよく集めたなぁと感心しました。
佐藤久一さんが生きておられたらお話ししたかったですね。

余談ですが、1/29の私のブログ記事に対し、オケ仲間の「タビの親父」さんなどはコメントを寄せたかったけれど余りに思い入れが強過ぎて何も書けなかったそうです。思い出というものはそういうものでしょう。佐藤久一さんに直接深く関わった方や、彼の御陰で料理に目覚めたり、音楽を知ったり、映画の喜びを得た人達はたくさんいらっしゃるはずですが、あの本の著者岡田芳郎氏や私などのように、酒田生まれではなく、生前の佐藤久一さんをほとんどまたは全く知らない人だからこそ、本やブログに平気で書けるのだと思います。

楽しい時間、おいしい料理、ワインでほろ酔い、寝不足で眠い、外はゴーゴー地吹雪。ということで、もう1件行こうと思っていた「バー ケルン」(マスターは世界的に有名なカクテル『雪国』の考案者井山計一さんです、「井山計一のホームページ」)までの道のりは険しく(冗談ではなく本当です!)、帰宅しました。
近いうちに「ケルン」と「バー スカーフ」には行かないと。

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2008.02.12

2/12、いよいよ、そして

保健所への申請を受けての、わたくしの医院の「開設日」は2/8です。開院の日は3/3の予定です。
本日2/12(火)は、昨日が祝日であった事を受けて、新採用職員初出勤の日となりました。晴れて(?)私が「院長」として振る舞うことになった日と言えます。
現在まだ離職できずに当院への正式な就職を果たせない方とまだ採用が決まっていない方を除く3名の新職員が本日から来られました。
と言っても、今日は、挨拶、施設の説明、雇用条件の確認と各種保険の説明、ユニフォームの選択決定などで実質的な「仕事」はありません。今週末から電子カルテの講習と勉強が7回、技師さんはMRIやエコー、ECGなどの装置の講習と勉強が始まりますが、明日明後日は特に仕事がありませんので、各種事務的手続きなどを行って頂くことになりました。
今日は、引き続き、家具の一部、家電の一部(冷蔵庫やヒーターなど)、リハビリ機器の一部(マッサージ用ウォーターベッドやベッドなど)が入りました。いろいろな打ち合わせもありました。

そして、今日は家内の誕生日でもあります。
何才になられたかは内緒(笑)であります。
院長として仕事を始めた日と家内の誕生日が重なったのできっと忘れないでしょう。そしてこれからお祝いに出かけます。外は吹雪ですが、とても楽しみです。
では戻って来たら、記事を追加するかも知れません(酔っぱらっていなければ、笑)。
ーーーーー

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2008.02.11

山響「鳥海春待ちコンサート」

昨日、平成20年2月10日(日)、遊佐町の中央公民館で山響のコンサートがありました。ちょうど、前日にモーツァルト定期第3回が山形テルサで行われたので、それと全く同じ出演者、同じプログラムです。
このコンサートが決まった時、どうせ庄内でピリオド奏法も美しい「モーツァルト定期」をやるのなら、なぜ庄内町響ホールでやらないんだろう、と思いました。
響ホールはその名の通り響きが美しく、ギターの福田進一さん始め多くのアーティストがCD録音のためにだけ使ったりする程のホールです。場所も、酒田と鶴岡の中間のやや東で、庄内一円の中心部に近い所にあります。酒フィルのファミリーコンサートなどでも使っていますが、フルオケにはちょっと響きが強すぎる感じですが、小アンサンブル、たとえばアフラートゥス五重奏団もここで2回公演していますが、四重奏、八重奏、小規模のオケにピッタリのサイズです。モーツァルト定期の山響は大きくても第1Vn4プルトの2管編成で、小さい時は6-6-5-4-3の打楽器なしという30人足らずの編成になりますので、ちょうどいい感じなのです。客席は満席でも500と中規模のホールで、山響がモーツァルトシリーズを引っさげて来るなら満席に出来るのではないかと思う次第。
しかし、行政の問題なのか、現場の問題なのか、人の問題なのか、その全てなのか、どうもチケット販売とかコンサート誘致に熱心ではない印象を受けます。

一方、昨日の会場となった遊佐町中央公民館は、開館35周年を記念しての事業ですが、お世辞にも立派とは言えない設備です。バックステージはちゃんとした部屋は一つしかありません。オンジェのリサイタルの時は、ピアニストの藤井さんは女性なのでドアの付いたその部屋を控え室にして頂き、メインのオンジェにはなんとカーテンで仕切るだけの簡素な部屋とも呼べないステージ裏の一角をあてがった程だったのです。しかも暖房が効かず寒い。ステージの狭さは、「ファルカシュ・ガーボルのリサイタル」「オンジェのリサイタル」の記事で載せた写真でよくわかると思います。客席は500と「響ホール」と同じ位の数ですが明らかに狭いです。
バックステージがこんな感じだから、山響音楽監督の飯森さんには当然の様に藤井亜紀さんが使ったドア付きのバックステージの部屋があてがわれると、団員の控え室はありません。なんと公民館の階段を上がった2階の部屋が団員の控え室。ですので、演奏直前になると、ホール前の受付の横を燕尾服を着た団員が横切り、「あら、こんにちは〜」という何ともアットホームと言えば聞こえがいいのですが、雑然とした感じです。タバコを吸う団員の方は、館内禁煙のため公民館正面玄関階段脇の喫煙所に集まります。ですから、そこで楽団員、聴衆、実行委員会の人などが雑然と仲良く(笑)タバコを吸っています。

15:30開演の5分程前に飯森さんが登場し、いつものコンサートと同じく「プレトーク」をされます。
山響は遊佐で演奏会をした事がありますが、飯森さんとしては生まれて初めて来られたそうで、そんな話から始まってモーツァルトの事(お父さんもいますから、アマデウスのことです、とわざわざ断っておられました)、本日のプログラム曲のこと、その背景(年齢や旅行、JCBachとの触れ合いなど)を説明、そして前日のテルサと同じ様にピリオド奏法の説明です。
Photo足達先生は、金のフルートと黒い木管のフルートをみんなに見せます。そこで大変面白い裏話を披露されました。
「実は、今日は自分の金のフルートを持って来なかったので、これは遊佐町のYSさんのフルートをお借りしました。」会場がどよどよとします。酒フィルの私の仲間で、遊佐、いや庄内では有名な笛吹きのYSさん。以前、NHKの企画だったか、山響とモーツァルトのフルート協奏曲(ニ短調?)を共演したこともある程の人なのです。飯森さんが、「それは金ですか?」と質問すると、足達先生が事も無げに「はい、18金ですね。」と言ったため、会場は「おお〜」とか「金か〜」という感じで更にどよめきます。
打ち上げの席で聞いた話では、家人にも(両親など)金のフルートとはちゃんと言っていないそうで(別に隠している訳ではないでしょうが)、「これでみんなに知られてしまったのぉ、困ったのぉ」と嬉しそうに話していました。ご自身が農家なので余り金とか何とか派手な事が苦手なんだと思います。
まあ、YSさんのフルートは(私のも同じですが)キーなどのメカニズムは銀製で、足達先生のは全て18金のため、同じ18金と言っても3倍近いお値段がする代物なのですが。
テルサで聴くよりも、金の笛と木の笛の音色の違いがよりわかったのは面白い発見でした。明らかに音色が違いました。
つづいてトランペットの井上さん。ナチュラル管の青い房の付いたトランペットはトロンボーンと同じ長さがあり、トロンボーンの高音を吹いている様な感じと仰っていました。ホルンは、前日は八木さんだけでしたが、遊佐では関谷さんも出て八木さんがナチュラル管、関谷さんが現代のホルンでモーツァルトのホルン協奏曲の第1楽章の「さわり」を吹いてその形、音色、奏法の違いをわかりやすく説明して下さいました。

演奏そのものは、場所が変われど、ホールが変われど、聴衆が変われど、プロの音楽家として懸命な熱い演奏を聴かせて頂きました。確かに残響が少なく、響きが悪い、といいますが、県民会館や鶴岡の文化会館は響きが良くない上に広いので、なんとなく「物足りなさ」を感じるのですが、遊佐の公民館は適度に狭いので演奏が手に取る様にわかるといったらいいのでしょうか、同じ第1ヴァイオリンでもコンマスの高木さんや横の犬伏さんが弾いている音と、3プルトや4プルトの奏者が弾いている音が分離されてきちんと聴こえるのです。揃っていないというのではなくて、8人なら8人の奏者分の音がきちんと聴こえます。さらに前日のテルサでははっきりしなかった(個人的な感想としてです)、第2ヴァイオリンの演奏がより鮮明にわかります。対向配置なのですから残響の多いホールでも第1と第2の仕事の違いはわかるはずですが、柔らかい塊の音がホール全体に響き渡る感じのテルサに比べ、第2ヴァイオリンでも1プルと4プルの音が分かれて聴こえて来ます。「ああ第1、おお第2」という風に客席からよく分かる感じでした。同じ様にヴィオラも内声を支えたり、チャチャチャチャチャチャチャチャとリズムを刻む所なんかも、奏者の位置からまっすぐ聴こえて来るので聴いていて楽しかった。響きが少ないから音の定位が良いとは限らないはずで、遊佐の公民館も捨てたもんじゃないと真面目に思いました。
高橋あけみさんのファゴットソロの協奏曲は、また楽しかった。前日のテルサのコンサートとはお衣装も違い、シックなグレーのロングドレスに丈の短い肩を隠す様なベストの様な服(名前を忘れたので、思い出したら書きます)を着て登場。髪型も前の日の見ようによっては「名古屋嬢」のようなボリューム感のある形から変えておられました。打ち上げの席でご本人からお聞きしたのですが、テルサでの演奏会は、まず嬉しくて楽しくてやや舞い上がって演奏した事自体あまり記憶に無いのだそうです。らびおさんのブログで協奏曲終了後舞台袖に下がって来る高橋あけみさんのとても素敵な笑顔の写真が拝見できます。「あまり見た事がないでしょ?」らびおがゆくVol.3をご覧下さい。
遊佐の演奏会では、ただ嬉しいだけではなくて少し心にゆとりができて遊び心も芽生える余裕があったとか。おそらくカデンツァは高橋さん自身の作による同じものだと思うのですが、演奏は別物の様に感じました。
後半の交響曲第29番は、同時代に作られた第25番ト短調などに比べればあまり有名ではありませんが、第2楽章の難しさ(モーツァルトの緩徐楽章はすべて難しい!)、第4楽章の鮮烈な爽やかさなどとても素敵な演奏でした。


2(終演後のサイン会で地元で弦楽演奏をしている女子高生達と)
アンコールはやらない飯森さんですが、今日もやりません。鳴り止まない拍手を制して、マイクでお話です。「アンコ−ルは用意していないんです。」(観客笑う)「というのは、モーツァルトはとても難しいんです。第5番とか7分くらいで終わる曲でも練習は一生懸命やるので、団員の皆さん、もうヘトヘトなんです。ではこれで終わりです。」(観客、笑い、大きな拍手)
という感じで大成功のコンサートでした。

酒フィルの関係で、庄内地区の山形交響楽協会理事や酒田市在住の山響ファンクラブ会長などと一緒に公民館3階で行われた打ち上げの席に出させて頂きました。酒フィル仲間の実行委員が会場片付けに奔走している中、飯森さん、高木さん、そしてソリストの高橋あけみさんに山響の事務局の方々と遊佐の関係者の楽しい触れ合いの一時がもたれました。高木さんは、咋夏の「日本アマチュアオーケストラ連盟全国大会in酒田」でも親しくお話をさせて頂く機会があり、とてもフランクにお話しさせて頂きました。
Photo_2高橋あけみさんとは実は私が忘れていたのにご本人からの指摘で親しくお話しするのは2回目だと判明。4年程前に、山響酒田定期の出来る前だったでしょうか、希望ホールが出来て初めての山響の演奏会がありました。指揮は高校の後輩である佐藤寿一氏で、小曽根真さんをソリストに迎えて小曽根さん作曲のピアノ協奏曲「もがみ」とラプソディ・イン・ブルーをやった演奏会。その打ち上げの席に参加させてもらい小曽根さんや寿一さんとお話をして舞い上がっていたのですが、高橋あけみさんからその時に確かお話ししましたね、と言われこちらは恐縮しきり。高橋さんの記憶力が凄いのと、自分がそんな事を覚えていなかったという情けないというか「危険?」な事実にちょっとショックでした。(苦笑)
(肖像権の侵害に付いては、ご本人の了解を得ずに勝手にブログに載せておりますので、ご本人または関係者から削除の依頼があれば削除致しますので、お許しください)

Photo_4順番としては、当然最初に飯森さんからご挨拶を頂いたのですが、「今回、35周年ということで呼んで頂きましたが、次が40周年ということではあまりに寂しい。36周年でも37周年でも、呼んで頂ければ毎年来ますから。」と嬉しいお話がありました。
Photo_3写真は高木さんが挨拶した後、椅子に座って聞いていた飯森さんが黙っていられなくなって出て来られた所です。「いやね、高木君がこんなに話が上手だとは思わなかったんですよ。高木君という人はね、こんな感じですが(笑)、本当に凄い人なんですよ。」と高木さんの経歴、コンクール歴、高木さんとの接点、どうして山形に呼んだのか、モーツァルト定期は必ず高木さんにコンマスをやってもらう約束とかいろいろお話しされました。
高木さんのお話というのは、高校を卒業後、日本の音大には入らずまっすぐパリへ勉強に行き、その後にアメリカでも勉強して、そろそろ日本に帰ろうと思ってチケットを取ったら、飯森さんが当時音楽監督を務めていらしたドイツはロイトリンゲンのヴュルテンベルグでコンマスを募集しているという話があり、急遽ドイツ周りで帰国するチケットに変えて、まあ受からんやろ、とオーディションを受けてみたらオケ団員満場の一致でコンマスになることになった、その後、日本に帰ることになった際に、「是非山形で一緒にやろう!」と飯森さんに声をかけられて戻って来た、というお話でした。
飯森さんもおっしゃっていましたが、山響が山形にあることを誇りに思って欲しい、またそう思ってもらえる様な演奏を目指して行く、ということでした。

高木さんからは、「山形の人は、お付合いする様になって、よく「山形にはこんな素晴らしいところがありますよ」「こんな美味しいものがありますよ」「こんな素敵な自然がありますよ」と喜んで紹介して下さるんです」という話があり、「飯森さんはいっつもようあれだけ自慢話をブログに書けるな〜、と思ってますが、やはり「自画自賛」を美徳とする気持ちが大事なんですよ」と、けっして批判的ではなく肯定的な意見として、音楽家として生きて行く上での自己肯定のものの考え方というかスタイルを持つ事は大事だという考えを披露して下さいました。確かにそうだと思います。だから私も「自惚れコンサート」などというフルートの録音を2年8ヶ月も続けているのです。(^^;;;;

Photo_5打ち上げの席で、山響の裏方をなさっている社団法人山形交響楽協会の堀田理事から今回来られた5名の事務局の方々の紹介がありました。こういった方々の地道なお仕事があるから、私達はいつも快適にコンサートを楽しむ事が出来る訳です。感謝でございます。
飯森さん達は山形に帰らなければならないので、遊佐楽友協会のTSさん(合唱の先生で、かつ酒フィルのコンミスの実姉の方)から中締めのご挨拶がありました。お土産に遊佐の特産の農産物、特にお米と先日も記事に書いたとっても美味しい酒フィルファゴット奏者T氏(実質上、今回の遊佐のコンサートの仕掛人?)の有機野菜詰め合わせ(銀座三越でも販売されるらしい貴重なお野菜、地元で買うよりはずっとお高くなるそうです)が渡されました。
その後、打ち上げの続きを内輪で行い楽しい話に花が咲きました。更に、誘われて近くのお店に2次会ということで移動し、そこでは「17人の遊佐ごはん」キャンペーン真っ最中の「ハヤシライス」と「汁ビーフン」などに舌鼓を打ち、楽しい楽しい夜は更けて行きました。
遊佐町が山形の最北部にあるとは言え、酒田の家までは車で15〜20分の距離です。
山響さんにはまた遊佐町に来て頂きたいものです。

本日のおまけ写真。
Photo_7いよいよ完成した医院の2階、院長室から私がこだわった眺め。ちょっと手前の住宅が気にはなりますが、お天気がよいとこのように美しい鳥海山が「一枚の絵」のように我が物にできるのです。
もっけだのぉ。

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2008.02.10

第3回モーツァルト定期 in 山形

山響が今シーズンから8年かけて演奏して行く、『モーツァルト・シンフォニー・サイクル』、いわゆる「モーツァルト定期」の第3回コンサートが、平成20年2月9日(土)、山形テルサで行われました。
クリニックへの電子カルテ用コンピュータ類やその他の搬入、内装の残りの部分を3時前までに終わりにして頂いて、出かけました。
モーツァルト定期会員ですが、シートは当日夕方5時から会場で引き換えなければならないので、それに間に合う様に酒田を出かけました。昨日のコンサートも人気で前売りチケットほぼ完売という事で、当日券を求めて20名近い方が並んでいらっしゃいましたが、皆さん入れたのでしょうか?

今回のコンサートのプログラム、曲の解説、その他詳しい事はnarkejpさんのブログに詳細に的確に書かれているので、私が書くべき事はほとんどありません。どうぞ電網郊外散歩道「アマデウスへの旅」第3回をご覧下さい。

Photo音楽監督飯森さんによるプレトークは、いつもにもまして熱が入ったようでした。2日間、ナイタースキーに行って来たせいでしょうか、滑らかなトーク。今回は、ピリオド奏法、楽器の復習という事で、写真のようにフルートの足達さん、トランペットの井上さん、ホルンの八木さんを迎えて、現代楽器と当時の楽器の説明がありました。フルートの場合、古楽器というのはフラウト・トラベルソと言って、穴が開いた横笛にキーが1つか2つしか付かないもので、奏法も指使いも現代楽器とは全く違います。モーツァルト定期では、パウエルという会社のグラナディラという材質の黒い木管を使っています。吹き比べて頂き、確かに音の違い、一方は輝かしく他方は渋くどことなく素朴な感じでした。
トランペットはピストンが無いので、唇の調節で倍音を出しながら音程を変えます。右手で長い管の途中にある孔を抑えたり開いたりしています。これは、音程の調性のためもあり、またここから余分な息を逃がすことによって音がよりクリアで安定します。ホルンもナチュラル管の出せる音に制限がある所を触らせていただきました。


さて、今回の目玉は何と言っても、山響ファゴット奏者である高橋あけみさんによるファゴット協奏曲でした。実は、一昨年の酒フィルの定期演奏会で、チェコフィルのファゴット奏者オンジェ・ロスコヴェッツ氏を招聘していて(アフラートゥス五重奏団と遊佐、酒田の交流の関係から)、大変楽しみにしていたのですが急に来日できなくなりとてもがっかりした事がありました。定期演奏会そのものは、練習で代吹きをお願いした読響の武井さんが、本番前日の無理なお願いにも快く酒田まで来て下さって、素晴らしい協奏曲を演奏して下さり、ホッと胸を撫で下ろしたものでした。そのリベンジもあって、オンジェは昨年11月のチェコフィル日本公演に合わせて、遊佐でファゴットリサイタルを開いてくれたのでした。(「ありがとう!オンジェイ!」をご覧下さい)
Photo_2そう言う意味で、ファゴット協奏曲は大変思い出深いものでした。
高橋あけみさんは、ラベンダー色というのでしょうか、素敵なロングドレスで、ちょっと緊張して演奏されていましたが、終わった途端、とてもうれしい!楽しかった!というようなお顔をされたのが印象的でした。
演奏会後の交流会で、飯森さんへのインタビューの後、高橋あけみさんへのインタビューがありました。ラベンダー色の服に合わせる為、友人が共布で世界に一つだけのストラップを作って下さったそうです。素敵でした。

コンサートが終わった時には結構な雪が振り始めていました。次の日(つまり今日)の10時から医院にPACS(Picture Archiving & Communication System)の設置準備があるため、どうしても夜中に帰らなくてはなりませんでした。夜の、雪の、月山道はかなり厳しいものがありましたが、1時間50分くらいで何とか家に辿り着きました。

今日(2/10)は、遊佐町中央公民館で『遊佐春待ちコンサート』と題して、まったく同じ演目をやって頂くことになっており、このコンさートの事はまた明日書きたいと思います。

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2008.02.09

「にっぽん!ははは!!」と医院引渡し

別にふざけたタイトルではありません。
昨日、2/8、午後1時半からクリニックの「引渡し式」が執り行われました。関係者約20名が参列する中、取扱説明書や様々な説明書が綴じられた分厚いファイルが2冊、契約書が2通、そして30カ所近い鍵の入った「キーボックス」が渡されました。
各部署の説明、特に水回り(凍結防止栓だけでスイッチが3カ所)、火災報知器、警備保障の報知器、電子錠の扱い方、などの説明があり、この後は「大家さん」と「私」のものになります。本日から、盗難・火災保険に入りました。
夕方6時に、私以外の人が建物の外に出て、正面の自動ドアを含めて全てのロックを確認して、電気を消して、職員玄関で電子錠により警備保障を「オン」にして外に出る時は初めてなのでちょっと緊張しました。
その後、慌ただしく「希望ホール」へ。
Photo昨日は、桂文珍の独演会が6:30からあって席を予約してあったのです。酒フィルの定期演奏会とはまったく比べ物にならないお客さんの数で、市役所の駐車場、市民会館専用駐車場は全て満車だったので、近くの清水屋の駐車場にいれて会場に着いたら丁度6時半。慌てて客席に着きましたが天候も悪かったせいか少し遅めに始まったので、前座の「桂楽珍」さんに十分間に合いました。楽珍さんは、鹿児島は徳之島の出ということで、眉が太く幅の広い丸顔で自分でも言ってましたが西郷ドンに似とらしとるごたるあったとです。(笑)
噺も独特の間があって面白かった。
Photo_2さて、真打ち「文珍」師匠の登場。テレビで観かける、元気なはしゃいだ姿とはちょっと違って、ひょこひょこ、ほれほれ、という感じで登場。さすがの貫禄ですが、威圧感は無く、柔らかい。何もしゃべらずとも客を惹き付ける。さすが!です。
そこから噺しは一席の後、女性漫談師のなかなかの三味線と都々逸を挟んでもう一席。その後10分の短い休憩を取って、もう1席と、全部で三席もあり、終わったらおよそ夜の9時でした。たっぷり笑かしてもらいました。楽しかった。心が「ほわん」としました。さすが!でした。
この文珍さんの独演会のタイトルが「にっぽん!ハハハ!!」なのでした。

医学部の同級生に兵庫県は丹波篠山の出身の人がいて、彼が熱心なキリスト教徒だったので私も「聖書研究会」や教会に顔を出した事があります。その彼が、「丹波篠山出身の有名人って、桂文珍くらいしかおれへん。」と言っていたのを思い出します。元気かな、H君。卒業後は京都大学の産科婦人科学教室に行って、故郷の篠山で開業したと聞きました。

ということで、医院の引渡しと「にっぽん!ハハハ!!」のお話でございました。(文珍風、、、笑)

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2008.02.08

山響CD第3弾とアマオケの事

2なんどもしつこく告知して来ました、3/16(日)、酒田市民会館希望ホールでのフルオペラ『ラ・ボエーム』公演。
直前リハの3/14, 15までもうあと6週になりました。先日の練習では、オケ、合唱、楽隊の中では「手応え」を感じましたが、プロの声楽家である二期会の歌手が7名加わって演出が付くとどうなるのか、不安はたくさんあります。
しかし、泣けますよ。ストーリーはまじめに考えると、「は?!なんで?」という所もありますが、そういう「突っ込み」はなしです。「オペラ」なんですから。歌舞伎やバレエに突っ込み入れないでしょ?

Photoこちらは、「タビの親父」さんのブログ記事から写真を拝借。3/16のオペラのために「希望ホール」でオケピットを試みに作ってみた所。1階の前方5席を外し、油圧でゆっくり床が地下に下がります。結構広いピットです。早く入ってみたいな〜。

さて、我らが山響、山形交響楽団では自主レーベルの第3弾CDを1月に発売開始しています。
ブルックナー/交響曲第4番変ホ長調「ロマンティック」(指揮 : 飯森範親、管弦楽 : 山形交響楽団)は、山形交響楽団のHPの「楽団ニュース」の下の方から「社団法人山形交響楽協会」へご連絡を(Amazonでも取扱いあるようです)。
昨年H19年の1/26, 27に山形テルサで2日公演を行った時の録音。プログラムはベートーベンの4番とブルックナーの4番という組み合わせだったのですが、1曲で70分近い大曲なので今回の第3弾CDはブルックナーの4番一曲しか収録されていません。
昨年2/2の朝日新聞全国版の文化欄に非常に好意的に取り上げられた事はまだ記憶に残っていて、我が事の様に嬉しかった事を覚えています。ブルックナーの交響曲は、熱く、濃いですが、山響の演奏はかなり熱いです。聴きながら、つい「ゴジラ登場〜!」と言いたくなる様な感じです。「またまたやって参りました!『地球防衛軍』出動〜!!」って感じです。あの感動が蘇ります。

上に書いた様に、あと6週間でオペラ。我々アマオケは、半年以上をかけて演奏会の準備をします。オペラ『ラ・ボエーム』の場合は,昨年3月のファミリーコンサートの終わった翌翌週から譜読み練習に入りましたので、もう11ヶ月程練習している様な気がします。3/16のオペラが終わったら、次は11/16の第37回定期演奏会です。今回、私はプロジェクトチームに入れてもらったので、ただ今選曲の段階。協奏曲はピアノでチャイコのPコン1番で行こうと考えています。ソリストは、ほぼ決定しましたがまだ内緒。山響とも共演された事のある方です。
メインの交響曲は、シベリウスの2番、ドボジャークの7番、チャイコの4番など、うちのオケの規模や実力と多少は照らし合わせながら選択していますが、今の段階で私の一押しはメンデルスゾーンの3番「スコットランド」。または「シベ2」です。どちらも有名で熱い曲。どちらになるにしても楽しみです。オペラが終わっても「腑抜け」てはいられません。楽しみです。

さて、連日公開しているリハビリ室での演奏録音。
今回は、試奏6「JS BachのPartitaからAllemande」です。
今日(2/8)はついに建物の「引渡し」です。演奏する曲がもっとあればまた録音を続けてみたいと思っています。

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2008.02.07

人生の王道、そして笛の道?

Photo西郷南洲翁についてのお勉強はその後も続けております。
これは、庄内で私が一番最初に目にした『敬天愛人』の碑です。鶴岡市役所の隣の消防署の横にあります。酒田の飯森山にある「南洲神社」境内の石碑より大きいです。庄内酒井藩のお城跡、鶴岡公園のすぐ近くにあるのですから当然でもありましょう。
しかし、もう一度、考えてみましょう。

戊辰戦争において、徳川方の親藩として先頭に立った会津松平と庄内酒井。官軍総本山の参謀であった島津薩摩藩の西郷ドン。奥羽越列藩同盟の中で、酒田の本間家の莫大な経済的援助をバックにイギリス式新式銃を大量に揃えて連戦連勝で官軍を追いつめていた(新庄、山形まで攻め落とし、秋田まで迫っていた)庄内藩は、他藩が敗戦脱落する中で、仲介を得て無敗のまま「恭順」の意を示すことになります。
薩摩軍を主とする官軍が鶴岡の街の中に凱旋する際に、街の人などへの狼藉やもめ事を心配した西郷隆盛の参謀黒田清隆の命(西郷の命令そのものとも言われています)によって、武装を解除すべき庄内藩士から刀を取り上げる事無く、官軍側が武装を解除して鶴ヶ岡城に迫ったそうです。
そして敗軍の将に対して寛大な措置を行った事に対して、殿様を守るためなら家老以下全員が切腹してでもお願いしたいと思っていた庄内藩士の薩摩、特に黒田清隆への感謝の心はそれは大変なものでした。そして、その措置は実は西郷隆盛の命令によるものだったと後に知った庄内藩士の西郷隆盛に対する尊敬と感謝の心は、藩主酒井忠篤(たたずみ)を始め多くの藩士が薩摩まで西郷を訪ねその門を叩いて教えを請うというまでに至りました。

西郷が遣韓使問題で政府要職を辞して野に下り、ついに政府軍の挑発に乗って薩摩の若手が暴走します。そして、日本の歴史上「最後の内戦」と言われている「西南戦争」が勃発します。庄内からは敬慕する西郷さんを助けるために参戦するという若者が多かったのですが、南洲翁はそれを望まないだろうという管公などの説得によって思いとどまります。ちょうど、西郷の私学校に留学中であった2名の若い元庄内藩士が参戦し殉死します。そして西郷は政府軍、つまりは明治天皇に弓ひいた朝敵とされてしまいます。そんな中、庄内藩では西郷の元で学んだ者達がその教えを後世に伝えるために書物を作ります。西郷が亡くなった後も、明治憲法発布に伴う特赦が行われて西郷の朝敵の汚名が雪がれ名誉が復活するまでは世に出す事ができませんでした。そして、ついに庄内藩士が作り上げた「南洲翁遺訓」は、西郷南洲翁の言葉として世に出て行きます。その際にも、元庄内藩士がたくさんの「南洲翁遺訓」を背負って全国を行脚し配って歩いたと言われています。
今でも、荘内南洲会の事務所に行けば「南洲翁遺訓」を無料で配布してくれます。その当時の庄内藩士の心を平成の世にも受け継いでいるのです。

だからこその、鶴岡の、そして酒田の「敬天愛人」の石碑なのです。
個人事業主となるに当たり、人として世の中に出て生きて行く事、人と付合う事、人を使う事、事業を成す事、会計を担当する事、など様々な状況に応じて大切な心を「南洲翁遺訓」、それを解説した「南洲翁遺訓に学ぶ」、西郷南洲の教えに学ぶ「人生の王道」を読んで学ぶ事ができた気がします。
至誠、誠を尽くし正しく生きる事、天を敬い人を愛する事、ぶれない事、姑息な手段や計略を考えたり用いたりしない正々堂々として行動を貫く事など、易しい事ではありません。むしろこれがなかなか出来ないからこそ「人間」なのかもしれませんが、そういう道を追い求めて行きたいものです。

などと綺麗事を言っても、私は、「もっと笛が吹きたい」「もっと笛が上手になりたい」「もっと自由に笛を吹く時間が欲しい」「もっといろんな音楽に触れて音楽の世界に浸りたい」という気持ちが開業を志す大きな誘因、要因になっています。つまり「私利私欲」であり「利己」です。
そこには南洲翁が説く「無私」や「利他」の心は乏しく、独りよがりの貧しい気持ちが見えます。たった一度の人生、20数年を脳の外科治療にかけて突っ走って来た道から大きく軌道修正(と言えば聞こえはいいけれど、道を逸れ)して行こうとしています。果たしてこれが正しい選択であったのか、自分の取るべき道であったのか、迷いが無いと言えば嘘になります。ただ、「敬天愛人」の心や「至誠」の志はどこかに忘れずにもって生きて行きたいと思っています。
でも、これもいろいろな縁。そして、笛の妖精の魔力に導かれて迷い込んでしまったのかも、しれません。。。。
という訳で、今日の演奏は、笛の妖精「パン(葦)」の曲、「DebussyのSyrinx」です。


本日のおまけ(結局、それかい!笑)。
Photo_2Photo_3一昨日訪ねた庄内保健所の入っている山形県庄内支庁の裏手にあるお蕎麦屋さん「茂一(もいち)そば」。昨年行った時はまだ暖かい季節だったので、ざるそばと麦きりの合盛りを頼みましたが、雪の振りしきる中、暖かい肉そばにしました。「日本蕎麦」の文化が乏しかった庄内地方で何十年とお蕎麦屋さんをやっている人気店です。

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2008.02.06

残響の評価2

Reverb「残響」について少し勉強してみました。
残響を知る前に、それを極限まで減らした「無響室」anechoic chamberを考えてみると理解が速いかもしれない。
「無響室」とは、実験的に作られた残響のほとんどない部屋である。この部屋では、周囲の音の反射具合に影響されずに被測定物の発生または検出する音だけを忠実に測定できるため、スピーカーの周波数特性や、マイクロホンの指向性などを調べる事に適している。非常に吸音性の高いグラスウールと布で作った壁を楔形にして部屋の中心に向けて隙間無く配置したものである。これにより、部屋の中で発生された音は、グラスウールに吸収されながら隣り合う楔面の壁に無限に反射しながら減衰するため、音源に対して跳ね返って来る音がほとんど0になる訳である。

また、残響を計る上で使用する「残響時間」は、定義上はある音源が発音を止めてから残響音が60dB減衰するまでの時間のことである。60dB減衰するとはある強度の音が10の6乗分の1、つまり1,000,000分の1まで小さくなるということである。残響の豊かな空間では、ある音が鳴り終わってからその音のエネルギーが壁などに反射しながら100万分の1に減衰するまで吸収される事無くその空間に残って響いているわけである。体育館のような天井の高い大きな空間で、音を吸収したり乱反射する構造が少なく固い壁が単純に「対向」している場所では残響が豊かになる傾向にある。日本間の和室の様に、天井が比較的低く、音を吸収するような障子、和紙、畳、土壁など比較的柔らかい構造で狭い部屋においては、残響が少なくなる傾向にある。残響が非常に少ない場所では、自ら発する声も小さく聴こえ、他人の出す音もほとんど気にならず(着物の衣擦れ)、空間的に3次元的位置の感覚が鈍くなると思われる。「茶の湯」の世界は、なるべく無音に近い、残響の無い空間での静寂さと、下俗から離れた一種浮遊感のような超越した雰囲気が和室によって醸し出されると思われる。
一方、西洋のキリスト教会などのように、石造りで非常に天井の高い広い空間は、たとえば石の洞窟のような空間と似ており、残響の豊富な環境は天上、死後の世界、天国を想像する空間となり、その中で奏でられるオルガンの音楽や聖歌などはまるで天使や神の声のように聴こえるものである。

古典的西洋音楽であるクラシック音楽は、宗教、特にキリスト教と密接に結びついて発展して来たものであり、現代音楽より以前のものは特に残響の豊富なホールで演奏される事が好ましい音楽である。
上記の図に現されている緑色の三角形の部分は「後期残響」と呼ばれるものであるが、ある音源から出た音が壁や天井などから最初に跳ね返ってくる「初期反射」を過ぎて、いろいろな場所に複雑に反射しながらもはやその発生源を特定できないくらい乱反射されて返って来るものである。この部分が長い事が音響学的に「残響が豊か」という事になるが、あまり長過ぎても一つの音に続く次の音が不鮮明になったり混ざりあって響きとして美しくなくなる恐れもある。この「後期残響」が適度に長い事が「音楽ホール」として重要なのであるが、どのように「適度」であるかは演奏される楽器、演奏曲目などによっても違うため、理想的に唯一の「正しい残響」はないということになる。

楽器を演奏する立場として考えても、またプロの音楽家と交流を持つ機会に恵まれている立場としても、これまでの経験からたとえば「合唱に適したホール」、「ピアノ独奏に適したホール」、「弦楽四重奏に適したホール」、「管楽器、吹奏楽に適したホール」、「オーケストラに適したホール」という違いを感じる事がある。今回出来上がったリハビリ室がどのような環境に適しているか、現時点ではまだ判然としないが、フルートを吹いて録音を聞いてみた感じとしては、少人数の合唱、管楽器独奏、チェンバロなどの音量の小さな楽器の演奏、弦楽合奏でも四重奏から八重奏などに適している様に感じている。
今回録音した2曲目(1曲目は昨日のブログ記事でリンク済み)は、「CPE Bachのフルートソナタ」から第一楽章です。

上記、残響時間、後期残響のことなどを考えながら聴くのもまた一興かと。v(^^

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2008.02.05

新たな生活を迎えて

今朝から、必ずしも時間で起きて、時間で出かける必要が無くなりました。まるで土曜か日曜の朝のようです。それでも日中いろいろなやる事があり11時前には出かけました。
市役所、保健所、医師会、現場での打ち合わせなどを終えたら18時近くになりました。またお天気は雪模様で寒くなりましたが日に日に日が長くなっていますね。17:30近くまで薄明るい感じです。

23a庄内保健所は、山形県庁庄内支庁の中にあります。三川町のひろびろとした景色から臨む鳥海山です。
雪が美しく積もっています。綺麗に晴れたらどんなに美しいのでしょう。美しい夕陽を浴びて薄紅色に輝く積雪もそのうち写真に撮りたいと思います。

23同じ場所から南東方向には月山が臨めます。真冬の月山は雪が積もって綺麗です。鳥海が標高2236mなのに対し月山は1984m。月山は湯殿山、羽黒山という2つの山を従え、「出羽三山」と呼ばれて信仰の対象になっています。
鳥海山の頂上に本社のある「大物忌神社」は出羽の国の「一宮」とされています。

23_2夕刻、酒田の街の中から見える鳥海山。一年を通して季節の変わり目、一日の中でも時刻によっていろいろ見え方が変わり魅力的です。

今日は現場のクリニックでの打ち合わせが3件ありました。
作り付けの家具もほとんどできて、あとはカーテンやロールスクリーン、ブラインドの設置、さらに床のワックスがけ、窓などの掃除です。外構は、悪天候のせいかやや遅れているのか、と思います。まだ敷地内の舗装、駐車スペースの線引き、正面玄関まえの車寄せ前面の花壇、植木、敷地内の看板などが出来ていません。
リハビリ室は、反響板にニス(?)が塗られていました。後は、リハビリ機器や机、椅子がはいるところです。今日も「残響の評価」のため、数曲フルートを吹いてみました。
「試奏3;Sarabande: JSBach Partita」を録音しました。まあ、「試し演奏」ですので。。。。(^^;;;

明日も電子カルテ、MRI室内にかける予定の鯨の写真を大きなパネルにする相談(すでに作成には入っていますが)、開院案内のチラシの相談、テレビなどの家電機器の相談、電話とインターネットの接続(すでに昨日接続されました)の契約、支払いに関する相談があります。
2/7(木)にはワックスがけがあり、2/8午前中にPACS用のコンピュータ類の納品があり、2/8に建物の引き渡しになる予定です。

次々に出て来る問題点、自分がやらなければならない事などを冷静に把握して管理しながら一歩一歩進んで行くしかありません。個人事業主としての生活が始まりました。

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2008.02.04

勤務医生活にお別れです

今日は「立春」です。
そして、私にとってはおよそ24年間の「勤務医」生活最後の日です。
三川町のM病院は庄内に移り住んでから非常勤で仕事をさせて頂きました。脳や神経系に専門性を持たせて開業すると、神経精神科関係の疾患をお持ちの方も受診されるであろうということもあり、勉強させて頂いたのです。
昭和59年に医学部を卒業して以来、国立、県立、市立、私立の違いはあれど、昨年までは手術の出来る大きな病院で勤務医をして来ました。急患もたくさん診て、緊急手術もたくさんして、夜・夜中、日曜祝祭日関係なく働いて来ました。それが「やりがい」でもありました。
昨年からは開業の準備のために大学病院を辞して基本的には時間外診療はしない一般診療所と手術をしない精神神経科内科の病院に勤務しました。そのため、約8ヶ月間、外から来る救急患者や緊急手術は「0」で、夜勤(宿直)もわずかしかしていません。日によっては「9時−5時」という、昔の生活からは信じられないような勤務をして来ました。

大学を卒業して、わずかな休みをもらって、確か4月15日頃から「勤務」を始めました。その当時は「医師国家試験」というのは卒業後の4月に受けるもので、発表は5月の中旬。合格を受けて関連部署に手続きをして国家資格を持った医師として「登録」されるのは5月下旬から6月。よって、正式な「研修医」としての採用は6月の途中でしたので、初めてのお給料は7月からもらいました(10万以下だったはず)。ですから4、5、6月の3ヶ月間は、医学部を出たのに、働いているのに、「無給」で、親から仕送りをしてもらいました。
Neuron親には「大学で研究などをして、金を稼ぐ医者にはならないから、そういう意味では諦めてね」などと言っていました。脳に興味があり、脳科学が面白くて、ワイルダー・ペンフィールド博士に憧れて脳外科医を志したので、給料が少ないとか働く時間が多いなどという事は「普通」の事であって、ほとんど気にした事はありませんでした。関連病院に出向のような形で勤務すると、「研究」と言う仕事はほとんどない代わりに、急患、緊急手術、当直、夜間や休日の緊急呼び出しなどがあります。それは、しかし「手当」として収入に反映します。大学で「研究」の名の下に朝早くから夜遅くまで(平均的に朝7時から夜の10,11時)働いても、超過勤務手当も時間外手当も何も付きませんでした(最近はわずかばかりながら付く様になったらしいです)。一般病院での時間外手当は、手取り収入の1/3以上を占めることもありました。しかし、それも不当(?)に削られる様になって来ました。病院側(管理する県など)にも「予算」があり、いくら医師が忙しく懸命に働いても「無い袖は触れない」ので、時間外出勤簿に医師が記録したものを事務側で「なかったこと」にして削除するのです。
一番もらっていた頃の時間外手当から、最終的には約半分まで削られていました。お金のためだけに働いている訳ではなくても、当然もらえるはずのものが削られれば不満は生じます。「医者は金もらい過ぎなんだ」というのが、一般の人や事務職の意見、考えのようでした。
たしかにたくさん頂いていました。と思っていたのですが、昨今の様にいろいろな職業の収入が明らかになって来ると、「なんだよ〜」という気持ちになるのは偽らざる心境です。

昨日でしたか、さるテレビ番組で「あなたの収入いくら」というのをやっていました。一生懸命仕事した事に対して相応の収入を得る事は当然の事だと思います。ましてそれが特殊な仕事であったり、普通の人に無い特殊技術や資格に基づいたものであれば高額収入も納得できます。たとえば銀座の「夜のお勤め」の女性達の髪を10~15分でセットする30才そこそこの美容師さんの月の収入は(歩合制とは言え)70万円ということでした。ミシュランにも乗った銀座「久兵衛」の鮨職人も月収も70万円くらいでした。さすが、と思い、当然とも思います。しかし、「ワーキングプア」も少なくない現代で一般の人はどのようにとられるのでしょう。
私は、大学では最終的に准教授でした。その額面の収入はいろいろな手当(扶養や交通、住宅など)がついて50万円弱でした。前年の収入が大きかったため(一般病院で時間外手当などたっぷり頂いた)大学からの手取りは30万円いかない月もありました。朝7時から夜11時まで働き、土日も患者さんを診に病院にでて来て(これは主治医として患者を持つなら当然の事と思います)、平日にできない仕事をしたりします。一年に自らの執刀だけでもかなりの数をこなし、若い医師を指導し、医学部の学生に講義や指導をし、外来をやって、病棟の患者を診ます。それ以外に、医局の運営や学会の準備やもろもろの会議や出張(学会が主)があります。ある特殊な手術方法に関して、その方法で手術をする患者数が年平均で15~20例以上持っている医師は日本全国でおそらく10人程度という極めて特殊な事もしていました。上記の美容師さんは全く休みが取れずにぶっ続けで働くとは言っても一日の仕事はおそらく4時間程度。鮨職人は朝6時頃の仕込み準備から夜の本業まで長いとは言っても、休みの日はしっかりお休みで「緊急の呼び出し」や「夜中3時、4時の病棟からの連絡」「明け方5時の急患室からの緊急呼び出し」などは皆無でしょう。
どちらが偉いとかきついという比較の問題を問うているのではありません。命に関わる仕事をする人間には、それなりの覚悟と責務があるのは当然ですし、むしろその事を誇りに思い自負して働いて来ました。昼食も夕食も摂る時間がなく夜中まで手術をしたこともあります。「金」の話ばかりで恐縮ですし、誤解されるかも知れませんが(なんだ、こいつ、結局は金か、と)、特殊な技術と資格を持って命に関わる仕事をしている人間に対する報酬としては、欧米の状況から見れば「十分すぎる」とは言えないと思います。

医療は本来ボランティア活動である事、人の病気や怪我という不幸に基づく仕事である事、博愛の心であたるのが本来の姿でそれによって得る収入は問わない、そのために働く時間の長さに不平不満を言わない、というのは「当たり前」の世界だと理解しています。しかし、あえて、他の職業と比較して収入の話をしているのです。それは、日本の医療制度にも関わります。戦後ずっと続けて来た「国民皆保険制度」と「診療報酬点数制度」によって、上がって来たとは言っても先進諸国と比較すると日本の医療費は低く抑えられ国民の負担は少ない方に入ります。そして医師(特に勤務医)の収入は低い方に入ります。
今、大統領選を戦っているヒラリー・クリントンがかつて日本に来た時に「日本の医者はまるで『聖職者』のような自己犠牲の精神で働いている事に感銘を受けた」と言って帰って行きました。これは、感心して感動して言ったように聞こえますが、実は「落胆」して言ったと理解できます。というのは、日本の「健康達成度の総合評価(WHO)」は何度も書いている様に世界1位。一方の米国は15位です。
なんで?アメリカの方が医療は進んでいるんじゃないの?心臓移植とかみんなアメリカや豪州に行くんじゃない?
それらはすべて制度の違いによるものです。
なぜヒラリーが落胆したかというと、WHOの評価などから判断して日本の医療制度はどんなに素晴らしいのだろう、学んで米国に取り入れよう、と思って来日するのですが「とても米国では真似できない」とがっかりするのだそうです。「どんなに素晴らしいシステムで運営されているのだろうか」と思って期待して来たら、素晴らしいのは制度ではなく、「時間外手当がカットされても、36時間連続勤務でも、自殺者が出る程過酷な労働条件でも、歯を食いしばって患者のためと働いている、日本の医師、特に勤務医の崇高な精神と実行力によって成り立っている」ということがわかるからなのです。米国では、移植外科医や脳外科医など先端的な治療を行う特殊技術を持つ医師の年収は日本円で1億円以上が普通です。私が留学していたピッツバーグ大学の脳外科の主任教授は、14年くらい前で大学から「だけ」の給与で2億円くらいもらっていると聞きました。別荘を2つとクルーザーと小型飛行機を持っていて、日本のRV車で通勤している事を自慢していました。ドイツの知り合いの脳外科教授は、自家用飛行機を持っていて、来日の際はフランクフルト空港まで自分で飛行機を飛ばして来ていました。
日本の大学病院の脳外科教授で、別荘やクルーザーや小型飛行機を持っている人がいたら教えて下さい。おそらく年収1000万ちょっとではそんな生活はできないはずです。こういうところの差が国民には知られていないようです。ヒラリーも知らなくて、制度を学びに来日して、システムではなく医師の「心」で成立している事を知って、感心すると共に落胆して「これではアメリカでは取り入れられない」と帰って行ったのだそうです。

勤務医を辞めるにあたり、日本の勤務医がいかに頑張っているのか、頑張りきれなくなって辞める人が続出している原因はどこにあるのか、改善する方法があるのか、なんらかの対策をとらなくていいのか(少しは対策がとられているようです)などを問いたくて、「金」の話を持ち出した訳です。
日本の医療、特に病院での高度な医療は、このままでは崩壊までいかなくても衰退してしまう恐れが十分にあります。いや、すでに衰退し始めていると思います。善意で働く医師を取り締まり、少しでも落ち度があれば捕縛しようというような『診療行為に関連した死亡に関わる死因究明等の在り方に関する第二次試案』などとんでもないことだと思います。
もう一度、拙ブログ記事、「日本の医療の安全について少し考えてみました」をご参照ください。

かくいう私は、音楽活動を続ける事が第一の目的として開業医を目指すことになり、本日「勤務医」を卒業致します。

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2008.02.03

節分です

2月3日、「節分」でした。
関東地方では雪だったそうですね。千葉や東京でも積雪があったそうです。
雪、こちらでは珍しくもありませんが、、、
Photo豆まき、しました。
「恵方巻き」、南南東の方角を向いて頂きました。
「ま・め〜は でんろっく〜♪」。「でん六」は山形市に本社と工場がある豆屋さん。福岡に住んでいた子供の頃から知っていましたので、全国的に宣伝を展開していたのでしょう。

オペラ『ラ・ボエーム』公演まであと6週。この週末を入れて全部であと10回の練習と直前のリハおよび通し稽古(GP)になります。もう近づいて来ました。
23a昨晩、今日と庄内町の「響ホール」での練習でした。特に、今日は午前中に合唱団、子供合唱団、楽隊との合わせを行いました。2幕目、3幕目です。オケと合唱と楽隊、全部併せて80名を超える大人数です。
写真はそのワンシーンですが、自分も演奏があるので、ちょっと隙を見て一枚だけ撮ったものです。合唱団も、ちょうど歌っている時ではなく、演技を付けている(左右に移動している、雑踏?の雰囲気です)ところでした。数回止まりながら確認しながら練習を進め、最後は2幕目を通して、楽隊も演奏しながら行進して、スムーズに行きました。2幕目が終わった所で思わず拍手をしました。合唱指導はJS先生で、合唱やこどもたちに指示指導をしながら、2幕目のムゼッタの部分をご本人が歌って場面を作り上げていましたが、さすが素晴らしい美しい歌声でした。
ちょうど本日の山形新聞から毎週日曜日に「日曜随想」に10回程連載をされるそうでその記事を見せて下さいました。日曜随想「市民オペラの歩みと私」というものです。山形新聞を読める方はどうぞお読みいただければと思います。このJS先生は、先日の佐藤久一氏の事を書いた本「世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田に作った男はなぜ忘れ去られたのか」にも、佐藤久一がレストラン「ル・ポットフー」で生の音楽をと考えて白羽の矢を立てたその人なのです。

Photo_2写真は、庄内町「響ホール」と月山です。これは朝撮影したのですが、その後もう少し晴れました。
今日は都心でも3cmくらいの積雪だったようですが、庄内はくもりのち晴れでした。雪は、写真の様にたっぷり根雪になっていますが。月山も美しいです。

23c上記、月山と響ホールを撮影した所でほぼ180度振り返ると、このように鳥海山が見えます。
2/3なのですから当然ですが、6合目までは真っ白。積雪は麓までありますが、木が多いため真っ白には見えないのです。

23bそこからちょっと移動した場所で、今日の練習終了後(午後4時少し前)に撮った鳥海山。
空がやや曇っていたので、真っ白な鳥海と空とのコントラストがややはっきりしませんが、肉眼で見るともっとくっきり美しく見えたという事を付け加えておきます。

こうして「節分」の日は穏やかに過ぎました。
明日は「立春」です。旧暦で、新年を迎え、春を迎えます。
開院まであとちょうと4週となります。

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2008.02.02

「鶴岡音楽祭」

酒田の隣町、荘内藩酒井家のお膝元であった城下町、鶴岡にはこれまで2回に分けて合計2年半暮らした事があります。今日は、その鶴岡市での「雪の降るまちを『鶴岡音楽祭』(鶴岡冬まつり)」が行われました。詳細は、「鶴岡音楽祭」のHPをご参照ください。
オケは山響、指揮は酒田出身の工藤俊幸さん(先日のブログ記事「あいおい工藤美術館」館長のご子息)なので楽しみにしていたのが、急用が出来てしまって行けなくなってしまった。
大変残念!
有名な「雪の降るまちを」は、中田喜直が鶴岡に来た時に作曲したと言われており、この街で出来た歌として鶴岡市民には大変親しみのある歌。かつて私が鶴岡のS病院に勤務したおり、飲み会などがあるとその二次会などでは医師が数十名肩を組んで「雪の降るまちを」を歌ったものだった。今、その伝統は残っているのだろうか。
と言う関係で、特別ゲストに中田喜直未亡人の幸子夫人が招かれている。更に、鶴岡出身の作曲家佐藤敏直氏の未亡人玲子夫人もゲストとして招かれている。佐藤敏直は合唱曲を始め幅広い芸術的な作品を残されている。記憶に新しいのは、山形弦楽四重奏団がその定期演奏会で取り上げた弦楽四重奏曲「モルト・アダージョ」。この曲の事は、「山形弦楽四重奏団藤島公演」(昨年6/20の記事)をご参照ください。
山弦(または山Q)は、一名山響の団員ではない方がいるので、今回の鶴岡音楽祭ではVn.1&2は、山弦メンバーではないコンマスの犬伏さんとVnの蜂谷ゆかりさんが演奏されたらしい。らびおがゆくVol.3「明日は鶴岡音楽祭」を参照ください。

中田喜直と佐藤敏直、偶然だか二人共名前の最後の文字が「直」。素直で美しい芸術性の高い作品を作る所が共通点のようです。プログラムの大半は彼らの合唱曲だったようです。

聴きに行けなくて、残念、です。。。(;;)

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2008.02.01

残響の評価

2月になりました。
今年は閏年なので2月は29日あり、開院まで31日ということになります。
現場では建築確認と消防の立入検査も無事終了しました。
私が楽しみにしているリハビリ室の出来、特にその音響について一日でも早く調べたくて本日フルートを吹いて録音してみました。

21a21b本日撮影したリハビリ室。左は、東南の角から北西方向を見た所、右は西南の角から北東を見た所。
筋目が入っているような木の壁は、実は壁に取り付けた特殊な反射版です。山形市にある「ミュージック昭和」というライブハウス・楽器販売・CD販売などを手がけている会社の社長さんと私のクリニックの設計担当である山形市の青木建築設計室の青木さんが共同開発したという、ライブ用の音響版(正式名称まだ知りません)です。要するに、この壁の前で楽器を演奏すると音源からの音はいろいろな方向に乱反射する様になっていて変な反響を抑えるらしいのです。

この音響板の前にたってフルート独奏をしてみました。録音は東南の角に近い東面の壁にある窓の枠においたRolandのEdirolを使いました。どんな音響であるかは口で言うより聴いて頂く方が早いので、「balaineの自惚れコンサート」の方にこれからアップします。アップし次第、こちらにリンクします。

ということで、早速録音をアップしました。
「アルルの女」伴奏なしをお聴きください。この録音は、リハ室で録ったそのままで、エコーなどの変更修正は全く加えていない物です。ちょっと響き過ぎで残響が長いのですが、カーテンなどで「デッド」に持って行けば調整可能だと思います。この響きだとヨーロッパの教会の様な感じがします。チェンバロを鳴らしてみたいですね。

もう一つ録音を追加しました(2/2になりましたが)。
「ハンガリー田園幻想曲」伴奏なしです。完成度は低いですが、残響の豊かさは理解できます。


本日のおまけ。
PhotoPhoto_2酒田市曙町にある「アップルハウス」というお店で昼食をとりました。
ここは、酒フィルはよく練習でも使う「富士見コミセン」のほぼ隣り(道一本隔てただけ)にあります。つまりうちの医院から車で30秒くらいの「ご近所」さんです。
オーガニックにこだわった材料で、シンプルなパスタです。「今日のケーキ」のスコーンはとても美味しい。自家製のリンゴジャムとホイップクリームをつけて頂きます。
満足!

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