南洲神社と人生の王道
元日のブログ記事に、酒田市飯森山にある「南洲神社」と「荘内南洲会」のことを書きました。
その後、慌ただしい中、数冊の本を拾い読みしました。「荘内南洲会」で無償配布している「南洲翁遺訓」の小冊子は、ざっと目を通し、秋田にいる義父にプレゼントしました。荘内南洲会の人々の無私の心には及びませんが、私なりにいろいろな人に西郷隆盛の徳を広めたいと思っています。
『南洲翁遺訓』の内容を簡潔にまとめるならば、やはり西郷が晩年好んで書いた書である「敬天愛人」に行き着くと思います。
頼まれてたくさん書いたらしく、いろんな書体、いろんな大きさの「敬天愛人」があります。写真は、南洲神社社殿前の小屋(冬の風雪をしのぎ、お賽銭をあげたり蜜柑などのお供え物を置くため)にかかっていたものです。
こちらは南洲神社の境内にある石碑です(元日の記事にも掲載しました)。
この書体と同じ小さな色紙に印刷された「敬天愛人」の書を荘内南洲会の事務所で購入して額に入れて拙宅の玄関に飾りました。
「コミュニティ新聞社」社長の大谷良雄氏による「荘内藩を救った西郷隆盛」や荘内南洲会の小野寺時雄氏による「南洲翁遺訓に学ぶ」は、庄内の歴史を知る上でも勉強になり、結構さらさらと読み終わりました(中身を完全に理解した訳ではなく、これから折りに触れ開いて学んで行きたいと思います)。
鹿児島出身で西郷ドンを尊敬している京セラの現名誉会長である稲盛和夫氏による「人生の王道 西郷南洲の教えに学ぶ」も非常に良い本です。読みやすいのですが、一々深く考えさせられる事があるため、通してサラサラッと読めず、時間をかけながら拾い読みをしています。
この写真は、上記の南洲神社の小屋に掲げてあるものです。
ここに書かれている伴兼之と榊原政治の2名が「西南戦争」で戦死した旧庄内藩藩士の若者です。ここに書かれてある文書を読むだけで、特にこの2名の墓が西郷ドンのお墓のすぐ前に置かれているという下りを読むだけで込み上げて来るものがあります。特に、私の母親が日向高鍋藩に関係する祖先を持ち、父親が榊原青年の亡くなった薩軍病院のあった延岡の出身なので強く訴えるものがあります。
上記、稲盛氏の本の最初に「プロローグ 上質な日本人、上質な日本であるために」の部分を読んでいると「庄内藩の有志によりまとめられた『南洲翁遺訓』」と紹介され、西南戦争で戦死した庄内藩士の事も書かれていて、胸が熱くなります。
拝金主義で「金を儲けた奴が偉い」と言わんばかりのIT関連や株関連の業界人や、偽装だらけの食品をはじめとする製造業界、そして政治とは、国会とは一体誰のためにやっているんだと言いたくなるような議員、政府、内閣はじめとする立法・行政関係者、これらの人達に「南洲翁遺訓」「南洲翁遺訓に学ぶ」「人生の王道 西郷南洲の教えに学ぶ」の3冊、せめて稲盛さんの「人生の王道」だけでも精読して頂きたい。既に読んだ事があるならば、今一度、枕元にでも置いて、寝る前に1章ずつでも読んで頂きたいと思います。
ただ「教え」というものは、つい「宗教」化してしまいがちな点が少し気になります。南洲翁の教えは儒教思想とは違うけれど、儒学、朱子学に基づく西郷自身の勉強の成果が関与している事は間違いないと思います。正しい事を考え、正しい事を教えていました。それが何故「西南戦争」という「人の殺し合い」になったのか。それは歴史上の数々の宗教に関わる戦争、イデオロギーの違いによる戦争などと同じ事なのだと思います。庄内藩士が何故西南戦争で死ななければならなかったのか。彼らは死ぬ事を厭わなかったかもしれないが、死ぬ事が、戦争に参加する事が、本当に正義であったのか、正しかったのか。西郷ドンは、庄内藩士2名に対し、貴方たち庄内藩には関係がないから帰りなさいと言ったと伝え聞いています。しかし、彼らは西郷を尊敬し慕い、共に学ぶ仲間を裏切る事は出来ず、庄内藩の期待に背く事など出来ず、武士として「蜂起した反乱軍」に従う事を決めたのでしょう。そこには青年の純粋な心だけがあったのでしょうが、「教育」というものが宗教化するような恐さも感じるのです。
しかし、こうは書いていても、私は決して西郷ドンに殉じた庄内藩士2名を否定するものではありませんし、西南戦争そのものを否定するつもりもありません。ただ、物事の解決手段として、武力、戦争で行う事はやはり正しい事ではないと考えたいのです。西郷がもしも戊辰戦争や西南戦争という戦いの中心におらず、ただその考え、教えだけがあったのなら、J.F.ケネディが歴史上の日本人で最も尊敬する人は上杉鷹山(宮崎の高鍋藩出身の米沢藩主)ではなく西郷隆盛であったかもしれないと思うのです。
稲盛氏の「人生の王道」の中で、特に今心に残っている一節を紹介します。
「そう思い始めたとき、会社の応接間に掛けてあった「敬天愛人」の書が静かに私を見下ろしていました。「人を愛するということが一番大切な事なんだよ」、西郷がそう語りかけてくるようでした。悩みに悩んだ結果、ようやく吹っ切れて、腹が決まりました。」
(第4章「大義」の98ページより)
(この記事は、1/17の日中、わずかの時間公開しましたが、書き直して1/18の公開となりました)
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
いっぱい投稿してすいません。
昨年10月に希望ホールで稲盛さんの講演会があり拝聴して来ました。満席でビックリしましたが本当の驚きは 稲盛さんのお人柄でした。西郷さんの教えや仏教及び宇宙に於ける愛と調和のお話を土台にした 生き方の講演でした。成功した経営者とした人柄ではなく 生き方の本質全てを知り尽くした おだやかな語り口が印象的でした。
「人生の王道」再読いたします。ありがとうございました♪
投稿: けんちゃん | 2008.01.18 00:54
稲盛さんとて「人間」であり「神」ではないので、満点ではないでしょうし、噂では京○ラの不協和音も聴こえます。
それでも、私のような「小人」から見れば教わる事ばかり、学ぶ事ばかり。大変に良い本ですね。
投稿: balaine | 2008.01.18 16:58
こんばんは。歩きました。帰宅時も歩きました。明日も歩く予定です・・・。私も負けずに頑張ります^^
京○不協和音=わかります!アメーバー経営ですね。会長さんの耳にはいらなくても周りの人は本音を言えない・・・。これ以上は書き込めませんが。実体験で良い所悪い所を肉体的にも精神的にも体験しています。不協和音その通り・・・。
balaine先生に出会えて幸せです!
投稿: けんちゃん | 2008.01.19 02:31