« 良い年をお迎えください!(1年の鳥海) | トップページ | おお!懐かしきプラハよ! »

2008.01.01

新年明けましておめでとうございます!

Photo_4いよいよ3月に開業しますし目出度い年にしたいです。
元日は「三社参り」してきました。
ちょっと調べてみましたら、私の出身地である福岡など西日本の風習だそうですが、どうなのでしょう。
祀ってある神様を考えてお参りした訳ではないのでいい加減かもしれないのですが。

まず初めは10月の「地鎮祭」でお世話になりました、酒田市駅前で本間美術館の近くにある「八雲神社」にお参りしました。時に強い霰の降るようなお天気でしたが、夫婦揃って着物を着て心新たにお参り申し上げました。

続いて酒田の街でも最も由緒のある「日枝神社」。日和山公園のすぐ隣にあります。
奥州藤原家の滅亡にあたり、藤原氏の遺臣36名が秀衡の後室徳尼公と共に酒田に落ち逃れて来て、今の宮ノ浦と呼ばれる土地に住むことになった。その後、最上川を越えて今の酒田市中心街のある地区に移り住み、その後、ここに日枝神社を祀ることになったという話である。「公益学」の祖にもなったと言われる本間家3代当主光丘が社殿を寄進し、後の世に西郷隆盛が大鳥居にかかっている「日枝神社」という額を書いたと言われている。

そして3社目。
この正月の間に勉強しようと思って5冊の本を買い込んでいたのだが、そのうち3冊が「西郷南洲翁(隆盛)」に関するものである。官軍の総大将西郷隆盛と奥羽越列藩同盟中唯一無敗であった鶴岡庄内藩の戊辰戦争、戦後、そして西南戦争を経て西郷隆盛が特赦で復権した後に庄内藩士によって編纂された「南洲翁遺訓」の事などは有名な話だと思う。庄内地方に「南洲神社」があることは知っていたし、どこかで看板を見た覚えがあったのだが、「どこにあるのか?」と問われると正確に応える知識はなかった。ところが「南洲翁遺訓に学ぶ」(小野寺時雄著、荘内南洲会発行)や「荘内藩を救った西郷隆盛」(大谷良雄著、コミュニティ新聞発行)などに南洲神社は飯森山にあると紹介されている。「飯森山」とは、あの土門拳記念館のあるところなのである。
Photo南洲神社の場所は、ちょうど土門拳記念館とは反対側にある。
南洲翁遺訓に人生を捧げたとも言える故長谷川信夫氏がその自宅で「南洲翁遺訓勉強会」を開き、それが今の「荘内南洲会」になったのであるが、その長谷川氏の自宅敷地内に神社を建立したものである。

Photo_2神社の脇に「徳の交わり」と呼ばれる西郷隆盛と庄内藩士菅実秀の大きな銅像が置かれている。
江戸市中見回り組として薩摩藩江戸屋敷焼き討ちの中心となり、戊辰戦争では官軍側に甚大な被害を与え最後まで抵抗した庄内藩に対して、非常に寛大な戦後処置を行ったのは西郷隆盛の御陰である事を後に知って、鹿児島まで訪ねて私淑した時の姿を銅像にしたものである。

Photo_3ちょっと霰混じりの雪が降っていたのですが、その脇には有名な「敬天愛人」の言葉が掘られた石碑がありました。私がこの敬天愛人の碑を生まれて初めて見たのは確か昭和61年頃、鶴岡の消防署の横にあった大きな石碑。その時に初めて西郷隆盛と荘内藩の関係を知りました。実は私の高祖父(曾祖父の父)?が宮崎のどこぞのお城の家老をしていて、「禁門の変」の際に薩摩軍と共に京都に進軍したので西郷ドンと一緒に闘ったということがあり、西郷隆盛の事を鶴岡で聞いて感激した覚えがあります。

南洲神社にお参りして、その隣にある「南洲会館」が元日にも関わらずあいていたのでお邪魔したところ、事務長さん自ら案内して下さいました。酒井家縁の掛け軸などの他、なんと西郷隆盛直筆の書や絵や沖永良部島に流されていた頃の品が大事に展示されていました。これらの書に触れるだけで、西郷ドンの大きさや仁徳が十分に感じられました。
西郷隆盛に興味のある方は是非訪れてみるべき神社と会館だと思います。こちらをどうぞ!
「荘内南洲会」のHP

「三社参り」はこうして霰の降る中、有意義に終える事ができました。
Photo_5お正月はやはりお節。そしてお雑煮。地方、家庭によっていろいろなヴァリエーションがあるものですが、九州出身の私の家でも、庄内地方でも、トビウオの焼干しを出汁につかっていることなど共通点があります。もしかすると、北前船が関係しているかもしれないな、などと考えながら食べていました。

|

« 良い年をお迎えください!(1年の鳥海) | トップページ | おお!懐かしきプラハよ! »

コメント

明けましておめでとうございます(*´艸`)

日枝神社は明後日友達と行く予定なんです(´∀`)
日枝神社のお隣の“海向寺”はすごく?有名ですよ(`・ω・´)
九州の方からもわざわざ来る方もいるとか聞いたことがあったような感じもします☆*.゜

今年も宜しくお願いします!!!

投稿: ハチ | 2008.01.01 23:05

明けましておめでとうございます。
今年も宜しくお願い致します。
お写真の雑煮は庄内風なのでしょうか?
新年早々、美味しいもののお写真に目が。。。

投稿: ボリジ | 2008.01.01 23:39

新年おめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

私は年末より 過飲食状態。困ったものです。今週末までこの状態かも・・。


経営の内容になりますが 稲○和夫著の南洲翁の教え「人生の王道」の本は読みました。実際この本以外の西郷さんの知識は持ち合わせておりませんが 素晴らしい内容でした。よろしければ 先生に差し上げます。

2008年 先生 皆様にとりまして 良い年でありますように♪ 

投稿: けんちゃん | 2008.01.02 00:39

ハチさん、おめでとう!
「海向寺」わかりますよ。「マッチ」が主役をやった刑事物のドラマにも出てきましたね。即身仏(ミイラ)があるんですよね。
日枝神社に行ったら、大鳥居の額に注目ですよ!

ボリジさん、今年もよろしくお願いします。
庄内風+秋田風アレンジでしょうか?九州では丸餅なんですが、東北では切り餅のようですね。

投稿: balaine | 2008.01.02 00:54

けんちゃんさん、本年もよろしくお願いします。
はい、京セラの会長さんの本ですね。鹿児島出身ですものね。その本も現在読んでおります。ありがとうございます。

投稿: balaine | 2008.01.02 01:16

日付変わりましたが
明けましておめでとうございます。

日枝神社、光丘文庫見学の際お参りしてきました。
光丘文庫脇の紅葉が見事でしたね。

ウチの雑煮は、長州(岩国)藩士の末裔の
祖母直伝の瀬戸内のアナゴとセリの入った
丸餅入りの雑煮です。雑煮にもお国柄が出ますね。

"K木"姓、もしかして宮崎にルーツの方
と思っていましたがやはりですね。
ウチの職場にも「そのまんま知事」と
同じ喋り方の都城出身の"K木"クン
がいます。

投稿: 潤 | 2008.01.02 02:32

潤さん、おめでとうございます!
そうでしたか。幕末から維新後にかけてあれだけの俊秀を多数輩出した長州ですか。「禁門の変」では「敵」だったですね。「京都守護職」を勤めていた会津藩に対する長州の恨みは激しいものがあり、それが戊辰戦争時に会津を攻めた"恨み骨髄”の長州による会津藩の下北流しと、庄内を攻めた薩摩藩の寛大な処置(そのまま在府)の差になったようですね。
現代でも明治維新前後の事をまだ引きずっている人、地域はたくさんあるようですが、「そげんこつ、どうでんいいっちゃが!」ですばい。のぉ(宮崎弁、博多弁、+庄内弁です)(^^)

投稿: balaine | 2008.01.02 12:31

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 新年明けましておめでとうございます!:

» 明けましておめでとうございます。 [電網郊外散歩道]
真っ白な雪におおわれた、静かな新年を迎えました。 この一年が、皆様にとりましても、健康で平和な日々となりますよう、お祈り申し上げます。 さて、現在の積雪は、およそ20cmくらいでしょうか。早朝から除雪機の爆音を響かせるわけにはいきませんので、自力で雪かきに精を出し、道路から玄関まで、来客の通行ができるようにしました。その後、お雑煮をいただき、東北らしい納豆餅を食べ、ようやく自室でほっとして、コーヒーを飲んでおります。 新年の音楽は、フランソワ・クープランの組曲集「諸国の人々」、ヨーロッパ・バロッ... [続きを読む]

受信: 2008.01.02 20:08

« 良い年をお迎えください!(1年の鳥海) | トップページ | おお!懐かしきプラハよ! »