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2008.01.29

『世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか』を読む

1997年1月23日、今から11年と6日前、その人は市立酒田病院で亡くなりました。
その人の名前は佐藤久一といいます。
生前、私は、おそらく、一度は直接話をした、というか、正確には料理について説明を受けたと思います。酒田駅前の東急インにあるレストラン『ル・ポットフー』にはこれまで何回か行きました。上の階の宴会部門では、酒フィルの演奏会の打ち上げパーティや病院勤務時代の新年会とか送別会でも使いました。H17年9月に私がN病院を去る時は、病棟の看護師さん主催で送別会をやって頂き、お礼にCDのピアノ伴奏でフルートを2、3曲吹いたりしました。
はじめて3階のレストランを訪れたのはある方からの招待で、鶴岡の市立荘内病院に勤務していた昭和61年の事だったと思います。1986年です。この本によれば佐藤久一さんが清水屋から東急インに『ル・ポットフー』を移して活躍されたのが、1984~1993年と書いてありますので、おそらくお会いしているでしょう。個室で4名程で食事をした様に記憶していますが、その時、給仕をしたり料理の説明をして下さったのが、佐藤久一さんだったかどうかの記憶は曖昧です。ただ、コースの中の一品に対して「これはカスベのポシェ 焦がしバターかけです。カスベとは庄内浜で獲れる「エイ」の一種です。」というような説明を受けた記憶があります。「つまりエイのムニエルだよな?」と思いながら食べた記憶があります。
1986年に、個室で夜のコース料理を食べて、料理について一品一品説明を受けたとすれば、やはりあれが佐藤久一さんだったのでしょう。料理ばかり見ていて、お顔はほとんど見なかったのでよく覚えていません。

この本の内容については、興味のある方は是非買って読んで頂きたいと思います。
映画評論家の淀川長治や荻昌弘をして「世界一の映画館」と言わしめた、『グリーンハウス』を弱冠20才で作り、開高健や山口瞳、丸谷才一他、食通の文人達を唸らせて「日本一のフランス料理店」と評された『ル・ポットフー』を43才で(その前のレストラン「欅」は37才で)作ったという、いわば余人の真似する事のできない一種の天才だったのです。しかも、人口10万人足らず、当時の交通手段では東京から8時間近く、大阪からは寝台急行で10時間かかる、東北の田舎の小都市に、東京にもないようなデラックスで、設備よりも接遇の行き届いた施設を、しかもそのサービス内容から考えれば破格の値段で提供したのです。
私が、庄内に暮らして、九州生まれの人間には理解の困難な言動や、溶け込めない違和感を感じながらも、この東北のかつて「裏日本」と呼ばれた片田舎に何となく憧れるような気持ちを抱いたり、「いいな、ここ、、、」と感じたりするのは何故なのだろうと考えていました。引っ込み思案で思った事を口にせずニコニコと笑っているような東北人気質とともに、湊町の雰囲気と伝統を受け継いだ「進取の気性」や「ちょっと荒っぽい感性」を持ちながらもどこかに「京都と結びついた伝統」や「西の堺、東の酒田」と言われた繁栄の継承があり、とても不思議な雰囲気のする地域だとは感じていました。
庄内浜で獲れる旬の魚介の御陰で、「鈴政」や「こい勢」を始め、いくつもの美味しい寿司屋があり、地物の食材を活かしたフランス料理風の鉄板焼をやっている「おく山」など、「ル・ポットフー」や「欅」以外にも銘店がたくさんあります。鶴岡まで足を伸ばせば、全国的に超有名で庄内で最も予約のとりにくい店No.1の「アル・ケッチャーノ」や、昔お気に入りながら最近ご無沙汰している「紅屋」があります。庄内町余目には女性が大喜びするドルチェをとてもリーズナブルに提供し、料理もとても美味しい「ブリラーノ」があり、酒田にまた戻って来ると最近何度かブログで紹介した「シェディ・オーク」などの素敵なレストランがあります。その他にも、美味しいカレーの専門店「ナーランダー」や酒田の数あるラーメン屋さん、お蕎麦(酒田の「田毎」、余目の「せき」「しま田」など)その他、仲の良い友人や親が遊びに来たら連れて行きたいと思うような店が、私が行った事のある店だけでもこれだけ、いえ、挙げきれない程たくさんあります。
そして、酒田市名誉市民酒田市文化功労者(JS先生から間違いを指摘いただきました)であるシャンソン歌手の故岸洋子さん、オペラ歌手として活躍中の市原多朗などの芸術家も輩出していますし、もちろん「せめて成りたや殿様に」と歌われた本間家も酒田の地で存続しています。土門拳(こちらが酒田市名誉市民)のような希代の大写真家も輩出し素晴らしい写真専門の美術館もあります。
私の所属するアマオケは「酒田」と冠していますが、酒田市の団員は半分くらいで、隣の鶴岡市や庄内町、遊佐町などはもちろん、離れた新庄市、山形市や秋田のにかほ、由利本庄から通う団員もいます。それにしても、人口10万人の街に、10年に一度とはいえフルオペラに挑むようなアマオケがある街なのです。

酒田駅前の通りは昼間でもシャッター街の寂しい街になり、かつて「グリーンハウス」があった中町地区は日曜日でも人通りがまばらな寂しい街になってしまっています(もちろん、「寒鱈祭り」など地域として人寄せ、盛り上げに取り組んではいます)。郊外型大店舗のIグループや大型量販電気店に客を奪われ、街中の商店はひっそりしています。
しかし、この不景気な街に、かつての遺産であるかもしれないけれどどこか素敵な文化の香りを嗅ぎ付け、足を引かれて近寄って来たような気がしています。

故佐藤久一一人の手柄ではないでしょうが、酒田や周辺の街には、「グリーンハウス」で青春を過ごし、または家族で楽しんだり、週に一度、月に一度のお洒落をして出かけ、テレビ時代直前の映画全盛期に「東京と同時封切りのロードショウ」に田舎の人間の自尊心をくすぐられた人達が暮らし、何かの席(誕生日、お祝い、招待など)でコース料理を味わう事を楽しみしてそこに行く事を誇りにすら感じたレストランがあったのです。決して総数としては多くはないけれど、人口に占める率としてそういう経験をした人達が多く住んでいる地域なのだと思います。今は不景気で、寂れて、シャッター街になってはいるけれど、「東の酒田」と称され、「及びもせねど」と歌われた街、人の伝統があります。だからこそ、吉永小百合さんをキャスティングして、「黒澤組」が担当して、JR東日本の宣伝に、酒田の街中や山居倉庫が使われたのでしょう。
今も、レストラン「欅」やフランス料理(フランス風郷土料理と言っている)「ル・ポットフー」はもちろん、庄内に限らず全国の料理の世界で活躍している人達の中に、故佐藤久一に薫陶を受けたり関わった人達がたくさんいます。そして、やはりなによりもこの土地が素晴らしいのは、海、山、川、田、畑、空、水といった自然の生み出す食材や水や酒の、豊穣で他所では得難い素晴らしさだと思います。
「料理は素材」、「料理、それは思い出、、、」

おまけ?(本題?)
Photoこの本には、私の存じ上げている人の名前や、名前は書かれていないけれど「あそこだろうなぁ」という人や場所が出て来ます。酒田に住んでいるのですから当然です。
なかでも驚いたのは、「女性クラシック歌手」として文中に登場するJS先生の事。
オケでもお世話になっていますし、3/16のオペラ「ラ・ボエーム」に出演する地元の混声合唱(コーロ・プリモ)、少年少女合唱団(酒田マリーンジュニア)の両方の指導者で、家内もお世話になっていますし、クリニックのリハ室に設置するグランドピアノ選定購入に関してもお世話になりました。
故佐藤久一が「グリーンハウス」で実現した夢のような劇場の世界をレストラン「ル・ポットフー」にもと考えて、昭和52年(1977年)からJS先生に歌ってもらうことになったのだそうです。今でこそ、高級レストランにピアノの生演奏やクラシック歌手の生の歌声が響く事はそんなに珍しくはなくなりましたが、30年以上前の人口10万人の東北の田舎都市(いなか、いなか、と書くと酒田の人に怒られそう、、、って私も「酒田の人」ですが)でレギュラーでやっていたなんて驚きです。
しかも、3階のレストランだけではなく、4,5階の宴会場でも生の演奏ができるようにと全ての階にグランドピアノを設置したなどと知ると、今回、リハビリ室にグランドピアノ(ゆくゆくはチェンバロも)を設置して、無料のサロンコンサートを計画している自分の考えと合致する「心」を感じて感動してしまいました。

「料理、それは思い出、、、」

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